2006年7月9日日曜日

「教会と社会の関係」

ルカによる福音書20・20~26



今日の個所にも、イエスさまの命をつけ狙う者たちが登場いたします。そういう文脈を全く無視して、今日の個所を理解することはできません。



「そこで、機会をねらっていた彼らは、正しい人を装う回し者を遣わし、イエスの言葉じりをとらえ、総督の支配と権力にイエスを渡そうとした。」



最初に問題すべきことは、「正しい人を装う回し者」とある「正しい人」(ディカイオス)とはどういう意味かという点です。



それは、一言でいいますと、「神の律法に忠実な人」という意味です。それは、当時の文脈では「熱心かつ敬虔なユダヤ教徒」という意味になります。



ここでまず、やや余談として申し上げておきたいことは、わたしたちが気をつけたいことです。それは、「正しい人を装う回し者」とは、少なくとも外見上は「正しい人」そのものである、ということです。



いかにも怪しげであり、その正体をすぐに見破られてしまうような“脇の甘い人”は、「回し者」(スパイ)にはなれません。これ以上申し上げることは控えます。



回し者たちが「イエスさまの言葉じりをとらえ」ようとしました。そして「総督の支配と権力にイエスを渡そうと」しました。



彼らがこのような謀略を企てた理由として考えられることは、当時ローマ帝国の支配下にあったユダヤの国の中で、逮捕権を持っていたのはローマ軍であった、ということです。



彼らが考えたのは単純なことです。イエスさまの口からローマ帝国に逆らうような言質(げんち)をとることです。その言質をとることができさえすれば、ただちに、彼らからローマ軍の総督に訴え、あのイエスを逮捕してもらうことができる、と考えたのです。



「回し者らはイエスに尋ねた。『先生、わたしたちは、あなたがおっしゃることも、教えてくださることも正しく、また、えこひいきなしに、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。ところで、わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。』」



彼らが言っていることの前半は、読まなくてよい、または聞かなくてよいような話です。ただのおべっかであり、続く話の枕詞(まくらことば)にすぎません。早く終わらせてほしいものです。



きちんと対応すべき内容があるのは後半です。「わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」



ここで「わたしたちが」とあるのは、文脈上、「わたしたちユダヤ人が」と読んで間違いありません。ローマ帝国に支配されているこのわたしたちユダヤ人が、です。



ただし、少なくとも当時の文脈において「ユダヤ人」とは「真の神を信じる人々」のことを指すことになります。単なる民族的な意味だけに押し込んでしまうと、かえって理解が難しくなるでしょう。ここでは、むしろ「わたしたち、真の神を信じる者たちが」とか、「わたしたち信仰者が」と言い換えておくほうがよいと思われます。



「皇帝に」とありますが、これはもちろん“ローマ皇帝に”、です。しかしまた、この点も、字義的には今申し上げたとおりではありますが、重要なことは、ローマ帝国がユダヤの国を支配していたという点です。



当時のユダヤの国はローマ帝国の属国です。そしてここで最も大きな問題は、とくに「正しい人」と呼ばれる正統的ユダヤ教徒にとってローマ帝国は、根本的に“異教社会”であった、ということです。



しかも当時のローマ皇帝は、非常に強大な権力をもち、傍若無人にふるまう人でした。ですから、当時の文脈において、「ユダヤ人がローマ皇帝に税金を納めること」の意味は、正しい神信仰をもっている人々が異教社会の権力者に対し、その権力者が傍若無人にふるまうための活動資金を提供してよいか、ということになります。



そして「律法に適っているかどうか」とは、当時の文脈から言っても、またわたしたちの信仰的立場から言っても、「聖書の教え全体に適っているか」ということであり、そしてまた「神の御心に適っているか」という意味です。



したがって、この文全体を噛み砕いてもう一度言い直しますと、「わたしたち神を信じる者たちが、異教社会の権力者に対し、その権力者がその国と世界を支配するために用いる税金を納めることは、神の御心であるか」というふうになると思われます。



おそらく、皆さんの中には、わたしがわざわざこのように言い換えてみなくても、この文章の意味などは、すぐに理解できる、という方も多いだろうと思います。



しかし、このように言い換えてみて、改めて、はっと気づかされることが、わたしにはありました。それは、彼らが発した問いには、深刻な内容がある、ということです。



といいますのは、「わたしたち神を信じる者たち」という点を、わたしたちの場合ならば、たとえば、「わたしたち教会の者たち」と言い換えても構わないはずです。



そして「異教社会の権力者」という部分は、たとえば「わたしたち日本の社会の権力者」と言い換えてもよいでしょう。



とはいえ、もちろん、今の税金制度と二千年前のユダヤの税金制度とを一緒くたにして考えたり語ったりすることはできませんし、それはメチャクチャです。わたしは、そういうことを申し上げたいわけではありません。



しかし、このことを、いわばもっと根本的で原理的な問題として考えてみる。そのとき、たとえば、わたしたちキリスト者が、日常生活の中で、ふと次のような願望を持つことがありうるのではないか。



それは、次のような願望です。



すなわち、もしわたしたちが生きている家庭や社会や国が、わたしたちと同じ信仰ないし宗教を持つ仲間たちだけで満たされるようになってくれればよいのに、という願望です。



そうなりさえすれば、わたしたちが、日々それを抱えて生きているいくつかの重い悩みが解決するのにと、つい考えてしまうことです。



そのような願望が頭をもたげる理由は、はっきりしています。わたしたちの日常をとりまく問題の多くが、いろんな種類の宗教問題であることは、否定できないことだからです。



その種の宗教問題を政治的に全く解決させてしまう道があるとしたら、それはおそらく「一宗教に基づく一国家を形成する」ということだけです。もしそれが可能であるならば、少なくともその国の中では宗教にまつわる対立や紛争は、起こらなくなるのではないか。



「正しい人」と呼ばれていたユダヤ教の正統派の人々の“国”についての考えは、どうやら、今わたしが申し上げたような道筋で思い描かれるあり方に近かった、と思われます。だからこそ、わたしたちが皇帝に税金を納めることは律法に適っているか、という問いが出てきます。



すなわち、それは、異教社会の親玉に信仰者が税金を納めることは、事実上、その社会や権力者の存在を肯定しているのと同じではないのか。それは、正しい信仰とは言えないのではないか、という問いである、ということです。



しかし、この問いの立て方は、やはり、わたしたちにとっては、非常に危険な「誘惑」であると言わざるをえません。



そもそもこれは、イエスさまの言葉じりをとらえるための罠です。そして、なおかつ、わたしたちのある種の願望、はっきり言いますと、一種の逃避願望をくすぐる内容をもった罠である、と言わざるをえません。



その道を、わたしたちは、選択することができません。教会は社会に対して無批判であってはなりませんが、だからといって、教会は社会から逃避してはならないのです。



税金の不払い運動などには、ある種の英雄的な要素があります。イエスさまの活動を支持していた側のユダヤ人たちの中には、イエスさまに対し、そのような英雄性を期待していた人々もいたと思われます。



考えられることは、ユダヤ人たちの中に、ローマ帝国への税金を払いたくないと思っている人々がいた、ということです。



彼らの究極的な願いは、ユダヤの国のローマ帝国からの独立です。その運動を勝利へと導いてくれるメシアを、彼らは待ち望んでいた。イエスさまに期待していた人々は、この人こそ真のメシアであると信じていた。その期待にあなたは応えるつもりがあるのですかという問いかけが、この問いには含まれています。そのように考えることができるのです。



しかし、です。この問いに対して、もしイエスさまが、「ローマ皇帝にユダヤ人が税金を納めることは神の律法に反することなので、やめるほうがよい」とイエスさまがお答えになったとしたら、はい、そこでただちにローマ軍が攻め寄せて、イエスさまを逮捕してもらうことができる。



これが、回し者たちを送り込んできた人々の真の目的であった、ということです。
 
「イエスは彼らのたくらみを見抜いて言われた。『デナリオン銀貨を見せなさい。そこには、だれの肖像と銘があるか。』彼らが『皇帝のものです』と言うと、イエスは言われた。『それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。』彼らは民衆の前でイエスの言葉じりをとらえることができず、その答えに驚いて黙ってしまった。」



このイエスさまのお答えには、以下のような代表的な解釈があります。



第一の解釈は、デナリオン銀貨に肖像と銘とが刻まれているローマ皇帝は、国家権力のシンボルではあるが、宗教的シンボルではない。したがって、皇帝に税金を納めることは宗教的礼拝行為には当たらないので何ら構わないと、イエスさまがおっしゃった、という解釈です(E. シュタウファーら)。



第二の解釈は、要するに、ここでイエスさまは、皇帝と神の両方に税金を支払いなさいと言われたのだ、というものです。もっとも、神さまに税金を支払うことはできませんので、神さまから日々いただいている恩義をお返しすること、より具体的には、教会に献金する、というようなことです。



これら二つの解釈に共通していることは、イエスさまはローマ皇帝の存在や権力を肯定し、評価しておられたという結論を必然的に導き出すものである、ということです。



また、この理解に基づいて、イエス・キリストの教会は、教会と国家の分離(この意味での“政教分離”)を肯定し、評価すべきであるという結論を必然的に導き出すものです。



しかし、わたしたちのとるべき解釈は、これらとは違います。イエスさまは、ここで何も、そのようなことをおっしゃっているわけではありません。



そもそも、天地万物の創造者なる神とローマ皇帝とが、肩を並べて登場してよいはずがありません。神さまは神さまです。皇帝は神に創造された一人の人間にすぎません。



ローマ皇帝個人も、またローマ帝国という国家も、絶対視されたり、神格化されたりしてはなりません。イエスさまが神と人間を同格のものとして認めるようなことを、おっしゃるはずがないのです。



わたしたちのとるべき解釈は、このイエスさまのお答えは、あくまでも、回し者たちに対する批判である、ということです。



強調はどこまでも「神のものは神に返しなさい」という点にあります。これは使徒言行録5・29の使徒ペトロの言葉に表わされている確信と共通するものです。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」(使徒言行録5・29)。



イエスさまのメッセージは、こうです。



あなたがた回し者は、巧みな問いかけによって、わたしをはめて、逮捕させようとしている。ローマ皇帝の権威を肯定し、軍隊にわたしを引き渡そうとすることによって神に背いているのは、あなたがたである。



「神のものを神に返さなければならない」のは、あなたがたである!



(2006年7月9日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年7月2日日曜日

「ぶどう園と農夫のたとえ」

ルカによる福音書20・9~19



今日の個所に記されているのも、イエス・キリストのたとえ話です。このたとえ話は、先週の個所(20・1~8)との関連で読んでいくと、よりよく理解できます。



「イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。」



この中で注目すべき表現は「民衆に」です。今日の個所と同じ話は、マタイ福音書(21・33~46)にもマルコ福音書(12・1~12)にも、記されています。しかし、マタイとマルコには、イエスさまが「だれに向かって」この話をなさったかという点は、記されていません。



ところが、ルカ福音書には、イエスさまがお語りになった相手は「民衆」(ラオス)である、ということが記されています。この点は注目に値します。



そして、ここで気づくべきことは、この「民衆」とは、先週の個所に登場する「イエスが神殿の境内で…教えておられた」“民衆”である(20・1)、ということです。



ここでわたしたちは、もう一歩踏み込んで考えてみるべきです。「民衆」と呼ばれている人々は、だれのことでしょうか。



ほとんど明らかなことは、この「民衆」は、「祭司長、律法学者、長老」など“特殊な”人々から区別されている、その意味での“一般的な”人々のことである、ということです。



そして、思い起こしていただきたいのは、先週学んだことです。イエスさまがエルサレム神殿で福音を告げ知らせておられるとき、「祭司長、律法学者、長老」など“特殊な”人々が邪魔しに来た、という話です。



この人々は、イエスさまのお話に聞く耳を持っていません。それどころか、邪魔し、かつイエスさまを殺したいと考えているのです。



それに対して、一般的な人々(民衆)は、どうであったか。イエスさまのお話を喜んで聞いたのです。この人々は、聞く耳を持っていたのです。



考えてみていただきたいことは、皆さんならばどうでしょうか、という点です。



たとえば、誰かに向かって話をする。そのとき、聞く耳を持っている相手と、聞く耳を持っていない相手との両方がいる。



その場合、皆さんならば、どちらのほうに、“一生懸命に語ろうとする”でしょうか。あるいは、どちらのほうに、“語りたい”と感じるでしょうか。



人によって異なることかもしれません。わたしは、やはり、聞く耳を持っている相手に向かって、一生懸命に語ろうとするし、語りたいと感じます。これは当たり前のことではないでしょうか。



この点ではイエスさまも同じだったのではないでしょうか。そのように思われてなりません。イエスさまは“聞く耳を持たない”「祭司長、律法学者、長老」に対してではなく、“聞く耳を持っている”「民衆」に対して、御自身の御言葉をお語りになっているからです。



そして、じつは、この点こそが、今日の個所のたとえ話全体のテーマでもある。そのように理解することができると思います。



「『ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して長い旅に出た。収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。そこでまた、ほかの僕を送ったが、農夫たちはこの僕をも袋だたきにし、侮辱して何も持たせないで追い返した。更に三人目の僕を送ったが、これにも傷を負わせてほうり出した。そこで、ぶどう園の主人は言った。「どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。」農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。「これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、財産相続は我々のものになる。」そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。』」



結論のほうから先に言わせていただけば、このたとえ話の内容は、19節に記されているとおり、まさに「律法学者たちや祭司長たち」にとって「イエスが自分たちに当てつけて」話したものであると、気づくようなものである、ということです。



これはたとえ話ですから、一つ一つの言葉が何を指しているのかを、考えてみる必要があります。考えられることを申し上げておきます。



「ぶどう園」とは、神の民イスラエルです。「主人」は神さまです。そして、「農夫たち」とは、神の民イスラエルの霊的・宗教的な指導者たちのことです。ここまでは、はっきりしていると思います。



解釈が難しいのは、主人がぶどう園に遣わした「僕」とは、だれのことか、です。



途中のややこしい議論をすべて省いて結論だけ申し上げるならば、この「僕」とは、イスラエルの預言者たちのことであると思われます。



あのイザヤであり、エレミヤであり、また多くの預言者であり、また最後の預言者であるバプテスマのヨハネである。そのように考えることができるでしょう。



預言者たちは、神の御言葉を携えて、神殿や民衆の間で語りました。しかし、彼らの言葉は、イスラエルの民にも、また神殿で働く者たちにも、必ずしも喜んで受け入れられたわけではありませんでした。むしろ、反発され、嫌われ、責められ、疎外されました。袋叩きにされたり、傷を負わされたりする「僕」の姿は、まさにイスラエルの預言者の姿そのものです。



そして、最後に出てくる「愛する息子」とは、誰のことでしょうか。農夫たちは、この息子を殺してしまいます。農夫たちに殺されるのは、イエスさま御自身です!そのことを、イエスさまは、はっきりと自覚なさっているのです。



農夫たちが主人の息子を殺した動機は「財産相続は我々のものになる」という点です。



それは、あらゆる意味での「財産相続」です。知的・霊的な財産だけではなく、そこには量的・物理的な財産も含まれます。すなわち、エルサレム神殿の財産、神の民イスラエルの財産、ユダヤの国の財産です。



それら一切を、彼らが独占する。そのために邪魔になるすべての存在を抹殺してきたのです。イエスさまはその人々の狡猾さと謀略を熟知しておられたのです。



もちろん、はたして本当に、彼らが感じたとおり、イエスさま御自身がこのたとえ話を意図的ないし計画的に“当てこすり”のためにお語りになったのか、という点については、必ずしもそうではないと考えてみる余地があるように思われます。なぜなら、“当てこすり”うんぬんという点は、彼らがそのように感じたというだけであって、イエスさま御自身の意図かどうかが明記されているわけではないからです。



ただし、今日の個所に紹介されている場面でのイエスさま御自身が置かれている状況を考えると、そのような語り方をせざるをえなかった面があることを、否定できません。



忘れてはならないことは、その場所はエルサレム神殿の境内である、ということです。イエスさまの説教を聞いている人々の中に祭司長、律法学者、長老たちがいました。その人々は、最高法院の議員でした。最高法院の議員とは、まさにまもなくそのことが実際に起こるように、人を死刑にさえ定める“権威”を持っていた、そういう人々であった、ということです。



ですから、イエスさまが「当てこすり」をお語りになった理由として考えられることは、その人々に対する積極的な挑発であったというよりも、むしろ、その人々の前で逮捕容疑の言質(げんち)となるような“直接的な”言葉をお語りになることをできるだけお避けになった、ということです。



イエスさまが弟子たち以外の前では「たとえ話」をお用いになったという、あの有名なエピソードも、結局今申し上げた点にかかわっていると説明することができるでしょう。



ただし、どうか誤解がありませぬように。



わたしが申し上げていることは、イエスさまがエルサレム神殿の権威者たちの存在を、そして、彼らに逮捕され、死刑にされることを、“恐れておられた”という意味ではありません。恐れなど全くありません。



しかし、強いて言うならば、イエスさまとしては、無駄な論争などに巻き込まれることについては、それをできるかぎりお避けになった、ということは、事実であると思われます。なぜでしょうか。



わたし自身は、この問いにお答えするために、ごく単純な点に集中してみたいと願っています。それが、今日の最初に申し上げた点です。



すなわち、それは、イエスさまが御自身の御言葉を、聞く耳を持っている人々(民衆!)に向かってこそ、全力を尽くしてお語りになる、という点です。



エルサレム神殿に来られる前、ガリラヤ地方で伝道活動をされていたイエスさまのお姿は、本当に楽しそうです。民衆に近くあり、笑顔で牧会される、生き生きとした、また“若々しい”とさえ言いうるイエスさまのお姿を、容易に想像できます。



ところが、エルサレム神殿に到着されてからのイエスさまはお暗い感じです。なぜなら、イエスさまの周りには、命をつけ狙う多くの人々が、とりまいていたからです。御言葉をお語りになる場合でも、その人々の存在を常に意識しなければなりませんでした。



しかし、どうでしょうか。そんなのは、うんざりです。だって、そうではありませんか。イエスさまの前には、聞く耳を持っている多くの人々がいました。「民衆」(ラオス)がいました。その人々は、イエスさまの存在とお語りになる御言葉に、関心を寄せています。イエスさまに助けを求め、救いを待ち望んでいるのです!



その人々を、イエスさまは、ただ助けたいだけです。ただ、それだけなのです。初めから聞く耳を持っていない人々との、どうでもよい、無意味な論争などに巻き込まれているヒマはないのです。はっきり言って、そんなのは、時間と体力の無駄です。



そんな人々にかかわっているヒマがあったら、一言でも多く、一秒でも長く、御言葉を語っていたい。それがイエスさまのお気持ちではないか。そのように考えられるのです。



「『さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。』彼らはこれを聞いて、『そんなことがあってはなりません』と言った。イエスは彼らを見つめて言われた。『それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。」その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。』」



この個所で問題になるのは、ぶどう園の主人が農夫たちを殺す、という言葉が、あまりにも衝撃的すぎる、という点です。



主人が神さまのことであり、農夫たちがイスラエルの指導者のことだとすれば、なおさらです。神さまは、彼らを抹殺なさるのでしょうか。神の御子イエスさまは、エルサレム神殿でテロ行為を働くのでしょうか。「そんなことがあってはなりません」と反応した人々がいたことは、無理もありません。



しかし、イエスさまは「彼らを見つめて」言われました。わたしは、ここでイエスさまがニヤッとお笑いになったのではないかと、想像いたします。



そしてイエスさまが引き合いに出されたのは、旧約聖書の御言葉です。「家を建てる者の退けた石が、隅の親石となった」(詩編118・22、新共同訳)です。



問題は、この御言葉の意味は何かということです。イエスさまはその答えを、はっきりとは語っておられません。しかし、イエスさまの意図は明白です。



「家を建てる者の捨てた(または「退けた」)石」とは、イエス・キリスト御自身のことです。イエスさまは、エルサレム神殿の指導者たちから、嫌われ、捨てられ、退けられる。しかし、そのイエス・キリストが「隅の親石」となる、ということです。



「隅の親石」とは、建物の土台のことです。もちろん、その場合の建物とは比喩的な意味です。救い主イエス・キリストという堅固な土台の上にイエス・キリストの“教会”(建物の意味にあらず!)が建つのだ、ということです。



ですから、主人が農夫たちを殺す、という点の意味は、物理的・身体的に抹殺することではなく、“新しい教会”(キリスト教)が建つことによって“古い教会”(エルサレム神殿の宗教)は克服される、ということであると理解すべきでしょう。



そして、先ほど申し上げました、イエスさまはニヤッとお笑いになったのではないかとわたしが考える理由は、詩編118・22の御言葉は、ある意味での“不屈の闘志”のようなものを物語るものであると言いうるからです。



つまり、この御言葉を引き合いに出されることによって、イエスさまは、神殿の指導者たちから、どんなに退けられても、捨てられても、「負けないよ!」というお気持ちを表われているように思われるからです。



そして、その“新しい教会”とは、とりもなおさず、イエス・キリストのお語りになる御言葉への「聞く耳を持っている人々」の教会である、ということです。



わたしが申し上げたいことは、要するに、こうです。



イエスさまの伝道を、だれも邪魔することができない、ということです。



イエスさまに救いを求めて集まる人々を、だれも邪魔することができない、ということです。



どうでもよい論争など、まっぴらです。(権力闘争なども無意味。)



そんなのは、がっかり、うんざり、げんなり、です。



現実に救いを求めている人々が、現実に救われること!



それだけが、ただそれだけが、イエス・キリストの教会の関心であるべきです。



(2006年7月2日、松戸小金原教会主日礼拝)



西川重則著『わたしたちの憲法 前文から第103条まで』(いのちのことば社、2005年)

ここに来て、自由民主党が日本国憲法の具体的な「改正」案を提出するなど、憲法改正論議たけなわの中で、本書が出版されたことの意義は大きいと思う。

西川氏は、衆議院及び参議院の憲法調査会と自民党との憲法「改正」の根本的類似点が戦力の保持にあることは疑う余地がないと指摘する。その上で西川氏はチャールズ・オーバービー博士の「第九条の会」創設の意味を考え、元米軍海兵隊員チャルマーズ・ジョンソン氏の「日本人は自国の憲法にもっと誇りを持つべきである」という訴えに耳を傾けるべきであると述べ、そしてまず、日本国憲法をわたしたちの憲法とすることが確かな第一歩であると述べておられる。この点は、わたしも全く異存がない。

そして本書の内容は、現行日本国憲法の前文から第103条までの西川氏独自の視点からの分析と解説である。日本国憲法を学ぶことの必要性を痛感しながらも、日常の多忙やらいろんな理由から、その学びになかなか手をつけられないでいる者(わたしもその一人)にとっては、手頃で平易ゆえに、とてもありがたい一書となっている。

ただし、それは、本書の程度が低いとか内容が稚拙という意味では決してない。わたしが願うことは、多くの人々がとにかく本書を読んでくださること、またできれば買い求めてくださり、さらにいつも手元に置いて日本国憲法の何たるかを日々確認してほしいということである。多くの人々がそういうことをしたくなるであろう非常に優れた一書であることは、間違いない。

ただし、である。以下に書くことは、本書に対する批判ではない。ほんのちょっとだけそう感じた、という程度のことにすぎない。しかし、書かずにはおれない気持ちである。

わたしが何を感じたかというと、本書の中には、あとがきの最後に「平和をつくる者は幸いです」というマタイの福音書5・9(新改訳)の言葉が引用されている以外に、聖書の言葉やキリスト教の信仰の言葉がほとんど全く出てこないのは、やはりちょっとさびしい、ということである。いのちのことば社の出版物の中で、聖書やキリスト教の言葉がこれほどまでに出てこないのはきわめて珍しい例ではないかと愚考する。

おそらくこのことは「私は、憲法の問題は憲法によって解決すべきであるとの思いで多くの事例にかかわってきました」と書いておられる西川氏自身の意図的な表現方法なのだと思う。著者の意図していない点をねだってみてもあまり意味がないので、この点は本書への批判ではない。

しかし、強いて言わせていただけば、本書はたとえば教会の諸会(男子会、婦人会、青年会など)の学びのテキストとしては、やや使いにくい。わたし個人が現在願っていることは、現行の日本国憲法を護持したいという思いを支えうる“神学的根拠”を手にしたいということである。そこが不明瞭であるなら、なかなか元気が出てこないからである。

(『季刊 教会』、日本基督教団改革長老教会協議会、第63号、2006年夏季号、76ページ掲載)


2006年6月25日日曜日

「救い主の権威」

ルカによる福音書20・1~8



今日の個所に記されていますのは、エルサレムの町に到着されたイエスさまがさっそく巻き込まれた論争の様子です。



「ある日、イエスが神殿の境内で民衆に教え、福音を告げ知らせておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと一緒に近づいて来て、言った。『我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか。』」



イエスさまは、エルサレム神殿の境内に入られました。そして、そこでなさったことは、「民衆に教えること」、そして「福音を告げ知らせること」でした。



この「民衆に教えること」とは、第一義的に「教育」のことです。聖書には何が書かれているかを解説し、教育することです。



また「福音を告げ知らせること」とは、第一義的に「福音の伝道ないし宣教」のことであると表現できるように思います。



つまり、この個所には、イエスさまがエルサレム神殿で行われたのは「伝道」と「教育」という二つのことであった、と書いてあると、読むことができます。



しかし、これら二つのことは、全く異なるものであるとか、別々のものであると考える必要はありません。お互いはほとんど重なり合っているし、ほとんど同じことである、と言ってよいものです。



そして、この場合の「福音」とは、(旧約)聖書において預言され、約束された神の国が今やまさに近づいていること、そして、その神の国の王であるメシア=キリストは、わたしイエスである、ということです。



そして、わたしイエスこそがキリストであるということを、イエスさまは、エルサレム神殿の境内でお語りになりました。



そこはユダヤ教の総本山です。その場所で、そのようなことを、はっきりとお語りになる。ということは、イエスさまは、まさに御自身の死を覚悟しておられた、ということを意味するのです。



案の定、というべきでしょう。そのイエスさまの前にさっそく現れたのが、ユダヤ教の祭司長、律法学者、長老でした。



この三つのグループに属する人々のことは、これからも繰り返し出てきますので、ぜひ覚えておいていただきたいと思います。



いずれも、「七十人議会」と呼ばれる七十人の議員と一人ないし二人の議長から構成されるユダヤ最高法院(サンヘドリン)の議員です。



この「最高法院」で行われた裁判において、イエスさまを死刑する判決が下されました。つまり、今日の個所に出てくるこの祭司長、律法学者、長老たちが、イエスさまを死刑にする判決を下したのです。



この人々は、そういう人々である、と覚えていただきたいと思います。



彼らがイエスさまに問いかけてきたことは、二つです。



第一の問いは、「イエスよ、あなたは何の権威でこのようなことをしているのか」ということです。「このようなこと」とは、もちろん、エルサレム神殿の境内で、民衆に教えること、そして福音を告げ知らせることです。



第二の問いは、「その権威を与えたのはだれか」ということです。



この二つの問いも、ほとんど重なり合うことですので、一緒に扱っても、それほど混乱はしないでしょう。



彼らが言おうとしていることは、要するに、エルサレム神殿のような場所で教えるからには、それなりの権威を持っていて然るべきであるが、イエスよ、あなたはそれを持っているのか、いや、持っていないのではないか、ということです。



そして、やや気になることは、そのように言っている彼ら自身は、常日頃からエルサレム神殿で教えていた人々であるということです。



つまり、この人々は、自分自身はここで教える権威を持っている、と信じて疑わない人々であった、ということです。



それが意味していることは明らかです。非常に単純明快な話です。



彼らは、イエスさまのことを、自分たちよりも“格下”であると考えている、ということです。言うまでもなく、自分たちのほうが上、イエスさまは下です。見くだし、馬鹿にし、軽んじている、ということです。



彼らのプライドの根拠は、おそらく、一生懸命に勉強して学者になり、祭司長になり、長老になった、ということでしょう。ある種の立身出世物語があります。



祭司長であれ、律法学者であれ、長老であれ、誰でもなれるというようなものではありません。それなりの努力が必要です。



苦しい努力の日々を乗り越えてきた結果として、その地位と名誉を得た。そのこと自体は別に悪いことではありません。尊重されて然るべきことであると思われます。



たとえば、使徒パウロも、キリスト教に改宗する前は、ファリサイ派の律法学者でした。



このパウロが、三度の伝道旅行の後、エルサレム神殿にいたとき、ユダヤ人たちの謀略によって逮捕されました。



そして最高法院へと連れて行かれることになったとき、パウロが「ここで話をさせてくれ」と頼み、神殿にいた参拝客に向かって弁明をしたということが、使徒言行録21・37以下に記されています。



その弁明の中でパウロが語っている言葉が、とても印象的です。



「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました」(使徒言行録22・3)。



わたしが申し上げたいことは、今日の個所でイエスさまに「あなたは、何の権威で、このようなことをしているのか」と問うてきた祭司長、律法学者、長老の心の中にあったのは、このパウロの言葉の中にあるのと同じようなものであったに違いない、ということです。



パウロが引き合いに出している「ガマリエル」という教師は、当時の最高法院の中での最高権威者であったと思われます。



たとえば、もしイエスさまが、その「ガマリエル教室」に在学し、最高の成績を修めた新進気鋭の律法学者である、ということでもあれば、エルサレム神殿の境内で教えようと、だれからも文句をつけられることがなかったかもしれません。



つまり、彼らが問うている「権威」とはそのようなもののことであると思われるのです。ところが、イエスさまは、その意味での「権威」を持っていないと彼らは判断しました。それはある意味で事実であった、と言わなければならないでしょう。



なるほど、イエスさまは、パウロやほかの律法学者と同じような意味で、律法学校に入学して学んだことはなく、ガマリエルの弟子でもなかったからです。イエスさまは、約30才になられるまで、大工である父親の仕事を手伝っておられたからです。



つまり、ごく分かりやすくいえば、イエスさまご自身は、神学校も出ておられないし、教師試験も受けておられないし、按手礼も受けておられない、ということです。



イエスさまがそのような生い立ちを持っている、ということを、この最高法院の議員たちは、よく知っていました。だからこそ、彼らは、あなたは何の権威で教えているのか、その権威をだれが与えたのか、あなたにその資格はないのではないか、と批判しているのです。



「イエスはお答えになった。『では、わたしも一つ尋ねるから、それに答えなさい。ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。』彼らは相談した。『「天からのものだ」と言えば、「では、なぜヨハネを信じなかったのか」と言うだろう。「人からのものだ」と言えば、民衆はこぞって我々を石で殺すだろう。ヨハネを預言者だと信じ込んでいるのだから。』そこで彼らは、『どこからか、分からない』と答えた。」



このイエスさまのお答えを読みながらわたしなどが感じますことは、これはイエスさまというお方がいかに“機転の利く”お方であったかを物語るものである、ということです。機転とは、「物事に応じて、とっさに心が働くこと」(広辞苑)のことです。



ここで気づかされることの第一は、イエスさまは、この人々が仕掛けてきた論争に巻き込まれることを、明らかに、避けておられる、ということです。



売られた喧嘩は買う、とばかりに、むきになって受けて立つ、というやり方は採られず、むしろ、軽く受け流しておられるように見えます。



そして実際に採られている方法は“逆質問”です。質問されていることには直接答えず、質問に対して質問をもって答える、という方法です。



これは、わたしたちの生き方の上でも、大いに参考になることです。この人々は、初めから悪意ないし殺意をもって、イエスさまに質問してきているのです。はっきり言えば、そんな人々のことを、まともに相手をする必要はないのです。



ここで気づかされることの第二は、イエスさまがなさっている逆質問の内容は、相手が答えることができないように考え抜かれているものである、ということです。実際、彼らは、答えに窮してしまいました。



イエスさまの質問は、「ヨハネの洗礼は、天からのものであったか、それとも人からのものであったか」というものでした。このヨハネとは、言うまでもなく、イエスさま御自身にも洗礼を授けたことで知られる、「最後の預言者」と呼ばれるバプテスマのヨハネのことです。



このヨハネも、実をいいますと、先ほど紹介いたしました使徒パウロのように律法学校に学び、ガマリエル教授のもとで学問的に徹底的な訓練を受けて、学者になった、というような意味での「権威」を持っている人ではありませんでした。



ヨハネの人物像については、マタイ福音書の以下の記述が参考になります。「ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた」(マタイ3・4)。



ただし、わたしが申し上げたいことは、ヨハネがそういう格好をしていたことが「権威のなさ」を物語っている、というようなことではありません。



ただ、たしかに言えることは、ヨハネの人となりはエルサレム神殿の住人たち、すなわち、最高法院の議員たちとは、見た目も含めて、何から何まで、相当違っていたし、かけはなれていた、ということです。



しかし、エルサレムの彼らにとって、ヨハネの存在が脅威であったのは、彼らがどんなにがんばって勉強し、学問的に聖書研究を究めようとしても決して手に入れることができない何かを、ヨハネは持っていた、ということです。



それは何かといいますと、要するに、人々からの信望であり、信頼です。



多くの人々が、ヨハネを「預言者」であると信じていました。いやそれどころか、多くの人々は、ヨハネこそが来るべきメシア(=キリスト)ではないかと考えていたのです。



しかし、それはヨハネが学問を究めた人だったからではありません。



ヨハネの偉大さは、自分自身は来るべきメシアではなく、むしろメシアのための道備えをするために来た者であると語りつつ、メシアの前にへりくだる姿勢をとり続けたこと、そして、多くの人々に自分の罪の悔い改めを勧め、洗礼を授け、救いに導いたことにあります。



すなわち、ヨハネの権威とは、多くの人々を真の救い主イエス・キリストにある救いへと導く権威であり、それは、とりもなおさず、父なる神御自身から与えられた、上からの権威であった、ということです。



そしてまた、同時に大切なことは、ヨハネがそのような存在であることを多くの人々が認めていた、ということです。



ヨハネの権威は、律法学者や祭司長たちの権威とは、明らかに異なるものでした。



すなわち、ヨハネの権威は神が与えたものであると同時に、多くの人々がヨハネを尊敬し、信望していたという意味で、多くの人々から認められていたものである、ということです。



この意味で、ヨハネの権威は「神からのもの」でもあり、また同時に「人からのもの」でもあった、ということです。



それに対し、律法学者や祭司長たちの権威とは、何でしょうか。エルサレム神殿で教えることができるようになった。その意味での学問的な、あるいは制度的な権威というものならば、持っていたかもしれません。



しかし、です。彼らの権威においては決定的に欠けていた要素があったと言わなければならないでしょう。



それは何かといいますと、一言で言って、彼らは、ヨハネと同じような意味で、多くの人々から尊敬されることはなく、信望されることもなかった、ということです。



それは、どこに原因があったのでしょうか。今日はそのことにまで踏み込んでお話しする時間が無くなりました。



しかし、一つだけ触れておきたいのは、今日の最初の話に戻ることですが、要するに、彼らは、イエスさまに対して、自分よりも格下であると見て、見くだし、馬鹿にし、軽んじるという態度をとる。



この不遜さ、自分は偉いと思い込んでいる傲慢さが、人から嫌われる原因である、ということに、気づいていないようである、ということです。



宗教者の権威、また救い主の権威は、真に謙遜であること、そして真に人を助けることができることにある、というべきです。



傲慢な人、他人を見くだす人、ひとを神の救いに導くことに関心のない人、自分の地位や名声だけに関心がある人に、神学者や教師を語る資格は、ありません。
 
「すると、イエスは言われた。『それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。』」



彼らが「分からない」と答えをはぐらかしたので、イエスさまのほうも、何もお答えになりませんでした。最初からお答えになるつもりがなかったのです。



こんな人々を、まともに相手にする必要はないのです。



意味のない、不毛な論争は、避けるべきです。



(2006年6月25日、松戸小金原教会主日礼拝)







2006年6月18日日曜日

「祈りの家」

ルカによる福音書19・37~48



今日の個所で、イエスさま一行がエルサレムに到着されます。37~44節にはエルサレムにお入りになる直前の場面が、また45~48節にはお入りになった直後の場面が、それぞれ描かれています。



「イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。『主の御名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光。』すると、ファリサイ派のある人々が、群集の中からイエスに向かって、『先生、お弟子たちを叱ってください』と言った。」



ここに描かれているのはイエスさまが来られたことに対するエルサレム市民の反応です。一言で、とても好意的な反応である、と言ってよいでしょう。



「弟子の群れ」とありますが、これはイエスさまと一緒に旅をしてきた弟子たちのことではなく、むしろ、エルサレムの近くに住んでいて、イエスさまの御言葉やみわざに関心を持ち、イスラエルの救いを待ち望んでいた人々であると思われます。



ですから、厳密に言えば、「エルサレム市民の一部」というべきかもしれませんが、今は便宜的に「エルサレム市民」と申し上げることにします。そのように言っても、それほど大きな間違いではないと思います。



しかし、非常に気になることが書かれています。「ファリサイ派のある人々」の反応です。この人々も、エルサレムの住人であり、いわばエルサレム神殿の住人です。この人々が、イエスさまたちがエルサレムにやってきたことを、嫌がっています。非常に強い嫌悪感を持っています。



ファリサイ派のある人々がイエスさまに「先生、お弟子たちを叱ってください」と言いました。イエスさまを歓迎し、喜んでいる人々を「叱る」とは、彼らがイエスさまを歓迎することを、やめさせる、ということです。黙らせること、口封じをすることです。



なぜファリサイ派の人々は、イエスさまを歓迎し、喜んでいる人々を黙らせ、口を封じようとしているのでしょうか。その理由は、明らかです。



彼らは、明らかに、イライラしています。神経質です。イエスさまが、ファリサイ派の人々に対しては、非常に厳しい言葉で、批判されてきたからです。



ですから、ファリサイ派の人々の側から言えば、イエスさまがエルサレムに現れることは、“憎むべき相手”、“ライバル”ないし“敵”の出現を意味している、ということです。彼らの心の中の警戒警報が、鳴り響いているのです。



「イエスはお答えになった。『言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。』」



わたしは、「石が叫びだす」というこのイエスさまの御言葉が大好きです。とても痛快なものを感じます。



反対に、わたしは、自分に都合の悪いことを言わせないために、他人の口を封じようとする人々のことが、大嫌いです。そういう人に出会うと、いつも、わたしの心の中で「石が叫びだす」というこのイエスさまの御言葉が、まさに叫びだします。



聖書を調べていくと分かることは、「石」だけではなく、いろんなものが叫んでいる、ということです。代表的なものは、「血」と「畑」と「賃金」です。



「お前〔カイン〕の弟〔アベル〕の“血”が土の中からわたしに向かって叫んでいる」(創世記4・10)。



「わたしの“畑”がわたしに対して叫び声をあげ、その畝が泣き」(ヨブ記31・38)。



「御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった“賃金”が、叫び声をあげています」(ヤコブの手紙5・4)。



これらの叫び声に共通しているのは、いずれも、不当な扱いを受けた人や物、あるいは、不当に命を奪われた人や物による、彼らやそれらを不当に扱った相手、不当に命を奪った相手に対する激しい抗議(プロテスト)の叫び声である、ということです。



弟アベルは、兄カインに殺されました。アベルは死にたくて死んだわけではない。殺されたくて殺されたわけではないのです。



そのアベルの“血”が、土の中から叫ぶ。ある種の「怨念」のようなものを描いていると言ってよいでしょう。ただし、もちろん「怨念」という言葉には、異教的な響きがありますので、もう少し別の、よりふさわしい表現のほうがよいでしょう。



それはともかく、ここで大切なことは、イエス・キリストへの信仰を告白し、このお方に従って生きようとしている人の口を封じること、行いをさえぎることは、ほかのだれにもできない、ということです。



そして、このわたしの口をだれかが封じ、正しい信仰を告白することができないようにするならば、わたしの代わりに「石が叫びだす」。この信仰をこの世界の中から根絶やしにすることは、不可能である。わたしたちは、そう信じてよいのです。



実際に、キリスト教信仰は、そういうものであり続けました。日本のキリシタンでさえも、隠れキリシタンとして地下にもぐることによって生き延びました。キリスト教信仰は、二千年の間、一度として、この世界の中から、根絶やしにされたことがありません。



「エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。『もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。』」



41節以下に記されているのは、イエス・キリストが流された涙とその理由(わけ)です。「イエスさまともあろうお方がお泣きになるのか」と、この点で驚く方がおられても構わないと思います。ある意味で、びっくりするようなことです。



泣くという行為は、きわめて人間的(ヒューマン)な要素です。もう一箇所、新約聖書の中で、「イエスは涙を流された」と、はっきりと描かれていることで有名なのは、ヨハネによる福音書11・35です。わたしたちは、「イエスさまは人間的な存在であられる」と、語ってよいのです。



イエスさまは、エルサレムのために涙を流されました。当時のエルサレムが、宗教的にも政治的にも、まさに堕落していた、と表現するほかはないような状況にあったからです。



イエスさまは、エルサレム神殿の崩壊を預言しておられます。崩壊は、西暦70年に現実のものとなりました。イエスさまが十字架に架けられてから約40年後の出来事でした。



なぜエルサレム神殿は崩壊したのか、ということについて、詳しくお話ししている時間はありません。



そのことよりも今日、考えてみていただきたいことは、もしイエスさまが、今のわたしたち、日本の国の様子をご覧になったとしたら、どのようにお感じになるのだろうか、ということです。涙を流されるのではないだろうか、ということです。



日本の国、このままでよいでしょうか。精神が著しく荒廃しています。じつに多くの驚愕すべき事件が、わたしたちの非常に身近なところで、次々に起こっています。



どこが、あるいは何が、問題なのでしょうか。わたしたちは何もせず、ただ手をこまねいているほかはないのでしょうか。



「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。『こう書いてある。「わたしの家は、祈りの家でなければならない。」ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。』毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話しに聞き入っていたからである。」



45節以下から、ついに、イエスさまのエルサレムでのお働きが始まります。



エルサレムでイエスさまが、最初の最初、真っ先に行われたことは、エルサレム神殿にお入りになること、でした。



そして、神殿の中で商売をしていた人々を追い出され、「わたしの家は、祈りの家でなければならない」とお語りになったことです。



これが意味することは、何でしょうか。それは全く明白です。イエスさまがエルサレムに来られた目的は、初めから、まさにこのこと、すなわち、エルサレム神殿を「祈りの家」として取り戻すこと、回復することにあった、ということです。



イエスさまは、エルサレム神殿を、だれの手から取り戻され、回復されるのでしょうか。「神殿で商売をしていた人々」、またイエスさまを殺そうと謀る「祭司長、律法学者、民の指導者たち」の手から、と言ってよいでしょう。



彼らこそがイエスさまの敵です。彼ら自身がイエスさまのことを敵とみなしていた、という意味でイエスさまの敵です。



それは、エルサレム神殿の住人たちです。エルサレム神殿は多くの人が憧れ、遠く外国からも参拝客が絶えない、永遠の都イスラエルの首都エルサレムのシンボルです。そこに、イエスさまの敵が住んでいました。「敵は本能寺にあり」ならぬ、「敵はエルサレム神殿にあり」です。



わたしは、これまで牧師という仕事を十数年続けてきました。その間に何度か「福音書」の連続講解説教をしてきました。その経験の中でだんだん分かってきたことがあります。それは、エルサレムに到着されてからのイエスさまは「こわい顔をしておられるようだ」ということです。



対照的なのは、イエスさまが、ガリラヤ地方、とくにカファルナウムの町を中心に活動されていたときの様子です。町の人々に温かく寄り添い、笑顔をもって神の御言葉を語り、救いのみわざを行なわれるイエスさまのお姿を想像することができます。



ところが、ガリラヤ地方でのイエスさまの笑顔は、エルサレムでは消えています。眉間(みけん)に縦じわがよっている。そんな感じです。エルサレム神殿に待ち受ける敵を眼前にして、イエスさまが御自分の死を覚悟され、緊張しておられる様子が、よく分かるのです。



ですから、わたしは、(こんなことは言わないほうがよいかもしれませんが)、福音書の後半、エルサレムに入られてからのイエスさまを描いている部分については、説教することに躊躇を感じるときがあります。



なぜなら、エルサレムのイエスさまは「こわい」からです。とても厳しい言葉を語らなければならなくなります。



しかし、わたしたちは、この「こわい」イエスさまと、まさに真剣に向き合わなければならないのだと思います。



そのときこそ、わたしたち自身の問題が、はっきりと見えてくるでしょう。



(2006年6月18日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年6月11日日曜日

「主がお入用なのです」

ルカによる福音書19・28~36



今日は、日曜学校の子どもたちがいちばん前に座っています。日曜学校の花の日行事として、今年の新年礼拝のときに行ったのと同じ方法で、子どもを中心にした礼拝を行っています。



礼拝後は、日曜学校の催しやバザーを行います。今日は楽しく過ごしましょう!



今日の聖書は、イエスさまが続けてこられた、エルサレムへの旅が、まもなく終わろうとしている、という場面です。ついに終点が見えてきました。



そのときに、です。イエスさまは、エルサレムにお入りになるためにちょっと面白い格好をなさいました。なんと、子ろばの背中にお乗りになったのです。



なぜ「面白い」のでしょうか。どうしても気になるのは、イエスさまはなぜ、大きな馬にお乗りにならなかったのか、ということです。



大きな馬のほうが、格好いいではありませんか。なぜ「子ろば」なのでしょうか。



当時は今のような自動車がありません。大きな馬に乗るということは、大きな自動車に乗るのと同じです。またエルサレムはユダヤの国の首都です。今の日本の東京のようなところです。大都会です。たくさん人がいます。



その中で目立つためには、小さな車よりも、大きな車のほうがいい。格好いいし、立派に見えるではありませんか。



ところが、イエスさまは、そのような格好をなさらなかったのです。大きな馬ではなく、小さなろばに乗って、エルサレムの町に入っていかれたのです。



おそらく、町の人々はそれを見て笑ったと思います。「なんだい、あんなちっちゃいのに乗っちゃって」と。



そうです、イエスさまは、まさに人から笑われるような格好を、わざとなさったのです。みんなから笑われる、または、みんなを笑わせる、そのような格好です。



なぜイエスさまは、そのような格好をなさったのでしょうか。それには理由があります。旧約聖書の中に、救い主がエルサレムに来られるときには、子ろばに乗ってこられる、ということが預言されていたからです(ゼカリヤ9・9)。



もちろん、イエスさまは、この旧約聖書の預言を知っておられたのだと思います。ですから、聖書に書いてあるとおりに、なさったのです。しかし、イエスさまがなさったことには、もちろん、ちゃんと意味があります。



救い主がエルサレム入城の際にろばに乗るというのは、「謙遜」(ゼカリヤ9・9)と「柔和」(マタイ21・5)のしるしなのです。「謙遜」とは、威張らない、ということです。「柔和」とは、優しい、ということです。



その反対のことを考えると、さらにその意味がよく分かるでしょう。



当時、王様などのエライ人が馬に乗るとしたら、それは戦争のために使う軍馬でした。体が大きくて、足が速くて、見るからに立派な馬でした。



それは、「謙遜」と「柔和」の反対です。自分の力を相手に見せつけて威張るため、自分はエライ人間だということを見せつけるために、乗るものでした。イエスさまは、そんなものには、お乗りにならなかったのです。



誤解がありませんように。わたしは今、大きな車に乗っている人たちに向かって嫌味や皮肉を言おうとしているのではありません。大きな自動車に乗ること自体は、一向に構わないと思いますし、そういう話をするつもりは全くありません。



ただ、しかし、一点だけ、やはり、どうしても言っておかなければならないことがあると感じています。それは、乗り物の大きさや家の大きさ、また、その人が持っている物の大きさが、その人の「人間の大きさ」を決めるのではない、ということです。それは全く関係ないことです。



これは、今、子どもである皆さんには、ぜひ覚えておいてほしいことです。



皆さんは、これから大きくなったら、ぜひ偉い人になってください。わたしは、そのように願っています。でも、それは、乗り物や家が大きい人になってくださいという意味ではありません。乗り物や家の大きさがその人の「人間の大きさ」を決めるわけではありません。このことを、どうか忘れないでほしいのです。



イエスさまは、もちろん旧約聖書のみことばに従って、ろばにお乗りになったのですが、同時にそのことをイエスさまは、わざとなさったのです。



なぜ「わざと」かと言いますと、乗り物の大きさが「人間の大きさ」を決める、と思い込んでいる人々に、それは違います、ということを、お教えになるためでした。そういう考え方や物の見方は間違っている、ということを、お示しになるためだったのです。



ところでイエスさまは、そのろばをどのようにして手に入れられたのでしょうか。そのことが、次のように書かれています。



「イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。そして、『オリーブ畑』と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。『向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、だれかが、「なぜほどくのか」と尋ねたら、「主がお入用なのです」と言いなさい。』」



最初に言っておきたいことは、イエスさまがエルサレムに来られたのは、何もこのときが初めてのことではない、ということです。



イエスさまは、幼い頃は、両親と共に毎年エルサレムに行かれていたということは聖書に記されていますし(ルカ2・41)、成人されてからも、たびたび行かれたことでしょう。



そのことから分かるのは、イエスさまがエルサレムまでの旅路の途上で、ここにはろばがつながれているとか、あそこにはザアカイの家がある、というようなことを知っておられたとしても、なんら不思議なことでも、おかしいことでもない、ということです。



ですから、ここでイエスさまがろばの居場所をずばり言い当てた、というようなことは、あまり驚くようなことではありません。おそらく知っておられたのです。



そのことよりももっと驚かなければならないのは、イエスさまが二人の弟子にお命じになったことは、ろばをつないでいる紐を、持ち主の断りなしに、ほどきなさい、ということだった、という点です。



そして、それにびっくりした持ち主が、大急ぎで走ってきて、「何するんだい、泥棒め!」と飛びかかってきたら、そのとき初めて「主がお入用なのです」と説明して持ち主の許可を取りなさい、ということです。



これも誤解しないでいただきたいところです。イエスさまは、弟子たちに泥棒を働かせようと唆されたのではありません。



持ち主が飛びかかってくることまでは、すべて想定内です。持ち主が飛びかかって来ても、力ずくで奪い取るならば、それは泥棒です。しかし、イエスさまは、ろばの紐をほどけば、必ず持ち主が飛んでくる、ということをよくご存じでした。



つまり、イエスさまは、持ち主が飛んでくることを、初めから予想されていたのだ、ということです。



ですから、イエスさまの命令の真意は、泥棒をすることではなく、そのろばの持ち主に対して「主がお入用なのです」と説明して許可を取りなさい、という点にある、ということです。そのように考えることができます。



言い換えれば、このときイエスさまは、「主がお入用なのです」という言葉で使うことを許可されたろばにお乗りになるということを、初めから計画されていた、ということです。



なぜこのようなことをなさったのでしょうか。考えられることは、一つです。



注目したいのは、「主」という字です。「主」とは、救い主のことであり、また「神の国」の王さまのことです。まことの神の御子、わたしたちの救い主、イエス・キリストのことです。ですから、「主がお入用なのです」とは、この「主」なるイエスさまが、このろばを必要としている、ということです。



それを町の人にお願いする、ということは、これこそが、まさに、大きな馬ではなく、小さなろばに乗る王さまがおいでになったことを人に知らせる、ということです。



きっとその噂は、あっという間に町中に広まるでしょう。広まってもよいのです。むしろ、広めたい。だからこそ、そのために、イエスさまは、町の人を驚かせるようなことをなさったのです。



持ち主に断りなしに、ろばの紐をほどく。後ろからどんなに追いかけられても、ろばをかかえて走って逃げて来なさい、と命令なさったわけではないのです。



イエスさまの真意は、持ち主を驚かせ、町中を驚かせるため。ただそれだけであると思います。



今のこのご時勢の中で、教会でバザーを開いても、だれも驚いてくれないかもしれません。でも、大いにやりましょう。「へえ、教会でも、あんなことやるんだ」と驚いてもらえるようなことを、いろいろと、どんどん、やりましょう。楽しいことをやりましょう。



そして、教会が多くの人々に伝えたいと願っていることは、イエスさまの御言葉であり、イエスさまの生きざまです。



真に偉い人とはだれでしょうか。乗り物や家の大きさは、関係ありません。真に偉い人とは、わたしたちの救い主イエス・キリストのように、自分の命をささげて、ひとを助け、ひとを救うことができる人です。



(2006年6月11日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年6月4日日曜日

聖霊の執り成し


ローマの信徒への手紙8・26~30

今日はペンテコステの礼拝を共にささげております。二千年前の五旬祭(ペンテコステ)の当日、イエス・キリストの弟子たちに聖霊が降りました。聖霊の力に満たされた彼らは、主イエス・キリストへの信仰に基づく新しい教会を立て上げました。そのことが最初のペンテコステの日に起こりました。だからわたしたちは教会の誕生日としてこの日をお祝いするのです。

しかし、わたしたちにとってなかなか難しいと感じることは、「聖霊」とは何かということを理解するのが難しい、ということではないかと思います。そこで今日は、聖霊とは何かということをお話ししたいと願っております。

「聖霊」について記している聖書の個所はたくさんありますが、とくに今日開いていただきました個所は、たいへん有名であり、また聖霊の本質を理解する上で非常に重要です。

「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます」。

ここに出てくる“霊”が、聖霊です。すぐに気づいていただけるでありましょうことは、新共同訳聖書では、「聖霊」を意味する“霊”を主語とする文章の述語において、「助けてくださいます」とか「執り成してくださるからです」というふうに、いわゆる敬語表現が使われている、ということです。

これはもちろん正しい訳です。なぜこのように訳されているかを考えることが、聖霊の本質を理解するための第一歩です。

聖書の中で敬語表現が用いられているときの対象は、多くの場合、神さまです。ここでも同じです。聖霊は神さまなのです。“霊”と書いてあるところは、神と読み替えても構わないところです。だからこその敬語表現です。聖霊は、端的に神さまなのです。

しかし、です。“霊”を神と読み替えてもよいと申しましたが、その場合に同時に考えておく必要があることがあります。それは、神は“霊”「でもある」、ということです。

なぜ、そのように言わなければならないのかといいますと、わたしたちは、父なる神を“神”と信じ、また神の御子イエス・キリストも“神”と信じているからです。神は、聖霊としてのお姿だけではなく、御子イエス・キリストとしてのお姿においても、御自身を現されたのです。

そして、とくに問題にしなければならないことは、イエス・キリストの本質は霊というよりも肉にあるという点です。人間になられた神、肉をまとった神であられるキリストの存在においては、“肉”の面が明らかに強調されています。

ところが、聖霊には、肉体がありません。わたしたちの目には見えない存在なのです。

ただし、です。わたしは今、「聖霊なる神には、御自身がまとう肉がありません」と申し上げたばかりですが、そのすぐあとに、「しかし、ある意味で、聖霊は、そのような肉を、持っておられます」と言わなければなりません。

それは何なのかと言いますと、聖霊がまとう肉とは、わたしたち人間の肉体である、ということです。しかも、それは、このわたしの肉体です。関口康の肉体であり、またここにおられるすべての方々の肉体です。全世界の、イエス・キリストを信じる信仰者たちの肉体です。

このわたし、わたしたちの中に、聖霊が入り込んでくださるのです。聖霊がわたしたちの肉体をまとってくださるのです。そして、聖霊がわたしたちの心に働きかけてくださり、まさに「弱いわたしたちを助けてくださる」のです。

ですから、聖霊なる神の活動の場は、わたしたちの体の中です。しかし、聖霊はわたしたちの中という狭いところに閉じこもっておられるわけではありません。なぜなら、聖霊は、わたしたち自身を用いてくださるからです。

ですから、わたしたちの活動範囲が聖霊なる神の活動範囲です。もし皆さんの中に国際的に活躍している方がおられるならば、聖霊なる神御自身も国際的に活躍しておられるのです。もし宇宙空間に出かける人がおられるならば、聖霊なる神も宇宙空間にお出かけになるのです。

聖霊なる神御自身には、肉体がありません。いわばその代わりに、聖霊は、わたしたちの肉体の中で、わたしたちの肉体と共に、わたしたちの肉体を用いてお働きになるのです。これが、聖霊を理解するために、非常に重要な点です。

「わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」

先ほど申し上げましたとおり、聖霊は、わたしたち人間の肉体の中でお働きになります。しかし、そこで必ず問題になることは、わたしたちの中に聖霊がおられるときに、わたしたち自身の心は、どこにあるのか、ということです。

それは、はっきりしています。聖霊とわたしたちの心とは、共存しているのです。聖霊がわたしたちの中に注ぎこまれるとき、わたしたちの心が外に飛び出してしまうわけではありません。そうなればよいのに、と思う方がおられるかもしれませんが、そういうふうには、決してなりません。

なぜなら、もしわたしたちの心がすっかり聖霊に置き換えられてしまうならば、それは同時に、わたしたち自身が神様になってしまったことを意味するからです。しかし、わたしたちは神にはなりません。なる必要がありません。

罪深いわたしたちの心が、聖霊なる神と共に、このわたしの肉体の中で存在し続ける。そこで起こることは、深い悩みと葛藤です。神の御心と、わたしの思いとの対立であり、闘いです。

この個所で使徒パウロは「わたしたちはどう祈るべきかを知りません」と書いています。これは、でたらめとまでは言いませんが、そんなことがあるはずはないだろうと、思わず言い返したくなるような言葉です。

なぜなら、パウロは宗教の専門家です。牧師であり、伝道者であり、神学者です。そういう人が、なぜ「わたしたちはどう祈るべきかを知りません」でしょうか。知らないわけがないではありませんか。

しかし、今わたしが申し上げていることは、事柄の一つの側面にすぎません。もう一つの側面から見れば、なるほど、パウロの言うとおり、パウロを含むわたしたち、すべての者たちは、「どう祈るべきかを知らない」人間です。

なぜなら、祈りとは、神さまとお話しすることです。しかし、わたしたちは、神さまが何語を話しておられるかを知っているでしょうか。どういう言葉を語れば、それが神様に聞いていただけるものになるのか。どのような内容で祈れば神様に喜んでいただけるのか。

そういうことを知っている、という人がいるでしょうか。いないのだと思います。わたしたちは、ただ教えられるままに祈っているだけです。

しかし、です。どう祈るべきかを知らないわたしたちのために、聖霊が言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる、とパウロは書いています。このうめきは、どこから聞こえてくるのでしょうか。

これもはっきりしています。わたしたちの肉体の中からです。うめき声は、わたしたちの、おそらく口から、あるいは喉から出てくるものです。しかし、それは、わたし自身のうめき声であると言ってよいものなのです。

結論から先に言えば、両者を区別することはできません。このわたしの肉体のなかでの聖霊なる神とわたしたち人間の心の関係は、どこまでが聖霊であり、どこまでが心であるというふうに、きっちりと分け目をつけることができないのです。

それほどまでに、両者は深くかかわっているし、重なり合っているし、混ざり合っている。それが、聖霊のお姿なのです。

「人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」。

「人の心を見抜く方」とは父なる神のことです。ですから、この文章は、父なる神は「人の心を見抜くこと」と「聖霊の思いが何かということ」の両方を知っておられる、という意味で理解することができます。

つまり、わたしたち人間の心と聖霊は、神の側からは区別することができるということです。しかし、わたしたち自身は、両者を区別することはできません。

ところが問題は、その聖霊が、わたしたち人間の肉体の中に注ぎ込まれたときに起こります。わたしたち人間の肉体、また、わたしたち人間の心は、あまりにも罪深く、父なる神の御心とも、聖霊なる神の思いとも異なるように、動いてしまう。御心に反して生きてしまうからです。だからこそ、葛藤が起こるし、悩みが起こるのです。

しかし、どうでしょうか。わたしたちは、神になることはできませんが、それは、深い慰めでもあるはずです。

わたしたちを助けてくださる方が、おられる、ということです。

すべてがわたしたちの自己責任ではない、ということです。

わたしたちの思いを越えて働く、万事を益としてくださる、神の御計画がある、ということです。

わたしたちは、時々死ぬほど苦しい試練を受けることがありますが、そのこともまた、深い次元においては、神のご計画であり、わたしたち神の子らを訓練するための道である、ということを信じてよい、ということです。

わたしたちは、神になることはできません。ならなくてよいのです。助けてくださる方がおられるということで、十分満足してよいのです。

「宗教に頼るのは負け犬だ」とか、そういう言葉に動揺することは、一切ありません。

余計なことを言うようですが、そういうことを言う人に限って、奥さんに甘えたり、世間に甘えたり、自分自身を甘やかしながら、だらしなく生きているのです。

聖霊がわたしたちの中に注がれ、宿ってくださるとき、わたしたちは、自分自身の中で、祈りにおいて神と一対一で向き合い、神から答えをいただきながら、責任をもって生きていくようになります。

それが、わたしたちキリスト者の責任の取り方です。そのような奥義を、わたしたちは、持っているのです。

最後にまとめておきたいことは、聖霊がこのわたしの中におられる、ということは、神がわたしと共に生きておられる、ということだ、ということです。

神は、遠くにはおられません。今ここに、わたしの中に、そして、わたしの人生と共に、神がおられるのです。

ですから、わたしたちが祈るとき、遠くにおられる方に大声で呼びかける必要はありません。

そうではなく、まるで自分の胸に語りかけ、まるで自分自身を言い聞かせるように、自分に向かって祈ってよいのです。

(2006年6月4日、松戸小金原教会主日礼拝)


2006年5月28日日曜日

「小事に忠実な者は大事にも忠実である」

ルカによる福音書19・11~27



今日の個所に記されていますのは、ふたたびイエスさまのたとえ話です。「ムナのたとえ」と名づけられています。



ただし、これよりも、内容はほとんど似ているマタイによる福音書25章の「タラントンのたとえ」のほうが有名でしょう。両者を比較しながら読むというのも面白い試みであると思います。しかし、今日はそのようなことを行う余裕がありません。



しかし、両者の比較について一点だけ触れておきます。すぐ分かることは、ルカによる福音書の「ムナのたとえ」のほうが、マタイによる福音書の「タラントンのたとえ」よりも恐ろしい、ということです。恐怖の要素が強調されている、ということです。



「イエスは言われた。『ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、「わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい」と言った。しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、「我々はこの人を王にいただきたくない」と言わせた。』」



最初に申し上げておきたいことは、イエスさまのこのたとえ話には、歴史的に実在する何らかのモデルがあると考えられている、ということです。



イエスさまのたとえ話のすべてに当てはまることかどうかは、分かりません。しかし、たとえ話の中には、明らかに何らかの実在する具体的なモデルがあって、当時の人々の耳で聞けばそれが何のことなのか、だれのことなのかが、すぐに分かるようなお話があった。これはその一つであると考えられているのです。



ある解説によりますと、「ある立派な家柄の人」は、当時のユダヤの支配者ヘロデ大王の息子アルケラオのことであると言われています。その場合、この人が王の位を受けて帰るために旅立つ「遠い国」とは、ローマのことです。アルケラオは、父ヘロデ大王と同様、非常に過酷な弾圧政策をもってユダヤの国を支配し、ユダヤ人たちから嫌われた人でした。



この点から確認しておきたいことがあります。それは、「ある立派な家柄の人」は神さまのことでもイエスさまのことでもないということです。このたとえ話を読みながらわたしたちが想像力を働かせる内容は、神さまの姿ではなく、むしろ、国民を弾圧し、国民から嫌われた、悪い王の姿である、ということです。



イエスさまがなぜ、そのような悪い王の姿を思い起こさせるような話をしておられるのか、その理由は何なのかは、はっきりしたことは言えません。しかし、重要なヒントは、11節の、イエスさまがこのたとえを話された理由です。「エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである」。



この一文から伝わってくることは、イエスさまがこのたとえをお話しになった理由は、「エルサレムに近づいておられる」からであるということです。それは同時にイエスさまが十字架に架けられて死ぬ日が近づいているということを意味するわけです。



ところが、そのようなイエスさま御自身の側の張り詰めた緊張感の傍らで、イエスさまの弟子たちを含む多くの人々は、「神の国はすぐにも現れるものと思っていた」、つまり、イエスさまのエルサレム入城によって、新しい時代の幕が開ける。まさに今こそ、神の国が始まるのである、という何とも能天気で楽観的な雰囲気が漂っていたからである。それがこのたとえを話された理由である、ということです。



つまり、このたとえ話は、そのような楽観的な雰囲気を戒め、「少しは緊張しなさい」と周囲の人々に警告を発し、警戒を促すために語られたものであると読むことが可能である、ということです。最初に触れました、このたとえ話の中では恐怖の要素が強調されているという点も、この辺の事情を反映しているからであると思われます。



このたとえ話の内容は単純です。旅行に出かけた主人が十人の僕たちに一ムナずつ自分の財産を渡して管理させました。ある僕は「一ムナで十ムナをもうけた」ところ、帰ってきた主人からほめられ、十の町の支配権を与えられました。他の僕は、「一ムナで五ムナを稼いだ」ところ、主人からほめられ、五つの町の支配権を与えられました。しかし、別の僕は、その一ムナを布に包んでしまっておき、増やすことも減らすこともしないで、そのまま主人に返したところ、主人から叱られ、持っているものまで取り上げられました。



しかし、繰り返しますが、この「主人」は、神さまでも、イエスさまでもありません。また、この十人の僕たちに預けられた一ムナは、マタイ25章のタラントンのたとえの場合のように「神の恵みの賜物」を連想してよいのか。神さまから与えられた賜物は、大切にしまいこんで事実上結局無駄にすることよりも、積極的に活用しましょう、というような一般的な教訓を読み取ってよいものなのか、といいますと、そういうふうに読むことはできない、ということです。



そういうことではない。むしろ、今日の個所の「一ムナ」は、わたしたちが日常生活の中でさんざん苦しめられている会社の仕事や、われわれの社会的な義務や責任というようなものを思い起こさせる何かである、ということです。重苦しさが付きまとう何かです。



主人から預かった一ムナを布にくるんでしまっておいた僕が叱られ、また「わたしが・・・厳しい人間だと知っていたのか。ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば・・・利息付きでそれを受け取れたのに」と言われていることも、これを神と人間との関係、あるいは神の御子イエス・キリストとわたしたちの関係などを指し示しているものである、と読むべきではない、ということです。



神さまは、御自分がわたしたち人間にお授けになった賜物から得た結果を返せとお命じになり、結果を出せなかった人々からは銀行からの利息で補いなさい、というようなことを強く望むほどに人間から厳しく取り立てる、そのようなお方ではない、ということです。



また、27節に記されている、「わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを・・・打ち殺せ」というこの点も、神と人間の関係、あるいは、イエス・キリストとわたしたちの関係を表わしているものではない、ということです。このあたりは、どうかご安心いただきたいと願う点です。



しかし、わたしは、ここで話を終わるわけには行きません。この次に必ず起こってくる問題が残っているからです。それは、それではなぜイエスさまは、エルサレムが近づいてきたこのときに、このような、国民に圧政を強いる悪い王のことや、毎日の厳しい仕事のことを連想させるような、なんともいえない重苦しさをまとった、まるで恐怖心を煽っておられるかのようなたとえをお話しになったのか、という問題です。



別の言い方をしますと、このたとえ話の中で最も注目すべき言葉はどの点かという問題です。それをわたしは17節の主人の言葉の中に見ます。「良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう」。この「ごく小さな事に忠実だった」という点です。



間違いなく言えることは、これは、かつて共に学びました「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である」(ルカ16・10)を思い起こさせる言葉である、ということです。



ルカ16・10の文脈は、わたしたちの多くが理解に苦しむ「不正な管理人」のたとえ話です。しかし、次第に分かってくることは、今日の個所とルカ16章の「不正な管理人」のたとえ話の間には内容的なつながりがある、ということです。



「不正な管理人」のたとえが教えていることは、あくまでも「この世の子ら」の“賢いふるまい”であること、「光の子ら」が真似をすべきところは不正そのものではなく、賢く生きることに関する部分だけであるとわたしは申し上げました。これと同じような読み方が、今日の個所にも当てはまると思います。



今日の個所の「主人」は、神さまでもイエスさまでもないからです。また、登場する僕たちと主人との関係は、神さまと人間、イエスさまとわたしたちの関係を、直接的に示すものではないからです。



しかし、です。ここで明らかなことは、一ムナを十ムナに増やした良い僕についてこの主人が語った「お前はごく小さな事に忠実だった」という点についてだけは、わたしたちが自分自身と神様との関係にかかわる事柄として真剣に学ぶべきところである、ということです。なぜなら、「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実」だからです。小さな仕事や事柄を軽んじる人に、大きな仕事や事柄を任せることはできないからです。



今、わたしたちが考えている問題は、それではなぜ、イエスさまは、このたとえ話を、エルサレムに近づかれたときにお話しになったのか、ということです。それを、わたしは、以下のように理解したいと思っています。



それは、この場面でイエスさまが「ごく小さな事」として考えておられるのは、イエスさま御自身が、まさにエルサレムで、ゴルゴタの丘の上で、十字架にかかって死んでくださること、そのことではないか、ということです。



イエスさまの十字架を「ごく小さな事」などと言うのは、全くとんでもないことであり、許されないことであるというふうに思われるかもしれません。わたし自身もそう思います。



しかし、そのように、イエスさま御自身が言われた、というふうに理解することは可能かもしれないのです。わたしたちのこととして考えてみても、自分がしていること、これからすることを「大きな事である」というでしょうか。なんとなく傲慢や不遜のにおいがしてきます。



もし今、自分のしていることは、他の人がしていることや、この世界の中に起こっていることよりも「大きい」と感じているときは危険です。頭を冷やしてみる必要があります。冷静なときのわたしたちは、「わたしのしていることは、取るに足りません」と言うのではないでしょうか。



イエスさまの場合は、なおさらです。イエスさまという方を、御自身のみわざを「ごく小さな事」と表現されるほどに謙遜なお方である、と考えることは、間違っているでしょうか。



しかし、その場合、「大きな事」とは何でしょうか。それが「神の国」です。そのように読むことが可能です。なぜなら、このたとえは、「神の国はすぐにも現れる」と思っている人々に対する戒めとして語られたものだからです。



神の国の実現という「大きな事」のために、イエスさまの十字架という「小さな事」に忠実でなければならない。そのようにイエスさま御自身が自覚されていた、ということは、ありうることです。



わたしたち自身がイエスさまの死を「小さな事」であると考えることは、通常ありません。しかし、イエスさまを信じない人々は、どうでしょうか。



あるいは、神がお造りになった全世界と全人類の大きさと比べて、ひとりのイエスさまの死の大きさは、どうでしょうか。冷静に考えてみて、どちらが大きいでしょうか。イエスさまの死でしょうか。それとも、全世界と全人類のほうでしょうか。



イエスさま御自身が、後者であるとお考えになったのです。この世界が神の世界となり、地上に神の国が打ち立てられる。そのことのほうが、御自身の命よりも、はるかに大きいと、イエスさま御自身が、お考えになったのです。



しかし、神の国の実現のためには、どうしても通らなければならない道がある。それが、イエスさま御自身の死です。エルサレムにおける十字架上の死です。



ですから、「小事に忠実な者は大事にも忠実である」とは、十字架の死において父なる神に従順であられたイエスさまだけが、神の国の王として、全人類と全世界を支配なさる方となる、という意味で理解することができるのです。



まさにこの意味で、イエスさまは、エルサレムを前にして、能天気に浮かれている場合ではないと、周りの人々を戒められたのだと思います。



もうちょっと緊張しなさい。わたしは、これから死ぬのだからと。



(2006年5月28日、松戸小金原教会主日礼拝)







2006年5月20日土曜日

教会の職務にある女性 A. ファン・ルーラーの理解

20世紀のオランダ改革派教会の神学者、アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー[Arnold Albert van Ruler, 1908-1970]は、「女性の牧師・長老」については、どのような考えを持っていたのでしょうか。

この問いの答えとなりうる事柄が、昨年(2005年)アムステルダム自由大学に提出された以下の博士論文によって、ほんの少しだけですが解明されました。以下に、かいつまんだところをご紹介いたします。

Allan Jay Janssen, Kingdom, office and church: A study of A. A. van Ruler's Doctrine of Ecclesiastical Office with Implications for the North American Ecumenical Discussion, Academisch Proefschrift, Vrije Universiteit Amsterdam, 2005.

ファン・ルーラーが属していた「オランダ改革派教会」(Nederlandse Hervormde kerk)では、1950年代まで、女性の牧師も長老も、認められていませんでした。

しかし、そのオランダ改革派教会の教会規程が、ファン・ルーラーを中心的存在とする委員会によって改定されることになりました。そして、その改定作業の過程の中で、「教会の職務にある女性」(De vrouw in het ambt/ Woman in Office)というレポートがまとめられるなど、研究が盛んになされました。

そして、教会規程改定の結果として、女性の牧師と長老が、認められることになりました。

しかし、ファン・ルーラー自身は、女性の牧師と長老を認めることに「躊躇」(hesitation)を持っていたということを、上記のジャンセン論文が紹介しています。

その「躊躇」の理由は、たった一つだけです。

それは、キリスト教会において、「神と人間との関係」が、いわば「男と女の関係」として表現されてきたのは、ほとんど1900年間に及ぶ教会の「伝統」であるという、この点です。

しかも、この「伝統」は、「セクト」が勝手に変更してよいようなものではなく、「全体教会の伝統」でなければならず、それゆえ、カトリックとプロテスタントとの間のエキュメニカルな問いでもある、という点が、ファン・ルーラーを「躊躇」させました。

しかし、他方で、ファン・ルーラーの職務理解は、根本において、「職務は、しょせん単なる職務に過ぎない」(office is only office)という、どちらかといえばドライなものでした。

そして、「もしそうすることが必要な場合には、教会は、自己を改革する勇気を持たなければならない」(the church must have the courage to reform if need be.)とも考えました。

さらに、もう一つの点として、ファン・ルーラーは、「教会の職務を切り分けることはできない」とも考えました。

その意味は、そもそも教会の職務は、教会会議あってのものであり、会議から切り離された職務は存在しないこと、また「牧師」を「長老」や「執事」とは全く別扱いのものとすることはできないこと、そして「執事の奉仕」(service of the deacon)なしに「長老の治会」(governance of the elder)が存在しうるなどと考えてはならない、ということです。

ファン・ルーラーは、執事に用いられる「奉仕」(serving)という表現の意味は「神によって用いられた」(used by God)ということであるが、牧師・長老による「治会」(governance)も、じつは同じ意味である、とも語りました。

ジャンセンが紹介しているのは、この程度です。残念ながら、ファン・ルーラーは、女性教師・長老の問題について、あまり多くのことを語らなかったようです。

ちなみに、わたし自身は、女性を「教会会議」(小会・中会・大会)から排除する理由は、もはやどこにもない、と考えております。

『キリスト新聞』誌などで報じられましたので広く知られているとおり、数年前の日本キリスト改革派教会の定期大会で、女性教師・長老に関する件が「審議未了廃案」になりました。

しかし、それは、「未来永劫、二度と審議いたしません」という意味では全くありえません。教派の60周年信徒大会(2006年)が終わったら、もう一度、然るべき方々から提案され、きちんと取り扱います、という意味でした。少なくとも、大会の議場の大半は、そのように受け止めました。

きちんと取り扱っていただきたい。それがわたしの願いです。


2006年5月14日日曜日

「徴税人ザアカイ」

ルカによる福音書19・1~10



「イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった」。



エリコという町で起こった徴税人ザアカイとイエス・キリストとの出会いを描いたこの物語は、たいへん多くの人々に愛され、語り継がれてきました。



エリコは、ガリラヤからエルサレムに向かう旅の中ではいわば最終の宿場と言いうる、エルサレムの手前にあり、そこを必ず通っていくことになる、重要な拠点都市です。



その町にザアカイがいました。「徴税人の頭」とありますとおり、この仕事をしている中でいちばん偉い人の肩書きを付けていました。



ただし、これは少し皮肉です。「徴税人」は、ユダヤ社会における最も嫌われていた人々の代名詞でした。ユダヤを支配していたローマ帝国に納める税金を集める彼らの仕事は、ユダヤ人たちからは、裏切り者のようにみなされました。



また、当時の徴税人は、ゆすりたかりのたぐいを働いていました。ザアカイは「金持ち」であったと紹介されていますが、主な収入源は恐喝まがいの取り立てでした。一説によりますと、一般人で20パーセント分、ラビ(ユダヤ教の教師)の場合は25パーセント分のピンはねをしていたようです。そういうことを、ローマ帝国の権力を笠に着てするものだから、始末に終えない。



そんな感じでしたので、「徴税人の頭」とは、いちばん偉いというよりは、むしろいちばん悪い。いちばん社会から嫌われていた人の代名詞であったと理解すべきなのです。



お金はたくさんある。しかし、友達がいない。ザアカイは、そういう人でした。



「イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群集に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである」。



イエス・キリストがエリコをお通りになるという情報が、どこかから広まったのでしょう。イエスさまは、そのときまでには、すでに、かなりの有名人になっておられたと思われます。イエスという人はどんな人かを一目見たくて、大勢の人が集まってきました。



その中に、ザアカイも入ろうとしましたが、背が低かった。そのため、先回りして、いちじく桑の大きな木の上に登った、というのです。



木に登ったこと自体をどうこう言うことはできないかもしれませんが、強いて言うならば、そういうことを、いわゆる偉い人がするだろうか、ということを、つい考えてしまいます。



本当に偉い人ならば、(これも少し皮肉が混じっていますが)側近たちでも使って最前列に特等席でも確保させ、悠々とそこに座って、イエスさまご一行のお通りを眺めるのではないでしょうか。



ところが、ザアカイは、一人で走り回り、一人で木に登る。寂しさを感じます。



「イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。『ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。』ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。『あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。』」



イエスさまは、そのザアカイを見つけてくださいました。イエスさまの目は、御自身の周囲の全体を見渡しながら、その中で最も変な感じがする、違和感がある、何かそこに問題があると感じる、そのようなところを、ズバリ見抜く力を持っておられるかのようです。一種の間違い捜しです。



そのような目は、おそらくわたしたちも、ある程度の訓練を受けると持つことができるように思います。それは要するに、全体を見渡しながら、その全体の中のどこかに違和感があるということを瞬時に察知し、どこに違和感があるかを的確に見抜く目です。



なぜ、木の上に人がいるのか。



なぜ、木の上にいる人が徴税人の頭なのか。



徴税人の頭が、なぜ木の上にいなければならないのか。



なぜ、あの人は、あれほどまでして、イエスさまを見たいのか。



あの人は、何か今、とっても悩んでいることがあるのではないか。



助けを求めているのではないか。



このような、いろんな問いを、瞬時に思いつき、問題の所在を察知する。「見る」という行為は、非常に大事です。



そしてイエスさまは、ザアカイの姿を木の上に見つけられたとき、ザアカイに声をかけ、「急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と言われました。



「急いで降りて来なさい」とは、そんな木の上などに一人でいないで、堂々とみんなの前に立ちなさい、というメッセージではないでしょうか。



「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」とは、何か切羽詰った思いを持っているように見えるあなたの話を、あなたの家で、ゆっくり聞かせてほしい、というメッセージではないでしょうか。



お金はたくさんある。しかし、友達がいない。そのザアカイを、イエスさまがみもとに呼び寄せてくださり、友達になってくださろうとしました。



その結果、どうなったか。ここに記されているのは、イエスさまから声をかけていただいたザアカイは、「急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた」ということです。



ザアカイは、喜んだのです。それはおそらく、彼の心が求めていた何かを、得ることができたからです。イエスさまが自分の姿を見つけてくださり、また自分の家を訪ねてくださるということが、ザアカイにとっては、純粋かつ単純にうれしかったのです。



そして、この後に書かれていることで明らかになるのは、このイエスさまとの出会いによって、ザアカイは自分の生き方を大きく変えることを決心したのだ、ということです。それくらいに、この出会いは彼の人生において決定的な意味を持ちました。



ところで、わたしは、先ほど、ザアカイを木の上に見つけたイエスさまのような目は、ある程度までならば、わたしたちも、身につけることができるものである、と申し上げました。しかし、もちろん、イエスさまにしか、おできにならないこともあります。それは、いわばその先の部分です。



ザアカイがイエスさまを喜んで自分の家に迎えたのを見た人々が、イエスさまのことについて、「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった」とつぶやきました。こんなふうに言われることは初めから分かっていたことでした。ザアカイは、嫌われ者として有名人でしたから。



しかし、イエスさまは、そのことをあえてなさる。ザアカイを罪の中から救い出すためになさる。周りの人々からなんと言われようとも、全くお構いなしになさる。



嫌われ者の仲間になるということは、事実上、自分自身も嫌われ者になる、ということです。少なくとも、そのように言われたり見られたりすることを覚悟するということです。



そのことを平気でなさる。人から嫌われる勇気をもってなさる。この点が、イエスさまのイエスさまたるゆえんです。他の人々には真似することができない点です。



そのようにして、イエスさまは、他の多くの人々が「壁」や「溝」であると思っているようなことを、勇気をもって打ち破ってくださり、飛び越え、乗り越えてくださるのです。



他のみんなが嫌がったのに、イエスさまだけが、徴税人ザアカイの友達になってくださいました。いわば、ただそれだけのことでした。ただそれだけのことで、ザアカイの人生に大きな転機が訪れたのです。



「しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。『主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。』」



これを「ザアカイの回心」と呼ぶことが正しいかどうかは微妙です。ただ、このときを人生の転機にしなければならないとザアカイ自身が確信し、そのように決心し、具体的な計画を提示し、それをイエスさまの御前で約束したことは、たしかです。



「財産の半分を貧しい人々に施します」というのは、生ぬるいでしょうか。「財産の全部を施します」と、ザアカイは言うべきだったでしょうか。そうだと言えばそうかもしれません。しかし、彼の提案は、興味深いものです。



財産の全部を差し出してしまうことは、悪く言えば、自分の人生に対する無責任に通じます。半分は自分のものとして残し、それを自分自身や家族の人生に責任をもって生きていくために用いることは、悪いことでないどころか、むしろ非常に良いことです。



また、彼は、自分が徴税の仕事の中で働いてきた恐喝を止めることを決心しています。そして、その分を四倍にして返しますと約束しています。



財産の半分を自分の手元に残すということは、その賠償分に充てるということでもあるのです。この点でも、彼の提案は、非常に現実に即していて妥当性があります。



「イエスは言われた。『今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。』」



イエスさまは、ザアカイの決心と約束を喜んでくださいました。そして、そのザアカイの姿を見て、「今日、救いがこの家を訪れた」と言われました。



ザアカイが財産の半分を貧しい人々に施すこと、恐喝で得た収入については四倍にして返すことは、ザアカイの悔い改めのしるしです。それで周りの人々が納得したかどうかは分かりません。



しかし、人がどう思うかということも大切ですが、自分は何をするかということが大切なのです。ザアカイの施しは、彼の悔い改めのしるしでした。もしそのようなものでないとしたら、彼の施しには、何の意味もありません。



「人の子は失われたものを捜して救うために来た」。このメッセージは、15章に出てくる三つのたとえ話(見失った羊のたとえ、無くした銀貨のたとえ、放蕩息子のたとえ)とも共通している点です。



これこそが、救い主イエス・キリストが地上に来られた目的です。イエスさまが十字架にかかってわたしたち罪人の身代わりに死んでくださるために来てくださった目的がこれなのです。



「失われたもの」とは、罪を犯すことによって神の御前から失われたもの、神から遠ざかってしまった人々のことです。



そのことがザアカイにも当てはまります。お金だけが友達。ゆすりたかりもへっちゃら。そう思っていたザアカイが自分の人生を根本的にやり直すことを決心し、約束する。それを「救い」と呼ばなくて、何を救いと呼ぶのでしょうか。



その出来事が、エルサレムにイエスさまがお入りになる前に、エリコの町で起こった、ということも、象徴的です。



エリコの隣のエルサレムで、イエスさまは、十字架に架けられるのです。



イエスさまは、ザアカイのためにも、死んでくださったのです!



(2006年5月14日、松戸小金原教会主日礼拝)