2007年3月11日日曜日

「わたしには金や銀はない」

使徒言行録3・1~10



使徒言行録の3章から4章までには、最初の教会の活動の中で起こった、ひとつながりの出来事が記されています。最初は、ほんの小さな出来事でした。しかしそれが、やがて非常に大きな事件へと発展して行きました。
 
今日の個所に記されていますのは、今申し上げました、そのひとつながりの出来事の中の、最初のほんの小さな出来事の部分です。最初に、そこで何が起こったのかを見て行きたいと思います。



「ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った」。
 
ここに登場するのは、イエス・キリストの弟子であり、かつ十二使徒のメンバーだったペトロとヨハネです。この二人は当時、使徒の代表者であり、教会の代表者と言ってよい存在でした。



この二人が、神殿に上って行きました。「神殿」とはエルサレム神殿のことです。「午後三時の祈りの時に」とありますのは、当時のユダヤ教団が定めていたエルサレム神殿での祈祷会の時刻であると思われます。みんなが集まって祈る時刻です。



ペトロとヨハネが、この時刻に神殿に上ったのは、もちろん彼ら自身が祈るためだったに違いありません。彼らはユダヤ人であり、この時点ではユダヤ教徒と呼んでもよい存在であったわけです。彼らはイエス・キリストを信じる人になりましたが、ユダヤ教の習慣、とくに神殿で定時に集まって祈るというような良い習慣に対して、それに大きく逆らってまでキリスト教会としての独自の主張を展開する理由は、少なくともこの時点では、全くなかったと言ってよいでしょう。



しかし、です。ここでふと、考えてみなければならないかもしれないことに、気づかされます。果たして、彼らは本当に、ただ、彼ら自身生粋のユダヤ人として、決まった時刻が来たので、とにかく神殿に出かけなければならないから出かける、というような仕方で動いたのでしょうか。



わたしたちも、教会生活が長くなってきますと、だんだんそんな感じになってくるかもしれません。日曜日と水曜日には、とにかく教会に行く。そうすると決めているから行く。習慣だから行く。それでよいと、わたしは思います。悪いと言いたいわけではありません。



ただ、気になるのは彼らの場合です。この時点に至って彼らがエルサレム神殿に上って行く理由があるとしたら、それは、ただ単にユダヤ教の習慣を踏襲する、という理由だけではないような気がする、ということです。



考えられることは、やはり、なんといっても、新しく誕生したばかりのキリスト教会に加わってもらえる仲間を探しに行く、という動機があったのではないか、ということです。決まった時刻が来ればユダヤ人たちが神殿に集まってくることが分かっている。その時刻に合わせて神殿に行き、そこに集まっている人々に、キリスト教の教えを伝える、という目的をもって出かける、というようなやり方であったかもしれないからです。



そのようなことは一種の勧誘行為とみなされますので、ある意味で慎重に行わなければならないとは思います。しかし、そういうことを、わたしたちは全くしないかというと、そんなことはないはずです。



伝道するとは、仲間を増やすことです。勧誘的な要素が全くないかというと、「ある」と言わなければならないでしょう。引っこ抜いて来るというような強引なやり方は、あまりスマートではないし、嫌がられたり拒否されたりすることをある程度予想しなくてはなりません。しかし、逃げ腰になってはならないのです。



「すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日『美しい門』という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しをこうた。ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、『わたしたちを見なさい』と言った。その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、ペトロは言った。『わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。』そして、右手を取って彼を立ち上がらせた」。



これが、後に大きな事件へと発展して行くことになる、最初の小さな出来事です。それは、ペトロとヨハネの二人が、エルサレム神殿へと入って行く門のそばに「運ばれて来」、「置いてもらっていた」一人の男性と出会い、その男性に対して、一つの強い言葉を語り、また、強く働きかけた結果、その男性の人生が劇的な変化を遂げた、という出来事です。



その男性は生まれつき足の不自由な人でした。聖書には何も書かれていない。そのために、かえって、いろいろと考えてみなければならなくなることがあります。それは、この人を運んで来、置いて行く人々は、どういう人々だろうかという点です。家族だったのか、友人だったのか、あるいはそういうことをする職業の人々がいたのか、などなど。定かなことは何も分かりません。



ただ、ここではっきりしていることがあります。それは、いくらか奇妙に響く言い方になってしまうかもしれませんが、この男性がこの場所に連れてこられることは、この男性の生活を支える収入源を確保するためであった、ということです。別の言い方をすれば、ここに来れば必ず収入を得ることができた、ということでもある、ということです。



この場所は神殿です。そこで宗教が営まれる場所です。そこに集まる人々は、決して悪い意味ではなく真面目な人々であり、善意の塊のような人々であると言ってよいはずです。そこに行けば、必ず何かをもらえる。活の支えとなる収入を得られる。善意からの施しをしてくれる人がいるに違いない。このようなことを、この男性は、期待していたのです。



ところが、ペトロたちの対応は、この人をおそらく驚かせ、またおそらく非常に大きなショックを与えるものでした。



神殿に集まってくる善意の人々からの施しを期待し、その施しによらなければ、自分の生活を続けて行くことができない、と感じていたであろうこの人に対して、ペトロが言い放った言葉は、「わたしには金や銀はない」ということでした。



ただし、この言葉の意味は慎重に解釈されなければならないものです。私が読んだ注解書の解説は、なかなか説得力を感じるものでした。それは、このときペトロたちはお金を全く持っていなかったわけではないのだとする理解です。「わたしには金や銀はない」は、わたしたちも貧しいのだ、という意味ではない、ということです。
それなら、どういう意味なのかといいますと、「わたしには自由に使ってよいお金はない」という意味であるというのです。これは、当時の教会の中での使徒の立場を考えてみると、なるほど、そういう意味かもしれない、と考えさせられるものがある、一つの解釈です。



使徒たちは、教会の中では教える立場であり、その点では、今の教会の牧師と同じです。教会のみんなの献金によって、生活と活動が支えられている、そのような者たちであるという点で、同じです。



その人々が手にしている金銭は、それを手にした時点でその人々のものであるといえば、そのとおりかもしれません。しかし、実際にはどうかといいますと、そのような気持ちで受け取り、我が物顔でそれを自由に使っている人々を、私はあまり知りません。



今に始まったことではありませんが、近頃とみに騒がれていることは、税金の無駄遣いをする役人たちのことでしょう。税金でさえ大騒ぎです。それが献金となれば、なおさらでしょう。そこにはささげる人の心と思いと生活がかかっている。そのことを知る者たちが、受け取りえたお金を、我が物顔で自由に使う、というようなことは、とてもではありませんが、できないことです。



わたしの自由にしてよいお金は、一円もない。教会のみんなの献金で支えられている者たちならば、だれでもそのように感じるものです。ペトロが言っているのは、どうやら、この意味である、と考えることができます。



しかし、です。そう考えるべきであるとしたら、ますますちょっと困った面が出てくるようにも感じられます。どういうことかといいますと、それが教会の献金であればこそ、また、それを受け取っている者であればこそ、そのお金を自分のものとせず、貧しい人々や助けを求めている人々、生活上困っている人々に対して、喜んですべてを提供すべきではないか、という考えを持つ人々もいるからです。



昔の社会主義・共産主義の極端な形は、いつもそういうものでした。教会の牧師の生活のためのお金などは無駄遣いである。そのようなものは、すべて、社会のために、貧しい人々のために用いるべきである。そのほうが、はるかに、世のため・人のために役に立つ。こういう考えは、今日では珍しくないでしょう。



しかし、です。話を聖書に戻します。今私が申し上げたような点で、ペトロたちには、怯むところがなかった、と考えることができます。わたしたちが手にしているこのお金は、教会のみんなのものであって、一円たりとも、わたしたち自身が、自由裁量で使ってよいようなものはないのだ、と言い切ることができました。



お金に困っている人々が最も求めているものは、お金です。それ以外の何ものでもありません。しかし、ペトロたちは、この人にお金を与えることを毅然として拒否したのです。そこに行けばお金がもらえると思っている人に、お金ではないものを与えることが、このわたしたち、イエス・キリストを信じる者たちの務めであると、彼らは考えたのです。



そして、彼らは、その人の右手をつかんで引っ張り上げました。立ち上がらせたのです。かなり乱暴なやり方かもしれません。しかし、彼はとにかく立ちあがることができました。自立することができたのです。



ただし、です。私は、この男性は、甘えていて、自立していない人だから、これくらいの強い言葉を言うなどして、かなり強いショックでも与えないかぎり、立ち直れないのだというような考え方には賛成できません。生まれつきの障がいを持っている人々に対して、同じようなことがなされるならば、そのような態度はひどすぎると言わざるをえません。



そういうことではないのです。ここでペトロたちが目の前にいるこの男性に何とかして伝えようとしていることは、否定的なことではありません。この世にはお金に換えがたいものがある、という、ただこの点だけです。お金で買えないものがある、ということです。お金がすべてであるわけではない、ということです。



イエス・キリストを信じて生きる道は、そういうものなのだ、ということを、彼らは、この人に伝えました。それが伝わったのです。だから、この人は、立ち上がったのです。立ち上がることができたのです。喜びが、彼の体を立たせたのです!



(2007年3月11日、松戸小金原教会主日礼拝)