2017年5月9日火曜日

私は復活の神学のほうがいいや

Windows10 Creators Updateの「ディスプレイ夜間モード」は眠い

幸い私は、というか牧師たちは(とあえて言わせてもらう)「自分がどこから来てどこへ行くのか」を知っている。自分の出発点を覚えているし、目標も分かっている。そういう心の支えがあるので、たとえ生活環境に乱高下があろうと、大いに狼狽えはするが(するんだ)、自己崩壊まではなかなか至らない。

私は復活の神学のほうがいいや。十字架上で絶望して絶叫した存在のままでいてくれるメシアのほうが自分と重ね合わせられる身近な存在なので、自分以上の存在を認めなくて済んで「慰められる」のでプライドが傷つかなくて済むかもしれないが、そういうのはごめんだ。プライドなんかいいかげん捨てろよ。

メシアは復活したが40日したら「昇天」して弟子たちの前から姿を消した。弟子たちは結局置いてきぼりにされたし、自分たちで全部やらなくてはいけなくなった。それが大事なんだよ。「慰め」で終わるとか、はあ?だよね。ありの~ままで~レリゴーレリゴーって言ってもらえるの未成年までじゃないの。

宗教はアヘンだと言った人がどういう理由や根拠でそう言ったのかを調べたこともないし興味もないが、分かるところは大いにある。ありの~ままで~レリゴーレリゴーの線で、あなたのままでそのままで受け容れられているとか言ってもらえる「慰め」だろ。まずいよね。人の自立と成長を阻むものがあるよ。

そういうのがイヤだから牧師になったんだけど。牧師の説教がどうしても納得できなくて、だけど教会や聖書の教えそのものが間違っているとは思えなくて、だったら自分で調べるしかないじゃんという結論が出て、自分が牧師になろうと思っただけだ。それが自立と成長でしょうに。「慰め」が動機ではない。

他人の失敗談とか大好きな人たちいるよね。自分と同じだと「慰め」られるようだけど。一緒にしないでほしいんだけど。そのうち思いっきり振り切って逃げられるよ。そのときまたそのプライド傷つくんじゃない。もっとどん底味わうよ。その覚悟があるならいいけど。「慰め」で終わるなよ、お願いだから。

日本だけではないと思うがとりあえず日本で牧師をしている者たちは、そもそもの最初からマイノリティの極致だったし、ずっとそうだし、死ぬくらいまでそうなので、要は基本が最底辺だということで、乱高下の「高」の状態をほとんど知らないし、ほとんど信用していないところがある。それが強さになる。

それと、神学や教会論を「狭く」切り取ってとらえる立場に立つとか、ピンポイントの聖書箇所についての釈義的な大発見の上に立つ神学(〇〇の神学)のようなものに全体重を乗せてしまうと、自己矛盾に耐えられない状況が訪れるのが早まる可能性が高いので、「論理的な自己崩壊」は比較的起こりやすい。

その手の「狭い」神学にありがちな「あれか・これか」の決断主義はナイーブになりやすい。「あれも・これも」受け容れる包容力というか、ルーズさを身につければ、少なくとも「論理的に」自己崩壊することは免れられる可能性が高くなるし、交友関係が広がり、助け合いの幅が広がる。これも強さになる。

Windows10のCreators Update(バージョン1703)をインストールしたとき加わったらしき「ディスプレイ夜間モード」という新機能に昨夜気づいてさっそく試している。睡眠障害の原因になるブルーライトを抑えているのは分かるが、これなんだか眠くなる。やる気スイッチオフ。