2017年7月19日水曜日

LINEをPCで再開しました

LINE(Windows10)

LINEをPCで再開したらメッセージが来るようになった。最近のメールは商売系DMばかり。知人との連絡はSNSに移行。faceookもtwitterも、タイムラインよりメッセージを使うことが多くなった。複数の相手と同時進行になることもある(申し訳ない)。それをたぶん「混線」と言う。

対面でも電話でも「話し中」というのがあるが、ネットにはそれがない。自慢ではないが、たぶん年齢に関係していそうだが、私のほうからどなたかに連絡することより、他の方から連絡を受けて始まるやりとりのほうが最近は多い。「いま話し中だから後にして」とネットでは断りにくい、というか断れない。

仕事柄、深刻な相談を受ける場合もあるので、心ここにあらずの対応ではまずい。「混線」を避けるためには、連絡ツールをひとつに絞る(メールなのかfacebookなのかtwitterなのかLINEなのか)ほうがいいのかもしれないが、それぞれつながっている相手が異なるので、どれも切れない。

便利な世の中になったが、その分だけ新たな問題が発生し続ける。そうであることを苦にしているわけではないが、常に手探りの試行錯誤状態なので、いっぱい申し訳ないことをし、いっぱい謝り、いっぱい後悔と恥と苦痛を味わう。昔のままでずっと同じというのが一番楽なのさ。でも、それでは前進はない。

これからの時代を生きるための必須課題は「混線」と「コンセントレーション」(集中)を同時に成り立たせることだ(うまいことを言ったつもりだ)。「字のやりとり」ではあるので、エアでのやりとりのように「メモをとりながらでないと話の筋が分からなくなる」ことは意外に少ない。読み返せば分かる。

2017年7月16日日曜日

互いに愛し合いなさい(上総大原教会)

日本キリスト教団上総大原教会(千葉県いすみ市大原9696)

ローマの信徒への手紙13章8~10節

関口 康(日本キリスト教団教師)

「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』。そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。」

上総大原教会の皆さま、おはようございます。日本キリスト教団教師の関口康です。この教会で3回目の説教をさせていただきます。今日もどうかよろしくお願いいたします。

3回目のご依頼をいただいてすぐ、どんな話をさせていただこうかと考えました。1回目は1月1日の新年礼拝、2回目は4月2日でした。2回とも「伝道」の話をしました。

それで結局、今日も「伝道」の話をします。しかし、いわゆるハウツーの話ではありません。そういう話が私にできないわけではありません。むしろいくらでもできます。

しかし、はっきり言わせていただきますが、ハウツーの話というのはこの教会の状況にそぐいません。現実味が全くありません。お題目のような話であれば、目をつぶったままでも言えます。こんな感じでしょうか。

とにかく人を誘わなくては教会に誰もいなくなるので、人を教会に誘いましょう。まず家族に伝道しましょう、次は友人に伝道しましょう。ご近所の人を教会に誘いましょう。

言葉で伝えるのが難しいようなら、チラシを配りましょう。トラクトというのがキリスト教書店に売っているので、そういうのを買って配りましょう。いろいろ有名人に来てもらって講演会やコンサートを開きましょう。

いろいろやってみました。結局教会に人は集まりませんでした。そうか、いろいろやってもダメなのだ。日曜日の礼拝が教会のすべてなのだ。とにかく大事なのは礼拝なのだ。

聖歌隊が欲しいが、人がいないからうちでは無理だ。奏楽者がいて欲しいが、自動演奏機でもやむをえない。とにかく礼拝は説教を聴くことだ。神の言葉を聴くことだ。

そこまで追い詰められて、思い詰めて、とにかく礼拝を重んじることにした。説教を重んじることにした。ところが、その説教がいつもつまらない。私の心に届かない。礼拝しかない教会で、説教しかない礼拝で、説教がつまらないとなると、この教会どうなるの。

よし分かった。私が牧師になってやろう。私が説教してやろう。そうすれば、この教会は以前の活気を取り戻すことができるだろう。などなど。こんなふうに、わたしたちは考え続けていくわけです。

そんなことまで考えている人はいないなどと、どうか思わないでほしいです。教会に来ている人たちはみんな、大なり小なり、こういうことを真剣に考えています。

そして私は今日このことを皆さんにはっきり申し上げておきたいのですが、教会のことを心配しているのは教会に来ている人たちだけではありません。教会に来ていない人たちも教会のことを真剣に考えてくださっています。教会の門を一度もくぐったことがない人たちも同じです。

昨年度私が勤務した学校でのことです。生徒たちにとって例外なく興味があったのは「教会は儲かるのか」ということでした。「牧師はどれくらい給料をもらえるのか」ということでした。

そういうことを、授業中でも、廊下を歩いているときでも、繰り返し質問されました。そんなに興味あるならと、私が担当していたすべてのクラスで「教会の経済と牧師の生活」というテーマで黒板に図解しながら解説したくらいです。

「へえ、たいへんなのですね、それではとても生活できないではありませんか」と心配してくれた生徒もいました。「ええっ、教会の献金はかわいそうな子どもたちや貧しい国の人々に送られているのではなかったのですか」と悲しそうな顔をする生徒もいました。

あるいは、宗教団体というのはとかくお金に汚い人たちの集まりだと教えられてきたのかどうかは分かりませんが、「教会の経済と牧師の生活」についての図解付きの私の説明を聞いて、「なんだ、意外に普通のようだ。つまらない」という反応をした生徒もいました。お金の話をすれば私の鼻を明かせると思ったのかもしれません。

いまお話ししているのは、教会の運営や経済について心配しているのは教会員だけではないということです。多くの人たちが、そして高校生たちも、心配してくれています。

「そういうのはただの興味本位である」と言ってしまえば、それまでです。しかし、わたしたちが見逃してはならないのは、教会の存在は多くの人々から関心を持たれているということです。教会は社会の中で全く孤立しているわけではないということです。

そして、その教会に対する人々の関心は、必ずしも批判的な視線ではありません。好意的な視線を多く含んでいます。

なぜ今私はこんな話をしているのかというと、わたしたちが教会の存在をこの社会の中でとにかく必死で守り抜いていかなければならないと思っているときに、つい自分たちのことを社会の中で完全に孤立し、非難を受け、中傷誹謗にさらされているかのように感じてしまうことがあるからです。しかし、そんなふうに考える必要はないと言いたいのです。

そろそろ今日の聖書の箇所のお話をしなければならないと思っています。しかしここまで話してきたことは今日の聖書の箇所とは無関係なおしゃべりではありません。ものすごく関係していることだと思っているので、このような話をしています。

「互いに愛し合うことのほかに、だれに対しても借りがあってはなりません」(8節)と書いてあります。これは裏返していえば「互いに愛し合うことに限っては借りがあっても構いません」ということになります。論理的に考えれば、そういうことになります。

しかし「借りがある愛」とは何のことでしょうか。「愛を貸してもらう」はどういうことでしょう。「愛を返す」という話であれば、少しは理解可能になるかもしれません。

これは愛の話です。最初は「アイ・ラブ・ユー」から始まります。そうでない始まり方はありえません。しかし、その最初のプロポーズは、必ずどちらか一方が先に言うと思います。必ずそうなります。例外はありません。事前の打ち合わせでもあれば別ですが、それもなしに互いに同時に「アイ・ラブ・ユー」を言って同時に相互の愛が始まったという人は、通常いません。

そしてそこから先は危険な状態です。もしかしたらそのプロポーズを相手に断られるかもしれないからです。その「アイ・ラブ・ユー」のボールは、ピッチャーの手からとにかく離れました。しかし、それをバッターが打たないかもしれません。キャッチャーが捕らないかもしれません。デッドボールになるかもしれません。バックネットにダイレクトで突き刺さるかもしれません。

しかしその「アイ・ラブ・ユー」ボールをホームランにするバッターもいます。サヨナラホームランでさようならという寂しい話ではありません。ピッチャーの全力投球を全力で打ち返したバッターは真剣なプロポーズに誠実に応えたのです。「私はあなたを愛している」と言われて「私もあなたを愛している」と愛し返したという意味です。ということにしておきます。

今申し上げているのは「借りのある愛」とは何なのかについての説明です。はっきりしているのは、愛は必ずどちらかから一方から始まるものだということです。必ず片想いから始まります。例外はありません。それを別の言い方でいえば、愛が貸し借りの関係にあったということです。先に愛されて、その愛を返すということですから。

しかし、ここでパウロが言おうとしていることの中心が「愛に限っては借りがあっても構いません」ということかどうかについては、疑問があるかもしれません。そうではない。パウロが言おうとしているのは「貸し借り」があってはいけないという、ただそれだけであるという見方は出てくるかもしれません。

しかし、その問題については、前後の文脈との関係を考える必要があります。「愛」の話は12章9節から始まっています。13章10節まで「愛」の話が続いています。これで分かるのは、今日の箇所でパウロが「愛」について語っていることは間違いないということです。

それはつまり、パウロがしているのは、人間関係の中には貸し借りがあってはならないという話「ではなく」愛には貸し借りがあってもよいという話「である」ということです。

ここでもう一つ、今日の箇所で大事なことをお話しします。それは「人を愛する者は、律法を全うしているのです」という言葉に続く部分に関することです。

「『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』、そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます」(8~9節)とあります。

これについて簡単に説明しますと、モーセの十戒の前半の4つの戒めは「対神関係」(神との関係)についての戒めであり、後半の6つの戒めは「対人関係」(人との関係)についての戒めであると整理できます。

そしてパウロが言っているのは、そのモーセの十戒の後半の「人との関係」についての戒めの部分を要約すると「隣人を自分のように愛しなさい」(レビ記19章18節、マタイによる福音素19章19節)という一言でまとめることができるということです。Love your neighbor as yourselfです。これを校訓にしているキリスト教学校があります。

そして「愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです」(10節)と書かれています。ここに至ってわたしたちが考えなければならないのは、「隣人とは誰のことか」という問いです。それは、あの「善きサマリア人のたとえ」(ルカによる福音書10章25節以下)でイエスさまが発せられたのと同じ「隣人とは誰のことか」という問いです。

この問いの答えははっきりしています。「隣人」とは教会の人々だけではありません。キリスト者だけではありません。教会の「内」にいるか「外」にいるかの区別がない「すべての人」を指しています。それが「隣人を自分のように愛しなさい」という戒めの「隣人」の意味です。

そのことが、今日最初のほうでお話しした「教会に関心を持っている人々が教会の外にも大勢いる」という話に関係してきます。また、次にお話しした「貸し借りのある愛」の話につながってきます。

今のわたしたちは、教会が無くならないように、教会の存在を守り抜くことでとにかく必死です。しかし祈っても願っても、教会にはなかなか人が来てくれません。そのようなときに、わたしたちがもしかしたら陥るかもしれないのは、教会の周りにいるのは敵だらけだ、という感覚です。

孤立感がきわまり、深刻な疑心暗鬼の状態に陥ってくると、そういう感覚が去来します。そして、それが「敵」であるならば、その存在がだんだん憎らしく思えてきます。愛することなどとんでもないという感情が生まれてきます。

しかし、それではだめです。教会の外にいる人々を心から愛することなしに、伝道は成立しません。「隣人」はキリスト者だけではありません、教会員だけではありません。教会に来てくれない、洗礼を受けてくれない、神にも聖書にもキリスト教にも興味を持ってくれない方々が「隣人」です。

その人々をわたしたちが愛することが、神から求められています。それができないと伝道はできません。わたしたちが世界を敵視しているかぎり、教会は孤立の一途です。もしそのような感覚にわたしたちが少しでも陥っているなら、根本的な方向転換が必要です。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネによる福音書3章16節)と書かれているではありませんか。神が愛された「世」は、世界の「世」、世間の「世」です。字が同じであるだけでなく、意味も同じです。「神は世界を愛された」のです。「神は世間を愛された」のです。

この意味での「世」も、すでに神を愛し返した人々ではなく、むしろ、そうではない「すべての人」を指しています。

神が世間を「その独り子をお与えになったほどに」愛しておられるなら、わたしたちも世間を心から愛するべきです。そうでなければ「伝道」というものは成り立ちません。

この件についてみなさんによく分かっていただけそうな「たとえ」が見つかりました。

わたしたちが教会の中から窓の外を指さしながら「こんな人たちに負けるわけにはいかない!」などと言っているような教会に、だれが行こうと思うでしょうか。

この問題をよく考えていただけば、教会の進むべき道が見えてくると思います。

(2017年7月16日、日本キリスト教団上総大原教会 主日礼拝)

2017年7月13日木曜日

ブルンナーとバルトの「自然神学論争」の背景

ブルンナーとバルトの対決の背景に、当時の若手神学者バルト、トゥルナイゼン、ゴーガルテン、メルツの共同編集同人誌『時の間』をバルトがいきなり廃刊にしたことへのブルンナーの抗議がある。売れっ子バンドが「方向性の違い」で解散。第三者による仲裁が失敗して炎上拡大、といったような話である。

字と思想で仕事をする人にとって発表の場を失うこと、あるいはそれが減ることの持つ実害性は非常に大きい。インターネットがなかった時代。新聞記事にしてもらえるほど知名度があるわけでなし、本にするまでには至らない試行錯誤状態の原稿を公表するためにちょうどよかったのは同人雑誌だっただろう。

そして、同人雑誌とブログやSNSとの大きな違いは、その字と思想をマネタイズできるかどうかだとやっぱり思う。前者は可能、後者はほぼ不可能。80年ほど前の神学者たちが周囲の人々から「食うために書くのは不純だ」と言われたかどうかは分からないが、食えないと書けない、それだけは人類の不動の事実だ。

神学に「安全地帯」は存在しないが、「今日の状況」に直接絡まない書き方ができる部門がないわけではない。歴史的文献の翻訳や研究、辞書の編纂など。それでも「今日の状況」と無関係ではありえないと私は思うが、直接的言及は回避できる。しかし回避型でない直接性をバルトたちは模索したわけだ。

「教会」の存在は「教会の教師」が発する字と思想を常に無条件に支援するだろうか。そういうことは、大げさにいえば教会史上一度もなかったのではないか。両者は対立関係にあるわけではないが(それでは困る)、緊張関係はあり続けるだろう。どちらが常に善で、どちらが常に悪だということもない。

はっきり言われた経験を持つ「教会の教師」は少なくないはずだ。「ぜひとも教会の宣伝になるようなことだけを書いてほしい」とか、「教会にとって不都合なことをお書きになりたいなら、教会をおやめになってからならいくらでも」とか。こういう要求に「教会の教師」が服するなら教会は腐敗の一途だ。

おっと、私まで「直接的言及」の世界に連れ込まれそうだ。ブルンナーとバルトの対決についての昔話をしていただけなのに。「むかしむかし、あるところにブルンナーとバルトがいました。ブルンナーは山に芝刈りに、バルトは川に洗濯に行きました」という程度の当たり障りのない話にとどめておこう。

ネットでお借りした画像で申し訳ないが、これがバルト、トゥルナイゼン、ゴーガルテン、メルツ共同編集神学同人誌『時の間』(Zwischen den Zeiten)の表紙だ。ロゴのヘビメタ感たるや。このド迫力でダルダルした神学と教会を蹴散らしたわけだ。一方で絶賛され、他方で拒絶された。

いま気づいたが、画像の表紙のフラクトールは

Unter Mitarbeit von
Karl Barth
Friedrich Gogarten Dr.
Eduard Thurneysen
herausgegeben von
Georg Merz

だと思うが、いろいろ興味深い。

これを見て慰められる人がいるのではないか。『時の間』編集人筆頭者バルトは改革派で無学位で大学教授になりたてでデビュー作売り出し中。2人目ゴーガルテンはルーテル派でドクター(名誉学位)で大学教授になりたて。3人目トゥルナイゼンは改革派で無学位で教会の牧師さん。メルツは編集実務担当。

神学も同人誌から出発していいし、学位も査読もなくていい。「だれだこいつ」と思われても気にせず自分たちの書きたいことを書いて、自分たちで売ればいい。すぐ売れなくてもいいし。80年後にオークションで高額取引されているかも。ただ冊子になっているほうがいい。ブログは本棚に立たないからね。

神学の学会や研究会はどこでも、始まり方は同じだと思う。「こういうのやりたいね」「おもしろそうだね」「よしやるか」で始まる。あとは「あの先生の講義泣きそうにつまんない」「説教も意味不明だし」「本もおもしろくないし」「早くやめてほしいわ」「よし倒すか」というのも始まり方かもしれない。

ヘビメタといえば私が最初に思い浮かべるのはキッスだ。ブルンナーもバルトも「危機神学」(Theology of Crisis)と本当に呼ばれていた。そして彼らは熱心に愛を教える。I WAS MADE FOR LOVIN' YOU BABYだ。思わずイメージイラストを描いてしまった。


こうしてみると松谷信司新社長率いる新装「キリスト新聞(Kirishin)」の方向性は今の時流にかなっている。「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする」(マタイ9章17節)。いいぞピューリたん。負けるなキョウカイジャー。先輩がたが応援しているぞ。

2017年7月10日月曜日

「松戸の地、小金の地への伝道を!」に巡る思い

デイリーヤマザキ松戸小金原店(松戸市小金原6-11-5)の阿藤経司店長(右)

昨日日本基督教団小金教会(千葉県松戸市小金174)主日礼拝で今泉幹夫先生がお語りになった「松戸の地、小金の地への伝道を!」という言葉が胸に強く迫ったのは、13年前の2004年に私が「松戸小金原教会」の牧師になったとき自分に言い聞かせたのと同じ言葉だったことと無関係ではありえない。

私自身の成育歴からすれば、13年前(2004年)まで千葉県も松戸市も縁もゆかりもなかった。ただ、父が60年前に卒業した大学が松戸市にあった(今もある)ことで、父の口から何度となく聞いた地名ではあったが、親戚や友人がいるわけでなし、特に行く用事もなく、足を踏み入れたことがなかった。

しかも、私が「松戸小金原教会」に来たのはその教会から「招聘」があったので赴任したのであって、自分の意志でいわゆる就職活動をして来たわけではない。赴任する前に私が知っていたことといえば「千葉県松戸市は東京都(葛飾区)との県境に位置する」というだけのことで、本当に何も知らなかった。

松戸に来た当時、息子は小4、娘は小1だった。私の妻は、松戸に来た最初の年に子どもたちの小学校のPTA役員になり、翌年にはPTA副会長になった。前任地の山梨県にいたときも娘の幼稚園のPTA会長だった。私も松戸に来た初年から市の少年補導員になった。その後中学校のPTA会長にもなった。

「PTAをやれば信者が増える」わけではない。それでも「町に友達ができた」。スーパーで会えば挨拶できる。「暑いですね」「寒いですね」「お疲れさま」。なんだそれだけかと言われればそれだけだ。しかし、挨拶も成立しないで伝道が成立するのか。難しく言えば、自然神学論争の「結合点」の問題だ。

しかも「理事長です、園長です、町の名士です」然とした形でなく「いつもヒマそうなおじさん」として普通に佇む。毎日スーパーやコンビニで買い物する。牧師シャツを着ない(持っていない)し、イクスースのステッカーを車に貼らない。して悪いとは思わないが、しなければならないとはもっと思わない。

そうこうしているうちに町内から教会に通う方が次第に増えてきた。PTAで友達になった人たちが教会に、という関係ではない。そういう「これをしたからこうなった」式のストレートな対応関係はなかったが、徒歩や自転車で通える範囲内の高齢者が教会に増えてきた。その方々が洗礼を受けてくださった。

その教会には11年9か月在職し、2015年12月に辞職した。受洗した方、信仰告白した方、転入した方は少なくはなかったと思う。今も目と鼻の先に住んではいるが、連絡等は一切とっていない。教団が違うので競合はしない。「松戸の地、小金の地への伝道を!」祈り願う思いは、今も全く変わらない。

13年前(2004年)に松戸市に来てから仲良くなった「親友」と呼ばせていただきたいのはデイリーヤマザキ松戸小金原店(松戸市小金原6-11-5)の阿藤経司店長だ。PTAでも一緒だったが、2011年3月11日、震災当日の夜「絶対に店を閉めない」と言ってくれた阿藤さんを心から尊敬した。

2017年7月9日日曜日

小金教会の主日礼拝に出席しました

日本基督教団小金教会(千葉県松戸市小金174)

今日(2017年7月9日日曜日)も先週と同じく日本基督教団小金教会(千葉県松戸市小金174)の主日礼拝に出席しました。今泉幹夫牧師が説教で語られた「松戸の地、小金の地への伝道を!」という言葉が胸に強く迫りました。

2017年7月8日土曜日

今の私はどういう状態なのか

昨年春(2016年4月)に日本キリスト改革派教会から日本キリスト教団に教師籍を戻した(教規上は「転入」)ばかりの私が、なぜ今、日本バプテスト連盟の教会で月2回のペースで説教をさせていただいているのかについて誤解されると困るので書くが、次はバプテストに移ろうとしているわけではない。

昨年度宗教科(聖書科)の代用教員として勤務した学校のチャプレンが日本バプテスト連盟の方で、その先生の紹介で昨年度は月1回のペースで説教を依頼されてきた教会で、今年度も月2回のペースで続けてほしいとご依頼があったのでお引き受けしているだけで他意は全くない。くれぐれも誤解なきように。

私の経歴をご覧になって「教会を転々としている」と評する方がおられたが、同世代の牧師の中ではごく平均的な移動回数であることを表明しておく。まして「教団を転々としている」かのように思われるのは本当に困る。しかし、説教をさせていただいている日本バプテスト連盟の教会には心から敬意を表する。

ちなみに、私が教会の牧師として経験と訓練を受けたのは、日本キリスト教団の旧日本基督教会系の2つの教会(高知県、福岡県)とやはり旧日本基督教会系の日本キリスト改革派教会の2つの教会(山梨県、千葉県)である。つまりすべてはいわゆる改革派・長老派(カルヴァン主義)の系統の教会であった。

しかし、日本キリスト教団に戻ってきた以上、70数年前に日本キリスト教団に合流したすべての旧教派グループと対等にお付き合いさせていただきたいと願っている。牧師として私が受けてきた教会的訓練の内容に「汎用性」があると信じている。この点はぜひともご理解いただきたいと強く願っている。

もうひとつ書いておく。私は時々「説教の塾」の悪口を書くことがあるが、私は大学時代に彼らと全く同じ教育を受けた者であり、基本的にほとんど同じ線に立ちつつ、日本の教会の宣教において新たな一歩を踏み出したいと願っている者としての「愛情表現」だと思って受け流していただけると助かる。

礼拝の形式や内容についてのこだわりはない。1954年讃美歌でも讃美歌21でも聖歌でも新聖歌でも歌う。ガウンを着ろと言われれば着るし、着るなと言われれば着ない。説教は10分と言われれば10分で終わるし、40分と言われれば40分で終わる。「汎用性」も「順応性」も訓練されてきた。

唯一私にできないのは「異言の祈り」くらいだが、私にその賜物が与えられていないのと、これから特別に求める思いがないだけで、批判はないし、揶揄する気持ちなどは微塵もない。幸いなことにそれを私に強いる人はだれもいない。私が立っているのは今年500年を迎えた「宗教改革の伝統」以上でも以下でもない。

私が讃美歌をうたうとほめていただけることがある。何の楽器も弾けず楽譜も読めない人間なので、穴があったら入りたくなる。大学を卒業するまでほめられたことはない。ほめられたりするようになったのは、結婚して(幸せで)太ったころからだ。突き出たお腹がスーパーウーハーになったかもしれない。

説教の形式や内容についてもこだわりはない。聖書原典の解説でも、個人的体験の証しでも、使徒信条やハイデルベルク信仰問答等に基づく教理説教でも、付箋やプロジェクターを用いたアクティヴラーニング説教でも、教会の求めに応じてする。福音のために何でもする。私も共に福音にあずかるためである。

ただし、説教の際にいつも念頭にあるのは、自然に任せていると高齢者の集まりになりやすい教会を、ただ「慰める」だけでなく、現状維持を無批判に肯定するだけでなく、より未来へと目を向け、若い世代の参加を強く求め、神の恵みを引き渡していく教会にしていくにはどうしたらよいかという問いである。

2017年7月7日金曜日

「日曜日の午前中に式場で結婚式をしているような人はすべて偽牧師である」というのは事実なのか

「本物の牧師」は日曜の午前中に式場で結婚式を挙げることができるはずがないので、そういうことをしているのはすべて「偽牧師」である、というご意見をいただいたので次のようにお応えした。

(こたえ)

何をもって「偽牧師」というかにもよりますが、隠退牧師や、いわゆる各個教会(ローカル・チャーチ)の牧会から離れている教務教師(学校や病院等で聖書を教える牧師)や無任所教師も「本物の牧師」のうちにカウントしていただけるなら、日曜日の午前中に「本物の牧師」が司式することは可能です。

そういう先生がたは、たとえば日曜日の午前中に結婚式があれば、ご自分はいつもの教会またはどこかの教会の夕礼拝などに出席するなどしてご自身の教会的責任をきちんと果たしておられます。

「牧師」にもいろんな形式や形態のミッションがあるのです。教会の説教と牧会だけが「牧師」の働きのすべてではありません。

いま書いたのは、まんま今の私です。たまたま今年無任所教師なので、結婚式の仕事をしています。ヨコのつながりがありますので「本物の牧師」が入っている式場がどこかは分かります。そうでない式場もたくさんあることも存じております。

「20回くらい結婚式に列席して、どこも外国人の偽牧師ばかりだった」とのことですが、このあいだ先輩の牧師が「私は式場で2千回結婚式をした」とおっしゃいました。私も驚いて、その先生の顔を二度見してしまいました。まだまだ世間は広いようです。

私はかかわっていませんが、たとえば八芳園(東京都港区白金台)は「本物の牧師」だけです。他にもいくつか名前を聞きましたが、いまちょっと思い出せません。

「キリスト教式」を堂々と謡う式場の結婚式から「本物の牧師」が完全撤退してしまったら、そのうさん臭さたるや目も当てられない状態になります。私が司式した結婚式の面談のとき、新郎新婦から「日本語が通じる人でよかった」と言われました。

私が申し上げたいのは「ビジネス」として行っている式場にも考え方の違いがありますよということだけです。押しなべてどこもかしこも一緒くたに切って捨てる言い方は、私もしないわけではないので自戒を込めて言いますが、我々の悪い癖だと思います。

現実問題としてはむしろ、式場のというか新郎新婦のニードとしては圧倒的に土・日・祝日にしてほしいわけですが、それは引き受けられないと断る牧師や教会が多いので、やむをえず「偽」でも、となってきた状況もあるようです。今の形になってきた責任は、教会側の考え方にも全くないとは言えません。

キリスト教式結婚式は、教会の宣教の課題そのものです。司式をしてみると分かりますが、新郎新婦は決して衣装や写真写りの良さだけでキリスト教式結婚式を選んでいるのではありません。それだけの目的なら、写真店に行って写真だけ撮ればいいわけです。彼らも「本物」を求めているのです。そこを教会が見落とすことはできません。

それと、いちばん厳しい言い方かもしれませんが(私は100パーセント「教会側」の者ですので念のため)、自分たちの教会堂で未信者が結婚式をしたり、牧師が教会員の家族でもない未信者の結婚式をしたりするのを、教会が嫌がってきた経緯があります。教会が締め出してきたのですよ。

それが少し変わってきて、「うちの牧師がうちの会堂で未信者の結婚式をするのは会堂建築資金の借金返済にもなるのでいいが、外でやるのは教会員かその家族に限定してほしい」などと言われるようになったりもしてきました。

それで式場にいるのは「偽牧師」ばかりということになっているなら、責任ははっきり教会にあるではありませんか。

貴教会は未信者の結婚式を受け入れているとのこと、失礼な言い方をお許しいただけば、とても健全な教会だと思います。でも、それはあくまでもその教会の会堂を使っての結婚式のことですよね。

牧師さんが教会員かその家族でもない未信者の結婚式を外の式場でするのは問題になりませんか。「それはやめてほしい。教会の牧会に専念してほしい」と言われませんか。

その関連で、私がちょっと気になっているのは、結婚式と言えばなぜかいつもお金の話になることです。牧師の生活の足しだとか、教会堂の負債返済の足しだとか。

なんだかまるで、教会が結婚式というものを薄汚いもののように見さげているかのようです。あるいは、信者になるなら挙げてやってもいいが、我々の神聖な場所を薄汚い動機の連中に踏みにじられるのは生理的に不愉快だというような態度。はっきり書きすぎですかね。

教会(宗教法人)の土地建物が無税なのは教会が得したという話ではなく、「世のため人のために開放されるべき場所」だという前提理解があるからです。教会が自己目的化していくなら、税金を払うべきなのです。

「伝道所」であっても包括宗教法人としての教団のもとにあれば税制的な優遇を受けています。そうであれば、教会堂の使用は自己目的で終始するのではなく「世のため人のために開放すべき場所」であることを貫くのは当然です。自分たちのお城のように思ったらだめなんですよ。教会堂は、教会と教区と教団と「世間の」ものです。

日本基督教団の教規では「教会担任教師」以外は「牧師」ではないという意見をいただきました。日本キリスト改革派教会の教会規程も同じでしたので、その話はいつか出てくるだろうと思っていました。

それで、私もつい最近まで「牧師」と名乗ることを避けていました。しかし「教師では世間には分かりにくいし、誤解される」という複数の意見をいただいたので「牧師」を名乗るようにしました。この話も同じ理屈(世間には分かりにくい)で書いています。

もっとも教団総会や教区総会などの「議員資格」の話になれば、「牧師様」と教務教師や無任所教師の扱いは、極端に差をつける慣わしになっているようではありますけどね。でも、そんなことって、世間の人たちには、なんも関係ないことではありますよね。私はネットには、基本的に「世間向けの言葉」を書いております。


2017年7月6日木曜日

日本基督教団教師転入の「奇跡」

現在の借家(千葉県柏市)への転居日の書斎(2015年12月24日)

日本基督教団への転入(復帰)を決心したのは2年前(2015年9月3日木曜日)だが、任地なき籍だけの移動は認めない方針になったと知り、人づてに推薦していただいたが、複数教会から「転入理由が明確でない」という理由で面接なく断られた。「また出ていくかもしれない」とも言われたらしいが、そんなに傍若無人ではないです。

もしかしたら暗に当時所属していた日本キリスト改革派教会への批判を明文化することを求められた可能性があるが(真相は不明)、批判すべきことは何もなかったし、今もないので、求められても無理だった。私にとって日本基督教団は生まれ故郷である。「実家に帰る理由なんてないよ」と思うばかりだった。

どのポケットを叩いてもビスケットが出てこないので困っていたら、「転入理由」を問われない職場が与えられた。それが昨年度1年間代用教員として働かせていただいた日本基督教団関係学校(高校)だった。教員志望だったことは一度もなかったが、やってみるとこれが楽しい仕事だった。心底魅了された。

しかし、いかんせん学校教員としてのスタートが遅すぎた感は認めざるをえず(昨年は50歳でした)、キャリアというかスキルというかに関しては、教会の牧師の仕事のほうが向いているというかそれしかできないというか天職というかではある。でももう一度学校で働かせていただきたいという願いはある。

ただ、どちらでもいいと考えているわけではない。学校の仕事は私にはおそらくもうないと思っている。昨年が楽しすぎて自分の限界や現実を忘れそうな瞬間があったが、何度も冷水をかぶる必要がありそうだ。最初の召しを忘れたことは一度もない。私の職務は教会に仕えること以外の何ものでもありえない。

こういう大真面目なことをついチャラチャラした調子で書いてしまうのは、実は私という人間が本質的に真面目だからだということを、ぜひ見抜いていただきたいと願っている。自分に関してやたら軽率なところがあるかもしれない。差しさわりがあるようならお詫びしたい。

学校勤務が決まったときの実感は「おお海が割れた」だった。私が海を割ったのでなく神が割ってくださった。 「任地なき籍だけの移動は認めない」という日本基督教団の新しい申し合せ事項のもとで「明確な転入理由を言わないかぎり迎えることはありえない」と複数の教会から言われて立ち往生していた。

かたや私は、1998年7月に日本キリスト改革派教会に教師加入したときに「日本キリスト改革派教会の政治と戒規に服すること」を神と教会の前で誓約した者として、心にもない日本キリスト改革派教会への批判を書いたり述べたりすることはできずにいた。それは私にとって「虚偽申告」を意味していた。

そのような虚偽申告(ありもしないウソをつくこと)を一切することなく日本基督教団教師に復帰する(教規上は「転入」)道は日本基督教団関係学校の「教務教師」になることだった。それは私にとっては事実としても実感としても「奇跡」以外の何ものでもありえなかった。神が「海を割って」くださった。

今朝は驚いた。高校で聖書の授業をしている夢を見た。昨年授業をさせてもらった生徒たちだった。見たことがない広い教室だった。みんなにこにこしていた。私も冗談言ったりしていた。終わりのチャイムで目が覚めた。みんな元気そうで安心した。まあ夢だけど。続き見るために二度寝するか(しません)。

2017年7月5日水曜日

ブルンナー「神学のもう一つの課題」(1929年)は熱い

ファン・ルーラー教授もご到着です
昨日は、ブルンナーとバルトの「自然神学論争」関係年表を作った後、なるべく年表の順にブルンナーの文章とバルトの文章を交互に読んだが、両者ともバトルモードで書いているのが分かるだけに、心理的に結構きつい。どちらが勝った、どちらが負けたの話にされてしまいがちだが、そういう問題ではない。

もちろん日本語版があるものだけでも全部読み終えるのに何日もかかるのは間違いない。しかし取り組み甲斐がある。今まで日本国内でこの論争が紹介される場合は、ほぼバルト側に立つ人々がいかにブルンナーが間違っていたかを言うのがほとんどだった。私を含めてブルンナーの原書を読む力がない相手に。

しかし今はそれはもう通用しない。ブルンナーがバルトの何を批判し、それによって読者に何を訴えようとしたかが、ドイツ語を読めない者たちにも理解できるようになった。「論争」なのだから両方を読まないといかなるジャッジもしようがない。その単純な事実に立つことが大切だと思いながら読んでいる。

昨日ブログに書いたブルンナーとバルトの「自然神学論争」関連年表について、現役神学生の方から誤記の指摘をいただいた。感謝しつつ以下のように訂正した。

バルト『ローマ書』第2版出版  (誤)1920年→(正)1921年
バルト、ゲッティンゲン大学教授 (誤)1922年→(正)1921年

バルトの『ローマ書』に関しては、出版年がややややこしい。本体に印字された出版年は、第1版は1919年、第2版は1922年であるが、実際の出版はどちらも1年ずれている。第1版は1918年、第2版は1921年である。佐藤司郎先生はそのことをご存じで、いつも論文に正確に書いておられる。

バルトの『ローマ書』第2版の出版と、ゲッティンゲン大学教授就任は、同じ1921年であった。第2版を書くまで「牧師」で、それが終わって「教授」になった。ただし、彼を教授に推薦した人々が評価したのは、その後世界的大ヒット作になった第2版ではなく、わずかしか売れなかった第1版であった。

まだ結論めいたことを書ける段階には全くないが、昨夜読んだブルンナーの「神学のもう一つの課題」(1929年)は素晴らしいと思った。バルトがこんなのは不要だと退けた「弁証学」(Apologetik)の存在理由を擁護し、呼称を変えて「論争学」(Eristik)としてその価値を主張する。

とくに私が感動したのは「神の言葉が信仰において入場許可を獲得する場合には、そのことは理性の追放として起こるのではなくーこのような悪魔払いは人間を破壊するであろうからー、当初は反抗していた理性が従順になることによって起こる」(91頁)というブルンナーの言葉だ。至言である以上に熱い!

いちいち引用しながら書くと長くなるのでやめておくが、ブルンナーが言っているのは、教会の説教者たちに対する警告だと見て間違いない。説教者たちは神の言葉を宣べ伝えようとしている相手を「人間」だと思っているのか、その相手を「人間」として尊重しているのかと、ブルンナーは言いたがっている。

「説教は人間に立ち向かい、彼を隠れ家から引き出す。説教はその仮借なき光によって人間と彼の幻想を照らし出す。もし説教がこのことをしないとすれば、何千回となく『純粋な教理』を提示しようとも無益であろう」(109頁)。このブルンナーの警告に同意する気がない説教者が存在するのだろうか。

「バルト自身は現実の人間に対して現実的に語る術を心得ている。しかし彼の原則と態度とが他の人々を誤らせる危険、つまり彼らが現実の人間に対して、換言すれば今日の人間に対して、もはや現実的に語ることをしないようにさせる、したがってもはや語るのではなく、宣告するようにさせるという危険は大きい」(同)はストライク。

あなたがたの説教は「語っている」のではなく「宣告している」だけだ。ブルンナーがバルトに対してこのような苦言を書いているのは、いわば眼前のバルトを凝視しながらの友人に対する真摯な忠告であって、88年後の我々がバルト自身と彼の影響を受けた人々を想像しながら言うのとは、重さが全く違う。

説教に限らず教会の宣教のすべてにおいて一方通行の「宣告」で終わってよい要素は全くなく、双方向の「対話」が必要であり、そのために教会は神の言葉を宣べ伝える相手を「人間」として尊重すべきであって、相手の「理性」を破壊してはならない。ブルンナーは要するにこういうことを言いたがっている。

まだ考えはじめたばかりなので、この先どうなるか分からないが、ブルンナーとバルトの議論を「自然神学論争」と呼ぶのは議論の本質を見誤らせるだけかもしれない。一方のバルトは当時の教会にほとんど絶望している。ブルンナーはバルトの絶望感に共感しつつ、それでも教会を肯定する側に立とうとした。

昨夜はブルンナーの「神学のもう一つの課題」(1929年)に触発されて興奮気味で寝付けなかったので、子守唄になるかもと思い、ファン・ルーラーの「自然神学のもう一つの側面」(1959年)という論文(オランダ語)を斜め読みした。しかし、これも面白かった!ますます興奮して眠れなくなった。

ファン・ルーラーによると、「自然神学」には「二つの側面」がある。従来「自然神学」は特別啓示を受けていない生来の人(異教徒)にとっての一般啓示の意味は何かを問うてきた。しかし「もう一つの側面」として、教会とキリスト者にとっての一般啓示の意味は何かという問いがある。面白いではないか!

ブルンナーとバルトがコンビで働いた形跡はないが、もしコンビだったら爆笑問題の太田と田中の関係かもという気がする。ある意味鋭くある意味極端なことを言う太田がバルトで、「いやそれ違うから」と一般常識の範囲内で冷静につっこむ田中がブルンナー。こういうたとえは、かえって分かりにくくする。


2017年7月4日火曜日

ブルンナーとバルトの「自然神学論争」関連年表

教文館『ブルンナー著作集』と新教出版社『カール・バルト著作集』

1918年 バルト『ローマ書』第1版出版

1919年 ブルンナー「カール・バルト『ローマ書』書評」

1921年 バルト『ローマ書』第2版出版

1921年 バルト、ゲッティンゲン大学教授

1922年 『時の間』創刊
    (バルト、トゥルナイゼン、ゴーガルテン、メルツ共同編集。隔月発行)

1924年 ブルンナー、チューリッヒ大学教授

1924年 ブルンナー『神秘主義と言葉』出版。シュライエルマッハー批判

1924年 バルト「ブルンナーのシュライエルマッハー論」(『時の間』)

1925年 バルト、ミュンスター大学教授

1929年 ブルンナー「神学のもう一つの課題」(『時の間』)

1930年 バルト、ボン大学教授

1930年 バルト「神学と現代人」でブルンナー批判(『時の間』)

1932年 バルト『教会教義学』第1巻第1分冊発行

1932年 ブルンナー「神学の問題としての結合点への問い」(『時の間』)

1933年 『時の間』廃刊。バルトとゴーガルテンの対立が原因

1934年 ブルンナー『自然と恩寵 K. バルトとの対話のために』発行

1934年 バルト「ナイン!E. ブルンナーに対する答え」(『今日の神学的実存』)

    (以後、ブルンナーとバルトは絶交状態になる)

1935年 バルト、バーゼル大学教授

1938年 バルト「神認識と神奉仕」第1講で「自然神学」を扱う(ギフォード講義)

1946年 ブルンナー『教義学』第1巻発行

1948年 バルト『教会教義学』第3巻(創造論)第2分冊で肯定的な人間論を展開

1951年 ブルンナー「新しいバルト K. バルトの人間論への論評」
    (『神学教会雑誌』)

1953年 ブルンナー、国際基督教大学教授(1955年まで)

1956年 バルト「神の人間性」(『神学研究』)

1966年 ブルンナー死去(76歳)

1968年 バルト死去(82歳)