2006年6月18日日曜日

「祈りの家」

ルカによる福音書19・37~48



今日の個所で、イエスさま一行がエルサレムに到着されます。37~44節にはエルサレムにお入りになる直前の場面が、また45~48節にはお入りになった直後の場面が、それぞれ描かれています。



「イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。『主の御名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光。』すると、ファリサイ派のある人々が、群集の中からイエスに向かって、『先生、お弟子たちを叱ってください』と言った。」



ここに描かれているのはイエスさまが来られたことに対するエルサレム市民の反応です。一言で、とても好意的な反応である、と言ってよいでしょう。



「弟子の群れ」とありますが、これはイエスさまと一緒に旅をしてきた弟子たちのことではなく、むしろ、エルサレムの近くに住んでいて、イエスさまの御言葉やみわざに関心を持ち、イスラエルの救いを待ち望んでいた人々であると思われます。



ですから、厳密に言えば、「エルサレム市民の一部」というべきかもしれませんが、今は便宜的に「エルサレム市民」と申し上げることにします。そのように言っても、それほど大きな間違いではないと思います。



しかし、非常に気になることが書かれています。「ファリサイ派のある人々」の反応です。この人々も、エルサレムの住人であり、いわばエルサレム神殿の住人です。この人々が、イエスさまたちがエルサレムにやってきたことを、嫌がっています。非常に強い嫌悪感を持っています。



ファリサイ派のある人々がイエスさまに「先生、お弟子たちを叱ってください」と言いました。イエスさまを歓迎し、喜んでいる人々を「叱る」とは、彼らがイエスさまを歓迎することを、やめさせる、ということです。黙らせること、口封じをすることです。



なぜファリサイ派の人々は、イエスさまを歓迎し、喜んでいる人々を黙らせ、口を封じようとしているのでしょうか。その理由は、明らかです。



彼らは、明らかに、イライラしています。神経質です。イエスさまが、ファリサイ派の人々に対しては、非常に厳しい言葉で、批判されてきたからです。



ですから、ファリサイ派の人々の側から言えば、イエスさまがエルサレムに現れることは、“憎むべき相手”、“ライバル”ないし“敵”の出現を意味している、ということです。彼らの心の中の警戒警報が、鳴り響いているのです。



「イエスはお答えになった。『言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。』」



わたしは、「石が叫びだす」というこのイエスさまの御言葉が大好きです。とても痛快なものを感じます。



反対に、わたしは、自分に都合の悪いことを言わせないために、他人の口を封じようとする人々のことが、大嫌いです。そういう人に出会うと、いつも、わたしの心の中で「石が叫びだす」というこのイエスさまの御言葉が、まさに叫びだします。



聖書を調べていくと分かることは、「石」だけではなく、いろんなものが叫んでいる、ということです。代表的なものは、「血」と「畑」と「賃金」です。



「お前〔カイン〕の弟〔アベル〕の“血”が土の中からわたしに向かって叫んでいる」(創世記4・10)。



「わたしの“畑”がわたしに対して叫び声をあげ、その畝が泣き」(ヨブ記31・38)。



「御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった“賃金”が、叫び声をあげています」(ヤコブの手紙5・4)。



これらの叫び声に共通しているのは、いずれも、不当な扱いを受けた人や物、あるいは、不当に命を奪われた人や物による、彼らやそれらを不当に扱った相手、不当に命を奪った相手に対する激しい抗議(プロテスト)の叫び声である、ということです。



弟アベルは、兄カインに殺されました。アベルは死にたくて死んだわけではない。殺されたくて殺されたわけではないのです。



そのアベルの“血”が、土の中から叫ぶ。ある種の「怨念」のようなものを描いていると言ってよいでしょう。ただし、もちろん「怨念」という言葉には、異教的な響きがありますので、もう少し別の、よりふさわしい表現のほうがよいでしょう。



それはともかく、ここで大切なことは、イエス・キリストへの信仰を告白し、このお方に従って生きようとしている人の口を封じること、行いをさえぎることは、ほかのだれにもできない、ということです。



そして、このわたしの口をだれかが封じ、正しい信仰を告白することができないようにするならば、わたしの代わりに「石が叫びだす」。この信仰をこの世界の中から根絶やしにすることは、不可能である。わたしたちは、そう信じてよいのです。



実際に、キリスト教信仰は、そういうものであり続けました。日本のキリシタンでさえも、隠れキリシタンとして地下にもぐることによって生き延びました。キリスト教信仰は、二千年の間、一度として、この世界の中から、根絶やしにされたことがありません。



「エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。『もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。』」



41節以下に記されているのは、イエス・キリストが流された涙とその理由(わけ)です。「イエスさまともあろうお方がお泣きになるのか」と、この点で驚く方がおられても構わないと思います。ある意味で、びっくりするようなことです。



泣くという行為は、きわめて人間的(ヒューマン)な要素です。もう一箇所、新約聖書の中で、「イエスは涙を流された」と、はっきりと描かれていることで有名なのは、ヨハネによる福音書11・35です。わたしたちは、「イエスさまは人間的な存在であられる」と、語ってよいのです。



イエスさまは、エルサレムのために涙を流されました。当時のエルサレムが、宗教的にも政治的にも、まさに堕落していた、と表現するほかはないような状況にあったからです。



イエスさまは、エルサレム神殿の崩壊を預言しておられます。崩壊は、西暦70年に現実のものとなりました。イエスさまが十字架に架けられてから約40年後の出来事でした。



なぜエルサレム神殿は崩壊したのか、ということについて、詳しくお話ししている時間はありません。



そのことよりも今日、考えてみていただきたいことは、もしイエスさまが、今のわたしたち、日本の国の様子をご覧になったとしたら、どのようにお感じになるのだろうか、ということです。涙を流されるのではないだろうか、ということです。



日本の国、このままでよいでしょうか。精神が著しく荒廃しています。じつに多くの驚愕すべき事件が、わたしたちの非常に身近なところで、次々に起こっています。



どこが、あるいは何が、問題なのでしょうか。わたしたちは何もせず、ただ手をこまねいているほかはないのでしょうか。



「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。『こう書いてある。「わたしの家は、祈りの家でなければならない。」ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。』毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話しに聞き入っていたからである。」



45節以下から、ついに、イエスさまのエルサレムでのお働きが始まります。



エルサレムでイエスさまが、最初の最初、真っ先に行われたことは、エルサレム神殿にお入りになること、でした。



そして、神殿の中で商売をしていた人々を追い出され、「わたしの家は、祈りの家でなければならない」とお語りになったことです。



これが意味することは、何でしょうか。それは全く明白です。イエスさまがエルサレムに来られた目的は、初めから、まさにこのこと、すなわち、エルサレム神殿を「祈りの家」として取り戻すこと、回復することにあった、ということです。



イエスさまは、エルサレム神殿を、だれの手から取り戻され、回復されるのでしょうか。「神殿で商売をしていた人々」、またイエスさまを殺そうと謀る「祭司長、律法学者、民の指導者たち」の手から、と言ってよいでしょう。



彼らこそがイエスさまの敵です。彼ら自身がイエスさまのことを敵とみなしていた、という意味でイエスさまの敵です。



それは、エルサレム神殿の住人たちです。エルサレム神殿は多くの人が憧れ、遠く外国からも参拝客が絶えない、永遠の都イスラエルの首都エルサレムのシンボルです。そこに、イエスさまの敵が住んでいました。「敵は本能寺にあり」ならぬ、「敵はエルサレム神殿にあり」です。



わたしは、これまで牧師という仕事を十数年続けてきました。その間に何度か「福音書」の連続講解説教をしてきました。その経験の中でだんだん分かってきたことがあります。それは、エルサレムに到着されてからのイエスさまは「こわい顔をしておられるようだ」ということです。



対照的なのは、イエスさまが、ガリラヤ地方、とくにカファルナウムの町を中心に活動されていたときの様子です。町の人々に温かく寄り添い、笑顔をもって神の御言葉を語り、救いのみわざを行なわれるイエスさまのお姿を想像することができます。



ところが、ガリラヤ地方でのイエスさまの笑顔は、エルサレムでは消えています。眉間(みけん)に縦じわがよっている。そんな感じです。エルサレム神殿に待ち受ける敵を眼前にして、イエスさまが御自分の死を覚悟され、緊張しておられる様子が、よく分かるのです。



ですから、わたしは、(こんなことは言わないほうがよいかもしれませんが)、福音書の後半、エルサレムに入られてからのイエスさまを描いている部分については、説教することに躊躇を感じるときがあります。



なぜなら、エルサレムのイエスさまは「こわい」からです。とても厳しい言葉を語らなければならなくなります。



しかし、わたしたちは、この「こわい」イエスさまと、まさに真剣に向き合わなければならないのだと思います。



そのときこそ、わたしたち自身の問題が、はっきりと見えてくるでしょう。



(2006年6月18日、松戸小金原教会主日礼拝)