2007年5月20日日曜日

「神はヨセフを離れず」

使徒言行録7・9~16



今日も先週に引き続き、キリスト教会最初の殉教者となったステファノの説教を学んで行きたいと思います。



この説教の直後に、ステファノは殺されました。その意味で、この説教はステファノの遺言です。この人の生涯の最期に語られた言葉です。



今日の個所でステファノが取り上げていますのは旧約聖書の創世記の物語です。ヨセフという名前が出てきます。創世記37章から50章まで続くいわゆる「ヨセフ物語」です。



ヨセフ物語の詳細な内容につきましては、直接創世記をお読みいただきたいと思います。とても長い、そして非常に感動的な物語です。私は、新共同訳聖書に変えたことによって、最も読みやすく、また強い感動を覚えるようになったのは、このヨセフ物語です。



ヨセフ物語自体は長いものですが、ステファノは、それを短い言葉で要約しています。ステファノの要約する能力は、非常に優れています。



「この族長たちはヨセフをねたんで、エジプトへ売ってしまいました。」



ここで気になるのは、「この族長たち」(7・9)という表現です。また、続く個所に二度繰り返されている「わたしたちの先祖」(7・10、15)という表現です。



これはイスラエルという名前でも呼ばれたヤコブの、子どもたちのことです。ヤコブの子どもは、12人いました。そしてヨセフもヤコブの子どもであり、12人のうちの11番目に生まれたのですが、「この族長たちはヨセフをねたんで」とありますので、「この族長たち」の中にはヨセフは含まれませんし、また、ヨセフの弟ベニヤミンも含まれないと考えるべきですので、「この族長たち」の人数は10人である、と考えるのが適当でしょう。



この10人の族長たちのことを、ステファノは、「わたしたちの先祖」とも呼んでいます。これで分かることの第一は、ステファノ自身も生粋のユダヤ人であったということです。



第二は、「わたしたちの先祖」である「この族長たち」は、ヨセフをねたんで、エジプトへ売ってしまったと語ることにおいてステファノは、「わたしたちの先祖」に対して明らかに少し距離を置いており、またかなり強く批判的な思いを抱いている、ということです。



しかしまた、第三に、そのように批判的な思いを抱いている相手が「わたしたちの先祖」であると語る点でステファノは、まさにステファノ自身の先祖であるヤコブの子どもたちが犯した罪というものを他人事のようには考えず、むしろ、先祖たちの犯した罪の責任を自ら負うという仕方で、ある種の連帯責任を表明しているように読める、ということです。



ヨセフをエジプトへ売るとは、れっきとした一人の人間であるヨセフをエジプトの奴隷商人相手に売り渡した、という意味であり、人身売買を行ったということであり、要するに“人間をお金に換えた”ということです。



もっとも、創世記の記事を細かく見ていきますと、「ミディアン人の商人たちが通りかかって、ヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でイシュマエル人に売ったので、彼らはヨセフをエジプトに連れて行ってしまった」(創世記37・28)とあり、ヨセフを売ったのは兄たちではなく、たまたま通りかかったミディアン人であった、と読めることなども書いてありますので、少し注意深く語るほうがよいかもしれません。



とはいえ、ヨセフが明らかに、実の兄たちから辱めを受けたという点は否定できません。ヨセフはまさに心も体も深く傷つけられました。



もっとも、長男ルベンは、いくらか弟思いのところがありました。他の兄弟がヨセフを傷つけていたときに、ルベン一人が反対してヨセフを庇おうとする場面なども出てきます。



しかし、そのあたりの細かいことはステファノの説教の中では取り上げられていません。むしろ、強く前面に出して語られていることは、「わたしたちの先祖」がヨセフに対して罪を犯した、という点です。



そして、その罪の責任をこのわたしも受け継いでいるという自覚が「わたしたちの先祖」である「この族長たち」が、ヨセフをエジプトへ売ってしまった、という言葉の中に詰め込まれているのです。



ところで、「わたしたちの先祖」によってエジプトに売られてしまった“ヨセフ”とは、はたして“誰”のことでしょうか。あるいは「わたしたちの先祖」とは“誰”のことなのでしょうか。それはどういうことか。ヨセフは、もちろんヨセフです。それ以外の誰でもありません。しかし、ステファノは、ここで明らかに、ヨセフの話をしながらも、「わたしたちの先祖」ユダヤ人たちによって辱めを受けた、もうひとりの人のことを思い浮かべているように思われるのです。



説教とはしばしば、そのような仕方で語られるものです。純粋に聖書の御言葉を語りながら、目の前にいる一人一人のことを心配したり考えたりしながら語っているところが、必ずあります。



ですから、わたしは皆さんに、説教中はいろいろ余計なことを考えてください、と言いたいのです。説教の目的は、聖書のみことばを記憶することではなく、聖書のみことばを読みながらいろんなキーワードがあることに気づかされ、そこからいろいろと連想される自分自身の実際の生活や人生について、あれこれと思い巡らすことなのです。



さて、それでは“ヨセフ”とは、誰のことでしょうか。それは、おそらくわたしたちの救い主イエス・キリストのことです。そして“わたしたちの先祖”とは、誰か。おそらくイエスさまを十字架にかけて殺したユダヤ人たちを指している、と考えることができるのです。



ここでステファノは、イエス・キリストに苦しみと死をもたらしたユダヤ人たちのことを間違いなく連想させる「わたしたちの先祖」という表現を用いています。



そしてそれによってステファノ自身は、ユダヤ人たちに殺されたイエス・キリスト御自身の側ではなく、むしろイエス・キリストを殺したユダヤ人たちの側に立って、彼らと自分自身の連帯責任を表明しているのです。



ステファノはユダヤ人たちに対して、「あいつらが悪いのだ」と指差して言うのではなく、自分自身もユダヤ人の一人として、「わたしたちがイエスさまを殺したのだ」と語っているのです。



ところが、です。ステファノは次に、感動的な言葉を語っています。



「しかし、神はヨセフを離れず、あらゆる苦難から助け出して、エジプト王ファラオのもとで恵みと知恵をお授けになりました。そしてファラオは、彼をエジプトと王の家全体とをつかさどる大臣に任命したのです。」



「神はヨセフを離れず」。これは、「ヨセフは神を離れず」ではないところに大きな意味があるように思います。ヨセフの信心深さや努力の大きさは、問われていません。



神の側にどこまでも主導権(イニシアチブ)があり、神が恵みと憐れみの御手をもってヨセフを捉えて離さないでいてくださり、ヨセフ自身にどこまでも伴い続けてくださった様子が表現されているのです!



ヨセフは、ひどい目にあわされたのですから、たとえ絶望したとしても、誰も責めないであろうどころか、多くの人々の同情や共感を得ることができたでしょう。



しかし、ヨセフは絶望しませんでした。なぜ絶望しなかったのでしょうか。



神さまが、ヨセフを離れなかったからです!



神さまが、いつもヨセフと共にいてくださったからです!



ヨセフが「大臣」になったとか、飢饉の時代にエジプトの人々とヤコブの子ら(ヨセフを捨てた兄たち!)を政治家として救済した、という点は、もちろん大切なことです。



しかし、いわばもっと大切なことがある。それが、「神はヨセフを離れず」という点です。ヨセフの政治家としての成功や活躍は、神御自身がヨセフからお離れにならなかった結果として起こったことなのであって、その逆ではありません。



ステファノが語ろうとしていることは、単なるヨセフの立身出世物語(サクセスストーリー)ではありません。むしろ、ステファノは、ヨセフがたとえどのように困難で厳しい状況にあっても、「神が離れずにいてくださる」という事実があり、その事実を事実として信じる信仰があり、その神御自身がまさに生きて働いてくださり、たえず生ける真実の御言葉とみわざをとおして、現実の慰めと現実の励ましを与えてくださったので、彼が絶望することは全くなかったのだ、ということを語ろうとしているのです。



皆さんは、神さまが生きておられる、ということを信じておられますか。



皆さんは、人から見れば「絶望的な状況である」と思われても仕方がないだろうと自覚された場面には、たくさん遭遇されてきたことでしょう!



でも、そのとき絶望されましたか。



神の臨在が、そして、神の臨在を信じる信仰が、皆さんを励ましてくれたのではないでしょうか。



わたしたちも、同じように告白できるはずです。今、つらい思いを味わっている方ならば、なおさらです。



「神は、このわたし○○からも、離れることはない!」と(○○のところに自分の名前を入れて告白してください!)。



それだけで、ただそれだけで、ファイトが沸いてきます。



(2007年5月20日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年5月13日日曜日

「アブラハム・イサク・ヤコブの神」

使徒言行録7・1~8



今日の個所から始まっております、かなり長い説教は、ステファノという人物が語っているものです。このステファノはたいへん有名な人です。ステファノがどのことで有名なのかといいますと、この人こそが、長い二千年のキリスト教会の歴史のなかで最初に殉教の死を遂げた人である、という点で有名である、ということです。



このステファノは、先週学びましたとおり、教会の中で起こったある一つのトラブルをきっかけにして、そのトラブルに対処するために特別に選ばれた七人の教会役員の一人でした。その教会役員の職名を、先週私は「奉仕者」または「執事」と呼んでもよいと申し上げました。しかし、あとではっと気づいたことは、新共同訳聖書において彼らの職名は「奉仕者」とも「執事」とも書かれていないということです。少し説明が必要であるようだということに気づきました。



ステファノたち七人のことを「奉仕者」または「執事」と呼ぶことができるための根拠は、新共同訳聖書では、いくらか隠された形で出てきます。注目していただきたいのは、「日々の分配」(6・1)という言葉と、「食事の世話」(6・2)という言葉です。この「分配」の原語がディアコニア、また「世話」の原語がディアコネオーと言い、これがわたしたち改革派教会の中で「執事」(ディーコン)と呼んでいる職務の語源になっているのです。



ですから、わたしたちは安心して、ステファノのことを「執事」と呼んでもよいです。彼は使徒ではなく、また牧師でも長老でも神学者でもありません。しかし今日の個所から始まっている説教は、間違いなくステファノ執事が語ったものです。そしてこの説教者でもあるステファノ執事こそが、キリスト教会の歴史における最初の殉教者となった人なのです。



さて、ステファノの説教の内容に入っていく前に、このステファノの人となりについて書かれていることに触れておきます。三つあります。それは、第一に「ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた」(6・8)という点、第二に「彼〔ステファノ〕が知恵と“霊”とによって語るので、歯が立たなかった」(6・10)という点、そして第三に「最高法院の席についていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた」(6・15)という点です。



ただし、私は、この三つの点を別々に扱うつもりはありません。実は同じ一つの事柄が別の表現で言い直されている、と読むことができると考えております。そして、それは、難しいことではありません。キーワードは「恵みと力」、「知恵と霊」、「天使の顔」です。これらに共通していることは、いずれも、人間存在の外側から、あるいはこの地上世界の外側から、内側へと“入って来た”ものである、という点です。



「恵み」は神のプレゼントであり、ギフトです。「霊」は「聖霊なる神」です。「天使」は、聖書に登場する存在のなかでは最高度に謎めいている存在であるわけですが、少なくとも言えることは、彼らは人間ではないということです。天使とは神の被造物でありつつ、人間ではない、霊的な存在である、と説明されてきました。



それらが外側から入って来た、という意味は、もともとは無かったものである、ということです。「恵み」も「霊」も「天使の顔」も、また「力」や「知恵」でさえも、それらをステファノは、生まれたときから持っていたわけではありません。すべては神から与えられたものです。また、それらは、生まれたときからではないという意味で、あとから得たものです。そしてとりわけそれは、“信仰”によって、また “教会” (キリストの体!)を通して得たものなのです。



はっきり言いますと、神さまから信仰を与えられ、教会に連なっている人々すべてに、このステファノと同様の「恵み」と「霊」、そして「天使の顔」を与えられているのだ、ということです。もちろん、わたしたちもそうです。今お手元に鏡を持っておられるなら、ご覧になったらよいのです。皆さんの顔は「さながら天使の顔」のようです!



天使とはどんな顔なのかということを疑問に思う必要はありません。信仰をもって喜んで感謝して生きている人々の顔が「天使の顔」なのです。こういうことを私が言いますと、「わたしの顔は、とてもじゃないが天使のようではない」とお感じの方もおられるに違いありません。強いて言うとしたら、信仰の確かさの違い、あるいは信仰生活・教会生活に喜びを感じる度合いの違い(信仰の喜びの違い)が表情に現れているのです。しかしそれは、変わりうる要素です。



ただし、です。一つの点は、注意が必要かもしれません。結果的にそうなったという話ではあるのですが、このステファノに神さまから与えられていた「恵みと力」、「知恵と“霊”」、そして「天使の顔」がいわば招いた結果として、多くのユダヤ人たち、そしてまたしてもユダヤ教団の最高指導者たちの嫉妬や怒りを買うことになり、ステファノは逮捕されて、ユダヤ最高法院の場に引きずり出されることになってしまった、ということです。そして、6・11以下にありますとおり、ステファノは、でたらめな偽証を行う人間たちから、ありもしないことを言われたり、物理的な暴力を加えられたりしました。そして最終的には殉教という最悪の結果に至ってしまいました。



どの点に“注意が必要”なのでしょうか。それは、(半分くらいは冗談めかした言い方をするのをお許しいただきたいのですが!)、わたしたちが「天使の顔」をしていると、嫉妬や怒りを買うことにもなる、ということです。幸せそうな人を見ると嫌な気持ちがするという人が、必ず出てくるのです。信仰生活・教会生活が充実している人々、喜びと感謝に満たされている人々は、そうでない人々から憎まれることにもなるのです。



牧師などをしておりますと、他の人々よりも少し厳しい見方や言われ方をされる場合もあります。「“教会さん”なのだから、もうちょっとしっかりしてくださいよ」とか。なんとなくムカッときますが、教会の名誉のために抑えて抑えて。



だから、わたしたちは、いつも暗い顔をしていましょう、という話になるでしょうか。それは、いくらなんでも変な話でしょう。喜んでいる人が無理に暗い顔をしたり、怖い顔をしたり、無理に泣いたりする必要はないはずです。偽悪者ぶる必要も、格好つける必要もないはずです。



強いて言うならば、ステファノには、この種の格好つけのようなことが、一切なかったのです。もしかしたらステファノは、ちょっと子どもっぽい感じに見えたかもしれません。心の中にある信仰の喜び、救われた者としての喜びが、彼の表情や態度を通して、外側にはっきりと見えていたというのですから!天真爛漫で無邪気で明るい信仰者の姿が、目に浮かびます。



わたしたちは、わたしの信仰に対して、わたしの心の確信に対して、そして、わたしの救い主イエス・キリストに対して、正直であるべきです。たとえ迫害の危険があっても、です!



わたしたちもステファノのように信仰の喜びをもっと外側に表わしてよいのではないか。心理的なバリアーを解除すべきではないか。そのようなことを、ステファノの姿を通して考えさせられます。皆さんはどのようなご感想をお持ちでしょうか。



さて、それでは、ここからステファノの説教の内容を見ていきたいと思います。ただし、今日は最初の段落だけにとどめます。



「大祭司が、『訴えのとおりか』と尋ねた。そこで、ステファノは言った。『兄弟であり父である皆さん、聞いてください。わたしたちの父アブラハムがメソポタミアにいて、まだハランに住んでいなかったとき、栄光の神が現れ、「あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け」と言われました。それで、アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住みました。神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住んでいる土地にお移しになりましたが、そこでは財産も何もお与えになりませんでした。一歩の幅の土地さえも、しかし、そのとき、まだ子供のいなかったアブラハムに対して、「いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる」と約束なさったのです。神はこう言われました。「彼の子孫は、外国に移住し、四百年の間、奴隷にされて虐げられる。」更に、神は言われました。「彼らを奴隷にする国民は、わたしが裁く。その後、彼らはその国から脱出し、この場所でわたしを礼拝する。」そして、神はアブラハムと割礼による契約を結ばれました。こうして、アブラハムはイサクをもうけて八日目に割礼を施し、イサクはヤコブを、ヤコブは十二人の族長をもうけて、それぞれ割礼を施したのです。』」



この説教の最初にステファノが引き合いに出しているのは、旧約聖書の創世記12章から36章まで続く、いわゆる族長物語です。信仰の父アブラハム、その子どもイサク、そしてイサクの子どもヤコブと三代続く信仰の家系の物語です。



ステファノが語っていることは、まさに旧約聖書・創世記に書かれているとおりのことです。物語のあらすじです。しかし、興味深いことは、ステファノのまとめ方、つまり、聖書の御言葉の要約の仕方が、とても上手である、ということです。こういうのは、ぜひ真似をしてみたいところです。学ぶべき点がたくさんあります。



家族や友達から「聖書ってどういう話なの?短く要約すると何なの?」と聞かれる機会があるかどうかは分かりません。しかし、あるとしたら、わたしたちは、それにきちんと答えなければなりません。その場合、長々だらだらと答えてはなりません。話のあらすじを正確にとらえて、短く的確な言葉で語らなければ、相手は聞く耳を持ってくれません。使徒言行録7章のステファノの説教は、新共同訳聖書で1500ページ以上もある旧約聖書のあらすじをたった3ページ(!)で要約してくれているという点で、たいへん貴重な文書である、と見ることが可能です。



なぜステファノは、アブラハム、イサク、ヤコブの話をもって、とくにアブラハムの話をもって、この説教を始めたのでしょうか。この説教のこの部分の意図がどこにあるかは明白です。ステファノがはっきりと見出しているのは、アブラハムの生涯における苦難の要素です。



アブラハムは、生まれ故郷、父の家を離れて、主なる神が「行け」とお命じになった町に出かけていきました。行く先も知らずに(ヘブライ11・8)です!要するに、家出です。これほど無謀なこと、危険なこと、そして、これほどでたらめなこと、いいかげんなことが、他にあるでしょうか。私なら、自分の息子や娘が、行く先も知らずに家を出て行くと言い出したら、体を張ってでも止めると思います。しかし、アブラハムは止まらない!



ところが、アブラハムは、神さまから「行け」と言われて行った町で、まとまった財産を全く手にすることができませんでした。「一歩の幅の土地さえも」!いわばまさに“その日暮らしの生活”です。いつ追い出されても文句を言えない。自分の所有の土地や、ある一定の財産を全く持たないことが、どれほどの不安であり、どれほどの苦しみであるかは、牧師という仕事をしている者(移動生活者!)には、少し分かります。



そのなかでアブラハムがひたすら頼ったのは、神さまだけでした。格好をつけるわけではなく、他にどうすることもできないという仕方で、アブラハムは、神に祈りましたし、神の約束をひたすら信じたのです。



「行け」と言われたのは神御自身なのだから、そして「あなたを祝福する」と約束してくださったのは神御自身なのだから、神は必ずその約束を実現してくださるであろう、とアブラハムは信じたのです。“信じること”だけが、アブラハムに残された最後の選択肢であり、希望だったのです。



そのことをステファノは語ろうとしています。当時のキリスト者たちの姿をアブラハムの姿に重ね合わせているのではないでしょうか。



われわれは、土地も財産も、何にも持っていない。



しかし、信仰がある!



信仰によって生かされている人生があり、喜びがある!



あなたがたに、それがあるのか、迫害者たちよ。



そのような問いかけを、読み取ることができるように思います。



(2007年5月13日、松戸小金原教会主日礼拝)





2007年5月6日日曜日

「知恵と霊によって語る」

使徒言行録6・1~15



「そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。『わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。』一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる『解放された奴隷の会堂』に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。しかし、彼が知恵と“霊”とによって語るので、歯が立たなかった。」



今日お読みしました範囲(使徒言行録6・1~15)には、大きく分けると、二つのことが記されています。いずれも、二千年前のエルサレム教会の話です。



第一に記されている事柄は、教会が成長していった結果、なかば必然的に起こってきた出来事です。それは、はっきり言えば、教会内のトラブルと、そのトラブルの処理です。人間の集まりとしての教会には、人間の数だけトラブルが起こる可能性があります。その意味の「必然的」です。



第二に記されている事柄は、その教会内のトラブルを適切に処理し対応するという目的のために、教会がよりしっかりとした制度を持つようになった、ということです。



具体的に言えば、十二人の使徒たちのほかに、そのころ新たに起こってきた問題を専門的に扱う七人の奉仕者(執事)を、教会の役員会に加えることになった、ということです。ごく分かりやすく言えば、ある出来事をきっかけにして、教会の役員会が十二人から七人増えて十九人になった、ということです。



この二つの事柄はスムーズにつながっていなくてはなりません。悪い例があるとしたら、それは、第一の事柄が現実に存在するのに、第二の事柄が動き出さないことです。つまり、教会内に明らかにトラブルが起こっているのに、トラブルを処理する責任を教会がとろうとしないこと、です。



二千年前のエルサレム教会は、この点においてきちんとしていたということが、今日の個所から分かります。とくに注目していただきたいと願いますのは次の点です。それは、新しく起こってきた問題やトラブルの処理を担当するための新しい役員を選ぶ、ということは、逆に考えますと、新しい問題が起こったときに、従来の役員会がその問題のすべてを抱え込んでしまおうとしなかった、ということを意味している、ということです。



それは、旧役員会(今日の個所の場合は「十二使徒」)による責任の放棄ではありません。むしろ逆です。「われわれにはその面の責任までは負い切れない」ということを率直に認め、自分たち以外の多くの人々の助けを求めることは、勇気が要ることです(なぜなら、自分たちの弱さや限界を告白せざるをえませんので)。しかし、そのような態度こそが、教会においては、ふさわしいのです。



反対に、自分たちにはその責任を負いきることができそうもないことが明白であるにもかかわらず、何でもかんでも自分たちで抱え込んでしまい、結局何もできなかったということのほうが、よほど無責任です。



新しい仲間を得ること、その人々の助けを求めること、その人々に仕事を任せることは、なるほどたしかに、たいへんなことであり、またしんどいことでもあります(なぜなら、その人々を“育てる”必要が生じますので)。



しかし、長い目で見ると、そのようなことこそが教会が歴史的な歩みを続けていくために最も重要なことである、ということが分かるでしょう。



私が願うことは、今日の個所は、今私が申し上げたような意味で理解されてほしい、ということです。なぜこのような言い方をするのかといいますと、今日の個所は誤解を生む恐れがあると感じるからです。とくに誤解を生みやすいと思われるのは、「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない」から始まり、「わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします」で終わる、使徒の言葉です。



「御言葉の奉仕」とは、説教のことです。またそこには説教を支える神学や教理の研究のことを含むと言ってもよいでしょう。その場合に起こりうる誤解とは、「御言葉の奉仕」と「食事の世話」を、上と下の関係に置く、ということです。



説教の仕事や神学の研究は、上の仕事。それはわたしたち上に立つ人間の仕事。食事の世話などは、下の仕事。取るに足りない、どうでもいい仕事は、シモジモのあなたがた、お願いね。このような(ひどい)考え方に基づいて、十二使徒が七人の奉仕者を選ぶことを願ったわけではない、ということを、どうかご理解いただきたいのです。



当時のエルサレム教会内に起こった問題とは、要するに、経済的な面のトラブルでした。「ギリシア語を話すユダヤ人」とは、いわば帰国子女です。この中に使徒パウロ(サウロ)も含まれます。パウロはギリシア語もヘブライ語も、ひょっとしたらラテン語も使うことができた、語学の達人であった、と考えられています。



それに対して、「ヘブライ語を話すユダヤ人」とは、(実際にはアラム語と呼ばれる言語を使用していましたが)、いわゆる土着(ネイティブ)のユダヤ人のことを指しています。両者がエルサレム教会内に共存していたようですが、あまりうまく行っていなかったようです。言葉、文化、生活習慣や生活スタイルなどに違いがあったからではないでしょうか。



それに対して、十二使徒たちは、基本的に生まれも育ちもパレスティナ。ギリシア語の勉強くらいはしていたとは思いますが、あまり得意でなかったと考えられますし、当時のエルサレム教会の日常言語はヘブライ語(アラム語)であり、ギリシア語ではなかったと思われます。



そういう場合には、使徒たちの立場からすればヘブライ語を話すユダヤ人たちに対して意識的・意図的にえこひいきをしていたわけではないとしても、実際的な判断においてはいろんな点で偏ってしまうということが起こっていたのではないでしょうか。これは具体的な例を挙げなくても理解していただけることだと思います。



また、重要な点は、この教会に起こった問題は、「日々の分配」のことであり、「仲間のやもめが軽んじられる」というような、要するに、とても複雑で微妙でデリケートな問題であった、ということです。なぜ「やもめ」なのかについてもいくつかの説明があるようですが、当時のパレスティナにも(今日と同じく!)ひっきりなしに戦争が起こっていて、軍隊に借り出されて戦死した夫の妻たちの生活を、教会が支援していたというのが、有力な説明です。



そのように、教会は、いわばただ単に礼拝だけを行っていたとか、説教だけをしていたとか、神学の研究だけをしていたというような事情には全くなく、むしろ事情は正反対なのであって、まさに複雑で微妙でデリケートな個人や社会のさまざまな問題に取り組んでいたのだと考えることができるのです。



また教会の中の経済的な問題とは、要するに献金の扱いの問題です。まさに複雑で微妙でデリケートな問題です。ここで絶対に誤解されたくないと思いますことは次のことです。それは、説教の仕事は上、お金の扱いや食事の世話は下、というような物の見方は、全く間違っている、ということです。そして、そのような間違ったことを、十二使徒たちは、決して考えていたわけではない、ということです。



彼らは、むしろ、自分たちにできることの限界を、よく知っていたのです。説教の準備や実践にも、多くの時間や力が必要です。かたや、ここに出てくる意味での「日々の分配」や「食事の世話」にも、多くの時間や力が必要です。はっきりしていることは、両方とも片手間でできるようなことではなく、また両方とも非常に重要な仕事である、ということです。だからこそ、お互いに分業する必要が生じた。それは、使徒たちの側から言えば、「日々の分配」や「食事の世話」は教会においては非常に重要な事柄であるという思いがあったからこその分業案であったに違いない、と考えることができるわけです。



もっとも、このようなことは、松戸小金原教会のように、しばしば食事会を開いたり、バザーを開いたりしている教会では至極当然のこととして受け入れていることです。口を酸っぱくして強調して語る必要のないことです。



ただし、です。ここでちょっと立ち止まって考えるほうがよさそうなことが、書かれています。それは、使徒たちの提案に基づいて選ばれた七人の奉仕者(執事)たちは、彼らの選挙の前に教会があらかじめ定めた選考基準においても、また選挙の結果においても、「霊と知恵に満ちた評判の良い人」、あるいは「信仰と聖霊に満ちている人」が選ばれたという点です。



そして、それでは、その人々の内に満ち満ちていた「霊と知恵」あるいは「信仰と聖霊」というものは、実際にはどのように用いられたのかということも具体的に書かれています。その例として紹介されているのが、七人の奉仕者(執事)の筆頭に名を挙げられている、ステファノという人物です。



ここに明らかにされていることは、ステファノに限って言えば、この人物に与えられた「霊と知恵」あるいは「信仰と聖霊」が具体的な場面で最も力を発揮したのは、「語ること」においてであった、ということです。



「霊と知恵によって語る」。つまり、彼らが最も力を発揮したのは、御言葉を語ることにおいてであり、また救い主イエス・キリストの福音の反対者や教会の迫害者に対する徹底的な議論を行うことにおいてであったということです。つまり、彼らは、そのこと(語ること)を、彼ら自身の役割である日々の分配や食事の世話もしながら、同時に行っていた、と考えることができるのです。



このことから私が申し上げたいことは、少し厳しい言い方になるかもしれないことです。それは、「私は牧師や長老ではないので御言葉を語る必要はない」という話は、ステファノの例から言えば、成り立たない理屈である、ということです。



明らかなことは、教会の中での分業は悪い意味での“縄張り意識”のようなものとは無関係であるということです。すべての人がこの説教壇の上から御言葉を語るかどうかはともかく、教会の中であれ外であれ、神の御言葉を熱心に学び、教え、宣べ伝えることにおいては、「私は牧師や長老ではないから、そういうことはしなくてもよい」とか、「勘弁してください」と断る理由はありません、ということです。



使徒が「祈りと御言葉の奉仕に専念することにした」と言っているのは、教会のみんなから祈りと御言葉(を語る権利)を奪い、悪い意味で“独占”するためではありません。



伝道は、教会全体の仕事です。そのことを確認しておきます。



(2007年5月6日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年4月29日日曜日

「迫害の中の教会」

使徒言行録5・17~42



今日の個所を読んで感じることは何でしょうか。それはいくらか微妙な気持ちではないでしょうか。そのようなことを、つい思わされます。



克明に描かれていますのは、当時の教会に対して起こった迫害の様子です。



事の発端は、要するに、当時誕生したばかりのキリスト教会が非常にうまく行っていたということです。イエス・キリストを信じる人々が、心を一つにして礼拝を守り、互いに助け合い、また彼らを通してさまざまな不思議なわざが行われていく中で、彼らの教会が神の祝福を豊かに受けて成長していったのです。



その次に起こったのが迫害だったというのです。なぜ教会の成長「の次に」起こったのが教会の迫害なのか、この二つの出来事をつなぐものは何だったのかと言いますと、それが「ねたみ」であったということが、17節にはっきりと書かれています。



「そこで、大祭司とその仲間のサドカイ派の人々は皆立ち上がり、ねたみに燃えて、使徒たちを捕らえて公の牢に入れた。」



興味深いと感じることは、当時の教会に対してねたみを抱いたのは「大祭司とその仲間のサドカイ派の人々」であったという点です。彼らは宗教家たちです。ユダヤ教団の幹部たちです。彼らは彼らなりの熱心をもって神に仕えていたのです。



そのような人々がキリスト教会をねたんだ。ねたんだ結果、教会を迫害した。そういうことが起こったのです。少し微妙な気持ちが起こると最初に申し上げたのは、まずこの点です。



大祭司たちの側に「ねたみ」という動機があったことを、キリスト教会側がどのようにして知ることができたかについては、容易に説明できそうなことです。たとえば、使徒となったパウロ(この迫害事件の当時は「サウロ」)は、このときはまだ完全にユダヤ教団側の人であったわけです(使徒言行録8・1)。パウロがそれをキリスト教会に伝えたかどうかは明言できることではありません。しかし、ユダヤ教団のキリスト教会に対する迫害の真意を使徒言行録の著者が知っていたとしても、何の不思議も矛盾も飛躍もないと言ってよいでしょう。



ここでこそ、わたしは微妙な気持ちを持たざるをえません。なぜなら、当時のユダヤ教団の幹部たちが神に祝福されて成長していくキリスト教会の姿を見て、ねたみを起こし、迫害した、というこのあたりで私が痛烈に感じることは、当時の宗教家たちのあまりにも幼すぎる様子であり、要するに幼児性ということだからです。あまりにも子供じみていて、恥ずかしい。



他人の成長や幸せを、喜ぶことができない。喜ぶどころか、ねたむ。そのような思いがねたみの正体でしょう。あまりにも子供じみているではありませんか。これは「子供」をおとしめる意図から申し上げていることではありません。



なぜ、このわたしが「恥ずかしい」と感じるのか。それは、わたしたち自身も、間違いなく「宗教」だからです。そしてこのわたしも、間違いなく「宗教家」だからです。他人事のように考えることはできないのです。同じく宗教を営む者として恥ずかしい、という言い方が適切かどうかは微妙です。微妙ですけれども、そのような思いに近いことを感ぜざるをえません。わたしたちも気をつけなければならないことがある、と思わされます。



なぜなら、教会もこの種の幼児性に陥ることがあるからです。



それは同じキリスト教会同士の間にも起こります。あの教会は、うちの教会よりも成長している。あの教会の人々は、とても幸せそうに生きている。みんなで協力して、大きく立派な建物ができた。そのことを喜ぶことができない。悔しい。ねたましい。他の教会が成長している姿を見て、「わたしたちもがんばろう」と発奮するのではなく、むしろ逆に、ねたむ。足をひっぱってやろうとまで思うかどうかは分かりません。そこまで行かなくても、ねたみを抱いている時点で、すでに、十分に子供じみているではありませんか。



そのような、わたしたち自身にもなんとなく、あるいははっきりと身に覚えのある幼児性を、当時の宗教家たちが持っていて、その幼児性の結果として、キリスト教会に対する大きな迫害が起こった、ということが、今日の聖書の個所に記されているのです。



教会の役員だからこそ陥る幼児性というものも、あるのではないか。こういうことを、つい考えさせられるのです。もちろん、これは、私自身の大きな反省や自戒をこめて申し上げていることです。



さて、もう少し話を先に進めていきます。迫害の次に起こったことは、不思議な出来事だったという点です。使徒たちが逮捕され、公の牢に投げ込まれたあと、「夜中に主の天使が牢の戸を開け、彼らを外に連れ出した」という出来事が起こった、というのです。そこで何が起こったのかは、書いてあるとおりのことしか分かりません。



そして、それに続く出来事は、教会の宣教活動の継続でした。主の天使が、使徒たちに次のように述べました。



「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい。」



この天使の言葉を聞いた使徒たちは、夜明けごろエルサレム神殿の境内に立って、説教を始めたというのです。そしてその次に起こったことは、ある意味で当然というべき成り行きでした。使徒たちは再び捕らえられ、前よりも厳しい尋問を受けて、前よりも苦しい思いを味わわされた、ということです。なぜ「ある意味で当然」なのか。それは使徒たちの態度はと言うと、彼らを迫害している側の人々の目から見ると、明らかに挑戦的ものであり、あるいは挑発的なものであり、さらに言えば反抗的なものだからです。



「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。」



見た感じとしては、けんか腰のように見えたかもしれません。逮捕・監禁・尋問され、キリスト教の教えは絶対に広めてはならないと厳しく言い渡された人々が、黙るどころか、引き下がるどころか、よりによってエルサレム神殿の境内という、大祭司たちにとってはいわば彼らの家の庭のようなところで、声を大にして、キリスト教の教えを再び宣べ伝えはじめたのですから。



「人間に従うよりも」と彼らが言っている場合の「人間」の意味は、あなたがたユダヤ教団の幹部の皆様に従うよりも、ということです。あなたがたには従いません、と言っているのです。



しかし、私自身は「ある意味で当然」と言わざるをえないものを感じはしますが、「ある意味で」という点に、ものすごく大きな強調を置きたい気持ちで申し上げています。話は大きく飛躍しますが、ここで私は、いじめの問題を思い浮かべます。



つい最近まではいじめに関しては、いじめられる側にも問題がある、と言われることが多かったです。しかし、今は違います。いじめられる側には何一つ問題がない、と言われます。私もそれが正しいと信じています。



いじめる側に、いじめる権利などありません。いじめられる側に、いじめられなければならない理由も根拠もありません。いじめる側がひたすら一方的に悪いのです。このことは、ものすごく大きな強調を置かなければならない点です。



いわばそれと同じように、と語ることが可能です。今から二千年前の教会にも、彼らが実際にひどい迫害を受けたことについて、それは教会の側にも問題があったからである、というような言い方を、わたしはすることができないし、してはならないと考えています。



二千年前のキリスト教会は、明らかに、当時のユダヤ教団に対して、挑戦的・挑発的・反抗的な態度をとりました。その結果、怒りを買い、ますますひどい迫害を受けることになりました。しかし、です。教会の側に問題があったわけではありません。教会の側に、迫害を受けなければならない理由も根拠もありません。あいつらはいじめられて当然だ、と言われる筋合いにはありません。



もちろん、当時の教会は、ユダヤ教団の幹部たちがイエス・キリストを殺したのだ、という点を徹底的に追求するという仕方で、彼らを批判しました。そのことを、ユダヤ教団の人々が、忌々しく思い、なんとかしてあの連中の口を封じなければならないと考えた、という話の流れは、ある意味でよく分かるものですし、理解できるものであるという意味で、「当然」と言えるものです。



しかし、です。理解できる話である、ということと、納得できる話である、ということとは違います。ユダヤ教団はキリスト教会に対して子供じみた嫉妬心を抱き、子供じみた迫害を仕掛けてきました。本当に恥ずかしい、みっともないことが行われたのです。
それでも、です。34節以下に登場するファリサイ派のガマリエルという「民衆全体から尊敬されている」律法の教師は、これも「ある意味で」と断っておきますが、少しはましな判断ができる人であったと見ることが可能です。



このガマリエルは、使徒パウロの恩師でもあったと言われます。エルサレム神殿の律法学校の教授職にあった人であると考えられます。宗教的影響力において最高点に立っていた人と言ってよいでしょう。そのような人が登場して、最高法院の議場を説得した結果、使徒たちは釈放されたのです。



ただし、です。このガマリエルの発言はいろいろと考えさせられるものです。私自身は、理解はできますが、決して納得はできません。



「テウダ」とか「ガリラヤのユダ」というのは政治的なクーデターを図った人々の名前です。その人々は見ているうちに、ほら、勝手に自滅してしまったではないか、というわけです。そしてガマリエルは言います。



「そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者になるかもしれないのだ。」



このガマリエルの論理は、「神」の名を持ち出していますので信仰深いようにも見えますが、どこか冷たいものです。



放っておけ。なるようになる。水は低いところに流れつく。ケセラセラ。



これは一種の運命決定論であり、宿命論です。われわれの信じる予定論とは、根本的に異なるものです。



(2007年4月29日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年4月22日日曜日

「共に生きる」

使徒言行録4・32~5・16



今日の個所に描かれていますのは西暦一世紀のエルサレム教会の様子です。かなり詳細で具体的な様子です。歴史的資料として価値の高い記述です。



話題の中心にあるのは、要するに、お金の問題です。あるいは、物品の問題です。教会の中でお金や物品のやりとりがあるということについて、そしてまた、そのお金や物品のやりとりの中には、時々、不正な行為が実際に起こることもあった、ということについて、全くあっけらかんと、何一つ隠し事をしないで、書いています。



実際問題としては、聖書の中にこのような個所があることは、正直に言って、大変ありがたいと感じるところでもあります。なぜ「ありがたい」か。日本だけではないかもしれません。しかし、われわれ日本人の中には、特にそのような思想が根強くあると言えるのではないかと感じてきたことがあります。それは、われわれ日本人は、とくに宗教(団体)が、お金や物品のやりとりという問題を大っぴらに扱うことを忌み嫌ってきたのではないだろうか、ということです。



皆さんの中にも、おそらく小さい頃から「お金は汚いものである」と教えられてきたとおっしゃる方々が必ずおられるはずです。お金は汚いものである。そのようなものを教会が扱う姿を見ると、何かおかしなことをしているようだ、と思われてしまうことが実際にありました。「武士は食わねど高楊枝。牧師も食わねど高楊枝だよ」と実際に言われたことがあります。「われわれの国籍は天にあり。地上の教会の建物など要らないよ」という趣旨の発言を聞いたことがあります。牧師が人前でお札を一枚一枚めくりながら数えていたりすると、「そういうのは、みっともないから、やめなさい」と言われたこともあります。



しかし、そのような考えは、はっきり言っておきますが、キリスト教とは無関係なものです。キリスト教の本来の教えの中に、お金や物を忌み嫌う思想はありません。それは、明らかに異教的な要素です。異端(いたん)的である、とさえ言っておきます。



お金はお金です。お金そのものが汚いとか、けがらわしいということは、ありえません。皆さんの中にも、銀行はじめ金融機関で働いておられる方々がおられます。「お金は汚い」などと言うのは、そういう仕事をしている人々に対して、たいへん失礼な言い草ではありませんか。



わたしたちが今いるこの教会は、地上の教会です。具体的で現実的で実際的で物理的な存在としての地上の教会が、さまざまな活動を行うためにお金という手段を用いることは、何も不思議なことではないし、実際やってきたことでもあるし、必要なことでもあります。そのことを、わたしたちは決して疑ってはならないし、そのあたりで迷ったり、ぐらぐら揺れ動いたりすべきではないのです。お金や物は決して汚いものではない、ということを、はっきりと明言する必要があるのです。



「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――『慰めの子』という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。」



ここから分かることは、当時のエルサレム教会が、とくに経済的な面についてどのような考えを持ち、どのような具体的な対応をしていたか、というあたりです。



それは、ある意味でいちばん単純で、いちばん分かりやすい方法であったと言えます。つまり、全員の財産を一つに集めて、それを全員が共有する、という方法でした。分配の方法は「必要に応じて」と言われています。おそらくそれは、頭数で等分するというようなやり方ではなく、まさに「必要に応じて」、なんらかの基準を定めて、分配していたのではないかと思われます。



ただし、です。ここに書かれていることを読むだけではよく分からないこともあります。たとえば、当時のキリスト者たちは、どこかにある一つの家に住んで、まさに寝食を共にするというような、文字どおりの「共同生活」を送っていた、と考えてよいのでしょうか。そのように考えることは、ちょっと難しいように思われます。



当時のキリスト者は、どれくらいの人数だったのでしょうか。これまでの流れの最後に記されているのは、使徒言行録4・4の「男の数が五千人ほどになった」です。女性や子供たちの数を合わせると、一万人くらいはいたであろうと考えるべきです。一万人が一緒に「共同生活」を営むことができる家屋が、ありえたでしょうか。あまり現実的ではないと思われます。



そういうことではなく、むしろ、彼らは、やはり、おそらく今のわたしたちと同じように、それぞれ別の家に住んでいたし、それぞれの家庭での生活もあったのです。ただし、財産については、お互いに自分のものを持ち寄って、それを共有財産にして、とくに生活に困っている人々を助けていたのです。



それは、わたしたちが今やまさに、この教会の中で、いつもしているようなことです。ただし、今のわたしたちほどには公と私の区別がなく、私有財産の私物化を避け、むしろ多くのものをできるだけ共有化していたのではないでしょうか。



キリスト者たちは、迫害の中にあったのです。みんなが殉教の決意をしていたわけではありません。また、殉教は決して「しなければならないこと」ではありません。聖書の中に殉教の勧めはありません。逃げられるなら逃げるべきです。隠れられるなら隠れるべきです。そういう面があるのです。



迫害の中にあるキリスト者たちが、強い権力をもって教会を取り潰そうとする人々から逃げ隠れする必要があったときに、みんなの財産を一つに集めつつ、同じ信仰をもって共に生きるための蓄えとするということが、彼らの知恵であったと見ることが可能でしょう。



また、何のための換金なのか、という点で、やはりどうしても考えざるをえないことは、“教会の経済”を支えるためであった、ということです。教会と家庭との区別を無視し、それぞれの家庭の境界線を全く(強制的に、ないし半強制的に)取り去ることによって、教会が全く一つの家庭になってしまうというような仕方で、(共産主義のようなものに近い形で)財産の共有化を図ったのだと考えることができるでしょうか。これも、かなり無理がある見方です。



なぜなら、後ほど確認しますが、アナニアという人に向かって使徒ペトロがはっきりと述べていることの中に「売らないでおけば、あなたのものだった」という点があり、これは明らかに、私有財産というものを事実上認める発言である、と考えることができるからです。教会が各家庭の財産を没収したり接収したりしたわけではありません。あくまでも献金として、各個人が主体的・自発的に、それをささげたのです。



彼らが自分の家や土地や畑を売って、それを換金し、集めたお金を何に使うのかと言いますと、教会の経済を支えるためであり、そのようにして信仰の共同体の活動を維持し、支えるためであった、と考えることが最も自然です。それは、今実際にわたしたちの教会がしていることから見て、大きくかけ離れていることというわけではないのです。



「ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。すると、ペトロは言った。『アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。』その言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。若者たちが立ち上がって死体を包み、運び出して葬った。それから三時間ほどたって、アナニアの妻がこの出来事を知らずに入って来た。ペトロは彼女に話しかけた。『あなたたちは、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。言いなさい。』彼女は、『はい、その値段です』と言った。ペトロは言った。『二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。見なさい。あなたの夫を葬りに行った人たちが、もう入り口まで来ている。今度はあなたを担ぎ出すだろう。』すると、彼女はたちまちペトロの足もとに倒れ、息が絶えた。青年たちは入って来て、彼女の死んでいるのを見ると、運び出し、夫のそばに葬った。教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた。」



しかし、お金については、困った問題が教会の中で起こったのだ、ということが明らかにされています。アナニアとサフィラ(サッピラ)の夫婦が、自分の土地を売ったお金をごまかして、一部を使徒たちの足もとに置いた、つまり、教会に献金した、というのです。



なぜ「ごまかし」なのか、というと、そのお金の全部ではなく一部を献げたからである、というわけですが、もう少し正確に、というか、具体的に実際そこで何が行われたのかを考えてみる必要があるでしょう。



彼らの問題は、嘘(うそ)をついたことです。これが自分の土地を売ったお金の全部であると言ったのです。それが、ペトロの質問に対して妻サフィラが答えていることの意味です。「あなたたちは、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。言いなさい」という質問に対する「はい、その値段です」という答えの意味です。



彼らはなぜ、そのような嘘をつかねばならなかったのでしょうか。本当に残念なことだと思います。アナニアとサフィラの夫婦の問題はこの嘘でした。実際の事情は、ペトロが言っているとおりです。「売らないでおけば、あなたのものだった」し、「売っても、その代金は自分の思い通りになった」のです。「これが全部です」と嘘をつかないで、「これは一部です」と正直に言えば、何の問題もありませんでした。「全部を差し出さねばならない」と、使徒たちの側が、あるいは教会の側が、彼らに命令したという事実は全くないのです。



この嘘の動機は、おそらく見栄っ張りです。あるいは、教会の中の他の人々との競争心や、やっかみや、嫉妬のようなものではないでしょうか。しかし、です。言うまでもないことですが、教会の中では、そのような見栄っ張りも、競争心も、やっかみも、嫉妬も、できるかぎり捨てるべきです。そのようなものは、百害あって一理無しです。それこそが、今日の個所から学びうる教訓です。



お金とか物のことで嘘をつくことは「心と思いを一つにすること」の反対です。嘘よりも、正直さを神さまは喜んでくださいます。また、献金は金額ではなく、心です。教会は単なる集金団体ではありません。神を礼拝し、賛美し、祈るための団体です。その活動のためにもお金が必要なのです。そうであるという事情を、教会は、多くの人々に分かってもらいたいと願うのです。



しかし、お金や物の問題は、慎重に扱わねばなりません。献金は、教会のみんなの血と汗と涙の結晶でもあるからです。そこに嘘が入り込まないように、みんなで心したいものです。お金や物の扱いにおいて公明正大であるときにこそ、わたしたちの教会は、多くの人々の信頼を得ることができるようになるでしょう!



(2007年4月22日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年4月15日日曜日

「祈りの力」

使徒言行録4・23~31



今日の個所に記されていますのは、西暦一世紀の教会の中で実際にささげられた祈りの言葉です。祈っている人の名前は記されていません。書いてあることによりますと、この祈りをささげているのは、複数の人々です。心を一つにして、一つの祈りを共にささげているのです。



この祈りがささげられるに至るまでの一連の出来事については、すでに学んだことですので、あまりしつこく繰り返さないでおきます。要するに、使徒ペトロとヨハネが、当時の多くの人々にキリスト教信仰を宣べ伝えたことが理由で、逮捕され、ユダヤ最高法院に引き出される、という出来事が起こったのです。



しかし、彼らは、そのような迫害が起こっても、全く動じることがありませんでした。



彼らを逮捕し、尋問した人々の前は、救い主イエス・キリストを十字架にかけたのと同じ人々です。その人々の前で、「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」と、彼らは明言しました。



これは、殉教の覚悟なしには、決して語ることができない言葉です。彼らは、この言葉を語っているまさにこのとき、殉教の覚悟をしているのです。



ところが、彼らは結果的に釈放されました。釈放された理由が、次のように記されています。「議員や他の者たちは・・・民衆を恐れて、どう処罰してよいか分からなかったからである」(4・21)。



とくに重要な点は、彼らが「民衆を恐れた」ことです。この言葉の裏側を考える必要があります。裏側にあるのは、彼らは「神を恐れていない」という点です。彼らの多くは宗教家です。そうであるにもかかわらず、彼らは、本来恐れるべき「神」ではなく「人間」を恐れているのです。ここに、彼らの決定的な問題点があるのです。



聖書に「民衆を恐れる」とか「人間を恐れる」というようなことが書かれている場合はほとんど悪い意味です。「人間を尊重する」とか「人間に配慮する」というような良い意味で書かれている個所を、私は知りません。



この個所の場合も全く同じです。彼らが「民衆を恐れた」のは、人間を尊重したからではないし、人間に配慮したからでもありません。自分たちが批判されるのが怖いだけです。キリスト教を迫害することについて、国民を説得できるだけの根拠も、理由も、まだ何も見つかっていないのです。



ところが、使徒たちは違いました。彼らは神を恐れましたが、人間を恐れませんでした。この場合の「人間を恐れない」という意味は、人を人とも思わないとか、他人を見下げるとか、馬鹿にする、軽んじるというようなことでは、決してありません。時々そのように誤解している人々に出会いますので、この点は強調しておきます。



使徒たちが屈しなかったのは、悪人たちの企てる策略に、です。権力をもって弱い人々を押さえつけ、支配しようとする人々の暴力的な言葉や行為に、です。



そのような目に遭うのが怖いから、という理由で、このわたしの心の中に与えられた、救い主イエス・キリストを信じる信仰を捨てます、教会に通うのをやめます、という選択肢を選びとることは、彼らにとっては、ありえないことだった、ということです。



「さて二人は、釈放されると仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちの言ったことを残らず話した。」



釈放された使徒たちが真っ先に行った場所は「仲間のところ」でした。それは、間違いなく教会を指しています。教会は「仲間」なのです!



ここを読みながら、ふと思ったことは、もしかしたら彼らは、自分の家に帰るよりも前に、教会に行ったかもしれない、ということです。



ペトロには妻(コリント一9・5)やしゅうとめ(マルコ1・30)がいました。子供たちもいたと考えるのが、自然でしょう。逮捕・監禁・暴行というひどい仕打ちを受けた後に釈放された彼らが、真っ先に家に帰って、妻子に会うのではなく、真っ先に教会に行き、そこにいる信仰の仲間たちに会いに行ったとしたら、どうでしょうか。



ひどい話、と思われるでしょうか。なるほど納得、と思われるでしょうか。ここは意見が分かれるところかもしれません。



もちろん、天秤にかけられることではありません。家庭も教会も両方大切です。どちらか一方が大切で、他方は大切ではないと語ることは、わたしたちには許されていません。どちらか一方を選ぶ、という発想そのものが間違っている、とさえ言わなければならないほどです。



しかし、です。一つの点だけ、きちんと言っておかなければならないと感じることが、残っています。それは、かなり言いにくいことですが、どうしても言わざるをえません。



それは何かといいますと、迫害というのは家庭内でも起こりうる、というこの一点です。それは、わたしたち自身が、よく知っている事実です。心から愛してやまない家庭の中で「あなたの信仰を捨てなさい」と迫る存在と出会うことが、わたしたちには、ありうるのです。



究極的な言い方を許していただくならば、信仰の問題においては、家庭は、最終的には頼りになりません。信仰の問題で最終的に頼りになるのは、教会だけです。「信仰の仲間」のいるところです。



これもどうか誤解されませぬように!わたしは今、教会を重んじさえすれば、家庭などは軽んじてもよいと語っているわけではありません。使徒たちも、釈放された後、真っ先に教会に来たように読めますが、そのあとは必ず彼らの家庭に帰ったはずです。この点が重要なのです。



わたしたちに必要なことは、教会から家庭に帰る、という運動です。牧師が変なことを言っている、と思われるかもしれませんが、わたしたちは教会の中にいつまでも留まっていてはならないのです。家庭に帰らなければならないのです。たとえわたしたちの家庭の中に、信仰については一致できない人がいるとしても、です。そのことを、わたしたちは肝に銘じておかなければならないのです。



しかしまた、だからこそ、わたしたちは、教会に集まるときには、やはり、ある明確な目的を持っているということが大切なことではないか、とも考えさせられます。



家庭と教会の違いがあるとしたら、わたしたちが家庭にいるときには、「そこにいる」ということ自体に関しては、特別な仕方での目的意識を持つ必要はないだろう、ということです。学校に行った子どもたちや、会社に行った夫や妻が、家に帰ってくるというときに、「あなたは、何のために帰ってくるのですか」と、普通は問わないと思います。わたしが帰ってきてはいけないのですか、と反発されること必至です。



しかし、教会はどうでしょうか。「あなたは、何のために教会に通っているのですか」と問われることは、あるいは自問することは、ありうることではないでしょうか。何の目的もなしに、ただ何となく集まる。それで悪いと言いたいわけではありません。まだ目的がはっきりしていないという人を締め出す意図はありません。



しかし、です。最も考えさせられることは、何の目的意識も持たないままでいるときに、果たして本当に、わたしたちの教会生活が長続きするでしょうかという点です。教会生活というものの中に何らかの目的意識があると励みになる、ということは事実です。実際、教会の存在そのものは、明確な目的を持っているのです。



教会とは、神を礼拝し、賛美を歌い、明確な信仰をもって共に生きていく人々同士が、助け合い、励ましあい、祈りあうための集まりなのです。



「『主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。』」



西暦一世紀の教会は迫害を受けた使徒たちと共に、熱心に祈りました。迫害者の脅しに対する抵抗の方法が祈りでした。「思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください」と、彼らは祈りました。この祈りという手段が、大きな力を発揮したのです。



暴力に対する抵抗の方法は、暴力ではありません。わたしたちが選ぶべき戦いの方法は、神の御言葉に基づく言論による戦いです。言葉で勝負することです。「ペンは剣よりも強い」という道を、愚直に追求することです。神の御前で開く会議において、正しい議論を行うことです。



その場所は、教会会議だけではありません。どの会議においても、どの場においても、そこに真の神さまが、いつも共にいてくださるのです。



祈りに、特定の場所は不要です。いつでもどこでも、わたしたちは祈ることができます。「あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください」と祈りましょう。



このわたしが、皆さんが、この与えられた信仰を、いつでもどこでも、貫き通すことができますように、と祈りましょう。



(2007年4月15日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年4月8日日曜日

わたしを愛しているか


ヨハネによる福音書21・1~19

今日わたしたちは、二人の新しい長老を生み出すことができました。本当にうれしいことです。お二人とも昨年、大きな出来事を体験され、強い信仰と祈りをもって見事に乗り切られました。神さまがこの教会の長老になるための厳しい訓練をしてくださったに違いありません。かなり荒っぽい神さまだと思います。お二人は、とても強くなられました。これからどうかよろしくお願いいたします。

そして、わたしたちは、このイースターの礼拝を、召天者記念礼拝としてささげております。信仰をもって立派に生き抜かれた、天の父なる神のみもとに生きておられる方々の在りし日を思い起こしつつ、ご遺族のために慰めを祈るひとときを、過ごしております。

そのようなご遺族の方々にとっての大切な時をこのイースターの礼拝のなかで過ごしていただいていることには、もちろん大きな意味があります。そのように、わたしたち教会の者たちは、確信しております。

イースターとは何のことか、イースター礼拝とは何をする礼拝なのか、初めての方々や教会に不慣れな方々にとっては、あまりご存じないことかもしれません。

イースターとは、わたしたちの救い主イエス・キリストが死者の中から復活されたことを記念するときです。イエス・キリストというお方は、死者の中から復活されたのです。

聖書には、イエス・キリストが復活されたのは、息を引き取られてから三日目の出来事であったということが、記されています。二日の間は、全く動かれもしなかったし、立ち上がられもしなかったのです。

皆さんは覚えておられるでしょうか。ひょっとしたら皆さんよりもわたし牧師のほうがよく覚えているかもしれないことがあるような気がします。それは皆さんの大切なご家族が、いずれにせよ突然、息を引き取られてからだいたい二日間くらいに起こったことです。

悲しくて仕方がない。それなのに、さあ、これから葬儀の準備をしなければならない。あの人この人に連絡をし、挨拶をし。お客さんが来る。みんなの前でわあわあ泣くわけに行かない。いろいろな後始末もしなければならない。

ばたばたばたばた立ち回りつつ冷静にふるまう。冷静でいられるはずがないのに笑っている。そんな自分が嫌になったりもする。

そのような状態のだいたい二日くらいの間のことを、今となってはあまりよく思い出すことができないという方は、おられませんでしょうか。もしそうだとしても、無理もないことであると思います。

イエスさまの弟子たちも、おそらく、そのような二日間を過ごしたに違いありません。私は今から申し上げることを強調して語るつもりはありませんが、一つの点が気になっています。それは、イエスさまの死と復活の間の二日間に起こったことについては、聖書は何も語っていない、ということです。

弟子たちの記憶が失われている、とまでは言ってはならないと思います。しかし、語るべき言葉、書き残すべき言葉を失うような、まさに暗く落ち込んだ気持ちを、弟子たちも味わったのではないだろうか、と考えることくらいは許されると思います。


しかし、十字架の死から三日目の朝、わたしたちの救い主イエス・キリストは、死者の中から復活されたのです。弟子たちの心の闇は、取り去られました。そして、そのイエス・キリストの復活という大いなる出来事は、弟子たちの喜びとなり、希望となったのです。

なぜイエスさまの復活が、弟子たちの喜びとなり、希望となったのでしょうか。それは、はっきりしています。イエスさまの復活は、弟子たちの信仰によりますと、イエスさまを信じるすべての人々の復活を約束するものだからです。使徒パウロは「死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです」(コリント一15・13)と、はっきり書いています。イエス・キリストの復活は、わたしたちの復活の初穂(first fruit)として起こったことなのです。

イエス・キリストの復活を信じることができる人は、その人自身も、イエスさまと同じように、死者の中から復活するのだ、と信じることが許されているのです!

死がわたしの終わりではない。このわたしは、救い主イエス・キリストと共に、永遠に生きるのだ、と確信することができるのです!

・・・嫌でしょうか。そのように率直におっしゃる方々もおられます。別にわたしは、永遠に生きなくてもいい。救い主と一緒とか、そういうことはどうでもいい。復活など別にしたくもない。そういうことを、わりとはっきりとおっしゃる幾人かの方々に出会ったことがあります。


そのような方々を無理に説き伏せてやろうというような考えは、私には全くありません。そういう方もいらっしゃるなあと思うばかりです。しかしまた、いくらか正直に言いますと、ちょっとくらいは、ちゃんと考えてみてほしいなあとも思います。

先ほどお読みしました、ヨハネによる福音書21・15以下に記されているのは、どういう場面かと言いますと、復活されたイエスさまとイエスさまの弟子の一人である使徒ペトロとが会話をしている、という驚くべき場面です。

何度も申し上げるようですが、イエスさまは、十字架の上で息を引き取られてから二日間は、全く動かれもしませんでしたし、立ち上がられもしませんでした。文字通り死んでおられました。しかし、そのお方が復活されて弟子たちの前に姿を現してくださいました。そして、この個所に記されているような、きわめて具体的な会話さえ、してくださったのです。

それで、皆さんにぜひ関心を持っていただきたいのは、この会話の内容です。とくに、復活されたイエスさまが、ペトロに対して三度も言われた言葉は何であったか、という点に注目していただきたいのです。

「食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、『ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか』と言われた。ペトロが、『はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです』と言うと、イエスは、『わたしの小羊を飼いなさい』と言われた。二度目にイエスは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。』ペトロが、『はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです』と言うと、イエスは、『わたしの羊の世話をしなさい』と言われた。三度目にイエスは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。』ペトロは、イエスが三度目も、『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しくなった。そして言った。『主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。』イエスは言われた。『わたしの羊を飼いなさい。』」

復活されたイエスさまが弟子のペトロに三度も問いかけたのは、「わたしを愛しているか」という問いでした。

わたしが、このような言葉を語られるイエスさまというお方に、聖書を通して接しますときに感じますことは、とても人懐っこい感じがする、ということです。あるいは、もっとはっきり言いますと、とても人間くさい感じがする、ということです。

それは、わたしたちだって、結局そうなのではないか、と感じるからです。わたしたちにもいつか必ず、この地上の人生をしめくくるときが訪れます。そのときに、わたしたちが、もしかしたら最後の最後の瞬間に考えること、一緒にいる人々に聞いてみたいと思うことは何だろうかと考えてみたときに思い当たるのが、この「わたしを愛していますか」という問いではないだろうかと感じるからです。

しかし、分かりません。もしかしたら、わたしだけなのかもしれません。わたしが死ぬときに、家内や子供たちに聞いてみたいと思っていることは、はっきりしています。教会の皆さんに教えていただきたいと願っていることは、はっきりしています。「わたしのことが好きでしたか。わたしのどこが好きでしたか。どのあたりは、嫌いでしたか」ということです。自己中心的かもしれませんが、やはりそういうことが気になります。

皆さんは、どうでしょうか。復活したくないでしょうか。家族のみんなや教会のみんなに聞いてみたいとは思いませんか。「わたしのことが好きですか。わたしのことを愛していますか」と。

イエスさまとは、そのような方でした。イエスさまは、自信を持っておられたのです。イエスさまは、ペトロの返事がどういうものであるかという点で、自信を持っておられたのです。それはどういう自信かと言いますと、ペトロはわたしのことを「愛しています」と必ず答えてくれるに違いない、という自信です。それ以外の答えはありえない、という自信です。

なぜそのような自信を、イエスさまは、持つことがおできになったのでしょうか。この問いの答えもはっきりしています。イエスさまは、ペトロの口から「あなたが嫌いです」などと言わせてなるものかというほどに、ペトロのことを心から愛し抜かれたからです。

そういう愛の形があるのだと思います。「あなたのことが嫌いです」などとは絶対に言わせないというほどに、徹底的に相手に仕え、役に立ち、意味のある言葉を語り、喜ばせる、そのような愛の形です。

イエスさまは、弟子たちだけでなく、多くの人々のことを心から愛してくださいました。そして、そのイエスさまは、復活されて、今も生きておられ、わたしたちのことを心から愛してくださっています。イエスさまを信じる人々に、真の救いと喜びの人生とを与えてくださるのは、今も生きておられるイエスさまご自身です。

イエスさまは、わたしたちにも質問されています。「わたしを愛しているか」と。

復活とは、難しい理屈ではありません。復活とは、イエス・キリストにおいて示された真の神の愛をもって共に生きてきた人々との愛を確認しあうために設けられる機会です。

皆さんの大切な人も、皆さん自身も、このわたしも、救い主と共に、復活するのです。

共に復活し、お互いの愛を確かめ合おうではありませんか。

(2007年4月8日、松戸小金原教会主日礼拝)

2007年4月1日日曜日

苦難の僕


イザヤ書53・1~12

今日は、旧約聖書のイザヤ書53章を開いていただきました。この個所の中で「この人」とか「彼」と呼ばれている人のことを、わたしたちは、救い主イエス・キリストのことであると信じてきました。イエス・キリストがわたしたちの身代わりに十字架の上で死んでくださったあの苦難の姿を、預言者イザヤが預言しているのだ、と信じてきました。

そのように信じるに足る内容がここにあると、わたしも考えています。イザヤが描いているこの人は、わたしたちの病を担い、わたしたちの痛みを負ってくださることによって苦しみを体験し、神の手によって命ある者の地から断たれた、と書かれているからです。その姿は、まさにイエス・キリストです。

「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。
 主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
 乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように この人は主の前に育った。
 見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。」


「見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない」という翻訳は、一つの可能性にすぎません。原文を直訳しますと、「形も輝きもほとんどない」です。この人には形がない。そのように、イザヤは書いているのです。

形がない人間などいるのだろうかと思わざるをえません。まるで幽霊みたいではないかと。しかし、ここに記されているのが、ただの人間のことではなく、神の御子なる救い主のことであるとするならば、納得は行かないかもしれませんが、一つの話として、理解はできるようになるように思います。

神の御子には、本来、形がなかったのです。なぜなら、神の御子は神御自身だからです。神には形がありません。神は霊なのです。このように言うことは、神を冒涜することではなく、むしろ尊重することです。イザヤの「この人には形がない」という預言は、この人が霊なる神の御子である、ということを示していると考えることができるのです。

「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負い、病を知っている。
 彼はわたしたちに顔を隠し わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。」


軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っているこの人の姿は、まさに救い主イエス・キリストのお姿です。

それはまた、神御自身のお姿でもあると言わなくてはなりません。神は、人間の歴史の中で、軽蔑され続けてきました。わたしたちの時代の中でも、軽蔑され続けています。

わたしたち自身は、神を重んじているでしょうか。神のために命をささげる覚悟や決意があるでしょうか。そのあたりが、実際には、怪しいのです。

神は、この世界のすべてを創造された、この世界の支配者です。わたしたちは、本当にそう思っているでしょうか。実際には、すべての世界は、このわたしの周りを回っていると、いまだに思っているのではないでしょうか。そのような態度をとっているのではないでしょうか。

神を軽蔑し、救い主イエス・キリストを軽蔑し、そして、キリストの体なる教会を軽蔑する。それは、他のだれかの話ではなく、わたしたち自身の姿かもしれないと疑ってみる必要があると思います。
 
「彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
 わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。
 彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり
 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。」


救い主イエス・キリストがゴルゴタの丘の十字架の上で担ってくださったのは、わたしたち人間の罪であり、愚かさであり、病です。

しかし、そのことは、イエス・キリストを救い主と信じる信仰がなければ、決して理解することも、受け入れることもできないでしょう。十字架にかけられる人は、呪われた人であり、自業自得であると、普通の人は見るでしょう。

イエス・キリストを信じる信仰があれば、このお方の死の意味を正しく理解することができます。それは、まさに、イザヤが預言しているとおりです。

彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためです!

彼が打ち砕かれたのは、わたしたちのとがのためです!

イエス・キリストを裏切って死に追いやったのは、イエス・キリストの弟子たちでした。最も愛していた弟子たちに、イエスさまは裏切られたのです。

しかし、その裏切りを、イエスさまは、すべてご存じであり、すべてを受け入れておられました。愛するとは人の弱さを理解し、受け入れることです。強い人が弱い人をかばい、助けることです。それが愛です。

イエスさまは、弟子たちを十字架のうえでも愛しておられたのです。御自身が十字架について、弟子たちをかばってくださったのです。

わたしたちも、イエスさまを裏切ることがあるでしょう。洗礼を受けるとき、神と会衆の前で行ったあの約束の言葉を覚えておられますか。「救い主イエス・キリストのみを信じ、彼にのみより頼みますか」。

わたしたちは、今でも、救い主イエス・キリストのみを信じ、彼にのみより頼んでいるでしょうか。適当なところで誤魔化してはいないでしょうか。

わたしたちの裏切りをも、イエスさまは、ご存じです。すべてを理解し、すべてを受け入れておられます。イエスさまはわたしたちを愛しておられます。わたしたちをかばってくださるのです。

だからこそ、次のように告白できるのではないでしょうか。

「彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」

他の誰かが受けた傷によって、わたしたちがいやされるというのは、話としては奇妙なことのように思えます。しかし、これもまた、救い主イエス・キリストがお受けになったあの傷と苦しみのことであると信じるならば、理解できる話になります。

イエス・キリストの十字架上の死は、全世界の人々の身代わりの死です。本来ならば、罪に対する神の罰を受けるのは罪人自身です。わたしたち罪人こそが、十字架の罰を受けなければなりません。ところが、わたしたち自身が受けなければならない罪に対する神の罰を、イエスさまが身代わりに受けてくださったのです。これが、イエスさまの死の深い意味です。これを代理刑罰の教理と言います。

そして、イエスさまがその罰を身代わりに受けてくださったことによって、神と人間との間の和解が成立し、真の平和がもたらされたのです。この平和の喜び、深い心の平安が、わたしたち人間の傷をいやす薬になるのです。

わたしたちは、罪深い生活をしている間は、平気でそうしている面と、実際には様々な場面で傷ついている、という面があるはずです。罪悪感というのも、立派な心の傷です。小さな盗みを自覚的に働いた人は、そのことを、いつまでも覚えているものです。犯罪は、相手を傷つけるだけではなく、それを犯した人自身をも、深く傷つけます。

そしてまた、そうであることが分かっていてもやめられないのも、罪の性質です。この泥沼、この連鎖、この罪の奴隷状態から、どうかわたしを救い出してください、と叫び声をあげることができた人は、すでにほとんど救われていると言ってよいほどです。自分の心の中には深い傷がある、ということに気づき、その痛みを感じて、魂の医者、救い主に助けを求めることができた人は、もうあとわずかで、いやされるでしょう。

罪はまた、人を孤独にします。行いの罪だけではなく、言葉の罪もあります。人を傷つけるようなことを平気で言うような人に近づきたいと思う人は、いません。しかし、孤独のままで生きていくのは、つらいものです。

孤独もまた、立派な心の傷になります。この傷をいやしてほしい。このさびしさから、なんとかして逃れたい。その願いを強く持ち、助けを求めることができた人は、ほとんど救われています。

その人は自分の罪を悔い改め、神の御心に従って生きるべきです。そのとき、深い平安を味わうことができるでしょう。

「わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。
 そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。
 苦役を課せられて、かがみ込み 彼は口を開かなかった。
 屠り場に引かれる小羊のように
 毛を切る者の前に物を言わない羊のように
 彼は口を開かなかった。
 捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
 彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか
 わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり 命ある者の地から断たれたことを。
 彼は不法を働かず その口に偽りもなかったのに
 その墓は神に逆らう者と共にされ 富める者と共に葬られた。
 病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ 彼は自らを償いの献げ物とした。
 彼は、子孫が末永く続くのを見る。
 主の望まれることは 彼の手によって成し遂げられる。
 彼は自らの苦しみの実りを見 それを知って満足する。
 わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために 彼らの罪を自ら負った。
 それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし
 彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで
 罪人のひとりに数えられたからだ。
 多くの人の過ちを担い 背いた者のために執り成しをしたのは この人であった。」


イエス・キリストを信じましょう!

このお方を心から信じるならば、わたしたちは、必ず救われます。

(2007年4月1日、松戸小金原教会主日礼拝)

2007年3月25日日曜日

「使徒の勇気」

使徒言行録4・1~22



今日の個所に記されていますのは、3章の初めから続いている話の第三幕です。



ペトロとヨハネがエルサレム神殿で出会った一人の人の足をいやすという奇跡のわざを行いました。それを見て驚いた人々が彼らのもとに集まってきましたので、ペトロが説教を行いました。その結果、大勢の人々がイエス・キリストを信じるようになったのです。



ところが、です。その一連の動きを面白く思わない人々が出てきました。祭司長たち、神殿守衛長、サドカイ派です。



「ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々が近づいて来た。二人が民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、彼らはいらだち、二人を捕らえて翌日まで牢に入れた。既に日暮れだったからである。しかし、二人の語った言葉を聴いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった。」



彼らはいら立った、とあります。いら立った理由も書かれています。イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えていたからである、というのです。なぜイエスさまの復活を宣べ伝えることが、彼らをいら立たせる原因になるのでしょうか。



ここで思い出さなければならないことがあります。この場所はエルサレムであるということです。ここはイエスさまが裁判を受けられたエルサレムです。イエスさまが十字架につけられて死なれたエルサレムです。



時間的にも近かったはずです。何年もなど経ってはいません。せいぜい数カ月でしょう。ペトロとヨハネの前にいる人々にとって、イエス・キリストの十字架上の死は、ついこのあいだ起こった出来事です。記憶も鮮明です。何もかも覚えていると言ってよいでしょう。



そのため、この点では、多くの人々の記憶の中に残っていたのは、イエスさまが十字架の上で死んだ、あるいは殺された姿のほうでしょう。イエスさまを罠にかけて殺した人々は、その十字架上の死においてイエス・キリストの福音を宣べ伝える宣教活動は、終わりのときを迎えたものとしていたに違いないのです。



ところが、です。イエス・キリストの弟子たちが、あの十字架の上で死なれたお方は、復活なさり、今も生きておられると語り始めたのです。つまり、イエス・キリストの福音を宣べ伝える宣教活動は、まだ終わっていないどころか、むしろ、まさにこれから始まるのである、とイエス・キリストの弟子たちが公に宣言したのです。



そもそも、イエス・キリストをユダヤ教の指導者たちが殺したのは、要するに口封じをしようとしたためです。イエスさまの説教は、多くの人々に救いと慰めを与えるものでもありましたが、同時に当時のユダヤ教指導者に対する厳しい批判を含んでいました。これを指導者たちが嫌がりました。このイエスという男を何とかして殺さねばならないと考え始めたのです。



使徒言行録においては、最初の教会の成長の様子が、人数で表現されています。最初は「百二十人ほど」(1・15)でしたが、キリスト教会としての最初の五旬祭(ペンテコステ)に洗礼を受けて教会の仲間に加わったのが「三千人ほど」(2・41)、そしてエルサレム神殿で仲間に加わったのが「男の数が五千人ほど」(4・4)です。爆発的な成長が起こっていると言ってよいでしょう。



このような爆発的な成長が起こるときに、必ずそこで行われているのが使徒の説教です。神の御言葉の説教です。



説教の力ということを申しますと、つい、それは説教者自身の力ないし能力という面が問題にされがちです。しかし、それは間違いを犯します。説教者というこの一人の人間の力が多くの信者を集めた、という話になります。しかし、それは間違いです。



神の御言葉の説教は、神御自身の言葉です。そこで説教者は神の道具として用いられはしますが、説教者の力が教会に人を集めるのではなく、神御自身の力が人を集めるのです。



「次の日、議員、長老、律法学者たちがエルサレムに集まった。大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司一族が集まった。そして、使徒たちを真ん中に立たせて、『お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか』と尋問した。そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。『民の議員、また長老の方々、今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、「あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石」です。ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。』」



ペトロとヨハネの取調べが始まりました。大祭司アンナスとカイアファは、イエスさまを十字架にかけるための裁判にも、深くかかわっていた人々です。イエスさまの口封じをしようとした人です。



その同じ人々が、今度はペトロとヨハネの口を封じようとしている!その人々が目の前にいる!危険信号は最大の音を発している状態である、と言ってよいでしょう。



ところが、です。このときペトロが語り始めたのは、「あなたがたがイエス・キリストを十字架につけて殺したのだ」という言葉でした。イエス・キリストを殺した殺人者たちを前にして、あなたがたは殺人者であると指摘しているのです。



そしてまた、このことと同時にペトロが語っているのは、あなたがたが殺したイエス・キリストというお方は、復活されて、今も生きておられる、ということであり、このお方の名によって、生まれつき足の不自由だった人がいやされたのだ、ということです。



ペトロは、本当のことを言っているだけです。正々堂々と。少しも恐れることなく。



しかし、ペトロのこのような態度がどれほど危険なものであるか、また彼が語っている言葉は、文字どおり命をかけなければ、そして本物の勇気がなければ、決して語ることのできない言葉である、ということは、すぐにお分かりいただけることであろうと思います。



「議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。しかし、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、ひと言も言い返せなかった。」



ここに出てくるペトロとヨハネについての形容詞としての「無学な普通の人」は、非常に頻繁に引用されますので、使徒言行録の中でも有名な言葉の一つです。



ここでの「普通の人」の意味は、専門家ではない人ということです。アマチュアのことであると言ってよいでしょう。



そして「無学な人」(アグランマトス)の反対概念は「律法学者」(グランマテイス)です。字義としては、読み書きや文法(グラマー)を習ったことがない人、というほどの意味にもなりますが、ここでの意味は、「律法についての専門的な教育を受けたことのない人」ということです。律法とは結局聖書のことですから、「聖書についての専門的な教育を受けたことのない人」ということです。今の言い方では、神学校や神学大学などの正規の教育機関で、御言葉の教師となるための専門的な教育を受けたことのない人、ということになるでしょう。



いずれにせよご理解いただきたいことは、ここでペトロとヨハネについて言われている「無学な普通の人」という言葉は一般的な意味ではなく、宗教的あるいは神学的な意味である、ということです。教会の中で言えば、教師と信徒の区別に該当するでしょう。ただ単に、学校教育を受けたことがない、というだけの意味ではなく、(今の言い方では)神学校に行ったことがない、という意味に相当するでしょう。



ただし、ここで気をつけなければならないと思われることは、ペトロとヨハネを「無学な普通の人」と見て驚いたのは、「議員や他の者たち」、つまりユダヤ最高法院を構成する人々であったという点です。彼らは宗教に関するプロフェッショナルでした。その彼らの目から見て、ペトロとヨハネはアマチュアであるということが分かった、と言われているのです。プロフェッショナルか・アマチュアか、そういうことは、プロの目から見ると、すぐに分かるものなのです。



しかし、彼らは、ペトロたちに何も言い返すことができませんでした。それは、ペトロたちのそばに足をいやしていただいた人がいたからです。奇跡的出来事を現実に体験した人が、生ける確かな証しをもって議員たちの目の前に立っていたからです。みんなの前で起こった公の事実を突きつけられては、それを否定することができなかったのです。



これで分かることは、事実こそが、そして生きた証しこそが、最も力を持っているし、最も輝いて見える、ということです。事実と生きた証しとを前にしては、どんな学問も、どんな美しい文章も、薄ぼけて見えます。



「そこで、二人に議場を去るように命じてから、相談して、言った。『あの者たちをどうしたらよいだろう。彼らが行った目覚しいしるしは、エルサレムに住むすべての人に知れ渡っており、それを否定することはできない。しかし、このことがこれ以上民衆の間に広まらないように、今後あの名によって誰にも話すなと脅しておこう。』そして、二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、教えたりしないようにと命令した。しかし、ペトロとヨハネは答えた。『神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。』議員や他の者たちは、二人を更に脅してから釈放した。皆の者がこの出来事について神を賛美していたので、民衆を恐れて、どう処罰してよいか分からなかったからである。このしるしによっていやしていただいた人は、四十歳を過ぎていた。」



最高法院の議員たちが出した結論は、「今後あの名によって誰にも話すなと脅しておこう」というものでした。またしても口封じです!



しかし、ペトロとヨハネは、その命令を敢然と拒否しました。そして彼らが語ったことは、「わたしたちは見たことや聞いたことを話さないではいられない」ということでした。



なんでもかんでも言いたい放題に言わせてもらいます、という話ではありません。彼らが語ろうとしているのは、イエス・キリストの弟子たちの口を封じようとしている人々への批判です。イエス・キリストを信じることと福音を宣べ伝えること、すなわち、信仰と伝道をなんとかしてやめさせようとする人々への拒否です。



わたしたちは、どんなことがあっても、信じることをやめることができない。



わたしたちは、どんなことがあっても、伝道するのをやめることができない。



「わたしはここに立つ。ほかにどうすることもできない」(マルティン・ルター)。



わたしたちにも信仰の戦いがあります。神が、戦いの中にあるわたしたちを助けてくださるでしょう。



(2007年3月25日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年3月18日日曜日

「自分の力や信心によらず」

使徒言行録3・11~26



今日の個所に記されていますのは、エルサレム神殿で起こった一連の騒動の第二幕、というべき出来事です。ペトロが神殿で説教を行う場面です。



先週学びました第一幕は、神殿の門のところに連れて来られ、座っていた、生まれつき足の不自由な男性の足がいやされたという出来事でした。ペトロがこの人に「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言い、また、その人の右手を取って立ち上がらせたところ、本当に立つことができたのです。



それで騒ぎになりました。多くの人々が使徒たちのわざを見ていました。そしてその人々の目の前で、今の今まで立つことができなかった人が、立ち上がったのですから、みんなびっくり仰天してしまったのです。



そして、ひどく驚いた人々が次に起こした行動は、使徒たちの前に一斉に集まった、ということでした。この男の人に対して使徒たちが一体何を言ったのか、また何をしたのかを、知りたかったのでしょう。今ならば、記者会見が開かれるような場面です。使徒たちの言葉を聴いてみようと、そのような関心を持った人々が集まってきたのです。



使徒たちとしては、自分たちの話に耳を傾けてくれそうな人々に集まってもらえたことを喜んだに違いありません。ある意味では、そのために、使徒たちは神殿に行ったのだと考えることができるからです。



しかし、足の不自由な人をいやすこと自体が、ペトロとヨハネが午後三時の祈りの時に神殿に上っていった、そもそもの目的であったと考えることはできないでしょう。はじめからそれが目的であったならば、そのように聖書に書いてあるはずですが、そのようなことは、どこにも書かれていません。



使徒たちが神殿に上っていった目的は、先週も触れましたとおり、第一に、神殿で定期的に祈るというユダヤ教の習慣を踏襲することであり、しかし第二に、その時刻に神殿に集まってくるユダヤ人たちに対して、真の救い主イエス・キリストの福音を宣べ伝えることによって、新しく誕生したばかりのキリスト教会に加わってくれる新しい仲間を探しに行くことであった、と考えられます。



この男の人を立ち上がらせることができたことも、また、それを見た周りの人々が使徒たちの周りに集まってきたことも、偶然であったという言い方は適切ではないように思います。しかし、使徒たち自身が意図的にそのような状況をつくりだすように工作を働いた、と考えることはできません。もちろん、それら一切は、神御自身が導いてくださったことなのです。



使徒たちの周りにたくさんの人が集まってきました。伝道のチャンスが訪れたのです。そこでペトロは、チャンスを逃すことがありませんでした。説教を始めたのです。



「イスラエルの人たち、なぜこのことに驚くのですか。また、わたしたちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたかのように、なぜ、わたしたちを見つめるのですか。」



「なぜわたしたちを見つめるのですか」。このペトロの言葉を読んでふと思い出したのは、イエス・キリストが天に上げられた後に弟子たちの前に現れた二人の天使が語った、あの言葉です。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか」。



視線ないし視点というのは、わたしたちの現実の生活において非常に重要なものであると思います。何を見るのか、どこから見るのか、そして、なぜ見るのかです。



生まれつき足の不自由だったこの男の人が、イエス・キリストの弟子たちとの交わりとかかわりとの中で、突然立ち上がり、歩き始めたのを見た人々が、その視線を次に移した先は、その男の人をいやしたと思われる弟子たちの方向であった、というわけです。



当然といえば当然なのかもしれません。弟子たちに対しては関心を持つな、と言われても無理な面があると思われます。



しかし、です。そのように、弟子たち自身がその男の人の足をいやしたのではないかというふうな仕方で関心を持たれることを、ほかならぬ、弟子たち自身が嫌がったのだ、と考えることが可能であると思います。



ペトロは「わたしたちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたかのように、うんぬん」と言っているわけですが、彼らには何の力もなかったのでしょうか。彼らは、全く信心をもっていなかったのでしょうか。実際には、ペトロが「右手を取って彼を立ちあがらせた」(3・7)と書かれているではありませんか。



そうであるならば、弟子たちは、この件に関しては、何にもしなかったし、一切かかわりを持っていないと語ることはできません。言うならば、この件に関しては、すべてのことを使徒たちが行ったのです。使徒たちがこの男の人を立たせ、歩かせたのです。



しかし、です。使徒たちはそのことを「このわたしが、すべてやりました。このわたしの力によって、この人がいやされました。このわたしのおかげで、この人は助かりました」というふうに語ることを非常に嫌がったし、周りの人々からそのように見られるのを非常に嫌がったのです。「なぜ、わたしたちを見るのか」という発言の背景に、そのような彼らの気持ちがある、と考えることは可能であると思われます。



彼らはなぜ、自分たちのほうに視線を向けられることを嫌がったのでしょうか。この点は、比較的はっきりしていると思います。ただし、それは、ただ単なる「謙遜」というようなことだけでは語りつくせそうもないものです。人間の謙遜な態度というだけならば、その中には「偽りの謙遜」(コロサイ2・23、別訳「わざとらしい謙遜」)というのもありうるからです。心の中では「このわたしがやりました」と思っていながら、顔や態度では「いえいえ、わたしではありません。めっそうもない」とポーズをとる人はたくさんいると思います。そういうのは、周りの人にはすぐに見抜かれるものです。見抜かれていないと思っているのは本人だけだったりする。



しかし、ペトロたちは、そのような謙遜のポーズをとっているだけではないと思います。彼らは、本当に心の底から、「このわざを行ったのは、このわたしではありません」と確信していました。それは、聖書の中に登場する多くの信仰者たちと同じように、「わたしたち自身は、神ではない。わたしたち自身が真の神になりかわることは、絶対にできない」という一つの明確な確信を持っていたからです。



病気のいやしのわざにせよ、また罪の赦しのわざにせよ、その病気や罪によって現実に大きな苦しみを味わい、助けを求めてきた人々にとっては、神のお働きを深く感じとるものです。心から感謝し、いつまでも恩義に感じるものです。



ところが、です。問題は、しばしばその先に起こります。わたしたちが病気をいやされたり、罪を赦されたりする場合には、たいていの場合、そのわざにかかわってくださった恩人というような方が存在するものです。そのことは否定できません。しかし、その場合の恩人たちが、わたしたちの心の中で、いつの間にか「神」のような存在になってしまうことがありえます。



イエス・キリストの弟子たちは、そのことを最も嫌がったのです。何が嫌かといって、自分が「神だ」と言われたり、そのように見られたりすることを、彼らは最も嫌がりました。



病気をいやすわざを行い、困っている人々を助けることなら、いくらでもする。しかし、このわたしを「神」と呼ばないでほしい。そのような目で見ないでほしい。それが彼らの言い分であったと考えられるのです。



「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。ところが、あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです」。



ペトロの説教は、神中心主義です。あなたがたユダヤ人が、イエスというお方を殺してしまった。しかし、そのあなたがたが殺したイエスというお方を、神がよみがえらせてくださった。その神によってよみがえらされたイエスというお方のこのお名前を信じる信仰が、病気のこの人をいやす力となったのだ、というメッセージが、強く語られています。



「ところで、兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分かっています。しかし、神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの苦しみを、このようにして実現なさったのです。だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。こうして、主のもとから慰めの時が訪れ、主はあなたがたのために前もって決めておられた、メシアであるイエスを遣わしてくださるのです。このイエスは、神が聖なる預言者たちの口を通して昔から語られた、万物が新しくなるその時まで、必ず天にとどまることになっています。」



ここで、あなたがたがイエスさまを「殺した」という点が強調されている、ということは、すでにお話ししたことがあります。あなたがたは殺人者である、という強い非難の言葉が、ペトロの説教の中に響いています。



しかしまた、同時に、ペトロは、イエスさまの死は、「神がすべての預言者の口を通して予告しておられたこと」、すなわち、(旧約)聖書においてあらかじめ予言されていた事実でもあるのであって、それは別の言い方をするならば、神御自身のご計画でもあった、ということをも、語っているわけです。



イエス・キリストの死が神の御計画であった、ということになりますと、イエスさまを殺したのは、じつは人間ではなく、ほかならぬ神御自身であったというような話になっていくでしょう。このこと自体は、果てしない謎の沼に入り込んでいくような恐怖感を覚えます。



しかし、そのように信じることもできる、ということになりますと、じつはそこで初めて、わたしたち人間の心に深い平安が与えられる、ということも事実です。



わたしがイエスさまを殺したのではない。このわたしを救うために、イエスさまは、父なる神の御心に従って、死んでくださったのだ。



これは信仰です。客観的な事実とは言えません。客観的な事実はユダヤ人たちが策略を練ってイエスさまを殺害したのだということです。しかしこれは一面的な見方です。究極的な真実は一つの面から見るだけでは分からないのです。信仰という側面から事実を見つめなおすこと、そしてまた、神御自身の視点からすべての事柄を見て行くことが、必要なのです。



神の視点からすべての事柄を見つめ始め、救い主イエス・キリストへの信仰という側面から事実を見つめ始め、「このわたし自身は神ではないし、救い主でもない」という事実を受け入れ始め、真の謙遜のうちに生きて行くことを始めた人は、すでに救われています。ただちに洗礼を受けるべきです。



その人々の心の中にあるのは、以前のわたしならば、そのようにはしてこなかった、という反省の念、悔い改めの思いでしょう。



神もキリストもない。そこにいるのは自分一人だけ。誰の助けも要らない。教会も宗教も、そんなものは要らない。自分の力で、すべてを乗り越えて行くのだ。頼れるものは、自分だけ。



そのように確信してやまなかった、かつての自分自身の姿を思い起こしながら、しかしまた、あのままでは、わたしは生きてくることができなかった、という反省の念を抱いているのが、今のわたしたちの、ありのままの姿ではないでしょうか。



そのような、かつての自己中心主義から、真の神中心主義へと、回心すること。



これが、ペトロの説教の趣旨であり、そしてまた、聖書全体がわたしたち一人ひとりに訴えようとしているメッセージです。



(2007年3月18日、松戸小金原教会主日礼拝)