2021年1月1日金曜日

共に生きる生活(2021年1月1日 元旦礼拝)

 


詩編133編1~3節

関口 康

「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

元旦礼拝の説教のタイトルが「共に生きる生活」で、その聖書の箇所が旧約聖書の詩編33編であるのを見るだけですぐにピンと来る方が、みなさんの中におられるでしょうか。

これは日本の教会で長く読まれ、今でも読まれている有名な本の題名です。その本の最初に記されているのが、先ほど朗読した旧約聖書詩編33編1節の「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」です。もっとも日本語版出版当時は新共同訳聖書ではなく口語訳聖書が用いられていました。

それは、20世紀ドイツの神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーの本です。その最も有名な一冊『共に生きる生活』です。

日本語版が2種類あります。ひとつは『交わりの生活』(岸千年訳、聖文舎、1960年)です。もうひとつは『ボンヘッファー選集』第6巻(新教出版社、1968年)に収録され、1975年に単行本化された『共に生きる生活』(森野善右衛門訳)です。

「場違いな話が始まった」と思われているかもしれませんが、ご安心ください。話の筋はちゃんとつなげます。元旦礼拝にふさわしい内容になります。

私がボンヘッファーの『共に生きる生活』を最初に読んだのは、東京都三鷹市の東京神学大学に高校卒業後ストレートで入学した1984年です。当時私は18歳でした。

それは本当に素晴らしい内容でした。最初私はひとりで読み、次に神学生仲間と共に読み、教会の青年会でも読み、ついに教会学校の生徒だった高校生と共に読みました。その高校生は現在日本キリスト教団出版局の看板雑誌『信徒の友』の編集長をしておられます。

しかし、昭島教会の前任担任教師の鈴木正三牧師は、私などが読みはじめるよりもはるか前に、ボンヘッファーを研究するという目的をもってハイデルベルク大学に留学された国際的なボンヘッファー研究者です。鈴木先生がそのような方であられたことを私が知ったのは、今からわずか2年半ほど前のことです。

私がいま申し上げていることで何が言いたいか。石川献之助牧師からボンヘッファーの話を伺ったことはありません。しかし鈴木正三牧師がボンヘッファーの国際的研究者であり、私も学生時代から夢中になって読んできたのがボンヘッファーの本であり、なかでも特に『共に生きる生活』です。

そのことがあるのでぜひ、昭島教会の皆さんにはボンヘッファーの名前を覚えていただき、『共に生きる生活』を読んでいただきたいということです。

しかし、私はこの元旦礼拝でボンヘッファーの話をこれ以上続けるつもりはありません。とくに伝記的な事柄については、話し始めると長くなりますので全く触れないでおきます。それよりも、今日の聖書の箇所の言葉を引用した直後にボンヘッファーが書いていることをご紹介したいと思いました。

それは次のとおりです。

「キリスト者にとって、彼がほかのキリスト者との交わりの中で生きることを許されているということは、決して自明なことではない」(森野善右衛門訳)。

もうひとつの訳のほうでもご紹介いたします。

「キリスト者がキリスト者同志で生活できるというようなことは、はじめからわかりきっていることではない」(岸千年訳)。

なぜそう言えるのか。ボンヘッファーの説明は次のとおりです。

「イエス・キリストは敵のただ中で生活された。最後には、すべての弟子たちがイエスを見棄てて逃げてしまった。イエスは十字架の上で悪をなす者たちや嘲る者たちに取り囲まれて、ただひとりであった。彼は神の敵たちに平和をもたらすために来られたのである。だからキリスト者も、修道院的な生活へと隠遁することなく、敵のただ中にあって生活する。そこにキリスト者は、その課題、その働きの場を持つのである」(森野善右衛門訳)。

これほど明快なキリスト者の自己理解を、私は他に知りません。これは100パーセント教会の話にしてしまって大丈夫です。教会はキリスト者が「共に生活する」場だからです。

そして、ボンヘッファーが言いたいのは、教会に集まるのは「当たり前のこと」ではないということです。

なぜ「当たり前でない」のかといえば、イエスさまの姿を考えるがよい。敵の中で生活し、弟子たちからも裏切られ、最後は十字架の上で、おひとりで死なれたではないか。そのようにしてイエスさまは神の敵に平和をもたらされたのだ、というわけです。

その点では私たちも同じです。私たちの周りも敵だらけ。だからといって私たちは、人里離れたところで隠遁生活をするわけでなく、社会のど真ん中でキリスト者として生活する。そのキリスト者同志が互いに集まることが「当たり前のこと」であるわけがない。

私は昭島教会の中でそのような理解を持っておられる方に出会ったことはありませんが、教会は「牧師のお話を聴きに来る講演会場」であるというようなことは全くありえません。あるいは逆に「運動を開始する前に参加者同士の利害関係を調整するために事前に協議しておく必要に応じるための会議室」が教会であるわけでもありません。

そのようなことではなく、教会のわたしたちは「共に生活する」のです。それは「決して自明なことではない」(森野善右衛門訳)、あるいは「初めから分かりきっているようなことではない」(岸千年訳)というのが、ボンヘッファーの言葉です。

この点は、石川献之助先生が繰り返し教えてこられたことだと私は理解しています。教会は「人と人との出会いと交わりの場」である。その点がおろそかにされるようなら、一切は空しい、という理解です。私も大賛成なので、教会をそのようなものとして守り抜いていくように願っています。

しかし、その願いを強く持つからこそ、今の新型コロナウィルス感染拡大状況は、教会にとって恐るべき事態であるという認識を、私も石川先生も持っています。ボンヘッファーに言わせると、キリスト者同志の交わりは「自明なものではない」からです。

「自明なものではない」とは、キリスト者同志を結び付けているのは神の力であるということを言えばそのとおりだが、だからといって「神が守ってくださるから大丈夫だ」ということだけで済まされることではなく、それよりもっと大事なこととして、自明ではないからこそ大切に守り抜く課題がわたしたちに課せられているわけでしょう。そのことが、決して忘れられてはなりません。

しかし、こういう話を「共生が大事です」というような一般的なスローガンにしてしまうのは、私は反対です。教会でしか決して味わうことができない特別なものがあります。それを言葉にするのは難しいですが、教会に行かないと落ち着かない、教会に行ってみるとそれが何かが分かる「何か」。

そしてボンヘッファーが次のようにも書いています。

「キリスト者がほかのキリスト者と顔と顔とを合わせて相見たいと願う時、そのことは、彼がなおあまりにも肉にあって歩んでいることとして信仰者としては恥ずべきことである、と感じる必要はない。人間はからだとして創造され、神の御子はわたしたちのために、からだをもってこの世に来られ、からだをもってよみがえられ、信仰者は礼典において主キリストのからだを受け、死人のよみがえりは、霊的・肉体的な神の被造物の完全な交わりをもたらすのである」(森野善右衛門訳)。

これと同じ理由です、石川先生も私も同じですが、あっという間に「インターネット礼拝にしましょう」という話になっていかない理由は。

今日お集まりくださったみなさんの中にも、「果たして今日私は本当に教会に来て元旦礼拝に出席してよかったのだろうか」ということが気になり、感じなくてよいほどの罪悪感を覚えておられる方がいるかもしれません。その気持ちも理由も私には分かります。

しかし、だからといって、今わたしたちが自分の体を持ち運んでみんなで集まって「対面で」礼拝をしていることと、そういうことを一切抜きにした「インターネット礼拝」が同じであるわけがありません。

このようなひとつひとつの問題を「ああでもない、こうでもない」と頭をひねりながら、心を悩ませながら過ごす1年になりそうです。

しかし、わたしたちは絶望しません。教会の存在が「当たり前」だったことは、いまだかつて一度もありません。教会の存在は神の恵みであり、奇跡です。その教会を大切に守り抜く。そのことをわたしたちは、今までしてきたように、これからも続けていくだけです。

(2021年1月1日、元旦礼拝)

2020年12月27日日曜日

枯れた骨の復活

日本基督教団四谷新生教会(東京都新宿区四谷1-14)

集会案内

四谷新生幼稚園

説教「枯れた骨の復活」

エゼキエル書37 章1~6 節

関口 康

「枯れた骨よ、主の言葉を聞け。これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る」

2020 年最後の主日礼拝の今日、皆様にお開きいただきました聖書の箇所は、旧約聖書の三大預 言書のひとつであるエゼキエル書の37 章1 節から6 節までです。この箇所に記されていること に基づいて皆様にとって意味のある言葉を語らせていただくことが今日の目標です。

最初に個人的なことを申し上げるのをお許しください。私は現在、日本キリスト教団昭島教会の牧師であると共に、明治学院中学校東村山高等学校とアレセイア湘南中学校高等学校の聖書科非常勤講師をさせていただいています。

どちらの学校もまだ始めたばかりで、長年の流れのようなことはまだ言えないのですが、今年に限っては、たまたま両方の学校で同じ高校2 年生の聖書の授業を担当しています。まだやっと 1 学期と2 学期が終わったところで、3 学期が残っていますので、彼らの評価にかかわるようなこ とは一切お話しできません。しかし、どういう内容の授業であるかはお話しできると思います。

どちらの学校でも高校2 年生は、1 年間かけて旧約聖書を学ぶことになっています。ただし、それぞれの学校でカリキュラムが違いますので、授業の内容も全く違います。どちらの学校のことかは伏せますが、一方の学校で私が教えているのは、神学校レベルの「ガチの」旧約聖書緒論そのものです。私が勝手にしているのではなく、その学校でずっと前から行われていることです。

その授業で参考文献としてほぼ毎回書名を明示して引用しているのが、かつて四谷新生教会で伝道師をされていた左近淑先生の『旧約聖書緒論講義』(『左近淑著作集第3 巻』教文館、1995 年)です。まずここで皆様と接点があります。

しかし、それが左近先生の『旧約聖書緒論講義』の欠点だと言いたいわけではありませんが、今日の箇所のエゼキエル書についてはほとんど全く解説がありません。私はあの左近先生の講義を東京神学大学の教室で「ナマで」聴いた世代のひとりですが、実際の教室の中でもエゼキエル書については、全く語られませんでした。書物になっているものでも「記述預言者からイザヤ、エレミヤだけを見ます。あとは時間がありませんのでお話しできません」(同上書、258 ページ)とはっきり書かれています。半分冗談で申し上げますが、東京神学大学の卒業生の中に左近先生の口からエゼキエル書の話を聴いたことがある人は、だれもいないかもしれません。

しかし、いま私が高等学校で旧約聖書を教える立場にあって、「三大預言書についてはイザヤとエレミヤだけお話しします、あとは時間がありませんのでお話しできません」と言って済ませるわけには行きません。それで困ってしまいまして、エゼキエル書について左近先生の旧約緒論と同じレベルの別の参考文献を探すことになりました。それで見つけたのが、千葉大学で聖書学を教えておられる加藤隆先生の『旧約聖書の誕生』(筑摩書房、2008 年)です。

その内容は、私はとても素晴らしいと思っています。個人的な話が長くて申し訳ありませんが、私は東京神学大学では組織神学を専攻しましたが、ヘブライ語の授業を一度も受けたことがなく、実はヘブライ語を一文字も読めません。それでよく牧師などやっているなと叱られそうですが、とにかく全く読めないので旧約聖書の知識は専門家に頼るしかありません。その意味で私は加藤隆先生の『旧約聖書の誕生』について評価する立場にありません。間違いを指摘することなどは全くできません。しかし、とにかくエゼキエル書については加藤隆先生の書物に基づいて授業をしました。今年度はその授業は終わって期末試験も終わりましたので、今日皆さんにお話しすることも基本的に加藤先生の書物に基づいているということをあらかじめ明示しておきます。

ここからが今日の本題です。「加藤先生の解説によると」といちいち言わないでお話しします。

エゼキエル書は全体で48 章あります。預言者エゼキエルは、紀元前597 年にバビロンに最初に捕囚となって連れ去られた人々の中に混じっていました。

バビロン捕囚は、詳しく言えば2 度起きます。それを「第一次捕囚」と「第二次捕囚」と分け て言います。「第一次捕囚」が紀元前597 年で、このときエゼキエルがユダ王国から新バビロニア 帝国の首都バビロンへと連れ去られた捕囚の中のひとりだったというわけです。そしてその後、「第二次捕囚」が起こるのが、第一次捕囚の10 年後の「紀元前587 年」であるというのが加藤隆先生の説明です。ただし別の本、たとえば富田正樹先生の『キリスト教資料集』を見ると第二次捕囚に当たる事件が起こった年が1 年違いの「紀元前586 年」と書かれています。どちらが正しいかは私には分かりませんので、高校生には両方教えておきました。「加藤説と富田説がある」と言っておきました。

紀元前597 年の第一次捕囚で起こったのは、新バビロニア帝国のネブカドネザル王によるエルサレム占領です。そして、ユダヤ人のうちのすでに指導者だった人たち、あるいは将来指導者になりうる層の人たちが、新バビロニア帝国の首都バビロンに連行されます。連行された人数は、エレミヤ書52 章28 節には「3 千人ほど」と記され、列王記下24 章14 節には「1 万人ほど」と記されています。どちらが正しいかは、これも私には分かりません。この中にエゼキエルがいました。

第一次捕囚のときは、ユダ王国はまだ滅ぼされません。バビロニアに忠誠を示す王が立てられます。それがユダ王国最後の王となるゼデキヤです。しかし、とにかくまだ建物が壊されたり、人が殺されたりするような状態になっていなかったことが関係して、ユダヤ人の多くはこの災難は一時的なものに過ぎないと思い、要するに「ナメて」いました。その様子を見たエゼキエルは黙っていられず、ユダヤ人たちを激しく非難し、エルサレムの滅亡とイスラエルの破滅を予告します。しかし、第一次捕囚の人たちはエルサレムや王国が滅びることはないと考え、エゼキエルの言葉に耳を貸しませんでした。

しかしその後、第二次捕囚が起こります。加藤説では紀元前597 年、富田説では前596 年です。それはバビロンの傀儡として立てられたはずのゼデキヤ王が状況判断を誤って、バビロンに反旗を翻して戦争を仕掛けて行ったことへの逆襲でした。エルサレムは破壊され、ソロモンが建てた第一神殿は破壊され、ゼデキヤ王は両眼をつぶされ、青銅の足枷をはめられ、バビロンに連行されました。

その状態になって初めて人は絶望しました。「ナメて」いた人たちの顔色が変わりました。その絶望するユダヤ人の姿を見たエゼキエルは「ほら見たことか、ざまあみろ、私の言うことを聞かなかったからこうなったのだ」とは言いませんでした。そうではなく、エゼキエルは、ただちに彼らを励ます希望のメッセージを語りはじめました。「エゼキエル、かっこいいだろ」と高校生に言ったら、うなずいてくれました。自分自身も捕囚の苦難の中に巻き込まれている立場にありながら、絶望する人たちを非難して追い打ちをかけるのではなく、全力で希望のメッセージを語るエゼキエルの姿を想像するだけで、元気になるものがあります。

しかし、現実のエゼキエルは、まさに自分自身も捕囚されている状態なので、具体的な行動をとることができるわけでもない。ただ言葉を語るのみ、そして、ただ「幻」を見るのみにすぎませんでした。

そのエゼキエルが見た「幻」のひとつが、今日の聖書の箇所の「枯れた骨の復活」の幻でした。

神はエゼキエルに、枯れた骨が無数にある谷をお見せになり、これらの骨が生き返るように、と預言するようにお命じになります。そのとおりにエゼキエルが預言すると、骨が近づき、筋と肉が生まれ、それを皮膚が覆い、さらに霊が入ります。そのようにして、イスラエルの全家が生き返ります。

「死者の復活など信じられない」という意見があるのは当然です。死んだ人は生き返りません。

しかし、エゼキエルが見た「幻」の内容は、それが科学的に起こりうるかどうかなどいう次元の話とは全く異なるものです。自分の故郷を失い、家族や同胞が殺され、ひとつの国の滅亡を体験して絶望する人々に、それでも未来がある、国は立てなおされる、という希望のメッセージを、神が預言者エゼキエルに語らせたのです。

今の私たちにも「希望のメッセージ」が必要ではないでしょうか。ほとんど国の体をなしていない政治の腐敗に、新型コロナウィルス感染症が追い打ちをかけてきました。多くの人が「絶望」しています。

その中で、教会が、わたしたちが絶望に追い打ちをかけるような非難の言葉を繰り返しているだけであるわけには行きません。今こそ「希望のメッセージ」を語るときです。「死者の復活」を語るときです。

そのように思いましたので、皆様にお伝えいたします。四谷新生教会の皆様の上に、神の恵みと祝福が来年も豊かにありますようにお祈りいたします。

(2020 年12 月27 日、日本キリスト教団四谷新生教会 主日礼拝)

2020年12月24日木曜日

からし種シアター「きよしこの夜が生まれた日」

昭島教会と深い関係にある劇団「からし種シアター」からのクリスマスプレゼントです。クリスマスにふさわしいお話「きよしこの夜が生まれた日」を12月24日~27日まで4日間期間限定で無料配信をいたします。ぜひご覧ください。どうぞ良いクリスマスと新年をお迎えください。



よきクリスマスイヴをお過ごしください


2020年12月24日(木)17時30分、「新型コロナウィルス感染防止のためクリスマスイヴ礼拝は中止しますが、礼拝堂への入場は可能です」と記した看板を教会玄関前に出し、室内の照明と暖房をつけ、音楽CDで音楽を流し始める。どなたでも静かに祈りをささげることができる場所をご提供。18時から20時まで。

暖房が効いていて、あったかいです。穏やかな音楽が流れています。仕事帰りの方々が少しずつお見えになっています。

2020年9月27日日曜日

キリストの住まい


エフェソの信徒への手紙3章14~21節

関口 康

「どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかり立つ者としてくださるように。」

9月最後の日曜日。今週から10月。2020年も残り3か月。今年はいつにも増して時間が経つのが早い気がしてなりません。しかしそれは、感染症対策との関係で自分が願うような働きができていない焦りと結びついていると感じます。教会の皆さんに申し訳ない気持ちでいっぱいです。

いっそこのまま黙っているほうがいいかもしれません。しかし、私個人の問題ではなく教会の問題ですので申し上げます。主任牧師就任式を、まだ行っていません。

教会総会は書面で行いました。教区、教団、法務局への登記は完了しました。同じ手続きをしないかぎり、くつがえることはありません。なかったことにしようという話は、今のところ私の耳に入っていません。

主任牧師就任式は、それをしなければ主任牧師になったことにならないわけではありません。無理にしなくてもいいかもしれません。なぜするのかといえば、いわば結婚式と同じです。結婚式をしない婚姻関係は十分ありえます。しかし、結婚式を行う人もいます。神と教会の前で誓約すること。その関係を公にすること。それが主任牧師就任式の意味です。

過去の記録を確認したところ、昭島教会で教区の代表者による主任牧師就任式が行われたのは過去4回です。

最初からおられる石川献之助牧師が日本キリスト教団昭和町伝道所を開設された1951年の2年後の1953年の昭和町教会設立式が主任牧師就任式を兼ねるので、それが最初です。2回目が長山恒夫牧師の就任式で1989年。3回目が飯田輝明牧師の就任式で1997年。石川先生が主任牧師にお戻りになったときの就任式が4回目で2006年。

14年ぶりの今年(2020年)のうちに、5回目の主任牧師就任式を行うことができるでしょうか。日程を決めることができずにいます。役員会でさっさと決めて行えばいいではないかと思われるかもしれませんが、機運の問題、気持ちの問題を無視できません。オンラインで行うというのも、ひとつの手かもしれません。

就任式をしてほしいと、おねだりしているわけではありません。教団のルールがそうだから、と言いたいのでもありません。ただ、お互いに困るのは、なんとなくうやむやのままであることだと思います。もしよろしければ、我々の関係を公にしましょう。「私たち一緒に住んでいます」と堂々と言える関係でありたいと願っています。

今日開いていただいた聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙3章14節から21節までです。しかし、最近の聖書学者の多くが、エフェソの信徒への手紙は使徒パウロが書いたものではなく別の人がパウロの名前を用いて書いた手紙であると主張しますので、すんなりと話を始めることができません。

私が35年ほど前に、東京神学大学で初めてエフェソの信徒への手紙についての学術的な講義を受けたのは竹森満佐一教授からです。そのときの竹森先生の言葉をはっきり覚えています。

「この手紙はパウロが書いたものではないと言う人は多い。しかし、他のパウロの手紙に似ていることを否定する学者はだれもいない。似てるんでしょ。だったら『パウロが書いた』でいいんですよ」とおっしゃいました。すっきりした気持ちになったことを覚えています。

私はその竹森先生の線でお話ししたいと願っています。今日の箇所に記されているのは、使徒パウロの祈りです。パウロの名前を用いて書かれた別の人の祈りであるとか言い始めると、価値が下がります。

しかしそれでも、なるほど大切なのは「誰の」祈りなのかより「何が」祈られているかのほうだと思います。内容が大切です。そして、確実に言えるのは、これは西暦1世紀のキリスト教会で大変重んじられた祈りの言葉である、ということです。

エフェソの信徒への手紙や、次のフィリピの信徒への手紙などは、当時の多くの教会で回覧され、礼拝の中で読まれていたと言われます。手紙というより回覧文書です。そのようなものとして当時の教会で重んじられ、2千年後の今日まで伝えられてきました。

この祈りの中で注目していただきたい言葉を、今日の週報の「今週の聖句」に書き抜きました。それが16節と17節です。マークしていただきたいのは「御父」と「その霊」と「キリスト」と「信仰」と「あなたがたの心」です。

父なる神が、聖霊によって、信仰によって、御子なる神なるキリストを、あなたがたの心の内に住まわせるようにしてください、と祈られています。

教会の歴史や神学を学べば学ぶほど次第に分かってくるのは、わたしたちの神が父・子・聖霊なる三位一体の神であるということが教会の教義として定められたのは西暦4世紀であるというようなことです。「三位一体」という言葉自体は聖書に出てこないことも事実です。

しかし、だからといって、父・子・聖霊なる三位一体の神が西暦4世紀に誕生したわけではありません。教会の教義になる前から、父・子・聖霊は神でした。私たちは母の胎から出る前から存在しました。名がつけられ、出生届が提出された瞬間に人間になったわけではありません。それと同じです。

三位一体の神と私たちとの関係が祈られています。直線的な関係です。父なる神から私たちへと、聖霊なる神の働きによって私たちの中に信仰が生まれ、その信仰によって私たちの心の中にキリストが宿ってくださるという話です。

言葉にしようとすると、どこまでも難しくなります。しかし、感覚的には理解できる話です。私たちの信仰は、神が私たちに与えてくださったプレゼントである、ということです。そして、信仰が与えられている私たちの心の中にキリストが住んでおられるのです。

言い方を換えれば、「キリストの住まい」は私たちの心であるということです。キリストがおられるのは、山のあなたの遠い空の向こう側ではない。今ここに、わたしたちの胸の奥におられるのです。

そして、「キリストが私たちの心に住む」とは、キリストと私たちが愛し合い、その関係を公にすることを意味します。好きになった人のことを「意中の人」と言うではありませんか。心の中に思い定めた人。

私たちの「意中」に、キリストがおられるのです。私たちの胸いっぱいにキリストがおられます。そして、すでに一緒に住んでいるならば、そのことを隠すわけには行きません。それが信仰を告白し、洗礼を受けることの意味です。

愛がなければ騒がしいどら、やかましいシンバルです。信仰と希望と愛、その中で最も大いなるものは愛です(コリントの信徒への手紙一13章)。

キリストがわたしたちを愛してくださり、わたしたちがキリストを愛する、その関係がすでに始まっている。それが「キリストが私たちの心に住む」ということです。

(2020年9月27日、日本キリスト教団昭島教会 主日礼拝)

2020年8月23日日曜日

力を合わせて働く


コリントの信徒への手紙一3章1~9節

関口 康

「大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」

今日も暑い中お集まりくださり、ありがとうございます。新型コロナウィルス感染拡大防止の観点から、教会も多くの点で自主規制を余儀なくされています。それでも日曜の教会学校と主日礼拝、また木曜の聖書に学び祈る会の出席人数は、徐々にですが、元通りになってきています。

しかし、このことを申し上げるのも、事柄を急かす意味も、裁く意味も全くありません。どうかご自愛ください。決して無理をしないでください。「責任逃れでそのように言うのだろう」とか言わないでください。そういう問題ではないと、どうかご理解ください。

教会というものの本質を考えると、教会に集まるわたしたちひとりひとりの命が教会の命です。わたしたちひとりひとりが教会です。その意味では「教会は人の集まり」です。いろんな意味で言われる言葉です。「教会もまた、複雑に絡み合った人間模様が展開される場である」というような意味で「教会は人の集まりにすぎない」とまるで吐き捨てるように言われる場合もあります。しかし、今申し上げているのは、その意味ではありません。

人がいなければ教会ではありません。わたしたちの生身の命の集まりが教会です。イエスさまも弟子の存在をお求めになりました。イエスさまひとりだけがいて、それで教会だということはありません。人がいて、それで初めて教会です。だからこそ、わたしたちひとりひとりが自分の命を大切にすることは教会を守ることを意味しています。その意味でくれぐれもご自愛くださいと申し上げています。

しかし、これからどうすればよいかは本当に分かりません。手をこまねいているわけには行きませんが、途方にくれます。

近所のコンビニエンスストアに、毎日のように行っています。贅沢するつもりはありません。最近はコンビニでなんでも買えますので、特に学校が夏休みの間は、野菜や豆腐などを買っては自分で料理をしています。

今お話しするのは、料理自慢ではなく、コンビニのアルバイトの人のことです。インドの南端から東の海にスリランカという国の島がありますが、そこから来た男子学生がいます。私が牧師であることを明かしたら「ぼくもクリスチャンです」と教えてくれて、意気投合しました。

話すと言っても、レジ中の一言二言です。昨日「ご家族は大丈夫ですか」と尋ねたら、「はい、大丈夫です」と返ってきました。「向こうはどう」と尋ねたら、それだけで通じて「国全体で感染者が200人ほどしかいません」と返って来たので、それはすごいと驚きました。「日本から帰ってくるなと言われるでしょ」と尋ねたら「はい、言われます」と笑ってくれました。

後ろにお客さんが並んでいますので、それ以上の会話はできません。帰宅してその会話を思い出しているとき考えさせられたのは、コロナの話題は国籍を越えるということでした。これほど例外なく全世界の全人類が共有し、共感できる話題はありません。互いを思いやり、心配しあう心のつながりが、全く思いもよらぬ仕方で生まれてきた気がしてなりません。

今日朗読していただいた聖書の箇所も日本キリスト教団の聖書日課『日毎の糧2020』に従って選びました。このことを毎回言うのは、特に今年に関してはコロナとの関係で聖書の箇所を選んだわけではないと申し上げたいからです。2020年版の発行日は「2019年12月1日」ですので、コロナとは無関係に編集委員会が作成したものです。

しかし、毎週感じるのは、その日の聖書の箇所はわたしたちの状況によく当てはまっているということです。ただし、今日の箇所に関してはよく当てはまってよいかどうかは考えどころです。

コリントの信徒への手紙一3章1節から9節までを先ほど司会者に朗読していただきました。この箇所に記されていることを今のわたしたちの言葉づかいで説明するとしたら、使徒パウロがいわば開拓伝道者として設立したコリント教会が、パウロがその教会の牧師を辞職して次の任地に移動したのち、次に来た牧師がアポロという名前でしたが、教会が分裂してパウロ派とアポロ派ができてしまったという話です。ひとつの教会の中で両派がけんかしている状態です。

しかもそれを、よりによって設立者であるパウロ自身が口をはさむ仕方で「ある人が『わたしはパウロにつく』と言い、他の人が『わたしはアポロに』などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか」(4節)というような強烈な言葉でずけずけと教会を責めている箇所ですので、教会というものの現実をよく知る人であればあるほど複雑な気持ちで読まざるをえないところです。

しかし、今回改めてこの箇所を読み直してみて気づかされたのは、6節と7節に記されている「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です」という使徒パウロの言葉は、なにかこう、どこか下世話に響く言い方をお許しいただけば「きれいごと」のようなことでは決してないということです。

私個人の気持ちを言わせていただけば、「あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか」とパウロのような人から言われても「私はただの人だよ。文句あるか」と返したくなるところがあります。どの牧師が好きとか、どの牧師につくとか、そういうことは阻止されるようなことではないし、阻止したところで無駄な抵抗です。「どうぞご自由に」としか言いようがありません。

いま申し上げたのは私の気持ちですが、パウロも同じ気持ちだったのではないかと想像します。「わたしは植えた」と言っているのですから。コリント教会の創立者はこの私であると明言しているのですから。「アポロは水を注いだ」とも言っています。各教師の働きの努力を、パウロ自身が否定しているわけではありません。

問題なのは、なんだかんだ理由をつけて、教会の中でけんかすることです。そんなことをしていると、教会は四分五裂、雲散霧消です。跡形もなく消滅してしまいます。そうならないために「成長させてくださる神」を共に信じようではありませんかというのが今日の箇所の主旨です。

教会を失うことが最大の損失です。「失ってみれば分かる」という言い方はしたくありません。コンビニの彼が教会に来てくれるかどうかは分かりません。しかし、いろんな機会を得ながら、友達を増やしていくことが今の危機を乗り越える道ではないかと思う次第です。

教会のみんなで、力を合わせて伝道しましょう。

(2020年8月23日、日本キリスト教団昭島教会 主日礼拝)

2020年8月9日日曜日

聖餐を待ち望む


コリントの信徒への手紙一11章23~29節

関口 康

「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。」

今日の聖書の箇所も、いつもと同じく、日本キリスト教団の聖書日課『日毎の糧』に基づいて選びました。説教題も、『日毎の糧』どおり「聖餐」とする予定でした。しかし、今のわたしたちの状況を考えて、言葉を少し伸ばして「聖餐を待ち望む」としました。

今のわたしたちの状況とは、「新型コロナウィルス感染拡大防止の観点から」多人数の集会の中で飲食をふるまうのを控えるべきであるという考えのもと、原則として毎月第1日曜の礼拝と、キリスト教の三大祝祭としてのクリスマス、イースター、ペンテコステの各礼拝とで行っている聖餐式を、今年3月から半年間も中止したままである、ということです。

その間、イースター(4月12日)もペンテコステ(5月31日)も過ごしました。両日とも聖餐式を行わなかったどころか、各自自宅礼拝でした。礼拝堂にみんなで集まっての礼拝をしませんでした。

そのような状況の中で、今日私は「聖餐を待ち望む」という題でお話しします。さっそく誤解が起こりそうなので申し上げます。今日の説教題には、半年も行えていないわたしたちの聖餐式を今すぐ再開すべきだと急かす意味はありません。そのようなことは全く考えていません。

「コロナ禍が過ぎ去るまで、忍耐して待ちましょう」と言えば、もちろんそのとおりです。それ以外に言いようがありません。しかし、いつ過ぎ去るのでしょうか。

そんなことは気にしないで、どんどんやりましょうと言うべきでしょうか。不安と恐れをもつ人々のほうが悪いでしょうか。そのようなことは、私は全く考えもしませんので、聖餐の再開を急かす意味も意図もありません。

否定的な言葉ばかり並べるのは、みなさんをがっかりさせるだけで申し訳ないです。なんとか肯定的な言葉も語りたいです。

それで申し上げたいことですが、このたび図らずも、わたしたちがもしかしたら見落としていたかもしれないけれども、考えてみれば当たり前すぎるほど当たり前の事実を、再認識できたのではないだろうか、ということです。

それは何かと言いますと、端的に「聖餐とは飲食である」ということです。だからこそ、それを行うのを今わたしたちは取りやめています。飲食でないならば、取りやめる必要はありません。

聖餐は「飲食」です。その「飲食」を教会は、イエス・キリストが弟子たちと共に行われた最後の晩餐を記念する仕方で、なんと2千年ものあいだ続けてきたと、わたしたちは信じています。

ひとつのことだけを強調して言うと、まるでなにか極端なことを言っているのではないかと思われてしまうかもしれません。しかし、事実です。教会は「飲食」の場であり、礼拝は「飲食」の時間です。教会における「飲食」の要素は、あってもなくても構わないような、どうでもよいものではありません。密接不可分の関係にあります。

いちいち箇所を挙げて説明するのは割愛しますが、西暦1世紀の教会の活動の様子が描かれているのが、新約聖書の使徒言行録です。読むと必ず分かるのは、最初のキリスト者たちは礼拝のために日曜日に集まるたびに、イエス・キリストが最後の晩餐でなさったように、パンを割いて、それをみんなで食べていたことです。そのことが繰り返し記されています。

今日の箇所に記されているのも、当時の教会で行われていた「飲食」の様子です。それについてパウロが、自分の目で見ておかしいところがあるので改めたほうがいいとか、こうすべきだとか、やや厳しい内容を含む意見を述べている箇所です。

当時の教会でどのような礼拝が行われ、そこで「飲食」が行われていたかについて、聖書の研究者が言うことには諸説あるようです。

私なりに理解しているところを申せば、今のわたしたちが「聖餐」と呼ぶ部分と「愛餐」と呼ぶ部分は、当時から分かれていました。どこが違うかといえば、飲食の量の違いであるとしか言いようがありません。ちょっと食べるか、いっぱい食べるかの違いです。しかし、それだけ言うと誤解を招くでしょう。

今日の箇所で大事なのは、パウロが「空腹の人は、家で食事を済ませなさい」(33節)と書いていることです。これは「聖餐」だけではなく「愛餐」にも当てはまることだと思われます。しかし、もしそうなら、疑問がわいてきます。だって普通、飲食の席に人を誘うときは「家で食事しないで、お腹をすかして来てくださいね」と言うではありませんか。パウロが言っているのは正反対です。

これで分かるのは、パウロが言おうとしているのは、教会に通う目的は、教会でお腹いっぱい食べるためではない、ということです。そうではなく、たとえ少量であっても、あるいは実際には家でごはんをしっかり食べて来て、お腹に入るところはもうどこにもないほどであっても、そのこととは別に、教会で「飲食」をすること自体に意味がある、ということです。

彼らがなぜ、それほどまでに「飲食」を重んじていたかといえば、それがイエス・キリストのご生涯を現していると、彼らが信じたからです。

私は今ここに、パンとぶどうジュースを持ってきました。礼拝の直前に、あそこのコンビニで買いました。残念ながら白ブドウのジュースしかありませんでした。そして、申し訳ありませんが、皆さんに分けるためではなく、私があとでひとりで食べます。

そんなものをなぜ持ってきたのかといえば、こんなふうにイエスさまがなさったのではないかと想像していただくためです。

最初に、このようにしてパンを割って「これが私の体だからね。私の命をあなたがたにあげるからね」とおっしゃったのではないでしょうか。

次に、ぶどうの杯を取り上げて「これが私の血だからね。私の命をあなたがたにあげるからね」とおっしゃったのではないでしょうか。

もちろん特に最後の晩餐に関していえば、十字架上での処刑前夜という状況だっただけに深刻な場面だったとは思います。しかしそれでもなんとなくユーモラスな雰囲気があったのではないかと想像できます。イエスさまは、笑顔だったのではないでしょうか。

しかしイエスさまは、小さなパンやわずかなぶどう液を見せつけてありがたがらせるようなことをなさったわけでは決してなく、食べるにも困っている人たちや、寂しい人たちや、世で差別されている人たちを積極的に招いて、あるいはイエスさま自ら訪問されて、共に「飲食」をすること自体でその人々を励まし助けることに、ご自身の一生をささげて取り組まれた救い主です。

イエスさまのお姿をまざまざと思い起こすための「飲食」、それが「聖餐」であり「愛餐」です。逆に言えば、そうでないような「飲食」であれば、教会で行う意味はありません。「空腹の人は家で食事を済ませなさい」とパウロが書いているとおりです。

「聖餐」の再開を待ち望みます。それがいつかは分かりません。しかし「聖餐」の再開の目的は、イエスさまのお姿をまざまざと映し出し、喜びと救いの恵みにあふれる教会本来の姿を取り戻すことです。その日を心から待ち望みます。

(2020年8月9日、日本キリスト教団昭島教会 主日礼拝)

2020年7月26日日曜日

破局からの救い


使徒言行録27章33~44節

関口 康

「だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。」

今日の箇所に記されている出来事は、先週の箇所に記されていたことと時間的にも内容的にもつながっています。

使徒パウロが2回目の伝道旅行を終えてエルサレムに戻ったとき、40人以上のユダヤ人たちがパウロに襲い掛かりました。しかし、客観的に見てパウロに罪はないと考えたローマ軍の千人隊長がパウロを助け、なんと470人もの兵士にパウロを守らせて、エルサレムの隣町カイサリアまでパウロを護送したというのです。

そして、カイサリアに着いたパウロは、ローマ総督フェリクスの前で弁明を求められたので、そこで自分は悪いことをしていないと言い、死者の復活というユダヤ教のファリサイ派の人々も受け入れているのと同じ信仰を叫んだだけだと言ったというのが、先週の箇所に記されていたことのあらすじです。

その続きの話が今日の箇所に記されています。カイサリアのフェリクスのもとで弁明を終えたのち、パウロはさらに、なんとローマ皇帝に謁見することが許可され、ローマまで護送してもらえることになりました。

「してもらえる」という言い方を意図的にしています。客観的あるいは相対的に見て一般市民のひとりにすぎないパウロが、ローマ軍を護衛につけてローマ皇帝のもとまで連れて行ってもらえるというのは、驚くばかりのことであり、奇跡に近いと考えるほうがよいと思うからです。

西暦60年代から70年代にかけて、ユダヤとローマ帝国の間で、歴史家が「第一次ユダヤ戦争」と呼ぶ戦争が起こりました。しかし、その戦争のことは使徒言行録には描かれていません。今日の箇所を含む使徒言行録に描かれているのは、すべて西暦60年代より前の出来事です。

そのことが意味するのは、イエスが十字架につけられた西暦30年頃から30年も経たないうちにキリスト教会がローマ帝国の目から見て無視できない存在になっていたということです。その約300年後の西暦4世紀にはキリスト教がローマ帝国の国教になります。そのような実際の歴史的な流れを考えながら読むと、今日の箇所はとても興味深いものになるでしょう。

それでは今日の箇所に描かれていることは何でしょう。ローマ軍の兵士たちとパウロを乗せた船が地中海で暴風に遭い、漂流しはじめたというのです。せっかくローマ皇帝に謁見できる運びになったのに、途中で交通事故に巻き込まれて足止めを食らいました。足止めどころか、海の上で全員が死んでしまう危険性がありました。しかしその中で、パウロが活躍したというのです。

今日の箇所の少し前の27章20節に「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消え失せようとしていた」と書かれています。その船に乗っていた人の数は276人でした(37節)。これだけの人々が暗闇の海の上で絶望的状況に追い込まれました。

その中で「パウロが活躍しました」と先ほど言いました。しかし、客観的に見て、そのときのパウロは、その船の中でどう考えても指導的な立場にあったとは言えません。そこにはローマ軍の百人隊長もいるし、軍人たちもいました。船長もいれば、船員たちもいました。しかし、その人々は、難破船の中で、ただおろおろしているだけでした。

ひとり、パウロが語りはじめました。客観的に見れば一般市民であり、旅人であり、この時点では囚人のパウロです。何も持たず、足には足かせを付けられていたことでしょう。そんな無力で何も持たないパウロが、鎧やかぶとや剣をもった兵士たちに対し、力強い言葉で励ました、というのです。何かとんでもないことが起こっていると、認識すべきでしょう。

漂流14日目の夜にどこかの陸地に近づいたことが分かった船員たちが、暗礁に乗り上げるのを恐れて船から逃げだそうとしました。しかしそのときパウロが、百人隊長と兵士たちに「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない」と言って船員たちが逃げ出すのを阻止した、という逸話が描かれています。

パウロは勉強家だったようですので、もしかすると、船を動かす技術や海についての専門的な知識を持っていたかもしれませんが、そうかどうかは全く定かではありません。そのような知識は一切持っていなかったかもしれません。

しかし、パウロに分かったことがあったのです。危機的な状況の中で、人間が何を考えるか、どのような行動をとるかが。この中で、ずるい人はだれか、逃げ出す人はだれか、だます人はだれかが。

なぜ分かったかといえば、それはパウロが教会の牧会者だったからだ、としか私には言いようがありません。牧師の立場で教会をシビアに見ていくと、同じことがあてはまると、パウロの目には見えていたのだと思います。

そしてパウロがみんなに呼びかけたのは、一緒に食事をしましょうということでした。そしてその食事の前に、パウロが感動的なメッセージを語っています。

「今日で14日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」

こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた、と記されています。総勢276人の大宴会の始まりです。

このときパウロは、教会の聖餐式や愛餐会を思い浮かべていたのではないでしょうか。コロナ禍の今、わたしたちが、その「教会の食事」を一緒にできないのが残念でなりません。

それでみんなが元気になりました。「十分に食べてから、穀物を海に投げ捨てて船を軽くした」と記されています。残りの食べ物は無い、ということは、彼らが背水の陣を敷いたことを意味しています。

私にとって興味深いことがあります。それはパウロが彼らに「神を信じなさい」と言わないことです。「わたしは神を信じています」(25節)とは言いました。しかし、ローマ軍の兵士たちにパウロが語ったのは「元気を出しなさい」であり、「何か食べてください」という言葉でした。

これはわたしたちにとってとても大切なことです。人の不安や不幸に乗じて特定の宗教を一方的に押し付けられると、わたしたちだって警戒心を持つではありませんか。「伝道のチャンスだ」などと思わず、窮地を乗り越えることにおいて互いに協力しあうことに集中するのが大事です。

結果として「キリスト教の人たちは信頼できる」と思ってもらえたら、その中に「教会に行ってみようかな」と心を動かしてくださる方が、あるいは引き起こされるかもしれません。しかし、それはあくまでも結果論です。

(2020年7月26日、日本キリスト教団昭島教会主日礼拝)

2020年7月19日日曜日

復活の希望


使徒言行録24章1~23節

関口 康

「彼らの中に立って、『死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ』と叫んだだけなのです。」

今日の個所で語っているのは使徒パウロです。場所はカイサリアという町です。その直前までエルサレムにいました。パウロをエルサレムからカイサリアまで連れてきたのは、千人隊長クラウディウス・リシアと、リシアが召集した歩兵200名、騎兵70名、補助兵200名、合計470名でした(23章23節)。

この兵士たちは、エルサレムでパウロに対して「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない」(22章22節)とわめき立てていた40人以上のユダヤ人たちの手からパウロを助け出し、カイサリアにいたローマ総督フェリクスのもとへパウロを護送しました。

クラウディオ・リシアがフェリクス宛てに書いた手紙の内容が、23章26節以下に記されています。

「クラウディオ・リシアが総督フェリクス閣下に御挨拶申し上げます。この者がユダヤ人に捕らえられ、殺されようとしていたのを、わたしは兵隊たちを率いて救い出しました。ローマ帝国の市民権を持つ者であることが分かったからです。そして、告発されている理由を知ろうとして、最高法院に連行しました。

ところが、彼が告発されているのは、ユダヤ人の律法に関する問題であって、死刑や投獄に相当する理由はないことが分かりました。しかし、この者に対する陰謀があるという報告を受けましたので、直ちに閣下のもとに護送いたします。告発人たちには、この者に関する件を閣下に訴え出るようにと、命じておきました。」

いま申し上げているのは、パウロがなぜカイサリアのローマ総督フェリクスの前に立つことになり、そこでパウロが自分の立場を説明しているのかについての背景説明です。

今日の朗読箇所の直前に、大祭司アナニアの顧問弁護士であるティルティロが語っています。最初のほうはお世辞です。面倒くさいので割愛します。問題は24章4節以下です。

「さて、これ以上御迷惑にならないよう手短に申し上げます。御寛容をもってお聞きください。実は、この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、『ナザレ人の分派』の主謀者であります。この男は神殿さえも汚そうとしましたので逮捕いたしました。閣下御自身でこの者をお調べくだされば、私どもの告発したことがすべてお分かりになるかと存じます」。

この箇所の内容から分かるのは、ティルティオはパウロを「疫病のような人間」であると言っています。もちろん批判の言葉として語られたものであって、誉め言葉ではありません。しかし、パウロの影響力の大きさを指して「疫病のよう」と言われているとしたら、周囲に脅威を与える存在だったことを意味するでしょう。

わたしたちはどうだろうと考えさせられます。疫病呼ばわりはごめんですが、社会の中で全く影響力がない存在であるとしたら寂しいかぎりだと思わなくはありません。

今日の箇所の10節以下がパウロの言葉です。

「私は、閣下が多年この国民の裁判をつかさどる方であることを、存じ上げておりますので、私自身のことを喜んで弁明いたします。確かめていただけば分かることですが、わたしが礼拝のためエルサレムに上ってから、まだ12日しかたっていません。

神殿でも会堂でも町の中でも、この私がだれかと論争したり、群衆を扇動したりするのを、だれも見た者はおりません。そして彼らは、私を告発している件に関し、閣下に対して何の証拠も挙げることができません。

しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に即したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。」

パウロの言うとおりだと思います。パウロがエルサレムでしたことがあるとすれば、今のわたしたちと同じように、普通にただ礼拝しただけです。聖書のお話を聞き、祈りをささげる。ただそれだけです。客観的に見れば、静かなものです。それが、しかし「疫病」呼ばわりになったり「扇動者」呼ばわりになったりです。

パウロが総督フェリクスの前で語ったのはキリスト教信仰の核心部分である「死者の復活」という点でした。「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望」と言われている中の「正しい」とか「正しくない」というのは神との関係を指していますので、神を信じて生きている者も神を信じていない者も、という意味になります。

この「死者の復活」という信仰は、ユダヤ教のファリサイ派の人々は信じていることでした。パウロが言おうとしているのは、キリスト教徒が「死者の復活」を信じるからといって、ユダヤ人たちから異端視される理由にならないということです。

しかし、パウロの場合は、それは先祖から受け継いだ信仰だからという理由で「死者の復活」を信じたわけではありません。パウロは、イエス・キリスト御自身が彼の目の前に本当に現れたと信じたのです。

わたしたちはどうでしょうか。わたしたちは「死者の復活」という言葉にどう反応したらよいでしょうか。何を信じるべきでしょうか。何を期待すべきでしょうか。

それは、亡くなった人がたまに夢の中に現れてくれることでしょうか。あるいは、亡くなった人が地上に遺した業績を見つめながら故人の在りし日をしのぶことでしょうか。亡くなった人の体をミイラにして、かびないように保存することでしょうか。遺伝子を取り出して保存して将来その人のクローンを作ることでしょうか。立派な銅像を建てることでしょうか。

どのように信じることも、あるいは信じないことも、ある意味で自由です。ダメと言われても困るというか、人は信じたいことを信じたいように信じます。それを止めることはできませんし、止めてもとがめても効果はありません。自分の考えと違うとなれば、信じること自体をやめるか、自分の考えと近いことを言う人たちのところに行くだけです。

パウロは、自分が見たことを見たように語っただけです。初代のキリスト教徒が「死者は復活する」と信じた内容も、権力者たちが十字架にかけて殺害したイエスは生きている、ということです。権力者たちに対する抵抗の意思表示、すなわち挑戦状の意味がありました。

万人に対する生殺与奪権を持っていると思い込んでいる権力者たちが、どれほど自己保身のために邪魔になる存在を滅ぼし尽くそうとしても、それは無駄な抵抗であるということです。

イエスは生きている、イエスによって裁かれるのはお前たちだ、ということです。

(2020年7月19日、日本キリスト教団昭島教会主日礼拝)

2020年6月28日日曜日

天のエルサレム

説教壇にアクリル板を設置し、マスク着用で説教しています

ヘブライ人への手紙12章18~29節

関口 康

「このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。」

来週の礼拝から原則的に元通りに戻すことにしました。教会学校も来週から再開します。聖書に学び祈る会も今週木曜から再開します。それが最善の選択だという確信はありません。様子を見ながら状況に対応していきたいと考えています。

今日の聖書の箇所はヘブライ人への手紙12章18節から29節までです。いつものとおり日本キリスト教団の聖書日課に基づいて選びました。内容的に難しい箇所です。何を言っているのか分からないとさえ思えます。しかし、難しいから避けるのではなく、皆さんと一緒に難題に取り組む気持ちでお話しします。

最初に申し上げるのは、「ヘブライ人への手紙」というタイトルの問題です。先週の説教で「ヨハネの手紙一」を取り上げたときに申し上げたのと同じようなことを言わなくてはなりません。それは、「ヘブライ人への手紙」は「手紙」ではない、ということです。

ただし、「ヨハネの手紙一」と違い、「ヘブライ人への手紙」には13章20節から最後までに「結びの言葉」があります。この点だけ見れば手紙のようでもあります。しかし、書いた人の名前もなければ、宛て先も記されていません。もともとは前書きがあったが、失われたのだという仮説が唱えられたことがあったようですが、根拠はありません。

手紙でないなら何なのかを考えるヒントがあります。それが今指摘した13章20節以下の「結びの言葉」の中の「兄弟たち、どうか、以上のような勧めの言葉を受け入れてください」(22節)です。「勧めの言葉」の原意は、今の教会の「説教」と同じです。つまり、この書物の内容は「手紙」ではなく「説教」であると著者自身が述べています。

次に申し上げるのは、この書物の著者はだれかです。これも13章22節以下の結びの言葉の中に「わたしたちの兄弟テモテが釈放されたことを、お知らせします」(23節)と記されていることで、テモテは使徒パウロの弟子であることがよく知られているために、「ヘブライ人への手紙」はパウロが書いたものだと昔から考えられてきました。

特に重大な事実は、この書物が新約聖書の一書として加えられることが確定したとき(西暦4世紀)、加えられた理由が「使徒パウロの書簡だから」ということだった、ということです。しかし、そう考えるのは無理であると、今は大方考えられています。

このような話をするのも、聖書の学術的な説明をしたいわけではありません。使徒パウロの手紙であることがはっきりしている、たとえばローマの信徒への手紙やガラテヤの信徒への手紙の中に書かれていることとの関係や調和を考えながら「ヘブライ人への手紙」を読む必要はない、ということを申し上げたいだけです。著者はパウロではありません。

もうひとつ申し上げるのは「ヘブライ人への手紙」が書かれた時期です。結論だけ言えば、西暦1世紀の終わりごろ、80年代から90年代ではないかと言われています。冗談めかして言うことではありませんが、使徒パウロが書いたものだとしたら、パウロは何歳まで生きたのだろうという話になります。

年代の話をするのは、それがこの書物の最も重要なテーマだからです。そうであるということの根拠をいくつか挙げておきます。

「この救いは、主が最初に語られ、それを聞いた人々によってわたしたちに確かなものとして示され」(2章3節)。

「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません」(12章4節)。

「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい」(13章7節)。

今あげた3か所に共通しているのは、この書物の著者が語りかけている相手が、キリスト教会のいわゆる第二世代というべき人々である、ということが分かるように書かれているということです。第一世代の多くは殉教の死を遂げました。しかし、あなたがたはそうでない、なぜなら、あなたがたは「まだ血を流していない」からだと言われているわけです。

この書物の中で特に有名なのは、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(11章1節)から始まり11章全体に及ぶ、旧約聖書物語の要約です。

カイン、アベル、エノク、アブラハム、サラ、イサク、ヤコブ、エサウ、ヨセフ、モーセ、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエルらの名前が、次々に挙げられます。

そのうえで、「このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」(12章1~2節)と語られます。

つまり、この書物が書かれた、あるいは宣教として語られたときの背景ないし文脈には、教会の世代交代に際して、第一世代の人々の熱心な信仰を第二世代の人々にぜひ受け継いでもらいたいという強い願いがあった、ということです。それは、ほとんどそのひとつのこと(信仰継承!)を言うためだけに、この書物が書かれた、と言ってもよいほどです。

しかし、どうでしょうか。反論するわけではありませんが、キリスト教会の第二世代の人々は本当にだらしなかったのでしょうか。第一世代の人々の目から見ると、そのように見えたかもしれません。しかし本当にそうだったのでしょうか。第一世代の人々が、我々の信仰を受け継いでくれない、教会を受け継いでくれないと、第二世代の人々に対して腹を立てたり落胆したりするあまり、厳しすぎる言い方になってしまっている嫌いがなかったでしょうか。

どんなことであれ、先輩が後輩に厳しい目を向けるのはある意味でやむを得ないことです。しかし、わたしたちが知っている事実は、教会の歴史は第一世代だけで途絶えはしなかった、ということです。なんと二千年も続いたし、これからも続くであろう、ということです。

わたしたちはどうでしょうか。叱られれば委縮するだけです。互いに責め合うのではなく、愛をもって信仰を継承し、教会の世代交代を果たしていこうではありませんか。

「感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えること」(28節)が大事です。キーワードは「感謝」と「敬意」と「喜び」です。つまり《楽しい教会》であることがどうやら大切です。

その思いで、再来年(2022年)の昭島教会創立70周年を共に迎えようではありませんか。

(2020年6月28日、日本キリスト教団昭島教会 主日礼拝)

間隔をあけて座るようにしています