2011年9月14日水曜日

神学者たちへの(かなり屈折した)エール

今まさに、神学を恥じる小児病のようなものにかかっているところかもしれません。「神学では食えない」と痛感するから。しかし、それじゃあ何ならば食えるのかとか、哲学なんかもっと食えないじゃんとか、そもそも物書きで食えると思っている妄想こそどうよとか考えはじめると、その小児病が少しは解けて我に返れるものがあるんですけどね。

それはともかく、神学の再構築には大賛成です。既存の本に唾を吐きかけ、「こんなもの」と罵倒する態度をもってではなく、また我々は本だけ読んで(神学的に)生きているわけではないのだから、既存の本がもたらした教会的実践的諸帰結や諸現象のほうにも目を向けて、いわばそこから「帰納的にも」神学を再構築していくことに賛成です。

あとは神学部や神学校というフレームワークというかゲシュタルトというか、まあインスティチュートで良いと思うのですが、そういうものは、「必要悪」とまでは言いませんが、どんなに欠陥や問題点が多いとしても、不可避的だし、要りますねえと思います。

それは、「ファン・ルーラー研究会」というインターネット上の(ただの)メーリングリスト(にすぎないグループ)を12年半ほど続けてきて思うことです。神学部、神学校を(少なくとも直接的な意味で)背景にもっていないグループがいかに無視され、軽んじられるかを12年半ほど痛みをもって感じ続けてくると、もうね、少しくらいは面の皮が厚くなりますよ。

カネのために神学をするんじゃない。それは声を大にして言いたいですよ。でも、「神学では食えない」と失意のうちに神学を断念する人の多くは、神学部や神学校という枠の中に入れてもらえない個人プレーヤーです。ネットに何千万字の文章を書いても、一円にも換金されない。「学校」という枠の中にいる人々ならば、カビの生えた講義ノートを毎年引っ張り出して読み上げるだけでも、地位も名誉も、ある程度の財産までも保障される。

月並みな言い方ですが、一人のイチローの陰に、失意のうちにプロ野球の道を断念した何千、何万のプレーヤーがいる。神学部、神学校の教授たちも然りですよね。なりうる人、なった人には、やっかみも集まりやすいけど、がんばってほしいなあと思います。

既存の神学部、神学校に不満を抱く人々の中に新しい学校を作りたがる人がいますけど、そういうのを見ると虚しさを感じるばかりです。既存のものを作り変えましょう。ただし、自分の生きている間にできそうなことまでしか約束できない。「三百年後に実現いたします」とか言う詐欺商法はやめる。今ある神学部、神学校を二十年、三十年くらいの単位のスパンで小改革していく。そのために教会が全力を尽くして応援する。そういうやり方を私は好みます。

2011年8月23日火曜日

筆談の記憶

ち、あーあ、始業のチャイムが鳴っている。

またしても無為な時間を過ごさなければならない。うんざりだ。

「無為な」だって?まさか、そんなはずはない――はずなのだが。

教室に現われたのはカワバタのおっさん。世界史の教師だ。いやいや、のっけからなかなか興味深い話をしてくれる。まあ教科書どおりなのだが、「えー歴史というのは、古代、中世、近世、近代、現代といった感じに区分していくと、その動きというか流れをうまくとらえることができるようになるのでありましてー」どうたらこうたら。クルトゥーア・ペリオーデ(文化的歴史区分)とか言うらしいというのは、それから数年後、大学で学んだことだ。

しっかし、やっぱだーめだ、興味の集中力が続かん。睡魔が襲う。夢見心地に拍車をかけるのは、出来の悪い生徒は教師からいちばん遠い、優秀な生徒たちに迷惑をかけない、いちばん後ろの席に何となく追いやられていること。

いちばん後ろだが教室右側から二列目なので、外の景色は全く見えない。教室の右側は廊下側で、廊下の向こうには中庭があり、中庭の向こうには別の教室棟が立っているので、山も空も雲もどのみち見えない。「目のやり場に困る」とはこのことだ。女の子たちは授業中は無表情なので(そりゃ真剣に勉強しているわけだし)、見とれるほどの魅力無し。気温と湿度のやたら高い虚空には、カワバタちゃんのダミ声と、彼の目の前に座っている何人かの優秀な子たちの鉛筆のカリカリ音と、ミンミンゼミの鳴き声だけが響く。

ふと薄目で隣を見ると、ぼくと同類の子が「またやるかい?」と言いたげな目でニヤニヤしている。「またやるかい?」の内容は、筆談だ。その子の席は右端のいちばん後ろ。もっとも彼は、その後かなりがんばって優秀な成績を上げ、優秀な仕事に就いたようなので(「優秀な」の定義はともかく)、ぼくなんかと同類だったのは、ほんの一時のことだったと、彼の名誉のために言っておく。

彼は吹奏楽部所属、トロンボーン担当とか言っていた。演奏中の姿を見たことはない。若い頃の田村正和の目じりを、指でさらに吊り上げたようなフェイス。潜在的なファンは多かったらしい。何より、ぼくの半分しか体重が無さそうなスリムなボディ。

しかし、そこから先の記憶が全く正確でない。当時ルーズリーフなんてのを使っていたかどうか。はっきり憶えているのは小さな紙切れだったことだけ。ノートの端っこを破ったんだっけなあ。そんなことをした気はしないのだが。

その小さな紙切れに細かい文字が新たに書き加えられるたびに、ぼくと同類の子とぼくとの間を不断に往復し続ける。もうどこにも残っていないんだけどね。その紙切れは、我々の、なんていうか、細胞レベルの閉塞感を追っ払ってくれる、自由と喜びの輝きをもっていた。

カワバタちゃんの目を盗めていたとは思わない。時々ギョロリと睨まれたし。たしか一度だけ教室から追い出されたことがあったような気もする。あのね、ぼくらの脳みそって、実に便利なものらしいのよ。自分に都合の良い記憶だけを残し、都合の悪い部分は適当に殺処分してくれるという。だから、ほんとに忘れました。記憶にございません。

あれから三十年。キツネ目の彼は(あ、言っちゃった)どこで何してるんだろう。元気でいてほしい。ただそれだけだよ。

��「FB高等學校文學部」開設記念随想、2011年8月23日)


2011年8月22日月曜日

山岡洋一さん、ありがとうございました

たった今届いたメールマガジンに強い衝撃を受け、大げさでなく心臓が止まるかと思うほどの痛みが走りました。まだショックから立ち直りきれない。

私が日本で最も尊敬してきた一人の翻訳家であり翻訳理論家でもあった山岡洋一さん(62歳)が一昨日8月20日(土)に心筋梗塞で亡くなられた。同氏主宰のメールマガジン「翻訳通信」の号外を通じて、ご遺族が知らせてくださいました。

今月1日に第111号(2011年8月号)を受けとり、山岡さんの言葉の一字一句にいちいち首肯しながら、ほとんど舐めとるように読んだばかりでした。

山岡さんの主著となった『翻訳とは何か』(日外アソシエーツ、2001年)で翻訳論の新しい世界を教えていただき、爾来、私は変わった。たった一度だけですがメールのやりとりをさせていただいたことがあり、神学の翻訳を志している私に「翻訳の原点のような仕事に取り組んでおられて羨ましい」と温かい言葉を返してくださいました。

私の願いは、神学の翻訳をする人全員に山岡さんの本を読んでもらうことです。我々が根本的に間違っている部分を山岡さんの本が教えてくれたと思っています。

最もショックを受けているのは山岡さんのご遺族に違いないのですが、メールマガジンの読者(2500人以上)も今ごろ、私同様のショックを受けているところだと思います。まだ涙は出てきませんが、心の支えを失った感覚です。じわじわ来そうです。

書きこみをやめるという意味ではありませんが、今週(私の夏休み)は、偉大な翻訳家の生涯への敬意をこめて、喪に服したいと思います。

東浩紀氏の「娯楽でしか繋がれないのは貧しい」という意見に同意します

ついさっきツイッターで東浩紀氏がつぶやいたことに触発されて、何か書きたくなりました。

東氏曰く、日本は「テレビと娯楽しかない国。ネットユーザーがいくら増えても、芸能人とアニメの話しかされない国。この状況はソーシャルメディアの普及ごときで変わるものではないと、もはや半ば諦めています。」納得ですね。

「年収1億でも年収100万でもみな同じアニメ見てるよね」と「娯楽で繋がる可能性」を肯定的に評価する人々に対し、最近の(とくに3.11以降の)東氏は距離を置きたがっている。「娯楽でしか繋がれないのは貧しい」と言っている。海外で「政治」が果たしている役割を担うものが、日本には無い(大意)。

今これを堂々と書ける東氏は、けっこう炯眼の持ち主のような気がします。

でも、「それ見たことか。言わんこっちゃない」というようなことを、私は口が裂けても言いませんからね。「今こそ○○の出番だ」とか「これからは○○の時代だ」とかもね。

でも、心の中では当然そう思ってますよ。思ってますよ、当たり前じゃないですか。

日本に決定的に足りないのは○○です。それが無いから、いまの状況になっているんです。

2011年8月11日木曜日

Ustream「東日本大震災を経て」



今年3月11日の東日本大震災の発生前にしばらく続けていたUs​tream放送「ファン・ルーラーについて」をなかなか再開でき​なかった理由を話しました。

Ustream放送「ファン・ルーラーについて」の5回分は以下のリンクでご覧いただけます。

ここ(↓)です。
http://www.ustream.tv/channel/ysekiguchi

2011年8月4日木曜日

これも「本の読めなさ」がもたらす悲劇だ

米空軍、核ミサイル発射担当将校にキリスト教で聖戦教育
http://www.asahi.com/internati​onal/update/0803/TKY2011080306​50.html

「訓練初期にある倫理の​講義を担当する従軍牧師が用いた資料が、『核の倫理』という項目​で、旧約・新約聖書の記述を多数引用していた。キリスト教の聖戦​論を引き合いに『旧約聖書には、戦争に従事した信者の例が多い』​と指摘したり、聖書の記述として『イエス・キリストは強い戦士』​と位置づけたりしていた」(抜粋)。

これは本日の朝日新聞(13版)の一面記事です。先月27日までの20年間、米​空軍で「核ミサイル発射の正当化」にキリスト教が利用されてきた​ようです。よほど米軍事情に精通している人はともかく、この事実を知っ​ていた日本のキリスト者は皆無でしょう。

ほんとうに恥ずかしいです。聖書をどう読めば「核​ミサイル発射を正当化する論理」を導き出せるのかが不明ですし、​このような誤った聖書利用を受け入れてしまう米国軍人の「本の読​めなさ」に驚きます。今後も警戒が必要です。

2011年8月2日火曜日

「もしパウロの時代にブログがあったら」をめぐる穏やかな対話

先週ブログに公開したコリントの信徒への手紙一の「超訳」を読んでくださった方(以下「zubi先生」)が、ツイッター経由で、うれしいコメントを寄せてくださいました。ほめてもらったからというわけではありませんが(いや、ちょっとあるかな、笑)、我々のツイッター上でのやりとりをブログ用に編集しましたので、以下謹んでご紹介いたします。

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○zubi先生

関口先生の超訳は、光文社古典新訳文庫に通じる興味深い喜びです。先生のパウロ超訳を拝読すると、パウロのカーニヴァル性、すなわちすべての既存の価値観をキリストにより宙吊りにしてしまうパンクな勢いがいきいきと伝わってきます。例えば光文社のドストエフスキーは新潮社のそれのような品格や厳密さが無いと言われる。けれどもドストエフスキーの口角泡を飛ばす勢いはいきいきと伝わってくる。まさにそんな意義を感じるんです。翻訳のプロにしか出来ないこだわりというか。

○関口 康

スゴク有難い、とても勿体ない評価をいただき、うれしく思います。あの訳では、荘厳(?)で残響の長いチャペル内での朗読には不向きでしょうね。

「トークライブ風テイスト訳」に影響を与えた一人は、佐々木中さんですね。『切りとれ、あの祈る手を』(河出書房新社、2010年)は、私にとっても近年まれにみる衝撃の一書でした。「本とは読めないものである」ということを教えてくれるあの本が、いちばん読みやすかったし、読めましたね。長年解けずに苦しんできた謎を解き明かしてくれた、というか。

聖書が分からないとか、キリスト教は難しいとか。それは、理解できない人側の「頭が悪い」んじゃないんですよね。「本」というのは本来的に「読めない」ものであり、読めば読むほど分からないものなんですよね、佐々木さんによると。目からうろこでしたね。

私は、中学時代も高校時代も、大学(と言っても神学大学=神学校でしたが)に入ってからも、成績はものすごく悪かったんです。真面目な話、「本が読めなかった」んです。読んでも読んでも全く理解できなくて、「おれは頭が悪いんだ」と思い込んでいました。まあ、頭は悪いんですけどね。それは認めます。

「本が読めない」のは、今でもそうです。何か月か前、実兄から村上春樹氏の小説本を大量に譲り受けましたので、「読んでみるか」と重い腰をようやくあげました。つい昨日も近所の古本屋で『1Q84』の第一巻(BOOK1)から第三巻(BOOK3)までを買い、開いてみるのですが、やっぱり全く入って来ないんです、心の中に。村上氏の小説が何を言いたいのかが分からない。無理に開く感じが止まない。

カール・バルトの『教会教義学』は、ドイツ語版(原著)と日本語版との全巻を買って持っています。神学生時代から何度も開いて読もうとしてもいます。でも、読み続けることができない。やっぱり俺の頭が悪いんだと悩みます。「違う」という拒絶感のほうが強すぎて、「読めない」んです。

「本が読めない」ことの悔しさは、私にとっては地獄の苦しみなんです。なんで他の人には理解できて、俺には理解できないのだろうかと思うと、「死にたい」とまでは考えませんが、人前に出るのが億劫になる。でも、同じ悩みを抱えている人がいるかもしれないと、佐々木中氏の本を読んで気づきました。

だから、と言っていいかもしれない。私の知識のほとんどは、耳学問です。本を読んでも分からない。記憶に残らないので知識にならない。でも、耳で聞いて理解できたことは、いつまでも忘れられないんです。だから、私の知識は、私の教師たちの出身地の方言で訛っているんです。

○zubi先生

分かるなあ。距離の遠さなんですよ。テクストとの。用いられる場によっては、響きや品格が重要なことは勿論です。けれども、パウロならパウロが、今生きているような共時性。そこに焦点が当てられるのもアリですよね。するとテクストはぐんと近付いてくる。

○関口 康

そう、キーワードは「共時性」ですね、たしかに。本だけ読んでも分からない。噛み砕いて解説してくれる人がいなければ、本だけあっても、どうにもならない。そのあたりに、学問に関しては大学の存在意義があり、宗教に関しては教会の存在意義があると、遅ればせながら思います。

私のパウロ超訳の話に戻せば、こういう調子というかこういう雰囲気の翻訳を全く受け付けることができないとか、生理的に拒絶してしまう人たちもいるんだろうなということは、よく分かっているつもりです。その人の生活圏内に存する宗教観、教会観が当然関係しているでしょう。私の生活圏にも、こういうパウロが出現したことはありませんでした(笑)。

○zubi先生

先生のパウロ超訳を拝読すると、パウロのカーニヴァル性、すなわちすべての既存の価値観をキリストにより宙吊りにしてしまうパンクな勢いがいきいきと伝わってきます。アラン・バディウの『聖パウロ』を読んだときに、パウロ神学におけるカーニヴァル性を知ったのでした。バフチンがドストエフスキーで論じている、価値観の宙吊りです。先生の翻訳の試みは、そういうカーニヴァルの勢いをあらためて認識させてくれるんです。

○関口 康

バディウ氏やバフチン氏という方々の本は読んだことありませんが、パウロの「カーニヴァル性」(祝祭性?)や「価値観の宙吊り」という話は面白いですね。ファン・ルーラーに言わせると、パウロはマテリアリストでした。これを「唯物論者」とか訳すとクマンバチが飛んできますね(笑)。

○zubi先生

カーニヴァルというのは、お祭りのなかで、ふだん身分の低い人が高い人をからかったり、儀式的に戴冠や奪冠を行ったりする現象に由来する、価値のひっくり返しのことです。イエスへの兵士たちの侮辱もカーニヴァルですし、死から蘇るイエスは究極のカーニヴァルなのです。

○関口 康

パウロ神学のカーニヴァル性とは、ただ「祝祭的」であるだけではなくて、そこに独特の闘争性というか、平たく言えばけんか腰の要素がある。しかし、殺意むき出しのカムフラージュ軍服着用の戦闘行為としてではなく、徹底的な遊び性の中で根源的な価値転覆をはかる、みたいな感じでしょうか。まだ十分飲み込めていませんが、新しい見方であると思いますね。

○zubi先生

ずいぶん昔に講談社の「本」という雑誌で知ったのですが、カントは自分では他人の哲学書を読んでも理解できず、友人に「ヒュームはこんなことを言ってるんだよ」みたいに説明してもらってはじめて分かったそうです。それでもあんなに鋭い考察ができた。

○関口 康

それは興味深い話ですね!私は自分とカントを並び称する根性などは持ちあわせていませんが、カントがどうしてそうだったのかは、何となく分かります。要は、幼い頃から教え込まれた(敬虔主義の)キリスト教の「体系」がほとんど彼の血肉となり、悪く言えば「閉じた体系」の中にいたのではないかと。

○zubi先生

神学部で宗教哲学の先生に徹底的に鍛えられたことは、「テクストをパラレルに読め。リニアーに読むな。」ということ、そしてレジメもそのように作成せよというものでした。けれどもこれができなかった。わたしもおそらく、本が読めない部類なんです(笑)。

○関口 康

これもすごく興味深い話ですね。「テクストをパラレル(並列的?)に読め。リニアー(直列的?)に読むな」を「通時的ではなく共時的に」と別言することは可能でしょうか。教義学のほうが向いている人と教会史のほうが向いている人とがいるとは思いますけどね。「論」で考えるか、それとも「史」で考えるかの違いのようなことでしょうか。

(2011年8月1日、ツイッターにて)


2011年7月31日日曜日

もしパウロの時代にブログがあったら(2)

大好評(?)にお応えして、調子に乗って第二弾、行きます。

昨日の「超訳」の際に心がけたのは「ブログ風テイスト」でしたが、今日はそれに加えて「トークライブ風テイスト」を混ぜてみました。

「トークライブ風テイスト」の意味は、目の前にいろんな人がいる状況を想定しているということで、つまり、「字には書けても口には出しにくい言葉をぼやかす」という意味です。

今日ご紹介する個所には、二千年の時空を超えて今の我々の胸にグサリと突き刺さる内容があると感じていただけるかもしれません。いま私が何を言っているのかは、ご一読くだされば、お分かりいただけるでしょう。

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コリントの信徒への手紙一7・1~7

使徒パウロ著/関口 康「超訳」


皆さんからいただいたお便りの中に書いてあったご質問に今お答えしますとね、もうね、「男の人は女の人に触るのもダメ」ってくらいの線を、私は言いたいですね。

でも、あんまりそういう話にしてしまってね、皆さんの中に反動みたいなことが起こって、なんだかだんだんアヤシゲな世界に興味を持ちはじめてしまうようになるくらいならね、そちらの方面にはどうかあんまり足を踏み入れないでいただいて、というか、そちら方面に行かないように自分を抑える必要もあるのですからね、そういう意味ではやっぱり、男の人はお嫁さんを探すとか、女の人はだんなさんを探すとかのほうが、いいんじゃないですかね。私はそういうふうに考える人間です。

その代わり、と言うことでもありませんけどね、まあ、だんなさんがおくさんにすべきことと、おくさんがだんなさんにすべきことは、ちゃんとやりましょうよ。

えっとね(なんで私、こんな話してんでしょうね)、おくさんのほうは自分で自分の体をどうにかする、という話じゃなくてね、だんなさんがおくさんに、ちゃんとするんですよ(あーこのへん書きにくいなあ)。逆もそうでね、だんなさんのほうも自分で自分の体をほにゃららする、という話じゃなくてね、おくさんがだんなさんを、ほにゃららするんですよ(ね?)。その場に及んで、「やっぱりやめた」とか「もういやだー」とか言わないでくださいね。

でもですね、う~ん、まあ、長い人生ですからね。いくら好き同士で結婚した二人でも「さすがに今はちょっと無理」という時期もありますよね。仕事がメッチャクチャ忙しいとかね、子育てもありますしね。世間が嫌なことだらけなので、今は雑念を捨てて神さまのことだけを考えたいと思うようなときもありますよね。そういうときにはね、お互いによく話し合って、それなりに納得もしたうえで、しばらくお休みにする、というのは、ありかもしれませんね。

でも、はっきり言っておきますが、そんなことを二人が別れる理由なんかにしてはいけませんよ。「それでも一緒に生きていく」という大前提を確認したうえでの、あくまでも一時的なお休みでなくっちゃマズいです。そんなことを理由にして別れちゃいますとね、人間弱いですからね、たちまちその筋の人たちがニヤニヤしながら近づいて来て、「おいで、おいで」と手招きしてきますんでね、するするっと、そういう人たちのいるところに入って行っちゃうことになる。あとは、もうね、身ぐるみ剥がれてポイですよ。

ですからね、「しばらくお休みするというのも、ありかもしれませんね」と上に書いたことの意図は、「そういう可能性がないとは言い切れませんね」というくらいの微妙なニュアンスなのでしてね、「しばらくお休みにしなさい」とか「しろ」とか命令してるわけじゃあないんです、断じてね。

もちろん、私の個人的な立場を言わせてもらえばね、それはもう、私自身はいまは一人で生きてますからね。皆さんにもぜひ、一人で生きられるすべを身につけてほしいんですよ、本音を言えばね。でも、そこから先のことは言えないことでありましてね。人生それぞれですよ。神さまが我々に与えてくださったものは、人によって違うんですからね。

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【超訳者コメント】

強くお断りしておきますが、昨日からの「超訳」は、ふざけているとか、聖書の言葉を玩んでいるとか、受け狙いとか、ポピュリズム(?)とか、決してそういう気持ちではありません。

また、たしかに「超訳」ではありますが、「意訳=デタラメ」と見られることは、やや心外です。

神学者ファン・ルーラーのオランダ語テキストとの取っ組み合いを、13年ほど続けてきました。その苦しい日々の中で絶えず問われてきたことは、「翻訳とは何なのか」という根本的な問いでした。我々に問われていることは、「翻訳論」そのものです。

このたびの聖書の「超訳」が、私の長年の問いの答えになるかどうかは分かりません。でも、取り組み甲斐がある仕事かもしれないな、という手応えはありますね。

2011年7月30日土曜日

もしパウロの時代にブログがあったら(1)

いま毎週日曜日の礼拝の中で、新約聖書「コリントの信徒への手紙一」の連続講解説教を続けています。今は7章を読んでいる最中なのですが、まあ難しいといえば難しい、でも、すごく興味深いところであることも分かってきました。

このところ、ギリシア語の本文をじっくり研究するだけの余裕が無いのが残念なのですが、とにかく一冊二冊の注解書にかじりつきながら、パウロの言葉の真意を探っているところです。

以下にご紹介するのは、たったいま(「たったいま」です)大急ぎで、新共同訳聖書を開きながら、これまで学んできたパウロの意図をできるだけ反映させてパウロの文章を読みなおすと、こういうふうになるんじゃないか、という一つの例(あくまでも「一つの例」)として、書いてみたものです。

ですから、「翻訳」と言うには及びません。「超訳」で構いません。味付けとしては、「ブログ風テイスト」を加えてみました。パウロの時代にブログがあったら、こういう文章を書くんじゃないかなと、想像してみた次第です。

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コリントの信徒への手紙一7・25~35

使徒パウロ著/関口 康「超訳」


まだ結婚したことが無い人たち、いますよね、そういう人たちにこの際ちょっと言っておきたいことがあるんですよ。まあこれはあくまでも私の意見ですけどね。神さまからこう言えと言われて言うわけじゃないんですが、神さまからこの仕事を任されている者として言っておきますよ。

それはね、要するに、とにかく今は相当ヤバい状況なんだということですよ。今まさに危機が迫っているんです。そういうときには、私は皆さんにあんまり無茶なことや急激な変化が起こるようなことをしてもらいたくないんです。今のまま、現状のままに留まっていてもらいたいんです。

いま結婚している状態にある人なら、もうわざわざ離婚の手続きなんかしなきゃいいし、もしまだ結婚していない人なら、今さら相手を探そうだなんて思わなきゃいい。結婚することが罪だとか、まだセックスしたことがない人がセックスすることは罪だとか、そういうことを言いたいわけではないですよ。

私が言いたいのはね、「結婚すること」と「苦労すること」はほとんど同義語だ、ということですよ。そういう苦労をね、私はあんまりあなたたちに味わわせたいとは思わないんですよ、このご時世ですからね。

皆さんに言っときますよ、もうすぐ世界は終わりますからね、そのときが近づいてますよ。

これからの生き方はね、

・家族がある人は、ないふりをする。
・いつも泣きべそばっかりの人は、いまだかつて泣いたことがない人のふりをする。
・冗談ばっかり言っていつも笑っている人は、いまだかつて笑ったことがない人のふりをする。
・買い物好きの浪費癖の人は、財布のひもが固い人のふりをする。
・世の中の弟一線でバリバリやってきた人は、世事に疎い人のふりをする、

とまあ、こんな感じになっていくと思います。

だって、もうね、今のままの現状がこれからもずっと維持されるということは、ありえないんですよ。だから、あんまりもう、じたばたしないで開き直るしかないんですよ。

一人で生きている男の人ならね、「どうすれば神さまに喜んでもらえるだろうか」を考えることに集中できますけどね、結婚してしまったらね、そんなことはもう無理になりますよ。だってね、男の人が結婚したら、それから毎日が「どうすればカミサンの機嫌をとれるだろうか」とね、そういうことばっかりで心いっぱい頭いっぱいになってしまってね、集中力もへったくれもない状態になっていくものなんです。

一人で生きている女の人や、まだ結婚したことがない女の子たちは、体も心も神さまに清めていただこうと、ひたすら神さまのことを考えることに専念できますけどね、結婚したらね、そこから必ず変わっていきますよ。寝ても覚めても「どうすればダンナの機嫌がとれるだろうか」と、そんなことばっかりになって、世事にくたびれてしまう。

今言っていることは、あなたがたを責めてるわけじゃないですよ、厳しいことばっかり言って、「おれの言うことを聞け」とか言って、自分の価値観を押しつけたいわけじゃない。

心の中がグチャグチャにかき乱されっぱなしの日常から少し離れるときも必要だ、そんなふうにして落ち着くことができるときもある、そのような信仰生活を続けてもらいたい。私の言いたいことは、ただそれだけなんです。

2011年7月29日金曜日

私はなぜ洗礼を受けたか

とくに何の脈絡もなく、唐突に書く。私はなぜ洗礼を受けたか。それは1970年12月26日。1965年11月生まれだから、当時はもちろん5才。幼稚園児としての最後の年の、クリスマス礼拝のときだった。

受洗の意思は明確であった。やる気満々だった。いや、正確に言えば「飲み食いする気満々」だった。だから私の洗礼は幼児洗礼ではない。誰から勧められたわけでもない、と言いたいところだが、もしかしたら親が「どう?」くらいは言ったかもしれないが、それは忘れた。牧師から勧められることはありえない。消去法で考えれば、親が勧めたのでなければ、私が自分で意思決定をしたのだ。それ以外の可能性はない。

実際、私自身の中にとにかく残っている記憶は、牧師のところまで行って「洗礼を受けさせてください」と、自分の意志と言葉で”要求した”日の一部始終だ。

動機についても鮮明に憶えている。その顛末については、前にもどこかに書いたことがある。

そのクリスマス礼拝よりも半年くらい前だったろうか、教会で聖餐式があったとき、パンもぶどう酒ももらえず、目の前をスルーされた。ひどく頭に来たので、あれをもらえる方法は何かを親に聞き、洗礼というのを受ければいい(パンとぶどう酒をもらえるようになる)のかと初めて知った。

神に誓って言うが、当時の私は、特別ひもじい生活をしていたわけではない。いくら幼稚園児だったからといえ、あんなママゴトのような小さなパンだ、ぶどう酒だ、が欲しかったわけではないのだ。そんなことではない。何が頭に来たかといって、おれが小さい頃から来ているこの教会の中で、おれを無視し、おれの前を素通りしてよいものがあってよいはずがない、という思いだった。

「そういうのは傲慢だ」などと言われたくはない。当時の私が激しく自覚したことを、当時の私が適切な言葉で言い表せたはずがない。しかし、オトナになった今なら言える。それは、「おれは、ハンパなくこの教会のメンバーだ!それに関しては誰にも文句を言わせたくない。どこにも逃げやしないから心配すんな。ていうか、他になりようがないよ。ほかの人はともかく、おれに関しては信教の自由とか別にいいから。だから、お願いだから、おれに洗礼授けてくれ。頼むからおれの前をスルーしないでくれ」という意識だった。

これらのことを、あとづけの脚色として書くのではない。受洗記念日は教会が記録するものであって、自分で勝手に捏造できるものではない。私が5歳で成人洗礼を受けた事実を、教会が客観的に証明してくれる。