2011年6月30日木曜日

これでもあなたはファン・ルーラーをイロモノ扱いするか

もうそろそろ、いいだろう。ひとことだけ言わせてほしいことがある。

物心つく頃からずっと探して来たのは、尊敬できる教師だ。「真の権威者」と言ってもいい。「絶対的な」服従などは、もし求められても、決してやらない。この私にそのような態度は似合わないし、いまだかつてやったことがない。隷属などは、相手が誰であれ真っ平だ。そういうのが嫌だからこそ、このご時世の中で(このご時世にもかかわらず)「神」なるものを信じてきたし、神が人に与える「自由」を信じてきた。

しかし、私が長年苦悩してきたことは、「神」は私の教師ではない、ということだ。「教師は神ではない」は正しい命題であるが、「神は教師ではない」も正しい。言葉にすれば陳腐になるが、究極的な(≠絶対的な)真理をその根拠と共に適切に提示し、納得させてもらえる教師が欲しかった。

「金八先生」とか「ごくせん」の話をしたいのではない。私がまさに物心つく頃から一度も切れ目なく関わり続けてきた「キリスト教」の話であり、「教会」の話だ。「説教」の話と言ってもいい。やや傍観者的な言い方をすれば「ぼくの日曜日をハッピーにしてくれる人」だ。「来るんじゃなかった」という暗澹たる気分ではなく、「今日はここに来ることができて、本当によかった」と感謝しながら帰宅することができる、そのような礼拝を作り上げることができる説教者だ。

こういう話をしなければならないときは、自分のことを棚に上げることが許されなければならない。「自分がそういう説教ができるようになってから言え」という弾圧に屈するつもりはない。

私には尊敬できる説教者がいなかった。「真似したい」と思える人がいなかった。何度礼拝に出席しても、言われていることに納得できなかった。それは地獄の日々だった。

何度も書いてきたつもりだが、生まれてこのかた、日曜日の礼拝を病気以外の理由で欠席したことはない。日曜日に礼拝を欠席するほどの病気にかかった正確な回数などは分からないが、ほぼ間違いなく、両手の指で数えられるくらいしかないはずだ。そういう人生を45年も続けてきたことが、ただそれだけが、私の矜持なのだ。

しかし、納得できない、分からない。論理的な筋道を追いながら聞いていると、ところどころ、耐えがたくおぞましい矛盾があり、ごまかしがあり、隠蔽があり、行きすぎた美化があり、「丸めこみ」がある。そのうち聞いていられなくなる。眠たくなってしまうのだ。

説教で重要なことは「論理」だ。笑顔でなくても、美声でなくても、原稿から目を上げて礼拝出席者の顔を見ながら語ることができなくても、そんなことはどうでもいい。論理が破綻している説教は聞けない。座っている椅子を蹴っ飛ばして退室したくなる。あの説教を聞くための時間は無駄だと、あらかじめ分かっている礼拝には、なるべく行きたくない。

愚痴が長くなった。ここから先は明るい話だ。尊敬できる教師が「見つかった」話だ。

それは、私にとってはファン・ルーラーである。やっと巡りあえた。だから、今の私は安堵している。

しかし、これまでは、オランダ国内はともかく、国際的に見れば、ファン・ルーラーの知名度は低かった。それにはさまざまな事情が絡んでいることも分かっている。多くの嫉妬を買い、妨害されてきた人でもある。その理由も、今の私なら分かる。彼の「論理」が、あまりにも魅力的だからだ。こういうふうに言えたらどんなに胸がすくかと多くの人がもどかしく感じてきたことを、躊躇なく明快に語る。こういう説教者に、私は出会ったことがなかった。しかし、その人がいた。ファン・ルーラーだ。

悔しいことが二つある。一つは、これまでの神学の多くの村民たちが、ファン・ルーラーを「イロモノ」扱いしてきたことだ。「ファンタスティックな神学者だ」などという。しかし、ファン・ルーラーの神学はとりたててファンタスティックなわけではない。彼はただ、彼の教会と彼の社会を念頭に置きながら、冷静にコツコツと学問をしているだけだ。

もう一つある。言うまでもなくファン・ルーラーのテキストは「オランダ語」なのだが、それを読みもしないで彼を批判しようとする神学者がいまだに少なくないということだ。テキストを読まずに論評するというのは、風評のようなものを根拠にして学問する態度に等しいわけだから言語道断だろう。そういうことをファン・ルーラーに関しては「してもよい」と思っているのは、彼を「イロモノ」扱いしている証拠だろうし、要するになめているのだ。

なめたければ、なめても構わない。ファン・ルーラーをこれからも「イロモノ」扱いし続けたければ、それも構わない。しかし、その態度はこれからは、その人自身の恥となるだけだ。そのうち身にしみて分かる日が来るだろう。

このような私の考えを「ファナティック」と呼びたければ、それもどうぞご自由に。尊敬できる権威者のもとに立つとは、しばしばそのようなものだ。

「あなたには尊敬できる人はいないのか」と、聞き返したい。いるんだよ。うじゃうじゃと。ヒトのことだけ言えないはずだ。

もう少しだけ核心に踏み込んでおこう。私のほうが遠慮する理由は、もはや何もない。

権威の座にある(と周囲から見られている)人が根拠薄弱なことを書き散らすとき、後進の者たちがどれくらい迷惑するかということを、丸十年以上痛感し、苦汁を飲んできた。

ただ、こちら側の根拠も薄かった。それはまるで死海文書の発見にも近いありさまで、ファン・ルーラーの「膨大な量の」未公開テキストが、宝の山のように眠っている、という話だけを聞かされていた。

だから、それらのテキストの公開を待つべきだ、ファン・ルーラーについて「本を書く」ことができるのはテキスト公開の後だ、そうでなければ学問的に無責任の謗りを免れない、ということは、我々(あえて「有識者」と自称させていただく)の間では分かっていたことであった。

ところが、つい最近も、ファン・ルーラー(彼らは「ファン・リューラー」と表記する)を大々的に取り上げた章を含む「本」を出版なさった方がいる。そこで、またしても彼は、自分自身はファン・ルーラーのオランダ語のテキストは読んでいないと断りつつ、(なんと尊大にも)“一定の評価”をした上で、批判する。

もうダメだろう。この恥知らずな態度はいつか厳しく断罪されるべきだと、私は考えている。

2011年6月28日火曜日

鼻血が出そうです

ああ、ちょっと興奮しすぎて鼻血が出そうだ。

ついさっきのこと、ドアチャイムが鳴り、戸を開けたら「ゆうパックです」と郵便配達員。「え?何か注文したっけ。お金あるかな」と不安になりながら受けとった小包にオランダ語の文字が!

待ちに待った『A. A. ファン・ルーラー著作集』(オランダ語版)第四巻の「上」と「下」が、やっと届きました。タイトルは「キリスト、聖霊、救済」です。

内容はスゴイ、ひたすらスゴイ。筆舌に尽くしがたいものがあります。魅力的なテーマ、圧倒的な筆致。翻訳を志す者の腕が鳴る、と言いたいところですが、今度こそ心折られそうです。

敵う相手ではありえないと最初から分かっていましたが、それでも何とか数ミリでも近づきたい、ものにしたいと食らいついてきたつもりなのですが、これほどのレベルの差を見せつけられると、どうしようもない。

でもね、こうなったら、まあ、私なりの草野球を楽しむことにしますよ。そして、最後までゼッタイにあきらめない。私があきらめないことが誰かの励ましになるかもしれない。今の日本に私のような馬鹿が一人くらいいても許されるだろう。そう思うことにします。

はいはい分かりましたよ、訳しますよ。

待ってろよ、日本。見てろよ、ファン・ルーラー。





原発停止は「ヒステリックでポピュリズムのヒットラー」ではないと思う

原発を停止させると「ヒステリックでポピュリズムのヒットラー」だと言われなくちゃならないなら、ヒステリックでポピュリズムのヒットラーでもいいや、という気分に襲われます。でも、そういう言葉で突っかかって来る人たちの形相を見ると、彼らこそヒステリックでポピュリズムのヒットラーだよな、と実際思います。

あえて名指しすれば、石原伸晃氏は慶應義塾大学文学部、前原誠司氏は京都大学法学部の卒業生のようですが、彼ら(もしくは彼らの原稿を書いている部下たち)に「現代西洋政治思想史」を教えた教師はだれなのかを知りたいところですね。その教師たちの歴史感覚が全くダメでしょう。

谷垣禎一さんはクリスチャンだそうですね。でも、どこの教会に通っておられるのでしょうか。そういう話は聞いたことありません。政治的立場はともかく石破茂さんのほうが教会とのつながりを公言している分だけ、その面がはっきり見えるので、「議論が成り立つかも」という信頼感がありますね。

政治家が(特に宗教的な意味での)信条を貫くのが難しいことはよく分かります。ただ、私の考えはやや過激すぎるきらいがあるので公言を控えめにすべきだと自覚していますが、政治家の仕事が世のルールを作ったり変えたりすることであるならば、政治家として信条(信仰!)を貫くことができる社会にすることこそがクリスチャン政治家の仕事ではないかと思いたいのですけどね。

2011年6月26日日曜日

「笠地蔵」さま、ありがとうございます

あれれ、昨日と今日続いたことですが、わが家に「笠地蔵」が来てくれるようになりました。

ただし現代版なので、モチは郵便ポストに届きます。しかも、そのモチにはオランダ語や英語がたくさん書いてあるんです。本の形をしていましてね。どうやらその内容はキリスト教とか神学とか、そういうことが書いてるようなんです。

でも、なんと困ったことに、そのモチが入った封筒には名前が書いてないんです。手紙も入っていない。「ありがとうございます」って、お礼が言えないじゃないですか。切手の消印は押されているので、どこで投函したかは分かるんですけどね。

でも、ほんと、たくさん送ってくださって申し訳ないです。大事にします。もちろん字の部分は読ませていただきますね。

オランダ語のモチで、もし「もう要らない」という方は、私のところに送ってくださると、とてもありがたいです。

〒270-0021 千葉県松戸市小金原7-21-11 松戸小金原教会 関口 康 (電話 047-342-1576)

2011年6月22日水曜日

聖書学と教義学の関係について

聖書学と教義学の関係という問題については、ファン・ルーラー自身が書いた「聖書学との比較における教義学の方法と可能性」というドンピシャの論文があります。だいぶ前に最初のほうだけ訳しましたが、多忙にかまけて放置したままです。非常に重要な論文であることは間違いありません。

その論文に「教義学から聖書学へという順序もある」という興味深いテーゼがあります。「教義学の土台となっている聖書学」という、多くの人はおそらくこのように考えてきたであろう順序の逆、つまり「聖書学の土台となっている教義学」という順序もあるのだということをファン・ルーラーは明言しています。

実際問題として、私もそのとおりだと考えています。教義学の土台が「聖書」であることは確実ですが、しかし「聖書学」ではないと思います。「聖書学」こそが非常に独善的(ドグマティック)であることが十分にありえます。教義学は聖書学に幻惑されすぎないほうがよいと、私はファン・ルーラーを読みはじめるよりもずっと前から考えてきました。聖書学だけが進歩していて教義学はいつも後追いしているというような見方は(そのような見方がもしあるとしたら)、完全な事実誤認であるし、教義学というものをなめすぎなんです。教義学が不動で不自由な体系だったことなど、いまだかつて一度もないですよ。そう思い込んでいる人がいるとしたら、教義学をちゃんと学んだことがないんです。

教義学をさらに豊かに展開していくために、「聖書学」(≠聖書)の力を借りる必要なんか無いですよ。ていうか、そういう教義学ならば、もうずいぶん前から始まっているし、そろそろもう十分やっただろ、という域に達しつつあるんです。その典型がモルトマンですよ。モルトマンの最初期の論文は「神義論」とか「聖徒堅忍論」とかきわめて保守的な改革派教義学を題材にしたものでしたが、そこから出発して、現代の聖書学との徹底的な対話を経て、現在の彼の神学がある。たとえば日本キリスト改革派教会は、あのモルトマンの神学のようなものでやれるでしょうか。私にはとても信じがたい。

「聖書が教義学を支える」は当然の話です。しかし「聖書学が教義学を支える」という関係にはないと言っているだけです。もしそういうふうに言い張る聖書学者がいるのだとしたら(いるかどうかは知りません)、その聖書学者自身が「神学」の何たるかをそもそも誤解しているのか、そうでなければ学生たちを罠にかけているかのどちらかなんです。まさか後者ではないと信じたいので、たぶん前者なのでしょうね。困った話です。

誤解を避けるために付言すれば、「聖書が教義学を支える」と書きましたが、教義学を支えるのは聖書だけではありません。教会の伝統も、十分な意味で教義学の根拠です。それは歴史でもあり、哲学でもある。人間の理性的判断や素朴な感情、あるいは屈託ない空想や怪しげな妄想までも含みます。それらのものを排除するならば、教義学は成り立ちません。聖書テキストが明示していない事柄についても、教義学は遠慮なく踏み込み、独自の論理を展開することができます。それが禁じられるなら、教義学の存在意義はありません。

教義学の役割は、「神」をめぐるあらゆる問いや悩みをもつ人間に寄り添い、不断に対話することです。「○○という事件が起こった。△△という災害が発生した。それは神の裁きか。それは神の罰か。神とは何ものか」。このような問いを前にして、もし教義学者が「聖書に書いていないことについては沈黙する」という態度を貫くだけだとするなら、ただ愛想を尽かされるだけで、その人は二度と教義学者の部屋を訪ねようとしないでしょう。

反論や反発を予想しながら先回りして書いておきますが、「教義学を支えるのは聖書だけではない」と言うとたちまち「それはプロテスタントの聖書原理(sola scriptura)に反する」という意見が出てくる。しかし、そのまさに「プロテスタントは○○である」というテーゼこそがドグマティックなものです。もし聖書学者が「プロテスタントは『聖書のみ』である」というドグマを暗黙の前提にしながら自説を展開するならば、皮肉なことに、その聖書学者は悪い意味での独善論者に陥っているのです。

それに、これは前にも書いたことがありますが、プロテスタントの聖書原理(sola scriptura)そのものは、なんら単独で立っているわけではなく、「恵みのみ」(sola gratia)や「信仰のみ」(sola fidei)などと共に立っています。面白いことに、プロテスタントには「のみ」(solo)が、最低でも三つもあるんです。数学的論理に立つとすれば、「のみ」は一つでなければならないはずですがね。しかも、これら三つの「のみ」は互いに緊張関係にある。一元化できないんです。こういう矛盾を楽しむところに教義学の面白さがあるんじゃないでしょうか。

聖書学の成果を組織神学者は神学の発展に生かしているか

本日のことですが、一人の親しい先生からファン・ルーラーについてのご質問をいただきましたので、それにお答えしました。スカイプのチャット上のやりとりなので、文体はやや雑ではありますが、もしかしたら多くの方々が疑問に思っておられることかもしれませんので、質問者の許可を得て、ブログに公開させていただきます(公開用に若干編集しました)。

【質問】

聖霊論を論じた神学者は数々いますが、例えばファン・ルーラーの場合、バルトを超えようとした背景があると聞いています。他の神学者も、何かしらの背景は当然あります。

私が最近疑問に思っていることは、例えばファン・ルーラーなどの組織神学者が聖書学・聖書神学の発展をきちんと有効活用しているのかどうかです。言い換えれば、聖書学・聖書神学がきちんと組織神学に生きているのかどうかという単純な疑問です。もし私が誰かに聞かれたら、あれこれと周辺的なことを答えると思いますが、きっとストレートに答えられないと思います。

たとえばファン・ルーラーだったら、その時代の(あるいは彼が依拠した)聖書学・聖書神学のどの部分が彼の聖霊論の発展に貢献したのか。その点、関口先生はどんなふうにお考えになっているか質問をさせてください。

何となく最近の聖書学の進歩をあまり活用せず、過去の聖書学・聖書神学にたっている気がするのです。例えばファン・ルーラーが聖霊論を発展させたといっても、その発展のきっかけになっているのが聖書学・聖書神学ではなく、神学者のライバルだったり、時代の政治家だったり、それは正しく悪いことではないのですが、そればっかりのようなところが気になるのです。

【回答】

私はファン・ルーラーのことしか答えられませんが、彼の博士論文『律法の成就』(副題:神の啓示と現実存在との関係についての教義学的研究。出版年1947年)のほぼ半分(ページ数)は、純粋に聖書学・聖書神学的な考察です。

また、ファン・ルーラーがユトレヒト大学神学部でいちばん最初に教えたのは聖書学(旧約聖書学)でした。そして、その成果としてまとめられたのが、邦訳もある『キリスト教会と旧約聖書』です。

ファン・ルーラーの場合、確かに「バルト越え」の要素があると言えばありますが、これについては正確に理解していただく必要があります。

(1)ファン・ルーラーが子どもの頃から通っていた教会に赴任してきた若い牧師ハイチェマこそが、オランダ国内でいちばん最初にバルトにかぶれた神学者だった。そのハイチェマ牧師の影響をファン・ルーラーはギムナジウム時代に受けた。なぜならファン・ルーラーの信仰告白準備会(カテキズム)をハイチェマが担当したから。しかし、ハイチェマはその後、その教会を辞任し、フローニンゲン大学神学部の教授になる。

(2)幼い頃から「牧師になりたかった」ファン・ルーラーがギムナジウムを卒業してすぐに入学したフローニンゲン大学神学部の教義学の教授がハイチェマだった。それでファン・ルーラーは引き続き「バルトかぶれの」ハイチェマの影響下で神学教育を受ける。

(3)しかし、ファン・ルーラーはフローニンゲン大学を卒業後、牧師になってから、「ん?どうも変だな」とハイチェマを、そしてハイチェマの背後にいるバルトを疑いはじめる。バルトでは教会の現場の問題が解決しないと気づく。

(4)しかし、自分を教えた神学部の教授たちは「バルト狂」ばっかり。それで仕方なく、ファン・ルーラーは独学を始めた。孤独な独自研究によって新しい道を切り開かざるをえなかった、

というわけです。

しかし、ファン・ルーラーの「独学」は、実に徹底的でした。組織神学において徹底的だっただけではなく、聖書学においても徹底的でした。

『キリスト教会と旧約聖書』の日本語版はぜひとも購入して読んでいただきたいのですが、オランダの著名な旧約聖書学者フリーゼンも評価したことで知られる、非常に純粋で高度な聖書学論文です。ファン・ルーラーは、ヘブライ語とギリシア語がずば抜けてよくできましたし、フォン・ラートなども読み抜いていました。

『キリスト教会と旧約聖書』のテーマは、ある意味でものすごく単純なものです。要するに「旧約聖書をキリスト教会の書物として読みつつ、しかし同時に、旧約聖書を旧約聖書として読むとはどういうことか」を問うものだと言ってよいです。バルトのように「イエス・キリスト」というただ一点をめざすことだけが目標であるような書物として旧約聖書をとらえるのか、それとも、そうでないのか。

ただし、このコンテキストで登場するバルトは、ファン・ルーラーにとっては「ライバルだから叩く」という意図をもつ引用ではありません。「変なことを言ってるおっさん(バルト)がいるけど、あんまり気にしないでね」と、学生たちを諭しているだけです。

というわけで、本当に私はファン・ルーラーのことしかお答えできませんが、お尋ねくださった「聖書学の成果を組織神学者は神学の発展に生かしているか」という問いに対しては、ファン・ルーラーに限っては「ご心配なく!」と断言できると思っています。

何度もしつこく書くようですが、とにかく『キリスト教会と旧約聖書』読んでみてください。あの本が分からないと、ファン・ルーラーは分からない。それくらい重要かつ貴重な本です。

ファン・ルーラーに組織神学と聖書神学との両方の講義や著書があることについても、一応説明しておきます。

ファン・ルーラーの時代の正確な情報はつかみ切れていませんので若干憶測が交じりますが、彼らの場合、国立大学の神学部の中に「旧約聖書の教授」や「新約聖書の教授」がいても、それはもう純粋に歴史的・批評的・学問的な見地からのそれで、カトリックもプロテスタントもないし、一部はキリスト教かどうかさえ分からない面もあったかもしれない。

でも、そのような中でファン・ルーラーは「オランダ改革派教会担当教授」という肩書きを与えられて、教義学も倫理学も弁証学も、旧約聖書学も新約聖書学も、説教学も宣教学も礼拝学も、教会規程もカテキズムも教える教授だったんです。それはファン・ルーラーだけがそうだったわけではなく、ファン・ルーラーの頃からイミンク先生あたりまで続いた、長い間の制度でした。

この「オランダ改革派教会担当教授」という役職(ポスト)は、学問でのし上がってきたような人が就く所ではなく、オランダ改革派教会の大会が選挙でえらぶ純粋に「教会的な」教授職だったので、大学の教授会では「疎ましい」存在だったんです。だから、ファン・ルーラーもユトレヒト大学で教えはじめた最初の頃に「教授会の全員から無視される」という陰湿な仕打ちを受けたと、ファン・ルーラーの伝記(短い論文ですが)に書いてあります。


2011年6月21日火曜日

ペンネームが欲しい

気が散っている証拠だと思いますが、このところ妙な考えがいろいろと浮かんできます。昨夜アップした「短編小説」も大混乱状態の表れだと見ていただけば、そのとおりですから。

ちなみに、昨日は「東関東中会 東日本大震災被災教会緊急支援特別委員会」でした。書記を仰せつかっているので、連日メールのラッシュです。

朝早くから起きて議案書作成。とんでもなく分厚くなった書類のホッチキスどめが終わったのが午後四時頃でした。

すぐに自動車に飛び乗って、会議が行なわれる稲毛海岸教会(千葉市)まで、高速を使っても約一時間半の道を、捕まらない程度のスピードでぶっ飛ばす。夕食は、会場近くのセブンイレブンで買った380円の幕の内弁当を、車内で食べました。

会議の開始は午後六時。出席者は12名。午後十時近くまでやっていました。帰宅は深夜零時過ぎ。家族は就寝後でした。

でも、これしき、まさか苦労でも何でもありません。大震災(地震、津波、原発事故)の被災地の方々に、ほんの少しでもお役に立ちたいと願う一心です。

しかし、こういうとき、自分がどういうバランス感覚の持ち主なのかは評価しづらいのですが、とにかくなんやかんやと書きたくなるところがあって困ります。

まあ、もちろんね、こういうときはたわいない(「他愛無い」は当て字ですよと辞書にかいてあります)ことしか書けないのですが、あのね、「他愛」(たあい)のあることなんか書けるかよ、というか、そういうこと(他愛のあること)を書きうる時間が残されていることを「ひま」と言うのであって、そういうことを書くこと自体が「仕事」だろ、と言いたくなります。

でも、そう、たわいないことを書きたいときのペンネームが欲しくなりますね、こういうときは。

先週火曜日から木曜日までは浜名湖畔の研修施設で二泊三日の缶詰会議でしたが、八か月ぶりに会った人たちから口々に「太った、太った」の大合唱。

ちっ、あのね、その人たちにも言いましたが、私の45年の人生の中で痩せてたときなんて数分も無いんだってーの。何を言われてんだか分かんないのですよ、実際問題としてね。通り魔に遭った気分ですね。

それはともかくね、傍目から見ると(八か月前より)太ったらしいので、「肉口 康」とか「肉 愚痴屋 寿司」とかね、そういうペンネームもいいかなと、冷や汗をたらしながら、朝から考えているところです。

もう、どうでもいいや。

先々週からカラ咳止まらんしね(放射能の影響でないことだけを望む)。今日も書類の山との戦いです。どれくらい減らせるんでしょうか。げほんげほん。

短編小説「腹が立つほど楽しい毎日」

今日一日、私はどのように過ごしたでしょうか。

午前中ずっと布団の中にいました。もうとにかく、こんこんと。目覚まし時計の爆音も聞こえないほどに。あはは、目覚まし時計、一個も持っていませんけどね。

しかし、そのあいだ、ひたすら考え続けました。眠っているときの私が最も哲学者なのです。「学問は人が何もしていないときこそ進歩する」と誰が書いていたかは忘れました。

アルコールは飲みません、全くね。ついでにいえば、入眠剤も飲まない。かわりに口にするのは、ひたすらウーロン茶です。一日二リットル、毎日二リットル。私のからだから福建省の香りがすると、よく言われます。

水がわりです。水は放射能で汚染されているからです。蛇口から出てくるものは常に毒薬です。

起きたのは午後一時でした。最初にしたことは欠伸です。次にしたことは背伸びです。その次は大便。

それから風呂に入りました。丸一時間、湯ぶねで泳いでいました。死ぬほど生ぬるいんですけどね。だって、夜じゅうポタポタと、蛇口から毒薬が落ち続けていましたから。握力が弱いんです。だから水道代が毎月高い。

パソコンの電源ボタンを押したのは午後三時でした。その直前にコンビニまで自動車を走らせて、「しゃきしゃきレタス」サンドイッチと、サラダと、「焙煎ごま」ドレッシングと、またウーロン茶を買ってきて、それらを頬張り、がぶ飲みしながらアルファベットばかりの初期画面を眺めていました。

そして何をしたか。何もしませんでした。メールは一通も来ませんでした。来るはずないじゃないですか。だって、世のため人のために働いてないんだもの。だれも私に期待していない。期待されても困るんです。だって、何もできないんだもの。

気が付いたら午後七時でした。テレビをつけました。また放射能の話です。怖くなったので、すぐに消しました。

しんとした室内に「ごそごそ」というおぞましい音が響きました。どうやら鼠が住んでいるんです。まあ、でも天井裏にいてくれるので、私の人生にはとりあえず関係ありません。家族の一員だとは思わないけど、死んでほしいとも思わない。「どうぞ、ご自由に。」

元気が出てきたのは午後十時を過ぎる頃でした。これから何をなすべきかと、卸したての大学ノートを開き、鉛筆の先をなめました。おっと、こういう場合は消しゴムが必要だよね、と急に思い立ち、またコンビニまで自動車を走らせました。書斎の机のうえには、ノートと、消しゴムと、命より大切な一枚の写真。

こんな感じの充実した一日でした。だれにも会わず、何もしませんでした。

おやすみなさい。さようなら。

(必ず誤解する人がいるので一応書いておきますが、フィクションですからね、これは。ここ数日、仕事の合間に村上春樹さんの小説を読んでいるので、ちょっとだけ触発されました。そろそろ病気かもしれません。)


2011年6月19日日曜日

教会の祈りと個人の祈り

PDF版はここをクリックしてください。

松戸小金原教会2011年度第二回勉強会発題

はじめに

御承知のとおり、3月20日(日)に予定していた今年度の教会勉強会の第一回目は、3月11日(金)に発生した東日本大震災を考慮して中止しました。そのときにお話ししようと思っていた内容の一部を『まきば』370号に載せました。しかし、まだ何の解説もしていませんので、『まきば』に書いたことから今日の話を始めさせていただきます。

1、「祈りが苦手」な理由

率直なところから申し上げますと、今年度の教会勉強会の総合テーマを「祈り」にしましょうと教会学校委員会で決めたとき各委員の念頭にあったのは、わたしたちの教会の中におられる受洗してまだ日の浅い方、しかも高齢になられてから受洗された方の中に「わたしはお祈りが苦手です」とおっしゃる方々が数名おられるということについて、教会として無策であってよいだろうかという問いでした。

「お祈りが苦手」という方々の気持ちは、私にはよく分かります。実をいえば、痛いほど分かってしまいます。こういうことは、牧師という立場にある人間が言うべきことではないかもしれませんが、しかし、やはり黙っていることができません。あくまでも私の勝手な想像ですが、「お祈りが苦手」とお感じの方々は、おそらく、お祈りというものを唱えている御自身の姿が恥ずかしいものだと感じておられるのです。

わたしたちの場合、当然のことながら、改革派教会としての独特の祈りのスタイルを持っています。第一の特徴は、いくらか逆説的な言い方になりますが、目に見える形を持ついかなるもの(祭壇や神像や奉納物やアクセサリーなど)も拝まないという祈り方です。それは、改革派教会だけではなく、プロテスタント教会全般にも当てはまることです。いずれにせよわたしたちは、目に見えるものに向かって拝礼するというような形を全くとりません。そうであることが改革派的・プロテスタント的な祈りの形の特徴であると言えます。

するとどうなるか。わたしたちは、そこに何もない空中に向かって、わたしたちの祈る言葉をどなたが聴いてくださっているかについての物理的な確証(?)など一切持つことができないまま、“まるで独り言をブツブツつぶやいているかのように”祈るのです。その姿はスタイリッシュであることの正反対です。「なんともサマにならない、不格好な」祈り方なのです。そういうのは心理的に耐えがたいと感じる方がおられるのは、無理もないことなのです。

わたしたちの祈りの第二の特徴は、その内容が「お願い」だけではないということです。わたしたちの祈りには、神への賛美、神の恵みへの感謝、罪の告白などの要素があります。しかし、それだけでもなく、わたしたちの場合、祈りをささげている相手(神さま)が目に見えないお方ですので、いわばその分だけ「言葉で神さまのお姿を描き出すように」祈ります。神さまとは、そもそもこういうお方であると祈ります。天におられる神である、と。恵みと憐みに富んでおられる神である、と。実際に自分の目で見たことがあるわけではない「神」という方のお姿を、もちろん聖書の御言葉に基づいてではありますが、“まるで自分のこの目で見てきたかのように”祈るのです。おそらくその姿は、科学実証主義の教育を受けてきた人々の知性や感性に著しく対立するものです。自分の目で見たこともない存在については何も語ることができないと考えてきた人々にとって、改革派的・プロテスタント的祈りは心理的に耐えられないものかもしれないということは、私自身にとっても、十分に共感できる話なのです。

2、祈りには「話し相手」が存在する

しかし、(私自身を含む)わたしたちは、お祈りが苦手であるという状態をなんとかして乗り越え、克服しなくてはなりません。そのこと――苦手の克服――こそが今年度の教会勉強会においてわたしたちに(神から)与えられた宿題です。そのために、そもそも祈りとは何なのかということ、つまり、祈りの本質というものを、真剣に考えてみなくてはなりません。

そのために参考になるかもしれない文章をご紹介いたします。それは再び(例によって)オランダ改革派教会の神学者A. A. ファン・ルーラーの文章です。ファン・ルーラーが「主の祈り」について語った1953年の説教集『われらの父よ』(Het Onze Vader, Nijkerk, 1953) の中の一文です。

「キリストがわたしたちにお命じになったことは、神に向かって『われらの父よ』と言いなさいということです。これでお分かりいただけることは、すべての正しい祈りには“話し相手”が存在するということです。わたしたちは何ものかに向かって祈るのです。祈りとは神へと語りかけることです。祈りは夢の中を漂うことではありません。あるいはそれは、夢中になって無限の宇宙の中へと自分の魂を注ぎ出すことでもありません。あるいはまた、人間の内面的な心の動きのようなものでもありません。祈りとは神へと語りかけることです。わたしが神の御前に立つことです。個人として、または教会の一員として、わたしが神の御前に立つのです。そして、わたしは神と語り合うのです。つまり、祈りとは“対話”なのです」 。

このファン・ルーラーの短い言葉の中に、祈りについてわたしたちが学ぶべき重要な点がいくつもあります。

第一に、キリスト教会のすべての祈りには、イエス・キリストが命じられた「祈り方」がある、ということです。それは、神に向かって「われらの父よ」と呼びかける、という祈り方です。その場合、わたしたちにとっては「わたしの父」ではなく「われらの父」であると呼びかけるべきであるという点が重要です。神は全人類の創造者であるという意味での彼らの父でもありますが、同時に「われらの父よ」と祈る者たちの父であろうとしてくださいます。神を信じる者以外は「神に」祈らないわけですから、今申し上げた「神は祈る者たちの父である」とは「神は信者の父でもある」ということを意味します。しかし、信者は個人ではなく、常に信仰共同体と共に、すなわち、教会と共に祈ります。「われらの父よ」と祈るとき、わたしたちは常に共同体としての教会を意識するのです。つまり別の言い方をすれば、わたしたちが教会との関係を嫌がって、自分の部屋に独りで引きこもって「われらの父よ」と祈ることは矛盾であるということでもあります。イエス・キリストが教えられたとおりに祈るならば、(教会の祈りを抜きにした)個人の祈りというものは、そもそも言葉の矛盾に近いものであるということに気づかされるのです。

しかし、ファン・ルーラーの言葉から学びうる第二の点は、彼自身が強調しているように、すべての祈りには「話し相手」が存在する、ということです。そして、その「話し相手」とは、もちろん、神御自身だということです。しかし、ここで難しい問題が生じます。先ほど私は、祈りとは本質的に「われらの父よ」と神に呼びかけるものである以上、常に共同体を意識しながら行われるものであると申しました。そのこと自体は丁寧に説明すればお分かりいただけることでしょう。ところが、ここで生じる難しい問題とはどういうものか。共同体の中で祈るわたしたちの「話し相手」は、共同体の内側の「人間」ではなく、あくまでも共同体の外側におられる「神」であるということです。それはつまり、わたしたちの祈りは「人に聞かせるもの」ではなく「神に聞いていただくもの」であるということです。「ひとまえで祈るのは緊張する」という話をよく聞きますが、その気持ちは理解できないものではないとしても、その考え方自体は根本的に間違っているのです。祈りは人に聞かせるものではないからです。まして、祈りの言葉をもってその場にいる他のだれかを批判するとか、当てこすりや皮肉を述べるなどというのは論外中の論外です。邪道と言う他はありません。「人に聞かせてやろう。あの人に聞かせてやろう。この際、言いたいことを言っておこう」というその意識が、祈りの本質に反しています。そのようなやり方は、祈りにおける「話し相手」を間違えている態度なのです。

しかしまた、第三点として――しかし、ここから先はファン・ルーラーが述べていることから離れますが――わたしたちの祈りの「話し相手」はたしかに神であるけれども、その祈りをささげる場には多くの兄弟姉妹が共にいる、ということも同時に意識しなければならないことだということも事実です。祈りは「人に聞かせるもの」ではありませんが、だからといって、あなたの祈りを共に聞いている人々に理解できる言葉でなくてもよい、ということではありません。「何を祈りたいのか」を明確にすることが必要です。そのために、祈りの原稿を書き、何度も推敲することが大切です。あるいは、祈りが「言葉」であるならば、その祈りには「その言葉を語りはじめてから語り終えるまでの時間」が必要ですから、長々とした祈りによって共に集まっている兄弟姉妹たちの時間を浪費してはなりません。もし教会で祈ることが求められたときには、よく準備された簡潔な祈祷文を読み上げることによって、論理と時間の整理を図ることを検討していただきたく願っています。

3、教会の祈りと個人の祈り

ところで、今日の第二回勉強会のテーマとして考えたのは「教会の祈りと個人の祈り(の違い)」ということでした。「教会の祈り」とは、先ほどから申し上げている言葉で言い直せば「共同体の祈り」です。つまり「われらの祈り(Our prayer)」です。それに対して「個人の祈り」とは「わたしの祈り(My prayer)」です。この両者の違いを考えてみようというのが今日の目標として考えたことでした。

しかし、拍子抜けさせてしまうかもしれないことをあえて申せば、両者に本質的な違いがあるわけではありません。祈りは祈りです。「神への語りかけ」であることにおいても、「神との対話」であることにおいても、変わりはありません。

しかし、強いて両者の違いを挙げるとしたら、神に願う事柄の内容や規模や方向性であると言えるかもしれません。「わたしの祈り」(個人の祈り)の中では、自分のこと、家族のこと、友人のこと、職場のこと、地域社会のことについて、具体的に、場合によっては実名を挙げて、祈ってもよいし、祈らなければなりません。そういう祈りでなければ、個人として祈る意味がほとんどないと言っても過言ではありません。徹底的に「私事(わたくしごと)について祈ること」が「わたしの祈り」です。しかし、それは個人情報(プライバシー)を含むことですので、門外不出にしなくてはなりません。あなたの心の中だけにしまっておかなくてはなりません。

これと区別される必要があるのが「われらの祈り」(教会の祈り)です。その中では、自分のこと、家族のこと、友人のこと、職場のこと、地域社会のことについて、具体的に、あるいは実名を挙げて祈ることについては、慎重でなければなりません。それは日曜日の礼拝の場だけではなく、水曜日の祈祷会の場でも同じです。礼拝や祈祷会を個人情報の暴露の場にしてはいけません。「教会の中のあのことも、このことも、私は知っている」というアピールの場にすることも慎まなくてはなりません。これは松戸小金原教会で見かけた実例ではなく、一般論として申し上げています。

しかし、それでは「われらの祈り」(教会の祈り)においてわたしたちは、どのようなことを祈ればよいのでしょうか。それは、おそらく、同心円的に考えていくことがいちばん捉えやすいでしょう。わたしたちにとっての同心円の、いちばん小さな内円は「松戸小金原教会」です。次は「東関東中会」、その次は「日本キリスト改革派教会」です。さらに日本と世界の中で協力関係にある改革派・長老派諸教会、そして、教派を越えたすべてのキリスト教会のことを祈るべきです。

しかしまた、わたしたちは教会のことだけを祈るわけではなく、教会の外なる世界のためにも当然祈ります。日本のため、アジア諸国のため、そして国際社会全体のために祈ります。その中には当然、キリスト者以外の人々も含まれています。わたしたちは、キリスト者のことだけを祈るのではなく、他の宗教、他の信仰の持ち主のためにも祈ってよいのです。

ただしその場合、わたしたちが真剣に考えるべきことは、他の宗教の人々のために、わたしたちが何を祈るべきかです。私の考えでは、彼らの「救い」を祈ること、すなわちそれは、彼らがイエス・キリストへの信仰を告白し、洗礼を受けること、それによって、彼らがそれまでの「神」から離れて生きるようになることを祈ること、以外にありません。

そこには戦いがあり、悩みや葛藤が伴います。しかし、その祈りを教会はやめることができない。個人としてのわたしたちは、家族や友人や地域社会の中で圧倒的に弱く無力な存在であるということをしばしば自覚させられます。教会もまた、社会的な団体としては(人数や経済力の観点から見れば)、無力そのものです。

しかし、教会は「祈ることをやめない」ことにおいて、無力ではないのです。個人が「言葉を失う」体験を味わい、祈りの言葉を喪失しそうなときにも、個人の弱さを教会が補うのです。「教会の祈り」と「個人の祈り」の関係とは、いわばそういうものです。

(2011年6月19日)


2011年6月18日土曜日

『風の歌を聴け』(1979年)読了

まずは一冊目、『風の歌を聴け』(1979年)、たった今、読了しました。

これは面白いですよ。村上を読める年齢に私がやっとなったようだ、という感覚です。たぶんひたすら幼稚すぎたんですね。「好き」とも「嫌い」とも思っていませんでしたよ、書いたとおり「読んだことがない」だけでした。

そうね、強いていえば、「全共闘世代」(なんてふうにひとくくりにすると怒られるかもしれませんが)の「連中」に興味がなかった、というか、どこかしら嫌悪感をもった少年だった、ということはあるかもしれない。「連中」の言い草に不信感をもっていた、かな。

でも、いま、その「彼らの思い」を一部共有できるようになって来ているのかもしれない。彼らの政治思想とか哲学とか、そういうのではなくて。まだ上手く言葉にできませんが、無力さの自覚というか、ね。