2015年6月30日火曜日

プリーズ・ウェイト

ゴジラ視線で見た東京(たぶん)
昨夜は重要な会議があったが、体調が思わしくなかったので、事前に連絡してお詫びしつつ欠席させていただいた。血圧が異様に高く、強い派生症状があった。血圧計の写真を添付した欠席届を送り、電話した。じっとしていればさほど問題はなかったのだが、会場まで無事にたどり着ける自信を持てなかった。

ご心配やらいろいろいただいてしまうと申し訳ないと思っているので、自分の不調をネットに書くことがほとんどない私であるが、お許しいただきたい。血圧上昇の原因は分かっているので、それが取り除かれれば復調する。単純な算数の問題だ。引き算するか、足し算するかの違いだけ。ご心配には及ばない。

めしはうまいし、よく眠れる。病院はかかっていない。それがダメだと言われるが、だって医者きらいなんだもん。それでも最近レントゲンとエコーでお腹見てもらったが異常なし。あとは売薬の頭痛薬と胃薬だけ。頭痛薬が続くと血圧が上がる。逆も然り。頭痛薬を減らせられる状況になれば、血圧は下がる。

しかし、頭痛薬はくせものだと感じる。最近ストレス耐性が弱くなった気がする。神経が前より細くなったというか。ついさっきも信号待ちしていたときに横をゆっくり走り抜けた救急車のサイレンの音が神経に障る。目をつぶって歯を食いしばって去りゆくのを待つ感じ。こんなこと前にはなかったと思うが。

話は突然飛躍する。私は前々から書いてきた。何年か前に若くして亡くなられた翻訳者/翻訳研究者の山岡洋一さん(『翻訳とは何か』著者)が改めて惜しいと思う今日このごろだ。今の状況にこそ必要な存在だったと思う。「翻訳」という独特の観点から日本の社会や教育の本質と課題を考え抜いておられた。

山岡先生によれば日本は明治政府以来、国策として「翻訳」を重んじてきた。選抜されたトップエリートの学生と学者に国が与えた仕事は「翻訳」だった。それによって日本人は、たとえまだ完全でないとしてもとにかく自分の母語で世界の名著を読めるし、日本語で世界水準の教育を受けられるようになった。

しかし、日本以外のアジアやアフリカの国は、日本ほど「翻訳」を重んじてこなかった。だから、それらの国ではトップエリートというほどでなくても最終学校歴を欧米の大学に求める人が多い。このあたりは山岡洋一さんが書いていたことか私の読み込みか、少し怪しいが、趣旨はこういうことだったと思う。

べつに私は負け惜しみを言っているわけではないつもりだが、山岡洋一さんの「翻訳」についての考えに強く感銘を受けた。ちょうどその頃だったはずだが、日本のテレビでハーバード白熱教室なる番組が始まり、サンデル教授の講義に接する機会を得た。そして山岡さんの考えが当たっていることが分かった。

サンデル教授とハーバードの学生たちのやりとりを聞いていて思ったことは、これ現地に行かなくてもできるよなということだった。プラトンやアリストテレス、カントやヘーゲルのような古典的な哲学書は日本語版が完備されている。あれを読めばいい。それで「サンデル超え」できる(いやそりゃ無理だ)。

もちろん日本語にはほとんど「翻訳」されたことがない学問分野はいまだにいくらでもあるので、源泉の地で学ぶことの意味を否定する意図は皆無だ。また、純粋かつ単純にハクをつけるためという目的もありだと思う。しかし、日本は「翻訳文化」を国策として選択してきた。そこに、他国との違いさえある。

私が言いたいことは、日本の大学は世界大学ランキングなど気にしなくていいと思うということに尽きる。プラトン、アリストテレス、カント、ヘーゲル、あと聖書、アウグスティヌス、ルター、カルヴァン、ウェスレー、バルトその他を日本語で十分読みうる。これ読んで理解できればサンデル教室と同格だ。

悪い意味の「対米従属」の片棒を担ぐ人々のプライドの根拠が現地の人とツーカーだということであるとしたら(本人たちに聞いたわけではないので想像の域を超えないが)、人脈力においては現地に行ったことがない者たちは彼らにたしかに敵わない。しかし、学術レベルの差まで言われると反発したくなる。

ああ、またちょっと血圧が上がってきたようだ。深呼吸、はふう。気忙しく働いておられる方々には申し訳ないことだが、今日はパソコンの前から離れて休ませていただくほうが良さそうだ。際限なき長寿を求めているわけではないが、しなければならないことがあと少しだけ残っている。プリーズ・ウェイト。

2015年6月23日火曜日

ターボ脳が欲しい

関口壱号機(赤)のデスクトップ
ターボっていうのがあったじゃないですか。今もあるのかどうか知らないけど。私、ターボ車、乗ってましたよ。1Q80年代後半、バブル絶頂期の東京のど真ん中で赤いシルビア1800ZSE-Xターボ。乗ってました乗ってました。いい車でした。今でも思い出すたびにちょっと涙出るほど最愛車でした。

あのターボを我々の脳みそにくっつけたい。あれって単純化していえば排ガスを利用してエンジンをブーストするんですよね。いや、もう、とにかくすごかったです。アクセル踏んだ次の瞬間、ピュンですからね。バックミラーに映っていたはずの後続車が一瞬で消える。ターボこそ加速装置の名にふさわしい。

排ガス利用っていうところが泣けるじゃないですか。要らないものを利用するという、ある意味で究極のエコ。だけど、それで爆走となれば、エコでもなんでもなくなるわけだけど。排気口からチャリンチャリンお金が落ちていく音が聞こえるようでした。燃費は最悪、金食い虫の悪い子シルビアちゃんでした。

いや、だけど、今書きたいのは車の話では全くなくて、脳みその話。「人類よ、もっと勉強せよ」の話。そのために脳みそにターボがあるといいなと思いました。「不要かもしれない大量に流れこんで出ていく無駄情報を利用して真に価値ある知識を増幅できるようにする」ような脳内加速装置があるといいな。

最近しきりに考えていることは、「ネットで発言し続ける凡人」と「ネットでは無言の偉人」のどちらがいいかだなんて、問うこと自体が無駄すぎるほど、前者「発言し続ける凡人」のほうが偉大である、というようなことです。ネット界にいったん足を踏み入れると溺れる。だけどそこであえて発言し続ける。

ネット内の言ってしまえば無駄すぎる情報世界の中に字を書いて、自分の小ささに一憂し、大きな溜息の「排ガス」で次の脳みそタービンを回せるようになったら「ターボ脳」です。そういうあり方を今の私は絶賛します。これから変化するかどうかはともかく、「今の」私は、そういうのが理想だと考えます。

学校で教えられたこと、各界の権威者の発言・書き物、常識や定説、上司から手渡されたマニュアルなど。そういうものの範囲内でいい子にして、おとなしく従っていれば金もらえるんだろという発想が悪いとは言わないし、思わない。だけど、そういうノルマ脳のタービンを「排ガス」でぶん回す必要がある。

ネットで失敗するとでかい。だけど、取り戻すのもネット使えばいい。ネットの人は、基本「指先動かしてるだけ」だから、ほとんど後腐れない。根に持たない。すぐ忘れる。そういう笑える人が多いので(私もそうよ)、ネットでの失敗なんか、ぜんぜん恐れる必要ないと思いますよ。すぐ取り戻せるからね。

「これ以上のことを考えたり、言ったりすることはタブー」とか、もうないと思うんです。だれがどう思うかが気になるので、これ以上のことは書けない。そういうふうに思うのは各自の感覚なのでそれ以上のことを強いることは誰にもできないわけだけど。身近な友人は失うかもしれないけど、それが何なのよ。

長くなったのでやめますが、「ターボ脳」に私は憧れます。そこで考えることをやめるなよ。もうひとふんばり考えてみろよ。人の批判をすることも、悪口言うことも、どうぞご自由に。そこに戸は立てられません。だけど、それも思考停止の一種ではないかと自分を疑ってみることも大切だと思うんですよね。

具体的に何かあって書いているのではなく、なんとなくぼんやり思い浮かんだことを忘れないうちに書きとめました。「特 定 の だ れ か へ の 当 て こ す り」(ゴゴゴゴ、ガラガラドカーン←カミナリの音)とかではないので、どちらさまもどうかご安心くださいますようお願いいたします。

来年が楽しみだ


2007年にオランダで刊行が始まった新訂版『ファン・ルーラー著作集』(dr. A. A. van Ruler Verzameld Werk)は第1巻(2007年)、第2巻(2008年)、第3巻(2009年)、第4巻(2分冊、2011年)が発売されたが、それ以降はストップしている。

しかし、朗報だ。なぜか第5巻をスキップして、第6巻が来年2016年出版。第5巻は「教会、終末」(De kerk en de laatste dingen)、第6巻は「文化、社会、政治、教育」(Cultuur, samenleving, politiek, onderwijs)だ。

しかも、ビッグニュース。来年出版される第6巻(文化、社会、政治、教育)は、第4巻(キリスト、聖霊、救済)同様、2分冊になるらしい。そして、スキップされる第5巻(教会、終末)は、なんと3分冊だという。第4巻発売の2011年から4年も待たされて、じれったかったが、3分冊なら大満足だ。

この勢いで行けば、新訂版『ファン・ルーラー著作集』が全巻完結する日には、ページ数においてカール・バルト『教会教義学』(約9千ページ)はおそらく軽く超える。有史以来のキリスト教教義学者の著作集として、規模において最大級のものになる可能性が出てきたと言えるのではないか。快挙の一言だ。

そういうわけで、来年(2016年)は、日本キリスト改革派教会創立70周年、東関東中会設立10周年、新訂版『ファン・ルーラー著作集』第6巻(2分冊)「文化、社会、政治、教育」の出版年だ。私は50(まだ49)だ。来年が楽しみであることは間違いないのだが、簡単にはたどり着けそうにない。

以上、ファン・ルーラー研究会の業務連絡でした。

(注意:研究会は昨年10月に解散しました。)

2015年6月18日木曜日

ポケモン、ゲットだぜ!


「大学生になってもポケモンで遊んでいるのはどうなのか」が2年ほど前から一部で話題になっていたことを、遅ればせながら知った。うちにも大学生がいるので、少なくともどういう経緯で彼らがそうなったかは私にはよく分かる。納得もできる。ついに新しい面白い時代を迎えたようだという喜びさえある。

聞くところによると、今やポケモンの世界大会というのがあるという。日本を含む各国の予選を勝ち抜いた王者たちが、世界大会に集まる。その頂点に立つのは大学生たちだ。すてきな話ではないか。全くもってスゴイ時代になったものだ。彼らの親の世代に属する私は、ただ驚きと感動を覚えるばかりである。

「ポケモン」だと文句を言われるなら他のゲームならいいのかなど言い出せばきりがない。それより私が考えるのは、今年50の私の世代と今の大学生の比較だ。比較というより同質性を感じる。仮の話にしかなりえないが、もし40年前に「ポケモン」があれば、我々はたぶん今でも続けているだろうと思う。

つまり、両者の違いは、40年前に「ポケモン」がなかったというだけだ。今の大学生は50になっても70になっても90になってもポケモンバトルをし続けるだろうと私は思う。そのほうが健全だ。たとえCGであれ人の姿をした相手と殺し合いをするゲームに没頭しはじめるくらいなら、はるかに健全だ。

私が小学6年のとき『アニメージュ』という雑誌が創刊された。創刊号を私は当時、自分で買った記憶がある。家の近所の本屋でそれを買う瞬間に抱いた感情の中身まで、昨日のことのように思い出せる。とても恥ずかしかった。からかわれるのがオチだから、これ買ったことを学校の友達に言えないと思った。

でも、それでは当時、『アニメージュ』創刊号を買った小学6年生の私が、からかわれるに決まっているから学校の友達には絶対言うまいと思ったときに浮かんだ同級生たちがどんなことに興味を持っていたかといえば、たのきんトリオだピンクレディーだ。いま思えば「大差ない」。校内暴力が流行した時代。

ならば、今年50のあなたは今でも『アニメージュ』買えるのですかと聞かれれば、「そりゃ無理だ」と応える。しかし、当時見たアニメは今でもかなり覚えているし、何度見ても面白いものは面白い。つまらないものは、申し訳ないが、淘汰される。40年後に見なおしても新鮮な感動を覚えるアニメはある。

しかし、今書いているのは、私の思い出話ではない。「大学生になってもポケモンで遊んでいるのはどうなのか」という一部の問いかけに対する答えを考えている。「大学生になってもポケモンで遊んでいる」人たちを全面的に肯定し、擁護したい。そのためにどのように言えばよいか、その論拠を探している。

2015年6月15日月曜日

聖書学者の皆さまを「ものすごく遠くから」応援しています


こんなこと、不特定多数対象想定のネットのような場所にしか決して書くことができないことなのですが(本当に大丈夫か)、ナザレのイエスの「メシア自覚」とは具体的に何だったのかを考えるたびに「ぼくがメシアですみません」と言い出しそうな平身低頭のおどおどした男の子が思い浮かんでなりません。

いちおうお断りしておきますが、「平身低頭のおどおどした男の子」というのは、あくまでも外見上のことです。外見上はパーフェクトにそう見せ(かけ)ておいて、中身はスゴイ。つまり、かなりしたたかな人ですね。ギラギラした感じではなさそうな(なにそれ)。もちろん全く私の勝手なイメージですよ。

恩師・松永希久夫先生は、史的イエス像は解釈者自身の自己投影である可能性が高い説の方でしたので、私もその線に立ちつつ自由にいろんなイメージを「読み込んで」考えています。マルクスセン『新約緒論』日本語版を用いた新約緒論は松永先生でした。新約神学は平野保先生、新約釈義は竹森満佐一先生。

私は聖書をそういうふうにだけ読む習慣を持たない人間ですが、「二千年前の神話的表象をすべて取り除いた先に浮かび上がるノンフィクションのイエスはどんな人だったの?」と問い続ける人たちにある程度付き合うことが今日の教会と牧師に求められることだったりするので、こういうことを時々考えます。

あとはやはり、あの「ひげ、長髪、長衣のイエスさま」の美術史的起源は知りたいところです。画家の自画像だったりして。たまに見かける「金髪・碧眼」は論外としても、「ひげ、長髪」は聖おにいさんまでもが乗ってるほど(という引き合いの出し方の是非は問われる可能性があるが)影響大きいですよね。

それと、十二弟子の一人のレビは元取税人ということで、わりと最近、ある先生の説教をお聴きしながら浮かんできたイメージは、ごめんなさい、やや危ない言葉使いますが「インテリヤクザ」っぽいな、というものでした。金融関係や国際商取引の知識に長け、闇の世界で顔が広い。相当有能な弟子ですよね。

パウロは帰国子女ですよね。自分でも相当勉強したヘブライ語とギリシア語を自由自在に操るバイリンガル氏。ラテン語もできたのではないかというトリリンガル説もあるようですね。ご卒業のエルサレム律法学校は後の時代の神学部でしょうか法学部でしょうか。聖書学科であることは間違いなさそうですが。

しかし、同じことを繰り返しますが、私はいつもいつもこういう聖書の読み方をしてはいないです。二千年前の神話的表象をすべて取り払った先に残るノンフィクションのイエスやパウロの実像に迫ってみせるという志は尊いですが、それはいわゆる玉ねぎ理論で、皮だ皮だと思って全部むいたら何も残らない。

ならばどうすればいいのかと問われることになるでしょうけど、私の解決策はひとつだけです。ある程度までという留保付きにはなりそうですが「ある程度まで神話的な表象」(神さまの話)を用いて現代社会の現実を説明できる場所を確保し、かつ創出し続けていくことだけです。それが教会だと思うのです。

「神とか(プ)」と笑われる場所がいくらでもあることは私だって一応現代人の端くれですから(なんでこんなことを断らなくちゃならんのかさえ分からないんですが)知っています。それはそれですよ。一概にダメとも言えない。だけど、教会は「神」をちゃんと言える場所として保ち続けなくちゃとは思う。

教会で「神」言って「プ」されるというのは一番最悪だとも思う。もちろんなんでもかんでも「神神」言えばいいってもんでもないことも分かります。ややこしいこと面倒くさいこと、場合によっては後ろめたいことを隠ぺいするために「神神」言ってけむにまくというのは最悪よりも悪い感じでもありますね。

以上、なんだかあまり盛り上がらない話題をそろそろ終わろうと思います。神学大学での聖書学の成績がものすごく悪かったこと(ほんと最悪でした)がものすごくバレてしまう書き込みで恥ずかしいです(なら書くなよと言われそうですね)。聖書学者の皆さまを、ものすごく遠くからですが応援しています。

【スピンオフ】

そうそう。あの話は、医学の話とは全く関係ないんですよ。

私の考えをそのまま書きますが、そもそも夫婦の間のこととか、だれがどうやって生まれたということを知っているのは、たぶんその夫婦だけですよね。それすら何年か経てば忘れてしまうようなことでもあるわけで。

私は自分が父と母から生まれたんだろうとは思っていますが、父と母が「どうやって」私を産んだかには興味ないし、想像したいとも思わないわけで。そもそも「そういう次元の話」ですよね。

そして聖書に書かれているのは、マリアなりヨセフなりの夢の話だったり、本人証言(であるとしか言いようがない)だったりするわけでして。本人しか知りえないきわめてプライベートな事柄について本人が「そうだ」と主張していることを、聖書の記者というか当時の教会が「信用した」だけのことですよ。

ネットの関係でも同じようなことが言えるわけです。どこのどなたさまかも分からない、面識もつながりもない方の字だけを読んで、その次に我々ができることがあるとすれば、その相手を「信用する」かどうか、だけだと思います。

医学的に辻褄が合っているかどうかという点については、2千年前の人だって疑う人は疑っていたわけで、「現代の」医学と辻褄が合わないというような話では全くありません。マリアの話を信頼した、というだけです。それはマリアという人物が信頼に足る存在だったからだと思います。

面白いおばちゃんだったのではないかと思いますね。「あたし、結婚する前に子どもできちゃったんだけどさあ。夫とも誰ともそういうの一切ありませんからね。あたしの目を見れば、うそついてるかどうか分かるはずだよ」みたいな話をよくしていたんじゃないかなと思います。

どうしてあのような証言になったのかは、いつ頃のインタヴューかにもよりますよね。おばあちゃんになってからのマリアへのインタヴューだったかもしれないし、もっと若い頃だったかもしれない。

若くして亡くなったと言われる(途中から登場しなくなる)夫ヨセフについての記憶がほとんど消えかかっているレベルの頃の証言だとすれば、最晩年かもしれませんね。

そしてもう一歩踏み込んでいえば、何歳頃のマリアだったにせよ、夫との関係を強く拒否することを証言していたのだとしたら、我々が知りたいのは、拒否の理由ですよね。彼ら夫婦に何があったのかは第三者には全く分かりませんよ。だけど、わざわざ初産に関しては関係がなかった関係がなかったと言う。

イエスさまの弟や妹については、「関係があった」とわざわざ書かれてはいませんが、否定もされていない。知りたくないですよ、べつにそんなの。書く必要ないことです。弟や妹をマリアが「どうやって」産んだかに、私は興味ないなあ。いい、いい、べつに、そこは。

だけど、長男に関しては夫婦関係は完全否定。わざわざ明言。その理由はなんでしょうかね。それは詮索しても分からないことだし、詮索すべきでもないことだと私は思うので、やはりマリアの言うとおりを「信用」するしかないと思っています。

自分の言い分を信用してもらえないことの苦しみは、だれしも多少なりとも味わってきたことでしょう。ハナからうそつき呼ばわり、非科学的呼ばわりしなくても。なぜその人はそういうことを言っているのかの意味や理由を考えることが大切ではないでしょうか。

他人の家のことに、他人はほとんど関心ないんですよ。自分の家や状況と似ていることにだけ反応して、「分かる分かる」と返してくれるか、「ありえない」と全否定されるか、どちらかですよね。細かいこと言われても分からないし、興味ない。

その点では聖書も同じです。自分の状況にカスる要素があれば「分かる」になるし、カスりもしなければ「ありえない」で片付けられる。

聖書の読み方にもカウンセラー的な態度が必要かもしれません。マリアの証言に静かに耳を傾け、この人はいま何を言おうとしているのか、この人の心の中の求めは何なのかを見抜く力が必要かもしれません。

2015年6月13日土曜日

土曜日の夜についだらだらと書く


見かけた記事に刺激されて書く。聖書で父親を意味する「アッバ」は幼子が使う言葉だから「お父ちゃん」と言っているようなものだという説明を30年前から繰り返し聞いてきたが、何度聞いても腑に落ちない。腑に落ちない理由にいま気づいた。私が自分の父親を「お父ちゃん」と呼んだ記憶がないからだ。

父親を「パパ」と呼んだことは一回もない。私の子どもたちにも「パパ」と呼ばせたことはない。常に「お父さん」と私は父親を呼んだはずだし(今もそう呼んでいる)、子どもたちも私を「お父さん」と呼ぶ。たぶんだから、アッバは幼子の言葉だから「お父ちゃん」だという三段論法が一向に腑に落ちない。

しかし、本当に言いたいことは、ここから先だ。私にもそれなりの反抗期や思春期はあった。私の子どもたちにも、それはあった。その頃のことを思い返すと、「お父さん」とストレートに呼ぶことに抵抗を感じたことがあったように思う。「あのさー」から始めて、最後まで相手の名前を呼ばない、みたいな。

それはどういう心理状態なのか説明してみろと言われても説明できない。それがきちんと説明できるくらいなら、もはや反抗期でも思春期でもない。照れているようでもあり、すねているようでもある。屈折しているようでもあり、まっすぐすぎるようでもある。あえて字にすればそんな感じではないかと思う。

対面で話しているときは目の前に本人がいるのだから「おれおれ詐欺」は成立しない。でも、親のことさえ「お父さん」「お母さん」と呼べない状態のときは自分の名前もたぶん名乗れない。電話で「ぼくだけど」「あたしだけど」と言わざるをえない心境になるときは、ないだろうか。私はある。ありすぎる。

でも、いま書いているのは、わが家の親子関係のことではない。聖書のアッバ(父)のことだ。アッバは幼子の言葉だから「お父ちゃん」だというあの有名な三段論法が、私の腑に落ちたためしがない。祈祷とは対象(オブジェクト)への呼びかけによって始められるべきである。祈祷の対象とはアッバである。

それは分かる。しかし、なんて言ったらいいのか、「思春期の祈り」(笑)とか「反抗期の祈り」(笑)とか、もっといろんなパターンが考え出されるべきではないかと思ったりする。「あのさー」で始まり、最後まで相手の名前を呼べない祈り、みたいな。祈りの関係が親子関係でたとえられるというならば。

教会が苦手な若者たちが何を感じているのかを正確に分からずにいることを申し訳なく思っているが、教会のしていることが単純に「古い」というだけではなく、実はそれほど古くもなく、さりとて新しくもない、ある時代の価値観のままで固定されているように感じられることが、うんざりするのではないか。

若者たちに分からない暗号を用いていえば、いつまでも兼高かおる世界の旅状態の教会、みたいな。的外れのことを書いているとしたら申し訳ない。兼高さんに文句を言いたいのではないので、ただちにお詫びしなくてはならない。戦後から1960年代までの一時的キリスト教ブームへの郷愁。外国への憧れ。

いま書いたことは脱線だ。「思春期の祈り」や「反抗期の祈り」に需要はないだろうか。教会の祈りにおける親子関係は、なんだかブルジョア的すぎないか。現実の家庭はもっと壊れていないか。アッバは幼子の言葉だから「お父ちゃん」だ、なんていう三段論法で片付かないほど現実の家庭は壊れていないか。

我が家のことを書いているのではない。ある意味で一般論だし、現代社会の「普遍的」と言いうるほどの深刻な問題ではないかと思うので、率直に書いている。「思春期の祈り」にも「反抗期の祈り」にも需要がないなら押し付けるつもりはない。だが、需要がないことに、絶望に近い深刻さを感じなくもない。

2015年6月7日日曜日

「今どんな気持ち?」という問いかけに応えて

昨夜助けてもらったキットカット
アキバアキバ言うが私が大学生だった30年前(ついこないだ)は純粋に電気部品屋街だった。東京湾岸はただの海辺で、レインボーブリッジもお台場も高層ビルもなかった。大工事を敢行した人たちの努力を否定する意図で書くのではないが、わずか30年のイリュージョンを見ているだけかもしれないのだ。

私はイリュージョンにめっぽう弱い。目先の美しさや贅沢さにほぼ騙されてしまう。「騙されている」とかなり強引に認識しようとしている自己内抵抗勢力感は、むなしくも捨てがたいあわれな矜持のようなものではないかと思うので、無理に字にしないほうがいいくらいだが、それでもまあお許しいただこう。

数学が得意で「理系」選択者だった中学・高校の友人たちは、30年前の日本(岡山だが)でも、すでにかなりブリリアントな存在ではあった。彼らの何人かの「設計」した建物が今の東京湾岸(ベイエリア)をキラキラ飾っているようだ。皆さまのご活躍をお祈りしております。で、だから、へ、どうしたの。

建物に騙されるな、キラキラにだまされるな、イリュージョンはイリュージョンだ、永遠・永久に続くものではない。「絶対大丈夫」と言われた分厚いコンクリートもぶっこわれたではないか。それを見ただろ(テレビだけど)見ただろ(テレビだけど)見ただろ(テレビだけど)。いいかげん気づけよと自戒。

もう先々週か。5月30日(土)の小笠原諸島沖M8.5(!!)地震は首都圏の家庭をユランユランさせただけで終わってくれたが、それでも高層ビル系で「エレベータ内閉じ込められ事象」が多発した。さぞかし眺めがいい東京湾岸の「ちょーこーそービル」に今後も永住したい方々がおられるのだろうか。

勿論すべて人の生き方だ。どうぞご自由に。「低い地」に住んでいる我々は、それなりの生き方をさせてもらっとるわ。こちらもこちらで自由にさせてもらうんで、一切干渉せんでくれ。でも、こちらはこちらでけっこうおもしろいぞ。何万もする酒とか飲んだことないし、宴会三昧とかやったことないけどな。

ユダの裏切り

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂

マルコによる福音書14・10~21

「十二人の一人イスカリオテのユダは、イエスを引き渡そうとして、祭司長たちのところへ出かけて行った。彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすれば折よくイエスを引き渡せるかとねらっていた。除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、『過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか』と言った。そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。『都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。「先生が、『弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか』と言っています。」すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。』弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。夕方になると、イエスは十二人と一緒にそこへ行かれた。一同が席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。『はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。』弟子たちは心を痛めて、『まさかわたしのことでは』と代わる代わる言い始めた。イエスは言われた。『十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。』」

今日の個所に登場する中心人物は、イエスさまの十二人の弟子の一人のイスカリオテのユダです。ユダがイエスさまを裏切ったことはあまりにも有名です。聖書を読んだことがない人でも知っている話です。ユダといえば裏切り者、裏切り者といえばユダ。それくらいよく知られています。

ユダがしたのは、祭司長、律法学者、長老と呼ばれる人々と手を組み、協力することでした。彼が実際にしたのは、イエスさまを捕まえるために捜している人たちにイエスさまの居場所を教えるために、その人々が遣わした兵隊たちを先導してイエスさまがおられる場所まで連れて行くことでした。

その裏切りによってユダが得たのはお金でした。マタイ福音書によると、祭司長たちに金銭を要求したのはユダ自身でした。「そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、『あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか』と言った」(マタイ26:14-15)。

ユダに対する祭司長たちの答えも、マタイ福音書に書かれています。「そこで、彼らは銀貨30枚を支払うことにした」(マタイ26:15)。なぜ銀貨30枚なのかは聖書に記されていませんが、当時の奴隷一人分の値段が銀貨30枚だったと言われます。理由はおそらくそれであると思われます。

しかし、銀貨30枚にどれくらいの価値があったのかははっきりとは分かりません。ある説明によれば今の100万円くらいだそうです。ユダとしては、ある程度まとまったお金であると言えそうです。しかし、視点を換えて言えば、祭司長たちはイエスさまに100万円の値札を付けたということです。

そして、ここで重要なのは、その具体的な金額を決めたのは祭司長たちであって、ユダが要求した金額ではなかったという点です。もしユダが「銀貨30枚をください」と要求したのであれば、イエスさまの命の値段を決めたのはユダ自身であったことになりますが、そうではありませんでした。

しかし、このときユダがある程度まとまったお金を欲しがっていたということは否定できません。そのことはヨハネ福音書を読めば分かります。先週わたしたちがマルコ福音書で学んだ、イエスさまにナルドの香油を注ぎかけた女性の話が、ヨハネ福音書12章にも記されています。その中に、なんとユダが登場します。

ヨハネは、イエスさまにナルドの香油を注ぎかけた女性がマリアだったことを明らかにしています。このマリアはベタニアに住むマルタの妹、ラザロの姉でした。そして、そのマリアに「なぜこの香油を300デナリオンで売って貧しい人々に施さなかったのか」と言ったのがイスカリオテのユダでした。

そして、ヨハネは次のように記しています。「彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである」(ヨハネ12:6)。これで分かるのは、ユダは金入れを預かる会計担当者だったということです。

しかし先週学んだ個所に記されているのは、「この香油は300デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに」と言ったのは「そこにいた人の何人か」(14:4)であり、ユダ一人が言ったことのようには記されていません。ですからわたしたちは、両方を合わせて考える必要があります。

それはつまり、ナルドの香油をイエスさまに注ぎかけた女性を非難した「何人かの人たち」の中にユダが含まれていたということです。先週私が申し上げたのは、彼女を責めた人々の言い分にも一理あるということでした。しかし、ユダは別です。彼にはやましいことがあったのです。

ユダは弟子たちから預かっている金入れの中身をごまかしていました。その帳尻を合わせるためにお金が必要でした。彼がごまかしていた金額は分かりません。もしかしたら300デナリオン(約300万円?)だったかもしれません。銀貨30枚(約100万円?)では足りなかった可能性があります。

ですから、ここで考えられるのは、ユダが、不正が発覚しないようにするために帳尻を合わせようとしていたということです。そのために、「ナルドの香油を売ればよかった」と言ってみた。しかし、それは失敗した。それでついにイエスさまを売ることにしたということです。

おそらくユダは、イエスさまがいなくなってくれれば、いやもっとはっきり言えば死んでくれれば、自分がしている不正のすべては有耶無耶になるだろうというようなことを考えていたのです。なんと浅ましい。なんと卑劣。弁護の余地がありません。

しかし、彼がごまかして開けてしまった会計上の穴が、イエスさまを売ることで得た銀貨30枚程度で埋まるものだったかどうかは分かりません。その穴はもっと大きいものだったのではないかと私は思います。結局ユダは、最後は自分で自分の命を絶ちます。彼が犯した不正のすべては藪の中です。

お金が人を狂わせる。それはいつの時代でも同じです。しかし、決して誤解すべきでないことは、すべての会計担当者が不正を犯すわけではないということです。忠実で良心的な人はたくさんいます。

そしてわたしたちが忘れてはならないのは、ユダを十二人の一人に選んだのはイエスさまであるということです。彼に会計の仕事を任せたのもイエスさまです。そのことは聖書には記されていませんが、そうだとしか考えようがありません。任命権者はイエスさまです。最終責任者はイエスさまです。

その意味では、もしユダが、自分の犯した不正をイエスさまに正直に打ち明け、その罪を深く悔い改めることができたとすれば、イエスさまはユダを必ず赦してくださったに違いないのです。あなたを弟子に選んだのも、お金を預けたのも、その責任は私にあるということを認めてくださり、一緒に解決策を探してくださったに違いありません。

しかし、それがユダにはできませんでした。最悪の道を選びました。イエスさまを銀貨30枚で売り渡しました。ユダが祭司長たちとそのような打ち合わせや約束をしている現場を、イエスさまが目撃なさったわけではありません。しかし、イエスさまはユダの心を見抜かれました。イエスさまの目は節穴ではありませんでした。

それは「除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日」のことでした。弟子たちがイエスさまに「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意しましょうか」(12節)と言いました。すると、イエスさまはかなり細かく具体的な指示を出されました。弟子たちが行ってみると、ある建物のある部屋にその準備が整っていました。

そのような部屋があることをなぜイエスさまがご存じだったのかは記されていませんが、理由を想像するのは難しいことではありません。イエスさまがエルサレムに来られたのは初めてではありません。幼い頃から両親と共に毎年のように行かれていました。イエスさまはエルサレムをよくご存じだったのです。

それにイエスさまは、何の計画もなしに、行き当たりばったりで、エルサレムまで来られたわけではありません。むしろ綿密な計画をもって来られました。神殿の境内の商人たちを追い出したことも、急に不愉快になって、怒りに任せて当たり散らしたわけではありません。すべては計画どおりでした。

そのように考えれば、過越の食事の席が整っている部屋があるということをイエスさまが弟子たちに教え、我々のために食事の準備しなさいとお命じになったことは、それほど不思議なことではないし、驚くべきことでもありません。

そしてイエスさまと弟子たちがその部屋に行き、過越の食事が始まりました。その席でイエスさまがユダの裏切りをはっきり指摘されました。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている」(18節)。それはユダのことでした。

弟子たちは心を痛めて、「まさかわたしのことでは」と口々に言いました。すると、イエスさまは「十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ」(20節)と言われました。今いちばん近くにいる、少なくとも外見上は最も親しい関係にあるように見えるこの人が裏切る、と。

そしてイエスさまは続けて言われました。「人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」(21節)。このようにイエスさまが言われたことの意味は、御自分の死もまた計画どおりであるということです。

ただしそれは聖書に書いてある計画です。神の計画です。神はメシアを世にお遣わしになりました。そして神は、メシアを十字架につけることによって、全人類の罪の贖いを行われました。そのような神の人類救済計画を実行するために、メシアであるイエスさまがエルサレムに来られたのです。

そのことをイエスさまははっきりと自覚しておられました。ですから、イエスさまにとってユダの裏切りは、父なる神御自身の計画の中で定められたことであると信じておられました。それは考えれば考えるほど凄まじい話なのですが、イエスさまはユダの存在と彼の裏切りを間違いなくそのようにご覧になっていました。

ですから、イエスさまの最後の言葉は、ユダへの呪いではなく、むしろ憐れみです。神の人類救済計画の中でメシアが十字架につけられるために弟子の一人がメシアを裏切る。その不幸で残念な役割を与えられたユダは、イエスさまの目からご覧になれば、憐れみの対象以外の何ものでもありません。

これとは別の道はなかったのでしょうか。だれもメシアを裏切らない、ユダのような不幸な存在が登場しなくて済む、もっと明るくてみんなが幸せになれるような道はなかったのでしょうか。それは今さら問うても仕方がないことかもしれません。その問いに神は沈黙されたままです。

(2015年6月7日、松戸小金原教会主日礼拝)

2015年6月5日金曜日

パソコン修理の「真の」理由

ブートのたびにカラー画面が出るマザーを使うのは初めてだ
一昨日マザーボードとCPUを交換して蘇生させたパソコン用のDDR3メモリが本日届いた。代金引換で4,998円。マザーとCPUと合算で15,702円。これで5年はもつ。年3,140円なら安い。マザーは「ミリタリークラス」(ブート画面がカラー)、CPU(セレロンデュアルコア)は爆速。

ただし、誤解されたくないので一点釈明させていただく。仕事そっちのけでパソコンいじりに興じていたつもりはない。「お時間がおありなのね」とか思われたくない。すべて正反対だ。たしかに私の「仕事」ではないが、死んでいた仕事道具を蘇生し、使えるようにした点は、ぜひ評価してもらいたいものだ。

私の仕事にどのように役立つのか。ひとことでいえば、現時点では避けることができない「家事と仕事の両立」のためパソコン修理が必要だった。「両立」の必要がなければ修理も必要なかった。そもそも「仕事」がないなら私にパソコンは要らない。引退と同時にネットを引退すると、かねてから言っている。

家事の大変さというのは、基本毎日しなければならないことにある。そんな当たり前のことでも、しなくては気づきもしない。「昨日こんなことをした」では済まない。同じことを今日もする、明日もする、毎日する。時間や負担感の比率でいえば「家事の合間に仕事をする」という順序であって、逆ではない。

でも、そんなことを言えば「おまえの仕事は片手間か」と言い出されることもある。それだけは言われたくない。片手間ででっちあげた仕事は、いまだかつてない。だけど、まず自分が生きなければ仕事はできない。せめて自分の家族を養い、必要な教育を与えなくては人様の助けになるようなことはできない。

ただ、今いる状況に固有の問題もあった。私の住居(「牧師館」と呼ばれる建物)と教会の建物が20メートルほど離れているため(車道を挟んだ斜向い)、家事と仕事の両立をするにしても、両方を同時進行させることが難しい。家事は牧師館、仕事は教会。これの同時進行をどうするかが私の課題であった。

その課題の唯一の解決策が結局インターネットだった。パソコンは「通信機」だ。通信「も」できるという次元はとっくに超えている。教会宛の連絡(とくにメールとビデオ通話)を(家事中の)牧師館でも同じように受け取るために、牧師館パソコンが私には必要だった。このたび修理したパソコンがそれだ。

そういう事情なので、私にとって「パソコン修理」は「家事」のカテゴリーに属することであるということを、ぜひご理解いただきたいと願っている。それは私の「仕事」ではないが、「趣味」でも「マニア」でもない。このたび蘇生した「牧師館パソコン」は家事と仕事を両立させるための最強の道具なのだ。

さてさて、こんなことを書いているうちに洗濯終了を知らせるアラームが鳴る。はいはい了解。これから物干し。そのあと食器を洗ってから教会の書斎に戻る。そこから先は、悪いが私の自由にさせてもらう。教会の書斎でしかできないことがある。家事の片手間では決して書けない言葉がある。それも事実だ。

2015年6月3日水曜日

フィリピの信徒への手紙の学び 09

松戸小金原教会の祈祷会は毎週水曜日午前10時30分から12時までです
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フィリピの信徒への手紙2・25~30

関口 康

今日の個所にパウロが詳しく書いているのは、エパフロディトのことです。男性です。年齢は不明ですが、想像できるのは若い人です。この手紙をパウロが書いているとき、エパフロディトはパウロのそばにいます。彼の姿をすぐ近くに見ながら、この手紙を書いているのかもしれません。

しかし、この人をパウロはフィリピ教会のみんなのもとに帰さなければならないと考えています。パウロの側から言えば、淋しいけれどエパフロディトとはそろそろお別れしなければならないという思いでしょう。エパフロディトはフィリピ教会の会員だからです。パウロを助ける役目を果たすためにフィリピ教会から送り出された人でした。そしてその役目を立派に果たしました。その彼をパウロとしてはいつまでも自分のところに引きとめておくべきではなく、フィリピ教会にお返しする責任があると考えているのです。

しかしまた、この話にはもう少し複雑な事情があります。エパフロディトはパウロを助けるためにフィリピ教会から送り出され、その任務を遂行する中で「ひん死の重病」にかかってしまいました。何の病気であったのかは記されていません。しかし、高い可能性として考えられるのは、その病気はエパフロディトが担った役割と関係していたということです。もしそうであるならばエパフロディトがかかった病気は何だったのかを考えるとき問うべきことは、彼はパウロのためにどんなことをしたのだろうかということです。

ヒントはこの手紙の中に二個所あります。第一は「彼は…あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれました」(2・25)です。第二は「わたしはあらゆるものを受け取っており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです」(4・18)です。

これでエパフロディトの果たした務めの内容が、ほぼ分かります。要するに、彼はパウロが伝道のためのお金や物資に行き詰ったとき、フィリピ教会のみんなから献金や献品を集め、それをパウロのもとまで持ち運ぶ仕事をしたのです。現実の教会においては非常に大切なことです。しかし気になることは、その働きがなぜエパフロディトをひん死の状態に追いやってしまったのかということです。

いつ病気にかかったのかという点で考えられることは、献金や献品をフィリピ教会で募るときではなさそうですので、その次の段階の、それをパウロのもとまで持ち運んでいるときであろうということです。それはとても長くてつらい旅だったのではないでしょうか。教会で預かった大切な献げものを抱えて、重い荷物をもって、海越え、山越え。体を張って盗賊から守り抜く。自分自身の不注意で落としたり無くしたりすることがないように常に緊張し続けている。

しかし、わたしたちが見過ごしてはならないのは、エパフロディトが果たしたその仕事の意義です。「教会も結局お金か」というような言われ方があるとしたら困惑するばかりですが、お金は大切です。昔も今も。伝道そのものがストップしてしまいます。どのような素晴らしいヴィジョンがあり、立派な計画があろうと何一つ実現しません。パウロの場合は、もし資金が途絶えてしまったら、伝道旅行は中断を余儀なくされたでしょうし、元いた場所に帰ることさえできなくなったでしょう。そのことをフィリピ教会の人々は十分理解し、何とかしてパウロを助けるために、彼らの力と思いを集めて、それをエパフロディトに託したのです。

そのことを熟知しているエパフロディトとしても、「わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうとした」とパウロが書いているとおり、まさに教会の委託と期待を一身に背負いつつ、自分に託された使命はイエス・キリストの教会の宣教を支えるために重要なものであるという自覚とプライドをもって、その仕事に熱心に取り組んだに違いないのです。

ところが、そのエパフロディトが、ひん死の病気になりました。そして、その情報がフィリピ教会の人々に伝えられました。そのことにエパフロディト自身が苦しんだのだと思います。私を信頼し、活躍を期待してくれた教会のみんなに申し訳ないという思いがあったでしょう。しかしまた、大切な任務を彼に託した人々の側からすれば、旅先で彼が病気にかかったという話を完全には信用しない人もいたに違いありません。大げさに言っているだけではないかと考える人もいたでしょう。あるいは「パウロに渡す」と言いながら横領したのではないかと疑われる可能性も。エパフロディトとしては、教会の人々からそのようなことを思われたり言われたりすることは責任上当然のことでもあるだけに(他人のお金を預かるとはそういうことです)、病気そのものよりもつらかったに違いないのです。

ですから、このように考えていきますと、今日の個所にパウロが書いていることの意図がだんだん分かってきます。パウロがエパフロディトの病状の重さについて「ひん死の重病」と書き、「死ぬほどの目にあった」と書いて同じ言葉を繰り返しています。このように書いてパウロが力説していることは「フィリピ教会の皆さん!エパフロディトは本当に病気にかかったのです!」ということです。

皆さん、彼を信頼してください。疑わないでください。彼についてあなたがたが聞いていることは、虚偽でも誇張でもありません。エパフロディトはあなたがたのところにいたときと変わらぬ忠実さをもって、自分に託された使命を立派に果たしました。彼のおかげで、あなたがたの献げものはわたしのもとに届きました。それによってイエス・キリストの福音は今なお力強く前進しています。

このようにパウロは、エパフロディトの潔白を証明するために、事実と真実をもって弁護しているのです。それこそが今日の個所におけるパウロの意図であると理解することができるのです。

私が考えさせられたことをいくつか列記します。第一は、パウロのような力強い弁護人を得ることができたエパフロディトは幸せであるということです。他人のお金を預かって管理する仕事をする人は、あらゆる疑惑や憶測、さらに中傷誹謗に至るまでを受けることが避けがたいからです。

第二は、わたしたちは、どんなことであれ、誰かがしていることや言ったことが真実であるか虚偽であるかを、どこかで聞いたような噂話や憶測のようなもので判断してはならないということです。

第三は、フィリピ教会の人々の前でエパフロディトの潔白を主張し、弁護するパウロのような人になれる人は幸いであるということです。

この個所の読み方として重要なことは、パウロが書いている「再会の喜び」の中身は、かつて教会員だった人と久しぶりに会うことができてああ嬉しい、というようなこととは全く違うことであるということです。何度も申し上げるようですが、この個所を読むときの大前提は、エパフロディトとは教会の人々のお金を預かってパウロのもとまで運ぶ仕事をした人であるということです。彼は教会の重大な責任を託された人でした。その信頼関係の歯車がおかしい状態になった。そのことをどのように解決するのかというテーマが裏側に隠されているのがこの個所です。

その解決策は単純です。真実を知っている人がきちんと弁護することです。また中立の立場にある審判者も必要です。もしどこかに弁護できない事実があるのなら、それを率直に示すことです。本人の反論や弁明の機会も確保されるべきです。そのようにして本人が説明責任を果たすことこそが重要です。それが教会にふさわしい解決策です。

(2015年6月3日、松戸小金原教会祈祷会)

2015年6月2日火曜日

「組織神学 白熱教室」が始まりました

昨夜からトータルで12時間以上かかりましたが、Windows更新がようやく終わりました。死んだパソコンをよみがえらせる作業は完了。プログラムは最小構成ですが、これで十分。洗濯物を干し終えましたので、これから午後の会議等に出かけます。
パソコンの修理が完了しました
今日の午後は東関東中会の教師会でした。開会礼拝では小林義信先生のよく分かる力強い説教で大いに鼓舞されました。小林先生ありがとうございます!
東関東中会教師会 開会礼拝(於 日本キリスト改革派湖北台教会)
東関東中会教師会は今日から新しい学びを開始しました。神戸改革派神学校前校長の市川康則先生の『改革派教義学 第6巻 教会論』(一麦出版社、2014年)を市川先生のご指導のもと読み始めました。「組織神学 白熱教室」です。東関東中会が熱い!
東関東中会教師会 勉強会(於 日本キリスト改革派湖北台教会)

パソコンを修理しました

マザーボードはmsi H81M-P33にしました
CPUはIntel Celeron G1840にしました

月曜の午後はパソコン修理。Vistaで買ったCore2Duo機が死んだのでマザーボードとCPUの取り替え。両方で税込10,704円。メモリが古いのは使えないと分かり、書斎の自作機からDDR3メモリを引っこ抜いて差しました。プラモです。

最低限の出費でと思い、Core2Duoはまだ生きているので、Core2Duoを差せるマザーボードをネットで探してみたのですが、古すぎて希少価値があるからか中古バルク品でも高いし、すぐ壊れても無駄になると悟り、思い切ってマザーボードもCPUも新品にしました。合計税込10,704円。

マザーボードはmsi H81M-P33にしました。ブートのたびに「ミリタリークラス4」(英語で)というカラー画面が出てくるので、それを見るたびに「品質は信頼するけど戦争反対!」と叫んでいます。税別4,612円(PC DEPO通販価格)。
http://jp.msi.com/product/mb/H81MP33.html

CPUはIntel Celeron G1840 (2M Cache, 2.80 GHz) にしました。税別4,800円(PCDEPO通販価格)。
http://ark.intel.com/ja/products/80800/Intel-Celeron-Processor-G1840-2M-Cache-2_80-GHz

これを書いている間も、修理したパソコンはWindowsが最新版になるまで自動アップデートしている最中。3ケタのアップデート件数があり、まずWindows7を7sp1にして、それからさらに、という流れなので時間がかかっています。いくつか更新に失敗して、またやり直しというのもあるし。

このパソコンは、これまでも自分で直しました。単純なつくりで、マザーボード、CPU、ハードディスク、CDROMドライブ、電源ボックスしかありません。電源ボックスは数年前に交換、ハードディスクは最近交換。それでも死にましたので、マザーボードが焼き切れたとしか言いようがない状態でした。