2013年4月10日水曜日
中学校の入学式で祝辞を述べました
中学校の入学式で以下の祝辞を述べました。
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新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。今日は春らしい天候に恵まれて、みんな落ち着いた気持ちでこの入学式を行うことができて本当に良かったです。
ご父兄の皆さま、また先生方にも、心からお慶び申し上げます。ご来賓の皆さま、本日はご列席いただき、ありがとうございます。
中学校で、皆さんは何をするのでしょうか。勉強することは当たり前です。学校は勉強するところです。やっぱり勉強してください。勉強は他のところでするから学校では勉強はしないというふうには考えないでください。それは本末転倒の考え方です。
友達をたくさん作りましょうということは、いろんな人から言われていることだと思います。ぜひ友達をたくさん作ってください。同じ小学校の卒業生とだけかたまるのではなく、違う小学校の卒業生とも早く仲良くなってください。
部活動をがんばることも大事です。小学校の頃よりもレベルの高い部活動が中学校にはあります。栗ヶ沢中学校には、松戸市だけではなく、千葉県や全国で争うトップレベルの部活動がたくさんあります。新入生の皆さんも部活動に積極的に参加して、がんばってください。応援しています。
いま三つのことを言いました。勉強してください。友達を作ってください。部活動をがんばってください。でも、大事なことをまだ言っていません。それは、今言った三つのことすべてに関係していることですが、全く同じことであるわけでもなくて、別のことでもありますので、四番目です。昨年の入学式でも同じことを言いましたので、在校生の皆さんの中には覚えている方がおられるかもしれません。
それは、学校の先生を尊敬することです。先生を先生だと思ってください。皆さんくらいの年齢になると、好きな先生と嫌いな先生がはっきり分かれてくると思います。その気持ちは私にもよく分かります。でも、好きな先生だけが先生で、嫌いな先生は先生ではないというわけではありません。嫌いな先生も先生です。先生の資格や免許を持っているから先生だと言っているのではありません。皆さんに考えてほしいことがあるのです。
先生が嫌いになるきっかけは、たぶん先生から叱られたとか、嫌なことを言われたというようなことです。でも、そのときに、考えてほしいのです。先生が悪いのか、それとも自分が悪いのか。先生は皆さんのために言ってくださっているのです。嫌いな先生こそ、皆さんの本当の先生かもしれません。先生を尊敬してください。
先生、どうかよろしくお願いいたします。正しいことと間違っていることをきちんと区別できるようにしっかり教えてください。どうかお願いいたします。
平成25年4月10日
松戸市立栗ケ沢中学校PTA会長 関口 康
2013年4月8日月曜日
つまり、ぼくの「AKBいいね」は「PV制作者いいね」でした
ははあ、なるほど。
気づくのが遅すぎですが、今ちょっと分かったかも。
超・どうでもいい話なのですが、AKBのことです。
前から書いてるとおり、ぼくはAKBのために一円のお金も使ったことがありません。
なのに、ネット民の一部に、ぼくが「AKB牧師」だという噂が流れてるとか、流れてないとか。
その”原因”は、ブログにAKBのことをひとことふたこと書いたことがあるのと、あとはFacebookでAKBの動画を二、三回シェアしたことがあるくらいかな。
それだけで「AKB牧師」になっちゃうのだから、ネットの影響力はスゴスギル。
ぼくが「AKBいいね」と思った理由は、You Tubeで基本すべて無料公開されている動画(プロモーションビデオ)の出来栄えです。「それだけです!」と断言できます。
アンチの人に無理強いするのは「拷問」に等しいと思いますので、そういうことは止めますが。
でも、「これだけは分かってほしい!」と声を大にして訴えたいのは、
ぼくが心動かされたのは「You Tubeで無料公開されているAKB動画の出来栄えの良さ」だけですよ、
ということです。
これ、ほんと。
このあたりを言い足りてなかったなと、さっき気づきました。
言葉足らずは命取り(そうとも限らないかも)。
饒舌は正直の始まり(それは無い)。
リンクしたのは古い動画ですが、スゴイと思った一つです。
2013年4月5日金曜日
「カルヴァンと創造論」講演会の記事がキリスト新聞に掲載されました
アジア・カルヴァン学会 日本カルヴァン研究会 「創造論」テーマに合同講演会
2013年4月13日
「カルヴァンと創造論――神と自然について」と題して、アジア・カルヴァン学会と日本カルヴァン研究会による合同講演会が3月11日、立教大学(東京都豊島区)で開催された。
記事の続きは「キリスト新聞」ホームページをご覧ください。
http://www.kirishin.com/2013/04/2013413-5.html
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ぼくらの講演会についての記事なので、シェアさせていただきます。
キリスト新聞さん、大きく紹介してくださってありがとうございます!
えっと、みなさん、
ぼくの扱いが他の先生に比べて小さいことを、笑わないでください(笑)。
とか言っても笑う人がいることを予想して(疑心暗鬼)、いちおう釈明しておきますね。
ぼくはこの学会の主催者の一人ですので(いちおう書記担当)、いちばん目立たない位置で出ることを自ら申し出た次第です。
「カルヴァン学会でファン・ルーラー」が「欄外注」扱いであることは当然のことですし、まあやっぱり大学や神学校で教える立場に就いたことがない”在野”(ってこういうときに使う言葉でいいんですよね?笑)の人間ですから。
二つの講演が終わったあと、ゆっくりと休憩をとってから、ぼくの研究発表でした。そこで帰った人たちもいたはずです。もしかしたら、キリスト新聞の記者さんも、ぼくの研究発表の前にお帰りになったかもしれません(未確認)。
そして、研究発表そのものも終了時刻間際で終わり(途中かなり端折りました)、質疑応答もほとんどできませんでした。
でも、ぼくはとても楽しかったし、有意義でした。出してもらえただけで感謝です。
当日配布された講演・研究発表の各レジュメ(誤字・脱字・微妙な表現を修正済み)は「アジア・カルヴァン学会」ブログで公開していますので、ご関心のある方はご一読いただけますとうれしいです。
アジア・カルヴァン学会 ブログ
http://calvin-research.blogspot.jp/2013/02/blog-post.html
2013年4月4日木曜日
姜尚中先生の言葉「自分の先生なき時代は最大の不幸ではないか」
聖学院大:新年度、スタート 教授就任の姜尚中氏、新入生に祝辞 /埼玉
http://mainichi.jp/area/saitama/news/20130402ddlk11100198000c.html
姜先生の次の言葉に感銘を受けました。
「師と仰げる人には一人しか出会えず、既に亡くなった。
自分の先生なき時代は最大の不幸ではないか。」
ぼくは「師」と仰げる人には、一人も出会えていません。
だから、ファン・ルーラーの本を訳しはじめました。
オランダ語ですが、
ワケ分かりませんが、
日本に「師」と仰げる人がいないので、
すでに亡くなっている先生ですが、
仕方なく、
訳しています。
こういう発言は、傲慢かどうか分かりませんが、
ぼくの本音です。
2013年4月1日月曜日
松戸市の住民になって10年目に突入しました
松戸市の住民になって、今日(2013年4月1日)から10年目に突入します。
ぼくが過去に住んだ町としては、生まれた岡山市(18年5か月)に次ぐ第二位の長さです。
以下、全くのムダ情報ですが(すいません)、過去の在住期間です。
岡山県岡山市 1965年11月~1984年3月(18年5か月)
東京都三鷹市 1984年4月~1990年3月(6年)
高知県高知市 1990年4月~1991年3月(1年)
高知県南国市 1991年4月~1996年3月(5年)
福岡県北九州市八幡東区 1996年4月~1997年1月(10か月)
兵庫県神戸市 1997年1月~1998年6月(1年6か月)
山梨県甲府市 1998年7月~1998年11月(5か月)
山梨県敷島町(現 甲斐市) 1998年11月~2004年3月(5年4か月)
千葉県松戸市 2004年4月~2013年3月(9年、現住所)
恥の多い生涯を送って来ました。
もう、ただひたすら「ごめんなさい」と言いたいです。
あ、でも、ぼくは過去に住んだすべての町を愛していますよ。
2013年3月30日土曜日
「第5回 カール・バルト研究会」を行いました
2013年3月29日(金)午後9時から11時まで、「第5回カール・バルト研究会」を行いました。参加者は4名でした。以下、五十音順、敬称略。
小宮山裕一(茨城県)
関口 康(千葉県)
中井大介(大阪府)
藤崎裕之(北海道)
テキストは『教義学要綱』の「3.信仰とは認識を意味する」でした。毎度のことながら、活発で充実した議論を行うことができました。いやーほんとに面白いですね。
次回(第6回)は2013年4月12日(金)午後5時から7時まで。テキストは「4.信仰とは告白を意味する」(Glauben heisst Bekennen)です。
2013年3月29日金曜日
なぜ翻訳が思うように進まないのか(イタイ釈明文)
昨日は「日本語版『ファン・ルーラー著作集』草稿集」という新しいウェブサイトを公開しました。
翻訳作業が遅々として進まないのは、ぼくなりの理由があるんです。
ほんとは恥ずかしいのですが、新しいウェブサイトに「訳者略歴」というページを設けました。
訳者略歴
http://aavanruler.blogspot.jp/p/blog-page_406.html
その中の「論文」や「翻訳」のリストをご覧いただくと、2007年以降、なんとぼくは毎年2本ずつくらいのペースで紀要論文や雑誌論文を書いていたらしいことが、お分かりいただけます。
とにかく勉強が苦手で、何ごとにもルーズで(今でも基本はルーズで周囲に迷惑をかけています)、不真面目な不良学生だった関口康がこんなことになるとは、誰が予想していたでしょうか。
毎週日曜日の礼拝説教も、40字×40行にフォーマットした3枚のA4サイズのタブラ・ラーサの上に毎回ちゃんと書きおろしています。
あとは、えっとですね、メールでしょ、ブログでしょ。それから、ここ2年くらいはFacebook。
あ、もちろん、パソコンの前だけにいるわけじゃないですよ。いろいろやってます。
サボってるつもりはないけど、日本語版『ファン・ルーラー著作集』が進まない。
あっ、そういえば、もうすぐオランダから帰ってくる、今年40歳になられるはずの、超イケメンの神学者がおられるなあ...。
あの先生に丸投げしようかな(笑)。
「あとよろしく~」とかね(笑)。
そのためにオランダに行ってくださったのだからね(笑)。
ほんと、お願いしますね。
* * * * *
ぼくらの小学生の頃、というと1970年代ですけど、給食の時間に教えてもらった「三角食べ」を、ぼくはいまだに守っている人間です。
給食の場合は「パン」と「牛乳」と「おかず」。
和食でいえば「ごはん」と「味噌汁」と「おかず」。
その三つを“順序よく食べること”が「三角食べ」だと教わりました。
それです、ぼくの状況に強引に当てはめていえば。
(1)「教会の牧師の仕事(なかでも説教と牧会と教会会議)」と、
(2)「論文を書いたり講演したりする仕事」と、
(3)「ファン・ルーラーの翻訳」。
この三つを「三角食べ」のように“バランスよく味わうこと”が、ぼくには必要不可欠だし、そうせざるをえないです。
どれか一つに絞れば、その部分は飛躍的に前進できるのかもしれませんが、ぼくらしくないですね。違和感ありすぎます。
ぼくはたぶん、商売ということに縁がないのでしょうね。「旬(しゅん)」とか「タイミング」とか「ヒット」とか、そういう世界から完全に隔絶されたところにいるような気がします。
ごめんなさい。
* * * * *
と、ここまで書いたことを読み直してみて、誤解されてしまうかもしれないと思うところありますので、ちと修正。
(3)ファン・ルーラーの「翻訳」は、ほんとうのところを言わせてもらえば、ぼくの仕事と思っているわけではないのです。「翻訳」したいのではなく、ファン・ルーラーの本を読みたいだけです。翻訳そのものは、ぼくはあんまりしたくありません。オランダ語、苦手ですから(笑)。
また、ぼくはまるで「ファン・ルーラー主義者」か「ファン・ルーラーマニア」であるかのように見えているかもしれませんが、実際のぼくを知っている人は、そんなふうでもないことを知っておられます。
ぼく自身は、ただひたすら、「ファン・ルーラーのバルト主義批判」の一連の議論の有効性を評価しているだけで、アメリカ改革派教会の神学者アラン・ジャンセン先生の「カール・バルトの影響が残っているかぎり、ファン・ルーラーが読まれる必要がある」という発言に同意し、同主旨のことを訴えているだけです。
逆に言えば、カール・バルトの神学の影響が消失する日が来たら、わざわざファン・ルーラーの神学を持ち出す必要はないかもしれない、とさえ思っています。
2013年3月28日木曜日
「日本語版『ファン・ルーラー著作集』草稿集」開設のお知らせ
各位
新しいブログを開設しましたので、謹んでお知らせいたします。
タイトルは「日本語版『ファン・ルーラー著作集』草稿集」としました。
日本語版『ファン・ルーラー著作集』草稿集
http://aavanruler.blogspot.jp/
あーだこーだ、釈明文を「はじめに」に書きましたので、お読みいただけますとうれしいです。
最後に言わせてください。
「ぼくのことは嫌いでも、ファン・ルーラーのことは嫌いにならないでください。」
皆さんに少しでも認めていただけるように、これからも私なりに頑張っていきたいと思います。
よろしくお願いします。
新しいブログを開設しましたので、謹んでお知らせいたします。
タイトルは「日本語版『ファン・ルーラー著作集』草稿集」としました。
日本語版『ファン・ルーラー著作集』草稿集
http://aavanruler.blogspot.jp/
あーだこーだ、釈明文を「はじめに」に書きましたので、お読みいただけますとうれしいです。
最後に言わせてください。
「ぼくのことは嫌いでも、ファン・ルーラーのことは嫌いにならないでください。」
皆さんに少しでも認めていただけるように、これからも私なりに頑張っていきたいと思います。
よろしくお願いします。
「ファン・ルーラー著作集草稿」序文
「ファン・ルーラー著作集草稿」のウェブサイトへようこそ。
このサイトで公開するのは、20世紀オランダのプロテスタント神学者アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー(Arnold Albert van Ruler [1908-1970])の論文や説教を関口康が個人的に翻訳したものです。
以前にも別のURLで似たようなウェブサイトを公開していましたが、新しいアドレスに引っ越し、訳文を増やしました。
自分自身の翻訳だけに限定するのは、自分の文章ならばいくらでも修正可能であると思うからで、排他的に自分以外の人の仕事を認めないというような意図は皆無です。どうかご理解ください。
そして、「草稿」と呼ぶのは、現時点では何一つ確定していないということです。何のこだわりもありません。ファン・ルーラーのオランダ語テキストに基づく根拠ある修正提案ならば、どんな小さな点でも喜んで応じます。日本語版『ファン・ルーラー著作集』が印刷・製本される前にご指摘いただけるのは、有難いことです。
しかし、長いお付き合いをしていただいている方がこのサイトをご覧になると、新しい訳文がほとんど含まれていないことに、がっかりされると思います。申し訳ございません。
しかし、長いお付き合いをしていただいている方がこのサイトをご覧になると、新しい訳文がほとんど含まれていないことに、がっかりされると思います。申し訳ございません。
「正確さ」と「読みやすさ」という、実は根本的に相矛盾する翻訳上の難問を解決するための努力を続けてきたつもりです。
しかし、道なお遠し、と感じています。時間も、能力も、経済的裏打ちも、致命的に不足しています。
アメリカのファン・ルーラー研究者アラン・ジャンセン博士が「ファン・ルーラーを読むためにオランダ語を学ぶ価値がある」と書いています。私も同意見です。
学生たちよ、果敢に挑戦せよ!
アメリカのファン・ルーラー研究者アラン・ジャンセン博士が「ファン・ルーラーを読むためにオランダ語を学ぶ価値がある」と書いています。私も同意見です。
学生たちよ、果敢に挑戦せよ!
2013年3月28日
関口 康
yasushi.sekiguchi@gmail.com
yasushi.sekiguchi@gmail.com
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