2015年2月9日月曜日

推理小説を書くのは難しい

「可能性の選択肢のリストアップの消去法」には意味がありました
切り詰めているといっても、必要なものを省略するつもりはないし、「必要」の定義の幅はかなり広くしているつもりなので、悲壮感などはない。すべて自発的にやっていることなので、だれから何の文句を言われる筋合いにもない。まして「私よりも」とか比較されるのは困りまくる。あなたが物差しですか。

ここ数年、無い知恵を絞って、思い当たるかぎりのあらゆる可能性をリストアップし、一つ一つしらみつぶしをやって可能性の選択肢を消してきた。といって、凡人の選択肢がそんなに多いはずはない。かなり無理して挙げて10くらいだったかな。そのほとんどが消え、残る可能性は「 」になったと見える。

でも、その「可能性の選択肢のリストアップの消去法」をしていく作業というのは、いちいちトラウマになるほどプライドは傷つくし(だって基本すべてダメ出しされ続けるわけですからね)、時間も体力も浪費しっぱなしでもあるわけだけど、改めて自分という人間の性質と限界を知る、いい機会にはなった。

残る可能性の「 」は今は「一択」だと思っている。「いくつもの可能性があった」のではない。「可能性はなかった」のだ。昔からの持論だが、選択肢が多すぎて迷う「召し方」を神はなさらない。有無を言わさず一択のみをひょいと差し出される。葛藤や格闘はあってよい。しかしそれはほぼ無駄な抵抗だ。

でも、よかった。おかげで心が定まった。「可能性の選択肢のリストアップの消去法」は、無意味だったわけではない。自分でも予想していなかった新しい次の一歩を踏み出すための、というか、ありえないバンジーへと背中を押して突き落とされるための心備えにはなった。心理的な退路がすべて閉ざされた。

以上、ポエムでした。推理小説を書こうと思ったのですが、文才ないや。