2001年8月16日木曜日

日本キリスト改革派教会創立宣言に学ぶ(3)

講演3 創立宣言の諸問題

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」
(テサロニケの信徒への手紙一5・16~18)

創立宣言の学びについての私の講演の機会は、これで最後です。残り時間は1時間半、よくぞここまでたどり着いたものだと自分で感心しております。以下、レジュメに掲げた項目に従って、述べていきたいと願っております。

(1)創立宣言は対内的文書か、対外的文書か

「創立宣言は対内的文書か、対外的文書か」という問題が教派内でいちおう議論になっています。議論というほどのものではないかもしれません。しかし、その問題が矢内先生・榊原先生が書かれた『創立宣言の学び』や『改革派教会史』の中で扱われています。

この問いは、別の言い方をしますと、「創立宣言は、誰に読ませるために書かれたものか」ということになります。何のために、何の目的で、どういう読者を想定して書かれたものなのか。

この問いについて、まず最初に、小野静雄先生が書かれた『日本プロテスタント教会史』(下)の中から、一つの言葉を引用したいと思います。

「創立宣言について苦言すれば、この宣言は、改革派神学運動の運動綱領的な性格を持っております。創立宣言の第一点、第二点という形で事柄を押さえるやり方が繰り返し行われ、戦後40年の間、この運動綱領の中から新しい課題をそのつど発見して、それを具体化することが試みられました。ここには非常な強みがあると共に、ある種の限界が出ることも当然です」。

これは、講演Ⅰの中でお話しした内容にかかわることですが、この日本キリスト改革派教会という教派はいつも、創立宣言というものに立ち返ることを重んじてきました。そして、そのとき創立宣言とは、我々にとって、教会人としての、あるいは神学を営む者たちとしての運動綱領というべきものである。そこに戻って、そして、それに基づいて、また新しい運動を継続していく。

この「運動綱領」という表現自体は、なんだかすごい響きを持っています。エイエイオーというあれをイメージさせるものがあります。しかし、ともかく、そういう仕方で運動の根拠ないし土台として用いられてきた文章であるというわけです。このことは、まさに歴史的な事実なのだと思います。

ですから、たとえば、この小野先生のような理解に立ちますと、創立宣言とは、明らかに、必然的に、わたしたちの内部の者たちが読むものとして書かれたものだということになります。まさに「対内的文書」としての創立宣言です。自分たちのために、自分たちが読み、自分たちがそれに基づいて運動する・活動する。そのために書かれた文章であるという捉え方です。

しかし、創立宣言についての見方は、これ以外にもあるようです。創立宣言は、我々のために、つまり、我々がこういう教会を作っていくのだということをいわば自分で納得するために自分のために書いたものである、というだけではないようです。

もっと外側に向かって、自分たちの教会はこうだ、こういう教会をわれわれは作っているのだということをアピールする「対外的文書」でもあるのではないかという問いが、当然出てくるわけです。

事実、そのことを言っておられる先生がおられます。それは、リフォームドパンフレット『創立宣言の学び』の中にある、矢内先生が書かれている「創立宣言の意義」という論文(講演記録)です。こんなふうに書かれていました。

「亡くなりました岡田稔先生がどこかで、改革派創立宣言というものは、もともとは対外的文書だったんだけれど、この頃は対内的同意書になった、ということをおっしゃったんですね。改革派宣言は何のために書かれたかと申しますと、1946年4月28日、29日に東京麻布の南部坂教会というところをお借りして、常磐先生が大変懇意にしていた牧師さんの教会を会場にお借りして、創立大会が開かれたわけであります。そのときに宣伝委員、つまり改革派の立場を広く外部に宣伝する委員ができまして、その仕事として、わが教会の立場を広くキリスト教会に、あるいは日本の社会に宣伝する、そういう目的で創立宣言を書こうじゃないか、ということになったのです。だから、もともと改革派教会の自己主張と自己紹介のためのものだったと思うのです。何年か経ちまして、神学校の二年生頃ですが、松尾〔武〕先生にこの創立宣言のことを尋ねたいと思ってお聞きしましたときに、『いや、あれはそんなに長いこと考えて書いたものじゃなかったんだけどなあ』とお書きになった先生がおっしゃったんです。ですけれど、書かれている内容が立派だったものですから、執筆者の意図を越えて、ずっと長い命を持ちました。対外的宣伝文書としては一時的な使命を終わったんですけれども、ま、今日でも改革派教会はどういうものか、外部の人が知ろうと思ったら、あるいはわたしたちがそういう質問をされたら、これをお読みください、これがわれわれの改革派創立の精神です、とこう示すこともできるんです。けれど、そういう働きよりも、今日では対内的な、つまり改革派内部の共通目標、あるいは課題を示す、そういう役割の方がずっと大きくなっていると思います」。

矢内先生は、わたしたちの問いの答えを、まさにはっきり言っています。要するに、最初は自分たちの立場を外の人々にアッピールするために書いたのだ。しかしそれがその後、どうなったのでしょうか。外の人々が読まなくなったのか、それともアッピールすることをやめちゃったのか…(?)。そのあたりは謎ですが、ともかく、この文書を外の人々は読まなくなって、ひたすら自分たちの同意文書にしていった歴史があるということです。

また、長田秀夫先生から伺った話によりますと、東部中会は、今までしばしば、宣言の文書、とくに創立宣言についての学びをする機会が多かったということです。それはなぜかといいますと、東部中会は、何と言ってもCRC(北米キリスト改革派教会)ミッションとの宣教協力によって多くの教会が生み出されてきた中会である。その中で、日本キリスト改革派教会の伝統ということを、外国から来られたCRCの宣教師たちの持ってきた伝統と擦り合わせる必要が生じた。あるいは、お互いにズレが生じた場合に、それでは自分たちは何なのだということを確認しなければいけないという必要が生じたというあたりのことが、主な理由であるとのことです。

私としては、ぜひ、改革派創立宣言というこの立派な文書を、もう一度、外側に向かって我々をアッピールする目的に使えるように作り直す必要があるのではないかと思っております。現代語訳を作るとか、その解説を書くと言った形で、改革派教会が外側に向かって、自分たちの立場を明らかにしていく努力をしていただくのが良いのではないかと思います。

「改革派のみなさん」(今やわたしも改革派の一員ですが!)は、外側に対する宣伝において、ちょっと元気が無いというか、アッピール不足の面を持っておられるのではないかというような苦言も、ここでちょっと述べておきます。対内的文書の量が、対外的文書の量に比べて、ちょっと多すぎるのではないか。もっと外向きに語らなければならないのではないかと申し上げておきます。

(2)創立宣言は「戦責告白」か

私はこの講演の準備の機会に、「創立宣言」について先輩たちがお書きになった本をいろいろ勉強させていただきました。その中で見つかった問いの一つがこれです。

「戦責告白」という言葉を、みなさんはよくご存じでしょうか。ピンと来ないという方々もおられるのでしょうか。第二次世界大戦の中で日本のキリスト教会が戦争に加担する罪を犯したことについて、それを反省し、悔い改めることです。

それをたとえば日本キリスト教団は、したことになっています。あるいは、日本以外で有名なのは、ドイツ福音主義教会が「シュトゥッツガルト罪責告白」という文書を出して教会の戦争責任について悔い改めをしたという事実があります。オランダにもあります。オランダ改革派教会が「アメスフォールト宣言」という文書を出しましたが、これも戦争責任告白です。

問題は、これらの文書とわれわれの改革派創立宣言は同じ性質のものかどうか、です。つまり創立宣言は「戦争責任告白」と呼ぶことができる性質を持っているかどうかという問いがあるのです。

この問題は、熊田雄二先生が1987年に東部中会連合青年会でお話しになった講演の記録を見ていただくと出てきます。熊田先生は「創立宣言は戦責告白である説」を提唱しておられます。

「日本キリスト改革派教会の正式な戦責告白は、三十周年宣言(教会と国家に関する信仰の宣言)の序文です。しかし、三十周年宣言は、創立宣言の主張の第一点から出てきたものであり、『われらはこれを神の御前に恥じ…』というところに、戦争にかかわる罪責告白がありますから、わたしは、創立宣言にも戦責告白があると見ています。いや、日本の教会でいちばん早い戦責告白だと見ています」というお立場を、熊田先生が表明しておられます。

それに対する反対の意見があることを、熊田先生は知っておられるようです。

「創立宣言は、いわゆる戦責告白ではない、と言われるのですが、たしかに教団の戦責告白や三十周年宣言の序文のような意味での戦責告白ではありません。創立宣言の主張は、正しい信仰と正しい教会の確立に重点があるのであって、いわゆる戦争責任の問題を扱ってはおりません。しかし、教会の罪責告白であれば、まず神に対してなされるべきものです。…『まず神の御前に恥じ』ているのです。創立宣言は国家の戦争行為に言及してはいませんが、戦時下の信仰の戦い、教会の戦いに言及して、『信教の自由ははなはだしく圧迫され、われらの教会も歪められ』と言っています。これらはまず、神に対する罪の告白です」。

このようにして、我々は創立宣言を戦責告白とみなすことができるということが主張されています。これが「戦責告白である説」です。

しかし、もう一つ見方があるようです。『改革派教会五十周年史』の執筆者の立場が第一の立場とぶつかります。

「創立宣言の場合はどうか。宣言は、神の御旨にかなうことと悔い改めが切り離されてはならないことを知っている。しかし、その結合は曖昧さを残している。宣言は『まず戦時下に宗教の自由が圧迫された』と述べる。宗教の圧迫は国家の宗教政策の責任であり、教会はその被害者である。『その結果、われらの教会も歪められ、真理は大胆に主張せられざり』。戦時下のキリスト教の歪みの原因が、国家による宗教の圧迫にあると見ている点で、宣言の理解は正確である。けれども、それは客観的歴史理解として概ね正確、という意味であって、戦時下を過ごしたキリスト者と教会の主体的な歴史意識としては、不充分と言わなければならない」。

悔い改めが足りないといいましょうか、悔い改めとしての文章にはなっていない。教会は被害者である。被害者意識の表明であるというふうな厳しい見方です。

この見方は、熊田先生が言っておられるような線と対立するものなのかどうかは、私には分かりません。しかし、これははっきりと、「創立宣言は戦責告白とはいえない」という立場に立って書かれたものであるということだけは確認しておいていただきたいと思うのです。

どちらが正しいかというような判断は、私にはできませんし、したくありません。ぜひみなさんで考えていただきたいと思って、ただ紹介しているだけです。

戦争中のこと、あるいは戦後の悔い改めをしたかどうかというふうなことについての見方については、当事者でない後の世代の者たちがいろいろと「ああだ、こうだ」言います。言うのは簡単、ということがよく言われます。その時の状況を知らないから、そんなことが言えるんだ、という立場もありえます。どちらが正しいかについての明確な答えはないかもしれません。悔い改めが足りない宣言だと言われることは仕方がないのかもしれませんが、わたしの目から見ると、やや厳しすぎる見方かなという感じもしないでもありません。

(3)目標としての世界、手段としての教会

目標と手段の関係ということを考えながら、これからの部分の話を聞いていただきたいと思います。

創立宣言の構造は、「目標」において「日本国家の再建」という問題が出てきまして、「教会の建設」は、その目標に到達するための「手段」としての位置づけを与えられている、と私には読めると申し上げてきました。読み方が間違っていると言われるならそうかもしれませんけれども、私にはそう読めます。

もっとも、「日本」だけが良くなれば「目標」に到達できたと考え、「日本が神の栄光を現わす国」になったら「日本キリスト改革派教会」は解散(?!)というふうな図式になるのかどうか。「日本」だけではなく、「全世界」の問題が目標として取り上げられなければならないと思いますけれども、しかし、ともかく、創立宣言はこういう図式を持っているように読めます。

こういう捉え方の良さは、これまでの講演で申し上げてきましたように、教会が自己目的化することに対する警戒心というべきものを表現することができます。自己目的化した教会がどのような末路を辿ることになるかということも、カルト宗教の例など挙げてお話しいたしました。

私利私欲に走る牧師がいる。その人が自分の私利私欲をただ満たすためだけに、教会の信徒を働かせる。考えるだけでぞっとします。そのような事態に我々の教会は決して陥ってはなりません。自分に目的があるのではなくて、目的は外側にある。我々はその外側の目的のために働く手段である。謙遜な位置づけを教会に与えている。自己抑制が働いていると思います。

しかし、問題点もあります。繰り返しになりますが、教会に「手段」という位置づけを与えてしまいますと、いつでも次のような論理を許すことになります。それは、「目的を達成すれば手段は消滅してもよい」、すなわち、日本の国が良くなれば教会は解散してもよいという論理です。目標を達成すれば、手段の役割は終わり、手段の意味もなくなるからです。

でも、そういうふうにして教会が、最終的には世界の中に自らを埋没させるべきだとか、自分の姿を消し去って世界にすべてを差し出すべきだということになるのかどうか。これは別問題だと言わなければなりません。

それどころか、教会は「それ自体で目的でもある存在」ではないでしょうか。このことを「手段としての教会」ということと同時に語らなければならないのではないでしょうか。

事実、教会は、「目標達成以後」も存続し続けるのです。我々は、このことを忘れてはなりません。このことは改革派信仰の筋道から言えば、予定論(選びの教理)との関連において理解されるべきことでもあります。つまり、予定論は、「ある者を救いに選び、他の者を滅びに定める」という人間を分ける論理であるという理由で、厳しい批判の目に晒されることがあります。そういう裁きという側面も、もちろんあります。しかし、同時に言えることは、神の救いの民としての教会の内側とその外側、「教会内」と「教会外」との区別は、永遠に存続し続けるというのが、予定論の論理です。

選びとは、そういうことです。教会はまさに教会として永遠に存続し続ける。教会の外側は、教会の外側として永遠に存続し続ける。そういうものとして永遠に区別され続けるのだ。ですから、教会は教会の外なる世界を滅ぼし尽くしてはならない。教会は世界を打ち倒してはならない。教会が国家を圧倒し、国家を打ち滅ぼしてはならない。また教会の外側の世界は教会を滅ぼし尽くしてはならない。そういうふうに理解されなければならないのです。ですから、教会と世界の区別は終末においても永遠に存続し続けます。教会も、また世界も、ともに、お互いに永遠に存続し続けるのです。

(4)信仰告白・教会政治・善き生活の相対的(暫定的)性格規定

私はこの創立宣言の中に、信仰告白・教会政治・善き生活についての「相対的性格規定」というものを読み取ります。

私はいま何を言おうとしているのでしょうか。もう一度、創立宣言の文章(拙訳)を見ていただきたいわけです。「日本キリスト改革派教会の第二の主張:信仰告白・教会政治・善き生活を具備する教会の建設」の中の「一つ信仰について言えば」以下のあたりをご覧ください。その後半部分ですけれども、こんなふうに書いてあります。

「その三十数個の信条の中では、ウェストミンスター信仰規準は、聖書に教えられている教理の体系として、最も完備されているものであることを、私たちは確信しています。私たち日本キリスト改革派教会は、私たち自身の言葉をもってさらに優れた信条を作成する日を祈り求めているとはいえ、このウェストミンスター信条こそ今日私たちの信仰規準として最もふさわしいものであることを確信し、讃美と感謝とをもって教会の信仰規準とするのです」。

これは皆さんにとっては当たり前の文章だと思いますが、これの読み方によっては、我々が持っているウェストミンスター信仰規準というものは一時的(暫定的)なものだというふうに読めます。これは30数個の中の1つである。新しい信条を作ろうと思っているのだけれども、でも、今はとりあえずこれを使っています、というような文章に読めます。それが悪いと言っているわけではないのです。むしろ、良いと思います。その信仰告白というものが持っている相対性・一時性・暫定性ということが、言葉として表現されているのだという点を覚えておいていただきたいのです。

「教会政治」についても同じような論理展開があります。「法王制」があり、「監督制」があり、「会衆制」がある。それらは人間的見地からすれば良い部分もある。しかし、我々としては「長老制」こそが最良の政治形態であると思うから、これを採用しているのですという言い方です。いろいろあるけれども、その中で私たちは一つの立場を選んでいますというやり方です。選択肢はいくつかあるのだ。その中の一つを選んでいるのだというのです。これは、「相対主義的な」事柄の捉え方であると思っていただいてよいものです。

「善き生活」の項目において。これは文章の解釈としては微妙なところも出てくるかもしれません。「私たちは律法主義者ではありませんが、律法廃止論者でもありません」という言い方です。こうでもなければ、ああでもない。それでは我々は何なのか。こうでもなければ、ああでもない者であるというふうな言い方です。これも「相対主義的な」語り方なのです。

私はこのような「相対主義的な」語り方には良い面と悪い面とがあると考えております。

良い面としては、この「○○でもなく、△△でもない」という言い方は、ある種の「謙遜さ」を表わす表現として捉えることができるように思われます。

いろいろな立場をそれなりに評価する。それぞれの立場を尊重する。しかし、こういう言い方に含まれる、その何ともいえない「遠慮がち」な感じが、「自信のなさ」のようなものとして捉えられてしまう危険性があると思うのです。

あるいはまた、全く反対に、(皆さんに事柄を理解していただくために、あえていやらしい言い方を許していただけば)、そのような遠慮がちな言い方は、「慇懃無礼」(いんぎんぶれい)な言葉として人々の耳に響くことがあります。

あなたの立場は認めてあげます。しかし、わたしたちはこうなのですという言い方の中に慇懃無礼なものを感じる人がいます。いや、そうじゃないのだ。いろいろな立場を尊重して、それなりに認めているのだ、と言いたいのかもしれない。それは分かるけれども、聞く人はそんなに素直には聞いてくれないわけです。あなたの立場は何かと聞かれたときに、「ああでもなければ、こうでもない」というふうな何かいつも誰かを批判しているかのように聞かれてしまい、いろんな立場を否定しているかのように聞かれてしまうような自己提示の方法ではなく、もっと積極的な言葉遣いで、自己紹介する道はないのだろうか、と私は思います。

今日この修養会にも大勢の方々が出席してくださっている名古屋岩之上教会のみなさんに対して、私はこの日本キリスト改革派教会にほとんど同時期に加わらせていただいた者として、同じ仲間であるという意識をどこかで持っております。今日は、相馬先生もご出席くださっています。

わたしたちのように、日本キリスト改革派教会というものを外側から見て、そしてそこから自ら選んで入ってきたという意識を持つことができる者たちは、加えていただく前にいろんな選択肢がなかったわけではなくて、その中で選んで改革派教会がわたしたちにとっていちばん納得ができる、喜ぶことができる、納得できる場所だ、という確信をもって入ってきたわけです。

そういうときは、我々の立場においては(という言い方は躓きの種ですね。ごめんなさい。外部から加入させていただいた者たちの立場のことです)どうしても「相対主義的な」判断の方法を採らざるを得ない面を持っているわけです。

たとえば、わたしの場合、日本キリスト教団で牧師になって、そこを辞めて、改革派教会に入ってきました。その意味で私は、要するにいわゆる「バツイチ」です。バツイチの人間は、どうしても、非常に慎重になるわけです。新しい相手を見つけるときには、前の失敗を繰り返したくないという思いを非常に強く持つわけです。慎重になり、「相対主義的な」考え方を持ちます。「選ぶ」ことをするわけです。

また、創立宣言を書いた日本キリスト改革派教会の創立者たちも、もしかしたら、今申し上げたようなことと同じような意識があったのではないかと、私は思っています。旧日本基督教会のメンバーだった。そして、日本キリスト教団に合同した。しかし、そこではこれ以上やれないと思って、教団と離婚して改革派教会を作った。バツイチの人々です。そういうときに、ひとは、「相対主義的な」考え方を持つのです。今度こそ我々は、間違いのない、失敗のない、そういう教会を作りたいという願いをもって始めるわけです、バツイチの人々ならば、誰でも。

しかし、「そうでない場合」は、どうなのか。もうすでに改革派教会の者である。すでに新しい歩みは始まっている、という段階になって、その時点において、これまでの歩みを振り返って、そこでもう一度いろんな事柄を捉えなおして、改革派教会とは何かということを考えて行かなければならなくなったときは、もはやそれまで持ってきたような「相対主義的な」考え方は捨てなければならないのです。「あれでもなければ、これでもない。わたしは、いろんな選択肢を持っております。しかし、その中で、わたしはこれを選んだのであります」というふうな言い方は止めなければならない。

今日の参加者の中には、まもなく結婚を控えておられる方々が何人かいらっしゃるようですけれども、その方々なら分かる話だと思います。

みなさんが結婚した後に、結婚した相手に向かって、「じつは、私には、これこれの選択肢もありました」なんていうことを、いつまでも言い続けたら、これどうなりますか。言ってはいけないのです!もちろん、そういうことを、まだ言いたい気持ちをどこかに残したいかもしれませんけれども。でも、言ってはいけない。「私にはあの人もいました。この人もいました。でも、その中から私はこの人を選びました」というようなことは、もう忘れてください。結婚に際しての選択肢は、私には全くなかったのですが。そういう選択肢をたくさん持っている人がおられるならば、そういうことを忘れていただきたい。

この「相対主義的な」捉え方というのは良いところもあります。しかし、すごく問題のところもあると思います。これは、今後、創立宣言をいじって作り直すべきだとか、そんなことは全然思いませんけれども、私たち自身が今、改革派教会のメンバーとして、新しく自分たちの立場を表明するというときに、もうあまり「比較級」を使って、「法王主義よりもうちのやり方のほうがよい」とか、そんな言い方はやめてほしい。やめなければならないと思っています。もっと違うプレゼンテーション(提示)の仕方が必要だと思います。

そして、それは、しばしば次のようなことと結びつきます。たとえば、法王主義の問題性、監督主義の問題性、会衆主義の問題性と来て、われわれの長老主義はこうであるという提示の仕方をいつでも採っておりますと、そのうち、それぞれ別の立場の人々を「仮想敵」のようにみなしてしまうことになるのです。こういう敵がいる、こういう敵がいる、こういう敵がいる。そして我々はこうだ、という説明の仕方になっていく。

しかし、そのような物の見方は、「仮想敵」のようにみなされて、照準を当てられている相手にとっては、「我々は、あなたがたが言うようなものじゃない!」と反発を感じるだけです。それぞれの立場にある人々は、歴史の中で、状況の中で、それぞれに成長を遂げ、変容を遂げているからです。その点、ぜひ覚えておいていただきたいと思います。

(5)「日本キリスト教団の全面的不成功」という評価の妥当性

ここで私は、「妥当性」を問うているわけではありません。私は日本キリスト教団から出てきた者であって、「全面的不成功」という言葉をよくぞ言ってくださいました、という気持ちを持つことができる人間です。ですから、創立宣言におけるこの評価は「妥当である」と思っております。

ただ、やはり、これを語った上で、わたしたち自身が、それではわたしたちは何なのかと自問する必要はあるでしょう。信仰告白・教会政治・善き生活という三本柱の面において、はっきりと確立したものを持っているのだと、自信をもって、確信をもって、わたしたち自身が言えるようにならなければ、相手を批判するだけで自分たちは何もしていないじゃないかということを、逆に問われても仕方がありません。ちょっと厳しすぎる言い方かもしれませんが、自戒を込めて、そう言わざるをえません。

「人の振り見て、わが振り直せ」とか「他山の石」という言葉がありますけれども、他人の批判をしたら、今度は同じ問いが自分たち自身に問われ始めるのだということを決して忘れてはなりません。

(6)「喜び」の回復をめざして

みなさんは、牧田吉和先生が『改革派信仰とは何か』の中で「喜び」という事柄について非常に強調しておられることをよくご存知かと思います。それではそういうことをわたしたちは、どういう点から捉えて行かなければならないかということを、ここで問題にしておきます。

このことについては、創立宣言で言えば、第二の主張としての「信仰告白・教会政治・善き生活を具備した教会の建設」の項目の中の最初の部分、つまり「キリスト教教理の要約」の部分が問題になります。その部分の中で私が「ちょっと不満です」と申し上げたあの点です。「人間は皆罪人である」という点からキリスト教の全教理の要約を出発させているということが問題になります。

私は、「人間は皆罪人である」という点から出発するのではなく、「善き創造」ということから始める必要があると思います。人間は最初から罪人として造られたわけではなくて、ベリーグッドな、はなはだ善きものとして創造されながら、堕落したものだ、というこの所から始めると、だいぶ話が違ってくるはずだ、ということを言いたいわけです。

我々の考えの中で神の計画の最初の部分は「創造」です。すべては「創造」から出発します。しかしそれを「善き創造」ということから出発させればよいのです。その後、「堕落」が起こる。そして、その次に、イエスさまの十字架による「贖い」が起こる。そして「教会」が誕生する。そして我々がキリスト者として、教会員として、信仰者として生きていく中で起こる「聖化」が続く。その「聖化」において、世界と人間が次第に善きものとなっていくことが期待されています。

そして、最後は「終末」です。終末において、世界と人間における神の聖化のみわざが完結し、世界と人間の完成が起こる。このような仕方で、わたしたちは、キリスト教的な意味での「神の救いのご計画」の全体像を描いていくわけです。

もちろん、それら一切の「前」があるということが、わたしたちの信仰告白の内容に含まれています。「創造」は神ご自身のみわざであって、それゆえ一切は「神」から出発しなければなりません。その神は三位一体の神である、というこの辺りから話を始めて行かなければなりません。

そういう中で、最後に起こること、終末において起こることは何なのかという問題が残ります。それは、キリスト教の全教理を「善き創造」から出発させることができるならば、それが一度は「堕落」するのだけれども、「贖い」を通して再創造され、「聖化」を通して、存在の最初の善き性質というものが回復されていく、というこのような事柄の動きを見てとることができるようになるのです。

人間と世界は最初の姿、すなわち、善きものとして造られ、また神の像(かたち)として造られたあの最初の姿を再び取り戻すことができるのです。そして回復された姿というのは、いわば、最初の善きものと同じ姿として捉えることができるのです。そこにあるのは神の像(かたち)です。われわれ人間は、終末において別の人間になるわけではない!世界は別の世界になるわけではないのです!終末において関口康が復活したら望月信先生になっていたとしたら、すごく怖いことです。なりたくないという意味ではなくて、ならせていただけるなら大変光栄ですけども。

世界だってそうです。「回復する」という場合、何が回復するのでしょうか。今ある世界とは全く異なる「別世界」として回復するのでしょうか。我々が生きているこの世界とは区別された「もう一つの世界」が存在すると語らなければならないのでしょうか。それを「回復する」と呼ぶことができるのでしょうか。

そもそも聖書のどこに「神は二つの世界を創造された」と書いてあるでしょうか。そんなことは、どこにも書いていないわけです!この「一つの世界」が「回復する」のです!改革派教会の救済論の表現は「再創造」(recreatio)なのです!「贖い」によって、今までとは全く異なる別の何ものかが創造されるわけではなく、最初の創造がまさに贖われるのです。それが改革派教会の教えなのです。

ですから、贖いの完成としての世界の終わりに我々に起こるのは、「本来の私が回復される」という出来事です。また「本来の世界が回復される」という出来事です。「別のわたし」になっちゃうわけではないのです。そして、そのとき「本来のわたし」が取り戻されるということが、やはり「喜び」です。別のものに生まれ変わる。人間が一度死んでよみがえったら、ウサギや亀になっていたというと、もはや別の宗教ですが。

開会礼拝の中で、望月信先生が「復活」についてお話しくださいました。人間的なこの世界の事柄に基づく類比で天国のことを考えてはならないとおっしゃいました。このことはそのとおりだと思います。しかし、その上で言わなければならないことは、それでは、天国においては、我々の今の現実とは全く違うことが起こるのかというと、そうでもないわけです。そこでは回復され、完成された姿を見ることができるだけです。地上の生涯において体験してきたことと関係ある出来事が起こるのです。

みなさんが教会や中会の青年会活動を熱心に続けておられる。会議の中で、激しくぶつかり合う。ときにお互いを傷つけ合ったりすることもある。それらのことが終末において、すべて全くご破算にされる。チャラにされる。なくなってしまう。もし私たちが、そういう仕方で、終末を迎えなければならないのだとしたら、みんなが議論することも、ぶつかりあうことも、そもそも教会に通うことも、礼拝をささげることも、みんな空しいことですよ。やめたほうがよい。はっきり言って。

しかし、そうではない。すべては「回復」されるのです。そうであるならば、今、我々がやっていることも、終末において何らかの意味を持つことになるのです。だから、今、みなさんには、喧々諤々やってください、とわたしは言いたいわけです。血を流し、涙を流し…あ、血は流さないかな?

教会形成ということを考えるときも、やはり同じ発想を持つ必要があるでしょう。この地上に、今ここで、教会を形成していく努力というものが全く空しくなってしまうだけの終末が来るのであれば、ただひたすら絶望ですよ。やってても意味が無いのならば。

ということは、途中のプロセスすべてが、完成に向かっていく。そして、終末において、本物の私が完成されたことを喜ぶこと。その喜びを獲得するための歩みを、わたしたちは今ここで続けているのです。

そしてまた、わたしたちの「喜び」は終末にしかないのかというと、そんなことはなくて、今も、ここでも、少しずつ、最後の本物の「喜び」を体験することができるのです。

そして、私の言いたいことは、このような話の一切は「善き創造」の教理という点から出発しないと、話そのものが成り立たなくなるのだということです。

(7)伝道の視点から

これは先ほどの「信仰告白・教会政治・善き生活の相対的性格規定」という話に結びつく問題です。

先ほどは少し言葉が過ぎたかもしれません。しかし、また繰り返して言えば、ある事柄を相対主義的に提示するとき、相手を傷つける場合があるということを、思い起こしていただきたいわけです。また、そのような仕方でなされたプレゼンテーション(提示)においては、なんとなく自信も確信もないように聞き取られてしまう。

今、わたしの目の前に、本屋に務めておられる方が座っておられますが、たとえば、本屋さんのことを考えてみる。「いろんな本がありますよ。どれを買ってもいいですよ。それなりに面白いですよ」というふうに言って、本が売れるでしょうか。それとも、「これ買ってください!!」と、一つの本を取り上げて、お勧めするのか。

我々は改革派信仰というものに確信を持っているわけです。そうであるならば、これと、これと、これを比較して、この中で良いと思ったものをあなた自身が選んでくださいという言い方でなされる伝道で満足できるのでしょうか。私にはちょっと疑問です。やっぱり「これ買ってください!!」の線で行く必要があるのではないか。そのように自信をもって提供できる何かを、わたしたち自身が獲得していく必要があるのではないでしょうか。

しかし繰り返し申せば、相対主義的な物の考え方が間違っていると言っているのではないのです。間違いではないのですが、しかし、「伝道」という観点から見るならば、「これ買ってください!!」のほうが、はるかに効果的であり、良い結果を生み出すに違いない、と思います。

(8)教会一致運動の視点から

これは、先ほどの「日本キリスト教団の全面的不成功」という話に結びつきます。創立宣言の執筆者たちが書いておられることは、次のとおり。「この全面的不成功は、求むるに道を以ってせざるに拠ると言うの外なかるべし」(拙訳「彼らの全面的不成功は、それを求める方法が間違っていることに原因があるという他はありません」)。

逆の言い方をすれば、正しい方法に基づいて、すなわち、「信仰告白・教会政治・善き生活」を三本柱として持っている、しっかりとした基礎を持っている合同運動であるならば、わたしたちは受け入れますし、積極的に取り組んでいくべきなのだ、ということを言っておられるわけです。

もっとも、現実的に見て、さあ、今の改革派教会と他のどこかの教派とで合同しましょうという運動を今から始めましょうという話には、もちろんなりません。今、現実的にどこかにそういう相手がいるとは思いません。そのような相手は、目の前には全く存在しません。みなさんがおじいちゃん、おばあちゃんになる頃にはどうであろうか。そのような合同運動が起こるかもしれない。しかし起こらないかもしれない。その程度の話です。

しかし、いきなり教派合同という大それた話としてではなく、もっと目の前にいる比較的近いと感じることができる、いろいろな考え方において一致できる他の教派の人々と積極的に連帯していくことは、創立宣言の精神にかなったことです。

いろいろなところに首を突っ込んで、顔を出して、そこで語っている人々の言葉を聞くことが大切です。みなさんがそのような場所に少しも顔を出さないようであれば、改革派教会の主張も、改革派教会の存在さえも、改革派教会の外側の人々は誰一人知らない、という最悪の結果になることが見えています。これは最悪の結果です。いろんなところに首を突っ込んで、そしてそこにいるだけで、存在するだけで、改革派教会の存在をアッピールすることができるのです。超教派の会などに行って、その真ん中で、でんと座ってください。

たしかに、そのような超教派の会合は、わたしたちにとっては、出席しているだけで疲れる場所なのです。「エキュメニカル・スマイル」を使って語る社交場だ、なんてことが言われるわけです。違う立場の人々と一緒にいて、彼らの話を聞いていても、ちっとも面白くないし、疲れるだけ、傷つけ合うだけ。話は合わないし、「一緒に祈ろう」と言ったら「何それ?」と返されてしまうとか。聖書の解釈が根本から違うとか。なんとかかんとか、問題を挙げていけば、きりがありません。

わたしたちにとって、そのような場所はイライラさせられる場所、うんざりする場所です。これは事実です。わたしはよく知っています。キリスト者と称する信仰が違う立場の人々というのは、同席するだけで、体のどこかが痒くなるような感じがするほどに、違和感を感じるものです。

しかし、それにもかかわらず、出て行ってほしいのです。最初は、嫌々でもよい。不快に感じながらでもいいです。そしてまた、そのような場所で、わたしたちが何も「改革派信仰とは、こうであります」などと大演説をしてくる必要も無いでしょう。求められるなら、それもよいでしょうけど。でも、わたしは皆さんには、とりあえずただそこに存在するだけ、出席するだけでも、とにかくそのような場所に出席し続けていただきたいと願っております。そんなところに出ていると自分の信仰がおかしくなるのではないかというのは、無用の心配です。

ともかく、教会一致運動は、わたしたちとは全く無関係の事柄だというふうには思わないでいただきたいのです。「創立宣言」の後、我々は、教会一致運動というものを、全く捨ててしまったのだ、とは言えないはずだ、と私は理解しております。

(9)私の教団離脱・改革派加入にも触れて

このようなタイトルをレジュメに書いたことを、今ごろになって後悔しています。そもそも、残り時間があまりない。また、この話を始めると、「聞くも涙、語るも涙」でして。それは冗談で、それほど大したことではないのですが。

私の教団離脱・改革派加入には、「消極的な理由」と「積極的な理由」とがありました。

「消極的な理由」においては、やはり、わたし自身が、日本キリスト教団というものに十分な意味で失望したという点があります。先ほどの「信仰告白・教会政治・善き生活」という三本柱において、完全に崩壊している現実を目の当たりにしました。

そのきっかけは、皆さんもキリスト教の新聞や世間の雑誌などでもご覧になっていると思いますが、いわゆる「ナイフ事件」と呼ばれている事件を知ったことでした。阪神・淡路大震災の直後、日本キリスト教団の代表者たちが関西学院大学に対して行った暴挙と、その事後処理の件です。

教団の中では、それまでもいろいろな形での暴力事件が起こり続けていました。そのことはみんな知っていました。牧師たちが知っているだけではなく、信徒の方々も知っていたのです。

でも、今までは、教団の内部における「内輪もめ」に過ぎなかったわけです。今回はいわば初めて、外の人々に向かって凶器をふりかざした。一宗教法人の構成員が他の法人(学校法人)の人々に向かってナイフを取り出したという歴史的な事件でした。

しかし、私にとっての「問題」は、その事件そのものではありませんでした。もちろん、それも大問題ではありますが、もっと大きな問題がその後で起こりました。その後、教団はその教師に対して戒規どころか、何にもすることができなかった!その後始末の問題で、私は教団のシステムに絶望しました。「教会」としての体をなしていないと確信し、一日も長くこの中に留まっているべきではない、と思って、飛び出してきました。
 
けれども、以上は、単なる「消極的な理由」に過ぎません。もっと「積極的な理由」があります。

私は日本キリスト改革派教会のことを日本基督教団の牧師として知るようになって、だんだん皆さんが書いたり出版しておられるような文章を読むようになりまして、「あ、これだ!」と思ったのです。真の理由は、ただそれだけです。ただそれだけなのです。

もっとも、そこで一つ皆さんに分かってほしいことは、教派が違いますと、とくに牧師でありますと、毎週日曜日はどこかの教会で説教をしなければなりませんから、他の教会の事情を詳しく知る機会など、ほとんどないわけです。どんな建物かということなどは、週日に無人の会堂を訪ねて行けば分かることですが、しかし、教会を知るためには、礼拝を知ること、そこで語られている説教を聞くことによってしか、本当のところは分からないわけです。

ですから、他教派の者たちが、改革派教会の様子を知ること、礼拝や説教や諸活動の内容を知ることのための、いわば唯一の手段、唯一のメディアは「文書」なのです。最近では、インターネットなどもありますが。

そのようにして、私はとにかく「日本キリスト改革派教会」という名前がついている文書なら、何でも手に入れ、読んで、読んで、読みまくりました。そして、「あー、すごい、感動!」。これが「積極的な理由」です。

その私が外側から見て改革派教会の姿に感じたことは、何か特殊なことではなく、まさに(繰り返しですが)「信仰告白・教会政治・善き生活」という、教会形成をしていくためには、当たり前のことを、大真面目に、きちんと、当たり前に実行している教派が、この地上に、この日本に存在する!ということでした。

とくに私のように教団のメチャクチャの中にいた人間としては、日本キリスト改革派教会の皆さんが「あまりにも、あまりにも、当たり前」であることに感動し、強い憧れを抱き始めてしまったのです。ひょっとしたら皆さんにとっては「重荷」に感じておられるかもしれないものに、私は感動したのです。

そして、ここで私に語りうることは、私はおそらく、とてもラッキーだったに違いない、ということです。日本基督教団が「信仰告白・教会政治・善き生活」という視点から見ればメチャクチャの状態にあるというのは、公然の秘密であり、もはや秘密でさえない事実です。そのような中で、多くの牧師が、じつは、悩んでいるのです。

「どうしよっかなあ。でもなあ、教団にはお世話になった先生もいるし、友人もいるし。妻子もあるし。改革派の牧師になるためには、やっぱり一度、神戸改革派神学校で勉強しなければなあ。でも、そうなると、在学期間中は『無収入』だよなあ。妻を、子どもを、路頭に迷わせることになるのかなあ。あーあ、どうしよっかなあ」と悶々と悩んでいる人々がいることを、私は知っています。

「教団残留組」というような言い方は、考えてみれば失礼な言い方ですけれども、しかし、実際にはそういう呼び方がピッタリな面があるのです。

私自身、経済的な面では、ずいぶん悩まされました。教団で仕えた最後の教会では、威張るわけではありませんが、この年齢にしては、ずいぶん多くの謝儀をもらっていたのです。そういうものを全部捨てて、家族を連れて、荷物を抱えて、それらを神戸改革派神学校の寮に全部持ち込んで、無収入の1年半を過ごすことになったのです。最初は子どもが一人。しかも、その1年半の間に、もう一人子どもを与えられることになりました。それで、経済面では本当に悩まされました。

私としては、神戸改革派神学校の正課コースの3年3ヶ月を、本当はすべて学びたかったのです。しかし、経済的な理由で1年3ヶ月だけしか学ぶことができなかったのです。

しかし、そういうことが私にできたのは、改革派教会の皆さんの歩みが光り輝いて見えたからです。そして、今や、実際に来てみて、「あれ、現実は違っていた」という失望を感じている、というようなことは少しもありませんので、どうかご心配なく。今もなお、私はその感激の中にいる者です。

苦労話をしたいわけではありません。わたしたちは自分の信じるところに従って生きることができるときに、本当に深い「喜び」を感じることができるのです。そのことを、ぜひ、それぞれが確信を持って受け入れることができますよう、願ってやみません。

(終わり)