2002年9月1日日曜日

オランダ改革派の伝統と日本の教会(2002年)

関口 康

季刊『教会』編集部からご依頼いただきました小論のテーマは、「オランダ改革派の伝統に関する事なら何でも」というものでした。「エッセイ風に書いてください」との指示をいただいています。

私は1990年3月に東京神学大学大学院修了、97年まで日本キリスト教団教師でしたが、97年から98年まで神戸改革派神学校在学、現在は日本キリスト改革派教会の教師です。

移動に際し、神戸滞在中の私に与えられたテーマが「オランダ改革派の伝統と日本の教会」というものでした。

神戸改革派神学校の図書館には、世界の改革派神学・教会に関する多くの文献が収められています。オランダ語文献も豊富です。

残念に思ったこともありました。改革派神学校の図書館の中でさえオランダ改革派の文献の多くが、ほこりをかぶったまま眠っているように見えたのです。

眠らせたままでよいのだろうかという疑問を持ちました。そしてやや不遜ながら、眠らせておく位なら、私が読ませていただこうと思い立ち、オランダ留学の経験者である牧田吉和教授の指導の下、A. ファン・ルーラー(1908-70年)から学びはじめました。

私が教団時代から感じていたことは、現在の日本の神学と教会は、「オランダ改革派の伝統」を余りにも無視しすぎではないかということでした。

もちろん「改革派」はオランダだけに固有なものではありません。しかし、(日本キリスト改革派教会を含む)とくに旧日本基督教会の伝統を受け継ぐ諸教会は、歴史的に見て明らかに、「オランダ改革派の伝統」に負うものを持っているのです。

例えば、日本史上初のプロテスタント教団の「日本基督公会」を創立し、かつ日本のキリスト教的教育機関の先駆けとなるブラウン塾を作ったS. R. ブラウンは「米国オランダ改革派教会」の宣教師ではなかったのでしょうか。「公会主義」を受け継ぐ日本キリスト教団の皆様は、根本においてすでに「オランダ改革派の伝統」を受け継いでいるのです。

あるいは、日本キリスト教団の内部でさえ、「カルヴァン主義か、アルミニウス主義か」という議論がなされていたことをなつかしく思い起こしますが、アルミニウス自身は「オランダ改革派」の神学者であり、論争の本質はきわめてオランダ的な文脈の中でのみ理解しうるものではないのでしょうか。

それにもかかわらず、ブラウン塾の伝統を受け継ぐ東京神学大学にさえオランダ語講座、オランダ語神学書原典講読などの時間が、全く無い。最近では近藤勝彦教授がこの方面の講義をしておられると伺っていますが、私の記憶するかぎり、少なくとも十数年前の東神大において、バルトとの関係でG. ベルカウワーの名前が僅かに紹介されること以外、オランダ改革派神学者の名前や著作が本格的に紹介されることは、ほとんどありませんでした。

もちろん個人で学んでいる方々は、少なからずおられるでしょう。しかし、大学という公的機関の営みにならないかぎり組織的・継続的動きになりにくいのではないでしょうか。

現に、日本のキリスト教書店の書棚に、現代のオランダ改革派神学者の書物は皆無に等しい。まるで現代のオランダには偉大な神学者が一人も居ないかのようです。しかしそれは事実に反することであり、私たちの多くが知らない(知らされていない)だけです。

試しに一度でも現代のオランダ改革派神学者たちの書物を開いていただけば、その豊かさや学問的厳密さ、敬虔さを実感していただけることでしょう。これらが日本語で紹介されるなら、日本のキリスト者は大きな恩恵を受け取ることができると私は確信しています。

もっとも、今の私が思い描いている「オランダ改革派の伝統」とは、神学とりわけ組織神学と実践神学の分野に限定されるものです。

例えばファン・ルーラーのことを考えています。彼はユトレヒト大学神学部の教授として、国教会系の改革教会(Hervormde Kerk)を代表する教義学者でした。

ファン・ルーラー以前の国教会系内の代表的神学者には、フローニンゲン大学のT. ハイチェマ教授や、生涯牧師として働いたO. ノールトマンスがいました。

またファン・ルーラーの同時代人にはレイデン大学のH. ベルコフ教授やフローニンゲン大学のA. レケルカーカー教授がいました。レケルカーカーには教義学や礼拝学に関する著書の他、オランダ聖書学が総力を結集した注解シリーズ『新約聖書の説教』(De prediking van het nieuwe testament)の中の「ローマ書」全二巻があります。

ところで現在国教会系に属する神学者で私が最も尊敬するのは、先年二度も来日されたユトレヒト大学神学部G. イミンク教授です。同教授は、実践神学部門におけるファン・ルーラーの神学的後継者です。教授からのメールによると、ユトレヒトの教義学者でファン・ルーラーを継承している人は残念ながら皆無であるとのことでした。

また19世紀中に国教会系から分離して創立された改革派教会(Gereformeerde Kerken)においてはA. カイパー、H. バーフィンク、G. ベルカウワーと続くアムステルダム自由大学の神学的伝統があります。

バーフィンクの金字塔である『改革派教義学』全四巻は、米国の改革派神学者らを中心に結成されている「オランダ改革派神学刊行会」(Dutch Reformed Translation Society)によって英訳されているところです。

しかし、この伝統は1960年代に大きな変革の時期があり、新しい歩みを始めています。現在のアムステルダムグループの実践神学者であるG. ヘイティンク教授によると、この変革の意義は「ファンダメンタリズムからの解放」にあったとのことです。同教授の『実践神学』(1993年)は近・現代の思想史を踏まえて書かれた好著です。

同じく国教会系に属していない教派としてキリスト改革派教会(Christelijke Gereformeerde Kerken)があります。同教派と日本キリスト改革派教会との間には正式な連絡関係があります。

彼らが経営するアーペルドールン改革派神学大学は、J. ファン・ヘンデレン、W. H. フェレーマといった教義学者、またカルヴァン学者として国際的に有名な教会史家ファン・トゥ・スペイカー教授らの名前で知られています。ファン・ヘンデレンとフェレーマ共著の『改革派教義学概論』(初版1992年)は英語圏やドイツ語圏の現代神学者の成果を豊かに踏まえて書かれた最新・最良の教義学教科書です。

最後に、前記二者と同じ非国教会系として最も新しい歴史を持つオランダ改革派教会・解放派(Gereformeerde Kerken in Nederlands Vrijgemaakt)があります。彼らと日本キリスト改革派教会との間にも連絡関係があります。邦訳書もある教義学者K. スキルダーのリーダーシップによって生み出された教派として知られています。

私の見方では、現時点においてオランダ改革派の諸伝統の特徴や相違点を説明する際に「より保守的」とか「より聖書的」といったたぐいの区分表示を持ち出すことは、全く無意味とは言いませんが、有効な説明になっていないと感じます。

それどころか、日本の教会的状況からすれば、ほとんど一つの伝統に見えるはずです。

今や彼らは、再一致・再合同に向かって産みの苦しみを味わっているのです。

(日本基督教団改革長老教会協議会『季刊 教会』第48号、2002年、掲載)