2001年8月14日火曜日

日本キリスト改革派教会創立宣言に学ぶ(1)

講演1 今、なぜ創立宣言の学びか

「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。ユダヤ人にも、ギリシア人にも、神の教会にも、あなたがたは人を惑わす原因にならないようにしなさい。わたしも、人々を救うために、自分の益ではなく多くの人の益を求めて、すべての点ですべての人を喜ばせようとしているのですから」(コリントの信徒への手紙一10・31~33)。

今日と明日で、講演の時間としていただいているのを全部あわせると4時間半あります。話をするほうもけっこうたいへんですが、聞くほうもたいへんだと思います。ですから、どうかリラックスして聞いていただきたいと願っております。

私に示されている講演の主題は「創立宣言に学ぶ」。副題は「その熱き想いを受け継ぐために」です。事前にご連絡いただきました委員長のご説明によると、この主題の趣旨は次の2点にあるとのことでした。

1、なぜ改革派なのか?改革派の意義・喜び・教派意識の確信。
2、創立者達の想いを学んで、青年たちが受け継いでいけるようにする。

この話を伺いました最初は、正直、目が飛び出るほどびっくりしました。そういう話を、なぜ私がしなければならないのかという問いが起こってきたのです。

またあとでご紹介しますけれども、今日ここに、創立宣言について書かれている参考文献を数冊持ってきました。そのいくつかはどこかの中会の青年修養会で行われた講演記録です。今日ここで行われているような同種の試みは今までにもあったということです。

参考文献の内容については、またあとで説明しますけれども、たとえば矢内昭二先生と榊原康夫先生が共著でお出しになった本があります。創立宣言の講演をする方々というのは、こういう方々です。

あるいは、神戸改革派神学校が出しているリフォームドパンフレットの一つに、『宣言の学び―創立宣言から40周年宣言まで―』というのがあります。これの著者は、矢内先生、吉岡繁先生、榊原先生、安田吉三郎先生。大会議長経験者や、神学校の元教授や、元校長先生。こういう方々がこういう話をするのです。「教派意識」とかいう話をするのも私の役ではないよなあと思ったわけです、実際問題として。

と言いますのは、皆さんの中でご存知の方もおられると思いますが、この修養会のパンフレットに私のプロフィールを載せていただきまして、それを見ていただければ一目瞭然だと思います。私が日本キリスト改革派教会の教師になったのは1998年7月です。今から2年前です。文字通りの「新入り」です。

その前に私は、6年10ヶ月の間、日本基督教団の牧師をしていたという「前歴」を持っております。高知県と福岡県の教会で働きました。そのあと神戸改革派神学校で1年半学ばせていただきました。そしてそのあと、山梨県の現在の教会に赴任いたしました。

その間の話ですが、私には現在5才の長男がおりますが、要するにずっと連れ回してしまったわけです。長男は高知県で生まれましたが、その後、1才の誕生日を福岡県で迎え、2才と3才の誕生日を神戸で迎え、4才と5才の誕生日を山梨で迎えるという、なんとも過酷な労働をさせてしまいました。内心、長男には悪いことをしたなあと思っております。とにかく私はそういう経歴を持っております。

そういう者ですから、今まで皆さんが改革派教会の信徒として、あるいは、牧師としての立場から、改革派教会をずっと見てこられた視点というものを、私はほとんど理解できないわけです。理解できないというか、理解しようという努力はもちろんしているつもりなのですけれども、分かったような顔をしておりたくない。分からない、と言うほうが正直であると思います。「新入り」の者であり、また改革派教会を外側から何年かにわたって関心を持って見せていただいた「部外者」のような者。そして、その外側から改革派教会を見ていた頃の想いは、今でも忘れているわけではありません。

ですから、いわば客観的な「傍観者」の一人。そういう感覚、そういう部分を、今でもどこかで持ち続けているわけです。そういう部分を捨てよう、捨てなければ、という気持ちも少しはありますけれども、しかし、大切にしたいという気持ちもあります。

ですから、私は、最近でもしばしば、教会の説教や中会等でお話しする機会があるときに、思わず「改革派のみなさん!」と言ってしまうのです。私はすでに改革派のメンバーにさせていただいている者ではありますが、しかし今でも私は、「改革派のみなさんは、こうで、こうで、こうでございます」というようなことを、(もちろん良い意味で)使うことがあります。

今日からのお話の中でも何度もそんなふうに言ってしまうかもしれませんが、そんなときには、どうかあまり気にしないでくださいね。「あなたも改革派じゃないか」と言われたら、もちろんおっしゃるとおり、そのとおりなのですけれども、しかし多少傍観者的なところがある奴だとくらいに思っておいていただいて、ご容赦いただきたいなと、そんなことを思っているわけです。

そして、こういう「視点」からお話しすることが、たぶん私に求められているのではないかと思っています。創立宣言についての講演を、先ほどご紹介しました元大会議長や、元神学校教授のような先生たちがするのではなく、この私がするということを今回の中部中会連合青年会の修養会委員会が要求したその理由を、私はまだ聞いておりませんけれども、たぶんそういうことがあるのではないかと思っております。いかがでしょうか。

それからもう一つ、単なる言い訳ですけれども、あらかじめ申し上げておきたいことがあります。

と言いますのは、今日から私は、先ほどご紹介しましたような、大会議長経験者のような方々が書いた、あるいは語った創立宣言の学びというものとは違う話をしなければならないと思っております。しかし私はやはり、皆さんの前で、改革派教会の新入りであるという気持ちをどこかで持ち続けたいと思っております。もっとも、あと2、3年もしたら、そんなことを言っていられなくなるかもしれませんけれども。

そういう者でありますので、このたびの講演においては、自分がどう思っている、こう思っている、というような表明の部分を少し控えて、今まで改革派教会の諸先輩方が創立宣言について、あるいはそれをめぐるいろいろな事柄について語っておられるその文章を引用して、紹介して、それを理解していただくというふうな時間をたくさん採らせていただきたいと思います。しかし、その部分は原稿を棒読みするような感じになりますので、やや聴きにくいかもしれませんけれども、その辺もご容赦いただければと思っています。よろしくお願いいたします。

* * * *

それでは、次に、参考文献の紹介をさせていただきます(年代の古い順)。

岡田稔著「カルヴィニズム概論」『岡田稔著作集』第3巻、いのちのことば社、1993年、279~382頁。


創立宣言の執筆者の一人である岡田先生ご自身が書かれた書物であるという点で、このたび紹介する中では最も重要な文献です。この本をとにかく全部読むことが創立宣言の学びのために重要であるといえます。

矢内昭二・榊原康夫共著『日本キリスト改革派教会 創立宣言の学び』まじわり出版委員会、1985年。

これはとても有名なもので、多くの説明は必要ないと思います。

熊田雄二著「世界の希望と改革派教会―創立宣言がめざすもの―」東部中会連合青年会機関誌『カナン』第45号、1988年。

1987年8月5日~8日に行われた東部中会連合青年会夏期修養会の講演記録です。この書物の特色は、創立宣言の熊田先生による「現代語訳」(おそらく日本キリスト改革派教会史上初?)が掲載されている点にあります。

『日本基督改革派教会史 途上にある教会』、日本キリスト改革派教会大会歴史史料編纂委員会、1996年。

この書物そのものがいわば<創立宣言の歴史的展開>として書かれたものであると見てよいものです。その点に関して当時大会議長であられた安田吉三郎先生が次のように記しておられます。

「拡大された委員会は、翌年、第46回定期大会(1991年)の委員会報告の中で、日本基督改革派教会史編纂方針を明らかにしました。そこに示された歴史編纂の基本理念は、『創立宣言』に盛られた教会観に基づいて改革派教会の歴史を叙述する、というものでした」 。

要するに、この本は創立宣言が分からない人には分からない書物である、と思っていただいてよいものです。

牧田吉和『改革派信仰とは何か』、西部中会文書委員会、1999年。

中部中会出身で今の神戸改革派神学校の校長先生であられる牧田先生が最近出された本です。

これは一般のキリスト教書店に並んでいる本ですが、内容は、日本キリスト改革派教会というこの教派を教派外の多くの人々にもアピールするために書かれた本です。もちろんそれだけではなく、それと同時に普遍的な(そして他の教派にも通じる)真理が表明されている書物でもあります。しかし、基本にあるのはやはり、われわれの教派の実態を念頭に置いてそれを紹介することです。そして、この本の中にはかなり頻繁に創立宣言からの引用がなされています。また、その解説のような文章も出ています。内容も非常に分かりやすいもので、ぜひお買い求めいただきたい本です。

* * * *

さて、最初にお話ししたい主眼点は、「今、なぜ創立宣言の学びか」という点です。

私は、この修養会の企画をした委員会が出してきた命令にただ従っただけです。ですから、何も、私がこのテーマを選んで皆さんにお話ししたいと願ったわけではありません。

しかしまた私は、いろんな場面で、この創立宣言を、今、学ばなければならないという気運が高まっていると感じております。そのような「大会的な」あるいは「教派全体の」動きや雰囲気を察知しつつ、その時流に乗ってこの中部中会も青年会で取り上げようということになったのではないかと想像してきましたが(…え、違う?あ、そうですか、それはすみません…)。

しかし、私は、大会のような場所、大会役員修養会のような場所に出席する機会が多いというか、毎回出席が義務づけられているわけですが、最近はそういうところに行くたびに、「創立宣言を学ばなければならない」ということをおっしゃる先生たちの声がたくさん聞こえてくるのです。それはなぜか、ということをちょっとお話ししておきたいと思っているわけです。

私なりの答えの仕方、いちばん最初に言いました、多少ちょっと部外者的な所をどこかに残しながら話をしている、ということを含み持ちながらの答えの仕方は、こういうものです。

「現在、日本キリスト改革派教会の中の、とくに大会運営の責任を負っておられる方々の口から、『わたしたち日本キリスト改革派教会は、創立50周年を迎えて、一つの岐路に立っている。そこで問題は、わたしたちの中で、改革派としてのアイデンティティ(帰属意識)が失われつつある、ということだ。とくに若い世代の人たちのうちに、アイデンティティが不明確になっている人が続出している。このままでは、われわれの教派に将来はない』というような発言が相次いでいる。そして、その同じ人々の口から『このアイデンティティをわれわれの教派が取り戻すために、教派創立の原点に立ち帰ること、すなわち創立宣言の学びを行うことが有益である』という要請が出されている。そこでわたしたち中部中会連合青年会も、その線に則って、創立宣言の学びを行うのである」。

お分かりでしょうか。アイデンティティというのは、「自己同一性」と訳されることもありますが、それでは意味がさっぱり分かりませんので、最近では「帰属意識」という訳を使うほうがよいと言われています。

改革派としての帰属意識。こういうものが今、失われつつある。とくに、若い世代の中に失われつつあるのだと言われています。

…みなさん、ここで怒ってくださいね!「そんなこと、言うなよな!」とぜひ怒ってほしいのです。

帰属意識の喪失という現実がある。だから、今、もう一度、創立宣言の学びをしなければならない、と言われています。

創立宣言を書いた人たち、あるいはそれを受け継いだ人たち、つまり改革派教会の初代の先生方や信徒の方々は、少なくとも「われわれは改革派教会だ!そういうものを作らなければならないのだ!」という意識を強く持っているわけです。だから、その人たちには少なくともアイデンティティがあったわけです。なければ新しい教派など苦労して作る必要はないわけです、変な言い方ですけど。ですから、初代の人々は、「改革派」でなければならない、それ以外のものであってはならない、というモノスゴイまでの自分たちの意識を持っていた。

しかし今、そういうものをみんなが失いつつある。だから、もう一度、その最初の人たちのその熱き想いを取り戻すために、創立宣言を勉強するのだ、というような話の筋道が見えてくるわけです。

たとえば、1999年12月1日付で出された『大会時報』164号に、小野静雄現大会議長が書いておられる文章があります。

「創立から50年を経たいま、私たちの教会は、教派設立の意義を継承しながら、同時に、うけついだ伝統をどのように深めてゆくかの岐路に立っていると思われます。」

「岐路」とは分かれ道のことです。われわれ改革派教会は、今、「岐路」に立っている。う~ん、本当にそうかなあ…(?)皆さんは、こういう文章を読みながら、ぜひいろいろと考えていただきたいわけです。

もう一つ、別の文章を紹介させていただきます。金田幸男先生のものです。

これのほうが、言いたいことがもっとはっきりしていると思います。

「私が50周年以後の改革派教会の課題について、それが何かと問われたとき、一人の長く我が教会を指導してきた先輩教師のことばを思い出します。一言で申しますと『改革派教会のアイデンティティ』。私も全く同感です。我が改革派教会も、50年の歴史を刻みました。歴史は人が歩んできた足跡です。いろいろな人が我が改革派教会に導かれていき、また天上の教会に移されていきました。教師についてだけ見ても、この教会を指導してきたいわゆる第一世代に属する方(つまり神戸改革派神学校の第一期卒業生以前の教師)は三名のみ、同神学校初期の卒業生も次々と第一線を退かれています。(中略)代って、今や我が教会の構成員の大半はそのような方々の子や孫の世代になり、第一世代の教師を知らない教師も多くなりました」。

まずここまでのところに書かれてあることは、事実でしょう。創立から50年も経ったのですから。たとえば、創立宣言の執筆者(起草者)の一人である春名寿章先生のお孫さんの世代の方々が活躍する時代が来ているわけです。ですから、第一世代を知らない新しい世代が今いるのは事実です。続きを読みます。

「教会はもちろん人が代っても教会の本質は変わりませんし、それだけではなく、教会の神学的立場、理念、存在目的、教会秩序の特徴、全体としての個性、そのような一切を言い換えて言えば、教会の伝統と歴史というべきでしょうが、歴史や伝統は変わるものではありません。いやあってはならないことです。教会は、自覚的に教会の伝統やその歴史を次世代に受け継いでいかなければなりません」。

歴史や伝統というものは変わらないものであり、変わってはならないものである。これはそのとおりです。

「改革派教会は、今は、世代も代わり、構成員も入れ替わりました。かつてほとんど問題とする必要がなかったような課題が浮上してきているように思います。つまり、教会役員も教会員も『なぜわれわれは改革派なのか』という課題です。私には明確にこうだと答えられないほど、と感じていますが、教師の間でも、信徒の間でも、この当然の課題についての共通認識があるかどうか。『改革派とは何か』というもっとも基本的な、しかも重大な、この認識はみんなに共通であるかどうか」。

こんなふうに言われているわけです。

「一般的な組織論からいえば、組織が大きくなり、その組織が時間を経るうちに、成員にアイデンティティが希薄となっていくという現象が現れます。形の上でその団体に籍があるとか、構成員であるというだけでは、組織そのものは存続しても、ゲマインシャフトとしての、つまり信仰共同体としての教会は生命力を欠いたものとなり、いずれ消滅の運命に瀕するはずです」。

…「消滅」!?今の部分はごく一般論として語られていますけれども、しかしアイデンティティというものを失った一般の団体は消滅する。改革派教会もまた然りではないのか、という恐るべき問いであると思います。

「私にとって改革派教会がアイデンティティを欠如していないかどうかおそれるものです。もしもアイデンティティを失っているのであれば、帰属意識も失われます。(アイデンティティは自己同一性とか帰属意識とかに翻訳されます)。帰属意識がなければ共同体に対する責任感もなくなり、忠誠心もなくなります。こうして教会が見捨てられるようになります」。

…恐ろしい話ですね。

「今では自覚的にこのアイデンティティを教会的に確立する努力を怠ってはならない時期にさしかかっている、もしくはもはや手遅れの観さえあると思います」。

…「手遅れ」とまで言われています。あらあら、どうしましょう。

それではどうすればよいのか、というところですが、

「具体的かつ端的に申しますと、改革派教会のアイデンティティ確立のために、『創立宣言』に戻るということです」と書かれています。

もう少し読みますと、

「この理解はあまりにも単純すぎて笑止千万と感じられる方があるかと推量します。50周年以後の課題という教会が抱える難問に対して、名案がなかなか浮かびあがってこない以上は姑息な方策を考え出すよりも最も単純な原点に戻ることが正道ではないかと思います」 。

原稿の棒読みは、聞くだけで疲れてくると思いますので、引用文を読むのは、そろそろやめたいと思いますが、わたしには、皆さんにお伺いしたいことがあるわけです。「いったい、このように、金田先生がおっしゃっていることは本当のことなのでしょうか?」というこの問いです。これを聞きたいのです、みなさんに。

金田先生は、大会の50周年以後の課題検討委員会の書記という立場で、このような文章を書いておられます。ですから、そういう大所高所からご覧になって、改革派教会の現状というものをあからさまに書くとこういうことだ、というふうにたぶん思われながら書いておられるものでしょうから、私のような者がこれに疑問を投げかけることは、おかしなことかもしれません。

金田先生の書いておられることは、おそらく事実なのでしょう。しかし、もしこれが事実なのだとするならば、私としては、やっぱりちょっとなんだかなあ、という気持ちになりますよと申し上げたいわけです。私としては、とても悲しい、ということです。

しかし、そのことはまた、「悲しい」というような何かセンチメンタルな思いで言っているだけではありません。今、私が考えているのは、改革派教会の皆さんのこと、ここに集まっている皆さんのこと、東部中会や他の中会のいろいろな会議に集まる人々のこと、あるいはまた今私が仕えております山梨栄光教会の方々のことです。私の目から見たら、この教会、改革派教会がアイデンティティを喪失している、などという言葉は、とても信じがたいことなのです。はっきり言いまして。

ですから、私は今、外側から見る視点を持ち続けていることを許していただいて、こう言っているのです。この私の目から見れば、依然として皆さんは、「あまりにも、あまりにも、改革派的な」存在に見えます。皆さんは、「あまりにも、あまりにも、改革派的」であります。

むしろ、私などが牧師という立場ではありますけれども、改革派教会の中に加えていただいてなお、「なんとなく改革派っぽくない」と見られてしまうような部分が残っているのではないかなということを感じるくらいです。それくらい、みなさんは、(今の私の目から、また外側の人々の目から見ると)、「あまりにも、あまりにも改革派的な」存在に見えるのです。

もっとも、「それではそれは何なのか」ということを正面から聞かれ、「それを説明しろ」と言われるとちょっと難しい、ということなら分かります。

たとえば、皆さんが改革派以外の他の教派の人々のことを見て、何か違いを感じるときがあると思います。「あの人は福音派っぽい人だ」とか「カトリックっぽい」とか「教団っぽい」とか感じる。この「っぽい」とは、どういう意味でしょうか。そして、次に自分たちのことを考える。「改革派っぽい」って何なのだろうか。それは、人から説明しろと言われても、自分では分かりにくいもの、自覚しにくいものなのです。

「エートス」という言葉をご存知の方が、この中にもいらっしゃると思います。これは倫理学や文化人類学などで使われる言葉ですけれども、非常に訳しにくい言葉です。たとえば「改革派的エートス」というふうに使います。

このエートスの意味は、言ってみれば、「空気」みたいなことです。あるいは「雰囲気」とか、そういうふうなもののことをエートスと呼ぶわけです。これは、とらえがたいものです。あるいは、もうちょっと分かりやすい言葉でいえば「家風」。家柄とか家風などということは、今はちょっと、そういうものを持っている人のほうが珍しくなってきましたけれども、「何々家の家風を伝統的に守り続ける」とかそういうことをしておられるお嬢様のような方が、皆さんの中にもおられるかもしれませんけれども。そういうものがエートスに当たります。

「改革派の家風」とか「改革派的な雰囲気」といったもの、このような捉えがたいものではあるけれども、たしかに存在する何ものかを、皆さんは、実際に色濃く持っておられます。プンプン匂ってくるくらいに、です!事実はそういうことなのです。

ただそれを、しかし、言葉にしろと言われると難しいだろうなあということについては理解できます。ですから、そういう意味でならば、金田先生が悲観的な想いを持っておられるというか、ある危機意識というようなものを表明しておられることも、何となく分かるところがあるといえます。

しかし、皆さんは決して、もはや改革派ではないとか、改革派を捨てるとか、それ以外のものになるとか、あるいは改革派らしさ、改革派っぽさを失ってしまっているなんていうことは、自分たちはそう思っているかもしれないけれども、外側の人には全然そういうふうに見えていないのです。そういうあたりを少し、皆さんのほうでも分かっていただきたいのです。

今、わたしたちが考えている問題は、「今、なぜ創立宣言の学びか」ということです。それの答えの仕方を考えているわけです。そこで浮かび上がってくる一つの答え方が、今の金田先生のような答え方です。

「今すでに、改革派教会は危機的事態に陥っているのだ。われわれは危機意識を持たなければならないのだ。だから、そういうものをわれわれが克服するため、またそこで問われている事柄に答えを出していくために、われわれが改革派創立宣言というものを学ばなければならないのだ」。

こういう筋道で考えていくことは、一つの全うなことではある、と思います。しかし、それだけではありませんよね、ということを、私は皆さんに申し上げておきたいと思っているのです。

* * * *

答えの仕方はもう一つある、わたしは思います。金田先生の言い方になりますと、今の具体的な課題を負うために、今のみんなは改革派らしさを忘れてしまっている、だから勉強しなければいけないのだ、という感じの(やや強い)調子になっていくように思います。けれども、そうではなくて、そういう危機意識がなくても、創立宣言というものは、常に学び続けなければならないものなのだということを、ただ言いたいだけです。

岡田稔先生は、1972年に次のように書いておられます(『カルヴィニズム概論』の序文)。

「これは私の想像なのですが、長期間大会議長をしておられる間に、矢内牧師の熱心は、改革派教会を『改革派創立宣言』という文章に則って前進させる、ということを絶対命令だ、と固く信じ切るようになったもののようです。そしてそれは、我々の共通の思いであり、そうあらねばならず、そうありたいものです。なぜならば、それのみがわが教会設立の主旨に沿った進路であり、この進路をはずれた発展は、たとえ、成功したとしても、もはや改革派教会の成長とは考えられないからです。成長するための脱皮とか、方針の変更ということは、ここでは許されない邪道だとさえ思われます」 。

よろしいでしょうか。ここで岡田先生がおっしゃっていることは、まず危機意識があって、この教派はヤバイ、若い人たちはみんな改革派を捨てようとしている、だから勉強するのだ、というふうな切羽詰った言い方ではないわけです。

そうではなく、もう少し穏やかに、我々は一度決めたことをとにかくずっと守っていくのだという感じの言い方です。

そして、その一つの路線というものをきちんと守りながら、それを広げていくのであって、そこに何か全く別のもの、別種のものを持ってきて、接ぎ木をして、何とか全体を作り上げていくというようなやり方を、この教派は採っていないのだと言われているわけです。そもそも改革派教会というこの教会は、一つの最初に決めたことを、まっすぐ前に進めていき、それをずっと押し広げていくという形でやっていく、そういう教会なのだ、というふうに、はっきりおっしゃっているわけです。

ですから、もしみなさんが、教会でいろいろなことを考え、悩むときに、どうするか。たとえば、教会に若い人がいないなあとか、教会学校も盛り上がらないなあ、というときに、じゃあ他の教派の教会を見に行って、盛り上がっているあのイベントのノウハウを、もうちょっと取り入れたほうがいいんじゃないかとか、あの教派は伸びているから、あの教派のやりかたを真似てやっていけば上手く行くのでは、というふうに考えてよいかどうかという問題です。

そういうふうな、何か別のものを持ってくるというふうな行き方は、岡田先生の言葉をお借りすれば「邪道」だというわけです。

 * * * *

しかし、誤解がないように!

私は決して、金田先生や小野先生たちがおっしゃっていることは根本的に間違っていますよ、というような大それたことを申し上げようとしているわけではありません。私の申し上げたいことを、ここで少しまとめておきます。

私が申し上げたい一つのことは、危機意識というものを、今もしゼンゼン持っていないという方がいらっしゃるならば、金田先生たちが言っておられるので持ちましょう、ということです。

だけれども、あまりにも危機意識を持ちすぎの人がいるならば、まあちょっとそんなに言うほどではないのではないでしょうか、ということを私は感じております、ということを第二番目に言いました。

しかしまた、皆さんに考えていただきたいことは、改革派教会の中にそのような危機的状況があるということを言っておられる先生方の視線の先にあるのは、やはり「青年たち」の姿だったりする、という事実です。先生たちの目から見れば、改革派教会の最近の青年たちはだらしない、と感じておられるのではないでしょうか、という話にどうしてもならざるをえません。

ですから、こういう話が聞こえてくるときには、皆さんはぜひ奮起していただきたいのです。これが、講演1の主旨であります。

それでは、次に、改革派創立宣言を読んで行きたいと思います。全文にルビをふりましたのは、朗読の便宜をはかったものです。現代語訳のほうは関口が作成したものですが、かなり大胆に意訳している部分があります。また、国語の文法上、おかしな点もあるかもしれませんので、詳しい方はぜひご指摘いただきたいと願っております。

日本キリスト改革派教会創立宣言(1946年)現代語訳

講演2に続く)