2011年6月22日水曜日

聖書学と教義学の関係について

聖書学と教義学の関係という問題については、ファン・ルーラー自身が書いた「聖書学との比較における教義学の方法と可能性」というドンピシャの論文があります。だいぶ前に最初のほうだけ訳しましたが、多忙にかまけて放置したままです。非常に重要な論文であることは間違いありません。

その論文に「教義学から聖書学へという順序もある」という興味深いテーゼがあります。「教義学の土台となっている聖書学」という、多くの人はおそらくこのように考えてきたであろう順序の逆、つまり「聖書学の土台となっている教義学」という順序もあるのだということをファン・ルーラーは明言しています。

実際問題として、私もそのとおりだと考えています。教義学の土台が「聖書」であることは確実ですが、しかし「聖書学」ではないと思います。「聖書学」こそが非常に独善的(ドグマティック)であることが十分にありえます。教義学は聖書学に幻惑されすぎないほうがよいと、私はファン・ルーラーを読みはじめるよりもずっと前から考えてきました。聖書学だけが進歩していて教義学はいつも後追いしているというような見方は(そのような見方がもしあるとしたら)、完全な事実誤認であるし、教義学というものをなめすぎなんです。教義学が不動で不自由な体系だったことなど、いまだかつて一度もないですよ。そう思い込んでいる人がいるとしたら、教義学をちゃんと学んだことがないんです。

教義学をさらに豊かに展開していくために、「聖書学」(≠聖書)の力を借りる必要なんか無いですよ。ていうか、そういう教義学ならば、もうずいぶん前から始まっているし、そろそろもう十分やっただろ、という域に達しつつあるんです。その典型がモルトマンですよ。モルトマンの最初期の論文は「神義論」とか「聖徒堅忍論」とかきわめて保守的な改革派教義学を題材にしたものでしたが、そこから出発して、現代の聖書学との徹底的な対話を経て、現在の彼の神学がある。たとえば日本キリスト改革派教会は、あのモルトマンの神学のようなものでやれるでしょうか。私にはとても信じがたい。

「聖書が教義学を支える」は当然の話です。しかし「聖書学が教義学を支える」という関係にはないと言っているだけです。もしそういうふうに言い張る聖書学者がいるのだとしたら(いるかどうかは知りません)、その聖書学者自身が「神学」の何たるかをそもそも誤解しているのか、そうでなければ学生たちを罠にかけているかのどちらかなんです。まさか後者ではないと信じたいので、たぶん前者なのでしょうね。困った話です。

誤解を避けるために付言すれば、「聖書が教義学を支える」と書きましたが、教義学を支えるのは聖書だけではありません。教会の伝統も、十分な意味で教義学の根拠です。それは歴史でもあり、哲学でもある。人間の理性的判断や素朴な感情、あるいは屈託ない空想や怪しげな妄想までも含みます。それらのものを排除するならば、教義学は成り立ちません。聖書テキストが明示していない事柄についても、教義学は遠慮なく踏み込み、独自の論理を展開することができます。それが禁じられるなら、教義学の存在意義はありません。

教義学の役割は、「神」をめぐるあらゆる問いや悩みをもつ人間に寄り添い、不断に対話することです。「○○という事件が起こった。△△という災害が発生した。それは神の裁きか。それは神の罰か。神とは何ものか」。このような問いを前にして、もし教義学者が「聖書に書いていないことについては沈黙する」という態度を貫くだけだとするなら、ただ愛想を尽かされるだけで、その人は二度と教義学者の部屋を訪ねようとしないでしょう。

反論や反発を予想しながら先回りして書いておきますが、「教義学を支えるのは聖書だけではない」と言うとたちまち「それはプロテスタントの聖書原理(sola scriptura)に反する」という意見が出てくる。しかし、そのまさに「プロテスタントは○○である」というテーゼこそがドグマティックなものです。もし聖書学者が「プロテスタントは『聖書のみ』である」というドグマを暗黙の前提にしながら自説を展開するならば、皮肉なことに、その聖書学者は悪い意味での独善論者に陥っているのです。

それに、これは前にも書いたことがありますが、プロテスタントの聖書原理(sola scriptura)そのものは、なんら単独で立っているわけではなく、「恵みのみ」(sola gratia)や「信仰のみ」(sola fidei)などと共に立っています。面白いことに、プロテスタントには「のみ」(solo)が、最低でも三つもあるんです。数学的論理に立つとすれば、「のみ」は一つでなければならないはずですがね。しかも、これら三つの「のみ」は互いに緊張関係にある。一元化できないんです。こういう矛盾を楽しむところに教義学の面白さがあるんじゃないでしょうか。

聖書学の成果を組織神学者は神学の発展に生かしているか

本日のことですが、一人の親しい先生からファン・ルーラーについてのご質問をいただきましたので、それにお答えしました。スカイプのチャット上のやりとりなので、文体はやや雑ではありますが、もしかしたら多くの方々が疑問に思っておられることかもしれませんので、質問者の許可を得て、ブログに公開させていただきます(公開用に若干編集しました)。

【質問】

聖霊論を論じた神学者は数々いますが、例えばファン・ルーラーの場合、バルトを超えようとした背景があると聞いています。他の神学者も、何かしらの背景は当然あります。

私が最近疑問に思っていることは、例えばファン・ルーラーなどの組織神学者が聖書学・聖書神学の発展をきちんと有効活用しているのかどうかです。言い換えれば、聖書学・聖書神学がきちんと組織神学に生きているのかどうかという単純な疑問です。もし私が誰かに聞かれたら、あれこれと周辺的なことを答えると思いますが、きっとストレートに答えられないと思います。

たとえばファン・ルーラーだったら、その時代の(あるいは彼が依拠した)聖書学・聖書神学のどの部分が彼の聖霊論の発展に貢献したのか。その点、関口先生はどんなふうにお考えになっているか質問をさせてください。

何となく最近の聖書学の進歩をあまり活用せず、過去の聖書学・聖書神学にたっている気がするのです。例えばファン・ルーラーが聖霊論を発展させたといっても、その発展のきっかけになっているのが聖書学・聖書神学ではなく、神学者のライバルだったり、時代の政治家だったり、それは正しく悪いことではないのですが、そればっかりのようなところが気になるのです。

【回答】

私はファン・ルーラーのことしか答えられませんが、彼の博士論文『律法の成就』(副題:神の啓示と現実存在との関係についての教義学的研究。出版年1947年)のほぼ半分(ページ数)は、純粋に聖書学・聖書神学的な考察です。

また、ファン・ルーラーがユトレヒト大学神学部でいちばん最初に教えたのは聖書学(旧約聖書学)でした。そして、その成果としてまとめられたのが、邦訳もある『キリスト教会と旧約聖書』です。

ファン・ルーラーの場合、確かに「バルト越え」の要素があると言えばありますが、これについては正確に理解していただく必要があります。

(1)ファン・ルーラーが子どもの頃から通っていた教会に赴任してきた若い牧師ハイチェマこそが、オランダ国内でいちばん最初にバルトにかぶれた神学者だった。そのハイチェマ牧師の影響をファン・ルーラーはギムナジウム時代に受けた。なぜならファン・ルーラーの信仰告白準備会(カテキズム)をハイチェマが担当したから。しかし、ハイチェマはその後、その教会を辞任し、フローニンゲン大学神学部の教授になる。

(2)幼い頃から「牧師になりたかった」ファン・ルーラーがギムナジウムを卒業してすぐに入学したフローニンゲン大学神学部の教義学の教授がハイチェマだった。それでファン・ルーラーは引き続き「バルトかぶれの」ハイチェマの影響下で神学教育を受ける。

(3)しかし、ファン・ルーラーはフローニンゲン大学を卒業後、牧師になってから、「ん?どうも変だな」とハイチェマを、そしてハイチェマの背後にいるバルトを疑いはじめる。バルトでは教会の現場の問題が解決しないと気づく。

(4)しかし、自分を教えた神学部の教授たちは「バルト狂」ばっかり。それで仕方なく、ファン・ルーラーは独学を始めた。孤独な独自研究によって新しい道を切り開かざるをえなかった、

というわけです。

しかし、ファン・ルーラーの「独学」は、実に徹底的でした。組織神学において徹底的だっただけではなく、聖書学においても徹底的でした。

『キリスト教会と旧約聖書』の日本語版はぜひとも購入して読んでいただきたいのですが、オランダの著名な旧約聖書学者フリーゼンも評価したことで知られる、非常に純粋で高度な聖書学論文です。ファン・ルーラーは、ヘブライ語とギリシア語がずば抜けてよくできましたし、フォン・ラートなども読み抜いていました。

『キリスト教会と旧約聖書』のテーマは、ある意味でものすごく単純なものです。要するに「旧約聖書をキリスト教会の書物として読みつつ、しかし同時に、旧約聖書を旧約聖書として読むとはどういうことか」を問うものだと言ってよいです。バルトのように「イエス・キリスト」というただ一点をめざすことだけが目標であるような書物として旧約聖書をとらえるのか、それとも、そうでないのか。

ただし、このコンテキストで登場するバルトは、ファン・ルーラーにとっては「ライバルだから叩く」という意図をもつ引用ではありません。「変なことを言ってるおっさん(バルト)がいるけど、あんまり気にしないでね」と、学生たちを諭しているだけです。

というわけで、本当に私はファン・ルーラーのことしかお答えできませんが、お尋ねくださった「聖書学の成果を組織神学者は神学の発展に生かしているか」という問いに対しては、ファン・ルーラーに限っては「ご心配なく!」と断言できると思っています。

何度もしつこく書くようですが、とにかく『キリスト教会と旧約聖書』読んでみてください。あの本が分からないと、ファン・ルーラーは分からない。それくらい重要かつ貴重な本です。

ファン・ルーラーに組織神学と聖書神学との両方の講義や著書があることについても、一応説明しておきます。

ファン・ルーラーの時代の正確な情報はつかみ切れていませんので若干憶測が交じりますが、彼らの場合、国立大学の神学部の中に「旧約聖書の教授」や「新約聖書の教授」がいても、それはもう純粋に歴史的・批評的・学問的な見地からのそれで、カトリックもプロテスタントもないし、一部はキリスト教かどうかさえ分からない面もあったかもしれない。

でも、そのような中でファン・ルーラーは「オランダ改革派教会担当教授」という肩書きを与えられて、教義学も倫理学も弁証学も、旧約聖書学も新約聖書学も、説教学も宣教学も礼拝学も、教会規程もカテキズムも教える教授だったんです。それはファン・ルーラーだけがそうだったわけではなく、ファン・ルーラーの頃からイミンク先生あたりまで続いた、長い間の制度でした。

この「オランダ改革派教会担当教授」という役職(ポスト)は、学問でのし上がってきたような人が就く所ではなく、オランダ改革派教会の大会が選挙でえらぶ純粋に「教会的な」教授職だったので、大学の教授会では「疎ましい」存在だったんです。だから、ファン・ルーラーもユトレヒト大学で教えはじめた最初の頃に「教授会の全員から無視される」という陰湿な仕打ちを受けたと、ファン・ルーラーの伝記(短い論文ですが)に書いてあります。


2011年6月21日火曜日

ペンネームが欲しい

気が散っている証拠だと思いますが、このところ妙な考えがいろいろと浮かんできます。昨夜アップした「短編小説」も大混乱状態の表れだと見ていただけば、そのとおりですから。

ちなみに、昨日は「東関東中会 東日本大震災被災教会緊急支援特別委員会」でした。書記を仰せつかっているので、連日メールのラッシュです。

朝早くから起きて議案書作成。とんでもなく分厚くなった書類のホッチキスどめが終わったのが午後四時頃でした。

すぐに自動車に飛び乗って、会議が行なわれる稲毛海岸教会(千葉市)まで、高速を使っても約一時間半の道を、捕まらない程度のスピードでぶっ飛ばす。夕食は、会場近くのセブンイレブンで買った380円の幕の内弁当を、車内で食べました。

会議の開始は午後六時。出席者は12名。午後十時近くまでやっていました。帰宅は深夜零時過ぎ。家族は就寝後でした。

でも、これしき、まさか苦労でも何でもありません。大震災(地震、津波、原発事故)の被災地の方々に、ほんの少しでもお役に立ちたいと願う一心です。

しかし、こういうとき、自分がどういうバランス感覚の持ち主なのかは評価しづらいのですが、とにかくなんやかんやと書きたくなるところがあって困ります。

まあ、もちろんね、こういうときはたわいない(「他愛無い」は当て字ですよと辞書にかいてあります)ことしか書けないのですが、あのね、「他愛」(たあい)のあることなんか書けるかよ、というか、そういうこと(他愛のあること)を書きうる時間が残されていることを「ひま」と言うのであって、そういうことを書くこと自体が「仕事」だろ、と言いたくなります。

でも、そう、たわいないことを書きたいときのペンネームが欲しくなりますね、こういうときは。

先週火曜日から木曜日までは浜名湖畔の研修施設で二泊三日の缶詰会議でしたが、八か月ぶりに会った人たちから口々に「太った、太った」の大合唱。

ちっ、あのね、その人たちにも言いましたが、私の45年の人生の中で痩せてたときなんて数分も無いんだってーの。何を言われてんだか分かんないのですよ、実際問題としてね。通り魔に遭った気分ですね。

それはともかくね、傍目から見ると(八か月前より)太ったらしいので、「肉口 康」とか「肉 愚痴屋 寿司」とかね、そういうペンネームもいいかなと、冷や汗をたらしながら、朝から考えているところです。

もう、どうでもいいや。

先々週からカラ咳止まらんしね(放射能の影響でないことだけを望む)。今日も書類の山との戦いです。どれくらい減らせるんでしょうか。げほんげほん。

短編小説「腹が立つほど楽しい毎日」

今日一日、私はどのように過ごしたでしょうか。

午前中ずっと布団の中にいました。もうとにかく、こんこんと。目覚まし時計の爆音も聞こえないほどに。あはは、目覚まし時計、一個も持っていませんけどね。

しかし、そのあいだ、ひたすら考え続けました。眠っているときの私が最も哲学者なのです。「学問は人が何もしていないときこそ進歩する」と誰が書いていたかは忘れました。

アルコールは飲みません、全くね。ついでにいえば、入眠剤も飲まない。かわりに口にするのは、ひたすらウーロン茶です。一日二リットル、毎日二リットル。私のからだから福建省の香りがすると、よく言われます。

水がわりです。水は放射能で汚染されているからです。蛇口から出てくるものは常に毒薬です。

起きたのは午後一時でした。最初にしたことは欠伸です。次にしたことは背伸びです。その次は大便。

それから風呂に入りました。丸一時間、湯ぶねで泳いでいました。死ぬほど生ぬるいんですけどね。だって、夜じゅうポタポタと、蛇口から毒薬が落ち続けていましたから。握力が弱いんです。だから水道代が毎月高い。

パソコンの電源ボタンを押したのは午後三時でした。その直前にコンビニまで自動車を走らせて、「しゃきしゃきレタス」サンドイッチと、サラダと、「焙煎ごま」ドレッシングと、またウーロン茶を買ってきて、それらを頬張り、がぶ飲みしながらアルファベットばかりの初期画面を眺めていました。

そして何をしたか。何もしませんでした。メールは一通も来ませんでした。来るはずないじゃないですか。だって、世のため人のために働いてないんだもの。だれも私に期待していない。期待されても困るんです。だって、何もできないんだもの。

気が付いたら午後七時でした。テレビをつけました。また放射能の話です。怖くなったので、すぐに消しました。

しんとした室内に「ごそごそ」というおぞましい音が響きました。どうやら鼠が住んでいるんです。まあ、でも天井裏にいてくれるので、私の人生にはとりあえず関係ありません。家族の一員だとは思わないけど、死んでほしいとも思わない。「どうぞ、ご自由に。」

元気が出てきたのは午後十時を過ぎる頃でした。これから何をなすべきかと、卸したての大学ノートを開き、鉛筆の先をなめました。おっと、こういう場合は消しゴムが必要だよね、と急に思い立ち、またコンビニまで自動車を走らせました。書斎の机のうえには、ノートと、消しゴムと、命より大切な一枚の写真。

こんな感じの充実した一日でした。だれにも会わず、何もしませんでした。

おやすみなさい。さようなら。

(必ず誤解する人がいるので一応書いておきますが、フィクションですからね、これは。ここ数日、仕事の合間に村上春樹さんの小説を読んでいるので、ちょっとだけ触発されました。そろそろ病気かもしれません。)


2011年6月19日日曜日

教会の祈りと個人の祈り

PDF版はここをクリックしてください。

松戸小金原教会2011年度第二回勉強会発題

はじめに

御承知のとおり、3月20日(日)に予定していた今年度の教会勉強会の第一回目は、3月11日(金)に発生した東日本大震災を考慮して中止しました。そのときにお話ししようと思っていた内容の一部を『まきば』370号に載せました。しかし、まだ何の解説もしていませんので、『まきば』に書いたことから今日の話を始めさせていただきます。

1、「祈りが苦手」な理由

率直なところから申し上げますと、今年度の教会勉強会の総合テーマを「祈り」にしましょうと教会学校委員会で決めたとき各委員の念頭にあったのは、わたしたちの教会の中におられる受洗してまだ日の浅い方、しかも高齢になられてから受洗された方の中に「わたしはお祈りが苦手です」とおっしゃる方々が数名おられるということについて、教会として無策であってよいだろうかという問いでした。

「お祈りが苦手」という方々の気持ちは、私にはよく分かります。実をいえば、痛いほど分かってしまいます。こういうことは、牧師という立場にある人間が言うべきことではないかもしれませんが、しかし、やはり黙っていることができません。あくまでも私の勝手な想像ですが、「お祈りが苦手」とお感じの方々は、おそらく、お祈りというものを唱えている御自身の姿が恥ずかしいものだと感じておられるのです。

わたしたちの場合、当然のことながら、改革派教会としての独特の祈りのスタイルを持っています。第一の特徴は、いくらか逆説的な言い方になりますが、目に見える形を持ついかなるもの(祭壇や神像や奉納物やアクセサリーなど)も拝まないという祈り方です。それは、改革派教会だけではなく、プロテスタント教会全般にも当てはまることです。いずれにせよわたしたちは、目に見えるものに向かって拝礼するというような形を全くとりません。そうであることが改革派的・プロテスタント的な祈りの形の特徴であると言えます。

するとどうなるか。わたしたちは、そこに何もない空中に向かって、わたしたちの祈る言葉をどなたが聴いてくださっているかについての物理的な確証(?)など一切持つことができないまま、“まるで独り言をブツブツつぶやいているかのように”祈るのです。その姿はスタイリッシュであることの正反対です。「なんともサマにならない、不格好な」祈り方なのです。そういうのは心理的に耐えがたいと感じる方がおられるのは、無理もないことなのです。

わたしたちの祈りの第二の特徴は、その内容が「お願い」だけではないということです。わたしたちの祈りには、神への賛美、神の恵みへの感謝、罪の告白などの要素があります。しかし、それだけでもなく、わたしたちの場合、祈りをささげている相手(神さま)が目に見えないお方ですので、いわばその分だけ「言葉で神さまのお姿を描き出すように」祈ります。神さまとは、そもそもこういうお方であると祈ります。天におられる神である、と。恵みと憐みに富んでおられる神である、と。実際に自分の目で見たことがあるわけではない「神」という方のお姿を、もちろん聖書の御言葉に基づいてではありますが、“まるで自分のこの目で見てきたかのように”祈るのです。おそらくその姿は、科学実証主義の教育を受けてきた人々の知性や感性に著しく対立するものです。自分の目で見たこともない存在については何も語ることができないと考えてきた人々にとって、改革派的・プロテスタント的祈りは心理的に耐えられないものかもしれないということは、私自身にとっても、十分に共感できる話なのです。

2、祈りには「話し相手」が存在する

しかし、(私自身を含む)わたしたちは、お祈りが苦手であるという状態をなんとかして乗り越え、克服しなくてはなりません。そのこと――苦手の克服――こそが今年度の教会勉強会においてわたしたちに(神から)与えられた宿題です。そのために、そもそも祈りとは何なのかということ、つまり、祈りの本質というものを、真剣に考えてみなくてはなりません。

そのために参考になるかもしれない文章をご紹介いたします。それは再び(例によって)オランダ改革派教会の神学者A. A. ファン・ルーラーの文章です。ファン・ルーラーが「主の祈り」について語った1953年の説教集『われらの父よ』(Het Onze Vader, Nijkerk, 1953) の中の一文です。

「キリストがわたしたちにお命じになったことは、神に向かって『われらの父よ』と言いなさいということです。これでお分かりいただけることは、すべての正しい祈りには“話し相手”が存在するということです。わたしたちは何ものかに向かって祈るのです。祈りとは神へと語りかけることです。祈りは夢の中を漂うことではありません。あるいはそれは、夢中になって無限の宇宙の中へと自分の魂を注ぎ出すことでもありません。あるいはまた、人間の内面的な心の動きのようなものでもありません。祈りとは神へと語りかけることです。わたしが神の御前に立つことです。個人として、または教会の一員として、わたしが神の御前に立つのです。そして、わたしは神と語り合うのです。つまり、祈りとは“対話”なのです」 。

このファン・ルーラーの短い言葉の中に、祈りについてわたしたちが学ぶべき重要な点がいくつもあります。

第一に、キリスト教会のすべての祈りには、イエス・キリストが命じられた「祈り方」がある、ということです。それは、神に向かって「われらの父よ」と呼びかける、という祈り方です。その場合、わたしたちにとっては「わたしの父」ではなく「われらの父」であると呼びかけるべきであるという点が重要です。神は全人類の創造者であるという意味での彼らの父でもありますが、同時に「われらの父よ」と祈る者たちの父であろうとしてくださいます。神を信じる者以外は「神に」祈らないわけですから、今申し上げた「神は祈る者たちの父である」とは「神は信者の父でもある」ということを意味します。しかし、信者は個人ではなく、常に信仰共同体と共に、すなわち、教会と共に祈ります。「われらの父よ」と祈るとき、わたしたちは常に共同体としての教会を意識するのです。つまり別の言い方をすれば、わたしたちが教会との関係を嫌がって、自分の部屋に独りで引きこもって「われらの父よ」と祈ることは矛盾であるということでもあります。イエス・キリストが教えられたとおりに祈るならば、(教会の祈りを抜きにした)個人の祈りというものは、そもそも言葉の矛盾に近いものであるということに気づかされるのです。

しかし、ファン・ルーラーの言葉から学びうる第二の点は、彼自身が強調しているように、すべての祈りには「話し相手」が存在する、ということです。そして、その「話し相手」とは、もちろん、神御自身だということです。しかし、ここで難しい問題が生じます。先ほど私は、祈りとは本質的に「われらの父よ」と神に呼びかけるものである以上、常に共同体を意識しながら行われるものであると申しました。そのこと自体は丁寧に説明すればお分かりいただけることでしょう。ところが、ここで生じる難しい問題とはどういうものか。共同体の中で祈るわたしたちの「話し相手」は、共同体の内側の「人間」ではなく、あくまでも共同体の外側におられる「神」であるということです。それはつまり、わたしたちの祈りは「人に聞かせるもの」ではなく「神に聞いていただくもの」であるということです。「ひとまえで祈るのは緊張する」という話をよく聞きますが、その気持ちは理解できないものではないとしても、その考え方自体は根本的に間違っているのです。祈りは人に聞かせるものではないからです。まして、祈りの言葉をもってその場にいる他のだれかを批判するとか、当てこすりや皮肉を述べるなどというのは論外中の論外です。邪道と言う他はありません。「人に聞かせてやろう。あの人に聞かせてやろう。この際、言いたいことを言っておこう」というその意識が、祈りの本質に反しています。そのようなやり方は、祈りにおける「話し相手」を間違えている態度なのです。

しかしまた、第三点として――しかし、ここから先はファン・ルーラーが述べていることから離れますが――わたしたちの祈りの「話し相手」はたしかに神であるけれども、その祈りをささげる場には多くの兄弟姉妹が共にいる、ということも同時に意識しなければならないことだということも事実です。祈りは「人に聞かせるもの」ではありませんが、だからといって、あなたの祈りを共に聞いている人々に理解できる言葉でなくてもよい、ということではありません。「何を祈りたいのか」を明確にすることが必要です。そのために、祈りの原稿を書き、何度も推敲することが大切です。あるいは、祈りが「言葉」であるならば、その祈りには「その言葉を語りはじめてから語り終えるまでの時間」が必要ですから、長々とした祈りによって共に集まっている兄弟姉妹たちの時間を浪費してはなりません。もし教会で祈ることが求められたときには、よく準備された簡潔な祈祷文を読み上げることによって、論理と時間の整理を図ることを検討していただきたく願っています。

3、教会の祈りと個人の祈り

ところで、今日の第二回勉強会のテーマとして考えたのは「教会の祈りと個人の祈り(の違い)」ということでした。「教会の祈り」とは、先ほどから申し上げている言葉で言い直せば「共同体の祈り」です。つまり「われらの祈り(Our prayer)」です。それに対して「個人の祈り」とは「わたしの祈り(My prayer)」です。この両者の違いを考えてみようというのが今日の目標として考えたことでした。

しかし、拍子抜けさせてしまうかもしれないことをあえて申せば、両者に本質的な違いがあるわけではありません。祈りは祈りです。「神への語りかけ」であることにおいても、「神との対話」であることにおいても、変わりはありません。

しかし、強いて両者の違いを挙げるとしたら、神に願う事柄の内容や規模や方向性であると言えるかもしれません。「わたしの祈り」(個人の祈り)の中では、自分のこと、家族のこと、友人のこと、職場のこと、地域社会のことについて、具体的に、場合によっては実名を挙げて、祈ってもよいし、祈らなければなりません。そういう祈りでなければ、個人として祈る意味がほとんどないと言っても過言ではありません。徹底的に「私事(わたくしごと)について祈ること」が「わたしの祈り」です。しかし、それは個人情報(プライバシー)を含むことですので、門外不出にしなくてはなりません。あなたの心の中だけにしまっておかなくてはなりません。

これと区別される必要があるのが「われらの祈り」(教会の祈り)です。その中では、自分のこと、家族のこと、友人のこと、職場のこと、地域社会のことについて、具体的に、あるいは実名を挙げて祈ることについては、慎重でなければなりません。それは日曜日の礼拝の場だけではなく、水曜日の祈祷会の場でも同じです。礼拝や祈祷会を個人情報の暴露の場にしてはいけません。「教会の中のあのことも、このことも、私は知っている」というアピールの場にすることも慎まなくてはなりません。これは松戸小金原教会で見かけた実例ではなく、一般論として申し上げています。

しかし、それでは「われらの祈り」(教会の祈り)においてわたしたちは、どのようなことを祈ればよいのでしょうか。それは、おそらく、同心円的に考えていくことがいちばん捉えやすいでしょう。わたしたちにとっての同心円の、いちばん小さな内円は「松戸小金原教会」です。次は「東関東中会」、その次は「日本キリスト改革派教会」です。さらに日本と世界の中で協力関係にある改革派・長老派諸教会、そして、教派を越えたすべてのキリスト教会のことを祈るべきです。

しかしまた、わたしたちは教会のことだけを祈るわけではなく、教会の外なる世界のためにも当然祈ります。日本のため、アジア諸国のため、そして国際社会全体のために祈ります。その中には当然、キリスト者以外の人々も含まれています。わたしたちは、キリスト者のことだけを祈るのではなく、他の宗教、他の信仰の持ち主のためにも祈ってよいのです。

ただしその場合、わたしたちが真剣に考えるべきことは、他の宗教の人々のために、わたしたちが何を祈るべきかです。私の考えでは、彼らの「救い」を祈ること、すなわちそれは、彼らがイエス・キリストへの信仰を告白し、洗礼を受けること、それによって、彼らがそれまでの「神」から離れて生きるようになることを祈ること、以外にありません。

そこには戦いがあり、悩みや葛藤が伴います。しかし、その祈りを教会はやめることができない。個人としてのわたしたちは、家族や友人や地域社会の中で圧倒的に弱く無力な存在であるということをしばしば自覚させられます。教会もまた、社会的な団体としては(人数や経済力の観点から見れば)、無力そのものです。

しかし、教会は「祈ることをやめない」ことにおいて、無力ではないのです。個人が「言葉を失う」体験を味わい、祈りの言葉を喪失しそうなときにも、個人の弱さを教会が補うのです。「教会の祈り」と「個人の祈り」の関係とは、いわばそういうものです。

(2011年6月19日)


2011年6月18日土曜日

『風の歌を聴け』(1979年)読了

まずは一冊目、『風の歌を聴け』(1979年)、たった今、読了しました。

これは面白いですよ。村上を読める年齢に私がやっとなったようだ、という感覚です。たぶんひたすら幼稚すぎたんですね。「好き」とも「嫌い」とも思っていませんでしたよ、書いたとおり「読んだことがない」だけでした。

そうね、強いていえば、「全共闘世代」(なんてふうにひとくくりにすると怒られるかもしれませんが)の「連中」に興味がなかった、というか、どこかしら嫌悪感をもった少年だった、ということはあるかもしれない。「連中」の言い草に不信感をもっていた、かな。

でも、いま、その「彼らの思い」を一部共有できるようになって来ているのかもしれない。彼らの政治思想とか哲学とか、そういうのではなくて。まだ上手く言葉にできませんが、無力さの自覚というか、ね。

2011年6月17日金曜日

もうね、今日から村上春樹先生の生徒ですよ

二泊三日の会議(日本キリスト改革派教会の臨時大会)から夕方帰ってきました。

テーマは「東日本大震災」。教派あげての支援体制を整えました。

なるほど事件は会議室では起きませんが、会議室でできることをしてきました。今日から現場に戻ります。

ところで、びっくり。

私のブログを読んだ実家の両親が、実兄が読み終わったという村上春樹さんの小説を、ぬあ、ぬあんと、25冊も(!?)送ってくれました(ぐはあ)。

というわけで、これからしばらく、『ねじまき鳥クロニクル』はじめ25冊を、ねじりはちまきで読むことにします。

まずは『風の歌を聴け』(1979年)からだと、めくりはじめています。が。

あらら、けっこう面白いぞと、さっきからズイズイ引き込まれています。

2011年6月11日土曜日

村上春樹を読んだことがない

言わないほうが身を守れるというか、沽券を保てる気がしなくもないが、つい自慢したくなる無知というのがあります。言いたくて言いたくて仕方がない。

以前、「丸山真男を読んだことがない」と書いたことがあります。しかし、それに匹敵するくらい恥ずかしい、私のもう一つの事実は「村上春樹を読んだことがない」です。

「読んでみよう。読まなければ。読まずにいられるか」と、過去何度か村上春樹氏と向き合う気持ちになったことがないわけではない。何冊かは買って持ってもいる。しかし、パラパラめくってみても、食指が動かない。興味がわく単語が見当たらない。心のどこにも引っかかってこない。自分の読解力の無さのせいにして、放置したまま、20年ほど過ごしてしまいました。

タイトルくらいは知ってるんですけどね。ノルウェイとか、ねじまき鳥とか、ハードボイルドとかね。

最近のも知ってますよ。1Q84、でしたっけ。私が東京で学生を始めたのが1984年ですから、当時の何かを彷彿するような内容があるのだとしたら(読んでいないので、そういうことが書かれているかどうか知りませんが)、もっと興味があってもいいはずなんですけどね。

なんででしょうかね。小説はけっこう読んでいましたよ。中学か高校くらいの頃にいちばん興味を抱けたのは星新一さんのショートショートでしたね。あれは、ほんとに面白かった。真似はできないけれど、自分も何か書いてみようという気持ちにさせてくれるものがありました。

でも、村上春樹さんの本は、みんな読んでいるらしいのに、私は読めなかった。何を言いたいんだか分からなかった。

しかし、一昨日(6月9日)の村上氏のバルセロナでのスピーチは、素晴らしかったですね。とてもいいと思いました。村上氏の言葉に、生まれて初めて共感できました。

「被爆国日本は、核に対するノーを叫び続けるべきだった」(大意)。こういうふうに端的に語ることができる人だということを、今まで知らずにいたことを恥じました。だからといって、「ここは一つ、村上小説を読んでみよう」という気にはなれないのですが。

そうですね、持って回った話というのが、とにかく嫌いなのかもしれません。村上氏の小説を読めなかった理由はそれだけではない気もしますが、少なくとも理由の一つにそれ(回りくどいよ!)があるかな。

結論から言ってほしい。そんなこと言ったら小説なんか成り立たないと言われればそれまでですが。

村上氏が一昨日受賞なさった何とか賞は、もちろん氏の作品への評価なのでしょうけれど、それよりも今回のスピーチが評価されるべきです。あのスピーチにこそ、だれかが賞を授けるべきです。

久々のブログ更新です 第11回アジア・カルヴァン学会韓国大会報告

久しぶりにアジア・カルヴァン学会のブログが更新されましたので、謹んでお知らせいたします。

ニュースレター『常に新たに』第7号(最新号)には今年1月、韓国で開催された「第11回アジア・カルヴァン学会韓国大会」の詳しい報告が掲載されています。野村信先生、久米あつみ先生、菊地純子先生、豊川修司先生、青木義紀先生の報告文があります。ぜひどなたもご一読ください。

また、ブログには、毎年6月に好評開催されている日本カルヴァン研究会(会場 青山学院大学)の「休会」も報じられています。ご確認ください。

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2011年6月8日水曜日

近日中に新設予定の「復興庁」(仮称)への要望事項

近日中に新設予定の「復興庁」(仮称)への要望事項

(1)「復興のための自衛隊員」には迷彩服(国際的には「戦闘服」を意味するはずです)ではなく、我々一般市民に安心を与える服を着てほしい。

(2)「大連立」には賛成しかねますが、もし成立し(てしまっ)た場合にも、数の力で「憲法改正」など絶対しないことを、国民の前で約束してほしい。

「復興庁」なのか「復興府」なのかはともかく、そういうものが作られることになると言われる「復興基本法(案)」なるものの内容を、我々一般市民はどこで確認することができるのでしょうか。

とにかく首相の権限が高められるらしいですね。それはつまり、首相の「自衛隊の最高指揮監督権」を、そして、自衛隊そのものを「増強」することを帰結せざるをえないのではないかと、法案を手にすることができない一般市民として勝手に予想しています。だからこそ「石破茂首相」というような下馬評が出てきているのでしょう。

そして、そういうことになりそうだからこそ、我々にとって気になるのが、「改憲論者」が提唱する「大連立」が導こうとしている(ように見える)「自衛隊増強」の行き先はどこなのか、ということです。

最速の初動を見せてくれたトモダチ米軍の活躍は、「軍の力」というものこそがドラスティックな被災地復興をもたらすに違いないと印象づけることに十分に寄与したと思います。――が、しかし。

また、自衛隊が「増強」されることになれば、職探しに困っていた人たちの問題も解決する(かもしれない)し、規則正しい生活が身に着く(かもしれない)ので、だれきった(と言われ続けてきた)青少年に「秩序」を与えることができるし、何より政治家たちにとっては、まさに文字どおりの「権力」の増大を意味するでしょう。――が、しかし。

やはり気になるのは、「今の未曾有の国難を解決する」という、国民のだれにも異存のない目的のもとに、すべて良いことずくめの(ように見える)、あまりにもスッキリしている(かもしれない)「復興のための三段論法」には、必ずや大きな落とし穴があるに違いないし、実際にすでにどこかしら(否、あからさまな)危険なニオイが漂っているようだ、と感じることです。

それとも、全く違うのでしょうか。私の想像力があまりにも乏しすぎるので、単純な予想しかできていないのでしょうか。それなら、そのほうが良いに決まっています。全く異なるシナリオで思いっきり恥をかかせてほしいです。その恥ならば甘んじて受けます。私が願っていることは、日本は何があっても「憲法九条」を守り抜く国のままであってほしいという一点に尽きます。

私は「小金原九条の会」のメンバーですが、「メンバーだから」九条堅持を願うのではなく、「九条堅持を願っていたから」メンバーになりました。そのこと――憲法九条の問題――と「被災地復興」は本来全く無関係なことであるということも理解しているつもりです。しかし、それならばなぜ自衛隊員たちが「被災地」を「迷彩服」(これは元々「戦闘服」です)で歩き回っておられるのかがとても気になるという話に行き着いてしまうのです。

もちろん、政治家というのは賢い人たちですから、実際には憲法改正はしないでしょうし、まかり間違っても「日本軍」などと改称したりもしないでしょう。しかしまた、過去の経緯を鑑みれば、法文上の形式面はそのままにしておいて、実質面のさまざまな点で憲法九条の許容範囲を突破してきていることは周知の事実です。そういう中でこれから警戒が必要なのは、たとえば事実上の「徴兵制」導入に近づいていくような「被災地ボランティア義務化」のようなことでしょうか。まだよく分かりませんが、巧みな抱き合わせに要注意です。

私の文章を読んでくださった複数の方から、「迷彩服を普通の作業着に買い替える費用があるなら、復旧復興に回すほうがいい」と言われました。しかしあの迷彩服、わりとすぐに破れたりするそうです。新しいのに換える順に取り換えればよいのではないでしょうか。こう返事すると今度は「制服は全員がお揃いでなければ無意味である」とも言われました。しかし今でも迷彩服2式と、より新型の3式とが混在していて必ずしも全員が揃っているわけではないようです。

私が書いていることの趣旨は、分かりにくいでしょうか。「大連立」などという危険なことを画策しているときだからこそ、せめて被災地復興の場では迷彩服を脱いでいただいて、「自衛隊は軍隊ではない」ということを、はっきりさせてもらいたいと言っているのです。

「自衛隊は軍隊ではない」というのは政府の矛盾した答弁なのであって、それにお前は同調するつもりなのかという趣旨のご意見もいただきました。私の趣旨は政府答弁のオウム返しではありません。全く正反対です。なるほど現時点では詭弁かもしれない政府答弁の矛盾を解消するためにこそ、せめて被災地支援の場では戦闘服を脱いでいただいて、「自衛隊は軍隊ではない」ということをはっきりさせていただきたいということです。これは心からのお願いです。

「自衛隊は軍隊である」と明言する方からも意見をいただきました。そういうことをおっしゃる方の次なる言葉は、「世界の常識はこれこれこうだ」です。なるほど憲法九条は世界の常識ではありません。我々は、世界の常識(国際的には圧倒的多数派)を果敢に退け、憲法九条堅持(国際的には圧倒的少数派)を言い続けていこうとしているのですから、肩身が狭いのは常に我々のほうです。

服装の問題は、もちろん美意識の問題です。感性の次元の話。十人十色。私自身は、軍服や制服というもののすべてを否定しているわけでもありません。ただ、迷彩色(カムフラージュ)を、なぜ「敵国の攻撃があるわけでもない」被災地復興のために着なくてはならないのかと疑問に思い、強い不快感を覚えているだけです。

現地でがんばっておられる自衛隊員たちを、いささかでも貶す意図はありません(これは決して誤解のないようお願いしたいです)。彼らに迷彩服の着用命令を出している人たちに文句を言っているだけです。