2017年6月27日火曜日

熱く生きろ!(東京女子大学)

東京女子大学(東京都杉並区)
東京女子大学(東京都杉並区)

ヨハネによる福音書11章32~35節

関口 康(日本基督教団牧師)

「マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、『主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに』と言った。イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。『どこに葬ったのか。』彼らは、『主よ、来て、御覧ください』と言った。イエスは涙を流された。」

東京女子大学の皆さま、おはようございます。日本基督教団教師の関口康です。千葉県柏市に住んでいます。今日はどうかよろしくお願いいたします。

「熱く生きろ!」というタイトルを付けさせていただきました。初対面の方々に命令形を使うのはアウトだと思いながら付けました。申し訳ありません。しかし私の気持ちとしては「もしよろしければ熱く生きていただけませんでしょうか」です。

どうしてこういうタイトルなのかといえば、今日の礼拝のために私が選ばせていただいた聖書の箇所に、やたら熱いイエス・キリストが出てくるからです。

この場面の説明をします。イエスさまの友人でもあったラザロという男の人が病気になりました。そして、その病気で亡くなりました。墓に葬られました。それから4日も経っていました。

人の死についてお話しするのは慎重でなければならないと思います。私がお話しすることでもし皆さんの中に差し障りがある方がおられるようでしたらどうかお許しください。とにかくはっきりしていたのは、ラザロが亡くなったことは、もはやだれにも疑う余地がない客観的な事実だったということです。

しかし、とても気になることが今日の朗読箇所の少し前のあたりに記されています。イエスさまはラザロが生きていたとき、そろそろ危ないので早く来てもらいたいと連絡を受けてもラザロのところに行きませんでした。ラザロが亡くなったとき、その知らせは届いているのにイエスさまはラザロのところに行きませんでした。イエスさまがラザロのところに行ったのはラザロが墓に葬られて4日も経ったときだったというのです。

それで、ラザロの2人のお姉さんがイエスさまに対してものすごく腹を立てました。名前はマルタとマリア。この2人がイエスさまに激しく食ってかかりました。「あなたがすぐに来てくだされば、弟は死ななかったでしょうに」とまで言いました。

そのように言われてイエスさまがどのように反応したかが今日の箇所に描かれています。「心に憤りを覚え、興奮して、言われた。『どこに葬ったのか』」。そして「イエスは涙を流された」。

こういうのをわたしたちは逆ギレと言うかもしれません。マルタとマリアだけでなく、そこにいた全員がイエスさまに腹を立てていたことが考えられるわけですが、そうしたら今度は逆にイエスさまのほうが腹を立てはじめ、興奮し、泣き出したというのです。

しかし問題はイエスさまが何に腹を立て、興奮し、涙を流したのかです。答えを言います。そこにいたすべての人がラザロの死を動かぬ事実であると固く信じ、あきらめ、泣いていたことに、です。そしてその勢いで、すぐに来なかったイエスさまのせいにしはじめたことに、です。

なぜあなたがたはあきらめているのか、泣いているのか。そのことにイエスさまは憤り、興奮し、涙を流したのです。その後ラザロがどうなったかについては、ぜひ続きをお読みください。

イエスさまがラザロのところにすぐ来てくださらなかったことの理由も言っておきます。ラザロのまわりの人たちに、もっと強く神さまを信じてほしかったからです。客観的に動かぬ事実を前にしても、それでもなお絶対にあきらめないで、人間の力を超えて働かれる神さまを信じてほしかったからです。

私が今日皆さんにお話ししようと思って来たのは、あきらめるのが早すぎる方々への励ましの言葉です。絶対にあきらめないでください。神さまを信じてください。必ず道は開けます。

私には皆さんと同じ世代の子どもが2人います。2人とも就活中の学生です。そして実は私も就活中です。昨年度は高校で聖書を教える常勤講師でしたが、「代用教員」でしたので1年で契約が終了しました。その前の25年は教会の牧師でした。私の願いは、もう一度、教会の牧師に戻ること、または、学校で聖書を教える先生に戻ることです。

同情してもらいたいのではありません。「おじさんも必死で生きています」と言いたいだけです。

私は絶対にあきらめません。皆さんも絶対にあきらめないでください。そして、神さまを信じてください。神さまが、人間には考えられない方法で、とにかくなんとかしてくださいます。

皆さんの将来が明るい希望に満ちたものでありますよう、お祈りいたします。

(2017年6月27日、東京女子大学 日々の礼拝)

東京女子大学(東京都杉並区)

東京女子大学(東京都杉並区)

2017年6月25日日曜日

心から神を礼拝しよう(千葉若葉教会)


ヨハネによる福音書4章21~23節

関口 康(日本基督教団教師)

「イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。』」

ヨハネによる福音書の学びの4回目です。4章に入ります。今日の箇所に登場するのはイエスさまとサマリア人の女性です。

イエスさまの伝道が進展し、多くの人に洗礼を授け、バプテスマのヨハネの弟子の数よりもイエスさまの弟子の数が多くなりました。それがファリサイ派の人々の耳に入りました(1節)。ファリサイ派の人々からすると、彼らに反対し、自分たちの地位を脅かす勢力が増大していることを意味します。それは彼らの側にイエスさまへの迫害の動機が増えているということです。

それでイエスさまはユダヤからいったん退き、ガリラヤへ行かれました(2節)。ガリラヤはイエスさまが伝道活動を開始した地ですので、出発点にお戻りになったことを意味します。そのイエスさまがユダヤからガリラヤへお戻りになる途中に通られた町が今日の箇所の場面です。それがサマリアです。「しかし、サマリアを通らねばならなかった」(4節)と記されています。

ここで「サマリアを通らねばならなかった」と書かれていることには意味があります。ユダヤからガリラヤへ行く道はひとつだけではなかったからです。サマリアを通る道は最短距離ではありました。しかし別の道もありました。多くのユダヤ人は別の道、もっと遠回りの道を通りました。サマリアを避けて通る人々のほうがほとんどでした。なぜならサマリアは当時の特にユダヤ教主流派の人々と対立関係にあったユダヤ教サマリア派ないしサマリア教の人々が住む町だったからです。

ところがイエスさまはそのサマリアを「通らねば」なりませんでした。ご自分がこの町を通ることには必然性があるとお考えになりました。しかしその必然性は地理的な必然性ではありません。地理的な意味で別の道がなかったわけではないのですから。そうではなくて伝道的な必然性です。「わたしはこの町に伝道しなければならない、福音を宣べ伝えなければならない」というイエスさまご自身の伝道的な決心です。その意味での「サマリアを通らねばならない」です。

しかしまたそれは「本当は通りたくないし、全く気乗りがしない。しかしこれが自分の義務であり使命なのだから、私は嫌でもなんでもこの道を通らなければならないのである」というような否定的な消極的な意味で考える必要はありません。もっと肯定的な積極的な意味です。この町に福音を宣べ伝えるのだ、喜びの知らせを告げに行くのだ、私はそうせざるをえないのだというイエスさまの決意表明です。そのようにとらえるのがいちばんよいと思います。

わたしたちはどうでしょうかと、ここでついわたしたち自身のことを考えたくなります。教会に来ること、礼拝をささげること、いろんな集会や活動に参加すること、献金すること。これらのことについてわたしたちは、しなければならないからする、嫌々ながらでもするというような感覚ばかりを持っていないでしょうか。

そういう感覚を持ってはいけないとは私は思いません。信仰生活、教会生活は一生ものですから。長い年月の間に、山あり谷あり、浮き沈み、熱いとき冷たいときがあります。わたしたちは皆そのようなところを通ってきました。しかし、義務だ責任だというだけだとつまらないです。面白くない。

今申し上げているのはイエスさまが「サマリアを通らなければならなかった」と記されていることから出発した連想です。イエスさまは、義務だから責任だから、嫌でもなんでもその町を通らなければならなかったのでしょうか。そのような感覚は、私たちにはあるかもしれませんが、イエスさまにまで押し付けなくてもよいでしょう。

ただひとつはっきりしているのは、イエスさまがサマリアを通った行為は当時のユダヤ人の常識ないし一般的な感覚に対して明確に逆らうことを意味していたということです。ほとんどの人が「行きたくない」と思っているところにあえて突入されました。

だれかがそれをしなければ新しい道が開くことはありえないと思われたからです。その意味でイエスさまは新しい道の開拓者(パイオニア)であり、常識や既存の価値観を打ち破る挑戦者(チャレンジャー)であったと言えます。

さて、イエスさまがサマリアに到着しました。するとイエスさまの前にひとりの女性が現れました。「そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである」(4節)と記されています。

当たり前のことを言いますが、イエスさまは「疲れる」体を持っていました。のども乾くし、お腹もすく。わたしたちと同じです。のどが渇いたので井戸のそばに座り、疲れたので休憩しておられました。そうしたら、そのイエスさまの前に井戸から水をくむために来た女性が現れたというのですから、その女性の出現はある意味で必然的です。誰も来ないということはありえませんでした。毎日必ず人が集まるところにイエスさまがおられたのですから。

そしてその女性とイエスさまとの会話が始まりました。初対面の女性に気軽に声をかけるイエスさまが描かれています。「水を飲ませてください」とイエスさまが言いました。すると「ユダヤ人のあなたがサマリアの女の私にどうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と返ってきました。このやりとりにも必然性があります。それが当時の常識であり一般的な感覚だったからです。

「あなたがたはわたしたちのことを嫌っているのでしょ。わたしたちだって嫌われている相手のことを好きになることなんかできませんよ。はっきり言わせてもらえば、わたしたちもあなたがたのことが嫌いですよ。だってあなたがたはわたしたちを嫌っているのですから。お互いさまですよ。そのユダヤ人であるあなたがどうしてサマリア人である私に『水を飲ませてください』などと言うのですか。けんかを売っているのですか」というような意味です。

するとイエスさまは、これまたものすごい変化球でお返しになる。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるかを知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう」(10節)。

このイエスさまのお答えを聞いて、女性はいよいよカチンと来たようです。「なんなのあなた、偉そうに」と。ものすごく腹を立てていると思います。「主よ、あなたはくむ物をもお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供も家畜も、この井戸から水を飲んだのです」(11~12節)。

女性が言おうとしていることは2つあります。ひとつは「水を飲ませてください」と言っておきながら私があなたに生きた水を与えるであろうとか、わけの分からないことを言う。それで水をくむものを持ってもいない。飲ませてほしいなら「お願いします」でしょうに。くむものがなければ「貸してください」でしょうに。自分が頭を下げてお願いすることもできないでいて、なんでそんな偉そうなことが言えるのですかということでしょう。

もうひとつはその井戸の由来です。この女性が言っているとおりの歴史的に由緒正しい井戸でした。その井戸を掘り当てたヤコブをあなたは侮辱するつもりですか。この井戸でどれだけの人が助けられ、そこに人が住み、町ができ、歴史が刻まれてきたかを分かっているのですか。もしそれを知らずにいて「私が生きた水を飲ませてやる」というような偉そうなことを言うのであれば、歴史に対する冒瀆であり、侮辱ですよと言っているわけです。猛然たる抗議です。

するとイエスさまは、またお答えになる。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(13~14節)と言われました。

だんだん禅問答です。女性としては、ますます腹が立ってくるような、しかし自分がふだん考えているようなこととは全く異なる次元のことへと誘導されているような、不思議な感覚を味わったのではないでしょうか。

「井戸の水は飲んでもまた渇く」。それは確かにそのとおり。「しかし渇かない水がある。それをわたしが飲ませてあげよう」とこの人は言い出した。大丈夫なのかこの人は。おかしい人ではないかと、この女性としてはだんだん心配になってきた可能性があります。

「だったらその水を見せてくださいよ。はいどうぞ、今すぐ。ほらすぐに。見せられるものなら見せなさいよ。そんな水があるわけないでしょ。やっぱり私をばかにしているのではないですか。悪いけどさっさとどこかに行ってください」と言いたくなるような。

しかしまたイエスさまはこの女性の心の中にあるものを言い当てられました。その内容は時間の関係で今日は割愛します。ぜひおうちで読んでみてください。理解するためのヒントとして申し上げられるのは以下の点です。

あなたの心の中に「乾き」がある。それは具体的にこのことではないか、そしてその「渇き」についてはいくら水を飲んでもそれで潤うこともいやされることもない。別の次元の解決が必要であるということを本人が気づくようなことをイエスさまがおっしゃっています。

そしてその意味での人の心の「渇き」の問題に対する解決策として、この女性自身が辿り着いたのが「礼拝」の問題でした。いくら水を飲んでも解決しない「心の乾き」を潤し、いやしてもらえる「礼拝」とは何かという問題に、この二人のやりとりがたどり着きました。

そのようにイエスさまが誘導なさいました。「誘導」という言葉がきつすぎるとしたら、彼女の発想の転換を助けてくださいました。決して押し付けるのではなく、すうっとうまく導いてくださいました。

しかしまだ問題が残っていました。それは「どこで」礼拝をするかという問題でした。「わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています」(20節)と女性は言いました。それは、サマリア人である私は「どこで」礼拝すればよいのでしょうかという意味です。

この女性の言葉には、私の心の「渇き」を見抜き、それを潤し、癒してくださる「あなたの説教」はどこで聞けるのでしょうかという意味が含まれていたと私は考えます。どこで行われる礼拝でならば私は救われますか。あなたの御言葉を私はどこで聞けますか。このサマリア人の女性が、自分の目の前にいる、まだ名前すら聞いていないその人のことをやっと信頼することができた、その瞬間に浮かんだ問いが「私はどこで礼拝すべきですか」ということでした。

その彼女の問いに対するイエスさまの答えが今日の朗読箇所に記されていることです。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」(21節)。その意味は、場所は関係ないということです。

エルサレムに行かなくては本物の礼拝をささげたことにはならないなどということはありえない。場所はどこも構わない。ヴァチカンに行かなくては、歴史と格式のある伝統教会でなければ、著名な牧師がいる都会の巨大な教会でなければわたしたちの心が満たされることはありえないということはありえない。

そのような有名な場所の礼拝が「本物の礼拝」であって、他はすべて「偽物の礼拝」だなどということはありえない。ひとつひとつの教会の礼拝が「真実の礼拝」です。

バプテスト教会は「各個教会主義」ですので、この点は皆さんが最も強く主張してこられたところでしょう。

そして宗教の対立、教派の対立、民族の対立をすべて乗り越え、みんなで喜んで感謝して父を礼拝する時が来る。それがこの女性に向かって語られたイエスさまの約束です。

この約束は必ず実現するということに大きな希望をもって、わたしたちはこれからも歩んでいくのです。

(2017年6月25日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝) 

2017年6月23日金曜日

受肉(じゅにく)とは何か


「エンヒュポスターシス」や「二性一人格」を図解するスライドを作ってみた。ひたすら分かりやすさのみを追求したが、どう書いても差し障りが出てきそうな内容ではある。理解の鍵は、ロゴスが摂取した「肉」になぜ「人格(human person)」があってはならないかという問いにかかっている。

「肉(サルクス)」のイラストとしてあえてこれを選んだのは、「人性(human nature)がある」としながら、たとえば「人の顔」を付したものを選ぶとかえって危険なイメージに誘導してしまうと思ったからであって他意はない。厳しいご批判や叱責は甘受する他ない。あらかじめお詫びしたい。

ふざけているわけではなく真面目な話をしているつもりだが、我々が牛肉や豚肉や鶏肉を食べても、だからといって牛にも豚にも鶏にもならないのは、それらの肉そのものには、各動物の「性質」(味や香りなどいろいろ)はあっても、牛格も豚格も鶏格も(この「格」がペルソナ)、もはやないからである。

「ロゴスがサルクスから人性(human nature)を摂取した」としても「人格(human person)を摂取した」という意味で「人間になった」(became human being)わけではない。荒唐無稽だと言われれば返す言葉に困るばかりだが、イメージ膨らむ話題ではあろう。

こういう話の持って行き方や理屈のこねまわし方がとにかくイヤで、単純に元々ただの普通の人間が宗教的に崇拝される存在になっただけだとか、結局宗教はすべてほぼ妄想の共同幻想だとか言い放ってしまうほうが我々の腹に収まりやすいのはある意味当然でもあるが、そういうのは当然すぎて面白くはない。

ただ、「性」(nature)と「格」(person)の区別の問題は、すでにいろんな場面で直面しているはずだ。献体、臓器移植、サイボーグ。自分もしくは他者の身体の一部あるいは全体をどこまで客観的に「格」(person)なきモノとして見られるか。そもそもそういうのは全くありえないか。

2017年6月22日木曜日

ファン・ルーラーの「人間尊重」の神学

アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー(1908-1970)

これも古代由来の神学用語だが、「エンヒュポスターシス」と「アンヒュポスターシス」がある。両者共にキリスト論の用語であり、三位一体の第二位格が非人格的人間性を摂取することを指す。しかし両者の違いもある。前者は、人間としてのイエスの存在は神的「我」における我として見いだされるとする。

後者は、人間としてのイエスの存在はいかなる固有の人間的な我をも有しないとする。両者は、キリストの「二性一人格」の教理、すなわちイエス・キリストは真の人性と真の神性との二つの性質を持ちながら、二重人格者ではなく統一人格を持っている、という教理の説明についての異なる2つの説明である。

前者(エンヒュポスターシス論)は、神の言(ロゴス)がマリアから人性(サルクス)を摂取した(humana natura assumpta)とき、その人性(サルクス=肉)には自立した固有の「人格」はないとする。そうでないとイエス・キリストが二重人格者になり、ネストリウス主義になる。

後者(アンヒュポスターシス論)も、言ってみれば論理的によく似ている気もするが、神の言(ロゴス)の「受肉」(incarnatio)という論理は後退し、イエス・キリストの存在においては「人間的な我」としての人間的な人格(ペルソナ)は存在せず、もっぱら神としてのペルソナがあるとする。

つまり両者に共通しているのは、要するにイエス・キリストの「二性一人格」を言いたいだけであるということだ。神としてのペルソナと人間としてのペルソナの両方を自らの存在の内部に抱え込む仕方で内的に葛藤するイエス・キリストではなく、あくまでも統一人格の持ち主であると言いたがっている。

しかし、ここから先が「現代の論争点」である。このイエス・キリストの「二性一人格の教理」(エンヒュポスターシス論であれアンヒュポスターシス論であれ)を中核とする「キリスト論の論理」と「聖霊論の論理」を混同するとキリスト教の信仰も神学もめちゃくちゃに破壊されてしまうと言った人がいる。

ファン・ルーラーである。たとえば教会や信仰について考える場合、イエス・キリストにおける「二性一人格」の論理をそのまま当てはめると、教会や信仰において機能すべき「人間性」について、それ自体において自立した人格性はなく、非人格的なサルクス(肉)があるだけだと言わなくてはならなくなる。

そんなのはめちゃくちゃだとファン・ルーラーは主張した。教会や信仰には必ず「葛藤」がある。神のみこころと人間の思いとの激突がある。ファン・ルーラーは「葛藤こそが聖霊の働きの特徴である」というような言い方をした。聖霊論については「二性二人格」(ネストリウス主義)で構わないと言った。

この「キリスト論の視点」と「聖霊論の視点」の構造的な違いについての主張が、ファン・ルーラーを最も有名にした。ボーレンやモルトマンに影響を与え、「バルト後の神学」の道を開いた。この議論の中で「エンヒュポスターシス」や「アンヒュポスターシス」という古代の神学用語が繰り返し用いられた。

エンは英語のin(中に)。アンは「無い」。エンヒュポスターシスを「位格内」、アンヒュポスターシスを「非位格」と訳す人がいる。前者は「神的ロゴスのペルソナ(位格)の中に非人格的サルクスが摂取される」で、後者は「神としてのペルソナ(位格)には人間としてのペルソナ(位格)はない」。

ファン・ルーラーのこの議論は、カール・バルトの「キリスト論的集中の神学」への明確なアンチテーゼとして提示されたものである。ファン・ルーラーはバルトの神学を「キリスト一元論」(Christomonisme)と呼んだ。それは「キリスト一辺倒の神学」などと呼びかえることもできるだろう。

精密に書くと「ワケワカラン」の一言で封殺されてしまうので、最後に簡単にまとめておく。ファン・ルーラーの主張はいとも単純だ。教会と信仰における「人間性」(humanity)と「人間的なるもの」(Human beings)を侮辱するな、と言っているだけだ。「モノじゃねえよ人間だ」と。

三位一体の神は「外向き」に働く

「出かける人」のイラストを描きました
「見送る人」のイラストを描きました

古代由来の神学用語だが、opera Dei trinitatis ad intraとopera Dei trinitatis ad extraが区別される。前者は「三位一体の神の内なるみわざ」、後者は「~の外なるみわざ」。「内なる」の意味は内向きで「外なる」の意味は外向きである。

神が「内向き」であったり「外向き」であったりするとは何を意味するか。「内向き」とは三位一体の父・子・霊がいわば自己完結している状態を指す。神に欠乏はなく、いかなる他者の助けも要らない。世界も人間も、神の欠乏を補う存在ではない。その意味で、神にとって世界と人間の存在に必然性はない。

しかしその「内向き」でもありえた神があえて「外向き」になった。神は世界と人間を創造し、保持することを決意し、実行した。人間は神に逆らう存在になったが、神は人間を見捨てず、世界と人間を罪の中から取り戻すことを決意し、実行した。その神の「外向き」の働きは終末における完成の日まで続く。

おとぎ話のようではあるが、含蓄は深い。まるで神が我々のようだ。あなたが望むなら、他者との交流をすべて断ち切り、自己完結して引きこもってもいられるが、あえて面倒くさい「外」へと出ていく。「外」には争いがあり、傷つきもする。しかし、「外」でこそ世のため人のために貢献できることがある。

神も「外出」する。外で働く。出張もする。どこへでも行く。世のため人のために貢献する。面白い話ではないか。神が「外向き」でこそあるなら、教会が「内向き」であってよいはずがない。そもそも「教会」自体は「神」ではない。教会が自己完結することは「すべきでない」だけでなく「不可能」である。

2017年6月21日水曜日

教会が「内向き」になりすぎている

記事とは関係ありません
25年私の説教だけ聴いてきた人(妻)から、たしか5年ほど前、「あなたの説教は学校向きかもね」と言われたことがある。教会にはやや不向きかもというニュアンスを含んでいた気はするが、批判的な意味ではなく、説教者しての私の長年の問題意識を肯定的に評価してくれる言葉だったことは間違いない。

遠い過去のことなのでそろそろ書かせていただくが、ある教会で「教会の奉仕」について牧師から話してほしいと依頼されたので、「教会の、世界に対する奉仕」について話したら、依頼者から不評を買った。「教会の受付当番や掃除当番などの役割分担」について話すことが、どうやら求められていたらしい。

正直に言えば、依頼者の意図は初めから分かっていた。「教会の受付当番や掃除当番など」の意味での「教会の奉仕」なしに教会は立ち行かないと言われれば、そうかもしれない。しかし私は、「教会が世界に対して奉仕する」という意味でないような「教会の奉仕」に意味はないと考えてきたし、今も変わらない。

使徒たちが「御言葉」に専念するために「奉仕者」(「執事」と訳す伝統もある)を選出したという使徒言行録の記事は有名だが、「奉仕者」の役割は狭い意味の「教会内のいろいろ」にもっぱら限定されることだっただろうか。その「奉仕者」に最初の殉教者ステファノが含まれていたことを忘れてはなるまい。

「教会の奉仕」が「外」に向かうものでないようなら、それは何だろう。同じことが「教会の伝道」にも当てはまる。「外」に向かうのでなければ、何が「伝道」だろうか。他の教会で十分に訓練を受けてきた人に来てもらえれば百人力だ、などと考えないほうがよいだろう。それだと差し引きゼロではないか。

「それは伝道ではない」で思い出したが、かつて近隣教会との講壇交換のとき「日曜日はうちの教会に来ないでください」と説教後の挨拶で言ったら、1年後、その教会の方から、自分の教会に不満を持っていたのでそちらに移る気でいたが先生の言葉で思いとどまったと言われた。ぜひ思いとどまってほしい。

「教会での奉仕」なしには「教会の、世界に対する奉仕」はありえないという貴重なご意見をいただいた。どちらが「大事」でどちらが「小事」かは難しいが、「小事に忠実な者は大事に忠実である」という教えの線でいえばご指摘のとおりである。ただ、その場合、「キリスト者とは誰か」という問題がある。

「キリスト者」とは「教会員」であり「教会で活動している人」を指すというのはひとつの立場だが、たとえば幼児洗礼を行う教会は「教会で活動している人」と「キリスト者」を同一視できない。また高齢者はじめ「教会で活動が困難な人」や「活動実態がない人」も「キリスト者」であり「教会員」である。

少し心配になったので日本基督教団教憲教規を確かめた。教規135条「信徒は、陪餐会員および未陪餐会員に分けて登録しなければならない」。幼児洗礼を受けて信仰告白をしていない人は「未陪餐」の「会員」、つまり「教会員」であり「キリスト者」であるという点は日本基督教団の定めに合致している。

教規140条「信徒が次の各号の一つに該当するときは、役員会の議決を経て、会員別帳に移すことができる。(1)3年以上住所が不明であるとき(2)理由なく3年以上教会に出席せず、かつ献金その他の義務を怠ったとき」。教会での活動実態がない人でも「別帳」の「会員」、つまり「教会員」である。

活動実態のない「教会員」を必ず含む「教会」が「世界に対して」何の「奉仕」ができるのか、現実問題として不可能ではないかという問いは当然出てこよう。だからこそそこから先が我々の考えどころなのだ。活動実態がないからといって「教会員」である人を「教会」自身が切り捨てることはできないのだ。

「未陪餐会員」も「別帳会員」も「教会員」であり「キリスト者」であると書いているのは詭弁を弄しているのでも教会統計をごまかしたいのでもない。この問題で現実に苦しんでいる人々がいる。日曜朝の数時間を教会活動に費やせる人々だけが「教会員」ではない。「教会」はもっと広く大きい存在である。

牧師が同じ教会にずっといるのでなく、いくつかの教会を経験することには良い面がある。どの教会も必ず直面する様々な問題について具体的な事例を挙げて話すことができる。しかし、牧師が同じ教会にずっといると、その具体例が「あの人のことだ」「あのことだ」とすぐに分かり、該当者の居場所を奪う。

「未陪餐会員」「別帳会員」について書いたのは自明といえば自明だが、あえて主張したいのは「全教会員の同等性」である。やっぱり優劣で考えてしまうし、「幽霊会員」だのと言い出される。日本だけではないと思うが日本の教会は、悪い意味でのアクティヴィズム(行為主義)に陥りすぎのところがある。

「礼拝に来た」か「来なかった」かが、すべてのすべて。何回か来なかったら「どうしたどうした」。心配するのはいいと思うが、いろんな詮索や中傷誹謗に近い話まで出てきたりして。何年か来なかったら「信仰を捨てた」。コミュニケーションが難しい人だったりすると「せいせいした」。どうかしている。

もっとはっきり言えば、目の前に「いる」か「いない」かがすべてのすべて。「いれば」求道者でも新来者でも「教会員」扱い。「いない」となると70年80年教会に通ってきた人でも無視、全否定。いくらなんでもまずい。指摘される前に気付いてほしいと思うが、指摘されても故意にしている場合もある。

2017年6月18日日曜日

いつも喜んでいなさい(青戸教会)

テサロニケの信徒への手紙一5章16~18節

関口 康(日本基督教団教師)

「いつも喜んでいなさい。
 絶えず祈りなさい。
 どんなことにも感謝しなさい。
 これこそ、キリスト・イエスにおいて、
 神があなたがたに望んでおられることです。」

青戸教会の皆さま、おはようございます。

この教会で2回目の説教をさせていただきます。日本基督教団教師の関口康です。前回は5月14日(日)でした。早1か月が経過しました。今日もどうかよろしくお願いいたします。

今日開いていただきましたのは、聖書の中でも大変有名な箇所です。多くの人を励まし、力づけてきた言葉です。私もこの箇所の説教はこれまで何度もしました。主日礼拝でも、伝道集会でも、クリスマス礼拝でも、結婚式でも、葬式でもしました。

そのたびにこれはどのような場面にもふさわしい慰めと力に満ちた言葉であると感じてきました。この箇所を自分の愛唱聖句にしている方は大勢おられると思います。

今日は最初にこれらの言葉の辞書的な意味の説明をさせていただきます。そしてその後、これが現代に生きるわたしたちにとってどのような意味を持つかを申し上げたいと願っています。

第一の言葉は「いつも喜んでいなさい」(パントーテ・カイレーテ)です。書いてあるとおりの意味ですが、大事なことがあります。それは、「喜んでいなさい」と訳されているカイレーテは二人称複数の命令形で書かれているということです。

ですから、これを直訳すれば「あなたがたは常に喜べ」です。「喜んでもよいし、喜ばなくてもよい。どうぞご自由に」というニュアンスはありません。喜ぶことが命令されています。喜ばないと叱られます。

命令という言葉を聞くだけで反発されてしまうかもしれません。「私に命令するな。指図するな。あなたに何の権限があるのか。内容は何であれ命令されることに耐えられない」という反発がありえます。しかし今申し上げているのはとにかくここに書かれている言葉の辞書的意味です。反発や葛藤は必ずあると思いますが、すべて後回しにします。

第二の言葉は「絶えず祈りなさい」(アディアレイプトース・プロセウケスセ)です。これも書いてあるとおりの意味です。しかし大事なことがあります。

それは、「絶えず」と訳されているアディアレイプトースは「中断する」を意味するディアレイポーを、否定を意味する「ア」を最初に付けて否定している言葉であるということです。「中断する」の否定形で「中断しない」となり、それが「絶えず」とか「いつも」という意味になります。

大事なことはまだあります。「祈りなさい」と訳されているプロセウケスセも「喜んでいなさい」と同じく二人称複数の命令形で書かれています。「あなたがたは祈れ」です。先ほどと同じ言い方をしますが、「祈ってもよいし、祈らなくてもよい。どうぞご自由に」というニュアンスはありません。祈ることが命令されています。祈らないと叱られます。

しかし問題は、何を叱られるのかです。「祈らないこと」が叱られます。それはそのとおりです。しかし、ここで「絶えず」の意味は「中断しない」であると先ほど申し上げたことが重要です。その意味を生かして直訳すれば「中断しないで祈りなさい」です。つまりこの言葉で命令されているのは「祈ること」だけでなく「中断しないこと」です。

しかも、「祈り」を「中断する」とか「中断しない」とかいうのは、たとえば教会の礼拝や諸集会、あるいは家庭や職場などで目を閉じ、手を組み、祈りの姿勢をとり、祈りの言葉を唱えるのを途中でやめるとかやめないとかいうのとは全く次元が違うことです。それは常識的に考えれば分かることです。

たとえばわたしたちが自動車の運転中や家で料理をしているときに目を閉じ、手を組み、祈りの姿勢をとり、祈りの言葉を唱え続けることを「中断してはならない」などと言われますと事故を起こすか、やけどするか、包丁で手を痛めます。日常生活に支障が出ます。

もっとも、学校の授業中や教会の礼拝中に居眠りをしているときに「私は絶えず祈っています」と言い逃れるのは、ありかもしれません。

しかしそういうことではなく、「祈り」の意味は神に期待することです。神に訴えることです。神に求めることです。それをやめてしまうことが「祈りを中断すること」です。それは神との関係を自分の側から一方的に断つことです。

ですからそれは「信仰を捨てること」とほとんど同じ意味であるとさえ言えます。かなり厳しい言い方ですが、はっきり言えばそうなります。つまり「絶えず祈りなさい」という言葉は「信仰を捨ててはならない」というのとほとんど同じ意味であるということです。

第三の言葉は「どんなことにも感謝しなさい」(エン・パンティ・ユーカリステイテ)です。これも「ハードルが高い。困った、どうしよう」と、おそらくわたしたちがしばしば感じる言葉です。

なぜなら、「感謝しなさい」と訳されているユーカリステイテも二人称複数の命令形で書かれているからです。「あなたがたは感謝しろ」です。同じ言い方をまた繰り返しておきます。この言葉には「感謝してもよいし、感謝しなくてもよい。どうぞご自由に」というニュアンスはありません。感謝することが命令されています。感謝しないと叱られます。

しかし、この第三の言葉にはもしかしたら翻訳の問題があります。「どんなことにも」と訳されているエン・パンティの「エン」は英語のinであり、「パンティ」は英語のall thingsであるということを本当はよく考えて訳さなければならないはずですが、新共同訳はそのあたりが表現できていません。

英語のinを意味する「エン」を生かして直訳すれば「あなたがたはどんなことにおいても(エン)感謝しなさい」、あるいは「すべてのことの中で(エン)感謝しなさい」という感じになるはずです。そして、もしそうだとすれば、この言葉の意味合いは変わってくるはずです。

感謝できないこともある。いやいや、とんでもない。ほとんど何ひとつ感謝できない。ひどすぎる事実が世界を埋め尽くしている。わたしたちの心は怒りと悲しみと嘆きで満ちている。そう思っている人は多いです。ヨブが「自分の生まれた日」を呪い、自分の人生のすべてを否定しようとしたように。

しかし、そのような「すべてのことの中で」(エン・パンティ)、それにもかかわらず(notwithstanding)「あなたがたは感謝しろ」と命令されています。つまりこれは逆説的(パラドキシカル)な言葉なのです。

その場合の問題は「感謝」の対象はだれかです。この文脈では明確に「神」です。神への感謝です。

「こんな私に誰がした。こんな世界に誰がした。責任者出てこい。もし神が存在するなら、なぜ世界がこれほどまでにひどいのか。なぜ私の人生はこれほどまでに不幸なのか」と叫びたくなるすべての現実の中で(エン・パンティ)、それにもかかわらず(notwithstanding)、この世界と人類を創造し、愛してくださっている神へ感謝することが求められています。

そして、これら3つの言葉をまとめて言われているのが「これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」です。これで間違いではありませんが、原文を直訳すると「イエス・キリストにおいてあなたがたに示された神の意志である」と訳すことができます。

今「神の意志である」と言いました。新共同訳は「神が望んでおられることです」と訳しています。原文はセレマ・セウーです。セレマは「御心」とも「定め」とも「計画」とも訳すことができます。

つまりセレマ・セウーは「神の御心」であり「神の定め」であり「神の計画」です。ですからここでわたしたちが考えなければならないのは、パウロが書いている三つの命令はどれも、わたしたち人間の側に主導権があるのではなく、すべては神の側に主導権があるということです。

その意味は、喜びについても、祈りについても、感謝についても、そうすることがわたしたちにできるように神がしてくださっているということです。神はわたしたちをなんとかして喜ばせようとしてくださっていますし、わたしたちがなんとかして祈り続け、なんとかして感謝し続けることができるように、神がわたしたちの信仰をしっかりと支えてくださっています。

同じことを別の言葉で言い換えておきます。

喜びについても、祈りについても、感謝についても、それらすべての根拠はわたしたち人間の側にもこの世界の側にもありません。それはそのとおりです。しかし、ここから先の理屈を説明するのが難しい。人間の側にも世界の側にも根拠はないのですが、しかしその根拠を神が人間と世界に何とかして与えようとしてくださっているので、喜び、祈り、感謝するための根拠がわたしたちの側に次第に生み出されていくのだということです。

しかし、新共同訳のように「神が望んでおられることです」と訳してしまいますと、私の感覚がひねくれているだけかもしれませんが、まるで神と我々との間に距離があって、神が遠くから、喜びもせず祈りもせず感謝もしないわたしたち人間に対していつも不満を抱いておられるかのようです。「お前たちに期待して、せっかく大きな愛と恵みをくれてやっているのに、お前たちは一向に私の望みをかなえてくれない」と言いたそうに。

私が申し上げたいのは「決してそういう意味ではありません」ということです。わたしたちはすでに喜んでいます、祈っています、感謝しています。そういう人生を、すでに歩んでいます、続けています。その歩みはすでに始まっているのです。

それをこれからも長く続けていくことができるように、イエス・キリストにおいて神が、わたしたちの存在をしっかりと支えてくださることを信じようではないかという、未来をめざす希望のメッセージがここに記されているのです。

以上が今日の御言葉の辞書的な意味の説明です。これからお話しするのは現代に生きるわたしたちにとってこれらの言葉がどのような意味を持っているのかということです。二つ申し上げます。

第一は、これらすべてはキリスト教会に宛てて書かれた言葉であるという意味で「教会のための言葉」であるということです。「教会を見つめる視点」を失うとほとんど意味不明な言葉であるということです。

その場合の「教会」は個人にとどまらない人間集団としての共同体を指します。喜びも祈りも感謝も、それをいつもする、絶えずする、いかなる状況の中でもするというのは、個人には不可能です。個人的に解決できる問題ではありません。

そうではないでしょうか。皆さんはおできになりますか。私は無理です。「牧師のくせに何を言う」と思われそうですが、私は無理です。不可能です。個人では無理です。私などはほとんど毎日怒っています。感謝を忘れて愚痴だらけ不満だらけです。社会に対しても家族に対しても教会に対しても、言いたいことは山ほどあります。

しかしそういうのは孤立を深める道です。言いたいことを言ってしまう。それで周りの人がみんな傷ついて離れていく。まるでこの世界に自分だけがいるかのようです。その自分はいつも被害者意識、劣等感、怒りを抱えて孤立し、絶望しています。そのような出口のない固い殻の中に引きこもった状態から解放される道が「教会」です。

教会に集まるとすぐ分かるのは、みんな同じだということです。みんな不満だらけです。だからこそ、みんなで知恵を出し合って「どうしたらいつも喜んでいられるのか、どうしたら祈れるのか、どうしたら感謝できるのか」を真剣に考えるのが教会です。

そして、そういうことを教会のみんなで一緒に考えることができる、そのこと自体が喜びです。こんな低レベルのことまで(!)一緒に考えてくれる仲間がいると思える、そのこと自体が喜びです。

第二は、だからこそ、わたしたちは「教会」において互いに赦し合わなければならないし、何より「教会を赦す」必要があるということです。私も含めてわたしたちは、たぶん「教会」に不満だらけです。しかしそういうときに「教会には喜びがない。祈りも感謝も足りない」と、まさに今日の箇所の言葉を、教会を裁くための言葉として用いてしまうことがあります。

しかしそれではだめです。それ「だけ」ではだめです。もちろんお互いに対する厳しさが必要な場面もあります。「教会に言いたいことが山ほどある」と私も先ほど言いました。しかしそのほとんどは、よく見ると鏡に映した自分の姿です。

つまりそれはわたしたちが自分自身を受け容れることができていないということです。自分を赦せていない。自分を愛せていない。その赦すことも愛することもできていない自分の姿が「教会」の中に見えてしまうときに、わたしたちは「教会」を裁きはじめます。

しかし、「イエス・キリストにおいて示された神の意志」は、わたしたちが喜び、祈り、感謝することです。そのためにわたしたちが一番最初にすべきことは、自分自身を愛することからです。自分を愛し、自分を赦すところからです。

そして次にしなければならないことは、わたしたち自身が「教会を赦すこと」です。教会はいつも責められてばかりです。文句しか言われたことがありません。そのように感じている牧師や役員はたくさんいます。すべて放り投げて逃げ出したいと何度思ったか分からないほどです。

わたしたちは「教会を赦す」必要があります。そして「教会において互いに赦し合う」必要があります。「教会」をどうか赦してください。

神は「教会」を愛してくださっています。わたしたち自身は、なんだか毎週毎週集まって礼拝して、こんなことに何の意味があるのか、世のため人のために役立っているのかがさっぱり分からなくなっているようなときも、神は「わたしたち教会の存在」を喜んでくださっています。

青戸教会の皆さまのためにこれからもお祈りさせていただきます。2度にわたり説教の機会を与えていただき、本当にありがとうございました!

(2017年6月18日、日本基督教団青戸教会 主日礼拝)

2017年6月15日木曜日

胃痛から解放されました

モバイル系を除いて現在唯一稼働中の6千円中古デスクトップ(2017年3月31日購入)
先週末から続いた胃痛からやっと解放。ほぼ確信。「う」ない。「イテテ」ない。来週日曜の説教原稿のドラフトを急ピッチ書き上げ中。説教「いつも喜んでいなさい」(テサロニケの信徒への手紙一5章16~18節)。胃痛のままで語るのはつらそうだと思っていたテーマだったので解放感謝。解放記念日。

あーしかし、過去4日完全絶食ではなかったが、朝食はのむヨーグルト無糖と野菜ジュースと軽いサンドイッチ、昼食なし、夕食は妻が作ってくれる美味しい料理をちょびちょびつまむだけだったのを胃痛終息と同時にがっつり食べたら、胃がまたびっくりしている。「食べすぎ飲みすぎ」の胃薬飲まなくちゃ。

欲をいえば、中古でなく自作でもない信頼できる高速のWindows10デスクトップパソコンが欲しい。自作機がすべてダメになり、サブもサブもサブサブのつもりで買った6千円中古デスクトップが大活躍している現状。過去の経験からすれば6千円中古はそう長くは持たない。ワンポイントリリーフだ。

しかし、今の窮乏の中での現実的選択肢は、今の6千円中古デスクトップが壊れるまでに新たな6千円中古デスクトップを探してつなぐことだ。そのほうが6万円の新品を買うより得策だろう。それにしても今夜の月はなんとも不気味。肝臓が悪そうな黄疸色のガイコツ顔。まるで私の近未来。人生は実に楽しい。

2017年6月14日水曜日

「転々としていた」わけではないです

借家の書斎からの眺め
涼しい風に乗って、近所のどこかの小学校か中学校で運動会をしているらしい声や音が私の書斎まで聴こえてくる。定番の行進曲、エイエイオー、キャーワー。楽しそうだなあ。そういえば高校はもうすぐ文化祭ですね。大がかりな迷路とか乗り物とか自作映画とか作ってたよね。いっぱい楽しんでくださいね。

実は先週末から胃が痛い。太田胃散を飲んだが効かなかった。太田「漢方」胃腸薬Ⅱを飲んだら効いてきた。「飲みすぎ食べすぎのための胃腸薬ではありません。神経性胃炎、慢性胃炎に効きます」と外箱に。そうか神経性胃炎かと、まるで他人事。珍しく食欲不振。いつもの2割。いろいろダメな今年である。

ちなみに昨日は、朝食がのむヨーグルト無糖(180ml)、伊藤園1日分の野菜ジュース(200ml)、軽いサンドイッチ。昼食は不可。夕食は妻が作ってくれた美味しい酢豚だったのに、お肉とタケノコとニンジンを2つ3つつまんだだけ。それでもうギブアップ。このまま行けばダイエットできそうだ。

自分の弱点を知ることは必要だと思っているが、加齢と共に弱点が増えている。直視に堪えない気分になる。それでも、そこで字を書き続けるのが我々の仕事だよと思っている。疲れたときは「疲れた」と書き、つらいときは「つらい」と書く。そう書いていいんですよと人に勧める以上、自分も実践するのだ。

私の履歴を見て「転々としている」と言われた。精密に書こうとするとそう思われてしまうようだと気づかされた。しかし私に恥じるところは一切ない。すべての移動に理由と「論理」があった。ただ、明かせることと明かせないこととがある。私個人のことならすべて明かせるが、教会側の事情は明かせない。

牧師に転勤があることについてはブログに書いたことがある。なぜ移動が起こるのかといえば、最も大きな理由は「人の命が永遠ではない」ことだ。私が過去に味わった3回の転勤(高知→福岡→山梨→千葉)のうち2回は前任者の突然死だった。あと1回も前任者が病気等で職務継続が不可能になったからだ。

理屈がおかしいと思われるのだろうか。「よその教会の牧師が亡くなろうと病気になろうと、それとあなたがどう関係しているのか。そんなことを今あなたが仕えている教会を離れる理由にするのか。それはあとからとってつけた話ではないか」と。ここまではっきりとでないが近いことを言われたことはある。

しかし、私の場合、転勤だけではない。「1往復」の教団移動がある。それの理由、とくに「復路」の理由が分からないと言われる。それはそうだ。私がそれを明かしていないのだから、誰にも分かるはずがない。それだけは会って話さないと伝わらない。「ネットなんかに書けるかそんなこと」と思っている。

でも、その「会って話す」ところまでたどり着くのが大変だと、ここ数か月痛感している。私の話を直接会って聞いてくだされば、何のことはない、普通の牧師だと分かっていただけるはずだ。「ネットをやめれば」と勧められることもあるが、ネットでも沈黙すると誤解と憶測だけが広められるのではないか。

私には恥じるところはないが、私に責任がなかったと言うつもりは全くない。本当に申し訳ないこともしてきた。そのたびに心からお詫びもしてきた。つい最近も。そんなこんなの中で、すっかり胃が痛い。神経性胃炎になったようだ。太田「漢方」胃腸薬Ⅱ、これから頼りにします。よく効く、いい薬です。

当時のことを覚えている方にぜひ「いいね」を押していただきたいが、私が1998年7月にインターネットを始めた最大かつ唯一の目的は「1997年1月に実行した私の日本基督教団離脱の動機は教団への敵意ではない」ということを東京神学大学の同級生から始めて教団の多くの人に伝えることだった。

1997年1月から1998年7月までの1年半は何をしていたのかといえば、神戸改革派神学校の2年次に編入し、正規の学生として神学の勉強をしていた。新しいパソコンを買うお金もプロバイダに支払うお金もなかったので、インターネットをしたくてもできなかった。1年半の空白の理由はそれだけだ。

そして1998年6月に神戸改革派神学校を卒業し、翌7月に山梨県の改革派教会に赴任して初任給で新しいパソコンを買い、ただちにインターネットを始めた。いちばん最初にメールを送ったのは東京神学大学の同級生の清弘剛生牧師だった。伝えたかったのは「私に教団への敵意はない」ということだった。

そして半年後の1999年2月に「ファン・ルーラー研究会」というメーリングリストを全員東京神学大学の同級生である清弘剛生牧師、土肥聡牧師、生原美典牧師と私の4人で立ち上げた。あのメーリングリストは、その後多くのメンバーを得て教団・教派を超えるつながりになったが、最初は同窓会だった。

そして、その「ファン・ルーラー研究会」における私の動機ないし目的も、ファン・ルーラーの神学を翻訳し研究することは日本基督教団を当然含む日本の教会全体にとって有益であると主張し、啓蒙することだった。それが成功したとは思っていないし、かえって逆効果だった面もあったことを反省している。

そうは言っても「日本基督教団への敵意がないこと」と「日本基督教団への批判がないこと」とは別である。批判はあった。致命的欠陥があると思った。しかしそれを教団は克服した。だから私は、教団はその欠陥を克服しえないとした1997年1月の私の判断を誤りと認め、謝罪して、教団教師に復職した。

そういうことを私は、日本基督教団から離れていた1997年1月から2015年12月までの19年間もずっとしていたし、今日まで継続している。私のインターネット利用の「第1の」動機は「岡山に住む父親への近況報告」だが、「第2の」動機は「日本基督教団の人々への近況報告」であり続けている。

2017年6月11日日曜日

その門の中に入ろう(千葉若葉教会)


ヨハネによる福音書3章4~5節

関口 康(日本基督教団教師)

「ニコデモは言った。『年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。』イエスはお答えになった。『はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。』」

ヨハネによる福音書の学びの3回目です。3章に入ります。今日の箇所に登場するのは、ニコデモという人です。そしてイエス・キリスト。2人の会話が記されています。

ニコデモはヨハネによる福音書の中に今日の箇所を含めて3回登場します。しかも、かなり重要な場面で登場します。しかし、他の福音書には登場しません。その意味でニコデモは「色濃くヨハネによる福音書的な存在」であり、「この福音書を読み解くためのキーパーソン」です。

そこで、今日の箇所に入る前に、この福音書の中にニコデモが出てくる場面をすべて見ておきます。この人の個人情報を集めておきます。

まず最初に登場するのが3章です。今日の箇所です。「ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった」(1節)。

これで分かるのは、ニコデモはユダヤ教の教師(ラビ)であり、ユダヤの最高法院(サンヘドリン)の議員であったということです。最高法院とは70人の議員と議長・副議長で構成されたユダヤの最高権力者会議です。少数精鋭のスーパーエリート集団です。ニコデモはその一員でした。

しかもニコデモは「ファリサイ派」の人でした。パウロも回心前はファリサイ派に属していました。最高法院の与党です。強い権力をもっていました。自分たちの意思決定が国民全体を支配するだけの力を持っていました。その一人のニコデモは世間的に偉い人でした。大物でした。今で言えばテレビ的有名人のような存在だったと想像できます。

ニコデモが2回目に登場するのは7章50節以下です。「彼らの中の一人で、以前イエスを訪ねたことのあるニコデモが言った。『我々の律法によれば、まず本人から事情を聴き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか。』」

7章には、最高法院の人々同士の会話が記されています。そこにニコデモの発言が記されているということは、彼は最高法院の議員たちの中で発言力を持っていたし、実際に発言していた人であるということです。

そして、この福音書の中での3回目、最後にニコデモが登場するのが19章39節です。それはイエスさまが十字架から引き下ろされ、墓に葬られる場面です。そこにニコデモが登場します。「そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことがあるニコデモも、没薬と乳香を混ぜた物を百リトラばかり持ってきた」(19章39節)。

1リトラ326グラム。100リトラはその百倍。32.6キロ。米俵1俵60キロの半分以上です。それをニコデモがイエスさまの埋葬のときに、おそらく自分で抱えて持ってきたというのです。それを運ぶ姿がとても目立つというほどではなかったかもしれませんが、ニコデモ自身がそれをイエスさまの体に塗ったりかけたりしていたとすれば、その姿が目立たなかったというのは、ありえないことです。

ヨハネによる福音書の中でニコデモが登場する場面は、以上の3箇所です。はっきり分かるのは、彼の態度が少しずつ変化していることです。それはイエスさまと自分自身の関係についての態度決定の変化です。最初がどうだったのかは今日これからお話しします。はっきり言えば、隠していました。だれにも知られたくないと思っていました。

しかし、2回目に登場するときは、最高法院の中で事実上イエスさまをかばう発言をしました。ただし「律法にはこう書いてある」と法律論議に終始しました。あくまでも自分自身は中立の立場に立っているという装いをもって。

しかし、そういうのは見抜く人はすぐに見抜くわけです。他の議員たちから即座に反発を食らっています。「あなたもガリラヤの出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる」(7章52節)。イエスをかばう理由でもあるのかと疑われています。それにニコデモは何も答えることができません。

そして3回目。イエスさまの埋葬の場面でした。ニコデモはもはや誰はばかることなくイエスさまの前に立ちました。ただし、そのときはすでにイエスさまは息を引き取られた後でした。

そろそろ今日の箇所に入ります。「ある夜、イエスのもとに来て言った。『ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです」(2節)。

この文章の中で重要な言葉は「ある夜」です。このようなことを言うために、ニコデモがイエスさまのもとに「夜」に来た、というのが最も大事なことです。誰にも見つからないように、夜の闇に隠れて、こっそり来たのです。

「臆病者だ!」と思われるでしょうか。「イエスさまのことを信じる気があったのなら、どうしてただちに公の場で堂々と信仰を告白しなかったのか」と思われるでしょうか。そうかもしれませんが、そうでないかもしれません。

ニコデモの立場をよく考える必要があります。もしニコデモがイエスさまに会いに行ったことが世間に知られたら、その時点で議員資格を剥奪され、地位も権力も失い、その立場でしかできないことができなくなったでしょう。それだけで済まず、ニコデモ自身が殺害された可能性があります。そのほうが良かったでしょうか。すべてを捨てて命を捨てることが信仰でしょうか。

私は別の可能性を考えます。だれでもなれるわけではない特別な立場にとどまりながら、あえて隠れてイエスさまから指導を受けるという選択肢もありうるのではないでしょうか。そのほうが現実的に賢明であり、多くの人々に貢献できる道ではないでしょうか。

そのニコデモに対してイエスさまは言われました。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることができない」(3節)。

そのようにイエスさまが「はっきり」言われましたが、ニコデモには意味が分かりませんでした。それで彼は聴き返しました。「ニコデモは言った。『年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母の胎内に入って生まれることができるでしょうか』」(4節)。

これはニコデモの勘違いというより、イエスさまの側の言葉足らずです。こういう誤解をされることをイエスさまが言われたのです。ニコデモは、「新たに生まれる」というのは、お母さんのおなかの中に戻ってまた出てくることでしょうか、そういうことは現実的に不可能ですよねと言っているわけです。現実的で常識的な考え方の持ち主であることが分かります。

イエスさまも決してそういう意味で言われたわけではありません。全く別の意味です。「イエスがお答えになった。『はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない』」(5節)。

ここは簡単に言っておきます。これは「洗礼を受けなさい」という勧めです。なぜ「水」なのか「霊」なのかの説明は長くなるのでやめておきます。イエスさまが水で洗礼を授けられたのはバプテスマのヨハネから受け継いだものです。しかし、ヨハネの洗礼とイエスさまの洗礼は本質的に違います。どこが違うかの説明を始めると、これも長くなりますのでやめておきます。

今確認する必要があるのは、ニコデモへのイエスさまのお答えの「水と霊とによって生まれること」が「新たに生まれること」の意味であり、それは「洗礼を受けること」を意味するということだけです。それで十分です。

それでは「神の国に入ること」のほうの意味は何でしょうか。これも説明が難しいです。しかし、これを「それは天国に行くことです」と言えば、話が分かりやすくなるかもしれませんが、逆にかなりの注意が必要になります。

なぜなら「それは天国に行くことです」と聞けば、わたしたちの多くがほとんどただちに「死ぬこと」を連想することになるからです。「天国」とは「死後の世界」を意味すると多くの人が思い込んでいます。それを含まないわけではありませんが、それはいわば「天国」の狭い意味です。

「天国」と「神の国」は同じです。それは「死後の世界」などよりはるかに広い意味です。聖書の意味での「天国」または「神の国」は「神の支配」を意味しています。それは生きている間に十分に味わうことができます。

「神の支配」とは天地創造の初めから神の被造物すべてが神の支配下に置かれていることを意味していますので、その意味での「神の国」は死後の世界どころか神が創造された天地万物のすべてです。イエスさまがニコデモに求めた「神の国に入ること」も天地万物が神の支配のもとにあることを信じつつ生きることを意味していると考えるべきです。

それは「洗礼を受けなければ天国に行けません。だから洗礼を受けなさい」という話とは次元が違うことです。そのような単純な説明には人を傷つける要素があります。洗礼に脅迫の要素が混ざりはじめます。「洗礼を受けないと地獄に堕ちますよ」と脅迫しているのと同じですから。

イエスさまが言われているのは、そういうことではありません。あえていえば、パラダイムシフトです。「新たに生まれる」と聞けば「母の胎内に戻って再び生まれなおすこと」しか連想できないその発想そのものを根本的に変えることが求められています。

何度母の胎に戻って生まれなおしても、生まれたままの人間は「罪」から逃れることができません。そのわたしたちが生まれながらに持っている「罪」の性質が根本的に造りかえられないかぎり、地上の世界は「罪」の闇に被われたままです。

その「罪」から救い出されることが「新たに生まれること」の意味です。そして、そのわたしたちの「罪」の中からの救い出しのしるしが「水と霊の」洗礼です。イエスさまが言おうとしておられるのは、そのようなことです。

しかし、ニコデモはそのときすぐに洗礼を受けることはできませんでした。イエスさまの埋葬の日に至るまで、彼が洗礼を受けた形跡はありません。その後どうなったかはヨハネによる福音書だけでは分かりません。

しかし、少しずつ変化していった人であることは確認できます。自分の立場や生活を考えるとこの思いを公にすることはできない。しかし「洗礼を受けたい、イエス・キリストの弟子になりたい」という願いを内心に秘めている。ニコデモは「間に合いませんでした!ごめんなさい!」と人目をはばからず泣きながら、イエスさまの体に没薬を塗っていたかもしれません。

そういう方は大勢おられます。私もそのことを存じています。自慢で言うのではありませんが、これまでの私の牧師としての働きの中で、70歳を越えられてから洗礼を受けられた方が7人おられます。

その方々が一様におっしゃったのが、「本当はもっと早く洗礼を受けたかったのです」ということでした。ある方は法務省の元官僚。ある方は東京都庁の元職員。ある方は東京都立中学校の元校長。ある方は元会社社長夫人。ある方は全国新聞の元記者。

「子どもの頃に教会に行っていました」という方や「家族の中にキリスト者がいました」という方もおられました。「しかし、職務の性質上、厳しい制約があり、中立を求められました。だから、今の今まで洗礼を受けることができませんでした。申し訳ありません」とおっしゃいました。

その方々は私の親と同じ世代でしたから、私のことを子どものようにかわいがってくださった面もあります。その方々に私が繰り返し申し上げたのは、「洗礼に『遅い』ということはありませんから、大丈夫ですよ。安心してくださいね」ということでした。

教会は「ニコデモさん」を歓迎いたします。「遅い」ということはありません。どうぞ安心して、その門の中にお入りください。

(2017年6月11日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)

2017年6月7日水曜日

礼拝堂ブライダルの打ち合わせをしました

今日(2017年6月7日水曜日)は日本聖書神学校(東京都新宿区)で、これからしばらく私も司式に加わる礼拝堂ブライダルについて責任者の高橋博先生(日本基督教団新丸子教会牧師)と打ち合わせを行った。平日日中の都内は車が少なく快適ドライブ。帰路、東京ドーム(東京都文京区)の横を通った。

日本聖書神学校(東京都新宿区)
東京ドーム(東京都文京区)

2017年6月4日日曜日

八幡鉄町教会のペンテコステ夕拝に出席しました

日本基督教団八幡鉄町教会(福岡県北九州市)
今日(2017年6月4日日曜日)日本基督教団八幡鉄町教会(福岡県北九州市八幡東区末広町4-15)を20年ぶりにお訪ねしました。ペンテコステ夕礼拝に出席し、松原望牧師の説教を拝聴しました。私は1996年4月から1997年1月までこの教会の牧師でした。懐かしい良い思い出の多い町です。

聖霊が希望を生み出す(下関教会)

日本基督教団下関教会(山口県下関市)
使徒言行録1章6~11節

関口 康(日本基督教団教師)

「さて、使徒たちは集まって、『主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか』と尋ねた。イエスは言われた。『父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。』こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。『ガリラヤの人たち、なぜ天を見つめて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。』」

下関教会の皆さま、おはようございます。イースター礼拝で説教させていただきました関口康です。ペンテコステ礼拝にもお招きいただき、ありがとうございます。今日もよろしくお願いいたします。

自分で言わないほうがよさそうなことですが、イースター礼拝とペンテコステ礼拝が同じ説教者であることは、神学的に正しいことです。2つの出来事にはつながりがあるということを鮮やかに示すことができるからです。

事実、2つの出来事は密接に関連し合っています。いわば続きものの話です。どちらか一方の出来事だけでは完結しません。ですからペンテコステ礼拝でも説教をさせていただけることになったときには腕が鳴るものがありました。

しかし、問題はそこから先です。イースターとペンテコステとの間に何回日曜日があるでしょうか。6回です。つまり、2つの出来事は7週離れています。1週は7日、7週は49日。その翌日の50日目がペンテコステです。ユダヤ教の「過越祭」の安息日の翌日、それがイエス・キリストが復活されたイースターの日曜日です。その日から数えて50日目に行う「五旬祭」がペンテコステというヘンテコなカタカナ言葉の意味です。ペンテコステとは「50」という数字を意味しています。

その50日間を私もこのたび強く意識しながら過ごしてみて分かったのは「50日はけっこう長い」ということでした。その間に6回の日曜日がめぐってきました。その間私は何をしていたかといえば、ほとんどすべての日曜日はいろんな教会で説教していました。

そうなるとどうなるかお分かりでしょうか。1回1回が新しい出会いの連続で、とても緊張します。しかも、説教させていただくときはその教会の方々だけを愛し、その教会の方々のことだけを考えながら説教します。別の教会に行けばその教会の方々を愛します。そういうことをしていますと、過去の記憶は加速度的に薄れていきます。

いま私は自分のことを話しているだけのようですが、そうではありません。今日の箇所に登場するイエス・キリストの弟子たちも、私が味わったのと同じ気持ちを味わったのではないかと思うのです。

当時の状況を想像してみるに、イエスさまの弟子たちはイースターとペンテコステの間に何をしていたのかといえば、毎週日曜日に集まって礼拝していたと考えられます。当時も今も同じように7日ごとに日曜日がめぐってきたし、そのたびに礼拝し、説教を語り、聴き、祈りをささげていました。

たとえそのようにはっきりと聖書に書かれていなくても、事実そうなのです。彼らが日曜日に礼拝をしなかったことはありえないのです。聖書に書かれていないことは彼らがしていなかったかというと、その理屈がおかしいわけです。それが彼らの「生活の座」(Sitz im Leben)だったのです。

ですから、今日の箇所の最初の「使徒たちは集まって」の「集まって」は、単なる集まりではなく、ほとんどそれは「教会」を意味すると考えるべきです。わたしたちが今、この教会に集まって礼拝をささげているのとほとんど同じ状況に弟子たちが立っていた様子を想像すべきです。ただし、それは日曜日ではなかったと思われます。その理由はあとで述べます。

しかも、1章3節以下には「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された」と記されています。

これで分かるのは、イエスさまがその復活された姿を現わしてくださったのは40日だけだったということです。ペンテコステまで、あと10日足りません。しかも40は7で割り切れません。イースターから40日目は日曜日ではなく木曜日です。

それはつまりこういうことです。イエスさまは今日のペンテコステ礼拝の先々週の礼拝にはお見えになりましたが、先週の礼拝にはお見えにならなかったということです。弟子たちは、せっかく復活してくださったイエスさまの姿がどこにも見当たらない、寂しくて不安な10日間を過ごしたのです。

それで今日の箇所に記されているのがイースターから40日目の出来事です。ここに記されていることをひとことでいえば、イエスさまのお別れの挨拶です。寂しい言い方はしたくないのですが、そうとしか言いようがありません。

弟子たちがイエスさまに尋ねました。「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」(6節)。

原文に基づいて私なりに訳してみました。「主よ、イスラエル王国をあなたがこの時代に取り戻してくださいますか」。

どこかで聞いたことがある言葉にしてみました。「取り戻す」。それは、今は自分たちの国や社会の本来の形を失っている状態なので一刻も早く本来の形を取り戻したいと願っている人々の言葉です。

それはきわめて《後ろ向き》の考え方です。過去の栄光にしがみついています。「我々はこんなはずではない」と嘆いています。現実を受け入れることができずにいます。「我々は一生懸命がんばってきた。それでも今の状態なのだから、我々の責任ではない」と言いたがっています。

そして、「今の状態が我々の本来の姿を失っているのは、強くて悪い敵がいるからだ。これまでのリーダーが弱すぎたのだ。政治が悪い、社会が悪い」と責任を転嫁したがっています。だから我々の本来の姿を「取り戻す」ための強いリーダーが必要なのだ。「それはあなたですか。それはいつですか。今ですか」と、イエスさまに食い下がっています。

ですから、もしそこでイエスさまが「わたしが取り戻す。ただちに取り戻す」とお応えになれば、たちまち英雄です。拍手喝采です。しかしイエスさまは、それを聞くと弟子たちが必ずがっかりしたであろうことをお答えになりました。

「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない」(7節)。

私なりの訳は次のとおりです。「時代(クロノス)やタイミング(カイロス)は、あなたがたには分からない。それを決めるのは御父の権限である」。

そして「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(8節)。

私の訳は次のとおりです。かえって分かりにくいかもしれませんが、原文どおりです。「あなたがたの上に聖霊が臨むと力の受領が起こる。エルサレムでも、ユダヤとサマリアの全土でも、地の果てまでも、あなたがたが私の証人である」。

新共同訳聖書は「わたしの証人となる」と訳していますが、原文は英語のbecomeではなく、be動詞です。「である」です。「あながたが私の証人である」。その意味は、聖霊を受けた人は、それまでとは違う、まるでスーパーマンやウルトラマンのような特殊な存在へと変身するわけではないということです。昨日も今日も変わらない同じ人間が「主の証人である」と任命されるだけです。

イエスさまのお答えの趣旨ははっきりしています。イスラエル王国を取り戻したいなら、それは私の仕事ではなくて、あなたがたの仕事であるということです。聖霊によって力を受けるのも、わたしの証人であるのも「あなたがた」なのですから。

そして、イエスさまは「彼らが見ているうちに天に上げられ」(9節)ました。「私が一緒にいるとあなたがたはいつまでも自分の働きと責任を自覚しないから、そろそろいなくなるので後はよろしく」とおっしゃりたいかのように。

イエスさまの姿が見えなくなっても、弟子たちは「天を見つめて」(10節)いました。先ほどまでイエスさまに「あなたですか、今ですか」と食い下がっていた弟子たちは《後ろ》を向いていました。過去の栄光にしがみついていました。しかし、次は《上》を向き始めました。天を見上げ始めました。「イエスさま、行かないでください」と言いたそうに。

すると彼らは白い服を着た二人の人に叱られました。おそらく天使です。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見つめて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」(11節)。

天使たちが弟子たちに言おうとしているのは、あなたがたは目を向ける方向が間違っているということです。《後ろ》ではないが、《上》でもない。《前》を向きなさいと言っています。

なぜなら、天に上げられたイエスさまが再び戻ってこられるのは、あなたがたが生きているこの地上の世界なのだから。あなたがたが目を向けるべき先は、《後ろ》すなわち過去ではなく、《上》すなわち地上を離れた天でもなく、《前》すなわち地に足をつけたままたどり着くことができる、我々の現実の世界の未来である。

今日の説教に「聖霊が希望を生み出す」と題をつけました。これはパウロの言葉に基づいて考えた題です。

「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」(ローマの信徒への手紙5章4~5節)。

わたしたちは、この言葉の意味をよく考える必要があります。出発点は「聖霊」です。「聖霊」が与えられているわたしたちの心に「神の愛」が注がれています。

しかし、そのわたしたちに「苦難」が訪れます。そこで求められるのが「忍耐」です。それは我慢することです。特別な意味を考える必要はありません。そして我慢すれば、我慢した分だけの忍耐力がつきます。それが「練達」です。「練達」が身について初めて「希望」を語ることができるようになります。

その希望はわたしたちを欺きません。虚偽でも詐欺でもありません。輝かしい将来を見ることができる日が来ます。そのような意味での「希望」です。それは「苦難」と「忍耐」と「練達」を経てようやくたどり着ける希望です。

しかし、忘れてはならないのは、その最初の「苦難」を「忍耐する」のは、あくまでも「わたしたち」であるということです。イエス・キリストが「私の身代わりに」忍耐してくださるわけではありません。この文脈に「身代わり」の話を持ち出してはいけません。そういうのは聖書の教えの曲解です。

今申し上げたことは、身も蓋もないような話です。宗教の話というよりは普通の話です。そうです。聖書の教えは普通の話です。わたしたちはスーパーマンにもウルトラマンにも変身しません。人間のまま「希望」をもって、喜びをもって生きていくことができます。ただし、そのためには「苦難」と「忍耐」と「練達」を通り抜ける必要があります。

しかし、今日私がお話ししているのは、皆さんに「何かを言いに」来たというのではなく、私自身に言い聞かせていることです。《後ろ》でもなく《上》でもなく《前》を向く。過去にしがみつくのではなく、地上に絶望して天を見つめるのでもなく、地上の未来を見つめる。それは今の日本の教会と牧師に強く求められていることです。

そのとき「聖霊」がわたしたちをしっかりと支えてくださいます。「聖霊」とは端的に「神」です。聖霊なる神がわたしたちをしっかりと支えてくださいます。使徒パウロの言葉の途中を省いて言えば「聖霊が希望を生み出す」のです。

(2017年6月4日、日本基督教団下関教会 ペンテコステ礼拝)

2017年6月2日金曜日

わが體を打ち擲きて之を服従せしむ

息子のオレゴンの友人から贈られた大切な置時計

言わずもがな書かずもがなだが、私には恥ずかしい過去はないし、私は自分の過去を恥としない。私が恥じられることはあるだろう。存在してごめんなさい。しかし多くの人に支えられてきた。私が自分の過去を恥じるとは、私を支えてくださった方々を恥じることを意味してしまうので、それはありえない。

私には、人生の始まりと共に教会があったからだ。教会に支えられ、教会を軸として生きてきた。生活や働きの場が定点にとどまっていたわけではない。しかし、同じひとつの教会であると信じることができたし、事実そうだった。私が過去を恥じるとは教会を恥じることを意味してしまうので、それはありえない。

もちろん、家族「にも」友人「にも」社会「にも」支えられてきた。そのこと「にも」感謝している。と思っているところがあるので、どうやらこのあたりが嫌がられる。優先順位がおかしいぞと非難されてしまうところがある。そうかもしれないが、反省が難しい。私から「教会」を引いたら何も残らないから。

遺書を書いているわけではないのでご心配なく。明日ジェットに乗る。飛行機に乗る前に遺書を書くという方は一定数おられるようだ。真似をしているわけではない。まだ終わるわけにはいかない。日本の教会が今のままでよいわけがない。どうすればよいかを神に祈りつつ考え、決意を新たにしているだけだ。

昨日の昼、冷たいうどんが食べたくなって、ひとりで近所のうどん屋で食べた。その夜、家族が職場や学校からそれぞれ帰宅し、妻が作ってくれた夕食は、冷たいうどんだった。とても冷たくて、とてもおいしかった。私が注文したわけではない。30年一緒に生きたら黙っていてもこうなる。ありがたいことだ。

さて原稿だ。タイムリミットは近い。「斯く我が走るは目標(めあて)なきが如きにあらず、我が拳闘するは空を撃つ如きにあらず。わが體(からだ)を打ち擲(たた)きて之を服従せしむ。恐らくは他人に宣傳(のべつた)へて自ら棄てらるる事あらん」(コリント前書第九章二十六、二十七節)の心境なり。

またしても日付が変わるころを迎えてしまった。明後日の説教原稿をただいま脱稿。これから休んで明朝のフライトに備える。ジェットだジェット。飛行機はキライではない。宇宙に行きたい。いや、行きたくない。おうちがいいや。いちばん安心する。冒険心ゼロだ。だめだこりゃ。伝道しろ伝道。マッチョ。

コリント前書も超訳しとくか。「ゴールくらい分かって走ってるわ。パンチもエアじゃねーつの。ちゃんと当てますから。倒すぜ。自分が言ってることを自分ができてないってんじゃ最悪じゃんね。先生とか名乗ってんじゃねーよと言われてもごもっとも。自分の体をタコ殴りしてがんばるから。応援してね。」

2017年6月1日木曜日

説教は「新しい言葉」である(ランゲ)

J. H. ファン・デア・ラーン『エルンスト・ランゲと説教』(1989年)

明後日土曜はジェットで移動する日で、ラップトップを持っていないので、説教原稿は明日金曜までに仕上げなくてはならないが、どうにもまとまらず心理的に追い詰められている。6月から急に怒涛の忙しさになることは自分で求めたことでもあり、もちろんあらかじめ分かっていた。うれしい悲鳴ではある。

「何を今さら」とか「当たり前だろ」とか言われそうだが、心理的に追い詰められて頭を掻きむしりたいときこそギリシア語新約聖書を開いてひとつひとつの語や文の意味を辞書で調べることの大切さを実感する。そこで気づいたことや考えたことをそのまま字にしていくと「新しい言葉」の土台が見えてくる。

説教とは「新しい言葉」であると私がとらえるようになったのは、オランダの説教学者J. H. ファン・デア・ラーン(van der Laan)の博士論文『エルンスト・ランゲと説教』(Ernst Lange en de Prediking, 1989)を何年か前に手に入れたときからだ。

エルンスト・ランゲ(Ernst Lange)は1927年に生まれ1974年に亡くなったドイツの牧師であり実践神学者である。経歴がウィキペディア(ドイツ語)で紹介されている。写真もネットで検索すれば出てくるが、かなりのイケメンである。

このランゲの説教と説教理論(説教学)を研究して博士論文を書いたのがオランダ人のファン・デア・ラーン(Jaap H. van der Laan)である。その博士論文の指導教授は「オランダ神学の三巨頭」のひとりと名指されるG. C. ベルカウワーの弟子であるクラース・ルーニアである。

このファン・デア・ラーンの博士論文の中に「新しい言葉」(Neues Wort)というタイトルのサブセクションがある(J. H. van der Laan, ebd, 1989, 118v)。そこで「新しい言葉」こそがランゲの説教学を理解するための鍵となる概念であると言われている。

そしてファン・デア・ラーンは、ランゲが説教をどのような意味で「新しい言葉」であるととらえていたかを次のように要約している。

「聖書テキストから我々の状況へ、そしてまた我々の状況から聖書テキストへというこの往復運動の末にたどり着く答えは『新しい言葉』(Neues  Wort)である。我々はそれを根本的にとらえるべきである。説教が『神の新しい言葉』(neues Wort Gottes)であるかどうかは問われていない。しかし『教会の新しい言葉』(neues Wort der Kirche)であるかどうかは問われているのだ。」(Van der Laan, 120)

今書いていることは知ったかぶりのつもりはない。私は本当に感動し、慰められたのだ。我が意を得たりとも思った。教会の牧師として毎週毎週、たった1回しか使うことなくただ廃棄するしかない原稿を何時間もかけて書いてきた。これが「新しい言葉」でないなら何の意味があるだろうと何度思ったことか。

「それは奇をてらう言葉なのか」とか「最新流行を追う言葉なのか」とか問われることになるのだろうか。そのようなことを私が言いたいのではないし、ランゲもそのようなことは言っていない。ああ言えばこう言う式の面倒なやりとりは望まない。「新しい言葉」は読んだ字のとおりだ。他に言いようがない。

私が言いたいのは、聖書テキストと我々の状況との間の「ギャップの橋渡し」(bridging the Gap)を担うのが説教の役割であることは明白であり、かつ我々の状況のほうが絶えず変化している以上、毎週の説教が「同語反復」であることはありえないし、あってはならないということである。

なんだのかんだの考えているうちに日付が変わる時刻になったので、これにて終了。説教ではなく説教論に時間を費やすことになった。まあよい。これも大事なことだ。視座が定まらないと論旨も定まらない。