「牧師の仕事かそれとも神学研究か」は、現実的には《あれか・これか》の選択肢なのかもしれません。両立させることは不可能かもしれません。しかし、です。たとえそれが今や不動の現実であるとしても、そんな“現実”の前に易々と屈服したいとは思いません!体のどこかがへし折れることなど、大した問題ではないのです。私は「神学し続ける牧師」でありたいと願っています。だからといって牧師であるかぎり、どんなに間違っても引きこもるわけにはいきません。「引きこもり」と「牧師」は対立概念であると信じるからです。牧師であるかぎり思想の断片化は避けられません(ありとあらゆる事柄に首を突っ込む仕事です)。しかし、機動性を失わない牧師であるままで神学研究を続けたいのです。その点では、昨年から利用しているノートパソコン(VAIOです)や無線LANやUSBメモリーの存在感は大きいです。私がこれまで書いてきた20年分くらいの文書や、その他の大量のデータを常に持ち歩くことができる現在の状況は、私にとっては“奇跡”という以外に表現のしようがありません。
2008年3月20日木曜日
2008年3月16日日曜日
十字架上で示された神の愛
マタイによる福音書27・32~50
来週はイースター礼拝です。われらの救い主イエス・キリストが十字架上の死の苦しみを乗り越え、克服されて、三日目に復活されたことをお祝いする日です。楽しく過ごしてよい日です。しかし、イースター礼拝を前にしてわたしたちが直視しなければならないのは、イエス・キリストの十字架上の死の場面です。イエス・キリストは、間違いなく一度死の苦しみを味わわれました。死がなければ復活はありません。受難週を過ごさなければイースターは来ません。キリストが死んでくださったからこそ、キリスト者に新しい命が与えられたのです。
今日の個所に描かれているのはイエス・キリストを十字架につけた人々の残忍な行為の数々です。しかしまた同時に、その人々の前で示されたイエス・キリスト御自身の態度が描かれています。「もしわたしが同じ目に遭ったらどうだろう」と考えてみることは、この個所を読む態度としてふさわしいものです。もしわたしならば、とても耐えることができない。人間の忍耐の限界をはるかに超えている。そのように感じながら読むことが大切なのです。
「兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。」
ローマの兵士たちが、シモンにも十字架を無理に担がせたことは、考えてみると、これもやはり、キリストを苦しめるものであったことは明らかです。なぜでしょうか。それはキリスト御自身の立場に立って考えてみると分かることです。
救い主の仕事は人を救うことです。人を救うとは、苦しみや悲しみや痛み、そして罪の中から救い出すことです。簡単に言えば、人を楽(らく)にすることです。重荷を負って苦しんでいる人の背中や肩からできるかぎり重荷を取り去り、軽くしてあげることです。
ところが、兵士たちは、キリストの目の前で、キリスト御自身が背負っている十字架を、直接的には何の関係もないシモンにも背負わせました。人を楽にする仕事をしてこられたキリストの目に、御自身一人で背負ってこられた十字架を無理やり背負わせられて苦しむシモンの姿を見せつけることは、キリストの心を痛めつける行為であり、嫌がらせ以外の何ものでもありません。
「そして、ゴルゴタという所、すなわち『されこうべの場所』に着くと、苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。」
兵士たちがキリストに飲ませようとした「苦いものを混ぜたぶどう酒」とは、痛み止めの薬の役割を果たすものであったと考えられます。それは彼らのキリストに対する憐みの行為であると見ることもできるかもしれません。あるいは、激しい痛みに苦しむ人間の姿は、それを見る者にも苦痛を与えるものです。彼ら自身がそれを直視することに耐えられなかった。だからこそ痛み止めの薬を与えようとしたのだ、と考えることができるかもしれません。
ところがキリストは、それを飲むことを拒否なさいました。「なめただけで」とありますのは、棒か何かで口の中に無理やり突っ込まれたからだと思われますので、正しい日本語に置き換えるとしたら、「なめさせられただけで」ではないかと思われます。
なぜキリストはそれを拒否されたのでしょうか。考えられることは一つです。キリストは十字架の上で味わわれるべき苦しみを、余すところなくすべて御自身の体と心にお引き受けになろうとされたのです。人から憐れまれることを拒否なさった、と言ってもよいかもしれません。あるいは、人々の目に御自身が味わっておられる苦しみのすべてをお見せになろうとされたと言うべきかもしれません。
そのことはまた、とりもなおさず、人間が犯す罪の大きさ、深さをすべての人々の前で明らかになさろうとされたということにもなるでしょう。目を大きく開いてこのわたしを見よ。わたしの苦しみこそがあなたがたの罪の現実そのものなのだ。そのようにキリストは、十字架の上で、御自身の身をもって示されたのだと考えることができるでしょう。
「彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、そこに座って見張りをしていた。」
兵士たちは十字架にはりつけにされたキリストの目の前で、「くじ」を引きました。これは当時の遊びです。激しく苦しんでいる人の前で遊ぶ。これもまた、キリストの心と体を痛めつけることになる行為と見ることができるでしょう。たとえば、この頃の政治家たちも、この種のことではしょっちゅう槍玉にあげられます。大地震が起こって避難している人々が大勢いるのにゴルフで遊んでいた。船が遭難して行方不明者がいるのに酒を飲んでいた。そういう態度を見ると、激しく腹を立てる人がいるのです。とても不愉快に感じる人がいるのです。
「イエスの頭の上には、『これはユダヤ人の王イエスである』と書いた罪状書きを掲げた。」
キリストの頭の上に掲げられた言葉が「罪状書き」として書かれたものであることも、キリストに対する侮辱そのものです。彼らの気持ちをあえて言葉にするとしたら、「こいつがユダヤ人の王なんだってさ、あはは」というくらいのところでしょう。学校のいじめの方法でよく知られているものとして、同級生の背中に「バカ」と張り紙をするというのがあるのとあまり変わりがありません。いずれにせよ人を馬鹿にし、笑い物にする行為です。
「折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。」
キリストの十字架は二人の強盗の間に立てられました。同じようなものとして扱われたわけです。そして実際、キリストは、まさに強盗が受けるのと同じ刑罰をお受けになり、多くの人々から激しく侮辱されることによって、地獄の苦しみを味わわれたのです。
「そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。『神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。』同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。『他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。「わたしは神の子だ」と言っていたのだから。』一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。」
滑稽なことは、そこを通りかかった人々と、ユダヤ教団の指導者である祭司長や律法学者や長老たちが、同じようなことを言っているところです。指導的な立場に立ちながら、知性のかけらもない、恥を知らない人々の姿が描かれていると見てよいでしょう。
ただし、両者に共通している要素には注目すべき点があります。それは、通りがかりの人々が言った「自分を救ってみろ」、またユダヤ教団の指導者たちが言った「他人は救ったのに、自分は救えない」という点です。
これは注目に価します。彼らの言っている言葉の一部には真理があると、私には感じられます。彼らは、おそらく意図せずして、真理を言い当てているのです。
どの点がそうでしょうか。「自分は救えない」がそれであると思います。ただし、真理はこの言葉と全く一致しているわけではありません。真理は「自分は救わない」です。救い主の仕事は人を救うことだからです!人の重荷を軽くし、人を楽にすることだからです!人の重荷を軽くするとは、その人の代わりに自分が重荷を背負うことです。逆もまた然り。人を苦しめるとは、自分が背負っている重荷をおろして、人に背負わせることです。
2月17日の出来事があり、少し体力の限界を感じましたので、東関東中会の一つの委員会の仕事を降ろさせてもらおうと、委員長に相談しましたところ、「だめだよー」と言われました。「関口さんが辞めたら、私の仕事が増えるから」と。泣きそうな顔で言われたので辞めないことにしました。
単純すぎる説明かもしれません。しかし、わたしたちが味わっている苦しみとは、そのようなものであると思います。誰かある特定の人が大きな重荷を担ってくれているおかげで、楽をすることができる人々もいる。だれかが自分の重荷をすっかりおろしてしまえば、他の人にその重荷が回って来る。
救い主イエス・キリストは、本来ならば全人類が担うべき自分自身の罪の罰を、身代りに引き受けてくださいました。自分が楽をすることを、一切お考えになりませんでした。救い主は、自分を「救え」なかったのではなく、「救わ」なかったのです。人を助けること、人を楽にすることを、心から願われたのです。
このキリストの前で「今すぐ十字架から降りるがよい。そうすれば、信じてやろう」と罵るユダヤ教団の指導者たちの姿は、ぶざまです。彼らの関心は自分を救うこと、つまり、いかに自分の重荷をおろせるか、いかに自分が楽をするかということにしか無かったことが、図らずも暴露されています。人の重荷を背負いましょう、人を楽にしてあげましょう、ということには、これっぽっちも関心がない。要するに、自分のことしか考えていない、自己中心的で、自己愛のきわめて強い人々であったことが分かります。
自分を「救え」ないのではなく、自分を「救わ」ない救い主イエス・キリストの中に、真の神の愛が示されています。自分を犠牲にし、自分の心や体はボロボロにしながらも、世のため、人のために命を投げ出すイエス・キリストのお姿に本当の愛、真実の愛のあり方が示されているのです。
これは、わたしたちもできることでしょうか。イエス・キリストのように、わたしたちも生きることができ、死ぬことができるでしょうか。全く同じことはできない、ということを率直に認めるべきです。わたしたちはやはり、できれば自分が楽になりたいでしょう。だれかが苦しんでいても、見て見ぬふりをするでしょう。あるいは、苦しんでいる人の前でへらへら笑っていることもある。人を口汚く罵り、見くだした態度をとることもある。そしてまた、苦しんでいる人の前で「わたしもたいへんだ。あなただけが苦しいわけではない」と言いたくなることもあるでしょう。
これは、皆さんがそうであると言っているのではなく、私がそうだと言っているのです。自分にしか関心がない、自己愛の強い人間であるという点も、私自身のことを言っているのです。
しかし、それでよいと開き直るべきではありません。常に深く反省し、悔い改めるべきです。わたしたちはキリストと同じように生きることも、死ぬこともできません。しかし、キリストを模範にして生きること、死ぬことが、わたしたちに求められているのです。
(2008年3月16日、松戸小金原教会主日礼拝)
2008年3月14日金曜日
アジア・カルヴァン学会のブログを更新しました
「アジア・カルヴァン学会第五回講演会」の報告(執筆者 野村信代表)を同学会公式ブログに掲載しました。講演者とコメンテーターの写真付きです。
アジア・カルヴァン学会公式ブログ http://society.protestant.jp/
2008年3月12日水曜日
「日本改革教会協議会」と「アジア・カルヴァン学会」
昨日は「日本改革教会協議会」(会場・日本基督教団白金教会、JR目黒駅から徒歩3分)に出席した後、JR山手線に乗り、「アジア・カルヴァン学会講演会」(会場・立教大学、JR池袋駅から徒歩10分)に出席しました。前者のテーマは「礼拝式文について」、後者は「ルターとカルヴァンの聖書解釈について」でした。二つのグループは組織も課題も目的も異なるものですが、どちらも「カルヴァンの伝統」に立っているという点だけは明言できると思います。もともと私は後者でコメンテーターを務める予定だったのですが、前者への出席が要請されたため、コメンテーターの仕事はお断りせざるをえませんでした。しかし、私の代わりに(「代わりに」などと申してよいかどうかは分かりません)急遽コメンテーターをお引き受けくださったのが、なんと加藤武先生(立教大学名誉教授)。私が引き下がったことで出席者への恩恵が倍増して、ほっとしました。加藤武先生のお訳しになった教文館刊『アウグスティヌス著作集』の「キリスト教の教え」は、加藤常昭先生はじめ多くの人々に「名訳」と絶賛されたものです。ちなみにこのアウグスティヌスの「キリスト教の教え」の中にかの有名なfrui(享受)とuti(使用)の区別が出てきます。アウグスティヌスによると、frui(享受)してよいのは「神」のみであり、神以外の「事物」はuti(使用)するのみである。このアウグスティヌスの思想はカルヴァンと改革派教会の神学においても色濃く継承され、たとえばウェストミンスター小教理問答第一問の答えとして有名な「人生の主たる目的は、神の栄光を表わし、永遠に神を喜ぶこと(enjoy God=frui Dei=神を享受すること)である」などに表現されてきました。ところが、この区別をファン・ルーラーは「キリスト教会が犯した最大の過ち」と呼んで激しく批判しました。とくに1950年代から1960年代にかけて公表された論文に同様の発言が繰り返し出てきます。そしてファン・ルーラーは、「人生の目的」(bestimming van de mens)とは、神が創造された世界を喜ぶこと(frui mundo)であり、かつ自分自身を喜ぶこと(frui sui)であると、アウグスティヌスに反対して(!)主張しました。私などは、アウグスティヌス先生を批判することなどあまりにも恐れ多くて想像すらしたことがありませんでしたので、ファン・ルーラーのアウグスティヌス批判に初めて接したときは、卒倒しそうなくらい動揺しました。しかし今では、ファン・ルーラーの論調に慣れてきた面もありますが、「よくぞ言ってくださった」という思いです。
2008年3月9日日曜日
町に信頼される教会をめざして
使徒言行録19・21~40
「そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった。そのいきさつは次のとおりである。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。『諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界をあがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。』これを聞いた人々はひどく腹を立て、『エフェソ人のアルテミスは偉大な方』と叫びだした。そして、町中が混乱してしまった。」
今日の個所に紹介されていますのは、使徒パウロの第三回伝道旅行の途中、エフェソに滞在していた頃に起こった出来事です。パウロたちがキリスト教信仰を熱心に宣べ伝えた結果、エフェソに大きな暴動が起こったのです。それは町中を大混乱状態に陥れる非常に困った事件でした。そして、その暴動によって町があまりにもひどい状態になったので、町の役人が暴動の鎮圧に乗り出してようやく騒ぎが収まったという話です。
しかし、いま私が申し上げましたのは、事件の途中経過を省略して、最初と最後だけをくっつけただけの説明です。誤解されては困ることがあります。それは、このエフェソの暴動の犯人はパウロではないということです。パウロたちは、本当にただキリスト教信仰を宣べ伝えただけです。しかしその教えの内容を故意に曲げて受けとめる人々、あるいは全く誤解して受けとめる人々が現われたのです。そして過剰反応する人々が現われました。あのような信仰を宣べ伝えられると自分たちの立場が危なくなると考えた人々が現れたのです。そしてその人々がキリスト教信仰と伝道者パウロに対して非常に腹を立てました。その結果として暴動が起こったのです。ですから、パウロたちには暴動そのものに対しては何の責任もありません。暴動は犯罪です。その責任はそれを起こした犯人にあるのです。
暴動の発端は、アルテミス神殿の模型を作っていたデメトリオという銀細工師がパウロの「手で造ったものは神ではない」という言葉に反応したことです。たしかにこのようにパウロは語りました。使徒言行録17・29の言葉です。アテネでの説教です。「わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません」。考えられることは、アテネでパウロが確かに語った言葉が、数年の時を経て、エフェソのデメトリオの耳に届いたのではないかということです。
しかし、パウロが語ったのは、いわばそれだけです。そして、それは確かな事実であり、真実です。手で造ったものが神であるはずがないのです。これはキリスト教を信仰を受け入れている人々だけの真理ではなく、誰にでも受け入れることができる普遍的な真理なのです。パウロは、単純で当たり前の真理を語っただけです。少年は、王さまが裸だったから「裸である」と言っただけです。パウロが語ったのも同じようなことです。手で造ったものは神ではない。別の言い方をするなら、人間が神を造ることはできないということです。
しかし、デメトリオは、このパウロの言葉に対して非常に強く反応しました。キリスト教信仰とやらがこの町に流行しはじめると、「我々の仕事の評判が悪くなってしまう」し、「偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされる」し、「この女神の御威光さえも失われてしまう」と考えました。私は、このデメトリオは、相当頭の切れる人であると感じられます。計算高く、物事の動きや流れを先読みすることができる能力がある、経済学者のような人です。しかしまたこの人はけっこう思い込みの激しいタイプの人でもあったようにも感じられます。パウロが言っていないことまでパウロが言ったかのように言いふらす。パウロは、神殿そのものへの批判や神殿の模型を作ることへの批判までは語っていません。デメトリオはパウロが言っていないことをまるでパウロが言ったかのように解釈し、勝手に怒っているのです。
魔術を行っていた人々がキリスト教信仰を受け入れた結果、不要になった銀貨五万枚の魔術の書物を焼き捨てたという出来事も、彼らに対してパウロが「そんな書物は、捨てなさい。焼きなさい」と勧めたということまでは書かれていません。そのように勧めたかもしれませんが、勧めなかったかもしれません。パウロが勧めたという事実があったとしても、それはそれで何の問題もありませんが、もし勧めていなかったとしたらパウロ一人に責任を押しつけられるのは理不尽です。
しかし、このように言いながらも私は、同時に別のことも考えています。それは何か。わたしたちの語る言葉には表面と裏面がある。そのことは否定できないということです。
わたしたちはただひたすら真の神を宣べ伝えているだけであり、真の宗教を宣べ伝えているだけです。教会の伝道の本来の目的は他の宗教の批判をすることではなく、他の人々が信じている神々を否定することではありません。しかし、今申し上げたことは、いわば言葉の表面です。わたしたちの言葉を聞く人々は、それほど素直に聞いてくれるわけではありません。言葉の裏側を必ず読み取ります。こちらが言っていないことまで勝手に読み取ってくれるのです。
伝道にはそのような要素がどうしても避けられません。わたしたちの言葉を聞く人々の中には「それではお前は我々がこれまで信じてきた神は偽物だと言うのか。我々の宗教は嘘っぱちだと言うのか。我々が代々守ってきた宗教を否定するお前は、我々の宗教施設や行事によって経済的に支えられてきた人々の生活を脅かすつもりなのか」と、そのような反応を起こす人が必ず現われるのです。
微妙な点があります。わたしたちが語る言葉の裏側にあるものをそこまで読み取る人々に対して「それは読み込みすぎである。我々はそこまで言っているわけではない」などと言って済ませることができるでしょうか。あるいは、今日の個所に登場するデメトリオがパウロの言葉の中に見抜いた事柄を、パウロ自身が、あるいは他の人々が「あなたは考えすぎである。我々はそこまでは言っていない」と言って済ませることができるでしょうか。それは無理なことではないか。そのようにも、私は考えるのです。
かくして、暴動は始まりました。実際のパウロはそのようなことを一言も言っていない言葉をまるでパウロが言ったかのように決めつけられることによって。しかしまた、暴動は、パウロがたしかに発した言葉の裏側を鋭く読み取る力がある人によって(避けがたく!)始められたものであるとも思われるのです。
「彼らは、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕え、一団となって野外劇場になだれ込んだ。パウロは群衆の中へ入っていこうとしたが、弟子たちはそうさせなかった。他方、パウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たちも、パウロに使いをやって、劇場に入らないようにと頼んだ。」
暴動はとても激しいものだったようです。興味深く感じるのは、「大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった」(32節)と書かれている点です。意味も分からずただ騒いでいただけの人々がたくさんいました。群集心理とは、まさにこのことです。
そういうときに、です。今日の個所を読みながら私が最も感銘を受ける点は、パウロの弟子たちや友人たちの動きです。「パウロは群衆の中へ入っていこうとした」と記されています。ところが、です。彼らは、おそらく体を張って、あるいは言葉を尽くして、パウロの突入を止めました。私はなぜ、このような点に“感銘”を受けるのでしょうか。理由ははっきりしています。そこに暴動が起こっているところのど真ん中に、たった一人で乗り込んでいこうとするパウロの行為は、愚かな人(要するにバカ)のすることだからです。そのようなことは、少しも誉められるべきものではないからです。このような愚かな行為は、誰かが(体を張ってでも!)止めなければならないのです。
何度も申し上げてきましたとおり、パウロという人は非常に強い人でした。正義感にも満ちあふれていました。だから、暴動の最中の群衆の中にでも堂々と入っていこうとしたのでしょう。そして彼が皆の前で始めようとしたことは、おそらく説教です。自分の口で率直な言葉を語れば、なかには理解してくれる人も出てくるかもしれないとでも思ったのでしょうか。あるいは、ひょっとしたら、さらに楽観的に考えた可能性もあります。もしかしたら、このわたしに託された神の力によってこの暴動をやめさせることができるかもしれない、と考えたかもしれません。
このようなやり方は、うんと悪く言えば、傲慢な態度にも通じます。正義感という名の傲慢です。結局のところ、自分の力を過信することです。パウロの弟子たちと友人たちは、パウロの姿にそのようなものを見出したのではないでしょうか。
パウロの無謀な突入を止めた彼らの判断は、非常に正しいものであったと、私には思われます。わたしたちの多くは、パウロを模範と考えます。私もパウロを尊敬しています。しかし、パウロが聖霊に導かれて生きる者であるならば、パウロの弟子たちもその点では同じです。群衆の中に突入しようとしたパウロの判断は聖霊に導かれているものだったかもしれませんが、それを言うならば、パウロの突入を止めた彼の弟子たちの判断も聖霊に導かれているものです。パウロだけがそうだと語ることはできません。
彼らがパウロに何を言ったかは分かりません。「パウロ先生、お願いですからやめてください。あなたが行くと火に油を注ぐようなものです。暴動は収まるどころかますます激化するでしょう。今あなたのなすべきことは、一刻も早く暴動を鎮めることです。そのためにこそ、どうか群衆の中に入っていかないでください。無謀なことはしないでください」。もし私ならば、そのように言ったかもしれません。
事実、この暴動はエフェソの町の役人が登場し、「本日のこの事態に関して、我々は暴動の罪に問われるおそれがある」という脅し文句付きで諭されることによって初めて鎮静化されるに至りました。政治の力に委ねられる必要があったのです。
今日の個所を読みながら考えさせられたことは、教会と伝道者は賢くなければならないということです。わたしたちが日々携わっている伝道のわざは、今すぐにでも喧嘩に巻き込まれてしまいかねない要素で満ちあふれています。わたしたちが真の神を宣べ伝えるや否や、他の宗教の人々や他の存在を信じている人々が「我々の存在を否定された」というようなことを感じて、怒り出すからです。
しかし、そのときにわたしたちにできることは、必要以上に火に油を注がないことです。けんかしないでください。たとえ売られたけんかであっても、どうか買わないでください。この場面ばかりはパウロを見習わないでください。パウロの弟子や友人たちの側の言い分に耳を傾け、聞き従ってください。今の日本では、暴動までは起こらないかもしれませんが、教会とキリスト者は、今すぐにでも町や家族の中から孤立させられてしまいます。町から孤立した教会に、町への伝道ができるでしょうか。家族の中で孤立したキリスト者に、家族への伝道ができるでしょうか。そこに大きな疑問があるのです。
町に信頼される教会をめざすためには、言いたいことも、したいことも、少々我慢する必要があるのです。わたしたちには「何もしない」という方法もあるのです。すべてを神に委ねること、自分は引き下がることが、すべてを解決してくれるときもあるのです。
(2008年3月9日、松戸小金原教会主日礼拝)
2008年3月7日金曜日
インプットとアウトプット
昨日の日記に、「ファン・ルーラーの著作を読んでいるときがいちばん幸せを感じられる」という趣旨の言葉を、確かに書きました。これは正直な気持ちです。しかし、こういう言葉は誤解を生みやすいものかもしれません。その前後に行ったこと、すなわち、入院している方の訪問、牧師館の大掃除、中会の委員会などには「幸せを感じられない」という意味ではありません。これとあれを見比べて、こちらはつらいがあちらは楽しいと言いたいわけではありません。しかし強いて言うならば、ファン・ルーラーの著作を読むことは私にとって「疲れ果てた体と心を温泉で癒すこと」に似ているかもしれません。ファン・ルーラー自身にもその自覚があったようです。たとえば、月曜日に訳していた論文「教義の進化」(De evolutie van het dogma)の中に「教義それ自体に贅沢や遊びの要素がある」(Het dogma heeft iets aan zich van luxe en spel)という名言が見られるように、です(A. A. van Ruler, Verzameld werk, deel 1, Boekencentrum, 2007, p. 285)。そのとおり!神学、とりわけ教義学には確かに「贅沢や遊びの要素」があります。旅行よりもスポーツよりも楽しい要素があります。そう感じるのは、おそらく私にとって神学の学びは「インプットの側面」だからです。生のエネルギーの充填です。それに対して、教会や中会や大会などの仕事は「アウトプットの側面」です。神学の学びが本当にただの学びだけで終わるとしたら、限りなく空虚そのものです。神学は、《地上の世界》と《地上の教会》と《地上の人間》の諸現実の中で(試行錯誤のうちに)実践されることによって検証されなければなりません。しかし、インプットなしのアウトプットは息切れの原因です。ガソリンを入れないで自動車を走らせようとするようなものです。牧師のガソリンは神学です(「牧師の」だけではないことは分かっていますが、今は私自身のこと(愚痴のようなことですが)を書いている場面なので)。新しく設立されたばかりの東関東中会には、東部中会のような「神学研修所」はありません。活力の源が近くにないことは、牧師が力を失う原因になります。神戸改革派神学校は、距離が遠すぎて手が届きません。松戸小金原教会の牧師館から自動車で一時間弱も走れば「東京キリスト教学園」(東京基督教大学・東京基督神学校・共立基督教研究所。いずれも千葉県印西市)、また二時間強走れば(外環自動車道を利用してのことです)私の出身校「東京神学大学」(東京都三鷹市)に到着します。関東地方に「改革派教義学」と「ファン・ルーラー」をキーワードとする具体的な人間関係を作っていきたいと願っています。そして各地でファン・ルーラーの読書会が開かれることを期待しています。もし私にもお助けできることがあれば、何でも喜んでさせていただきます。これまでの実績としては、2004年9月から3月までの半年間、「東京キリスト教学園」で学生有志のファン・ルーラー研究会を開くことができました(講師は関口 康)。学生さんたちは、とても熱心に、また楽しそうに参加してくださいました。メーリングリストは9年も続けてきましたが、インターネット上のやりとりには、この熱気を感じることが難しいのです。
2008年3月6日木曜日
いろいろやっていました
一週間ほど日記を書けませんでした。パソコンの前には毎日いたのですが、いろいろあって忙しかったことと、特に書き残したい言葉が見つからない日が続いていたことが原因です。先週金曜日は、入院しておられる方を訪問しました。土曜日は、牧師館内外の大掃除を行いました。腰痛を起こすほど夢中で片付けました。おかげで、身辺がかなりすっきりしました。今週火曜日は「東関東中会伝道委員会」がありました。書記である私にとっては、負担や責任が小さくありません。昨日水曜日は、水曜礼拝。その中で、気持ちの上で最も充実感があったのは今週月曜日です。久々にファン・ルーラーの論文の翻訳に没頭することができました。「私は生きている」と実感できる瞬間です。心に喜びがあふれます。奇妙なやり方かもしれませんが、ファン・ルーラーの二つの論文を同時並行的に訳していく方法を採りましたところ、自分でも驚くほどスムーズに訳筆を進めることができました。二つの論文とは、1958年の「理性の評価」(De waardering van de rede)と1959年の「教義の進化」(De evolutie van het dogma)です。どちらも昨年9月に刊行が始まった新しい『ファン・ルーラー著作集』(Verzameld werk)の第一巻に収録されています。この二つは、執筆された時期が近いためでしょう、内容や方向において重なるところが多くありますが、なおかつ、後者には前者からのさらなる発展の要素も見られ、思索の深まりや広がりを感じることができました。二つの論文を同時に翻訳するという芸当は、少なくとも私にとっては、パソコンを持っていなかった頃には全く考えられないことでした。便利な時代になったものです。
2008年3月2日日曜日
信仰の価値
使徒言行録19・1~20
パウロの伝道旅行は、すでに三回目に突入しています。第三回旅行が始まったばかりの頃に起こった出来事が今日の個所に記されています。
「アポロがコリントにいたときのことである。パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子に出会い、彼らに、『信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか』と言うと、彼らは、『いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません』と言った。パウロが、『それなら、どんな洗礼を受けたのですか』と言うと、『ヨハネの洗礼です』と言った。そこで、パウロは言った。『ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。』人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたりした。この人たちは、皆で十二人ほどであった。」
最初の段落に記されていますのは、先週学んだ個所に初めて登場しました伝道者アポロに関する出来事です。雄弁で熱心な伝道者であったアポロはエフェソの町で伝道しました。ところが、このアポロが宣べ伝えた教えにはパウロが宣べ伝えてきたものとは異なる要素が含まれていたということが、先週の個所に明らかにされていました。
アポロはイエス・キリストについては正確に語っていました。ところが洗礼については「ヨハネの洗礼しか知らなかった」と言われています。ヨハネとは、イエス・キリストが公生涯をお始めになる前に活躍した預言者です。「ヨハネの洗礼」とは、救い主がこれからお出でになることを知っていた預言者ヨハネが、救い主をお迎えするために各人が自分の罪を悔い改め、身と心を清める必要があると教え、そのために多くの人に授けた洗礼です。それでヨハネの洗礼は「悔い改めの洗礼」と呼ばれていました。
これに対して、イエス・キリストの御名による洗礼とはどういうものでしょうか。その特徴がパウロの言葉の中に出てきます。「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」。信仰に入るとは「洗礼を受ける」ということと同義語です。つまり、パウロが行なっていた洗礼は、それを受けると聖霊を受けるものであるということです。
「聖霊を受ける」とは、どういうことでしょうか。面倒な説明は省略して結論だけを申します。「聖霊」とは、わたしたちの信仰理解では三位一体の神御自身です。ですから、「聖霊を受ける」とは「(聖霊なる)神(!)を受け取る」ということです。「神を受け取る」という表現自体は、奇妙に聞こえるものかもしれません。しかし洗礼と同時に起こる出来事は、まさにそのようにしか表現できないものです。聖霊なる神がわたしの中に入ってこられるのです!わたしの中に神が住んでくださるのです!そのような実に驚くべき出来事が、洗礼を受けて信仰生活を始めるときに起こるのです。
しかし、アポロから洗礼を受けた人々は、そういうことを全く知りませんでした。聖霊の存在そのものを「聞いたこともない」とさえ言っていました。それでおそらくパウロはびっくりしたでしょうし、危機感を覚えたでしょう。なぜなら、アポロから洗礼を受けたエフェソの人々が信じていることは聖霊の働きを抜きにしたものであり、それはパウロが宣べ伝えてきた信仰とは異なるものであるということに気づいたからです。
聖霊の働きを抜きにした信仰とはどういうものでしょうか。使徒言行録に具体的な描写はありません。しかし想像することは可能です。聖霊は神御自身です。そうであるならば、「聖霊を受けた」と信じている人々はわたしの存在の中に神御自身が住んでおられることを信じているのです。そして聖霊は、神として御自身の御言葉をお語りになります。その際、聖霊は、わたしの心の中で、わたし自身の言葉とは別の言葉を、特にしばしばわたし自身の言葉に逆らった仕方でお語りになるのです。
変なことを申し上げているように聞こえているかもしれません。しかし、これはわたしたち自身も体験したことがあることです。たとえば、今朝、皆さんの中に「今日は教会に行くのがつらいなあ」とお感じになった方がおられませんでしょうか。それはおそらく、皆さん自身の言葉です。人間の言葉です。しかし、そのすぐあとに、「いや、でも、今日はやっぱり教会に行こう」と思い直された方はおられませんでしょうか。それも皆さん自身の言葉かもしれません。しかし、ひょっとするとそれこそが聖霊なる神御自身が皆さんに語りかけてくださった言葉かもしれないのです。
あるいは先週、皆さんの中に罪の誘惑を受けた人がおられませんでしょうか。悪いことをしていると分かっている。でもこれは仕方がないことだ、みんなやっていることだし、これくらいは大丈夫だと、自分で自分に言い聞かせている。これはおそらく皆さん自身の言葉です。しかし、すぐあとに「いや、でもやっぱりやめよう。罪を犯してはならない」という言葉が聞こえてきたという方はおられませんでしょうか。それは、ひょっとすると、聖霊なる神御自身の言葉かもしれません。そのようにあなたの心の中であなた自身に語りかけてくる別の言葉があるとお感じになった方はおられませんでしょうか。それを感じたことがある方は、おそらくすでに「聖霊を受けている」のです。
そして「聖霊を受けた人」は「預言」や「異言」を語り始めました。この文脈で「預言」と「異言」は同じ意味です。神の言葉としての「説教」のことです。わたしの内なる神の言葉、すなわち聖霊の声を聞いたことがある人だけが「説教」を語ることができるようになるのです。
ところが、アポロの授けた洗礼には聖霊なる神への信仰という要素がありませんでした。すると、どうなるか。罪への誘惑にあったときに、「いや、でもやっぱりやめよう」という言葉が心に響くことがあっても、それはあくまでも自分自身の言葉であり、わたしの意志や努力の結果であり、自分でなした悔い改めの結果であると考えざるをえないでしょう。そうしますと、罪の誘惑に負けることなく、踏みとどまることができた場合にも「それは私ががんばったからである」と、自分で自分を誉めることになるでしょう。アポロの宣べ伝えた信仰の本質は、結局のところ、自分を誇るものになるでしょう。
しかし、パウロが宣べ伝えた信仰は、そのようなものではありませんでした。パウロの場合は、罪を行わないように踏みとどまることができたのは、わたしががんばったからではなく、神が踏みとどまらせてくださったからであるということになるのです。そこには神への感謝があります。そして、その感謝のもとで自分の弱さと罪深さを自覚させられ、どこまでも謙遜にさせられます。まさにそれがパウロの宣べ伝えた信仰です。キリスト教信仰の目標は、自分を誇ることではなく、神に一切の栄光をお帰しすることであり、神に感謝することだからです。アポロの宣べ伝えた信仰は、パウロの伝道によって修正され、書き換えられる必要があったのです。
「パウロは会堂に入って、三か月間、神の国のことについて大胆に論じ、人々を説得しようとした。しかしある者たちが、かたくなで信じようとはせず、会衆の前でこの道を非難したので、パウロは彼らから離れ、弟子たちをも退かせ、ティラノという人の講堂で毎日論じていた。このようなことが二年も続いたので、アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった。」
パウロはエフェソの会堂で三か月間御言葉を宣べ伝えました。ところが、会堂に集まる人々の中に、パウロの言葉を受け入れず、またあからさまに攻撃してきた人々がいました。しかしそこでパウロは、これまでのように腹を立てたり、けんか腰で怒鳴りつけたりしたかと言いますと、そういうことは書かれていません。むしろ、どちらかというと御言葉を受け入れない人々の前からは静かに身を引き、いわばその代わりに、御言葉を受け入れる人々のところに行って伝道を続けるというやり方がとられたかのように描かれています。パウロの側にこれまでの強引なやり方に対する反省があったとまで言ってよいかどうかは微妙です。しかし、幾分か、パウロの穏やかな様子が伝わってくるような気がします。
わたしたちも考えておくほうがよさそうなことは、同じ伝道をするなら聞く耳を持っている人々に対して積極的に行うほうが楽しいし、有意義であるということは否定できないということです。反対する人々は、何が何でも反対します。それが真理であるかどうかは全く関係ないと思っている人々がいます。最初から聞く耳を持つ気がない。そういう人々の耳をこじ開けて受け入れさせることは至難の業ですし、神経をすり減らすばかりです。パウロは少し自分の健康を気にするようになったのかもしれません。聞く耳を持っている人々に御言葉を語る。その場合には、どれだけ語っても疲れることはありません。
「神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた。彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気はいやされ、悪霊どもも出て行くほどであった。ところが、各地を巡り歩くユダヤ人の祈祷師たちの中にも、悪霊どもに取りつかれている人々に向かい、試みに、主イエスの名を唱えて、『パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる』と言う者があった。ユダヤ人の祭司長スケワという者の七人の息子たちがこんなことをしていた。悪霊は彼らに言い返した。『イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ。』そして、悪霊に取りつかれている男が、この祈祷師たちに飛びかかって押さえつけ、ひどい目に遭わせたので、彼らは裸にされ、傷つけられて、その家から逃げ出した。このことがエフェソに住むユダヤ人やギリシア人すべてに知れ渡ったので、人々は皆恐れを抱き、主イエスの名は大いにあがめられるようになった。信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきり告白した。また、魔術を行っていた多くの者も、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を見積もってみると、銀貨五万枚にもなった。このようにして、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった。」
今日の最後の段落に記されていることの要点を短く述べておきます。これもエフェソでの出来事です。パウロの伝道によってキリスト教信仰を受け入れた人々の中に、それ以前は魔術を行っていた人々がいました。しかし、信仰を受け入れた日からその魔術の書物が不要になりました。その書物の値段は、なんと銀貨五万枚(現在の五億円に相当か)ほどであったというのです。です。それを捨てる決心が、彼らの心に芽生えたのだということです。逆にいえば、キリスト教信仰には、五億円を捨てても惜しくないほどの価値があるのだということです。
信仰はお金で買うことはできませんし、信仰によって受け取る聖霊もお金で買うことができないものです。信仰による救いをお金で獲得できるわけではありませんし、聖霊なる神をお金で雇うことができるわけでもありません。信仰も聖霊も無料(ただ)で受け取るものです。しかし、お金で買うことができないもの(プライスレス)は、「だから無価値である」というわけではないのです。信仰には、計り知れないほどの価値があります。魔術のようなものに惑わされないための知恵と判断力を与えられます。霊感商法のような宗教的詐欺行為、あるいは占いやおみくじのようなものにも惑わされません。罪の誘惑に易々と乗りません。
キリスト教信仰は、本当に大切なものは何であるかを知っています。神と隣人を愛することが大切です。そのためにわたしたちは生きているのです。神と隣人のために自分の命をささげることこそが最も大きな愛であるということを、わたしたちは知っているのです。この価値ある信仰に生きているわたしたちは、幸せです。
(2008年3月2日、松戸小金原教会主日礼拝)
2008年2月29日金曜日
「研究環境」の整備をめぐる主要課題
私の少しばかりの経験から語りうることは、ファン・ルーラーの研究と翻訳を志す者たちの書斎(ないし研究室)に揃えておくべき必要最低限の文献は前記五名の著作(カイパー、バーフィンク、トレルチ、バルト、ノールトマンス。とくに彼らの『全集』や『著作集』や『教義学』の一式)であるということです。日本語版や他国語版があるものについては、それらを揃えることも「翻訳」のための有益な参考資料になります。
そしてもちろん、彼らの著作を「揃えておく」というだけでは不十分であり、徹底的に読み込んでおく必要があります。しかし、上記五人の書物を読むためには、最低でもオランダ語とドイツ語の知識は不可欠です。
また彼らの書物にはヘブライ語、ギリシア語、ラテン語の三大古典語はもとより、英語やフランス語あたりは遠慮会釈なく出てきますので、これらの外国語についての手ほどきをどこかで少しだけでも受けていないかぎり、全く手に負えません。
以上のことが、言うならば「日本におけるファン・ルーラー研究」を可能にする大前提です(「ファン・ルーラー自身の著作を収集する」という点はあまりにも自明すぎる前提ですので、ここでは省略いたします)。
しかしまた、これだけの前提がある程度までクリアされていれば、翻訳はかなりスムーズに進んでいくでしょう。ただし、これだけの「研究環境」を《整備する》ということのためだけに、軽く10年や20年くらいはかかるはずです。
加えて、「語学留学」ができればベストでしょうけれど、そこまで行くとよほどの大富豪の家庭か、そうでなければ強大な組織(大学や教団や財団など)の後ろ盾があるような人にしか実現しえないでしょうし、一般家庭ならば文字通り「家屋敷を売り払うこと」でもしないかぎり無理でしょう。
それに、飛ぶように売れる書物の翻訳でもあるならともかく、販売益を全く期待できない教義学の翻訳の前提を得るための出費なのですから、ある見方をすれば、ただの「道楽」か「趣味」、あるいは「放蕩」にさえ見えるかもしれません。この偏見や嘲笑との戦いにも相当の年月がかかることを、覚悟しなくてはならないでしょう。
ファン・ルーラーと「五人の神学者」
ファン・ルーラーの著作が有する「謎」の要素は、だれの書物からの引用であるかが分からないところにもあります(それだけではありませんが)。ただし、ファン・ルーラーの蔵書量と読書量は非常に多かったということも知られています。引用元の文献を特定することは容易ではありません。しかし、それでは全く手掛かりがないかというと、そんなことはありません。絶望すべきではありません。ファン・ルーラーに圧倒的な影響力を及ぼした偉大な先人は、もちろんある程度特定できます。
確実なところを五人挙げるとしたら、アブラハム・カイパー、ヘルマン・バーフィンク、エルンスト・トレルチ、カール・バルト、ウプケ・ノールトマンスです。五人のうちカイパーとバルトに対してファン・ルーラーは、激烈なまでの批判を投げかけもしました。しかし、彼が彼らを攻撃したのは、党派心や私怨などからではありえず、カイパーとバルトの神学がオランダ改革派教会に及ぼした影響が圧倒的なものであったからこそ、どの神学にも必ず存する短所や欠点を指摘しておく必要が生じたからです。
ファン・ルーラーが「改革派の」神学者であったということについては間違いなく言いうることであり、この点に彼は、少し強すぎるほどのこだわりさえ持っていました。しかし、彼の書物の中に「我々カルヴィニストは」というたぐいの表現を見つけたことは、私自身はまだありません。ファン・ルーラーは「カイパー主義者」にも「バルト主義者」にもなりませんでしたし、そのようなものになることができませんでした。大樹に寄りかかることも、長いものに巻かれることも、よしとしませんでした。「自立して神学すること」(zelfstandige te theologiseren)をこそ、よしとしたのです。
しかしそれでも、バーフィンク、トレルチ、ノールトマンスに対する尊敬は(彼らの「主義者」になるという仕方においてではありませんでしたが)非常に大きいものでした。