2007年4月8日日曜日
わたしを愛しているか
ヨハネによる福音書21・1~19
今日わたしたちは、二人の新しい長老を生み出すことができました。本当にうれしいことです。お二人とも昨年、大きな出来事を体験され、強い信仰と祈りをもって見事に乗り切られました。神さまがこの教会の長老になるための厳しい訓練をしてくださったに違いありません。かなり荒っぽい神さまだと思います。お二人は、とても強くなられました。これからどうかよろしくお願いいたします。
そして、わたしたちは、このイースターの礼拝を、召天者記念礼拝としてささげております。信仰をもって立派に生き抜かれた、天の父なる神のみもとに生きておられる方々の在りし日を思い起こしつつ、ご遺族のために慰めを祈るひとときを、過ごしております。
そのようなご遺族の方々にとっての大切な時をこのイースターの礼拝のなかで過ごしていただいていることには、もちろん大きな意味があります。そのように、わたしたち教会の者たちは、確信しております。
イースターとは何のことか、イースター礼拝とは何をする礼拝なのか、初めての方々や教会に不慣れな方々にとっては、あまりご存じないことかもしれません。
イースターとは、わたしたちの救い主イエス・キリストが死者の中から復活されたことを記念するときです。イエス・キリストというお方は、死者の中から復活されたのです。
聖書には、イエス・キリストが復活されたのは、息を引き取られてから三日目の出来事であったということが、記されています。二日の間は、全く動かれもしなかったし、立ち上がられもしなかったのです。
皆さんは覚えておられるでしょうか。ひょっとしたら皆さんよりもわたし牧師のほうがよく覚えているかもしれないことがあるような気がします。それは皆さんの大切なご家族が、いずれにせよ突然、息を引き取られてからだいたい二日間くらいに起こったことです。
悲しくて仕方がない。それなのに、さあ、これから葬儀の準備をしなければならない。あの人この人に連絡をし、挨拶をし。お客さんが来る。みんなの前でわあわあ泣くわけに行かない。いろいろな後始末もしなければならない。
ばたばたばたばた立ち回りつつ冷静にふるまう。冷静でいられるはずがないのに笑っている。そんな自分が嫌になったりもする。
そのような状態のだいたい二日くらいの間のことを、今となってはあまりよく思い出すことができないという方は、おられませんでしょうか。もしそうだとしても、無理もないことであると思います。
イエスさまの弟子たちも、おそらく、そのような二日間を過ごしたに違いありません。私は今から申し上げることを強調して語るつもりはありませんが、一つの点が気になっています。それは、イエスさまの死と復活の間の二日間に起こったことについては、聖書は何も語っていない、ということです。
弟子たちの記憶が失われている、とまでは言ってはならないと思います。しかし、語るべき言葉、書き残すべき言葉を失うような、まさに暗く落ち込んだ気持ちを、弟子たちも味わったのではないだろうか、と考えることくらいは許されると思います。
しかし、十字架の死から三日目の朝、わたしたちの救い主イエス・キリストは、死者の中から復活されたのです。弟子たちの心の闇は、取り去られました。そして、そのイエス・キリストの復活という大いなる出来事は、弟子たちの喜びとなり、希望となったのです。
なぜイエスさまの復活が、弟子たちの喜びとなり、希望となったのでしょうか。それは、はっきりしています。イエスさまの復活は、弟子たちの信仰によりますと、イエスさまを信じるすべての人々の復活を約束するものだからです。使徒パウロは「死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです」(コリント一15・13)と、はっきり書いています。イエス・キリストの復活は、わたしたちの復活の初穂(first fruit)として起こったことなのです。
イエス・キリストの復活を信じることができる人は、その人自身も、イエスさまと同じように、死者の中から復活するのだ、と信じることが許されているのです!
死がわたしの終わりではない。このわたしは、救い主イエス・キリストと共に、永遠に生きるのだ、と確信することができるのです!
・・・嫌でしょうか。そのように率直におっしゃる方々もおられます。別にわたしは、永遠に生きなくてもいい。救い主と一緒とか、そういうことはどうでもいい。復活など別にしたくもない。そういうことを、わりとはっきりとおっしゃる幾人かの方々に出会ったことがあります。
そのような方々を無理に説き伏せてやろうというような考えは、私には全くありません。そういう方もいらっしゃるなあと思うばかりです。しかしまた、いくらか正直に言いますと、ちょっとくらいは、ちゃんと考えてみてほしいなあとも思います。
先ほどお読みしました、ヨハネによる福音書21・15以下に記されているのは、どういう場面かと言いますと、復活されたイエスさまとイエスさまの弟子の一人である使徒ペトロとが会話をしている、という驚くべき場面です。
何度も申し上げるようですが、イエスさまは、十字架の上で息を引き取られてから二日間は、全く動かれもしませんでしたし、立ち上がられもしませんでした。文字通り死んでおられました。しかし、そのお方が復活されて弟子たちの前に姿を現してくださいました。そして、この個所に記されているような、きわめて具体的な会話さえ、してくださったのです。
それで、皆さんにぜひ関心を持っていただきたいのは、この会話の内容です。とくに、復活されたイエスさまが、ペトロに対して三度も言われた言葉は何であったか、という点に注目していただきたいのです。
「食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、『ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか』と言われた。ペトロが、『はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです』と言うと、イエスは、『わたしの小羊を飼いなさい』と言われた。二度目にイエスは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。』ペトロが、『はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです』と言うと、イエスは、『わたしの羊の世話をしなさい』と言われた。三度目にイエスは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。』ペトロは、イエスが三度目も、『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しくなった。そして言った。『主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。』イエスは言われた。『わたしの羊を飼いなさい。』」
復活されたイエスさまが弟子のペトロに三度も問いかけたのは、「わたしを愛しているか」という問いでした。
わたしが、このような言葉を語られるイエスさまというお方に、聖書を通して接しますときに感じますことは、とても人懐っこい感じがする、ということです。あるいは、もっとはっきり言いますと、とても人間くさい感じがする、ということです。
それは、わたしたちだって、結局そうなのではないか、と感じるからです。わたしたちにもいつか必ず、この地上の人生をしめくくるときが訪れます。そのときに、わたしたちが、もしかしたら最後の最後の瞬間に考えること、一緒にいる人々に聞いてみたいと思うことは何だろうかと考えてみたときに思い当たるのが、この「わたしを愛していますか」という問いではないだろうかと感じるからです。
しかし、分かりません。もしかしたら、わたしだけなのかもしれません。わたしが死ぬときに、家内や子供たちに聞いてみたいと思っていることは、はっきりしています。教会の皆さんに教えていただきたいと願っていることは、はっきりしています。「わたしのことが好きでしたか。わたしのどこが好きでしたか。どのあたりは、嫌いでしたか」ということです。自己中心的かもしれませんが、やはりそういうことが気になります。
皆さんは、どうでしょうか。復活したくないでしょうか。家族のみんなや教会のみんなに聞いてみたいとは思いませんか。「わたしのことが好きですか。わたしのことを愛していますか」と。
イエスさまとは、そのような方でした。イエスさまは、自信を持っておられたのです。イエスさまは、ペトロの返事がどういうものであるかという点で、自信を持っておられたのです。それはどういう自信かと言いますと、ペトロはわたしのことを「愛しています」と必ず答えてくれるに違いない、という自信です。それ以外の答えはありえない、という自信です。
なぜそのような自信を、イエスさまは、持つことがおできになったのでしょうか。この問いの答えもはっきりしています。イエスさまは、ペトロの口から「あなたが嫌いです」などと言わせてなるものかというほどに、ペトロのことを心から愛し抜かれたからです。
そういう愛の形があるのだと思います。「あなたのことが嫌いです」などとは絶対に言わせないというほどに、徹底的に相手に仕え、役に立ち、意味のある言葉を語り、喜ばせる、そのような愛の形です。
イエスさまは、弟子たちだけでなく、多くの人々のことを心から愛してくださいました。そして、そのイエスさまは、復活されて、今も生きておられ、わたしたちのことを心から愛してくださっています。イエスさまを信じる人々に、真の救いと喜びの人生とを与えてくださるのは、今も生きておられるイエスさまご自身です。
イエスさまは、わたしたちにも質問されています。「わたしを愛しているか」と。
復活とは、難しい理屈ではありません。復活とは、イエス・キリストにおいて示された真の神の愛をもって共に生きてきた人々との愛を確認しあうために設けられる機会です。
皆さんの大切な人も、皆さん自身も、このわたしも、救い主と共に、復活するのです。
共に復活し、お互いの愛を確かめ合おうではありませんか。
(2007年4月8日、松戸小金原教会主日礼拝)
2007年4月1日日曜日
苦難の僕
イザヤ書53・1~12
今日は、旧約聖書のイザヤ書53章を開いていただきました。この個所の中で「この人」とか「彼」と呼ばれている人のことを、わたしたちは、救い主イエス・キリストのことであると信じてきました。イエス・キリストがわたしたちの身代わりに十字架の上で死んでくださったあの苦難の姿を、預言者イザヤが預言しているのだ、と信じてきました。
そのように信じるに足る内容がここにあると、わたしも考えています。イザヤが描いているこの人は、わたしたちの病を担い、わたしたちの痛みを負ってくださることによって苦しみを体験し、神の手によって命ある者の地から断たれた、と書かれているからです。その姿は、まさにイエス・キリストです。
「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。
主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように この人は主の前に育った。
見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。」
「見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない」という翻訳は、一つの可能性にすぎません。原文を直訳しますと、「形も輝きもほとんどない」です。この人には形がない。そのように、イザヤは書いているのです。
形がない人間などいるのだろうかと思わざるをえません。まるで幽霊みたいではないかと。しかし、ここに記されているのが、ただの人間のことではなく、神の御子なる救い主のことであるとするならば、納得は行かないかもしれませんが、一つの話として、理解はできるようになるように思います。
神の御子には、本来、形がなかったのです。なぜなら、神の御子は神御自身だからです。神には形がありません。神は霊なのです。このように言うことは、神を冒涜することではなく、むしろ尊重することです。イザヤの「この人には形がない」という預言は、この人が霊なる神の御子である、ということを示していると考えることができるのです。
「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。」
軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っているこの人の姿は、まさに救い主イエス・キリストのお姿です。
それはまた、神御自身のお姿でもあると言わなくてはなりません。神は、人間の歴史の中で、軽蔑され続けてきました。わたしたちの時代の中でも、軽蔑され続けています。
わたしたち自身は、神を重んじているでしょうか。神のために命をささげる覚悟や決意があるでしょうか。そのあたりが、実際には、怪しいのです。
神は、この世界のすべてを創造された、この世界の支配者です。わたしたちは、本当にそう思っているでしょうか。実際には、すべての世界は、このわたしの周りを回っていると、いまだに思っているのではないでしょうか。そのような態度をとっているのではないでしょうか。
神を軽蔑し、救い主イエス・キリストを軽蔑し、そして、キリストの体なる教会を軽蔑する。それは、他のだれかの話ではなく、わたしたち自身の姿かもしれないと疑ってみる必要があると思います。
「彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。」
救い主イエス・キリストがゴルゴタの丘の十字架の上で担ってくださったのは、わたしたち人間の罪であり、愚かさであり、病です。
しかし、そのことは、イエス・キリストを救い主と信じる信仰がなければ、決して理解することも、受け入れることもできないでしょう。十字架にかけられる人は、呪われた人であり、自業自得であると、普通の人は見るでしょう。
イエス・キリストを信じる信仰があれば、このお方の死の意味を正しく理解することができます。それは、まさに、イザヤが預言しているとおりです。
彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためです!
彼が打ち砕かれたのは、わたしたちのとがのためです!
イエス・キリストを裏切って死に追いやったのは、イエス・キリストの弟子たちでした。最も愛していた弟子たちに、イエスさまは裏切られたのです。
しかし、その裏切りを、イエスさまは、すべてご存じであり、すべてを受け入れておられました。愛するとは人の弱さを理解し、受け入れることです。強い人が弱い人をかばい、助けることです。それが愛です。
イエスさまは、弟子たちを十字架のうえでも愛しておられたのです。御自身が十字架について、弟子たちをかばってくださったのです。
わたしたちも、イエスさまを裏切ることがあるでしょう。洗礼を受けるとき、神と会衆の前で行ったあの約束の言葉を覚えておられますか。「救い主イエス・キリストのみを信じ、彼にのみより頼みますか」。
わたしたちは、今でも、救い主イエス・キリストのみを信じ、彼にのみより頼んでいるでしょうか。適当なところで誤魔化してはいないでしょうか。
わたしたちの裏切りをも、イエスさまは、ご存じです。すべてを理解し、すべてを受け入れておられます。イエスさまはわたしたちを愛しておられます。わたしたちをかばってくださるのです。
だからこそ、次のように告白できるのではないでしょうか。
「彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」
他の誰かが受けた傷によって、わたしたちがいやされるというのは、話としては奇妙なことのように思えます。しかし、これもまた、救い主イエス・キリストがお受けになったあの傷と苦しみのことであると信じるならば、理解できる話になります。
イエス・キリストの十字架上の死は、全世界の人々の身代わりの死です。本来ならば、罪に対する神の罰を受けるのは罪人自身です。わたしたち罪人こそが、十字架の罰を受けなければなりません。ところが、わたしたち自身が受けなければならない罪に対する神の罰を、イエスさまが身代わりに受けてくださったのです。これが、イエスさまの死の深い意味です。これを代理刑罰の教理と言います。
そして、イエスさまがその罰を身代わりに受けてくださったことによって、神と人間との間の和解が成立し、真の平和がもたらされたのです。この平和の喜び、深い心の平安が、わたしたち人間の傷をいやす薬になるのです。
わたしたちは、罪深い生活をしている間は、平気でそうしている面と、実際には様々な場面で傷ついている、という面があるはずです。罪悪感というのも、立派な心の傷です。小さな盗みを自覚的に働いた人は、そのことを、いつまでも覚えているものです。犯罪は、相手を傷つけるだけではなく、それを犯した人自身をも、深く傷つけます。
そしてまた、そうであることが分かっていてもやめられないのも、罪の性質です。この泥沼、この連鎖、この罪の奴隷状態から、どうかわたしを救い出してください、と叫び声をあげることができた人は、すでにほとんど救われていると言ってよいほどです。自分の心の中には深い傷がある、ということに気づき、その痛みを感じて、魂の医者、救い主に助けを求めることができた人は、もうあとわずかで、いやされるでしょう。
罪はまた、人を孤独にします。行いの罪だけではなく、言葉の罪もあります。人を傷つけるようなことを平気で言うような人に近づきたいと思う人は、いません。しかし、孤独のままで生きていくのは、つらいものです。
孤独もまた、立派な心の傷になります。この傷をいやしてほしい。このさびしさから、なんとかして逃れたい。その願いを強く持ち、助けを求めることができた人は、ほとんど救われています。
その人は自分の罪を悔い改め、神の御心に従って生きるべきです。そのとき、深い平安を味わうことができるでしょう。
「わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。
そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。
苦役を課せられて、かがみ込み 彼は口を開かなかった。
屠り場に引かれる小羊のように
毛を切る者の前に物を言わない羊のように
彼は口を開かなかった。
捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか
わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり 命ある者の地から断たれたことを。
彼は不法を働かず その口に偽りもなかったのに
その墓は神に逆らう者と共にされ 富める者と共に葬られた。
病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ 彼は自らを償いの献げ物とした。
彼は、子孫が末永く続くのを見る。
主の望まれることは 彼の手によって成し遂げられる。
彼は自らの苦しみの実りを見 それを知って満足する。
わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために 彼らの罪を自ら負った。
それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし
彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで
罪人のひとりに数えられたからだ。
多くの人の過ちを担い 背いた者のために執り成しをしたのは この人であった。」
イエス・キリストを信じましょう!
このお方を心から信じるならば、わたしたちは、必ず救われます。
(2007年4月1日、松戸小金原教会主日礼拝)
2007年3月25日日曜日
「使徒の勇気」
使徒言行録4・1~22
今日の個所に記されていますのは、3章の初めから続いている話の第三幕です。
ペトロとヨハネがエルサレム神殿で出会った一人の人の足をいやすという奇跡のわざを行いました。それを見て驚いた人々が彼らのもとに集まってきましたので、ペトロが説教を行いました。その結果、大勢の人々がイエス・キリストを信じるようになったのです。
ところが、です。その一連の動きを面白く思わない人々が出てきました。祭司長たち、神殿守衛長、サドカイ派です。
「ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々が近づいて来た。二人が民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、彼らはいらだち、二人を捕らえて翌日まで牢に入れた。既に日暮れだったからである。しかし、二人の語った言葉を聴いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった。」
彼らはいら立った、とあります。いら立った理由も書かれています。イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えていたからである、というのです。なぜイエスさまの復活を宣べ伝えることが、彼らをいら立たせる原因になるのでしょうか。
ここで思い出さなければならないことがあります。この場所はエルサレムであるということです。ここはイエスさまが裁判を受けられたエルサレムです。イエスさまが十字架につけられて死なれたエルサレムです。
時間的にも近かったはずです。何年もなど経ってはいません。せいぜい数カ月でしょう。ペトロとヨハネの前にいる人々にとって、イエス・キリストの十字架上の死は、ついこのあいだ起こった出来事です。記憶も鮮明です。何もかも覚えていると言ってよいでしょう。
そのため、この点では、多くの人々の記憶の中に残っていたのは、イエスさまが十字架の上で死んだ、あるいは殺された姿のほうでしょう。イエスさまを罠にかけて殺した人々は、その十字架上の死においてイエス・キリストの福音を宣べ伝える宣教活動は、終わりのときを迎えたものとしていたに違いないのです。
ところが、です。イエス・キリストの弟子たちが、あの十字架の上で死なれたお方は、復活なさり、今も生きておられると語り始めたのです。つまり、イエス・キリストの福音を宣べ伝える宣教活動は、まだ終わっていないどころか、むしろ、まさにこれから始まるのである、とイエス・キリストの弟子たちが公に宣言したのです。
そもそも、イエス・キリストをユダヤ教の指導者たちが殺したのは、要するに口封じをしようとしたためです。イエスさまの説教は、多くの人々に救いと慰めを与えるものでもありましたが、同時に当時のユダヤ教指導者に対する厳しい批判を含んでいました。これを指導者たちが嫌がりました。このイエスという男を何とかして殺さねばならないと考え始めたのです。
使徒言行録においては、最初の教会の成長の様子が、人数で表現されています。最初は「百二十人ほど」(1・15)でしたが、キリスト教会としての最初の五旬祭(ペンテコステ)に洗礼を受けて教会の仲間に加わったのが「三千人ほど」(2・41)、そしてエルサレム神殿で仲間に加わったのが「男の数が五千人ほど」(4・4)です。爆発的な成長が起こっていると言ってよいでしょう。
このような爆発的な成長が起こるときに、必ずそこで行われているのが使徒の説教です。神の御言葉の説教です。
説教の力ということを申しますと、つい、それは説教者自身の力ないし能力という面が問題にされがちです。しかし、それは間違いを犯します。説教者というこの一人の人間の力が多くの信者を集めた、という話になります。しかし、それは間違いです。
神の御言葉の説教は、神御自身の言葉です。そこで説教者は神の道具として用いられはしますが、説教者の力が教会に人を集めるのではなく、神御自身の力が人を集めるのです。
「次の日、議員、長老、律法学者たちがエルサレムに集まった。大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司一族が集まった。そして、使徒たちを真ん中に立たせて、『お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか』と尋問した。そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。『民の議員、また長老の方々、今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、「あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石」です。ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。』」
ペトロとヨハネの取調べが始まりました。大祭司アンナスとカイアファは、イエスさまを十字架にかけるための裁判にも、深くかかわっていた人々です。イエスさまの口封じをしようとした人です。
その同じ人々が、今度はペトロとヨハネの口を封じようとしている!その人々が目の前にいる!危険信号は最大の音を発している状態である、と言ってよいでしょう。
ところが、です。このときペトロが語り始めたのは、「あなたがたがイエス・キリストを十字架につけて殺したのだ」という言葉でした。イエス・キリストを殺した殺人者たちを前にして、あなたがたは殺人者であると指摘しているのです。
そしてまた、このことと同時にペトロが語っているのは、あなたがたが殺したイエス・キリストというお方は、復活されて、今も生きておられる、ということであり、このお方の名によって、生まれつき足の不自由だった人がいやされたのだ、ということです。
ペトロは、本当のことを言っているだけです。正々堂々と。少しも恐れることなく。
しかし、ペトロのこのような態度がどれほど危険なものであるか、また彼が語っている言葉は、文字どおり命をかけなければ、そして本物の勇気がなければ、決して語ることのできない言葉である、ということは、すぐにお分かりいただけることであろうと思います。
「議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。しかし、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、ひと言も言い返せなかった。」
ここに出てくるペトロとヨハネについての形容詞としての「無学な普通の人」は、非常に頻繁に引用されますので、使徒言行録の中でも有名な言葉の一つです。
ここでの「普通の人」の意味は、専門家ではない人ということです。アマチュアのことであると言ってよいでしょう。
そして「無学な人」(アグランマトス)の反対概念は「律法学者」(グランマテイス)です。字義としては、読み書きや文法(グラマー)を習ったことがない人、というほどの意味にもなりますが、ここでの意味は、「律法についての専門的な教育を受けたことのない人」ということです。律法とは結局聖書のことですから、「聖書についての専門的な教育を受けたことのない人」ということです。今の言い方では、神学校や神学大学などの正規の教育機関で、御言葉の教師となるための専門的な教育を受けたことのない人、ということになるでしょう。
いずれにせよご理解いただきたいことは、ここでペトロとヨハネについて言われている「無学な普通の人」という言葉は一般的な意味ではなく、宗教的あるいは神学的な意味である、ということです。教会の中で言えば、教師と信徒の区別に該当するでしょう。ただ単に、学校教育を受けたことがない、というだけの意味ではなく、(今の言い方では)神学校に行ったことがない、という意味に相当するでしょう。
ただし、ここで気をつけなければならないと思われることは、ペトロとヨハネを「無学な普通の人」と見て驚いたのは、「議員や他の者たち」、つまりユダヤ最高法院を構成する人々であったという点です。彼らは宗教に関するプロフェッショナルでした。その彼らの目から見て、ペトロとヨハネはアマチュアであるということが分かった、と言われているのです。プロフェッショナルか・アマチュアか、そういうことは、プロの目から見ると、すぐに分かるものなのです。
しかし、彼らは、ペトロたちに何も言い返すことができませんでした。それは、ペトロたちのそばに足をいやしていただいた人がいたからです。奇跡的出来事を現実に体験した人が、生ける確かな証しをもって議員たちの目の前に立っていたからです。みんなの前で起こった公の事実を突きつけられては、それを否定することができなかったのです。
これで分かることは、事実こそが、そして生きた証しこそが、最も力を持っているし、最も輝いて見える、ということです。事実と生きた証しとを前にしては、どんな学問も、どんな美しい文章も、薄ぼけて見えます。
「そこで、二人に議場を去るように命じてから、相談して、言った。『あの者たちをどうしたらよいだろう。彼らが行った目覚しいしるしは、エルサレムに住むすべての人に知れ渡っており、それを否定することはできない。しかし、このことがこれ以上民衆の間に広まらないように、今後あの名によって誰にも話すなと脅しておこう。』そして、二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、教えたりしないようにと命令した。しかし、ペトロとヨハネは答えた。『神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。』議員や他の者たちは、二人を更に脅してから釈放した。皆の者がこの出来事について神を賛美していたので、民衆を恐れて、どう処罰してよいか分からなかったからである。このしるしによっていやしていただいた人は、四十歳を過ぎていた。」
最高法院の議員たちが出した結論は、「今後あの名によって誰にも話すなと脅しておこう」というものでした。またしても口封じです!
しかし、ペトロとヨハネは、その命令を敢然と拒否しました。そして彼らが語ったことは、「わたしたちは見たことや聞いたことを話さないではいられない」ということでした。
なんでもかんでも言いたい放題に言わせてもらいます、という話ではありません。彼らが語ろうとしているのは、イエス・キリストの弟子たちの口を封じようとしている人々への批判です。イエス・キリストを信じることと福音を宣べ伝えること、すなわち、信仰と伝道をなんとかしてやめさせようとする人々への拒否です。
わたしたちは、どんなことがあっても、信じることをやめることができない。
わたしたちは、どんなことがあっても、伝道するのをやめることができない。
「わたしはここに立つ。ほかにどうすることもできない」(マルティン・ルター)。
わたしたちにも信仰の戦いがあります。神が、戦いの中にあるわたしたちを助けてくださるでしょう。
(2007年3月25日、松戸小金原教会主日礼拝)
2007年3月18日日曜日
「自分の力や信心によらず」
使徒言行録3・11~26
今日の個所に記されていますのは、エルサレム神殿で起こった一連の騒動の第二幕、というべき出来事です。ペトロが神殿で説教を行う場面です。
先週学びました第一幕は、神殿の門のところに連れて来られ、座っていた、生まれつき足の不自由な男性の足がいやされたという出来事でした。ペトロがこの人に「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言い、また、その人の右手を取って立ち上がらせたところ、本当に立つことができたのです。
それで騒ぎになりました。多くの人々が使徒たちのわざを見ていました。そしてその人々の目の前で、今の今まで立つことができなかった人が、立ち上がったのですから、みんなびっくり仰天してしまったのです。
そして、ひどく驚いた人々が次に起こした行動は、使徒たちの前に一斉に集まった、ということでした。この男の人に対して使徒たちが一体何を言ったのか、また何をしたのかを、知りたかったのでしょう。今ならば、記者会見が開かれるような場面です。使徒たちの言葉を聴いてみようと、そのような関心を持った人々が集まってきたのです。
使徒たちとしては、自分たちの話に耳を傾けてくれそうな人々に集まってもらえたことを喜んだに違いありません。ある意味では、そのために、使徒たちは神殿に行ったのだと考えることができるからです。
しかし、足の不自由な人をいやすこと自体が、ペトロとヨハネが午後三時の祈りの時に神殿に上っていった、そもそもの目的であったと考えることはできないでしょう。はじめからそれが目的であったならば、そのように聖書に書いてあるはずですが、そのようなことは、どこにも書かれていません。
使徒たちが神殿に上っていった目的は、先週も触れましたとおり、第一に、神殿で定期的に祈るというユダヤ教の習慣を踏襲することであり、しかし第二に、その時刻に神殿に集まってくるユダヤ人たちに対して、真の救い主イエス・キリストの福音を宣べ伝えることによって、新しく誕生したばかりのキリスト教会に加わってくれる新しい仲間を探しに行くことであった、と考えられます。
この男の人を立ち上がらせることができたことも、また、それを見た周りの人々が使徒たちの周りに集まってきたことも、偶然であったという言い方は適切ではないように思います。しかし、使徒たち自身が意図的にそのような状況をつくりだすように工作を働いた、と考えることはできません。もちろん、それら一切は、神御自身が導いてくださったことなのです。
使徒たちの周りにたくさんの人が集まってきました。伝道のチャンスが訪れたのです。そこでペトロは、チャンスを逃すことがありませんでした。説教を始めたのです。
「イスラエルの人たち、なぜこのことに驚くのですか。また、わたしたちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたかのように、なぜ、わたしたちを見つめるのですか。」
「なぜわたしたちを見つめるのですか」。このペトロの言葉を読んでふと思い出したのは、イエス・キリストが天に上げられた後に弟子たちの前に現れた二人の天使が語った、あの言葉です。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか」。
視線ないし視点というのは、わたしたちの現実の生活において非常に重要なものであると思います。何を見るのか、どこから見るのか、そして、なぜ見るのかです。
生まれつき足の不自由だったこの男の人が、イエス・キリストの弟子たちとの交わりとかかわりとの中で、突然立ち上がり、歩き始めたのを見た人々が、その視線を次に移した先は、その男の人をいやしたと思われる弟子たちの方向であった、というわけです。
当然といえば当然なのかもしれません。弟子たちに対しては関心を持つな、と言われても無理な面があると思われます。
しかし、です。そのように、弟子たち自身がその男の人の足をいやしたのではないかというふうな仕方で関心を持たれることを、ほかならぬ、弟子たち自身が嫌がったのだ、と考えることが可能であると思います。
ペトロは「わたしたちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたかのように、うんぬん」と言っているわけですが、彼らには何の力もなかったのでしょうか。彼らは、全く信心をもっていなかったのでしょうか。実際には、ペトロが「右手を取って彼を立ちあがらせた」(3・7)と書かれているではありませんか。
そうであるならば、弟子たちは、この件に関しては、何にもしなかったし、一切かかわりを持っていないと語ることはできません。言うならば、この件に関しては、すべてのことを使徒たちが行ったのです。使徒たちがこの男の人を立たせ、歩かせたのです。
しかし、です。使徒たちはそのことを「このわたしが、すべてやりました。このわたしの力によって、この人がいやされました。このわたしのおかげで、この人は助かりました」というふうに語ることを非常に嫌がったし、周りの人々からそのように見られるのを非常に嫌がったのです。「なぜ、わたしたちを見るのか」という発言の背景に、そのような彼らの気持ちがある、と考えることは可能であると思われます。
彼らはなぜ、自分たちのほうに視線を向けられることを嫌がったのでしょうか。この点は、比較的はっきりしていると思います。ただし、それは、ただ単なる「謙遜」というようなことだけでは語りつくせそうもないものです。人間の謙遜な態度というだけならば、その中には「偽りの謙遜」(コロサイ2・23、別訳「わざとらしい謙遜」)というのもありうるからです。心の中では「このわたしがやりました」と思っていながら、顔や態度では「いえいえ、わたしではありません。めっそうもない」とポーズをとる人はたくさんいると思います。そういうのは、周りの人にはすぐに見抜かれるものです。見抜かれていないと思っているのは本人だけだったりする。
しかし、ペトロたちは、そのような謙遜のポーズをとっているだけではないと思います。彼らは、本当に心の底から、「このわざを行ったのは、このわたしではありません」と確信していました。それは、聖書の中に登場する多くの信仰者たちと同じように、「わたしたち自身は、神ではない。わたしたち自身が真の神になりかわることは、絶対にできない」という一つの明確な確信を持っていたからです。
病気のいやしのわざにせよ、また罪の赦しのわざにせよ、その病気や罪によって現実に大きな苦しみを味わい、助けを求めてきた人々にとっては、神のお働きを深く感じとるものです。心から感謝し、いつまでも恩義に感じるものです。
ところが、です。問題は、しばしばその先に起こります。わたしたちが病気をいやされたり、罪を赦されたりする場合には、たいていの場合、そのわざにかかわってくださった恩人というような方が存在するものです。そのことは否定できません。しかし、その場合の恩人たちが、わたしたちの心の中で、いつの間にか「神」のような存在になってしまうことがありえます。
イエス・キリストの弟子たちは、そのことを最も嫌がったのです。何が嫌かといって、自分が「神だ」と言われたり、そのように見られたりすることを、彼らは最も嫌がりました。
病気をいやすわざを行い、困っている人々を助けることなら、いくらでもする。しかし、このわたしを「神」と呼ばないでほしい。そのような目で見ないでほしい。それが彼らの言い分であったと考えられるのです。
「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。ところが、あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです」。
ペトロの説教は、神中心主義です。あなたがたユダヤ人が、イエスというお方を殺してしまった。しかし、そのあなたがたが殺したイエスというお方を、神がよみがえらせてくださった。その神によってよみがえらされたイエスというお方のこのお名前を信じる信仰が、病気のこの人をいやす力となったのだ、というメッセージが、強く語られています。
「ところで、兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分かっています。しかし、神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの苦しみを、このようにして実現なさったのです。だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。こうして、主のもとから慰めの時が訪れ、主はあなたがたのために前もって決めておられた、メシアであるイエスを遣わしてくださるのです。このイエスは、神が聖なる預言者たちの口を通して昔から語られた、万物が新しくなるその時まで、必ず天にとどまることになっています。」
ここで、あなたがたがイエスさまを「殺した」という点が強調されている、ということは、すでにお話ししたことがあります。あなたがたは殺人者である、という強い非難の言葉が、ペトロの説教の中に響いています。
しかしまた、同時に、ペトロは、イエスさまの死は、「神がすべての預言者の口を通して予告しておられたこと」、すなわち、(旧約)聖書においてあらかじめ予言されていた事実でもあるのであって、それは別の言い方をするならば、神御自身のご計画でもあった、ということをも、語っているわけです。
イエス・キリストの死が神の御計画であった、ということになりますと、イエスさまを殺したのは、じつは人間ではなく、ほかならぬ神御自身であったというような話になっていくでしょう。このこと自体は、果てしない謎の沼に入り込んでいくような恐怖感を覚えます。
しかし、そのように信じることもできる、ということになりますと、じつはそこで初めて、わたしたち人間の心に深い平安が与えられる、ということも事実です。
わたしがイエスさまを殺したのではない。このわたしを救うために、イエスさまは、父なる神の御心に従って、死んでくださったのだ。
これは信仰です。客観的な事実とは言えません。客観的な事実はユダヤ人たちが策略を練ってイエスさまを殺害したのだということです。しかしこれは一面的な見方です。究極的な真実は一つの面から見るだけでは分からないのです。信仰という側面から事実を見つめなおすこと、そしてまた、神御自身の視点からすべての事柄を見て行くことが、必要なのです。
神の視点からすべての事柄を見つめ始め、救い主イエス・キリストへの信仰という側面から事実を見つめ始め、「このわたし自身は神ではないし、救い主でもない」という事実を受け入れ始め、真の謙遜のうちに生きて行くことを始めた人は、すでに救われています。ただちに洗礼を受けるべきです。
その人々の心の中にあるのは、以前のわたしならば、そのようにはしてこなかった、という反省の念、悔い改めの思いでしょう。
神もキリストもない。そこにいるのは自分一人だけ。誰の助けも要らない。教会も宗教も、そんなものは要らない。自分の力で、すべてを乗り越えて行くのだ。頼れるものは、自分だけ。
そのように確信してやまなかった、かつての自分自身の姿を思い起こしながら、しかしまた、あのままでは、わたしは生きてくることができなかった、という反省の念を抱いているのが、今のわたしたちの、ありのままの姿ではないでしょうか。
そのような、かつての自己中心主義から、真の神中心主義へと、回心すること。
これが、ペトロの説教の趣旨であり、そしてまた、聖書全体がわたしたち一人ひとりに訴えようとしているメッセージです。
(2007年3月18日、松戸小金原教会主日礼拝)
2007年3月11日日曜日
「わたしには金や銀はない」
使徒言行録3・1~10
使徒言行録の3章から4章までには、最初の教会の活動の中で起こった、ひとつながりの出来事が記されています。最初は、ほんの小さな出来事でした。しかしそれが、やがて非常に大きな事件へと発展して行きました。
今日の個所に記されていますのは、今申し上げました、そのひとつながりの出来事の中の、最初のほんの小さな出来事の部分です。最初に、そこで何が起こったのかを見て行きたいと思います。
「ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った」。
ここに登場するのは、イエス・キリストの弟子であり、かつ十二使徒のメンバーだったペトロとヨハネです。この二人は当時、使徒の代表者であり、教会の代表者と言ってよい存在でした。
この二人が、神殿に上って行きました。「神殿」とはエルサレム神殿のことです。「午後三時の祈りの時に」とありますのは、当時のユダヤ教団が定めていたエルサレム神殿での祈祷会の時刻であると思われます。みんなが集まって祈る時刻です。
ペトロとヨハネが、この時刻に神殿に上ったのは、もちろん彼ら自身が祈るためだったに違いありません。彼らはユダヤ人であり、この時点ではユダヤ教徒と呼んでもよい存在であったわけです。彼らはイエス・キリストを信じる人になりましたが、ユダヤ教の習慣、とくに神殿で定時に集まって祈るというような良い習慣に対して、それに大きく逆らってまでキリスト教会としての独自の主張を展開する理由は、少なくともこの時点では、全くなかったと言ってよいでしょう。
しかし、です。ここでふと、考えてみなければならないかもしれないことに、気づかされます。果たして、彼らは本当に、ただ、彼ら自身生粋のユダヤ人として、決まった時刻が来たので、とにかく神殿に出かけなければならないから出かける、というような仕方で動いたのでしょうか。
わたしたちも、教会生活が長くなってきますと、だんだんそんな感じになってくるかもしれません。日曜日と水曜日には、とにかく教会に行く。そうすると決めているから行く。習慣だから行く。それでよいと、わたしは思います。悪いと言いたいわけではありません。
ただ、気になるのは彼らの場合です。この時点に至って彼らがエルサレム神殿に上って行く理由があるとしたら、それは、ただ単にユダヤ教の習慣を踏襲する、という理由だけではないような気がする、ということです。
考えられることは、やはり、なんといっても、新しく誕生したばかりのキリスト教会に加わってもらえる仲間を探しに行く、という動機があったのではないか、ということです。決まった時刻が来ればユダヤ人たちが神殿に集まってくることが分かっている。その時刻に合わせて神殿に行き、そこに集まっている人々に、キリスト教の教えを伝える、という目的をもって出かける、というようなやり方であったかもしれないからです。
そのようなことは一種の勧誘行為とみなされますので、ある意味で慎重に行わなければならないとは思います。しかし、そういうことを、わたしたちは全くしないかというと、そんなことはないはずです。
伝道するとは、仲間を増やすことです。勧誘的な要素が全くないかというと、「ある」と言わなければならないでしょう。引っこ抜いて来るというような強引なやり方は、あまりスマートではないし、嫌がられたり拒否されたりすることをある程度予想しなくてはなりません。しかし、逃げ腰になってはならないのです。
「すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日『美しい門』という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しをこうた。ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、『わたしたちを見なさい』と言った。その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、ペトロは言った。『わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。』そして、右手を取って彼を立ち上がらせた」。
これが、後に大きな事件へと発展して行くことになる、最初の小さな出来事です。それは、ペトロとヨハネの二人が、エルサレム神殿へと入って行く門のそばに「運ばれて来」、「置いてもらっていた」一人の男性と出会い、その男性に対して、一つの強い言葉を語り、また、強く働きかけた結果、その男性の人生が劇的な変化を遂げた、という出来事です。
その男性は生まれつき足の不自由な人でした。聖書には何も書かれていない。そのために、かえって、いろいろと考えてみなければならなくなることがあります。それは、この人を運んで来、置いて行く人々は、どういう人々だろうかという点です。家族だったのか、友人だったのか、あるいはそういうことをする職業の人々がいたのか、などなど。定かなことは何も分かりません。
ただ、ここではっきりしていることがあります。それは、いくらか奇妙に響く言い方になってしまうかもしれませんが、この男性がこの場所に連れてこられることは、この男性の生活を支える収入源を確保するためであった、ということです。別の言い方をすれば、ここに来れば必ず収入を得ることができた、ということでもある、ということです。
この場所は神殿です。そこで宗教が営まれる場所です。そこに集まる人々は、決して悪い意味ではなく真面目な人々であり、善意の塊のような人々であると言ってよいはずです。そこに行けば、必ず何かをもらえる。活の支えとなる収入を得られる。善意からの施しをしてくれる人がいるに違いない。このようなことを、この男性は、期待していたのです。
ところが、ペトロたちの対応は、この人をおそらく驚かせ、またおそらく非常に大きなショックを与えるものでした。
神殿に集まってくる善意の人々からの施しを期待し、その施しによらなければ、自分の生活を続けて行くことができない、と感じていたであろうこの人に対して、ペトロが言い放った言葉は、「わたしには金や銀はない」ということでした。
ただし、この言葉の意味は慎重に解釈されなければならないものです。私が読んだ注解書の解説は、なかなか説得力を感じるものでした。それは、このときペトロたちはお金を全く持っていなかったわけではないのだとする理解です。「わたしには金や銀はない」は、わたしたちも貧しいのだ、という意味ではない、ということです。
それなら、どういう意味なのかといいますと、「わたしには自由に使ってよいお金はない」という意味であるというのです。これは、当時の教会の中での使徒の立場を考えてみると、なるほど、そういう意味かもしれない、と考えさせられるものがある、一つの解釈です。
使徒たちは、教会の中では教える立場であり、その点では、今の教会の牧師と同じです。教会のみんなの献金によって、生活と活動が支えられている、そのような者たちであるという点で、同じです。
その人々が手にしている金銭は、それを手にした時点でその人々のものであるといえば、そのとおりかもしれません。しかし、実際にはどうかといいますと、そのような気持ちで受け取り、我が物顔でそれを自由に使っている人々を、私はあまり知りません。
今に始まったことではありませんが、近頃とみに騒がれていることは、税金の無駄遣いをする役人たちのことでしょう。税金でさえ大騒ぎです。それが献金となれば、なおさらでしょう。そこにはささげる人の心と思いと生活がかかっている。そのことを知る者たちが、受け取りえたお金を、我が物顔で自由に使う、というようなことは、とてもではありませんが、できないことです。
わたしの自由にしてよいお金は、一円もない。教会のみんなの献金で支えられている者たちならば、だれでもそのように感じるものです。ペトロが言っているのは、どうやら、この意味である、と考えることができます。
しかし、です。そう考えるべきであるとしたら、ますますちょっと困った面が出てくるようにも感じられます。どういうことかといいますと、それが教会の献金であればこそ、また、それを受け取っている者であればこそ、そのお金を自分のものとせず、貧しい人々や助けを求めている人々、生活上困っている人々に対して、喜んですべてを提供すべきではないか、という考えを持つ人々もいるからです。
昔の社会主義・共産主義の極端な形は、いつもそういうものでした。教会の牧師の生活のためのお金などは無駄遣いである。そのようなものは、すべて、社会のために、貧しい人々のために用いるべきである。そのほうが、はるかに、世のため・人のために役に立つ。こういう考えは、今日では珍しくないでしょう。
しかし、です。話を聖書に戻します。今私が申し上げたような点で、ペトロたちには、怯むところがなかった、と考えることができます。わたしたちが手にしているこのお金は、教会のみんなのものであって、一円たりとも、わたしたち自身が、自由裁量で使ってよいようなものはないのだ、と言い切ることができました。
お金に困っている人々が最も求めているものは、お金です。それ以外の何ものでもありません。しかし、ペトロたちは、この人にお金を与えることを毅然として拒否したのです。そこに行けばお金がもらえると思っている人に、お金ではないものを与えることが、このわたしたち、イエス・キリストを信じる者たちの務めであると、彼らは考えたのです。
そして、彼らは、その人の右手をつかんで引っ張り上げました。立ち上がらせたのです。かなり乱暴なやり方かもしれません。しかし、彼はとにかく立ちあがることができました。自立することができたのです。
ただし、です。私は、この男性は、甘えていて、自立していない人だから、これくらいの強い言葉を言うなどして、かなり強いショックでも与えないかぎり、立ち直れないのだというような考え方には賛成できません。生まれつきの障がいを持っている人々に対して、同じようなことがなされるならば、そのような態度はひどすぎると言わざるをえません。
そういうことではないのです。ここでペトロたちが目の前にいるこの男性に何とかして伝えようとしていることは、否定的なことではありません。この世にはお金に換えがたいものがある、という、ただこの点だけです。お金で買えないものがある、ということです。お金がすべてであるわけではない、ということです。
イエス・キリストを信じて生きる道は、そういうものなのだ、ということを、彼らは、この人に伝えました。それが伝わったのです。だから、この人は、立ち上がったのです。立ち上がることができたのです。喜びが、彼の体を立たせたのです!
(2007年3月11日、松戸小金原教会主日礼拝)
2007年3月4日日曜日
「ひたすら心を一つにして」
使徒言行録2・43~47
この個所に描かれていますのは、最初の教会の活動の様子、つまり、二千年前の教会の活動の様子です。たいへん興味深い内容です。今日は42節に挙げられている、最初の教会において熱心に取り組まれていた四つの要素について、お話ししていきたいと思います。
「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」
「熱心であった」を「固くとどまった」と訳している解説者もいます。どちらにしても、意図はご理解いただけると思います。
第一に挙げられているのは「使徒の教え」に熱心であった、ないし、固くとどまったという点です。これは、どういうことでしょうか。
使徒とは、イエス・キリスト御自身がお選びになった、あの十二人のことです。イエス・キリスト御自身から直接学んだ弟子たちです。イエス・キリストとまさに寝起きを共にし、苦楽を共にすることにおいて、彼らは、イエス・キリストの生涯と十字架上の死と復活の証人になった人々です。
ですから、その意味では、「使徒の教え」とは、彼らの師であり、救い主であられるイエス・キリスト御自身の教えそのものであると言ってもよいでしょう。
しかし、それを「使徒の教え」と呼ぶことにも意味があります。イエス・キリストにはいろいろな意味での敵がいた、という事実が関係してきます。
だれかが何かを語り、それを他の人々が聞く場合、それを好意的に受けとめ、理解し、解釈してくれる人もいれば、全く正反対に、悪意をもって受けとめ、語っている人の意図とは全く異なる別様の意味で理解し、解釈し、それをまた、悪意をもって他の人々に伝えるというようなこともあります。イエス・キリスト御自身がお語りになった御言葉についても同じようなことが行われた、と言いうるのです。
その場合に問題は解釈です。イエス・キリストの御言葉を最も正しく解釈しうる人々はだれなのかが問題になったわけです。だからこそ、それを「使徒の教え」と呼ぶわけです。
つまり、それは、イエス・キリストの教えを最も正しく解釈しうる使徒の教えであり、かつ、使徒の解釈を通してのイエス・キリスト御自身の教えである、ということです。
第二に挙げられているのは、「相互の交わり」に熱心であった、ないし、固くとどまった、という点です。
相互の交わりとは、わたしたちがよく知っている言葉で言えばコミュニケーションです。お互いに意思疎通をはかることであり、会話や物品のやりとりなどを通して仲良くすること、支え合うこと、助け合うことです。その場合に大切なことは「お互いに・・・し合うこと」です。「相互関係または相互性」です。
そこにあるのは、行ったり来たりの往復運動です。一方的なものではありません。ある人が別の人に呼びつけられ、話を一方的に聞かされたり、強制的に押し付けられたりする、というようなことの正反対です。
それが最初の教会の中で行われていた「相互の交わり」の様子であると言ってよいものです。コミュニケーションという言葉から連想される人間関係は、上下関係、垂直の関係であるというよりも、平等の関係、水平の関係です。
実を言いますと、このコミュニケーションの様子をより詳しく具体的に紹介しているのが43節から47節までの記事であると、理解することができます。なぜそのようにいえるのかと言いますと、43節から47節までの間には、コミュニケーションという点にかかわる表現が、何度も繰り返されているからです。
「すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので」
この中で注目していただきたいのは、この中に出てくる「皆一つになって」(44節)、「共有にし」(44節)、「おのおのの」(45節)、「分け合った」(45節)、「心を一つにして」(46節)、「一緒に」(46節)、「仲間」(47節)などの表現です。
この中に言い表されている人間同士のコミュニケーション的な相互関係の特質は、上下の関係、垂直の関係ではなく、平等の関係、水平の関係であることは、明らかです。
しかも、その関係は、信徒同士の関係であったのはもちろんのこと、いわば特別な立場にあったと言いうる使徒たちとそれ以外の人々との関係も、コミュニケーションという点からいえば、同じであった、と考えるべきです。
使徒の教えに固くとどまることは、大切です。教える者たちの権威を重んじることは、重要です。しかし、そのことと、使徒を別格扱いし、悪い意味でまつりあげることとを、混同してはなりません。使徒と信徒の関係、あるいは、教える者たちと学ぶ人々との関係は、コミュニケーションという点からいえば、平等の関係、水平の関係にあるのです。
この点で、第一に重要なことは、教える者たちは人間である、ということです。彼らは、神御自身ではないし、キリストでもない。ただの人間である、ということが忘れられてはなりません。
そして、第二に重要なことは、教会が「使徒の教え」を重んじることと、「相互の交わり(コミュニケーション)」を重んじることの両者は、矛盾しないどころか、非常に深く互いに関係しあっている、ということです。
どういうことか。コミュニケーションとは、ある人が語った言葉が、他の人の心の中の深いところにまで届けられるために必要不可欠な行為であるということです。どんな偉い人の言葉でも、一方的に押し付けられた、ということであれば、人の心は複雑ですから、それを拒絶する、ということが起こりうるのです。
残念ながら、というべきでしょうか、礼拝の説教は、やや一方的です。説教者が語り、みんながそれを黙って聴く。そのようなスタイルがとられます。
しかしそれでも、みんなは礼拝の最初から最後まで黙らされているのかというと、そういうことではありません。わたしたちの場合は、みんなで賛美歌をうたい、罪の告白をし、信仰告白をし、主の祈りを唱えるという仕方でしっかり応答しています。そこに相互関係があります。コミュニケーションがとられているのです。
ただし、礼拝の説教そのものに対する質疑応答のようなことは、礼拝の中では通常行われません。今ここで、皆さんの中のどなたかが手を挙げて質問する、というようなことは、してきませんでしたし、しないほうがよいと思います。ここは、そのようなことをする場ではないからです。
しかし、たとえば、わたしたちが水曜日に行っている「水曜礼拝」や、またシモンの会(男子会)や婦人会(女性の会)や青年会などでの聖書の学びの場では、大いに質疑応答がなされてよいし、なされるべきであると思います。
昨今、家庭や社会におけるコミュニケーションの重要性が繰り返し指摘されています。おくさんやご主人の顔が見えていますか。子どもたちの顔が見えていますか。学校の先生たちは、生徒たちの顔が見えていますか。そのように問いかけられています。
教会の中でもコミュニケーションが重要です。コミュニケーションが不足しているような教会は、「教会」ではないのです。そのようにさえ、申し上げることができます。
第三に挙げられているのは、「パンを裂くこと」です。これの解釈は難しいと感じます。教会の中で「パンを裂くこと」の意味としては、二つのことが考えられるからです。
一つは聖餐式のことです。もう一つはいわゆる愛餐会のことです。このどちらの意味で理解されるべきかに、悩みがあります。
悩みの種は、46節です。ここに「家ごとに集まってパンを裂き」に続けて、「喜びと真心をもって一緒に食事をし」とあることです。この場合に生じる悩みとは、「パンを裂き」と「一緒に食事をし」が同じ一つのことなのか、それとも別々のことなのかという問題です。どちらともとれるではありませんか。
このような場合に私が採る方法は、どちらか一方ではなく両方を採るということです。つまり、最初の教会は聖餐式と愛餐会との両方を重んじたのである、と理解する、ということです。
そして、その上でさらに強調して申し上げたいことは、歴史的な教会は、聖餐式だけを重んじてきたわけではないのであるということです。「一緒に食事をすること」、すなわち、いわゆる愛餐会も、十分な意味で重んじてきたのです。
私の尊敬する改革派神学者は、「聖餐式のパンだけでは足りない」と言いました。共感を覚えます。パンをたくさん食べたいのではありません。聖餐式だけで事足れりとするある一定の立場に対して、明確に反対したいからです。
今日、この後、聖餐式を行います。ですから、今私がお話ししていることに、聖餐式を軽んじる意図は、微塵もありません。聖餐式は重要です。しかし、私が申し上げたいことは聖餐式のパンだけが真のパンではない、ということです。言い方を換えますと、日曜日の礼拝の中で食べるパンだけが真のパンではないということです。礼拝後に食べるパンも、そしてまた毎日わたしたちが食べているパンも、わたしたちにとっては、十分な意味での真のパンである、ということです。
聖餐式のパンだけが真のパンなのであり、わたしたちが日常食べているのは偽物のパンである、というようなことは、ありえないことです。それどころか、むしろ、事の真相は逆であって、わたしたちはむしろ、聖餐式の中でいつも食べているのと同じパンを食べることにこそ意味を見いだすのです。
そしてまた、さらに突っ込んで言えば、イエス・キリストは、最後の晩餐のときにだけ、弟子たちにパンを分けてくださったわけではないということも、重要です。御自身の生涯にわたって、また弟子たちと過ごす日常の生活の中で、一緒に食事をしてくださり、パンを分けてくださいました。イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の交わりは日曜日の礼拝の場所でだけ与えられる、というようなものではありません。毎日の生活の中で、それぞれの家庭や職場、あらゆる場所において、与えられるものなのです。
この点を強調することと、主の日の礼拝を重んじることを強調することは、決して矛盾しません。
今年の松戸小金原教会の目標聖句として掲げました「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」(ネヘミヤ記8・10)に加えて掲げた今年の標語は、「主の日の礼拝を楽しみ、日々生き生きと過ごそう」です。
この際はっきり申し上げておきたいことは、この短い文章の中の「主の日」と「日々」との両方に等しい強調がある、ということです。どちらか一方だけが大切である、ということはありません。
それは、先ほどご説明いたしましたコミュニケーション的な考え方に反します。主の日が大切であり、礼拝が大切であり、説教を黙って聴くことが大切であり、聖餐式が大切である、ということのほうだけを一方的に強調するのは教職者中心主義の道です。
そのような一方的な考え方ではなく、主の日だけではなくて週日も大切であり、礼拝の最中だけではなくて礼拝の前後も大切であり、説教を黙って聴くことだけではなくて質疑応答も大切であり、聖餐式だけではなくて愛餐会も大切であり、またそれぞれの家庭で囲まれる食卓も大切であると。
そのように考えていくこと、つまり、両者を等しく重んじつつ、両者の相互関係を丁寧に考えていくことが、教会の交わりにこそふさわしいコミュニケーション的な考え方なのです。
第四に挙げられているのは「祈り」です。祈りも十分な意味でコミュニケーションです。神とのコミュニケーションであり、かつ同時に人とのコミュニケーションでもあります。
以上、四つの点についてお話ししてきました。これらのことが、最初の教会の中で重んじられていたことです。これらのことを重んじた結果が、続きに書かれています。
「民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」
要するに、教会の中での人間関係は、素晴らしいものである、ということが、それまでは教会の外から眺めていたような人々にも理解され、受け入れられ、このわたしもぜひ、あの教会の交わりの中に加わりたい、と願う人々が起こされた、ということです!
しかもそれは、人々が憧れを抱くような人間関係、ただし、自分とは遠いと感じられる、そこに参加することが憚られるような人間関係ではなくて、親しみを覚え、参加の意欲を与えられ、そこに加わることがこのわたしの人生においては決定的に重要なことであると確信することができるような、人間関係です。
そのような教会の交わりが、わたしたちの人生の中に、姿を現しているでしょうか。今通っている皆さんの教会が、そのような教会でありえているでしょうか。
「仲間に加わりたい」と願われるような教会でしょうか。
そのことを自問自答してみる必要があると思います。
(2007年3月4日、松戸小金原教会主日礼拝)
2007年2月25日日曜日
「悔い改めなさい」
使徒言行録2・22~42
今日の個所に記されていますのは、聖霊降臨と呼ばれる出来事が起こった日になされた使徒ペトロの説教です。この説教は先週学んだ部分からすでに始まっていますので、まだ続いている、というべきかもしれません。
「『イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。』」
結論的なことから先に申しますと、この使徒ペトロの説教は、とても大きな影響と結果をもたらしました。それは、41節に「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった」とあるとおりです。
その日までそのときまでは、彼らの「仲間」の数は、1・15にある「百二十人ほどの人々」であった、と考えてよいでしょう。ところが、です。ペトロの説教を聴いた人々の中から、洗礼を受ける人々が三千人ほどいた。その結果、「仲間」の数はどうなったか。単純に計算すると、百二十人と三千人を足した三千百二十人、ということになるではありませんか。
想像してみていただきたいのです。百二十人くらいなら、その全員が松戸小金原教会の礼拝堂に集まることができます。しかし、三千人が一度に集まることは無理です。
三千百二十人はどれくらいかをご理解いただくための参考として申し上げますと、それは、東関東中会が設立される直前の東部中会全体(つまり、現在の東関東中会と東部中会の合計)の会員総数(2004年度)と、ほぼ同じです。
そして、そこでわたしたちが意識すべきことは、旧東部中会がその規模になるまでに、60年の歳月がかかった、ということです。ところが、です。ペトロの説教は、いわば一瞬にして、百二十人を三千百二十人にしてしまった、それほどに、甚大かつ爆発的な影響と結果をもたらしたのだ、ということです。
もちろん、単純な比較はできませんし、あまり意味が無いかもしれません。事柄を感覚的にご理解いただくための参考として、申し上げているにすぎません。
とはいえ、私自身は、やはり、説教者の一人としていろいろなことを考えてしまいます。説教が人の心を動かすとは、何でしょうか。結果として、人が洗礼を受け、教会の仲間に加わるとは、何でしょうか。そこで起こっていることは、何でしょうか。
一つだけ申し上げることができるのは、最も単純な言い方をしますと、いくらなんでもそれは人の力ではないだろう、ということです。少なくとも、お話が
上手、というような次元の話ではないだろう、ということです。わたしたち自身がはっきり確信している事実は、そのようなことで人が洗礼を受けたりはしない、ということです。
それに、少し恐ろしいことを申し上げますが、今日の個所に出てくる使徒ペトロの説教は、はたして、今申し上げた意味での“上手なお話”であるかと、そういう視点と問いをもちながら読んでみますと、どうでしょう、必ずしもそうとはいえないのではないかと、私などは感じるのです。
はっきり言いますと、今日の個所のペトロの説教は、上手なお話であるとは言えません。心温まる感動的な説教、というわけでもありません。むしろ、ある意味で攻撃的な、人の罪を厳しく裁き、責める面を持った、厳しい説教、怖い説教です。
しかし、もちろん、その面だけでもありません。きちんと聴けば(読めば)、このペトロの説教は、厳しいだけの説教、怖いだけの説教ではないことも分かります。
大きく分けると、二つのことを、ペトロは強調しています。また、あらかじめ注意しておきたいことは、ペトロがこの説教を差し向けている相手は、その日エルサレムに集まっていた「イスラエルの人たち」(2・22)、すなわち、ユダヤ人たちであるということです。つまり、これは、ユダヤ人たちを相手に語っている説教である、ということです。
さて、二つの主張点とは何でしょうか。ペトロの説教における主張の第一点は、「あなたがた」ユダヤ人たちがイエス・キリストを殺したのだ、という点です。要するに、あなたがたは殺人者である、ということです。最も厳しい、断罪の言葉です。
しかも、ここで気づかなければならないことは、「あなたがた」という言葉が何度も繰り返されていることです(22節、23節、33節、36節)。
この場面でペトロは「わたしたち」という表現を安易に用いようとはしません。「わたしたち」がなぜ安易かといいますと、そのほうが言葉の調子がぐっと柔らかくなるからです。はっきり言えば、受けのよい話になるからです。厳しいことを言うと、必ず反発が返って来ます。そのときに、うまく交わすことができるのは、「わたしたち」という表現です。
しかし、ペトロは、そのように言いません。「あなたがた」がイエス・キリストを殺したのだ、と言うのです。神から遣わされたあの方を、殺したのだ、と言うのです。
「奇跡」と「不思議な業」と「しるし」と呼ばれている一つ一つの内容は、ルカによる福音書を学んだときに確認したとおりです。すべては“触れる”という行為を伴っていました。御言葉とふれあい。それがイエス・キリストの御業の大きな柱でした。どんな人にでも遠慮なく近づいてくださる。心と体をいやしてくださり、真に助けてくださる。真に役立つ、ためになる、意味のある、そのような御業を行ってくださる。イエスさまとは、そういうお方でした。真に愛すべきお方なのです。
そのイエスさまを、あなたがたが殺したのだ、とペトロは語ったのです。あなたがたの中にも、イエスさまに助けていただいた人がいるだろうと。いろいろと具体的にお世話になった人がいるだろうと。そのお方に対して、あなたがたは、なんとひどいことをしたのか、と言っているのです。
殺す、という言葉は、ものすごく厳しいわけですが、この罪を犯した人に当てはまるのは、だれでしょうか。はっきりしていることは、ペトロがこの説教の中で「あなたがた」と呼んで直接的に責めているのは、最高法院の70人の議員たち(祭司長、律法学者、長老、議員)のことではない、ということです。むしろ、考えられることは、議員たちは、その場にいなかったのではないか、ということです。
この点から分かることは、ペトロが説教の中で繰り返している「あなたがた」とは必ずしも、イエスさまを死刑にするために画策した最高法院の議員や、イエスさまをなぶりものにしたローマの兵隊や、裁判の判決をくだしたローマの総督ポンティオ・ピラトのことだけではないし、直接的にはその人々のことではない、ということです。
それならば、誰のことなのか、と言いますと、むしろ、その裁判に直接参加することができない、ある意味での傍観者としてのごく一般的な市民のことです。その人々に対して「あなたがたがイエスさまを殺したのだ」と言ったところで、わたしたちは殺してなどいない、殺人など犯していない、という反発が返って来てもおかしくないような一般市民に対して、ペトロは、そういうことを言っているのだ、と読むことができると思うわけです。
ところが、です。そのペトロの言葉を聴いた人々の内面に起こったのが、「大いに心を打たれた」(2・37)という出来事だったというのですから、驚きです。聖霊が働いてくださったとしか言いようがありません。
そこで起こった心の中の変化は、具体的に言って何だったでしょうか。たしかに、このわたしは、あの救い主イエス・キリストを殺す罪に、加担しました。イエス・キリストを愛することができず、大切にすることができず、最後まで従うことができませんでした。そのことを、素直に認め、受け入れ、悔い改めることができた。そういうことではないでしょうか。
さて、ペトロの説教における主張の第二点は、何でしょうか。それは、「あなたがた」が殺したイエス・キリストを、(父なる)神が復活させてくださった、ということです。人間が殺したイエスというお方を、神がよみがえらせてくださった、ということです。
このことは、一度死んだ存在を再びよみがえらせることができる神さまの偉大な力への強調であると、受けとめることもできるかもしれません。しかし、それだけだと、ただ、神さまの大きな力にびっくりしました、というようなことだけで話が終わってしまうわけです。もう少し深く考えてみる必要があると思います。
ペトロが強調している「あなたがたがイエスさまを殺したのだ」という言葉は、聴き方によっては、とても烈しい恨みのような感情が含まれていると感じるものかもしれません。しかし、私は次のようなことを考えます。人間が殺したイエスさまを神がよみがえらせてくださった、と説教が続く。そのとき、それを聴いている人々の心の中に生まれる思いは、救われた、というものであったに違いない、ということです。
これは、実際に自分の問題として考えてみることは難しいかもしれませんが、ぜひよく考えてみていただきたいのです。たとえば、わたしたちが何か取り返しのつかない過ちを犯す。人を殺してしまった、という体験を持つ人は、いないと思いますが、何か大きな傷をだれかに与えてしまった、という体験を持つ人は、少なくないのではないでしょうか。
たとえば、そのときに、です。このわたしがあの人に大きな傷を与えてしまった、取り返しのつかない過ちを犯してしまった、その傷を、その痛みを、その過ちを、神御自身がいやしてくださり、取り去ってくださったことを知る。
わたしの犯した罪は赦されているのかもしれない、と感じる。
父なる神さまが、救い主イエス・キリストが、わたしの犯した罪を、赦してくださっている、と信じることができる。
そのような思いを、このペトロの説教を聴いていた人々は、味わうことができたのではないでしょうか。
キリスト教の教会の復活信仰には、そのような内容があります。このわたしもまた、イエス・キリストを殺した人々の罪に加担したということに気づき、深い罪意識に目覚めた人は、イエス・キリストの復活を信じる信仰によってのみ、その罪が赦されたという確信を得ることができます。なぜなら、イエス・キリストは、生きておられるのですから!
「人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか』と言った。すると、ペトロは彼らに言った。『悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供たちにも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。』」
ペトロが彼らに勧めたことは、悔い改めることと、洗礼を受けることでした。これは、二つのことというよりも、一つのことと理解すべきです。悔い改めのない(成人)洗礼は無意味です。また、悔い改めとは、父なる神と救い主イエス・キリストへの信仰に生きる道に入ることです。神に背を向けて生きていた人が、反対に方向を変えることによって、神に向き合うようになることです。
ですから、悔い改めた人は、洗礼を受けるべきです。悔い改めと洗礼は、表裏一体の関係にある、というべきです。
そして、その悔い改めと洗礼は、同時に、最初に申し上げましたとおり、教会の「仲間」に加わることとも同じです。「わたしは悔い改めました。教会で洗礼を受けました。しかし、教会の仲間には加わりません」というのは、言葉の矛盾です。
教会は、キリストの体です。神とキリストに従って生きることが悔い改めなのですから、自分の侵した罪を悔い改め、かつ洗礼を受けた人々が、キリストの体なる教会のメンバーになり、かつ教会の活動に積極的に参加することは、神さまから特別に与えられた恵みの賜物であり、特権であると同時に、義務でもあることなのです。
そして、ペトロがこの説教の最後に述べていることは悔い改め、洗礼を受け、罪を赦していただいた人々には、「賜物としての聖霊」が与えられます、ということです。
ここでまた、再び、聖霊とは何かという問いが、呼び起こされます。聖霊とは、わたしたち人間の外側から内側へと入ってくる何ものか、浸透して来る何ものか、であり、恵みの賜物として、まさに喜ばしきプレゼントとして、与えられるものです。
「賜物としての聖霊」とは、言うならば、悔い改めた人の心を、いつまでも支えてくださる神御自身です。
一度や二度反省したくらいでは、何度でも元に戻ってしまう、弱い心を持つわたしたち人間が、二度と罪の泥沼に戻っていかないように、強く支えてくださるお方。
それが「聖霊なる神」なのです。
(2007年2月25日、松戸小金原教会主日礼拝)
2007年2月18日日曜日
「聖霊が語らせるままに」
使徒言行録2・1~21
「五旬節の日が来て、一同が一つになって集まっていると、」
五旬節の日に集まっていた「一同」が、新しく加わったマティアを含む十二使徒だけを指しているのか、それとも、十二人以外の人々もいたのか、たとえば、1・15にあるように「百二十人ほどの人々」も合わせての「一同」なのかということは、この文章だけでは分かりません。
分からないことは、問うても仕方ないことかもしれません。しかし、です。この「一同」がどちらの意味であるのかという問題は、ここに描かれている情景をわたしたちが自分の心の中でイメージしてみるときに重要な点ではないかと思うのです。
私が強く関心を抱く問題は、今日の箇所に描かれている「聖霊が降る」という出来事が起こったのは、十二使徒に対してだけなのか、それとも、もっと大勢の人々に対しても、それは起こったのか、つまり、少なくとも最初のキリスト者の百二十人ほどの人々にも、聖霊は降ったのか、ということです。
私はなぜ、この点に引っかかるのでしょうか。その理由は、おそらく皆様には理解していただけることです。
この「一同」に聖霊が降った結果として、その人々は「霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」と言われています。彼らが話し出したことは何でしょうか。それは明らかに、神の御言葉です。キリスト教信仰を宣べ伝える言葉、すなわち、信仰の言葉、伝道の言葉です。
それは説教であり、奨励であり、信仰告白であり、証しです。ただのおしゃべりをしていたわけではありません。おしゃべりが悪いと言いたいわけではありません。おしゃべりは良いものです。しかし、この場面でこの人々が語っていたことは単なるおしゃべりではなかったし、悪い意味での無駄話ではありませんでした。それは神の言葉であり、信仰の言葉、伝道の言葉であった、と考えるべきです。
その場合に、です。この「一同」は、果たして十二使徒だけなのか、それとも、少なくとも百二十人くらいの規模のキリスト者の集まりを想定することができるのかが、やはり大きな問題になる、と思います。
なぜなら、十二使徒は、いわば特別な人々だからです。最初のキリスト者の百二十人の団体の代表者です。選び抜かれた少数者、特選の人々です。
どうしてこれが問題になるのでしょうか。次のことを、考えてみていただきたいのです。もしこのとき聖霊が降ったのが十二使徒だけであった、と考えなければならないのだとしたら、そのとき同時に必然的に、聖霊降臨の結果として起こった「神の御言葉を語ること」(この仕事!)は、十二使徒というきわめて限定的な特別な人々だけの仕事になった、とみなされることになるのです。
しかし、ここで、わたしたちは、もう一つの可能性を考えてもよいはずです。それは、もちろん、言うまでもなく「神の御言葉を語ること」、人々にキリスト教信仰を宣べ伝える言葉を語ること、すなわち、説教なり、奨励なり、証しなりを語ることは少なくとも最初にいたと言われる百二十人ほどのキリスト者の群れ全体の仕事になった、と考えてもよいのではないか、という可能性です。
はたして、聖霊は、ごくわずかな教師や役員だけに注がれ、その人々だけが伝道の働きをするのでしょうか。それとも、聖霊は教会全体に注がれ、伝道の仕事もまた、教会全体の仕事なのでしょうか。
たとえば、教会の伝道活動は、牧師と教会役員だけがすることで、あとのみんなは見ているだけ、聞いているだけ、ということで良いのでしょうか。それではまずいのではないでしょうか。
皆さんにぜひ考えていただきたいことは、聖霊が注がれた「一同」とは誰のことなのか、です。どちらとも取れる、答えのない問いであるだけに、その結論は、わたしたち自身に委ねられている、と考えることもできるでしょう。
「一同」の意味如何によって、このあたりの考え方や姿勢を、わたしたち自身が、徹底的かつ根本的に変えなければならなくなるかもしれないのです。
「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」
聖霊とは何かという問いに対しては、「聖霊論」(Pneumatology: Doctrine of the Holy Spirit)と呼ばれる一つのまとまった教理体系があり、研究も続けられています。しかし、私自身は、聖霊とは何かという問題について多くの皆様にとってお腹にきちんとおさまるような言葉で答えようとするためには、今なお難しい問題があり、高い壁があると感じています。
しかし、何はともあれ、はっきりしていることは、聖霊とは、わたしたち人間の存在の外側から内側へと入り込んでくる何かである、ということです。
それはちょうど、かわいたスポンジに水がしみこみ、浸透していくように、あるいは、わたしたちが口から食べたり飲んだりして、お腹の中で消化されて、血となり肉となっていく食べ物飲み物のように、人間の中に外から入ってくるもの、浸透してくるもの、そのようなものとして、聖書は聖霊を描いています。聖霊について、聖書は「注がれる」とか「宿る」という表現を用いて、その動きや様子を描いています。
そして、今日の個所において聖霊は、「激しい風が吹いて来るような(天から聞こえる)音」を伴うものとして、また「炎のような舌」というイメージを伴うものとして描かれています。これらの点も重要です。
「風」と聖霊の関係について考える際には、ヨハネによる福音書に記されている、以下の主イエス御自身の御言葉を見ておく必要があります。
「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」(ヨハネ3・8)。
ここで主イエスが語っておられるのは、聖霊は風のようなものである、ということです。そして、その意味は、風は思いのままに吹く、つまり、それは自由に吹くということです。どこにでも存在するし、動き回り、あらゆるものにかかわり、あらゆるものを動かすものである、ということです。今流行している言葉でいえばユビキタスです。どこにでも存在する(偏在)、という意味です。
聖霊は風のようなものである、という場合に、とくに大切な点は、それが自由である、ということです。固定されていない、特定の人々や物に限定されない、枠にはまらない、はめることができない、拘束することができないものである、ということです。
聖霊は、拘束することができない風のようなものであるとしたら、どうなるか、です。ここで、最初の問いに戻ります。聖霊が注がれた「一同」とは、十二人の使徒たちだけのことですか、それとも、少なくとも百二十人と言われる最初のキリスト者たちの群れ全体のことですか。この問いに、答えを与えることができるようになると思います。
そして、もう一つ描かれている聖霊のイメージは「炎のような舌」です。炎は燃える。舌が燃えているのです。これは明らかに比喩です。
そして、何の比喩かも、明らかです。熱く言葉を語ることです。神の御言葉を語ること、信仰の言葉、伝道の言葉を、熱く語ることです。冷めていない、白々しくない。変に批判的だったり、斜めに見たり、クールであったりしない。
乱れ狂うほどに熱狂する必要はないかもしれません。事柄を冷静に判断できる穏やかな心を持つことは、重要です。しかし、そこにわたしたちの体重がかかっているかどうか、わたしたちの存在をそこに賭けているかどうかは、問われるかもしれません。
趣味の場合でも、わたしたちは結構、のめりこみます。熱中し、魅了されます。寝ても冷めても、そのことを考えている、というほどに心を奪われます。
それにいわば似たようなこととして、あるいは、もしかしたらそれ以上のこととして、聖霊が「炎のような舌」というイメージを伴ってわたしたち人間の内部に注がれるときに起こることは神の言葉を熱く語ることであり、救い主を信じる信仰に熱中し、魅了されることであり、教会生活、信仰生活ということを寝ても冷めても考えている、というほどに心を奪われることです。このように、考えることができます。
そして、これは単なる理論的な説明や理屈ではなく、わたしたち自身が実際に体験してきたことです。そうではないでしょうか。
先日、日本キリスト改革派教会の尊敬すべき引退教師の葬儀に参列いたしました。司式をされた牧師も、喪主のおくさまも、口を揃えて、「先生には趣味がなかった。毎週日曜日の説教とその準備のために、ひたすら力を注いでいた。引退された後も、教会で行われる礼拝や諸集会だけを楽しみにしていた。そこに出席することだけを喜んでいた」と言われました。
そのことを、とくにおくさまは、大いに愛情を込めてではありますが、やや非難めいたニュアンスもこめておられました。もっと趣味を持つべきだと口やかましく言ったことがあるとか、家族を旅行に連れて行ってほしいと思っていた頃があると。
その話を、私は、耳が痛い話として聞きました。しかしまた、私は、そのとき同時に、亡くなられた先生のお気持ちが、よく分かったのです。
趣味などなくてもよい、と申したいわけではありません。趣味は持ってもよいし、持つべきです。しかし、私は同時に確信します。牧師の仕事、伝道の仕事は、趣味にも代えがたいほどに面白いことであり、夢中になれること、魅了されることなのです!
そして、だからこそ、熱く語ることができます。「炎のような舌」を持つことができます。聖霊がわたしたち人間の中に注がれた結果として起こることは、そのようなことなのだ、ということを申し上げたいのです。
今から二千年前に、最初のキリスト者たちのもとで起こった出来事は、ただの昔話ではありません。奇妙キテレツな不思議な話でもないと考えるべきです。
突然のきっかけから、ひとが夢中になって神の御言葉を語り始める。信仰の言葉、伝道の言葉を語り始める。その言葉に心を打たれた人々が、洗礼を受け、教会の一員になり、主の日ごとに礼拝をささげ、神を賛美するようになる。そのようなことが起こったのです。
「さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉で使徒たちが話をしているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。『話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。』人々は皆驚き、とまどい、『いったい、これはどういうことなのか』と互いに言った。しかし、『あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ』と言って、あざける者もいた。すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。『ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と嫁は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。上では、天に不思議な業を、下では、地に徴を示そう。血と火と立ち込める煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。」』」
聖霊の注ぎにおいて起こったもう一つの重要な出来事は、ガリラヤ生まれの人々が外国の言葉で語り始めたことです。このことを、使徒言行録は、奇跡的な出来事として描いています。
この描き方は、もちろん間違っているわけではありません。間違っていると私が考えているわけでもありません。ただ、しかしまた、それは、いつまでも同じではない、と語ることはできると思います。
と言いますのは、わたしたちの場合には、外国の言葉を勉強することができます。聖書も、信仰の書物も、説教の言葉も、外国語に翻訳することができるし、しなければなりません。そもそも、わたしたち日本人にとっては、キリスト教の書物も言葉も、すべて外国語からの翻訳です。実際問題として、翻訳という手続きなしには、伝道という仕事は全く成り立たないのです。
しかし、それだけでもありません。聞き覚えのある言葉、心に深く馴染む言葉、まさに「自分の故郷の言葉で」(このわたしの言葉で!)神の御言葉が語られている、ということに気づいた人々が、初めて、キリスト教の正しい信仰を告白することができたのです。
この点は、わたしたちも同じではないでしょうか。残念ながら、わたしたちの頭の上を通り抜けていくような言葉がある、と言わざるをえません。私の説教が、皆さんにとってそのようなものでないことを、ただ祈るばかりです。
「今聴いているこの言葉は、“このわたしの言葉”である」と感じていただけるほどに、皆さんにとって身近な言葉が語られるとき、一つの奇跡が起こるのです。
そのとき、“かつてのわたし”ならば、考えもしなかったようなことを考え始め、実行に移しはじめる。
それが、聖霊降臨の出来事なのです。
(2007年2月18日、松戸小金原教会主日礼拝)
2007年2月11日日曜日
「新しい使徒の選挙」
使徒言行録1・12~26
今日の個所に描かれていることを一言で言うならば、人事(じんじ)です。新しい使徒の選挙です。そのような選挙をなぜ行わねばならなくなったかについて、その理由となる暗い出来事も、同時に記されています。
当たり前のことですが、教会の中にも人事があります。人事とは、ひとのこと、「人間の事柄、もしくは個人にかかわる事柄」(human or personnel affairs)です。
教会は「神の事柄」だけを扱っているところではありません。「人間の事柄」をも扱っているのです。
「使徒たちは、『オリーブ畑』と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。」
使徒たちは「エルサレムに戻って来た」と書かれていますが、それまではエルサレムに近いところにいた、ということも明らかにされています。エルサレムから遠く離れた場所にまで逃げてしまっていたわけではない、と言いたいのでしょう。
とはいえ、彼らは、近くではありますが、山の中にいました。彼らは山の中に「隠れていた」と、はっきり言うほうがよいでしょう。主イエス・キリストが十字架にかけられて「殺された」(使徒2・23、3・15など)後、弟子たちは、身の危険を感じ、恐怖を抱きながら、山の中に隠れていたのです。
しかし、彼らはエルサレムに戻って来ました。ですから、これは、単なる場所の移動を言っているのではありません。彼らの心の中に大きな心境の変化が起こったのです。大きな決断があり、また新しい勇気を与えられたのです。だから、彼らは戻って来た。戻って来ることができたのです。
その変化のきっかけであると考えられるのが、先週学んだ個所の出来事です。それは、復活されたイエス・キリストが天に上げられ、そのとき以来イエスさまが地上においては「不在」となられた、まさにその場面で起こりました。
それは、イエスさまが上がっていかれる天を見つめていた弟子たちに対して、二人の人が現れて言った言葉が、なんとも厳しいものだったという出来事です。
「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか」とは、あなたがたが見るべきところは違うでしょう、と言わんばかりです。
あなたがたが見るべきところは、上ではなく、前である。天国ではなく、地上の現実である。永遠の世界ではなく、あなたの目の前に山積みされているさまざまな問題である。目を向ける方向を間違っているのではないですかと、厳しく指摘されたのです。
このような指摘は、わたしたちの人生においても非常に大事なことであると私は信じています。とくに永遠の世界であるとか天国というような言葉や事柄に関わる場合、それはいずれにせよ、宗教の課題です。教会の説教の課題である、と言ってもよいでしょう。
多くの宗教は、天国を見上げなさい、永遠の世界に憧れなさい、というように教えてきたはずです。ところが、です。イエスさまの弟子たちが、天使を通して聞いた神さまの言葉は、それとは違うものだったというわけです。「おい、こら、おまえたち、天国など見ている場合ではないよ」と言われてしまった。そのような言葉で神さまから強く叱られたのだ、と考えることができるのです。
彼らがエルサレムに戻る決心をするまでには相当重い決断や勇気が必要だったと思われます。彼らの背中を押した強い力の源が神の御言葉であったことは、間違いありません。
「彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた。」
ここを読んで、なんとなくほっとする気持ちを味わいました。どこにそのようなことを感じたかと言いますと、イエスさまご自身がお選びになった十二人の使徒たちのうちの、イスカリオテのユダ以外の十一人全員がそこにいた、という点です。
みんなが揃っている、というのは、やはり、気持ちがよいものです。彼らの場合、全員ではありませんでしたが。
イエスさまの死、また復活後の昇天、「不在」の事実。弟子たちとしては、逃げ出したくなったとしてもおかしくない状況であった、と言えるでしょう。
しかし、彼らは逃げ出しませんでした。彼らとイエス・キリストとの関係は、鉄と磁石のようにぴったりくっついて離れない関係であった。彼らは、イエス・キリストのもとから離れませんでしたし、離れることができませんでした。イエス・キリストにおける神の愛から離れることができなかったのです。
また、使徒職に就いている人々以外の多くの弟子たちも、集まってきました。「百二十人」を、百二十人しか残っていなかったと考えるのか、百二十人もいたと考えるのかは分かれるところかもしれません。
イエスさまのもとには「五千人」(ルカ9・10以下)以上いたこともあるのです。その意味では、百二十人「しか」でしょう。
しかし、百二十人を、わたしたちは小さな集まりと呼ぶことはできません。イエス・キリストを主と信じる教会、キリスト教会の歴史は、この「百二十人」の集まりからスタートしたのです。
ところが、残念なこともありました。イエス・キリストがお選びになった使徒は十二人であったにもかかわらず、そこには十一人しかいなかった!
この場面では大きな声で「しか」と言うべきです。
「『兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです。ユダはわたしたちの仲間の一人であり、同じ任務を割り当てられていました。ところで、このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。このことはエルサレムに住むすべての人に知れ渡り、その土地は彼らの言葉で「アケルダマ」、つまり、「血の土地」と呼ばれるようになりました。詩編にはこう書いてあります。「その住まいは荒れ果てよ、そこに住む者はいなくなれ。」また、「その務めは、ほかの人が引き受けるがよい。」そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人となるべきです。』」
イエス・キリスト御自身がお選びになった十二使徒の一人であったイスカリオテのユダが、なぜその場にいなかったのかということについては、今日の個所以外に詳しい説明が出てくるのは、マタイによる福音書27・3~10です。読むとつらくなるような個所ですが、とにかく読んでみたいと思います。
「そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、『わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました』と言った。しかし彼らは、『我々の知ったことではない。お前の問題だ』と言った。そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。」
この個所は、読んでも全くほっとしません。安心できません。つらくなるばかりです。
それでも、ユダが自分の裏切りによってイエスさまに有罪判決が下ったので「後悔した」と書かれている点には少し心が動きます。しかし、そこで彼が考えたこと、行動に移そうとしたことは、いただけません。
「銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとした」というのは、どうでしょうか。返せば済む、とでも思ったのでしょうか。そのような考え方にこそ問題があるのではないでしょうか。
そもそも、ユダの問題は何でしょうか。お金を受け取ったことが悪かった。お金を受け取らなければよかった、というようなことでしょうか。お金を受け取りさえしなければ、何をしてもよいのでしょうか。そんなことはないはずです。
ユダの問題は、イエスさまを裏切ったことでしょう。イエスさまご自身によって使徒として選ばれて以来、共に愛し合う交わりの関係の中に置かれてきたのです。その愛をユダは裏切ったのです。イエスさまがユダを心から愛しておられた、その気持ちをユダは踏みにじったのです。
だから、はっきり言えば、お金を返そうとしたなどというのは、どうでもよいことです。情状酌量の材料にはなりません。それはいわば、万引きした子どもが「返せばいいんだろ」とか「金を払えばいいんだよね」と言って開き直っているようなものです。
そもそもユダが犯した罪は何なのでしょうか。ユダの裏切りによって傷ついているのは、だれでしょうか。イエスさまではないのでしょうか。そのことにユダは気づかないのです。人の愛や親切を全く理解できないのです。人の心の中をおもんぱかることができる想像力が、根本的に欠落しているのです。
聖書の中に、イスカリオテのユダに対する同情的な見方は、どこを探しても見当たりません。私自身の中にもユダに対する同情は、ありません。
このユダといつも比較されるのは、使徒ペトロです。ペトロは三度、イエスさまのことを「知らない」と言ってしまった後、鶏の鳴く声を聞いて、イエスさまの言われた言葉を思い出して後悔し、激しく泣いたのです。
ユダと違って、ペトロは、イエスさまの心の中にあるものを深く読み取ることができたのです。イエスさまは、このわたしペトロを、心から愛してくださっている、ということに気づくことができたのです。
わたしたちも弱い人間です。しかし、ユダの道に進むことはできません。イエスさまを裏切る罪を犯してしまったとき、立ち返る道は、ペトロの道であるべきです。
「そこで人々は、バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人を立てて、次のように祈った。『すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。ユダが自分の行くべき所に行くために離れてしまった、使徒としてのこの任務を継がせるためです。』二人のことでくじを引くと、マティアに当たったので、この人が十二人の使徒の仲間に加えられることになった。」
人事のクライマックスは、選挙です。ユダが欠けた穴をだれかが埋めなくてはならなくなりました。
イエスさま御自身が、使徒職の定員を12名とお定めになったのです。それはイスラエル十二部族の数と一致していると言われます。そのため、欠員1名の補充選挙が行われることになったのです。
選挙の方法は、二人の候補者を立てた上での、くじびきでした。なぜそのような方法を用いたのかについての説明はありません。
考えられることは、くじびきは、旧約聖書の時代からイスラエルで広く用いられていた方法であるということです。
また、もう一つ考えられることは、とくに小さな団体の場合、多数決などを行って無理やり勝ち負けの白黒をはっきりつけてしまいますと、団体そのものが分裂・崩壊してしまう場合がある、ということです。もしかしたら、そのような配慮もあったのではないか、というあたりのことです。
「くじびきだからでたらめである」というわけではありません。くじびきも立派な選挙の方法です。
選挙の結果、マティアが新しい使徒に就くことになりました。これで十二人体制の使徒職が復活しました。
教会の人的土台がすえられたのです!
(2007年2月11日、松戸小金原教会主日礼拝)
2007年2月4日日曜日
「キリストの昇天」
使徒言行録1・6~11
「さて、使徒たちは集まって、『主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか』と尋ねた。」
弟子たちがこのような質問をしたのは、彼らがイエスさまとはどういうお方であるのかを誤解していたからである、と考える人々がいます。
イエスさまは本来、イスラエルという国を建て直すというような政治的な次元の働きをする政治的な指導者ではない。ところが、弟子たちは、ここに至ってもまだ、イエスさまのことを政治家だと思っていたので、このようなとんちんかんな質問をしているのだ、という見方です。
しかし、そのように考える必要は、全くありません。それが、わたしたちの結論です。イエス・キリストの罪の赦しの福音は、必ずや、わたしたちの日常的・文化的・政治的・社会的次元にも及ぶからです。一人一人の人間の魂が罪の中から救われることなしに国家の再建などありえません。
逆はあります。救われた一人一人こそが、国家が立て直すことができる力を与えられているのです。それは昔も今も同じです。わたしたちは政治嫌いになるべきではありません。イエス・キリストは、「イスラエルのために国を建て直してくださる」お方なのです。
私が重要と考えるのは、弟子たちが復活されたイエスさまのお姿を見て非常に驚いたという点です。いまだかつて見たことがないものを見たのです。まさに前代未聞の出来事が起こったのです。彼らの常識は全く根底から覆されてしまったのです。
ですから、考えられることは、イエスさまに対する彼らの質問は、驚きのあまり口から飛び出した言葉ではないかということです。死は人類の最後の敵です。死人の中から復活されたこの方は、死をも滅ぼす物凄い力をもっておられるのです。そのような力の持ち主であるお方が、われらの国イスラエルを建て直してくださるに違いない。そのように彼らが信じたとしても、不思議ではありません。
ただし、です。この後のイエスさまのお答えが、弟子たちの質問の内容を、ある意味で打ち消しておられるということも否定できません。問題は、イエスさまが弟子たちの質問のどの部分を打ち消しておられるのかです。イエスさまのお答えを読んでみましょう。
「イエスは言われた。『父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。』」
第一に、イエスさまのお答えには、弟子たちがイスラエルを立て直す“時”(カイロス)や“時期”(クロノス)についての質問に対する応答の側面があります。
弟子たちが「それはこの時(=今)ですか」と質問したのに対してイエスさまは、それが「今」であるかどうかについては肯定も否定もされないままで、「それはあなたがたの知ることではない」と言われることによって、時期についての言及をお避けになったのです。
しかし、イエスさまのお答えの意図は、それだけではありません。明らかにもう一つの側面があると言わなくてはなりません。第二の側面を理解するための鍵は、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」というイエスさまの御言葉の中に隠されています。
この御言葉からはっきり言えることは、このイエスさまのお答えは、弟子たちの質問の内容とはかなり食い違ったものである、ということです。
弟子たちの質問の中で、イスラエルを建て直す仕事をする役目の人である、と思われているのは主イエス・キリストであるということは明らかです。「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」というわけですから。
ところが、イエスさまのお答えの中では、イスラエルを建て直す仕事をするのは、必ずしもイエスさまではありません。そのようなことは、少なくとも今日の個所では、一言も語られていません。それどころか!
注意深く読みますと、イスラエルを建て直す仕事をするのは、イエスさま御自身ではなく、弟子たちです。「あなたがた(=弟子たち)の上に聖霊が降ると、あなたがた(=弟子たち!)は力を受ける」と言われているのです。
そして、イスラエルの中心地、エルサレムだけではなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、イスラエルという国家的・社会的枠組みを越えて、広く全世界へと出て行き、また地の果てまでも、イエス・キリストの福音を宣べ伝える証人となることが求められているのは、「あなたがた」、すなわち弟子たちなのです!
(使徒言行録においては、まさにこの「エルサレム」→「ユダヤとサマリア」→「地の果て」という順序で福音が前進していく様子が描かれています!)
先週私が強調してお話ししましたことは、人間としてのイエスさまは、今は「不在」であるというハイデルベルク信仰問答にも告白されている真理です。そして、イエスさまの不在の期間は、イエスさまの代わりに聖霊なる神が来てくださる、という真理です。
しかし、です。この真理は誤解を受けやすいものであると私は考えております。誤解を避けるために、ただちに別の言葉に言い換えなければならないものです。それはどのような誤解かと言いますと、不在のイエスさまの代わりに聖霊なる神が来てくださると信じることによって、わたしたち自身は相変わらず何もしなくてもよいと考えてしまう誤解です。
これまでは、イエスさまにすべてを頼っていた。これからは聖霊なる神にすべてを頼る。「聖霊さま」にすべてお任せ。このように考えるのは誤解であると、申し上げたいのです。
イエスさまが弟子たちと共に地上の生涯を送っておられたときは、弟子たちも彼らなりに一生懸命に働いていたとは思います。しかしまた、同時に、かなりの部分においては、イエスさまのお働きを見ていただけであった、ということも否定できません。
教会でも、同じようなことが言えます。とくに開拓伝道の時期には、しばしば、宣教師とその家族、あるいは牧師とその家族、あるいは一部の役員さんたちだけが、一生懸命に働いていて、あとのみんなは見ているだけ、という場合があると言われます。
しかし、そのようにして「見る」期間は、非常に大切なものであると、私は信じます。いわゆる見習い期間です。
最初から何でもできる人はいません。今日長老になった人に明日から説教してくださいとお願いして、それは無理ですと断られても仕方がありません。今日洗礼を受けたばかりという人に明日から長老さんになってください、とお願いするわけには行きません。それは、引き受ける側の問題ではなくて、依頼する側の問題です。そのような依頼は、してはならないものなのです。
しかし、問題はその先にあります。それは、わたしたちすべての人間が体験するお別れの問題です。
最初の宣教師、最初の牧師、最初の長老たちは、いつまでも地上に留まってくれているわけではありません。イエスさまでさえ、天に上られて、今は地上においては「不在」なのです。
その場合に、それでは、だれが教会を支えるのか、だれがわたしたち自身の信仰を支え、信仰生活を支えるのか、と考えてみていただきたいのです。
イエスさまの代わりに聖霊なる神が来てくださるという真理は、ものすごく重要です。しかしまた、そこで同時に言わなければならないことがあるわけです。
それは、その「聖霊」は「あなたがたの上に降る」方であるという真理です。そして、聖霊なる神によって「力を受ける」のは「あなたがた」であるという真理です。イエスさまの代わりに働くのは、聖霊であると同時に、聖霊を受けた弟子たち自身なのです。
わたしたちも同じです。聖霊なる神は、わたしたちの存在の中に注がれ、宿られます。聖霊を受けたわたしたち自身が力を得、わたしたち自身が働きに就くのです。
「こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。『ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。』」
イエスさまとの“お別れ”のとき、彼らは「天を見つめて」いました。ところが、そこにまたしても(!)白い服を着た二人の人(ルカ24・4と同一存在か?)が現われて、非難とも皮肉とも取れるが、実際には励ましとして語られたに違いない言葉を、彼らは、聞くことになりました。
この言葉を非難ないし皮肉と受けとめるか、励ましと受けとめるかは、この言葉を聞くほうの側の人の心の状態によって変わってくるような気がします。
今まさに、天を見つめて立っている人々に向かって「なぜ天を見上げて立っているのか」と問いかけることは「あなたがたは何をやっているのですか。そんなことをしている場合ではないのではないですか」という非難の意図があると、読めなくもないのです。
実際、そうかもしれません。わたしたちには、いつの日か必ず、お別れのときが来ます。しかし、その日がすべての終わりではない、ということが、もっと重要です。
別れのさびしさに傷つき、苦しむことが悪いなどと、そんなひどいことを言うつもりは全くありません。傷ついてよいと思いますし、苦しんでよいと思います。
しかし、です。別れのさびしさを味わった次の日も、陽はまた上るのです。現実の生活が待っているのです。
会社なら、少しくらい休んでも構わないと思います。しかし、わたしたちは人生を休むわけにはいかない。人生をやめるわけには行かないのです。
イエスさまとの“お別れ”の当日、天を見上げて(ぼーっとして)立っていた弟子たちに与えられた言葉は「なぜ天を見上げて立っているのか」というものでした。
あなたがたの見るべき方向は違うのではありませんか、ということです。“上”ではなくて、“前”である。永遠の世界ではなく、時間の世界、地上の世界、現実の世界である。
“上を見上げて”ではなく、“前に向かって”生きていく。そのわたしたちの目に映る地平線上に、まことの救い主イエス・キリストがもう一度、同じ姿で戻ってきてくださるのです。
そのイエス・キリストは、わたしたちの生きるこの世界を、真に新しく造りかえてくださり、究極的な完成へと導いてくださるのです。
それが、わたしたちキリスト者が持ちうる、最大の希望なのです!
(2007年 2月 4日、松戸小金原教会主日礼拝)