2011年5月15日日曜日

柏、松戸、流山、三郷のホットスポット

中部大学の武田邦彦教授が、ご自分のサイトに「柏、松戸、流山、三郷のホットスポット」という記事を掲載しておられます。ご関心のある方は、ご一読をお勧めいたします。私も現在、松戸市民ですので、他人事ではありえません。

「臨時 ホットスポット情報 子供を守ってください。関東の一部に放射線の強い場所があります。柏、松戸、流山、三郷の4市です。放射性物質は『県境』などは判りませんから、測定値に従って行動することが必要です。(以下略)」

この続きは、武田教授の文章を直接お読みください。

武田邦彦 「柏、松戸、流山、三郷のホットスポット」
http://takedanet.com/2011/05/post_5c55.html

2011年5月14日土曜日

「読書メーター」始めました

Twitterの友人に誘われて「読書メーター」を始めました。これで、過去27年で集めた本のリストを作ることができないかと期待しています。

ただし、ここに挙げてあるものが私の蔵書のすべてではありません。まだまだたくさんあります。とくに大昔の古書は登録できない様子です(もしかしたら登録できるのかもしれませんが、いろいろ試してみる余裕がありません)。

また、「本棚」という機能を利用したかったので、すべてを「読んだ本」に分類しましたが、斜め読みの本も含まれています。

「読書メーター」の仲間が、もっと欲しいです。どなたもぜひお試しください。

関口 康 on 読書メーター
http://book.akahoshitakuya.com/u/108741/cat


「読書メーター」とは(はてなキーワードより):
自分の読書量をグラフで管理できるウェブサイト。読み終わった本を登録することで、ページ数や冊数のグラフ、登録した本の表紙のサムネイル画像など視覚化することができる。

2011年5月13日金曜日

結局これは「文学の欠如」だと思う

メルトダウンは最近になって起こったわけではないし、レベル7もそうだ。ほぼ最初からそうだったのだ。“文学的に”考える者たちは早々と「最悪のシナリオ」に辿り着き、持てる想像力を駆使しながら、自分になしうること、なすべきことは何かを判断し、迅速に行動しはじめた。

いま思い返すに、福島第一原発「爆発」の一報直後のほぼ最初の時点からいちばん的確な判断ができていたのは、文学者たちであり、哲学者たちであり、神学者たちであった。

全く惨めに思えるのは、優秀な理系脳の持ち主たちだ。どうした。え、「想定外」だって?違うよ。「想像力の欠如」だ。佐々木中氏的にいえば「文学の欠如」ということにもなるだろう。

日本の教育は、2011年を境に根本的に構造を変えるべきだ。文学の素養の無い人たちには原発は扱えなかった。そのことがはっきりしたじゃないか。そういうことを今朝、ひどく考えさせられたので書きとめておきます。

2011年5月12日木曜日

いま勇気をもって書く「アニメの話」

脈絡なく書きますが、中学・高校の頃はアニメとかよく見てました。オタクとかそういうのが流行る前ですね。正確な情報などどうでもいいですが、1977年から1983年までの6年間です。宇宙戦艦ヤマトの再放送を見た日から銀河鉄道999とかの映画をやっていたころまで。松本零士氏の術中にハマったクチです。

私は1965年生まれ、つまり「戦後20年生まれ」なので、軍艦や蒸気機関車の実物を見たことがない世代ですが、そういうもの、つまり私にとって「過去」のものが宇宙の果てまで飛んでいき、見たこともない「未来」の主役になるという「未体験感」が、少年Sの好奇心をかき立てました。

当時、パソコンとか携帯とかも、その実物は見たことがなかったので、松本零士氏の描く「コックピット」や「通信機」の絵は、憧れというか興味津々でしたね。

で、「コックピット」や「通信機」への興味は、私の長男が幼稚園児のころに始まった「平成ウルトラマンシリーズ」のティガだダイナだガイアだを長男と一緒に見たときに再燃。「やっぱりおれはこういうの(コックピットや通信機)を自分のものにしたいようだ」という自分の願望に気づきました。

どこで読んだか忘れましたが「基本、オタクにはコックピット願望あるからな」という書き込みに笑いました。「お、おれはオタクじゃねえ!」と心で叫びました。先日、ファンに囲まれたキャンディーズの写真をどこかで見たとき、「お前らって昔からお前らなんだな」という書きこみにも笑いました。

ちなみに、キャンディーズをおっかけたことなんかありませんからね。私、オタクとか呼ばれたことねえし。ていうか、もと岡山県人の私が、どうやって、だれをおいかければいいのかって感じでしたよ。当時、岡山まで来てくれる芸能人なんて、ほとんどいませんでしたからね。

そして今。

「おっかけ」の体験はいまだにありませんが、「コックピット」と「通信機」は、なんだか手に入ってしまった感じがしています。携帯電話を持つと「流星号、応答せよ!」とか「行け、鉄人!」とか言いたくなっちゃう(古いか)。スカイプとかやってると、ベルク・カッツェの高笑いが聞こえてきます。

しかし、この「コックピット」と「通信機」っていうのは、実際に手に入れてみると、どうってことないものですね。いま思い出しているのは、故ビン・ラディン氏がテレビのリモコンを操作している、あのビデオ映像です。さらに、ビン・ラディン氏殺害時にホワイトハウスの一室に米政府関係者がコーヒー飲みながら集結している、あのスチール写真です。

米政府とビン・ラディン氏のどちらが科学忍者隊で、どちらがギャラクターなのかは分かりません。どっちなのかは、どっちでもいい。そのことよりも、政府の基地のモニターとかによく侵入していたベルク・カッツェの姿を思い起こすたびに、「彼が使っているソフトはスカイプだろうか」などと妄想しています。

ガンダムは、最初のシリーズだけは少しは見ましたよ。ただ、あんまり記憶に残っていないんで、ガンダムの話では盛り上がれないです。ストーリーが私には少し難しく感じられたというか、当時(中学生だったかなあ)の想像力の範囲を超えていました。

ヤマトは、キムタク主演の映画を私一人で観に行きましたよ。封切りからだいぶたった頃で、JR柏駅前のステーションシアターで観たのですが、そのときのお客さんが、私含めて5人。うち私以外の4名(男性3名、女性1名)は、どう見ても70歳を超えた方々でした。なんじゃこれ、でしたね。

まあ、でも、70歳オーバーの方々といえば、つまり我々の親の世代の方々ですね。我々が子どもだったころ、我が子と一緒にアニメのヤマトを見ておられたのでしょうね。そう思うと、なかなか実家に帰れない親不孝な私としては、なんだか切ないですね。

エヴァンゲリオンていうのは、去年だったかな、ウェブ上で初めて観ましたよ。一気に全部を観ました。まあ、私にとっては面白いものでしたね。何年も前からレンタルビデオ屋さんの目立つ位置にずらりと並べてあったのは遠目に見ていましたが、借りて観る「勇気」まではありませんでした。

あ、最初は「ヱ」と書かなくてはならなかったかな、「ヱヴァンゲリオン」ですかね。こういうのは分かんないですね。新東京市、でしたっけ。第二とか第三とかありましたよね、地下都市の。ああいうのが現実に必要になりそうな勢いですね、ってこういう話、空気読めて無さ過ぎですかね。


2011年5月9日月曜日

とにかく一年過ごしてみなければ、という気持ちです

今の私が原発不要論に同意していないという意味ではありませんが(断じて)、四季が明瞭な日本では、とにかく一年過ごし、エアコン無しで夏の猛暑を乗り切り、熱中症死者が続発しなかったことを確認できないと、原発不要論に確信を持てない気がしています。

現在45歳の私にとっては、20年前の電力レベルに戻ることは、実はそれほど苦ではありません。エアコンのある学校に通ったことはないし、学生寮にもそんなものはありませんでした。すべてをエアコンの話にしてしまうのは極論かもしれませんが、20年前と今の最大の違いはエアコンですよね。

ですから、エアコンを止めるとどうなるかを見守りたいのは、確かにメタボゆえ暑がりではある私自身の姿ではなく(誤解されやすいので特記しておきます)、「生まれる前からエアコンがあった」世代の子どもたちや、病弱な方々や高齢者の姿です。とにかく一夏耐えられたという証しが欲しいです。

2011年5月6日金曜日

ブログサイト大工事中

実はまだ大工事中なのですが、時間を見つけては、私が管理しているブログサイトを少しずついじっています(日曜大工のようなものです)。

��1)「改革派教義学」や「キリスト教倫理」などのサイトは廃止し、すべて「ファン・ルーラー著作集」に統合しました。と言っても、未整理のままですが。

��2)「ファン・ルーラー著作集」サイトの名称を「A. A. ファン・ルーラー著作集」に変更しました。

��3)これで「今週の説教」と「A. A. ファン・ルーラー著作集」と「関口康日記」の三つに整理されました。説教と神学と日記の三部作です。

【説教】 今週の説教
http://sermon.reformed.jp/


【神学】 A. A. ファン・ルーラー著作集
http://vanruler.protestant.jp/


【日記】 関口 康日記
http://ysekiguchi.reformed.jp/


��4)「A. A. ファン・ルーラー著作集」に含まれるウェブページの全リストは、右サイドバーの「ウェブページ」でご覧いただけます。トップページには、まだほんのちょっとしかありませんが、これまで私が訳してきたものの一部をまとめておきました。

これらのことをすべて、日本の教会と社会に有益な情報を提供したい一心で続けています。ご理解とご協力をいただけますと幸いです。


ファン・ルーラーの「喜びの神学」に秘められたもの

牧田吉和(ファン・ルーラー研究会顧問、神戸改革派神学校校長)


(これは2002年9月2日〜3日「ファン・ルーラー研究会セミナーin 熱海」(静岡県熱海市)で行われた基調講演であり、その後『キリスト新聞』2002年11月9日第2800号において、講演者ご本人が紙面向けにまとめた要旨として掲載されたものです。本サイトへの掲載は、キリスト新聞社の了解を得ています。無断転載は固くお断りいたします)

「喜びの神学者」ファン・ルーラー

「救いの究極、福音の結晶は、『喜ぶこと』『純粋に喜ぶこと』『審美的なもの』なのである。絶望や疑いの要素から全く自由にされて、『神を喜ぶこと』『世界を喜ぶこと』そして『自分を喜ぶこと』である」。

これはオランダの改革派神学者アーノルド・ファン・ルーラーの言葉です。ファン・ルーラーは「喜びの神学者」と呼ばれています。冒頭の言葉はその呼称の正当性を証しているでしょう。さらに、「喜びの神学者」としてのファン・ルーラーは「聖化において本質的なことは、(プロ・サッカーチームの)アヤックスやフェイエノールトを楽しむことにある」とまで言い放ちます。このような奇想天外とさえ言いうるほどの“喜びの神学”の主張に秘められたものは、いったい何だったのでしょうか。

被造性を喜ぶことと神の栄光

ファン・ルーラーの主張を理解するために、まず彼の創造論に注目すべきでしょう。彼にとって、創造は、神の善意に基づく、神の自由な主権的業です。必然や強制ではないという意味で、創造はいわば神の「遊び」、神の「贅沢」に属する業です。したがって、世界は、神ご自身が「はなはだ良かった」と満足された善き創造であり、神の喜びとしての本来的な実在なのです。ですから、人間にとって重要なことは、神の「遊び」、神の「贅沢」に対応して、それを「楽しみ」「喜ぶ」ことが本来的なこととして理解されることになります。被造的実在そのものを喜ぶことの中に聖化の本質があることにもなります。

しかし、それにしてもサッカーを楽しむことに聖化の本質があるなどとなぜ言うのでしょうか。この意味を理解するためには、創造についてさらに考える必要があります。ファン・ルーラーは被造物に言及するときに、意図的に「物質性」「身体性」「事物性」などという表現を用います。その理由は、神が不可見的な、霊的な存在であるのに対して、被造物がその被造物性を端的な姿で現わすのは内的・霊的な側面よりも、可見的な「物質性」「身体性」「事物性」においてだからです。サッカーにはさまざまな要素がありますが、少なくとも「身体性」に緊密に関わります。サッカーを楽しむことに聖化の本質があるというのは、神の善き創造の賜物としての「身体性」を喜ぶことと結びついているからです。

ファン・ルーラーがあのような誤解を招きかねない表現を用いたのは、それによって「物質性」「身体性」「事物性」を無意識的に圧迫してきたキリスト教的伝統を告発したかったからです。キリスト教信仰は、霊的なものと物質的なものの両者を被造物に含ませますが、目に見えない、霊的なものの方がより価値があるかのように見なす傾向を持っているからです。ファン・ルーラーは、むしろ「物質性」「身体性」にこそ被造物性が最も鋭く現れているのであり、それを喜ぶことにおいて神を神とし、神の栄光を現わすことになるというのです。それゆえにあのレトリックが聖化の本質を表現するために用いられたのです。

グノーシスのパン種への鋭い批判

以上のように考えると、ファン・ルーラーの「喜びの神学」の主張の背後には鋭い神学的批判が隠されていることが明らかになります。その狙いは、物質的なものや身体的なものを蔑視する「古代グノーシスのパン種」をキリスト教信仰と神学から徹底的に排除することです。ファン・ルーラーは、このパン種はキリスト教思想の中に今日に至るまで脈々と生き続けていると見ています。この問題性は終末論において最も鮮明に現われます。

ファン・ルーラーは栄光の神の国において、「三位一体の神と贖われた純然たる『事物性』」が最終的に残ると力説します。ここでも「事物性」が強調されます。この主張は、アウグスティヌス以来、継承されてきた信仰の定式、「われわれは、世界、つまり被造物的実在をただ用いること(uti)だけがゆるされており、またわれわれは神ご自身のみを楽しむこと(frui)がゆるされている」という定式に対する根源的批判です。世界を「用いて」神の栄光のために奉仕をし、終末においては「ただ神の栄光を崇め、神を喜ぶ」ことだけが残されている、ファン・ルーラーはこの定式にこそグノーシス的・ギリシャ的思惟のパン種が潜んでいると洞察するのです。そこでは「神を喜ぶ」ことはあっても、神の喜びの対象としての「世界を喜び」「自分を喜ぶ」ことが位置づけられていないからです。このことを別にして、「神を喜ぶ」ことは冒涜的でさえありうるというのです。

終末の栄光の世界において、「事物性」は本来的意味を持っており、したがってただ「神を喜ぶこと」だけではなく、同時に「世界を喜ぶこと」「自分を喜ぶこと」が含まれていなければならないと主張するのです。それが冒頭の彼の言葉の意味です。

「グノーシスのパン種」を潜めやすい日本の教会はファン・ルーラーの「喜びの神学」の主張とそこに秘められている鋭い神学的批判を真摯に受け止めるべきでしょう。その時、日本の教会は、世界を、とりわけ「事物的・身体的」世界を喜びのうちにまっすぐに見つめる勇気を与えられます。そこでは政治的事柄でさえ、本来聖なる、美しい事柄として把握され、倫理もまた喜びに満ちた、人間がまさに人間として立ち上がる倫理として大胆に展開されることになるでしょう。


日本におけるファン・ルーラー

牧田吉和(ファン・ルーラー研究会顧問、神戸改革派神学校前校長)

「日本におけるファン・ルーラー」。おそらくこの主題が『デ・シフィターテ』の読者各位の関心事であり、お知りになりたいことであろう。ファン・ルーラーは一度も日本を訪れたことがない。「日本におけるファン・ルーラー」ということを我々はどのようにして語ることができるのだろうか。

ファン・ルーラー自身は一度も日本に訪れたことがない。しかし、彼の神学的著作は英語やドイツ語に訳されて日本にやってきた。現在我々は『宣教の神学』と『われ信ず』〔使徒信条講解〕の日本語版を手にしているが、残念ながらドイツ語版からの重訳である。それらの著作を通して、またファン・ルーラーがその中で大きな役割を果たしているJ. モルトマンやR. ボーレンの神学的著作を通して、日本の神学者たちはファン・ルーラーの神学を知るようになった。現在、日本の多くの神学者たちがファン・ルーラーの神学に多大な関心を抱いている。それで今や我々は「日本におけるファン・ルーラー」というテーマについて語ることができるのである。

ファン・ルーラー研究会は1999年2月20日に発足した。現在の会員は47名〔2001年当時〕である。インターネットを用いてファン・ルーラーの神学論文をオランダ語から日本語に翻訳することが我々の活動である。我々はこのやり方で翻訳に取り組んでいるだけではなく、ファン・ルーラーの思想についての神学議論も行っている。ときどきユトレヒト大学のF. G. イミンク教授やニューブランズウィック神学校のP. R. フリーズ教授が我々の翻訳や議論を指導してくださっている。フリーズ教授は1979年にユトレヒト大学でファン・ルーラーに関する博士論文をお書きになった。先生方のご指導に非常に感謝している。

これまで我々が日本語に訳してきたファン・ルーラーの論文は「地上の生の評価」 「説教の定義」 「モーセの律法の意義」である。我々は日本語版著作集の出版を計画している。2001年9月3日には、大阪に近い園田教会でファン・ルーラー神学に関するシンポジウムを行いたいと願っている。

おそらく読者各位の質問は、日本の教会にとってのファン・ルーラーの意義は何かということではないかと思う。我々は熱狂的なファン・ルーラー信奉者のようなものでは決してない。それどころかファン・ルーラーの思想には「メシア的間奏曲」というような非常に大きな問題の要素があると見ている。とりわけ、新しきエルサレムにおけるキリストの人間性の放棄、相対的に自立した聖霊論、思想の思弁的傾向などに問題を感じている。

しかし我々の確信によると、ファン・ルーラーの神学には日本の教会にとって一つの大きな意義がある。我々は仏教社会の真ん中で生活している。仏教思想はグノーシス主義と酷似しているものである。日本の教会はこうした仏教的・グノーシス主義的な思想の影響を受けている。そのことは、日本においてはキリスト教信仰が精神的で個人的で私的な事柄として理解されてしまうだけではなく、非歴史的性格を帯びてしまいやすいということを意味している。要するに我々は、日本のキリスト教の体質はアナバプテスト〔再洗礼派〕的であると語ることができるのである。

このような精神的環境において、ファン・ルーラーの「終末論的・三位一体的神の国神学」は、我々にとってきわめて大きな価値を持っている。この神学は歴史を、始源と終末の間の緊張の場として、贖いと創造の総合として見つめる視座を我々に与えてくれる。その総合における聖霊論のユニークな役割、創造論への強調、地上の生への高い評価などにおいて、我々は日本のキリスト教の弱点を克服するための重要な鍵を見出すことができるのである。

我々はファン・ルーラーの思想を研究するために国際的協力関係を持つことを願ってきた。将来、国際的レベルでファン・ルーラー神学についてのシンポジウムが行われることを心から期待している。おそらく我々はそのシンポジウムでお目にかかることができるであろう。そして、ファン・ルーラーの「喜びの神学」について喜びをもって語り合うことができるであろう。

[解説]

オランダでは著名な神学雑誌『デ・シフィターテ』(ユトレヒト大学改革派キリスト教学生会発行)の編集長マーク・ワレット氏が、ファン・ルーラー研究会のホームページを見て強い関心を寄せてくださった。「ぜひわれわれの雑誌に掲載させていただきたいので、研究会の紹介文を書いてほしい」という依頼のメールがファン・ルーラー研究会宛に届いたとき、我々は大いに感激した。さっそく顧問の牧田吉和先生がオランダ語で論文を書いてくださった。それが『デ・シフィターテ』創刊50周年記念「ファン・ルーラー特集号」(年刊第51巻第 5号、2001年 4月)に掲載された。したがって、本論文の著作権は『デ・シフィターテ』編集部が保有しており、ファン・ルーラー研究会は、これを同編集部の許可を得て公開している。転載等は固くお断りする。

Yoshikazu Makita, Van Ruler in Japan, De Civitate, Civitas Studiosorum in Fundamento Reformato, Utrecht, April 2001, Jaargang 51, nummer 5, p.19 vlg.

(関口 康訳)

Van Ruler in Japan (Dutch)

Prof. Drs. Yoshikazu Makita

"Van Ruler in Japan". Dit onderwerp is misschien interessant voor en werkt de nieuwschierigheid van de lezers van "De Civitate". Van Ruler  heeft nooit een bezoek naar Japan gebracht.  Hoe kan men dan iets zeggen over "Van Ruler in Japan" ?

Van Ruler zelf is wel nooit naar Japan gekomen. Maar zijn theologische werken die in het Engels of in het Duits werden vertaald zijn naar Japan gekomen. Nu hebben wij zijn " Theologie van het Apostolaat" en "Ik geloof" in het Japans, die beide helaas vanuit Duits werden vertaald.  Daardoor en ook door de theologische boeken van J. Moltmann en R. Bohren waarin de theologische gedachte van Van Ruler een belangrijke rol speelde, hebben Japanse theologen kennis van de theologie van Van Ruler genomen. Tegenwoordig hebben vele theologen in Japan een grote belangstelling voor Van Ruler's theologie. Daarom kunnen wij nu iets over "Van Ruler in Japan" zeggen.

Op 20 februari 1999 is de societeit van Van Ruler-studie ontstaan. Wij hebben tegenwoordig 47 leden. Wij zijn bezig met de vertaling van Van Ruler's  theologishe opstellen uit het Nederlands in het Japans via het Internet. Via dit medium werken wij niet alleen aan vertaalwerk, maar voeren wij ook theologische discussie over de gedachten van Van Ruler. Soms geven prof. dr. F. G. Immink van Utrecht en prof. dr. P. R. Fries van de New Brunswick Theological Seminary, die een proefschrift over Van Ruler te Utrecht in 1979 schreef, adviezen voor onze vertaling en discussies. Wij zijn zeer dankbaar daarvoor.

Tot nu toe hebben wij de volgende opstellen van Van Ruler in het Japans al vertaald: "De waardering van het aardse leven", "Preekdefinities" en "De betekenis van de mozaische wet". Wij zijn van plan een bundel opstellen in het Japans te publiceren. Op 3 september 2001 zullen wij een theologisch symposium over de theologie van Van Ruler in de Sonoda Reformed Church vlakbij Osaka houden.

Misschien wilt U vragen wat de betekenis van Van Ruler voor Japanse kerken is. Wij zijn geen fanatici van Van Ruler. Wij zien toch zulke problematische  elementen in de gedachte van Van Ruler als die van messiaans intermezzo, vooral het afleggen van de menselijke natuur van Christus in het nieuwe Jerusalem, een relatief-zelfstandige  pneumatologie, speculatieve tendens van zijn denken enz.

Maar naar onze overtuiging is de theologie van Van Ruler van een grote betekenis voor kerken in Japan. Wij leven in het midden van de bueddhistische religieuze wereld. De gedachte van bueddhisme heeft een sterke affiniteit met gnosticisme. De kerken in Japan is onder meer onder de invloed van zulk een bueddhistisch-gnostisch denken. Dat betekent dat het christelijk geloof hier in Japan alleen maar als een geestelijke, individuele en private zaak kan worden begrepen. En het kan ook een a-historische karakter dragen. In het kort kan men zeggen dat het wezen van het christendom in Japan anabaptistisch is.

In zulke een geestelijke omgeving is de eschatologish-trinitarische rijkstheologie van Van Ruler zeer waardevol voor ons. Zij geeft ons perspektieven voor de geschidenis, het spanningsveld  tussen proton en eschaton, (begin en einde, wording en voltooiing,red.) de synthese van de verlossing met de schepping, een unieke rol van de pneumatologie in de synthese, en ook een sterke accent op de schepping, dus de waardering voor de aardse leven enz. Hier kunnen wij een belangrijke sleutel vinden om zwakheden van het christendom in Japan te overwinnen.

Wij zouden graag een internationale samenwerking met betrekking tot de studie over de gedachten van Van Ruler willen hebben. Wij hopen van harte dat er in de toekomst een theologisch symposium op internationaal niveau over de theologie van Van Ruler gehouden zal worden.  Misschien  zullen  wij op dat symposium elkaar ontmoeten en over "de theologie van de vreugde" van Van Ruler met vreugde praten kunnen .

(Adviseur van Van Ruler Translation Society Japan en Rector van de Kobe Reformed Theological Seminary)


Van Ruler in Japan (English)

Yoshikazu Makita

(Adviser of Van Ruler Translation Society Japan, Pastor of Yamada Church, Reformed Church in Japan, Pre-principal of  the Kobe Refomed Theological Seminary)

"Van Ruler in Japan". This topic probably attracts the interest of and arouses curiosities of the readers of "De Civitate". Van Ruler had never visited Japan. Then, how can we talk over "Van Ruler in Japan"?

Even though Van Ruler himself had never been in Japan, some of his theological works came over to Japan as translated versions in English and in German. Now we also have his "Theology of the Apostrate (Theologie van het Apostolaat)" and "I Believe (Ik geloof)" in Japanese, though regretfully both of them were translated from German versions. These and also the theological books of J. Moltmann and R. Bohren, in which the theological thoughts of Van Ruler play an important roll, have made Japanese theologians acquainted with the theology of Van Ruler. Recently many theologians in Japan are greatly interested in Van Ruler's theology. Therefore, now we can talk over "Van Ruler in Japan".

On February 20, 1999 this society of Van Ruler-study started. We have currently 47 members. We are engaged in translating Van Ruler's theological articles from Dutch to Japanese via Internet. Through this medium we are not only engaged in translating but also holding a theological discussion over the ideas of Van Ruler. Sometimes prof. dr. F. G. Immink of Utrecht and prof. dr. P. R. Fries of the New Brunswick Theological Seminary, who submitted the doctoral dissertation on Van Ruler to Utrecht in 1979, give advises for our translating work and discussion. We are very grateful to them.

We have already translated the following articles of Van Ruler to Japanese: "De waardering van het aardse leven (The Appriciation of the Earthly life)", "Preekdefinities (The Definition of Preaching)" and "De betekenis van de mozaische wet (The Significance of the Mosaic Law)". We are planning to publish the collection of articles in Japanese. On September 3, 2001 we'll hold a theological symposium on the theology of Van Ruler at the Sonoda Reformed Church located close to Osaka.

Probably you'd like to ask what is the significance of Van Ruler for Japanese churches. We are no fanatics of Van Ruler. Rather we find such problematic elements in the thoughts of Van Ruler as those of "messiaans intermezzo (Messianic Intermezzo)", especially the taking off of the humanity of Christ in the New Jerusalem, the relatively independent pneumatology, speculative tendency of his thinking, etc.

But we are convinced that the theology of Van Ruler has a great value for churches in Japan. We live in the middle of the Buddhistic world. Buddhistic thoughts have a strong affinity with gnosticism. The churches in Japan is much influenced by such a Buddhistic-gnostic thinking. It means people may take the Christian faith here in Japan only as a spiritual, individual and private matter. And also it may lose its historical character. In short, we could say that the nature of Christianity in Japan is Anabaptistic.

In such a spiritual environment, Van Ruler's eschatological-trinitarian theology of kingdom is of great value for us. It gives us perspectives for the history, the field of tension between proton and eschaton (the beginning and the end, origin and completion, edit.), the synthesis of the redemption with the creation, a unique roll of the pneumatology in the synthesis, and also a strong accent on the creation, accordingly the evaluation for the earthly life, etc. Here we can find a important key to overcoming the weaknesses of the Christianty in Japan.

We would like to have a international cooperation concerning the study over the thoughts of Van Ruler.  We heartily hope that a theological symposium on international level over the theology of Van Ruler shall be held in the future. Probably we shall meet each other at that symposium and be joyfully talking over "the Theology of Joy" of Van Ruler.

Translated by Takao Kiyohiro