ここに来て、自由民主党が日本国憲法の具体的な「改正」案を提出するなど、憲法改正論議たけなわの中で、本書が出版されたことの意義は大きいと思う。
西川氏は、衆議院及び参議院の憲法調査会と自民党との憲法「改正」の根本的類似点が戦力の保持にあることは疑う余地がないと指摘する。その上で西川氏はチャールズ・オーバービー博士の「第九条の会」創設の意味を考え、元米軍海兵隊員チャルマーズ・ジョンソン氏の「日本人は自国の憲法にもっと誇りを持つべきである」という訴えに耳を傾けるべきであると述べ、そしてまず、日本国憲法をわたしたちの憲法とすることが確かな第一歩であると述べておられる。この点は、わたしも全く異存がない。
そして本書の内容は、現行日本国憲法の前文から第103条までの西川氏独自の視点からの分析と解説である。日本国憲法を学ぶことの必要性を痛感しながらも、日常の多忙やらいろんな理由から、その学びになかなか手をつけられないでいる者(わたしもその一人)にとっては、手頃で平易ゆえに、とてもありがたい一書となっている。
ただし、それは、本書の程度が低いとか内容が稚拙という意味では決してない。わたしが願うことは、多くの人々がとにかく本書を読んでくださること、またできれば買い求めてくださり、さらにいつも手元に置いて日本国憲法の何たるかを日々確認してほしいということである。多くの人々がそういうことをしたくなるであろう非常に優れた一書であることは、間違いない。
ただし、である。以下に書くことは、本書に対する批判ではない。ほんのちょっとだけそう感じた、という程度のことにすぎない。しかし、書かずにはおれない気持ちである。
わたしが何を感じたかというと、本書の中には、あとがきの最後に「平和をつくる者は幸いです」というマタイの福音書5・9(新改訳)の言葉が引用されている以外に、聖書の言葉やキリスト教の信仰の言葉がほとんど全く出てこないのは、やはりちょっとさびしい、ということである。いのちのことば社の出版物の中で、聖書やキリスト教の言葉がこれほどまでに出てこないのはきわめて珍しい例ではないかと愚考する。
おそらくこのことは「私は、憲法の問題は憲法によって解決すべきであるとの思いで多くの事例にかかわってきました」と書いておられる西川氏自身の意図的な表現方法なのだと思う。著者の意図していない点をねだってみてもあまり意味がないので、この点は本書への批判ではない。
しかし、強いて言わせていただけば、本書はたとえば教会の諸会(男子会、婦人会、青年会など)の学びのテキストとしては、やや使いにくい。わたし個人が現在願っていることは、現行の日本国憲法を護持したいという思いを支えうる“神学的根拠”を手にしたいということである。そこが不明瞭であるなら、なかなか元気が出てこないからである。
(『季刊 教会』、日本基督教団改革長老教会協議会、第63号、2006年夏季号、76ページ掲載)