2025年3月23日日曜日

受難の予告

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「受難の予告」

マタイによる福音書16章13~28節

関口 康

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(24節)

今日の箇所で、イエスさまが弟子たちに「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになっています(13節)。

この内容の質問はこのときが初めてです。「人の子」は主イエスご自身です。この質問の意図は、ご自身についての評価を問うておられるということです。私は人々にどう見られているのか、どんなうわさがあるかを教えてほしいということです。

しかしそれは、たとえばイエスさまが疑心暗鬼になって自分の評判を調査させたというようなこととは違います。そうではなくて、伝道活動の「効果測定」です。種を蒔いたら蒔きっぱなしで、「あとは野となれ山となれ」と放置するのではなく、伝道の結果責任を負おうとしておられるのです。

「フィリポ・カイサリア地方に行ったとき」(13節)と場所が特定されているのは、イエスさまの質問内容と関係あるからです。フィリポ・カイサリアの位置は巻末付録の聖書地図「6」で確認できます。ガリラヤ湖よりもさらに北です。

「カイサリア」は「カイザルの」、すなわち「ローマ皇帝のもの」という意味です。イエスさまがお生まれになったときのローマ皇帝アウグストゥス(本名オクタヴィアヌス)がヘロデ大王に与えた町です。そして「フィリポ」はヘロデ大王の息子の名前です。アウグストゥスがヘロデにこの町を与えたのが紀元前20年ごろ。イエスさまが公の宣教活動をお始めになった西暦30年前後までに50年ほど経過しています。その町の住民の多くは異邦人でした。

これらの情報に基づいてイメージできるのは、新興住宅地として作られ、半世紀ほど経過した町です。首都エルサレムから遠いという意味で田舎。ヨルダン川の源流、ヘルモン山に近い高台。良く言えば、新しいものを受け入れ、変わって行く可能性を秘めている町。悪く言えば、歴史も伝統もない。落ち着かない。

弟子たちの答えは「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます」(14節)というものでした。この反応の意味を少し細かく見ていきます。

ヨハネは、主イエスの公生涯開始の直前まで活躍した預言者です。「最近の人」です。

エリヤは、紀元前9世紀の預言者。列王記上17~19章に登場します。分裂王国時代の北イスラエル王国のアハブ王(在位前869~850年)の時代に、バアルという偶像を拝む人々と戦ったことで知られます。「戦いの人」です。

エレミヤは、紀元前6世紀の預言者。エレミヤ書と哀歌の著者。南ユダ王国末期に国家滅亡を預言して迫害を受け、苦難の生涯を送りました。エレミヤも「戦いの人」です。負けるのですが。最期は殺害されました。

ヨハネ、エリヤ、エレミヤに共通するイメージは「戦いの預言者」です。そのようにフィリポ・カイサリアの人々がイエスさまのことを評価していたのであれば、ピントが合っているのではないでしょうか。洗礼者ヨハネの動きなど最新情報も得ているし、聖書の内容も正しく理解できている、知的水準が高い人々の町だったと言えるのではないでしょうか。

しかし、弟子たちが集めてきた情報に対して、イエスさまはノーコメントです。ひとこと欲しいところですが。その代わりに「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」とお尋ねになりました(15節)。

ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えました。この答えをイエスさまがお喜びになりました。そして「あなたはペトロ」と命名なさいました。「ペトロ」は「岩」という意味です。そして「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と主イエスがおっしゃいました。

イエスさまこそ「メシア」、そのギリシア語訳である「キリスト」と信じる信仰をペトロが告白しました。その「ペトロの信仰告白」こそが「教会の土台である」ということです。

この箇所については、長年続く議論があります。それは、イエスさまが「この上にわたしの教会を建てる」とおっしゃっているときの「岩」は、ペトロの人間性や人格を指しているのか、それとも、「あなたはメシア、生ける神の子です」という信仰告白だけを指しているのかという議論です。

問題を難しくしているのは、ローマ教皇が「使徒ペトロの後継者」であることになっていることです。プロテスタント教会は、この「岩」は「信仰告白」だけを指しているのであって、ペトロの人格ではないと教えて来ました。

もう一つ、カトリック教会にとって重要な議論は、ペトロとパウロのどちらが優位かという問題です。16世紀生まれで17世紀にローマ教皇になったインノケンティウス10世(Innocentius X [1574-1655])(在位1644~1655年)が、パウロをペトロと同等や優位とみなすことを異端としました。しかし、使徒言行録はじめ西暦1世紀から3世紀までのキリスト教文書にペトロとパウロが同等の存在として登場することは、文献的に立証できます。

このことを申し上げるのは、カトリック教会の立場を批判したり揶揄したりするためではありません。この議論には長い歴史がありますので、ぞんざいに扱われてはなりません。

また「信仰告白と人格は切り離すことができるか」という問題はきわめて重要です。私は切り離せないと考えます。「信仰告白」の意義は百も承知です。しかし、「ペトロの信仰告白」がペトロの人格と無関係にあるわけがありません。人間の存在と働きから切り離された「信仰告白」など存在しませんし、そんなものの上に「生きた教会」が立つはずがありません。

今日は、この問題に深入りできません。今日の説教題の「受難の予告」の箇所まで話を進めなくてはなりません。しかし、私が申し上げるべきことは、ほぼ尽きています。

それは、主イエスが弟子たちにご自身のこれから進む道の先に十字架の死の苦しみが待ち受けていることを伝えたのは、このときだった、ということです。

イエス・キリストの苦しみは、「真の教会を建てるための戦いの苦しみ」でした。そうだとしたら、私たちもイエスさまの苦しみに与(あずか)ることができます。

「与(あずか)る」とは参加することです。英語でparticipate(パーティシペイト)が「参加する」という意味です。この英語は「パート、すなわち部分(part)になること」を意味します。

イエスさまの苦しみにあずかることは、真の教会を建てることの苦しみを部分的に背負うこと、つまり、教会活動に参加することをそのまま意味します。

イエスさまは「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分のいのちを救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」(24~25節)とおっしゃいました。

ペトロもパウロも、その他の使徒たちも、最期は殉教しました。しかし、「主イエスの苦しみにあずかることのすすめ」は「殉教のすすめ」ではありません。健康であることは重要です。私も気を付けます。しかし、真の教会を建て上げるためにささげる命は惜しいものではありません。そうするだけの価値があります。そのことを主イエスご自身が教えておられます。

(2025年3月23日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年3月22日土曜日

どうすれば伝道できるか

ファン・ルーラー牧師の初任地「クバート村」訪問(2008年12月8日)


【どうすれば伝道できるか】

「教会離れ」と言うと個人の気持ちの問題だけのようになる。しかし、信教の自由なり政教分離なりは国策で教会を社会から隔離することなので個人の問題ではない。私がかつて授洗させていただいた元法務官僚が「若い頃から洗礼を受けたかったが、職場で中立を求められた」と教えてくださったことがある。

ファン・ルーラー存命中のヨーロッパはすでに「教会離れ」または「教会隔離」がかなり進んだ段階で、「教会が地域社会や多くの人の生活からますます孤立し、何百万もの人々が二度と教会に来ない」と書いている。そのことを「憂慮する」教会人も多かったようだが、ファン・ルーラーは「憂慮」はしなかった。

どうするのかをファン・ルーラーが書いている。「できることはただひとつ、普通の生活をすべての人と過ごすこと」(Dan kan men maar één ding doen: gewoon het leven van alle mensen meeleven)だという。オランダ語のgewoon(ヘヴォーン)は「平凡」(へいぼん)と訳せる。音が似ていて興味深い。

しかし、それで終わりではない。「突然、神とキリストの話題になる」(Plotseling komt dan het gesprek op God en Christus)。この「突然」をどのように理解すべきかは難しい。相手にショックや恐怖を与えるような「突然」は不自然で逆効果。「誘導」(induction)も良くない。カルトの手法だろう。

ファン・ルーラーは続ける。「その場合、福音は簡単な言葉で表現され、述べられなければならない」(In simpele woorden moet dan het evangelie gerepresenteerd, tegenwoordig gesteld worden)。プレゼンは簡潔に。大事なことを言っている。SNSは簡潔に。長々と書いても誰も読まない。説教も同じ。

「そこから新たなコミュニティが生まれるかもしれない」(Misschien groeien daaruit dan weer nieuwe gemeenschapjes)とも書いている。生み出してやろうという野心は持たないほうがよい。誰と話そうと金儲けとエンタメと政治の話題で終わらず、宗教やミステリーや哲学が関係してくるだろうという話。

ファン・ルーラーが書いているのは教会に人を誘い込むための誘導(induction)の手法ではない。「まるで魔法のステッキをふれば何百万もの人々を教会に呼び戻せるかのように言うのは、フィクションを弄(もてあそ)んでいるだけのように私には思える」と書いている。おっしゃるとおりに私にも思える。

「キリスト教では諸集会の公開性が重要。だれでも参加できる公開された礼拝や諸集会で、聖書、讃美歌、説教、祈り、信仰告白、聖餐が行われる。順序は多少は変更可。しかし、遅かれ早かれ、この基本パターンが再び光り輝くだろう」とファン・ルーラーが書いている。以上1959年の新聞記事。私は大賛成。

2025年3月21日金曜日

越えられない一線

愛車カワサキニンジャ1000(記事とは関係ありません)


【越えられない一線】

「専門用語を使わず」はごもっともながら、ほぼ言うまでもない注意点が無くはない。仏教や神道や他宗教の用語に置き換えると「理解しやすくなった」と歓迎してくださる方がキリスト教と一切無関係のイメージで神とキリストと教会をとらえていたりしたことを知る機会は少なくなく、そのたび落胆した。

牧師の役割が、宗教混合の現実に身を置く方々の「罪悪感」の除去ないし緩和にあるかどうかは、よく考えるべき課題だと考えて来た。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。30年前は激しくスゴまれた。「私は代々神道の夫と結婚した。元旦は教会より神社を優先する。その私を切り捨てるのか」と。

正確には1996年11月、29年前。私は31歳。スゴんだ人はその人なりの華々しい経歴をお持ちで、自費出版物などもあった。私のほうが立場が弱い。しかし、言いなりになるつもりはなく、同意も認証もせずに沈黙し、私が身を引くことにした。その手の圧力に屈するなら、牧師になった意味がないと心底思った。

爾来、「宗教混合」の罪悪感の除去ないし緩和に力点を置く牧師、神学者、聖書学者が、ほぼ苦手。守るべきものが違う。その点は変わっていない。SNS等ですり寄って来ても、しばらく様子見したうえで、傷つけないように時間をかけて、そっとブロ解。会っても、話しても、おそらく分かり合えないと思う。

2025年3月20日木曜日

クレーマー、ファン・ルーラー、ホーケンダイク

オランダ改革派教会(NHK)の宣教論


【クレーマー、ファン・ルーラー、ホーケンダイク】

いま私が頭を抱えているのは、クレーマーと、クレーマーの影響下で「宣教」(apostolaat)理念を戦後のオランダ改革派教会(NHK)の教会規程に位置づけることに大きな役割を果たしたファン・ルーラーと、ファン・ルーラーのもとで博士論文を書いたホーケンダイクの関係を解明することだったりする。

しかし比較作業が難航。とりあえず日本語版を読み比べるしかないが、クレーマー『宣教の神学』『信徒の神学』(共に小林信雄訳、1960年)もホーケンダイク『明日の社会と明日の教会』(戸村政博訳、1966年)も底本は英語。しかし3者の母語はオランダ語なので、オランダ語に戻して比較する必要がある。

それもそうだが、3者の「生きた」対話ないし対立をなるべく正確に読み取りたいと願うが、それは人と人の感情レベルの交流の要素なので第三者に立ち入れないところがある。何を言いたいかを説明するために一例挙げる。ホーケンダイクが宣教のプロパガンダ的側面を完全に拒絶する(同上書、25頁以下)。

ホーケンダイクはmissions(宣教)とpropaganda(宣伝)の峻別をマルティン・ケーラーの用法に従って理解する。前者は尊敬とへりくだりをもって種をまくことだが、後者にはそれらが欠け、自分を押し付け、自分をよりどころとし、自分の言葉を頼りにするという。おそらく多くの人が納得する説明だろう。

このホーケンダイクの英語版"The Church Inside Out"の出版年は、日本語版と同じ1966年。その6年前の1960年にファン・ルーラーが「プロパガンダと無私」と題するエッセイをユトレヒト新聞で発表。その内容は、驚くことに、宣教におけるプロパガンダ的要素の擁護。しかもだいぶきつい言葉で書いている。

ファン・ルーラーの言い分は「無私の奉仕を理由にプロパガンダから逃避できるのか。それはペテンと自己欺瞞だ。私はフェアに生きていると感じるところに自己欺瞞がある。彼らは悪意など持っていない。悪意がないからこそ人を欺くペテンなのだ」(ほぼママ)という。ホーケンダイクの真逆の線と言える。

いま挙げた2人の文書の発表年はファン・ルーラーが先、ホーケンダイクは後。しかし、両者の対立がこのとき始まったものかどうかは分からない。そして、忘れられるべきでないのは、両者が互いをよく知る関係にあったこと。もうひとつは、この議論に限っていえば、どちらも正しいと言えそうであること。

こういうことを考えているときの私はとても楽しい気持ち。しかし、そのプロセスをネットでだらだら垂れ流していいかどうかは不明。こんなだらだらは、論文にも本にもしようがない。でも、自己弁護として言わせてもらえば、これって大事なことだと思いませんかと、だれかに聞いてもらいたくて書いている。

たまに耳にしてがっかりするのは、宣教なり伝道なりに関して「理屈ではない」とか「勉強好きですね」と言い出されて、宣教論の議論を妨害されたり牽制されたりすること。「難しいことを考えているヒマがあるなら〇〇しなさい」とかね。悩み無用(なやみむよう)とは行かないと思いますけどね。

2025年3月19日水曜日

オランダ改革派教会 1951年版「教会規程」の研究書

H. オーステンブリンク=エヴァース氏の博士論文(2000年)

【オランダ改革派教会 1951年版「教会規程」の研究書】

かなり前にお見せしたことがあるが、オーステンブリンク=エヴァース氏の博士論文『オランダ改革派教会(NHK)1951年版「教会規程」の土台と背景』(2000年)を避けて通れなくなっている。出版後まもなく買ったが、当時の私は日本キリスト改革派教会の教師。NHKとの教団レベルの付き合いがなかった。

当時のNHKは、早い話、日本キリスト改革派教会からすればリベラルすぎて近づけない感じ。2004年にはNHKと、訳せば同じ「オランダ改革派教会」になるGereformeerde Kerken in Nederlands(GKN)と、オランダ王国福音ルーテル教会(ELK)の計3教団が合同して「オランダプロテスタント教会」(PKN)創立。

しかし、今の私は日本基督教団にいる。オランダ改革派教会(NHK)の「改革派」(Hervormd)は「カトリックでもルター派でもない」ぐらいの意味しかなく、非常に広い概念。20世紀のNHKの中に「レモンストラント派」(アルミニウス主義のグループ)がいたりした。NHKの「幅」は日本基督教団に似ている。

今は存在しないので「旧」と付けるべきNHKの1951年版「教会規程」(Kerkorde)の成立過程をオーステンブリンク=エヴァース氏が徹底研究。ナポレオン時代以来手付かずだった古い教会規程を大改訂する委員会に若きファン・ルーラーが属し、「宣教」(apostolaat)の理念を教会規程に明確に位置付けた。

そして、私にはまだ不明な点が多々あるが、その旧NHKの1951年版「教会規程」において、同教団の構造がトップダウン方式から代議員方式へと変更されたり、「戒規」の位置づけが明確になったりしたことが、ファン・ルーラーだけの貢献ではありえないが、彼の果たした役割としばしば結び付けて語られる。

今の日本基督教団の教憲教規のままで十分なのか、問題があるのかは、教団から途中19年も離れていた浦島太郎の私にはよく分かっていない。根本的に見直す必要が生じたときは、オーステンブリンク=エヴァース氏の博士論文は必読書になると思う。オランダ語と法学に強い方にぜひ全訳していただきたい。

私にもできそうなことは資料集め。本を買うことと、本棚に並べることと、背表紙の写メを撮ってSNSで公開することぐらいはできる。それ以上のことは私の役割ではありえない。笑点は落語家さんだけで成立しない。山田くんがいないと。たまに、からかわれて腹を立てて座布団を全部持って行ったりはする。

2025年3月18日火曜日

クレーマー『信徒の神学』ドイツ語版が届く

ヘンドリク・クレーマー『信徒の神学』ドイツ語版(1959年)

【クレーマー『信徒の神学』ドイツ語版が届く】

2025年3月17日(月)クレーマー『信徒の神学』ドイツ語版(1959年)が届く。オリジナルは英語版。日本語版あり。クレーマーのapostolaat(宣教)概念の使い方を確認するため。確認できるかどうかは現物が届かないと分からない。それだけのために高い買い物。『宣教の神学』ドイツ語版もまもなく届く。

アポストラート(apostolaat)を「宣教」という意味で用いた最初の人はクレーマーではない。もっと前に造語されていた。イエスの弟子がアポストロス(ἀπόστολος)で「使徒」。ニケア・コンスタンチノープル信条(381年)に「聖なる、普遍の、使徒的(Ἀποστολικὴν)、唯一の教会」(カトリック訳)。

ナチスドイツからの解放の翌年の1946年2月18日オランダ改革派教会(NHK)に「教会規程委員会」設置。同年3月「教会規程解説書作成小委員会」設置。後者は8名。この中にミスコッテ、ファン・ルーラー、ヘンドリクス・ベルコフ(年齢順)がいた。彼らの神学的激闘を経て1951年版『教会規程』が生まれた。

オランダ改革派教会(NHK)の戦後再建の中心に教団書記フラーヴェメイヤー(Gravemeijer [1883-1970])、神学者バニング(Banning [1888-1971])、信徒宣教師クレーマー(Kraemer [1888-1965])がいた。3人は戦時中、抵抗運動に参加し投獄。牢内で意気投合。バニングは1946年労働党(PvdA)初代議長。

クレーマーは世界教会協議会(WCC)創立の1948年の前年1947年、WCCのシンクタンク「エキュメニカル研究所」初代所長に就任。WCC創立大会はアムステルダム(コンサートホールConcertgebouw)で開催。WCC初代総幹事ヴィサー・トーフト(Willem Visser 't Hooft)はオランダ改革派教会(NHK)の神学者。

1948年WCC創立総会に小崎道雄氏が出席。

小崎道雄氏:

1922-1924 日本基督教団霊南坂教会伝道師

1924-1931 同 副牧師

1931-1961 同 主任牧師

1946-1954 日本基督教団総会議長

1948-1961 世界教会協議会(WCC)中央委員

1948-1959 日本基督教協議会(NCC)初代議長

1960年(9-11月)、ヘンドリク・クレーマー来日講演。「それは...教団ならびに数教区一団となって、各所において、合計十数回も行われたが、その中心になったのは、10月11~14日、天城山荘で行われた協議会であり...各教区から80名をこえる人々が参集した」(『日本基督教団史』1967年、274頁)。

クレーマー来日(1960年)の前年の1959年11月1日から1週間、「日本宣教百周年記念大会」が、日本基督教団富士見町教会(記念礼拝、記念式典、記念講演会)や日比谷野外音楽堂(教会学校生徒大会、5千人)で開催。11月2日の記念講演の講演者は、WCCのヴィサー・トーフト(オランダ改革派教会(NHK))。

このように集まってくる情報に照らすかぎり、ファン・ルーラーが1953年5月にドイツで行ったドイツ語講演の題”Theologie des Apostolates"を日本語に訳す場合は、ヘンドリク・クレーマーのapostolaat概念に当てられてきた訳語「宣教」を当てるべきであることが明白である。別の話にされては困るのだ。

訳語自体はある意味どうにでもなる。「宣教」ではなく「伝道」であると言い張られたら阻止できない。この議論で大事な点は、クレーマーのapostolaat概念は教会自身が政治や社会の問題に取り組むことを必ず含んでいること。もし「伝道」という訳語でその事態を適切に表現できるなら、それでも問題ない。

2025年3月16日日曜日

悪と戦うキリスト

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「悪と戦うキリスト」

マタイによる福音書12章22~37節

関口 康

「人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない」(32節)

先週の説教の中で「バイクのシミュレーター教習」について話したとき、「シュミレーターではありません」と口頭で付け加えました。Simulatorは「シュミ」(趣味?)ではなく「シミュ」です。m(エム)は1つです。「同時に」という意味のsimultaneous(サイマルテイニアス)な仕方で、ある事象を他の時間や場所で再現するための手段が「シミュレーター」です。

もうひとつ気を付けたい言葉は「コミュニケーション」です。「コミニュケーション」と言っている人が時々います。m(エム)は2つです。語源はラテン語communicatio(コムニカティオ)です。近い表現に、共同体をあらわすcommune(コムーネ)や、交わりをあらわすcommunio(コムニオ)があります。使徒信条の「聖徒の交わり」は、communio sanctorum(コムニオ・サンクトールム)です。共産主義はCommunism(コミュニズム)の訳です。

今日の箇所に関係があるので申し上げています。今日は「コミュニケーション」の話です。この箇所に記されているのは、「悪魔に取りつかれている人」(ギリシア語「ダイモニゾメス」)が、目が見えず口が利けない状態で主イエスのもとに連れて来られ、病が癒されたとき、デマを流した人々がいたという話です。

誤解を避けるために最初に申し上げたいのは、西暦1世紀のユダヤ人は、すべての病気や苦しみの原因は「悪霊の憑依(ひょうい)」であって「偶然」ではないと考えていたということです。あえて「悪霊に取りつかれている人」(ダイモニゾメス)と記されているときは、「重い病気を抱えている人」という意味で理解すべきであって、特殊な病気を指すわけではありません。

「デマ」はドイツ語Demagogie(デマゴギー)の略です。故意の虚偽情報のことです。そのとき流されたデマの内容は、「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」(24節)というものでした。

デマの発信源は「ファリサイ派の人々」でした。彼らはユダヤ教の主流派であり多数派で、権力を保持し、社会的影響力が大きかったのですが、そういう立場を悪用して、イエスを死刑にするための策略として意図的にデマを流しました。なぜなら、当時のユダヤ教では、魔術を使うことと、悪魔の手下になることは、死刑に値すると考えられていたからです。

ファリサイ派の作戦は、「イエスは悪魔の手下だから悪霊を追い出せる」というデマを流すことでした。それは、群衆の間でイエスの名声を失わせ、死刑でイエスを殺害するという作戦です。

まさに「コミュニケーション」の問題です。コミュニケーションにとっての最大かつ最悪の障害は「デマ」です。「コミュニケーション」にぴったり当てはまる日本語が存在しません。「意思疎通」や「情報交換」などと訳されますが、そういう言葉には収まりきらない、非常に広い意味です。人と人との信頼関係の土台となるものです。

だからこそ、信頼関係で結ばれている人間社会を破壊するために、自分の手を汚さずに行えて、最も効果的な方法はデマを流すことです。私が申し上げているのは「そういうことをしてはいけない」という意味です。デマが人を追い詰め、死に至らしめることがあるということを、私たちは強く自覚しなければなりません。

しかも、ここで私たちがあまり安心しないほうがよいのは、デマを流した張本人がファリサイ派の人々だったという点です。彼らは聖書の研究者であり、宗教の専門家です。そういう人たちが聖書を用いて、「神」の名においてデマを流すので、悪質さの度合いが尋常でないのです。

イエスさまは彼らの考えを見抜いて反論されました。「どんな国でも内輪で争えば、荒れ果ててしまい、どんな町でも家でも、内輪で争えば成り立って行かない。サタンがサタンを追い出せば、それは内輪もめだ。そんなふうでは、どうしてその国が成り立って行くだろうか」(25-26節)。

私が子どもの頃に「デビルマン」というテレビアニメがありました。子どもの頃に覚えた主題歌が耳に焼き付いて離れません。「悪魔の力を身につけた正義のヒーロー、デビルマン」。しかしそういうことは現実には起こらない、というのがイエスさまのお考えです。悪魔と悪魔が戦ってどちらが勝っても残るのは悪魔なのだから正義が実現することはありえない、という冷静な三段論法です。

「わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか」(27節)と続きます。最初に申し上げたとおり当時のすべての病気が「悪霊の憑依」によると考えられていたことと関係します。イエスさまがおっしゃっていることの意味はこうです。「あなたがた自身も悪霊を追い出して病気の人を治しておられるはずですが、どうなさっているのでしょうか。『悪魔の手下だから悪魔を追い出せる』という理屈がもし成り立つのであれば、あなたたちこそ悪魔の手下だということになりはしませんか」。とても冷静な論理です。

しかしイエスさまは、ファリサイ派のデマに対して腹に据えかねるものがおありになったと言わざるをえません。「だから、言っておく。人が犯す罪や冒瀆は、どんなものでも赦されるが、霊に対する冒瀆は赦されない。人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない」(31-32節)とおっしゃいました。

この言葉の背景に「赦される罪と赦されない罪」についてのユダヤ教の教えがあります。西暦1世紀のユダヤ教のラビは「聖霊」を「預言と啓示の霊」であると理解していました。彼らにとっての「赦されない罪」も「聖霊に言い逆らうこと」でしたが、その意味は「トーラー(律法)に逆らうこと」でした。トーラー(律法)は「言葉に言い表された神の御心(意志)」としてとらえられていましたので、それに逆らう罪は赦されません。

しかし、今の説明はユダヤ教の教えですが、イエスさまのおっしゃっていることとは違います。イエスさまも「聖霊に対する冒瀆」を「赦されない罪」だと言っておられますが、問題はその意味です。この意味が私はこれまで分かりませんでした。しかし、やっと分かった気がします。

イエスさまが「赦されない罪」だと言っておられるのは、病気でずっと苦しんできて、それがやっと癒されて、そのことを心から喜んでいる人たちを傷つけるようなことを言い放つことです。実を見て木を知る。良い結果が出たのは良い原因があったことを意味する。悪い原因は悪い結果しか生まない。つまり、悪魔に病気を治せるわけがない。それなのに、長年苦しんできたこの私の病気がやっと癒されたことを「悪魔に病気を治してもらった」かのように言う。けちをつけて、喜んでいる人を傷つける。それが、イエスさまがおっしゃる「赦されない罪」です。

「喜ぶ者と共に喜ぶこと」(ローマ12章15節)が難しいと感じるのは「ねたみ」の仕業であるとファン・ルーラーが書いています(拙訳参照)。「喜びを人に分かつと喜びは2倍になる」とドイツの詩人ティートゲが教えました。それができないどころか、喜んでいる人を苦しみの中に引きずりおろすようなことをしてしまう。それは「ねたみ」の仕業です。

これこそがイエスさまの言われる「赦されない罪」です。イエスさまはこのことを、警告としておっしゃっています。非難ではありません。イエスさまはどこまでも寛容です。

(2025年3月16日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年3月15日土曜日

ファン・ルーラーの文章に魅了される日々を送っている

ファン・ルーラー研究文献

【ファン・ルーラーの文章に魅了される日々を送っている】

誤解を避けたいと思ってはいる。実は最近、会議や訪問で外出しているときや礼拝の説教や週報を準備しているとき以外の多くの時間をファン・ルーラーの訳読に注ぎ込んでいる。その意味でサボっていない。だってこれほどの正論はないと思うほどなので。ゆがんだ心がまっすぐになる。炎上するタイプかも。

そもそもファン・ルーラーは自分の所属するオランダ改革派教会(NHK)の人々に読んでもらうためにほとんどの文章を書いた。それをたとえば日本基督教団の我々が読んでも理解できるはずがない。互換デバイスが必要だ。それとファン・ルーラーはジョークが多い。真面目な人が読むとカチンと来るだろう。

扱いに困る言い回しもある。たとえば、今夜読んでいる箇所で、改革派教会の「長老」(de ouderling)の役割を「美容師が女性の髪を整えるように(zoals de kapper de haartooi van dames styleert)、神の栄光のために人間の生を整えること」と表現している。私はこういうのは気になって仕方がない。

そのまま紹介したいと思える感動的な文章もある。改革派教会に「長老」がいるおかげで、強制の面が強くなりがちなビショップ中心の教会より「心を込めて」(hartelijkheid)という性格を教会に与えるという。「長老」は真理を強制せず、話し合って説得しようとする。その分、話が長いという。確かに。

重要な問題提起の宝が次々見つかる。ファン・ルーラーの「教会外のもの」(de buitenkerkelijke)と「教会的でないもの」(het buitenkerkelijke)の区別を私は25年前から重要だと考えて来たが説明が難しい。「教会外のものは教会外にとどまり続けるべきだ」と彼は言うが、あっという間に誤解される。

25年前、ある青年キャンプで主題講演を依頼され、その中でこの話をしたら、怪訝な顔をされた。その場で意見は出なかったが、冷たさや差別のような意味で受け取られた可能性がある。ファン・ルーラーの意図は「神が創造された世界の中にはキリスト教化される必要がない領域がある」ということなのだが。

1969年12月6日付け新聞記事(ファン・ルーラーが62歳で亡くなる1970年12月15日のほぼ1年前)にも「牛の搾乳、畑仕事(lit.穀物の収穫)、商売、機械操作、美の体験、善行」は「教会外のものだ」と記している。「キリスト教化されたバイク」が存在するかどうかという問いに置き換えることができるかも。

長くなったので、そろそろやめる。「長老は話が長い」とファン・ルーラーが書いていることは教師(牧師)にも当てはまる。彼のオランダ語を日本語に訳すよりも、彼の神学を学んだ者たちが自分の言葉で書くなり語るなりするほうが、誤解が少なくて済むと思う。私がいま言おうとしているのはそれだけだ。

2025年3月14日金曜日

2年目のニンジャ牧師

サイドパニア(後部トランクケース)を外したニンジャ1000

【2年目のニンジャ牧師】

教会内にその意識は無いし、無くてよいし、過去にそのような言説をもって教会を方向付けようとした牧師がいた形跡も無いし、無くてよいが、これまでの「経緯」と実際に継承されてきている「空気感」だけからいえば、いわゆる改革派・長老派の流れの、本流に近いものを受け継いでいる教会だと私は思う。

最初は「美竹教会伝道所」。開設者は、東北学院教会(現 仙台広瀬河畔教会)で受洗、青山学院高等部で聖書科教員を長年務め、日本基督教団の「補教師」(按手礼を受けていない教師)に生涯とどまった方。当教会の初期の会員がたの洗礼式は、美竹教会の浅野順一教師の司式による。美竹教会は旧日本基督教会。

教会の特徴はとにかく簡素。礼拝に儀式を意識させる要素はなく、牧師らしさを誇示する服装を好む牧師がいた形跡もない。下町情緒を色濃く残す商店街を出てすぐの通りに面した教会で、奥まった位置にあるわけではないが、教会堂が街並みにあまりに溶け込み、どこに教会があるのか分からないと言われる。

私にとってありがたいのは、当教会が戦後の開拓教会であること。私の岡山の出身教会も、日本基督教団教師としての初任地の高知の教会も、改革派教会教師として働いた2教会(山梨、千葉)も、直前の日本基督教団昭島教会も、すべて戦後の開拓教会。教団内「旧〇〇派」の支配と格闘してきた経緯がある。

日本基督教団の戦後開拓教会の出発は教派枠を超える。私の前任地の昭島教会は阿佐ヶ谷(旧メソジスト)と淀橋(旧ホーリネス)各会員の祈り、横田基地教会宣教師と日本人青年との出会い、旧東京教区(特に銀座の大村勇牧師、富士見町の島村鶴亀牧師)の協力と、旧救世軍の若き伝道者の献身で始まった。

そのような「混合した」教会に疲れを覚えたことが、私がいちど日本基督教団から日本キリスト改革派教会に移籍した理由に含まれていたことを否定しないでおくが、それを言うなら戦後の改革派教会の「混合」の度合いも教団と大差なかった。「混合」の現実からの逃避は全く不可能であると自覚させられた。

いま書いていることで誰かにあてこすったり、どこかを批判したりする意図は無い。私にとって最もネイティヴな「戦後開拓の混合主義教会」の流れをある意味でくみつつ、礼拝中もそうでないときも普段着でいられて、肩がこらない教会の牧師として2年目を迎えることができて良かったと言いたがっている。

2025年3月13日木曜日

『ファン・ルーラー著作集』の訳者の条件(仮説)

2023年3月13日付けのFacebook投稿

【『ファン・ルーラー著作集』の訳者の条件(仮説)】

これが2年前(2023年3月13日)。この時点で7巻を残すのみだった。しかし、先日届いた最新の巻は「7A」。まだ続きがある。何度も書くが『ファン・ルーラー著作集』の刊行開始は2007年。当初は2012年ごろ完成予定と予告されていた。しかし、今年2025年になっても完成しないし、どんどん量が増えている。

私は「乗り掛かった船なので」と付き合ってきたが、乗る船を間違えたようだと後悔の念を深めている。いずれにせよ私ごときは全く手に負えない。かろうじて大型バイクの免許を取ってニンジャ1000に乗ることはできるようになったが、ファン・ルーラーはジェット旅客機だった。これは大変なことになった。

日本語版の必要性を訴えた責任は私にある。しかし、現時点で7巻、11冊。もっと増える。仮にひとり1冊担当するとしても15名前後の訳者が必要。オランダ語を理解でき、神学と哲学の基礎知識があり、教会に通っている人。教会を知らない人にはファン・ルーラーは分からない。とてつもなくハードルが高い。