2014年12月1日月曜日

日記「草の根ブロガーにも五分の魂」


「先生が出した宿題に正解を答える」式でなく、 「基本が世間知らずでウカツな発言をしてしまう系の人が、自分の発言の釈明を余儀なくされ、自分で作った問題(というか「自分自身の問題性」)の後始末をせざるをえない」式の人のほうが、文筆家としても、草の根ブロガーとしても、息が長い感じです。

文筆家なりブロガーなりは、だれが育てるものでもなく、勝手に育つ。自分で壁を突破して飛び出してくる。妨害されようと、資金が尽きようと、家庭が崩壊しようと、世界が滅亡しようと、書き続けてしまう。それはたぶん、多くの人や自分自身を不幸にしているに違いけど、別の面もちょっとくらいはある。

金がかかっていない字に価値はない(勉強代をケチった価値ある文章は僅少)が、その字で金が儲かるわけではない(ほとんどの場合)。「紙の書籍」の形になっているかどうかはやっぱり違いますよね。権威主義に弱い人たちを圧倒的に幻惑できるものが紙の書籍にある。字であることに変わりはないのにね。

今日内田樹氏が書いておられた「ノブレス・オブリージュ」のことを考えています。書き魔系ブロガーを「ノブレス」と呼べるかどうかはともかく、「わしが書かねばだれが書く。いま書かねばいつ書ける」という厳粛な自負(なのかそれ)はキリスト教的「召命」にちょっとだけ似ているかもしれません。

ちなみに今、牧師館に引き返して洗濯機を回しているところです。食器洗いは午前中に済ませました。洗濯物を干したら出かけます。今夜は「東関東中会設立10周年委員会」です。委員長は私(来年は他の方に代わってもらう予定)。再来年(2016年)が東関東中会設立10周年です。やっとここまで来ました。