2015年2月16日月曜日

ファン・ルーラー研究の意義(2015年)

講演「ファン・ルーラー研究の意義」

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(2015年2月16日、思想とキリスト教研究会講演会、日本キリスト改革派東京恩寵教会)

関口 康



本日は講演の機会を与えていただき、感謝いたします。自己紹介を兼ねてはじめにお話しするのは、私がファン・ルーラー研究を開始した経緯です。

私が初めてファン・ルーラーの著作に接したのは1997年4月です。18年前です。インターネット上に「ファン・ルーラー研究会」を数名の友人と共に作ったのが、1999年2月20日です。2014年10月27日に解散するまでの15年半、私が研究会の代表でした。会員数は、最後は108名でした。

私をファン・ルーラーへと導いてくださったのは三人の教師です。近藤勝彦先生、高崎毅志先生、牧田吉和先生です。この三人はファン・ルーラーの神学を日本で初めて本格的に紹介した方々です。

近藤勝彦先生は、私の東京神学大学の卒業論文(1988年)と修士論文(1990年)の指導教授です。日本基督教団教師であり、東京神学大学教授であり、学長でした。近藤先生は東神大の大学院生の頃、ヘッセリンクの論文「現代オランダプロテスタント神学」[1]を翻訳する中でファン・ルーラーの神学の重要性を認識しました。テュービンゲン大学神学部に留学したとき、指導教授であったモルトマンにもファン・ルーラー研究の意義を教えられました。モルトマンはファン・ルーラーとヴッパータールで1957年に出会っています。近藤先生のファン・ルーラー研究は『歴史の神学の行方』(1993年)[2]にまとめられました。『二十世紀の主要な神学者たち』(2011年)[3]にも「伝統的でファンタスティックな神学者ファン・リューラー」と題する一章があります。私は『歴史の神学の行方』を出版直後に購入して読み(当時は高知県南国市にいました)、ファン・ルーラーの神学の重要性を初めて知りました。

高崎毅志先生は、東京神学大学の先輩です。日本キリスト教会、また日本基督教団の教師でした。ウェスタン神学大学に留学しました。帰国後、ウェスタン神学大学オスターヘーベン教授の『教会の信仰』(1991年)[4]を共訳しました。オスターヘーベンはファン・ルーラーと知己がありました[5]。『教会の信仰』にもファン・ルーラーの神学が紹介されています。私は1993年に高崎先生とお会いしたとき、「ファン・ルーラーの神学を勉強しろ。神戸の牧田先生に教えてもらえ」と励まされました。場所は恵比寿でした。その後はお会いしていません。1999年に高崎先生は死去しました。「高崎先生のおかげでファン・ルーラーを研究しています」と報告できないままです。

牧田吉和先生は、私の神戸改革派神学校の卒業論文(ファン・ルーラー研究、1998年)の指導教授です。日本キリスト改革派教会の教師であり、神戸改革派神学校教授であり、校長でした。ドイツとオランダに計5年留学しました。留学中はファン・ルーラーには無関心だったが、帰国後、神学校で学生と共に読んだルードルフ・ボーレンの『説教学』の「第4章 聖霊」[6]を通してファン・ルーラー研究の意義を認識したと、牧田先生から伺いました。ボーレンもファン・ルーラーと面識があります。出会いの場所はモルトマンと同じくヴッパータールでした[7]。牧田先生は神戸改革派神学校組織神学教授就職記念講演「改革派教義学と聖霊論」(1988年)[8]の中でファン・ルーラーの神学を紹介しました。1997年4月から数年間、ファン・ルーラー英語版論文集の講読会を神学校で行いました。1999年以降は「ファン・ルーラー研究会」の顧問でした。研究会主催の講演会やセミナーの講義は『改革派神学』にまとめられています。

本論

さて本論です。ファン・ルーラー研究には意義があるのでしょうか。もしあるとすれば、どのような意義がどのあたりにあるでしょうか。私はファン・ルーラーの神学の役割は今後大きくなっていくだろうと信じています。なぜそのように考えることができるのか。ヒントを二つお話しします。

 Ⅰ

第一のヒントはタイムリーな話題です。本日から明日まで(2015年2月16~17日)日本基督教団の連合長老会主催「第61回宣教協議会」が富士見町教会で行われています。講師は日本キリスト教会の小坂宣雄先生です。その案内状に小坂先生ご自身の言葉として、次のように記されています。

「今回お受けした講演も、そういう意味で、講演というよりも、問題提起です。問題提起の根底にあるのは、ハインリッヒ・フォーゲルの『ニカイア信条講解』の中で指摘している『キリスト論におけるように、教会に関して仮現論(docetism)が起こっていないか』という意識です。キリストの体である教会は、聖霊の現臨と働きによって形成(建設)されます。しかし、聖霊の受肉といったことは考えられないわけです。聖霊は御子の受肉において働くのです。その限り、教会の形成は、キリストがとられた人性と、切り離されてはならず、深く結びついています。聖霊は単に霊的(spiritual)なもの・観念的なものではなく、身体的・物象的リアリティを伴うのです。その点から、これまで『聖霊による教会形成』を志しながら、軽視されていることはないか、その幾つかをご一緒に考える機会となればと思います」。

「今」行われている小坂先生の講演の内容は、もちろん分かりません。ハインリッヒ・フォーゲル(Heinrich Vogel [1902-1989])の著作を読んだこともありません。しかし、すぐに分かることは、フォーゲルがファン・ルーラー(Arnold Albert van Ruler [1908-1970])と同世代の人であること、そして、カール・バルトの「キリスト論的集中の神学」の圧倒的な影響を受け、その思想世界の功罪を熟知しつつ、その中で論理の袋小路に陥り、苦しんでいたのではないかということです。

「教会に関して仮現論(docetism)が起こっていないか」とはどういう意味でしょうか。思いつくままを言えば、教会のdivinitas(神的であること)とhumanitas(人間的であること)とのバランスが崩れ、もっぱらdivinitasが強調され、humanitasは軽んじられている状態を指しての懸念表明ではないかと考えられます。まるで教会には生身の人間は存在しないかのように、人間の働きや努力は、虚無であり、罪悪ですらあるかのように、軽視され、無視されている。たとえば聖書、説教、聖礼典、教会会議などについて、それは実際に起こります。教会の現実を知る者には身に覚えのあることです。

目をひかれたのは、小坂先生が記しておられる「聖霊の受肉といったことは考えられないわけです」という言葉です。これはファン・ルーラーの見解と一致します。それで考えさせられたのは、「教会に関して仮現論が起こっていないか」というハインリッヒ・フォーゲルの問いかけに対して、ファン・ルーラーならばどのように答えるだろうかということでした。

ファン・ルーラーも「聖霊の受肉」はありえないと考えた人です。「受肉」(assumptio carnis)は「永遠のロゴス」のみに起こったことであり、反復も再現も不可能な、歴史的一回性の出来事でした。そしてその場合、それ自体においては自立したperson(格)を有しないnature(性)としての「人性」としての「サルクス(肉)」を永遠のロゴスがマリアから「摂取した」と言わないかぎり、キリストにおける二性一人格(two natures, one person)の秘義は崩壊すると、ファン・ルーラーは考えました。

しかし「聖霊」はキリスト論のカテゴリーと同じ意味での「受肉」はしません。「聖霊」との関係で用いられるべき関係概念は「内住」(inhabitatio)です。論理的に許される表現は「聖霊の内住」(inhabitatio Spiritus sancti)です。それは同時に、17世紀の改革派神学者ローデンシュテインの表現を借りれば「三位一体すべての神の内住」(de drieenige God zelf, de gehele triniteit, welke in ons inwoont; inhabitatio Dei trinitatis)を語ることが許される事態です。

しかも、「聖霊」(なる「神」)が「内住」するのは、人間存在の内部です。人間の「心」(hart)や「感情」(gevoel)と共に「体」(lichaam)にも聖霊が内住します。聖霊なる神が、ひいては三位一体すべての神が、人間存在に内住し、人間において、人間と共に、人間を用いて神のみわざを行います。

これがファン・ルーラーの聖霊論の核心部分であり、教会論の核心部分です[9]。そしてこれが「身体的・物象的リアリティを伴う」聖霊による教会形成のあり方です。しかし、ファン・ルーラーの場合の「身体的・物象的リアリティ」とはヒューマンなものであり、ほとんどマテリアリズムのそれです。裃(かみしも)を着ていない、オープンな身体性・物象性です。そのことをファン・ルーラーの論理はたしかに許す面があります。全面的な人間肯定、全面的な世界肯定、全面的な自己肯定の論理です。

しかし、そういうのを日本の(とりわけ改革派・長老派の)教会は嫌ってきた面があります。嫌忌の理由や原因もだいたい分かります。カルヴァンもユマニスト時代はポジティヴな意味で用いていた「人間的なるもの」(humanum)という語を、回心後はかなりの頻度でネガティヴな意味で用いました[10]。

小坂先生の文章には「(教会の)身体的・物象的リアリティ」を確保することとの関係で「キリストの人性」(?)に注目するようにとの示唆があります。おそらくそこが(キリストの人性が!)我々に残された唯一の問題解決の道であると考えられているように見えます。

しかし、果たしてそれは本当に可能でしょうか。「キリストの人性」との取り組みが教会を仮現論の罠から救い出すことになるでしょうか。ファン・ルーラーならば別の道を行くでしょう。三位一体論的・聖霊論的に熟考した上で、罪に対してはいささかも譲歩しないで、裃を着ない「人間の人間性」(humanitas)を堂々と語るでしょう。

 Ⅱ

第二のヒントは、近藤勝彦先生の『二十世紀の主要な神学者たち』(2011年)からの引用です。

「それにしてもファン・リューラーの神学も大きな問題を抱えています。それはとりわけそのキリストの『受肉』の理解にあるでしょう。彼はキリストの受肉を人間の堕落ゆえの『緊急対策』と見なしました。『受肉』は神の永遠の決意にあると理解されてはいません。それゆえ最後には緊急対策の役割を果たし終えたとき、キリストの人性放棄があることになります。しかしそれでは終末は、再びもとの創造の回復にすぎず、それ以上の完成として理解されないのではないでしょうか。さらに言えば、イエス・キリストの受肉がただ人間の堕落ゆえの緊急対策で、過渡的なものとして理解され、終にはキリストの人性放棄が起きるというのであれば、回復した創造は再び人間の堕落によって歪曲され、再度、そこからの緊急避難が必要になり、キリストの再受肉がなければならなくなるのではないでしょうか。そうなれば、救済史は一回限りの進行ではなく、永遠回帰の思想に落ち込むことになるのではないかと危ぶまれます」[11]。

この点について近藤先生はファン・ルーラーを批判し続けてきました。その長さは40年以上です。出発点は近藤先生が翻訳したヘッセリンクの「現代オランダプロテスタント神学」です。近藤先生はヘッセリンクのファン・ルーラー批判を忠実に継承しておられます。ヘッセリンクはバーゼル大学のバルトのもとでカルヴァンの律法論についての博士論文(1961年)[12]を書きました。遠慮せずに言えば、ヘッセリンクのファン・ルーラー批判はバルト主義のバイアスを帯びています。しかし近藤先生ほどの方が長年主張してこられたのですから、ヘッセリンクの手は離れていると考えるべきでしょう。

そのことを確認した上で申し上げたいことは、近藤先生のファン・ルーラー批判は取り越し苦労に終わるだろうということです。ファン・ルーラーが主張したのは「終末におけるキリストの人性」の「放棄」というよりは「解消」でした。しかも彼は、この教説をコリントの信徒への手紙一15・24~28に基づいて主張しました。それは「肉の摂取」(assumptio carnis)とはちょうど正反対のベクトルを指していますので、私は半分冗談で「キリストの脱肉」と呼んでいます(不謹慎をお許しください)。肉をまとった永遠の神の御子が地上における救いのすべてのみわざを終えて、肉をお脱ぎになる日が来るという意味です。実際のファン・ルーラーの文章を一例挙げておきます。

「神が人間になられたのは、目的ではなく、一つの手段であった。すなわちそれは、人間の罪によって生み出されたありとあらゆる問題に対処するために神の側で用意してくださった緊急措置であった。そのため我々が『神が人間になられた』(God mens is geworden)と語ることはあまり適切な言い方ではない。我々が述べていることをより明確に表現するとしたら、『神の御言が肉になった』(het Woord vlees is geworden)のほうがよい。それは、人類の罪に対する神の怒りという重荷を担ってくださるためであった。それゆえ最終的に起こることは、御子がその肉を再び脱ぐことができる日が訪れることである。そのとき人間は再び人間になることができる。天地万物の究極的目標とは何か。それは純粋なる人間性(pure humaniteit)と地上世界の居住可能性(bewoonbaarheid van de aarde)が保持され続けることである」(拙訳)[13]。

ファン・ルーラーは「キリストの受肉の解消」については、いろんな場所でいろんな意味で語っていますので、定義するのは困難です。しかし、私が感じるのは清々しさです。すべてのわざを完了し、重責の職務から勇退するメシアの姿が浮かんできます。

それは勝手なイメージであると言われれば、それまでです。しかし、近藤先生が懸念しておられる「受肉は神の永遠の決意にあると理解されていない」とか「回復した創造は再び人間の堕落によって歪曲される」とか「キリストの再受肉がなければならなくなる」とか「永遠回帰の思想に落ち込む」とかいう危険な状態になっていくとは全く思えません。

むしろ逆に、私には疑問があります。もし永遠の神の御子が肉を脱ぐならば「回復した創造は再び人間の堕落によって歪曲される」ことになる(?)という論理は、意図の有無にかかわらず、人間の罪の問題は永遠に解決しえないものだと決めつけることになっていないでしょうか。終末に至っても、永遠の神の国に至っても、あいかわらず肉をまとった神の御子が睨みを利かし続けていないかぎり、我々は罪から逃れられないのでしょうか。それは罪の永遠化や絶対化に道を開いていないでしょうか。

こういう議論に参加できるようになることが、私が考える「ファン・ルーラー研究の意義」です。ファン・ルーラーの神学を近藤先生のように「ファンタスティック」だのと評されると、うんざりします。裃を着ていないだけです。リアリスティックでマテリアリスティックな感性の鋭い神学です。

ダブル講師の水垣渉先生(左)と関口康(右)




[1] I. John Hesselink, Contemporary Protestant Dutch Theology, Reformed Review, Winter 1973, Vol. 26/No. 2, P. 67-89. これの日本語版(近藤勝彦訳)が『キリスト教組織神学事典(増補版)』東京神学大学神学会、教文館、1983年、109~128頁にあります。

[2] 近藤勝彦『歴史の神学の行方 ティリッヒ、バルト、パネンベルク、ファン・リューラー』教文館、1993年。

[3] 近藤勝彦『二十世紀の主要な神学者たち 私は彼らからどのように学び、何を批判しているのか』教文館、2011年。

[4] M. ユージン・オスターヘーベン『教会の信仰 プロテスタント・キリスト教の歴史的展望』石田学、伊藤勝啓、高崎毅志共訳、すぐ書房、1991年。

[5] M. ユージン・オスターヘーベン、同上書、8頁。

[6] ボーレン『説教学Ⅰ』加藤常昭訳、日本基督教団出版局、1977年、101~143頁。

[7]ボーレン『説教学Ⅱ』加藤常昭訳、日本基督教団出版局、1978年、410頁。ルードルフ・ボーレンがヴッパータール神学校の実践神学教授に招聘されたのは「1958年」であり(「ルードルフ・ボーレン略歴」説教塾HP、2015年2月13日確認。http://www.sekkyou.com/jp/special7/00.php)、モルトマンが証言している「1957年」(モルトマン『十字架と革命』大庭健訳、新教出版社、1974年、5頁)とは食い違います。しかし、ボーレンが証言したのは「ヴッパータールでファン・ルーラーに出会った」ことだけです。

[8] 牧田吉和「改革派教義学と聖霊論 改革派神学の新しい可能性を求めて」『改革派神学』第19輯、神戸改革派神学校、1988年、27~73頁。

[9] ファン・ルーラーの聖霊論については日本でも研究が進んでいます。以下の論文をお勧めしま
す。

栗田英昭「ファン・ルーラーの聖霊論における鍵となるいくつかの概念について
      ―キリスト論の教理と関連して―」
      『教会の神学』第13号、日本キリスト教会神学校、2006年
栗田英昭「ファン・ルーラーの聖霊論におけるキリストとの神秘的合一
      ―カルヴァン、ルターおよびバルトの理解と関連して―」
      『教会の神学』第14号、日本キリスト教会神学校、2007年
栗田英昭「十分に展開された聖霊論の必要性について
      ―ファン・ルーラーによる相対的に独立した聖霊論の意義―」
      『教会の神学』第15号、日本キリスト教会神学校、2008年
栗田英昭「神と人の関係―ファン・ルーラーの聖霊論における神律的相互関係―」
      『教会の神学』第16号、日本キリスト教会神学校、2009年
栗田英昭「聖霊の内住―人間の霊および世界において―」
      『教会の神学』第18号、日本キリスト教会神学校、2011年
栗田英昭「ファン・ルーラーの聖霊論と場所的理解」
      『教会の神学』第19号、日本キリスト教会神学校、2012年
栗田英昭「ファン・ルーラーの聖霊論の説教および信仰への適用」
      『教会の神学』第20号、日本キリスト教会神学校、2013年
栗田英昭「キリスト論と聖霊論における神と人の関係」
      『場所』第12号、西田哲学研究会、2013年
牧田吉和「ファン・ルーラーにおける三位一体論的・終末論的神の国神学と聖霊論―」
      『改革派神学』第32号、神戸改革派神学校、2005年

[10] 関口 康「カルヴァンにおける人間的なるものの評価」『新たな一歩を カルヴァン生誕500年記念論集』久米あつみ監修、アジア・カルヴァン学会日本支部編、キリスト新聞社、2009年、135~156頁。

[11] 近藤勝彦『二十世紀の主要な神学者たち』、165頁。

[12] I. John Hesselink, Calvin’s Concept of the Law, Pickwick, 1992. ヘッセリンクが1961年にバーゼル大学神学部に提出した博士論文の原題はCalvin’s Concept and Use of the Lawでした。

[13] A. A. van Ruler, God is mens geworden (1955), in: Verzameld Werk Deel 4A, Uitgeverij Boekencentrum, Zoetermeer, 2011, p. 182-193.


2015年2月11日水曜日

深夜にプリンタが壊れて参っているの図

深夜にプリンタが壊れるとつらい
う~ん駄目だ、PCのプリンタが壊れた模様。参った。治らん。ねる。

「こういう神学だけは死んでもすまい」と考えてきたのが強いて名を付ければ「当てこすり神学」だ。「私の立場はA(右寄り)でもなければB(左寄り)でもない」と、AにもBにも当てこすることで自分の立場を表明する。「では、あなたは?」と問われると「私はAでもBでもない立場だ」と答えるのみ。

でもこれ、言うは易し行うは難しの典型例でもある。誰にも当てこすらずに神学を純粋にポジティヴに語り尽くすのは、けっこうな至難の業だ。右からも左からも襲いかかってくる論敵との対決の場面では熱くなり饒舌になるが、「では、あなたは?」という問いにポジティヴな答えを求められると寡黙になる。

しかし真顔で書くが、神学の美しさが遺憾なく発揮されるのは「あてこすり神学」においてではない。A(右寄り)にもB(左寄り)にも当てこすりながらでなければ立場を表明できない論理は、「邪道」とまでは言わないが、「卑屈」とくらいは言っておく。愛しさと切なさと心強さと、筆禍と舌禍と大炎上。

「当てこすり神学」は弁証法である。カルヴァン派は「我々がカトリックでないことは言うまでもないが、ルター派でもなければ再洗礼派でもない。両極端に陥らない中庸の立場だ」と言っていた。ルター派も、同じような論理を用いて「カルヴァン派の極端に陥らない」自己の中庸を主張していたことがある。

言っていることが全く間違っているわけではない。しかし「当てこすり神学」は、なんとなくみっともない。異なる立場に依存しているようでもある。「AでもなければBでもない」立場の人は、AのこととBのことに多くのページを割ける。「では、あなたは?」という問いに答えるまでの時間稼ぎができる。

当てこすりを中断して、最初から最後まで一貫して「私は○○と信じます」とポジティヴに語り抜くような神学が私の理想だ。プロトタイプは「使徒信条」かなとも思う。しかしそれは非常に難しい。「当てこすり神学」のほうがはるかに簡単だ。ほとんど他者の批判をしていればいい感じ。大した責任もない。

さあねようと思いながら、つい長々と書いてしまった。今夜はこれにて。

2015年2月9日月曜日

推理小説を書くのは難しい

「可能性の選択肢のリストアップの消去法」には意味がありました
切り詰めているといっても、必要なものを省略するつもりはないし、「必要」の定義の幅はかなり広くしているつもりなので、悲壮感などはない。すべて自発的にやっていることなので、だれから何の文句を言われる筋合いにもない。まして「私よりも」とか比較されるのは困りまくる。あなたが物差しですか。

ここ数年、無い知恵を絞って、思い当たるかぎりのあらゆる可能性をリストアップし、一つ一つしらみつぶしをやって可能性の選択肢を消してきた。といって、凡人の選択肢がそんなに多いはずはない。かなり無理して挙げて10くらいだったかな。そのほとんどが消え、残る可能性は「 」になったと見える。

でも、その「可能性の選択肢のリストアップの消去法」をしていく作業というのは、いちいちトラウマになるほどプライドは傷つくし(だって基本すべてダメ出しされ続けるわけですからね)、時間も体力も浪費しっぱなしでもあるわけだけど、改めて自分という人間の性質と限界を知る、いい機会にはなった。

残る可能性の「 」は今は「一択」だと思っている。「いくつもの可能性があった」のではない。「可能性はなかった」のだ。昔からの持論だが、選択肢が多すぎて迷う「召し方」を神はなさらない。有無を言わさず一択のみをひょいと差し出される。葛藤や格闘はあってよい。しかしそれはほぼ無駄な抵抗だ。

でも、よかった。おかげで心が定まった。「可能性の選択肢のリストアップの消去法」は、無意味だったわけではない。自分でも予想していなかった新しい次の一歩を踏み出すための、というか、ありえないバンジーへと背中を押して突き落とされるための心備えにはなった。心理的な退路がすべて閉ざされた。

以上、ポエムでした。推理小説を書こうと思ったのですが、文才ないや。

2015年2月8日日曜日

互いに平和に過ごしなさい

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂
マルコによる福音書9・33~50

「一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、『途中で何を議論していたのか』とお尋ねになった。彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。『いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。』そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。『わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。』ヨハネがイエスに言った。『先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。』イエスは言われた。『やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。』『わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首にかけられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。人は皆、火で塩味を付けられる。塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。』」

今日も長い個所をお読みしました。ここに記されているのは、イエスさまと弟子たちの会話です。三つの段落に分かれていますが、内容的にひとつながりの話題として読むことができます。

最初の段落から見ていきます。イエスさまと弟子たちがカファルナウムに戻ってきました。この町にシモン・ペトロの実家がありました。その「家」がガリラヤ伝道の最初の拠点になりました。その「家」に再び帰ってきたのです。

そのときイエスさまが弟子たちに「途中で何を議論していたのか」とご質問になりました。しかし、彼らは黙っていました。イエスさまには言えない、言うと恥ずかしい話をしていたからです。彼らが議論していたのは、イエスさまの弟子たちの中でいちばん偉いのは誰かという話でした。つまらない順位争いをしていたのです。

イエスさまは彼らの議論を聞いておられたようです。それでイエスさまはお座りになり、弟子たちを御自身のもとに呼び寄せて言われました。「いちばん先になりたいものは、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」。これはとても重い言葉です。しかし、これこそがイエスさまの基本的なお考えです。

「いちばん先」とか「すべての人の後」という言葉から連想できるのは、一列に並んで歩いている人たちの姿です。実際イエスさまと弟子たちは旅をしてきました。その中で、いちばん前を歩く人と、いちばん後ろを歩く人が、実際にいたはずです。

いちばん前を歩く人といちばん後ろを歩く人の違いは、一緒に歩いている人たち全員の姿が見えているかどうかです。すべての人が見える位置がいちばん後ろです。

いちばん前を歩く人は全体の歩くスピードを決める面がありますので、その人の役割はとても重要です。しかし、いちばん後ろの人にも大きな役割があります。それは、途中で疲れて歩けなくなった人を見つけて、励ましたり助けたりすることです。あるいは、途中で誰かがうっかり落し物をした場合は、拾って届けてあげることです。

教会の姿を考えさせられます。教会の中でだれがいちばん偉いのかという議論は、私は聞いたことがありません。そういうのはつまらない話です。しかし、イエスさまがおっしゃることを教会が守るならば、いちばん重い責任を負うべき人は、すべての人の後になり、すべての人に仕えなければなりません。

日曜日の礼拝でどの席に座るべきかというような話ではありません。それは次元が違う話です。しかし、重要なことは、教会の全体が見えているかどうかです。

そのときイエスさまは、一人の子どもの手を取って弟子たちの真ん中に立たせ、さらにその子どもをイエスさま御自身が抱き上げられて、言われました。「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」。

これでイエスさまがおっしゃりたいことは、はっきりしています。子どもは弱い存在であるということです。いちばん偉くなりたい人は、いちばん弱い存在を大事にしなくてはならないということです。自分のペースでいちばん前を歩き、後ろについて来る人の姿が見えていないとか、まして弱い存在を切り捨て、見捨て、置き去りにするような人は、少しも偉くないのです。

「このような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れる者である」と言われているのは、イエスさまはいちばん弱い存在であるという意味でしょうか。それは、そうではないと思われます。イエスさまは弱い存在ではありません。しかし、弱い存在を切り捨て、見捨て、置き去りにすることは、イエスさまのもとに集まっている人たちの中の強い人たちだけと共に歩むことを事実上意味してしまいます。それが問題なのです。

もっとも、イエスさまは、弟子たちに次のようにも言われました。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである」(8・34~35)。

これは厳しい言葉です。ある読み方をすれば、自分を捨てることができず、自分の十字架を背負うことができない、その意味で弱い者、信仰の弱い者はイエスさまの後に従って生きることはできないので、そのような者は見捨てて置いていくという意味の言葉として響いてしまうかもしれません。

イエスさまがこのようにおっしゃったのは、そのような意味かもしれません。繰り返し申し上げているとおり、マルコによる福音書の11章以下に記されているのは、イエスさまがエルサレムに入られ、十字架につけられるまでの五日間の出来事と三日目によみがえられる場面です。イエスさまは御自分がエルサレムで殺されることをはっきり自覚しておられました。

しかし、そのイエスさまが弟子たちに願われたことは、このわたしと一緒に死んでもらいたい、このわたしと一緒に十字架に架けられてもらいたい、ということではありませんでした。私の代わりにきみたちが死んでくれ、ということでもありませんでした。すべて、イエスさまただおひとりで死ぬことを願っておられました。

弟子たちがイエスさまと共に殺されることになれば全滅です。福音を宣べ伝える人はいなくなってしまいます。イエスさまは、弟子たちが御自分と共に死ぬとか、御自分の身代わりに死ぬのではなく、その正反対に、イエスさまのほうこそが弟子たちの身代わりになり、また全人類の身代わりになって、おひとりで死ぬことを願われました。それは弟子たちがいわばイエスさまから自立し、イエスさまの代わりに福音を宣べ伝える使命を果たし続けることができるようにするためでした。そして、イエスさまの教えに従って生きる教会を生み出すためでした。

そのような事情ですから、教会の中でいちばん偉いのは、イエスさまただおひとりだけです。ほかの誰でもありません。しかし、そのイエスさまの姿を、教会が見ることはできません。わたしたちの目には見えない方が教会の中でいちばん偉いお方であるということをわたしたちは大真面目に信じています。目に見える教会の中には、イエスさまと肩を並べる意味で、いちばん偉い人はいません。

二番目の段落に記されているのはいま申し上げたことと関係しています。イエスさまが弟子たちに次のように言われました。「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」。どうしてこういう話になったのかといえば、イエスさまの名前を勝手に使って悪霊を追い出している人がいるが、その人が弟子たちの言うことを聞かないので、やめさせようとしましたとヨハネがイエスさまに言ったからです。イエスさまは「やめさせてはならない」とおっしゃいました。「わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい」とイエスさまはおっしゃいました。

しかしまた、もう一つの面として、弟子たちが問題にしたのは、その相手が自分たちの言うことを聞かないという点がありました。そのような弟子たちの言い分をイエスさまが嫌がられました。彼らの言うことを聞くかどうかは問題ではありません。なぜならいちばん偉いのはイエスさまだからです。

この点も、教会は気をつけなければなりません。自分たちの言うことを聞かない人だからといって、教会から締め出すことや、イエスさまの名前を使うことを禁じることは間違っているということです。わたしたちは、イエスさまより偉くなってはいけません。

三番目の段落に記されているのは、すべてイエスさま御自身の御言葉です。とても厳しい内容です。「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい」。

これも教会に当てはめることができます。イエスさまを信じる人々の群れを「教会」と呼びます。教会の中の小さな者の一人は、イエスさまにとっては、たとえば子どもたちです。あるいは、信仰の弱い人です。これから新しく信仰の道を求めて歩もうとしている人たちという意味での求道者です。あるいは、明確な信仰を告白するに至っていない未信者です。

せっかく信仰の若芽が出たばかり。これから茎を伸ばし、葉を茂らせ、実を結ぶことになるであろう人たち。そういう人たちを若芽のうちから摘んでしまうようなことをしてはいけない。そういう弱い若い人たちを躓かせてはならない。そういう人を躓かせるくらいなら、大きな石臼に首を懸けられるほうがましなのだ。手や足を切り捨ててしまうほうが、目をえぐり出す方が、ましなのだ。

このイエスさまの御言葉を読んだからといって、実際に手足を切り捨てたりはしないでください。そういうことをしてはいけません。あるいは、「あなたはもうすでに、あの人のこともこの人のことも躓かせたではないか。そういうあなたこそが自分の手足をさっさと切り捨ててしまえばいいのだ」と、イエスさま以外の誰かが他の人に言うべきことでもありません。

イエスさまがおっしゃっているのは、だれひとり躓かせてはならないというそちらのほうです。しかし、単なるたとえ話ではありません。大げさに言っておられるのでもありません。イエスさまの切なる願いを真剣に受け止めるべきです。

(2015年2月8日、松戸小金原教会主日礼拝)

2015年2月3日火曜日

すべては一人から始まる


「一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになった。」(ローマの信徒への手紙5:19)

この中で、「一人の罪」の一人はアダムなる一人物を指し、「一人の正しい行為」の一人はイエスを指しています。

趣旨はある程度単純化できそうです。アダムも一人、イエスも一人。一対一のタイマン勝負。アダムから始まった罪がすべての人に蔓延した。しかし、その罪の世界支配をよしとせず、土俵の外に押し出すまで突っ張り踏ん張っているイエスも一人。一人のイエスから始まった恵みがすべての人の心に満ちるまで。

それは聖書の話ですが、一つの応用として、しかし単純な比較はできないことを前提として確認しつつ考えさせられたのは、一国の首相なり凶悪な犯罪者なりがどれほど強力な軍隊を指揮し、どれほど強力な宣伝力や支配力を持っていようと、その人は最終的には一人である点で、我々と同じだということです。

一国の首相なり凶悪な犯罪者なりは「アダム」ではないし、我々は「イエス」ではない。その意味では、アダムとイエスの対峙を描く聖書の言葉をそのまま当てはめるわけにはいきません。しかし、使徒パウロの言葉の趣旨は、罪の始まりも、恵みの始まりも、初めは「一人」であった、ということにあります。

最終的に、相手が「一人」なら、我々と同じです。我々が「あーむなしい、無力だ。何をやっても、何を書いても、何の足しにもならない」と、ほぼ毎日ぶつぶつつぶやきながら「一人」でやっていること、書いていることは、最終的には、無駄でも無意味でもないわけです。だって、相手も「一人」ですから。

いま私が書いていることの趣旨、分かりませんかね。うまく言えないもどかしさはあるのですが。要するに「ビビることはないよね」というくらいのことですが。まじめっぽいタイトルをつけるとしたら「すべては一人から始まる」かな。かえって意味不明になっちゃうかな。

2015年2月2日月曜日

ファン・ルーラーについての講演が2月3月と続きます

2月になりました。私のお尻が大炎上中。

「ファン・ルーラーについての講演」を以下の日程で行います。どちらも「渋谷」です。どちらも「入場無料」です。

(1)思想とキリスト教研究会講演会

   日時 2015年2月16日(月)午後2時~5時
   会場 日本キリスト改革派東京恩寵教会(東京都渋谷区恵比寿)

   プログラム

   講演1「ファン・ルーラー研究の意義」
       松戸小金原教会牧師   関口 康

   講演2「アリウス――人物・運動・教説」
       京都大学名誉教授    水垣 渉

日本キリスト改革派東京恩寵教会(東京都渋谷区恵比寿)

(2)アジア・カルヴァン学会講演会

   日時 2015年3月9日(月)午後1時~5時
   会場 青山学院大学 総合研究所ビル5階(東京都渋谷区渋谷)

   プログラム

   講演1「ファン・ルーラー研究の過去・現在・未来」
       松戸小金原教会牧師   関口 康

   講演2「カルヴァンの聖書解釈の技法」
       東北学院大学教授    野村 信

   研究発表「カルヴァンとルターのマリア理解」
       テュービンゲン大学在学 木村あすか

青山学院大学(東京都渋谷区渋谷)

大学の先生たちと張り合うつもりは毛頭ございません。「講演1」終了後にご来会いただけますと、私の心は平安です。

2015年1月30日金曜日

「バルト神学の受容」と「教会の戦争協力」の関係は「にもかかわらず」なのか「だからこそ」なのか

カール・バルト(Karl Barth [1886-1968])
K先生

興味深い記事をご紹介くださり、ありがとうございます。まだ印象の段階ですが、私はかなり違和感を覚えながらリンク先の記事を読ませていただきました。私の長年の問題意識の琴線に触れる内容でもあり、この問題は深刻に受けとめています。その上で申し上げたいのは、違うのではないかということです。

150年余に及ぶ日本プロテスタント教会史における「バルト神学の受容」と「教会の戦争協力」との関係は、①前者「にもかかわらず」後者なのか、それとも、②前者「だからこそ」後者なのかという二者択一において、現在の多くの神学者(国内外問わず)は、かなり無批判に①を選択してしまっています。

しかし実際には、②の可能性もかなりあると考えるべきだと私は思います。はっきり言えば、私はどちらかというと②を選びます。その理由は、バルトおよびバルト主義者が第二次大戦後のヨーロッパにおいて「キリスト教政党」に対して採った態度ゆえです。彼らは「キリスト教政党全否定論」の立場でした。

バルトが起草したことでよく知られるいわゆる「バルメン宣言」や彼の影響下に書かれた諸文書のすべては「対教会的文書」です。それは「内向き」であり、その神学者が属する教派・教団と関係諸教会のメンバーたち、つまりキリスト者たちへの呼びかけです。直接的な「外向き」のアピールではありません。

もちろん、たとえそういうものであっても、まわり回って「対国家的文書」という意味の「外向き」の役割を果たすようになることは、もしかしたら、ありうるのかもしれません。しかし、それらの文書を埋めつくす概念のすべては神学と教会の専門用語であり、世間一般の人々には理解しようのない暗号です。

そういうものをもってバルト主義者たちは「反ナチ文書」と言いたがるかもしれませんが、それらの文書が実際に機能した場所は(せいぜい)「教会」の内部だけであり、「国家」や「社会」を動かした形跡はありません。

バルトとバルト主義者の「キリスト教政党」への全否定の態度はよく知られています。アメリカにも日本にも「キリスト教政党」は存在しませんので、バルト主義者たちの「キリスト教政党全否定論」の意味を理解できる素地がアメリカにも日本にもないため、これの問題性を認識しづらい面があると思います。

オランダの実例でいえば、第二次大戦後のオランダでバルト主義者が徒党をくんで始めたことは、19世紀に由来するオランダのキリスト教政党「反革命党」を政権与党の座から引きずり下ろし、「労働党」(共産党とコレスポンデンス)を支持すべきことをオランダのキリスト者に精力的に訴えることでした。

これが意味することは、オランダのバルト主義者(彼らはスイスのバルトと常に連絡を取り合っていました)は、キリスト者が「政党」という形で政治や社会にかかわることを中止させることに精力的に寄与したということです。言い方を換えれば、彼らのしたことは、キリスト教の政治的無効化への寄与です。

繰り返し言えば、バルトとバルト主義者がしたことは「キリスト教政党という形での教会の政治に対する直接的関与を否定すること」でした。それはキリスト教の政治的側面の無力化ないし「脱構築」を意味していました。代わりに彼らがしようとしたことは(せいぜい)「教会自身の政治的態度決定」でした。

それは、教派・教団の大会ないし総会で、多くの場合その議長名で、その国の総理大臣なり、大統領なりに宛てた文書を作成し、実際に郵送することです。それは、政府の側としては、官邸の郵便ポストに毎日届く大量の手紙の中の一通にすぎないものであり、まあたぶん、かなり確実に即ゴミ箱行きです。

そういう残念な結果に終わるであろうことは、その文書を書く人々の側でも、もちろん認識されています。それでも書こうというモチベーションが執筆者の中に保持されるのは、その人が書く文書には自分の属する教派・教団の人たちに対する「啓蒙活動」ないし「教化」としての意味があると思えるからです。

そしてまた、教会の「内向き」の文書に「対内的な政治的アジテーション」の意味は、なるほど確かにあるといえばあります。しかし、それは、それ以上のものでもそれ以下のものでもありません。私はいま皮肉や当てこすりを書いているのではなく、現実の教会が体験してきた事実を書いているだけです。

さて、くだんの「日本の教会の戦争協力」の問題に向かいます。当時の日本基督教団の「首脳部」(この表現おかしいですね)が発した文書が多くの人から糾弾の対象とみなされてきたことは、私もよく存じております。その人々を「かばう」意図は、私には皆無です。ただ、ここでの問題は、上記の二択です。

今考えているのは、70余年前の日本のプロテスタント教会の内部に起こった歴史的な事実は、かなり多くの人々がそう論じてきたように、はたして本当に、①バルト神学の受容「にもかかわらず」日本の教会の戦争協力だったのか、それとも、②バルト神学の受容「だからこそ」の戦争協力だったのか、です。

この二択において、あまりにも無批判に①を選択してしまう人たちの多さに、私は呆れる思いしかありません。まるでバルトとバルト神学は「常に正義」であるかのようです。この問題は、私にとってはどうしても見過ごすことができないものがありましたので、スレ汚しのコメントを書かせていただきました。

2015年1月29日

関口 康

2015年1月29日木曜日

緊急祈り会に出席させていただきました

日本基督教団富士見町教会(東京都千代田区)
今日は、日本基督教団富士見町教会で午後2時から行われた、日本基督教団の緊急祈り会「シリアで拘束されている日本人の解放とシリアの平和のために祈る会」に出席させていただきました。

正確な情報は、主催者発表をお待ちいただきたく思いますが、出席者は約80名くらいでした。私の勝手な印象で申し訳ありませんが、集まったみんなの心は熱く、でも良い意味で抑えの利いた、とても落ち着いた良い祈祷会でした。

シリアで拘束されている日本人の解放とシリアの平和のために祈る会
出席させていただこうと思った私の気持ちは、やや不遜かもしれませんが、「出席したい」という願いをお持ちになりながら、「東京ははるか遠いので願いが叶わない」という方々の「代わり」になれば、というものでした。

プログラムの内容は、石橋秀雄先生(日本基督教団総会議長)の奨励、佐々木美知夫先生(同副議長)の司式と祈祷、力強い会衆賛美、出席者の自由祈祷などでした。

帰り道のバス停で、学校帰りの高2の長女と鉢合わせしました。長女と二人でバスに乗るのは初めてかもしれません。

長女と二人でバスを下りて家まで一緒に歩き、「ただいまー」したとき「おかえりー」の声が聞こえ、手作りのシュークリームが待っていたりすると、ちょっとテンション上がりました。

おいしかったです

2015年1月22日木曜日

ケータイの形のスマホでも、それがスマホである以上、私は無理です

ケータイに戻して2年7ヶ月になります

スマホに換えて、懲りて、ケータイに戻して2年7ヶ月になります。ケータイのボディが、さすがに劣化してきました。そろそろ機種変したいのですが、我慢我慢。スマホへの逆行はないので、次のケータイはどれにしようかと夢をふくらませています。ケータイメールは相変わらず家族とのやりとりだけです。

スマホは手に馴染まなかったので、電話回線を止めて、今はWIFIカメラとしてだけ使っています。ケータイとタブレット(中古で購入)とパソコン(自作デスクトップ)を使っています。LINEは、アカウントだけはだいぶ前に取得しましたが、友達ゼロ状態で放置しています。誰も相手してくれません。

スマホに致命的な問題を感じたのは、「電話」と「他のもろもろの機能」とが並列関係で一緒くたにぎゅうぎゅう詰まっている状態の道具である点です。ケータイにもいろいろ付いているといえばついていますけど(写メとかです)、ケータイとは比較できないほど大量のアプリを、スマホは入れられますよね。

つまり、スマホが「電話」に与えている位置づけは、多くのアプリの中の一つにすぎないものでしかないと私には見えます。激しく相対化されている。全体の中の一パート。しかし私は、電話というのは、他のもろもろのアプリとは比較できないほど「別格の存在」だと思うんです、重要度と危険度とにおいて。

他のアプリの操作をしているうちにとか、スマホを胸ポケットに入れて歩いていたら、うっかり誤操作でかける意志のない相手に電話がかかってしまったなどということは、絶対にあってはならないことだと、私は思うのです。間違い電話やいたずら電話と、スマホ誤操作電話とは、受ける側の迷惑は同じです。

スマホを短期間使ってみて、これは無理だと思ったのは、「なんでもかんでも一緒くた感」です。特に「電話」と「他のもろもろ」は完全にベツモノとして分離されていなくては不安でたまらない。ひたすら恐ろしい。

そこが無理なので、「ケータイの形のスマホ」も、それがスマホである以上、私は無理です。

あと、スマホで電話かけようとする人を見ているとけっこう共通しているのは、取り出してから電話かけるまでに時間がかかること。「えーと、これ押して、ここ出して」。そのうち他のアプリのボタンを誤って押して、「あ、別のが立ち上がっちゃった。あ、メモリが少ない。え?あ?や?」イライライラ。

というわけで私、スマホに換えれないんじゃなくて(いえ、換えれないんです笑)、一度はスマホにしたけど、これはツールとして非常に危険なものだと察知するものがあったのでスマホは使わないことにしたんです。

こんな釈明文、他の方にはどーでもいいことですが、いつか書いておこうと思っていました。

私はとにかく「電話」と「他のアプリ」がバリアフリーですーっと移動できるような状態にあることに戦慄すら覚えます。遊園地に爆弾が仕掛けられているような感じとまで言うのは大げさすぎるでしょうか。「電話番号」は名刺に書くほどのものですよ。

大きな声では言えませんが(とネットに大っぴらに書く)私も「電話」はあまり好きではありません。心臓に悪いですね。メールかSNSでお願いします。

スマホを利用されている方への嫌がらせとかでは全くないですからね。スマホが「通話もできるパソコン」であっても構いませんけど、とにかく有料の電話回線とはメカ的にベツモノであってほしい。何の誤操作で課金が始まるか分からない不安とかは真っ平だと言いたいだけです。

2015年1月20日火曜日

両極の高低差をつけすぎるな

私のネットの書き込みが毒にも薬にもならない理由は、具体的な記述はほとんどなく、だいたいが抽象的で人を幻惑する内容で埋め尽くすくせがあるからだ。ネットごときに核心に触れることを書いたためしがない。「言質とったぞ」とかしたり顔されるのがとにかく嫌なので、尻尾をつかませない自信がある。

そんな私であるが、たまには具体的なことを書く気になるときがないわけではない。なぜ人は、自分で自分を死なせてはならないか。そういう質問を私にすると、ほぼ確実にけむに巻かれることを知っている人が多いらしく、その質問をされたことがない。しかし、質問されたらこう答えようと準備はしている。

その答えはこうだ。「死んでも楽にはならないからです」。そういうふうに、10年以上前ではあるが、あるパンフレットに書いたことがある。死んだら楽になるなんて、だれが言ったのか。いまの現実よりも高級で至福の現実が我々の死後に待っているなんて、だれが教えたのか。だまされちゃいけないよと。

詳細な議論を展開する気力はない。天上と地上でも、彼岸と此岸でも、形而上と形而下でも、自分の腹にはまる表現で構わない。二極の「連続性」と「非連続性」の関係の問題であるといえばピンとくる方もおられるだろう。私の考えは、ほとんど「連続性」の線である。天上の現実と地上の現実は、大差ない。

それは自らへの戒めでもある。地上の現実からのエスケイプを後押しするほど天国をキラキラに描きすぎるな。ウィークデーの現実は地獄の闇であるかのようにサンデーの現実を称賛しすぎるな。両極に高低差をつけすぎるな。なるべくフラットに描け。ふらっと教会に来て、ふらっと現実に戻れるほうがいい。

こういうこと書くと嫌われることは分かっている。変身願望のある方には特に。だけど私には譲れないものがある。宗教や神学の論理的整合性の問題ではない。「死んでも楽にはならない。だから生きていよう」は私の信仰だ。自分の「ありのままの」現実を受け入れろとは言わない。そんなえらそうなことは。