2014年11月10日月曜日
青野太潮先生とファン・ルーラーは共闘可能です
青野太潮先生の「十字架の神学」の根本モチーフは「贖罪論一辺倒の神学に対するアンチテーゼ」であるということは、ご自身で明言されているとおりです。
そのことをおっしゃるときの青野先生にとって最も重要なことは、「イエスの死」を描いている複数の聖書箇所を厳密に読み比べて行くと、「わたしたちの身代わりに死んでくださった」という贖罪論的な、その意味でポジティヴな解釈において描かれている箇所がないわけではないが、それだけでなく(not only)、イエスは「殺害」された人であるという、明らかにネガティヴな、そのこと自体においては誰も救われないような凄惨な事実として描かれている箇所も(but also)ある、ということです。
そして、その青野先生が「逆説」とおっしゃるのは、後者のネガティヴな意味で「殺害された」 イエスこそキリストであると告白することの価値というか今日的意味づけをおっしゃりたいときです。
それはどういう感じのことかといえば、青野先生の本からの引用としてではなく私の言葉で言ってみるとすれば、「イエスさまはわたしたちの身代わりに死んでくださった」という物の言い方は、どうしても「死の美化」につながりやすい、ということです。
キリストの死を一般的な意味での「他者のための犠牲の死」とほとんど同一視したうえで美化しはじめることは、宗教の戦争利用のようなものにつながりやすい。
同じような意味で、高橋哲也先生がキリスト教の贖罪信仰の戦争賛美へのつながりやすさを警戒しておられると思います。私は、この問題についての高橋先生の意見も、青野先生の意見も、よく分かるし、納得できます。お二人の主張の共通点は、贖罪論一辺倒の神学は「死の美化」を生み出しやすい、ということです。
「○○一辺倒の神学」には必ずどこかに落とし穴があり、危険があり、隘路になっている。そのことを警戒するゆえに、そのような「○○一辺倒」に陥る神学的ロジック(とその主張者)に対するアンチテーゼないしはリアクションという仕方で神学を展開しているのが、私は、一人は青野先生であり、もう一人はファン・ルーラーだと言いたいところがあります。
そして、ご自身の神学の性格が「アンチテーゼ」であり「リアクション」であるからこそ、青野先生は、ご自分で「ユニテリアンではない」と繰り返し言わなくてはならない面があるのだとも思います。
青野先生は「○○一辺倒」になってはいけませんよ、とおっしゃっているだけなのですが、そのようにして青野先生から批判された人々自身は「○○一辺倒」の人たちなわけですから、その「○○一辺倒」の立場の人たちから見れば、青野先生の神学は「ユニテリアン」のようなものに見えるのでしょう。それはある意味で仕方がないことです。
ここから先はファン・ルーラーの話ですが、ファン・ルーラーの三位一体論的神学の発想からいえば、「聖霊」は「父と子の霊」であるゆえに、「父」へと主に充当される「創造」と「子」へと主に充当される「贖い」とを統合する神である、ということになります。
「聖霊」は「創造(Creatio)と贖い(Redemptio)を統合する霊」である。そして、「創造」は事物の存在すべてにかかわるのであって、キリスト者だけにかかわるものではない。「贖い」はキリストにかかわり、キリストのみわざである罪からの救いにかかわる。この「創造」と「贖い」は、聖霊において「統合」されるべきである。また「三位一体の神の外なるみわざは区別されない」(opera Dei trinitatis ad extra sunt indivisa)という命題は守られるべきである。しかし、だからといって「創造」と「贖い」は同一視されるべきではない。
もし我々が「創造」と「贖い」を同一視するならば、創造されたすべての存在(人間と世界)はア・プリオリに贖われているという一種の万人救済論になるだけだから(その罠に陥ったのがカール・バルトである)、キリストの贖罪死の意味はなくなる。
このファン・ルーラーの「創造」と「贖い」の二重性を三位一体論(内在的三位一体と経綸的三位一体の立体的組み合わせ)によって確保しようとするロジックは、万人救済論の対立概念としての二重予定論の発想を根本にした神学をファン・ルーラーが持っていたからこそ出てきたものだと考えられます。
二重予定論というのは、たいていいつもワルモノ扱いになるのですが、実はそんなにワルモノでもないのです。「創造」と「贖い」の二重性をロジカルに確保できる唯一の根拠が二重予定論であるとさえ言えます。
なぜ「創造」と「贖い」の二重性の確保が重要なのかといえば、贖われた人(それを我々は「キリスト者」と呼ぶ)と、(まだ)贖われていない(が、それでもたしかに神がその人を創造した)人との「共存」を保証することは「教会の内」(intra ecclesiae)と「教会の外」(extra ecclesiae)の間の「壁」(muros)を確保するロジックを獲得することを意味するわけですから、教会のアイデンティティや存在意義をそれによってやっと見出すことができるわけです。もし教会の内と外との間に「壁」がないならば、教会は世界へと吸収され、消滅するだけです。
「贖罪論一辺倒の神学への批判としての十字架の神学」という青野先生の神学的モチーフ(その一点の批判だけを青野先生がおっしゃりたいのではないと思いますが)と、ファン・ルーラーの「創造」と「贖い」の二重性を確保するための三位一体論的神学のモチーフとは、相互補完的な関係でありうると、私はいま、心躍らせながら両者の噛み合わせを考えているところです。
青野先生の神学思想には「九州の状況」が深く関係していると思います。日本バプテスト連盟の方で、西南学院大学の先生でもあられるわけですが(現在は引退されています)、著書の中で明示されている批判相手は寺園喜基先生や天野有先生といった方々です。
つまり、明示的なバルト主義に立っておられる先生たちが、直接的な意味での青野先生の「相手」です。しかし、それは感情的な対立のようなものでは全くなく、神学的ロジックの隘路性への批判です。
ですから、青野先生が批判する「贖罪論一辺倒の神学」は、バルト的な意味での「キリスト論的集中の神学」と同義であると、ほぼ断言できます。バルトとバルト主義の隘路に陥らない、別の道を青野先生は目指しておられます。その一点で青野先生とファン・ルーラーは「共闘可能」だと私には感じられる、というのが私の趣旨です。
聖霊が「創造」と「贖い」を統合するというファン・ルーラーの聖霊論の根本概念がよく現れていると私などが感じ取る彼の有名な名言は、「我々はキリスト者になるために人間であるのではなく、人間になるためにキリスト者であるのである」(英訳 We are not human in order to become Christians, but we are Christians in order to become human.)というものです。
このファン・ルーラーの言葉を「手段と目的」というロジックを用いて図式化するとしたら、「贖い」は手段で「創造」(創造の回復)は目的であるということになります。
この事態をファン・ルーラーは「キリストにおける贖いは単なる通過点に過ぎず、緊急措置(英訳 emergency measure)に過ぎない」というような挑発的な言葉で説明してしまうので、キリスト論的集中の御仁たちを怒らせてしまうのですが、ファン・ルーラーはユニテリアンでもなんでもなく、きわめて伝統的で保守的な「改革派神学者」として、改革派神学の根本構造に基づいていえばこうなりますよと、面白く説明してくれているだけです。
ファン・ルーラーがユトレヒト大学神学部で教えた学生たちは(大学教員だった期間は1947年から1970年までの23年間です)十分な意味で「現代っ子たち」ですから、ナウい(死語)面白い講義じゃないと聞く耳を持ってくれません。
青野先生のお立場と田川建三先生のお立場は、もちろん似ている面もありますが(聖書学者としての方法論は、ある意味で万国共通です)、決定的に違うところがあります。そのことを青野先生自身がよく自覚しておられます。
ごく単純にいえば、田川先生は「not..., but...」ですが、青野先生は「not only..., but also...」です。
「イエスの十字架死は贖罪ではない」とは、青野先生はひとことも言っておられません。
2014年11月9日日曜日
カール・バルトとオランダのバルト主義者の関係を扱う最適の解説書はこれです
カール・バルトとオランダのバルト主義者の関係を扱う最適の解説書は、この二冊です。
左『カール・バルトの社会主義的態度決定』(1982年)
右『バルトの神学はキリスト者の行動のダイナマイト(破壊力)かダイナモ(推進力)か』(1983年)
二冊の著者は、アムステルダム自由大学神学部のM. E. ブリンクマン教授です。
ブリンクマン教授は、2008年12月10日「国際ファン・ルーラー学会」のときユルゲン・モルトマン教授との記念撮影に加わってくださった気さくな先生(左端)です。
私が特に重要だと思うのは、『バルトの神学はキリスト者の行動のダイナマイト(破壊力)かダイナモ(推進力)か』(1983年)のほうです。
副題は「オランダのバルト主義者と新カルヴァン主義者との政治的・神学的論争」です。
この二冊を読めば、カール・バルトとオランダのバルト主義者との関係や、バルト主義者がオランダの「新カルヴァン主義」(とくにアブラハム・カイパーの神学的後継者)とどのように対立し、どのような手段で「キリスト教政党」を倒す側に立とうとしたかが分かります。
この二冊は面白いです。あ、だけど「日本語に訳してください」というリクエストはノーサンキューですからね。そういうのは無しの方向で。
これからの学生さんの中に、このテーマに集中する人が登場することを期待したいです。
めちゃくちゃ面白いこと、請け合います。
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| ブリンクマン教授のバルト研究二部作 |
左『カール・バルトの社会主義的態度決定』(1982年)
右『バルトの神学はキリスト者の行動のダイナマイト(破壊力)かダイナモ(推進力)か』(1983年)
二冊の著者は、アムステルダム自由大学神学部のM. E. ブリンクマン教授です。
ブリンクマン教授は、2008年12月10日「国際ファン・ルーラー学会」のときユルゲン・モルトマン教授との記念撮影に加わってくださった気さくな先生(左端)です。
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| 左からブリンクマン教授、私、モルトマン教授、石原知弘先生 |
私が特に重要だと思うのは、『バルトの神学はキリスト者の行動のダイナマイト(破壊力)かダイナモ(推進力)か』(1983年)のほうです。
副題は「オランダのバルト主義者と新カルヴァン主義者との政治的・神学的論争」です。
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| 副題は「オランダのバルト主義者と新カルヴァン主義者との政治的・神学的論争」 |
この二冊を読めば、カール・バルトとオランダのバルト主義者との関係や、バルト主義者がオランダの「新カルヴァン主義」(とくにアブラハム・カイパーの神学的後継者)とどのように対立し、どのような手段で「キリスト教政党」を倒す側に立とうとしたかが分かります。
この二冊は面白いです。あ、だけど「日本語に訳してください」というリクエストはノーサンキューですからね。そういうのは無しの方向で。
これからの学生さんの中に、このテーマに集中する人が登場することを期待したいです。
めちゃくちゃ面白いこと、請け合います。
日記「カール・バルトはファン・ルーラーを知っていた」
カール・バルトの『ローマ書』(第一版1919年、第二版1922年)は、出版直後からオランダに読者がいたようです。
あと、日本語版も複数種類あるバルトの使徒信条解説『われ信ず』(1935年)は、オランダのユトレヒト大学での講義です。
オランダ改革派教会(と称する複数の教団)は、バルトの神学の評価をめぐって二分した歴史を持っています。
私の知るかぎり、カール・バルトの著作の中でファン・ルーラーの名前が引用されている個所は皆無です。しかし、バルトがファン・ルーラーの存在と彼がバルトを批判していたことを知っていたことが確実であることは、論拠を挙げて説明できることです。
これは、バルトの「オランダの親友」のライデン大学神学部ミスコッテ教授が1966年に出版した論文集『信仰と認識』(Geloof en Kennis)です【写真1】。
『信仰と認識』(1966年)の中に、1951年に書かれた《ドイツ語の》論文「自然法とセオクラシー」(Naturrecht und Theokratie)が収録されています【写真2】。
ミスコッテ教授の論文「自然法とセオクラシー」(1951年)の「セオクラシー」に関する部分の中心テーマは「ファン・ルーラー批判」です【写真3】。
このミスコッテこそは、ファン・ルーラーの「論敵」として登場する、オランダを代表するバルト主義者でした。
ミスコッテが1951年論文を《ドイツ語で》書いた理由は、どう考えても明らかに、バルトその人に読んでもらうためでした。1951年といえば、ファン・ルーラーがユトレヒト大学神学部教授になった1947年のわずか4年後であり、ファン・ルーラーのドイツ語訳文献が出回る前です。
ミスコッテが1951年という非常に早い時期に《ドイツ語で》ファン・ルーラー批判の論文を書いてバルトその人にも読めるようにした動機は、もちろんミスコッテ本人しか知らないことですが、ミスコッテの非常に強い警戒心の現れであったと考えることは邪推とは言えないと思います。
「ミスコッテの親友」バルトは、間違いなくミスコッテの1951年論文を読んだはずです。それを読んだ上で、ファン・ルーラーを完全に無視することにしたのです。バルトがファン・ルーラーの名前を一切引用しないので、バルトの国際的な読者はファン・ルーラーの存在を知りません。
かたや、ファン・ルーラーのバルト批判は、バルト自身への攻撃というよりも、オランダ改革派教会の中のミスコッテ教授を頂点とする「バルト主義者」への批判であったと考えるほうが正しいと、私は考えています。だって、オランダとスイスやドイツでは教会史の文脈が異なるのですから。
加えて、ファン・ルーラーのバルト批判は、オランダの「キリスト教政党」の評価問題と結びついていました。バルト主義者は「キリスト教政党解体論」に立ち、「労働党」の支持を訴えました。キリスト教会がキリスト教政党をつぶす側に立つ。ファン・ルーラーには我慢できないことでした。
しかし、ミスコッテとファン・ルーラーの対立の結果は、ミスコッテ側の勝利に終わりました。教会政治的にも、出版事業的にも。ファン・ルーラーには「判官(ほうがん)びいき」の性質があり、弱い者の味方をして自ら負けるところがありました。根っからの牧師さんなんですね。
あと、日本語版も複数種類あるバルトの使徒信条解説『われ信ず』(1935年)は、オランダのユトレヒト大学での講義です。
オランダ改革派教会(と称する複数の教団)は、バルトの神学の評価をめぐって二分した歴史を持っています。
私の知るかぎり、カール・バルトの著作の中でファン・ルーラーの名前が引用されている個所は皆無です。しかし、バルトがファン・ルーラーの存在と彼がバルトを批判していたことを知っていたことが確実であることは、論拠を挙げて説明できることです。
これは、バルトの「オランダの親友」のライデン大学神学部ミスコッテ教授が1966年に出版した論文集『信仰と認識』(Geloof en Kennis)です【写真1】。
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| 【写真1】 |
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| 【写真2】 |
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| 【写真3】 |
ミスコッテが1951年論文を《ドイツ語で》書いた理由は、どう考えても明らかに、バルトその人に読んでもらうためでした。1951年といえば、ファン・ルーラーがユトレヒト大学神学部教授になった1947年のわずか4年後であり、ファン・ルーラーのドイツ語訳文献が出回る前です。
ミスコッテが1951年という非常に早い時期に《ドイツ語で》ファン・ルーラー批判の論文を書いてバルトその人にも読めるようにした動機は、もちろんミスコッテ本人しか知らないことですが、ミスコッテの非常に強い警戒心の現れであったと考えることは邪推とは言えないと思います。
「ミスコッテの親友」バルトは、間違いなくミスコッテの1951年論文を読んだはずです。それを読んだ上で、ファン・ルーラーを完全に無視することにしたのです。バルトがファン・ルーラーの名前を一切引用しないので、バルトの国際的な読者はファン・ルーラーの存在を知りません。
かたや、ファン・ルーラーのバルト批判は、バルト自身への攻撃というよりも、オランダ改革派教会の中のミスコッテ教授を頂点とする「バルト主義者」への批判であったと考えるほうが正しいと、私は考えています。だって、オランダとスイスやドイツでは教会史の文脈が異なるのですから。
加えて、ファン・ルーラーのバルト批判は、オランダの「キリスト教政党」の評価問題と結びついていました。バルト主義者は「キリスト教政党解体論」に立ち、「労働党」の支持を訴えました。キリスト教会がキリスト教政党をつぶす側に立つ。ファン・ルーラーには我慢できないことでした。
しかし、ミスコッテとファン・ルーラーの対立の結果は、ミスコッテ側の勝利に終わりました。教会政治的にも、出版事業的にも。ファン・ルーラーには「判官(ほうがん)びいき」の性質があり、弱い者の味方をして自ら負けるところがありました。根っからの牧師さんなんですね。
2014年11月8日土曜日
日記「長期的視野をもってネットに書いてきたことの『文脈』を説明する方法に悩む日々です」
ブログに書いた「超訳聖書」が独り歩きしたことがあります。
あれは「翻訳とは何か」と考えての「例示」でした。それは拙ブログの長年の読者の方には分かることでした(私の「ネットに字を書く」という行為は18年も続けてきたことです)。山岡洋一先生の示唆に基づき「金子武蔵型」でなく「長谷川宏型」で訳すとこうなるのではないかと、大まじめに考えた「例示」でした。
しかし、最近ネットを始めたばかりの(高齢の)方々が「超訳聖書」だけをご覧になったようです。文脈がある話を、文脈を知らない人が、突如つまみ食いをするとどういうことになるか、ネット生活が長い方々にはお分かりになると思います。実は相当ひどい目に会いました。説明するのに時間がかかりました。
ひどい目に会ったのは、昨日今日の話ではありません。もうずっと前のことです。ほとぼりが冷めたので、書く気持ちが湧いてきました。
その点では、紙の本は「文脈」の説明がしやすくていいなと思います。前後関係が目で見える。部分的に切り取って「お前こんなこと書いただろ」とか持ち出されても、その紙の本一冊を《法廷》に提示すれば、たちどころに疑惑がとける。しかし、ネットの書き物は分断されやすい。都合よく引用されやすい。
しかし、今さらネットから撤退する気はないし、これからはネットからの撤退は廃業に近いものがあると思うので、どうしたものか日々悩んでいます。しばしば考えこむことは、長期的視野をもってネットに書いてきたことの「文脈」を説明する方法です。
紙の本を出すためには、汲めども尽きぬほどの「財力」が必要です。すべて自費で本にして、売れずにほとんど戻ってきたものを長期保管できる倉庫を持っているような人しか、紙の本は出せない。今書いていることはほとんど皮肉と嫌味です。でも外れているとは思いません。かなり当たっているはずです。
あれは「翻訳とは何か」と考えての「例示」でした。それは拙ブログの長年の読者の方には分かることでした(私の「ネットに字を書く」という行為は18年も続けてきたことです)。山岡洋一先生の示唆に基づき「金子武蔵型」でなく「長谷川宏型」で訳すとこうなるのではないかと、大まじめに考えた「例示」でした。
しかし、最近ネットを始めたばかりの(高齢の)方々が「超訳聖書」だけをご覧になったようです。文脈がある話を、文脈を知らない人が、突如つまみ食いをするとどういうことになるか、ネット生活が長い方々にはお分かりになると思います。実は相当ひどい目に会いました。説明するのに時間がかかりました。
ひどい目に会ったのは、昨日今日の話ではありません。もうずっと前のことです。ほとぼりが冷めたので、書く気持ちが湧いてきました。
その点では、紙の本は「文脈」の説明がしやすくていいなと思います。前後関係が目で見える。部分的に切り取って「お前こんなこと書いただろ」とか持ち出されても、その紙の本一冊を《法廷》に提示すれば、たちどころに疑惑がとける。しかし、ネットの書き物は分断されやすい。都合よく引用されやすい。
しかし、今さらネットから撤退する気はないし、これからはネットからの撤退は廃業に近いものがあると思うので、どうしたものか日々悩んでいます。しばしば考えこむことは、長期的視野をもってネットに書いてきたことの「文脈」を説明する方法です。
紙の本を出すためには、汲めども尽きぬほどの「財力」が必要です。すべて自費で本にして、売れずにほとんど戻ってきたものを長期保管できる倉庫を持っているような人しか、紙の本は出せない。今書いていることはほとんど皮肉と嫌味です。でも外れているとは思いません。かなり当たっているはずです。
日本におけるファン・ルーラー研究はまだ始まったばかりです
先日ご紹介した、オランダの古書店から購入した古書に挟まっていた1955年の新聞の切り抜きに次の文章が書かれていました。
(原文)
Prof. van Ruler is een Gereformeerd theoloog, die eens heeft geschreven, dat alle kleinodien van het klassieke Calvinisme hem dierbaar zijn. De theocatie en het Psalmgezang, het Oude Testament en de praedestinatie.
(拙訳)
ファン・ルーラー教授は「古典的カルヴァン主義の宝のすべてを愛している」と書いたことがある改革派神学者である。それはセオクラシー、詩編歌、旧約聖書、予定論のことである。
「ファン・ルーラー研究会最終セミナー」(2014年10月27日)の講演の中で石原知弘先生が明言されたことは「ファン・ルーラーは伝統的で保守的なカルヴァン主義の線をしっかり守っている」ということでした。私も石原先生のおっしゃるとおりだと思っています。
しかし、そのファン・ルーラーの神学は、しばしば「端的に面白い」と評されてきました。ユーモアとギャグ満載でオチまでついている。
カルヴァン主義とか改革派と聞けば「固い」だ「暗い」だ「苦しい」だと言われることが多い。しかし、ファン・ルーラーは真逆である。だからといって彼の神学が歪んでいたわけではないし、伝統から逸脱していたわけでもない。
それどころか、カルヴァン主義なり改革派なりこそが、もともと「端的に面白い」ものだったのではないかと思わせてくれる何かが、ファン・ルーラーの神学の中にあります。これは私の意見です。
カルヴァン主義の影響力の大きさについては、私などが声を大にして言わなくても、多くの歴史家が立証してきたことです。
ならば、話は単純です。「固い」「暗い」「苦しい」「つまらない」ものが世界的に影響を及ぼすものになるだろうかと考えてみると、どうも違うような気がする。
本来「端的に面白い」ものだったかもしれないそれを「固い」「暗い」「苦しい」「つまらない」ものにしたのは誰かという犯人探しをしたいわけではありません。そんなことをしても、だれも幸せになりません。
私が願うのはそのような猟奇的なやり方ではなく、「ありのままのカルヴァン主義」「ありのままの改革派」こそが「端的に面白い」と言わしめたいだけです。
そして、そのためにファン・ルーラーが多くの人に読まれるようになってほしいということだけです。小さな小さな願いです。
しかし、私にできることは非常に限られています。そろそろ限界だ(というか、とっくに限界を超えている)と思っています。
カール・バルトの『教会教義学』が吉永正義先生と井上良雄先生の二人で訳されたのはすごいことだと思っています。
しかし、その名誉をいささかも毀損しない意味で申し上げますが、あの翻訳よりも30年くらい前から日本のバルト研究の蓄積がありました。それなしに吉永先生と井上先生がいきなり、という話ではありません。
現時点での日本におけるファン・ルーラー研究は、日本におけるバルト研究の1930年代くらいの状況に似ていると思います。まだ始まったばかりです。というか、まだ始まっていないと言えるかもしれないほどです。
なので、これからいくらでも新規参入できます。今の20代、10代の方々、ぜひ取り組みを始めてください。よろしくお願いいたします。
【追記】
ちなみに、ファン・ルーラーの神学を取り上げた過去の神学博士号請求論文の中で最大規模の一冊を書いたのは、P. W. J. ファン・ホーフというユトレヒト大学とナイメーヘン大学(オランダの上智大学)を卒業したカトリック神学者です。
2014年11月7日金曜日
キリスト教は何の逃げ場でもありえないです
| ファン・ルーラー著作集草稿 (編訳)関口 康 |
最近ある方に「私は高校時代の成績は最悪で、いつもだいたいビリでした」と衝撃告白(というほどでもない)をしたばかりです。「でもそれは今に至るまで私を支えている貴重な経験でした」と今さらの負け惜しみ発言を続けました。「どん底を知っている人は強いですよ。だってそれ以下がないんだから」。
「キリスト教も、今ではチャラチャラしたイメージとか、ブルジョアの宗教みたいに思われているかもしれませんが、イエスさまにしても、パウロにしても、旧約の預言者にしても、逮捕・監禁・収監・処刑。そういう場所の雰囲気とか臭いを知っている人たちの宗教がキリスト教でなければならないはず」。
「どこが上なのか、どこが下なのかは一概には言えないことです。自分はどん底だと思っていても、そこよりもっと底があるとか、変な争いが始まる場合もないわけではない。そういうのに巻き込まれると面倒くさい。自分はどん底にいる、という自覚があれば十分じゃないですか」。
「そして、それは貴重な経験だと私は本気で考えています。だって、自分はどん底から出発した、という思いがあれば、その後どれだけ高く昇ることができたとしても、失敗を恐れることがないですよ。失敗して落っこちても、元々のどん底の自分に戻るだけだから」という話をしました。
別に私のオリジナリティを主張したいわけではない、どこでもよく聞く、当たり前のような話です。
この話をしながら考えていたのは、拙訳でネット公開しているファン・ルーラーのショートエッセイ、「真理は未だ已まず」(1956年)のことです。
「真理は未だ已まず」(1956年) | ファン・ルーラー著作集草稿 (編訳)関口 康
ただし、この論文はしかめっ面で読むべきではなく、ユーモアとしてとらえるべきです。悪しからず。
私、来年で50歳になるので、50年教会に通ってきた人間だという自覚があるのですが、世間でよく言われる「宗教を逃げ場にする」という言葉の意味が感覚的に全く分からないのです。他の宗教のことは分かりませんが、キリスト教は何の逃げ場でもありえないです。少なくとも私はそう感じてきました。
その私の幼い頃からの感覚をズバリ言葉にしてくれているのが、ファン・ルーラーのこの論文です。よい論考に出会えて、私自身が喜んでいます。
「高校時代の成績」というものが、その人の人生のある部分を決定づけてしまう社会であることは事実かもしれません。しかし、そういう社会は、まもなく終わります。崩壊するでしょう。我々が考えなくてはならないことは、「そういう社会」が崩壊した後どうするかです。
2014年11月6日木曜日
2014年11月5日水曜日
日記「『関口康が選ぶ 二年で最高の本 BEST BOOK OF TWO YEARS 2013-2014』を行います」
| 私の書棚にあるものだけです、悪しからず |
「関口康が選ぶ 二年で最高の本 BEST BOOK OF TWO YEARS 2013-2014」
2013年から2014年にかけての「新刊本」に限ります。ジャンル不問です。
一昨年は100%冗談でした(すみません)。今年もふわふわした気持ちが全くないわけではありません(言い切った)。
しかし、一昨年はともかく今年は、ただのおふざけではなく、著訳者の方々と出版社、書店の皆さまへの「感謝の思い」を表したいと思っての企画です。
字を書き、本にし、売ることは本当にたいへんなことだと思います。なので、とにかく応援したいだけです。全く悪意も他意もありませんので、どうか悪しからず。
賞状も賞金もないのがたいへん申し訳ないのですが、「純粋に主観で」選ばせていただきます。
発表は2014年12月31日(水)。年末ジャンボの発表日と同じ日にしておきますね。お楽しみに。
2014年11月4日火曜日
百瀬奏くんがFacebookで私の書き込みを、おおおお!
日記「『そもそも翻訳とは何なのか』という問いに苦しんできました」
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| ファン・ルーラーの『宣教の神学』を紹介するオランダの新聞の切り抜き(1955年8月20日付、関口康所蔵) |
そのようにしたことには、一つの明確な意図がありました。過去に出版された二種類の日本語版と拙訳(試訳)を読み比べていただきたいと思ったのです。
長くなりますが、以下のとおりです。
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①後藤憲正訳、ディアコニー研究会、1997年
まず最初に考察しなければならないのは、終末論的な観点についてである。すでにこのことは、直接に、組織神学をして次のような興味深い結果に直面させる。すなわち、教会の機能と本質についての使徒的宣教構想は、終末論の持つ位置を強く強調するものであって、そのため、終末論が必然的に反省の出発点となるのである。確かに、このことは現代の聖書学研究の重要な強調点と一致している。また「終局のもの」に強調を置くというこの点は、とりわけ、文化危機に直面した精神の状態と非常によく符号している。しかし、使徒的宣教構想は、活動する主体の立場からものごとを見る。だから「終局のもの」は、単純に破滅へ向かうものという「状態」としては見られないで、そのかわり、「主体の活動に伴う」勇気や喜びに直面させられるのである。それゆえ、終末論的な強調は、組織神学を再建するように私たちを根本から駆り立てる、ということを意味している。
②長山道訳、教文館、2003年
第一点として、わたしは終末論的視点を扱いたい。それは神学的体系にとって、すでにただちに、教会の本質と機能についての使徒的観点の影響下で、終末ノ場が非常に前面に出てくるので、その結果、終末ノ場が必然的に思考の出発点になるという注目するべき結論を意味している。この点で、使徒的観点は、現在の聖書解釈の重要な路線と確かに一致している。たとえ使徒的観点が、終末においてものごとが行為している(それゆえ、過ぎ去っていくのではない)のを見るとしても、すなわち、たとえ使徒的観点が勇気と喜びをもってものごとを見るとしても、ここで終末に置かれている強調は、文化の危機的状況に特徴的な没落の気運とともに、強い共鳴を得ることも考えられる。いずれにせよ、終末論的強調は、徹底的な仕方で神学的体系の再建を促す。
③関口康訳(試訳)、ネット私家版、2014年
最初に取り上げたいと私が願っていますのは「終末論」の視点です。教会の存在と役割を宣教論の立場から考えていくと次第に分かってくることは、終末論には非常に大きな意義があるということです。その意義たるや、「終末論から書きはじめる組織神学」を考えなくてはならないと思うほどです。終末論への強調は現代の聖書学の動向とも合致しています。「世界の終わり」を大げさに扱うことには一般的な社会不安に迎合する面が全くないわけではありません。しかし、宣教論はあくまでも宣教の主体である教会の立場から考え出されるものです。教会が教える「終末」の意味は破滅ではありません。宣教の主体としての教会がその「目標」や「目的」をめざす勇気や喜びを表現するのが終末論です。終末論への強調は、組織神学をそのような神学へと全面的に書き直すことを求めていると私自身は考えています。
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過去の二種類の日本語版の訳者の人格や名誉を傷つけようとする意図は皆無ですので、以下、①と②と呼ばせていただきます。
①も②も、ドイツ語版に基づく訳です。しかし、ドイツ語版の出版時にはファン・ルーラーは存命中でした。また、ファン・ルーラーはオランダ人ですが、ドイツ語が堪能であったことが知られています。
そのため、ドイツ語版の完成稿の最終チェックを原著者ファン・ルーラー自身が行ったということは確実に言えることですので(そうでないようなものが当時の市場に出回ることはありえない)、①と②がドイツ語版に基づく訳だからという理由をもって「重訳」と決め付けて批判することは控えなければならないと、私は考えています。
「重訳」であるかどうかということよりも、私にとって大きな問題は、①も②も、おそらく人はこういうのを「原典に忠実な、厳密な翻訳」と呼ぶのだと思うのですが、このようなタイプの「厳密な」翻訳こそが、ファン・ルーラーの読者を日本において獲得することができず、かえって読者を失うことになった致命的な原因になったと思われることです。
単純な話です。読んでも分からないものを誰が買おうと思うでしょうか。店頭での立ち読みの時点で購入する気になれない。「立ち読み禁止」でラップでもつけますか。「ラップつきの神学書」を誰が買うでしょうか。ありえないことでしょう。
先週月曜日(2014年10月27日)に解散した「ファン・ルーラー研究会」の15年半で、私が最も苦しんだのは、「そもそも翻訳とは何なのか」という問いでした。ある意味で、翻訳そのものに苦しむ以上に、翻訳論に苦しんできました。
結局、その答えはいまだに分かりません。
拙ブログには繰り返し書いてきたことですが、『翻訳とは何か 職業としての翻訳』(日外アソシエーツ、2001年)という小さな本を出版された故・山岡洋一氏のことを忘れることができません。山岡氏が死の間際まで発行しておられた「翻訳通信」というメールマガジンは、毎号熟読していました。
山岡氏が繰り返し言及なさったことは、哲学者ヘーゲルの日本語版の訳者として著名な金子武蔵氏と長谷川宏氏の比較です。
「翻訳とは何か」を考える場合、「金子型」と「長谷川型」を比較してみることが最も分かりやすいということを私が知ったのは、山岡氏の『翻訳とは何か』を読んだときです。
山岡氏は「金子型」は「翻訳ではない」と断言なさいました。それはドイツ語ならドイツ語、英語なら英語の原文の一単語ごとに日本語の一単語を対応させる仕方で、一種のパッチワークをすることです。
そのようなやり方は、大学や神学校での原典講読ゼミのような場所で、出席者全員が外国語の原書を開いて読んでいるというような状況の中では有効な方法かもしれません。その場にいる人々が見ているのは、外国語原書のテキストであり、そのテキストに記されている外国語の構文だからです。
原書の文字を逐語的に目で追っている人たちにとっては、原書の外国語の一単語ごとに一つずつの日本語をパッチしていく作業の「模範解答例」になりうるという意味で、金子型の方法が役立つ場合がありえます。原典講読ゼミ出席者の「あんちょこ」としては有効に機能する可能性があります。「昨日は夜遅くまでバイトがあったので、予習ができなかった」というような学生たちにとっては。
大学や神学校で「聖書釈義」や「聖書原典講読」などを履修した人たちはおそらく必ず持っている「インターリニア(行間逐語訳)聖書」というのがありますが、言ってみれば、あの手のパッチワークが山岡氏の言うところの「金子型」であると考えていただけばよいと思います。
しかし、原文の一単語に日本語の一単語を対応させた上で、それをそれらしく並べ替えただけの文章は「日本語ではない」と、山岡洋一氏は死の直前まで繰り返し訴えました。しかし「翻訳とは日本語にすることでなければならない」。
山岡氏のおっしゃるとおりだと私も思いました。「原典に忠実な、厳密な翻訳」かもしれないが、日本語としては全く意味不明な文字の羅列にすぎない、そういう「訳書」によって日本国内に広く読者を得ることは不可能である。私にはそうであるとしか言いようがありません。
これも繰り返し書いてきたことですが、最も単純な例は、I love youは「私はあなたを愛しています」なのかという問題です。「私はあなたを愛しています」と書けば、日本の学校教育の中では合格点をもらえる回答かもしれません。しかし、現実の場面で「私はあなたを愛しています」という言葉を述べる日本の人はいない(皆無とは言えないかもしれませんが)。つまり、そんな日本語は「ない」。
そのような「金子型」に対して「長谷川型」は、全くタイプが異なります。両者は対極の位置にあると言えるほどの違いです。「長谷川型」は「日本語」です。山岡氏は「長谷川型」こそが「翻訳である」と推奨なさいました。
しかし、これは非常に難しい問題であると、私はずっと悩んできました。
「金子型」のほうが、明らかに「学問的に厳密である」という体裁をとりやすい。原書に通暁している学者たちからの批判をかわしやすい面が、あるといえばある。しかし、それは「日本語ではない」。広範な読者を得ることは不可能である。せいぜい、原書テキストの構文を眼前に置いている人たちを利するだけのものとなる。
他方、「長谷川型」は「日本語である」。しかし、意訳だ、でたらめだ、超訳だ、あのようなものは学問的な信頼に値しないという罵倒をうけやすい。
「どちらを選ぶべきか」という問いの答えは、結局、私には分かりませんでした。
そして、その答えが分からない以上、私はそろそろ翻訳から手を引くほうがよさそうだという答えにたどり着きました。これが、現時点での私の心境です。
しかし、これはネガティヴで後ろ向きの意味ではありません。
「金子武蔵型」の隘路にだけは進んでいくことは決してすまいという決意表明のつもりです。
しかし、「長谷川宏型」を「あれは翻訳ではない」とみなす人々に逆らい、抗うほどの動機はないので、「翻訳から手を引くほうがよさそうだ」と書いたまでです。
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