2015年6月18日木曜日
ポケモン、ゲットだぜ!
「大学生になってもポケモンで遊んでいるのはどうなのか」が2年ほど前から一部で話題になっていたことを、遅ればせながら知った。うちにも大学生がいるので、少なくともどういう経緯で彼らがそうなったかは私にはよく分かる。納得もできる。ついに新しい面白い時代を迎えたようだという喜びさえある。
聞くところによると、今やポケモンの世界大会というのがあるという。日本を含む各国の予選を勝ち抜いた王者たちが、世界大会に集まる。その頂点に立つのは大学生たちだ。すてきな話ではないか。全くもってスゴイ時代になったものだ。彼らの親の世代に属する私は、ただ驚きと感動を覚えるばかりである。
「ポケモン」だと文句を言われるなら他のゲームならいいのかなど言い出せばきりがない。それより私が考えるのは、今年50の私の世代と今の大学生の比較だ。比較というより同質性を感じる。仮の話にしかなりえないが、もし40年前に「ポケモン」があれば、我々はたぶん今でも続けているだろうと思う。
つまり、両者の違いは、40年前に「ポケモン」がなかったというだけだ。今の大学生は50になっても70になっても90になってもポケモンバトルをし続けるだろうと私は思う。そのほうが健全だ。たとえCGであれ人の姿をした相手と殺し合いをするゲームに没頭しはじめるくらいなら、はるかに健全だ。
私が小学6年のとき『アニメージュ』という雑誌が創刊された。創刊号を私は当時、自分で買った記憶がある。家の近所の本屋でそれを買う瞬間に抱いた感情の中身まで、昨日のことのように思い出せる。とても恥ずかしかった。からかわれるのがオチだから、これ買ったことを学校の友達に言えないと思った。
でも、それでは当時、『アニメージュ』創刊号を買った小学6年生の私が、からかわれるに決まっているから学校の友達には絶対言うまいと思ったときに浮かんだ同級生たちがどんなことに興味を持っていたかといえば、たのきんトリオだピンクレディーだ。いま思えば「大差ない」。校内暴力が流行した時代。
ならば、今年50のあなたは今でも『アニメージュ』買えるのですかと聞かれれば、「そりゃ無理だ」と応える。しかし、当時見たアニメは今でもかなり覚えているし、何度見ても面白いものは面白い。つまらないものは、申し訳ないが、淘汰される。40年後に見なおしても新鮮な感動を覚えるアニメはある。
しかし、今書いているのは、私の思い出話ではない。「大学生になってもポケモンで遊んでいるのはどうなのか」という一部の問いかけに対する答えを考えている。「大学生になってもポケモンで遊んでいる」人たちを全面的に肯定し、擁護したい。そのためにどのように言えばよいか、その論拠を探している。