2006年11月12日日曜日

「泣きながらイエスの後を追う」

ルカによる福音書23・26~31



今日の個所を読みまして、安心とまでは言えませんが、ほんの少しだけですが、気持ちが落ち着くものを感じることができました。それは、わたしだけでしょうか。



「人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。」



今日の個所に記されていることは、イエスさまが十字架にかけられるゴルゴタの丘までの道には、大勢の人がいた、ということです。そこは人が誰もおらず静まり返った中を、一人イエスさまだけが、苦しみの道を歩まれた、というわけではない、ということです。



加えて、イエスさまの姿を見て「嘆き悲しむ」人々がいた、ということも分かります。つまり、その日のエルサレム、イエスさまの周りには「イエスを殺せ、バラバを釈放しろ」と騒ぎ立てた人々だけがいたわけではない、ということです。



なんとなく気持ちが落ち着く、と申し上げましたのは、そこにいたのは凶暴な殺し屋のような人々だけではなかったことが、分かるからです。苦しみに満ちたイエスさまのお姿を見て、悲しみという感情を持つことができる、流す涙をもっている、人間の心を持っている人々がいるということが、分かるからです。



これと異なるのは、ヨハネによる福音書です。ヨハネは、イエスさまの周りにはキレネ人シモンや大勢の婦人たちがいた、というようなことは何も書いていません。それこそ、他に誰もいない道を、ただひとりイエスさまだけが、御自分で十字架を背負いつつ歩いておられるようなイメージが浮かびます。



そのヨハネが「イエスは、自ら十字架を背負い」(19・17)と書いています。ところが、ルカによる福音書は、またマタイとマルコも、イエスさま御自身が十字架を背負われた、とは書いていません。ヨハネ以外の三つの福音書は、イエスさまの十字架を背負ったのは、キレネ人シモンという人であるとしています。



どちらが正しいのかという議論は、わたしは苦手です。処刑台としての十字架は非常に重い木材であったと考えられます。嫌な話ですが、それは一人の人間の重さに耐えるだけの強さをもつ木です。



木造住宅の建築現場をご覧になったことがある方、あるいは実際に材木を背負ったことがある方ならば、ちょっとした材木でもその重さや太さや堅さがどれほどかを、ご存じでしょう。



夜通し拷問され、食事も水も口にできず、ひどい裁判を受けておられたイエスさまが、重い木材を運ぶことがおできにならなかったとしても、当然です。



ヨハネ福音書と他の福音書の違いについては、両方とって、十字架の前のほうをイエスさまが担ぎ、後ろのほうをシモンが担いだとか、最初はイエスさまが担いでおられたが、途中からシモンが交代したとか、いろんな可能性を考えることができるかもしれません。いずれにせよ、わたしたちには、書いてあることしか分かりません。



ただし、です。安心とまでは言えない、とも先ほど申し上げました。もちろん、わたしたち自身の苦しみとイエスさまの十字架の苦しみを単純に比較することはできません。しかしそれでも、わたしたちにも分かると言える部分もあります。わたしたちだって、けっこう毎日苦しい思いをしながら生きているからです。



そのわたしたち自身の苦しみを考えるときに、イエスさまの十字架までの道は、だれもいない寂しい道であったと考えるのか、それとも、そこにはたくさん人がいて、悲しみの涙を流す人もいたと考えるのかで、大きな違いが出てくるようにも思います。



とくに考えさせられることは、どちらのほうがより苦しみが大きいかということです。人によって違うかもしれませんが、なかには、だれもいないところで一人で苦しむほうが楽である、と感じる人々も、決して少なくないのではないかと、わたしは思います。



わたしたち人間の心は複雑にできています。わたしの周りには、たくさんの人がいる。わたし以外のみんなのことが、幸せそうに見える。その中で、わたしひとりだけが、なぜ苦しまなければならないのか。そのようなことを、わたしたちは、必ずと言ってよいほど考えるのです。



今、わたしのために涙を流してくれている人々も、心の中では別のことを考えているかもしれないとも、必ず考えるでしょう。素直でないとか、うがった見方、とばかりは言えないはずです。



人の中にいることは、つらい。地獄にいるように感じる、という人がいます。多くの人々に囲まれていることばかりが、幸せではないのです。



多くの人々の只中でひとりで十字架の苦しみを耐えることのほうが、自分一人で苦しむことよりも、つらいかもしれないのです。



「イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。『エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子どもたちのために泣け。人々が、「子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ」と言う日が来る。そのとき、人々は山に向かっては、「我々の上に崩れ落ちてくれ」と言い、丘に向かっては、「我々を覆ってくれ」と言い始める。「生の木」さえこうされるのなら、「枯れた木」はいったいどうなるのだろうか。』」



泣きながらイエスさまの後を追いかけている多くの女性たちに向かって、イエスさまがおっしゃったことは、「わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子どもたちのために泣け」ということでした。これはもちろん、イエスさまの本心からのお言葉であった、と言わなければならないでしょう。



イエスさまは、ある意味で(ある意味で!)、泣いているその人々を、批判されました。その涙の意味は違うでしょうということを、おっしゃいました。涙の流しどころが違うのではないかと。かわいそうなのは、このわたしではない。かわいそうなのは、あなたがたのほうである、とおっしゃっているのです。



ただし、このイエスさまは、腹を立てておられるわけではなく、怒っておられるわけではなくて、また意地悪を言っておられるのでもなく、本心から女性たちの心配をしておられるのです。また、そこにいた女性たちから将来生まれるであろう、子どもたちの心配をしておられるのです。



なぜ心配をしておられるのか、その理由は、はっきりしています。イエスさまが、つい先ほどまでおられ、ひどい目に合わされていた場所に集まっていた人々、すなわちユダヤの最高法院の人々(祭司長、律法学者、長老など)、そしてまた、ローマ総督ポンティオ・ピラト、ユダヤの領主ヘロデ、この人々が全くでたらめだったからです。



このような全くでたらめな人々が支配している国は必ず行き詰るであろう、滅びるであろう、ということを、イエスさまは、おっしゃっているのです。



イエスさまが語っておられるのは、神の民イスラエルの住むこの国も、エルサレム神殿も、滅び、焼き尽くされる日が来る、ということの予言であり、予告です。



山に向かって「われわれの上に崩れ落ちろ」とか、丘に向かって「われわれを覆え」と言うのは、わたしたちを殺してくれ、という意味でしょう。人生に絶望し、この苦しみの日々が続くくらいなら、この人生を早く終わりにしたい、終わらせてくれ、と願う人々が多くなる、ということの予言です。



「生の木」と「枯れた木」の意味は、必ずしも明快に分かるとは言えないものですが、考えられることは、「生の木」とは神の民イスラエルのこと、「枯れた木」とは異邦人のことではないか、というあたりです。



神の民イスラエルは、神の言葉を委ねられた特別に選ばれた人々です。信仰のいのちを与えられた人々です。その人々でさえ、つまり、“いのちの水をたくさん含んだ燃えにくい生木”にさえ火が放たれ、焼き尽くされてしまうのに、まして“燃えやすい枯木”の場合は、どうなるのか。たちまち燃え尽きてしまうだろう、という意味ではないかと考えることができます。



つまり、イエスさまは、これから十字架の上にかけられて死ぬ・殺されるという直前にあって、考えておられたこと、心配しておられたことは、御自身のことではなかった、ということです。イエスさまは、目の前にいる人々についての心配であり、この国の人々、神の民と異邦人の運命であり、この地上の世界の歴史と将来を、心配しておられるのです。



イエスさまは、命乞いをするようなことは、一切なさいませんでした。しかし、絶対に誤解していただきたくないことがあります。イエスさまは、御自分の命を粗末にしておられるのではない、ということです。死んでも構わないとか、命など惜しくないとか、この地上の人生などどうだっていいのだ、というようなことを、考えておられたわけではないのです。そのようなことではないのです。命乞いをしないことと、自分の命を軽く考えることは、全く違います。



そうではなくて、イエスさまは、御自身の命をかけて、その国に生きている人々の将来を心配しておられるのです。そして、自分の罪を悔い改めること、神を信じること、信仰によって生きることの意味を、最期まで、語り続けられたのです。



わたしたちにイエスさまと全く同じことができるわけではないかもしれません。しかし、そういうことは、わたしたちにも、ある程度までは、できるのだと思います。



もちろん、わたしたちは、自分の命を大切にしなくてはなりません。今にも殺されそうだというときに命乞いをすることは、わたしたちには許されていることであり、必要なことでもあるのではないかとさえ、わたしは思います。



しかし、その面と同時に考えなければならないことがあります。それは、わたしたちの命には、限りがある、ということです。すべての人は、いつかこの世を去らなければならない、ということです。



そして、その場合に、です。「わたしは、どのみちあとわずかで死ぬのだから、他人のことを考えたり心配したりしている暇はない。自分のことだけで精一杯である」というふうに考えるのか。



それとも、「残されている時間は残りわずかであるからこそ、その短い時間を、共に生きている人々を愛し、心配し、また世界と人類の将来について深く考え、祈ることのために、ささげよう」と決心するのか。



ここに大きな違いが出てくると思うのです。



後者の決心は、イエスさまにしかできないことではなく、このわたしたちにも、できることです。のこされる人々のことを愛すること、心配することは、わたしたちになしうる最後にして最良の奉仕なのです。



また、自分の国がでたらめな人々によって支配されていることを心配する思いもまた、イエスさまだけではなく、昔から今日に至るまで、多くの人々が抱いてきたものでもあります。



自分が世を去るときに、次の世代ないし時代の人々のことを心配すること。



人類の歴史、世界の将来をおもんぱかる、という思い。



これは、非常に高邁なものです。



このようなことを、自分の人生の最期に考え語ることができるかどうか、というあたりで、急に心もとなくなってしまうのも、わたしたちです。



実際は、何も分からない状態になってしまうかもしれません。しかし、神さまにお委ねしましょう。



わたしたちの最期の日に、この心の中に、人のことを思いやる気持ち、心配する気持ち、また、願わくは“愛”が残っていることを、祈り求めようではありませんか。



そしてまた、神さまを見上げ、信じる思い、“信仰”が残っていることを、祈り求めようではありませんか。



十字架に向かって歩まれるイエスさまのお姿を思いながら考えさせられるのは、このようなことです。



(2006年11月12日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年11月5日日曜日

「十字架がなぜ救いか」

ルカによる福音書23・13~25



今日の個所に記されているのは、わたしたちの救い主、イエス・キリストが、十字架につけられる日の朝、ローマの総督ポンティオ・ピラトの前で、裁判を受けておられる場面です。その裁判は明らかに不当な裁判であったことが分かるように記されています。



「ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、言った。『あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。』しかし、人々は一斉に、『その男を殺せ。バラバを釈放しろ』と叫んだ。このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。しかし人々は、『十字架につけろ、十字架につけろ』と叫び続けた。ピラトは三度目に言った。『いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たるような犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。』ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方を彼らに引き渡して、好きなようにさせた。」
 
今日の個所から分かる重要なことが、いくつかあります。



第一に分かることは、イエスさまの裁判の裁判長となったポンティオ・ピラト自身が、被告人としてこの法廷に引き出されているイエスさまのことを「この人は無罪である」と確信している、ということです。



第二に分かることは、このイエスは無罪であると確信しているピラトの思いは、彼自身が心の中で密かにそう思っていただけのことではないということです。



このピラトの思いは、最高法院という当時のユダヤのまさに最高裁判所(最高法院)で、そこにいたすべての人々の前で、また彼自身は最高裁判所判事の立場で、まさに公の人間として公の場所で、そして騒然とした場所の中でもみんなの耳に聞こえるほどの大きな声で、発言されたことである、ということです。



政治家や法律家の場合、あるいは学校や教会の教師たちの場合も同じであると思いますが、その思想が、その人の心の中で思い描かれているだけか、それとも、それが公の場所で実際に発言されたことかの違いは非常に重要です。ピラトは、ぼそぼそ独り言を言っているわけではありません。公の発言として「この男は死刑に当たるようなことは何もしていない」と認めたのです。



しかし、それにもかかわらず、です。第三に分かることは、そのピラトの公の発言が、その法廷にいた多くの人々の声によって否定され、くつがえされ、ピラト自身が撤回することを余儀なくされたのだ、ということです。



そして、第四に分かることは、その法廷にいた多くの人々は、具体的にはどういう人々であったか、ということです。それが13節に書かれています。「祭司長たちと議員たちと民衆」です。宗教者たちと、政治家たちと、一般国民です。通常は“善良な一般市民”と呼ばれてもよい人々です。



その人々が声を合わせて、「イエスを殺せ。十字架につけろ」と叫んだのです。そして、暴動と殺人を犯して投獄されていたバラバを釈放しろ、とも言ったのです。



これで分かることは何でしょうか。ここから先は、わたしたちの想像力が問われます。わたしが考えたことは、次のことです。



裁判長自らが無罪であると確信しているイエスさまが一般市民の声によって、この世界の中から追放され、抹殺されようとしている。かたや、客観的な犯罪に手を染めた人物が、これまた一般市民の声によって、無罪放免にされようとしている。



それが意味していることは要するに、天と地がひっくり返っている、ということです。正義が不義とされ、不義が正義とされている。逆立ちしている状態です。倒錯(とうさく)という言葉が当てはまります。



しかも、間違いなく重大であると言わざるをえないのは、この場所が最高法院であるということです。それはまさに最高の法廷です。その国の最高の法の番人たちが住んでいる場所です。つまり、イエスさまの裁判において問題になっていることは、その国の法律であり、まさに国家存立の基盤そのものである、ということです。



ただし、です。ここでちょっと注意しておかなければならないことがあります。それは、このイエスさまの裁判の場所に集まっている「祭司長たちと議員たちと民衆」に関して、実際にはどれくらいの人数を想像すればよいのかということです。



具体的な人数は、どこにも書かれていません。しかし、最高法院を構成していた正議員は七十人であったという点が参考になると思います。もう少し正確に言えば、最高法院には七十人に加えて一人ないし二人の議長がいたと言われますので、七十一人ないし七十二人という数字になるかもしれません。



しかし、そのような細かいことは今の問題ではありません。だいたい七十人の人々が、正議員席に座っていた。



具体的な数が把握できないのは「民衆」です。「民衆」と呼ばれている人々が最高法院においてどのような位置づけにあったのかは分かりません。



ただし、です。この個所に記されていることを注意深く読みますと、ここにいる「民衆」は、ピラトが“呼び集めた”人々であることが分かります。



つまり、ユダヤの国内や外国からエルサレム神殿に参拝しにきて、面白半分に、最高法院の裁判のほうもついでに見物してみようかという感じで集まって来た野次馬、という感じでもない。裁判長ピラト自ら“呼び集めた”(招集した)人々という意味で、正当な参加資格を持っていた人々ではないかと考えられるのです。



イエスさまの時代のユダヤの国に、現代の陪審員制度のようなものが存在したとは考えにくいことですが、一般人を正規の法廷に陪席させていたことが分かるという点で、興味深い記事であると思います。



しかも、最高法院の会議ないし法廷が開かれる場所はエルサレム神殿の境内地内にある「方石の廊」であったと言われています(『旧約新約聖書大事典』教文館の「議会」の項)。



「廊」とは廊下のことです。ロビー、もしくは通路のことです。そこがどれくらいの広さだったのかなどは、分かりません。しかし、最高法院の正議員七十人と、その他の陪席者を合わせて百人も入れば一杯、二百人などは入ることができないような場所ではなかっただろうかと、わたしは想像するのです。



わたしがどの点にこだわっているのかを申し上げます。



イエスさまの裁判の場所にいた人数として想像できるのは、せいぜい百人、多くても二百人くらいだったのではないかと、わたしは考えます。それが意味することは何か。



たかだか百人、二百人の張り上げる大声で、ということはつまり、ユダヤの国の中ではごくわずか、まさに一握りの少数者の声で、ピラトは、自分の確信することを曲げた結論を出したのだ、ということです!



ローマから派遣されてきた総督として、いくらか第三者的な立場にあったにせよ、ユダヤというこの国の統治を任され、法の番人としての役割を与えられていたにもかかわらず、です。



彼は、自分の確信を投げ捨て、「無罪である」と一度は公に宣言した人を死刑に定める決定をしてしまったのだ、ということです。これは、全くとんでもないことです。



これで分かることは、ピラトの目線は、一般国民のほうに向いていたのではなく、目の前に座っている少数の政治家たちや、少数の宗教家たちのほうに向いていた、ということです。



もっとはっきり言うならば、ピラトの関心は、社会の正義と公平が守られることではなく、自分自身の立場と、ごく一部の特権階級にある人々の利益を守ることだけだった、ということです。



「それこそが政治家だ」と考えるか、それとも「そんなのは政治家失格だ」と考えるかは、人それぞれかもしれません。



そして、そのことのためなら、ピラトは、無罪の人を死刑に定められることさえ許してしまうほどに、軟弱で、風見鶏的で、事なかれ主義的な人であった、ということです。



そして、次のことが明らかです。白いものが黒いとされる。黒いものが白いとされる。そのようなことを語りかつ実行する人々に支配されているような国や社会は、必ずや行き詰まり、崩壊し、滅び去るであろう、ということです。



わたし自身は、大きなことを言える立場には全くおりません。しかし、あえて言わせていただくならば、“法の番人”と呼ばれるような人々に言いたいことがあります。それは、自分が語った言葉に、もっともっと、命をかけてほしい、ということです。



自分の言葉に命をかけることが求められる点では牧師も同じかもしれません。「牧師は命をかけて説教しているのだ」と、吉岡繁先生が教えてくださったとおりです。吉岡先生の言葉には続きがありました。「だから教会の皆さんも命をかけて説教を聴いてほしい」と。



しかし、実際にはそのようになっていない現実があるのかもしれないと言わざるをえません。



言葉が軽すぎるのではないか。



そのことを、よく反省してみなくてはなりません。



命をかけて語るというには、程遠い現実があるのではないかと。



「十字架がなぜ救いか」。このことを皆さんと一緒に考えたくて、今日の説教のタイトルにしました。ただし、わたしの意図は、かなり逆説的です。



この悲惨そのもの、表現できないほどの人間のおぞましさ、軽薄で、単純で、取り返しのつかない罪の結果としての、あの“十字架”が、です。



何の罪もないどころか、多くの人々を愛してくださり、救いのみわざを行ってくださり、慰めと励ましの言葉を語ってくださったお方、わたしたちの救い主イエス・キリストを死に追いやった、あの“十字架”が、です。



あの十字架、あの十字架が、なぜ「救い」であると言えるのかと、問いたいのです。



今日は、その問いに対する十分な答えを語るだけの時間は、もはや残されていません。そもそも答えなどあるのか、と言いたい気持ちもあります。しかし、ただ一つの点だけ、最後に申し上げておきます。



それは、イエス・キリストがかけられている十字架の像を思い巡らすとき、わたしたちが感じることは、「このわたしは、十字架の上にはいない」ということです。



また、ピラトもいないし、祭司長や律法学者たちも、十字架の上にはいない。イエスさまの弟子たちもいない。



ただひとり、イエスさまだけが十字架の上におられるのです。まさに文字どおり、言葉どおりに「わたしたちの身代わりに」イエスさまは死んでくださったのです。



つまり、これは、まさに文字どおり、言葉どおりに「命をかけて」御言葉を語り、愛のみわざを実行してくださったのは、イエスさまだけである、ということに他なりません。



だれにもできないことを、イエスさまが「身代わりに」してくださる。だからこそイエスさまは、“わたしたちの救い主”であられるのです!



とはいえ、もちろん、だからといって、それは、わたしたちがこれからも反省なく軽い言葉を語り続けてもよい、という言い訳の根拠ではありえないでしょう。あるいはまた、白いものを黒と、黒いものを白と言い張るような偽りの判断を、黙って見過ごしにすることは、できないでしょう。



しかし、です。「わたしたちには罪があり、限界がある」ということを、深く知ることができるのも、イエスさまの十字架を見上げるときです。



わたしたちは、自分の罪と限界を知るときにこそ、初めて、真の謙遜の道を知ることができ、また「わたしには救い主が必要である」ということを知るのです。



反対に、自分の罪と限界を知らず、その意味でまさに“恥を知らない”人々、謙遜さを忘れた人々が権力の座につくとき、国と社会がメチャクチャになるのです。



「十字架が救いである」と語りうる瞬間は、わたしたちが真の謙遜を自覚すべき場面で訪れるでしょう。



イエスさまが十字架についてくださったおかげで、「真の謙遜とは何か」ということを知ることができるようになったのです!



「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(ルカ14・11)。



イエスさまのこの約束は、永遠に守り抜かれるでしょう。



(2006年11月5日、松戸小金原教会主日礼拝)



【追記】



上の説教の内容に関して、ある方から、たいへん貴重なご指摘をいただきました(指摘をいただけること自体、とても有難いことです)。



わたしは、ピラトがイエス・キリストに死刑を言い渡した場所について、それが“方石の廊”という最高法院の議場であったかのように受け取れることを、たしかに申し上げました。



しかし、その場所はヨハネ福音書19・13に基づいて「ガバタ(敷石)」であった、と語るべきではなかったでしょうか。当時のユダヤ人たちは、ある程度の自治権を与えられていました。もしユダヤ最高法院(サンヘドリン)の議場にローマ総督ピラトが足を踏み入れたとしたら、ユダヤ人たちは暴動を起こしたのではないでしょうか、というご指摘でした。



このご指摘は、ごもっともです。誤解を生むようなことを語ったことは、お詫びしなくてはなりません。



ただし、わたしの意図はイエスさまの裁判が行われた(地理的・考古学的な)場所を特定することではなく、別のところにありました。



その意図をご説明しましたところ、その方は、だいたい納得してくださいました。



その方へのお返事は、以下のとおりです。少し長いものですが、ご参考までに、公開用に編集したうえで、皆さまにもご紹介いたします。



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○○○○様、貴重な御意見をいただき、本当に感謝です。



一応、当方の弁明を申させてください。以下のとおりです。



(1)四福音書の比較について



何といいかげんな、と思われるかもしれませんが、わたしの基本的な説教理解においては「四福音書の比較」ということに、あまり重きを置かない、という点があります。



それは、もし四福音書の間に矛盾が見つかっても、そのまま放置する、という態度です。



「マタイ福音書に基づくイエス伝」と「マルコ福音書に基づくイエス伝」と「ルカ福音書に基づくイエス伝」と「ヨハネ福音書に基づくイエス伝」は、内容が違っていて当然である、と考える立場です。



「違っている」と指摘された場合は、「違っていますねえ」と言って笑うだけ、という態度です。いいかげんと言えば、これほどいいかげんな話はないのかもしれません。



少し理屈っぽい言い方を許していただきますならば、「テキストの背後の歴史的事実には、できるだけ立ち入らない」という考えです。



そして、強いて言うならば、テキストに書いてある“文字”を重んじるということを心がけているつもりです。「書いてあること」以上のことは、“想像力”の範疇にある、と考えています。



ただし、これはあくまでも、自分の説教の場合の話です。他の教師や長老が行う説教において「四福音書の比較」がなされている場合には、最大限に尊重します。



その比較自体が間違っているとも思いません。わたしは、それをあまりしない、というだけのことです。



(2)“比喩”としての「最高法院」



このたびの説教において、わたしは、たしかに、“裁判長ピラト”が“最高法院の議場”で「イエス死刑」の宣告をしたかのように、語りました。そのことを認めます。



ただし、それは、ルカ福音書を共に開いているわたしたちが、ここに書かれていることを読むかぎりにおいて想像しうる範囲内で考えると、こうなる、というくらいの気持ちでした。



ルカ23・13でピラトが「祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めた」“場所”は、ルカには明記されていません。強いて特定しようとするならば、「ピラトのもと」(23・1)と書かれているのが、その“場所”でしょう。



もちろん、わたしは、昨日、最高法院の会議が行われた場所として「方石の廊」という具体的な“場所”の名前を言いました。それは、拙かったかもしれません。



しかし、わたしが強調したかったことは、「方石の廊」というような地理的な場所の問題ではなく、「ピラト」という権威を与えられた一人の人間の“もと”に集まった人数は、どれくらいだったのだろうかという、この点だけでした。



その人数は、たぶん、せいぜい100人か、多くて200人くらいだったのではないか、というこの点だけが、わたしの関心事でした。それくらいの人数しか入れない場所だったのではないか、という想像力を働かせてみたにすぎません。



“ピラトのもと”が、実際の最高法院の議場だったのか、それともピラト官邸だったのか。もしどちらかを選ばねばならないとしたら、四福音書の比較に基づいて「ピラト官邸」である、というべきだったかもしれません。



しかし、“ピラトのもと”に「祭司長たちと〔最高法院の〕議員たちと民衆」が“呼び集められ”(招集され)、そこでピラトが「彼らの要求をいれる決定を下した」(23・24)ことが、“事実上の”結審になったように、“ルカは”書いています。



その結審が言い渡された場所が「方石の廊」であったか、それとも「ピラト官邸」であったかはともかく、“事実上の最高法院”(「その国における最高かつ最後の裁判が行われた場所」という意味で)であった、という読み方を、わたしはしたのです。



つまり、わたしは、一種の“比喩”として「最高法院」という言葉を用いたのです。



(3)「ガバタ」はどこか



わたしが「四福音書の比較」に重きを置かないようにしていること、また、「テキストの背後の“歴史的事実”」には、できるだけ立ち入らないようにしていること、の理由を申し上げておきます。



この二つの点(四福音書の比較、テキストの背後の“歴史的事実”)は、結局のところ、どこまで行っても“考古学”の問題になるからです。



考古学は、夢とロマンの結晶です。大いに参考になることがありますし、たいへん興味深いことばかりではあります。



しかし、それは参考以上のものではないし、どこまで行っても仮説の域を越えるものではないというのが私の感覚です。



「ガバタ(敷石)」(ヨハネ19・13)がどこなのか、ということ一つ取っても、いろいろな説があり、議論が続いている(この議論には、おそらく終わりがない)と言われています。



まさか、わたしは、自分が説教で語った「方石の廊」こそが「ガバタ(敷石)」である、ということを言い張ってみようというつもりは、毛頭ありません。



そうではなく、“仮説の上に説教の根拠を置くことはできない”と考えているだけです。



ともかく、ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。



(2006年11月6日記す)



2006年10月29日日曜日

暗き世に輝く光

ルカによる福音書22・63~23・12



わたしたちの救い主イエス・キリストは、十二弟子の一人であったイスカリオテのユダに裏切られ、また一番弟子であったシモン・ペトロから三度も知らないと言われて、全くの孤独のうちに、十字架への道を歩みだしました。



イエスさまがユダヤ人たちの手に引き渡され、最初に連れて行かれた先は、最高法院(サンヘドリン)でした。



今日お読みしました最初の段落に記されているのは、最高法院の法廷に引き出される前に、イエスさまが、見張り番たちによって侮辱されたり殴られたりした場面です。



「さて、見張りをしていた者たちは、イエスを侮辱したり殴ったりした。そして目隠しをして、『お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ』と尋ねた。そのほか、さまざまなことを言ってイエスをののしった。」



ここに出てくる一連の出来事が、正確な順序どおりに記されているかどうかは、分かりません。分かりませんので、書かれているとおりに説明していくほかはありません。



見張り番たちは、まずイエスさまを言葉で侮辱したり、こぶしで殴りつけたりしました。一人のイエスさまを、複数で痛めつけました。



そのあと「目隠し」をしました。これは、イエスさまの頭の上から袋をかぶせたという意味です。紙の袋なのか、それとも布の袋なのかは分かりません。とにかく、イエスさまの目をふさぐことが目的で、袋をかぶせました。



そして、おそらく、また殴ったのです。だからこそ彼らは「お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と言いました。これは、「イエスよ、お前なら、それくらいことはできるだろう」という意味だと思います。お前は自分のことを神の子だとか救い主だとか言っているらしいではないか。それなら、だれが殴ったかくらいのことは分かるだろう、という意味でしょう。



垣間見ることができるのは、彼らの神理解です。あるいはまた、それは彼らの宗教理解であると言ってもよいかもしれません。



目隠しされていても自分を殴った相手がだれかを言い当てることができる。それがその人の神であることの証拠である、という神理解です。もし全知全能の神であるならば、そういう“超能力”を持っているはずだと考える神理解です。宗教とは、その種の“超能力”を信じることである、という宗教理解です。



そして、それを反対から言えば、もしだれが殴ったかを言い当てることができなかった場合は、神ではないことの証拠になるのであり、また偽の宗教であることの証拠になる、という考え方でもあるということです。



これを何と言えばよいのでしょうか。なんとも表現しがたいものがあります。わたしの心に浮かぶ言葉は「くだらない」の一言です。彼らはサディスト以外の何ものでもありません。少しは恥を知るべきです。



しかし、実際の場面でそういうことは、なかなか言えないことかもしれません。子どもたちのいじめの問題が思い浮かびます。ある子どもがいじめられている。その子をかばうと、かばったその子ども自身が今度はいじめの対象になる。だから、だれもかばわない。だれにもかばってもらえない子どもは人生に絶望してしまう。その結末は、悲惨です。



いじめの問題はどうしたら解決できるのでしょうか。根本的な解決策は何かということをみんなで考えているところです。教会が明快な答えを持っているわけではありません。しかし、ぜひ考えてみていただきたいことがあります。



それは、人をいじめることを何とも思わない人は、イエスさまがいじめられている姿をよく見てほしい、ということです。そして同時に、イエスさまをいじめている人々の姿を見てほしい、ということです。彼らの姿が美しいものか、それともみにくいものかを、よく見てほしい。とてもみにくい彼らの姿は、自分自身の姿でもある、ということに気づいてほしいのです。



「夜が明けると、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちが集まった。そして、イエスを最高法院に連れ出して、『お前がメシアなら、そうだと言うがよい』と言った。イエスは言われた。『わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう。わたしが尋ねても、決して答えないだろう。しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る。』そこで皆の者が、『では、お前は神の子か』と言うと、イエスは言われた。『わたしがそうだとは、あなたたちが言っている。』人々は、『これでもまだ証言が必要だろうか。我々は本人の口から聞いたのだ』と言った。」



夜が明けました。その直前に、ペトロが三度イエスさまを否定したあと、朝を告げる鶏が鳴いたわけです。「鶏が泣く前に」というイエスさまの予言は、「朝を迎えるまでに」という意味を含んでいた、と考えることもできるでしょう。



ふと気づかされたことがあります。それは、次のことです。「夜が明けると、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちが集まった」とあります。夜は人が眠る時間です。長老たち、祭司長たち、律法学者たちは、夜の間、ぐっすり眠っていたに違いありません。



ところが、イエスさまには、どう考えても、眠る時間が与えられていません。眠る時間を与えられず、夜じゅう、殴る蹴るの暴行を加えられていた。イエスさまは、ぐったり疲れておられた。かたや、ぐっすり眠って元気を回復してきた人々が、しつこい尋問を行うのです。典型的な拷問のやり方であると思います。



「お前がメシアなら、そう言うがよい」と。そう言いさえすれば、メシアを名乗るうそつき人間としてこのイエスというこの男を訴えることができる、というのが、ユダヤ人の腹です。



彼らがイエスさまの口から聞きだそうとしたことは、「わたしはメシアである」という言葉です。あるいは「わたしは神の子である」という言葉です。それを語ることが罪であるというわけです。真の神を冒涜する罪であり、虚偽を語ること、つまり、うそつきである、というわけです。



しかし、これは困ったことです。まことのメシアであるお方が「わたしはメシアである」と語ることが、うそつきだと言われるならば、どうしたらよいのでしょうか。



単純な比較はできないと思います。しかし、わたしは関口康です。そのわたしが「わたしは関口康である」と語ることがうそつきであると言われるなら、どのように自己紹介してよいか分からなくなります。いや、ニセモノだ。お前は関口康ではない、とか言い張られても、ただ困るだけです。



そのときは、「わたしは関口康である」というこのわたし自身が語る言葉を信じていただくほかはありません。そこで問われていることは「信じること」です。信じてくれない相手に対しては、語る言葉を失うのです。



いわばそれと同じように、と続けることができるでしょう。いわばそれと同じように、イエスさまの場合も、真の神の子であり真のメシアである方が、「わたしはメシアである」とお語りになるとき、それがうそであると決めつけられ、言い張られ、罪人のレッテルが張られなければならないとしたら、どうしたらよいのでしょうか。語るべき言葉を失うのです。



「わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう。わたしが尋ねても、決して答えないだろう」とイエスさまはおっしゃいました。信じない相手の前ではイエスさまは沈黙されます。そういう人々の前で語ることは、はっきり言って、むなしいだけです。



「では、お前は神の子か」という問いに対して、イエスさまが「わたしがそうだとは、あなたたちが言っている」とお返しになったのは、直接的な肯定ではなく、また否定でもありません。「それは、あなたたちが言っていることである」という言葉の裏には、「それは、わたしが言っていることではない」という意味が含まれています。この翻訳は正確であると思います。



このようにお語りになることで、イエスさま御自身が茶化しておられるとか、ふざけておられるわけでもありません。語る言葉がないのです。信仰を持っていないひとの前では、黙るほかはない、という場面があるのです。



「そこで、全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そして、イエスをこう訴え始めた。『この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。』そこで、ピラトがイエスに、『お前がユダヤ人の王なのか』と尋問すると、イエスは、『それは、あなたが言っていることです』とお答えになった。ピラトは祭司長たちと群集に、『わたしはこの男に何の罪も見いだせない』と言った。しかし彼らは、『この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです』と言い張った。」



「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました」と彼らは言いました。



はたして、こういうことを、イエスさまは、いつどこでおっしゃったでしょうか。言っていないことを言っていると言う。「言った・言わない」という話は、たいてい水掛け論に終わります。しかし、イエスさまが「皇帝に税を納めるのを禁じた」などというのは全くのでたらめであることは明らかです。



「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と彼らは言いました。民衆扇動者とは、デマゴーグと呼ばれます。イエスさまはデマを流した人であると、言われたわけです。



しかし、イエスさまが語ってこられたことは、デマでしょうか。



聖書の御言葉に基づく説教は、デマでしょうか。



ひとを罪と悪の縄目から解き放ち、救い出すことは、民衆扇動でしょうか。



何とひどい言い草かと思います。



「お前がユダヤ人の王なのか」と問いかけるピラトに対しても、イエスさまは、「それは、あなたが言っていることです」とだけお答えになりました。イエスさまは、直接的な肯定もされていませんし、否定もされていません。



「これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。ヘロデも当時、エルサレムに滞在していたのである。彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。それで、いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった。祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。この日、ヘロデとピラトは仲良くなった。それまでは互いに敵対していたのである。」



ローマ帝国の支配下にあったユダヤの国には裁判の権利が与えられていなかったために、何か裁判の必要が生じた場合には、ローマ帝国の法治権に訴え出るしかなかったのです。



そして、ローマ帝国の法治権をユダヤの国の中で行使できたのは、ポンティオ・ピラトという総督でした。ローマ人ピラトのもとでイエスさまの裁判が行われることになった事情は、まさにこのあたりにあります。



ところが、ローマ総督ポンティオ・ピラトは、イエスさまの言動に罪らしきものが認められないと感じました。そして、ユダヤ人の問題は自分の手には負えない、と持て余したので、イエスさまをヘロデのもとに送りました。ヘロデはユダヤの国の王だったからです。



ところが、イエスさまは、ヘロデの前では、何もおっしゃいませんでした。そのイエスさまの態度にヘロデは腹を立て、さんざん侮辱した上でピラトに送り返しました。



「この日、ヘロデとピラトが仲良くなった」と書かれています。「それまでは互いに敵対していたのである」ともあります。お互いに敵対しあっていた二人が、この機会に仲良くなった理由は何でしょうか。



かつての敵対関係は、非常に激しいものでした。互いの権力をねたみあっていました。力関係としては、ローマ帝国からユダヤの国に派遣されている総督であったピラトのほうが上、ローマ帝国の属国となっていたユダヤの国の王であるヘロデのほうが下であった、と考えられます。その中で、ヘロデの側はそのような力関係に我慢ができずにいましたし、またピラトの側はヘロデの反抗的な態度を不愉快に思っていました。



ところが、その両者がイエスさまとの関わりあいの中で仲良くなった。その理由ないし原因として考えられることは、次のことです。



ヘロデに対してピラトがイエスさまの扱いを委ねた。そのとき、ヘロデとしては、ピラトが自分の存在を認めてくれた、と感じたのです。自分に敬意を表してくれた、と感じたのです。そのようにしてヘロデは、とにかく、ある種の満足感を得ることができたのです。それが両者の関係改善のきっかけになったのであろう、と考えることができるのです。



かくしてヘロデとピラトが仲良くなりました。ローマ帝国の代表者とユダヤの国の代表者が一時的にせよ、仲良くなりました。イエスさまを苦しませ、十字架にかけて殺すことにおいて、両者が一致しました。イエスさまを、またイエスさまを信じる人々を苦しめ、弾圧し、殺すための権力が一致団結しました。闇の力が結集していった様子が分かります。



その人々の前で、イエスさまは、抵抗なさいませんでした。取り乱すというようなことも一切ありませんでした。静かに、そして冷静に、十字架への道を進んで行かれました。そのイエス・キリストのお姿は、わたしたち信仰者の模範として、まさに“暗き世に輝く光”(讃美歌282の歌詞、宗教改革記念日!)そのものでした。



イエスさまの栄光のお姿を見つめること。



そして同時にイエスさまを苦しみに遭わせる人間の姿を見つめ、その人間の中にわたしたち自身の罪深い姿を見出すこと。



これが重要なことなのです。



(2006年10月29日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年10月22日日曜日

「今日、鶏が鳴く前に」

ルカによる福音書22・54~62



「あなたは三度、わたしを知らないと言うだろう」。そのように、わたしたちの救い主、イエス・キリストは、十字架にかけられる前の夜、最後の晩餐の席で、弟子ペトロに言われました。そのとおりのことが、現実に起こったのです。



「人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペトロは遠く離れて従った。人々が屋敷の中庭の中央に火をたいて、一緒に座っていたので、ペトロも中に混じって腰を下ろした。」



イエスさまは逮捕され、大祭司の家に連れて行かれました。そのあとをペトロがついていきました。「遠く離れて従った」とは、だれにも見つからないようにこっそり尾行した、ということでしょう。そして、屋敷にいた人々の中に混ざって、様子を見守っていました。



ここでわたしは、二つの疑問を投げかけたいと願っています。第一の疑問は、ペトロはなぜ「遠く離れて」従ったのでしょうか、というものです。



答えははっきりしています。もしこの時点でペトロが目立つ行動をすると、イエスさまと同じように逮捕されるからです。ペトロは逮捕されるのが嫌だったのです。だからこそ、「遠く離れて」いたのです。そのように説明することができると思います。



しかし、ここで第二の疑問が湧いてきます。ペトロには実際に逮捕される危険があり、しかも逮捕されるのが嫌だったのだとするならば、彼はなぜ、「遠く離れていた」とはいえ、イエスさまに「従った」のか、という疑問です。



この問いには、模範解答があるわけではありません。しかし、こういうことをじっくり考えてみることが大切です。また、この問題は、わたしたちにとって非常に重要な意味を持っていると感じます。ペトロのとった行動に映し出されているのは、わたしたち自身の姿であると思われてなりません。



「つかず離れず」という言葉があります。これは通常、人間関係の深さや距離感、物事に対する興味・関心の度合いを表す言葉です。あまり深く関わり過ぎないことです。自分の立場や利益やプライドなどに危害や迷惑が及ばない程度の距離をとり、うまく付き合うことです。



この言葉がまさに当てはまるでしょう。イエスさまが逮捕された後、ペトロはイエスさまとの間に「つかず離れず」という距離を保つ態度ないし行動をとったのです。



しかし、わたしは、ここでのペトロの態度を、できるだけ肯定的に理解したいと願っています。「遠く離れて」はいました。しかし、大切なことは、それでもペトロは「従った」ということです。この点は評価できることです。



ペトロの心境の正確なところは、分かりません。居ても立ってもいられなかった、というあたりではないでしょうか。イエスさまについて行かなければならないという思いと、目の前にある迫害への恐怖とが、心の中で葛藤し、戦っている。そんな感じかもしれません。



その葛藤は、わたしたちにはよく分かることです。先週、吉岡繁先生が説教の中でお話しくださいました。日本では、ついこのあいだまで“耶蘇”(キリスト者)になると結婚できないと言われたり、勘当されたり、村八分にされた。それが現実であった。個人の力では、どうすることもできなかった。



現実の壁が立ちはだかるとき、宗教については「つかず離れず」がいいと、考えはじめるのです。



わたしたちは、そういうことを考える人々を、裁くことができません。裁いてもよい人がいるとしたら、それは、「わたしは、そのようなことを、いまだかつて一度も考えたことがありません」と語ることができる人だけです。



大切なことは「遠く離れて」いようとも、とにかく「従うこと」です。ペトロは、この点に関しては、合格しているとまでは言えないかもしれませんが、及第点は取っていると言ってよいはずです。



「するとある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、『この人も一緒にいました』と言った。しかし、ペトロはそれを打ち消して、『わたしはこの人を知らない』と言った。」



ペトロの存在に一人の女性が気づき、騒ぎはじめました。「この人も一緒にいました」。この女性がペトロの姿を、いつどこで見ていたのかは分かりません。考えられることは、イエスさまが「毎日、神殿の境内で」(22・53)説教されていたときです。



イエスさまの隣には、いつもペトロがいたのです。それを多くの人々(群衆!)が見ていたのです。この女性もイエスさまの話を、聞きに行ったことがあるのかもしれません。この人がペトロの姿を覚えていたとしても、当然のことです。



わたしたちの姿も、けっこう周りの人から見られていると思ったほうがよいです。「あの人は毎週教会に通っているのよ」とか、「あら、今日は休んだわね」とか、「最近はあまり教会に行っていないらしいよ」とか。そういうことに、自分は教会に通っていない人々が関心を持っていたりします。よく見ています。面白いものだと思います。



ところが、ペトロは、イエスさまのことを「わたしはこの人を知らない」という言葉で否定しました。「わたしはこの人を知らない」という言葉は、ユダヤ教団が異端者を公式に破門するときに用いた言葉であった、という説があります。もしその説が正しいとしたら、ペトロが言ったことは重大です。ペトロが、イエスさまを、破門したのです!



イエスさまがペトロを破門する、という話ならば分かります。しかし、ペトロは正反対のことを言ってしまいました。窮地に追い込まれ、口がすべって、つい言ってしまったのかもしれません。いずれにせよ、ペトロとしては、イエスさまの前では絶対に言いたくなかった言葉であったに違いありません。



「少したってから、ほかの人がペトロを見て、『お前もあの連中の仲間だ』と言うと、ペトロは、『いや、そうではない』と言った。」



イエスさま御自身は、ペトロに対して、「あなたは三度、わたしを知らないと言うだろう」と予告されました。その予告は、そのとおりになりました。しかし、です。ペトロがした三回のやりとりを注意深く見て行きますと、とても興味深い点があることが分かります。



最初のやりとりは、女中との間で交わされましたが、このときペトロが否定したのは、ペトロがイエスさまを知っている、という事実です。「わたしはあの人を知らない」と明確に語りました。



しかし、です。第二のやりとりにおいては、「お前もあの連中の仲間だ」と言われたのに対して、「いや、そうではない」とペトロが答えています。注意したいのは、「あの連中の仲間」の意味は何かという点です。



原文を直訳しますと「お前もあいつのグループに属しているだろう」ということです。大切なことは、「あの連中」とか「あいつのグループ」というふうに訳さざるをえない言葉は、イエスさまお一人のことを指しているわけではない、ということです。



イエスさまの弟子たちのことです。イエスさまを信じる人々のことであり、“教会”のことです。



つまり、ペトロは、最初のやりとりにおいては、イエスさまと自分自身との関係を否定しましたが、第二のやりとりにおいては、“教会”と自分自身の関係を否定したのです!



ペトロが言っていることは要するに、「わたしは教会なんか関係ない。あんなところには行ったこともないし、関わったこともない。『あなたはキリスト者である』などと言われるのは迷惑千万だ」と言っているのと同じであるということです。



「一時間ほどたつと、また別の人が、『確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから』と言い張った。だが、ペトロは、『あなたの言うことは分からない』と言った。」



それでは第三のやりとりの意味は何なのかを、考えてみたいわけです。第三のやりとりの中でペトロが否定してしまったのは「ガリラヤの者だから」という点でした。



ガリラヤ地方というのは、エルサレムあたりから見ると、ずっと北のほうです。北部の人々は、喉から出る音を使って喋るそうです。そのような訛り(方言)があったと言われます。また、用いる語彙(ヴォキャブラリ)にも、独特なものがあったそうです。



そのような言葉をあなたは喋っている。この大都会エルサレムでガリラヤ地方の言葉、要するに“田舎っぽい方言”丸出しで喋っているのは、イエスとかいうあの男の仲間たちくらいのものだ。



ほら、まさに今、あなたが喋っているその言葉が、そのことの何よりの証拠である。そのように、ペトロは、周りの人々から証拠を突きつけられたのです。



しかし、ペトロはそのことまでも否定しました。それが意味することは何でしょうか。



「ガリラヤ」とは、ペトロを含む多くの弟子たちの出身地です。



また、ペトロにとって「ガリラヤ」は、何よりもイエスさまから「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と言われ、弟子になった場所です。



そして、「ガリラヤ」は、彼らにとって、イエスさまと共に生活した場所であり、イエスさまが多くの人々を助け、愛し、励まし、伝道なさるのを一生懸命に助け、働き、まさにイエスさまと苦楽を共にした場所です。



イエスさまも、またペトロ自身も、心から愛している町。それが「ガリラヤ」なのです!



「ガリラヤ」との関係を指摘されて、ペトロが「あなたの言うことは分からない」と、その関係を否定してしまったとき、ペトロの心の中で大きな地震が起こり、それまで大切にしてきたものがガラガラ崩れ落ちていくのを感じたはずです。



「ガリラヤ」との関係を否定する。それは、広い意味では、イエスさまとの関係を否定することです。しかし、ペトロにとっては同時に、その日その時まで、イエスさまと共に苦労して生きてきた自分の人生そのものを否定するのと同じであったと思われるのです。



わたしたちが、自分で自分の人生を否定しなければならない。多くの人の前に立たされ、窮地に追い込まれて。そのとき感じることは何でしょうか。「本当に情けない」という思いではないでしょうか。



「まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、『今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」



イエスさまはペトロを見つめられました。やさしい視線だったでしょうか、厳しい視線だったでしょうか。どうだった、と言いきれる証拠はありません。



しかしここで大切なことは、ペトロがイエスさまの視線に気づくことができたことです。イエスさまが、このわたしの姿・言葉・行為を見ておられる、ということに、気づくことができたことです。



そしてイエスさまが「あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスさまの御言葉を思い出せたことが、大切です。ガリラヤからエルサレムまで、ずっと一緒に生きてきたイエスさまが、このわたしのことをよく知っておられた。何もかも、イエスさまは分かっておられた。そのことにやっと気づくことができたことが大切です。



ペトロは、涙を流しました。イエスさまに対しても、教会に対しても、愛する故郷や、自分の人生そのものに対してさえ、申し訳ないことをしたと、みじめで情けない気持ちにもなったでしょう。



しかしまた、同時に、ペトロは、イエスさまの愛の深さに気づいた。また、このわたしはなんと冷たい人間なのかということに気づかされた。すっかり打ちのめされてしまったのではないかと思います。



わたしのすべてをご存じである方が、わたしを心から愛してくださっている。



わたしたちは、そのことに気づいているでしょうか。



そのことが、わたしたち一人一人に深く問われていると思います。



(2006年10月22日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年10月8日日曜日

「闇が力をふるう時」

ルカによる福音書22・47~53



この個所に記されているのは、イエスさまが弟子の一人イスカリオテのユダの裏切りによってユダヤ教の指導者たちに捕らえられる瞬間の言葉のやりとりです。時間にすれば、せいぜい数秒ないし数分の出来事でしょう。聖書全体の中でおそらく最も暗く、また最も嫌な場面と言えるでしょう。



「イエスがまだ話しておられると、群衆が現れ、十二人の一人でユダという者が先頭に立って、イエスに接吻をしようと近づいた。イエスは、『ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか』と言われた。」



このときイエスさまは、何を「話しておられ」たのでしょうか。考えられるのは直前の言葉です。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい」。



これは、オリーブ山でイエスさまが祈っておられたときに、弟子たちが眠っていたことについての忠告の言葉です。おそらくこの忠告の言葉を語っておられる最中に、ユダが、イエスさまを裏切るために近づいてきたのです。



ここで考えさせられたことがあります。それはこの場面の独特の滑稽さです。笑ってはならないと思いますが、ある意味で、これはとてもおかしな場面です。



とくに、わいてくる疑問は、だれが裏切り者なのだろうか、ユダだけだろうかというものです。



もちろん、ユダの裏切りは、本当に卑怯なものです。お金でイエスさまを、文字どおり売り渡したのですから。そして、今や、接吻をもってイエスさまを裏切ろうとしているのですから。



しかし、イエスさまが真剣に祈っておられる最中に眠っていた弟子たちは、どうなのでしょうか。これは、裏切りとまでは言えないかもしれませんが、イエスさまのお気持ちを著しく害する態度であることは、確実です。



また、今こそ思い返されるのはペトロです。先週読んだ個所には、イエスさまがペトロに対して「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに三度わたしを知らないと言うであろう」とお語りになった場面が出てきました。



ペトロがイエスさまのことを「知らない」と言う。うそつきではありませんか。立派な裏切りではありませんか。そのように考えることも、できると思います。



問題は、裏切りの定義かもしれません。裏切りとは一体何なのか、です。



もちろん、わたしの考えは、先週すでに申し上げました。ペトロがイエスさまのことを「知らない」と言ったことを、ユダがイエスさまを裏切ったのと同じ意味での“裏切り”という言葉で説明することは、わたしにはできないと申し上げました。



しかし、だからといって、ペトロがイエスさまを裏切っていないと申し上げるつもりは決してありません。また、イエスさまが祈っておられるときに居眠りしていた弟子たちの態度もまた、いわば裏切りです。しかし、ユダのそれとはレベルが違う、という言い方が許されるかもしれません。



イエスさまのことを「知らない」と言ったペトロと、イエスさまの横で居眠りしていた弟子たちとに、共通している要素があると思われます。それは、要するに「弱さ」です。



ペトロはいわば内弁慶です。精神的な弱さがあります。イエスさまの前や、弟子仲間の前では、少々大口をたたく。しかし、人前に出ると、逃げる、隠れる。信仰に関する争いには巻き込まれたくない。信仰の異なる人々の前では、黙ってやり過ごすのが得策である。これは現代人の知恵です。ペトロの姿は、われわれの姿です。



居眠りの問題は、何といっても体力の問題です。睡眠とは、身体的・生理的な行為です。眠いものは眠い。こればかりは、どうすることもできません。



両者に共通している要素があるとしたら、要するに「弱さ」です。



しかし、「弱さ」は罪でしょうか。わたしたちの「弱さ」は、責められ、追及され、悔い改めを迫られなければならないものでしょうか。



わたしは、そのように考えることはできません。「弱さ」であれば、許されなくてはならないし、かばわれなくてはならないはずです。



この世界には強い人と弱い人がいると思います。強い人だけで、この世界は成り立っていません。弱い人が必ずいます。もしわたしたちが、ペトロや他の弟子たちを裏切り者と呼ばなければならないなら、弱い人々はみな裏切り者です。心も体も強靭である人々だけの世界を実現することが神の御心である、という話になっていくでしょう。



しかし、それは、キリスト教ではありません。強い人は、弱い人を裁いてはなりません。強い人は、弱い人の弱さを担うべきです。それがキリスト教です。



ところが、ユダは違います。わたしたちは、ユダの罪を「弱さ」という言葉だけで、説明することはできません。具体的なお金のやりとりがありました。信頼関係を自ら意図的に破壊し、すべてをお金に換える。悪質な意図があったことは明らかです。



決して間違ってはならないことは、わたしたちは、なんでもかんでも一緒くたに考えてしまってはならない、ということです。すべての罪を「弱さ」のせいにしてよいわけではなく、その意味で許してしまってよいわけではありません。



泥棒を働いて、飲酒運転をして、薬物におぼれて、姦淫を犯して。そういうことがみな「弱さ」から来るものだから許される、というような話を、教会がしているわけではないのです。それは悪質な言い逃れです。ユダの罪と、ペトロや他の弟子たちの罪とは、区別されなければなりません。



「イエスの周りにいた人々は事の成り行きを見て取り、『主よ、剣で切りつけましょうか』と言った。そのうちのある者が大祭司の手下に打ちかかって、その右の耳を切り落とした。そこでイエスは、『やめなさい。もうそれでよい』と言い、その耳に触れていやされた。」



イエスさまの周りが、騒然としてきました。夜であり、山の上でしたので、周囲は暗闇でした。光があるとしても、月や星の光か、あるいは、せいぜい、だれかの手に小さな火があったかにすぎません。



その中で、もみ合いが始まりました。オリーブ山でイエスさまと一緒にいた弟子たちの数をルカは書いていませんが、マタイとマルコはペトロとヤコブとヨハネの三人であったことを告げています(マタイ26・37、マルコ14・33)。



つまり、書かれているとおりだとすれば、イエスさまの側は四人。それに対して、ユダが導いたユダヤ教の指導者側の人数は「群集」(47節)と呼ばれるほどの数だったようです。多勢に無勢、です。



闇の中で群衆にいきなり襲いかかれて、相当パニックに陥っていたであろう弟子の一人が、持っていた刃物で、大祭司の手下を切りつけ、右の耳を切り落としてしまいました。これは決してよいことではありませんが、状況的には理解できないものではありません。



ただ、気になることがあります。それは、前回読みましたが触れることができなかった個所(ルカ22・35~38)で、イエスさまが「財布のある者は持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい」(22・36)と、弟子たちにお命じになっているところです。



とくに気になるのは、剣を買え、とイエスさまが言われているところです。武装せよ、ということでしょうか。イエスさまらしくないご発言のようにも感じられます。もっとも、弟子たちは、イエスさまがお命じになる前から剣を持っていたようです。「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」(22・38)と言っているとおりです。



しかし、この個所は、注意深く読むべきです。理解するための鍵は、イエスさまが弟子たちに「今は持て」とお命じになったのが、「財布」と「袋」と「剣」であるという点です。



意味が分からないのは「袋」ですが、これは、旅行用の、荷物を詰め込むための袋のことです。リュックサックのようなものと思えばよいでしょう。



ですから、ここで考えられることは、イエスさまがお命じになったのは、一種の旅支度であろうということです。財布にお金を入れて、旅行かばんをもって。ならば「剣」は、護身用のナイフでしょう。それらを持って旅に出かける準備をしなさい、と言われているのではないかと思われるのです。



しかしまた、もう少しだけ突っ込んで考えてみたい気もします。イエスさまが弟子たちにお命じになったことが、もし本当に旅支度だったとすれば、なぜ旅支度なのか、ということが気になります。イエスさまは、このときまさに、御自身の死の覚悟と決意をされているところだからです。



考えてみていただきたいわけです。自分の地上の生涯は、まもなく終わる。そのことを覚悟し決意している人が、自分の子どもや仲間たちに、旅支度をさせる。その意味は何かということを、です。



あなたは生きていきなさい、という意味でしょう。わたしは死ぬが、あなたは生きていきなさい。いつまでも、わたしに(悪い意味で)依存したままではいけない。自分の旅を始めなさい。このように、イエスさまがお命じになっているのです。



つまり、イエスさまが「剣を買え」とおっしゃっているのは、攻撃のための武装の意味ではない、と考えることができそうです。



昔の旅路は強盗だらけです。「よきサマリア人のたとえ」(ルカ10・25~37)も、旅人が追いはぎに遭う話でした。だから、わたしたちも刃物を持ち歩いてもよい、という話にはなりませんが、イエスさまが弟子たちに武装をお勧めになったわけではないと考えることができるなら、少しほっとした気持ちになれると思います。



弟子の一人が大祭司の手下の耳を切り落としてしまったのをご覧になったイエスさまは、「やめなさい」とお止めになりました。「もうそれでよい」というのは、耳だけでよい、という意味ではないでしょう。抵抗するな、という意味に違いありません。



実際、イエスさまは、抵抗されませんでした。刃物や武器でチャンバラを始めるのは、あなたがたであると、襲い掛かって来た人々を、じっとご覧になりました。



「それからイエスは、押し寄せて来た祭司長、神殿守衛長、長老たちに言われた。『まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってやって来たのか。わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいたのに、あなたたちはわたしに手を下さなかった。』」



ここでイエスさまは、少し苦笑いしておられるような感じもします。やれやれ、まるで強盗扱いだねと。



しかし、わたしの姿、わたしのしてきたことを、あなたたちは、ちゃんと見てきたはずです。わたしは逃げも隠れもせず、堂々と「神殿の境内で」神の御言葉を語ってきました。それ以外の何をわたしがしましたか、と問い返しておられるように感じます。



神殿の境内の主役は、本来ならば、あなたたちのほうでしょう。祭司長さん、神殿守衛長さん、長老さん!



それなのに、わたしが皆の前で話しているときには、あなたたちは、何もできなかった。あなたたちは、陰に隠れて、こそこそと何をやっていたのですか?



「『だが、今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている。』」



公の場で、堂々と、明確にお語りになるイエスさまのお姿は、光り輝いています。



他方、闇に隠れて蠢(うごめ)き回り、大人数で圧倒する人々の姿は、不気味に薄暗い。



とても対照的な両者です。



(2006年10月8日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年10月1日日曜日

「父よ、御心なら」

ルカによる福音書22・31~46









十字架にかけられる前の夜、イエスさまは、弟子たちと一緒に、最後の晩餐を囲まれました。今日お読みしました個所には、その晩餐の中でイエスさまが使徒ペトロに向かってお語りになった御言葉が記されています。



「『シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。』」



「シモン」とは使徒ペトロの本名です。ペトロはイエスさまがお付けになった名前です。「シモン、シモン」と、二度繰り返されていることには意味があります。これは愛情表現であり、また励ましの意図があります。



イエスさまによりますと、サタンが神さまに願いごとを言い、それが聞き入れられたのです。サタンとは悪魔のことです。神さまが悪魔の言い分をお聞き入れになったというのです。



そんな馬鹿なと、びっくりする方がおられるかもしれません。しかし、これは旧約聖書のヨブ記などに見られる思想です。その思想とは、神は悪魔の計略を「許可」されることにおいて御自身のご計画をお進めになるお方である、というものです。



なぜ神さまはそんな「許可」を出されるのか、という問いが当然出てくると思います。しかし、そのことを詳しくお話しする時間はありません。この問題は神義論と呼ばれるものです。この神義論という問題を深く考えていくことは、わたしたちの信仰生活において非常に重要であると、わたしは考えています。



「小麦のようにふるいにかける」とは、小麦粉の粒の大きさを揃えること、揃わないものはふるい落とすことを意味しています。つまり、これは、明らかに、弟子たちの中から抜け落ちる人が出る、ということについての予言です。



これがイスカリオテのユダを指していることは、文脈から明らかです。ということは、ユダが裏切ることは、神がサタンの計略を「許可」された結果である、ということになります。つまり、ユダの裏切りには、神御自身のご計画という側面がある、ということにもなるのです。



と、こういうふうに説明していきますと、またしても神義論の問題に戻っていきます。時間がありませんので戻りませんが、この問題は本当に難しいものであり、また、まるで迷路の中にいるような感覚にとらわれるものである、ということを申し上げておきます。



ところが、イエスさまは、ここで非常に重要なことを、おっしゃっています。「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った」と。



この御言葉によって分かることがあります。それは、神の許可のもとでサタンが信仰者たちをふるいにかける。あなたがたのうちから抜け落ちる人が出る。そのことで、非常に傷つくのは誰なのかを、イエスさまは非常によく理解しておられるのだ、ということです。



脱落者が出ることで最も傷つくのは、もちろん言うまでもなくイエスさま御自身です。しかしそれでは、イエスさまの次に傷つくのは、だれでしょうか。イエスさまは、それは弟子の中のリーダー的存在であった使徒ペトロであるとお考えになったわけです。



そしてその上でイエスさまがお考えになったことは、その傷によって、ペトロの信仰が無くなるかもしれない、ということでした。仲間の脱落はそれほどの傷を生み出すものである、ということでしょう。だからこそ、ペトロの信仰が無くならないようにと、イエスさま御自身が祈ってくださったのです。



ここから先のことは、わたし自身は、あまり触れたくありません。わたしもこのことで傷ついたことがありますので。しかし、どうしても触れざるをえない。それは、教会から出て行く人々の問題です。



別の教会に移って信仰生活を続けておられる方々のことは、心配しておりません。また連絡関係が保たれている方々のことも心配しておりません。しかし、いちばん心配なのは、関係が全く途絶えてしまっている方々のことです。



そういう人々のことを「裏切り」という言葉で説明することには、わたし自身は非常に抵抗があります。なぜ抵抗があるか。教会の側には問題がなかったのかと、必ず問わざるをえないからです。多くの場合、出て行った人々が一方的に悪い、と考えることはできません。教会にも、いや、かなり多くの場合、牧師にこそ問題があったのです!



しかし、です。本当に困ってしまうのは、実際に問題があったとき、出て行かれてしまうことです。教会と牧師には正しい信仰に基づいて悔い改めるという道があります。われわれは悔い改めます。批判の言葉に耳を傾け、方向を修正していきます。しかし、教会から出て行かれてしまいますと、その方の前に、悔い改めた姿をお見せできなくなります。問答無用の関係になってしまいます。



イエスさまの弟子の群れの中から抜け落ちる人が出ると、リーダーのペトロが傷つく。牧師が傷つき、長老たちが傷つきます。そのことをイエスさまはよくご存じです。「だからあなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」というのは深い慰めの言葉です。



「するとシモンは、『主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております』と言った。イエスは言われた。『ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。』」



ペトロが言っていることは、よく考えると思わず笑ってしまう要素があります。それは「御一緒になら」と言われているところです。



イエスさまと一緒なら、というのですから、「わたし一人では嫌です」と言っているようにも読めます。「あなたは生きてください。あなたの身代わりに、わたしが死にます」とは言っていません。



先週結婚式の中で触れましたヨハネによる福音書15・12の御言葉、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」は、あなたと一緒なら死ぬことができます、一緒に死にましょうという意味ではありません。



「あなたはどうか生きてください」と言わなくてはならない。「あなたが生きるために、わたしの命をささげます」と言えなくてはならない。イエスさまが語っておられるのは“心中のすすめ”ではありません。



しかし、そのような愛は、わたしたちにはできそうもないことです。結婚式の中で申し上げたことは、「相手のために死ねるかと、結婚式の日に、考えてみるくらいのことは必要でしょう」ということでした。必要でしょう、と申し上げたのは、“考えてみること”だけでした。



実際に「相手のために死ぬこと」は、わたしたちにはおそらくできません。「一緒に死にましょう」という話ではありません。「あなたは生きてください」という話でなくてはならない。それが愛なのです。



そこでわたしたちが感じるのは、なんともいえない寂しさ、むなしさでしょう。わたしだけが、いなくなる。わたしが存在しない世界が続いていく。わたしがいなくても何とかやっていける家族がある。わたしなど、じつは最初から必要なかったのか。ただの邪魔者にすぎなかったのか。こういうことを考えはじめてしまうのが、わたしたちです。



いや、実際には、そういうものなのだと思います。このわたしなしにもこの世界は存在するのです。このわたしなしにも家族はなんとかやっていくし、やっていかなければならないのです。そこで、すねたり、いじけたりすべきではないのです。



しかし、です。実際に、あなたが生きていくためにわたしの命をささげる、ということは、できるかと言われるなら、できませんと答えるのが、だれにとっても正直のところではないでしょうか。



ところが、ペトロは、「御一緒なら」という但し書き付きではありますが、「命をささげます」というようなことを易々と言う。イエスさまは、そのようなことはペトロには無理である、ということを、あらかじめはっきりと見抜いておられたのです。そしてペトロに「今日、鶏が鳴くまでに三度、わたしを知らないと言うだろう」と予告されたのです。



このイエスさまの予告の言葉は、“ペトロの裏切りについての予告”と呼ぶべきでしょうか。ペトロもユダと同じような意味で“裏切った”と考えなければならないのでしょうか。そのとおり、ペトロも裏切り者である、と言わなければならない面もあると思いますが、そのような見方は、やや厳しすぎるという感じもしなくもありません。



わたしたちは、いつでも、どこでも、誰の前でも、このわたしはキリスト信者であり、松戸小金原教会のメンバーであり、毎週の礼拝に通っていますと語ることができているでしょうか。もしわたしたちにそれができているとするならば、それができなかったペトロは“裏切り者”と呼ぶべきかもしれません。



しかし、実際のペトロは、わたしたちの姿によく似ていると思います。いろいろと遠慮したり、配慮したりするゆえに言葉を濁す場面があります。それを語るや否や、ただちに論争に巻き込まれることがあらかじめ分かっているというような場面では、黙ってやり過ごすというようなことが、わたしたちにはありえます。もしそれが裏切りだというならば、ペトロは裏切り者です。



ペトロはイエスさまを裏切っていないとは、決して申しません。しかし、わたし自身は、ペトロのことを、ユダと同じ意味では、“裏切り者”と呼ぶことができません。



「イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、『誘惑に陥らないように祈りなさい』と言われた。そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。『父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。』〔すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。『なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。』」



はたして、わたしたちは、「イエスさまは十字架の死を“喜んで”お受け入れになった」というふうに語ることができるでしょうか。それは無理であると思われます。なぜなら、イエスさまは、ここではっきりと「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください」と祈っておられるからです。



もちろん、痛いのが嫌だとか、死にたくないとか、自分の命が惜しいとか、そのような次元のことを、おっしゃっているのではありません。しかし、わたしたちの場合には、そのような次元のことを考えたり語ったりすることは許されると思います。



死んでも構わないとか、自分の命は惜しくないというのは、たとえ本当にそう思ったとしても、あまり人前では言わないほうがよいです。周りの人々から、ただ心配されるだけです。どこかしら、やけっぱちで、投げやりな感じに響きます。死んでも構わないという言葉を聞くと、周りの人は「ああ、この人は死にたくないんだな」と考えるものです。



しかし、イエスさまの場合は全く異なります。イエスさまの御意志はただ一つ、父なる神の御心に忠実に従って生きること、そして、死ぬことです。



それでもなお、イエスさまにとって、父なる神さまに「取りのけてください」と願う杯がありました。それは何でしょうか。考えられることは、こうです。



愛する弟子の裏切りという道を通ってしか十字架への道にたどり着くことができない、という「神の御心」が、イエスさまにとっては、あまりにも耐え難いものだったのです。



(2006年10月1日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年9月24日日曜日

「仕える者のようになりなさい」

ルカによる福音書22・24~30



「また、使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。」



議論「も」起こったとあります。なぜ「も」なのかと言いますと、前回の個所の最後に、ひとつめの議論が記されているからです。今日の個所の議論は、ふたつめです。



ひとつめの議論はイエスさまがお語りになったみことばに対する反応です。



イエスさまは、「見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている」とおっしゃいました。もちろん、イエスさまが指摘しておられるのは、イスカリオテのユダの裏切りです。それに対して、弟子たちは、自分たちのうち、いったいだれがそんなことをしようとしているのかと、互いに議論をしはじめたのです。



弟子たちは、いつも一緒にいたはずのユダの裏切りに全く気づかず、だれが裏切るのだろうかと議論する。そのあまりの鈍感さは、深刻です。



最後の晩餐の席には、ユダ自身も座っていました。ところが、イエスさまは、御自身の目の前にいる裏切り者に対してもパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂いてお与えになり、またぶどう酒の杯をも同じようにしてお与えになりました。ユダは、イエスさまを裏切りました。しかし、そのユダをイエスさまは愛しておられたのです。



それが、ひとつめの議論の内容です。イエスさまを裏切るのはだれなのか。つまりそれは、最低(ワースト)の弟子はだれか、という議論であった、と言えるでしょう。



それに対して、今日の個所に記されている「自分たちのうちでだれがいちばん偉いか」という議論は、要するに、最低(ワースト)とは正反対の、いわば最高(ベスト)の弟子は誰なのかを競うものであった、と考えることができるはずです。



つまり、問題になっているのは、最低(ワースト)の弟子と最高(ベスト)の弟子は、それぞれ誰なのか、ということだと考えることができます。



十二使徒は全員男性でした。男だからどう、女だからどう、というようなことは、軽々しく言ってはならないと思いますし、一概なことは言えません。



しかし、わたし自身も男ですので、強いて言うならば、「男」というのは、なるほどそういうことに関心を持ちすぎる存在かもしれません。おれが上だ、あいつは下だ。順位、優劣、甲乙、上下というようなことが気になる。悲しいまでに、そういうことが気になる。



それが、強いて言えば、「男」かもしれません。



「そこで、イエスは言われた。『異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。しかし、あなたがたはそれではいけない。』」



イエスさまの教えは、はっきりしています。



男だけではないと思いますが、おれが上だ、あいつは下だ、というようなことばかりが気になり、相手を頭の上から押さえつけ、腕力・暴力・不当な政治力を用いてねじ伏せる。そういうことばかりに興味をもち、そのように実際に行動しはじめる人間の性(さが)に対して、イエスさまは、明確に反対なさいます。「あなたがたはそれではいけない」と。



「それではいけない」と言われている「あなたがた」の意味は、直接的にはイエスさまの十二人の使徒たちですが、もう少し広く言うならば、イエス・キリストを信じる信仰者すべて、すなわち、全キリスト者のことです。



わたしたちキリスト者は、「それではいけない」のです。たとえ冗談でも、そういうことを言ったり、考えたり、行ったりしてはなりません。そもそも、そういうのは冗談になりにくい態度です。洒落にならない。非常に嫌なムードです。



しかし、そういうことが気になるのは、いわば人間の性(さが)です。わたしたちの中から噴き出す激情のようなものです。関心を持つな、気にするな、と言っても、気になるものです。



だからこそ、わたしたちは、そのような思いを意識的に抑えつけなければなりません。意識的にあるいは自覚的に、まさにキリスト者である者たち、わたしたちは、腕力・暴力・不当な政治力を絶対に用いないと、心に誓わなければなりません。



「『あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である。』」



いちばん偉い人は、いちばん若い人のようになりなさい。上に立つ人は、仕える者(ディアコノーン=奉仕者、執事など)のようになりなさい。イエスさまの教えは、単純明快です。



しかし、このイエスさまの教えは、どうも、わたしたちの現実からかけ離れているように思える、という方がおられるかもしれません。



実際のところ、この教えを聞くわたしたちの心に浮かぶ思いは、こんなことを言っても世間では通用しないとか、うちの会社で言ったらみんなに笑われるとか、社外の人に馬鹿にされる、というようなことでしょう。わたし自身の中にはそのような思いは全くありませんというと、うそになります。



牧師たちの間でさえ、そのようなことが問題になることがあります。「あの先生は、昔は何々先生のかばん持ちだった」とか、そういう話を時々聞きます。



かばんくらい、自分で持てばよいではありませんか。自分で持ったからどうで、だれかに持たせたからどうだというのでしょうか。わたしは、その種の話が嫌いです。冗談としてでも聞きたくありません。



もちろん、身分制度というのは、国際社会の中には今でも厳然と残っているところがあります。わたしたち一個人の力で、その社会のルールを根本から変える、というようなことはできない場合もあると思います。



しかし、そういうのは、本当に嫌だと感じること、憎むこと、少なくとも心の中で抵抗し続けることが重要です。



古い話ですが、「わたし食べる人、あなた作る人」というCMがあったことを、わたしはよく覚えています(一応そういう世代です)。



どちらのほうが偉いかというと、イエスさまは「食べる人」のほうが偉いと言われているわけです。そんなことを言うと今では激しく怒られると思いますが、イエスさま御自身の意図は反対です。イエスさまは、そこで腹が立つ人々の側に、立っておられます。イエスさまは、作る人であり、また給仕する人の側にお立ちになります。



しかも、それは、わざとらしい謙遜や、ぎこちないポーズや、いやらしいパフォーマンスではありません。何のためらいも、恥じらいもない。苦笑いや、照れ笑いもない。全く自然で、自由で、スムーズな振る舞いとして、人に仕えることができる。奉仕者として振舞うことができる。それがイエスさまです。



しかし、それはまた、イエスさまだけがそうであればよい、という話ではなく、イエスさまの命令として、あなたがた自身が「仕える者のようになりなさい」と語られているのですから、他人事ではなく、わたしたち自身が、イエスさまと同じように「仕える者」にならなくてはならないのです。



わたしは、今日、皆さんにこの話をしました。ですから、ここにいるわたしたちは全員、イエスさまから、この話を聞きました。聞いたことがない、知らなかったと言える人は、ここにはいません。わたしたち全員が「仕える者」になることを、決心し、約束しなくてはならないのです。



わたしが思うことは、その教会に初めて来られた人々が、ここの教会はとても雰囲気がよい、と感じる要素が、もしどこかにあるとしたら、おそらく間違いなく、このあたりのことが問題になっているはずだ、ということです。



無理やりねじ伏せようとする力が働いているような教会は、だれでも嫌でしょう。そういうのは、すぐに分かりますし、動物的直感が働きますし、わたしたちの心の危険信号が鳴り出すものです。



家庭生活、夫婦生活も同じです。会社も社会も、じつは同じです。



わたしたちの心の危険信号は、常に、鳴りっぱなしです!



仕える者として生きること、互いに仕えあうことは、安心で安全な生活を目指す道でもあるのです。



(2006年9月24日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年9月17日日曜日

「神の国で過越が成し遂げられるまで」

「過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、『行って過越の食事ができるように準備しなさい』と言われた。二人が、『どこに用意いたしましょうか』と言うと、イエスは言われた。『都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、家の主人にはこう言いなさい。「先生が、『弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか』とあなたに言っています。」すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。』二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。『苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。』そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。『これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。』それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。『これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。』食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。』そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた。」



今日の個所には、イエスさまが十字架につけられる前の夜に、弟子たちと一緒に最後の食事をされた、かのいわゆる「最後の晩餐」の場面が描かれています。この「最後の晩餐」が、旧約聖書に定められている過越祭の食事だったことは、今日の個所を見るかぎり明らかです。



過越祭については、かなり大雑把ですが、次のように説明することができます。昔、イスラエルの民が、奴隷にされていたエジプトの地から脱出し、約束の地カナンを目指して旅をすることになりました。その彼らがエジプトを出る直前、旅支度の腹ごしらえをするため、大急ぎで羊の肉を焼いて食べ、また酵母を入れないパンを、苦菜を添えて食べ、それから出かけました。その食事を、家族みんなで、「腰帯を締め、靴を履き、杖を手にして、急いで食べ」ました(出エジプト記12・11)。



この故事を思い起こし、記念とするための祭が、過越祭です。



エジプトの地、奴隷の家からの脱出と解放、それはこのわたしたちのまことの主なる神御自身による救いのみわざであると、彼らは信じました。過越の食事は、神の救いのみわざを記念するための、お祝いの席なのです。



その祝いの席、喜びの食卓を、今こそ囲みたい。愛する弟子たちと共に、過越の食卓、神の救いの喜びの食卓を囲みたいと、イエスさまは願われています。皆さんに考えてみていただきたいのは、この「時」は、イエスさまにとって、どのような「時」なのかということです。



イエスさまは、明らかに、わたしの死の日は近いということを、はっきりと自覚しておられます。イエスさまは、ルカ福音書においては今日の個所までに少なくとも三度、御自身の死を予告しておられます(ルカ9・22、17・25、18・32)。



また、イエスさまはエルサレムにおられるわけですが、そもそもエルサレムに上られる決意をなさったのは、天に上げられる時期が近づいたことを自覚なさったからです(ルカ9・51)。



御自身の死の覚悟をもってエルサレムに上られたイエスさまが、その覚悟が単なる推測や予測ではなく、まさに現実となる、まもなくそうなる、ということを、はっきりと確信しておられる。それが、今日のこの場面の「時」です。



実際、まさにこの時、イエスさまを殺す計画が、祭司長や律法学者や神殿守衛長たちによって進められていました。また、あろうことか、イエスさまの十二人の弟子の一人、イスカリオテのユダまで参加することになりました。ユダはイエスさまを全く裏切ることになりました。ユダは裏切り者です。そのことを、イエスさまはよくご存じでした。



「ユダが裏切ることをイエスさまはなぜ分かったのだろう」と疑問に思うでしょうか。わたしたちにだって、こういうことは少しくらいは分かると思います。子どもたちは、こういうことに敏感です。「この人は僕のことを好きじゃない。心の中では、別のことを考えている」。そういうことを、子どもは直感的に見抜きます。イエスさまがユダの心の中を全く知らなかった、というようなことは、全くありそうもない話です。



ユダが裏切る前から、ユダヤ教の指導者たちの側に、イエスさまの殺害計画があった、と考えるのが自然でしょう。しかし、イエスさまが逮捕され、不当な裁判を受け、十字架にかけられるという一連の出来事の直接的なきっかけを用意したのは、ユダです。ユダの責任は重大です。ユダは裏切り者ではない、というような説明は、全く成り立ちません。



いずれにせよ、イエスさまは、ユダの裏切りをご存じであり、それゆえにまた御自身の死の日が目前に迫っているということを、はっきり自覚しておられます。だからこそというべきでしょう、イエスさまは、御自身の死の日が目前に迫っているということを、はっきりと自覚されたゆえに、まさに今こそ、過越の食卓、すなわち神の救いの喜びの食卓を、愛する弟子たちと共に囲みたいと願っておられるのです。



それが意味することは、明白です。まことの救い主イエス・キリストの死は、神の救いのみわざそのものであるがゆえに、御自身の死に際しては、喜びの席を囲むことこそがふさわしい、ということを、イエスさまは確信しておられるのです。



ここに、たいへん興味深い、また何となく不思議な話が出てきます。イエスさまは、御自身が願われた最後の晩餐としての過越の食卓を囲むための場所を確保する、という仕事を、二人の弟子たちに任せました。



ところが、その際イエスさまは、なんとも不思議な指令を出しておられます。どこが不思議でしょうか。いくつか、指摘しておきます。



第一は、「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う」とありますが、当時のユダヤ人の男性が水がめを運ぶことはほとんどなかった、という点です。男性は皮袋を運ぶのであり、水がめは女性が運ぶということが当時の常識だったのです。ですから、「水がめを運ぶ男」に出会うというのは、通常ありえないことだったのです。



第二は、今申し上げた第一の点に直接関係あることです。水がめを運ぶ男は、ユダヤ社会の中では通常は、めったに見かけない。しかし、もしそういうことをしている人がエルサレムの町の中を歩いているとしたら、非常に目立つ存在でありうるという点です。



これがなぜ不思議かと言いますと、考えてみていただくとすぐにお分かりいただけると思います。それは、町の中で目立つ人の後ろについていくことは、そのついていく人自身も目立つということです。人々の注目の的になる、ということです。



しかし、気になることは、今この時点で、イエスさまの弟子たちが、町の中で目立っては困るだろう、ということです。



祭司長や律法学者たちが、イエスさまを探しています。彼らは、ユダにわざわざお金を払ってでも、イエスさまの居場所を突き止めようとしていたわけです。目立つ人についていき、その人に過越の食卓を囲むための部屋を教えてもらう、ということは、イエスさまを殺すために逮捕したいと探し回っている人々に、イエスさまの居場所を、わざわざ教えているようなものです。なぜイエスさまは、そういうことを弟子たちにさせようとなさったのか。これが不思議な点です。



第三は、そもそもイエスさまは、水がめを運ぶ男がエルサレムの町にいるとか、その人が部屋を教えてくれるというようなことを、どうしてご存じだったのか、という点も、しばしば疑問視されるところです。



そしてまた、その疑問に対して、いくつかの答えが用意されてきました。



第一の答えは、イエスさまは神の御子なのだから、すべてのことはお見通しなのだ、というものでしょう。



第二の答えは、イエスさまはエルサレムの町を、あらかじめ下調べしておられたのだ、というものでしょう。



第三の答えは、当時のユダヤの社会には、過越祭のときにはだれでも、自分の家の二階の部屋を、エルサレム神殿の参拝客たちのために可能なかぎり開放して、宿泊や休憩に使わせてあげなければならないルールになっていたのだ、というものでしょう。それゆえに、イエスさまは、その人の家で、過越の食事をなさったのだ、と話は続きます。



私自身ははっきりした答えを持っているわけではありません。いろいろな本を調べて紹介するくらいしかできません。興味深かったのは、わたしが最も尊敬している改革派神学者アーノルト・A. ファン・ルーラーの解説です(※)。



(※ただし、ファン・ルーラーの解説は、ルカ福音書のものではなく、マルコ福音書の平行記事に関するのそれです。A. A. van Ruler, Marcus 14, Kok-Kampen 1971, p.44-47.)。



ファン・ルーラーが書いていたことは、今ご紹介した三つの答えの中で言えば、第三の答えに最も近いものです。



ファン・ルーラーによりますと、このエルサレムの街中を歩く水がめをもった目立つ男は、エルサレムに住む、イエスさまの公然とした、あるいは、隠れた支持者の一人であっただろう。また、その人は、おそらく金持ちで、位が高い人だっただろう、とのことです。つまり、イエスさまと弟子たちは、そのお金持ちの人の家のなかの広い部屋に宴席を借りたという解釈です。



ちなみに、ファン・ルーラーは、この解釈に基づいて、さらに話を発展させています。イエスさまという方は、貧しい人々のもとにも行かれるが、豊かな人々のもとにも行かれる。キリスト教は社会の最下層の人々によって始められただけではなく、すべての層の人々によって始められたものである。キリスト教は上流だ下流だというような区別をまったく採用しないものである、と語っています。



そしてファン・ルーラーは、このイエスさまの命令の意味を、三つ述べています。



第一は、「イエスさまの権威」という点です。イエスさまは権威あるお方として、弟子たちに部屋を探すようにお命じになったし、また、水がめの男にも間接的に部屋を探すように命令しておられる、ということです。



権威とか命令というのは、今では嫌われる要素であるということをファン・ルーラーはよく知っています。しかし、救い主イエス・キリストは、主なる神御自身としての権威を持っておられる、という点は、聖書を理解するうえで重要です。



第二は、この命令の中で、イエスさまは、はっきりと御自身の死を意識しておられることがわかる、という点です。また御自身の死は、偶然起こったとか、予期せぬ出来事というようなものではなく、むしろそれは「まるで自分の手の中にあることのように、船のオールをイエスさま御自身がしっかり握っておられる」という点です。



イエスさまに、こそこそ隠れるお気持ちは、ありません。それどころか、目立つ人の後ろに堂々とついていきなさい、と言われているわけです。彼らを恐れる気持ちは、イエスさまの側には、全く見当たりません。



第三は、この命令においてまさに、イエスさまは、「死の道を前に進んでおられる」という点です。イエスさまは、御自身の死が人々の救いになることをはっきりと自覚しておられました。御自身の死こそが、全き現実の全き救いのために益になる、ということを、よくご存じでした。



今日は最後の晩餐の様子、そしてこのまさに最後の晩餐に由来して始まったとされるわたしたちキリスト教会が非常に重んじてきた聖餐式のことについて詳しくお話しする時間はありません。別の機会に譲りたいと思います。



しかし、最後に触れておきたいことは、イエスさまが「神の国で過越が成し遂げられるまでは、わたしは決してこの過越の食事をとることはない」とお語りになっている意味は何か、ということです。



ルカによる福音書においては、これからイエスさまが逮捕され、不当な裁判を受け、十字架にかけられて死ぬという出来事が続くことになります。とてもつらい場面が続きます。



それをこれから学んでいく中で、何度も繰り返して振り返り、立ち帰るであろうことは、まさにこの最後の晩餐でイエスさまがお語りになっていることです。すなわち、「神の国で過越が成し遂げられる」とはどういうことか、それはどのようにして起こるのか、という点です。



それははっきりしています。大切なことは、過越の食事とは、神の救いのみわざを喜ぶために囲む、お祝いの席である、という点です。



過越は、喜びの祝宴です。それが、神の国において祝われる、ということは、わたしたち人間にとっては最高の喜び、至高の喜び、まさに至福というものを体験するときである、ということです。



わたしたちに神の救いの喜びを味わわせてくださるために、またイエスさま御自身も復活と昇天、そして再臨においてわたしたちと共に神の国の完成を喜んでくださるために、イエスさまは、十字架の苦しみを耐え抜いてくださった。



わたしたちを喜ばせるために、御自身が苦しんでくださった。



神の国でみんなで喜ぶ日まで、わたし自身は喜びの席に着くことを“封印”する。



人を助けるため、救うために、命をささげる。



このことを、イエスさまは、弟子たちの前で約束されているのです。



イエスさまの十字架への決意とその意味を深く知り、イエスさまの死によってもたらされたわたしたちの救いの意味を、よく考えたいと思います。



(2006年9月17日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年9月3日日曜日

「いつも目を覚まして祈りなさい」

ルカによる福音書21・34~22・6



「『放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。しかし、あなたがたは、起ころうとしているすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。』それからイエスは、日中は神殿の境内で教え、夜は出て行って『オリーブ畑』と呼ばれる山で過ごされた。民衆は皆、話を聞こうとして、神殿の境内にいるイエスのもとに朝早くから集まって来た。さて、過越祭と言われている除酵祭が近づいていた。祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた。彼らは民衆を恐れていたのである。しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた。ユダは承諾して、群集のいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。」



三つの段落を読みました。しかし、今日お話ししたいことは、一つのことです。最初の段落に記されているのは、21章の初めから続いてきたイエスさまの説教の、しめくくりの部分です。その中に書かれている次の御言葉に注目したいと思います。このように言われているのを見て、自分に関係があることだと感じて、ドキッとするという方がおられるのかどうかは、わたしには分かりません。



ここには「放縦や深酒や生活の煩いで」と、三つの言葉が並べられています。そして、このまさに三つの言葉で言い表されている三つの事柄によって、「心が鈍くならないように注意しなさい」と言われています。



しかし、どうでしょうか。ここで言われていることの中に気になることが、わたしには二つほどあります。



第一は、この三つの言葉が並べられているのは、興味深いことでもありますが、しかしまた、やや不思議なことでもある、という点です。



「放縦」と「深酒」は、ほとんど同じ内容の言い換えであると思われますので、二つが並べられていてもおかしくありません。ところが、そこにもう一つ、「生活の煩い」ということが並べられている。三つのことがまるで同じようなこととして扱われている。この点が、やや不思議です。



ここで「生活の煩い」とは、明らかに、「命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな」(ルカ12・22、マタイ6・25)というあの有名なイエスさま御自身の御言葉において禁じられている事柄のことを指しています。



ですから、この「生活の煩い」という問題点に注意すること自体は、重要なことです。しかし、です。気になるのは、「生活の煩い」という問題と、「放縦と深酒」という問題が並行的に扱われていることです。このことに対して、やや不思議であるという感想を持つ人が出てきてもおかしくないだろう、と思うわけです。



気になることの第二は、「心が鈍くならないように注意しなさい」という言葉の意味が、なんとなくぼんやりしている、ということです。



おそらくこれは翻訳の問題という面が大きいように思います。「心が鈍くなる」というのは原文の直訳です。鈍感になるということでしょう。この訳自体が間違っているとはいえません。お酒を飲みすぎると周囲の物事に対して鈍感になる。そういう話でしたら、わりとよく分かる話です。



しかし、ここにもう一つ、先ほど触れました「生活の煩い」という要素が加えられます。「生活の煩い」によって「心が鈍くなる」。このつながりが、分かったようで分かりません。



わたしの語感からすればという面もありますが、自分の生活について思い煩うことは、心が鈍くなっているどころか、むしろ、かえって非常にピリピリとした、心が鋭くなっている状態なのではないか、と考えることもできるような気がします。



まとめますと、「放縦や深酒」によって鈍感になるということなら、まだ分かる。しかし、「生活の煩い」によって「心が鈍くなる」と言われると、わたしにはあまりぴんと来ない感じがする。これが、わたしが感じた疑問点です。



「放縦や深酒」と訳されている二つの言葉の原語的な意味を調べてみますと、たいへん面白いことが分かります。



「放縦」と訳されている言葉は、さらに二つの要素に分析できるようです。



酒を飲んで酔っ払って気持ちよくなるという要素と、翌日に味わう“二日酔い”の気持ち悪い要素の二つである、と言われています。



飲んでいるときの気持ちが高揚している状態と、翌日の気持ちが落ち込んでいる状態との両方の意味がある、ということです。



「深酒」と訳されている言葉は、意味自体はこのとおりでよいと思います。要するに、お酒を深く飲みすぎて、酩酊することです。



面白いのは、このギリシア語は「メテー」と言う、という点です。メテーとは酩酊(めーてー)である、ということです。



ですから、「放縦」と「深酒」は、原語では一応区別されていますが、ほとんど同じ意味です。お酒を飲むことに関係している言葉です。



これによって周囲の物事がよく見えなくなる、心が鈍感になるというのは、経験したことがある人なら、だれでも分かる話であると思います。



しかし、繰り返しますが、「生活の煩い」が「心が鈍くなること」の原因になると言われると、わたしには、ちょっと分かりにくさがあるように思われるのです。



こういうときは、やはり、辞書や注解書を丁寧に調べることが重要です。実際に調べてみました。それで、「なるほど」と理解しえたところをお話ししたいと思います。



分かったことは、ここで「放縦」と「深酒」と「生活の煩い」が並べられていることには意味がある、ということです。つまり、三つの事柄には、共通している要素がある、ということです。



どこが共通しているのでしょうか。これは非常に微妙な面があり、慎重にお話ししなければ誤解されるように思われますので、注解書の言葉をそのまま引用します。



この三つの事柄に共通していることについては、次のように書かれていました。



「それによって、人間が、現実をもはや見なくなり、幻想(イリュージョン)や作り話(フィクション)に拠り頼むようになる〔という点で、三つの事柄は共通している〕」(*)。



冗談じゃないと、お感じになる方がおられるかもしれません。「生活の煩い」は、現実を直視した結果ではないかと思われるかもしれません。しかし、ここでわたしたちは、少し冷静になって、よく考えてみる必要があります。



はっきり言いますと、イエスさまは、「放縦や深酒」と「生活の煩い」を同列のものとして扱われました。この点は非常に重要なことであると思われます。



そして、そのことを逆のほうから考えてみますと、イエスさまが禁じておられる「生活の煩い」の意味は、「放縦や深酒」と同じような意味、つまり現実から逃避するという意味合いを持ちはじめるかぎりにおいて禁じられているものである、ということにもなる、ということです。



つまり、別の言い方をしますと、イエスさまが禁じておられるのは、現実を直視した結果としての「生活の煩い」ではない、ということにもなります。その面の煩いは許されることであり、必要なことであると思われます。



しかし、ここでイエスさまがお伝えになろうとしていることは、「生活の煩い」の中には、現実を直視しない、むしろ現実から逃避することを目的としているような種類の「生活の煩い」もある、ということに気づかなければならない、ということです。



ここで、話をぐっと卑近な例に移します。わたしはそれが好きなほうなのですが、思い起こしていただきたいのは、あのカタログショッピングです。最近は紙のカタログだけではなく、テレビやインターネットでのカタログショッピングというのもあります。



あれには、非常に便利な面もありますが、同時にそこで陥る罠もあると思います。それは、言うまでもなく、カタログに見とれてしまう、あるいは魅入られてしまうということです。



それによって、それを見なければ感じなかったような新たな欲求を感じはじめてしまい、その結果として今の現実の生活に不満を感じるようになる、ということです。



カタログを見るまでは感じたことがなかったような不満が、それを見ることによって生じる。高額なものであろうと、どんどん新しいものが欲しくなる。



それが「生活の煩い」の原因になる、ということです。



「何を飲もうか」「何を着ようか」と思い煩うことのすべてが悪いと言われると、わたしたちは困ります。しかし、まさにカタログに見とれてしまうような仕方で、意識が現実を超えて高まってしまうところに至りますと、酒を飲んで酩酊状態であるのと変わりません。度が過ぎると、生活が破綻してしまうのです。



イエスさまの時代にカタログがあったとは思えません。しかしたとえば、ひとが持っているものを見てうらやましいと思い、それを手に入れたくなり、実際に手に入れてしまうというようなことは、当時でも間違いなくありえたことです。



飲酒による酩酊にたとえられるほどの現実逃避的な「生活の煩い」は、むさぼりの罪(第十戒!)へと限りなく接近している、ということです。



そして、まさにその結果として「心が鈍くなる」と、言われているわけです。ここまで来て、「生活の煩い」と「鈍感になること」との関係をどのように理解すべきかという点につながるわけです。



「心が鈍くなる」というこの新共同訳聖書の翻訳は、間違いとは言えませんが、かなりぼんやりしているものです。むしろ、文脈から読み取れる意図は、「心に負担がかかる」ということです。あるいは、「心に重圧がかかる」ということです。そのほうが、イエスさまの意図が、より明確になると思われます。



なぜなら、ここで言われている「放縦」と「深酒」と「生活の煩い」という三つの事柄の共通点である現実逃避という要素は、わたしたち人間が、その道を先へと進んでいけばいくほど、かえって、現実はわたしたちを追いかけ、さいなむものになる、つまり、心に負担ないし重圧がかかる、ということは、わたしたちすべてが体験済みのことだからです。



現実は、逃げれば逃げるほど、追いかけてきます。しかしまた、だからこそ、ますます深酒になる、ということが起こるのでしょう。現実を消し去るまで飲み続ける。しかし、現実は消えません。逃げることはできません。残るのは、二日酔いだけです。



また、「生活の煩い」には、現実逃避という面と同時に、自分の殻に引きこもるという面があることも否定できません。わたしが生活上感じている苦しみや煩いは、だれにも理解できないほどに大きいと、それぞれ皆が感じているのです。



「それならば、どうすればよいのか」という問いに対する答えは、ものすごく単純なものです。



第一は、逃げるのをやめる、ということです。逃げるから追いかけてくるのです。立ち止まって、振り返って、現実に向き合い、それを直視し、現実に対して誠実に取り組む、ということです。こつこつと、地道に、今日なすべきことを今日取り組む、という仕方で、そうすることが大切です。



第二は、苦しいのは自分だけではないということに気づくことです。わたしと同じ悩みを持っている人は他にもいる、ということを知るだけで、けっこう気持ちが落ち着くものです。



そして第三に、です。この問題の真の解決のためにイエスさま御自身が教えておられるのが、「いつも目を覚まして祈りなさい」ということである、と気づくことです。



ここで語られている、不意の罠のように襲いかかってくる「その日」とは、終末論的な概念です。今日は、その意味を詳しく説明する時間がもうありません。



ただ一言だけ申し上げておきたいことは、終末について考えることは現実逃避ではなく、むしろ逆であるということです。世界の終わりを考え抜くことは、世界の現実と向き合うことと同義語である、ということです。



終末を教える宗教はとかく現実逃避的である、と論評されることがありますが、わたしたちの場合は逆です。わたしたち(改革派教会)の終末論は、きわめて現実的なものです。



もちろん、終末について考えることは恐ろしいことでもあります。しかし、だからこそ、わたしたちには、宗教が必要なのです。宗教なしには、恐ろしすぎて、とても耐えられるものではないのです。世界の終末的現実に向き合うことができるようになるためにこそ、「神に祈る」という要素が必要なのです。



「目を覚まして」というのは酩酊状態の反対です。毎日徹夜でとか、不眠不休で、という意味ではありません。酒を一滴も口にしてはならない、という話でもありません。



イエスさまが教えておられるのは、“非陶酔的に祈ること”の大切さです。すなわちそれは、冷静で落ち着いた判断のもとに生きていくこと、そしてその中で「神に祈る」という生活を続けることにおいて現実に向き合うこと、そのことが大切であるということです。



そしてもう一つの点、第四の点に少しだけ触れておきます。それは今日お読みしました最後の(第三の)段落の記述に関係することです。それは、イスカリオテのユダの裏切りの場面です。



このことから学びうることは、世の中には、このような裏話、裏取引はいくらでもある、ということです。こういうことが実際になされていることに驚くべきではありません。



だからこそ、というべきです。わたしたちが考えなければならないことは、「放縦や深酒や生活の煩い」によってわたしたち自身が現実から逃避している間に、この種の裏取引がどんどん先に進んでしまっているかもしれない。事態は急速に悪化しているかもしれない、ということに敏感でなければならない、ということです。



冷静であること、非陶酔的な狂いのない目で、現実を見抜くこと。そして、祈ること。イエスさまは、その道をお選びになりました。また、その道こそが、イエス・キリストの背負われた十字架の道です。



ゴルゴタの丘の上で、両手両足に釘をさされることもいとわなかった。あのわたしたちの救い主イエス・キリストの十字架の道は「現実から逃げない」道です。少しも酩酊していない、きわめて冷静で、非陶酔的な御判断の中で、イエスさまは、御自身の道を進んでいかれました。



わたしたちも、(大変とは思いますが!)、イエスさまがお選びになったのと同じ道を、選ぶべきです。



(2006年9月3日、松戸小金原教会主日礼拝)



*’waardoor mensen de werkelijkheid niet meer kunnen zien en zich optrekken aan illuisies of ficties.’(J. T. Nielsen, Het evangelie naar lucas II, PNT, 1983, p. 177)





2006年8月25日金曜日

ファン・ルーラーのソフィスト批判

以下は、20世紀のオランダ改革派教会の牧師・神学者、アーノルト・A. ファン・ルーラー[1908-1970]の言葉です。



(原文)
Zij is theologie en geen theosofie. Dit 'logische' is wel te onderscheiden van het 'sofische'. Het 'logische' is nuchter en diep. Het 'sofische' is wel diepzinnig, maar altijd ook enigermate zwoel.
(A. A. van Ruler, Theologisch werk deel 1, p. 40.)



(試訳)
「それは神学(テオロヒー)であって、神智学(テオソフィー)ではない。“ロゴス的なもの”(論理性)は“ソフィア的なもの”(知性)から区別される。“論理性”は非陶酔的であり、かつ深い。“知性”もまた深遠ではある。しかしそれは、いつもどこかしら鬱陶しいものである。」
(ファン・ルーラー『神学著作集』第一巻、40ページ)



わたしがとくに度肝を抜かれたのは、最後の言葉です。'sofische' is...altijd ook enigermate zwoel.「ソフィア的なものは、どこかしらウザい」(!)。



けだし名言、と思いました。



ファン・ルーラーがいかに「神学的ソフィスト(詭弁家)たち」の存在を唾棄すべきものと考えていたかを垣間見る思いです。



われわれは、ソフィストの集まりにならないよう、お互いに自戒したいものです。



神学は「教会の学」であり、われわれが仕えるべきは「教会」です。この点でファン・ルーラーは、カール・バルトと完全に一致しています。



上記の名言が記されているのと同じ論文の中で、ファン・ルーラーは次のように書いています。



(原文)
Het (=presbyteriaal-synodale systeem) verhindert de vakmatige theologie, te overheersen in de regering en zo in het leven van de kerk. De theologie van de dienaren van het Woord wordt in evenwicht gehouden en binnen haar grenzen gewezen door de (pneumatische) menselijkheid van de ouderlingen en de diakenen. Dit evenwicht van theologische reflectie en praktijk van de vroomheid is een typisch moment in het werk van de Heilige Geest.
(A. A. van Ruler, ibid., p. 10.)



(試訳)
「長老主義は、“専門家の神学”(vakmatige theologie)というものが教会政治を支配し、それゆえまた、そういうものが教会生活〔または「教会の生命」〕を支配してしまうことを阻止するのである。“御言葉に仕える者たちの神学”(theologie van de dienaren van het Woord)は、長老と執事の(霊的)人間性によってバランスが保たれ、節度を守るのである。神学的考察と信仰的実践〔または「敬虔の修練」〕とのこのバランスこそが、聖霊のみわざの特徴なのである。」
(同上書、10ページ)



わたしは、つい最近まで、「教会の牧師の仕事」と「研究や翻訳などの仕事」は両立できない(時間的にも、肉体的にも、技術的にも)と感じていました。



そして、だからこそ、「神学の専門家」は必要であるし、われわれ牧師たちと彼らは分業すべきであると考えていました。



しかし、わたしは、上記のファン・ルーラーの言葉に接して、考えを変えることにしました。そして、今では以下のように確信しています。



(Q1)「神学の専門家」は、教会に仕えなくてよいか。



答えはノーです。



(Q2)(少なくとも毎日曜日に)教会に通わない「神学の専門家」などが、存在しえてよいか。



答えはノーです。



(Q3)教会の何らかの役職(教師、長老、執事、神学教師など)に就いていないため、教会の仕事において“忙しくない”ような「神学の専門家」などは、ありうるか。



答えはノーです。



(Q4)「教会的実践(イザコザ含む)に煩わされることなく、神学研究だけに没頭していてもよい人」は、存在しうるか。



答えはノーです。



(Q5)「教会的職務遂行」と「神学研究」の分業は可能か。



答えはノーです!