「アジア・カルヴァン学会第五回講演会」の報告(執筆者 野村信代表)を同学会公式ブログに掲載しました。講演者とコメンテーターの写真付きです。
アジア・カルヴァン学会公式ブログ http://society.protestant.jp/
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昨日は「日本改革教会協議会」(会場・日本基督教団白金教会、JR目黒駅から徒歩3分)に出席した後、JR山手線に乗り、「アジア・カルヴァン学会講演会」(会場・立教大学、JR池袋駅から徒歩10分)に出席しました。前者のテーマは「礼拝式文について」、後者は「ルターとカルヴァンの聖書解釈について」でした。二つのグループは組織も課題も目的も異なるものですが、どちらも「カルヴァンの伝統」に立っているという点だけは明言できると思います。もともと私は後者でコメンテーターを務める予定だったのですが、前者への出席が要請されたため、コメンテーターの仕事はお断りせざるをえませんでした。しかし、私の代わりに(「代わりに」などと申してよいかどうかは分かりません)急遽コメンテーターをお引き受けくださったのが、なんと加藤武先生(立教大学名誉教授)。私が引き下がったことで出席者への恩恵が倍増して、ほっとしました。加藤武先生のお訳しになった教文館刊『アウグスティヌス著作集』の「キリスト教の教え」は、加藤常昭先生はじめ多くの人々に「名訳」と絶賛されたものです。ちなみにこのアウグスティヌスの「キリスト教の教え」の中にかの有名なfrui(享受)とuti(使用)の区別が出てきます。アウグスティヌスによると、frui(享受)してよいのは「神」のみであり、神以外の「事物」はuti(使用)するのみである。このアウグスティヌスの思想はカルヴァンと改革派教会の神学においても色濃く継承され、たとえばウェストミンスター小教理問答第一問の答えとして有名な「人生の主たる目的は、神の栄光を表わし、永遠に神を喜ぶこと(enjoy God=frui Dei=神を享受すること)である」などに表現されてきました。ところが、この区別をファン・ルーラーは「キリスト教会が犯した最大の過ち」と呼んで激しく批判しました。とくに1950年代から1960年代にかけて公表された論文に同様の発言が繰り返し出てきます。そしてファン・ルーラーは、「人生の目的」(bestimming van de mens)とは、神が創造された世界を喜ぶこと(frui mundo)であり、かつ自分自身を喜ぶこと(frui sui)であると、アウグスティヌスに反対して(!)主張しました。私などは、アウグスティヌス先生を批判することなどあまりにも恐れ多くて想像すらしたことがありませんでしたので、ファン・ルーラーのアウグスティヌス批判に初めて接したときは、卒倒しそうなくらい動揺しました。しかし今では、ファン・ルーラーの論調に慣れてきた面もありますが、「よくぞ言ってくださった」という思いです。
昨日の日記に、「ファン・ルーラーの著作を読んでいるときがいちばん幸せを感じられる」という趣旨の言葉を、確かに書きました。これは正直な気持ちです。しかし、こういう言葉は誤解を生みやすいものかもしれません。その前後に行ったこと、すなわち、入院している方の訪問、牧師館の大掃除、中会の委員会などには「幸せを感じられない」という意味ではありません。これとあれを見比べて、こちらはつらいがあちらは楽しいと言いたいわけではありません。しかし強いて言うならば、ファン・ルーラーの著作を読むことは私にとって「疲れ果てた体と心を温泉で癒すこと」に似ているかもしれません。ファン・ルーラー自身にもその自覚があったようです。たとえば、月曜日に訳していた論文「教義の進化」(De evolutie van het dogma)の中に「教義それ自体に贅沢や遊びの要素がある」(Het dogma heeft iets aan zich van luxe en spel)という名言が見られるように、です(A. A. van Ruler, Verzameld werk, deel 1, Boekencentrum, 2007, p. 285)。そのとおり!神学、とりわけ教義学には確かに「贅沢や遊びの要素」があります。旅行よりもスポーツよりも楽しい要素があります。そう感じるのは、おそらく私にとって神学の学びは「インプットの側面」だからです。生のエネルギーの充填です。それに対して、教会や中会や大会などの仕事は「アウトプットの側面」です。神学の学びが本当にただの学びだけで終わるとしたら、限りなく空虚そのものです。神学は、《地上の世界》と《地上の教会》と《地上の人間》の諸現実の中で(試行錯誤のうちに)実践されることによって検証されなければなりません。しかし、インプットなしのアウトプットは息切れの原因です。ガソリンを入れないで自動車を走らせようとするようなものです。牧師のガソリンは神学です(「牧師の」だけではないことは分かっていますが、今は私自身のこと(愚痴のようなことですが)を書いている場面なので)。新しく設立されたばかりの東関東中会には、東部中会のような「神学研修所」はありません。活力の源が近くにないことは、牧師が力を失う原因になります。神戸改革派神学校は、距離が遠すぎて手が届きません。松戸小金原教会の牧師館から自動車で一時間弱も走れば「東京キリスト教学園」(東京基督教大学・東京基督神学校・共立基督教研究所。いずれも千葉県印西市)、また二時間強走れば(外環自動車道を利用してのことです)私の出身校「東京神学大学」(東京都三鷹市)に到着します。関東地方に「改革派教義学」と「ファン・ルーラー」をキーワードとする具体的な人間関係を作っていきたいと願っています。そして各地でファン・ルーラーの読書会が開かれることを期待しています。もし私にもお助けできることがあれば、何でも喜んでさせていただきます。これまでの実績としては、2004年9月から3月までの半年間、「東京キリスト教学園」で学生有志のファン・ルーラー研究会を開くことができました(講師は関口 康)。学生さんたちは、とても熱心に、また楽しそうに参加してくださいました。メーリングリストは9年も続けてきましたが、インターネット上のやりとりには、この熱気を感じることが難しいのです。
一週間ほど日記を書けませんでした。パソコンの前には毎日いたのですが、いろいろあって忙しかったことと、特に書き残したい言葉が見つからない日が続いていたことが原因です。先週金曜日は、入院しておられる方を訪問しました。土曜日は、牧師館内外の大掃除を行いました。腰痛を起こすほど夢中で片付けました。おかげで、身辺がかなりすっきりしました。今週火曜日は「東関東中会伝道委員会」がありました。書記である私にとっては、負担や責任が小さくありません。昨日水曜日は、水曜礼拝。その中で、気持ちの上で最も充実感があったのは今週月曜日です。久々にファン・ルーラーの論文の翻訳に没頭することができました。「私は生きている」と実感できる瞬間です。心に喜びがあふれます。奇妙なやり方かもしれませんが、ファン・ルーラーの二つの論文を同時並行的に訳していく方法を採りましたところ、自分でも驚くほどスムーズに訳筆を進めることができました。二つの論文とは、1958年の「理性の評価」(De waardering van de rede)と1959年の「教義の進化」(De evolutie van het dogma)です。どちらも昨年9月に刊行が始まった新しい『ファン・ルーラー著作集』(Verzameld werk)の第一巻に収録されています。この二つは、執筆された時期が近いためでしょう、内容や方向において重なるところが多くありますが、なおかつ、後者には前者からのさらなる発展の要素も見られ、思索の深まりや広がりを感じることができました。二つの論文を同時に翻訳するという芸当は、少なくとも私にとっては、パソコンを持っていなかった頃には全く考えられないことでした。便利な時代になったものです。
私の少しばかりの経験から語りうることは、ファン・ルーラーの研究と翻訳を志す者たちの書斎(ないし研究室)に揃えておくべき必要最低限の文献は前記五名の著作(カイパー、バーフィンク、トレルチ、バルト、ノールトマンス。とくに彼らの『全集』や『著作集』や『教義学』の一式)であるということです。日本語版や他国語版があるものについては、それらを揃えることも「翻訳」のための有益な参考資料になります。
そしてもちろん、彼らの著作を「揃えておく」というだけでは不十分であり、徹底的に読み込んでおく必要があります。しかし、上記五人の書物を読むためには、最低でもオランダ語とドイツ語の知識は不可欠です。
また彼らの書物にはヘブライ語、ギリシア語、ラテン語の三大古典語はもとより、英語やフランス語あたりは遠慮会釈なく出てきますので、これらの外国語についての手ほどきをどこかで少しだけでも受けていないかぎり、全く手に負えません。
以上のことが、言うならば「日本におけるファン・ルーラー研究」を可能にする大前提です(「ファン・ルーラー自身の著作を収集する」という点はあまりにも自明すぎる前提ですので、ここでは省略いたします)。
しかしまた、これだけの前提がある程度までクリアされていれば、翻訳はかなりスムーズに進んでいくでしょう。ただし、これだけの「研究環境」を《整備する》ということのためだけに、軽く10年や20年くらいはかかるはずです。
加えて、「語学留学」ができればベストでしょうけれど、そこまで行くとよほどの大富豪の家庭か、そうでなければ強大な組織(大学や教団や財団など)の後ろ盾があるような人にしか実現しえないでしょうし、一般家庭ならば文字通り「家屋敷を売り払うこと」でもしないかぎり無理でしょう。
それに、飛ぶように売れる書物の翻訳でもあるならともかく、販売益を全く期待できない教義学の翻訳の前提を得るための出費なのですから、ある見方をすれば、ただの「道楽」か「趣味」、あるいは「放蕩」にさえ見えるかもしれません。この偏見や嘲笑との戦いにも相当の年月がかかることを、覚悟しなくてはならないでしょう。
ファン・ルーラーの著作が有する「謎」の要素は、だれの書物からの引用であるかが分からないところにもあります(それだけではありませんが)。ただし、ファン・ルーラーの蔵書量と読書量は非常に多かったということも知られています。引用元の文献を特定することは容易ではありません。しかし、それでは全く手掛かりがないかというと、そんなことはありません。絶望すべきではありません。ファン・ルーラーに圧倒的な影響力を及ぼした偉大な先人は、もちろんある程度特定できます。
確実なところを五人挙げるとしたら、アブラハム・カイパー、ヘルマン・バーフィンク、エルンスト・トレルチ、カール・バルト、ウプケ・ノールトマンスです。五人のうちカイパーとバルトに対してファン・ルーラーは、激烈なまでの批判を投げかけもしました。しかし、彼が彼らを攻撃したのは、党派心や私怨などからではありえず、カイパーとバルトの神学がオランダ改革派教会に及ぼした影響が圧倒的なものであったからこそ、どの神学にも必ず存する短所や欠点を指摘しておく必要が生じたからです。
ファン・ルーラーが「改革派の」神学者であったということについては間違いなく言いうることであり、この点に彼は、少し強すぎるほどのこだわりさえ持っていました。しかし、彼の書物の中に「我々カルヴィニストは」というたぐいの表現を見つけたことは、私自身はまだありません。ファン・ルーラーは「カイパー主義者」にも「バルト主義者」にもなりませんでしたし、そのようなものになることができませんでした。大樹に寄りかかることも、長いものに巻かれることも、よしとしませんでした。「自立して神学すること」(zelfstandige te theologiseren)をこそ、よしとしたのです。
しかしそれでも、バーフィンク、トレルチ、ノールトマンスに対する尊敬は(彼らの「主義者」になるという仕方においてではありませんでしたが)非常に大きいものでした。
ファン・ルーラーを読んでいますと、「トレルチの問題」にぶつかることが不可避的であることに気づかされます。改革派教義学者ファン・ルーラーが「トレルチ研究者」でもあったことは確実です。
ファン・ルーラーがフローニンゲン大学神学部に提出した卒業論文のテーマが「ヘーゲル、キルケゴール、トレルチの歴史哲学」というものでした(指導教授prof. dr. W. Aalders)。そして、さらにその後彼は、トレルチの歴史哲学に関する博士論文まで書こうとしていました。しかし、教会の牧師の仕事をしているうちに新しい関心が芽生えたため、博士論文のテーマは教義学的なものに変更しました。しかし、ファン・ルーラーがトレルチについての博士論文を書こうとしていたことは事実であり、そうしようと思うくらいに彼がトレルチを徹底的に読み込んでいたことも確実です。実際、ファン・ルーラーの文章にはトレルチからの引用が多いし、トレルチの問題提起を受けた発言も多い。
ただしファン・ルーラーは、トレルチに限らずどんな人からの引用であっても引用元を明示していない場合が多く、それがファン・ルーラー研究者を泣かしてきました。そのため、ファン・ルーラーの文章のどこにトレルチの引用があるかを見抜くという厄介な仕事は、当たり前のことですが、トレルチ自身の文章を実際に読んだことがある人にしか不可能であるということにもなるわけです。
私はこれでも一応、東京神学大学大学院で「エルンスト・トレルチの倫理思想」についての修士論文を書いた者です(審査の結果はあまり思わしいものではありませんでしたが)。私も一時期トレルチはかなり読み込みました。特に、最高の金字塔『歴史主義とその諸問題』(Der Historismus und seine Probleme, 1922)は、近藤勝彦先生の全訳版を、感動の涙を流しながら何度も繰り返して読みました。どこに書いてあるかをすぐに思い出せなくても、トレルチがどういうことを考えていたかが少しは分かります。ファン・ルーラーを読みながら、「これはトレルチの引用だな、たぶん」と分かります。はずれたことはありません。
今週月・火曜日の東関東中会教師会一泊研修会で久米あつみ先生がお教えくださったことの一つは、フランスのカルヴァン学者、オリヴィエ・ミエ先生の凄さ。ミエ先生の手にかかると、この手書き文書はカルヴァン自身の直筆かどうかなどは数行も読めば判別できるとのこと。
私もいつか、せめてファン・ルーラーに関して、また理想的には主要なオランダ改革派神学者に関して、その域に達してみたいと願っています。
一昨日、昨日と日記を書けなかったのは、体調不良のせいではなく不在だったからです。東関東中会教師会一泊研修会でした。テーマは「カルヴァンの生涯と神学」、講師は久米あつみ先生(帝京大学元教授、アジア・カルヴァン学会顧問、フランス文学者)、会場は日本キリスト改革派勝田台教会(千葉県八千代市)でした。せっかくの機会を牧師たちだけで特権的に占有してはなるまいと、最初の部分を「公開講演会」にして一般の参加者を募りましたところ、老若男女、大勢集まってくださり、満堂になりました。開会礼拝をささげた後、久米先生の明晰で味わい深い名講義(90分)を堪能できました。そしてその後は一般の参加者にはお帰りいただきました。帰り際、どなたもとても満足しておられました。私は教師会の会長(昨日まで)として本企画の主催者でしたので、参加者の嬉しそうな表情に深い慰めを得ました。そして、牧師たちだけになってから、久米先生の御著書(久米あつみ著『カルヴァンとユマニスム』、お茶の水書房、1997年)をテキストにしたゼミを行い、そこに久米先生御自身にも参加していただき、まことに懇切丁寧なご指導をいただくことができました。そのような満ち足りた二日間を過ごしておりました。ゼミの中で私もレポートを書いて発表する担当者になりました(そのレポートはここにあります)。私の担当箇所は「第七章 カルヴァンのレトリック」の部分でした。本当に心から信頼しあえる同僚牧師たちと深く広い学びができたと感じ、うれしく思いました。帰宅後、久米先生の御著書に言及されている古代の修辞学者クインティリアヌスのことを知りたいと思い、例によってネットで検索してみました。すると、な、なんと、ごく最近のことのようですが、クインティリアヌスの主著Institutio Oratoriaが日本語に翻訳され、その日本語版の全五分冊(原著は全12巻)中の一冊目がすでに出版されていると知り、非常に驚きました(クインティリアヌス著『弁論家の教育〈1〉』 、西洋古典叢書、京都大学学術出版会、2005年)。さっそくAmazonで注文しました。