2014年11月16日日曜日

主イエスは命の力に満ちていました

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂

マルコによる福音書5・21~43

「イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。『わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。』そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。さて、ここに十二年も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。『この方の服にでも触れればいやしていただける』と思っていたからである。すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、『わたしの服に触れたのはだれか』と言われた。そこで、弟子たちは言った。『群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。』しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。イエスは言われた。『娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。』イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。『お嬢さんは亡くなられました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。』イエスはその話をそばで聞いて、『恐れることはない。ただ信じなさい』と会堂長に言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、家の中に入り、人々に言われた。『なぜ泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。』人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。そして、子供の手を取って、『タリタ、クム』と言われた。これは、『少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい』という意味である。少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。」

今日は長く読みました。この個所に記されているのは大きく分けると二つの出来事です。ただし、二つのうちの一つは、もう一つの出来事の途中で起こりました。その関係が分かるように一つの出来事が前後二つに分けられ、もう一つの出来事をサンドイッチのように間に挟むように書かれています。その関係が分かるように読む必要がありましたので、朗読の個所が長くなりました。

先週学んだ個所に記されていたのはゲラサ人の地方でイエスさまがなさった奇跡です。詳しい内容を繰り返すことはしません。イエスさまがなさったことは、悪霊に取りつかれていた人の中から悪霊を追い出し、その悪霊を二千匹ほどの豚の中に乗り移らせ、豚たちをガリラヤ湖になだれ落とすことによって悪霊を退治なさるということでした。

そのような方法は今のわたしたちが再現できることではありません。イエスさまだけに可能な特別な方法であったと考えるほかはありません。しかし、大事なことは結果です。イエスさまがなさったことによって悪霊に取りつかれていた人は正気に戻りました。この人に取りついていた悪霊はいなくなったのです。

しかし、その結果、二千匹ほどの豚が死んでしまったことで町の人たちが腹を立てて、イエスさまに町から出て行ってもらいたいと言いました。それは無理もないことですのでイエスさまも納得してカファルナウムに引き返されました。それで場面は再びカファルナウムに戻りました。

するとまた、イエスさまの周りに大勢の群衆が集まって来ました。イエスさまがどこに行かれたのか分からなくて心配だった人たちもいたでしょう。本当に帰ってくるのだろうか。もう戻ってこないのではないだろうか。あるいは、わたしたちを見捨てたのか。裏切ったのか。そういう逆恨みに似たような思いを抱いていた人たちまでいたかもしれません。しかし、イエスさまはまた戻ってきました。多くの人は安心したことでしょう。

しかし、そのイエスさまの帰りを待っていた人々の中に、明らかに切羽詰まった状態にあった人々が何人かいました。それが今日の個所に出てきます。ここに出てくる人々の中で、切羽詰まった状態にあったのは、一つの家族と、一人の人です。

一方は、一つの家族でした。カファルナウムの会堂長ヤイロと娘さんです。何度もお話ししてきましたとおり、イエスさまは毎週土曜日の安息日にカファルナウムの会堂での礼拝で説教しておられました。そういう関係ですので、その会堂の管理や活動の責任者である会堂長ヤイロには、イエスさまとしても、いろいろな面でお世話になっていたに違いありません。

その会堂長であるヤイロがイエスさまのところに来てひれ伏しました。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば娘は助かり、生きるでしょう」と懇願しました。イエスさまもご承知くださり、ヤイロと一緒に家に向かうことになさいました。

ところが、そこに、もう一人の切羽詰まった状態の人が現れました。その人のことをマルコは次のように詳しく書いています。「ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。『この方の服にでも触れればいやしていただける』と思ったからである」(25~28節)。

このもう一人の人のことを、会堂長ヤイロとその娘さんと全く同じ意味で「切羽詰まった状態の人」とみなすことができるかどうかには難しい面があるかもしれません。

ヤイロの娘さんはもうすぐ死ぬ、危篤の状態でした。しかも、いつもお世話になっている会堂長のご家族のことであれば、何を差し置いても真っ先に飛んでいかなくてはならない。優先順位で言えば当然最優先されるべき存在である。寄り道したりよそ見したりすることはありえない。そういう考え方を持つ人は十分ありうると思います。

もう一人の女性のほうは、「切羽詰まっている」といっても話が全く違う。十二年も病気が治らない状態だったかもしれないが、逆に言うとすぐに死ぬという話ではない。全財産を使い果たして無一文になったのは可愛そうではあるが、自業自得であるとも言える。素性の知れない無一文の貧乏な人。しかもその人は「イエスさまの服に触れさえすれば自分の病気が治る」と思い込んでいるような人だ。

そんな人は放っておけばいい。そんな人は後回しにして、まっすぐに会堂長の家に行くのが当然だ。まして、娘さんは危篤の状態だ。そういう考えを持つ人がいるかもしれません。

しかし、イエスさまという方は、そういう考えを全くお持ちにならない方であるということが今日の個所を読めば分かります。

イエスさまは逆にヤイロの娘さんのほうを後回しにされました。それより先にしなければならないことがあるという確信をイエスさまはお持ちになりました。群衆の中のどこからともなく伸びてきた手が、わたしに助けを求めている。そのことをイエスさまは感じとり、助けを求めた人を探し始められました。ヤイロの家に向かう足はとめて、逆方向に引き返して、探し始められました。

そして自分がそうであることを申し出た女性に「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」と優しい言葉をかけてくださいました。

それで会堂長ヤイロはどうなったでしょうか。ヤイロはイエスさまと一緒にいたはずです。しかし、イエスさまが見ず知らずの通りがかりの女性をお助けになっている間に、ヤイロは先に自分の家へと帰りました。それは当然のことです。そして、ヤイロの娘さんは亡くなりました。

それで「会堂長の家から人々が来て言った」(35節)と書いてあるところを見ると、会堂長ヤイロはイエスさまに腹を立てていたに違いないことが分かります。ヤイロ自身がイエスさまのもとに行かず、人を遣わして自分の言葉を伝えさせる。ヤイロとしては、イエスさまの顔を見たくないという感情を持っていたからでしょう。

自分がわざわざひれ伏してお願いして命の助けを求めた娘のことよりも、通りがかりの見知らぬ女性のことで、あなたが時間を使っている間に、自分の娘は死んだ。だから「もう、先生を煩わすには及ばないでしょう」と言わせる。ヤイロの本音は「もう来てもらわなくて結構だ。ついでに、この町から出て行ってもらいたい。我々の大切な会堂など使ってもらいたくない」というほどの激しい思いを抱くに至ったに違いありません。

しかし、イエスさまは、ヤイロの娘さんを助けることをお忘れになっていたわけではありません。もう亡くなっている。みんな泣いている。ヤイロは怒っている。おそらくヤイロだけではなく、そこに集まった人みんなが感じていたことは、ヤイロの娘さんが亡くなったことの悲しみ以上に、イエスさまが自分たちを後回しにしたことへの怒りだったと思われます。彼らとしては、我々のプライドが傷つけられたというような感情を抱いていた可能性があります。

しかし、そういう状態のヤイロの家庭の中にイエスさまは躊躇なく入って行かれました。しかし、ずけずけと遠慮なく入っていく感じではありません。慎重に、丁寧に、ことをお運びになりました。最も信頼する三人の弟子ペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを選んで同行させました。

そして「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ」とおっしゃいました。そのイエスさまの言葉に対する反応として「人々はイエスをあざ笑った」と書かれているのは、死者を眠っていると言い張ることの愚かさへの嘲笑であったと同時に、自分たちのことを後回しにしたのにそんなことがよく言えるなと思ったからでもあるでしょう。しかし、イエスさまはその子を見事に生き返らせてくださいました。

今日の個所でわたしたちが考えるべきことは、人助けの優先順位はどうあるべきかということです。物理的・時間的には一人一人に対応するしかありませんので、申し込みが先でも、結果的に後回しになってしまうことがありえます。しかし、腹を立てないで待ってください。両方とも助けますから。それがイエスさまのなさり方です。イエスさまは服に触れば長年の病気がたちどころに治ってしまうほど命の力に満ちておられます。けちくさい方ではありません。

(2014年11月16日、松戸小金原教会主日礼拝)

2014年11月15日土曜日

日記「日本のバルト神学受容の出発点は『東京神学社』と『同志社』でした」

バルト神学受容史研究会『日本におけるカール・バルト』(2009年)

バルト神学受容史研究会編『日本におけるカール・バルト――敗戦までの受容史の諸断面』(新教出版社、2009年)の中で平林孝裕先生が興味深い発言をしておられます(38ページ以下。引用ではなく私が要約しました)。

日本におけるバルト神学の受容は1920年代後半から始まったが、窓口は以下の二つであったことが定説となっている。

(1)高倉徳太郎を中心とした「東京神学社」(現在の東京神学大学)の動き

(2)大塚節治、魚木忠一、蘆田慶治、橋本鑑ら「同志社」の動き

高倉徳太郎の『福音的基督教』(1927年)におけるバルトへの言及がきわめて簡潔であることは倉松功も率直に認めているところであり、これの刊行をもって日本におけるバルト受容の功を評価するのはゆきすぎである。

高倉が折に触れてバルトを「言葉」で紹介していたことは考慮されるべきであるが、バルト神学がまとまった「文章」で議論されたのは、同志社における働きが具体的なものであった。

(以上、要約終わり)

過去には「バルト神学といえば東京神学大学。東京神学大学といえばバルト神学」というように思われていた時期があったことを、私もよく覚えています。しかしそれは、全く外れていたとは言い切れない面がありつつも、歴史認識において偏りがあったと、今では言わざるをえません。

いま我々が続けている「カール・バルト研究会」の常連参加者は6名ですが、出身神学校は、東京神学大学、同志社大学神学部、日本聖書神学校、神戸改革派神学校などです(もう一人おられますが匿名希望者なので出身校も非公開です)。

繰り返し書いてきたことですが、バルトを読む人が必ず「バルト主義者」にならなくてはならないわけではありません。「カール・バルト研究会」の常連参加者に「バルト主義者」はいません。「主義者」に冷静な「研究」は不可能です。

しかし、我々はカール・バルトへのリスペクトは大いに持っています。「主義者」による「研究」も不可能ですが、「読む価値がないと感じられる本」の「研究」はもっと不可能です。

カール・バルトの神学に大いに惹かれ、大いに巻き込まれつつ、大胆かつ徹底的に批判する。そのようなスタンスを保てる「研究会」でありたいと願っています。

日記「カール・バルト研究会の歩み(結成から現在まで)」

カール・バルト『教義学要綱』(1947年)を読んでいます

昨夜「第40回 カール・バルト研究会」を行いました。以下、過去の歩みをまとめました。

【趣 旨】

「カール・バルト研究会」は、日本プロテスタント教会史150年の後半80年間の神学思想を圧倒的な支配力をもって席巻し続けてきた「カール・バルトの神学」を批判的に問いなおすことによって、日本のキリスト教の特質を自己検証し、質的にも量的にも隘路と苦境に立っている日本の教会の活路を見出すための研究会です。

【ブログ】

http://barth-research.blogspot.jp/

【手 段】

インターネットのグループビデオ通話(Google+ハングアウト)

【開 催】

第 0回 2013年 1月11日(金) 2名
    準備会

第 1回 2013年 1月25日(金) 4名
    『教義学要綱』 「1 課題」

第 2回 2013年 2月 8日(金) 4名
    『教義学要綱』 「1 課題」

第 3回 2013年 3月 1日(金) 4名
    『教義学要綱』 「2 信仰とは信頼を意味する」

第 4回 2013年 3月15日(金) 4名
    『教義学要綱』 「2 信仰とは信頼を意味する」

第 5回 2013年 3月29日(金) 4名
    『教義学要綱』 「3 信仰とは認識を意味する」

第 6回 2013年 4月12日(金) 3名
    『教義学要綱』 「3 信仰とは認識を意味する」

第 7回 2013年 4月26日(金) 5名
    『教義学要綱』 「4 信仰とは告白を意味する」

第 8回 2013年 5月10日(金) 4名
    『教義学要綱』 「4 信仰とは告白を意味する」

第 9回 2013年 5月24日(金) 4名
    『教義学要綱』 「5 高きにいます神」

第10回 2013年 6月 7日(金) 4名
    『教義学要綱』 「5 高きにいます神」(ニコ生神学部出演)

第11回 2013年 7月 5日(金) 4名
    『教義学要綱』 「6 父なる神」

第12回 2013年 7月19日(金) 6名
    『教義学要綱』 「7 全能の神」

第13回 2013年 8月 2日(金) 4名
    『教義学要綱』 「7 全能の神」

第14回 2013年 8月30日(金) 4名
    『教義学要綱』 「8 造り主なる神」

第15回 2013年 9月13日(金) 5名
    『教義学要綱』 「8 造り主なる神」

第16回 2013年 9月27日(金) 5名
    『教義学要綱』 「9 天地」

第17回 2013年10月11日(金) 4名
    『教義学要綱』 「9 天地」

第18回 2013年10月25日(金) 4名
    『教義学要綱』 「10 イエス・キリスト」

第19回 2013年11月 8日(金) 4名
    『教義学要綱』 「10 イエス・キリスト」

第20回 2013年12月 6日(金) 4名
    『教義学要綱』 「11 救い主にして神の僕」

第21回 2013年12月27日(金) 5名
    『教義学要綱』 「11 救い主にして神の僕」(忘年会)

第22回 2014年 1月10日(金) 3名
    『教義学要綱』 「11 救い主にして神の僕」

第23回 2014年 1月24日(金) 3名
    『教義学要綱』 「12 神の独り子」

第24回 2014年 2月 7日(金) 5名
    『教義学要綱』 「12 神の独り子」

第25回 2014年 3月14日(金) 3名
    『教義学要綱』 「12 神の独り子」

第26回 2014年 3月28日(金) 3名
    『教義学要綱』 「12 神の独り子」

第27回 2014年 4月11日(金) 4名
    『教義学要綱』 「12 神の独り子」

第28回 2014年 4月25日(金) 5名
    『教義学要綱』 「13 われらの主」

第29回 2014年 5月 9日(金) 4名
    『教義学要綱』 「13 われらの主」

第30回 2014年 5月23日(金) 3名
    『教義学要綱』 「13 われらの主」

第31回 2014年 6月 6日(金) 4名
    『教義学要綱』 「13 われらの主」

第32回 2014年 6月20日(金) 4名
    『教義学要綱』 「13 われらの主」

第33回 2014年 7月 4日(金) 4名
    『教義学要綱』 「14 降誕節の秘義と奇蹟」

第34回 2014年 7月18日(金) 3名
    『教義学要綱』 「14 降誕節の秘義と奇蹟」

第35回 2014年 8月 8日(金) 3名
    『教義学要綱』 「15 苦しみを受け」

第36回 2014年 8月22日(金) 5名
    『教義学要綱』 「15 苦しみを受け」

第37回 2014年 9月 5日(金) 4名
    『教義学要綱』 「16 ポンテオ・ピラトのもとに」

第38回 2014年 9月19日(金) 3名
    『教義学要綱』 「16 ポンテオ・ピラトのもとに」

第39回 2014年10月24日(金) 5名
    『教義学要綱』 「17 十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり」

第40回 2014年11月14日(金) 4名
    『教義学要綱』 「17 十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり」

2014年11月13日木曜日

我々牧師自身の人生経験が最終的に問われるだけです


そもそも聖書的・キリスト教的な意味での「あがない」は、旧約的な背景から切り離して考えることは実は全くできない事柄であるはずです。

旧約の動物犠牲の趣旨は、我々人間が犯した罪に対して本来的には当然罪を犯した本人が受けなければならない罰を、動物に代わりに受けてもらうということです。

動物としてはたまったものではありませんが、人間の犯した罪の身代わりに悶え苦しんでもらう。その動物の姿を見て、「ごめんなさい。もう二度とあんな悪いことはしません」と自分の犯した罪を激しく悔い、自分の思いと行いを改める。

「動物さまがわたしたちの身代わりに死んでくださった」とか言わないでしょう。死を美化してしまっては、「あがない」の意味も本当は成立しないのだと思います。

「贖罪論一辺倒の神学」のことを考えれば考えるほど、底なしの泥沼に落ちていくような感じがしてきて、気が滅入ってくるものがあります。

「あがない」こそが救いであると言いたいがために(そのこと自体が間違っているわけではない)、キリストの苦しみや死を肯定的に意味づけ、それがたとえキリストの死であれ、「死んでくださった」という、日本語としては間違いなく不気味な丁寧語で語り続けて来たのが、我々(日本の)教会です。

そして、ここから先は隠そうとしても隠し切れない厳然たる事実として言わざるをえないのは、教会が人の死をかなりの程度美しいものとして描き続けてきた面があるということです。ご遺族の慰めのために。それはまたもちろん、ご本人のためでもある。そのすべてが間違っているわけではない!

しかし、そのために(慰めの言葉を語るために)教会がしてきたことは、「キリストのあがない」と我々(普通の)人間の死とを重ねあわせ、類比のロジックを駆使しながら語ることでした。「○○さんはわたしたちのために死んでくださった」という不気味な文法を用いてではないにしても。死を悲惨なものとしてではなく、かなりの程度美しいものとして描くことに労力を費やしてきたと思います。

しかし、それで本当に良いのかどうかを、我々はどれくらい反省してきたでしょうか。

話は突然飛躍するようですが、ここに来て元AKBの女の子が「キリストを超えた」と言われてみたりする。セーラームーンだって、プリキュアだって、まどか☆マギカだって、自己犠牲だ贖罪だという話に結び付くものが、あるといえばある。類似性に着目するという方法で「キリスト」と「現代」を結びつけようとする試みそのものが激しく糾弾されるべきであるとは、私は思わない。

しかし、気になるのは、いま書いたことのすべてが一直線につながっているのではないかと、私には思われることです。苦しみや死の美化の問題です。

もしその思想的淵源が「キリストのあがない」そのものではなく(「キリストのあがない」そのものであれば大きな問題はないのです)、「贖罪論一辺倒の神学」と称されるべきモニズム(一元論)やトートロジー(同語反復)やモノマニア(偏執)にあるとしたら(そうでないならこの話題はこれにて終了)、それは危険であると私は言わざるをえない。

キリスト教は、少なくとも組織神学は、なかでも教義学は「贖罪論」だけで構成されるものではありません。天地創造から神の国の完成までのすべてを考えぬくのがキリスト教です。

ワンポイント、ピンポイントの「贖罪」だけを取り出して、それがキリスト教のすべてであるかのように巨大化させてみせる手法は、今の私には全くついていくことができません。

私が(ファン・ルーラーと共に)悩んできた問題は、教会だけにとどまるものではなく、むしろ病院であり、学校であり、地域社会の中でこそ問われるべきことであると考えてきたところがあります。

死を迎える心構えのことにしても、キリスト者であっても(「であっても」という言い方は適切でないかもしれません)難しい面があるのに、キリスト者でない方に、教会があるいは牧師が、何を語るべきなのか、何を「語ってはいけない」のかは、神学的に非常に深刻な問いであると認識しています。

我々が変なふうに開き直ってしまって、「我々のやることなんて、しょせん宗教ビジネスのようなものなのよ」とか言ってしまって、まるでバッティングセンターのピッチングマシーンのように、同じ角度、同じ速度の球をほうっておけばいいのよと、投げやりになる。そういうふうな仕方で、「慰めを語る」ようになる。

それでいいのかと、私はどうしても考えこんでしまいます。「いやダメだろ」と、私の心にどなたかの声が聞こえてきます。

「だれ一人同じ歴史を刻む方はいない」という至言を教えてくださった先生がおられます。しかし(という接続詞は危険な響きがありますが、これから書くことは反論ではありません)、我々がそのお一人お一人とじかに接する時間と空間はごくわずか。ある意味で「一瞬」でもある。

そこで瞬時に判断しなければならないのが、その方々お一人お一人の「個別性」(「だれ一人同じ歴史を刻む方はいない」というまさにその意味での個別性)だと思います。

その判断はとても難しいものですし、「不可能である」と言い切るほうが正直なほどですが、それでも我々はその判断をしなくてはならない。

それでは、その判断に必要なものは何だろうかと考えてみれば、何のことはない、我々牧師自身の人生経験が最終的に問われるだけです。そうとしか言いようがないです。

ネットでも(facebook然り、ブログ然り)「なぜこの人はこのタイミングでこのことをお書きになったのか」が分かる方と、分かりにくい方と、おられます。

分かるときは、「なぜ私はそのことが分かるのか」を、一瞬でも考えてみるとよさそうな気がします。それがおそらくは我々自身の人生経験(読書や交友を含む)に照らし合わせる作業に該当すると思います。

逆に、分かりにくい、または全く分からないときは、直接質問(コメントなど)するか、様子を見るか、批判・攻撃するかを、かなり真剣に考えなくてはならないでしょう。そういうことが我々のやっていることの訓練になると思います。

2014年11月12日水曜日

日記「北九州市立大学の皆さん、素晴らしいご活躍、ありがとうございました!」

おじさんの書斎もデジタル化

北九州市立大学の「誤発注ポッキー完売」の朗報に、私は本気で感動しています。

感動のワケを書き始めると長くなってしまうのですが、うちの子たちが小学校の低学年と幼稚園児だった頃(当時山梨県に住んでいました)、「デジモンアドベンチャー」というアニメをやっていました。

登場人物の太一くんとか空ちゃんとかヤマトくんとかが小学生という設定で、パソコンとかタブレットとか駆使しながらデジモンたちと協力してデジタルワールドの敵と戦うみたいな話でした。あの頃あのアニメを見ていた小学生たちが、いまの大学生たちです。北九州市立大学の学生さんたちも同じ世代です。

彼らはまさに「デジタルネイティヴ」ですが、使いこなし方が我々おっさん世代とは次元が違う。まるで自分の体の一部でもあるかのようです。しかも、ある子たちはできるが、他の子たちはできないというほどの差はほとんどなくて、みんな同じように使える。だからコミュニケーションがフラットです。

「本来の10倍の3200個」の誤発注。返品不可能。やばい。その限界状況に追い詰められたお店の人をデジタルネイティヴたちが力を合わせて助ける。すごい。

とか言う話を子どもたちにしたら、やつらキョトンとしてやがる。私が興奮してる意味が分からんという顔してる。デジタルネイティヴ恐るべし。

デジタルネイティヴの彼らにとってネットは全くの日常的な時空なので、そういう場所で「ネット使って一儲けしてやる」とか「だましてやる」みたいな策を、悪いおっさんたちが練ったとしても、そんなのはすぐ見抜くし、相手にしない。単純に困っている人を、単純に助ける。そういうことにネットを使う。

なんか、こういう時代が来るのを、私はずっと待ってました。おじさんはうれしいです!

北九州市立大学の皆さん、素晴らしいご活躍、ありがとうございました!

2014年11月10日月曜日

日記「講演依頼が2件押し寄せてきました(波が来ている!)」


今日はネットでつながりのある方々(団体含む)が送ってくださったものが集中的にポストに入っていました。「純粋なぼっちの私」は、とても励まされました。至福、ありがとうございます。

ついでに書かせていただけば、「解散ビジネス」を仕掛けたつもりは全くありませんが(私の神に誓って全くないです)、10月27日(月)の「ファン・ルーラー研究会最終セミナー」終了後、私のところに「講演依頼」(キラキラ☆彡)が、な、な、なんと、2件も押し寄せてきました。

学者でも何でもありえない「純粋なオタクの私」にとっては面映いばかりですが、せっかくのご依頼、喜んでお引き受けいたしました。詳細が決まり次第、ブログ、facebook、ツイッター等でお知らせいたします。

「ぜひ来てください!」とはとても言えない内気な私ですが、こういう機会は最後だと思いますので(「読者よ悟れ」と言いたいところですが何を悟ればいいんだか)、よろしくお願いいたします。

青野太潮先生とファン・ルーラーは共闘可能です


青野太潮先生の「十字架の神学」の根本モチーフは「贖罪論一辺倒の神学に対するアンチテーゼ」であるということは、ご自身で明言されているとおりです。

そのことをおっしゃるときの青野先生にとって最も重要なことは、「イエスの死」を描いている複数の聖書箇所を厳密に読み比べて行くと、「わたしたちの身代わりに死んでくださった」という贖罪論的な、その意味でポジティヴな解釈において描かれている箇所がないわけではないが、それだけでなく(not only)、イエスは「殺害」された人であるという、明らかにネガティヴな、そのこと自体においては誰も救われないような凄惨な事実として描かれている箇所も(but also)ある、ということです。

そして、その青野先生が「逆説」とおっしゃるのは、後者のネガティヴな意味で「殺害された」 イエスこそキリストであると告白することの価値というか今日的意味づけをおっしゃりたいときです。

それはどういう感じのことかといえば、青野先生の本からの引用としてではなく私の言葉で言ってみるとすれば、「イエスさまはわたしたちの身代わりに死んでくださった」という物の言い方は、どうしても「死の美化」につながりやすい、ということです。

キリストの死を一般的な意味での「他者のための犠牲の死」とほとんど同一視したうえで美化しはじめることは、宗教の戦争利用のようなものにつながりやすい。

同じような意味で、高橋哲也先生がキリスト教の贖罪信仰の戦争賛美へのつながりやすさを警戒しておられると思います。私は、この問題についての高橋先生の意見も、青野先生の意見も、よく分かるし、納得できます。お二人の主張の共通点は、贖罪論一辺倒の神学は「死の美化」を生み出しやすい、ということです。

「○○一辺倒の神学」には必ずどこかに落とし穴があり、危険があり、隘路になっている。そのことを警戒するゆえに、そのような「○○一辺倒」に陥る神学的ロジック(とその主張者)に対するアンチテーゼないしはリアクションという仕方で神学を展開しているのが、私は、一人は青野先生であり、もう一人はファン・ルーラーだと言いたいところがあります。

そして、ご自身の神学の性格が「アンチテーゼ」であり「リアクション」であるからこそ、青野先生は、ご自分で「ユニテリアンではない」と繰り返し言わなくてはならない面があるのだとも思います。

青野先生は「○○一辺倒」になってはいけませんよ、とおっしゃっているだけなのですが、そのようにして青野先生から批判された人々自身は「○○一辺倒」の人たちなわけですから、その「○○一辺倒」の立場の人たちから見れば、青野先生の神学は「ユニテリアン」のようなものに見えるのでしょう。それはある意味で仕方がないことです。

ここから先はファン・ルーラーの話ですが、ファン・ルーラーの三位一体論的神学の発想からいえば、「聖霊」は「父と子の霊」であるゆえに、「父」へと主に充当される「創造」と「子」へと主に充当される「贖い」とを統合する神である、ということになります。

「聖霊」は「創造(Creatio)と贖い(Redemptio)を統合する霊」である。そして、「創造」は事物の存在すべてにかかわるのであって、キリスト者だけにかかわるものではない。「贖い」はキリストにかかわり、キリストのみわざである罪からの救いにかかわる。この「創造」と「贖い」は、聖霊において「統合」されるべきである。また「三位一体の神の外なるみわざは区別されない」(opera Dei trinitatis ad extra sunt indivisa)という命題は守られるべきである。しかし、だからといって「創造」と「贖い」は同一視されるべきではない。

もし我々が「創造」と「贖い」を同一視するならば、創造されたすべての存在(人間と世界)はア・プリオリに贖われているという一種の万人救済論になるだけだから(その罠に陥ったのがカール・バルトである)、キリストの贖罪死の意味はなくなる。

このファン・ルーラーの「創造」と「贖い」の二重性を三位一体論(内在的三位一体と経綸的三位一体の立体的組み合わせ)によって確保しようとするロジックは、万人救済論の対立概念としての二重予定論の発想を根本にした神学をファン・ルーラーが持っていたからこそ出てきたものだと考えられます。

二重予定論というのは、たいていいつもワルモノ扱いになるのですが、実はそんなにワルモノでもないのです。「創造」と「贖い」の二重性をロジカルに確保できる唯一の根拠が二重予定論であるとさえ言えます。

なぜ「創造」と「贖い」の二重性の確保が重要なのかといえば、贖われた人(それを我々は「キリスト者」と呼ぶ)と、(まだ)贖われていない(が、それでもたしかに神がその人を創造した)人との「共存」を保証することは「教会の内」(intra ecclesiae)と「教会の外」(extra ecclesiae)の間の「壁」(muros)を確保するロジックを獲得することを意味するわけですから、教会のアイデンティティや存在意義をそれによってやっと見出すことができるわけです。もし教会の内と外との間に「壁」がないならば、教会は世界へと吸収され、消滅するだけです。

「贖罪論一辺倒の神学への批判としての十字架の神学」という青野先生の神学的モチーフ(その一点の批判だけを青野先生がおっしゃりたいのではないと思いますが)と、ファン・ルーラーの「創造」と「贖い」の二重性を確保するための三位一体論的神学のモチーフとは、相互補完的な関係でありうると、私はいま、心躍らせながら両者の噛み合わせを考えているところです。

青野先生の神学思想には「九州の状況」が深く関係していると思います。日本バプテスト連盟の方で、西南学院大学の先生でもあられるわけですが(現在は引退されています)、著書の中で明示されている批判相手は寺園喜基先生や天野有先生といった方々です。

つまり、明示的なバルト主義に立っておられる先生たちが、直接的な意味での青野先生の「相手」です。しかし、それは感情的な対立のようなものでは全くなく、神学的ロジックの隘路性への批判です。

ですから、青野先生が批判する「贖罪論一辺倒の神学」は、バルト的な意味での「キリスト論的集中の神学」と同義であると、ほぼ断言できます。バルトとバルト主義の隘路に陥らない、別の道を青野先生は目指しておられます。その一点で青野先生とファン・ルーラーは「共闘可能」だと私には感じられる、というのが私の趣旨です。

聖霊が「創造」と「贖い」を統合するというファン・ルーラーの聖霊論の根本概念がよく現れていると私などが感じ取る彼の有名な名言は、「我々はキリスト者になるために人間であるのではなく、人間になるためにキリスト者であるのである」(英訳 We are not human in order to become Christians, but we are Christians in order to become human.)というものです。

このファン・ルーラーの言葉を「手段と目的」というロジックを用いて図式化するとしたら、「贖い」は手段で「創造」(創造の回復)は目的であるということになります。

この事態をファン・ルーラーは「キリストにおける贖いは単なる通過点に過ぎず、緊急措置(英訳 emergency measure)に過ぎない」というような挑発的な言葉で説明してしまうので、キリスト論的集中の御仁たちを怒らせてしまうのですが、ファン・ルーラーはユニテリアンでもなんでもなく、きわめて伝統的で保守的な「改革派神学者」として、改革派神学の根本構造に基づいていえばこうなりますよと、面白く説明してくれているだけです。

ファン・ルーラーがユトレヒト大学神学部で教えた学生たちは(大学教員だった期間は1947年から1970年までの23年間です)十分な意味で「現代っ子たち」ですから、ナウい(死語)面白い講義じゃないと聞く耳を持ってくれません。

青野先生のお立場と田川建三先生のお立場は、もちろん似ている面もありますが(聖書学者としての方法論は、ある意味で万国共通です)、決定的に違うところがあります。そのことを青野先生自身がよく自覚しておられます。

ごく単純にいえば、田川先生は「not..., but...」ですが、青野先生は「not only..., but also...」です。

「イエスの十字架死は贖罪ではない」とは、青野先生はひとことも言っておられません。

2014年11月9日日曜日

カール・バルトとオランダのバルト主義者の関係を扱う最適の解説書はこれです

カール・バルトとオランダのバルト主義者の関係を扱う最適の解説書は、この二冊です。

ブリンクマン教授のバルト研究二部作

左『カール・バルトの社会主義的態度決定』(1982年)

右『バルトの神学はキリスト者の行動のダイナマイト(破壊力)かダイナモ(推進力)か』(1983年)

二冊の著者は、アムステルダム自由大学神学部のM. E. ブリンクマン教授です。

ブリンクマン教授は、2008年12月10日「国際ファン・ルーラー学会」のときユルゲン・モルトマン教授との記念撮影に加わってくださった気さくな先生(左端)です。

左からブリンクマン教授、私、モルトマン教授、石原知弘先生

私が特に重要だと思うのは、『バルトの神学はキリスト者の行動のダイナマイト(破壊力)かダイナモ(推進力)か』(1983年)のほうです。

副題は「オランダのバルト主義者と新カルヴァン主義者との政治的・神学的論争」です。

副題は「オランダのバルト主義者と新カルヴァン主義者との政治的・神学的論争」

この二冊を読めば、カール・バルトとオランダのバルト主義者との関係や、バルト主義者がオランダの「新カルヴァン主義」(とくにアブラハム・カイパーの神学的後継者)とどのように対立し、どのような手段で「キリスト教政党」を倒す側に立とうとしたかが分かります。

この二冊は面白いです。あ、だけど「日本語に訳してください」というリクエストはノーサンキューですからね。そういうのは無しの方向で。

これからの学生さんの中に、このテーマに集中する人が登場することを期待したいです。

めちゃくちゃ面白いこと、請け合います。

日記「カール・バルトはファン・ルーラーを知っていた」

カール・バルトの『ローマ書』(第一版1919年、第二版1922年)は、出版直後からオランダに読者がいたようです。

あと、日本語版も複数種類あるバルトの使徒信条解説『われ信ず』(1935年)は、オランダのユトレヒト大学での講義です。

オランダ改革派教会(と称する複数の教団)は、バルトの神学の評価をめぐって二分した歴史を持っています。

私の知るかぎり、カール・バルトの著作の中でファン・ルーラーの名前が引用されている個所は皆無です。しかし、バルトがファン・ルーラーの存在と彼がバルトを批判していたことを知っていたことが確実であることは、論拠を挙げて説明できることです。

これは、バルトの「オランダの親友」のライデン大学神学部ミスコッテ教授が1966年に出版した論文集『信仰と認識』(Geloof en Kennis)です【写真1】。

【写真1】
『信仰と認識』(1966年)の中に、1951年に書かれた《ドイツ語の》論文「自然法とセオクラシー」(Naturrecht und Theokratie)が収録されています【写真2】。

【写真2】
ミスコッテ教授の論文「自然法とセオクラシー」(1951年)の「セオクラシー」に関する部分の中心テーマは「ファン・ルーラー批判」です【写真3】。

【写真3】
このミスコッテこそは、ファン・ルーラーの「論敵」として登場する、オランダを代表するバルト主義者でした。

ミスコッテが1951年論文を《ドイツ語で》書いた理由は、どう考えても明らかに、バルトその人に読んでもらうためでした。1951年といえば、ファン・ルーラーがユトレヒト大学神学部教授になった1947年のわずか4年後であり、ファン・ルーラーのドイツ語訳文献が出回る前です。

ミスコッテが1951年という非常に早い時期に《ドイツ語で》ファン・ルーラー批判の論文を書いてバルトその人にも読めるようにした動機は、もちろんミスコッテ本人しか知らないことですが、ミスコッテの非常に強い警戒心の現れであったと考えることは邪推とは言えないと思います。

「ミスコッテの親友」バルトは、間違いなくミスコッテの1951年論文を読んだはずです。それを読んだ上で、ファン・ルーラーを完全に無視することにしたのです。バルトがファン・ルーラーの名前を一切引用しないので、バルトの国際的な読者はファン・ルーラーの存在を知りません。

かたや、ファン・ルーラーのバルト批判は、バルト自身への攻撃というよりも、オランダ改革派教会の中のミスコッテ教授を頂点とする「バルト主義者」への批判であったと考えるほうが正しいと、私は考えています。だって、オランダとスイスやドイツでは教会史の文脈が異なるのですから。

加えて、ファン・ルーラーのバルト批判は、オランダの「キリスト教政党」の評価問題と結びついていました。バルト主義者は「キリスト教政党解体論」に立ち、「労働党」の支持を訴えました。キリスト教会がキリスト教政党をつぶす側に立つ。ファン・ルーラーには我慢できないことでした。

しかし、ミスコッテとファン・ルーラーの対立の結果は、ミスコッテ側の勝利に終わりました。教会政治的にも、出版事業的にも。ファン・ルーラーには「判官(ほうがん)びいき」の性質があり、弱い者の味方をして自ら負けるところがありました。根っからの牧師さんなんですね。

2014年11月8日土曜日

日記「長期的視野をもってネットに書いてきたことの『文脈』を説明する方法に悩む日々です」

ブログに書いた「超訳聖書」が独り歩きしたことがあります。

あれは「翻訳とは何か」と考えての「例示」でした。それは拙ブログの長年の読者の方には分かることでした(私の「ネットに字を書く」という行為は18年も続けてきたことです)。山岡洋一先生の示唆に基づき「金子武蔵型」でなく「長谷川宏型」で訳すとこうなるのではないかと、大まじめに考えた「例示」でした。

しかし、最近ネットを始めたばかりの(高齢の)方々が「超訳聖書」だけをご覧になったようです。文脈がある話を、文脈を知らない人が、突如つまみ食いをするとどういうことになるか、ネット生活が長い方々にはお分かりになると思います。実は相当ひどい目に会いました。説明するのに時間がかかりました。

ひどい目に会ったのは、昨日今日の話ではありません。もうずっと前のことです。ほとぼりが冷めたので、書く気持ちが湧いてきました。

その点では、紙の本は「文脈」の説明がしやすくていいなと思います。前後関係が目で見える。部分的に切り取って「お前こんなこと書いただろ」とか持ち出されても、その紙の本一冊を《法廷》に提示すれば、たちどころに疑惑がとける。しかし、ネットの書き物は分断されやすい。都合よく引用されやすい。

しかし、今さらネットから撤退する気はないし、これからはネットからの撤退は廃業に近いものがあると思うので、どうしたものか日々悩んでいます。しばしば考えこむことは、長期的視野をもってネットに書いてきたことの「文脈」を説明する方法です。

紙の本を出すためには、汲めども尽きぬほどの「財力」が必要です。すべて自費で本にして、売れずにほとんど戻ってきたものを長期保管できる倉庫を持っているような人しか、紙の本は出せない。今書いていることはほとんど皮肉と嫌味です。でも外れているとは思いません。かなり当たっているはずです。