2002年10月1日火曜日

今なぜファン・ルーラーか(2002年)

関口 康
 
1999年2月、私たちは「ファン・ルーラー研究会」というメーリングリストを結成しました[a]。その目的は、20世紀中葉のオランダで活躍した改革派神学者、アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー[1908-1970]の神学論文や説教など、さらにファン・ルーラーを主題に取り上げた博士論文などを日本語に翻訳して紹介することです。メーリングリストでは、現代の教会と神学に関する各種情報交換も行っています。

現在のメンバーは60名強。全くの超教派グループです。また未信者の大学院生も参加しています。また、ユトレヒト大学のF. G. イミンク教授と、米国ニュージャージー州ニューブランズウィック神学校のP. R. フリーズ教授のお二人には、時々、メールを通してご指導いただいています。フリーズ教授は、1979年ユトレヒトでファン・ルーラーとシュライエルマッハーについての博士論文を書かれた方です。

メンバー同士はふだん、メールだけでやりとりしていますが、2001年9月3日日本キリスト改革派園田教会(尼崎市)で、初の公開シンポジウムを開催し、25名の参加を得ました。本誌主筆の深井智朗牧師も、友情をこめて参加してくださいました。講演・発題は、牧田吉和(神戸改革派神学校校長)、田上雅徳(慶應義塾大学助教授)、清弘剛生(教団大阪のぞみ教会牧師)、関口の4名が担当{b]。その内容は、近く創刊を予定している研究誌『ファン・ルーラー研究』(仮称)を通して世に問いたいと願っています。

研究会の最終目標は、日本語版『ファン・ルーラー著作集』の出版です。

さてここで、私たちが取り組んでいる神学者の生涯を、A. ド・フロート著「A. A. ファン・ルーラー教授略伝」の記述を中心に、手短にご紹介いたします。

ファン・ルーラーがその生涯において活動の主な拠点にした場所は、5箇所です(アーペルドールン、フローニンゲン、クバート、ヒルファースム、ユトレヒト)。

生誕の地はアーペルドールン(1908年)。両親は国教会系のオランダ改革教会(Nederlandse Hervormde Kerk)における「体験主義」の伝統を受け継ぐ家系で、父親はパン配達車を運転する人でした。貧しい家庭で、長男アルベルトが幼い頃から頭脳明晰であると知った両親は、小学校以上の進学をやめさせるつもりだったとか。最初職業学校に入学しますが、牧師になりたいという夢を実現するために、ギムナジウムに転校します。

フローニンゲン大学神学部に入学(1927年)。そこで、オランダ最初のバルト主義者T. ハイチェマの影響下にカール・バルトの教義学を学びますが、やがてバルトの神学が「信頼しうる実体をわずかしか持たない、冷たいもの」と知り、バルト批判に転じます。W. アールダースの指導下に書かれた卒業論文はヘーゲル、キルケゴール、トレルチの「歴史哲学」に関するものです。

大学卒業後、クバートの改革教会の牧師としての活動を始めます(1933年)。この時代のファン・ルーラーを有名にしているのは、学界デビュー作となる『カイパーのキリスト教的文化の理念』です。オランダの最も有力な改革派神学者アブラハム・カイパーの『一般恩恵論』を激烈に批判するものです。

その後、ヒルファースムの改革教会に転任(1940年)。第二次大戦に巻き込まれ、ナチス・ドイツ占領下のオランダにおいて、「セオクラシー」の理念に基づく反ナチ闘争を展開。1946年『宗教と政治』にはその時代の論文が収められています。第二次大戦後、「プロテスタント同盟」という政党の幹部となり、1946年総選挙用の党綱領や緊急政策を起草するなど活躍しますが、下院に議席を獲得できず惨敗。それを機に、彼は現実政治の舞台から退きます。1947年ハイチェマの指導下に神学博士号請求論文『律法の成就』を書き上げ、「最優秀賞」(cum laude)を受賞します。

同年、ユトレヒト大学神学部からの招聘を受け、神学教授としての活動を開始します。初めは聖書神学、国内教会史、国内・外国宣教学を担当。G. ブロミリーの英訳で有名な『キリスト教会と旧約聖書』は、この時期の聖書神学講義の成果です。1952年以降は教義学、キリスト教倫理学、国内改革教会史、信条と典礼文書、教会規則などの講義を担当します。1956年頃ドイツ各地で講演会を行ったとき、当時ヴッパータール神学校講師であった若きR. ボーレンとJ. モルトマンとの出会いがあり、「バルト後」の現代神学者に甚大な影響を与えたことは、有名です。

牧師・神学者としてのファン・ルーラーは、人気が高いラジオ説教者としても頭角を現わします。彼が亡くなる日まで二週に一度、朝の礼拝番組で説教を担当。放送後出版される説教集は、多大な読者を得ています。ラジオ局の調べでは、彼の説教を楽しみにしていたリスナーは、1245万人以上[c]。昨年日本で出版された使徒信条講解(『キリスト者は何を信じているか――昨日・今日・明日の使徒信条――』近藤・相賀訳、教文館、2000年)もラジオから生まれたものです。

1970年ファン・ルーラーは、62才で夭折します。妻J. A. ファン・ルーラー・ハーメリンクは、第一巻のみ夫自身の手で出版された『神学著作集』の続刊(第二巻から第六巻まで)や遺構集の編集を担当。彼女は5人の子育ての傍ら、教会法研究で法学博士号を取得するなど、多彩な人でした。

こうした彼の生涯は、少なくとも現代神学に関心を持つ人々にとってじつに興味深いものに違いないと、私は確信しています。

さて、私の知るところによりますと、現在日本国内でも海外でも多くの人々がファン・ルーラーの神学に強い関心を抱いています。今なぜファン・ルーラーなのでしょうか。

この問いに対して私は、ごく個人的な感想を語ることができるだけです。

私の確信によりますと、ファン・ルーラーの神学が持つ魅力は、その中において、一方で伝統的かつ古典的な「改革派教義学」なる契機があり、他方で「現代社会の世俗化」への強い肯定的評価に基づく斬新かつ通俗的な(!)提言の契機があり、その両契機が緊密に結び合っている点にあります。後者の契機にこの神学者固有の「アンガージュマン」を見ている研究者(J. レベル)がいます。

実際、彼の書物を読み始めると、その至る所に、きわめて厳密な神学的根拠を伴うユーモアやギャグ(!)が見つかり、度肝を抜かれること、しばしばです。

しかし、それは実にさわやかであり、教会と世界を明るくする言葉です。「世間」や「人間」の営みを極端に低く評価する高慢さから、キリスト者を解放する言葉です。罪と悪に対する楽観主義的態度に少しも陥ることなしに、神の創造としての人間と世界を全面的に肯定し受容しつつ、喜びと勇気をもって人が生きるための道を教える言葉です。これこそがキリスト教というものであり、神学というものではないでしょうか。多くの人々が、ファン・ルーラーの神学において、「喜びの神学」を見出して、魅了されているのです。

(小論、『形成』第372号、日本基督教団滝野川教会椎の樹会「形成」委員会、2002年、15-16頁)

編注(関口康)

[a] 「ファン・ルーラー研究会」は、2014年10月27日に解散した。

[b] 肩書きはすべて2002年時点。

[c] この数字は訂正する必要がある。再調査中。