2014年1月24日金曜日

神学に取り組む《権利》はどうしたら獲得しうるか

「神学」は万人に公開されているもので、だれでも取り組むことができます。

ファン・ルーラーは「神学」を「最もポピュラーな学問」と呼んでいます。

することは、本を読むことと、字を書くことです。他にどうすることもできません。

本を読むことは、立ってでもできるし、座ってでも、歩きながらでもできます。

字を書くことは、どうでしょう、なるべくなら座ってのほうがいいような気がします。

でも、立ってでも歩きながらでも字を書くことができる人がいるなら、それもよし。

とはいえ、はっきりしていることは、

神学への取り組みとして本を読むことと字を書くことには、長大な時間がかかる、

ということです。

そして、それは「没頭すること」なしには、たぶんモノになりません。

しかし、困ったことがあります。

本を読み、字を書いている人の姿は、

ハタから見ると「何もしていない」ように見えることがあります。

だから、その人は「売れる本」を書かねば「仕事している」と認められません。

ですが、「売れる本」を書くために、たとえば小説家のような人は、

ほとんどすべての時間を「本を読み、字を書くこと」に費やしています。

「神学」も、たぶん同じです。

そうすることが「仕事」であると認めてもらう《権利》を獲得することなしに、

長大な時間を「本を読み、字を書くこと」に費やすことはできません。

しかし、その《権利》は、どのようにして獲得すればよいのでしょうか。

やっぱり修道院が必要でしょうかね。

インディーズ系の神学は、いつまで経ってもオタク呼ばわりですかね(自暴自棄)。