2002年10月1日火曜日

今なぜファン・ルーラーか(2002年)

関口 康
 
1999年2月、私たちは「ファン・ルーラー研究会」というメーリングリストを結成しました[a]。その目的は、20世紀中葉のオランダで活躍した改革派神学者、アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー[1908-1970]の神学論文や説教など、さらにファン・ルーラーを主題に取り上げた博士論文などを日本語に翻訳して紹介することです。メーリングリストでは、現代の教会と神学に関する各種情報交換も行っています。

現在のメンバーは60名強。全くの超教派グループです。また未信者の大学院生も参加しています。また、ユトレヒト大学のF. G. イミンク教授と、米国ニュージャージー州ニューブランズウィック神学校のP. R. フリーズ教授のお二人には、時々、メールを通してご指導いただいています。フリーズ教授は、1979年ユトレヒトでファン・ルーラーとシュライエルマッハーについての博士論文を書かれた方です。

メンバー同士はふだん、メールだけでやりとりしていますが、2001年9月3日日本キリスト改革派園田教会(尼崎市)で、初の公開シンポジウムを開催し、25名の参加を得ました。本誌主筆の深井智朗牧師も、友情をこめて参加してくださいました。講演・発題は、牧田吉和(神戸改革派神学校校長)、田上雅徳(慶應義塾大学助教授)、清弘剛生(教団大阪のぞみ教会牧師)、関口の4名が担当{b]。その内容は、近く創刊を予定している研究誌『ファン・ルーラー研究』(仮称)を通して世に問いたいと願っています。

研究会の最終目標は、日本語版『ファン・ルーラー著作集』の出版です。

さてここで、私たちが取り組んでいる神学者の生涯を、A. ド・フロート著「A. A. ファン・ルーラー教授略伝」の記述を中心に、手短にご紹介いたします。

ファン・ルーラーがその生涯において活動の主な拠点にした場所は、5箇所です(アーペルドールン、フローニンゲン、クバート、ヒルファースム、ユトレヒト)。

生誕の地はアーペルドールン(1908年)。両親は国教会系のオランダ改革教会(Nederlandse Hervormde Kerk)における「体験主義」の伝統を受け継ぐ家系で、父親はパン配達車を運転する人でした。貧しい家庭で、長男アルベルトが幼い頃から頭脳明晰であると知った両親は、小学校以上の進学をやめさせるつもりだったとか。最初職業学校に入学しますが、牧師になりたいという夢を実現するために、ギムナジウムに転校します。

フローニンゲン大学神学部に入学(1927年)。そこで、オランダ最初のバルト主義者T. ハイチェマの影響下にカール・バルトの教義学を学びますが、やがてバルトの神学が「信頼しうる実体をわずかしか持たない、冷たいもの」と知り、バルト批判に転じます。W. アールダースの指導下に書かれた卒業論文はヘーゲル、キルケゴール、トレルチの「歴史哲学」に関するものです。

大学卒業後、クバートの改革教会の牧師としての活動を始めます(1933年)。この時代のファン・ルーラーを有名にしているのは、学界デビュー作となる『カイパーのキリスト教的文化の理念』です。オランダの最も有力な改革派神学者アブラハム・カイパーの『一般恩恵論』を激烈に批判するものです。

その後、ヒルファースムの改革教会に転任(1940年)。第二次大戦に巻き込まれ、ナチス・ドイツ占領下のオランダにおいて、「セオクラシー」の理念に基づく反ナチ闘争を展開。1946年『宗教と政治』にはその時代の論文が収められています。第二次大戦後、「プロテスタント同盟」という政党の幹部となり、1946年総選挙用の党綱領や緊急政策を起草するなど活躍しますが、下院に議席を獲得できず惨敗。それを機に、彼は現実政治の舞台から退きます。1947年ハイチェマの指導下に神学博士号請求論文『律法の成就』を書き上げ、「最優秀賞」(cum laude)を受賞します。

同年、ユトレヒト大学神学部からの招聘を受け、神学教授としての活動を開始します。初めは聖書神学、国内教会史、国内・外国宣教学を担当。G. ブロミリーの英訳で有名な『キリスト教会と旧約聖書』は、この時期の聖書神学講義の成果です。1952年以降は教義学、キリスト教倫理学、国内改革教会史、信条と典礼文書、教会規則などの講義を担当します。1956年頃ドイツ各地で講演会を行ったとき、当時ヴッパータール神学校講師であった若きR. ボーレンとJ. モルトマンとの出会いがあり、「バルト後」の現代神学者に甚大な影響を与えたことは、有名です。

牧師・神学者としてのファン・ルーラーは、人気が高いラジオ説教者としても頭角を現わします。彼が亡くなる日まで二週に一度、朝の礼拝番組で説教を担当。放送後出版される説教集は、多大な読者を得ています。ラジオ局の調べでは、彼の説教を楽しみにしていたリスナーは、1245万人以上[c]。昨年日本で出版された使徒信条講解(『キリスト者は何を信じているか――昨日・今日・明日の使徒信条――』近藤・相賀訳、教文館、2000年)もラジオから生まれたものです。

1970年ファン・ルーラーは、62才で夭折します。妻J. A. ファン・ルーラー・ハーメリンクは、第一巻のみ夫自身の手で出版された『神学著作集』の続刊(第二巻から第六巻まで)や遺構集の編集を担当。彼女は5人の子育ての傍ら、教会法研究で法学博士号を取得するなど、多彩な人でした。

こうした彼の生涯は、少なくとも現代神学に関心を持つ人々にとってじつに興味深いものに違いないと、私は確信しています。

さて、私の知るところによりますと、現在日本国内でも海外でも多くの人々がファン・ルーラーの神学に強い関心を抱いています。今なぜファン・ルーラーなのでしょうか。

この問いに対して私は、ごく個人的な感想を語ることができるだけです。

私の確信によりますと、ファン・ルーラーの神学が持つ魅力は、その中において、一方で伝統的かつ古典的な「改革派教義学」なる契機があり、他方で「現代社会の世俗化」への強い肯定的評価に基づく斬新かつ通俗的な(!)提言の契機があり、その両契機が緊密に結び合っている点にあります。後者の契機にこの神学者固有の「アンガージュマン」を見ている研究者(J. レベル)がいます。

実際、彼の書物を読み始めると、その至る所に、きわめて厳密な神学的根拠を伴うユーモアやギャグ(!)が見つかり、度肝を抜かれること、しばしばです。

しかし、それは実にさわやかであり、教会と世界を明るくする言葉です。「世間」や「人間」の営みを極端に低く評価する高慢さから、キリスト者を解放する言葉です。罪と悪に対する楽観主義的態度に少しも陥ることなしに、神の創造としての人間と世界を全面的に肯定し受容しつつ、喜びと勇気をもって人が生きるための道を教える言葉です。これこそがキリスト教というものであり、神学というものではないでしょうか。多くの人々が、ファン・ルーラーの神学において、「喜びの神学」を見出して、魅了されているのです。

(小論、『形成』第372号、日本基督教団滝野川教会椎の樹会「形成」委員会、2002年、15-16頁)

編注(関口康)

[a] 「ファン・ルーラー研究会」は、2014年10月27日に解散した。

[b] 肩書きはすべて2002年時点。

[c] この数字は訂正する必要がある。再調査中。

2002年9月1日日曜日

オランダ改革派の伝統と日本の教会(2002年)

関口 康

季刊『教会』編集部からご依頼いただきました小論のテーマは、「オランダ改革派の伝統に関する事なら何でも」というものでした。「エッセイ風に書いてください」との指示をいただいています。

私は1990年3月に東京神学大学大学院修了、97年まで日本キリスト教団教師でしたが、97年から98年まで神戸改革派神学校在学、現在は日本キリスト改革派教会の教師です。

移動に際し、神戸滞在中の私に与えられたテーマが「オランダ改革派の伝統と日本の教会」というものでした。

神戸改革派神学校の図書館には、世界の改革派神学・教会に関する多くの文献が収められています。オランダ語文献も豊富です。

残念に思ったこともありました。改革派神学校の図書館の中でさえオランダ改革派の文献の多くが、ほこりをかぶったまま眠っているように見えたのです。

眠らせたままでよいのだろうかという疑問を持ちました。そしてやや不遜ながら、眠らせておく位なら、私が読ませていただこうと思い立ち、オランダ留学の経験者である牧田吉和教授の指導の下、A. ファン・ルーラー(1908-70年)から学びはじめました。

私が教団時代から感じていたことは、現在の日本の神学と教会は、「オランダ改革派の伝統」を余りにも無視しすぎではないかということでした。

もちろん「改革派」はオランダだけに固有なものではありません。しかし、(日本キリスト改革派教会を含む)とくに旧日本基督教会の伝統を受け継ぐ諸教会は、歴史的に見て明らかに、「オランダ改革派の伝統」に負うものを持っているのです。

例えば、日本史上初のプロテスタント教団の「日本基督公会」を創立し、かつ日本のキリスト教的教育機関の先駆けとなるブラウン塾を作ったS. R. ブラウンは「米国オランダ改革派教会」の宣教師ではなかったのでしょうか。「公会主義」を受け継ぐ日本キリスト教団の皆様は、根本においてすでに「オランダ改革派の伝統」を受け継いでいるのです。

あるいは、日本キリスト教団の内部でさえ、「カルヴァン主義か、アルミニウス主義か」という議論がなされていたことをなつかしく思い起こしますが、アルミニウス自身は「オランダ改革派」の神学者であり、論争の本質はきわめてオランダ的な文脈の中でのみ理解しうるものではないのでしょうか。

それにもかかわらず、ブラウン塾の伝統を受け継ぐ東京神学大学にさえオランダ語講座、オランダ語神学書原典講読などの時間が、全く無い。最近では近藤勝彦教授がこの方面の講義をしておられると伺っていますが、私の記憶するかぎり、少なくとも十数年前の東神大において、バルトとの関係でG. ベルカウワーの名前が僅かに紹介されること以外、オランダ改革派神学者の名前や著作が本格的に紹介されることは、ほとんどありませんでした。

もちろん個人で学んでいる方々は、少なからずおられるでしょう。しかし、大学という公的機関の営みにならないかぎり組織的・継続的動きになりにくいのではないでしょうか。

現に、日本のキリスト教書店の書棚に、現代のオランダ改革派神学者の書物は皆無に等しい。まるで現代のオランダには偉大な神学者が一人も居ないかのようです。しかしそれは事実に反することであり、私たちの多くが知らない(知らされていない)だけです。

試しに一度でも現代のオランダ改革派神学者たちの書物を開いていただけば、その豊かさや学問的厳密さ、敬虔さを実感していただけることでしょう。これらが日本語で紹介されるなら、日本のキリスト者は大きな恩恵を受け取ることができると私は確信しています。

もっとも、今の私が思い描いている「オランダ改革派の伝統」とは、神学とりわけ組織神学と実践神学の分野に限定されるものです。

例えばファン・ルーラーのことを考えています。彼はユトレヒト大学神学部の教授として、国教会系の改革教会(Hervormde Kerk)を代表する教義学者でした。

ファン・ルーラー以前の国教会系内の代表的神学者には、フローニンゲン大学のT. ハイチェマ教授や、生涯牧師として働いたO. ノールトマンスがいました。

またファン・ルーラーの同時代人にはレイデン大学のH. ベルコフ教授やフローニンゲン大学のA. レケルカーカー教授がいました。レケルカーカーには教義学や礼拝学に関する著書の他、オランダ聖書学が総力を結集した注解シリーズ『新約聖書の説教』(De prediking van het nieuwe testament)の中の「ローマ書」全二巻があります。

ところで現在国教会系に属する神学者で私が最も尊敬するのは、先年二度も来日されたユトレヒト大学神学部G. イミンク教授です。同教授は、実践神学部門におけるファン・ルーラーの神学的後継者です。教授からのメールによると、ユトレヒトの教義学者でファン・ルーラーを継承している人は残念ながら皆無であるとのことでした。

また19世紀中に国教会系から分離して創立された改革派教会(Gereformeerde Kerken)においてはA. カイパー、H. バーフィンク、G. ベルカウワーと続くアムステルダム自由大学の神学的伝統があります。

バーフィンクの金字塔である『改革派教義学』全四巻は、米国の改革派神学者らを中心に結成されている「オランダ改革派神学刊行会」(Dutch Reformed Translation Society)によって英訳されているところです。

しかし、この伝統は1960年代に大きな変革の時期があり、新しい歩みを始めています。現在のアムステルダムグループの実践神学者であるG. ヘイティンク教授によると、この変革の意義は「ファンダメンタリズムからの解放」にあったとのことです。同教授の『実践神学』(1993年)は近・現代の思想史を踏まえて書かれた好著です。

同じく国教会系に属していない教派としてキリスト改革派教会(Christelijke Gereformeerde Kerken)があります。同教派と日本キリスト改革派教会との間には正式な連絡関係があります。

彼らが経営するアーペルドールン改革派神学大学は、J. ファン・ヘンデレン、W. H. フェレーマといった教義学者、またカルヴァン学者として国際的に有名な教会史家ファン・トゥ・スペイカー教授らの名前で知られています。ファン・ヘンデレンとフェレーマ共著の『改革派教義学概論』(初版1992年)は英語圏やドイツ語圏の現代神学者の成果を豊かに踏まえて書かれた最新・最良の教義学教科書です。

最後に、前記二者と同じ非国教会系として最も新しい歴史を持つオランダ改革派教会・解放派(Gereformeerde Kerken in Nederlands Vrijgemaakt)があります。彼らと日本キリスト改革派教会との間にも連絡関係があります。邦訳書もある教義学者K. スキルダーのリーダーシップによって生み出された教派として知られています。

私の見方では、現時点においてオランダ改革派の諸伝統の特徴や相違点を説明する際に「より保守的」とか「より聖書的」といったたぐいの区分表示を持ち出すことは、全く無意味とは言いませんが、有効な説明になっていないと感じます。

それどころか、日本の教会的状況からすれば、ほとんど一つの伝統に見えるはずです。

今や彼らは、再一致・再合同に向かって産みの苦しみを味わっているのです。

(日本基督教団改革長老教会協議会『季刊 教会』第48号、2002年、掲載)

2001年10月2日火曜日

歴史的改革派信仰に基づく文書活動をさらに活発に

たった三年前、前世紀末(一九九八年七月)に日本キリスト改革派教会東部中会に教師加入させていただいたばかりの新参者に「二一世紀の日本キリスト改革派教会の課題」について書くようお命じになる大会常任書記局の要請には、正直真意を図りかねるものがあります。

しかし、大会の教師試験を受けなかったため大会時報に一度も顔写真が掲載されたことがないわたしには、自己紹介のよき機会になるのではと、いくらか自己中心的な動機をいだきつつ、以下、一つの提案をさせていただきたく思います。

それは、改革派教会の教師方には、できるだけ多くの書物を公表していただき、世に問うべきだ、ということです。いきなり不遜なことを申し上げるのをご寛恕いただけますと幸いです。

わたしは一九六五年一一月日本キリスト教団の信徒の家庭に生まれ、一九九〇年四月に教団の教師となり、一九九七年一月に神戸改革派神学校の聴講生になるまでの三一年余、改革派教会の活動に直接参加する機会はありませんでした。

そのわたしが教団を離脱し、改革派教会の歩みに加えていただくことを決心するに至った発端は、わたしが働きの場をえていた高知県の教会における上司(主任牧師)のご夫人が岡田稔先生のご長女であられ、その方が「父が書いた本です」と言われながらプレゼントしてくださった『改革派教理学教本』を読んだことでした。

素晴らしい本である、と思いました。東京神学大学で学んでいた間は、どの教授から紹介されたこともなく、おそらく今日ではほとんど無視されている書物です。しかし、わたしは、東神大や教団内で教えているどの教師が書いたものよりも、岡田先生の書物に感銘を受けました。

そして願わくは、この書物に表現されているようなすぐれたキリスト教信仰を公に告白している教会のなかで働かせていただきたいと祈り求めるようになりました。

そして、それ以来わたしは、「日本キリスト改革派教会」に関係する文書なら何であれ、キリスト教書店で、教会や神学校の本棚で、さらに極秘ルート(?)を通じて入手し、むさぼり読み、学びました。

神学や教理や宣言や教会規定に関する書物だけではなく、大・中会の議事録さえ入手し、行事や人事などの動向に至るまで関心を持ち、情報収集をしていました。

そしてすべての面において、改革派教会の皆様が語られる言葉、また諸問題への対応や判断は全く正当であり、すぐれていると感銘を受けました。

ですから、当時のわたしにとっては、吉岡先生も矢内先生も榊原先生も安田先生も石丸先生も小野先生も牧田先生も、その他の教師や信徒の方々(名前を挙げることができないのが残念です)も、みんな書物の中の登場人物であったわけで、今日いろいろな面で親しくしていただいていることを、夢の中にいるとさえ感じています。

ごく最近風の便りに聞き、不愉快に感じていることは、教団時代の友人たちの中に「関口は教団内のゴタゴタに絶望して飛び出した」というデマが流れているらしいことです。これは事実に反します。そんなつまらない理由に自分や妻子の生活をかけることなど、できるはずがないではありませんか。

理由はもっと前向きで積極的なものでした。書物を通して知る改革派教会の歩みがあまりにも輝いて見えたこと。今行動しなければ一生後悔するだろうと感じたこと。これ以外の理由はありません。

自分の話が長くなりすぎました。わたしの申し上げたいことは、ごく単純なことです。要するに、書かれた文章がもつ力に信頼をおくことの大切さ、ということです。

少なくともわたしは、改革派の皆様が書かれた文章によって、いわば「第二の回心」を経験し、心奮い立たされ、もう一度やれと言われたらおそらくできないであろうほどの(わたしにとっては)大きな行動をとることができました。

もちろん、この小さな者の行動が皆様にとって何の意味があろうかと自問するなら、言葉を失います。しかし、わたしも家族も、自分のしたことに後悔はありませんし、改革派教会の皆様に心から感謝しております。

そして、これから書くことは、皆様に向かって最も強く申し上げたいことです。

まさに今、日本の中に、信仰の確信も喜びも失ったまま漂っている「キリスト者」が大勢いる、ということを、皆様の視野の中から見失わないでいただきたいのです。端的に申せば、他教派の動向に不断の関心を持っていただき、そして、その人々を「愛して」いただきたいのです。

しかし、そういう人々でも、自分が属する教会を持っている限り、いろんな教会を渡り歩いて見聞を深めてみましょうとか、改革派教会のほうもちょっと覗いてみようかなというようなことは、いくらなんでも、そう簡単にはできないわけです。

けれども、書物は別です。どんな立場の人であろうとも、その意思さえあれば、いつでもどこでも読むことができます。そして、書物は、人を本当に現実に動かしていく力を持っているのです。

内容は、神学でも教理でも説教でも証しでもよいです。真理と喜びに満ちた歴史的改革派信仰に根ざした書物がたくさん現われることを渇望している人々が、皆様の文章をいっしょうけんめい読むでしょう。読者は改革派教会の外側にも大勢いる、ということを覚えていただきたく願っております。

大会の機構改革についての提案の意図に、忙しすぎる牧師に対する警鐘が含まれているならば、「牧師が書物をかく時間」をうみだしていただく方向で検討されることを期待しております。

(2001年、日本キリスト改革派教会大会書記局発行『大会時報』掲載)

2001年8月16日木曜日

日本キリスト改革派教会創立宣言に学ぶ(3)

講演3 創立宣言の諸問題

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」
(テサロニケの信徒への手紙一5・16~18)

創立宣言の学びについての私の講演の機会は、これで最後です。残り時間は1時間半、よくぞここまでたどり着いたものだと自分で感心しております。以下、レジュメに掲げた項目に従って、述べていきたいと願っております。

(1)創立宣言は対内的文書か、対外的文書か

「創立宣言は対内的文書か、対外的文書か」という問題が教派内でいちおう議論になっています。議論というほどのものではないかもしれません。しかし、その問題が矢内先生・榊原先生が書かれた『創立宣言の学び』や『改革派教会史』の中で扱われています。

この問いは、別の言い方をしますと、「創立宣言は、誰に読ませるために書かれたものか」ということになります。何のために、何の目的で、どういう読者を想定して書かれたものなのか。

この問いについて、まず最初に、小野静雄先生が書かれた『日本プロテスタント教会史』(下)の中から、一つの言葉を引用したいと思います。

「創立宣言について苦言すれば、この宣言は、改革派神学運動の運動綱領的な性格を持っております。創立宣言の第一点、第二点という形で事柄を押さえるやり方が繰り返し行われ、戦後40年の間、この運動綱領の中から新しい課題をそのつど発見して、それを具体化することが試みられました。ここには非常な強みがあると共に、ある種の限界が出ることも当然です」。

これは、講演Ⅰの中でお話しした内容にかかわることですが、この日本キリスト改革派教会という教派はいつも、創立宣言というものに立ち返ることを重んじてきました。そして、そのとき創立宣言とは、我々にとって、教会人としての、あるいは神学を営む者たちとしての運動綱領というべきものである。そこに戻って、そして、それに基づいて、また新しい運動を継続していく。

この「運動綱領」という表現自体は、なんだかすごい響きを持っています。エイエイオーというあれをイメージさせるものがあります。しかし、ともかく、そういう仕方で運動の根拠ないし土台として用いられてきた文章であるというわけです。このことは、まさに歴史的な事実なのだと思います。

ですから、たとえば、この小野先生のような理解に立ちますと、創立宣言とは、明らかに、必然的に、わたしたちの内部の者たちが読むものとして書かれたものだということになります。まさに「対内的文書」としての創立宣言です。自分たちのために、自分たちが読み、自分たちがそれに基づいて運動する・活動する。そのために書かれた文章であるという捉え方です。

しかし、創立宣言についての見方は、これ以外にもあるようです。創立宣言は、我々のために、つまり、我々がこういう教会を作っていくのだということをいわば自分で納得するために自分のために書いたものである、というだけではないようです。

もっと外側に向かって、自分たちの教会はこうだ、こういう教会をわれわれは作っているのだということをアピールする「対外的文書」でもあるのではないかという問いが、当然出てくるわけです。

事実、そのことを言っておられる先生がおられます。それは、リフォームドパンフレット『創立宣言の学び』の中にある、矢内先生が書かれている「創立宣言の意義」という論文(講演記録)です。こんなふうに書かれていました。

「亡くなりました岡田稔先生がどこかで、改革派創立宣言というものは、もともとは対外的文書だったんだけれど、この頃は対内的同意書になった、ということをおっしゃったんですね。改革派宣言は何のために書かれたかと申しますと、1946年4月28日、29日に東京麻布の南部坂教会というところをお借りして、常磐先生が大変懇意にしていた牧師さんの教会を会場にお借りして、創立大会が開かれたわけであります。そのときに宣伝委員、つまり改革派の立場を広く外部に宣伝する委員ができまして、その仕事として、わが教会の立場を広くキリスト教会に、あるいは日本の社会に宣伝する、そういう目的で創立宣言を書こうじゃないか、ということになったのです。だから、もともと改革派教会の自己主張と自己紹介のためのものだったと思うのです。何年か経ちまして、神学校の二年生頃ですが、松尾〔武〕先生にこの創立宣言のことを尋ねたいと思ってお聞きしましたときに、『いや、あれはそんなに長いこと考えて書いたものじゃなかったんだけどなあ』とお書きになった先生がおっしゃったんです。ですけれど、書かれている内容が立派だったものですから、執筆者の意図を越えて、ずっと長い命を持ちました。対外的宣伝文書としては一時的な使命を終わったんですけれども、ま、今日でも改革派教会はどういうものか、外部の人が知ろうと思ったら、あるいはわたしたちがそういう質問をされたら、これをお読みください、これがわれわれの改革派創立の精神です、とこう示すこともできるんです。けれど、そういう働きよりも、今日では対内的な、つまり改革派内部の共通目標、あるいは課題を示す、そういう役割の方がずっと大きくなっていると思います」。

矢内先生は、わたしたちの問いの答えを、まさにはっきり言っています。要するに、最初は自分たちの立場を外の人々にアッピールするために書いたのだ。しかしそれがその後、どうなったのでしょうか。外の人々が読まなくなったのか、それともアッピールすることをやめちゃったのか…(?)。そのあたりは謎ですが、ともかく、この文書を外の人々は読まなくなって、ひたすら自分たちの同意文書にしていった歴史があるということです。

また、長田秀夫先生から伺った話によりますと、東部中会は、今までしばしば、宣言の文書、とくに創立宣言についての学びをする機会が多かったということです。それはなぜかといいますと、東部中会は、何と言ってもCRC(北米キリスト改革派教会)ミッションとの宣教協力によって多くの教会が生み出されてきた中会である。その中で、日本キリスト改革派教会の伝統ということを、外国から来られたCRCの宣教師たちの持ってきた伝統と擦り合わせる必要が生じた。あるいは、お互いにズレが生じた場合に、それでは自分たちは何なのだということを確認しなければいけないという必要が生じたというあたりのことが、主な理由であるとのことです。

私としては、ぜひ、改革派創立宣言というこの立派な文書を、もう一度、外側に向かって我々をアッピールする目的に使えるように作り直す必要があるのではないかと思っております。現代語訳を作るとか、その解説を書くと言った形で、改革派教会が外側に向かって、自分たちの立場を明らかにしていく努力をしていただくのが良いのではないかと思います。

「改革派のみなさん」(今やわたしも改革派の一員ですが!)は、外側に対する宣伝において、ちょっと元気が無いというか、アッピール不足の面を持っておられるのではないかというような苦言も、ここでちょっと述べておきます。対内的文書の量が、対外的文書の量に比べて、ちょっと多すぎるのではないか。もっと外向きに語らなければならないのではないかと申し上げておきます。

(2)創立宣言は「戦責告白」か

私はこの講演の準備の機会に、「創立宣言」について先輩たちがお書きになった本をいろいろ勉強させていただきました。その中で見つかった問いの一つがこれです。

「戦責告白」という言葉を、みなさんはよくご存じでしょうか。ピンと来ないという方々もおられるのでしょうか。第二次世界大戦の中で日本のキリスト教会が戦争に加担する罪を犯したことについて、それを反省し、悔い改めることです。

それをたとえば日本キリスト教団は、したことになっています。あるいは、日本以外で有名なのは、ドイツ福音主義教会が「シュトゥッツガルト罪責告白」という文書を出して教会の戦争責任について悔い改めをしたという事実があります。オランダにもあります。オランダ改革派教会が「アメスフォールト宣言」という文書を出しましたが、これも戦争責任告白です。

問題は、これらの文書とわれわれの改革派創立宣言は同じ性質のものかどうか、です。つまり創立宣言は「戦争責任告白」と呼ぶことができる性質を持っているかどうかという問いがあるのです。

この問題は、熊田雄二先生が1987年に東部中会連合青年会でお話しになった講演の記録を見ていただくと出てきます。熊田先生は「創立宣言は戦責告白である説」を提唱しておられます。

「日本キリスト改革派教会の正式な戦責告白は、三十周年宣言(教会と国家に関する信仰の宣言)の序文です。しかし、三十周年宣言は、創立宣言の主張の第一点から出てきたものであり、『われらはこれを神の御前に恥じ…』というところに、戦争にかかわる罪責告白がありますから、わたしは、創立宣言にも戦責告白があると見ています。いや、日本の教会でいちばん早い戦責告白だと見ています」というお立場を、熊田先生が表明しておられます。

それに対する反対の意見があることを、熊田先生は知っておられるようです。

「創立宣言は、いわゆる戦責告白ではない、と言われるのですが、たしかに教団の戦責告白や三十周年宣言の序文のような意味での戦責告白ではありません。創立宣言の主張は、正しい信仰と正しい教会の確立に重点があるのであって、いわゆる戦争責任の問題を扱ってはおりません。しかし、教会の罪責告白であれば、まず神に対してなされるべきものです。…『まず神の御前に恥じ』ているのです。創立宣言は国家の戦争行為に言及してはいませんが、戦時下の信仰の戦い、教会の戦いに言及して、『信教の自由ははなはだしく圧迫され、われらの教会も歪められ』と言っています。これらはまず、神に対する罪の告白です」。

このようにして、我々は創立宣言を戦責告白とみなすことができるということが主張されています。これが「戦責告白である説」です。

しかし、もう一つ見方があるようです。『改革派教会五十周年史』の執筆者の立場が第一の立場とぶつかります。

「創立宣言の場合はどうか。宣言は、神の御旨にかなうことと悔い改めが切り離されてはならないことを知っている。しかし、その結合は曖昧さを残している。宣言は『まず戦時下に宗教の自由が圧迫された』と述べる。宗教の圧迫は国家の宗教政策の責任であり、教会はその被害者である。『その結果、われらの教会も歪められ、真理は大胆に主張せられざり』。戦時下のキリスト教の歪みの原因が、国家による宗教の圧迫にあると見ている点で、宣言の理解は正確である。けれども、それは客観的歴史理解として概ね正確、という意味であって、戦時下を過ごしたキリスト者と教会の主体的な歴史意識としては、不充分と言わなければならない」。

悔い改めが足りないといいましょうか、悔い改めとしての文章にはなっていない。教会は被害者である。被害者意識の表明であるというふうな厳しい見方です。

この見方は、熊田先生が言っておられるような線と対立するものなのかどうかは、私には分かりません。しかし、これははっきりと、「創立宣言は戦責告白とはいえない」という立場に立って書かれたものであるということだけは確認しておいていただきたいと思うのです。

どちらが正しいかというような判断は、私にはできませんし、したくありません。ぜひみなさんで考えていただきたいと思って、ただ紹介しているだけです。

戦争中のこと、あるいは戦後の悔い改めをしたかどうかというふうなことについての見方については、当事者でない後の世代の者たちがいろいろと「ああだ、こうだ」言います。言うのは簡単、ということがよく言われます。その時の状況を知らないから、そんなことが言えるんだ、という立場もありえます。どちらが正しいかについての明確な答えはないかもしれません。悔い改めが足りない宣言だと言われることは仕方がないのかもしれませんが、わたしの目から見ると、やや厳しすぎる見方かなという感じもしないでもありません。

(3)目標としての世界、手段としての教会

目標と手段の関係ということを考えながら、これからの部分の話を聞いていただきたいと思います。

創立宣言の構造は、「目標」において「日本国家の再建」という問題が出てきまして、「教会の建設」は、その目標に到達するための「手段」としての位置づけを与えられている、と私には読めると申し上げてきました。読み方が間違っていると言われるならそうかもしれませんけれども、私にはそう読めます。

もっとも、「日本」だけが良くなれば「目標」に到達できたと考え、「日本が神の栄光を現わす国」になったら「日本キリスト改革派教会」は解散(?!)というふうな図式になるのかどうか。「日本」だけではなく、「全世界」の問題が目標として取り上げられなければならないと思いますけれども、しかし、ともかく、創立宣言はこういう図式を持っているように読めます。

こういう捉え方の良さは、これまでの講演で申し上げてきましたように、教会が自己目的化することに対する警戒心というべきものを表現することができます。自己目的化した教会がどのような末路を辿ることになるかということも、カルト宗教の例など挙げてお話しいたしました。

私利私欲に走る牧師がいる。その人が自分の私利私欲をただ満たすためだけに、教会の信徒を働かせる。考えるだけでぞっとします。そのような事態に我々の教会は決して陥ってはなりません。自分に目的があるのではなくて、目的は外側にある。我々はその外側の目的のために働く手段である。謙遜な位置づけを教会に与えている。自己抑制が働いていると思います。

しかし、問題点もあります。繰り返しになりますが、教会に「手段」という位置づけを与えてしまいますと、いつでも次のような論理を許すことになります。それは、「目的を達成すれば手段は消滅してもよい」、すなわち、日本の国が良くなれば教会は解散してもよいという論理です。目標を達成すれば、手段の役割は終わり、手段の意味もなくなるからです。

でも、そういうふうにして教会が、最終的には世界の中に自らを埋没させるべきだとか、自分の姿を消し去って世界にすべてを差し出すべきだということになるのかどうか。これは別問題だと言わなければなりません。

それどころか、教会は「それ自体で目的でもある存在」ではないでしょうか。このことを「手段としての教会」ということと同時に語らなければならないのではないでしょうか。

事実、教会は、「目標達成以後」も存続し続けるのです。我々は、このことを忘れてはなりません。このことは改革派信仰の筋道から言えば、予定論(選びの教理)との関連において理解されるべきことでもあります。つまり、予定論は、「ある者を救いに選び、他の者を滅びに定める」という人間を分ける論理であるという理由で、厳しい批判の目に晒されることがあります。そういう裁きという側面も、もちろんあります。しかし、同時に言えることは、神の救いの民としての教会の内側とその外側、「教会内」と「教会外」との区別は、永遠に存続し続けるというのが、予定論の論理です。

選びとは、そういうことです。教会はまさに教会として永遠に存続し続ける。教会の外側は、教会の外側として永遠に存続し続ける。そういうものとして永遠に区別され続けるのだ。ですから、教会は教会の外なる世界を滅ぼし尽くしてはならない。教会は世界を打ち倒してはならない。教会が国家を圧倒し、国家を打ち滅ぼしてはならない。また教会の外側の世界は教会を滅ぼし尽くしてはならない。そういうふうに理解されなければならないのです。ですから、教会と世界の区別は終末においても永遠に存続し続けます。教会も、また世界も、ともに、お互いに永遠に存続し続けるのです。

(4)信仰告白・教会政治・善き生活の相対的(暫定的)性格規定

私はこの創立宣言の中に、信仰告白・教会政治・善き生活についての「相対的性格規定」というものを読み取ります。

私はいま何を言おうとしているのでしょうか。もう一度、創立宣言の文章(拙訳)を見ていただきたいわけです。「日本キリスト改革派教会の第二の主張:信仰告白・教会政治・善き生活を具備する教会の建設」の中の「一つ信仰について言えば」以下のあたりをご覧ください。その後半部分ですけれども、こんなふうに書いてあります。

「その三十数個の信条の中では、ウェストミンスター信仰規準は、聖書に教えられている教理の体系として、最も完備されているものであることを、私たちは確信しています。私たち日本キリスト改革派教会は、私たち自身の言葉をもってさらに優れた信条を作成する日を祈り求めているとはいえ、このウェストミンスター信条こそ今日私たちの信仰規準として最もふさわしいものであることを確信し、讃美と感謝とをもって教会の信仰規準とするのです」。

これは皆さんにとっては当たり前の文章だと思いますが、これの読み方によっては、我々が持っているウェストミンスター信仰規準というものは一時的(暫定的)なものだというふうに読めます。これは30数個の中の1つである。新しい信条を作ろうと思っているのだけれども、でも、今はとりあえずこれを使っています、というような文章に読めます。それが悪いと言っているわけではないのです。むしろ、良いと思います。その信仰告白というものが持っている相対性・一時性・暫定性ということが、言葉として表現されているのだという点を覚えておいていただきたいのです。

「教会政治」についても同じような論理展開があります。「法王制」があり、「監督制」があり、「会衆制」がある。それらは人間的見地からすれば良い部分もある。しかし、我々としては「長老制」こそが最良の政治形態であると思うから、これを採用しているのですという言い方です。いろいろあるけれども、その中で私たちは一つの立場を選んでいますというやり方です。選択肢はいくつかあるのだ。その中の一つを選んでいるのだというのです。これは、「相対主義的な」事柄の捉え方であると思っていただいてよいものです。

「善き生活」の項目において。これは文章の解釈としては微妙なところも出てくるかもしれません。「私たちは律法主義者ではありませんが、律法廃止論者でもありません」という言い方です。こうでもなければ、ああでもない。それでは我々は何なのか。こうでもなければ、ああでもない者であるというふうな言い方です。これも「相対主義的な」語り方なのです。

私はこのような「相対主義的な」語り方には良い面と悪い面とがあると考えております。

良い面としては、この「○○でもなく、△△でもない」という言い方は、ある種の「謙遜さ」を表わす表現として捉えることができるように思われます。

いろいろな立場をそれなりに評価する。それぞれの立場を尊重する。しかし、こういう言い方に含まれる、その何ともいえない「遠慮がち」な感じが、「自信のなさ」のようなものとして捉えられてしまう危険性があると思うのです。

あるいはまた、全く反対に、(皆さんに事柄を理解していただくために、あえていやらしい言い方を許していただけば)、そのような遠慮がちな言い方は、「慇懃無礼」(いんぎんぶれい)な言葉として人々の耳に響くことがあります。

あなたの立場は認めてあげます。しかし、わたしたちはこうなのですという言い方の中に慇懃無礼なものを感じる人がいます。いや、そうじゃないのだ。いろいろな立場を尊重して、それなりに認めているのだ、と言いたいのかもしれない。それは分かるけれども、聞く人はそんなに素直には聞いてくれないわけです。あなたの立場は何かと聞かれたときに、「ああでもなければ、こうでもない」というふうな何かいつも誰かを批判しているかのように聞かれてしまい、いろんな立場を否定しているかのように聞かれてしまうような自己提示の方法ではなく、もっと積極的な言葉遣いで、自己紹介する道はないのだろうか、と私は思います。

今日この修養会にも大勢の方々が出席してくださっている名古屋岩之上教会のみなさんに対して、私はこの日本キリスト改革派教会にほとんど同時期に加わらせていただいた者として、同じ仲間であるという意識をどこかで持っております。今日は、相馬先生もご出席くださっています。

わたしたちのように、日本キリスト改革派教会というものを外側から見て、そしてそこから自ら選んで入ってきたという意識を持つことができる者たちは、加えていただく前にいろんな選択肢がなかったわけではなくて、その中で選んで改革派教会がわたしたちにとっていちばん納得ができる、喜ぶことができる、納得できる場所だ、という確信をもって入ってきたわけです。

そういうときは、我々の立場においては(という言い方は躓きの種ですね。ごめんなさい。外部から加入させていただいた者たちの立場のことです)どうしても「相対主義的な」判断の方法を採らざるを得ない面を持っているわけです。

たとえば、わたしの場合、日本キリスト教団で牧師になって、そこを辞めて、改革派教会に入ってきました。その意味で私は、要するにいわゆる「バツイチ」です。バツイチの人間は、どうしても、非常に慎重になるわけです。新しい相手を見つけるときには、前の失敗を繰り返したくないという思いを非常に強く持つわけです。慎重になり、「相対主義的な」考え方を持ちます。「選ぶ」ことをするわけです。

また、創立宣言を書いた日本キリスト改革派教会の創立者たちも、もしかしたら、今申し上げたようなことと同じような意識があったのではないかと、私は思っています。旧日本基督教会のメンバーだった。そして、日本キリスト教団に合同した。しかし、そこではこれ以上やれないと思って、教団と離婚して改革派教会を作った。バツイチの人々です。そういうときに、ひとは、「相対主義的な」考え方を持つのです。今度こそ我々は、間違いのない、失敗のない、そういう教会を作りたいという願いをもって始めるわけです、バツイチの人々ならば、誰でも。

しかし、「そうでない場合」は、どうなのか。もうすでに改革派教会の者である。すでに新しい歩みは始まっている、という段階になって、その時点において、これまでの歩みを振り返って、そこでもう一度いろんな事柄を捉えなおして、改革派教会とは何かということを考えて行かなければならなくなったときは、もはやそれまで持ってきたような「相対主義的な」考え方は捨てなければならないのです。「あれでもなければ、これでもない。わたしは、いろんな選択肢を持っております。しかし、その中で、わたしはこれを選んだのであります」というふうな言い方は止めなければならない。

今日の参加者の中には、まもなく結婚を控えておられる方々が何人かいらっしゃるようですけれども、その方々なら分かる話だと思います。

みなさんが結婚した後に、結婚した相手に向かって、「じつは、私には、これこれの選択肢もありました」なんていうことを、いつまでも言い続けたら、これどうなりますか。言ってはいけないのです!もちろん、そういうことを、まだ言いたい気持ちをどこかに残したいかもしれませんけれども。でも、言ってはいけない。「私にはあの人もいました。この人もいました。でも、その中から私はこの人を選びました」というようなことは、もう忘れてください。結婚に際しての選択肢は、私には全くなかったのですが。そういう選択肢をたくさん持っている人がおられるならば、そういうことを忘れていただきたい。

この「相対主義的な」捉え方というのは良いところもあります。しかし、すごく問題のところもあると思います。これは、今後、創立宣言をいじって作り直すべきだとか、そんなことは全然思いませんけれども、私たち自身が今、改革派教会のメンバーとして、新しく自分たちの立場を表明するというときに、もうあまり「比較級」を使って、「法王主義よりもうちのやり方のほうがよい」とか、そんな言い方はやめてほしい。やめなければならないと思っています。もっと違うプレゼンテーション(提示)の仕方が必要だと思います。

そして、それは、しばしば次のようなことと結びつきます。たとえば、法王主義の問題性、監督主義の問題性、会衆主義の問題性と来て、われわれの長老主義はこうであるという提示の仕方をいつでも採っておりますと、そのうち、それぞれ別の立場の人々を「仮想敵」のようにみなしてしまうことになるのです。こういう敵がいる、こういう敵がいる、こういう敵がいる。そして我々はこうだ、という説明の仕方になっていく。

しかし、そのような物の見方は、「仮想敵」のようにみなされて、照準を当てられている相手にとっては、「我々は、あなたがたが言うようなものじゃない!」と反発を感じるだけです。それぞれの立場にある人々は、歴史の中で、状況の中で、それぞれに成長を遂げ、変容を遂げているからです。その点、ぜひ覚えておいていただきたいと思います。

(5)「日本キリスト教団の全面的不成功」という評価の妥当性

ここで私は、「妥当性」を問うているわけではありません。私は日本キリスト教団から出てきた者であって、「全面的不成功」という言葉をよくぞ言ってくださいました、という気持ちを持つことができる人間です。ですから、創立宣言におけるこの評価は「妥当である」と思っております。

ただ、やはり、これを語った上で、わたしたち自身が、それではわたしたちは何なのかと自問する必要はあるでしょう。信仰告白・教会政治・善き生活という三本柱の面において、はっきりと確立したものを持っているのだと、自信をもって、確信をもって、わたしたち自身が言えるようにならなければ、相手を批判するだけで自分たちは何もしていないじゃないかということを、逆に問われても仕方がありません。ちょっと厳しすぎる言い方かもしれませんが、自戒を込めて、そう言わざるをえません。

「人の振り見て、わが振り直せ」とか「他山の石」という言葉がありますけれども、他人の批判をしたら、今度は同じ問いが自分たち自身に問われ始めるのだということを決して忘れてはなりません。

(6)「喜び」の回復をめざして

みなさんは、牧田吉和先生が『改革派信仰とは何か』の中で「喜び」という事柄について非常に強調しておられることをよくご存知かと思います。それではそういうことをわたしたちは、どういう点から捉えて行かなければならないかということを、ここで問題にしておきます。

このことについては、創立宣言で言えば、第二の主張としての「信仰告白・教会政治・善き生活を具備した教会の建設」の項目の中の最初の部分、つまり「キリスト教教理の要約」の部分が問題になります。その部分の中で私が「ちょっと不満です」と申し上げたあの点です。「人間は皆罪人である」という点からキリスト教の全教理の要約を出発させているということが問題になります。

私は、「人間は皆罪人である」という点から出発するのではなく、「善き創造」ということから始める必要があると思います。人間は最初から罪人として造られたわけではなくて、ベリーグッドな、はなはだ善きものとして創造されながら、堕落したものだ、というこの所から始めると、だいぶ話が違ってくるはずだ、ということを言いたいわけです。

我々の考えの中で神の計画の最初の部分は「創造」です。すべては「創造」から出発します。しかしそれを「善き創造」ということから出発させればよいのです。その後、「堕落」が起こる。そして、その次に、イエスさまの十字架による「贖い」が起こる。そして「教会」が誕生する。そして我々がキリスト者として、教会員として、信仰者として生きていく中で起こる「聖化」が続く。その「聖化」において、世界と人間が次第に善きものとなっていくことが期待されています。

そして、最後は「終末」です。終末において、世界と人間における神の聖化のみわざが完結し、世界と人間の完成が起こる。このような仕方で、わたしたちは、キリスト教的な意味での「神の救いのご計画」の全体像を描いていくわけです。

もちろん、それら一切の「前」があるということが、わたしたちの信仰告白の内容に含まれています。「創造」は神ご自身のみわざであって、それゆえ一切は「神」から出発しなければなりません。その神は三位一体の神である、というこの辺りから話を始めて行かなければなりません。

そういう中で、最後に起こること、終末において起こることは何なのかという問題が残ります。それは、キリスト教の全教理を「善き創造」から出発させることができるならば、それが一度は「堕落」するのだけれども、「贖い」を通して再創造され、「聖化」を通して、存在の最初の善き性質というものが回復されていく、というこのような事柄の動きを見てとることができるようになるのです。

人間と世界は最初の姿、すなわち、善きものとして造られ、また神の像(かたち)として造られたあの最初の姿を再び取り戻すことができるのです。そして回復された姿というのは、いわば、最初の善きものと同じ姿として捉えることができるのです。そこにあるのは神の像(かたち)です。われわれ人間は、終末において別の人間になるわけではない!世界は別の世界になるわけではないのです!終末において関口康が復活したら望月信先生になっていたとしたら、すごく怖いことです。なりたくないという意味ではなくて、ならせていただけるなら大変光栄ですけども。

世界だってそうです。「回復する」という場合、何が回復するのでしょうか。今ある世界とは全く異なる「別世界」として回復するのでしょうか。我々が生きているこの世界とは区別された「もう一つの世界」が存在すると語らなければならないのでしょうか。それを「回復する」と呼ぶことができるのでしょうか。

そもそも聖書のどこに「神は二つの世界を創造された」と書いてあるでしょうか。そんなことは、どこにも書いていないわけです!この「一つの世界」が「回復する」のです!改革派教会の救済論の表現は「再創造」(recreatio)なのです!「贖い」によって、今までとは全く異なる別の何ものかが創造されるわけではなく、最初の創造がまさに贖われるのです。それが改革派教会の教えなのです。

ですから、贖いの完成としての世界の終わりに我々に起こるのは、「本来の私が回復される」という出来事です。また「本来の世界が回復される」という出来事です。「別のわたし」になっちゃうわけではないのです。そして、そのとき「本来のわたし」が取り戻されるということが、やはり「喜び」です。別のものに生まれ変わる。人間が一度死んでよみがえったら、ウサギや亀になっていたというと、もはや別の宗教ですが。

開会礼拝の中で、望月信先生が「復活」についてお話しくださいました。人間的なこの世界の事柄に基づく類比で天国のことを考えてはならないとおっしゃいました。このことはそのとおりだと思います。しかし、その上で言わなければならないことは、それでは、天国においては、我々の今の現実とは全く違うことが起こるのかというと、そうでもないわけです。そこでは回復され、完成された姿を見ることができるだけです。地上の生涯において体験してきたことと関係ある出来事が起こるのです。

みなさんが教会や中会の青年会活動を熱心に続けておられる。会議の中で、激しくぶつかり合う。ときにお互いを傷つけ合ったりすることもある。それらのことが終末において、すべて全くご破算にされる。チャラにされる。なくなってしまう。もし私たちが、そういう仕方で、終末を迎えなければならないのだとしたら、みんなが議論することも、ぶつかりあうことも、そもそも教会に通うことも、礼拝をささげることも、みんな空しいことですよ。やめたほうがよい。はっきり言って。

しかし、そうではない。すべては「回復」されるのです。そうであるならば、今、我々がやっていることも、終末において何らかの意味を持つことになるのです。だから、今、みなさんには、喧々諤々やってください、とわたしは言いたいわけです。血を流し、涙を流し…あ、血は流さないかな?

教会形成ということを考えるときも、やはり同じ発想を持つ必要があるでしょう。この地上に、今ここで、教会を形成していく努力というものが全く空しくなってしまうだけの終末が来るのであれば、ただひたすら絶望ですよ。やってても意味が無いのならば。

ということは、途中のプロセスすべてが、完成に向かっていく。そして、終末において、本物の私が完成されたことを喜ぶこと。その喜びを獲得するための歩みを、わたしたちは今ここで続けているのです。

そしてまた、わたしたちの「喜び」は終末にしかないのかというと、そんなことはなくて、今も、ここでも、少しずつ、最後の本物の「喜び」を体験することができるのです。

そして、私の言いたいことは、このような話の一切は「善き創造」の教理という点から出発しないと、話そのものが成り立たなくなるのだということです。

(7)伝道の視点から

これは先ほどの「信仰告白・教会政治・善き生活の相対的性格規定」という話に結びつく問題です。

先ほどは少し言葉が過ぎたかもしれません。しかし、また繰り返して言えば、ある事柄を相対主義的に提示するとき、相手を傷つける場合があるということを、思い起こしていただきたいわけです。また、そのような仕方でなされたプレゼンテーション(提示)においては、なんとなく自信も確信もないように聞き取られてしまう。

今、わたしの目の前に、本屋に務めておられる方が座っておられますが、たとえば、本屋さんのことを考えてみる。「いろんな本がありますよ。どれを買ってもいいですよ。それなりに面白いですよ」というふうに言って、本が売れるでしょうか。それとも、「これ買ってください!!」と、一つの本を取り上げて、お勧めするのか。

我々は改革派信仰というものに確信を持っているわけです。そうであるならば、これと、これと、これを比較して、この中で良いと思ったものをあなた自身が選んでくださいという言い方でなされる伝道で満足できるのでしょうか。私にはちょっと疑問です。やっぱり「これ買ってください!!」の線で行く必要があるのではないか。そのように自信をもって提供できる何かを、わたしたち自身が獲得していく必要があるのではないでしょうか。

しかし繰り返し申せば、相対主義的な物の考え方が間違っていると言っているのではないのです。間違いではないのですが、しかし、「伝道」という観点から見るならば、「これ買ってください!!」のほうが、はるかに効果的であり、良い結果を生み出すに違いない、と思います。

(8)教会一致運動の視点から

これは、先ほどの「日本キリスト教団の全面的不成功」という話に結びつきます。創立宣言の執筆者たちが書いておられることは、次のとおり。「この全面的不成功は、求むるに道を以ってせざるに拠ると言うの外なかるべし」(拙訳「彼らの全面的不成功は、それを求める方法が間違っていることに原因があるという他はありません」)。

逆の言い方をすれば、正しい方法に基づいて、すなわち、「信仰告白・教会政治・善き生活」を三本柱として持っている、しっかりとした基礎を持っている合同運動であるならば、わたしたちは受け入れますし、積極的に取り組んでいくべきなのだ、ということを言っておられるわけです。

もっとも、現実的に見て、さあ、今の改革派教会と他のどこかの教派とで合同しましょうという運動を今から始めましょうという話には、もちろんなりません。今、現実的にどこかにそういう相手がいるとは思いません。そのような相手は、目の前には全く存在しません。みなさんがおじいちゃん、おばあちゃんになる頃にはどうであろうか。そのような合同運動が起こるかもしれない。しかし起こらないかもしれない。その程度の話です。

しかし、いきなり教派合同という大それた話としてではなく、もっと目の前にいる比較的近いと感じることができる、いろいろな考え方において一致できる他の教派の人々と積極的に連帯していくことは、創立宣言の精神にかなったことです。

いろいろなところに首を突っ込んで、顔を出して、そこで語っている人々の言葉を聞くことが大切です。みなさんがそのような場所に少しも顔を出さないようであれば、改革派教会の主張も、改革派教会の存在さえも、改革派教会の外側の人々は誰一人知らない、という最悪の結果になることが見えています。これは最悪の結果です。いろんなところに首を突っ込んで、そしてそこにいるだけで、存在するだけで、改革派教会の存在をアッピールすることができるのです。超教派の会などに行って、その真ん中で、でんと座ってください。

たしかに、そのような超教派の会合は、わたしたちにとっては、出席しているだけで疲れる場所なのです。「エキュメニカル・スマイル」を使って語る社交場だ、なんてことが言われるわけです。違う立場の人々と一緒にいて、彼らの話を聞いていても、ちっとも面白くないし、疲れるだけ、傷つけ合うだけ。話は合わないし、「一緒に祈ろう」と言ったら「何それ?」と返されてしまうとか。聖書の解釈が根本から違うとか。なんとかかんとか、問題を挙げていけば、きりがありません。

わたしたちにとって、そのような場所はイライラさせられる場所、うんざりする場所です。これは事実です。わたしはよく知っています。キリスト者と称する信仰が違う立場の人々というのは、同席するだけで、体のどこかが痒くなるような感じがするほどに、違和感を感じるものです。

しかし、それにもかかわらず、出て行ってほしいのです。最初は、嫌々でもよい。不快に感じながらでもいいです。そしてまた、そのような場所で、わたしたちが何も「改革派信仰とは、こうであります」などと大演説をしてくる必要も無いでしょう。求められるなら、それもよいでしょうけど。でも、わたしは皆さんには、とりあえずただそこに存在するだけ、出席するだけでも、とにかくそのような場所に出席し続けていただきたいと願っております。そんなところに出ていると自分の信仰がおかしくなるのではないかというのは、無用の心配です。

ともかく、教会一致運動は、わたしたちとは全く無関係の事柄だというふうには思わないでいただきたいのです。「創立宣言」の後、我々は、教会一致運動というものを、全く捨ててしまったのだ、とは言えないはずだ、と私は理解しております。

(9)私の教団離脱・改革派加入にも触れて

このようなタイトルをレジュメに書いたことを、今ごろになって後悔しています。そもそも、残り時間があまりない。また、この話を始めると、「聞くも涙、語るも涙」でして。それは冗談で、それほど大したことではないのですが。

私の教団離脱・改革派加入には、「消極的な理由」と「積極的な理由」とがありました。

「消極的な理由」においては、やはり、わたし自身が、日本キリスト教団というものに十分な意味で失望したという点があります。先ほどの「信仰告白・教会政治・善き生活」という三本柱において、完全に崩壊している現実を目の当たりにしました。

そのきっかけは、皆さんもキリスト教の新聞や世間の雑誌などでもご覧になっていると思いますが、いわゆる「ナイフ事件」と呼ばれている事件を知ったことでした。阪神・淡路大震災の直後、日本キリスト教団の代表者たちが関西学院大学に対して行った暴挙と、その事後処理の件です。

教団の中では、それまでもいろいろな形での暴力事件が起こり続けていました。そのことはみんな知っていました。牧師たちが知っているだけではなく、信徒の方々も知っていたのです。

でも、今までは、教団の内部における「内輪もめ」に過ぎなかったわけです。今回はいわば初めて、外の人々に向かって凶器をふりかざした。一宗教法人の構成員が他の法人(学校法人)の人々に向かってナイフを取り出したという歴史的な事件でした。

しかし、私にとっての「問題」は、その事件そのものではありませんでした。もちろん、それも大問題ではありますが、もっと大きな問題がその後で起こりました。その後、教団はその教師に対して戒規どころか、何にもすることができなかった!その後始末の問題で、私は教団のシステムに絶望しました。「教会」としての体をなしていないと確信し、一日も長くこの中に留まっているべきではない、と思って、飛び出してきました。
 
けれども、以上は、単なる「消極的な理由」に過ぎません。もっと「積極的な理由」があります。

私は日本キリスト改革派教会のことを日本基督教団の牧師として知るようになって、だんだん皆さんが書いたり出版しておられるような文章を読むようになりまして、「あ、これだ!」と思ったのです。真の理由は、ただそれだけです。ただそれだけなのです。

もっとも、そこで一つ皆さんに分かってほしいことは、教派が違いますと、とくに牧師でありますと、毎週日曜日はどこかの教会で説教をしなければなりませんから、他の教会の事情を詳しく知る機会など、ほとんどないわけです。どんな建物かということなどは、週日に無人の会堂を訪ねて行けば分かることですが、しかし、教会を知るためには、礼拝を知ること、そこで語られている説教を聞くことによってしか、本当のところは分からないわけです。

ですから、他教派の者たちが、改革派教会の様子を知ること、礼拝や説教や諸活動の内容を知ることのための、いわば唯一の手段、唯一のメディアは「文書」なのです。最近では、インターネットなどもありますが。

そのようにして、私はとにかく「日本キリスト改革派教会」という名前がついている文書なら、何でも手に入れ、読んで、読んで、読みまくりました。そして、「あー、すごい、感動!」。これが「積極的な理由」です。

その私が外側から見て改革派教会の姿に感じたことは、何か特殊なことではなく、まさに(繰り返しですが)「信仰告白・教会政治・善き生活」という、教会形成をしていくためには、当たり前のことを、大真面目に、きちんと、当たり前に実行している教派が、この地上に、この日本に存在する!ということでした。

とくに私のように教団のメチャクチャの中にいた人間としては、日本キリスト改革派教会の皆さんが「あまりにも、あまりにも、当たり前」であることに感動し、強い憧れを抱き始めてしまったのです。ひょっとしたら皆さんにとっては「重荷」に感じておられるかもしれないものに、私は感動したのです。

そして、ここで私に語りうることは、私はおそらく、とてもラッキーだったに違いない、ということです。日本基督教団が「信仰告白・教会政治・善き生活」という視点から見ればメチャクチャの状態にあるというのは、公然の秘密であり、もはや秘密でさえない事実です。そのような中で、多くの牧師が、じつは、悩んでいるのです。

「どうしよっかなあ。でもなあ、教団にはお世話になった先生もいるし、友人もいるし。妻子もあるし。改革派の牧師になるためには、やっぱり一度、神戸改革派神学校で勉強しなければなあ。でも、そうなると、在学期間中は『無収入』だよなあ。妻を、子どもを、路頭に迷わせることになるのかなあ。あーあ、どうしよっかなあ」と悶々と悩んでいる人々がいることを、私は知っています。

「教団残留組」というような言い方は、考えてみれば失礼な言い方ですけれども、しかし、実際にはそういう呼び方がピッタリな面があるのです。

私自身、経済的な面では、ずいぶん悩まされました。教団で仕えた最後の教会では、威張るわけではありませんが、この年齢にしては、ずいぶん多くの謝儀をもらっていたのです。そういうものを全部捨てて、家族を連れて、荷物を抱えて、それらを神戸改革派神学校の寮に全部持ち込んで、無収入の1年半を過ごすことになったのです。最初は子どもが一人。しかも、その1年半の間に、もう一人子どもを与えられることになりました。それで、経済面では本当に悩まされました。

私としては、神戸改革派神学校の正課コースの3年3ヶ月を、本当はすべて学びたかったのです。しかし、経済的な理由で1年3ヶ月だけしか学ぶことができなかったのです。

しかし、そういうことが私にできたのは、改革派教会の皆さんの歩みが光り輝いて見えたからです。そして、今や、実際に来てみて、「あれ、現実は違っていた」という失望を感じている、というようなことは少しもありませんので、どうかご心配なく。今もなお、私はその感激の中にいる者です。

苦労話をしたいわけではありません。わたしたちは自分の信じるところに従って生きることができるときに、本当に深い「喜び」を感じることができるのです。そのことを、ぜひ、それぞれが確信を持って受け入れることができますよう、願ってやみません。

(終わり)

2001年8月15日水曜日

日本キリスト改革派教会創立宣言に学ぶ(2)

講演2 日本キリスト改革派教会の二つの主張

「そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。」
(エフェソの信徒への手紙4・1~6)

昨日は、講演1のために与えられた時間の半分くらいを使って、創立宣言の原文と現代語訳とを皆さんで輪読していただきました。ですから、私は、昨日は何も話をしなかったのとほとんど同じである、と思っております。

とにかく創立宣言というものを実際に読んでいただいて、おそらく今、いろいろなご感想をお持ちになっておられるだろうと思います。現代語訳を作らせていただいた者が自分で言うのも何ですが、読みづらい文語訳のままで「放置」しておくよりも、下手な現代語訳でも見ていただくほうが、はるかに多く役に立つところがあるのではないかと思います。

もちろん、言葉としてこなれていないところや間違っているところなどは、まだまだたくさんあるでしょう。ですから、私の訳などは一日も早く克服していただいて、新しい、もっと良い訳を皆さんで作っていただきたいと思います。

私の仕事は、皆さんにとって創立宣言は身近なものだと感じることができるように、ほんのさわりの部分をお話しさせていただくだけです。私としては、この修養会に参加された皆さんが、自分の家に帰ってから、修養会のことを思い出して、創立宣言のことについては何も分からなかったと言われる人が一人も出てこないように、何とかがんばって分かりやすく話したいと願っておりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。

そして、そういうわけですから、私たちにとって創立宣言を身近なものにするために、ただ読んだというだけではなく、やはりその意味を少しでも理解する必要が出てきます。そのために私はこれから、創立宣言の文章を少しずつ取り分けながら解釈していきたいと思います。

* * * *

第一の主張:キリスト教有神的人生観・世界観に基づく国家の建設。

創立宣言の最初の部分は、当時の教会を含めた日本の状況ということを考えながら、その時代に合わせて書かれたものである、ということは、もちろん言うまでもありません。時代的限定の中にある言葉遣いで書かれています。

ただ、これは、一つの教派の創立宣言です。それは、これから新しく「教会」を作りましょう、という話です。その最初の部分に「国家」の話が出てくるというのは、考えようによっては、きわめて異様なことであると見ることができます。もっとも、これは批判的な意味で言っているわけではありません。

たとえば、一つの政党のことを考えてみる。たとえば自由民主党でも民主党でも共産党でもよい。一政党の立党宣言の中に「国家の再建」という話が出てくるのは全く当然のことです。それどころか、そういう部分が無ければ、その文章は意味をなさないわけです。

しかし、キリスト者たちが集まって、一つの新しい教派を作ろう、教会を建てようというときに、まず第一に「国家の再建」という話から始める。これは、ある意味では、ぎょっとするようなこと、考えようによっては、おかしなことです。

改革派創立宣言は、敗戦日本の再建の道の上で、そのために、その中で、教会はどのような役割を担っていくのかという話から書き始められています。一つの文章を理解する上でその文章の最初に書かれていることは、以下の文章全体を支配するようなきわめて重要な意義を持っていると読むべきです。改革派創立宣言が、何をさておいてもまず最初に「国家の再建」ということを言い始めているところに注目していただきたいと思うのです。

次の段落を見ていただきますと、ここに書かれているのは「歴史を支配する神」ということです。わたしたちの信じる神を、歴史とのかかわりでとらえる神理解です。「歴史を支配したもう神の摂理」。神というお方は、歴史を支配される方です。「摂理」とは、ごく分かりやすく言えば「お導き」です。神のお導きによって、日本が変化したのです。

どういう変化をしたのかと言いますと、ごく単純な言い方を許していただきますと、時間の横軸の中で第二次世界大戦が起こり、その前と後で日本が根本的に変わった。そこで「信教の自由」が日本にもたらされたのです。

「もたらされた」の意味は、それまでは無かったということです。そのことは、我々の世代の人間には認識できないことです。それまでの日本には無かったもの、存在しなかったものが第二次世界大戦後「もたらされた」のです。そのことは、歴史を研究する人々が一様に認めていることです。言葉の正しい意味における「デモクラシー」は、第二次世界大戦後、日本に入ってきたものです。

大木英夫先生(元東京神学大学教授)の表現を拝借して言えば、ものすごく単純な引用の仕方ではありますが、第二次世界大戦以前の日本にあった倫理は「古い共同体の倫理学」というべきものであった。しかし、それが戦後変わった。「新しい共同体の倫理学」が必要になったというふうなことが語られております。

大木先生によりますと、戦前の「古い共同体の倫理学」の代表者は和辻哲郎という人なのだと言われます。そして、和辻こそが「A級戦犯」なのだと、大木先生は繰り返し学生たちに教えてくださいました。

天皇家による国家支配、萬世一系、八紘一宇、大東亜共栄圏構想というふうな諸々の戦争用語に表現された物の見方や価値観。私たちのおじいさんやおばあさん、あるいは父親や母親たちの頭の中にかつて描かれていたし、今も描き続けられているかもしれない物の見方や価値観。こういうものが、かつてあった。

しかし、そのような物の見方や価値観が、戦後になって、とくに日本国憲法というものと結びついて入ってきた「デモクラシー」によって全く根本的に変化する。デモクラシーが日本に変化をもたらしたのです。しかしそのことを、信仰的・神学的に、あるいは改革派的に考えていくと、「神のご摂理」ということにおいて日本の国が、そのとき変わったのだ、根本的変化が起こったのだと理解することが大切です。

さらに次の段落、「今後、よりよい日本の建設のために…」以下をご覧ください。そのように、日本が戦後において一変した。もっとも、実際に変わったのは法律だけであって、人間の心は変わっていないというべきかもしれません。ですから、日本の変化はいわば単なる形式的な変化です。まさにそのような状況の中で我々は何をなすべきか、ということを書いている部分です。

「食べるにしろ、飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現わすことをもって、最高の目的にしなければなりません」。

みなさんの中にもおられる「生まれた時から改革派」という方々は、教会学校の頃から、あるいは中学・高校の頃から、ウェストミンスター小教理問答を繰り返し勉強させられてきていると思います。その第1問に、「人の主な目的は何であるか。人の主な目的は、神の栄光を現わし、永遠に神を喜ぶことである」という言葉があります。その表現が、創立宣言のこの部分の背後にあるといえます。

ウェストミンスター小教理問問答においては「目的」という点でendという英語が用いられています。「人の主な目的」はMan’s chief endです。Endはもちろん「終わり」です。それが「目的」という意味にもなります。それは「行き先」であり、途中のプロセスを経て至る「終点」です。それが「目的」であり、「目標」である。こんなふうに理解することができます。

食べているときも、飲んでいるときも、何をするときでも、どんな場面でも、わたしたち人間が神の栄光を現わす、ということが起こらなければならないのです。

先ほどは、みんなで朝ご飯を食べましたが、神の栄光を現わしながら、お食べになったでしょうか。納豆を食べながら、神の栄光を現わす、とか。そんなこと言われても困るとお感じになるかもしれませんけれども、でも、要するに「すべてにおいて」なのだ、と語ることが、改革派の筋道です。眠っているときも、という言い方もよくされるわけですが、いったいどうすればよいのだろう、と正直悩んでしまいます。でも、それが、神の栄光を現わす道なのです。

そして、そのように、自分の生活のすべてにおいて、あるいは世界のどの場所においても、と考える。お風呂の中でも。お風呂の中で神の栄光を現わすとは、いったい何だろう、と考えてみていただきたいわけです。いつでもどこでも、すべてにおいて。神がいつもわたしたちを見ておられる。神の目がどこにでもある。神の眼前で生きる。そのことを意識しながら生きる生き方。また、そのようなものとして世界を理解する仕方。このことがまさに、私たちの教会の創立宣言の中に出てくる、「有神的人生観・世界観」(Theistic Life- and World view)という言葉の意味です。

それは要するに、私たちが、神の眼前で生きる、ということです。すでに皆さんは、青年修養会などいろいろな機会に、coram Deo(コーラム・デオ)という言葉を聞いたことがあると思います。「神の御前で」という意味です。神様がいつも見ておられると語られる。お風呂の中とか、洗面所の中まで見ておられるということになったら、ちょっとヤダナーと思われるかもしれませんけれども、でも、それはいったい何なのだろう、神様の目って、どういうことだろうということを、いつも考え、いつも意識し、いつも感じながら生きる。これが大切なことです。

そのような「有神的人生観・世界観」ということの関連で、またしても、最初の話題に戻っていくのです。まさにその「有神的人生観・世界観」こそが「新しい日本を建設するためのただ一つのたしかな基礎である」!

ここでまた、話題は「日本」の問題、「国家」の問題に向けられるのです。そしてまた、語られていることは、「日本キリスト改革派教会の第一の主張であり、私たちの熱心はここにあるのです」ということです。

すなわち、「国家建設」ということを、わたしたちのこの教派は、初めから言っているということです。「私たちは国を建てるのだ」と語ってきたのです。「国づくりの発想」を持ってきたのです。こういうことは、見方によっては、とても異様なことです。しかし、何だかすごいことでもある。とにかくこのようなすごい考え方をもって、わたしたちの教派は出発したのだということを覚えておいていただきたいのです。

ここでちょっとネタ晴らしのような話をします。「教会と国家」との関係という問題を考えていくときに、そもそも改革派教会が歴史的に保有してきた物の見方や判断基準があります。それをここで少しだけ紹介したいと思うのです。

まずカルヴァンの言葉をご紹介しますと、彼は「世界」を指して「神の栄光の舞台」(theatorum gloriae Dei)といいました。この表現は、牧田吉和先生が『改革派信仰とは何か』という書物の中で紹介しておられます。

「舞台」(theatorum)は劇場(theater)です。シアターです。映画館のあれです。神の栄光(gloriae Dei)はglory of Godです。「世界」というのは、我々が住んでいるこの世界(this world)。神様がお造りになった宇宙全体(コスモス)。「海外」の話をしているのではありません。「世界各地を転々と歩く」とかなんとか、そんなときに使う「世界」という意味合いではなく、「この世」、あるいは「世間」。「渡る世間は鬼ばかり」のあの「世間」です。

カルヴァンによりますと、「渡る世間」は、神の栄光が現れる舞台、あるいはまた、人間が神の栄光を現わす劇場である、というのです。

わたしたちは、たとえばこんなふうな考え方をしてしまうことがあります。「今の私は、地獄のような世の中に住んでいる。嫌々ながら生きている。しかし、神を信じ、信仰生活を送ることによって、この苦しい嫌な世の中を何とか耐え抜いている」。教会の中にいる人々に限って、世の中というもの、世間というものに対して、極端な低い評価、ないしネガティブな思いを持ちやすい傾向がある、と言われることがあります。

しかし、改革派教会が持ち続けてきた「世」についての見方は、そういうネガティブなものではないのです。讃美歌の中には、しばし世を離れて祈りに徹する、というような歌詞のものがありますが、「祈り」とは「世から逃げる手段」なのでしょうかということが、問いとして残ります。世から逃れて礼拝を守る。しかし、礼拝が終わると、また嫌な世に戻って行かなければならない、というような感覚を、われわれはしばしば持ってしまうことがあるのかもしれません。しかし、改革派教会はそんなふうには教えて来ませんでした。世の中で、世と共に、神様の栄光を現わすのだと教えてきたのです。世に対する肯定的評価!これが改革派信仰というものを理解するための一つのポイントです。

ですから、国家のために働くとか、国家を建てるというのは、いわば世俗的なこと。そんなことは政治家に任せておけ、どうせ汚いあの連中が何かごちゃごちゃやってくれるだろう。そういう世のことは世の人に任せておけ、というふうな言い方は改革派教会の筋道から出たものではないのです。教会が世に対して積極的な働きをするということが、求められているのです。

今、わたしは、カルヴァンの世に対する積極的な評価についてご説明いたしました。カルヴァン以後のカルヴァン主義者たちもまた、積極的に政治的・文化的活動をしていきました。とくにこの名前については、皆さんはすでに教会を通して聞いておられると思いますが、19世紀の後半から20世紀の前半まで活躍したオランダの改革派神学者、アブラハム・カイパーという人がいました。

カイパーの『カルヴィニズム』という本が邦訳されて、黄色い(危険な?)色のカパーを付けて売られております。これを、みなさん読みましたか?持っておられますか?今日はみなさんに、「持っていない人は、ぜひ買ってください」と言おうと思ってまいりましたら、先ほど、キリスト教書店にお勤めの方が、「これはもう品切れになっています」と教えてくださいました。非常に残念に思っています。こういう本を品切れにしてはならない!みなさんどうかこれをどこかで手に入れて、ぜひ読んでください。

この人は、改革派の神学者であり、牧師であり、政治家であり、新聞記者であり、また政治家の面はさらに進んで総理大臣になりました。今の日本キリスト改革派の牧師さんが、総理大臣になる!そういうことが想像できますか。なってほしいなあと思いますけれども。小野静雄大会議長に総理大臣になっていただく。こういう案はどうでしょうか、みなさん?すごく大変なことだと思います。教会の仕事だけでも、ものすごくたいへん。その中で政治家になり、総理大臣になる、というようなことが起これば、たぶん日本の牧師は長生きできないでしょう、間違いなく。50年も生きられないでしょうと思います。

それはともかく、カイパーの『カルヴィニズム』という書物において、またカイパーの生き方において、世から退く姿勢、後ろ向きになる姿勢はまったくありません。それどころか、世に対して非常に積極的であり、世の中に入っていって、そしてそれを変えていくという姿勢が、顕著に見られます。もちろん、世を変えるだけではなく、世を守るということも、しなければならないことです。

「これが改革派の行き方だ!」と私は信じています。もちろん皆さんはずっと改革派教会のメンバーとして生きてこられた私よりも先輩たちですから、もし皆さんが聞いて「関口の考えは間違っている」と言われるならば、素直に耳を傾けたいと思っております。

* * * *

第二の主張:信仰告白・教会政治・善き生活を具備する教会の建設。

「具備する」という言葉は、わたしたちにとって、あまり日常的には使わないものではないかと思いますので、もう少し砕いた表現が必要かもしれません。「充分に備える」(広辞苑)という意味です。
この第二の主張の部分は、創立宣言全体の流れの中で見ればちょっと唐突ではないかという感じで登場してきます。話題が急に変わっています。「そもそも人類は」と、なんとも唐突に切り出されています。ここから第二の主張が始まるというのが、矢内先生・榊原先生共著の『創立宣言の学び』などで指摘されていることです。

この『創立宣言の学び』という本は面白いもので、第3章に「宣言の学び方」とあって、どういう学び方をすればよいのかということが詳しく具体的に書いています。「段落を切ってみましょう」とかですね。だいたい全体を三つに分けることができると指摘されています。この本は、非常に優れた本でして、わたしがことさら話などしなくても、この本を読めば全部書いてあると思っていただいてよいものです。

この「そもそも人類は」というところから、矢内先生の表現をお借りして言えば、「キリスト教本質論」が始まります。もちろん、いろんな言い方ができると思います。「キリスト教の教理」、「キリスト教の教え」、「改革派信仰の内容」、「教理の要約」など。

ここに書いてあることは、みなさんが教会で教理の学びをしてこられた中で聞いたことがある話ばかりだと思います。文語で書いてありますと意味がほとんど分からない感じですが、訳してみますと、何のことはない、とてもよく分かる話です。人間には罪がある。しかし、その人間は、イエス・キリストの贖いによって、罪赦されて、きよめられて、永遠の命を与えられて、栄光に変えられていく。イエスさまを信じるだけで救われる、という宗教改革的信仰の内容が書かれています。

もっとも、ここで私は、ちょっと不満があるというか、ちょっと言いたいことがあります。それは、この部分の最初の切り出しとして、「そもそも人類は、神の御前に一体にして、等しく罪の奴隷たり」と言われていることに関してです。この「人間は罪人である」という告白がキリスト教信仰の要約の最初に出てくるというのは、ちょっと不満です。なぜかといいますと、人間は、最初から罪人だったわけではない、というのが聖書の言い分なのです。

これは、関口が何か変なことを言い出したというふうに思わないでいただきたいところです。聖書の初め、創世記の1章、2章、3章あたりを見ますと、神様はご自分がお造りになった人間を「はなはだよい」(very good)とお認めになったということがはっきり書いてあるわけです。ベリー・グッドな存在としての人間!

人間というのは、最初はアダムとエバだけだったかもしれませんけれども、最初はとにかく「よいもの」として造られたのだということが言われなければならないのです。最初から罪人であるということを言ってしまうのではなく、それより一つ前のところから話を始めなければならないのです。

このことは、何もわたしがここで握り拳を振り上げて自己主張しているようなことではなくて、改革派教会のとくに今日の神学者たちがこのことを強調しはじめているのです。牧田先生も『改革派信仰とは何か』の中で、「善き創造」の教理の重要性について説いておられます。この「善き創造」という教えが、今後、改革派教会の中で、もっともっともっともっと、あとかける数倍くらい「もっと」強調されなければならない。ここからすべてを出発させなければならないということを言わなければならないのです、本当は。

しかし、いろんな時代的制約もあるでしょう。キリスト教の教理を短く言い表すというときに、すべての事柄を網羅的に書くことは事実上不可能なことです。書き出しも、ある一つのことからしか始めることができないわけです。でも、創立宣言が、キリスト教教理の要約を「罪」から始めていることは、ちょっと不満です。かつて人間は善いものだったのだというのは、今ではいわゆる一つの悪あがきみたいなものですが、それでも、とにかくそこから出発しないと駄目なのです。

「永遠の生命に定められた人々に信仰を与え、召してくださり…」以下の部分について。このような話は、皆さんが教会で先生たちから聞いておられる話だと思いますが、このあたりの記述は、いわゆる「救いの計画」(Plan of Salvation)の教理というべきものです。もう少し古い言い方をすれば、「聖定」(Decree)の教理。

みなさんの教会では最近でも「聖定」という言葉が使われているでしょうか。要するに「定め」です。予定は聖定に含まれるという話もあります。人間の救いが神の計画によって実現されていくプロセス、ないし秩序があるのだという教えです。とにかく神様の永遠の聖定において定められた計画の全内容に関する教理が、この「救いの計画」の教理です。

これが創立宣言の中に出てきます。前から順に見ていくと、予定(praedestinatio)、召命(vocatio)、義認(justificatio)、聖化(sanctificatio)と続き、最後に「神が人と共に住む」という事柄が出てきます。これは「和解」(reconciliatio)というべき出来事です。神と人間が和解するのです。

我々の救いの実現には一つの秩序があると言われます。それを「救いの秩序」(ordo salutis = Order of Salvation)の教理と言います。Orderは秩序とも順序とも訳せます。より新しい表現としては「救いのプロセス」(蘭 heilsproces)というのもあります。その秩序ないしプロセスに従って、我々は救われるのです。

しかし、これを決して我々が誤解してはならないことは、これは決して「時間的な順序」(chronological order)として考えてしまってはならない、ということです。たとえば、こんな言い方は許されないということです。「昨日、私は選ばれました。明日、義認されるでしょう。明後日、聖化されるでしょう」(?!)こういう言い方は絶対にできないのであって、我々が「救いの秩序」ないし「救いのプロセス」ということを考えるときにはいつでも「時間的順序」としてではなく、いわば「論理的順序」(logical order)として捉えなければならないのです。

もちろん、「わたしは20歳の時に回心しました」という言い方はできます。これは正しい言い方です。「その頃は他人に暴力を振るうのをやめることができませんでした。しかし40歳になって、だんだんやめることができるようになりました」。たとえば、こんなふうな具体的な問題解決という次元の話において、ある種の「時間的な順序」を認めることができるかもしれません。

ですから、救いの秩序の教理においても、「時間的な順序」というものが全く無いと言いうるかどうか。救いと歴史の関係、あるいは救いと人間の時間の中での体験の関係といったことをどのように理解するかなどの問題は残っていると思います。現実的な観点からすれば、歴史も、人間の時間的体験も、救いの実現にとっては不可欠な要素であると思われるからです。

しかし、それにもかかわらず、義認、聖化、栄光化というような事柄の実現を、時間的な順序で捉えようとするなら間違いを犯すという点は、確かなことです。誤解しないように受けとめていただきたいと思います。

「神共に住む」は「和解」であると申しました。これは、先ほど申し上げました「善き創造」との関連で理解されるべき事柄です。

もともと人間は、「善いもの」として造られました!神様に喜ばれる、はなはだよきもの、ベリーグッドなものとして造られた。しかし、それが罪を犯して堕落する。「堕落する」というのは、神との関係が崩れる、ということです。神に背を向け、離れることです。神との関係の中から「失われる」ことです。

しかし、神と人間との関係はもはや「無い」のかというと、無くなったわけではなく、崩れた関係として「ある」と言わなければならないのです。そして、その関係――すなわち、今は崩れているけれども、無くなったわけではなく、存在し続けている「神と人間との関係」――が、本来の「よきもの」へと「回復」する!これが「和解」(reconciliatio)の真理です。けんかしていたものが仲良くなることが和解の意味です。

堕落後においても、神と人間との関係がなくなったわけではなく、「悪い関係」となって残っている。だから「和解」なのです。もともと人間は神と共に生きていたのだ、というのが聖書の理解です。

なんだか我々にとっては遠い話だなあ、というふうに聞こえるかもしれません。我々の実体験からすれば、我々は神も仏もないところから救われて、そのとき神を初めて知って、神と共に生きるようになったと感じる。それが我々の体験的現実というべきものではある。しかし、人間の本質という観点から考えるなら、もともと人間は神に喜ばれる存在、はなはだ善き存在、神と共に生きる存在であったのだという点が大切なのです。

救いとは「和解」です。もともとあった関係が壊れて、まだ戻ったのだと言わなければなりません。

「四千年も昔…」以下。ここから先の話のキーワードは、「契約」ということです。しかし、この話を始めますと、非常に長くなりますので、詳細な話はできません。

よく言われることですが、旧「約」聖書と新「約」聖書の「約」は、神と人間との約束の「約」、契約の「約」です。まかり間違っても、「訳」という字は使わないでくださいね、という注意を教会で受けたことがあると思います。神と人間との契約関係について書かれた契約文書としての聖書、という意味合いが旧約・新約の「約」の字に込められております。

創立宣言には、旧約時代と新約時代との区別というような話も出てきます。

「神だけが明らかにご存知であられる、いわゆる見えない教会は…」以下。まず現代語訳の問題として申し上げておきたいことは、「具現化」と訳しました「具現せられるべきを確信し」という個所の「具現」の意味合いです。わたしは、これを訳しながら、おそらく英語に訳せばrealizeないしrealizationという意味合いではないかなと思いましたが、いかがでしょうか。

さて、この個所の内容理解に進んでいきましょう。

まず、この個所に表現された思想の筋道は、こうです。「見えない教会」というものがある。それがしかし「見える教会」になること、すなわち「見える教会」としてリアライズ(具現化、現実化など)するのだと言われているわけです。こういう考え方が改革派教会の信仰的筋道ですよ、そしてこれこそがわれわれの主張の大黒柱の一本としての「第二の主張」ですよ、と言われているわけです。

この「教会の具現化」ということで、何が言われているのでしょうか。その一つは、教会というものはとにかくリアルな存在であるということではないでしょうか。生身の人間が住んでいるリアルな存在としての教会。牧師さんがいて、聖書のお話をしている場所。教会とは、人間がその中で労働している場所です。あるいは、そこは一つの部屋にみんなで集まり、仲良くし、仲間づくりをする場所。誤解を恐れずに言えば、教会とは「肉感的な」関係が生じる場所です。いずれにせよ、教会は実体的なものです。

そこで求められるのは、徹底的なリアリズムです。我々は、「向こう側の世界」とか「目に見えない観念の世界」として「教会」というものを捉えてはならないのだということです。「見える教会」・「地上の教会」として、この世界の中に存在する、諸々の人間関係のごちゃごちゃもある、生身の体をもった人々の集まり。我々は教会というものを、そういうものとして実現(リアライズ)しなければならないのです。

教会において結婚式が行われる。最近では「離婚式」の是非まで取り沙汰される。そういう複雑怪奇な人間関係を取り扱う場所としての教会。人間のよい面も悪い面も持ち合わせた「人間的な」集団としての教会。「この世的もの」を内包する集団としての教会。こういうリアルなイメージが大切なのです。

ですから、創立宣言のこの個所で、「見えない教会」が「見える教会」として具現化されるべきであるというこの一連の記述において、より大きな強調が置かれているのは、「見える教会」のほうです。「見える教会」の実現ということが強調点です。「見えない教会」のほうに強調がないわけではないでしょう。しかし、いわば二次的な強調が置かれているのであって、第一の強調は「見える教会」のほうにあるのです。地上の、リアルな、人間的な、この世的な教会が、重要なのです。

キリスト教信仰、とりわけ改革派信仰とは、リアリズム(現実主義、実在論)ではあっても、決してアイデアリズム(理想主義、観念論)ではない。頭の中だけで考えた理論だけで、教会は存在しないのです。

教会とは、地上にある現実的な存在である。そういうものを形成していく中で、我々は「信仰告白」というものを必要としているのだ、というのが創立宣言の主張です。それから「教会政治」、また「善き生活」も必要である、と語られます。

見える教会には「信仰告白」と「教会政治」と「善き生活」が必要であると言われています。これらの意味を一つずつ考えていきたいと思います。

「信仰告白」の必要性。わたしたちの場合、より具体的にはウェストミンスター信仰規準の必要性という話になります。

わたしたちがウェストミンスター信仰規準というものは善いものであると考える理由は何かと考えてみますと、その一つに、これはとても「詳しい」ものである、という点があるわけです。詳細である。「詳細信条」であるということが重要です。

詳しければよい、内容は問わず、という意味ではありません。ウェストミンスター信仰規準というものが、とても緻密で、あらゆる問題に対して網羅的な解決が見られて、聖書の解釈のいろんなポイントを充分押さえているという特徴を備えているものであって、内容的にも優れているものだ、ということは事実です。

しかし、わたしたちの教派がこれを採用している大きな理由は、その「詳しさ」です。「簡単」なものでは駄目だ、「簡単信条」では教会形成は不可能であると主張したのが、日本キリスト改革派教会の創立者たちです。

「教会政治」の必要性。長老主義、長老制度が必要である、という話になります。

ここで少し、昨日の講演の後、夜の分団に私自身参加させていただいて、その中に出てきた話題を聞いていて思ったことをお話ししたいと思います。

私は昨日の講演の中で「改革派教会を外側から見る視点」ということを申し上げましたが、そのことを聞いてくださった皆さんの中にいろいろな感想があったようです。

私は決してそんなふうに思わないのですが、改革派教会というものを外側から論評する人々の口にしばしば挙がる言葉は、「硬い、暗い、冷たい、厳しい」というふうなものであるというようなことも、みなさん自身がよく知っておられて、そんなことも分団で話題になっていました。教会が「政治」を行うとか、戒規があるとか、信条を勉強しなければならないというふうなことについて、改革派以外の人々から「硬い」だの「暗い」だの「冷たい」だの「厳しい」だのと批判された経験を持っている人たちがおられて、そういう場合どう答えたらよいのか、という質問が出ていたように覚えています。

わたしたちは、なぜ「教会政治」などというものを必要としているのでしょうか。ここで話を少し前に戻す必要があります。「見える教会の具現化」という話です。見えない教会ではなく、見える教会を、我々は、この地上において実現していく、あるいは現実化していくのだということです。

たとえば、私こと関口が牧師として働いている教会はちょっと怪しい教会であるに違いないと思っていただくとよいのかもしれません。私は、こういう修養会のような場所では、とても善い人間として振舞っているかもしれません。あるいは、教会の信徒の方々の前ではいつもニコニコしているかもしれません。でも、家に帰ると、もしかしたら、自分の子どもをムチか何かで叩いているかもしれない。そのように疑ってほしいわけです。人間というのは、必ずそういう二面性を持っているものではないかと。

みなさんだってそうではないでしょか。こういう場所にいるときには、まるで「善良なる市民」であるかのような顔をしておられますけれども、家に帰るとそこで何をしているか分からない。自分の部屋に閉じこもると、そこで何をしているか分からない。そういう存在なのだということを、自分自身の胸に手を当てて思い返していただきたいわけです。

それが人間なのだ。そして、その人間がこの地上において活動する。その活動の中に教会の活動もある。そう考えるとき、すべての教会は「怪しい教会」と見られても仕方がないではありませんか。

教会とは、人間が営んでいる、人間らしい、人間くさい場所ではないか。そういうものを、しかし、「見える教会のこの地上における実現」として考えていくならば、それなりの「歯止め」のようなものが必要になってくることは、いわば当然のことです。規準とか、政治とか、法的処分など。そういうものできちんと取り締まりをしないかぎり、その団体、その教会は、アナーキー(無政府状態)、大混乱状態に陥ります。こういうものがなければ、地上の教会というのは上手くやって行けないのです。

言ってみれば、空想の中だけで、あるいは、観念の中だけで描き出される教会としての「見えない教会」というものがあるということを否定するつもりはありません。しかし、そういう話ですべてを終わらせてしまう、そこで完結してしまうような考え方を、改革派教会は持たないのです。教会が地上に存在しなければならないかぎり、たとえ誰から「暗い」だの「冷たい」だの言われようとも、そんな言葉には耳を傾けないでいただきたい。我々には「教会政治」というものが必要なのだ、ということを語り続けて行かなければならないのです。

私の願いとしては、むしろ、みなさんには、そもそもそのような「教会政治」という考え方がない教会(教団・教派)、あるいは「教会政治」ということが十分な仕方で行われていない教会(教団・教派)と出会うときには、その教会をもっと疑ってほしいのです。「大丈夫かな?」と心配してほしい。

たとえば、我々との語らいの中で、「信仰告白?それなあに?見たことも、聞いたこともありません」というような驚くべき反応を起こすクリスチャンがいますけれども、その方が所属する教会(教団・教派)は大丈夫なのかと疑ってほしいのです。そこで何が語られているかを疑ってほしい。「教会政治?え、政治って、何かコワーイ感じ?!」という反応を起こす他教派の方々と出会う機会があると思いますけれども、しかし、我々の側からすれば驚きです。「それならば、逆に聞きたいのだけれど、もしそういうもの(教会政治)が無いならば、いったいその教会は、どうやって運営しておられるのですか」と問い返さざるをえないのです。

「善き生活」の必要性。律法というものが必要であるという話になります。律法が必要であり、律法の基準によって裁かれる「戒規」が必要である。今日において、戒規とは、より具体的に言えば、とくに聖餐式との関連で語られる事柄です。たとえば、我々の教会の中で、誰かが問題発言をした。間違った教理を教える教師が現われた。さっさと火あぶりの刑にしましょうとか、釜茹での刑にしましょうという話にはならないわけです。実力行使であるとか暴力的な裁きを、教会が執行するわけではありません。そうではなくて、聖餐式に与れないようにする(陪餐停止にする)、そして最大でも除名にすることができるだけです。

「善き生活」についても、いろいろな反論があります。「律法を重んじましょう」というだけで、「それは律法主義だ!」という反応が返ってくることがあります。ハイデルベルク信仰問答の中にも、ウェストミンスター大教理問答・小教理問答の中にも、「モーセの十戒」の解説が出ています。あれをよく勉強して、我々のものとすることが求められています。

もちろん、パーフェクトにあれを守ることはできないにしても、しかしそれでも我々は律法の示す基準に従って生きて行かなければならないと、改革派のみんなは教えられています。そういうことについて、我々は普通のことだと思っていますが、そのように感じない人々もいるわけです。「律法に従う?それは律法主義だ!」とすぐに言われます。必ず言われます。しかし、そういうことを言う人がいたら、やはり疑ってほしいのです。「じゃあ、あなたがたは善き生活、律法に従った生活をしていないのですか?」と聞いていただきたいのです。

「このようにわたしたちは、一つの見えない教会を、一つの信仰告白と、一つの教会政治と、一つの善き生活とによって、一つの見える教会として具現化し、これをもって、唯一の聖なる公同の教会の肢であるという事実を確信させられ、わたしたちの救いの確かさを証しすることを願う者として、各地に存在している各個教会の統一は、あくまでもこれら三つの要素の一致に基づくべきであり、この三点は相互に深く論理的・体系的に関係づけられているので、この三つのことは一元的なものです」(拙訳)とあります。

つまり、信仰告白と、教会政治と、善き生活との三つの相互関係は一つが欠けても成り立たないものです。三位一体という言い方はあまりしたくありません。三位一体は神ご自身の御名ですから、不敬な使い方はしたくないのですけれども、しかし、まさにそのようなことです。三つで一つ、というべきです。どれ一つも欠くことができません。

われわれが、ごくごく常識的に考えても、同じようなことを語りうると思います。一般のサークル活動などのことを考えても、基本的な考え方(信仰告白に対応)の一致とか、運営方針(教会政治に対応)の一致とか、行動パターン(善き生活に対応)の一致とかといったようなことが全くないところでは、何一つとしてまともな活動などできるはずがないのです。この修養会にロックバンドのメンバーが参加しておられるようですが、ロックバンドの運営を考えても同じことが言えるはずです。
 
この続きに、「日本キリスト教団」の問題が書いてあります。わたしがかつて属していた教団です。「日本におけるプロテスタント諸派の完全合同を目指した合同運動は、日本キリスト教団の成立によって、一応目的を達成したと考える人がいます」。

日本基督教団の中にいる人々のほとんどはそう思っています。だって、そう思っていないと、会員として面白くやって行けないわけです。

第二次世界大戦前に存在した日本におけるプロテスタントの教派で、日本キリスト教団に合同したのは三十余派ありました。本当に小さな教派もありましたから、明確な区別を付けにくい教派もあるようで、それでいつも「三十余派」というちょっと曖昧な数字が使われます。ですから、「日本キリスト教団」がどんなところかというと、「三十余種のキリスト教がミックスされている教団」と言っても、決して言い過ぎではありません。

もちろん、キリスト教は一つです。イエス・キリストはおひとりです。しかし、キリスト教の解釈や立場において、それこそ「三十余」、あるいはそれ以上に分裂している状況が創立当初から今日に至るまで続いています。そういうものが一つに集まり、一つの教団として合同した。

「けれども、日本キリスト教団は、今日に至ってもなお、今述べたような意味での一つの教会になることができているわけではありません」。すなわち、日本キリスト教団は、信仰告白・教会政治・善き生活を具備している教会として立っているわけではありません。

「彼らの全面的な不成功」。よくぞ言ってくださいました、と思いました。わたしはこの言葉を、感謝をもって読みました。これだけちゃんと書いてくださいますと、ありがたいものだと思います。

「彼らの全面的な不成功は、それを求める方法が間違っていることに原因があると言う他はありません」と訳してみました。「求めるに道を以ってせざるに拠ると言うの外なかるべし」という日本語は、なかなかの名文だとは思うのですが、今の人には分かりません。「方法が間違っている」と言っているに違いないと理解してみましたが、誤訳のようなら、ご指摘ください。

ということは何を意味するかと申しますと、日本キリスト改革派教会創立宣言は、「方法が間違った合同」ということについては、たいへん厳しく批判しておりますけれども、しかし、逆に言いますと、「正しい方法に基づく合同」ということは十分にありうるのだということを暗に言っていると見て間違いないわけです。三つのこと、すなわち信仰告白・教会政治・善き生活というものがちゃんと備わった仕方で合同するならば、その合同は正当ですと言っているわけです。

ですから、「単なる分派主義ではありません」という話がすぐに続いて出てくるのは、理由があることです。教会が日本の、あるいは世界の中で、バラバラになっていてよいというふうに、我々は思っているわけではありません、と言っているのです。一緒になれるものなら、なりたいものです。しかし、なれないのはなぜかというと、三つの問題がちゃんと扱われていないからです。

「真に世界的で正統的な地上教会でありたいと志す、この光り輝く歴史的改革派教会の一肢として、今日日本においてわたしたちの教会が組織されたことを、神の導きとして厚く感謝します…」以下。

ここに書かれていることの中で、とくに改革派教会の信仰的特徴として注目しておきたい物の考え方が出てきます。とくにプロテスタント教会の中で、マルティン・ルターの名前と結びつく「ルーテル教会」というのがあります。ルーテル教会が「宗教改革の教会」として、「改革主義教会」と呼ばれることがあるのですが、わたしたち「改革派教会」とは、しばしば区別されて語られます。

一般に、ルーテル教会はあのドイツという国の民族主義というものに結びついてしまったので、そこからあまり発展できなかったと言われるわけです。ドイツのナショナリズムと結託したルーテル教会というふうに言われるわけです。

それに対して、カルヴァン主義の教会は、インターナショナル(国際主義的)な性格を手に入れたと言われます。どこの国にもある。そして、その国にそれぞれの拠点がある。それが改革派教会らしいあり方です。

たとえば、ローマ・カトリック教会のように、ヴァティカンが総本山で、日本のカトリック教会はヴァティカンの営業所・出張所だというような考え方を改革派教会は持たないのです。日本の改革派教会は日本に固有な拠点を持っている。そこが中心である。しかし改革派教会は韓国にもあり、アメリカにもあり、ヨーロッパにもあり、アフリカにもある。そういう、世界大の国際的な組織として存在する。インターナショナリズムというものを、カルヴァン主義も改革派教会も持っています。

しかし、他方で、このわたしたちの創立宣言にも明記されていますように、わたしたち日本キリスト改革派教会は、そのような国際的な組織の「ブランチ」(肢)であるという考えもあるわけです。

「国際組織」という言葉を聞くと、「マフィア」か何かのような怪しいものを想像する人がおられるかもしれません。たしかに「国際組織」にはさまざまな種類のものがあることは事実です。「国連」もそうですし、「社会主義インター」もそう。カトリック教会も巨大なる国際組織です。

わたしたち改革派教会も、まさに「国際組織」です。たとえば、わたしたちが外国に行って、「リフォームド・チャーチ・イン・ジャパンのメンバーです」と言えば、それだけで充分に名刺代わりになっているわけです。アメリカでもヨーロッパでもアフリカでも同じでしょう。どこに行っても分かる。そういう国際組織のブランチ(肢)としての日本キリスト改革派教会という理解の仕方が、創立宣言の中に明記されています。

しかしまた、同時に、「日本において」という告白において、日本人に主にかかわりをもつ教会を我々は建てるのだとも言われています。日本キリスト改革派教会は、国際主義的(インターナショナリスティック)であると同時に、国民主義的(ナショナリスティック)な性格を持つ教会として、建てられたのです。

創立宣言の学びにおいて、こんなふうに、ほんの小さな言葉遣いに注目してみるのも、いろいろなことが見えてきて、楽しいと思います。

この後の個所で、創立宣言は、おもに「歴史」の話を、一生懸命しています。今の時代は、「近代」という時代が終わって、これから「現代」に入ろうとしている。古代・中世・近代・現代という歴史のプロセスがあり、その中で「近代」(Modern)という時代が終わり、今はポスト・モダーンだという話になるわけです。そういう時代状況の中で、我々が果たすべき役割があるはずだ、という点が語られています。今こそ改革派教会の出番である、ということを語ろうとしています。

* * * *

以上において、わたしたちは、この創立宣言においては、主に二つの大きな主張があるということを知ることができました。

第一は、キリスト教有神的人生観・世界観に基づく国家の建設。

第二は、信仰告白・教会政治・善き生活を具備する教会の建設。

この二つの主張が、わたしたち日本キリスト改革派教会が、少なくとも創立宣言を発表した時点において描いていたヴィジョンであったということです。その後どうなって行ったかについては私は知りません。その点は、みなさんのほうが私よりもはるかによく知っていることだと思います。

『日本キリスト改革派教会史』などを読みますと、第一の主張のほうが、どんどん後退していった、というようなことが書かれているのを見ます。「国家の建設」ということを大胆に語れなくなってきた。あまりにも大きすぎると感じたからでしょうか。我々にはとても負えない課題だと感じたからでしょうか。

あるいは、岡田稔先生の本を読みましても、今はとにかく教会形成に専念する時代なのだ、オランダと日本は違うのだ、というようなことが書かれています。いわば一種の自己批判のような言葉遣いをなさっているわけです。我々は創立宣言にこんなふうに書いたけれども、しかし今は教会形成をちゃんとしなければならない時なのだというふうな物の言い方をなさっているわけです。もちろん、創立宣言は岡田先生一人でお書きになった文章ではありませんので、岡田先生一人の責任ということは言えませんけれども。しかし、ともかく第一の主張のほうは、ずーっと後ろのほうに後退してしまった側面であると言わざるをえません。

* * * *

ここで一つ、この文章(創立宣言)を読んでいて私が感じた素朴な感想を述べさせていただきます。

それは、一つの標語のように申し上げるならば、「目標としての世界、手段としての教会」ということになります。こういう内容の事柄を、私はこの創立宣言の中に読み取らざるを得ませんでした。

この第一の主張と第二の主張とが、ただ漠然と、何の意味もなく、脈絡も無く、ただ二つ並べられているわけではないと感じたのです。

創立宣言は、第一の主張において、我々は、とにかく日本のこの国を変えなければいけないのだ、これからこの国を良くしていかなければいけないのだ、有神的人生観・世界観に基づいて、日本を建設していくのだということを、まず語っている。それが我々の「目標」なのだと、はっきり言っているわけです。

「目標」とは行き先であり、終点である、ということは、すでに申しました。

そうしますと、この話の中で「教会」(church)は、その「目標」(purpose)に至るための「手段」(means)という位置を与えられていることになります。わたしたちの創立宣言は、そういう内容を読み取ることができる文章構造になっているのだということを、覚えていただきたいのです。

事実、「教会」について書いている個所(第二の主張)を見ていただいても、ここに言い表されたような「教会」を建てることこそ、「日本とその国民に対して示す、わたしたちの愛の最も優れた表現」であると言われているわけです。ここで「第一の主張」(国家の建設)の話題に戻っているのです。

日本を建てる、日本を変えるということのために、「教会」というものが存在し、奉仕をするのだという明確な理解がここにあります。教会は「手段」である。読み方によっては、教会は「単なる手段に過ぎない」とも言いうる。究極目標は、あくまでも、世界において神の栄光が現われることである。日本が神の恵みによって変わることである。そういうことが「目標」(purpose)なのであって、それに対して教会は、いわば中間的な存在に過ぎない。教会は、その目標が達すれば、消滅しても構わない、というふうに読めるくらいに。

もちろん、これは誤解です。今わたしが申し上げたこと(一種の教会消滅論)は、完全な誤解です。しかし、そのような誤解を生み出してしまうのではないかと思うほどに、創立宣言における「教会」の位置づけは、いくらか消極的なものであるように読めてなりません。

しかし、このような理解の仕方は良い面と悪い面を持っていると思います。こういうふうな位置付けを教会に与える考え方は、おそらく間違いなく、先ほども一度名前を挙げましたオランダの改革派神学者アブラハム・カイパーの影響によるものであろうと、私は見ています。創立宣言は、カイパーの神学思想というものに忠実に従っているものとさえ言えるように思います。

カイパーの考えによると、改革派教会、ないしカルヴァン主義の教会の立場は、とくにカトリック教会の立場に反対するという理由から、神と人間との間に介在する「教会」というものを、できるかぎり「追い払う」ことが必要なのだと言われているのです。神と私の間の人格的で霊的で直接的な関係が大切であり、それが「目標」なのであって、教会なんていうものは、できるかぎり追っ払うものだとカイパーは言うのです。すごい言い方なのだと思います。それは明らかに、ローマ・カトリック教会があまりにも「教会」というものを絶対化しすぎることに対する「反動」です。このようなカイパーの立場は、創立宣言の中にはっきり現われていると思います。

この考え方の良い面は、「教会」が自己目的化することに対する非常に強い警戒があるということです。自己目的化の意味はどういうことかを理解していただくには、巷に溢れるカルト宗教のことを考えていただくと、よく分かると思います。

宗教団体が自己目的化し、自分たちの利益の追求にひた走り、私利私欲におぼれていく。金儲けに走り、肥大化していくというそのこと自体を目的としていく。そういうことに対して、わたしたちは、常に警戒しなければならないのです。

教会は自己の経済的充足や勢力の拡大だけに関心を持つのであってはならないのであって、あくまでも教会は、世のために仕えること、世に自らを献与することを目的とすべきである。教会の目的は自らの内側にあるだけでは不足であり、自らの外側にこそなければならない、ということを、常に念頭に置いていくことが大切なのです。自己目的化し、むやみに肥大化していく教会は、やはり危険な教会であると言わなければなりません。

以上は良い面です。しかし、当然、悪い面もあります。教会は手段であって、世界は目的であるというタイプの考え方は、しばしば誤解されやすいのです。このような考え方には、日本のキリスト教界の中にもいる過激な思想を持っているような人々の考え方と通じ合っている部分もあるのです。

たとえば、世界を自分たちの理想に基づいて変えていくために、教会を革命の拠点とする、というふうな考え方です。この世を変革するための拠点としての教会。いわゆる左翼の人々が、そういう言い方をします。いったい、教会は「拠点」に過ぎないものなのか、という問いが必ず残るのです。「教会」もまた、それ自体で「目的」でもあるということを、わたしたちは、はっきりと言わなければならないのです。

教会に集まって、礼拝をして、みんなで祈りをささげて、讃美歌を歌い、聖餐式をし、そのようにして主の御前に立つというそのこと自体が、われわれの人生の目的でもなければならない。この点は、はっきり言っておかなければならないことです。

だけれども、教会だけがわれわれの最高の目的になって、唯一の目的になっていくならば、非常に危険なカルト宗教化の道を辿っていくことになるでしょう。

創立宣言は、良い意味で「世に仕える教会」ということを言おうとしているのだ、ということを覚えていただきたいと思います。

講演3に続く)


2001年8月14日火曜日

日本キリスト改革派教会創立宣言に学ぶ(1)

講演1 今、なぜ創立宣言の学びか

「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。ユダヤ人にも、ギリシア人にも、神の教会にも、あなたがたは人を惑わす原因にならないようにしなさい。わたしも、人々を救うために、自分の益ではなく多くの人の益を求めて、すべての点ですべての人を喜ばせようとしているのですから」(コリントの信徒への手紙一10・31~33)。

今日と明日で、講演の時間としていただいているのを全部あわせると4時間半あります。話をするほうもけっこうたいへんですが、聞くほうもたいへんだと思います。ですから、どうかリラックスして聞いていただきたいと願っております。

私に示されている講演の主題は「創立宣言に学ぶ」。副題は「その熱き想いを受け継ぐために」です。事前にご連絡いただきました委員長のご説明によると、この主題の趣旨は次の2点にあるとのことでした。

1、なぜ改革派なのか?改革派の意義・喜び・教派意識の確信。
2、創立者達の想いを学んで、青年たちが受け継いでいけるようにする。

この話を伺いました最初は、正直、目が飛び出るほどびっくりしました。そういう話を、なぜ私がしなければならないのかという問いが起こってきたのです。

またあとでご紹介しますけれども、今日ここに、創立宣言について書かれている参考文献を数冊持ってきました。そのいくつかはどこかの中会の青年修養会で行われた講演記録です。今日ここで行われているような同種の試みは今までにもあったということです。

参考文献の内容については、またあとで説明しますけれども、たとえば矢内昭二先生と榊原康夫先生が共著でお出しになった本があります。創立宣言の講演をする方々というのは、こういう方々です。

あるいは、神戸改革派神学校が出しているリフォームドパンフレットの一つに、『宣言の学び―創立宣言から40周年宣言まで―』というのがあります。これの著者は、矢内先生、吉岡繁先生、榊原先生、安田吉三郎先生。大会議長経験者や、神学校の元教授や、元校長先生。こういう方々がこういう話をするのです。「教派意識」とかいう話をするのも私の役ではないよなあと思ったわけです、実際問題として。

と言いますのは、皆さんの中でご存知の方もおられると思いますが、この修養会のパンフレットに私のプロフィールを載せていただきまして、それを見ていただければ一目瞭然だと思います。私が日本キリスト改革派教会の教師になったのは1998年7月です。今から2年前です。文字通りの「新入り」です。

その前に私は、6年10ヶ月の間、日本基督教団の牧師をしていたという「前歴」を持っております。高知県と福岡県の教会で働きました。そのあと神戸改革派神学校で1年半学ばせていただきました。そしてそのあと、山梨県の現在の教会に赴任いたしました。

その間の話ですが、私には現在5才の長男がおりますが、要するにずっと連れ回してしまったわけです。長男は高知県で生まれましたが、その後、1才の誕生日を福岡県で迎え、2才と3才の誕生日を神戸で迎え、4才と5才の誕生日を山梨で迎えるという、なんとも過酷な労働をさせてしまいました。内心、長男には悪いことをしたなあと思っております。とにかく私はそういう経歴を持っております。

そういう者ですから、今まで皆さんが改革派教会の信徒として、あるいは、牧師としての立場から、改革派教会をずっと見てこられた視点というものを、私はほとんど理解できないわけです。理解できないというか、理解しようという努力はもちろんしているつもりなのですけれども、分かったような顔をしておりたくない。分からない、と言うほうが正直であると思います。「新入り」の者であり、また改革派教会を外側から何年かにわたって関心を持って見せていただいた「部外者」のような者。そして、その外側から改革派教会を見ていた頃の想いは、今でも忘れているわけではありません。

ですから、いわば客観的な「傍観者」の一人。そういう感覚、そういう部分を、今でもどこかで持ち続けているわけです。そういう部分を捨てよう、捨てなければ、という気持ちも少しはありますけれども、しかし、大切にしたいという気持ちもあります。

ですから、私は、最近でもしばしば、教会の説教や中会等でお話しする機会があるときに、思わず「改革派のみなさん!」と言ってしまうのです。私はすでに改革派のメンバーにさせていただいている者ではありますが、しかし今でも私は、「改革派のみなさんは、こうで、こうで、こうでございます」というようなことを、(もちろん良い意味で)使うことがあります。

今日からのお話の中でも何度もそんなふうに言ってしまうかもしれませんが、そんなときには、どうかあまり気にしないでくださいね。「あなたも改革派じゃないか」と言われたら、もちろんおっしゃるとおり、そのとおりなのですけれども、しかし多少傍観者的なところがある奴だとくらいに思っておいていただいて、ご容赦いただきたいなと、そんなことを思っているわけです。

そして、こういう「視点」からお話しすることが、たぶん私に求められているのではないかと思っています。創立宣言についての講演を、先ほどご紹介しました元大会議長や、元神学校教授のような先生たちがするのではなく、この私がするということを今回の中部中会連合青年会の修養会委員会が要求したその理由を、私はまだ聞いておりませんけれども、たぶんそういうことがあるのではないかと思っております。いかがでしょうか。

それからもう一つ、単なる言い訳ですけれども、あらかじめ申し上げておきたいことがあります。

と言いますのは、今日から私は、先ほどご紹介しましたような、大会議長経験者のような方々が書いた、あるいは語った創立宣言の学びというものとは違う話をしなければならないと思っております。しかし私はやはり、皆さんの前で、改革派教会の新入りであるという気持ちをどこかで持ち続けたいと思っております。もっとも、あと2、3年もしたら、そんなことを言っていられなくなるかもしれませんけれども。

そういう者でありますので、このたびの講演においては、自分がどう思っている、こう思っている、というような表明の部分を少し控えて、今まで改革派教会の諸先輩方が創立宣言について、あるいはそれをめぐるいろいろな事柄について語っておられるその文章を引用して、紹介して、それを理解していただくというふうな時間をたくさん採らせていただきたいと思います。しかし、その部分は原稿を棒読みするような感じになりますので、やや聴きにくいかもしれませんけれども、その辺もご容赦いただければと思っています。よろしくお願いいたします。

* * * *

それでは、次に、参考文献の紹介をさせていただきます(年代の古い順)。

岡田稔著「カルヴィニズム概論」『岡田稔著作集』第3巻、いのちのことば社、1993年、279~382頁。


創立宣言の執筆者の一人である岡田先生ご自身が書かれた書物であるという点で、このたび紹介する中では最も重要な文献です。この本をとにかく全部読むことが創立宣言の学びのために重要であるといえます。

矢内昭二・榊原康夫共著『日本キリスト改革派教会 創立宣言の学び』まじわり出版委員会、1985年。

これはとても有名なもので、多くの説明は必要ないと思います。

熊田雄二著「世界の希望と改革派教会―創立宣言がめざすもの―」東部中会連合青年会機関誌『カナン』第45号、1988年。

1987年8月5日~8日に行われた東部中会連合青年会夏期修養会の講演記録です。この書物の特色は、創立宣言の熊田先生による「現代語訳」(おそらく日本キリスト改革派教会史上初?)が掲載されている点にあります。

『日本基督改革派教会史 途上にある教会』、日本キリスト改革派教会大会歴史史料編纂委員会、1996年。

この書物そのものがいわば<創立宣言の歴史的展開>として書かれたものであると見てよいものです。その点に関して当時大会議長であられた安田吉三郎先生が次のように記しておられます。

「拡大された委員会は、翌年、第46回定期大会(1991年)の委員会報告の中で、日本基督改革派教会史編纂方針を明らかにしました。そこに示された歴史編纂の基本理念は、『創立宣言』に盛られた教会観に基づいて改革派教会の歴史を叙述する、というものでした」 。

要するに、この本は創立宣言が分からない人には分からない書物である、と思っていただいてよいものです。

牧田吉和『改革派信仰とは何か』、西部中会文書委員会、1999年。

中部中会出身で今の神戸改革派神学校の校長先生であられる牧田先生が最近出された本です。

これは一般のキリスト教書店に並んでいる本ですが、内容は、日本キリスト改革派教会というこの教派を教派外の多くの人々にもアピールするために書かれた本です。もちろんそれだけではなく、それと同時に普遍的な(そして他の教派にも通じる)真理が表明されている書物でもあります。しかし、基本にあるのはやはり、われわれの教派の実態を念頭に置いてそれを紹介することです。そして、この本の中にはかなり頻繁に創立宣言からの引用がなされています。また、その解説のような文章も出ています。内容も非常に分かりやすいもので、ぜひお買い求めいただきたい本です。

* * * *

さて、最初にお話ししたい主眼点は、「今、なぜ創立宣言の学びか」という点です。

私は、この修養会の企画をした委員会が出してきた命令にただ従っただけです。ですから、何も、私がこのテーマを選んで皆さんにお話ししたいと願ったわけではありません。

しかしまた私は、いろんな場面で、この創立宣言を、今、学ばなければならないという気運が高まっていると感じております。そのような「大会的な」あるいは「教派全体の」動きや雰囲気を察知しつつ、その時流に乗ってこの中部中会も青年会で取り上げようということになったのではないかと想像してきましたが(…え、違う?あ、そうですか、それはすみません…)。

しかし、私は、大会のような場所、大会役員修養会のような場所に出席する機会が多いというか、毎回出席が義務づけられているわけですが、最近はそういうところに行くたびに、「創立宣言を学ばなければならない」ということをおっしゃる先生たちの声がたくさん聞こえてくるのです。それはなぜか、ということをちょっとお話ししておきたいと思っているわけです。

私なりの答えの仕方、いちばん最初に言いました、多少ちょっと部外者的な所をどこかに残しながら話をしている、ということを含み持ちながらの答えの仕方は、こういうものです。

「現在、日本キリスト改革派教会の中の、とくに大会運営の責任を負っておられる方々の口から、『わたしたち日本キリスト改革派教会は、創立50周年を迎えて、一つの岐路に立っている。そこで問題は、わたしたちの中で、改革派としてのアイデンティティ(帰属意識)が失われつつある、ということだ。とくに若い世代の人たちのうちに、アイデンティティが不明確になっている人が続出している。このままでは、われわれの教派に将来はない』というような発言が相次いでいる。そして、その同じ人々の口から『このアイデンティティをわれわれの教派が取り戻すために、教派創立の原点に立ち帰ること、すなわち創立宣言の学びを行うことが有益である』という要請が出されている。そこでわたしたち中部中会連合青年会も、その線に則って、創立宣言の学びを行うのである」。

お分かりでしょうか。アイデンティティというのは、「自己同一性」と訳されることもありますが、それでは意味がさっぱり分かりませんので、最近では「帰属意識」という訳を使うほうがよいと言われています。

改革派としての帰属意識。こういうものが今、失われつつある。とくに、若い世代の中に失われつつあるのだと言われています。

…みなさん、ここで怒ってくださいね!「そんなこと、言うなよな!」とぜひ怒ってほしいのです。

帰属意識の喪失という現実がある。だから、今、もう一度、創立宣言の学びをしなければならない、と言われています。

創立宣言を書いた人たち、あるいはそれを受け継いだ人たち、つまり改革派教会の初代の先生方や信徒の方々は、少なくとも「われわれは改革派教会だ!そういうものを作らなければならないのだ!」という意識を強く持っているわけです。だから、その人たちには少なくともアイデンティティがあったわけです。なければ新しい教派など苦労して作る必要はないわけです、変な言い方ですけど。ですから、初代の人々は、「改革派」でなければならない、それ以外のものであってはならない、というモノスゴイまでの自分たちの意識を持っていた。

しかし今、そういうものをみんなが失いつつある。だから、もう一度、その最初の人たちのその熱き想いを取り戻すために、創立宣言を勉強するのだ、というような話の筋道が見えてくるわけです。

たとえば、1999年12月1日付で出された『大会時報』164号に、小野静雄現大会議長が書いておられる文章があります。

「創立から50年を経たいま、私たちの教会は、教派設立の意義を継承しながら、同時に、うけついだ伝統をどのように深めてゆくかの岐路に立っていると思われます。」

「岐路」とは分かれ道のことです。われわれ改革派教会は、今、「岐路」に立っている。う~ん、本当にそうかなあ…(?)皆さんは、こういう文章を読みながら、ぜひいろいろと考えていただきたいわけです。

もう一つ、別の文章を紹介させていただきます。金田幸男先生のものです。

これのほうが、言いたいことがもっとはっきりしていると思います。

「私が50周年以後の改革派教会の課題について、それが何かと問われたとき、一人の長く我が教会を指導してきた先輩教師のことばを思い出します。一言で申しますと『改革派教会のアイデンティティ』。私も全く同感です。我が改革派教会も、50年の歴史を刻みました。歴史は人が歩んできた足跡です。いろいろな人が我が改革派教会に導かれていき、また天上の教会に移されていきました。教師についてだけ見ても、この教会を指導してきたいわゆる第一世代に属する方(つまり神戸改革派神学校の第一期卒業生以前の教師)は三名のみ、同神学校初期の卒業生も次々と第一線を退かれています。(中略)代って、今や我が教会の構成員の大半はそのような方々の子や孫の世代になり、第一世代の教師を知らない教師も多くなりました」。

まずここまでのところに書かれてあることは、事実でしょう。創立から50年も経ったのですから。たとえば、創立宣言の執筆者(起草者)の一人である春名寿章先生のお孫さんの世代の方々が活躍する時代が来ているわけです。ですから、第一世代を知らない新しい世代が今いるのは事実です。続きを読みます。

「教会はもちろん人が代っても教会の本質は変わりませんし、それだけではなく、教会の神学的立場、理念、存在目的、教会秩序の特徴、全体としての個性、そのような一切を言い換えて言えば、教会の伝統と歴史というべきでしょうが、歴史や伝統は変わるものではありません。いやあってはならないことです。教会は、自覚的に教会の伝統やその歴史を次世代に受け継いでいかなければなりません」。

歴史や伝統というものは変わらないものであり、変わってはならないものである。これはそのとおりです。

「改革派教会は、今は、世代も代わり、構成員も入れ替わりました。かつてほとんど問題とする必要がなかったような課題が浮上してきているように思います。つまり、教会役員も教会員も『なぜわれわれは改革派なのか』という課題です。私には明確にこうだと答えられないほど、と感じていますが、教師の間でも、信徒の間でも、この当然の課題についての共通認識があるかどうか。『改革派とは何か』というもっとも基本的な、しかも重大な、この認識はみんなに共通であるかどうか」。

こんなふうに言われているわけです。

「一般的な組織論からいえば、組織が大きくなり、その組織が時間を経るうちに、成員にアイデンティティが希薄となっていくという現象が現れます。形の上でその団体に籍があるとか、構成員であるというだけでは、組織そのものは存続しても、ゲマインシャフトとしての、つまり信仰共同体としての教会は生命力を欠いたものとなり、いずれ消滅の運命に瀕するはずです」。

…「消滅」!?今の部分はごく一般論として語られていますけれども、しかしアイデンティティというものを失った一般の団体は消滅する。改革派教会もまた然りではないのか、という恐るべき問いであると思います。

「私にとって改革派教会がアイデンティティを欠如していないかどうかおそれるものです。もしもアイデンティティを失っているのであれば、帰属意識も失われます。(アイデンティティは自己同一性とか帰属意識とかに翻訳されます)。帰属意識がなければ共同体に対する責任感もなくなり、忠誠心もなくなります。こうして教会が見捨てられるようになります」。

…恐ろしい話ですね。

「今では自覚的にこのアイデンティティを教会的に確立する努力を怠ってはならない時期にさしかかっている、もしくはもはや手遅れの観さえあると思います」。

…「手遅れ」とまで言われています。あらあら、どうしましょう。

それではどうすればよいのか、というところですが、

「具体的かつ端的に申しますと、改革派教会のアイデンティティ確立のために、『創立宣言』に戻るということです」と書かれています。

もう少し読みますと、

「この理解はあまりにも単純すぎて笑止千万と感じられる方があるかと推量します。50周年以後の課題という教会が抱える難問に対して、名案がなかなか浮かびあがってこない以上は姑息な方策を考え出すよりも最も単純な原点に戻ることが正道ではないかと思います」 。

原稿の棒読みは、聞くだけで疲れてくると思いますので、引用文を読むのは、そろそろやめたいと思いますが、わたしには、皆さんにお伺いしたいことがあるわけです。「いったい、このように、金田先生がおっしゃっていることは本当のことなのでしょうか?」というこの問いです。これを聞きたいのです、みなさんに。

金田先生は、大会の50周年以後の課題検討委員会の書記という立場で、このような文章を書いておられます。ですから、そういう大所高所からご覧になって、改革派教会の現状というものをあからさまに書くとこういうことだ、というふうにたぶん思われながら書いておられるものでしょうから、私のような者がこれに疑問を投げかけることは、おかしなことかもしれません。

金田先生の書いておられることは、おそらく事実なのでしょう。しかし、もしこれが事実なのだとするならば、私としては、やっぱりちょっとなんだかなあ、という気持ちになりますよと申し上げたいわけです。私としては、とても悲しい、ということです。

しかし、そのことはまた、「悲しい」というような何かセンチメンタルな思いで言っているだけではありません。今、私が考えているのは、改革派教会の皆さんのこと、ここに集まっている皆さんのこと、東部中会や他の中会のいろいろな会議に集まる人々のこと、あるいはまた今私が仕えております山梨栄光教会の方々のことです。私の目から見たら、この教会、改革派教会がアイデンティティを喪失している、などという言葉は、とても信じがたいことなのです。はっきり言いまして。

ですから、私は今、外側から見る視点を持ち続けていることを許していただいて、こう言っているのです。この私の目から見れば、依然として皆さんは、「あまりにも、あまりにも、改革派的な」存在に見えます。皆さんは、「あまりにも、あまりにも、改革派的」であります。

むしろ、私などが牧師という立場ではありますけれども、改革派教会の中に加えていただいてなお、「なんとなく改革派っぽくない」と見られてしまうような部分が残っているのではないかなということを感じるくらいです。それくらい、みなさんは、(今の私の目から、また外側の人々の目から見ると)、「あまりにも、あまりにも改革派的な」存在に見えるのです。

もっとも、「それではそれは何なのか」ということを正面から聞かれ、「それを説明しろ」と言われるとちょっと難しい、ということなら分かります。

たとえば、皆さんが改革派以外の他の教派の人々のことを見て、何か違いを感じるときがあると思います。「あの人は福音派っぽい人だ」とか「カトリックっぽい」とか「教団っぽい」とか感じる。この「っぽい」とは、どういう意味でしょうか。そして、次に自分たちのことを考える。「改革派っぽい」って何なのだろうか。それは、人から説明しろと言われても、自分では分かりにくいもの、自覚しにくいものなのです。

「エートス」という言葉をご存知の方が、この中にもいらっしゃると思います。これは倫理学や文化人類学などで使われる言葉ですけれども、非常に訳しにくい言葉です。たとえば「改革派的エートス」というふうに使います。

このエートスの意味は、言ってみれば、「空気」みたいなことです。あるいは「雰囲気」とか、そういうふうなもののことをエートスと呼ぶわけです。これは、とらえがたいものです。あるいは、もうちょっと分かりやすい言葉でいえば「家風」。家柄とか家風などということは、今はちょっと、そういうものを持っている人のほうが珍しくなってきましたけれども、「何々家の家風を伝統的に守り続ける」とかそういうことをしておられるお嬢様のような方が、皆さんの中にもおられるかもしれませんけれども。そういうものがエートスに当たります。

「改革派の家風」とか「改革派的な雰囲気」といったもの、このような捉えがたいものではあるけれども、たしかに存在する何ものかを、皆さんは、実際に色濃く持っておられます。プンプン匂ってくるくらいに、です!事実はそういうことなのです。

ただそれを、しかし、言葉にしろと言われると難しいだろうなあということについては理解できます。ですから、そういう意味でならば、金田先生が悲観的な想いを持っておられるというか、ある危機意識というようなものを表明しておられることも、何となく分かるところがあるといえます。

しかし、皆さんは決して、もはや改革派ではないとか、改革派を捨てるとか、それ以外のものになるとか、あるいは改革派らしさ、改革派っぽさを失ってしまっているなんていうことは、自分たちはそう思っているかもしれないけれども、外側の人には全然そういうふうに見えていないのです。そういうあたりを少し、皆さんのほうでも分かっていただきたいのです。

今、わたしたちが考えている問題は、「今、なぜ創立宣言の学びか」ということです。それの答えの仕方を考えているわけです。そこで浮かび上がってくる一つの答え方が、今の金田先生のような答え方です。

「今すでに、改革派教会は危機的事態に陥っているのだ。われわれは危機意識を持たなければならないのだ。だから、そういうものをわれわれが克服するため、またそこで問われている事柄に答えを出していくために、われわれが改革派創立宣言というものを学ばなければならないのだ」。

こういう筋道で考えていくことは、一つの全うなことではある、と思います。しかし、それだけではありませんよね、ということを、私は皆さんに申し上げておきたいと思っているのです。

* * * *

答えの仕方はもう一つある、わたしは思います。金田先生の言い方になりますと、今の具体的な課題を負うために、今のみんなは改革派らしさを忘れてしまっている、だから勉強しなければいけないのだ、という感じの(やや強い)調子になっていくように思います。けれども、そうではなくて、そういう危機意識がなくても、創立宣言というものは、常に学び続けなければならないものなのだということを、ただ言いたいだけです。

岡田稔先生は、1972年に次のように書いておられます(『カルヴィニズム概論』の序文)。

「これは私の想像なのですが、長期間大会議長をしておられる間に、矢内牧師の熱心は、改革派教会を『改革派創立宣言』という文章に則って前進させる、ということを絶対命令だ、と固く信じ切るようになったもののようです。そしてそれは、我々の共通の思いであり、そうあらねばならず、そうありたいものです。なぜならば、それのみがわが教会設立の主旨に沿った進路であり、この進路をはずれた発展は、たとえ、成功したとしても、もはや改革派教会の成長とは考えられないからです。成長するための脱皮とか、方針の変更ということは、ここでは許されない邪道だとさえ思われます」 。

よろしいでしょうか。ここで岡田先生がおっしゃっていることは、まず危機意識があって、この教派はヤバイ、若い人たちはみんな改革派を捨てようとしている、だから勉強するのだ、というふうな切羽詰った言い方ではないわけです。

そうではなく、もう少し穏やかに、我々は一度決めたことをとにかくずっと守っていくのだという感じの言い方です。

そして、その一つの路線というものをきちんと守りながら、それを広げていくのであって、そこに何か全く別のもの、別種のものを持ってきて、接ぎ木をして、何とか全体を作り上げていくというようなやり方を、この教派は採っていないのだと言われているわけです。そもそも改革派教会というこの教会は、一つの最初に決めたことを、まっすぐ前に進めていき、それをずっと押し広げていくという形でやっていく、そういう教会なのだ、というふうに、はっきりおっしゃっているわけです。

ですから、もしみなさんが、教会でいろいろなことを考え、悩むときに、どうするか。たとえば、教会に若い人がいないなあとか、教会学校も盛り上がらないなあ、というときに、じゃあ他の教派の教会を見に行って、盛り上がっているあのイベントのノウハウを、もうちょっと取り入れたほうがいいんじゃないかとか、あの教派は伸びているから、あの教派のやりかたを真似てやっていけば上手く行くのでは、というふうに考えてよいかどうかという問題です。

そういうふうな、何か別のものを持ってくるというふうな行き方は、岡田先生の言葉をお借りすれば「邪道」だというわけです。

 * * * *

しかし、誤解がないように!

私は決して、金田先生や小野先生たちがおっしゃっていることは根本的に間違っていますよ、というような大それたことを申し上げようとしているわけではありません。私の申し上げたいことを、ここで少しまとめておきます。

私が申し上げたい一つのことは、危機意識というものを、今もしゼンゼン持っていないという方がいらっしゃるならば、金田先生たちが言っておられるので持ちましょう、ということです。

だけれども、あまりにも危機意識を持ちすぎの人がいるならば、まあちょっとそんなに言うほどではないのではないでしょうか、ということを私は感じております、ということを第二番目に言いました。

しかしまた、皆さんに考えていただきたいことは、改革派教会の中にそのような危機的状況があるということを言っておられる先生方の視線の先にあるのは、やはり「青年たち」の姿だったりする、という事実です。先生たちの目から見れば、改革派教会の最近の青年たちはだらしない、と感じておられるのではないでしょうか、という話にどうしてもならざるをえません。

ですから、こういう話が聞こえてくるときには、皆さんはぜひ奮起していただきたいのです。これが、講演1の主旨であります。

それでは、次に、改革派創立宣言を読んで行きたいと思います。全文にルビをふりましたのは、朗読の便宜をはかったものです。現代語訳のほうは関口が作成したものですが、かなり大胆に意訳している部分があります。また、国語の文法上、おかしな点もあるかもしれませんので、詳しい方はぜひご指摘いただきたいと願っております。

日本キリスト改革派教会創立宣言(1946年)現代語訳

講演2に続く)



2001年5月27日日曜日

使徒

ローマの信徒への手紙1章1~7節

関口 康

「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから」(1節)

ローマの信徒への手紙は、西暦57年の春頃、使徒パウロの第三宣教旅行の最中、コリントで書かれた文書とされています。これで分かることは、この手紙の著者は、おそらく50才台から60才台。熟年の域に達していただろう、ということです。

パウロは、人生の長い時間を、キリストの福音を世界に宣べ伝える仕事にささげた人です。当然のことですが、彼もまた歳をとって行きました。

また少しずつですが、長い年月の間に、宣教内容としての福音をとらえる思考パターンや立場が変わっていきました。何もかもすっかり変わり、福音以外のもの(異端的・異教的なるもの)になってしまうということではありえません。しかし、一つの具体的な問題に対する答え方が変わる。キリスト教教理の全体的理解において強調の置きどころが変わる、など。

こういう変化は、人間ならば当然ありうることです。

一例として、パウロの比較的初期の書簡であるガラテヤの信徒への手紙を見ると、眼前の論敵に対して、まるで火を吹いているような非常にはげしい批判の言葉が見られ、また論敵の立場ときびしく対峙する正統の立場としての「信仰による義認」の教理を、これまた強い言葉で主張しています。

しかし、ローマの信徒への手紙のパウロは、もう少し冷静であり、穏やかであり、包容力があります。論述の方法も、一つの特殊な問題をせまく深く掘り下げて書く、というよりも、全世界と全人類のために神が定められたすべての計画を<包括的・体系的に>書いていく、という広さと大きさを持っています。彼の変化は顕著です。

そして、もう一つ言いうることは、彼の手紙は、若い頃に書かれたものよりも少し年齢が進んだ時期に書かれたもののほうが、論点や話の筋がはっきりしていて、より理解しやすく、読みやすいということです。人生経験を重ねることの大切さもさることながら、事柄を<包括的・体系的に>把握する訓練が行き届いてくると、語る言葉に論理的筋道が生まれます。

パウロにおいて、信仰の変化と成長は、言葉の分かりやすさ(面白さ!)という点に現われています。

パウロは自分を「キリスト・イエスの僕(奴隷)」と呼びました。福音の主に生涯仕え、御言を宣べ伝えるこの一事において忠実であった人の姿を示しています。

(2001年5月27日、日本キリスト改革派山梨栄光教会主日礼拝、要旨)

2000年1月1日土曜日

ファン・ルーラーのことば

「真の休息とは、仕事を休むことではなく、仕事を楽しむ(エンジョイする)ことである。」
Ware rust is niet rust van het werk, maar rust in het werk.

「聖霊はヨハン・クライフにたとえられる。ドリブルしながらどこでもすり抜け、自分の行きたいところに至るのだ。」
De Heilige Geest is met Johan Cruijff te vergelijken. Hij pingelt overal tussendoor en komt waar hij wezen wil.

「良い説教とはエスカレーターのようなものである。それは救いの高みへと自動的に連れて行ってくれる。しかし、最初の一歩は自分で昇らなければならないのだ。」
Een goede preek is als een roltrap. Deze brengt je automatisch op de hoogte van het heil, al zul je zelf wel eens een stapje moeten doen.

「真に日曜日を聖別するとは、朝は礼拝に出席し、昼はハルヘンワート(注)に行き、夕に教理礼拝に出席することである。」
De ware zondagsheiliging is ´s morgens de kerkdienst,´s middags de Galgenwaard en ´s avonds de leerdienst.

あるときファン・ルーラーは、講義の中で、かの有名な神学者カール・バルトについて、次のように語った。

「ああ、それは『キリストが世界を創造された』と語った、スイス生まれの田舎者のことです。」
Over de bekende theoloog Karl Barth zei Van Ruler ooit tijdens een college: O, dat is die boer uit Zwitserland, die meent dat Christus de wereld heeft geschapen.

「我々は、人生の意味を問うよりも、人生そのものを楽しむべきである。」
We need to enjoy our life itself more than to ask the meaning of our life.

1988年7月10日日曜日

最初の確信(初芝教会)

日本基督教団初芝教会(大阪府堺市)

関口 康(東京神学大学学部4年)

ヘブライ人への手紙3章12拙~4章16節

夏の間、みなさんとご一緒に聖書の学びの時を送ることができます幸いを、心より感謝いたしております。

今年も東京神学大学から43名もの神学生が、全国各地の教会に派遣されておりまして、同じように夏期伝道実習をしております。

心から思いますことは、全国各地で、あるいは世界全体で、主イエス・キリストが宣べ伝えられ、喜びのうちに心からなる礼拝がささげられ、賛美の歌がうたわれている、また同じ志をもつ者が神さまと人とに仕えることを生きがいとして励んでいる、その事実は、何ごとにも換えがたくすばらしいことだ、ということです。

神学生たちはみんな若くてちゃらんぽらんに見えたりしますけれども、主イエス・キリストにとらえられて信仰をもって日を過ごすことの喜びを自ら知り、またそれを多くの人に宣べ伝えることにこのいのちすべてを賭けていこうと確信している者たちでありまして、夏期伝道となると、始まるのがうれしくってしょうがない。そこでありがたい訓練を受けて、将来みなさんのお祈りに支えられて、新たなる伝道の旅に出かけるための備えをするのであります。

信仰をもって日を過ごすことは、じつに喜ばしいことであるはずなのです。神さまにのみ一切の希望を抱き、決して絶望しない。神さまにのみ依り頼む者たちが召し集められている教会に連なり、支えあって、励ましあって、生涯を送る。友なくして生きていくことを欲しない。愛し合うことを学びあいながら成長していく。

教会は、聖霊降臨のときから今日に至るまで、神さまのお約束を固く信じて疑わない者たちの群れであり続けています。

そしてまた、その信仰を未だ受け入れていない者に対して、その人にもまた救いの御手が働いているのだということを、なんとかして知らせようと働く群れであります。

たとえば、親ならば、自分の子どもに信仰の継承をしていくこと、ただそれだけを生きがいとしていく、そのような「心の貧しい」伝道者たちであるはずなのです。

しかしながら、教会は、じつに初めから、新約聖書の時代から、その内側に常に一つの大きな問題を抱えてまいりました。

そもそもキリスト教会は、いつでも、外側からの攻撃、迫害といったことには強かったようです。かえってそのことによって結束力を固め、信仰は深まり、祈りは熱っぽくなる。教会が教会であることの確固たる根拠を追求するようになり、ちょっとやそっとでは崩されない、どんなことにでも怖気づかない群れとされていく、そういったものでありました。

しかしながら、教会は、内側から沸きあがって来る問題には甚だ弱く、ともすれば一切の希望を失い、そのことによって霊的な力を失い、それでもって弱く小さくなっていく。

今朝ご一緒に開きました聖書の個所、ヘブライ人への手紙の著者が問題にしていることは、まさに彼が深くかかわっているとある教会が、非常に深刻な事態に陥っていて、その問題の大きさたるや、まさに教会を教会でなくするような事柄なのだ、ということであります。

それは、キリスト者第二世代への信仰の継承の問題でした。つまり、主イエスの十字架と復活とを直接には知らない世代に対する伝道の問題でした。信仰は継承されていくものだ、と一言で申し上げましても、それが言葉で言うほど容易なことではないということは、みなさんもご経験なされていることと思います。

初めのキリスト者たち、たとえば、「使徒」と呼ばれた主イエスの弟子たちの勇ましいほどの信仰は、聖書にさまざまに記されているとおりですが、その初めのキリスト者たちの信仰を、歪めることなく正しく後に続くものたちに伝えていくことがいかに困難であったかということは、聖書の至るところに取り上げられていると言えます。このヘブライ人への手紙においてそれは中心的テーマでありました。

たとえば、第1章の14節には、「天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか」と書かれています。この「救いを受け継ぐことになっている人々」というのが第二世代のキリスト者だというわけです。

また、第2章の1節をご覧ください。「だから、わたしたちは聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません。そうでないと、押し流されてしまいます」と言われております。

主イエスがお語りになった御言葉、教会が信仰をもって語ってきた言葉、伝えられてきた言葉を「強く心に留めよ」(口語訳)とは、わたしたちにとっては、何をいまさらお説教されなくとも、信仰者ならば当たり前のことだ、と思われることかもしれません。

しかしながら、その当たり前のことが、当たり前でなくなっている。「そうでないと、押し流されて」しまう。確固たる信仰の基礎がゆるがせにされ、教会が教会でなくなってしまう。そのような危機が訪れているというのであります。

3章の12節にも、こう言われています。「兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。」

つまり、このヘブライ人への手紙の著者は、初めのキリスト者たちの抱いていた喜びと希望に満ちあふれた確固たる信仰を、第二世代のキリスト者たちが正しく受けとめることをせず、別の思いにとらわれて、信仰から離れてみたり、別の信念をもってみたりして、結局神さまと教会から失われてしまうかもしれない。いや、そうなってしまっていると。

さらにまた、神さまに希望を持つことができないのですから、あらゆるものに絶望しつつ、神も何とかもあるものかと神と人とを恨みながら、どうしていいのやら分からないうちに世を去っていくと。

そのような事態が教会の中にあることを、あたかも父親が自分の言うことを聞かない息子のことを心のうちで心配しながら、険しい顔で戒めるように、語るのであります。

そもそも、なぜこのような事態が起こってきたのか、ということについて考えてみますときに、必ずしも簡単に答えられるようなことでない、複雑な事情があったように思われます。ただ言うことを聞かない新人類、というようなことではないように思うのであります。

それはおそらく、初めのキリスト者たちが抱いていた信仰の根本問題と関係があったのであります。

いつでもそれはこう言われてきました。主イエス・キリストは苦難の生涯を歩まれた後、十字架につけられてこの世の罪を贖い、よみがえられて御神の栄光をあらわし、天に昇られたのだと。そしてその後、主イエスは終わりの日にもう一度おいでになるのだと。

わたしたちの主の祈りにありますように、わたしたちの信仰の核心部分には、たしかに「御国を来たらせたまえ」があります。神さまのご支配を早く実現してくださいと、そのために主イエス・キリストが再び来たりたもう日を待ち望んでまいりました。

しかし、主イエスは、まだおいでくださらない。この世に悪の力はなくならない。「御国を来たらせたまえ」という祈りには、いっこうに答えられない。

初代のキリスト者たちは、イエスさまはすぐにおいでくださるのだと、だから今どんなつらい目にあっても、どんなに苦しくてもこの信仰を捨ててはならんのだと、そう素朴に信じて外からの猛烈なほどの迫害の手に対してたじろぎもせずに、勇ましく、これこそが信仰だと言わんばかりに派手な殉教の死を遂げていったというわけであります。

キリスト者第二世代は、そうした最初の世代の人たちの殉教の死をおそらくは目の当たりにしながら、あるものは恐怖におびえながら、あるものは肉親を失った悲しみにうちふるえ、迫害者に対する復讐心もさることながら、主イエス・キリストを信じたゆえに殺されたと考えるときに、主イエス・キリストの救いに対する不信感、信仰そのものに対する疑いを持つようになる。

信じて祈ったが結局報われなかったではないか、父親や母親は死んでしまっていなくなってしまったではないか。天国で逢えるという言葉を信じて、どれほどの慰めがあるというのであろうか。せいぜいおとぎ話の、人をだますような、むなしい信仰。

キリスト者第二世代の者たちにとって、すさまじい迫害の前に次々と倒れていく殉教者群像を見ながら、それでももし、主はわれらの救い主なり、と心から告白するためには、相当の勇気と、力と、なにものにもまさる慰めの言葉とを必要としたかということを思うのです。

ですから、3章12節の御言葉の中の「信仰のない悪い心」というのは、何か大罪人の心の中にあるような不気味なドロドロとしたような思いというのとは少し語感が違うと思うのです。

その「信仰のない悪い心」とは、人間的にいうと同情に値するような、なぜなら信仰をもって死んでいった父や母、友や先生の姿を目の当たりにして、信仰の意味について深く考え込んでしまうような「信仰のない悪い心」なのですから。

また、何よりも、主イエス・キリストが、まだ来てくださらない。この世に悪の力はなくならない。福音の御言葉は結局嘘だったのか、信じるだけ馬鹿馬鹿しいことだったのかと考えてしまうような「信仰のない悪い心」なのでありますから、わたしたちにとって、受け入れるに耐えない、あまりにもひどい考え方と言ってしまえないものなのであります。

もし、キリスト者が個人個人孤独であって、たった一人で信仰生活を送れと言われたならば、誰がそれに耐えることができるのでしょうか。何か厳しい精進を経て悟りを開くようにして、この信仰を維持せよと言われて、誰がそれをなしえましょうか。

わたしたちはそんなに強くないのです。わたしたちは日々の生活の中で、常にドロドロとした人間関係の中ですぐにでも押しつぶされてしまいそうなほどにもみくちゃにされて、いやな思いにさせられる、すぐにでも恨み言、つらみ言を口にしてしまうほどに弱いのです。

それでも、まったくもって絶望してしまわず、何か依り頼むべきお方にすがるような気持ちで、信仰を持って来たのだと思います。あるいは、教会に来て、そこに集まってきた人々の赤裸々な、それでも何か純粋で素朴な信仰の証しの言葉に励まされながら、世を去る日までこの確信を抱き続けようと決心を新たにしてきたのだと思います。

ヘブライ人への手紙の著者は、その若者たちに本当の慰めの言葉を語り始めるのであります。第3章の初めから、押し流されてしまいそうな弱い信仰の持ち主たちに向かって、旧約聖書の詩編95編を紐解いて、説教しているのです。それはちょうど教会学校の先生が生徒に向かって、聖書を開いて、その中の一言一言をよく吟味しながら、「きょう」という題名で教え諭しているのと同じ光景を思い浮かべられたらよいと思います。

「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、
 荒れ野で試練を受けたころ、
 神に反抗したときのように、
 心をかたくなにしてはならない。」

3章13節をご覧ください。「あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、『今日』という日のうちに、日々励まし合いなさい」とあります。

「罪に惑わされてかたくなになった人」がいたならば、叱り飛ばし、あるいはその罪を指摘して、交わりを絶ってしまいなさい、というようなことは、ここでは全く語られていないのであります。

「日々励まし合いなさい」という言葉は、信仰者には常に友が必要である、ということを指し示しているとも言えます。

しかも「今日」ということが、大切なのであります。明日の態度、将来の態度について問われてはいないのであります。初めのキリスト者は、迫害の中で明日も知れぬ身であったのです。その恐怖の真っ只中で、一日一日を厳かな思いをもって、涙の祈りをささげつつ、信仰を全うしていったのです。

それは、将来来たるべき神の国を夢見つつ、それをただ一つの慰めとして、今、その日、そのときを充実したものとして、受け取っていったのであります。それが主イエスを待ち望む信仰の本当の意味なのであります。

その信仰を継承する者たち、今にも乱れそうな、砕け散りそうな信仰の持ち主に向かって、その日一日、主に守られたことを感謝せよと、神さまのご臨在を信じて、安心して歩みなさいと、それ以上のことは求められていないのであります。

「荒れ野における試練の日々」、つまりエジプトを出たモーセ率いるイスラエルの一行が、約束の地カナンを目の前にして四〇年間入ることを許されずに、荒れ野で試練のときを送ったとき、神さまは決して約束を破られるような方ではないということは、彼らにはよく分かっていたにもかかわらず、目の前の食べ物は尽き、貧しくておいしくない、一日分のマナだけで生活することに耐えられなくなっていった。

「誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない」(民数記11・4~6)と泣き叫ぶようになっていった。

モーセさえも弱気になって、こんな目に遭うならば、主よ、むしろわたしを一思いに殺してください、と祈りさえするようになってしまった。猜疑心が猜疑心を煽り立て、罪が罪を上塗りするようになった。それはイスラエルが神の言葉を「聞いたのに背いた」からだ、ということなのであります。それが、神さまに望みを失った者の哀れな姿なのであります。

3章14節に「わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです」とあります。

この「最初の確信」、このことが大切なのであります。これは、人間的な決心とか、思い込みの部類には決して属さないことなのであります。

信仰は決して一人では持ちえないと申し上げましたが、教会もまた各個教会では立ちえないのであります。もっと大きなキリストのからだなる教会、しかも歴史的な、初めのキリスト者たちから現代の私ども一人一人に至るまで、一つの幹に連なる枝としてつながっている、そのようなものとして教会は確固として立っているのであります。

その教会の「最初の確信」。それは、ここでは全世界の創造主なる神さまの安息のうちにわたしたち信じる者たちを入れてくださる、というお約束を信じることと結びつけられて語られています。それがキリストにあずかることなのだと。

信仰の継承は、個人的な信念の伝授ではありません。そうではなくて、歴史の中に脈々と伝えられてきた、決して絶望することのない、明るい希望の根拠、「最初の確信」を「最後まで」、つまり、この世界の終わりまで、主イエスの再び来たりたもうその日まで「しっかりと持ち続け」なさい、ということなのであります。

神さまの救いのみわざは真実であり、たしかである、ということを、どんなにそれが目に見えなくとも、それが全く疑わしいほどに困難な状況にあっても信じ続ける、そのような信仰が、今日に至るまで伝えられてきているのだと思います。

伝えられてきたことを、また伝えていく。それがわたしたちキリスト者の使命なのであります。

(1988年7月10日、日本基督教団初芝教会主日礼拝)

1987年10月1日木曜日

パウル・ティリッヒにおける霊的現臨と主体性の問題(1987年)

関口 康(東京神学大学4年)

序論

最近になって、パウル・ティリッヒの思想的発展は人間の主体性の宗教的再構築への関心によって動機づけられていた、ということが解明された。ティリッヒが再構築しようとした主体性とは、自立的主体を超え、それを、またその文化世界を神的な存在の根柢の上に再生させるような人間の主体性である。

そのことはティリッヒが現代における神律的文化の再建を目指して戦っている格闘の一側面にちがいない。ティリッヒは、われわれが継承してきた思想的伝統が唯名論的であることを問題視し、それが、世界観において、自然主義か超自然主義かといういずれにも満足しえない二者択一をせまるものであると考える。

自然主義か超自然主義かという二者択一は、彼にとって、啓示および自然的諸法則の侵害としての奇蹟についての超自然主義的観点への抵抗の道か、それとも自己充足的限定性としての自然主義的世界観への抵抗の道かという二者択一を意味し、両者ともティリッヒの神律概念にとって不適合である。トンプソンによると、ティリッヒの確信は「自然主義と超自然主義とのこの二分法は、唯名論的伝統固有のアンティノミーから生じるところの誤謬である」ということである。このアンティノミーを乗り越えることがティリッヒの神学的課題である。

このアンティノミーを克服するためにティリッヒが導入する方法は、いわゆる「認識の形而上学」であり、つまりそれは、認識行為の実存的性格の承認、存在と意味への問いにおける人間の実存的関わり合いの承認、である。唯名論的伝統における存在的歴史的主観と抽象的認識論的主観との混同、また存在論的客観と論理的客観との混同への傾向に端を発する世界と精神のリアリティについての疑念は、抽象的主観と抽象的客観との間に不自然な二分法を措定するが、然るに、現実的経験においてそれらは相関関係にあるのである。

従ってティリッヒは、存在と意味を問う「認識の形而上学」を神学に導入することによって、抽象世界における主観と客観の分裂を克服し、それによって人間の主体性の宗教的再構築を試みていると言ってよいであろう。そしてそれは、唯名論的伝統にとってかわる新しき世界観をわれわれに提供するものとなる。

ところで、ティリッヒにとって、人間の主体性の宗教的再構築及び神律文化の再建への要請とは、裏返してみるとそれらの崩壊が前提されているということを意味する。それはティリッヒの生の実存的状況が、ヨーロッパ的宗教支配文化の崩壊の最終段階においてあり、それに対する評価と対策においてまさに歴史的決断が神学者をして下されるべき時であったのである。そのような時にあって神学者は生について語る場合、思弁的抽象的には語り得ず、全実存をかけて語るのである。

ティリッヒが生について体系的に論ずるのは、彼の主著、『組織神学』の第四部門、「生と霊」の教説においてである。そしてそこに登場する「霊的現臨」(Spiritual Presence)の概念は、彼が提示する新しき世界観を解明するキイ・コンセプトである。

われわれは、ティリッヒの「霊的現臨」の概念を構造的に理解するために、第一章においてこの概念の歴史的位置づけを試みた後、第二章においてこの概念のティリッヒ神学における意味について論じたいと思う。

第一章 霊的現臨の歴史的位置づけ

(1)ルター主義的伝統において

ティリッヒの生がドイツ・ルター主義的環境を背景にして展開したことは、彼の神学的展開と霊的現臨の教説に根拠を与えた決定的要素とみなされるべきである。

彼の『自伝的考察』によると、当時のドイツ・ルター主義教会の有力者であった牧師を父にもつ彼にとって、幼少年期に過ごしたシェーンフリース、ケーニヒスベルクのルター主義的環境における「聖なるもの」の体験が「私のすべての宗教的および神学的研究の礎石になった」と述べ、また「宗教哲学において、私は、聖なるものの体験から出発し、そこから神の理念にいたったのであって、その逆ではない」と断言する。

彼の回想の中で言い表された、聖なるものの体験、すなわち「神的なるものの現臨体験」とは、もとよりルター主義の伝統的命題である「有限は無限を入れる」(finitum capax infiniti)という、いわゆるinfra Lutheranum(ルター的「下に」)の内容である。

このinfra Lutheranumとはカルヴァン主義とルター主義の論争という文脈において理解されてきたものであるが、カルヴァン主義の命題、「有限は無限を入れない」(finitum non capax infiniti)というextra Calvinisticum(カルヴァン的「外に」)の対立命題として、あらゆる有限なるものに現臨する無限者の観照、無限なるものの有限者の有限性の領域における内在を表現したものである。カルヴァン主義からすれば、ルター主義命題の「空間に関し容器のようにみなす見解」は単性論か汎神論として退けるが、ルター主義からすればカルヴァン主義は理神論であり二元論であるということになる。『自伝的考察』においてティリッヒは明らかに、現臨概念をルター主義的伝統のコンテクストの中で支持している。

ただし、ここで注意すべきことは、ティリッヒが現存する過去の宗教支配文化の残存形態の中に霊的現臨の顕現をみていることである。ティリッヒは霊的現臨を体験的に先取した上で、アポステリオリに霊的現臨の概念を組み立てたのである。

(2)神秘的実念論的伝統において

ドイツ観念論の課題が「カント哲学の克服」であったように、ティリッヒと彼の同時代人の多くもまたカント問題の解決に熱中していた。ティリッヒは『境界線の上で』のなかで「私自身の哲学的立脚点は、新カント主義、価値哲学、また現象学との批判的対話によって展開した」と述べている。1912年にティリッヒは、神学士号取得のために『シェリング哲学の発展における神秘主義と罪責意識』というシェリング研究を発表するが、そこで彼はシェリング哲学の価値を、カント問題の解決を示唆するという点に見出している。

明らかなことは、少なくともティリッヒの初期の段階において、自らの立場をカントからシェリングへという流れにおいて理解していたということである。それが後の彼の立場において当てはまるかどうかは議論のあるところである。しかしながらこのことにおいて彼が意図することは、カント問題のヘーゲル主義的本質主義的解決に対する批判である。ティリッヒは、第一次世界大戦の経験を通して、当時のドイツ国家の基礎づけが安易な同一性原理による統合によってできあがってきたことに気づいており、その時代の人々の人格的な苦悩と混沌がそれに意義を申したてていることの意味をよく知っていたのである。

カント問題は今日なお未解決である。ティリッヒが生涯シェリング主義者であったというようなことがたとえ支持し得ないとしても、彼がカントを思想的対論の相手と見なし、それを克服するために、シェリング、あるいはシェリング哲学と同じ方向性と性格づけをもった形而上学的な思想を導入しつつ、その難問と取り組んだということは確からしい。

カント問題とはティリッヒにとって、デカルトの懐疑主義の、カントによる方法論的正当化における問題性であった。それは換言すれば、現象と物自体の二元論であり、その統一的把握の根拠の欠如である。

この難問の解決のためにティリッヒは、デカルトからカントまでの批判的方法論的伝統と、ニコラウス・クザーヌスからシェリングまでの「神秘的形而上学的」伝統との総合を企てる。彼は『カイロスとロゴス 認識の形而上学的研究』において二つの伝統の対比について論じ「両者は相互補完的である」と述べている。彼が提唱する「メタ論理」(meta-logic)、すなわち「批判的弁証学的方法」(critico- dialectical method)とは二つの伝統の総合によるものである。

彼の霊的現臨の概念の形成のために重要である認識の実存的性格の承認は、後者の「神秘的形而上学的」伝統、すなわち中世における「神秘的実念論」(mystical realism)の伝統からひき出されたものである。特にティリッヒにとって、ニコラウス・クザーヌスの主要命題である「反対の一致」(coincidentia oppositorum)が重要である。

ティリッヒは『キリスト教思想史』講義において、「反対の一致」について次のように説明する。「有限なるすべてのもののなかに無限者が現臨する。すなわち宇宙全体の創造的統一を基礎づける力が現臨する。同じ仕方において有限が潜在性として無限のなかに含まれる。世界のなかで神が展開する一方、神のなかに世界は含まれる。有限は無限のなかに潜在的に存在する一方、無限は有限のなかに現実的に存在する。両者は相互のなかにある」。ここでも彼は、ルター主義の命題である「有限は無限を入れる」と全く同じことを思い描いている。つまり彼の霊的現臨の概念にとってこの命題のもつ意味は第一義的と言ってよいであろう。

ティリッヒの『組織神学』における現臨概念の展開は、従って、彼の「批判的弁証法的方法において、またそれによる「カント哲学の克服」の試みにおいて、あるいは、第一次世界大戦における原理的統合性の崩壊を再建する試みにおいて、極めて重要なものであると考えることができよう。そして彼にとってまず第一になされるべきと考えているのは、「有限は無限を入れる」という命題と、認識の実存的性格とへの承認であった。

この議論をさらに深めていくために、次のような考察をすることもできる。それは、一般にこれまではルターとクザーヌスの間には直接的にはもちろん、歴史的にも相互連関はないとされてきたが、両者に共通する「隠れたる神」(Deus absconditus)の思想をめぐる諸研究等を通じて、ルターがクザーヌスから間接的にせよ影響を受けていると結論づけることができる、という学説である。この学説がわれわれに与える有利性は、何よりも、ティリッヒが行なったルター主義と神秘的実念論との総合は、無理矢理なされたものではなく、もともと存在した歴史的連関の現代における継承として受けとることができるということである。

しかし、その学説において指摘されるルターとクザーヌスの思想的起源としての中世ドイツ神秘主義は、ティリッヒの現臨概念の起源としても考えうるのではないかとの推論も成立することになる。

ヴェンツラフ=エッゲベルトの『ドイツ神秘主義』の研究によると、ドイツ神秘主義は要するに「神秘的合一」(unio mystica)でもって説明されうるのであり、これはフィヒテやシュライエルマッハーの中にも見出され、ドイツ・ロマン主義を解明する鍵としてみなされるものである。このことは、われわれの関心からすると、ティリッヒの試みが結局中世的なものへの逆行、退行を意味するのか、それとも近代的なものの真の克服としての新しい世界観への格闘を意味するのか、という根本的評価に関わる問題を含むのである。

われわれは以上の考察によって、ティリッヒの霊的現臨の概念の歴史的位置づけについて、一応概観することができたとしよう。

次に、われわれはティリッヒの主著である『組織神学』第三巻第四部門における「生と霊」の教説のなかで霊的現臨の概念がどのような意味を与えられ、展開されているかについて考察する。

第二章 霊的現臨の意味

(1)精神の意味

ティリッヒは、現代における神律的文化的総合の再建の試みにおいて「精神」(spirit)の概念を吟味する。ヘーゲル同様、ティリッヒは、文化を主観的精神の領域、すなわち彼自身が創造され、その中で彼が「精神」として自己自身を意識するようになるという、人間の「第二の本性」に属するものとみている。例えばヘーゲルやヘルダーにおいて、文化とは語りや行為性における精神の自己表現であったように、特にドイツ的定義づけにおいて精神と文化は相互に関係づけられている。ティリッヒもまたこの関係づけのなかで両者を考えている。彼は「生と霊」の教説のはじめの部分において、精神の次元における生の多次元的統一についての議論を行い、その中でヘーゲルの精神概念について説明している。

「『霊』(Spirit)という言葉が宗教的領域で保存されてきたという事実は、部分的には宗教的領域における伝統の強さによるものであり、また部分的には(たとえば「創造主なる御霊よ、来たりませ」という讃美歌が示すように)、神の霊から力の要素を取り去ることは不可能であるということによるものである。God is Spiritは決してGod is MindともGod is Intellectとも訳すことができない。ヘーゲルの『精神現象学』さえもPhenomenology of the Mindとは決して訳され得なかった。ヘーゲルの精神の概念は意味と力とを統一している」。

ティリッヒの精神の概念は、ヘーゲルとのこれらの親近性とその評価とにもかかわらず、ヘーゲル主義的に解釈されるべきではない。むしろティリッヒ自身、積極的にヘーゲル主義を克服しようとする。それは彼によってわざわざ「本質主義的」な考察であるとの断りの下に論ぜられた「生の多次元的統一」を、「霊的現臨」論の前に置き、「霊的現臨」についての原理的、歴史的な説明をひと通り終えた後、もう一度、生の統一性の問題、つまり宗教、文化、道徳の問題について論じるという方法がとられたことの中に示されている。言い換えるならば、「霊的現臨」とはヘーゲル主義的本質主義的総合の曖昧性を超克し、生の諸次元的要素に「霊的」という語を冠するための概念だということである。

ティリッヒは霊的現臨についての説明のはじめのところで、精神という言葉を使用することの目的について二点挙げる。第一は、人間を人間として性格づけ、道徳、文化、宗教において実現されている生の機能に適切な名称を与えるため、第二には「神の霊」(divine Spirit)または「霊的現臨」というシンボルに用いられている象徴的素材を提供するためである。そして、精神の次元における人間的生の統一の経験が、霊としての神(God as Spirit)また神の霊について語ることを可能にする。したがって精神とは、生を通しての神的なるものの認識への形而上学的承認の契機である。「神の霊の教義は、精神を生の一次元として理解することなしには不可能であっただろう」。

ヘーゲルの精神概念との違いは、恐らく次の点に存するであろう。ヘーゲルのいう「真無限」(die wahrhafte Unendlichkeit)とは、具体的無限者が有限者をその内に含むことを意味する。有限者の自己認識とは自己を「概念」として知ることであり、それは絶対者である無限者がその内に含む有限者的対立の自覚を媒介にして真に絶対的な同一性を自覚することである。概念は意識の弁証法的運動の終極において成立するものであるが、その弁証法的運動の主体は精神としての絶対者である。

とすると、概念において精神はまさに自己として捉えられることになる。ヘーゲルの絶対者はこのようにして無限と有限との漠然とした内包理論によって基礎づけられており、結局無限と有限との間の存在論的差違は無くなってしまうのである。

量義治が結論づけるように、それは「有限者が無限者となること」を意味する。「ドイツ観念論の展開は無限者的立場への徹底であると言うことができるであろう。それは近代の人間中心主義的思想の観念論的表現である。…したがってドイツ観念論はカント哲学を克服した哲学ではなくて、カント哲学から堕落した哲学であると言うこともできよう」と言われるのと同様、ヘーゲルの絶対精神は神学的にも支持し難いものである。

ティリッヒは、無限的と理解される神的霊(Spirit)と有限的な人間精神(spirit)との間にはっきりとした存在論的差違を措定する。ティリッヒは次のように述べる。「もし神の霊が人間の精神に突入すれば、それは神の霊が人間の精神の中にとどまっていることを意味しない。それは神の霊が人間の精神をそれ自身から追い出すことを意味する。神の霊のinは、人間の精神にとっては、outである」。このことは彼にとって、霊的現臨によって把えられた存在の状態を表現する「脱自」(ecstasy)の意味である。

またティリッヒは「有限者は無限者を強いることができない」(The finite cannot force the infinite)ということにおいて有限性原理を命題化する。ティリッヒは脱自理論を用いることによって有限性原理を保持しつつ、神的なるものと人間的なるものの相互連関を論じることにおいてヘーゲルを克服せんとしているのである。

しかしティリッヒは以上のことが再び超自然主義的二元論へと逆戻りしないように、無限と有限との本質的一致ということを「一時的」「予備的」と断りつつ支持している。「有限は無限を入れる」が、しかし「有限は無限を強いることはできない」。

(2)脱自の意味

前節でふれたように、ティリッヒの霊的現臨の概念にとって「脱自」は重要である。彼は脱自理論を新約聖書の聖霊理解、特にパウロから学んでいると考えているところが非常に興味深い。彼は次のように述べる。

「パウロは第一義的に聖霊の神学者であった。彼のキリスト論と終末論とは、彼の思想のこの中心点に依存している。彼の信仰と恩恵による義認の教義は、この中心的な主張、すなわちキリストの出現と共に、聖霊によって創造された新しい事態が到来したということを支持し、弁護するためのものであった。パウロは霊的現臨の経験における脱自的要素を強く主張した」。

今日の聖書学においてこれが支持され得るかどうかは疑問であるが、ティリッヒがパウロの祈りについて「このような祈りは人間の精神には不可能である。…しかし、神の霊には、人間を通して祈ることが可能である」と述べていることが、彼の霊と精神との存在論的差違性の議論からのみ導き出されているものではないことは確からしい。

ティリッヒはパウロにおいて構造性と脱自性との一致をみているが、このような議論をもちだすことの目的は、現代におけるカトリシズムとプロテスタンティズムにおける聖餐理解の偏重性に対して警告を与えるためであった。カトリシズムにおける聖霊の制度的理解、プロテスタンティズムにおける聖霊の道徳的理解は、いずれも教会の世俗化をひき起こす要因となってしまうのである。

そしてまたもう一つの目的は、霊的現臨において、またそれが惹きおこす人間精神の脱自において、主観‐客観構造が超克され、またそれによって新しき認識が創造されるということを支持するためである。「脱自的経験の最善にして、もっとも普遍的な例は祈りの形態である。…神に向かって語るということは、神を祈祷者の対象とすることを意味する。しかしながら、神は同時に主体となることなしに、客体となることはできない。…祈りは主観-客観の構造が克服されている限りにおいて可能である」。ティリッヒは、脱自的可能性としての祈りが、教会的領域の統一性の鍵としてみられるのみならず、普遍的文化的領域における無限と有限の主観‐客観構造のアンティノミーを統一する鍵とみているといってよいであろう。

(3)霊的共同体における主体性

ティリッヒの霊的現臨の概念は、祈りと結びつけられて論じられるのと同様、伝統的キリスト教的諸概念と結びつけられる。霊的現臨の媒介としての伝統的サクラメントが取り上げられ、またその規準としての聖書が取り上げられる。あるいは霊的現臨の内容としての信仰と愛とが論じられる。しなしながら、ティリッヒは、そうした伝統的キリスト教的なるものによる定義づけをもって排他主義的なことを考えてはいない。しばしば彼が「霊のみが霊を見分ける」と述べるのは、霊の自由をさまたげるようなあらゆる試みに対して批判的スタンスをとっているからである。

その際、彼の「霊的共同体」(Spiritual Community)の理念が問題になる。彼は「霊的共同体」と「教会」(Church あるいはchurch)とを分別して考えるからである。

ティリッヒは、人類における霊的現臨の創造性を三つに分ける。1.神的霊の中心的顕現への準備としての人類全体における創造の働き、2.神的霊の中心的顕現そのものにおける創造の働き、3.かの中心的出来事の創造的衝迫の下における霊的共同体の出現における創造の働き、である。これらはティリッヒにおいて時間的経過と結び合わされ、宗教史的、また救済史的なプロセスとして考えられている。言うならば、霊的現臨の自己展開としての宗教史ということになろう。

この第三の時間区分に属する、霊的現臨が創り出す霊的共同体とは、「新しき存在」(New Being)であり、「曖昧ならざる生の顕現」「曖昧ならざる神の愛の創造」であるとされる。そこで顕示される曖昧ならざる生は、キリストとしてのイエスにおいて、またキリストを待望した人々において顕われた曖昧ならざる生と同一である。ゆえに「霊的共同体」と「教会」は同一ではない。ティリッヒは「教会」という言葉を宗教的曖昧性において把えていて、彼がこれを用いる時は「潜在的」(latent)とか「隠された」(hidden)とかいう語と共により隠喩的に考えている。

「霊的共同体」を「教会」と同一視しないティリッヒの立場は例えば次のような言葉にあらわれている。「イスラム教の礼拝共同体の中に、モスクの中に…潜在的霊的共同体がある」。ティリッヒはこのことによって、キリスト教の宣教活動と関連して、「最も重要なことは、異教徒、ヒューマニスト、ユダヤ人たちを、潜在的霊的共同体のメンバーとして考え、外部から霊的共同体へと招かれている全くの異邦人たちと考えないことである」と述べる。

しかし霊的共同体にはその性格づけを記述し判定する基準があるのであって、それが霊的現臨の内容としての信仰と愛である。

新しき存在の共同体として、霊的共同体は信仰の共同体である。霊的共同体は、信仰によって神的生の神聖性に参与するがゆえに、聖である。霊的共同体は教会の不可見的な霊的本質である。

新しき創造の共同体として、霊的共同体は愛の共同体である。霊的共同体は聖なるものであって、愛を通して、神的生の神聖性に参与し、宗教的共同体、すなわち教会に聖性を賦与する。霊的共同体は教会の不可見的な霊的本質である。

以上のことが意味することは、すべての人間的な宗教的営為に先行する、創造主なる霊的共同体の顕現としての霊的共同体、ということであって、宗教に先立つアプリオリな性格をもつ理念としての霊的共同体性ということとなる。とすると、ティリッヒにおいて、この霊的共同体性とキリスト教性(Christianity)との関係はどうなるのかという問いがあらわれるに違いない。

第一章においてわれわれがすでに見たように、ティリッヒはルター主義的環境の中で育まれ、その中において神的なるもの、すなわち霊的現臨の体験からアポステリオリに記述する帰納論的アプローチを行うのである。言わば彼はキリスト教の内部から全ての発言をしている。霊的共同体性の論議についても、確かに彼はそれを他宗教の中にも潜在すると述べはするが、彼のパウロ的聖霊理解への親近性、あるいはペンテコステの物語へのかなり立ち入った言及等から考えるならば、原始キリスト教に対する親近性から導き出されたものと考えられるであろう。つまり霊的共同体性とは原始キリスト教性と言い換えてもさほど問題にならないものということになる。

従って霊的現臨の顕現としての霊的共同体とは、原始キリスト教的な共同体を意味し、それが今日営まれているキリスト教に潜在的であるところの曖昧ならざる生の実現の場であるということができよう。そしてティリッヒはキリスト教の内側にとどまりつつ、原始キリスト教的なるものを今日のキリスト教の反省材料とみなして、より曖昧ならざる共同体の実現をめざしたのであろう。しかも、他宗教においてさえ霊的共同体性を見出すことによって、彼は排他主義的いき方を退けつつ、開かれたキリスト教的共同体について考えを深めていったものと思われる。

そしてティリッヒは、霊的現臨の顕示の下にもう一度精神的生、すなわち道徳、文化、宗教の再統合を試みる。「この統一は人間の本質において、前もって形成され、実存の諸条件の下で分裂し、霊的共同体が宗教的・世俗的グループにおいて生の曖昧性と戦う中で、霊的現臨によって把えられている」と述べる時、かの「有限は無限を入れる」は逆転している。すなわち「無限は有限をとらえる」(infinitum capax finiti)。

この無限と有限との逆転関係はいわば「神律的相互関係」である。無限が有限を把えることによって、有限は曖昧ならざるものとなり、確固たる有限を意味するようになる。これが人間としての主体性の根柢となるのである。無限と有限との相互の関係づけが主観‐客観構造を超克し、真の主体性の確立をめざす道を示すのである。つまり主体性の根柢とは霊的現臨なのである。

結論

以上の考察は、パウル・ティリッヒが重んじる霊的現臨の概念についての把握としてはまだ不充分にちがいない。ただし、すでにわれわれが見てきたことにおいていくつか結論的に述べることができよう。

1.ティリッヒは現代社会の分裂、疎外状況の根柢に、不自然な二分法を生みだす唯名論的世界観があるとし、唯名論的伝統に対する批判をすることによって、原理的統合性の再建を目指す。

2.しかしその崩壊している原理的統合性の再建、回復はヘーゲル主義的本質主義的にはなし遂げられない。実存的にたち向かわねばならない。

3.再建の鍵は霊的現臨である。これが相対主義的な不確実性の時代において、確固として存在的に在したもうのである。われわれキリスト者たるの主体性は新しい存在によってのみささえられる。

伝道者は霊的現臨によってのみ立つことができる。御霊が共に在したもうて、私をおつかわし下さったということなしに、どうして確固として説得的に語り得ようか。語ること全てがキリスト者の主観的な見方であると批判されて、霊的現臨の体験なしにそれ以上語り続けうるか。主体性の確立とはまさにキリスト者としての自覚を深めることに外ならないのである。そしてそれは「創り主なる御霊よ、来たりませ」と祈りつつ歌いつつなされることなのである。

(東京神学大学組織神学学部演習論文、1987年)