2016年11月17日木曜日

ツリー点灯

出勤したら「Happy Next Day of Birthday」と書かれたお菓子。くださった方をお探ししたが分からなかった。心から感謝しつつおいしくいただく。帰宅後、美味しい夕食。ごちそうさま。うちの女性がたお菓子作りの専門的な話題で長時間話し込む毎日。今夜わが家のツリー点灯。

2016年11月16日水曜日

51歳になりました

今日(2016年11月16日水曜日)は51歳誕生日。「帰宅したら『素数の年齢に感有量。いまさら感がぱねえ』と書こう。」と考えながら出勤したが、午前の授業を終えて自席に戻ったときの歓喜がぱねかった。「すみません、もう少しだけ生きてもいいですか。」に変更。皆さまありがとうございます。

(※)「51」は素数ではない。「感有量」は間違い。よい子は真似しないでください。


2016年11月15日火曜日

ダビデの子でもアブラハムの子でもあるバビロン捕囚民の子

υἱοῦ Ἀβραάμ(アブラハムの子)はΔαυὶδ(ダビデ)にかかっている(と岩波訳が新共同訳を見ている)のではなく、υἱοῦ Δαυὶδ(ダビデの子)もυἱοῦ Ἀβραάμ(アブラハムの子)もἸησοῦ Χριστοῦ(イエス・キリスト)にかかると考えるほうがよいであろう。

後者の読み方が正しいとすれば、この文章を書いた人はἸησοῦ Χριστοῦ(イエス・キリスト)が「ダビデの子」(原文ではこちらが先に記されている)と「アブラハムの子」(こちらは後に記されている)との「一つで二重の」系譜を継承していると考えているのではないかと、私には感じられる。

オランダ新共同訳(Groot Nieuws Bijbel)は原文どおり「ダビデの子」(nakomeling van David)を先に、「アブラハムの子」(nakomeling van Abraham)を後に訳す。両者(ダビデの子とアブラハムの子)は並列(パラレル)の関係にある。

「ダビデの子」と「アブラハムの子」が並列(パラレル)の関係にあると言う意味は直列(シリーズ)の関係ではないと言うことでは必ずしもない。時系列の順序でいえば「アブラハム」が先で「ダビデ」は後なので、その意味では両者の関係は直列(シリーズ)の関係にある。それまで否定するつもりはない。

しかし、もしオランダ新共同訳のように理解してよいなら、Βίβλος γενέσεως Ἰησοῦ Χριστοῦ υἱοῦ Δαυὶδ υἱοῦ Ἀβραάμは「ダビデの子でもアブラハムの子でもあるイエス・キリストの系図」と訳せるはずだ。アブラハムは出発点でダビデは政治的絶頂点。

しかも、この「系図」(Βίβλος γενέσεως)は「バビロン捕囚」(μετοικεσίας Βαβυλῶνος)を3度(11節、12節、17節)繰り返して強調している。ダビデが絶頂点であるなら、バビロン捕囚は墜落点であろう。イエス・キリストは「バビロン捕囚民の子」でもある。

出発点(アブラハム)と絶頂点(ダビデ)と墜落点(バビロン捕囚民)の継承者イエス・キリストの系図。この意味でこの「系図」を書いた人は、「一つで二重の」ではなく「一つで三重の」系譜を継承していると考えているようでもある。二つでなく三つの点を並列(パラレル)に置いているようにも読める。

実際、次のように書かれている。「アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住(岩波訳「バビロン捕囚」)まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代」。これは歴史的事実を描いているというより(「十四」は完全数「七」の二倍)、等間隔の並列関係の強調ではないか。

《出発点》と《絶頂点》と《墜落点》を並列(パラレル)に継承するとは何を意味するか。何も意味しないか。こういう読み方は無意味か。言葉遊びのつもりはない。オランダ語共同訳を読んで「ダビデの子」が先で「アブラハムの子」が後になっている理由は何かを考えた。無駄な思索か。そうかもしれない。

しかし思い当たることはある。どんなことにも《出発点》と《絶頂点》と《墜落点》がある。政治や社会、会社や学校、家庭や仲間。そもそもの始めと、よかったときと、悪かったとき。健やかなときも、病むときも。それは直列(シリーズ)というより並列(パラレル)。すべて引き受けるキリストでどうだ。

たわごとで友人と盛り上がった。Q資料Q資料と言われ、「Q資料注解」の日本語版まで出版される状況だが、成立時期は初期パウロ書簡の執筆時期に近いと推定されるらしい。「それならQ資料はパウロが作成した説でどうだ。名前はパウロのPをつけてQP(キューピー)資料で」という話になって笑った。

2016年11月13日日曜日

神があなたと共に苦悶する(豊島岡教会南花島集会所)

ローマの信徒への手紙8章26~27節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「同様に、”霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです」

おはようございます。今日初めて南花島集会所の主日礼拝で説教させていただきます。日本基督教団教務教師の関口康です。高等学校で聖書を教える教員として働かせていただいています。よろしくお願いいたします。

カレンダーに書き残したメモを確認しましたところ、私が南花島集会所の礼拝に初めて出席させていただいたのは今年6月26日日曜日であったことが分かりました。わずか5ヶ月前です。当時の状況を忘れていましたが、これもまたカレンダーで確認しましたところ、その前々日の6月24日金曜日とその翌日の6月25日土曜日の二日間が、私の勤務校の文化祭でした。

他の学校でも同じだと思いますが、勤務校の文化祭は、生徒の自主性を重んじて行っています。その意味では、文化祭の期間は、生徒会担当の先生がたはともかく、それ以外の先生にとっては気楽な面があると思います。しかしそれでも、いろいろと気疲れするところはありました。文化祭が終わった翌日の日曜日の朝の私は「ああ疲れた」という気分でした。

隠すほどのことではありませんので、正直に言います。あの日の朝、私は教会の礼拝を休もうかと、家でぎりぎりまで迷っていました。文化祭との関係だけではありません。教会の牧師の仕事をやめて学校の教員になったのが今年4月ですから、6月26日はようやく3ヶ月を経たばかりの頃でした。

まさに文字通り、右も左も分からない。生徒からも先生からも学校のことについて何を尋ねられても答えられない。自分のなすべきこと語るべきことを把握できない。実際にいろいろと失敗して迷惑をかけてしまう。そういう状態でした。今もその状態が続いているとも言えますが、当時よりは少し慣れました。

それでも私は、何のプライドなのでしょうか、その日、かなり無理やり自分の体を打ちたたいて、とにかく車に乗り込み、エンジンをスタートさせ、車を動かしました。私はキリスト者であり、牧師である。その私が日曜日に教会に行かないことはありえない。どんなに疲れていようと、なにがなんでも、どこかの教会に行かなくてはならないという気持ちでした。しかしその日どこの教会に行くかが決まっていませんでした。

そういうときは地図を開いてコンパスを使って物理的な距離が最も近い教会に行けばいいと、私は長年いろんな人にそのように助言してきました。人にそう教えてきたのだから私もそうしようと思いました。しかしふと気づく。家からの距離が最短の教会の礼拝開始時刻は「午前10時15分」。もう間に合わないと思いました。私が車を動かしたときが午前10時過ぎになっていましたので。牧師である私が教会の礼拝に遅刻して行くことなどありえない。そう思って、遅刻しそうな教会に行くのはあきらめました。

しかしその後、行く宛てもなく松戸市内を20分ほどぐるぐる回っていました。それで私の目に飛び込んできたのが、国道6号沿いに大きく張り出されている「日本キリスト教団豊島岡教会南花島集会所」の看板でした。

松戸市で生活した11年9ヶ月の間、国道6号は、毎日のように(というのはやや大げさですが)車で走っていましたので、この看板の前を通るたびに拝見していました。しかし、よほどのことでもないかぎり、中に入るきっかけはありませんでした。昨年末までは他教派の人間でしたし。

しかし、なんとか教会にたどり着きました。礼拝開始時刻「10時30分」。私が着いたのが10時28分。2分前でした。遅刻しないで出席できる礼拝は、その日はここだけでした。選択肢がなくなりました。受付で「新来者カード」を書かせていただき、礼拝堂に飛び込んだとき、ちょうど礼拝が始まりました。

その日の説教者は、安増幸子先生でした。全くの初対面ではありませんでした。その前に2回、松戸朝祷会でお目にかかったことがありました。しかし、申し訳ないことに、私はその日まで安増先生を牧師であるとは認識していませんでした。どこかの教会の役員の方かなと思っていました。他教派の人間でしたので、日本基督教団の教師がどなたであるかを知らなかったという意味です。

あの日、安増先生はとても力強い説教をしてくださいました。そのことに感動しました。そして、礼拝後の愛餐会のとき、皆さまからこの教会がどのようにしてできたかを教えていただいて、とても驚きました。

この南花島集会所の皆さまは、私の父が千葉大学園芸学部の学生だったとき、賀川豊彦先生の伝道集会に参加して初めてキリスト教を知り、その後洗礼を受けた日本基督教団松戸教会と強く深い関係にある教会であるということを、あの日初めて知りました。私の信仰のルーツにたどり着くことができました。そのことを知って腰が抜けました。

私の個人的な話をだらだら続けてしまいましたことをお許しください。いまお話ししていることの趣旨は、私は今日なぜこの教会で説教壇に立たせていただいているかの説明のつもりです。

今の私は、高等学校で聖書を教える仕事をしています。教会の牧師の仕事はしていません。日曜日がフリーです。だから私に説教を依頼していただけたという面があることはもちろん分かります。それ以上のことを私は、声を大にして自己主張するつもりはありません。しかし、100パーセント私の主観だけから言わせていただくのをお許しいただけば、私が今ここに立っているのは「神の導き」であるとしか表現のしようがありません。他の言葉が見つかりません。

さて、今日を含めて3回、皆さまから説教のご依頼をいただきました。1回めが今日、11月13日。2回目は来年1月8日。3回目は2月12日。どのような説教をさせていただくかをいろいろと考えて至った結論は、3回に分けてローマの信徒への手紙8章の26節から36節までを学ばせていただきましょうということでした。

なぜこの箇所なのかということは、説明できないわけではありませんが、次回お話しします。ただこの箇所は、聖書全体においても新約聖書においても最も有名な箇所のひとつであることは、間違いありません。なかでも28節の御言葉が有名です。

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(28節)。

さらっと書かれていますが、考えれば考えるほど深みにはまる謎めいた言葉です。「神を愛する人」と「神の計画に基づいて集められた人」がどうつながるのかは謎めいています。人が神を愛することのほうが先なのか、それとも神の計画が先なのかと考えていくと、「卵が先か、鶏が先か」を争う鶏卵論争にも似た様相の議論になっていきます。

さて、ここからやっと今日の箇所の解説にたどり着きます。しかし今日はすでにだいぶ長くお話ししましたので、もうすぐ終わりにします。学校の授業の場合はチャイムが鳴りますので、長い授業はできません。話が途中でも強制終了。教会の礼拝にもチャイムがあるほうがいいと思います。説教の途中でも強制終了。

それでは今から、今日の聖書の箇所に書かれていることの主旨を手短に申し上げます。

「霊」の意味は端的に「神」です。新共同訳聖書の凡例の「三(2)」に次のような断り書きがあります。「新約聖書において、底本の字義どおり『霊』と訳した箇所のうち、『聖霊』あるいは『神の霊』『主の霊』が意味されていると思われる場合には前後に””(ダブルクオーテーション)を付けた」。

「聖霊」は、わたしたちにとって端的に「神」です。「三位一体の教義が教会で定められたのは、パウロがこの手紙を書いたときよりずっと後の時代である」という言い逃れは通用しません。歴史的事実はそのとおりです。しかし、三位一体の教義を定めた教会が考えたのは聖書の読み方です。わたしたち教会はその教義を受け継ぐ責任がありますし、そのように聖書を読む必要があります。

そういうわけですので、今日の箇所に「”霊”」と書かれているところはすべて「聖霊」、そして端的に「神」と言い換えることができます。

それでは今からすべてをそのように言い換えてみます。

「『神』も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、『神』自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、『神』の思いが何であるかを知っておられます。『神』は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。」

もちろん、ただ単純に言い換えただけでは意味不明のところが出てきます。しかし、この言い換えだけで分かることがあります。

「わたしたちはどう祈るべきかを知らない」という場合の「わたしたち」は「人間」です。人間は弱いので、何かひどい目にあったり混乱したりしていると絶句します。言葉を失います。祈りの言葉さえ失ってしまいます。それはそのとおりです。

しかしそれでは、その弱い人間であるわたしたちを助けてくださる「神」である「霊」は、わたしたち人間とは違ってとても強い方なので、祈りの言葉を失うどころか力強く明確な言葉を雄弁に語る、そのような方であるとパウロが書いているかというと、全くそうではないということです。

先ほど「霊」を「神」と言い換えました。「『神』自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる」と。「言葉に表せないうめき」というのは、痛みや苦しみをこらえているときに出てくる苦悶の声です。場合によっては絶叫を伴います。妊産婦が出産のときに上げる声がそれです。それは、力強く明確な言葉を雄弁に語ることの正反対です。

「霊」がそのようなうめき声を上げると、パウロは書いています。この「霊」は神です。そしてここから先は私の考えです。他の牧師は言わないことかもしれません。

この「霊」は「聖霊」です。その「聖霊」は「キリストの霊」であるだけでなく「父なる神の霊」でもあることを無視してはなりません。「父、子、聖霊なる三位一体の神」ですから。「聖霊は御父と御子から発出」しますから。

別の言い方をすれば、わたしたちを執り成してくださる「神」のうめき声は、イエス・キリストの十字架上の絶叫だけではないということです。それは、父なる神御自身のうめき声でもあります。

聖書の神は《弱い神》です。祈りの言葉さえ失うほど悩み苦しんでいる人々に向かって力強く明確な言葉を雄弁に語る神ではない。全くそうではなく、むしろその反対に、わたしたちと一緒に言葉を失い、うめく神です。弱くて情けない神です。「もっとしっかりしてくださいよ!」と文句を言いたくなるほど、まるで弱い神です。

しかし、その《弱い神》にこそ、わたしたちは深い慰めを得てきました。神は弱い人間を大声で怒鳴りつけて、強制的にひとつの方向性に導こうとしません。神はそのような強引な専制君主ではありません。弱いのはイエス・キリストだけではなく、父なる神も弱いのです。わたしたちの父は、弱く優しく寄り添ってくださり、わたしたちと共に苦悶してくださる神です。

(2016年11月13日、日本基督教団豊島岡教会南花島集会所 主日礼拝)

2016年11月12日土曜日

「説教準備」に奔走した一日でした

オフ日の朝5時に自然に起床し、聖書の言葉を思い起こしつつ今後の人生と財布の中身を心配しながらお祈りし(これをデヴォーションと呼んでよいか)朝風呂につかり、これからスーツを預けるクリーニング店と血圧降下剤を処方してもらうために病院に行こうとしている(これを説教準備と呼んでよいか)。

ばらして悪いことはないと思うので書けば、今週前半あることで慶應義塾大学三田キャンパスに行き、実際に講義が行われている一つの教室に入らせてもらった。黒板ではなくホワイトボードだったが、学生が座る椅子と机は公立小中学校で使われているような普通の机椅子セットだったのが妙に興味深かった。

オフ日の今日午前中「説教準備」に奔走したが、昼過ぎに帰宅できた。帰宅予定時刻も行き先も告げず黙って出かけたことを申し訳なく思い、昼食は自分で何かをと、カレーパンを1個買って帰宅したが、極上のペペロンチーノを私の分もちゃんと作ってもらえていたので、家族はありがたいとつくづく思った。

誤解ないよう書くが、今日の午前中そのために奔走した「説教準備」とは、チョーク粉ですっかり変色した背広とネクタイをクリーニングに出し、ボロボロになった黒靴を半年ぶりに新調し、ボサボサになった髪を3ヶ月ぶりに切ってもらい、残り1錠になった血圧降下剤の続きの分を受けとることを意味する。

会計報告(2016年11月12日土曜日)

クリーニング 993円
黒靴 1598円
理髪 1080円
病院 1460円
薬局 770円
カレーパン 113円
計 6024円

「見よ、すべてが新しくなった!」

いま30分ほど書斎の座椅子に座ったまま居眠りしていた間、夢を見ていた。その内容は、私のネット利用のあり方について厳しく尋問される夢だった。その夢の私は、なんだか必死で「私いまでもガラケーでフェイスブックをやってるんですってば。ほらこれ見てくださいよこれ」とガラケーをかざしていた。

今夜は久しぶりに家族で外食。もう何年来かの行きつけになっている、柏らーめんファイトグランプリに2年連続で輝いた柏市内でいちおし人気の豚骨ラーメン店「ラーメン専科めん吉」さん(柏市南柏)に行く。私は辛ねぎラーメンをいただいた。マー油(焦がしにんにく油)が利いている。ひたすらうまい!

固定電話を置かず、腕時計をつけず、紙の新聞を購読しない生活が長い。ゲーム機は捨てたし、家庭有料テレビは利用したことがない。それで家族の誰も困っていない。ネットとケータイで私は十分。大事なことは「友達」が教えてくれる。移動中の音楽はカーステ。欲しいのは本棚だけ。もう少し、あと少し。

明日は松戸市内の日本基督教団の教会で説教します

明日(2016年11月13日日曜日)は日本基督教団豊島岡教会南花島集会所(千葉県松戸市南花島4-11-17)の主日礼拝で初めて説教させていただきます。国道6号線沿いの教会です。新京成線上本郷駅から徒歩9分(800m)、JR松戸駅から徒歩16分(1.2km)。ぜひおいでください。

日時 2016年11月13日(日)午前10時30分より
場所 日本基督教団豊島岡教会南花島集会所(地図
説教 「神があなたと共に苦悶する」
聖書 ローマの信徒への手紙8章26~27節(新共同訳)
賛美 讃美歌21(日本基督教団出版局)
説教者 関口 康(日本基督教団教務教師)


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2016年11月6日日曜日

新松戸幸谷教会の主日礼拝に出席しました

今日(2016年11月6日日曜日)は日本基督教団新松戸幸谷教会(千葉県松戸市新松戸2-169)の主日礼拝に出席しました。JR新松戸駅から徒歩8分(650m)。吉田好里牧師の説教は今日も本当に素晴らしかったです。聖餐式にも与ることを許され、心満たされました。ありがとうございました!

2016年11月5日土曜日

創立70周年記念行事を行いました

今日(2016年11月5日土曜日)は勤務校の創立70周年記念行事(記念礼拝、祝賀会、同窓会総会)を行いました。ご列席いただいたご来賓の方々ならびに同窓生の皆さまに、教員のひとりとして心から感謝いたします。勤務校の生徒と教職員のために引き続きお祈りとご支援をいただけますと幸いです。

2016年11月3日木曜日

日本基督教団が「嫌いでない」理由

今春(2016年3月)受験した日本基督教団教師転入試験の課題論文のテーマは「教団の教師になるにあたっての所信」。個人的なことを縷々綴ったので全文を公開することは控えている。ただ私はその中に次の一文を書いた。

「今の私にとって、日本基督教団に転入させていただくことの意味は、日本基督教団の中の特定のグループヘの転入ではありえないと考えています。今書かせていただいたこの点こそが、この論文において私に問われている『教団の教師になるにあたっての所信』の核心部分です。」

幸か不幸か分からないが、半世紀も生きてき、かつ半世紀もキリスト教の教会に通い続けた人間の矜持として、心にもないことは書かないし、書くことができない心性の持ち主にされている。それがいろんな面で災いすることが多々なきにしもあらずで、自分で手を焼いているところでもあるが、やむをえない。

日本語で「立派になる」とは「派閥の領袖になること」を意味すると、尊敬する先生からつい数日前に教えていただいたばかりだ。くだらない。そんな「立派」な人にはなりたくない。派閥を無くせば事が足りると考えているわけではない。「私は」そういうことには全く興味がないと、ただ言っているだけだ。

「日本基督教団」のことが嫌いでないのは(「好き」と書けよ)「そういう人」が多いところだったりする。「派閥の領袖になること」を意味するらしい「立派」な人になることに興味がないし、憎んでいさえする人が多いことを、大昔から知っている。小さなサル山ほどボスになりたがる。なれると思い込む。

その意味では私にとって「日本基督教団」は改めての安住の地でありうる。「天国」とも「神の国」とも思わないが(厳密な神学的分析において)、先に書いた意味での「立派」な人が見当たらない。「普通」の人が大きな責任を負っておられる。それのほうがキリスト教の教会らしい。それが現時点の結論だ。

私が見る悪夢にはたいていいつも出口がある

長年の準備期間には関与せず批判的・揶揄的であったような人が、あとから来て、まるで自分ですべてを築いた人然としているのを見ると二の句が継げない。不愉快としか言えない。でも、それはお互いさまかもしれないと黙するばかり。神がそのあり方をお許しになっているようでもあるので困惑するばかり。

つなぎ方が強引かどうかは分からないが、ファリサイが異邦の人を嫌がった理由に「あとのもの」が「先のもの」を追い越すのを嫌がった点はある。共感も同意もしないが、構図的に全く似ていないとも言わない。主導権争いなんかどうでもいい。ただ、お互いに謙遜であるほうがいいのにとは思う。後の祭り。

そして、どちらが「先」でどちらが「あと」かは謎であり続けることでもある。人の苦労の多寡も比較できない。レールを敷いた人と、敷かれたレールを走る人と。私はほぼいつも後者であることを強いられた。「強いられた」とあえて書く。誰も強いていないと言われよう。たしかにそうだ。強いたのは神だ。

恨んではいないが(いや恨んでいる)困ってはいる。人にではなく(いや人にも)神に。そして、心配もしている。余計なお世話かもしれない。しかし、心配せずにはいられない。あなたはなぜそこまであなたなのか。それでいいとどうして思えるのか。ここから先はお互いさまなので、祈りつつ黙するばかり。

という理屈っぽい悪夢にうなされた(ことにしておく)。夢オチという手法は有効だ。何があっても生きていくために、前に進んでいくために、いい夢を見ようと悪夢だろうと、よく眠ることが大切。私が見る悪夢にはたいていいつも出口がある。堂々めぐりで終わらない。神学を学んだおかげだと書いておく。