2001年5月27日日曜日

使徒

ローマの信徒への手紙1章1~7節

関口 康

「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから」(1節)

ローマの信徒への手紙は、西暦57年の春頃、使徒パウロの第三宣教旅行の最中、コリントで書かれた文書とされています。これで分かることは、この手紙の著者は、おそらく50才台から60才台。熟年の域に達していただろう、ということです。

パウロは、人生の長い時間を、キリストの福音を世界に宣べ伝える仕事にささげた人です。当然のことですが、彼もまた歳をとって行きました。

また少しずつですが、長い年月の間に、宣教内容としての福音をとらえる思考パターンや立場が変わっていきました。何もかもすっかり変わり、福音以外のもの(異端的・異教的なるもの)になってしまうということではありえません。しかし、一つの具体的な問題に対する答え方が変わる。キリスト教教理の全体的理解において強調の置きどころが変わる、など。

こういう変化は、人間ならば当然ありうることです。

一例として、パウロの比較的初期の書簡であるガラテヤの信徒への手紙を見ると、眼前の論敵に対して、まるで火を吹いているような非常にはげしい批判の言葉が見られ、また論敵の立場ときびしく対峙する正統の立場としての「信仰による義認」の教理を、これまた強い言葉で主張しています。

しかし、ローマの信徒への手紙のパウロは、もう少し冷静であり、穏やかであり、包容力があります。論述の方法も、一つの特殊な問題をせまく深く掘り下げて書く、というよりも、全世界と全人類のために神が定められたすべての計画を<包括的・体系的に>書いていく、という広さと大きさを持っています。彼の変化は顕著です。

そして、もう一つ言いうることは、彼の手紙は、若い頃に書かれたものよりも少し年齢が進んだ時期に書かれたもののほうが、論点や話の筋がはっきりしていて、より理解しやすく、読みやすいということです。人生経験を重ねることの大切さもさることながら、事柄を<包括的・体系的に>把握する訓練が行き届いてくると、語る言葉に論理的筋道が生まれます。

パウロにおいて、信仰の変化と成長は、言葉の分かりやすさ(面白さ!)という点に現われています。

パウロは自分を「キリスト・イエスの僕(奴隷)」と呼びました。福音の主に生涯仕え、御言を宣べ伝えるこの一事において忠実であった人の姿を示しています。

(2001年5月27日、日本キリスト改革派山梨栄光教会主日礼拝、要旨)