2016年2月15日月曜日

テトスへの手紙2章11~15節についての説教(日本基督教団教師転入試験回答)

(以下は日本基督教団教師転入試験「新約聖書説教」に私が回答した内容です。提出期限が2016年2月15日でした)

「実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。十分な権威をもってこれらのことを語り、勧め、戒めなさい。だれにも侮られてはなりません。」

今お読みしましたのは、使徒パウロが伝道者仲間であるテトスに宛てて書いたとされる手紙の一節です。

テトスはクレタ島にいました。世界で最も美しい海として知られるエーゲ海にある最も美しい島です。そこでテトスは大切な仕事をしていました。まだそこにキリスト教の教会が存在していない地域という意味での「伝道未開拓」の地域に新しく教会を生み出す仕事です。開拓伝道と呼ばれます。

そのことが分かるように書いているのが次の言葉です。「あなたをクレタに残してきたのは、わたしが指示しておいたように、残っている仕事を整理し、町ごとに長老たちを立ててもらうためです」(5節)。

どこかの町に教会が新しく生まれるとは、どういうことでしょうか。「教会が新しく生まれる」という言葉を聞いて多くの人々が思い浮かべることといえば、やはりなんといっても新しい教会の建物が立つことでしょう。新しい教会の建物ができるということも、大切なことです。しかし、実はもっと大切なことがあります。

そこに教師ではないという意味での信徒の中から教会役員となる人々が選ばれることが重要です。今お読みしました個所で「長老」と呼ばれている教会役員(教会の伝統の違いによって教会役員の呼称が異なる場合があります)が選ばれる必要があります。教師と役員が一人ずつというのでは、けんかになったときに収拾がつきませんので、なるべくなら役員は2名以上いることが望ましいです。

もちろん教会役員が選ばれ、役員会が組織されさえすれば、はい、それで終わり、教会ひとつ出来上がり、というわけではありません。さらに教会全体が組織化され、現実的・実際的に運営されていく必要があります。

なぜなら、「教会」とは建物ではなく、人(ひと)だからです。救い主イエス・キリストを信じる信仰によって心から喜びつつ、礼拝と奉仕をささげている人々が、集まっている。それが教会です。

当時のクレタ島は、ほとんどの島民にとってはキリスト教との接点がなかった頃です。それでも、その中の一握りの人々が、新しく宣べ伝えられた信仰を受け入れ、パウロたちが主宰する諸集会に定期的に出席してくれるようになったのでしょう。

しかも、いくつかの町ごとに分かれた複数の集会が生まれていました。そこで、パウロが去ったあと、テトスに残された仕事は、複数の集会の中から役員となるべき人を選ぶこと、そしてその人々を推進力とする教会組織を作り上げて行くことでした。

そのような状況の中でパウロはテトスにこの手紙を書き送りました。そして、この手紙の中で特に強調していることは、新しい信仰としてのキリスト教信仰を受け入れた人々はやはり、それまでとは異なる「生き方」をしなければならないということです。

「教会」というところに通いはじめた。最初は、おそるおそる近づいてきた。何となく敷居が高いと感じていた。しかし、そこで教えられている信仰に、次第に目が開かされてきた。そして、やがて信仰を受け入れ、キリスト教の洗礼を受け、ついに「キリスト者」と公に名乗って生きるようになった。

そのような変化が、人生の中にもたらされた。そのときに起こらなければならないことは何か。考え方、物の見方、価値観などが変わるにすぎないのか。それとも、生き方そのもの、生活態度にも変化が起こるのか。そこで起こるのは、頭の中だけの変化にすぎないのか。体全体の変化も伴うのか。

パウロが書いている勧めの内容は、それほど特殊なことではないと思います。見方にもよりますが、ごく普通のテーブルマナーや、一般常識程度のことです。あまりお酒を飲みすぎてはなりませんとか、思慮深く振る舞いなさいとか、良い行いの模範になりなさい、など。

「そんなの、どうでもよいことではないか。たとえそれが教会であっても、たとえそれが聖書に基づいている言葉であるといっても、私個人の生き方や立ち居振る舞いまで干渉され、こうしろ、ああしろと、とやかく言われるのは、勘弁してもらいたい」と即刻反発されるかもしれません。

あるいは、「私は大酒を飲むのをやめられないし、思慮深い人間にもなれません。まして、誰かの模範になることなど絶対にできません。そのようなことを求められるようであれば、私は教会に近づくことすらできません」と言われてしまう理由になるかもしれません。

そのようないろいろな反応を、わたしたちは、いろんな機会に何度も聞いてきましたので、よく知っています。しかし、だからといって、わたしたちは、その先の言葉を語ることができないわけではありません。

パウロも書いています。「十分な権威をもってこれらのことを語り、勧め、戒めなさい。だれにも侮られてはなりません」(15節)。

キリスト教の信仰をもって生きるようになった人々には、体全体の変化、存在そのものの変化がそこに必ず伴うのだ、ということを語ることにおいて、わたしたちは、だれにも侮られてはならないのです。

その意味での「わたしたちの人生における変化」を、パウロは「すべての人々に救いをもたらす神の恵み」という言葉で表現しています。そこで起こるのは、神の恵みによって救われた人々の人生がそのことにふさわしいものへと作りかえられるという出来事です。

また、今申し上げたこととの関連でぜひ注目していただきたいのは、今お読みしました個所にひとこと出てくる「この世で」という言葉です。

教会が宣べ伝えている内容が宗教であることは間違いありませんが、宗教といえばこの世のことではなく、この世とは次元の異なる天国のことを教えるものではないかと、どうしても考えられがちです。しかし、今開いていただいている個所に記されている「すべての人々に救いをもたらす神の恵み」は、本質的にこの世のものです。生きている間に味わうことができるものです。地上の人生を終えて天国に行かなければ決して味わうことができないというようなものではないのです。

実際問題として、神の恵みによって生活の変化が起こりますよという話は、生きている間に聴かなければ意味がありません。「現世的な欲望を捨てる」のは「この世」ですることです。死ねば自動的に欲望がなくなるかもしれません。しかし、わたしたちは、その日そのときまでは欲望に任せて傍若無人に生きてもよいわけではないのです。

そして、もう一つ言えることは、生活の変化ということでわたしたちが思い描いてよいことは、この手紙の文脈を考えてみると明らかに、教会の組織とか制度というような次元の事柄と、決して無関係ではありえないということです。

パウロが書いているのは、教会の「長老」や「執事」や「監督」(この文脈では「牧師」の意味です)としてふさわしいのはどういう人々であるかとか、教会の交わりを大切にしていくためには、どのような生き方をすべきか、ということです。

ここで問われていることは、地上の教会に集まる人々の姿です。毎週の礼拝や諸集会に定期的に出席するようになるとか、役員として奉仕することなどです。このような、教会の具体的・実際的な活動に参加していく中で、わたしたちの生活が次第に作りかえられて行くのです。

もっとはっきり言えば、教会の行事に、わたしたちの生活を重ね合わせていこうとするときに、それが起こるのです。わたしたち自身が教会になるのです。それは、わたしたち自身がイエス・キリストの体になることを意味しています。

日曜日は朝早く出かけ、教会の礼拝に出席する。それでは、土曜日のお酒は少し控え目にしましょうとか、できるだけ早く眠りましょうといった感じのことです。言ってみれば、その程度のことにすぎません。しかし、そのようなことが、場合によっては人生の大問題になりうるのです。

「キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは」という意味は、キリストが十字架の上で御自身の命をささげてくださったことだけではありません。それに加えて、フィリピの信徒への手紙2・6〜7に書かれているとおり、「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じものになられました」ということまでのすべてを含んでいます。神の御子が人間となられたこと自体が、わたしたちのために御自身をささげてくださることなのです。

それは、「わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだった」とパウロは言います。「良い行いに熱心な民」、これが教会です。神の御子が地上の人間としてお生まれになったのは、キリストの体なる教会をこの地上にお立てになるためです。

イエス・キリストを通して神の恵みが現れたことの目的は、地上に教会を生み出すためです。それは、教会に連なる人々が「良い行いに熱心な民」となり、教会の中で良い行いを行い、良い人生を生きることができるようになるためです。

教会には、高級ホテルのようなディナーも、豪華な飾りも、美味しいお酒もありません。しかし、ここには、わたしたちの心を真に満たしてくれるものがあります。「神の恵み」があります。そのことを、すべての人々に分かっていただきたいのです。

ゼカリヤ書14章1~9節についての説教(日本基督教団教師転入試験回答)

(以下は日本基督教団教師転入試験「旧約聖書説教」に私が回答した内容です。提出期限が2016年2月15日でした)

「見よ、主の日が来る。かすめ取られたあなたのものが、あなたの中で分けられる日が。わたしは諸国の民をことごとく集め、エルサレムに戦いを挑ませる。都は陥落し、家は略奪され、女たちは犯され、都の半ばは捕囚となって行く。しかし、民の残りの者が都から全く断たれることはない。戦いの日が来て、戦わねばならぬとき、主は進み出て、これらの国々と戦われる。その日、主は御足をもって、エルサレムの東にあるオリーブ山の上に立たれる。オリーブ山は東と西に半分に裂け、非常に大きな谷ができる。山の半分は北に退き、半分は南に退く。あなたたちはわが山の谷を通って逃げよ。山あいの谷はアツァルにまで達している。ユダの王ウジヤの時代に地震を避けて逃れたように逃げるがよい。わが神なる主は、聖なる御使いたちと共に、あなたのもとに来られる。その日には光がなく、冷えて、凍てつくばかりである。しかし、ただひとつの日が来る。その日は、主にのみ知られている。そのときは昼もなければ、夜もなく、夕べになっても光がある。その日、エルサレムから命の水が湧き出て、半分は東の海へ、半分は西の海へ向かい、夏も冬も流れ続ける。主は地上をすべて治める王となられる。その日には、主は唯一の主となられ、その御名は唯一の御名となる。」

いまお読みしましたのは、みなさんのうちの多くの方々にとって、おそらくは必ずしも馴染み深いとは言いがたいと思われる旧約聖書のゼカリヤ書の一節です。内容的に決して平易であるとは言えませんので、どのようにお話しすればよいか迷うばかりです。しかし、じっくり読んでいくと味わい深い内容が記されていることが分かりますので、お付き合いいただきたくお願いいたします。

この個所に記されていることをひとことでまとめて言えば、「世界の終わり」を意味する終末の時にエルサレムがどうなるかということです。つまり、これは過去の歴史の出来事を描写しているものではなく、将来起こるであろうことについての預言です。そのことについて預言者ゼカリヤが、まさに預言しています。

しかも、この預言は、実在する地名で知られる、現在のイスラエル国の首都エルサレムがどうなるのかという関心事に終始するものではなく、もっと広い視野を持っています。まさに「世界の終わり」について語られている個所であり、その関心事は世界がどうなるのかということにあります。その意味では、語弊を恐れずいえば、この個所に言及されるエルサレムという地名は一種の比喩であると考えるほうがこの個所の理解としては正しいと思われます。

つまり、重要な問題は「世界はどうなるのか」です。その結論については、わたしたちキリスト教会は、ある意味でよく知っています。神が創造されたこの世界は、いつの日か必ず終わりの日を迎えるというのが聖書の教えであり、かつキリスト教信仰における重要なポイントでもあります。恐怖心を煽る意図から申し上げるのではありませんが、わたしたちの人生がいつか必ず終わりを迎えるのと同じように、わたしたちが今生きているこの世界もまた、いつか必ず終わるのです。それは命あるものの定めです。

しかしそれは、神を信じる者たちにとっては恐ろしいことではありません。先ほどから私は世界が終わる終わると申しておりますが、それは、たとえていえば、長く苦しい旅を続けてきた人が目標としてきたゴールにたどり着くことを意味します。あるいは、一つの大きな作品をゼロから苦労して作り上げていくアーチストのような人々にとって、その作品がやっと完成したと、喜び、感謝する日を迎えることを意味します。

わたしたちの人生も、わたしたちが生きているこの世界も、神がお造りになった創造物です。わたしたちは自分で自分の命を造ることはできませんし、この世界を私がひとりで造りましたと言える人はいません。言うのは自由かもしれませんが、それは事実ではありません。

もしかしたら、ふだんのわたしたちはそういうことを考えもしないようなことかもしれませんが、今日はぜひお付き合いいただきたいのは、わたしたち自身の人生とこの世界を、これを造ってくださり、わたしたちに与えてくださった神御自身の視点に立って見つめてみることです。そういうことが実際にできるかどうかはともかく、みなさんの意識を少し変えていただき、自分の側の視点、あるいは、もっと厳しい言い方をお許しいただけば、わたしたちの自己中心的な視点から自由になって、神の視点に立って考えればどのようなことになるのかを思い巡らしながら、先ほどお読みしましたゼカリヤ書の個所を見つめていただきたいのです。

逆の言い方をすれば、今申し上げたようなことを強く意識してでもなければ、この個所に書かれていることの意味を理解することはほとんど不可能だと言えるとも私には感じられます。ここに書かれていることは、何を言っているのかが分からないということもさることながら、これをそのまま信じろと言われても、とてもではないが受け容れがたいと、多くの人が感じるかもしれないことなのです。しかしそれは、あらかじめやや結論めいたことを申しておきますが、わたしたちが自己中心的な視点から自由になれていない証拠かもしれません。以上、前置きが長くなりましたが、このあたりから内容に入っていきたいと思います。

預言者ゼカリヤがこの個所に書いていることの要点は、世界を創造された主なる神が、世界の終わりの日に、全世界の支配者になられるということに尽きます。

「見よ、主の日が来る」の「見よ」は、これからまもなく起こる出来事を予測しつつ、一緒に期待して待とうではないかという呼びかけを意味しています。「主の日」とは、これがまさに世界の終わりの日です。

教会では毎週日曜日を「主の日」と呼ぶならわしがありますが、ゼカリヤが描いている「主の日」は、七日ごとに定期的に訪れる日曜日のことではありません。むしろ、それはたった一度だけ世界に訪れる日です。それは繰り返されません。そしてまた、それはまだ来ていません。まだ誰も体験したことがない将来の出来事です。主なる神御自身が全世界の支配者になられる日です。それはすでにそのとおりのことが実現しているのではないかとお考えになる方もおられるかもしれませんが、今申し上げている意味で主なる神が全世界の支配者になられるとは、全世界の人々がそのことを認め、信じ、告白することを含んでいなくてはなりません。なぜなら、聖書に登場するわたしたちの神は、一方的な支配者ではないからです。悪い意味での専制君主ではありません。わたしたち人間の信仰と信頼をお求めになる方です。

しかし、主なる神御自身が良い意味での全世界の支配者になられるために、驚くべきことが行われることをゼカリヤは預言します。「わたしは諸国の民をことごとく集め、エルサレムに戦いを挑ませる」というのです。この「わたし」は主なる神御自身です。そして、先ほど私は、語弊を恐れず言えばとお断りしながらやや語弊を恐れていますが、この個所に登場する「エルサレム」という地名はある意味で比喩であると申し上げたわけですが、何の比喩であるかといえば、神を信じる人々をたとえていると、考えることができます。その人々に対して、「わたし」と称される神御自身が、諸国の民をことごとく集めて戦いを挑ませるというのです。

何のことかお分かりでしょうか。ここで言われていることの趣旨は、神が、神を信じる人々の側ではなく、その正反対の人々の側に立って、その人々を集めて、神を信じる人々と戦わせるということです。そんなことがあってよいのでしょうか。神は、神を信じる人々の常に味方になってくださるのではないのでしょうか。そうではないということがここで語られているのです。

なぜ神がそのようなことをなさるのか、その理由や動機については、何も記されていませんが、なんとなく想像はつきます。「しかし、民の残りの者が、都から全く断たれることはない」と記されています。その戦いの中で、厳しい言い方かもしれませんが、民の中に残ることができる人と残ることができない人が出てくるということです。つまり、ふるいにかけられるのです。それを「試練」と表現することができるかもしれません。

その意味では、神は厳しい方であるというべきです。神を信じる者たちをこそ、厳しい試練にあわせる方です。あなたの信仰は本物ですか偽物ですかと試される方です。

しかし、神は冷たい方ではありません。神を信じる者をお見捨てになりません。戦いに敗れたかのように、神の民のシンボルであるエルサレムが陥落した後に、主なる神御自身がいわば姿を現してくださり、「進み出てくださり」、民の先頭に立って戦ってくださる方です。そのことをゼカリヤは預言しています。

他人事のような言い方をすべきではないかもしれませんが、わたしたちは、戦いに負けなければ自分自身の限界や弱さを自覚することができないところがあります。自分自身の限界や弱さを自覚できないということは、自分のほんとうの姿を知らないということです。そして、それと同時に言えることは、わたしたち人間は、神の助けなしには生きることも立つこともできない存在であることを知らないということです。そのことをわたしたちに自覚させることが、神がわたしたちに厳しい試練を与えることの理由ではないでしょうか。その意味では、わたしたちは負けてもいいのです。いえ、負けるべきなのです。逃げてもよいのです。いえ、逃げるべきなのです。

そのことをゼカリヤは熟知しています。「その日、主は御足をもって、エルサレムの東にあるオリーブ山の上に立たれる。オリーブ山は東と西に半分に裂け、非常に大きな谷ができる。山の半分は北に退き、半分は南に退く。あなたたちはわが山の谷を通って逃げよ。山あいの他にはアツァルにまで達している。ユダヤの王ウジヤの時代に地震を避けて逃れたように逃げるがよい。わが神なる主は、聖なる御使いたちと共に、あなたのもとに来られる」と書いてあるとおりです。神がオリーブ山を真っ二つに引き裂いて、神を信じる者たちの逃げ道を造ってくださる。そのようなとんでもないことをなさる神の姿が描かれています。

このような描写を荒唐無稽だと言ってしまえばそれまでです。しかし、わたしたちは、ここに書かれていることの意味は何なのかをよく考えなくてはなりません。

今日開いていただいている個所でもう一つ重要な点としては、終わりの日に主なる神が世界に対してなさることとして、地上の大自然を大きく変化させてくださるということがあります。「その日には、光がなく、冷えて、凍てつくばかりである」と記されています。ただし、この「光」は、ゼファニア書3章5節、ヨブ記24章13節などで用いられているのと同じ言葉が用いられています。それらの個所を見ると自然的・物理的な「光」という意味というよりも心理的・内面的な事柄を描写する比喩的表現としての「光」であることが分かります。ゼカリヤが述べている「光」も、それと同じかもしれません。

またゼカリヤによると、終わりの日には泉としてのエルサレムから命の水が湧き出ます。その水が二つの川に分かれ、東と西に流れます。これも比喩であると考えるべきではありますが、しかしまた、単なる空想や想像の産物だと言うだけで片付けることができない、むしろ、きわめて具体的で現実的な情景を思い描くことができる描写でもあります。

世界地図というのは、それを作る国によって中心地が異なる場合が多々あります。日本で作られる世界地図の真ん中には日本列島が描かれます。他の国の場合もそれと同じです。エルサレムで作られた世界地図を私は見たことがありませんが、真ん中に描かれるのは、おそらくエルサレムではないでしょうか。

こういうことを言いますと各国のエゴイズムだというような批判が飛び交うことになるのかもしれません。しかし、ゼカリヤが描いているのは、まさにそのような世界地図です。エルサレムが中心です。しかし今申し上げたことは正確ではありません。ゼカリヤの描く世界地図の中心は神御自身です。神が全世界の支配者になられる日が来る。それは、神が全世界の頭を押さえつけて恐怖政治を行う日ではありません。神の救いの恵みが全世界に満ちあふれる日です。

2016年2月14日日曜日

キリストに従う(置戸教会)

日本基督教団置戸教会(2016年2月14日、北海道常呂郡置戸町)
マタイによる福音書11・25~30

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。』」

置戸教会に来させていただいたのは、今日が2回目です。前回は29年前です。ただし、日曜日ではありませんでした。29年前の私はまだ21歳で、東京神学大学の4年生でした。その年の夏休み中に、春採教会で夏期伝道実習をさせていただきました。それが1987年7月です。

そして、その実習の最後に春採教会の当時牧師だった青砥好夫先生と釧路教会の秋保宣先生と私の3人で、「道東地区めぐりに行こう」ということで、1泊2日のドライブに連れて行っていただきました。と言っても、納沙布岬で花咲がにを食べて、知床岬で毛がにを食べて、網走に行って、摩周湖や屈斜路湖を見ただけなのですが。

過密なスケジュールでしたので、北見望ヶ丘教会には行くことができませんでした。しかし、置戸教会に立ち寄らせていただきました。高田弘先生がお元気だったころです。立ち寄らせていただいたのは、わずか数分だけです。そのとき以来です。

しかし、私が置戸教会で説教をさせていただくのは、今回がなんと3回目です。不思議な話です。前回と前々回はインターネットで録画説教をさせていただきました(2012年12月30日、2015年2月22日)。そういうことができる時代になったことを感謝しています。

でも、私は不満でした。皆さんのお顔を拝見できないのです。一方通行です。私は独り言を言っているようなものでした。これは何とかしなくてはならないと思い、今回無理やり私から頼み込んで、置戸教会で説教させてください、お願いしますと訴えて、やっとお許しをいただきました。かえってご迷惑だったかもしれません。どうかお許しください。

さて、そろそろ本題に入ります。今日みなさんにお話ししたいと思っているのは、たった一つのことです。それは「キリストに従うことは、楽になることです」ということです。

そういうふうに、聖書に書いてあります。イエスさまご自身がそうおっしゃっています。イエスさまがおっしゃっているのは、わたしのもとに来なさい、休ませてあげるということです。わたしに学びなさい、そうすれば安らぎを得られる。それは、安心できます、という意味です。

こんないい話、なかなか聞けないと思います。そして、イエスさまがおっしゃっていることが事実であれば、こんなにありがたいことは他にないと思います。

なぜなら、わたしたちはみんな、ひどく疲れているからです。いろんな重荷を負っているからです。休めるものなら休みたいと心から願っているからです。そうでない人はいないでしょう。

しかし、ここで考えさせられることがあります。それは、イエスさまがおっしゃっているとおりのイエスさまのもとでのこの休息とこの平安を、今のわたしたちは、どうしたら味わうことができるのでしょうか。教会に来れば、それを味わうことができるでしょうか。それは本当でしょうか。

ここでまたちょっと私の話をさせてください。私は今、自由の身です。昨年12月までの11年9ヶ月、牧師として働かせていただいた教会を辞職しました。ついでに、というわけではありませんが、19年所属した教派を退会しました。私は今、無職で無所属です。そのような立場でみなさんに説教をさせていただいています。

4月からの仕事は決まっています。プロテスタントのキリスト教主義学校の宗教科の常勤講師になります。高校生に聖書を教える仕事です。そして、その学校が「日本基督教団関係学校」であることを理由に、日本基督教団関係学校に在職する者は教団の「教務教師」として登録することができる制度(教規第128条1項)に基づいて、日本基督教団に転入させていただくことにしました。

転入試験は来週(2016年2月23日、25日)です。もしそれに合格すれば、私は日本基督教団の教師です。

しかし今日の段階では、まだ無所属です。そして無職です。現在私は、時給のアルバイトをさせていただいています。建築関係の会社のホームページを作るのをお手伝いする仕事です。私には大学生と高校生の子どもがいますので、父親が無収入になってしまうわけには行きませんので、アルバイトをしています。そのような状態です。肩書きをつけるとしたら「フリーター」かもしれません。

自分の話が長くなりました。私は今、自由の身であると申し上げたかっただけです。教会に通うことは、生まれたときから今の50歳になるまで50年続けています。牧師の仕事は、1990年4月に日本基督教団の補教師になったときから数えれば、25年させていただきました。しかし、今の私は、無職で無所属です。

そのような状態になってみて初めて気づいたことがあります。それは多少私の見苦しい言い訳の面があるかもしれませんが、事実としてそうだと思えることです。

それは、私は「キリストの弟子」であるということです。そのことだけは断言できます。誰に何と言われようと、この点だけは誰にも譲ることができません。しかし、私が「キリストの弟子」であるということと、どこかの教会に属しているということ、あるいはどこかの教会の牧師であるということは、完全に区別して考えることはできないかもしれませんが、だからといって完全にぴったり同じことを意味するとも言えない、ということです。

客観的に言えば、今の私は無所属で無職です。どこの教会にも属さず、どこの牧師でもありません。しかしそれでは、今の私が「キリストの弟子」であると名乗ることができないのかといえば全くそんなことはありえないと思います。自信をもって堂々と、声を大にして「私はキリストの弟子です!」と名乗ることができます。だからこそ今日みなさんの前にも立たせていただいています。

そしてその私は、もし私がそうであるならば、自分だけを特別扱いしてはならないはずであるとも考えます。自分のことをそうであると言いたいならば、他の人にも当然同じことを当てはめなくてはならない。それが私の責任であり、義務でもあると思います。

わたしたちはどうしても、人の顔を見ると「教会に通ってください、教会に来てください」と、つい言いたくなります。キリストの弟子であることと、教会に属することは、全く同じことであると考えたくなります。そのように考えることのすべてが間違っているわけではありません。

しかし、問題はその先です。「教会に来ない人はキリストの弟子ではない」とも、つい考えてしまいます。「あの人は、この人は、以前は教会に来ていたので、キリストの弟子だった。しかし、今は教会に来ていないので、キリストの弟子でなくなった」と、そんなふうにさえ、つい考えてしまいます。これは私が大げさに言っていることではありません。一度ならず、何度も繰り返し、教会の中で耳にしてきた言葉です。

しかし、そういう話になっていきますと、わたしたちはだんだん、教会が楽でなくなります。教会が苦痛になり、重荷になる。教会に行くたびに疲れる。イエスさまがおっしゃっていることからかけ離れていきます。キリストに従うことは、楽になること、であるはずですが、現実はそうではないと言わなくてはならなくなります。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と、イエスさまはおっしゃっているのに。

いま私が申し上げているのは、どこかの教会やだれか牧師の批判ではありません。自分自身の反省として申し上げていることです。そしてまた、これからの私自身の目標と希望として申し上げていることです。

行けば行くほど疲れる教会。重荷ばかりが増えて喜びを感じられない教会。教会がそのような状態であってよいはずがないではありませんか。

「イエスさまは好きですが、教会は嫌いです」ということを、わりとはっきりおっしゃる方がおられます。決して少なくありません。かなり大勢の人から聞こえてくることです。その原因は何なのかということを、わたしたちはもっと真剣に考えなくてはなりません。

もちろん私は、このようなことを言いながらも、教会を長い間、一生懸命に支えてこられた方々の努力や苦労は並大抵のものではないということも、よく分かっているつもりです。その努力や苦労を踏みにじるようなことを申し上げる意図は全くありません。

教会の中でなにかの役につけられると、責任ばかり押し付けられて、文句ばかり言われて。できて当たり前、できなければ厳しく批判される。そのようなことばかりが続くと、腹も立つし、愚痴も言いたくなります。すべてを投げ出したくなります。そのような気持ちになることがしばしばあることもよく分かります。

私の過去の人生50年すべて教会と共に歩んできましたので、他人事のように思えることは、ただのひとつもありません。

しかし、だからこそあえて申し上げたいことがあります。教会に通っているわたしたちは、教会を長年支えてきたわたしたちは、どんなことがあっても喜びましょう。絶えず祈りましょう。すべてのことに感謝しましょう。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」(一テサロニケ5:16~18)という使徒パウロの言葉を思い出しましょう。

無理に笑う必要はありません。作り笑いはすぐバレます。教会は楽しいところであり、ここに来ると楽になれる、重荷をおろすことができる、そういうところであるということを、わたしたちの言葉と態度で示していきましょう。そうすれば、おのずから教会に人が集まるようになります。

「ここは楽しいところなのか苦しいところなのか」ということを、人は瞬時に判断します。肌感覚で分かります。教会を楽しいところにするテクニックのようなものはありません。そういうのはすぐに見抜かれます。

そのようなことよりも大事なのは、わたしたち自身が「キリストに従うこと」です。イエスさまの弟子になることです。イエスさまの前に重荷をおろして、真に自由にされたことを心から喜び、感謝することです。

(2016年2月14日、日本基督教団置戸教会主日礼拝)

2016年2月7日日曜日

倉敷教会の主日礼拝に出席しました

今日(2016年2月7日日曜日)は、日本基督教団倉敷教会(岡山県倉敷市)の主日礼拝に出席させていただきました。旧組合教会の伝統を受け継ぐ教会です。「奇跡の食卓」と題する中井大介牧師の説教は本当に素晴らしかったです。深く感動しました。


2016年1月31日日曜日

井草教会の主日礼拝に出席しました

今日(2016年1月31日日曜日)は、日本基督教団井草教会(東京都杉並区)の主日礼拝に初めて出席させていただきました。外環道経由で往路70分(50キロ)でした。新任の布村伸一牧師の力強い説教に励まされました。ありがとうございました。

2016年1月27日水曜日

緒方純雄先生


組織神学者・緒方純雄先生の訃報に接し、先生のことを何も存じなかったことを反省している。ずっと前に買ったフェレー『キリストとキリスト者』(新教出版社、1961年)が緒方先生の訳であることに気づいていなかった。がぜん興味がわいてきた。

『ルター著作集』第1集第1巻(聖文舎、1964年)「贖宥の効力を明らかにするための討論(1517年)」と「ライプチヒで討論された命題に関するルターの解説(1519年)」の翻訳と解説が緒方先生だと教えていただいた。止揚学園に緒方先生に由来する「おがたホール」が2003年に造られた。

佐藤優氏が著書の中で繰り返し、同志社大学神学部の恩師である緒方先生について書いておられることは知っていた。今や、教え子である佐藤氏の国民的知名度が緒方先生の知名度と連動していることは、客観的に見れば否定できないだろう。教師とは「そういう存在」なのかもしれないと考えさせられている。

『ルター著作集』第1集第1巻の巻末の「訳者略歴」に、緒方純雄先生の略歴が次のように記されている。「緒方純雄(おがた・すみお)同志社大学文学部神学科卒、ユニオン神学校留学、組織神学専攻、同志社大学神学部教授」。ルーテル系の熊本の九州学院のご卒業であるとも、恩師から教えていただいた。

2016年1月24日日曜日

滝野川教会の主日礼拝に出席しました

今日(2016年1月24日日曜日)は、日本基督教団滝野川教会(東京都北区)の主日礼拝に出席させていただきました。自動車で60分(25キロ)。阿久戸光晴牧師の明晰な説教、西之園路子副牧師の適確な司式による厳かな礼拝で、心洗われました。


2016年1月17日日曜日

上尾合同教会の主日礼拝に出席しました

今日(2016年1月17日日曜日)は、日本基督教団上尾合同教会(埼玉県上尾市)の主日礼拝に出席させていただきました。自動車で70分(50キロ)。30年来の親交をいただいている秋山徹牧師のハイデルベルク信仰問答講解説教を拝聴しました。


2016年1月11日月曜日

いま悩んでいることを書いておきます

記事とは関係ありません(2016年1月10日、関口康撮影)
いま悩んでいるのは、軸足の置き場がこのたび大きく変わったことと、これまで書いてきたことの関係をどうするかだ。はっきり言おう。19年前からファン・ルーラーの神学の研究を続けてきた。私の軸足は「教会」だったし、それしかなかったので、ファン・ルーラー神学の「教会的有用性」を考えてきた。

しかし、今後の私の軸足は「教会」にはない。教会に通うのをやめるわけではないが、勤務先が「教会」から「学校」に変わる。「教会の学」ではなく「学校の学」を営む必要がある。両者は同一ではないのだ。ファン・ルーラーはそのことをよく知っていた。彼は「神学」を「教会の学」と呼ぶことを嫌った。

ファン・ルーラーは「神学は教会の学ではなく、キリスト教化された国家の学である」と言った。これがオランダのような国でしか言えない言葉であるのは間違いない。しかし、彼の意図は、神学を教会の中に幽閉すべきでないということでもあった。神学は万人に開放されるべきポピュラーな学なのだからと。

その意味では私はこれまでファン・ルーラーを相当無理やり「教会の学」の枠組みの中に押し込めることで「教会的有用性」を論証してやろうという気持ちが強かった。しかしそれがうまく行ったためしが私にはない。なぜなら彼の神学は本質的に「教会」の枠を超えようという意志を強く持ったものだからだ。

私も、そして(語弊を非常に恐れつつ名前を並べるが)ファン・ルーラーも「教会」が嫌いなわけではない。むしろ特別な愛を持っている。教会を否定する神学ではないし、教会を嫌忌する神学でもない。しかし、神学を教会の占有物にすることについては、私も、そしてファン・ルーラーも全面的に反対する。

しかし、神学を「教会」の中へと幽閉せず、ファン・ルーラーの言葉を借りれば「キリスト教化された国家の学」として、まだキリスト教化されていないし、あと何世紀か先までキリスト教化されそうにない(と感じる)国の中で神学を展開するとは具体的にどういうことなのかは、実際にやってみるしかない。

なので私は困っている。私は「神学」を「教会の外」(extra ecclesiam)へと連れ出さなくてはならない。古来の教会が「救いなし」(nulla salus)と宣告してきた領域だ。そこに「神学」を持ち出す。しかしそこが本来の居場所であり、目的地なのだ。血沸き肉踊るではないか。

2016年1月10日日曜日

東村山教会の主日礼拝に出席しました

今日(2016年1月10日日曜日)日本基督教団東村山教会(東京都東村山市)の主日礼拝に出席させていただきました。4人の写真は、左から田村毅朗先生(東村山教会牧師)、関口康、加藤常昭先生、芳賀力先生です。私は1980年代の東京神学大学で加藤先生から直接教わった学生です。