2006年6月25日日曜日

「救い主の権威」

ルカによる福音書20・1~8



今日の個所に記されていますのは、エルサレムの町に到着されたイエスさまがさっそく巻き込まれた論争の様子です。



「ある日、イエスが神殿の境内で民衆に教え、福音を告げ知らせておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと一緒に近づいて来て、言った。『我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか。』」



イエスさまは、エルサレム神殿の境内に入られました。そして、そこでなさったことは、「民衆に教えること」、そして「福音を告げ知らせること」でした。



この「民衆に教えること」とは、第一義的に「教育」のことです。聖書には何が書かれているかを解説し、教育することです。



また「福音を告げ知らせること」とは、第一義的に「福音の伝道ないし宣教」のことであると表現できるように思います。



つまり、この個所には、イエスさまがエルサレム神殿で行われたのは「伝道」と「教育」という二つのことであった、と書いてあると、読むことができます。



しかし、これら二つのことは、全く異なるものであるとか、別々のものであると考える必要はありません。お互いはほとんど重なり合っているし、ほとんど同じことである、と言ってよいものです。



そして、この場合の「福音」とは、(旧約)聖書において預言され、約束された神の国が今やまさに近づいていること、そして、その神の国の王であるメシア=キリストは、わたしイエスである、ということです。



そして、わたしイエスこそがキリストであるということを、イエスさまは、エルサレム神殿の境内でお語りになりました。



そこはユダヤ教の総本山です。その場所で、そのようなことを、はっきりとお語りになる。ということは、イエスさまは、まさに御自身の死を覚悟しておられた、ということを意味するのです。



案の定、というべきでしょう。そのイエスさまの前にさっそく現れたのが、ユダヤ教の祭司長、律法学者、長老でした。



この三つのグループに属する人々のことは、これからも繰り返し出てきますので、ぜひ覚えておいていただきたいと思います。



いずれも、「七十人議会」と呼ばれる七十人の議員と一人ないし二人の議長から構成されるユダヤ最高法院(サンヘドリン)の議員です。



この「最高法院」で行われた裁判において、イエスさまを死刑する判決が下されました。つまり、今日の個所に出てくるこの祭司長、律法学者、長老たちが、イエスさまを死刑にする判決を下したのです。



この人々は、そういう人々である、と覚えていただきたいと思います。



彼らがイエスさまに問いかけてきたことは、二つです。



第一の問いは、「イエスよ、あなたは何の権威でこのようなことをしているのか」ということです。「このようなこと」とは、もちろん、エルサレム神殿の境内で、民衆に教えること、そして福音を告げ知らせることです。



第二の問いは、「その権威を与えたのはだれか」ということです。



この二つの問いも、ほとんど重なり合うことですので、一緒に扱っても、それほど混乱はしないでしょう。



彼らが言おうとしていることは、要するに、エルサレム神殿のような場所で教えるからには、それなりの権威を持っていて然るべきであるが、イエスよ、あなたはそれを持っているのか、いや、持っていないのではないか、ということです。



そして、やや気になることは、そのように言っている彼ら自身は、常日頃からエルサレム神殿で教えていた人々であるということです。



つまり、この人々は、自分自身はここで教える権威を持っている、と信じて疑わない人々であった、ということです。



それが意味していることは明らかです。非常に単純明快な話です。



彼らは、イエスさまのことを、自分たちよりも“格下”であると考えている、ということです。言うまでもなく、自分たちのほうが上、イエスさまは下です。見くだし、馬鹿にし、軽んじている、ということです。



彼らのプライドの根拠は、おそらく、一生懸命に勉強して学者になり、祭司長になり、長老になった、ということでしょう。ある種の立身出世物語があります。



祭司長であれ、律法学者であれ、長老であれ、誰でもなれるというようなものではありません。それなりの努力が必要です。



苦しい努力の日々を乗り越えてきた結果として、その地位と名誉を得た。そのこと自体は別に悪いことではありません。尊重されて然るべきことであると思われます。



たとえば、使徒パウロも、キリスト教に改宗する前は、ファリサイ派の律法学者でした。



このパウロが、三度の伝道旅行の後、エルサレム神殿にいたとき、ユダヤ人たちの謀略によって逮捕されました。



そして最高法院へと連れて行かれることになったとき、パウロが「ここで話をさせてくれ」と頼み、神殿にいた参拝客に向かって弁明をしたということが、使徒言行録21・37以下に記されています。



その弁明の中でパウロが語っている言葉が、とても印象的です。



「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました」(使徒言行録22・3)。



わたしが申し上げたいことは、今日の個所でイエスさまに「あなたは、何の権威で、このようなことをしているのか」と問うてきた祭司長、律法学者、長老の心の中にあったのは、このパウロの言葉の中にあるのと同じようなものであったに違いない、ということです。



パウロが引き合いに出している「ガマリエル」という教師は、当時の最高法院の中での最高権威者であったと思われます。



たとえば、もしイエスさまが、その「ガマリエル教室」に在学し、最高の成績を修めた新進気鋭の律法学者である、ということでもあれば、エルサレム神殿の境内で教えようと、だれからも文句をつけられることがなかったかもしれません。



つまり、彼らが問うている「権威」とはそのようなもののことであると思われるのです。ところが、イエスさまは、その意味での「権威」を持っていないと彼らは判断しました。それはある意味で事実であった、と言わなければならないでしょう。



なるほど、イエスさまは、パウロやほかの律法学者と同じような意味で、律法学校に入学して学んだことはなく、ガマリエルの弟子でもなかったからです。イエスさまは、約30才になられるまで、大工である父親の仕事を手伝っておられたからです。



つまり、ごく分かりやすくいえば、イエスさまご自身は、神学校も出ておられないし、教師試験も受けておられないし、按手礼も受けておられない、ということです。



イエスさまがそのような生い立ちを持っている、ということを、この最高法院の議員たちは、よく知っていました。だからこそ、彼らは、あなたは何の権威で教えているのか、その権威をだれが与えたのか、あなたにその資格はないのではないか、と批判しているのです。



「イエスはお答えになった。『では、わたしも一つ尋ねるから、それに答えなさい。ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。』彼らは相談した。『「天からのものだ」と言えば、「では、なぜヨハネを信じなかったのか」と言うだろう。「人からのものだ」と言えば、民衆はこぞって我々を石で殺すだろう。ヨハネを預言者だと信じ込んでいるのだから。』そこで彼らは、『どこからか、分からない』と答えた。」



このイエスさまのお答えを読みながらわたしなどが感じますことは、これはイエスさまというお方がいかに“機転の利く”お方であったかを物語るものである、ということです。機転とは、「物事に応じて、とっさに心が働くこと」(広辞苑)のことです。



ここで気づかされることの第一は、イエスさまは、この人々が仕掛けてきた論争に巻き込まれることを、明らかに、避けておられる、ということです。



売られた喧嘩は買う、とばかりに、むきになって受けて立つ、というやり方は採られず、むしろ、軽く受け流しておられるように見えます。



そして実際に採られている方法は“逆質問”です。質問されていることには直接答えず、質問に対して質問をもって答える、という方法です。



これは、わたしたちの生き方の上でも、大いに参考になることです。この人々は、初めから悪意ないし殺意をもって、イエスさまに質問してきているのです。はっきり言えば、そんな人々のことを、まともに相手をする必要はないのです。



ここで気づかされることの第二は、イエスさまがなさっている逆質問の内容は、相手が答えることができないように考え抜かれているものである、ということです。実際、彼らは、答えに窮してしまいました。



イエスさまの質問は、「ヨハネの洗礼は、天からのものであったか、それとも人からのものであったか」というものでした。このヨハネとは、言うまでもなく、イエスさま御自身にも洗礼を授けたことで知られる、「最後の預言者」と呼ばれるバプテスマのヨハネのことです。



このヨハネも、実をいいますと、先ほど紹介いたしました使徒パウロのように律法学校に学び、ガマリエル教授のもとで学問的に徹底的な訓練を受けて、学者になった、というような意味での「権威」を持っている人ではありませんでした。



ヨハネの人物像については、マタイ福音書の以下の記述が参考になります。「ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた」(マタイ3・4)。



ただし、わたしが申し上げたいことは、ヨハネがそういう格好をしていたことが「権威のなさ」を物語っている、というようなことではありません。



ただ、たしかに言えることは、ヨハネの人となりはエルサレム神殿の住人たち、すなわち、最高法院の議員たちとは、見た目も含めて、何から何まで、相当違っていたし、かけはなれていた、ということです。



しかし、エルサレムの彼らにとって、ヨハネの存在が脅威であったのは、彼らがどんなにがんばって勉強し、学問的に聖書研究を究めようとしても決して手に入れることができない何かを、ヨハネは持っていた、ということです。



それは何かといいますと、要するに、人々からの信望であり、信頼です。



多くの人々が、ヨハネを「預言者」であると信じていました。いやそれどころか、多くの人々は、ヨハネこそが来るべきメシア(=キリスト)ではないかと考えていたのです。



しかし、それはヨハネが学問を究めた人だったからではありません。



ヨハネの偉大さは、自分自身は来るべきメシアではなく、むしろメシアのための道備えをするために来た者であると語りつつ、メシアの前にへりくだる姿勢をとり続けたこと、そして、多くの人々に自分の罪の悔い改めを勧め、洗礼を授け、救いに導いたことにあります。



すなわち、ヨハネの権威とは、多くの人々を真の救い主イエス・キリストにある救いへと導く権威であり、それは、とりもなおさず、父なる神御自身から与えられた、上からの権威であった、ということです。



そしてまた、同時に大切なことは、ヨハネがそのような存在であることを多くの人々が認めていた、ということです。



ヨハネの権威は、律法学者や祭司長たちの権威とは、明らかに異なるものでした。



すなわち、ヨハネの権威は神が与えたものであると同時に、多くの人々がヨハネを尊敬し、信望していたという意味で、多くの人々から認められていたものである、ということです。



この意味で、ヨハネの権威は「神からのもの」でもあり、また同時に「人からのもの」でもあった、ということです。



それに対し、律法学者や祭司長たちの権威とは、何でしょうか。エルサレム神殿で教えることができるようになった。その意味での学問的な、あるいは制度的な権威というものならば、持っていたかもしれません。



しかし、です。彼らの権威においては決定的に欠けていた要素があったと言わなければならないでしょう。



それは何かといいますと、一言で言って、彼らは、ヨハネと同じような意味で、多くの人々から尊敬されることはなく、信望されることもなかった、ということです。



それは、どこに原因があったのでしょうか。今日はそのことにまで踏み込んでお話しする時間が無くなりました。



しかし、一つだけ触れておきたいのは、今日の最初の話に戻ることですが、要するに、彼らは、イエスさまに対して、自分よりも格下であると見て、見くだし、馬鹿にし、軽んじるという態度をとる。



この不遜さ、自分は偉いと思い込んでいる傲慢さが、人から嫌われる原因である、ということに、気づいていないようである、ということです。



宗教者の権威、また救い主の権威は、真に謙遜であること、そして真に人を助けることができることにある、というべきです。



傲慢な人、他人を見くだす人、ひとを神の救いに導くことに関心のない人、自分の地位や名声だけに関心がある人に、神学者や教師を語る資格は、ありません。
 
「すると、イエスは言われた。『それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。』」



彼らが「分からない」と答えをはぐらかしたので、イエスさまのほうも、何もお答えになりませんでした。最初からお答えになるつもりがなかったのです。



こんな人々を、まともに相手にする必要はないのです。



意味のない、不毛な論争は、避けるべきです。



(2006年6月25日、松戸小金原教会主日礼拝)







2006年6月18日日曜日

「祈りの家」

ルカによる福音書19・37~48



今日の個所で、イエスさま一行がエルサレムに到着されます。37~44節にはエルサレムにお入りになる直前の場面が、また45~48節にはお入りになった直後の場面が、それぞれ描かれています。



「イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。『主の御名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光。』すると、ファリサイ派のある人々が、群集の中からイエスに向かって、『先生、お弟子たちを叱ってください』と言った。」



ここに描かれているのはイエスさまが来られたことに対するエルサレム市民の反応です。一言で、とても好意的な反応である、と言ってよいでしょう。



「弟子の群れ」とありますが、これはイエスさまと一緒に旅をしてきた弟子たちのことではなく、むしろ、エルサレムの近くに住んでいて、イエスさまの御言葉やみわざに関心を持ち、イスラエルの救いを待ち望んでいた人々であると思われます。



ですから、厳密に言えば、「エルサレム市民の一部」というべきかもしれませんが、今は便宜的に「エルサレム市民」と申し上げることにします。そのように言っても、それほど大きな間違いではないと思います。



しかし、非常に気になることが書かれています。「ファリサイ派のある人々」の反応です。この人々も、エルサレムの住人であり、いわばエルサレム神殿の住人です。この人々が、イエスさまたちがエルサレムにやってきたことを、嫌がっています。非常に強い嫌悪感を持っています。



ファリサイ派のある人々がイエスさまに「先生、お弟子たちを叱ってください」と言いました。イエスさまを歓迎し、喜んでいる人々を「叱る」とは、彼らがイエスさまを歓迎することを、やめさせる、ということです。黙らせること、口封じをすることです。



なぜファリサイ派の人々は、イエスさまを歓迎し、喜んでいる人々を黙らせ、口を封じようとしているのでしょうか。その理由は、明らかです。



彼らは、明らかに、イライラしています。神経質です。イエスさまが、ファリサイ派の人々に対しては、非常に厳しい言葉で、批判されてきたからです。



ですから、ファリサイ派の人々の側から言えば、イエスさまがエルサレムに現れることは、“憎むべき相手”、“ライバル”ないし“敵”の出現を意味している、ということです。彼らの心の中の警戒警報が、鳴り響いているのです。



「イエスはお答えになった。『言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。』」



わたしは、「石が叫びだす」というこのイエスさまの御言葉が大好きです。とても痛快なものを感じます。



反対に、わたしは、自分に都合の悪いことを言わせないために、他人の口を封じようとする人々のことが、大嫌いです。そういう人に出会うと、いつも、わたしの心の中で「石が叫びだす」というこのイエスさまの御言葉が、まさに叫びだします。



聖書を調べていくと分かることは、「石」だけではなく、いろんなものが叫んでいる、ということです。代表的なものは、「血」と「畑」と「賃金」です。



「お前〔カイン〕の弟〔アベル〕の“血”が土の中からわたしに向かって叫んでいる」(創世記4・10)。



「わたしの“畑”がわたしに対して叫び声をあげ、その畝が泣き」(ヨブ記31・38)。



「御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった“賃金”が、叫び声をあげています」(ヤコブの手紙5・4)。



これらの叫び声に共通しているのは、いずれも、不当な扱いを受けた人や物、あるいは、不当に命を奪われた人や物による、彼らやそれらを不当に扱った相手、不当に命を奪った相手に対する激しい抗議(プロテスト)の叫び声である、ということです。



弟アベルは、兄カインに殺されました。アベルは死にたくて死んだわけではない。殺されたくて殺されたわけではないのです。



そのアベルの“血”が、土の中から叫ぶ。ある種の「怨念」のようなものを描いていると言ってよいでしょう。ただし、もちろん「怨念」という言葉には、異教的な響きがありますので、もう少し別の、よりふさわしい表現のほうがよいでしょう。



それはともかく、ここで大切なことは、イエス・キリストへの信仰を告白し、このお方に従って生きようとしている人の口を封じること、行いをさえぎることは、ほかのだれにもできない、ということです。



そして、このわたしの口をだれかが封じ、正しい信仰を告白することができないようにするならば、わたしの代わりに「石が叫びだす」。この信仰をこの世界の中から根絶やしにすることは、不可能である。わたしたちは、そう信じてよいのです。



実際に、キリスト教信仰は、そういうものであり続けました。日本のキリシタンでさえも、隠れキリシタンとして地下にもぐることによって生き延びました。キリスト教信仰は、二千年の間、一度として、この世界の中から、根絶やしにされたことがありません。



「エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。『もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。』」



41節以下に記されているのは、イエス・キリストが流された涙とその理由(わけ)です。「イエスさまともあろうお方がお泣きになるのか」と、この点で驚く方がおられても構わないと思います。ある意味で、びっくりするようなことです。



泣くという行為は、きわめて人間的(ヒューマン)な要素です。もう一箇所、新約聖書の中で、「イエスは涙を流された」と、はっきりと描かれていることで有名なのは、ヨハネによる福音書11・35です。わたしたちは、「イエスさまは人間的な存在であられる」と、語ってよいのです。



イエスさまは、エルサレムのために涙を流されました。当時のエルサレムが、宗教的にも政治的にも、まさに堕落していた、と表現するほかはないような状況にあったからです。



イエスさまは、エルサレム神殿の崩壊を預言しておられます。崩壊は、西暦70年に現実のものとなりました。イエスさまが十字架に架けられてから約40年後の出来事でした。



なぜエルサレム神殿は崩壊したのか、ということについて、詳しくお話ししている時間はありません。



そのことよりも今日、考えてみていただきたいことは、もしイエスさまが、今のわたしたち、日本の国の様子をご覧になったとしたら、どのようにお感じになるのだろうか、ということです。涙を流されるのではないだろうか、ということです。



日本の国、このままでよいでしょうか。精神が著しく荒廃しています。じつに多くの驚愕すべき事件が、わたしたちの非常に身近なところで、次々に起こっています。



どこが、あるいは何が、問題なのでしょうか。わたしたちは何もせず、ただ手をこまねいているほかはないのでしょうか。



「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。『こう書いてある。「わたしの家は、祈りの家でなければならない。」ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。』毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話しに聞き入っていたからである。」



45節以下から、ついに、イエスさまのエルサレムでのお働きが始まります。



エルサレムでイエスさまが、最初の最初、真っ先に行われたことは、エルサレム神殿にお入りになること、でした。



そして、神殿の中で商売をしていた人々を追い出され、「わたしの家は、祈りの家でなければならない」とお語りになったことです。



これが意味することは、何でしょうか。それは全く明白です。イエスさまがエルサレムに来られた目的は、初めから、まさにこのこと、すなわち、エルサレム神殿を「祈りの家」として取り戻すこと、回復することにあった、ということです。



イエスさまは、エルサレム神殿を、だれの手から取り戻され、回復されるのでしょうか。「神殿で商売をしていた人々」、またイエスさまを殺そうと謀る「祭司長、律法学者、民の指導者たち」の手から、と言ってよいでしょう。



彼らこそがイエスさまの敵です。彼ら自身がイエスさまのことを敵とみなしていた、という意味でイエスさまの敵です。



それは、エルサレム神殿の住人たちです。エルサレム神殿は多くの人が憧れ、遠く外国からも参拝客が絶えない、永遠の都イスラエルの首都エルサレムのシンボルです。そこに、イエスさまの敵が住んでいました。「敵は本能寺にあり」ならぬ、「敵はエルサレム神殿にあり」です。



わたしは、これまで牧師という仕事を十数年続けてきました。その間に何度か「福音書」の連続講解説教をしてきました。その経験の中でだんだん分かってきたことがあります。それは、エルサレムに到着されてからのイエスさまは「こわい顔をしておられるようだ」ということです。



対照的なのは、イエスさまが、ガリラヤ地方、とくにカファルナウムの町を中心に活動されていたときの様子です。町の人々に温かく寄り添い、笑顔をもって神の御言葉を語り、救いのみわざを行なわれるイエスさまのお姿を想像することができます。



ところが、ガリラヤ地方でのイエスさまの笑顔は、エルサレムでは消えています。眉間(みけん)に縦じわがよっている。そんな感じです。エルサレム神殿に待ち受ける敵を眼前にして、イエスさまが御自分の死を覚悟され、緊張しておられる様子が、よく分かるのです。



ですから、わたしは、(こんなことは言わないほうがよいかもしれませんが)、福音書の後半、エルサレムに入られてからのイエスさまを描いている部分については、説教することに躊躇を感じるときがあります。



なぜなら、エルサレムのイエスさまは「こわい」からです。とても厳しい言葉を語らなければならなくなります。



しかし、わたしたちは、この「こわい」イエスさまと、まさに真剣に向き合わなければならないのだと思います。



そのときこそ、わたしたち自身の問題が、はっきりと見えてくるでしょう。



(2006年6月18日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年6月11日日曜日

「主がお入用なのです」

ルカによる福音書19・28~36



今日は、日曜学校の子どもたちがいちばん前に座っています。日曜学校の花の日行事として、今年の新年礼拝のときに行ったのと同じ方法で、子どもを中心にした礼拝を行っています。



礼拝後は、日曜学校の催しやバザーを行います。今日は楽しく過ごしましょう!



今日の聖書は、イエスさまが続けてこられた、エルサレムへの旅が、まもなく終わろうとしている、という場面です。ついに終点が見えてきました。



そのときに、です。イエスさまは、エルサレムにお入りになるためにちょっと面白い格好をなさいました。なんと、子ろばの背中にお乗りになったのです。



なぜ「面白い」のでしょうか。どうしても気になるのは、イエスさまはなぜ、大きな馬にお乗りにならなかったのか、ということです。



大きな馬のほうが、格好いいではありませんか。なぜ「子ろば」なのでしょうか。



当時は今のような自動車がありません。大きな馬に乗るということは、大きな自動車に乗るのと同じです。またエルサレムはユダヤの国の首都です。今の日本の東京のようなところです。大都会です。たくさん人がいます。



その中で目立つためには、小さな車よりも、大きな車のほうがいい。格好いいし、立派に見えるではありませんか。



ところが、イエスさまは、そのような格好をなさらなかったのです。大きな馬ではなく、小さなろばに乗って、エルサレムの町に入っていかれたのです。



おそらく、町の人々はそれを見て笑ったと思います。「なんだい、あんなちっちゃいのに乗っちゃって」と。



そうです、イエスさまは、まさに人から笑われるような格好を、わざとなさったのです。みんなから笑われる、または、みんなを笑わせる、そのような格好です。



なぜイエスさまは、そのような格好をなさったのでしょうか。それには理由があります。旧約聖書の中に、救い主がエルサレムに来られるときには、子ろばに乗ってこられる、ということが預言されていたからです(ゼカリヤ9・9)。



もちろん、イエスさまは、この旧約聖書の預言を知っておられたのだと思います。ですから、聖書に書いてあるとおりに、なさったのです。しかし、イエスさまがなさったことには、もちろん、ちゃんと意味があります。



救い主がエルサレム入城の際にろばに乗るというのは、「謙遜」(ゼカリヤ9・9)と「柔和」(マタイ21・5)のしるしなのです。「謙遜」とは、威張らない、ということです。「柔和」とは、優しい、ということです。



その反対のことを考えると、さらにその意味がよく分かるでしょう。



当時、王様などのエライ人が馬に乗るとしたら、それは戦争のために使う軍馬でした。体が大きくて、足が速くて、見るからに立派な馬でした。



それは、「謙遜」と「柔和」の反対です。自分の力を相手に見せつけて威張るため、自分はエライ人間だということを見せつけるために、乗るものでした。イエスさまは、そんなものには、お乗りにならなかったのです。



誤解がありませんように。わたしは今、大きな車に乗っている人たちに向かって嫌味や皮肉を言おうとしているのではありません。大きな自動車に乗ること自体は、一向に構わないと思いますし、そういう話をするつもりは全くありません。



ただ、しかし、一点だけ、やはり、どうしても言っておかなければならないことがあると感じています。それは、乗り物の大きさや家の大きさ、また、その人が持っている物の大きさが、その人の「人間の大きさ」を決めるのではない、ということです。それは全く関係ないことです。



これは、今、子どもである皆さんには、ぜひ覚えておいてほしいことです。



皆さんは、これから大きくなったら、ぜひ偉い人になってください。わたしは、そのように願っています。でも、それは、乗り物や家が大きい人になってくださいという意味ではありません。乗り物や家の大きさがその人の「人間の大きさ」を決めるわけではありません。このことを、どうか忘れないでほしいのです。



イエスさまは、もちろん旧約聖書のみことばに従って、ろばにお乗りになったのですが、同時にそのことをイエスさまは、わざとなさったのです。



なぜ「わざと」かと言いますと、乗り物の大きさが「人間の大きさ」を決める、と思い込んでいる人々に、それは違います、ということを、お教えになるためでした。そういう考え方や物の見方は間違っている、ということを、お示しになるためだったのです。



ところでイエスさまは、そのろばをどのようにして手に入れられたのでしょうか。そのことが、次のように書かれています。



「イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。そして、『オリーブ畑』と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。『向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、だれかが、「なぜほどくのか」と尋ねたら、「主がお入用なのです」と言いなさい。』」



最初に言っておきたいことは、イエスさまがエルサレムに来られたのは、何もこのときが初めてのことではない、ということです。



イエスさまは、幼い頃は、両親と共に毎年エルサレムに行かれていたということは聖書に記されていますし(ルカ2・41)、成人されてからも、たびたび行かれたことでしょう。



そのことから分かるのは、イエスさまがエルサレムまでの旅路の途上で、ここにはろばがつながれているとか、あそこにはザアカイの家がある、というようなことを知っておられたとしても、なんら不思議なことでも、おかしいことでもない、ということです。



ですから、ここでイエスさまがろばの居場所をずばり言い当てた、というようなことは、あまり驚くようなことではありません。おそらく知っておられたのです。



そのことよりももっと驚かなければならないのは、イエスさまが二人の弟子にお命じになったことは、ろばをつないでいる紐を、持ち主の断りなしに、ほどきなさい、ということだった、という点です。



そして、それにびっくりした持ち主が、大急ぎで走ってきて、「何するんだい、泥棒め!」と飛びかかってきたら、そのとき初めて「主がお入用なのです」と説明して持ち主の許可を取りなさい、ということです。



これも誤解しないでいただきたいところです。イエスさまは、弟子たちに泥棒を働かせようと唆されたのではありません。



持ち主が飛びかかってくることまでは、すべて想定内です。持ち主が飛びかかって来ても、力ずくで奪い取るならば、それは泥棒です。しかし、イエスさまは、ろばの紐をほどけば、必ず持ち主が飛んでくる、ということをよくご存じでした。



つまり、イエスさまは、持ち主が飛んでくることを、初めから予想されていたのだ、ということです。



ですから、イエスさまの命令の真意は、泥棒をすることではなく、そのろばの持ち主に対して「主がお入用なのです」と説明して許可を取りなさい、という点にある、ということです。そのように考えることができます。



言い換えれば、このときイエスさまは、「主がお入用なのです」という言葉で使うことを許可されたろばにお乗りになるということを、初めから計画されていた、ということです。



なぜこのようなことをなさったのでしょうか。考えられることは、一つです。



注目したいのは、「主」という字です。「主」とは、救い主のことであり、また「神の国」の王さまのことです。まことの神の御子、わたしたちの救い主、イエス・キリストのことです。ですから、「主がお入用なのです」とは、この「主」なるイエスさまが、このろばを必要としている、ということです。



それを町の人にお願いする、ということは、これこそが、まさに、大きな馬ではなく、小さなろばに乗る王さまがおいでになったことを人に知らせる、ということです。



きっとその噂は、あっという間に町中に広まるでしょう。広まってもよいのです。むしろ、広めたい。だからこそ、そのために、イエスさまは、町の人を驚かせるようなことをなさったのです。



持ち主に断りなしに、ろばの紐をほどく。後ろからどんなに追いかけられても、ろばをかかえて走って逃げて来なさい、と命令なさったわけではないのです。



イエスさまの真意は、持ち主を驚かせ、町中を驚かせるため。ただそれだけであると思います。



今のこのご時勢の中で、教会でバザーを開いても、だれも驚いてくれないかもしれません。でも、大いにやりましょう。「へえ、教会でも、あんなことやるんだ」と驚いてもらえるようなことを、いろいろと、どんどん、やりましょう。楽しいことをやりましょう。



そして、教会が多くの人々に伝えたいと願っていることは、イエスさまの御言葉であり、イエスさまの生きざまです。



真に偉い人とはだれでしょうか。乗り物や家の大きさは、関係ありません。真に偉い人とは、わたしたちの救い主イエス・キリストのように、自分の命をささげて、ひとを助け、ひとを救うことができる人です。



(2006年6月11日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年6月4日日曜日

聖霊の執り成し


ローマの信徒への手紙8・26~30

今日はペンテコステの礼拝を共にささげております。二千年前の五旬祭(ペンテコステ)の当日、イエス・キリストの弟子たちに聖霊が降りました。聖霊の力に満たされた彼らは、主イエス・キリストへの信仰に基づく新しい教会を立て上げました。そのことが最初のペンテコステの日に起こりました。だからわたしたちは教会の誕生日としてこの日をお祝いするのです。

しかし、わたしたちにとってなかなか難しいと感じることは、「聖霊」とは何かということを理解するのが難しい、ということではないかと思います。そこで今日は、聖霊とは何かということをお話ししたいと願っております。

「聖霊」について記している聖書の個所はたくさんありますが、とくに今日開いていただきました個所は、たいへん有名であり、また聖霊の本質を理解する上で非常に重要です。

「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます」。

ここに出てくる“霊”が、聖霊です。すぐに気づいていただけるでありましょうことは、新共同訳聖書では、「聖霊」を意味する“霊”を主語とする文章の述語において、「助けてくださいます」とか「執り成してくださるからです」というふうに、いわゆる敬語表現が使われている、ということです。

これはもちろん正しい訳です。なぜこのように訳されているかを考えることが、聖霊の本質を理解するための第一歩です。

聖書の中で敬語表現が用いられているときの対象は、多くの場合、神さまです。ここでも同じです。聖霊は神さまなのです。“霊”と書いてあるところは、神と読み替えても構わないところです。だからこその敬語表現です。聖霊は、端的に神さまなのです。

しかし、です。“霊”を神と読み替えてもよいと申しましたが、その場合に同時に考えておく必要があることがあります。それは、神は“霊”「でもある」、ということです。

なぜ、そのように言わなければならないのかといいますと、わたしたちは、父なる神を“神”と信じ、また神の御子イエス・キリストも“神”と信じているからです。神は、聖霊としてのお姿だけではなく、御子イエス・キリストとしてのお姿においても、御自身を現されたのです。

そして、とくに問題にしなければならないことは、イエス・キリストの本質は霊というよりも肉にあるという点です。人間になられた神、肉をまとった神であられるキリストの存在においては、“肉”の面が明らかに強調されています。

ところが、聖霊には、肉体がありません。わたしたちの目には見えない存在なのです。

ただし、です。わたしは今、「聖霊なる神には、御自身がまとう肉がありません」と申し上げたばかりですが、そのすぐあとに、「しかし、ある意味で、聖霊は、そのような肉を、持っておられます」と言わなければなりません。

それは何なのかと言いますと、聖霊がまとう肉とは、わたしたち人間の肉体である、ということです。しかも、それは、このわたしの肉体です。関口康の肉体であり、またここにおられるすべての方々の肉体です。全世界の、イエス・キリストを信じる信仰者たちの肉体です。

このわたし、わたしたちの中に、聖霊が入り込んでくださるのです。聖霊がわたしたちの肉体をまとってくださるのです。そして、聖霊がわたしたちの心に働きかけてくださり、まさに「弱いわたしたちを助けてくださる」のです。

ですから、聖霊なる神の活動の場は、わたしたちの体の中です。しかし、聖霊はわたしたちの中という狭いところに閉じこもっておられるわけではありません。なぜなら、聖霊は、わたしたち自身を用いてくださるからです。

ですから、わたしたちの活動範囲が聖霊なる神の活動範囲です。もし皆さんの中に国際的に活躍している方がおられるならば、聖霊なる神御自身も国際的に活躍しておられるのです。もし宇宙空間に出かける人がおられるならば、聖霊なる神も宇宙空間にお出かけになるのです。

聖霊なる神御自身には、肉体がありません。いわばその代わりに、聖霊は、わたしたちの肉体の中で、わたしたちの肉体と共に、わたしたちの肉体を用いてお働きになるのです。これが、聖霊を理解するために、非常に重要な点です。

「わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」

先ほど申し上げましたとおり、聖霊は、わたしたち人間の肉体の中でお働きになります。しかし、そこで必ず問題になることは、わたしたちの中に聖霊がおられるときに、わたしたち自身の心は、どこにあるのか、ということです。

それは、はっきりしています。聖霊とわたしたちの心とは、共存しているのです。聖霊がわたしたちの中に注ぎこまれるとき、わたしたちの心が外に飛び出してしまうわけではありません。そうなればよいのに、と思う方がおられるかもしれませんが、そういうふうには、決してなりません。

なぜなら、もしわたしたちの心がすっかり聖霊に置き換えられてしまうならば、それは同時に、わたしたち自身が神様になってしまったことを意味するからです。しかし、わたしたちは神にはなりません。なる必要がありません。

罪深いわたしたちの心が、聖霊なる神と共に、このわたしの肉体の中で存在し続ける。そこで起こることは、深い悩みと葛藤です。神の御心と、わたしの思いとの対立であり、闘いです。

この個所で使徒パウロは「わたしたちはどう祈るべきかを知りません」と書いています。これは、でたらめとまでは言いませんが、そんなことがあるはずはないだろうと、思わず言い返したくなるような言葉です。

なぜなら、パウロは宗教の専門家です。牧師であり、伝道者であり、神学者です。そういう人が、なぜ「わたしたちはどう祈るべきかを知りません」でしょうか。知らないわけがないではありませんか。

しかし、今わたしが申し上げていることは、事柄の一つの側面にすぎません。もう一つの側面から見れば、なるほど、パウロの言うとおり、パウロを含むわたしたち、すべての者たちは、「どう祈るべきかを知らない」人間です。

なぜなら、祈りとは、神さまとお話しすることです。しかし、わたしたちは、神さまが何語を話しておられるかを知っているでしょうか。どういう言葉を語れば、それが神様に聞いていただけるものになるのか。どのような内容で祈れば神様に喜んでいただけるのか。

そういうことを知っている、という人がいるでしょうか。いないのだと思います。わたしたちは、ただ教えられるままに祈っているだけです。

しかし、です。どう祈るべきかを知らないわたしたちのために、聖霊が言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる、とパウロは書いています。このうめきは、どこから聞こえてくるのでしょうか。

これもはっきりしています。わたしたちの肉体の中からです。うめき声は、わたしたちの、おそらく口から、あるいは喉から出てくるものです。しかし、それは、わたし自身のうめき声であると言ってよいものなのです。

結論から先に言えば、両者を区別することはできません。このわたしの肉体のなかでの聖霊なる神とわたしたち人間の心の関係は、どこまでが聖霊であり、どこまでが心であるというふうに、きっちりと分け目をつけることができないのです。

それほどまでに、両者は深くかかわっているし、重なり合っているし、混ざり合っている。それが、聖霊のお姿なのです。

「人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」。

「人の心を見抜く方」とは父なる神のことです。ですから、この文章は、父なる神は「人の心を見抜くこと」と「聖霊の思いが何かということ」の両方を知っておられる、という意味で理解することができます。

つまり、わたしたち人間の心と聖霊は、神の側からは区別することができるということです。しかし、わたしたち自身は、両者を区別することはできません。

ところが問題は、その聖霊が、わたしたち人間の肉体の中に注ぎ込まれたときに起こります。わたしたち人間の肉体、また、わたしたち人間の心は、あまりにも罪深く、父なる神の御心とも、聖霊なる神の思いとも異なるように、動いてしまう。御心に反して生きてしまうからです。だからこそ、葛藤が起こるし、悩みが起こるのです。

しかし、どうでしょうか。わたしたちは、神になることはできませんが、それは、深い慰めでもあるはずです。

わたしたちを助けてくださる方が、おられる、ということです。

すべてがわたしたちの自己責任ではない、ということです。

わたしたちの思いを越えて働く、万事を益としてくださる、神の御計画がある、ということです。

わたしたちは、時々死ぬほど苦しい試練を受けることがありますが、そのこともまた、深い次元においては、神のご計画であり、わたしたち神の子らを訓練するための道である、ということを信じてよい、ということです。

わたしたちは、神になることはできません。ならなくてよいのです。助けてくださる方がおられるということで、十分満足してよいのです。

「宗教に頼るのは負け犬だ」とか、そういう言葉に動揺することは、一切ありません。

余計なことを言うようですが、そういうことを言う人に限って、奥さんに甘えたり、世間に甘えたり、自分自身を甘やかしながら、だらしなく生きているのです。

聖霊がわたしたちの中に注がれ、宿ってくださるとき、わたしたちは、自分自身の中で、祈りにおいて神と一対一で向き合い、神から答えをいただきながら、責任をもって生きていくようになります。

それが、わたしたちキリスト者の責任の取り方です。そのような奥義を、わたしたちは、持っているのです。

最後にまとめておきたいことは、聖霊がこのわたしの中におられる、ということは、神がわたしと共に生きておられる、ということだ、ということです。

神は、遠くにはおられません。今ここに、わたしの中に、そして、わたしの人生と共に、神がおられるのです。

ですから、わたしたちが祈るとき、遠くにおられる方に大声で呼びかける必要はありません。

そうではなく、まるで自分の胸に語りかけ、まるで自分自身を言い聞かせるように、自分に向かって祈ってよいのです。

(2006年6月4日、松戸小金原教会主日礼拝)


2006年5月28日日曜日

「小事に忠実な者は大事にも忠実である」

ルカによる福音書19・11~27



今日の個所に記されていますのは、ふたたびイエスさまのたとえ話です。「ムナのたとえ」と名づけられています。



ただし、これよりも、内容はほとんど似ているマタイによる福音書25章の「タラントンのたとえ」のほうが有名でしょう。両者を比較しながら読むというのも面白い試みであると思います。しかし、今日はそのようなことを行う余裕がありません。



しかし、両者の比較について一点だけ触れておきます。すぐ分かることは、ルカによる福音書の「ムナのたとえ」のほうが、マタイによる福音書の「タラントンのたとえ」よりも恐ろしい、ということです。恐怖の要素が強調されている、ということです。



「イエスは言われた。『ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、「わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい」と言った。しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、「我々はこの人を王にいただきたくない」と言わせた。』」



最初に申し上げておきたいことは、イエスさまのこのたとえ話には、歴史的に実在する何らかのモデルがあると考えられている、ということです。



イエスさまのたとえ話のすべてに当てはまることかどうかは、分かりません。しかし、たとえ話の中には、明らかに何らかの実在する具体的なモデルがあって、当時の人々の耳で聞けばそれが何のことなのか、だれのことなのかが、すぐに分かるようなお話があった。これはその一つであると考えられているのです。



ある解説によりますと、「ある立派な家柄の人」は、当時のユダヤの支配者ヘロデ大王の息子アルケラオのことであると言われています。その場合、この人が王の位を受けて帰るために旅立つ「遠い国」とは、ローマのことです。アルケラオは、父ヘロデ大王と同様、非常に過酷な弾圧政策をもってユダヤの国を支配し、ユダヤ人たちから嫌われた人でした。



この点から確認しておきたいことがあります。それは、「ある立派な家柄の人」は神さまのことでもイエスさまのことでもないということです。このたとえ話を読みながらわたしたちが想像力を働かせる内容は、神さまの姿ではなく、むしろ、国民を弾圧し、国民から嫌われた、悪い王の姿である、ということです。



イエスさまがなぜ、そのような悪い王の姿を思い起こさせるような話をしておられるのか、その理由は何なのかは、はっきりしたことは言えません。しかし、重要なヒントは、11節の、イエスさまがこのたとえを話された理由です。「エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである」。



この一文から伝わってくることは、イエスさまがこのたとえをお話しになった理由は、「エルサレムに近づいておられる」からであるということです。それは同時にイエスさまが十字架に架けられて死ぬ日が近づいているということを意味するわけです。



ところが、そのようなイエスさま御自身の側の張り詰めた緊張感の傍らで、イエスさまの弟子たちを含む多くの人々は、「神の国はすぐにも現れるものと思っていた」、つまり、イエスさまのエルサレム入城によって、新しい時代の幕が開ける。まさに今こそ、神の国が始まるのである、という何とも能天気で楽観的な雰囲気が漂っていたからである。それがこのたとえを話された理由である、ということです。



つまり、このたとえ話は、そのような楽観的な雰囲気を戒め、「少しは緊張しなさい」と周囲の人々に警告を発し、警戒を促すために語られたものであると読むことが可能である、ということです。最初に触れました、このたとえ話の中では恐怖の要素が強調されているという点も、この辺の事情を反映しているからであると思われます。



このたとえ話の内容は単純です。旅行に出かけた主人が十人の僕たちに一ムナずつ自分の財産を渡して管理させました。ある僕は「一ムナで十ムナをもうけた」ところ、帰ってきた主人からほめられ、十の町の支配権を与えられました。他の僕は、「一ムナで五ムナを稼いだ」ところ、主人からほめられ、五つの町の支配権を与えられました。しかし、別の僕は、その一ムナを布に包んでしまっておき、増やすことも減らすこともしないで、そのまま主人に返したところ、主人から叱られ、持っているものまで取り上げられました。



しかし、繰り返しますが、この「主人」は、神さまでも、イエスさまでもありません。また、この十人の僕たちに預けられた一ムナは、マタイ25章のタラントンのたとえの場合のように「神の恵みの賜物」を連想してよいのか。神さまから与えられた賜物は、大切にしまいこんで事実上結局無駄にすることよりも、積極的に活用しましょう、というような一般的な教訓を読み取ってよいものなのか、といいますと、そういうふうに読むことはできない、ということです。



そういうことではない。むしろ、今日の個所の「一ムナ」は、わたしたちが日常生活の中でさんざん苦しめられている会社の仕事や、われわれの社会的な義務や責任というようなものを思い起こさせる何かである、ということです。重苦しさが付きまとう何かです。



主人から預かった一ムナを布にくるんでしまっておいた僕が叱られ、また「わたしが・・・厳しい人間だと知っていたのか。ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば・・・利息付きでそれを受け取れたのに」と言われていることも、これを神と人間との関係、あるいは神の御子イエス・キリストとわたしたちの関係などを指し示しているものである、と読むべきではない、ということです。



神さまは、御自分がわたしたち人間にお授けになった賜物から得た結果を返せとお命じになり、結果を出せなかった人々からは銀行からの利息で補いなさい、というようなことを強く望むほどに人間から厳しく取り立てる、そのようなお方ではない、ということです。



また、27節に記されている、「わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを・・・打ち殺せ」というこの点も、神と人間の関係、あるいは、イエス・キリストとわたしたちの関係を表わしているものではない、ということです。このあたりは、どうかご安心いただきたいと願う点です。



しかし、わたしは、ここで話を終わるわけには行きません。この次に必ず起こってくる問題が残っているからです。それは、それではなぜイエスさまは、エルサレムが近づいてきたこのときに、このような、国民に圧政を強いる悪い王のことや、毎日の厳しい仕事のことを連想させるような、なんともいえない重苦しさをまとった、まるで恐怖心を煽っておられるかのようなたとえをお話しになったのか、という問題です。



別の言い方をしますと、このたとえ話の中で最も注目すべき言葉はどの点かという問題です。それをわたしは17節の主人の言葉の中に見ます。「良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう」。この「ごく小さな事に忠実だった」という点です。



間違いなく言えることは、これは、かつて共に学びました「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である」(ルカ16・10)を思い起こさせる言葉である、ということです。



ルカ16・10の文脈は、わたしたちの多くが理解に苦しむ「不正な管理人」のたとえ話です。しかし、次第に分かってくることは、今日の個所とルカ16章の「不正な管理人」のたとえ話の間には内容的なつながりがある、ということです。



「不正な管理人」のたとえが教えていることは、あくまでも「この世の子ら」の“賢いふるまい”であること、「光の子ら」が真似をすべきところは不正そのものではなく、賢く生きることに関する部分だけであるとわたしは申し上げました。これと同じような読み方が、今日の個所にも当てはまると思います。



今日の個所の「主人」は、神さまでもイエスさまでもないからです。また、登場する僕たちと主人との関係は、神さまと人間、イエスさまとわたしたちの関係を、直接的に示すものではないからです。



しかし、です。ここで明らかなことは、一ムナを十ムナに増やした良い僕についてこの主人が語った「お前はごく小さな事に忠実だった」という点についてだけは、わたしたちが自分自身と神様との関係にかかわる事柄として真剣に学ぶべきところである、ということです。なぜなら、「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実」だからです。小さな仕事や事柄を軽んじる人に、大きな仕事や事柄を任せることはできないからです。



今、わたしたちが考えている問題は、それではなぜ、イエスさまは、このたとえ話を、エルサレムに近づかれたときにお話しになったのか、ということです。それを、わたしは、以下のように理解したいと思っています。



それは、この場面でイエスさまが「ごく小さな事」として考えておられるのは、イエスさま御自身が、まさにエルサレムで、ゴルゴタの丘の上で、十字架にかかって死んでくださること、そのことではないか、ということです。



イエスさまの十字架を「ごく小さな事」などと言うのは、全くとんでもないことであり、許されないことであるというふうに思われるかもしれません。わたし自身もそう思います。



しかし、そのように、イエスさま御自身が言われた、というふうに理解することは可能かもしれないのです。わたしたちのこととして考えてみても、自分がしていること、これからすることを「大きな事である」というでしょうか。なんとなく傲慢や不遜のにおいがしてきます。



もし今、自分のしていることは、他の人がしていることや、この世界の中に起こっていることよりも「大きい」と感じているときは危険です。頭を冷やしてみる必要があります。冷静なときのわたしたちは、「わたしのしていることは、取るに足りません」と言うのではないでしょうか。



イエスさまの場合は、なおさらです。イエスさまという方を、御自身のみわざを「ごく小さな事」と表現されるほどに謙遜なお方である、と考えることは、間違っているでしょうか。



しかし、その場合、「大きな事」とは何でしょうか。それが「神の国」です。そのように読むことが可能です。なぜなら、このたとえは、「神の国はすぐにも現れる」と思っている人々に対する戒めとして語られたものだからです。



神の国の実現という「大きな事」のために、イエスさまの十字架という「小さな事」に忠実でなければならない。そのようにイエスさま御自身が自覚されていた、ということは、ありうることです。



わたしたち自身がイエスさまの死を「小さな事」であると考えることは、通常ありません。しかし、イエスさまを信じない人々は、どうでしょうか。



あるいは、神がお造りになった全世界と全人類の大きさと比べて、ひとりのイエスさまの死の大きさは、どうでしょうか。冷静に考えてみて、どちらが大きいでしょうか。イエスさまの死でしょうか。それとも、全世界と全人類のほうでしょうか。



イエスさま御自身が、後者であるとお考えになったのです。この世界が神の世界となり、地上に神の国が打ち立てられる。そのことのほうが、御自身の命よりも、はるかに大きいと、イエスさま御自身が、お考えになったのです。



しかし、神の国の実現のためには、どうしても通らなければならない道がある。それが、イエスさま御自身の死です。エルサレムにおける十字架上の死です。



ですから、「小事に忠実な者は大事にも忠実である」とは、十字架の死において父なる神に従順であられたイエスさまだけが、神の国の王として、全人類と全世界を支配なさる方となる、という意味で理解することができるのです。



まさにこの意味で、イエスさまは、エルサレムを前にして、能天気に浮かれている場合ではないと、周りの人々を戒められたのだと思います。



もうちょっと緊張しなさい。わたしは、これから死ぬのだからと。



(2006年5月28日、松戸小金原教会主日礼拝)







2006年5月20日土曜日

教会の職務にある女性 A. ファン・ルーラーの理解

20世紀のオランダ改革派教会の神学者、アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー[Arnold Albert van Ruler, 1908-1970]は、「女性の牧師・長老」については、どのような考えを持っていたのでしょうか。

この問いの答えとなりうる事柄が、昨年(2005年)アムステルダム自由大学に提出された以下の博士論文によって、ほんの少しだけですが解明されました。以下に、かいつまんだところをご紹介いたします。

Allan Jay Janssen, Kingdom, office and church: A study of A. A. van Ruler's Doctrine of Ecclesiastical Office with Implications for the North American Ecumenical Discussion, Academisch Proefschrift, Vrije Universiteit Amsterdam, 2005.

ファン・ルーラーが属していた「オランダ改革派教会」(Nederlandse Hervormde kerk)では、1950年代まで、女性の牧師も長老も、認められていませんでした。

しかし、そのオランダ改革派教会の教会規程が、ファン・ルーラーを中心的存在とする委員会によって改定されることになりました。そして、その改定作業の過程の中で、「教会の職務にある女性」(De vrouw in het ambt/ Woman in Office)というレポートがまとめられるなど、研究が盛んになされました。

そして、教会規程改定の結果として、女性の牧師と長老が、認められることになりました。

しかし、ファン・ルーラー自身は、女性の牧師と長老を認めることに「躊躇」(hesitation)を持っていたということを、上記のジャンセン論文が紹介しています。

その「躊躇」の理由は、たった一つだけです。

それは、キリスト教会において、「神と人間との関係」が、いわば「男と女の関係」として表現されてきたのは、ほとんど1900年間に及ぶ教会の「伝統」であるという、この点です。

しかも、この「伝統」は、「セクト」が勝手に変更してよいようなものではなく、「全体教会の伝統」でなければならず、それゆえ、カトリックとプロテスタントとの間のエキュメニカルな問いでもある、という点が、ファン・ルーラーを「躊躇」させました。

しかし、他方で、ファン・ルーラーの職務理解は、根本において、「職務は、しょせん単なる職務に過ぎない」(office is only office)という、どちらかといえばドライなものでした。

そして、「もしそうすることが必要な場合には、教会は、自己を改革する勇気を持たなければならない」(the church must have the courage to reform if need be.)とも考えました。

さらに、もう一つの点として、ファン・ルーラーは、「教会の職務を切り分けることはできない」とも考えました。

その意味は、そもそも教会の職務は、教会会議あってのものであり、会議から切り離された職務は存在しないこと、また「牧師」を「長老」や「執事」とは全く別扱いのものとすることはできないこと、そして「執事の奉仕」(service of the deacon)なしに「長老の治会」(governance of the elder)が存在しうるなどと考えてはならない、ということです。

ファン・ルーラーは、執事に用いられる「奉仕」(serving)という表現の意味は「神によって用いられた」(used by God)ということであるが、牧師・長老による「治会」(governance)も、じつは同じ意味である、とも語りました。

ジャンセンが紹介しているのは、この程度です。残念ながら、ファン・ルーラーは、女性教師・長老の問題について、あまり多くのことを語らなかったようです。

ちなみに、わたし自身は、女性を「教会会議」(小会・中会・大会)から排除する理由は、もはやどこにもない、と考えております。

『キリスト新聞』誌などで報じられましたので広く知られているとおり、数年前の日本キリスト改革派教会の定期大会で、女性教師・長老に関する件が「審議未了廃案」になりました。

しかし、それは、「未来永劫、二度と審議いたしません」という意味では全くありえません。教派の60周年信徒大会(2006年)が終わったら、もう一度、然るべき方々から提案され、きちんと取り扱います、という意味でした。少なくとも、大会の議場の大半は、そのように受け止めました。

きちんと取り扱っていただきたい。それがわたしの願いです。


2006年5月14日日曜日

「徴税人ザアカイ」

ルカによる福音書19・1~10



「イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった」。



エリコという町で起こった徴税人ザアカイとイエス・キリストとの出会いを描いたこの物語は、たいへん多くの人々に愛され、語り継がれてきました。



エリコは、ガリラヤからエルサレムに向かう旅の中ではいわば最終の宿場と言いうる、エルサレムの手前にあり、そこを必ず通っていくことになる、重要な拠点都市です。



その町にザアカイがいました。「徴税人の頭」とありますとおり、この仕事をしている中でいちばん偉い人の肩書きを付けていました。



ただし、これは少し皮肉です。「徴税人」は、ユダヤ社会における最も嫌われていた人々の代名詞でした。ユダヤを支配していたローマ帝国に納める税金を集める彼らの仕事は、ユダヤ人たちからは、裏切り者のようにみなされました。



また、当時の徴税人は、ゆすりたかりのたぐいを働いていました。ザアカイは「金持ち」であったと紹介されていますが、主な収入源は恐喝まがいの取り立てでした。一説によりますと、一般人で20パーセント分、ラビ(ユダヤ教の教師)の場合は25パーセント分のピンはねをしていたようです。そういうことを、ローマ帝国の権力を笠に着てするものだから、始末に終えない。



そんな感じでしたので、「徴税人の頭」とは、いちばん偉いというよりは、むしろいちばん悪い。いちばん社会から嫌われていた人の代名詞であったと理解すべきなのです。



お金はたくさんある。しかし、友達がいない。ザアカイは、そういう人でした。



「イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群集に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである」。



イエス・キリストがエリコをお通りになるという情報が、どこかから広まったのでしょう。イエスさまは、そのときまでには、すでに、かなりの有名人になっておられたと思われます。イエスという人はどんな人かを一目見たくて、大勢の人が集まってきました。



その中に、ザアカイも入ろうとしましたが、背が低かった。そのため、先回りして、いちじく桑の大きな木の上に登った、というのです。



木に登ったこと自体をどうこう言うことはできないかもしれませんが、強いて言うならば、そういうことを、いわゆる偉い人がするだろうか、ということを、つい考えてしまいます。



本当に偉い人ならば、(これも少し皮肉が混じっていますが)側近たちでも使って最前列に特等席でも確保させ、悠々とそこに座って、イエスさまご一行のお通りを眺めるのではないでしょうか。



ところが、ザアカイは、一人で走り回り、一人で木に登る。寂しさを感じます。



「イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。『ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。』ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。『あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。』」



イエスさまは、そのザアカイを見つけてくださいました。イエスさまの目は、御自身の周囲の全体を見渡しながら、その中で最も変な感じがする、違和感がある、何かそこに問題があると感じる、そのようなところを、ズバリ見抜く力を持っておられるかのようです。一種の間違い捜しです。



そのような目は、おそらくわたしたちも、ある程度の訓練を受けると持つことができるように思います。それは要するに、全体を見渡しながら、その全体の中のどこかに違和感があるということを瞬時に察知し、どこに違和感があるかを的確に見抜く目です。



なぜ、木の上に人がいるのか。



なぜ、木の上にいる人が徴税人の頭なのか。



徴税人の頭が、なぜ木の上にいなければならないのか。



なぜ、あの人は、あれほどまでして、イエスさまを見たいのか。



あの人は、何か今、とっても悩んでいることがあるのではないか。



助けを求めているのではないか。



このような、いろんな問いを、瞬時に思いつき、問題の所在を察知する。「見る」という行為は、非常に大事です。



そしてイエスさまは、ザアカイの姿を木の上に見つけられたとき、ザアカイに声をかけ、「急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と言われました。



「急いで降りて来なさい」とは、そんな木の上などに一人でいないで、堂々とみんなの前に立ちなさい、というメッセージではないでしょうか。



「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」とは、何か切羽詰った思いを持っているように見えるあなたの話を、あなたの家で、ゆっくり聞かせてほしい、というメッセージではないでしょうか。



お金はたくさんある。しかし、友達がいない。そのザアカイを、イエスさまがみもとに呼び寄せてくださり、友達になってくださろうとしました。



その結果、どうなったか。ここに記されているのは、イエスさまから声をかけていただいたザアカイは、「急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた」ということです。



ザアカイは、喜んだのです。それはおそらく、彼の心が求めていた何かを、得ることができたからです。イエスさまが自分の姿を見つけてくださり、また自分の家を訪ねてくださるということが、ザアカイにとっては、純粋かつ単純にうれしかったのです。



そして、この後に書かれていることで明らかになるのは、このイエスさまとの出会いによって、ザアカイは自分の生き方を大きく変えることを決心したのだ、ということです。それくらいに、この出会いは彼の人生において決定的な意味を持ちました。



ところで、わたしは、先ほど、ザアカイを木の上に見つけたイエスさまのような目は、ある程度までならば、わたしたちも、身につけることができるものである、と申し上げました。しかし、もちろん、イエスさまにしか、おできにならないこともあります。それは、いわばその先の部分です。



ザアカイがイエスさまを喜んで自分の家に迎えたのを見た人々が、イエスさまのことについて、「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった」とつぶやきました。こんなふうに言われることは初めから分かっていたことでした。ザアカイは、嫌われ者として有名人でしたから。



しかし、イエスさまは、そのことをあえてなさる。ザアカイを罪の中から救い出すためになさる。周りの人々からなんと言われようとも、全くお構いなしになさる。



嫌われ者の仲間になるということは、事実上、自分自身も嫌われ者になる、ということです。少なくとも、そのように言われたり見られたりすることを覚悟するということです。



そのことを平気でなさる。人から嫌われる勇気をもってなさる。この点が、イエスさまのイエスさまたるゆえんです。他の人々には真似することができない点です。



そのようにして、イエスさまは、他の多くの人々が「壁」や「溝」であると思っているようなことを、勇気をもって打ち破ってくださり、飛び越え、乗り越えてくださるのです。



他のみんなが嫌がったのに、イエスさまだけが、徴税人ザアカイの友達になってくださいました。いわば、ただそれだけのことでした。ただそれだけのことで、ザアカイの人生に大きな転機が訪れたのです。



「しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。『主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。』」



これを「ザアカイの回心」と呼ぶことが正しいかどうかは微妙です。ただ、このときを人生の転機にしなければならないとザアカイ自身が確信し、そのように決心し、具体的な計画を提示し、それをイエスさまの御前で約束したことは、たしかです。



「財産の半分を貧しい人々に施します」というのは、生ぬるいでしょうか。「財産の全部を施します」と、ザアカイは言うべきだったでしょうか。そうだと言えばそうかもしれません。しかし、彼の提案は、興味深いものです。



財産の全部を差し出してしまうことは、悪く言えば、自分の人生に対する無責任に通じます。半分は自分のものとして残し、それを自分自身や家族の人生に責任をもって生きていくために用いることは、悪いことでないどころか、むしろ非常に良いことです。



また、彼は、自分が徴税の仕事の中で働いてきた恐喝を止めることを決心しています。そして、その分を四倍にして返しますと約束しています。



財産の半分を自分の手元に残すということは、その賠償分に充てるということでもあるのです。この点でも、彼の提案は、非常に現実に即していて妥当性があります。



「イエスは言われた。『今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。』」



イエスさまは、ザアカイの決心と約束を喜んでくださいました。そして、そのザアカイの姿を見て、「今日、救いがこの家を訪れた」と言われました。



ザアカイが財産の半分を貧しい人々に施すこと、恐喝で得た収入については四倍にして返すことは、ザアカイの悔い改めのしるしです。それで周りの人々が納得したかどうかは分かりません。



しかし、人がどう思うかということも大切ですが、自分は何をするかということが大切なのです。ザアカイの施しは、彼の悔い改めのしるしでした。もしそのようなものでないとしたら、彼の施しには、何の意味もありません。



「人の子は失われたものを捜して救うために来た」。このメッセージは、15章に出てくる三つのたとえ話(見失った羊のたとえ、無くした銀貨のたとえ、放蕩息子のたとえ)とも共通している点です。



これこそが、救い主イエス・キリストが地上に来られた目的です。イエスさまが十字架にかかってわたしたち罪人の身代わりに死んでくださるために来てくださった目的がこれなのです。



「失われたもの」とは、罪を犯すことによって神の御前から失われたもの、神から遠ざかってしまった人々のことです。



そのことがザアカイにも当てはまります。お金だけが友達。ゆすりたかりもへっちゃら。そう思っていたザアカイが自分の人生を根本的にやり直すことを決心し、約束する。それを「救い」と呼ばなくて、何を救いと呼ぶのでしょうか。



その出来事が、エルサレムにイエスさまがお入りになる前に、エリコの町で起こった、ということも、象徴的です。



エリコの隣のエルサレムで、イエスさまは、十字架に架けられるのです。



イエスさまは、ザアカイのためにも、死んでくださったのです!



(2006年5月14日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年5月7日日曜日

「信仰の具体性」

ルカによる福音書18・31~43



今日は二つの段落を読みました。最初の段落に記されていますのは、イエス・キリスト御自身による、御自身の苦難と死、そして復活を、弟子たちの前で予告なさる御言葉です。



「イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。『今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。』十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。」



実を言いますと、このルカによる福音書のこれまでのところでイエス・キリスト御自身が弟子たちの前でお語りになった同様の御言葉は、5回出てきました(9・22、9・44、12・50、13・32、17・25)。ですから、今日の個所は、いわば6回目であると言えるでしょう。



内容的に共通しているのは、イエス・キリスト御自身を意味する「人の子」はかならず苦しみを受ける、という点です。



もちろん、その苦しみとは、究極的に言うならば、まさにあのゴルゴタの丘の上でイエス・キリストが実際に体験されることになった、あの十字架の苦しみのことです。しかし、十字架の上だけがイエス・キリストの苦しみではありません。むしろ、そこに至るまでの全過程、全生涯が、苦しみでした。ガリラヤ地方で伝道されていたイエスさまが、エルサレムに乗り込む。その道のり、その歩みの中で、イエス・キリストは苦しみぬかれたのです。



なぜ、あるいは、何のために、イエス・キリストは、現実の苦しみを体験されなければならなかったのかという点については、今日は詳しくお話しする時間がありません。一言で言えば、人間の罪が、イエス・キリストを十字架につけたのです。イエス・キリストを苦しませ、死に至らせたのは、人間の罪です。しかし、その人間の罪が奪った救い主の命を、神が甦らせてくださったのです。



今日お話しできることは、その一つ手前のことです。ルカによる福音書によりますと、今日の個所を含めて6回にもわたって、イエスさまは、御自身がかならず体験されることになる苦しみについて弟子たちの前で語ってこられました。しかし、それにもかかわらず、今日の個所の記述によりますと、「十二人はこれらのことが何も分からなかった」というのです。彼らが理解できなかった理由についても、はっきり書かれています。「彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかった」というのです。



言葉の意味を隠しているのは、神さま御自身であり、またイエス・キリスト御自身であると答えるべきでしょう。しかし考えてみると、イエスさまが何度も繰り返しおっしゃっていることの意味を理解できないというのは、やっぱりどこか恥ずかしいというか、複雑な気持ちになってくることも、事実です。



わたしたち人間には、自分自身でよく考えてみるということが求められています。だれかが語った言葉の意味は何なのかということを一生懸命に考えてみることが大切です。分からないままでいるのは、いらいらすることであり、気持ち悪いことでもあります。



また、自分一人で考えても答えが出ない場合は、他の人と一緒に考えることが大切です。可能な場合は夫婦や親子で語り合うなり、近くに相談相手がいない場合には教会員同士でもよいし、あるいは、長老や牧師に相談を持ちかけてくださるなりして、とにかく分かるまで考え抜く必要があるのです。



しかしまた、です。イエス・キリストの苦難と死、そして復活についての予告の言葉を弟子たちは、何度聞いても理解できなかった、ということも、まさに歴史上の事実であり、そのこと自体に対して、もっと真剣に考え抜いていくべきだったとか言ってみたところで、意味がありません。わたしが申し上げたいのは、そのようなことではありません。



むしろ、申し上げたいことは、おそらくわれわれ自身にとっても慰めになることです。それは、イエスさまがおっしゃったことを弟子たちが初めてはっきりと理解できたのは、イエスさま御自身が予告されたすべての出来事の終了してからのことであった、ということです。次のように書いてあるとおりです。



「イエスは言われた。『わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。』そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。『次のように書いてある。「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」と』」(ルカ24・44~47)。



これは何を意味するのでしょうか。わたしが考えさせられたことは、なるほど、聖書に書いてあることは、実際に体験してみなければ、ほとんど理解できないことばかりである、ということです。



たとえば、先ほど触れました「イエスさまはなぜ苦しみをお受けにならなくてはならなかったのか」という一つの問題を深く考え抜いていこうとするときに、これを実際に体験すること、つまり、実際に十字架にかけられてみるというようなことができる人は少ないというか、いないと思いますし、する必要はないと思います。



しかし、そういうことではなく、たとえば、イエスさまがお語りになったのと同じ言葉を、わたしたち自身が実際に語る。また、イエスさまがなさったのと同じことを、わたしたち自身が実際に行ってみる。そうすると、どうなるか、ということです。



先週の礼拝後、ある方から、次のような質問を受けました。「『神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける』(18・29~30)と、イエスさまが言われているようですが、本当に捨てることができなければ、わたしは天国に入ることはできないのでしょうか」。



わたしは少し説明いたしましたが、多くの説明はできませんでした。「わたしにも分かりません。この御言葉を理解するのは、とっても難しいことです」とお答えするほかはありませんでした。



わたしに申し上げることができたのは、たとえば、わたしたちが何か信仰上の大きな決断をしなければならないとき(洗礼を受けること、教会に通うこと、信仰の生涯を全うすること、自分の子供を信仰者として育てることなど)、家や妻や兄弟や両親や子供の言い分を、自分自身の判断停止の理由にすることはできないのではないかというあたりのことを考えてみると、いくらか理解可能なものになるかもしれません、というくらいのことでした。しかし、これとてイエスさまがお語りになっていることの真意であるかどうかは不明です。



ただ、それでも、イエスさまの御心が少しくらいでも分かるようになることがありうるとしたら、それはどういうときかと考えてみますと、それはおそらく間違いなく、イエスさまの御言葉の意味を自分の頭の中で思いめぐらしている(だけ)というときではなく、むしろ、その御言葉において語られていることを実際にやってみようとするときであり、実際にやってみたときであるだろう、ということです。



しかし、イエスさまがお語りになった多くのことは、はっきり言いますと、わたしたちにとっては、たいへん難しいことばかり、できそうもないことばかりなのです。ところが、イエスさまは、御自身が語られた御言葉に、全く忠実に生きられた方です。だからこそ、わたしたちには実行できそうもない難しい御言葉を御自身で生きてくださったことにより、まさにわたしたちの身代わりに苦しみを味わってくださった、ということが起こったのであり、また、わたしたちの身代わりに死んでくださる、ということが起こったのです。



弟子たちは、イエスさまのお姿を、いわばただ見ていただけです。最後までイエスさまのあとに従う覚悟ができていると立派なことを語っていた弟子たちでさえ、イエスさまの十字架の前から全員逃げ去りました。



しかし、この「見ていた」ということが大切です。もし聖書の中で弟子たちが、イエスさまのお語りになった御言葉について、「わたしにもできました。こんなの簡単ですよ」というふうに証言しているとしたら、わたしたちは、聖書を読むたびに絶望しなければならないかもしれません。「わたしにはできませんでした。しかし、このわたしの身代わりに、イエスさまが苦しんでくださったのです」という証しこそが、聖書の中の弟子たちの証しであり、これこそがキリスト教の福音なのです。



弟子たちは、イエスさまの話を、何度聞いても理解できませんでした。しかし、イエスさまが、彼らと共に生きてくださり、彼らの傍らに寄り添いつつ、彼らにはできないことを、まさに彼らの身代わりに行ってくださったので、そのイエスさまのお姿を彼らが見ることによって、イエスさまの話の内容が、やっと分かるようになったのです。



わたしたちは、どうでしょうか。聖書の時代とわたしたちの時代との根本的な違いは、イエスさまのお姿を、肉の目で見ることができない、ということです。そうであるならば、わたしたちは、聖書に書かれていることを、永久に理解できないのでしょうか。そんなことはないと思います。



強いて言うならば、というくらいのことですが、わたしたち教会の者たちは、今のこの時代の中で、完全に、とはとても言えませんが、わたしたちなりに、イエスさまがお語りになった御言葉に、できるかぎり忠実に生きようとする道を選ぶことによって、苦しみを味わっています。



もしそのことをお認めいただけるならば、聖書に書かれている、イエスさまがお語りになった「苦しみ」の意味を、わたしたちが本当に理解するためには、現実の教会が実際に味わっている苦しみを共に体験する必要がある、ということです。



もっと短く言い直せば、聖書の御言葉の意味を真に理解するためには、具体的な教会生活が必要である、ということです。教会生活から切り離されたところで聖書を理解することは事実上不可能である、ということです。その意味において、信仰には具体性があるのです。



今日お読みしました、第二番目の段落に記されていることにも、今わたしが申し上げたこととは少し違う角度からではありますが、共通するメッセージを読み取ることができると思われます。それは「信仰の具体性」という点です。無理にこじつけるつもりはありませんが、実際に読んでみると、御理解いただけるのではないかと期待しております。



「イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。群集が通って行くのを耳にして、『これは、いったい何事ですか』と尋ねた。『ナザレのイエスのお通りだ』と知らせると、彼は、『ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください』と叫んだ。先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、『ダビデの子よ、わたしを憐れんでください』と叫び続けた。イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。『何をしてほしいのか。』盲人は、『主よ、目が見えるようになりたいのです』と言った。そこで、イエスは言われた。『見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。』盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。」



ここに紹介されているのは、これまでも何度となく登場してきた、イエスさまに自分の病気や障碍、さまざまな苦しみや痛みをいやしていただきたいと願い出る人の一人である、と見ることが可能です。この人は、目が見えない人でした。



ところが、この人がイエスさまに向かって「わたしを憐れんでください」と叫んだとき、この人に「黙れ」と叱りつけた人々がいた、というのです。内容は異なりますが、乳飲み子たちをイエスさまのもとに連れて来た人々を叱りつけたことでイエスさまから叱られた(18・15)、あの弟子たちの姿と重なり合うものがあります。子供とか障碍をもっている人々の存在を邪魔者扱いするのは本当に間違っていることだと言わざるをえません。



しかし、ここで注目すべき点は、目の見えないこの人に対してイエスさまが投げかけられた問いの内容と、それに対するこの人自身の答えの内容です。



「何をしてほしいのか」。そのようにイエスさまから問われたので、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と、その人は、答えることができました。



このやりとりから読み取ることができると思われるのは、イエスさまがこの人にお尋ねになった「何をしてほしいのか」という問いの裏側にあるのは、「主よ、憐れんでください」という、いわば抽象的な願いや祈りだけでは不十分である、ということです。そのようなことをいくら叫んでも、何をしてほしいのか、自分がどうなりたいのか、分からないではないか、ということです。



それを、今、はっきりと口に出して言ってみなさい、ということです。自分の願いは何なのか、自分の要望、自分の目標、自分の計画は何なのか、その意味での自分の祈りは何なのか、ということを、はっきりと具体的に言葉にしてみなさい、ということです。



「言わずもがな」とか「以心伝心」とか、そういうことを重んじるのがわたしたち日本人なのかもしれません。「言葉で言わなくても分かってくれる」のが良い大人であり、良い教師である。「言わなければ何もしてくれない」のは中の下。「言っても何もしてくれない」のは下の下。われわれの一般的な評価は、そのあたりにあるような気がします。



しかし、です。少し考えてみていただきたいことは、教会もそうでしょうか、ということです。信仰者同士の関係、あるいは牧師と教会の関係、そして神さまとわたしたちとの関係までも「以心伝心」であることが、理想として求められるのでしょうか。



イエスさまは、厳しい意図をもって、目の見えないこの人に「何をしてほしいのか」と質問されたというふうに読むのは行き過ぎのように思います。イエスさまのおっしゃっていることは、厳しいことではありません。



ただし、です。「何も言わなくても、相手は分かってくれるはずだ」というような態度は、厳しく言えば、やや甘えです。それが通用するのは、たぶん親子の間だけです。



願いごとがあるなら、はっきり言ってください。



信仰とは具体的なものなのですから!



(2006年5月7日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年4月30日日曜日

「人間にできないことも神にはできる」

ルカによる福音書18・18~30



「ある議員がイエスに、『善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか』と尋ねた。イエスは言われた。『なぜ、わたしを「善い」と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。「姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え」という掟をあなたは知っているはずだ。』すると議員は、『そういうことはみな、子供の時から守ってきました』と言った。」



ここに出てくる「ある議員」とは、ユダヤの最高法院の議員です。当時の国会議員です。その人がイエスさまに近づいてきて、一つの質問をしたのです。



イエスさまは、質問にお答えになる前に、この議員が口にした小さな言葉を取り上げておられます。この人はイエスさまを「善い先生」と呼びました。ところが、イエスさまは、その呼び方をお嫌いになりました。



「先生」をされたことがある方なら理解していただけると思います。「善い先生」とか言いながら近づいてくる生徒がいるとしたら、どうでしょうか。かなり警戒するのではないでしょうか。これは何かあるなと。イエスさまはこの人に、奇妙な言い方をするのはよろしくないと、注意しておられるのです。



質問の内容に入って行きたいと思います。「何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」。これと同じ質問をした人の話がルカによる福音書の中に一度出てきました(ルカ10・25)。



それは「律法の専門家」でした。そのときのイエスさまのお答えの内容と比較してみたいと思います。それで分かることは、前回のイエスさまのお答えと、今回のお答えとは、内容的に見て、基本的に同一線上にあると考えてよいものである、ということです。



前回のイエスさまのお答えは、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」でした(10・26)。すると、その人は「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また隣人を自分のように愛しなさい』とあります」と答えたところ、イエスさまが「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる」と言われました。



今回のお答えは、「『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ」でした。これらは律法の要約としてのモーセの十戒の後半部分です。ですからイエスさまのお答えの趣旨は、律法に書いてあることは何かをあなたは知っているはずだということです。つまり前回の「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」というお答えと内容的には同じなのです。



「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と、議員は言いました。すると、イエスさまが、一つの厳しい注文を付けられました。しかし、この注文も、前回の場合と基本的には同じ内容であると考えてよいものです。前回は、「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる」というものでした。今回は、どういうものか。



「これを聞いて、イエスは言われた。『あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。』」



この点も、じつは、前回の律法学者に対するお答えの場合と、内容的に一致していると見てよいものです。律法に書かれていること、聖書の御言葉、神の御心を実行しなさい、ということです。御言葉どおり、生きてみなさい。そうすれば永遠の命が手に入ります。それがイエスさまのお答えです。



聖書にはこう書いてある、ということを、知っているとか、勉強しているとか、学問的に正確に理解しているということ。このことも大事なことではあります。しかし、イエスさまがお求めになるのは、それだけではありません。いわば、もっと大切なことがある。それは、聖書のみことばを実行すること、信仰を実践することです。



そして、そのことを前提にしたうえでイエスさまがこの議員におっしゃっていることは、「あなたに欠けているものがまだ一つある」ということでした。



「あなたに欠けているもの」とは、イエスさま御自身がお用いになった表現でいいますと「天に富を積むこと」が欠けているということです。そのために「持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分ける」ことです。そして、イエス・キリストに従うことです。



一つ一つ説明が必要だと思います。ここでイエスさまは、明らかに、「天に富を積むこと」と「永遠の命を受け継ぐこと」とを、同じ意味で語っておられます。この点を、まず確認しておきます。



そして、「永遠の命を受け継ぐこと」とは、わたしたちが永遠に生きることができるようになる、ということですから、とりあえず、「天国に入る」とか、その意味での「神の国の住人」になるということと同じ意味であると考えてよいでしょう。しかし、それが、なぜ「天に富を積むこと」と同じ意味になるのか。また、そのためになぜ全財産を売り払って貧しい人々に分けなければならないのか。このつながりはどうなっているのでしょうか。



最も大きな問題は、「天」あるいは「神の国」とは、どこにあるのか、ということです。「天」も「天国」も「神の国」もみな同じです。それぞれ別の場所や空間があるわけではありません。そしてそれは、第一義的に「神の支配領域」です。そこに神がおられ、また、そこを神が支配しておられる、そのような場所が「天」であり、「天国」であり、「神の国」です。それ以外の、あるいは、それ以上の説明は、わたしたちには、できません。



しかしまた、もしそうであるならば、わたしたちにとっては、「神の支配領域」としての「神の国」とは、向こう側の世界であるというよりは、むしろ、こちら側の世界です。今、ここで、わたしたちが生きているこの世界の側に実現する何かです。



そして、その「天」に「富を積む」とは、どういうことになるでしょうか。その意味は「神の国を豊かにすること」です。神が支配しておられるこの世界を豊かにすることです。



ですから、はっきり言いますと、イエスさまにとって「神の国」とは、われわれの積む富によって豊かになったり、反対に、貧しくなったりもする、そういうところなのです。また、その富とは、なんら抽象的なものではなく、非常に具体的かつ現実的なものです。まさに物質的な要素と呼ぶほかはないような何かが「神の国」を豊かにし、貧しくもする。そのような「神の国」を、イエスさまは、お教えになったのです。



イエスさまは、この議員に対して、全財産を売り払って貧しい人に分けることを命じ、そして「わたしに従いなさい」と言われました。これは禁欲主義の教えではありません。そのようなことははっきり言って、どうでもよいことです。わたしたちは何を食べようが、何を飲もうが、何を着ようが、どんな家に住もうが、どんな仕事をし、どれだけ稼ごうが、全く自由です。



むしろ、大切なことは、あなたの目の前に、わたしたちの世界の中に、現実に貧しい人がいるということです。貧しい人々を前にしても、無関心を決め込み、ただひたすら自分の利益をむさぼり続ける。それが果たして本当によいことか。問われていることは、このあたりのことです。



また、イエスさまとやりとりしているのは、まさに当時の国会議員です。



「国会議員であるあなたは、この国の代表者であり、また全国民の生活に対して責任を持っている人々でしょう。しかし、そのあなたに、自分の全財産を売り払ってでも貧しい人々を助けることができるほどの責任を国民に対して感じているでしょうか。あなたの目には、この世界のなかで苦しみ悩む人々の姿が映っているでしょうか。映っていないのではないでしょうか」という問いかけがあると考えてよいと思うのです。



なぜそのように考えてよいかと言いますと、案の定、というのは、意地悪な言い方かもしれませんが、事実として、この議員が、イエスさまの話を聞いて、非常に悲しんだからです。



悲しみの理由は明白です。この人は、根本的なところで自分のことしか考えていない。イエスさまの指摘は図星を当ててしまったのです。



「しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。イエスは、議員が非常に悲しむのを見て、言われた。『財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。』」



繰り返し申し上げておきますと、イエスさまが語っておられるのは、禁欲主義の勧めではありません。お金持ちになることが悪いと言われているのではなく、お金持ちが神の国に入ることは難しいと言われているだけです。その難しさに比べれば、らくだが針の穴を通る方が易しい、と言われているだけです。



神の国に入ることができるお金持ちもいる、と信じてよい。もし「らくだが針の穴を通ることができる」としたら、それと同じくらいの可能性ならばあります、ということです。



なぜ難しいのかについての説明はありません。強いて言うならば、そのことは、わたしたちが自分の胸に手を当てて考えてみれば分かることかもしれません。



自分のためにお金を集めるということと、他人を助けるということとは、方向性としては正反対の事柄かもしれません。他人を助けたい人は自分の貯えがちっともできない。余裕のある人は、その余裕を他人のために用いるかというと、そうならない。いかにわたしが豊かになりうるか。すべては自分のため。それくらいの気持ちがなければ、お金持ちになることはできない。それが現実かもしれません。



ですから、大切なことは方向性であると思います。



たとえば、聖書の御言葉を守ることについても、わたし自身の人生を豊かにするためであり、わたし自身が善く生きるためである、と考える方向性もありうると思います。それは厳しい言い方をすれば、宗教的な装いをもった利己主義です。そこに欠けているのは他人への関心です。共に生きている人々、あなたを支えてくれている人々のことが、全く見えていないのです。



方向を逆転させる必要があります。自分の存在も、自分の持ち物も、じつは、すべてが自分のためのものではなく、共に生きる人々のものであり、この世界を豊かにするためのものである。その意味での、神の国の豊かさのため、天に富を積むためのものである、ということに気づく必要があります。そして、現実に方向転換する必要があるのです。



その方向転換をしないかぎり、わたしたちの人生は、最後の最後に、とても寂しいものに終わる可能性があります。巨万の富を得るために、その結果として、多くの友人を失ってしまう人々がいます。最後の最後に何も無くなり、友人もいない。19章に登場する取税人ザアカイは、金持ちでしたが、イエスさまに出会うまでは寂しい人だったのです。



「これを聞いた人々が、『それでは、だれが救われるのだろうか』と言うと、イエスは、『人間にはできないことも、神にはできる』と言われた。」



「人間にはできないことも神にはできる」。これは「らくだが針の穴を通ることができる可能性」という点の言い換えである、と理解することができるでしょう。



何度も言うようですが、ここでイエスさまは、お金持ちの人が神の国に入ることは100%不可能である、とは語っておられません。「らくだが針の穴を通る可能性」と同じくらいの可能性ならばありうるし、また「人間にはできないが神にはできる」という意味で、まさに神のみになしうる事柄としての可能性は残されている、ということです。



しかし、これによって、「できません」ということに限りなく近いことが語られているということは、誰でも理解できることでしょう。



わたし自身は、皆さんに対して、あまり「あれか・これか」を迫りたくはありません。わたし自身は、「お金持ちのクリスチャン」や「お金持ちの牧師」がいてよいと考えております。しかし、ここでわたしたちに「あれか・これか」を迫っているのは、イエスさま御自身です。



自分の持ち物を世のため、人のためにささげ、イエス・キリストに従うか。



それとも、どこまでも自分の利益のみを追求する道を選ぶか。



そのあたりに、わたしたちの人生の大きな分かれ道が、置かれているのです。



(2006年4月30日、松戸小金原教会主日礼拝)





2006年4月23日日曜日

「子供のように神の国を受け入れなさい」

ルカによる福音書18・15~23



今日は二つの段落を続けて読みました。両方の段落に共通するキーワードがあります。それは「子供」です。



最初の段落に紹介されているのは、イエスさまのところに乳飲み子を連れて来た人々のことをイエスさまの弟子たちが叱ったところ、そのようなことを言う弟子たちのことを、イエスさまがお叱りになった、という出来事です。



「イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。」



「イエスに触れていただくために・・・連れて来た」とありますが、この人々は、子供たちをどこに連れて来たのでしょうか。



考えられるのは、安息日またはそれ以外の日に、ユダヤ教の会堂または野外で行われていた礼拝の中で、イエスさまが聖書に基づく説教をしておられた、その場所であるという可能性です。その礼拝の出席者の中に、乳飲み子を連れて来た人がいたのです。



もしそうでないとしたら、乳飲み子を連れて来た人々を弟子たちが「叱った」理由を説明することは、ほとんど不可能です。弟子たちがその人々を叱った理由は、書かれていません。しかし、考えられるのは、おそらく一つのことでしょう。



もしその一つのこと以外の理由であるとしたら、弟子たちのしたことを理解することは、わたしには、全く不可能です。イエスさまのみもとに乳飲み子を連れて行くことが、どうして叱られなければならないことなのでしょうか。全く説明ができません。



しかし、です。もしわたしが考えるこの一つの理由に限っては、それを“理解”することは、わたしにはできないのですが、“説明”くらいならば、できるかもしれません。



もし教会の礼拝というこの場所が、第一義的に「説教を聴く場所」であるということが一般的な前提理解となっているような場所であるならば、わたしはこの点を説明することくらいはできます。礼拝が説教を聴く場所であるということと、その礼拝の中に乳飲み子が参加していることは、ある意味で矛盾する関係にある、ということは否定できないからです。乳飲み子の仕事は「泣くこと」だからです。



しかし、イエスさまはその人々を叱った弟子たちを、お叱りになりました。弟子たちがその人々を叱ったことを、お叱りになったのです。



「しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。『子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。』」



これこそがイエスさまの結論であり、また、わたしたち教会の出すべき結論です。



イエスさまは、「乳飲み子たちを」みもとに呼び寄せられました。「親たちを」ではありません。「乳飲み子たち」を、イエスさまが、わたしのところに来なさいと呼び寄せられたのです。



よく考えてみていただきたいことは、もしそこが、イエスさまが説教をされている礼拝の場所であるとすれば、その礼拝の真ん中は、イエスさまが立っておられる場所である、ということです。おそらくそれは会堂の真正面であり、全会衆の視線が集まっている礼拝の中心部分です。



そこにおられるイエスさまが、乳飲み子たちを呼び寄せられた、ということは、乳飲み子たちの存在が、礼拝の中心に集められた、ということです。



そうすると、どうなるのでしょうか。当然のことというべきでしょう、乳飲み子たちは、ところかまわず泣くでしょう。その泣き声で、イエスさまの話も何もすべてかき消されてしまいます。



先日、「赤ちゃんが産まれました!」という知らせを聞いたすぐあとに、病院までお見舞いに行きました。赤ちゃんの顔を見せていただきましたが、ガラス張りの同じ部屋に、ほとんど同じ日に産まれた赤ちゃんたちが、たしか10人くらい並んで寝かされていました。一斉に泣いていました。しかし、かなり分厚い防音ガラスが張られていたからでしょう、廊下まで聴こえてくる声は小さなものでした。



あの防音ガラスがないとなれば、どうなるのでしょうか。わたしたちの教会の聖歌隊もびっくりの、大音量の大合唱ではないでしょうか。



イエスさまが乳飲み子をお招きになったとき、その場所は、まさに騒然となったのです。しかし、大切なことは、そのことをイエスさま御自身が望まれたのだ、ということです。それを止めようとした弟子たちのほうが、イエスさまから叱られたのです。



「『神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。』」



これは、どのような意味に理解すればよいのでしょうか。「神の国はこのような者たちのものである」という点と、それに続く「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」という点との関係が、やや気になります。



前者の「このような者たち」が指していると思われるのは、明らかに「乳飲み子」です。ところが、後者の「子供のように神の国を受け入れる」と言われている中の「子供」とは、まさに「神の国を受け入れること」、つまり、そこには何らかの自覚的で・主体的で・積極的で・理性的な「受けいれる」という行為を行ないうる「子供」の存在が前提されているようにも読めます。



もちろん「子供のように・・・受け入れる」とは、子供のように無邪気に、という意味でしょう。また、ここで「子供」は年齢の問題だけではなく、親に対する子供という意味です。親の存在を受け入れる子供のように神の存在を受け入れ、神の国を受け入れなければ、という意味です。



それはそれでよいと思います。しかし、「神の国を受け入れる」となると、そこには必ずなんらかの自覚や主体性が求められるように思われます。そういうことは「乳飲み子」には不可能です。



ですから、前者と後者、「神の国はこのような者たちのものである」という点と、「子供のように神の国を受け入れる人」という点とを論理的に切り分けて考えてみることは不可能ではないように思います。



そして、わたしたちにとって大いに気になるところは、要するに、イエスさまの御心はどちらなのだろうかということです。イエス・キリストの御名によって行われている礼拝に参加してもよいのは「乳飲み子」であろうか、それとも「神の国を受け入れる」ということを自覚的・主体的・積極的・理性的になしうる年齢に達している子供たちだろうか、ということです。



しかし、結論ははっきりしていると思われます。もちろん前者です。「乳飲み子」です。イエスさま御自身がそのことをはっきりとおっしゃっているからです。イエス・キリストの御名によって行われている礼拝に、(泣くのが仕事の!)乳飲み子が参加するのを妨げることは、イエスさまご自身によって禁じられているのです。



ですから、このことがはっきりしている以上、わたしは、むしろ、このことから反対に、礼拝とは何なのかということを考え直して行くとよいだろうと、考えております。



先日、3月19日(日)の教会勉強会で、わたしがお話しいたしましたことは、「牧師の説教だけが礼拝のすべてではない」(「教会の生命としての礼拝」参照)ということです。



礼拝には、説教だけではなく、他にもたくさんの要素があります。司式者の長老が必要であり、賛美歌の奏楽者が必要です。出席してくださるみなさんひとりひとりが必要です。受付の奉仕者、献金の奉仕者、さまざまな奉仕者が必要です。日曜学校の先生たちが必要であり、週報や月報を作ってくださる長老が必要です。多くの人の力によって教会が成り立ち、礼拝が成り立っています。礼拝を牧師の独り相撲の場にしてはならないのです。



この点から考えてみたときに、です。たとえばの話ですが、「牧師の説教を静かに聴くことができるどうか」という点だけから、その静けさを確保するという目的で、その静けさを妨げることにつながるあらゆる要素を礼拝から取り除くことが、本当にふさわしいことだろうか、ということを、わたし自身は考えざるをえないのです。



もちろんわたしは、こういうことをはっきり言い過ぎると、いろんな波紋が起こりかねないことを知っているつもりです。しかし、あまり口ごもっていることも、よろしくないでしょう。



乳飲み子の泣き声で説教が妨げられる、というようなことを、気にすることはない、というのが、わたしの結論です。それが理由で乳飲み子を礼拝に連れてくることができないとお考えになる方が一人もいないことを、期待します。



乳飲み子が泣くのは、おしゃべりとは違います。おしゃべりの場合は、「ちょっと、そこ、静かにしてください」と注意するかもしれません。しかし、乳飲み子に「泣くな」と言えるでしょうか。乳飲み子を抱えた親たちは、礼拝から排除されなければならないのでしょうか。



わたしたち夫婦の経験からしても、いろいろな意味でいちばん辛かったのは、子供たちが小さかった頃です。わたしたちは、人生の中で最も辛いときにこそ、神の御言葉を聴くべきです。乳飲み子を抱えた親たちこそが、この世の中で最も礼拝の説教を聴くべき存在なのかもしれないのです。



子供が泣こうが騒ごうが、それが理由で礼拝に出席できない親たちが一人もいないことを、わたしは期待します。乳飲み子と親の存在は、セットで考えるべきです。イエスさまが、乳飲み子たちがみもとに来ることを妨げてはならないとおっしゃったことには、親に対する配慮という面もあったのではないかと考えるのは無理なことではないと思います。



ところで、親が、あるいは大人が、子供たちを礼拝に連れてくることの意味は何でしょうか。今日お読みしました二段落目に書かれていることが、この問いにかかわってきます。



「ある議員がイエスに、『善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか』と尋ねた。イエスは言われた。『なぜ、わたしを「善い」と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。「姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え」という掟をあなたは知っているはずだ。』すると議員は、『そういうことはみな、子供の時から守ってきました』と言った。これを聞いて、イエスは言われた。『あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。』しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。」



ここに出てくるのは、「ある議員」とイエスさまの二人です。「議員」とはユダヤの最高法院の議員です。



注目していただきたい個所は、イエスさまがこの議員に「『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟を、あなたは知っているはずだ」と言われたのに対し、この議員が「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と答えているところです。



ここに「子供」というキーワードが出てきます。なぜこの点に注目していただきたいかと言いますと、この発言は、この議員の人にとっては、間違いなく、自分自身の良い意味でのプライド、矜持(きょうじ)に満ちた告白である、ということです。



わたしは、子供の頃から今日に至るまで一貫して、神の御言葉を、聖書の教えを守ってきました。この点では、右にも左にもそれずに来ました。このように語ることができるのは、やはり幸せなことです。そうではないでしょうか。



そして、ここで考えていただきたいことは、この人が「子供の頃から」と言っている言葉は、彼自身が子供の頃から(ユダヤ教のではありますが)「教会」に通っていた、ということを事実上意味するわけですが、その背景には、この人の親の存在がある、ということは否定できないのです。



彼自身が、子供の頃から、自分ひとりで聖書を学び、自分ひとりで神の御言葉に従ってきたと言えるでしょうか。おそらくそうではなく、親がこの人に、子供の時から、聖書の御言葉を学ぶように教え、神の御言葉に従って、しつけてきたのです。



そのことが大切である、と思います。赤ちゃんのときから自分の意志で教会に通いたいと願ってきたといえる人は、ひとりもいないのです。むしろ、赤ちゃんのときには、連れて来られるだけです。



しかし、その時期を越えれば、この議員の人のように、「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」ということを、良い意味での自信や矜持をもって語ることができるようになるのです。



子育てには我慢と苦労が必要です。教会の子供たちを育てることにも我慢と苦労が必要なのです。それを乗り越えた先を期待しましょう。この子供たちが、神の栄光を表わす者へと、成長していくのです。



(2006年4月23日、松戸小金原教会主日礼拝)