2007年6月3日日曜日

「神は天におられる」

使徒言行録7・44~53



今日の個所で、ステファノの説教は終わります。ここでもステファノは、旧約聖書の話をしています。この個所の登場人物の中で大事な名前は、ダビデとソロモンです。



「わたしたちの先祖には、荒れ野に証しの幕屋がありました。これは、見たままの形に造るようにとモーセに言われた方のお命じになったとおりのものでした。この幕屋は、それを受け継いだ先祖たちが、ヨシュアに導かれ、目の前から神が追い払ってくださった異邦人の土地を占領するとき、運び込んだもので、ダビデの時代までそこにありました。ダビデは神の御心に適い、ヤコブの家のために神の住まいが欲しいと願っていましたが、神のために家を建てたのはソロモンでした」。



ダビデとソロモンは親子です。どちらも神の民イスラエルが一つの国家を形成していた時代の王になった人々です。ダビデの前に、サウルという初代の王がいました。しかし、サウルは、神御自身によって王座から退けられました。そのため、ダビデが二代目の王となり、ダビデの子ソロモンが三代目の王となりました。



とくにダビデ王は、非常に尊敬された人です。とても熱心な信仰者であり、かつ政治的に有力・有能な指導者でした。長生きした人でもあります。戦争にもめっぽう強く、戦利品などをたくさん持ち帰ってくることができたので、ダビデ王時代のイスラエルは非常に豊かでした。



ダビデが歴史的に果たした役割は何かということを考えるときには、今申し上げましたことの中で、二つの点がとくに重要です。第一は、ダビデはとても熱心な信仰者であったという点です。第二は、ダビデ王の時代のイスラエルは非常に豊かであった、つまり当時のイスラエルは、比較的、経済的に潤沢な時代であった、という点です。



信仰的に熱心であり、かつ経済的に潤沢である。それらを維持するにふさわしい政治的な力も与えられている。もしそれがわたしたちの場合であればどうだろうかと考えてみてください。そういうときに、人はどんなことを考えるのだろうかということを考えてみていただきたいのです。



ダビデがしようとしたことは、要するに、神殿を建てることでした。それは、神さまを礼拝する場所であり、まさに礼拝堂です。小さな建物ではありません。巨大な建物です。そういうものをダビデは造ろうとしました。



信仰と財産の両方が備わっているというのは、悪いことではありません。むしろ、非常に良いことです。新しい礼拝堂建設というようなことは、信仰と財産の両方が兼備されているときにしか考えることができませんし、逆に言えば、その両方が備わっているならば、そのときこそ新しい礼拝堂建設のチャンスである、ということも言えるでしょう。ダビデの時代のイスラエルは、まさにそのような時代だったのです。



しかし、です。ダビデは、新しい神殿の建設を非常に強く熱望し、それを建てる準備のためには全力を尽くしました。ところが、ダビデ自身はその神殿を見ることができませんでした。それどころか、ダビデが生きている間には、神殿工事が始まることもありませんでした。神殿工事が始まったのは、ダビデの子ソロモンの時代でした。そうなることを、ダビデ自身が望んだのです。ダビデは何を考えていたのでしょうか。そのことがはっきり分かるのは、旧約聖書・歴代誌上の以下の記事です。



「ダビデは、『わが子ソロモンは、主のために壮大な神殿を築き、その名声と光輝を万国に行き渡らせるためにはまだ若くて弱い。わたしが準備しなければならない』と言って、死ぬ前に多くの準備をした。ダビデはその子ソロモンを呼び、イスラエルの神、主のために神殿を築くことを命じて、ソロモンに言った。『わたしの子よ、わたしはわたしの神、主の御名のために神殿を築く志を抱いていた。ところが主の言葉がわたしに臨んで、こう告げた。「あなたは多くの血を流し、大きな戦争を繰り返した。わたしの前で多くの血を大地に流したからには、あなたがわたしの名のために神殿を築くことは許されない。見よ、あなたに子が生まれる。その子は安らぎの人である。わたしは周囲のすべての敵からその子を守って、安らぎを与える。それゆえ、その子の名はソロモンと呼ばれる。・・・この子がわたしの名のために神殿を築く。この子はわたしの子となり、わたしはその父となる」』」(歴代誌上22・5~10)。



これで分かるように、ダビデは、非常に冷静に、自分の息子ソロモンには、まだ十分な実力が無い、ということを見抜いています。ダビデは親バカではなかったということが、よく分かります。



神殿建設の準備はこのわたしがする。しかし、このわたしは、あまりにも多くの戦争を体験し、その中で他人の血を流しすぎた。そういう(けがれた)人間が(きよい)神殿を建てることはふさわしくないという声を神御自身から聞いたと信じた。これが、ダビデには神殿建設に着工することも、神殿の完成した姿を見ることもできなかった理由です。



ダビデにとって、神殿を造りたいという願いは、彼自身が抱いた夢なのですから、当然のことながら、彼自身の手で、夢をかたちに変えたいと願ったに違いないでしょう。



しかし、実際には手を引きました。わたしの夢をわたし自身が実現する、ということについてはこれを封印し、わたしは計画と準備だけを行い、計画の遂行と実現は次の世代の人々に託した。こういう冷静で慎重で謙虚な判断をくだすことができたのはダビデの信仰深さゆえであると考えることは、決して間違ってはいないと思います。



ここで思い起こしていただきたいのは、このステファノの説教を学び始める前に、そもそもステファノという人が教会の表舞台に登場するきっかけとなった出来事は何だったかについて、私がお話しした内容です。



それは、教会の中にある一つの大きなトラブルが起こった、ということでした。それを適切に処理するために、使徒たちが考えたことは、新しく七人の教会役員を選挙し、その人々に新しい問題の解決を担ってもらうことにした、ということでした。これを別の角度から見ると、使徒たち(旧役員たち)は、教会の中に新しい問題が起こったときに、悪い意味でそれらすべてを自分たちだけで抱え込んでしまわなかった、ということでもあるのだ、と私は申し上げました。



新しい問題に対して新しい教会役員たちで対応するということ、従来の教会役員たちが自らの限界を正直に打ち明けつつ、他の人々の助けと協力を要請するということは決して間違った態度ではないし、恥ずかしいことでもありません。



さて、今申し上げたことと、先ほどから申し上げておりますダビデの態度との間には、明らかに共通点がある、ということを、わたし自身は感ぜざるをえません。重要な共通点は、何もかも自分で抱え込んでしまわないという点です。わたしがすべてをやってしまうというような態度をとらない、そのような決断を行わない、ということです。



ちょっと言いたいことがあるのです。日本キリスト改革派教会だけではなく日本の多くの教会で、数年前から新会堂建設ラッシュです。そのこと自体が悪いと言いたいわけではありません。



しかし、です。ちょっとだけ言いたいことは、その仕事は本当に今しなければならないことなのですかと疑問に感じる例もないわけではない、という点です。まさか、会堂建築は自分の手柄であるなどと考える牧師はいないでしょう。ぜひそう信じたいですが、それはともかく。



いずれにせよ、わたしは、何人かの牧師たちに対しては、その仕事は本当に、今しなければならないものですか、次にその教会に来る牧師、あるいは次の次、場合によっては次の次の次くらいの牧師がすればよい仕事かもしれませんよ、それは先生、あなたのすべき仕事ではないと思いますよ、と言いたい気持ちを、抑えきれずにいるのです。



つまらぬ名誉心、目に見える結果を急いで焦る気持ち、そして「このわたしがやらねばならぬ」という抱え込み。はっきり言えば、その種のことはすべて、教会の私物化に通じます。教会は神さまのものであり、救い主イエス・キリストの体です。だれか個人が私物化した時点で、その教会は“教会”ではありません。



お金も人も少ないときに無理して造った建物が小さいものになることは当たり前です。しかし、あなたの次の牧師の時代には、その教会は大きく成長し、栄えるかもしれないではありませんか。そのような場合には、前任者の時代に造られた小さな建物が教会の成長を著しく阻害する、非常に迷惑な存在になる、ということがありうるのです。



われわれ教会の者たちは、本当はもちろん自分自身がやり遂げたかった神殿建設の仕事を息子ソロモンに委ねたダビデや、教会の中に起こってきた新しい問題に対して、新しい役員を選んで対応しようとした使徒たちの姿勢に、多くのことを学ぶべきです。



ステファノの説教の内容からは、かなり脱線しました。しかし、重要な点には、触れたつもりです。そして、ステファノがこの説教で語ろうとしていることも、突き詰めていくと、先ほどからわたしが申し上げているようなことと深い次元で共通している事柄である、ということが分かっていただけるはずです。



なぜなら、ステファノが語っているのは、“エルサレム神殿の住人たち”、すなわち当時のユダヤ教団の指導者たちに対する痛烈なまでの批判だからです。



神殿という建物の中に、「神」が住んでおられるわけではない。神は「天」におられる!あなたがた神殿の住人たちは、まさか「神」ではないし、神を語る資格も無い。そのように、ステファノは語ろうとしているのです。



「けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。主は言われる。『天はわたしの王座、地はわたしの足台。お前たちは、わたしにどんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。これらはすべて、わたしの手が造ったものではないか。』かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」



大きな建物の住人が、偉いわけではありません。建物の大きな教会が、立派なわけではありません。それは目の錯覚にすぎません。建物の大きさに幻惑されてはなりません。



大切なことは、建物の大きさではありません。ステファノが旧約聖書の御言葉を通して訴えているのは、信仰の大切さです。アブラハムの信仰的な決断や、ヨセフの神さまとの深く永続的な信頼関係の意味を思いめぐらすことが、大切です。モーセの召命と荒れ野の四十年の試練の中で鍛えられたのも、信仰でした。



信仰をもって立つ人は、どのような脅迫にも動じることがありません。



ステファノは、信仰において生き、そして信仰において、まさに死んだのです。



(2007年6月3日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年5月27日日曜日

「モーセの召命と荒れ野の四十年」

使徒言行録7・17~43



今日は、ペンテコステ礼拝です。歴史的教会の誕生日です。この地上に教会が存在することの意義は、何でしょうか。わたしたちが毎週日曜日や別の日に教会に集まる意味は、何でしょうか。これらの問いの答えを求めつつ、今日の聖書の個所を読んでいきましょう。



今日もまた、先週に引き続き、ステファノの説教の内容を学びます。今日の個所に登場しますのは、モーセです。



モーセのおいたちと活躍を記した旧約聖書の書物は、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記と、実に四つの書物に及びます。歴史的に果たした役割やその一人の人物を通して啓示された神御自身の御言葉の量や質から見て、実にモーセは、旧約聖書における最大の人物の一人であると言って、間違いありません。
 
「『神がアブラハムになさった約束の実現する時が近づくにつれ、民は増え、エジプト中に広がりました。それは、ヨセフのことを知らない別の王が、エジプトの支配者となるまでのことでした。この王は、わたしたちの同胞を欺き、先祖を虐待して乳飲み子を捨てさせ、生かしておかないようにしました。このときに、モーセが生まれたのです。神の目に適った美しい子で、三か月の間、父の家で育てられ、その後、捨てられたのをファラオの王女が拾い上げ、自分の子として育てたのです。』」



17節から22節までに語られていますのは、モーセが生まれたときの時代的な背景と、その中でモーセがどのような境遇で生まれ、育てられたのかという点です。今日はあまり詳しい内容に踏み込んでお話しすることはできません。重要なことは、モーセが生まれたときの背景は、イスラエルの人々にとっては苦しみの時代であった、ということです。



その頃のイスラエル人たちは、エジプトの国の中で生活していましたが、次第に民の数が増え、力を持つようになってきたために、エジプト国王ファラオにとっては邪魔な存在となってきた。戦争が始まると、もしかしたらイスラエル人たちが寝返って、エジプトの敵となり、この国を征服するかもしれない。



そのような理由から、ファラオがイスラエル人たちに対して布いた政策は、彼らを奴隷状態に置くことでした。具体的には強制労働による虐待という方法が採られました。また、そのようなひどいことをするエジプト国王ファラオは、イスラエル人の家に生まれる男の子はすべてナイル川に放り込んで殺せ、という命令を出すまでに至りました。



その時代にイスラエル人の家に生まれたのがモーセでした。モーセは男の子ですから、ナイル川に投げ込まれなければならないところでしたが、神さまの不思議なご配慮により、生き延びました。そして(途中を省きますが)なんとファラオの王女に拾われて、王女の子どもとして育てられることになったのです。



これはモーセの話です。しかし、ここでこそ先週わたしが申し上げましたことを、思い起こしていただきたいのです。説教を聴きながらいろんなことを考えてください。わたしたち自身のこと、家族のこと、また周りにいる多くの人々のことを考えてください。



わたしたちは、モーセとは全く違う時代状況の中に生まれ育ちましたので、比較はできないかもしれません。しかし、皆さんの中には、お生まれになったとき、戦争の真っ只中であったという方が大勢おられます。辛い体験を通り抜けてきた、という方が大勢おられます。モーセと同じように、生んだ親とは別の親に育てられたという方が、この中におられるかどうかは問わないでおきます。



生きるとは、つらいものです。楽しいことばかりではありません。顔では笑って、心で泣いている。そのような人は、大勢いるのです。



イスラエルの人々は、真の神を信じる人々でした。同じ神を信じない、神などそもそも信じない、そのような政治家によって彼らは徹底的に苦しめられました。歴史的に見れば、キリスト教に対して不寛容であり続け、今もそうであるこの国、日本の中でのキリスト者の存在とイスラエルの人々の姿は、いくらか似ている面があるのではないでしょうか。



わたしたちにとって、モーセは、全く赤の他人かもしれません。しかし、彼の生涯には、わたしたち自身の人生を深く考えるきっかけを与えてくれる、多くの材料があるのです。



「『そして、モーセはエジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いをする者になりました。四十歳になったとき、モーセは兄弟であるイスラエルの子らを助けようと思い立ちました。それで、彼らの一人が虐待されているのを見て助け、相手のエジプト人を打ち殺し、ひどい目に遭っていた人のあだを討ったのです。モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、彼らが理解してくれると思いました。しかし、理解してくれませんでした。次の日、モーセはイスラエル人が争っているところに来合わせたので、仲直りをさせようとして言いました。「君たち、兄弟どうしではないか。なぜ、傷つけ合うのだ。」すると、仲間を痛めつけていた男は、モーセを突き飛ばして言いました。「だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか。きのうエジプト人を殺したように、わたしを殺そうとするのか。」モーセはこの言葉を聞いて、逃げ出し、そして、ミディアン地方に身を寄せている間に、二人の男の子をもうけました。』」



23節から29節までに語られていますのは、モーセが四十歳のときに体験した、一つの大きな出来事です。だいたい、今のわたしくらいの年齢です。若いといえば若い。しかし、だんだん社会的な責任を負わされていく頃です。



その出来事の内容は、ステファノが語っているとおりです。モーセは、エジプト人から虐待を受けていたイスラエル人を助けたいと思うあまり、虐待行為をしていたエジプト人を殺してしまいました。それが良いことであると、モーセは確信していました。ところが、その事件はモーセにとっては意外な結末を迎えることになりました。それは、彼が助けたはずのイスラエル人から恐れられ、嫌われ、憎まれるという結末でした。



仲間を助けるためならば、殺人をも厭わない。尊い目的のためには、どのような手段を用いても構わない。このような考えをもっていたに違いないモーセは、自分の手で助けた人自身から憎まれる、という厳しい裁きを受けることになったのです。



ここでまた、わたしたち自身のことを振り返って考えてみましょう。皆さんの人生の中で、こうすることこそが正しいことであり、多くの人々もきっと理解してくれるだろうと確信して行ったことによって人を傷つけてしまったとか、空回りしてしまったとか、全く予想外の落とし穴にはまってしまった、ということが、なかったでしょうか。



若気の至り、という言葉で済ませてよいかどうかは分かりません。モーセにも空振り・空回りの時代があった、ということです。この出来事が、モーセの生涯の中で重大な意味を持ち続けたことは、間違いありません。



「『四十年たったとき、シナイ山に近い荒れ野において、柴の燃える炎の中で、天使がモーセの前に現れました。モーセは、この光景を見て驚きました。もっとよく見ようとして近づくと、主の声が聞こえました。「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である」と。モーセは恐れおののいて、それ以上見ようとはしませんでした。そのとき、主はこう仰せになりました。「履物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる土地である。わたしは、エジプトにいるわたしの民の不幸を確かに見届け、また、その嘆きを聞いたので、彼らを救うために降って来た。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう。」人々が、「だれが、お前を指導者や裁判官にしたのか」と言って拒んだこのモーセを、神は柴の中に現れた天使の手を通して、指導者また解放者としてお遣わしになったのです。』」



30節から35節までに語られていますのは、四十歳のときからさらに四十年たったとき(つまり八十歳のとき)に出会った出来事です。それは、主なる神の声を聞いた、という出来事です。



これを「召命」(calling)と呼びます。神から呼ばれることです。それは、このわたしのために備えられた神の御心を知ることであり、また、わたしが神とこの世の中でどのような働きと役割を果たすことがふさわしいのかを自覚し、そのためにこの身を献げること、まさに“献身”することです。召命や献身は「牧師になること」だけを意味しているわけではありません。神の御心に従って生きるすべての人に、当てはまることです。



モーセは、神さまから「履物を脱げ」と言われました。神を畏れる態度を具体的に示せ、という意味ではないでしょうか。そしてモーセは「さあ、今あなたをエジプトに遣わそう」とも言われました。エジプトにいるイスラエル人たちを助けるためです。主なる神御自身がモーセを遣わしてくださいました。神御自身が、奴隷の家エジプトから約束の地カナンまでイスラエルの民を率いていく指導者として、モーセを選んでくださったのです。



ここで再びわたしたちの姿を顧みてみましょう。何をやっても空振り・空回り、良かれと思って行った親切が裏目に出て、人から文句を言われたり、嫌われたり、相手との人間関係が壊れてしまった。そのとき、わたしたちの心の中にあるものは何でしょうか。自分が良いことをしている、という傲慢な思いではないでしょうか。



そのときに大切なことは、神さまの御心は何かを知ることです。そして、この神というお方の召命に応えて生きること、神の御心に従って生きることが重要です。それは、このわたしが良いことをしている、という生き方とは、根本的に異なるものです。



先週の個所で、ステファノがヨセフについて語っていたのは、「神がヨセフを離れず」ということでした。ヨセフが神から離れず、ではないと申しました。神がモーセを遣わしてくださったというときの主導権は、常に神にあります。モーセは何もしていないという話ではありません。しかし、主なる神さまの御前で徹底的に謙遜であることが求められます。傲慢な思いは、神御自身に打ち砕いていただかなければならないのです。



「『この人がエジプトの地でも紅海でも、また四十年の間、荒れ野でも、不思議な業としるしを行って人々を導き出しました。このモーセがまた、イスラエルの子らにこう言いました。「神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。」この人が荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです。けれども、先祖たちはこの人に従おうとせず、彼を退け、エジプトをなつかしく思い、アロンに言いました。「わたしたちの先に立って導いてくれる神々を造ってください。エジプトの地から導き出してくれたあのモーセの身の上に、何が起こったのか分からないからです。」彼らが若い雄牛の像を造ったのはそのころで、この偶像にいけにえを献げ、自分たちの手で造ったものをまつって楽しんでいました。そこで神は顔を背け、彼らが天の星を拝むままにしておかれました。それは預言者の書にこう書いてあるとおりです。「イスラエルの家よ、お前たちは荒れ野にいた四十年の間、わたしにいけにえと供え物を献げたことがあったか。お前たちは拝むために造った偶像、モレクの御輿やお前たちの神ライファンの星を担ぎ回ったのだ。だから、わたしはお前たちをバビロンのかなたへ移住させる。」』」



36節から43節までに語られていますのは、エジプトから脱出したモーセとイスラエルの民による荒れ野の四十年の様子です。彼らはエジプトを出た後、約束の地カナンに入るまで、なんと四十年もかかったのです。距離の問題ではありません。歩くと四十日で辿り着く距離であると言われます。問題は、彼らの信仰であった、というのが聖書の見方です。荒れ野の四十年を通して、神御自身が、彼らの信仰をお試しになったのです。彼らの信仰が強くなるように、神御自身が訓練してくださったのです。



38節の「命の言葉」が、いわゆるモーセの十戒であり、もろもろの律法です。律法は、とりわけ十戒は、命の言葉です。わたしたちすべての人間が神の御前にあって正しく誠実に生きていくために必要な言葉です。生活の言葉であり、人生の言葉です。



この命の言葉をモーセがシナイ山で神さまから授かっている最中に、山のふもとでは、モーセの兄弟アロンを中心に偶像礼拝が行われていたという話も出てきます。この話には続きがあります。ステファノは語っていませんが、山から降りてきたモーセがアロンたちの偶像礼拝の様子を見てかんかんに怒り、拝まれていた偶像(金の子牛)をぶっ壊して、粉々にして、その人々の口の中に流し込んで飲ませた、という恐ろしい話が、出エジプト記32章に出てきます。



「親の心、子知らず」。神さまの御心を神の子どもたちは、正しく聞こうとしないのです。日曜日の礼拝では神さまを力強く賛美する。家に帰った途端、すべてをすっかり忘れる。こういうことは、昔から繰り返されてきたことです。



しかし、です。そうであるからこそ、わたしたちには、教会というものが必要なのです。一回聞いたくらいでは覚えられない、忘れっぽい人間(わたしのことです!)のために、教会があるのです。わたしたちが定期的に教会に通う意味は、これです。



松戸小金原教会の歴史は、やや複雑な面がありますが、ときわ平団地での伝道開始の年(1965年)から数えると、四十年を過ぎたところです。



1965年生まれの私には、まだ語ることが許されていない言葉かもしれません。しかし、あえて申します。教会が教会らしくなるためには、少なくとも四十年はかかるのではないでしょうか。四十年くらいすれば、「ようやく教会らしくなった」ということが言えるようになるのではないでしょうか。もちろん、この「四十年」は象徴的な意味を含んでいます。すべての教会に「荒れ野の四十年」が必要なのです。



わたしたちが、さまざまな苦労を体験し、主の訓練を受けてきたことが、無駄に終わることはありません。



ステファノの説教を読みながら教えられることは、このようなことです。



(2007年5月27日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年5月20日日曜日

「神はヨセフを離れず」

使徒言行録7・9~16



今日も先週に引き続き、キリスト教会最初の殉教者となったステファノの説教を学んで行きたいと思います。



この説教の直後に、ステファノは殺されました。その意味で、この説教はステファノの遺言です。この人の生涯の最期に語られた言葉です。



今日の個所でステファノが取り上げていますのは旧約聖書の創世記の物語です。ヨセフという名前が出てきます。創世記37章から50章まで続くいわゆる「ヨセフ物語」です。



ヨセフ物語の詳細な内容につきましては、直接創世記をお読みいただきたいと思います。とても長い、そして非常に感動的な物語です。私は、新共同訳聖書に変えたことによって、最も読みやすく、また強い感動を覚えるようになったのは、このヨセフ物語です。



ヨセフ物語自体は長いものですが、ステファノは、それを短い言葉で要約しています。ステファノの要約する能力は、非常に優れています。



「この族長たちはヨセフをねたんで、エジプトへ売ってしまいました。」



ここで気になるのは、「この族長たち」(7・9)という表現です。また、続く個所に二度繰り返されている「わたしたちの先祖」(7・10、15)という表現です。



これはイスラエルという名前でも呼ばれたヤコブの、子どもたちのことです。ヤコブの子どもは、12人いました。そしてヨセフもヤコブの子どもであり、12人のうちの11番目に生まれたのですが、「この族長たちはヨセフをねたんで」とありますので、「この族長たち」の中にはヨセフは含まれませんし、また、ヨセフの弟ベニヤミンも含まれないと考えるべきですので、「この族長たち」の人数は10人である、と考えるのが適当でしょう。



この10人の族長たちのことを、ステファノは、「わたしたちの先祖」とも呼んでいます。これで分かることの第一は、ステファノ自身も生粋のユダヤ人であったということです。



第二は、「わたしたちの先祖」である「この族長たち」は、ヨセフをねたんで、エジプトへ売ってしまったと語ることにおいてステファノは、「わたしたちの先祖」に対して明らかに少し距離を置いており、またかなり強く批判的な思いを抱いている、ということです。



しかしまた、第三に、そのように批判的な思いを抱いている相手が「わたしたちの先祖」であると語る点でステファノは、まさにステファノ自身の先祖であるヤコブの子どもたちが犯した罪というものを他人事のようには考えず、むしろ、先祖たちの犯した罪の責任を自ら負うという仕方で、ある種の連帯責任を表明しているように読める、ということです。



ヨセフをエジプトへ売るとは、れっきとした一人の人間であるヨセフをエジプトの奴隷商人相手に売り渡した、という意味であり、人身売買を行ったということであり、要するに“人間をお金に換えた”ということです。



もっとも、創世記の記事を細かく見ていきますと、「ミディアン人の商人たちが通りかかって、ヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でイシュマエル人に売ったので、彼らはヨセフをエジプトに連れて行ってしまった」(創世記37・28)とあり、ヨセフを売ったのは兄たちではなく、たまたま通りかかったミディアン人であった、と読めることなども書いてありますので、少し注意深く語るほうがよいかもしれません。



とはいえ、ヨセフが明らかに、実の兄たちから辱めを受けたという点は否定できません。ヨセフはまさに心も体も深く傷つけられました。



もっとも、長男ルベンは、いくらか弟思いのところがありました。他の兄弟がヨセフを傷つけていたときに、ルベン一人が反対してヨセフを庇おうとする場面なども出てきます。



しかし、そのあたりの細かいことはステファノの説教の中では取り上げられていません。むしろ、強く前面に出して語られていることは、「わたしたちの先祖」がヨセフに対して罪を犯した、という点です。



そして、その罪の責任をこのわたしも受け継いでいるという自覚が「わたしたちの先祖」である「この族長たち」が、ヨセフをエジプトへ売ってしまった、という言葉の中に詰め込まれているのです。



ところで、「わたしたちの先祖」によってエジプトに売られてしまった“ヨセフ”とは、はたして“誰”のことでしょうか。あるいは「わたしたちの先祖」とは“誰”のことなのでしょうか。それはどういうことか。ヨセフは、もちろんヨセフです。それ以外の誰でもありません。しかし、ステファノは、ここで明らかに、ヨセフの話をしながらも、「わたしたちの先祖」ユダヤ人たちによって辱めを受けた、もうひとりの人のことを思い浮かべているように思われるのです。



説教とはしばしば、そのような仕方で語られるものです。純粋に聖書の御言葉を語りながら、目の前にいる一人一人のことを心配したり考えたりしながら語っているところが、必ずあります。



ですから、わたしは皆さんに、説教中はいろいろ余計なことを考えてください、と言いたいのです。説教の目的は、聖書のみことばを記憶することではなく、聖書のみことばを読みながらいろんなキーワードがあることに気づかされ、そこからいろいろと連想される自分自身の実際の生活や人生について、あれこれと思い巡らすことなのです。



さて、それでは“ヨセフ”とは、誰のことでしょうか。それは、おそらくわたしたちの救い主イエス・キリストのことです。そして“わたしたちの先祖”とは、誰か。おそらくイエスさまを十字架にかけて殺したユダヤ人たちを指している、と考えることができるのです。



ここでステファノは、イエス・キリストに苦しみと死をもたらしたユダヤ人たちのことを間違いなく連想させる「わたしたちの先祖」という表現を用いています。



そしてそれによってステファノ自身は、ユダヤ人たちに殺されたイエス・キリスト御自身の側ではなく、むしろイエス・キリストを殺したユダヤ人たちの側に立って、彼らと自分自身の連帯責任を表明しているのです。



ステファノはユダヤ人たちに対して、「あいつらが悪いのだ」と指差して言うのではなく、自分自身もユダヤ人の一人として、「わたしたちがイエスさまを殺したのだ」と語っているのです。



ところが、です。ステファノは次に、感動的な言葉を語っています。



「しかし、神はヨセフを離れず、あらゆる苦難から助け出して、エジプト王ファラオのもとで恵みと知恵をお授けになりました。そしてファラオは、彼をエジプトと王の家全体とをつかさどる大臣に任命したのです。」



「神はヨセフを離れず」。これは、「ヨセフは神を離れず」ではないところに大きな意味があるように思います。ヨセフの信心深さや努力の大きさは、問われていません。



神の側にどこまでも主導権(イニシアチブ)があり、神が恵みと憐れみの御手をもってヨセフを捉えて離さないでいてくださり、ヨセフ自身にどこまでも伴い続けてくださった様子が表現されているのです!



ヨセフは、ひどい目にあわされたのですから、たとえ絶望したとしても、誰も責めないであろうどころか、多くの人々の同情や共感を得ることができたでしょう。



しかし、ヨセフは絶望しませんでした。なぜ絶望しなかったのでしょうか。



神さまが、ヨセフを離れなかったからです!



神さまが、いつもヨセフと共にいてくださったからです!



ヨセフが「大臣」になったとか、飢饉の時代にエジプトの人々とヤコブの子ら(ヨセフを捨てた兄たち!)を政治家として救済した、という点は、もちろん大切なことです。



しかし、いわばもっと大切なことがある。それが、「神はヨセフを離れず」という点です。ヨセフの政治家としての成功や活躍は、神御自身がヨセフからお離れにならなかった結果として起こったことなのであって、その逆ではありません。



ステファノが語ろうとしていることは、単なるヨセフの立身出世物語(サクセスストーリー)ではありません。むしろ、ステファノは、ヨセフがたとえどのように困難で厳しい状況にあっても、「神が離れずにいてくださる」という事実があり、その事実を事実として信じる信仰があり、その神御自身がまさに生きて働いてくださり、たえず生ける真実の御言葉とみわざをとおして、現実の慰めと現実の励ましを与えてくださったので、彼が絶望することは全くなかったのだ、ということを語ろうとしているのです。



皆さんは、神さまが生きておられる、ということを信じておられますか。



皆さんは、人から見れば「絶望的な状況である」と思われても仕方がないだろうと自覚された場面には、たくさん遭遇されてきたことでしょう!



でも、そのとき絶望されましたか。



神の臨在が、そして、神の臨在を信じる信仰が、皆さんを励ましてくれたのではないでしょうか。



わたしたちも、同じように告白できるはずです。今、つらい思いを味わっている方ならば、なおさらです。



「神は、このわたし○○からも、離れることはない!」と(○○のところに自分の名前を入れて告白してください!)。



それだけで、ただそれだけで、ファイトが沸いてきます。



(2007年5月20日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年5月13日日曜日

「アブラハム・イサク・ヤコブの神」

使徒言行録7・1~8



今日の個所から始まっております、かなり長い説教は、ステファノという人物が語っているものです。このステファノはたいへん有名な人です。ステファノがどのことで有名なのかといいますと、この人こそが、長い二千年のキリスト教会の歴史のなかで最初に殉教の死を遂げた人である、という点で有名である、ということです。



このステファノは、先週学びましたとおり、教会の中で起こったある一つのトラブルをきっかけにして、そのトラブルに対処するために特別に選ばれた七人の教会役員の一人でした。その教会役員の職名を、先週私は「奉仕者」または「執事」と呼んでもよいと申し上げました。しかし、あとではっと気づいたことは、新共同訳聖書において彼らの職名は「奉仕者」とも「執事」とも書かれていないということです。少し説明が必要であるようだということに気づきました。



ステファノたち七人のことを「奉仕者」または「執事」と呼ぶことができるための根拠は、新共同訳聖書では、いくらか隠された形で出てきます。注目していただきたいのは、「日々の分配」(6・1)という言葉と、「食事の世話」(6・2)という言葉です。この「分配」の原語がディアコニア、また「世話」の原語がディアコネオーと言い、これがわたしたち改革派教会の中で「執事」(ディーコン)と呼んでいる職務の語源になっているのです。



ですから、わたしたちは安心して、ステファノのことを「執事」と呼んでもよいです。彼は使徒ではなく、また牧師でも長老でも神学者でもありません。しかし今日の個所から始まっている説教は、間違いなくステファノ執事が語ったものです。そしてこの説教者でもあるステファノ執事こそが、キリスト教会の歴史における最初の殉教者となった人なのです。



さて、ステファノの説教の内容に入っていく前に、このステファノの人となりについて書かれていることに触れておきます。三つあります。それは、第一に「ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた」(6・8)という点、第二に「彼〔ステファノ〕が知恵と“霊”とによって語るので、歯が立たなかった」(6・10)という点、そして第三に「最高法院の席についていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた」(6・15)という点です。



ただし、私は、この三つの点を別々に扱うつもりはありません。実は同じ一つの事柄が別の表現で言い直されている、と読むことができると考えております。そして、それは、難しいことではありません。キーワードは「恵みと力」、「知恵と霊」、「天使の顔」です。これらに共通していることは、いずれも、人間存在の外側から、あるいはこの地上世界の外側から、内側へと“入って来た”ものである、という点です。



「恵み」は神のプレゼントであり、ギフトです。「霊」は「聖霊なる神」です。「天使」は、聖書に登場する存在のなかでは最高度に謎めいている存在であるわけですが、少なくとも言えることは、彼らは人間ではないということです。天使とは神の被造物でありつつ、人間ではない、霊的な存在である、と説明されてきました。



それらが外側から入って来た、という意味は、もともとは無かったものである、ということです。「恵み」も「霊」も「天使の顔」も、また「力」や「知恵」でさえも、それらをステファノは、生まれたときから持っていたわけではありません。すべては神から与えられたものです。また、それらは、生まれたときからではないという意味で、あとから得たものです。そしてとりわけそれは、“信仰”によって、また “教会” (キリストの体!)を通して得たものなのです。



はっきり言いますと、神さまから信仰を与えられ、教会に連なっている人々すべてに、このステファノと同様の「恵み」と「霊」、そして「天使の顔」を与えられているのだ、ということです。もちろん、わたしたちもそうです。今お手元に鏡を持っておられるなら、ご覧になったらよいのです。皆さんの顔は「さながら天使の顔」のようです!



天使とはどんな顔なのかということを疑問に思う必要はありません。信仰をもって喜んで感謝して生きている人々の顔が「天使の顔」なのです。こういうことを私が言いますと、「わたしの顔は、とてもじゃないが天使のようではない」とお感じの方もおられるに違いありません。強いて言うとしたら、信仰の確かさの違い、あるいは信仰生活・教会生活に喜びを感じる度合いの違い(信仰の喜びの違い)が表情に現れているのです。しかしそれは、変わりうる要素です。



ただし、です。一つの点は、注意が必要かもしれません。結果的にそうなったという話ではあるのですが、このステファノに神さまから与えられていた「恵みと力」、「知恵と“霊”」、そして「天使の顔」がいわば招いた結果として、多くのユダヤ人たち、そしてまたしてもユダヤ教団の最高指導者たちの嫉妬や怒りを買うことになり、ステファノは逮捕されて、ユダヤ最高法院の場に引きずり出されることになってしまった、ということです。そして、6・11以下にありますとおり、ステファノは、でたらめな偽証を行う人間たちから、ありもしないことを言われたり、物理的な暴力を加えられたりしました。そして最終的には殉教という最悪の結果に至ってしまいました。



どの点に“注意が必要”なのでしょうか。それは、(半分くらいは冗談めかした言い方をするのをお許しいただきたいのですが!)、わたしたちが「天使の顔」をしていると、嫉妬や怒りを買うことにもなる、ということです。幸せそうな人を見ると嫌な気持ちがするという人が、必ず出てくるのです。信仰生活・教会生活が充実している人々、喜びと感謝に満たされている人々は、そうでない人々から憎まれることにもなるのです。



牧師などをしておりますと、他の人々よりも少し厳しい見方や言われ方をされる場合もあります。「“教会さん”なのだから、もうちょっとしっかりしてくださいよ」とか。なんとなくムカッときますが、教会の名誉のために抑えて抑えて。



だから、わたしたちは、いつも暗い顔をしていましょう、という話になるでしょうか。それは、いくらなんでも変な話でしょう。喜んでいる人が無理に暗い顔をしたり、怖い顔をしたり、無理に泣いたりする必要はないはずです。偽悪者ぶる必要も、格好つける必要もないはずです。



強いて言うならば、ステファノには、この種の格好つけのようなことが、一切なかったのです。もしかしたらステファノは、ちょっと子どもっぽい感じに見えたかもしれません。心の中にある信仰の喜び、救われた者としての喜びが、彼の表情や態度を通して、外側にはっきりと見えていたというのですから!天真爛漫で無邪気で明るい信仰者の姿が、目に浮かびます。



わたしたちは、わたしの信仰に対して、わたしの心の確信に対して、そして、わたしの救い主イエス・キリストに対して、正直であるべきです。たとえ迫害の危険があっても、です!



わたしたちもステファノのように信仰の喜びをもっと外側に表わしてよいのではないか。心理的なバリアーを解除すべきではないか。そのようなことを、ステファノの姿を通して考えさせられます。皆さんはどのようなご感想をお持ちでしょうか。



さて、それでは、ここからステファノの説教の内容を見ていきたいと思います。ただし、今日は最初の段落だけにとどめます。



「大祭司が、『訴えのとおりか』と尋ねた。そこで、ステファノは言った。『兄弟であり父である皆さん、聞いてください。わたしたちの父アブラハムがメソポタミアにいて、まだハランに住んでいなかったとき、栄光の神が現れ、「あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け」と言われました。それで、アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住みました。神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住んでいる土地にお移しになりましたが、そこでは財産も何もお与えになりませんでした。一歩の幅の土地さえも、しかし、そのとき、まだ子供のいなかったアブラハムに対して、「いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる」と約束なさったのです。神はこう言われました。「彼の子孫は、外国に移住し、四百年の間、奴隷にされて虐げられる。」更に、神は言われました。「彼らを奴隷にする国民は、わたしが裁く。その後、彼らはその国から脱出し、この場所でわたしを礼拝する。」そして、神はアブラハムと割礼による契約を結ばれました。こうして、アブラハムはイサクをもうけて八日目に割礼を施し、イサクはヤコブを、ヤコブは十二人の族長をもうけて、それぞれ割礼を施したのです。』」



この説教の最初にステファノが引き合いに出しているのは、旧約聖書の創世記12章から36章まで続く、いわゆる族長物語です。信仰の父アブラハム、その子どもイサク、そしてイサクの子どもヤコブと三代続く信仰の家系の物語です。



ステファノが語っていることは、まさに旧約聖書・創世記に書かれているとおりのことです。物語のあらすじです。しかし、興味深いことは、ステファノのまとめ方、つまり、聖書の御言葉の要約の仕方が、とても上手である、ということです。こういうのは、ぜひ真似をしてみたいところです。学ぶべき点がたくさんあります。



家族や友達から「聖書ってどういう話なの?短く要約すると何なの?」と聞かれる機会があるかどうかは分かりません。しかし、あるとしたら、わたしたちは、それにきちんと答えなければなりません。その場合、長々だらだらと答えてはなりません。話のあらすじを正確にとらえて、短く的確な言葉で語らなければ、相手は聞く耳を持ってくれません。使徒言行録7章のステファノの説教は、新共同訳聖書で1500ページ以上もある旧約聖書のあらすじをたった3ページ(!)で要約してくれているという点で、たいへん貴重な文書である、と見ることが可能です。



なぜステファノは、アブラハム、イサク、ヤコブの話をもって、とくにアブラハムの話をもって、この説教を始めたのでしょうか。この説教のこの部分の意図がどこにあるかは明白です。ステファノがはっきりと見出しているのは、アブラハムの生涯における苦難の要素です。



アブラハムは、生まれ故郷、父の家を離れて、主なる神が「行け」とお命じになった町に出かけていきました。行く先も知らずに(ヘブライ11・8)です!要するに、家出です。これほど無謀なこと、危険なこと、そして、これほどでたらめなこと、いいかげんなことが、他にあるでしょうか。私なら、自分の息子や娘が、行く先も知らずに家を出て行くと言い出したら、体を張ってでも止めると思います。しかし、アブラハムは止まらない!



ところが、アブラハムは、神さまから「行け」と言われて行った町で、まとまった財産を全く手にすることができませんでした。「一歩の幅の土地さえも」!いわばまさに“その日暮らしの生活”です。いつ追い出されても文句を言えない。自分の所有の土地や、ある一定の財産を全く持たないことが、どれほどの不安であり、どれほどの苦しみであるかは、牧師という仕事をしている者(移動生活者!)には、少し分かります。



そのなかでアブラハムがひたすら頼ったのは、神さまだけでした。格好をつけるわけではなく、他にどうすることもできないという仕方で、アブラハムは、神に祈りましたし、神の約束をひたすら信じたのです。



「行け」と言われたのは神御自身なのだから、そして「あなたを祝福する」と約束してくださったのは神御自身なのだから、神は必ずその約束を実現してくださるであろう、とアブラハムは信じたのです。“信じること”だけが、アブラハムに残された最後の選択肢であり、希望だったのです。



そのことをステファノは語ろうとしています。当時のキリスト者たちの姿をアブラハムの姿に重ね合わせているのではないでしょうか。



われわれは、土地も財産も、何にも持っていない。



しかし、信仰がある!



信仰によって生かされている人生があり、喜びがある!



あなたがたに、それがあるのか、迫害者たちよ。



そのような問いかけを、読み取ることができるように思います。



(2007年5月13日、松戸小金原教会主日礼拝)





2007年5月6日日曜日

「知恵と霊によって語る」

使徒言行録6・1~15



「そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。『わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。』一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる『解放された奴隷の会堂』に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。しかし、彼が知恵と“霊”とによって語るので、歯が立たなかった。」



今日お読みしました範囲(使徒言行録6・1~15)には、大きく分けると、二つのことが記されています。いずれも、二千年前のエルサレム教会の話です。



第一に記されている事柄は、教会が成長していった結果、なかば必然的に起こってきた出来事です。それは、はっきり言えば、教会内のトラブルと、そのトラブルの処理です。人間の集まりとしての教会には、人間の数だけトラブルが起こる可能性があります。その意味の「必然的」です。



第二に記されている事柄は、その教会内のトラブルを適切に処理し対応するという目的のために、教会がよりしっかりとした制度を持つようになった、ということです。



具体的に言えば、十二人の使徒たちのほかに、そのころ新たに起こってきた問題を専門的に扱う七人の奉仕者(執事)を、教会の役員会に加えることになった、ということです。ごく分かりやすく言えば、ある出来事をきっかけにして、教会の役員会が十二人から七人増えて十九人になった、ということです。



この二つの事柄はスムーズにつながっていなくてはなりません。悪い例があるとしたら、それは、第一の事柄が現実に存在するのに、第二の事柄が動き出さないことです。つまり、教会内に明らかにトラブルが起こっているのに、トラブルを処理する責任を教会がとろうとしないこと、です。



二千年前のエルサレム教会は、この点においてきちんとしていたということが、今日の個所から分かります。とくに注目していただきたいと願いますのは次の点です。それは、新しく起こってきた問題やトラブルの処理を担当するための新しい役員を選ぶ、ということは、逆に考えますと、新しい問題が起こったときに、従来の役員会がその問題のすべてを抱え込んでしまおうとしなかった、ということを意味している、ということです。



それは、旧役員会(今日の個所の場合は「十二使徒」)による責任の放棄ではありません。むしろ逆です。「われわれにはその面の責任までは負い切れない」ということを率直に認め、自分たち以外の多くの人々の助けを求めることは、勇気が要ることです(なぜなら、自分たちの弱さや限界を告白せざるをえませんので)。しかし、そのような態度こそが、教会においては、ふさわしいのです。



反対に、自分たちにはその責任を負いきることができそうもないことが明白であるにもかかわらず、何でもかんでも自分たちで抱え込んでしまい、結局何もできなかったということのほうが、よほど無責任です。



新しい仲間を得ること、その人々の助けを求めること、その人々に仕事を任せることは、なるほどたしかに、たいへんなことであり、またしんどいことでもあります(なぜなら、その人々を“育てる”必要が生じますので)。



しかし、長い目で見ると、そのようなことこそが教会が歴史的な歩みを続けていくために最も重要なことである、ということが分かるでしょう。



私が願うことは、今日の個所は、今私が申し上げたような意味で理解されてほしい、ということです。なぜこのような言い方をするのかといいますと、今日の個所は誤解を生む恐れがあると感じるからです。とくに誤解を生みやすいと思われるのは、「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない」から始まり、「わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします」で終わる、使徒の言葉です。



「御言葉の奉仕」とは、説教のことです。またそこには説教を支える神学や教理の研究のことを含むと言ってもよいでしょう。その場合に起こりうる誤解とは、「御言葉の奉仕」と「食事の世話」を、上と下の関係に置く、ということです。



説教の仕事や神学の研究は、上の仕事。それはわたしたち上に立つ人間の仕事。食事の世話などは、下の仕事。取るに足りない、どうでもいい仕事は、シモジモのあなたがた、お願いね。このような(ひどい)考え方に基づいて、十二使徒が七人の奉仕者を選ぶことを願ったわけではない、ということを、どうかご理解いただきたいのです。



当時のエルサレム教会内に起こった問題とは、要するに、経済的な面のトラブルでした。「ギリシア語を話すユダヤ人」とは、いわば帰国子女です。この中に使徒パウロ(サウロ)も含まれます。パウロはギリシア語もヘブライ語も、ひょっとしたらラテン語も使うことができた、語学の達人であった、と考えられています。



それに対して、「ヘブライ語を話すユダヤ人」とは、(実際にはアラム語と呼ばれる言語を使用していましたが)、いわゆる土着(ネイティブ)のユダヤ人のことを指しています。両者がエルサレム教会内に共存していたようですが、あまりうまく行っていなかったようです。言葉、文化、生活習慣や生活スタイルなどに違いがあったからではないでしょうか。



それに対して、十二使徒たちは、基本的に生まれも育ちもパレスティナ。ギリシア語の勉強くらいはしていたとは思いますが、あまり得意でなかったと考えられますし、当時のエルサレム教会の日常言語はヘブライ語(アラム語)であり、ギリシア語ではなかったと思われます。



そういう場合には、使徒たちの立場からすればヘブライ語を話すユダヤ人たちに対して意識的・意図的にえこひいきをしていたわけではないとしても、実際的な判断においてはいろんな点で偏ってしまうということが起こっていたのではないでしょうか。これは具体的な例を挙げなくても理解していただけることだと思います。



また、重要な点は、この教会に起こった問題は、「日々の分配」のことであり、「仲間のやもめが軽んじられる」というような、要するに、とても複雑で微妙でデリケートな問題であった、ということです。なぜ「やもめ」なのかについてもいくつかの説明があるようですが、当時のパレスティナにも(今日と同じく!)ひっきりなしに戦争が起こっていて、軍隊に借り出されて戦死した夫の妻たちの生活を、教会が支援していたというのが、有力な説明です。



そのように、教会は、いわばただ単に礼拝だけを行っていたとか、説教だけをしていたとか、神学の研究だけをしていたというような事情には全くなく、むしろ事情は正反対なのであって、まさに複雑で微妙でデリケートな個人や社会のさまざまな問題に取り組んでいたのだと考えることができるのです。



また教会の中の経済的な問題とは、要するに献金の扱いの問題です。まさに複雑で微妙でデリケートな問題です。ここで絶対に誤解されたくないと思いますことは次のことです。それは、説教の仕事は上、お金の扱いや食事の世話は下、というような物の見方は、全く間違っている、ということです。そして、そのような間違ったことを、十二使徒たちは、決して考えていたわけではない、ということです。



彼らは、むしろ、自分たちにできることの限界を、よく知っていたのです。説教の準備や実践にも、多くの時間や力が必要です。かたや、ここに出てくる意味での「日々の分配」や「食事の世話」にも、多くの時間や力が必要です。はっきりしていることは、両方とも片手間でできるようなことではなく、また両方とも非常に重要な仕事である、ということです。だからこそ、お互いに分業する必要が生じた。それは、使徒たちの側から言えば、「日々の分配」や「食事の世話」は教会においては非常に重要な事柄であるという思いがあったからこその分業案であったに違いない、と考えることができるわけです。



もっとも、このようなことは、松戸小金原教会のように、しばしば食事会を開いたり、バザーを開いたりしている教会では至極当然のこととして受け入れていることです。口を酸っぱくして強調して語る必要のないことです。



ただし、です。ここでちょっと立ち止まって考えるほうがよさそうなことが、書かれています。それは、使徒たちの提案に基づいて選ばれた七人の奉仕者(執事)たちは、彼らの選挙の前に教会があらかじめ定めた選考基準においても、また選挙の結果においても、「霊と知恵に満ちた評判の良い人」、あるいは「信仰と聖霊に満ちている人」が選ばれたという点です。



そして、それでは、その人々の内に満ち満ちていた「霊と知恵」あるいは「信仰と聖霊」というものは、実際にはどのように用いられたのかということも具体的に書かれています。その例として紹介されているのが、七人の奉仕者(執事)の筆頭に名を挙げられている、ステファノという人物です。



ここに明らかにされていることは、ステファノに限って言えば、この人物に与えられた「霊と知恵」あるいは「信仰と聖霊」が具体的な場面で最も力を発揮したのは、「語ること」においてであった、ということです。



「霊と知恵によって語る」。つまり、彼らが最も力を発揮したのは、御言葉を語ることにおいてであり、また救い主イエス・キリストの福音の反対者や教会の迫害者に対する徹底的な議論を行うことにおいてであったということです。つまり、彼らは、そのこと(語ること)を、彼ら自身の役割である日々の分配や食事の世話もしながら、同時に行っていた、と考えることができるのです。



このことから私が申し上げたいことは、少し厳しい言い方になるかもしれないことです。それは、「私は牧師や長老ではないので御言葉を語る必要はない」という話は、ステファノの例から言えば、成り立たない理屈である、ということです。



明らかなことは、教会の中での分業は悪い意味での“縄張り意識”のようなものとは無関係であるということです。すべての人がこの説教壇の上から御言葉を語るかどうかはともかく、教会の中であれ外であれ、神の御言葉を熱心に学び、教え、宣べ伝えることにおいては、「私は牧師や長老ではないから、そういうことはしなくてもよい」とか、「勘弁してください」と断る理由はありません、ということです。



使徒が「祈りと御言葉の奉仕に専念することにした」と言っているのは、教会のみんなから祈りと御言葉(を語る権利)を奪い、悪い意味で“独占”するためではありません。



伝道は、教会全体の仕事です。そのことを確認しておきます。



(2007年5月6日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年4月29日日曜日

「迫害の中の教会」

使徒言行録5・17~42



今日の個所を読んで感じることは何でしょうか。それはいくらか微妙な気持ちではないでしょうか。そのようなことを、つい思わされます。



克明に描かれていますのは、当時の教会に対して起こった迫害の様子です。



事の発端は、要するに、当時誕生したばかりのキリスト教会が非常にうまく行っていたということです。イエス・キリストを信じる人々が、心を一つにして礼拝を守り、互いに助け合い、また彼らを通してさまざまな不思議なわざが行われていく中で、彼らの教会が神の祝福を豊かに受けて成長していったのです。



その次に起こったのが迫害だったというのです。なぜ教会の成長「の次に」起こったのが教会の迫害なのか、この二つの出来事をつなぐものは何だったのかと言いますと、それが「ねたみ」であったということが、17節にはっきりと書かれています。



「そこで、大祭司とその仲間のサドカイ派の人々は皆立ち上がり、ねたみに燃えて、使徒たちを捕らえて公の牢に入れた。」



興味深いと感じることは、当時の教会に対してねたみを抱いたのは「大祭司とその仲間のサドカイ派の人々」であったという点です。彼らは宗教家たちです。ユダヤ教団の幹部たちです。彼らは彼らなりの熱心をもって神に仕えていたのです。



そのような人々がキリスト教会をねたんだ。ねたんだ結果、教会を迫害した。そういうことが起こったのです。少し微妙な気持ちが起こると最初に申し上げたのは、まずこの点です。



大祭司たちの側に「ねたみ」という動機があったことを、キリスト教会側がどのようにして知ることができたかについては、容易に説明できそうなことです。たとえば、使徒となったパウロ(この迫害事件の当時は「サウロ」)は、このときはまだ完全にユダヤ教団側の人であったわけです(使徒言行録8・1)。パウロがそれをキリスト教会に伝えたかどうかは明言できることではありません。しかし、ユダヤ教団のキリスト教会に対する迫害の真意を使徒言行録の著者が知っていたとしても、何の不思議も矛盾も飛躍もないと言ってよいでしょう。



ここでこそ、わたしは微妙な気持ちを持たざるをえません。なぜなら、当時のユダヤ教団の幹部たちが神に祝福されて成長していくキリスト教会の姿を見て、ねたみを起こし、迫害した、というこのあたりで私が痛烈に感じることは、当時の宗教家たちのあまりにも幼すぎる様子であり、要するに幼児性ということだからです。あまりにも子供じみていて、恥ずかしい。



他人の成長や幸せを、喜ぶことができない。喜ぶどころか、ねたむ。そのような思いがねたみの正体でしょう。あまりにも子供じみているではありませんか。これは「子供」をおとしめる意図から申し上げていることではありません。



なぜ、このわたしが「恥ずかしい」と感じるのか。それは、わたしたち自身も、間違いなく「宗教」だからです。そしてこのわたしも、間違いなく「宗教家」だからです。他人事のように考えることはできないのです。同じく宗教を営む者として恥ずかしい、という言い方が適切かどうかは微妙です。微妙ですけれども、そのような思いに近いことを感ぜざるをえません。わたしたちも気をつけなければならないことがある、と思わされます。



なぜなら、教会もこの種の幼児性に陥ることがあるからです。



それは同じキリスト教会同士の間にも起こります。あの教会は、うちの教会よりも成長している。あの教会の人々は、とても幸せそうに生きている。みんなで協力して、大きく立派な建物ができた。そのことを喜ぶことができない。悔しい。ねたましい。他の教会が成長している姿を見て、「わたしたちもがんばろう」と発奮するのではなく、むしろ逆に、ねたむ。足をひっぱってやろうとまで思うかどうかは分かりません。そこまで行かなくても、ねたみを抱いている時点で、すでに、十分に子供じみているではありませんか。



そのような、わたしたち自身にもなんとなく、あるいははっきりと身に覚えのある幼児性を、当時の宗教家たちが持っていて、その幼児性の結果として、キリスト教会に対する大きな迫害が起こった、ということが、今日の聖書の個所に記されているのです。



教会の役員だからこそ陥る幼児性というものも、あるのではないか。こういうことを、つい考えさせられるのです。もちろん、これは、私自身の大きな反省や自戒をこめて申し上げていることです。



さて、もう少し話を先に進めていきます。迫害の次に起こったことは、不思議な出来事だったという点です。使徒たちが逮捕され、公の牢に投げ込まれたあと、「夜中に主の天使が牢の戸を開け、彼らを外に連れ出した」という出来事が起こった、というのです。そこで何が起こったのかは、書いてあるとおりのことしか分かりません。



そして、それに続く出来事は、教会の宣教活動の継続でした。主の天使が、使徒たちに次のように述べました。



「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい。」



この天使の言葉を聞いた使徒たちは、夜明けごろエルサレム神殿の境内に立って、説教を始めたというのです。そしてその次に起こったことは、ある意味で当然というべき成り行きでした。使徒たちは再び捕らえられ、前よりも厳しい尋問を受けて、前よりも苦しい思いを味わわされた、ということです。なぜ「ある意味で当然」なのか。それは使徒たちの態度はと言うと、彼らを迫害している側の人々の目から見ると、明らかに挑戦的ものであり、あるいは挑発的なものであり、さらに言えば反抗的なものだからです。



「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。」



見た感じとしては、けんか腰のように見えたかもしれません。逮捕・監禁・尋問され、キリスト教の教えは絶対に広めてはならないと厳しく言い渡された人々が、黙るどころか、引き下がるどころか、よりによってエルサレム神殿の境内という、大祭司たちにとってはいわば彼らの家の庭のようなところで、声を大にして、キリスト教の教えを再び宣べ伝えはじめたのですから。



「人間に従うよりも」と彼らが言っている場合の「人間」の意味は、あなたがたユダヤ教団の幹部の皆様に従うよりも、ということです。あなたがたには従いません、と言っているのです。



しかし、私自身は「ある意味で当然」と言わざるをえないものを感じはしますが、「ある意味で」という点に、ものすごく大きな強調を置きたい気持ちで申し上げています。話は大きく飛躍しますが、ここで私は、いじめの問題を思い浮かべます。



つい最近まではいじめに関しては、いじめられる側にも問題がある、と言われることが多かったです。しかし、今は違います。いじめられる側には何一つ問題がない、と言われます。私もそれが正しいと信じています。



いじめる側に、いじめる権利などありません。いじめられる側に、いじめられなければならない理由も根拠もありません。いじめる側がひたすら一方的に悪いのです。このことは、ものすごく大きな強調を置かなければならない点です。



いわばそれと同じように、と語ることが可能です。今から二千年前の教会にも、彼らが実際にひどい迫害を受けたことについて、それは教会の側にも問題があったからである、というような言い方を、わたしはすることができないし、してはならないと考えています。



二千年前のキリスト教会は、明らかに、当時のユダヤ教団に対して、挑戦的・挑発的・反抗的な態度をとりました。その結果、怒りを買い、ますますひどい迫害を受けることになりました。しかし、です。教会の側に問題があったわけではありません。教会の側に、迫害を受けなければならない理由も根拠もありません。あいつらはいじめられて当然だ、と言われる筋合いにはありません。



もちろん、当時の教会は、ユダヤ教団の幹部たちがイエス・キリストを殺したのだ、という点を徹底的に追求するという仕方で、彼らを批判しました。そのことを、ユダヤ教団の人々が、忌々しく思い、なんとかしてあの連中の口を封じなければならないと考えた、という話の流れは、ある意味でよく分かるものですし、理解できるものであるという意味で、「当然」と言えるものです。



しかし、です。理解できる話である、ということと、納得できる話である、ということとは違います。ユダヤ教団はキリスト教会に対して子供じみた嫉妬心を抱き、子供じみた迫害を仕掛けてきました。本当に恥ずかしい、みっともないことが行われたのです。
それでも、です。34節以下に登場するファリサイ派のガマリエルという「民衆全体から尊敬されている」律法の教師は、これも「ある意味で」と断っておきますが、少しはましな判断ができる人であったと見ることが可能です。



このガマリエルは、使徒パウロの恩師でもあったと言われます。エルサレム神殿の律法学校の教授職にあった人であると考えられます。宗教的影響力において最高点に立っていた人と言ってよいでしょう。そのような人が登場して、最高法院の議場を説得した結果、使徒たちは釈放されたのです。



ただし、です。このガマリエルの発言はいろいろと考えさせられるものです。私自身は、理解はできますが、決して納得はできません。



「テウダ」とか「ガリラヤのユダ」というのは政治的なクーデターを図った人々の名前です。その人々は見ているうちに、ほら、勝手に自滅してしまったではないか、というわけです。そしてガマリエルは言います。



「そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者になるかもしれないのだ。」



このガマリエルの論理は、「神」の名を持ち出していますので信仰深いようにも見えますが、どこか冷たいものです。



放っておけ。なるようになる。水は低いところに流れつく。ケセラセラ。



これは一種の運命決定論であり、宿命論です。われわれの信じる予定論とは、根本的に異なるものです。



(2007年4月29日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年4月22日日曜日

「共に生きる」

使徒言行録4・32~5・16



今日の個所に描かれていますのは西暦一世紀のエルサレム教会の様子です。かなり詳細で具体的な様子です。歴史的資料として価値の高い記述です。



話題の中心にあるのは、要するに、お金の問題です。あるいは、物品の問題です。教会の中でお金や物品のやりとりがあるということについて、そしてまた、そのお金や物品のやりとりの中には、時々、不正な行為が実際に起こることもあった、ということについて、全くあっけらかんと、何一つ隠し事をしないで、書いています。



実際問題としては、聖書の中にこのような個所があることは、正直に言って、大変ありがたいと感じるところでもあります。なぜ「ありがたい」か。日本だけではないかもしれません。しかし、われわれ日本人の中には、特にそのような思想が根強くあると言えるのではないかと感じてきたことがあります。それは、われわれ日本人は、とくに宗教(団体)が、お金や物品のやりとりという問題を大っぴらに扱うことを忌み嫌ってきたのではないだろうか、ということです。



皆さんの中にも、おそらく小さい頃から「お金は汚いものである」と教えられてきたとおっしゃる方々が必ずおられるはずです。お金は汚いものである。そのようなものを教会が扱う姿を見ると、何かおかしなことをしているようだ、と思われてしまうことが実際にありました。「武士は食わねど高楊枝。牧師も食わねど高楊枝だよ」と実際に言われたことがあります。「われわれの国籍は天にあり。地上の教会の建物など要らないよ」という趣旨の発言を聞いたことがあります。牧師が人前でお札を一枚一枚めくりながら数えていたりすると、「そういうのは、みっともないから、やめなさい」と言われたこともあります。



しかし、そのような考えは、はっきり言っておきますが、キリスト教とは無関係なものです。キリスト教の本来の教えの中に、お金や物を忌み嫌う思想はありません。それは、明らかに異教的な要素です。異端(いたん)的である、とさえ言っておきます。



お金はお金です。お金そのものが汚いとか、けがらわしいということは、ありえません。皆さんの中にも、銀行はじめ金融機関で働いておられる方々がおられます。「お金は汚い」などと言うのは、そういう仕事をしている人々に対して、たいへん失礼な言い草ではありませんか。



わたしたちが今いるこの教会は、地上の教会です。具体的で現実的で実際的で物理的な存在としての地上の教会が、さまざまな活動を行うためにお金という手段を用いることは、何も不思議なことではないし、実際やってきたことでもあるし、必要なことでもあります。そのことを、わたしたちは決して疑ってはならないし、そのあたりで迷ったり、ぐらぐら揺れ動いたりすべきではないのです。お金や物は決して汚いものではない、ということを、はっきりと明言する必要があるのです。



「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――『慰めの子』という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。」



ここから分かることは、当時のエルサレム教会が、とくに経済的な面についてどのような考えを持ち、どのような具体的な対応をしていたか、というあたりです。



それは、ある意味でいちばん単純で、いちばん分かりやすい方法であったと言えます。つまり、全員の財産を一つに集めて、それを全員が共有する、という方法でした。分配の方法は「必要に応じて」と言われています。おそらくそれは、頭数で等分するというようなやり方ではなく、まさに「必要に応じて」、なんらかの基準を定めて、分配していたのではないかと思われます。



ただし、です。ここに書かれていることを読むだけではよく分からないこともあります。たとえば、当時のキリスト者たちは、どこかにある一つの家に住んで、まさに寝食を共にするというような、文字どおりの「共同生活」を送っていた、と考えてよいのでしょうか。そのように考えることは、ちょっと難しいように思われます。



当時のキリスト者は、どれくらいの人数だったのでしょうか。これまでの流れの最後に記されているのは、使徒言行録4・4の「男の数が五千人ほどになった」です。女性や子供たちの数を合わせると、一万人くらいはいたであろうと考えるべきです。一万人が一緒に「共同生活」を営むことができる家屋が、ありえたでしょうか。あまり現実的ではないと思われます。



そういうことではなく、むしろ、彼らは、やはり、おそらく今のわたしたちと同じように、それぞれ別の家に住んでいたし、それぞれの家庭での生活もあったのです。ただし、財産については、お互いに自分のものを持ち寄って、それを共有財産にして、とくに生活に困っている人々を助けていたのです。



それは、わたしたちが今やまさに、この教会の中で、いつもしているようなことです。ただし、今のわたしたちほどには公と私の区別がなく、私有財産の私物化を避け、むしろ多くのものをできるだけ共有化していたのではないでしょうか。



キリスト者たちは、迫害の中にあったのです。みんなが殉教の決意をしていたわけではありません。また、殉教は決して「しなければならないこと」ではありません。聖書の中に殉教の勧めはありません。逃げられるなら逃げるべきです。隠れられるなら隠れるべきです。そういう面があるのです。



迫害の中にあるキリスト者たちが、強い権力をもって教会を取り潰そうとする人々から逃げ隠れする必要があったときに、みんなの財産を一つに集めつつ、同じ信仰をもって共に生きるための蓄えとするということが、彼らの知恵であったと見ることが可能でしょう。



また、何のための換金なのか、という点で、やはりどうしても考えざるをえないことは、“教会の経済”を支えるためであった、ということです。教会と家庭との区別を無視し、それぞれの家庭の境界線を全く(強制的に、ないし半強制的に)取り去ることによって、教会が全く一つの家庭になってしまうというような仕方で、(共産主義のようなものに近い形で)財産の共有化を図ったのだと考えることができるでしょうか。これも、かなり無理がある見方です。



なぜなら、後ほど確認しますが、アナニアという人に向かって使徒ペトロがはっきりと述べていることの中に「売らないでおけば、あなたのものだった」という点があり、これは明らかに、私有財産というものを事実上認める発言である、と考えることができるからです。教会が各家庭の財産を没収したり接収したりしたわけではありません。あくまでも献金として、各個人が主体的・自発的に、それをささげたのです。



彼らが自分の家や土地や畑を売って、それを換金し、集めたお金を何に使うのかと言いますと、教会の経済を支えるためであり、そのようにして信仰の共同体の活動を維持し、支えるためであった、と考えることが最も自然です。それは、今実際にわたしたちの教会がしていることから見て、大きくかけ離れていることというわけではないのです。



「ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。すると、ペトロは言った。『アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。』その言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。若者たちが立ち上がって死体を包み、運び出して葬った。それから三時間ほどたって、アナニアの妻がこの出来事を知らずに入って来た。ペトロは彼女に話しかけた。『あなたたちは、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。言いなさい。』彼女は、『はい、その値段です』と言った。ペトロは言った。『二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。見なさい。あなたの夫を葬りに行った人たちが、もう入り口まで来ている。今度はあなたを担ぎ出すだろう。』すると、彼女はたちまちペトロの足もとに倒れ、息が絶えた。青年たちは入って来て、彼女の死んでいるのを見ると、運び出し、夫のそばに葬った。教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた。」



しかし、お金については、困った問題が教会の中で起こったのだ、ということが明らかにされています。アナニアとサフィラ(サッピラ)の夫婦が、自分の土地を売ったお金をごまかして、一部を使徒たちの足もとに置いた、つまり、教会に献金した、というのです。



なぜ「ごまかし」なのか、というと、そのお金の全部ではなく一部を献げたからである、というわけですが、もう少し正確に、というか、具体的に実際そこで何が行われたのかを考えてみる必要があるでしょう。



彼らの問題は、嘘(うそ)をついたことです。これが自分の土地を売ったお金の全部であると言ったのです。それが、ペトロの質問に対して妻サフィラが答えていることの意味です。「あなたたちは、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。言いなさい」という質問に対する「はい、その値段です」という答えの意味です。



彼らはなぜ、そのような嘘をつかねばならなかったのでしょうか。本当に残念なことだと思います。アナニアとサフィラの夫婦の問題はこの嘘でした。実際の事情は、ペトロが言っているとおりです。「売らないでおけば、あなたのものだった」し、「売っても、その代金は自分の思い通りになった」のです。「これが全部です」と嘘をつかないで、「これは一部です」と正直に言えば、何の問題もありませんでした。「全部を差し出さねばならない」と、使徒たちの側が、あるいは教会の側が、彼らに命令したという事実は全くないのです。



この嘘の動機は、おそらく見栄っ張りです。あるいは、教会の中の他の人々との競争心や、やっかみや、嫉妬のようなものではないでしょうか。しかし、です。言うまでもないことですが、教会の中では、そのような見栄っ張りも、競争心も、やっかみも、嫉妬も、できるかぎり捨てるべきです。そのようなものは、百害あって一理無しです。それこそが、今日の個所から学びうる教訓です。



お金とか物のことで嘘をつくことは「心と思いを一つにすること」の反対です。嘘よりも、正直さを神さまは喜んでくださいます。また、献金は金額ではなく、心です。教会は単なる集金団体ではありません。神を礼拝し、賛美し、祈るための団体です。その活動のためにもお金が必要なのです。そうであるという事情を、教会は、多くの人々に分かってもらいたいと願うのです。



しかし、お金や物の問題は、慎重に扱わねばなりません。献金は、教会のみんなの血と汗と涙の結晶でもあるからです。そこに嘘が入り込まないように、みんなで心したいものです。お金や物の扱いにおいて公明正大であるときにこそ、わたしたちの教会は、多くの人々の信頼を得ることができるようになるでしょう!



(2007年4月22日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年4月15日日曜日

「祈りの力」

使徒言行録4・23~31



今日の個所に記されていますのは、西暦一世紀の教会の中で実際にささげられた祈りの言葉です。祈っている人の名前は記されていません。書いてあることによりますと、この祈りをささげているのは、複数の人々です。心を一つにして、一つの祈りを共にささげているのです。



この祈りがささげられるに至るまでの一連の出来事については、すでに学んだことですので、あまりしつこく繰り返さないでおきます。要するに、使徒ペトロとヨハネが、当時の多くの人々にキリスト教信仰を宣べ伝えたことが理由で、逮捕され、ユダヤ最高法院に引き出される、という出来事が起こったのです。



しかし、彼らは、そのような迫害が起こっても、全く動じることがありませんでした。



彼らを逮捕し、尋問した人々の前は、救い主イエス・キリストを十字架にかけたのと同じ人々です。その人々の前で、「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」と、彼らは明言しました。



これは、殉教の覚悟なしには、決して語ることができない言葉です。彼らは、この言葉を語っているまさにこのとき、殉教の覚悟をしているのです。



ところが、彼らは結果的に釈放されました。釈放された理由が、次のように記されています。「議員や他の者たちは・・・民衆を恐れて、どう処罰してよいか分からなかったからである」(4・21)。



とくに重要な点は、彼らが「民衆を恐れた」ことです。この言葉の裏側を考える必要があります。裏側にあるのは、彼らは「神を恐れていない」という点です。彼らの多くは宗教家です。そうであるにもかかわらず、彼らは、本来恐れるべき「神」ではなく「人間」を恐れているのです。ここに、彼らの決定的な問題点があるのです。



聖書に「民衆を恐れる」とか「人間を恐れる」というようなことが書かれている場合はほとんど悪い意味です。「人間を尊重する」とか「人間に配慮する」というような良い意味で書かれている個所を、私は知りません。



この個所の場合も全く同じです。彼らが「民衆を恐れた」のは、人間を尊重したからではないし、人間に配慮したからでもありません。自分たちが批判されるのが怖いだけです。キリスト教を迫害することについて、国民を説得できるだけの根拠も、理由も、まだ何も見つかっていないのです。



ところが、使徒たちは違いました。彼らは神を恐れましたが、人間を恐れませんでした。この場合の「人間を恐れない」という意味は、人を人とも思わないとか、他人を見下げるとか、馬鹿にする、軽んじるというようなことでは、決してありません。時々そのように誤解している人々に出会いますので、この点は強調しておきます。



使徒たちが屈しなかったのは、悪人たちの企てる策略に、です。権力をもって弱い人々を押さえつけ、支配しようとする人々の暴力的な言葉や行為に、です。



そのような目に遭うのが怖いから、という理由で、このわたしの心の中に与えられた、救い主イエス・キリストを信じる信仰を捨てます、教会に通うのをやめます、という選択肢を選びとることは、彼らにとっては、ありえないことだった、ということです。



「さて二人は、釈放されると仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちの言ったことを残らず話した。」



釈放された使徒たちが真っ先に行った場所は「仲間のところ」でした。それは、間違いなく教会を指しています。教会は「仲間」なのです!



ここを読みながら、ふと思ったことは、もしかしたら彼らは、自分の家に帰るよりも前に、教会に行ったかもしれない、ということです。



ペトロには妻(コリント一9・5)やしゅうとめ(マルコ1・30)がいました。子供たちもいたと考えるのが、自然でしょう。逮捕・監禁・暴行というひどい仕打ちを受けた後に釈放された彼らが、真っ先に家に帰って、妻子に会うのではなく、真っ先に教会に行き、そこにいる信仰の仲間たちに会いに行ったとしたら、どうでしょうか。



ひどい話、と思われるでしょうか。なるほど納得、と思われるでしょうか。ここは意見が分かれるところかもしれません。



もちろん、天秤にかけられることではありません。家庭も教会も両方大切です。どちらか一方が大切で、他方は大切ではないと語ることは、わたしたちには許されていません。どちらか一方を選ぶ、という発想そのものが間違っている、とさえ言わなければならないほどです。



しかし、です。一つの点だけ、きちんと言っておかなければならないと感じることが、残っています。それは、かなり言いにくいことですが、どうしても言わざるをえません。



それは何かといいますと、迫害というのは家庭内でも起こりうる、というこの一点です。それは、わたしたち自身が、よく知っている事実です。心から愛してやまない家庭の中で「あなたの信仰を捨てなさい」と迫る存在と出会うことが、わたしたちには、ありうるのです。



究極的な言い方を許していただくならば、信仰の問題においては、家庭は、最終的には頼りになりません。信仰の問題で最終的に頼りになるのは、教会だけです。「信仰の仲間」のいるところです。



これもどうか誤解されませぬように!わたしは今、教会を重んじさえすれば、家庭などは軽んじてもよいと語っているわけではありません。使徒たちも、釈放された後、真っ先に教会に来たように読めますが、そのあとは必ず彼らの家庭に帰ったはずです。この点が重要なのです。



わたしたちに必要なことは、教会から家庭に帰る、という運動です。牧師が変なことを言っている、と思われるかもしれませんが、わたしたちは教会の中にいつまでも留まっていてはならないのです。家庭に帰らなければならないのです。たとえわたしたちの家庭の中に、信仰については一致できない人がいるとしても、です。そのことを、わたしたちは肝に銘じておかなければならないのです。



しかしまた、だからこそ、わたしたちは、教会に集まるときには、やはり、ある明確な目的を持っているということが大切なことではないか、とも考えさせられます。



家庭と教会の違いがあるとしたら、わたしたちが家庭にいるときには、「そこにいる」ということ自体に関しては、特別な仕方での目的意識を持つ必要はないだろう、ということです。学校に行った子どもたちや、会社に行った夫や妻が、家に帰ってくるというときに、「あなたは、何のために帰ってくるのですか」と、普通は問わないと思います。わたしが帰ってきてはいけないのですか、と反発されること必至です。



しかし、教会はどうでしょうか。「あなたは、何のために教会に通っているのですか」と問われることは、あるいは自問することは、ありうることではないでしょうか。何の目的もなしに、ただ何となく集まる。それで悪いと言いたいわけではありません。まだ目的がはっきりしていないという人を締め出す意図はありません。



しかし、です。最も考えさせられることは、何の目的意識も持たないままでいるときに、果たして本当に、わたしたちの教会生活が長続きするでしょうかという点です。教会生活というものの中に何らかの目的意識があると励みになる、ということは事実です。実際、教会の存在そのものは、明確な目的を持っているのです。



教会とは、神を礼拝し、賛美を歌い、明確な信仰をもって共に生きていく人々同士が、助け合い、励ましあい、祈りあうための集まりなのです。



「『主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。』」



西暦一世紀の教会は迫害を受けた使徒たちと共に、熱心に祈りました。迫害者の脅しに対する抵抗の方法が祈りでした。「思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください」と、彼らは祈りました。この祈りという手段が、大きな力を発揮したのです。



暴力に対する抵抗の方法は、暴力ではありません。わたしたちが選ぶべき戦いの方法は、神の御言葉に基づく言論による戦いです。言葉で勝負することです。「ペンは剣よりも強い」という道を、愚直に追求することです。神の御前で開く会議において、正しい議論を行うことです。



その場所は、教会会議だけではありません。どの会議においても、どの場においても、そこに真の神さまが、いつも共にいてくださるのです。



祈りに、特定の場所は不要です。いつでもどこでも、わたしたちは祈ることができます。「あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください」と祈りましょう。



このわたしが、皆さんが、この与えられた信仰を、いつでもどこでも、貫き通すことができますように、と祈りましょう。



(2007年4月15日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年4月8日日曜日

わたしを愛しているか


ヨハネによる福音書21・1~19

今日わたしたちは、二人の新しい長老を生み出すことができました。本当にうれしいことです。お二人とも昨年、大きな出来事を体験され、強い信仰と祈りをもって見事に乗り切られました。神さまがこの教会の長老になるための厳しい訓練をしてくださったに違いありません。かなり荒っぽい神さまだと思います。お二人は、とても強くなられました。これからどうかよろしくお願いいたします。

そして、わたしたちは、このイースターの礼拝を、召天者記念礼拝としてささげております。信仰をもって立派に生き抜かれた、天の父なる神のみもとに生きておられる方々の在りし日を思い起こしつつ、ご遺族のために慰めを祈るひとときを、過ごしております。

そのようなご遺族の方々にとっての大切な時をこのイースターの礼拝のなかで過ごしていただいていることには、もちろん大きな意味があります。そのように、わたしたち教会の者たちは、確信しております。

イースターとは何のことか、イースター礼拝とは何をする礼拝なのか、初めての方々や教会に不慣れな方々にとっては、あまりご存じないことかもしれません。

イースターとは、わたしたちの救い主イエス・キリストが死者の中から復活されたことを記念するときです。イエス・キリストというお方は、死者の中から復活されたのです。

聖書には、イエス・キリストが復活されたのは、息を引き取られてから三日目の出来事であったということが、記されています。二日の間は、全く動かれもしなかったし、立ち上がられもしなかったのです。

皆さんは覚えておられるでしょうか。ひょっとしたら皆さんよりもわたし牧師のほうがよく覚えているかもしれないことがあるような気がします。それは皆さんの大切なご家族が、いずれにせよ突然、息を引き取られてからだいたい二日間くらいに起こったことです。

悲しくて仕方がない。それなのに、さあ、これから葬儀の準備をしなければならない。あの人この人に連絡をし、挨拶をし。お客さんが来る。みんなの前でわあわあ泣くわけに行かない。いろいろな後始末もしなければならない。

ばたばたばたばた立ち回りつつ冷静にふるまう。冷静でいられるはずがないのに笑っている。そんな自分が嫌になったりもする。

そのような状態のだいたい二日くらいの間のことを、今となってはあまりよく思い出すことができないという方は、おられませんでしょうか。もしそうだとしても、無理もないことであると思います。

イエスさまの弟子たちも、おそらく、そのような二日間を過ごしたに違いありません。私は今から申し上げることを強調して語るつもりはありませんが、一つの点が気になっています。それは、イエスさまの死と復活の間の二日間に起こったことについては、聖書は何も語っていない、ということです。

弟子たちの記憶が失われている、とまでは言ってはならないと思います。しかし、語るべき言葉、書き残すべき言葉を失うような、まさに暗く落ち込んだ気持ちを、弟子たちも味わったのではないだろうか、と考えることくらいは許されると思います。


しかし、十字架の死から三日目の朝、わたしたちの救い主イエス・キリストは、死者の中から復活されたのです。弟子たちの心の闇は、取り去られました。そして、そのイエス・キリストの復活という大いなる出来事は、弟子たちの喜びとなり、希望となったのです。

なぜイエスさまの復活が、弟子たちの喜びとなり、希望となったのでしょうか。それは、はっきりしています。イエスさまの復活は、弟子たちの信仰によりますと、イエスさまを信じるすべての人々の復活を約束するものだからです。使徒パウロは「死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです」(コリント一15・13)と、はっきり書いています。イエス・キリストの復活は、わたしたちの復活の初穂(first fruit)として起こったことなのです。

イエス・キリストの復活を信じることができる人は、その人自身も、イエスさまと同じように、死者の中から復活するのだ、と信じることが許されているのです!

死がわたしの終わりではない。このわたしは、救い主イエス・キリストと共に、永遠に生きるのだ、と確信することができるのです!

・・・嫌でしょうか。そのように率直におっしゃる方々もおられます。別にわたしは、永遠に生きなくてもいい。救い主と一緒とか、そういうことはどうでもいい。復活など別にしたくもない。そういうことを、わりとはっきりとおっしゃる幾人かの方々に出会ったことがあります。


そのような方々を無理に説き伏せてやろうというような考えは、私には全くありません。そういう方もいらっしゃるなあと思うばかりです。しかしまた、いくらか正直に言いますと、ちょっとくらいは、ちゃんと考えてみてほしいなあとも思います。

先ほどお読みしました、ヨハネによる福音書21・15以下に記されているのは、どういう場面かと言いますと、復活されたイエスさまとイエスさまの弟子の一人である使徒ペトロとが会話をしている、という驚くべき場面です。

何度も申し上げるようですが、イエスさまは、十字架の上で息を引き取られてから二日間は、全く動かれもしませんでしたし、立ち上がられもしませんでした。文字通り死んでおられました。しかし、そのお方が復活されて弟子たちの前に姿を現してくださいました。そして、この個所に記されているような、きわめて具体的な会話さえ、してくださったのです。

それで、皆さんにぜひ関心を持っていただきたいのは、この会話の内容です。とくに、復活されたイエスさまが、ペトロに対して三度も言われた言葉は何であったか、という点に注目していただきたいのです。

「食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、『ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか』と言われた。ペトロが、『はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです』と言うと、イエスは、『わたしの小羊を飼いなさい』と言われた。二度目にイエスは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。』ペトロが、『はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです』と言うと、イエスは、『わたしの羊の世話をしなさい』と言われた。三度目にイエスは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。』ペトロは、イエスが三度目も、『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しくなった。そして言った。『主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。』イエスは言われた。『わたしの羊を飼いなさい。』」

復活されたイエスさまが弟子のペトロに三度も問いかけたのは、「わたしを愛しているか」という問いでした。

わたしが、このような言葉を語られるイエスさまというお方に、聖書を通して接しますときに感じますことは、とても人懐っこい感じがする、ということです。あるいは、もっとはっきり言いますと、とても人間くさい感じがする、ということです。

それは、わたしたちだって、結局そうなのではないか、と感じるからです。わたしたちにもいつか必ず、この地上の人生をしめくくるときが訪れます。そのときに、わたしたちが、もしかしたら最後の最後の瞬間に考えること、一緒にいる人々に聞いてみたいと思うことは何だろうかと考えてみたときに思い当たるのが、この「わたしを愛していますか」という問いではないだろうかと感じるからです。

しかし、分かりません。もしかしたら、わたしだけなのかもしれません。わたしが死ぬときに、家内や子供たちに聞いてみたいと思っていることは、はっきりしています。教会の皆さんに教えていただきたいと願っていることは、はっきりしています。「わたしのことが好きでしたか。わたしのどこが好きでしたか。どのあたりは、嫌いでしたか」ということです。自己中心的かもしれませんが、やはりそういうことが気になります。

皆さんは、どうでしょうか。復活したくないでしょうか。家族のみんなや教会のみんなに聞いてみたいとは思いませんか。「わたしのことが好きですか。わたしのことを愛していますか」と。

イエスさまとは、そのような方でした。イエスさまは、自信を持っておられたのです。イエスさまは、ペトロの返事がどういうものであるかという点で、自信を持っておられたのです。それはどういう自信かと言いますと、ペトロはわたしのことを「愛しています」と必ず答えてくれるに違いない、という自信です。それ以外の答えはありえない、という自信です。

なぜそのような自信を、イエスさまは、持つことがおできになったのでしょうか。この問いの答えもはっきりしています。イエスさまは、ペトロの口から「あなたが嫌いです」などと言わせてなるものかというほどに、ペトロのことを心から愛し抜かれたからです。

そういう愛の形があるのだと思います。「あなたのことが嫌いです」などとは絶対に言わせないというほどに、徹底的に相手に仕え、役に立ち、意味のある言葉を語り、喜ばせる、そのような愛の形です。

イエスさまは、弟子たちだけでなく、多くの人々のことを心から愛してくださいました。そして、そのイエスさまは、復活されて、今も生きておられ、わたしたちのことを心から愛してくださっています。イエスさまを信じる人々に、真の救いと喜びの人生とを与えてくださるのは、今も生きておられるイエスさまご自身です。

イエスさまは、わたしたちにも質問されています。「わたしを愛しているか」と。

復活とは、難しい理屈ではありません。復活とは、イエス・キリストにおいて示された真の神の愛をもって共に生きてきた人々との愛を確認しあうために設けられる機会です。

皆さんの大切な人も、皆さん自身も、このわたしも、救い主と共に、復活するのです。

共に復活し、お互いの愛を確かめ合おうではありませんか。

(2007年4月8日、松戸小金原教会主日礼拝)

2007年4月1日日曜日

苦難の僕


イザヤ書53・1~12

今日は、旧約聖書のイザヤ書53章を開いていただきました。この個所の中で「この人」とか「彼」と呼ばれている人のことを、わたしたちは、救い主イエス・キリストのことであると信じてきました。イエス・キリストがわたしたちの身代わりに十字架の上で死んでくださったあの苦難の姿を、預言者イザヤが預言しているのだ、と信じてきました。

そのように信じるに足る内容がここにあると、わたしも考えています。イザヤが描いているこの人は、わたしたちの病を担い、わたしたちの痛みを負ってくださることによって苦しみを体験し、神の手によって命ある者の地から断たれた、と書かれているからです。その姿は、まさにイエス・キリストです。

「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。
 主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
 乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように この人は主の前に育った。
 見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。」


「見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない」という翻訳は、一つの可能性にすぎません。原文を直訳しますと、「形も輝きもほとんどない」です。この人には形がない。そのように、イザヤは書いているのです。

形がない人間などいるのだろうかと思わざるをえません。まるで幽霊みたいではないかと。しかし、ここに記されているのが、ただの人間のことではなく、神の御子なる救い主のことであるとするならば、納得は行かないかもしれませんが、一つの話として、理解はできるようになるように思います。

神の御子には、本来、形がなかったのです。なぜなら、神の御子は神御自身だからです。神には形がありません。神は霊なのです。このように言うことは、神を冒涜することではなく、むしろ尊重することです。イザヤの「この人には形がない」という預言は、この人が霊なる神の御子である、ということを示していると考えることができるのです。

「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負い、病を知っている。
 彼はわたしたちに顔を隠し わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。」


軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っているこの人の姿は、まさに救い主イエス・キリストのお姿です。

それはまた、神御自身のお姿でもあると言わなくてはなりません。神は、人間の歴史の中で、軽蔑され続けてきました。わたしたちの時代の中でも、軽蔑され続けています。

わたしたち自身は、神を重んじているでしょうか。神のために命をささげる覚悟や決意があるでしょうか。そのあたりが、実際には、怪しいのです。

神は、この世界のすべてを創造された、この世界の支配者です。わたしたちは、本当にそう思っているでしょうか。実際には、すべての世界は、このわたしの周りを回っていると、いまだに思っているのではないでしょうか。そのような態度をとっているのではないでしょうか。

神を軽蔑し、救い主イエス・キリストを軽蔑し、そして、キリストの体なる教会を軽蔑する。それは、他のだれかの話ではなく、わたしたち自身の姿かもしれないと疑ってみる必要があると思います。
 
「彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
 わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。
 彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり
 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。」


救い主イエス・キリストがゴルゴタの丘の十字架の上で担ってくださったのは、わたしたち人間の罪であり、愚かさであり、病です。

しかし、そのことは、イエス・キリストを救い主と信じる信仰がなければ、決して理解することも、受け入れることもできないでしょう。十字架にかけられる人は、呪われた人であり、自業自得であると、普通の人は見るでしょう。

イエス・キリストを信じる信仰があれば、このお方の死の意味を正しく理解することができます。それは、まさに、イザヤが預言しているとおりです。

彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためです!

彼が打ち砕かれたのは、わたしたちのとがのためです!

イエス・キリストを裏切って死に追いやったのは、イエス・キリストの弟子たちでした。最も愛していた弟子たちに、イエスさまは裏切られたのです。

しかし、その裏切りを、イエスさまは、すべてご存じであり、すべてを受け入れておられました。愛するとは人の弱さを理解し、受け入れることです。強い人が弱い人をかばい、助けることです。それが愛です。

イエスさまは、弟子たちを十字架のうえでも愛しておられたのです。御自身が十字架について、弟子たちをかばってくださったのです。

わたしたちも、イエスさまを裏切ることがあるでしょう。洗礼を受けるとき、神と会衆の前で行ったあの約束の言葉を覚えておられますか。「救い主イエス・キリストのみを信じ、彼にのみより頼みますか」。

わたしたちは、今でも、救い主イエス・キリストのみを信じ、彼にのみより頼んでいるでしょうか。適当なところで誤魔化してはいないでしょうか。

わたしたちの裏切りをも、イエスさまは、ご存じです。すべてを理解し、すべてを受け入れておられます。イエスさまはわたしたちを愛しておられます。わたしたちをかばってくださるのです。

だからこそ、次のように告白できるのではないでしょうか。

「彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」

他の誰かが受けた傷によって、わたしたちがいやされるというのは、話としては奇妙なことのように思えます。しかし、これもまた、救い主イエス・キリストがお受けになったあの傷と苦しみのことであると信じるならば、理解できる話になります。

イエス・キリストの十字架上の死は、全世界の人々の身代わりの死です。本来ならば、罪に対する神の罰を受けるのは罪人自身です。わたしたち罪人こそが、十字架の罰を受けなければなりません。ところが、わたしたち自身が受けなければならない罪に対する神の罰を、イエスさまが身代わりに受けてくださったのです。これが、イエスさまの死の深い意味です。これを代理刑罰の教理と言います。

そして、イエスさまがその罰を身代わりに受けてくださったことによって、神と人間との間の和解が成立し、真の平和がもたらされたのです。この平和の喜び、深い心の平安が、わたしたち人間の傷をいやす薬になるのです。

わたしたちは、罪深い生活をしている間は、平気でそうしている面と、実際には様々な場面で傷ついている、という面があるはずです。罪悪感というのも、立派な心の傷です。小さな盗みを自覚的に働いた人は、そのことを、いつまでも覚えているものです。犯罪は、相手を傷つけるだけではなく、それを犯した人自身をも、深く傷つけます。

そしてまた、そうであることが分かっていてもやめられないのも、罪の性質です。この泥沼、この連鎖、この罪の奴隷状態から、どうかわたしを救い出してください、と叫び声をあげることができた人は、すでにほとんど救われていると言ってよいほどです。自分の心の中には深い傷がある、ということに気づき、その痛みを感じて、魂の医者、救い主に助けを求めることができた人は、もうあとわずかで、いやされるでしょう。

罪はまた、人を孤独にします。行いの罪だけではなく、言葉の罪もあります。人を傷つけるようなことを平気で言うような人に近づきたいと思う人は、いません。しかし、孤独のままで生きていくのは、つらいものです。

孤独もまた、立派な心の傷になります。この傷をいやしてほしい。このさびしさから、なんとかして逃れたい。その願いを強く持ち、助けを求めることができた人は、ほとんど救われています。

その人は自分の罪を悔い改め、神の御心に従って生きるべきです。そのとき、深い平安を味わうことができるでしょう。

「わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。
 そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。
 苦役を課せられて、かがみ込み 彼は口を開かなかった。
 屠り場に引かれる小羊のように
 毛を切る者の前に物を言わない羊のように
 彼は口を開かなかった。
 捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
 彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか
 わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり 命ある者の地から断たれたことを。
 彼は不法を働かず その口に偽りもなかったのに
 その墓は神に逆らう者と共にされ 富める者と共に葬られた。
 病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ 彼は自らを償いの献げ物とした。
 彼は、子孫が末永く続くのを見る。
 主の望まれることは 彼の手によって成し遂げられる。
 彼は自らの苦しみの実りを見 それを知って満足する。
 わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために 彼らの罪を自ら負った。
 それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし
 彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで
 罪人のひとりに数えられたからだ。
 多くの人の過ちを担い 背いた者のために執り成しをしたのは この人であった。」


イエス・キリストを信じましょう!

このお方を心から信じるならば、わたしたちは、必ず救われます。

(2007年4月1日、松戸小金原教会主日礼拝)