2017年6月14日水曜日

「転々としていた」わけではないです

借家の書斎からの眺め
涼しい風に乗って、近所のどこかの小学校か中学校で運動会をしているらしい声や音が私の書斎まで聴こえてくる。定番の行進曲、エイエイオー、キャーワー。楽しそうだなあ。そういえば高校はもうすぐ文化祭ですね。大がかりな迷路とか乗り物とか自作映画とか作ってたよね。いっぱい楽しんでくださいね。

実は先週末から胃が痛い。太田胃散を飲んだが効かなかった。太田「漢方」胃腸薬Ⅱを飲んだら効いてきた。「飲みすぎ食べすぎのための胃腸薬ではありません。神経性胃炎、慢性胃炎に効きます」と外箱に。そうか神経性胃炎かと、まるで他人事。珍しく食欲不振。いつもの2割。いろいろダメな今年である。

ちなみに昨日は、朝食がのむヨーグルト無糖(180ml)、伊藤園1日分の野菜ジュース(200ml)、軽いサンドイッチ。昼食は不可。夕食は妻が作ってくれた美味しい酢豚だったのに、お肉とタケノコとニンジンを2つ3つつまんだだけ。それでもうギブアップ。このまま行けばダイエットできそうだ。

自分の弱点を知ることは必要だと思っているが、加齢と共に弱点が増えている。直視に堪えない気分になる。それでも、そこで字を書き続けるのが我々の仕事だよと思っている。疲れたときは「疲れた」と書き、つらいときは「つらい」と書く。そう書いていいんですよと人に勧める以上、自分も実践するのだ。

私の履歴を見て「転々としている」と言われた。精密に書こうとするとそう思われてしまうようだと気づかされた。しかし私に恥じるところは一切ない。すべての移動に理由と「論理」があった。ただ、明かせることと明かせないこととがある。私個人のことならすべて明かせるが、教会側の事情は明かせない。

牧師に転勤があることについてはブログに書いたことがある。なぜ移動が起こるのかといえば、最も大きな理由は「人の命が永遠ではない」ことだ。私が過去に味わった3回の転勤(高知→福岡→山梨→千葉)のうち2回は前任者の突然死だった。あと1回も前任者が病気等で職務継続が不可能になったからだ。

理屈がおかしいと思われるのだろうか。「よその教会の牧師が亡くなろうと病気になろうと、それとあなたがどう関係しているのか。そんなことを今あなたが仕えている教会を離れる理由にするのか。それはあとからとってつけた話ではないか」と。ここまではっきりとでないが近いことを言われたことはある。

しかし、私の場合、転勤だけではない。「1往復」の教団移動がある。それの理由、とくに「復路」の理由が分からないと言われる。それはそうだ。私がそれを明かしていないのだから、誰にも分かるはずがない。それだけは会って話さないと伝わらない。「ネットなんかに書けるかそんなこと」と思っている。

でも、その「会って話す」ところまでたどり着くのが大変だと、ここ数か月痛感している。私の話を直接会って聞いてくだされば、何のことはない、普通の牧師だと分かっていただけるはずだ。「ネットをやめれば」と勧められることもあるが、ネットでも沈黙すると誤解と憶測だけが広められるのではないか。

私には恥じるところはないが、私に責任がなかったと言うつもりは全くない。本当に申し訳ないこともしてきた。そのたびに心からお詫びもしてきた。つい最近も。そんなこんなの中で、すっかり胃が痛い。神経性胃炎になったようだ。太田「漢方」胃腸薬Ⅱ、これから頼りにします。よく効く、いい薬です。

当時のことを覚えている方にぜひ「いいね」を押していただきたいが、私が1998年7月にインターネットを始めた最大かつ唯一の目的は「1997年1月に実行した私の日本基督教団離脱の動機は教団への敵意ではない」ということを東京神学大学の同級生から始めて教団の多くの人に伝えることだった。

1997年1月から1998年7月までの1年半は何をしていたのかといえば、神戸改革派神学校の2年次に編入し、正規の学生として神学の勉強をしていた。新しいパソコンを買うお金もプロバイダに支払うお金もなかったので、インターネットをしたくてもできなかった。1年半の空白の理由はそれだけだ。

そして1998年6月に神戸改革派神学校を卒業し、翌7月に山梨県の改革派教会に赴任して初任給で新しいパソコンを買い、ただちにインターネットを始めた。いちばん最初にメールを送ったのは東京神学大学の同級生の清弘剛生牧師だった。伝えたかったのは「私に教団への敵意はない」ということだった。

そして半年後の1999年2月に「ファン・ルーラー研究会」というメーリングリストを全員東京神学大学の同級生である清弘剛生牧師、土肥聡牧師、生原美典牧師と私の4人で立ち上げた。あのメーリングリストは、その後多くのメンバーを得て教団・教派を超えるつながりになったが、最初は同窓会だった。

そして、その「ファン・ルーラー研究会」における私の動機ないし目的も、ファン・ルーラーの神学を翻訳し研究することは日本基督教団を当然含む日本の教会全体にとって有益であると主張し、啓蒙することだった。それが成功したとは思っていないし、かえって逆効果だった面もあったことを反省している。

そうは言っても「日本基督教団への敵意がないこと」と「日本基督教団への批判がないこと」とは別である。批判はあった。致命的欠陥があると思った。しかしそれを教団は克服した。だから私は、教団はその欠陥を克服しえないとした1997年1月の私の判断を誤りと認め、謝罪して、教団教師に復職した。

そういうことを私は、日本基督教団から離れていた1997年1月から2015年12月までの19年間もずっとしていたし、今日まで継続している。私のインターネット利用の「第1の」動機は「岡山に住む父親への近況報告」だが、「第2の」動機は「日本基督教団の人々への近況報告」であり続けている。