2014年10月26日日曜日

御言葉を宣べ伝えなさい



テモテへの手紙二4・1~5

「神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。」

「御言葉を宣べ伝えなさい」(2節)と書かれています。そのことについてこれからお話ししようとしている私がどうしても触れなければならないことがあります。それは、先々週の10月14日(火)から16日(木)まで大阪で行われた、日本キリスト改革派教会第69回定期大会のことです。

歴史的な大会になりました。過去30年にわたって大会的に議論してきた女性教師と女性長老の任職に道を開く教会規程改正案を可決しました。施行は来年10月です。しかし、今やわたしたちの前に、このことについて障害となる要素は全くありません。

これから日本キリスト改革派教会は大きく変わります。これまでは小会にも中会にも大会にも男性しかいませんでした。これからは女性がいます。女性教師がすぐに増えることはないかもしれませんが、女性長老はあっという間に増えるでしょう。

教会の中で教師と長老が最も責任を持つのは、御言葉に関することです。現在は、教師がするのが「説教」であり、長老がするのは「奨励」であるという用語上の区別はあります。しかし、その一方で「信徒説教者」という制度も、今の日本キリスト改革派教会にあります。「信徒説教者」は教師ではなく信徒です。そのため「教師がするのが説教である」という説明が、すでに成り立っていません。

教師になるためには、神学校の入学試験とか定期試験とか卒業試験とか卒業論文、あるいは、説教免許試験とか教師候補者登録とか教師試験とか、さまざまな難関を乗り越える必要がありますので、教師の説教を特別扱いしていただけることに有難い面はあります。しかし私は、教師の説教と長老の奨励の間に大きな差はないと考えています。「御言葉を宣べ伝える」という点では全く同じものです。

教会の中で御言葉に関する責任を負う教師と長老の職務に就く人の中に、これまでの日本キリスト改革派教会においては、一人の女性もいませんでした。すべて男性でした。しかし、これからは違います。女性が御言葉を語ります。語らなければなりません。

語ることはもちろんできます。できないはずがないではありませんか。男性と女性の間に、御言葉を語ることにおいてどこにどんな差があるのでしょうか。

日曜学校の礼拝のお話は女性たちがずっとしてきました。しかし、大人たちの礼拝の説教を女性がすることはありませんでした。しかし、子ども相手ならば良いが、大人相手ならば良くないと、差をつけることの意味が、私には全く分かりませんでした。

私自身は、日本キリスト改革派教会の中でこの議論が始まった30年前にはまだ日本基督教団の教会におりましたし、日本基督教団では私の妻は教師でしたし、わたしたちが日本キリスト改革派教会に教師加入したのはわずか17年前のことです。30年前の状況、あるいはもっと前の状況を知りません。

ですから私はこの問題についての大会の議論から距離を置き、議論に参加しないようにしてきました。私にとっては、女性教師と女性長老のことは、全く議論の余地のない、何の疑問もない、シンプルに賛成の立場でしたので、そのような感覚をもって日本キリスト改革派教会の歴史を知らない私が議論に参加すること自体が失礼なことであると考えてきました。この議論そのものがばかげたものである気がしてなりませんでしたので、議論に参加する資格がないと考えてきました。

堂々巡りの反対意見を述べる人々の姿は、私にとっては見るに堪えないものでした。思い出したくもないことですが、実際の議論の中で、女性はすぐ泣くとか、すぐ感情的になるというような意見が出てきたこともあります。この議論が早く終わることを願っていました。女性教師と女性長老に道を開く決議を早くすべきである。そしてこの耐えがたい議論を早くやめるべきであると考えてきました。

先々週、その議論がやっと終わりました。まだいろいろ言いたい人がいるかもしれませんが、大勢は決しました。これ以降の議論は無意味です。これからは、女性たちが教会の中の御言葉を扱う責任を持つ職務に就くことができます。

これからの日本キリスト改革派教会においては、「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです」(4・2)というパウロの言葉は、男性たちだけではなく、女性たちにも命じられます。「神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じる」パウロの言葉は、これからは男性だけに語られるものではありません。

教師と長老の職務は、もちろんいろんな面で重い責任を負いますが、充実感とやりがいのある仕事でもあります。

パウロが書いているのは「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を傾け、作り話の方にそれて行くようになります。しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい」(3~5節)ということです。

これは、教えや信仰の内容において教会が間違った方向に進んでいこうとしているときに、それを食い止める働きです。しかし、それを行う方法は感情的なものではありません。あくまでも理性的に、落ち着いて、御言葉の真理を正しく解き明かすという方法で行うのです。それが女性たちにできないはずがありません。

この件に関する先々週の大会の議論で改めて驚かされたのは、大会の議場がきわめて静粛であったことです。誰一人感情的にならず、理性的に、冷静に粛々と議論がなされ、静かに決議されました。この冷静さに接して、私は改めて、日本キリスト改革派教会の大会に対する尊敬の念を深めました。

しかし、すべての議論は終わりました。聞くに堪えない意見が議場で語られることはもはやないと信じたいです。これからは、「御言葉を宣べ伝えること」に男性も女性もありません。「とがめ、戒め、励ますこと」に、「忍耐強く十分に教えること」に、男性も女性もありません。その差別はありません。大会が新しい時代を迎えたのですから、各個教会も新しい時代を迎えましょう。

これからは、女性が教師や長老にならなくてもよい、その職務の責任から逃げる理由として聖書や教会規程を持ち出すことはできません。その意味では女性たちの責任が重くなったと言えるでしょう。

女性「も」と言ってはいけません。この言い方がすでにアウトです。ぜひ女性「が」日本キリスト改革派教会の教師になってください。長老になってください。私はそのことを心から願っております。

(2014年10月26日、松戸小金原教会主日夕拝)

宗教改革の意義は何ですか

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂

マルコによる福音書4・21~34

「また、イエスは言われた。『ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。聞く耳のある者は聞きなさい。』また、彼らに言われた。『何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。』また、イエスは言われた。『神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。』更に、イエスは言われた。『神の国は何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。』イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。」

毎年10月31日の宗教改革記念日に近い日曜日に宗教改革記念礼拝を行っています。今日の礼拝はそのようなものとして行っています。

1517年10月31日、ドイツのカトリック修道士マルティン・ルターが当時のカトリック教会を激烈に批判する95か条の命題を書いた紙をヴィッテンベルクの城教会の壁に貼りつけたことをきっかけに、ヨーロッパ全土で宗教改革運動が始まりました。

なぜ10月31日なのかといえば、翌日の11月1日がカトリック教会の定める諸聖徒の日で、多くの人が教会に集まることをルターが知っていたからです。その人々に自分が貼りつけた一枚の紙を見てもらおうとルターが考えました。そのルターの目論見は成功しました。その一枚の紙が、その日から始まるプロテスタント教会の歴史を生み出しました。

それが1517年です。今年は2014年です。3年後の2017年に宗教改革500年という記念すべき日を迎えます。2020年に東京オリンピックが行われることになりました。しかし、その前に迎える2017年がわたしたちにとって重要な年になります。全世界で多くの記念行事が行われるでしょう。

500年はずいぶん長い歴史です。まさに一つの伝統と呼ぶにふさわしい歴史を刻んできました。世界史の中に「宗教改革の伝統」が確立しました。それは非常に大きな影響力を持っています。

その伝統の中心にあるのが「プロテスタント」と呼ばれる教会です。「プロテスタント」とは「抗議する者」という意味です。それはもちろんカトリック教会に抗議する者という意味です。その「プロテスタント」の教会の中に、わたしたち改革派教会も含まれます。

「改革派」というのも「カトリック教会を改革した」という意味です。改革派教会はリフォームド・チャーチと言います。リフォームドというのは過去形です。「改革した」または「改革された」です。その言葉だけでいえば、宗教改革はすでに完了している、もう終わっているという意味になります。

しかし宗教改革の伝統は終わったわけではありません。現実の歴史はそうなっていません。500年前の宗教改革の結果どうなったでしょうか。カトリック教会がなくなったわけではありません。今日に至るまで世界大の規模を持つ巨大な教会としての歩みを続けています。現実の歴史はカトリック教会からプロテスタントの教会が分離しただけです。

それでは世界のキリスト教はカトリックとプロテスタントの二種類なのかというと、そういうことではありません。そのようなことを言おうものなら、すぐに激しく叱られます。少なくとももう一つ、ロシアやギリシアを中心とする「オーソドックス」と呼ばれる大きな流れがあることを決して忘れてはなりません。

それではプロテスタントの教会は完全に一致している一枚岩のグループでしょうか。全くそうではありません。プロテスタントはばらばらです。小さなグループが無数にあります。そして多くの場合、互いに対立し、いがみ合っています。それはかなりの面で悲しい現実であると言わざるをえません。

しかしまた、プロテスタントの教会がばらばらの状態であることは、単に悲しい現実であるとだけ考える必要はない面もあります。見方を換えれば、プロテスタントの教会は自由であるということを意味しています。

どこか一つの国の一つの教会が組織上の頂点の位置に君臨し、他の教会を支配し、統制するというあり方をプロテスタントの教会は嫌います。それぞれの教会が置かれている国や社会や文化の違いを重んじ、それに自らをできるかぎり溶け込ませ、適応していく能力が非常に高いことがプロテスタントの教会の特徴でもあります。

そして、それだからこそ、プロテスタントの教会は、500年に近づく伝統の中で、教会に通う人たちだけに影響を与えてきたのではないと語ることができます。教会を発信源にしながらも、それぞれの教会が置かれている国や社会や文化の中に溶け込み、浸透する形で、教会の外の人々に多大な影響を与えてきました。カトリック教会やオーソドックスの教会はそうでないという意味ではありませんが、プロテスタントの教会は、自ら率先してそのようなあり方を選んできました。

たとえば、現代社会の民主主義はカトリックやオーソドックスの教会以上にプロテスタントの教会が推進してきたものです。日本国憲法は、ヨーロッパやアメリカのプロテスタントの人々の影響なしには成り立ちえなかったものです。

憲法で民主主義をうたう国になって70年になろうとしている日本国内に、依然としてキリスト者がほとんどおらず、国民のわずか1%にとどまっていることは、もちろん残念なことです。教会の無力さを痛感するばかりです。しかし、見方を換えれば、宗教改革の500年の伝統は、「教会」だけを生んできたわけではないとも言えます。プロテスタントの国、社会、文化を生み出してきました。

教会に集まるのは、ほんの一握りの人々だけかもしれません。しかし、教会に集まっているわたしたちが信じているこの教えは、教会の外の世界に非常に大きな影響を与えてきましたし、今でも与え続けています。

名前の問題だけにする意図はありませんが、「プロテスタント」にせよ、あるいは「改革派」にせよ、カトリック教会のあり方を批判する教会であるという意味が込められている名前であることは間違いありません。しかし、だからといって、現代のプロテスタントの教会、現代の改革派教会が存在する理由や目的がいつまでもカトリック教会と対立することだけであるということはありえません。今のわたしたちはもっと別のことを考えていますし、考えなければなりません。

今のわたしたちの目は、カトリック教会がいかに間違っているかを指摘し、批判するために用いているわけではありません。そのようなことばかりに終始するのは空しいばかりです。なんら生産的なものはありません。むしろ、わたしたちの目は、教会の外に向いていなければなりません。

しかし、それは、教会に通わない人たちをにらみつけて批判することではありません。どうして教会に来ないのか、どうして来ないのかと、文句を言うためににらみつけることではありません。そうすることによって教会に通う人が増えるならば、そうすることのすべてが間違っているとは言えないかもしれませんが、それは無理な話です。そういうことをすれば、かえってますます教会から人を遠ざけることになるでしょう。

宗教改革の伝統は、カトリック教会を批判し、抗議し、改革する教会だけを生み出してきたのではなく、むしろそれ以上に、それぞれの教会が置かれている国や社会や文化の中に溶け込み、浸透していくことをめざす教会を生み出してきました。そのことを考えるならば、これからわたしたちの教会が取り組まなければならないことは、おのずから見えてきます。

それは、要するに、この国、この社会、この文化を良くすることです。不当な支配や差別や束縛、間違った政治から人を救い出し、真に自由にすることです。プロテスタントの教会、そして改革派教会はそのことを目指してきました。わたしたちは、改革派教会を名乗るかぎり、そうでなければなりません。国や社会や文化の中に入り込んでいかなければなりません。そういうのは俗世間に染まることである、この世の流行に迎合することであるなどと、考えるべきではありません。改革派教会は、そのような立場をとりません。

今日もマルコによる福音書を開いていただきました。今日の個所でイエスさまがおっしゃっているのはほとんど一つのことです。ともし火、秤、成長する種、からし種。これらのものがたとえているのは、聖書に基づく神の御言葉のことであり、説教のことです。

とくに、最後のからし種のたとえの意図は、よく分かるものです。からし種は、小さなものです。大きさや規模においては取るに足りない些細なものです。説教はある意味でだれでもできることです。いま私がしているのも説教です。原稿を書いてそれを読んでいるだけです。しゃべっているだけです。口しか動いていないと言われれば、そのとおりです。学校の勉強のほうがはるかに難しいし、会社の仕事のほうがはるかに大変です。

500年前にルターが最初に貼りつけたのも一枚の紙です。一生懸命勉強して書いた紙かもしれませんが、紙は紙です。丸めて捨てれば、ただのゴミです。しかし、それが歴史を変える力になりました。教会を改革し、国や社会や文化を変える力になりました。

しかし、今しているのは私の話ではありません。神の御言葉は、説教は、その一回一回は、取るに足らない些細なものです。今のわたしたちは少人数です。しかし、礼拝や集会の規模が何千人、何万人になったとしても、その一回一回の説教は小さなものです。しかし、それがからし種のように時間をかけて大きく成長するのです。

悪い地に蒔かれた種は実りません。良い地に蒔かれた種は芽生え育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍になります。

しかし、悪い地なのか良い地なのかは人の違いではありません。実を結ばないのは私が悪い地だからであると思い悩む必要はありません。御言葉を今は受け入れられないかもしれません。しかし、いつか必ず受け入れることができる日が来る。このわたしにも神の御言葉を聞く耳を持つことができる日が来ると、どうか信じてください。

御言葉を受け入れたその日から、あなたは大きな実を結ぶようになります。あなたの努力ではなく、神の御言葉そのものが持つ力が、あなたを用いて豊かな実を結ぶのです。

(2014年10月26日、松戸小金原教会主日礼拝)

2014年10月25日土曜日

百瀬くん、ありがとうございます!


北海道の日本キリスト教団置戸教会の小学生、

百瀬奏(ももせ かなと)くんからお手紙をいただきました!

とっても丁寧に書いてくださって、感動しました!

「(前略)

こんどつべつにきてください。まってます。

おしごとがんばってください。おうえんしてます。」

涙出ます!

百瀬くん、ありがとうございます!

2014年10月24日金曜日

日記「来週月曜日は『ファン・ルーラー研究会最終セミナー』です」


Googleカレンダーは便利です。

ネクサス7にジョルテを入れてGoogleカレンダーを管理しています。

スケジュールも、ToDoリストも完全同期。

来週10月27日(月)は「ファン・ルーラー研究会最終セミナー」です。

午後1時から5時までです。

会場は日本基督教団頌栄教会(東京都世田谷区北沢1-42-10)です。

講演は「禁欲か喜びか:ファン・ルーラーの生まれ育った場所で学んで」。

講師は石原知弘先生(改革派園田教会牧師、神戸改革派神学校講師)です。

第二部で、日本におけるファン・ルーラー研究の将来について懇談します。

会費は無料です。

ぜひご参加ください。

参加希望者はyasushi.sekiguchi@gmail.comまで。飛び入りも歓迎します。

日記「『地球内生命体』の相対化」

2012年1月25日、千葉県松戸市にて関口康撮影

「地球外生命体の存在を証明する写真撮影に成功」との報道に接して何かを書きたくなりました。

私は「疑似科学」と「陰謀論」がとにかく大嫌いな人間ですので、そういうたぐいのことやその臭いがするものにはできるだけ近づかないことにしているのですが、「地球外生命体」のことだけは話が別です。

その記事を昨日読んだばかりですので、何かをはっきり語れるほど熟考できているわけではありません。しかし、それを読みながら私の中に思い浮かんだことは、旧来の「進化論」は「地球万能論」のようなものかもしれないなということでした。しかし、そういうのはもはや科学的認識とは言えないでしょう。

地球は、パーフェクトに自己完結した内部循環のみによって成立する存在ではありえない。この程度のことはおそらく幼児にも理解できることです。外からいろんなものが降ってきて、地球を変化させていく。それを「進化」と呼べば呼べなくもないですが、古来の進化理解とはずいぶん違うようでもあります。

これまでだと、なんですかね、地球に外から「降ってくる」ものといえば、せいぜい太陽や光星の「光線」だとか「熱」などのエネルギー、あるいは「隕石」などの無機物といったものに限られていると言われてきたわけですよね。そのように言わないかぎり「地球外生命体」の存在を認めたことになるわけで。

「地球外生命体」なるものは存在しない。「生命」はあくまでも「地球」のみの中に存在し、地球内で半永久的に循環しながら新しい「生命」が生成されてきただけだ。地球の外にあるのは、「生命」とは呼べない単純な物質、砂、石、光、ガス。そのようなものだけだ。そんな感じではなかったでしょうか。

前世紀までならそれで十分「科学」だったでしょうけど、今では「擬似科学」のように思えます。航海術を知らずヨーロッパとアジアの交流がなかった時代に、互いを「知らなかった」だけだった様子に似ているかもしれません。「知らない」から「存在しないと思い込む」というのでは科学ではないですよね。

地球外から「生命」がどんどん「降ってきていた」というのは、言われてみれば普通にありそうな話です。地球外生命体の存在証明によって「地球内生命体」を相対化できるようになるのは、考えてみれば当たり前のようなことでもあるのに、証拠提出が必要な分野では、ものすごく画期的なことなのでしょうね。

「種まきのたとえ」の意味は何か

(この画像は記事の内容とは関係ありません)

キリストの種蒔きのたとえが「こっちはいい説教してるのに、受け取り側の問題で信じる人と信じない人が出るのはやむをえない」というような理解のされ方をするのは無理もないことですけど、本当にその読み方でいいのかと、最近の説教で考え直してみました。そんなことをキリストが言うでしょうか。違う気がするんです。

私が実際にした説教のネタバレをしないとアンフェアな気がしますので、明かします。私は単純に(単純か?)、あのたとえに出てくる4つの地(道端、石地、茨、良い地)を「同じ一人の人間の、日々変わる心の状態」としてとらえてみました。

「あなたの心の状態は、昨日は道端、今日は石地、明日は茨、明後日は良い地ということはありませんか」と問いかけてみました。「今日は受け入れられないかもしれませんが、それで終わりにしないでください。明日は、いや明後日は受け入れることができると信じてください」(大意)と呼びかけてみました。

今の私がマルコによる福音書の連続講解をしている関係で「マルコ的な時系列」で考えているからでもありますが、キリストの種蒔きのたとえが語られた場所はカファルナウムの会堂で安息日ごとに行われた礼拝(連続講解(lectio continua)が行われていたと思われる)ではなく、野外です。

ガリラヤ湖岸に群集が押し寄せたので、キリストは船に乗って湖の上におられました。その意味では、その場所こそが「道端」であり、「石地」であり、「茨」です。群衆の中にどんな人が混ざっているか分からないし、すでにイエス殺害計画を立て始めたファリサイ派の律法学者も混ざっていたと思われます。

その状況の中で、キリストは「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われました。それ「聞くか聞かないかは、おたくらの自由じゃけ、勝手にせられえ」(岡山弁)という意味でしょうか。

そんな言い方しますかね、キリストが。

「聞いてください」とおっしゃっているんじゃないでしょうか。

心を整えて、私の話を聞いてください。雑念も、邪念も、嫉妬も、憎しみも殺意も、そういうのをみんな捨てて、私の話を聞いてほしい。そういう人になってほしい。キリストの種蒔きのたとえは、そういうキリストご自身の願いのこもったたとえではないでしょうか。私はそう思ったのです。

キリストの種蒔きのたとえは新約聖書の最初の三つの福音書に出てきます。マタイとマルコとルカ、それぞれ読み比べると、このたとえが出てくる文脈の違いがあることが分かります。それはおそらく、すでに西暦1世紀の教会の中にこのたとえ話の解釈の多様性があったことを示唆しているものと思われます。

マルコだから必ずよりオリジナルに近いと考えるほど、私はナイーヴではありません。しかし解釈の多様性が担保できるのであれば、今の我々の説教においても新しい可能性が出てくるわけですから、悪い意味で「伝統に固執することに終始し、冒険することを危険視する怠慢」に陥らずに済むと思うのです。

あくまでも「マルコ的な時系列」の中での話ですが、種蒔きのたとえを語られたときのキリストのもとに集まった群集は、想像するに、キリストがカファルナウム(のペトロの家)に来られる前の「会堂」で行われていた礼拝(と連続講解)が退屈で退屈で仕方なかった可能性があるんじゃないかと思います。

「会堂」の聖職者は、説教はつまらないし、困ったときに駆け込んでも助けてくれるわけではないし、気の利いた話一つしてくれるわけではない。

こんな田舎の「会堂」での修行期間は一刻も早く終わりにして、早く首都エルサレムの「神殿」で働けるようになりたい。「律法学校」の教授か校長になりたい。今は我慢我慢。こんな田舎の生活はうんざり、まっぴらだ。

そんなふうな聖職者たちの腹の底は、町の人たちには透けて見える。あんなクソ坊主どもの話なんか聞いちゃいられねえと思っている。そのようなよどんだ空気を一新する、オモロイ説教者がやってきた。それがキリスト。

会堂の空気が変わっただけでなく、町の空気も変わった。ペトロの家の屋根をバリバリ破ってまでキリストの近くに行こうとする無茶な人たちまで出てくる。刃物もってAKBの握手会に行ったあれに近いものがありますが、そこまでの熱狂を生み出すほどのインパクトがキリストにはあった。

「インパクトとかそんなの、キリストだから、あって当たり前じゃん」という見方もできるでしょうけど、その裏側に当時の「よどんだ宗教事情」があったと私は考えます。

私が重要だと考えるのは「聖書のテキストを読むこと」です。マタイとマルコとルカの間に差があるとしても無理に調和させたりせず、矛盾を矛盾のまま放置して、とにかくテキストを読む。マタイはこう書いている、マルコは、ルカは、と言えばいいだけです。それは「最新の聖書学」でもなんでもないです。

しかし、四つの福音書やパウロの複数の書簡の中で「矛盾」があってはならない、厳密な整合性を求めなくてはならないという合理主義は、何世紀か前の古い考えではあると思います。矛盾を矛盾として放置することに何の心のとがめもないというスタンスの人間は、もしかしたら「最新」なのかもしれません。

もちろん、いろんな解釈はあってよいと思います。しかし、キリストの種蒔きのたとえを根拠にして「実を結ばない人」の側に説教の不成果の責任を常に押し付けて涼しい顔をしているようなあり方が、もしどこかにあるとしたら(どこにもなければこの話題は終了)、早く払拭される必要があると私は考えます。

2014年10月23日木曜日

カール・バルトの神学の構造上の致命的欠陥はどこにあるか

バルト(左)とファン・ルーラー(右)

カール・バルトの神学の問題点については、自然神学に対する対応のまずさ、宗教や歴史という「人間的な」営みに対する低い評価など、これまでいろいろと指摘されてきました。

それら一切の原因はバルトの神学の構造上の致命的欠陥にあると、私はファン・ルーラーと共に考えています。

いちばんの基礎の土台がおかしい。その上にすべてのアプリをのせていくOSそのものに深刻なバグがある。その上に何をどれだけのせても、その深刻すぎるバグの部分からすべてが壊れていく。

その根本原因は、バルトがキリスト論と聖霊論の関係を「客観性」(Objectivity)と「主観性」(Subjectivity)の関係としてとらえたことにあります。

あの二千年前のゴルゴタの十字架において<客観的に>成就したキリストにおける贖いのみわざ(Redemptio)が、聖霊において<主観的に>現在の我々に適用される(Applicatio)とやる。

これはバルトが発明した論理であるわけではなく、ごく伝統的な考え方であるといえば、そのとおりです。

しかし、このキリスト論と聖霊論の関係を「客観-主観図式」で説明してしまいますと、両者の関係が平板な一直線の関係になりますし、まるで鏡面に写した自分の姿のように同一物の反復にすぎないものになってしまうわけです。

そうなりますと、聖霊論のカテゴリーの中から「時間」ないし「歴史」という次元がすべて抜け落ちてしまいます。人間の営みや文化は、全く意味も位置も持ちえなくなります。

二千年の教会史も、教会制度も、もちろん牧師や長老や教会員の存在や努力なども、教会の青年会やキャンプやリトリートなども、キリスト教国の歴史も、エキュメニカルな対話も、全く無意味になります。

そのような(客観的な)「キリスト」と(主観的な)「このわたし」の間に介在する一切のものは無意味・無価値と化し、時間が停止した真空の宇宙空間の中に「キリスト」と「このわたし」だけが漂っているかのようです。

それを「救い」と思える人にとっては幸せな状態かもしれませんが、あくまでもすべては「論理」の話です。

神学と説教における「論理」が「キリスト」と「このわたし」の関係を、その間に介在する存在は一切ないものとして保証するとしても、それは幻想(イリュージョン)にすぎません。

日曜日の礼拝中、説教中は、涙を流して感動し、興奮状態になったとしても、「このわたし」の現実は何一つ変わっているわけではないし、「このわたし」には日曜日以外の週日も生きていかなければならない責任があるのです。

我々は、バルトが神学的論理によって締め出したものの只中で、生きていかなければなりません。

論理の力というのは、実に恐ろしいものです。人間の営みや文化に意味も位置も与えられない神学の論理は、人を「神学的に」絶望に追いやることさえありえます。ガチで死にたくなる人がいてもおかしくないレベルです。

こういうことになってしまうのは、キリスト論と聖霊論の関係を「客観性」と「主観性」という関係でとらえることを神学の議論の一切の出発点としているためです。

神学の根本構造に「絶望の論理」が潜んでいるのであれば、高層建築物の耐震偽装問題に匹敵するヤバさがあります。

バルトがキリスト論と聖霊論を「客観性」と「主観性」の関係でとらえることの問題性をファン・ルーラーが指摘した最初の彼の論文は、1947年に提出・出版された神学博士号請求論文(フローニンゲン大学神学部)である『律法の成就』(De vervulling van de wet)です。

1940年代ですよ。70年近く前です。バルトの神学の全盛期というべき只中での勇気ある指摘でしたが、案の上というべきでしょう、ほとんど無視されました。当時も、そして現在に至るまで。

モルトマンはファン・ルーラーの『律法の成就』はちゃんと読んだようです。モルトマンの水平的終末論は、かなりファン・ルーラーの影響があっての発想だと思われます。影響関係は明らかです。

2014年10月21日火曜日

日記「これを俗に『渡りに船』というわけです」

青野太潮先生の『十字架の神学の展開』(新教出版社、2006年)

本日(2014年10月21日)、「2014年度第6回 十字架の神学研究会」(於千葉英和高校)において、青野太潮著『十字架の神学の展開』(新教出版社、2006年)「第1部 第5章 パウロの神中心主義」を読みました。

この章で青野先生が取り上げておられるのは、新約聖書・コリントの信徒への手紙一15・23~28の釈義問題です。この個所の「主語」は神なのか、それともキリストなのか、という難問です。

結論についてのネタバレはしないでおきます(ぜひ本を買ってください。定価3,700円(税別)です)。

しかし、私がいたく感動した点だけ申し上げます。

青野先生の釈義上の結論は、1940年代にファン・ルーラーがこの個所を取り上げて釈義したときの結論と軌を一にしています。

青野先生がこの個所についての精緻きわまる厳密な釈義に基づいて、この個所を「キリスト論的集中」の論理をもって釈義する人たちに対する明確な批判を語っておられるその結論そのものが、ファン・ルーラーの結論とかなりの面で一致しています。

1940年代のファン・ルーラーの釈義は青野先生の釈義と比べればプリミティヴなものでした。当時全盛期の只中であった「キリスト論的集中」の人たちに一蹴され、無視されました。

しかし、21世紀の青野先生の釈義は、ファン・ルーラーのプリミティヴな釈義を厳密さにおいて圧倒的に凌駕しながらも、結論は同じであるという意味で、両者の呼応関係が成立しています。

これを俗に「渡りに船」というわけです(ちがうと思う)。

実は、昨日です。ある方から電話があり、「ファン・ルーラーについて話してほしい」という依頼をいただきました(来週月曜日の「ファン・ルーラー研究会最終セミナー」ではありません)。

その電話をいただいたとき、私の心にすぐに思い浮かんだのが、この個所(コリントⅠ15・23~28)についてのファン・ルーラーの釈義が今日に至るまで激しい批判にさらされていることについて、「いつかファン・ルーラーの代わりに抗弁しなくてはならない」と私自身がずっと前から考えてきたことでした。

しかし、抗弁のための根拠をどうしたら固めることができるのかが分からないままでした。

やっとめぐりあえました。

青野先生、ありがとうございます。私、やります(大丈夫か)。

2014年10月20日月曜日

日記「『翻訳の問題』を扱う組織神学は、日本では当然、日本語で書かれる必要があります」

組織神学を勉強すると書斎がきれいになるそうです(都市伝説)

Google翻訳(http://translate.google.co.jp/)を使うとこうなります。

(日本語)「哲学」

→(英語)Philosophy
→(フランス語)philosophie
→(アフリカーンス語)filosofie
→(オランダ語)filosofie(またはWijsbegeerte)
→(ドイツ語)Philosophie

(日本語)「人生哲学」

→(英語)Philosophy of life
→(フランス語)philosophie de la vie
→(アフリカーンス語)filosofie van die lewe
→(オランダ語)levensbeschouwing
→(ドイツ語)Weltanschauung

興味深い結果でした。

「人生哲学」のオランダ語訳とドイツ語訳が秀逸だと思いました。

一対一対応式の日本語パッチを当てるとしたら、オランダ語訳levensbeschouwingは「人生観」、ドイツ語訳Weltanschauungは「世界観」です。

このように訳してくれるのは、ありがたいことです。逆の方向から考えてみると、そのありがたさが分かります。

オランダ語のlevensbeschouwingを見るといつでも必ず「人生観」と、またドイツ語のWeltanschauungを見るといつでも必ず「世界観」と、訳さなければならないということはない、ということを、この結果は教えてくれています。

私が知っている事実は、ネットで公開されているオランダ語のキリスト教系の新聞で、日本の新聞でいえば「総合」「社会」「政治」「経済」「国際」「教育」などのカテゴリーに並ぶ位置にある「文化(カルチャー)」とか「エンタメ」に当たるカテゴリーがlevensbeschouwingと表記されている例がある、ということです。

これどう訳しますかね。新聞紙面だけに限らず、もう少し広い文脈の中でも。

一対一対応式にleven(人生)をbeschouwing(観ること)であるのであるからして当然「人生観」でなければならぬと当て字(パッチワーク)するか。

少し応用を利かせて「人生哲学」とするか。

思い切って「カルチャー」とか「エンタメ」とするか。

こういう問題を、私は、<組織神学における>重要な課題であると認識します。

そして、「翻訳の問題」を扱う組織神学は、日本では当然、日本語で書かれる必要があります。

外国語の神学書の日本語版の中に、外国語から日本語への翻訳の問題が扱われているということが仮にあるとしても、それをどうやって日本語に訳すのかというところで、心も頭もぐちゃぐちゃになります。

これまでの日本の組織神学が一貫して「翻訳調」だったことを非難する意図はありませんが(いやちょっとあるかも)、「翻訳調」の訳書は、概して大げさです。

たしかに原文はlevensbeschouwingであり、無理やりパッチワークすれば「人生観」でしょうけれども、オランダ現地での意味は「エンタメ」くらいの軽い調子の言葉だったりする。

そういうことを知ってか知らでか、日本の従来の組織神学は、常に物々しく「人生観・世界観」とか訳し、論じる。

もちろん、同じ字、同じ言葉でも、100年前と今とで意味やニュアンスが変わっていることは日本語でもオランダ語でもありうることですから、levensbeschouwingは、オランダ現地でも、100年くらい前は物々しい概念だったのかもしれません。

2014年10月13日月曜日

日記「ファン・ルーラーを勉強しよう」

「ファン・ルーラー著作集草稿」苦戦中

私の場合「神学を勉強しよう」では満足できなくて、最低でも「組織神学を勉強しよう」と言いたくなるし、どうせなら「ファン・ルーラーを勉強しよう」まで言いたくなるが、「オランダ語ですよね」で話がストップする。

呼び込む手はないか。「ファン・ルーラーを勉強すると就職に有利」とか言ってみるか。

ファン・ルーラーはオランダ改革派教会(NHK)を背景にした神学者でしたので、ベルギー信仰告白(オランダ側では「オランダ信仰告白」と呼ばれる)、ハイデルベルク信仰問答、ドルトレヒト教理基準をベースにした神学を展開しました。

しかしそれは、ウェストミンスター信仰規準の神学と方向性においてほとんど一致するものです。ファン・ルーラーに質問することができないのが残念ですが、もし本人に聞けば、たぶんウェストミンスター信仰規準の神学に100%同意すると思います。

ファン・ルーラーがカイパーやバーフィンクやベルカウワーらのオランダ改革派教会(GKN)や、クラース・スキルダーらのオランダ改革派教会解放派(GKNV)に批判的だったのは、神学的に保守かリベラルかの問題というよりも、分派主義の是非の問題でした。

オランダ国内に「オランダ改革派教会」という教団は一つで十分である。教団を四分五裂させるのはやめようではないかと言いたかっただけです。それはファン・ルーラーが言い出したことではなく、ファン・ルーラーの師匠の師匠の代からの「伝統」です。

ファン・ルーラーの師匠がハイチェマ、ハイチェマの師匠がフードマーカー。フードマーカーは、GKN離脱のリーダーとなったカイパーと直接やりあったNHK側の神学者でした。

ファン・ルーラーは三位一体論と二重予定論の明確な支持者でした。よく誤解されているような、ユダヤ教的なものへの逆行などはありません。無際限の宗教多元主義のようなものに陥ったこともありません。「元の木阿弥」などのレッテルは、ファン・ルーラーには当てはまりません。

「旧約聖書こそが真の聖書であり、新約聖書は旧約聖書の巻末語句小事典に過ぎない」と、ファン・ルーラーはたしかに言いました。しかしそれは旧約軽視の現代神学に対する警鐘として言っただけです。

既刊のファン・ルーラーの聖書黙想集(ラジオ説教集)の大部分は、新約聖書の説教です。すばらしい内容です。彼が新約聖書を軽んじた形跡は皆無です。