2012年12月24日月曜日

信仰・希望・愛、そして喜び


テサロニケの信徒への手紙一1・2~10

「わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、わたしたちは知っています。わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。わたしたちがあなたがたのところで、どのようにあなたがたのために働いたかは、御承知のとおりです。そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至ったのです。主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられているので、何も付け加えて言う必要はないほどです。彼ら自身がわたしたちについて言い広めているからです。すなわち、わたしたちがあなたがたのところでどのように迎えられたか、また、あなたがたがどのように偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになったか、更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。」

わたしたちがいま行っているのはクリスマスイヴ礼拝です。昨日はクリスマス礼拝を行いましたので、教会員の方々にとっては二日間続いています。そろそろ疲れがたまっている頃でしょう。

しかし、「クリスマスおつかれさまです」と言うのは、いくらなんでもおかしいです。「クリスマスおめでとうございます」と言いたいところです。しかし年末でもあります。クリスマスはいつも年末です。今年一年間もいろいろありました。つらい一年間でした。いろんな意味で疲れている今日この頃のわたしたちです。

いまお読みしました聖書のみことばは、約二千年前の教会で活躍した使徒パウロが、テサロニケという町の教会の人たちに宛てて書いた手紙の冒頭部分です。その教会は、かつてパウロがその設立にかかわったところです。しかし、その後パウロは別の地に移動して、そこでまた新しい教会をつくる働きを始めましたので、この手紙を書いている時点では、パウロはテサロニケとは別の地にいます。

しかし、パウロはテサロニケ教会に属する人々のことを、心から愛していました。体は離れていても、心は一つに結びあっていると感じていました。それでパウロは、テサロニケ教会に対する自分の愛と思いを伝えるために、この手紙を書きました。

「わたしたち」(2節)と複数形で書かれているのは、この教会の設立にかかわった伝道者はパウロだけではなく、パウロに協力した何人かの伝道者がいたからです。しかし、その伝道者たちの中心にいたのはパウロでした。その意味では「わたしたち」と書いてはいますが、「私」と書いてもよかったくらいです。他ならぬパウロ自身の思いを伝えているからです。「私が」「あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています」と言っても同じです。

私はあなたがたのことを忘れたことはありません。いつも覚えて祈っています。いまは目で見ることができないほど離れた場所にいる。まして、別の教会の人たちの牧師である。わたしたちのことはもう忘れたのではないか。あれほど親しい関係だったのに、もう無関係になってしまったのであれば、こんなに寂しいことはない。そんなふうにあなたがたは思っているかもしれない。しかし、私の思いは決してそのようなものではない。あなたがたのことを心から愛しています。そのことをパウロは、何とかして伝えようとしています。

その続きに「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです」(3節)と書かれています。

興味深いことは、ここに「信仰、愛、希望」という三つの言葉がセットになって出てくることです。この三つの言葉のセットは、パウロが書いた別の手紙であるコリントの信徒への手紙一13・13に出てきます。「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。しかし、その中で最も大いなるものは、愛である」。

コリントの信徒への手紙一とテサロニケの信徒への手紙一とでは、「信仰、希望、愛」と「信仰、愛、希望」と、順序が違います。しかし、順序の問題はあまり重要ではないと思います。そのことよりも重要なことは、両者に共通していることがあるということです。どちらも、教会のことを語る文脈にこの三つの言葉が出てくることです。

教会が立つか倒れるかという危機にあるときに、倒れないように教会を支えるものは何なのか。教会が拠りどころにするものは何なのか。最終的にこの三つが残る。それは信仰と希望と愛である。その三つの中の最も偉大なものを一つ選ぶとしたら、愛である。そのようにパウロはコリントの信徒への手紙一13・13に書いています。そして、この三つの言葉がセットになっている表現が、いま見ていただいているテサロニケの信徒への手紙一にも出てくるのです。

ここでほんの少しだけややこしい話をさせていただきますと、テサロニケの信徒への手紙一は新約聖書の中に残されているパウロの手紙の中で最も古いものであると言われています。他方、コリントの信徒への手紙は、逆にパウロが晩年になって書いたものであると言われています。

このことから考えられることは、パウロはこの三つ、信仰・希望・愛こそが教会を支える力である。そして、その中で最も大いなるものは「愛」であるということを、伝道者人生の最初から最後まで、どの教会で働いているときも、繰り返し言い続けていたのではないか、ということです。

しかも、ここで言われている「愛」とは「神の愛」です。神の愛とは、神が独り子であるイエス・キリストを世に遣わしてくださったほどに、世を愛された、その愛であると、ヨハネによる福音書3・16に書かれています。それはクリスマスの出来事です。イエス・キリストがお生まれになったことは、神がこの世界とわたしたち人間を心から愛してくださっていることの証しなのです。

しかし、私はここで今夜の話を終わってよいとは思っていません。もう一歩先に進む必要があると思っています。先ほど読んでいただきました御言葉の中に「あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ」(6節)と書かれています。ここに「喜び」が語られています。このことが重要です。

なぜ「喜び」が重要なのでしょうか。わたしたちの体験に照らしていえば、「信仰」と「希望」と「愛」だけでは苦しい場合があるからです。苦しい信仰と、苦しい希望と、苦しい愛があるからです。

たとえば、家族が同じ信仰を持ってくれない、自分一人だけが神を信じ、教会に通っているようなときは、苦しい信仰になる場合があります。いろんなケースがありますので、一概には言えませんが。

また、希望についても、実際に目に見える、手でつかむことができる根拠がある場合はともかく、何一つ根拠がないことをただ望んでいるだけであれば、それは苦しい希望です。

そして、苦しい愛があるということは、多くの人が知っていることです。愛は多くの場合、苦しいものです。そのことをわたしたちはよく知っています。

しかし、だからこそ、わたしたちの信仰と希望と愛は、喜びをもって受け容れられる必要があるのです。ベツレヘムの羊飼いたちに主の天使たちが教えてくれたイエス・キリストのご降誕の知らせは「喜びのしらせ」でした。イエス・キリストをお与えになるほどにこの世を愛してくださった神の愛は、喜びに満ちているのです。

わたしたちの信仰は喜びに満ちた信仰です。わたしたちの希望は喜びに満ちた希望です。そして、わたしたちの愛は喜びに満ちた愛です。もしわたしたちの現実がそうなっていないときは、そのようなものを目指す必要があります。教会はそれを目指して歩んでいます。

クリスマスイヴだけではなく、毎週日曜日に、教会では礼拝がささげられています。一回、二回ではキリスト教は分からないと思われるかもしれません。「教会に一年くらい通いましたが全く分かりませんでした」とおっしゃる方もなかにはおられるかもしれません。そういう場合はぜひ質問に来てください。

ただし、メールだけではちょっと困ります。せめて顔を見せてください。どのような顔で、そのことをおっしゃっているのかが分かるようにしてください。そうしていただけるならば、どのような質問にもできるだけお答えいたします。

そして、わたしたち松戸小金原教会の礼拝に来てくださる場合は、牧師の説教を聞きに来るだけで終わりにしないでください。二千年前のテサロニケ教会の人々が信仰・希望・愛、そして喜びに満たされている姿が、マケドニア州とアカイア州のすべての教会にとっての模範であったように、わたしたちの喜んでいる姿をぜひ見てください。

(2012年12月24日、松戸小金原教会クリスマスイヴ礼拝)

2012年12月23日日曜日

信仰は愛する人の名誉を守る



2012年 松戸小金原教会クリスマス礼拝説教

マタイによる福音書1・18~25

「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。』このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。」

みなさん、クリスマスおめでとうございます。今日はクリスマス礼拝です。わたしたちの救い主、イエス・キリストのご降誕を喜び、お祝いする礼拝です。

今日はイエスさまがお生まれになる前、母マリアの胎にイエスさまが宿られたときのことについて書かれている聖書の個所を開いていただきました。この個所は、だいたい毎年開いて学んでいます。しかし、この個所には、お読みいただけばすぐにお分かりいただけるとおり、非常に驚くべき、また非常に恐るべきでもある、不思議なことが書かれています。

「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった」(18節)と書かれています。これで分かることは、マリアの婚約者ヨセフはイエス・キリストの父親ではない、ということです。イエス・キリストには、血のつながった父親はいません。「聖霊によって」お生まれになったのです。

ここに書かれていることについて、私自身もいろんな人から繰り返し言われてきたことは、「申し訳ありませんが、このようなことは、私にはとても信じることができそうにありません」という率直な言葉です。しかし、このことをわたしたちは信じています。私も信じています。

いま開いていただいているマタイによる福音書を含む新約聖書の諸文書が書かれたのは約二千年前です。みなさんにはぜひ信頼していただきたいのですが、キリスト教の教会は嘘をつくことが大嫌いです。嘘をつくのが嫌いだし、苦手です。ですから、もしもこの個所に書かれていることは嘘であるということがはっきりと分かったときは、教会はこの個所を聖書の中から削除することができます。そうする権利が教会にはあるのです。

事情をご存じない方もおられると思いますので説明しておきます。二千年前の教会には今のわたしたちが手にしている新約聖書に収められている全部で二十七の文書だけではなく、もっとたくさんの文書がありました。しかし、教会はもっと多くの文書の中から二十七文書だけを選んで、新約聖書としてまとめたのです。決めるときには、もちろん教会会議を開きました。このことは、聖書と教会の歴史を知っている人であれば、誰でも知っている常識です。

ですから、もし聖書の中に間違ったことが書かれているということがだれの目にも明らかになった場合には、教会はもう一度会議を開いて、間違ったことが書かれている文書を聖書の中から取り除くことができます。あるいは、一つの文書から間違っている個所だけを取り除くこともできます。そのようなルールを、キリスト教のすべての教会が共有しています。

しかし、二千年の教会はマタイによる福音書を新約聖書の中から取り除くことはしませんでした。今日の個所だけを聖書の中から取り除いたこともありません。少なくとも正式な教会会議を開いて、そのようなことが決められたことは、いまだかつて一度もありません。これで分かることは、すべてのキリスト教会は、二千年の間、ここに書かれていることは事実であると信じ、公に告白してきたのだということです。

私自身も信じています。何を私は信じているのでしょうか。イエスさまには血のつながった父親はいない、ということを信じています。言い方を換えれば、マリアは婚約者ヨセフを裏切ったわけではない、ということを信じています。マリアは嘘つきではありませんでした。「あなたの子どもは聖霊によって宿った」という天使の言葉どおりのことがマリアの身に起こったので、そのことをマリア自身が信じて、イエスさまを産む決心をしたのです。そのマリアの証言には嘘がないということを、私は信じているのです。

マリアは嘘つきではありませんでした。そのことをわたしたちが信じるという場合と、わたしたちが「神を信じる」という場合とでは、「信じる」の意味が違ってくると言わなければならないかもしれません。わたしたちは「神を信じること」を「信仰」と呼びます。しかし、わたしたちは「マリアを信仰する」わけではありません。「神」は信仰の対象ですが、人間は信仰の対象ではありません。人間であるマリアについては「マリアを信頼する」という意味でなくてはならないでしょう。

しかし、その区別についてはともかく、わたしたちにとっても「マリアを信じること」は重要なことではあるのです。マリアは嘘つきではありません。マリアはヨセフを裏切ったわけではありません。マリアの子どもは「聖霊によって」宿った神の御子なのです。そのことを教会は、二千年間、信じてきました。少なくとも公の教会会議を開いて否定したことは、いまだかつて一度もありません。

しかし、このようなことをあまり強く言いすぎますと、非常に大きな反発が返ってくることがあります。「そこまで言うのであれば、キリスト教の教会さんは、二千年も嘘をつき続けてきたことになりますね」というような反発です。こういう言葉を私に対して面と向かって言った人はまだいません。これから言われるかもしれませんが、それは分かりません。

しかし、わたしたちは、たとえどのようなことを言われようとも、このことについては譲ることができません。わたしたちはマリアが嘘つきでなかったことを信じます。マリアの身の潔白と、彼女の名誉を守ることを放棄することはできません。

ここで急に、生々しい現実の問題に、みなさんの心を引き戻してしまうことをお許しください。

わたしたちにとって夫婦の間にせよ、親子の間にせよ、友人関係にせよ、恋人同士にせよ、お互いを信頼し合い、「名誉」を守り合うことは非常に重要なことです。その点が崩れ、壊れてしまうときは、わたしたちは、もう生きていけないと思うほどの絶望を味わうものです。

実を言いますと、今日の個所に出てくる主人公であるヨセフは、とにかく一度は、いま申し上げた意味での絶望を味わったのだと思います。ヨセフの前に差し出された事実は、どういう事情であれ、マリアの胎に宿った子どもは自分の子どもではないということだったからです。マリアと自分は婚約していたにもかかわらず。

それで、ヨセフは「正しい人であった」ので、「マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと」(19節)しました。ヨセフはマリアが「聖霊によって」身ごもったから、縁を切ろうとしたわけではありません。マリアのことを信頼できなくなったから、縁を切ろうとしたのです。

しかし、そこに天使が現れました。天使の話は、先週も、先々週もしました。私自身は天使の姿を見たことがないので、どのようなお話をすればよいかはいつも迷います。しかし、天使は聖書の中では非常に重要な役割を果たす決定的な存在なのです。その重要さは、天使が登場しないかぎり聖書の教えのすべてが成り立たなくなるのではないかと思うくらいです。

絶望の淵に立っていたヨセフの夢の中に、天使が現れて告げました。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」(21節)。

この天使のお告げをヨセフは信じたのです。天使のお告げを信じることは、天使が告げる神の言葉を信じることと同じですので、それは神を信じることと同じです。しかし、ヨセフの場合はそれだけでは終わりません。彼は「神を信じた」のと同時に、「マリアを信じた」のです。この点が重要です。ヨセフの立場からすれば、マリアを信じることなしに、マリアを妻として迎え入れることは、ありえないことでした。

今日私が申し上げたいことは、わたしたちにとって「神を信じる」とは、そのようなことだということです。わたしたちの信仰は、神は信じるけれども人間は信じないというような話ではないのです。神は愛するけれども人間は愛さないという話でもありません。もちろんヨセフは神の後押しなしには、マリアを信頼することはできなかったかもしれません。ヨセフとマリアのあいだに神が割って入ってくださり、二人のあいだを取り持ってくださったからこそ、信頼関係を取り戻すことができました。

しかし、もしそうであるならば、わたしたちもみな同じです。教会、あるいは別の場所でキリスト教式の結婚式をなさった方々は覚えておられるはずです。結婚式の司式者である牧師が宣言するのは「神が合わせられたものを、人は離してはならない」(マタイ19・6)という言葉です。神が合わせてくださったのです。そのことを信じ、互いに約束をかわすのが結婚です。家庭と家族は、そのようにして生まれ、築かれていくのです。

言い方は乱暴かもしれませんが、イエスさまにとっては父親がだれで、母親がだれであるかということは、実はあまり関係ないことでした。子どもは親の所有物ではありません。親の思いどおりにもなりません。子どもは親が作るものではない。親は子どもの創造者ではない。親にとって子どもは神から与えられ、あずかり、守り、育てることができるだけです。こういう子どもを産みたいと願ったところで、親の願いどおりの子どもになるわけではありません。そして子どもは親なしにも育ちます。そのうち手から離れて行きます。神からあずかった存在を、神にお返しするときが来ます。

イエス・キリストが「聖霊によって」お生まれになったという教えはもちろん驚くべきことであり、恐るべきことであり、不思議なことではあります。しかし、全く信じることができないと言わなくてはならないようなことではないと思うのです。わたしたち自身も、わたしたちの子どもたちも、神の力によって命を与えられ、今まで過ごしてくることができたという点では、同じだからです。

クリスマス礼拝は、救い主イエス・キリストの命を、わたしたちを救うためにわたしたちに与えてくださった神を喜び、礼拝する日です。今日の一日を神の祝福と平安のうちに過ごすことができますように祈りましょう。

(2012年12月23日、松戸小金原教会クリスマス礼拝)

2012年12月20日木曜日

もし入党するなら「キリスト教民主党」だなと思っているぼくです

ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ...

(聴診器)「なんて言ったらいいのか、いばって言うわけでもなければ投げやりでもないんですが、ぼくが属している日本キリスト改革派教会のことを書きたいのですが、これはネットの話というよりもどちらかといえばリアルの話なのですが、ぼくの所属している教派名を口にするだけで改革派とは傲慢だ、おまえら何を改革したいんじゃヴォケ(ママ)とか、上から目線だとか怒りだす人がいたり。

改革派の中にもいろいろあるけど、その中のお前らはどれだとかマニアックに聞いてきたり、それでちゃんと答えたら10秒で関心を失っていたようでほとんど聞かれてなかったり。

そもそもキリスト教がカトリックとプロテスタントとオーソドックスに分かれているとか、プロテスタントの中にもいろいろあるとかいう話をちょっと出すだけで、口をひんまげて『ああ~(「え」に近い「あ」。ウムラウトついてる発音)教会さんも世と同じなんですね~はあ(ためいき)』みたいなことを言われたり。

『るせーよ』って内心思ってたりするんですけど、そういうときでも職業的に笑顔を作ったりすることがありますとか書くと、牧師のくせに職業スマイルとは何ごとだとか、そもそも牧師は職業じゃないとか、あーだこーだ言われてみたり。もうほんとにうるさいからねっ!(ブロック)」

ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ...

と(↑)いうようなグチャグチャした心の中なんですが(笑)、意外に晴れやかな顔をしています。

キリスト教はブームで広がったらダメなんだと思います。ブームは去る。

ぼくの体感として言わせてもらえば、日本の教会に限っては、風なんか吹いて来たことは一度もないですから。

でも、着実な一歩を重ねてきてると思うんですよね、我々は。

自画自賛だとか言われてもいいや。もうすぐ年末だし。

70歳を越えて洗礼を受けてくださった男性(元中学校長)が、「ひとまえでお祈りするのが恥ずかしい」という理由で、水曜日の祈祷会に出席するのをためらっておられた。

「その方のために」と謳うとご本人が嫌がるだろうから、そうは言わないで、でも一年かけて教会全体でおこなう勉強会のテーマを「祈り」と定めた。

そして、「祈りのマニュアル」のようなものまで作って、「この○○の部分に自分の言葉を入れれば、だれでも祈れます」ということまで言って。

そしたら、「ひとまえでお祈りするのが恥ずかしい」と言っていたその男性が、次の年から水曜日の祈祷会に毎週出席してくださるようになった。

なんか、こういうのが、我々キリスト教が求める「着実な一歩」なんじゃないかな、と思ってるんですけどね、ぼくは。

ブームだとか、風だとか、そんなのは信用できないです。求めたこともないし。

そういうのだと、オセロのように、また全部ひっくり返される日が来ますよ。たぶんね。

ぼく47歳ですけど、47年間教会生活続けられたんで、たぶん死ぬまで続けられそうです。「来るな」と言われたらしょうがないですけどね。

で、クリスチャンて、ぼくらなりの政治思想もってるじゃないですか。この一線だけは譲れない、みたいなこと。

そういう人が増えていくしかないんだと思ってるんです、ぼくは。

いま教会に通っているすべての人がキリスト教を棄てたら、ぼくも棄てるかな。どうだろ。ぼくひとりだけで「改革派牧師」とか言ってそうな気もする。

英雄きどってるわけじゃないですよ。どのみちドン・キホーテだし。

マルティン・ニーメラーの有名な言葉(「ナチスは教会を弾圧した。ぼくは牧師だったので行動を起こした。だけどすべてが遅かった」)は、ぼくも知ってますし、愛してもいます。

だけど、ああいう言葉は、戦後(ナチス解体後)のドイツに「キリスト教民主同盟」(CDU)という公党が生まれ、政権担当者になり、首相を輩出することで、文字どおりの国家権力を掌握する立場に立てたからこそ、あの頃はああだった的に回顧され、重んじることができることでもある。

教会自身の政治的態度決定としてもてはやされる「バルメン神学宣言」も、政治的には完全に敗北に終わったものです。

ぼくはアタマに拳銃突きつけられても右翼にはなれませんが、宗教とか「キリスト」相手にやたら軽口を叩くタイプの左翼にもイライラしっぱなしです。

支持政党は皆無ですが、もし入党するなら「キリスト教民主党」だなと思っているぼくです。

教会自身に政治的態度決定ができるほどの力がないことくらい、そりゃ、どんなぼくでも分かります。

でも、「だから教会と牧師は政治的発言をすべきでない。そういうことすると教会が分裂するから」はありえない。

そういうことを言って教会と牧師の口封じをする向きがあっても、口封じには応じない。それも当たり前。

だけど、そういう線を貫こうとする牧師がいると、「出る」だ「抜ける」だ言って脅迫しはじめる人たちがいる。それにたいてい屈するんですよね、牧師たちは。

そういうことにならないために、教会自身が政治的態度決定しなくて済むように、教会の外に「キリスト教政党」を作るのがベストなんだと思うんです。

キリスト教主義学校があり、キリスト教主義福祉施設があるなら、キリスト教政党がなかったら、本当はつじつま合わないはずなんです、日本でも。

だけど、ない。作る気がない。動かない、動けない。事情はこんなところには書けませんけどね。

「教会と牧師は政治的発言をすべきでない」と言いながらキリスト教政党を作る努力をしようとしないキリスト教関係の思想家たちが支配的な立場にとどまるかぎり、日本においてキリスト者が政治的に無力であるばかりか、社会的に魅力がないのは、ある意味で当然のように、ぼくには見えています。

ジャストこの点が、ピンポイントでファン・ルーラーのバルト(主義者)批判の核心部分なんです。

カール・バルトは「キリスト教政党反対論」の急先鋒でしたから。

ドイツの隣国オランダには19世紀に歴史的淵源をもつキリスト教政党「反革命党」がありましたが、その党にオランダのバルト主義者は反対票を投じ、労働党(共産党に近い)支持を訴えました。

反革命党の「キリスト教哲学」などというマヤカシにごまかされないで、教会自身が「神学」をもって政治的態度決定をしなくてはならないとバルト主義者は主張しました。実際バルト自身は社会民主党に入党したし、自分の学生たちにキリスト教政党には反対票を投じるように働きかけたのでした。

バルト主義者たちの主張はある意味でよく分かるものです。キリスト教政党の保守性は、ヨーロッパの若い世代の人たちには目に余るものがあったに違いない。

教会の動きは遅いですからね。ぼくらだって、いまだに1890年訳(二世紀も前!)の「主の祈り」をいまだに唱えてたりしますでしょ。

2012年12月19日水曜日

AKBの魅力は「全体の部分となる勇気」のほうだと思う

ぼくはAKBのことは嫌いではなくて、ていうか、実はかなり好きなほうなんですけど、カメラをかなり引いて全員が写っていて、みんなのダンスが揃っているのを見るのが好きなんです。チアガールを見てる感じ、ですかね。

そのなかで見れば、たしかに前田さんはいつも笑顔でしたから光ってました。だけど、それは全体の中の一人だから光っていたのであって、単独でどアップで写しても、それは別に普通の女の子ですよね、とぼくは思っています。普通であることが悪いわけでもない。

AKBの魅力がもしあるとしたら、パウル・ティリッヒの『存在への勇気』の言葉をいきなり持ち出せば、「全体の部分となる勇気」(A courage to become a part)を一人一人がわりと強く持っていて、厳しい練習を耐え抜いて、ダンスをピタッと合わせる、みたいなことではないでしょうか。

その意味では、ぼくは前田さんを「尊敬」はしてます。「よくがんばったね」と言ってあげたくもなる。前田さんはぼくの子どもくらいの年齢なんでね、親心というやつです。

だけど「キリストを超えた」とは言わないし、思わないです。

2012年12月18日火曜日

「ネットは手段。早く人間になりたい」

キリスト教記者クラブ発題

(2012年12月17日、キリスト教記者クラブ第22回オフ会、於 日本基督教団富士見町教会)

はじめに

今日はキリスト新聞社の松谷信司さんからお勧めをいただき、発題の機会が与えられましたことを感謝いたします。しかし、今日のテーマは「ブロガー牧師に訊く~教会の発信力 第2弾」とのこと。正直言って、かなり緊張しています。以下、その理由。

第一に、現時点で自分のブログを開設している牧師たちは大勢いる。また、コンピュータのハード面やプログラミング等の知識は皆無です。恥ずかしくてたまりません。

第二に、私は「ブロガー牧師」と呼ばれるほどの人間かどうかが分からない。ブログとFacebookをかなりの頻度で更新していることは否定できません。しかし、ほかの人と比べたことはありませんし、それを調べる方法を知りません。

第三に、副題が「教会の発信力」である。しかし、私のブログ(http://yasushisekiguchi.blogspot.jp)は「教会の公式発信」ではなく完全に私的な雑記帳です。そのため「教会の発信力」を問う場で私の話が参考になるとは思えません。

第四に、牧師がブログを開設し、「説教」や「神学」について、あるいは「日記」を書く場合、職務の延長線上の「伝道」や「牧会」や「教育」、あるいは「業務日誌」が目的であることが多いのですが、私のブログはそういうのとは全く違います。もっとネガティヴな動機でした。

しかし、今日は最後の点についてお話しすることにします。私は何のためにブログを開設したのか。その話ならばできるし、たぶん面白いと思っていただけるし、誰かの参考になるかもしれません。

1.インターネットを始めた二つの動機

ネット上でのやりとりを始めたのは1996年8月です。四歳上の実兄から譲ってもらったWindows3.1を載せたラップトップで「パソコン通信」を始めました。パソコン通信は厳密にはインターネットとはベツモノかもしれませんが、入門編にはなりました。

パソコン通信を始めた当時は、福岡県の日本基督教団の教会にいました。しかし、その5カ月後、1997年1月にその教会を辞任し、神戸改革派神学校の聴講生になりました。そして1997年4月に日本基督教団の教師を退任し、神戸改革派神学校に入学し、1998年6月に卒業しました。そして、1998年7月に山梨県の日本キリスト改革派教会の牧師になりました。初任給でデスクトップを買い、本格的にインターネットを始めました。

インターネットを早く始めたいと願っていました。動機は以下の二つです。第一の動機は日本基督教団の教師や信徒との連絡関係を復旧したかったことです。私は牧師の子弟ではありませんが、教会役員の家に生まれた日から31歳まで日本基督教団のフレームから外に出たことがありませんでした。しかし、誰にも相談せずに忽然と消えました。それは義理を欠くことですので、せめてお詫びぐらいしなくてはならないと思っていました。

つまり、私のネット開設の動機は「教団離脱の釈明のため」でした。明るい面よりも暗い面のほうが強かった。これが、動機がネガティヴだと言った理由です。

しかし、インターネットを始めた動機はそれだけではありません。第二の動機がありました。それは、ネットを用いて教団・教派の壁を超える「神学研究会」を作りたいということでした。

ヒントは、パソコン通信で行われていたキリスト教フォーラム(「ハレルヤ・ハレルヤ」など)でした。ただし、私は当時パソコンそのものが全くの初心者だったこともあり、パソコン通信で(「炎上」という言葉は当時はありませんでした)激論が交わされているのを遠巻きに眺めていた程度です。その様子を見て恐れをなし、私が作るとしたら、もっと穏やかな神学研究会が良いのだけれどと、空想していました。

2.メーリングリストの結成

それで初めて立ち上げたメーリングリストが1999年2月に結成した「ファン・ルーラー研究会」でした。20世紀オランダのプロテスタント神学者アーノルト・ファン・ルーラーのオランダ語テキストを日本語に翻訳し、紹介するためのメーリングリストです。それを東京神学大学の同級生4人で立ち上げましたが、次々に新しいメンバーを得、5年後の2004年には100名を超えるようになりました。

そのような中で、私はインターネットのポテンシャルを実感するようになりました。何よりもまず、メーリングリストを立ち上げたばかりの頃、アメリカ・ニュージャージー州ニューブランズウィック神学校のポール・フリーズ教授が「ネット検索で」わたしたちのことを探し当ててくださり、メールを送ってくださいました。フリーズ教授はファン・ルーラーについての博士論文をアメリカ人として初めて書いた方です。

オランダの実践神学者であるユトレヒト大学神学部ヘリット・イミンク教授とのメールのやりとりは、1999年から始まりました。将来的に版権の交渉をする日が来ることに備えて、ファン・ルーラーのご家族とのコンタクトがとれました。三女ベテッケさんがコミュニケーション論の世界的権威者になり、現在はアムステルダム大学名誉教授です。

そして、2008年12月10日にアムステルダム自由大学で行われた「国際ファン・ルーラー学会」の主催者から私宛ての招待状が届きましたので、教会と私の実家から渡航費援助を得て初めてオランダの地を訪ね、200人の神学者の前で英語スピーチをさせていただきました。イミンク先生が私を出席者に紹介してくださいました。ユルゲン・モルトマン先生との記念写真は私の一生の宝になりました。

私は外国に留学したことがないのです。しかし、そのような者でも、これだけの知己を得ることができました。インターネットなしには全く考えられないことです。

しかしながら、メーリングリストという仕組みには明らかに限界があるということも、同時に痛感してきました。わたしたちの活動に賛同し、喜んで応援してくださる方々もたくさんいらっしゃるのです。しかし、メーリングリストそのものは、やはりたびたび「炎上」しました。私の書き込みへの反発や批判が多いので、寿命が縮みました。

それが苦痛で、私はとうとうメーリングリストには何も書けなくなってしまいました。メーリングリストは解散していませんが、閑古鳥を鳴かせたまま放置しています。申し訳ないことですが、私の心理的な限界です。

しかし、私はファン・ルーラーの翻訳と研究を放棄したわけではありません。次善策として考えたことが、メーリングリストに替わる新しいアリーナを探すことでした。

3.メーリングリストに替わる新しいアリーナを求めて

メーリングリストの替わりになる新しいアリーナはどこでしょうか。実はまだ見つかっていません。

申し訳ありませんが、最初から問題外であると感じられたのは、匿名ネット掲示板「2ちゃんねる」でした。メーリングリストでやりとりしていたのは、オランダ語原文、日本語訳、訳者としての解釈を併記したうえでメーリングリストに流し、議論を交わすというものでした。そのときの真剣な雰囲気を再現することは、匿名掲示板では不可能であることが、すぐに分かりました。実際に試したことはありません。

実際に試そうとしたのは半匿名SNS「ミクシィ」が最初でした。しかし、私の感性が耐えられませんでした。画面のデザインとか、派手な広告バナーとか、落ち着いて神学議論ができる環境が整うとは思えませんでした。

Facebookを始めたのは、その後のことです。今のところ、Facebookまでたどり着いたところです。つまり、私にとってのFacebookは、「ファン・ルーラー研究会」のメーリングリストの代替地を探す旅の途中で立ち寄っただけなのです。

私の目標は、メーリングリストでもブログでもFacebookでもありません。リアルの教室で「ファン・ルーラー研究会」を行うことです。それはメーリングリストを立ち上げた最初の日から願ってきたことです。しかし、バスや電車や自動車や飛行機で、大学や神学校などで開かれる研究会に出席できる人たちはごくわずかであり、金銭的に恵まれた人だけです。それが多くの牧師たちにはできないので、仕方なくネットを利用してきたのです。

いろんな批判を受けてきた14年間でした。「オタク牧師」、「勉強好き」、「パソコンの画面より人の顔を見たほうがいいんじゃないか」、「地に足がついていない」など。「神学」でも「ファン・ルーラー」でも一円の収入も得たことはなく、聞こえてくるのは文句ばかり。

このようなことを言われてしまう私の側にも非があることは、自覚しています。しかし、「神学」を完全に放棄してしまった牧師の語る説教や日々の言葉に魅力があるでしょうか。私はそうは思わない。牧師たちは、教会の現場にいるからといって神学を放棄するわけにはいかないのです。神学教師でもなければ神学博士でもない私が教会の牧師室でファン・ルーラーのオランダ語テキストを読み続けているのは、それが毎週の説教や日々の牧会に大きな力を与えてくれると信じているからです。

ファン・ルーラー研究会の結成当初からの目標は、巻数はともかく、日本語版『ファン・ルーラー著作集』を出版することです。ネットはあくまでも「手段」です。「早く人間になりたい」と願っています。しかし、「縦に立つ」本の厚さに達しないので、ネットの中から出ることができないままです。

4.キリスト教メディアへの提言

最後にいくつかの提言を述べさせていただきます。

(1)キリスト教の「ブログ本」を増やしてほしい

ブログで公開された文章をまとめた「ブログ本」が、キリスト教出版界でももっと出るようになることを望みます。ブログで読者を得た後に出版される紙の書籍は、「著訳者略歴」の内容よりも、本全体の中身の質が重視されるようになると思われます。そうなれば、日本の教界にも見られる奇妙な肩書き主義から解放される機会になるかもしれません。

(2)牧師のブログ利用を奨励してほしい

牧師が自分のブログやSNSをしていると「オタクだ」なんだと非難しはじめる人々がいまだにいる日本の教会文化の方向性が変わっていくように、キリスト教メディアからの働きかけを望みます。

(3)神学者のブログ利用を奨励してほしい

私の耳に繰り返し聞こえてくるのは、「神学とキリスト教の本は難しい」とつぶやく人の声です。しかも、その人たちの多くは「自分のアタマが悪いからだ」と自分を責めています。しかし、悪いのは読者ではなく、難しい文体で読者を悩ましている著者たちであり、訳者たちです。神学者たちこそ自分のブログやSNSを持ち、そこで自分の文章を磨くべきです。

ちなみに、現在私のFacebookの「友達」は300名強ですが、その内訳は日本キリスト改革派教会のメンバーが33%、日本基督教団のメンバーが31%(東日本大震災以降に増えました)、他教派の方が24%、そして他宗教ないし無宗教の方が12%です。年齢層は、17歳の高校生から85歳の長老まで。そのような幅広い層の方々に喜んでいただけるような文章を書くにはどうしたらよいかを常に考えています。そのような方法でも、神学の文体を磨くことができると思うのです。

(4)説教原稿のブログ公開の意義

これはまたネガティヴな話です。

牧師と信徒の間に起こるトラブルのきっかけの多くは、日曜日の礼拝での説教です。

「先生は○月○日の説教で、私に当てこするようなことを言いましたね。そのようなことをする牧師の教会にはもう二度と通うことはできません。」

「いえいえ、そんなことを私は言っていません。」

「いや、言いました。」

「いえ、言っていません。」

この種の「言った、言わない」の不毛な論争を私自身も経験してきました。

この論争の解決方法は、すべての説教原稿をブログで公開することです。そうしておけば、「読んでください」と言えば済むし、それでも済まない場合は第三者がジャッジしてくれます。

ちなみに、私が説教原稿をブログで公開しはじめて以来、その種の論争はピタリと止まりました。説教原稿のブログ公開は「自己防衛」でもあるのです。

2012年12月10日月曜日

「第四章 AKBは世界宗教たりえるか」は考えさせられました


昨日アマゾンから届きました。

濱野智史『前田敦子はキリストを超えたーー〈宗教〉としてのAKB48ーー』(ちくま新書、筑摩書房、2012年)。

205ページありますが、90分で読み終えました。「うすい」本です。

「読む」というほどのものではない。チラシです。「眺める」でいい感じ。

まあ、でも、これからお読みになる方々のことを配慮して、ネタバレはしないでおきます。

濱野という人の本は、ぼくは初めてです。1980年生まれだそうで。

「キリスト」うんぬんと言われているので総毛立つ向きもあるかもしれませんが、目くじらを立てるほどの内容ではないです。

ただ、もうちょっとヒネリというか深みというか、あるのかなと期待しましたが、そのへんはちょっと。

首筋に力が入りすぎというか。あんまり面白くはないです、文章としては。

最もきわだったテーゼはこれかなと思いました。

「筆者〔濱野氏〕の考えでは、AKBのセンター、それはキリストでも天皇でもない、おそらく有史以来誰も見たことのない、情報社会における新たな宗教的/超越的存在である」(73ページ)。

よほど好きなんだな、と思うだけです。熱意はどうぞご自由に。

しかし、「第四章 AKBは世界宗教たりえるか」は、「たりえる」と「確信」する筆者の一本調子に辟易しながらも、筆者とはたぶん全く別の視点から考えさせられるものがありました。

ぼくは「たりえないんじゃないかな」と思いながら読んだクチですが(ぼくAKB嫌いじゃないですよ)、

その理由として思い当たったのは、「だって、AKBってテレビとネットなしには成り立たない存在じゃん」ということです。

そして、「テレビ」と「ネット」は「電気」の産物。

「電気なしにはAKBは世界宗教たりえない」。

でもね、世界化した古来の宗教には「電気の力」無かったよ。

そんなことを考えさせられました。

ついでに、昨年(2011年)4月6日に、ぼくがブログに書いたことを思い出しました。

タイトルは「大節電時代の幕開けと教会の存在理由」。
http://ysekiguchi.blogspot.jp/2011/04/blog-post_06.html

なんだか恥ずかしい文章なのですが、「教会」そのものにはいざとなったら「電気」は要らないという旨、書き散らしたものです。

その意味では、聖書と神学書は、「電子書籍化」の趨勢には最後まで白旗をあげないで、「紙の本」であり続けてほしいです。

世界の終末には、たぶん「電気」は無い。

その日にも聖書と神学書を読むことができるように。

駄文、お許しください。

2012年12月9日日曜日

イエス・キリストの生まれた場所はどこですか


ルカによる福音書2・8~20

「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださたその出来事を見ようではないか』と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に留めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」

クリスマスの当日、あるいはアドベントの日曜日には、だいたい毎年、いまお読みしました個所を開いて説教してきました。私がこの教会の牧師として参りましてから来年3月で丸9年になりますので、この個所で9回目の説教になると思います。

ただし、この10時半からの朝の礼拝で毎年必ずこの個所で、ということではなく、9時半からの日曜学校の礼拝でおこなった年もありますので、この礼拝で正確に9回目ということではありません。

しかし私は、この個所の説教をするたびに、本当に難しい個所だと感じてきました。何が難しいのでしょうか。昨年も同じようなことを申し上げたかもしれませんが、いったい私はどのような顔をしながら、この個所に書かれていることを皆さんにお話しすればいいのかが分からないのです。

また、いま言ったのと同じことを反対から言い直しただけのことを申します。私が説教するときは皆さんの顔がよく見える位置にいます。この個所の話をしているときの皆さんが、難しそうな顔をしておられるのがよく見えるのです。

どうしてそうなってしまうのか、その理由はいくつか思い当たることがあります。

そのなかで私が最も申し上げたいことは、とにかくこの個所には「天使」が登場するということです。それがこの個所を難しくしている一番の原因ではないかと、私は考えています。しかも、天使が登場しなければ決して話が成り立たないほど、彼らは非常に重要な役割を果たしているのです。

しかし、天使とは何でしょうか。これが分からないのです。どのような顔をして話せばいいのかが分かりません。

聖書に出てくるので、私は天使の話をします。しかし、教会を一歩離れて、たとえば、すぐそこのマルエツのスーパーとかでお会いするご近所の方々に天使の話をできるかといえば、私にはできません。ふだんなら決してしない話を、私は、教会の中で、礼拝の中で、聖書に基づいてしています。

皆さんはどうでしょうか。今日それぞれご家庭にお帰りになって「今日は天使の話を聞いてきた」とお話しになると「大丈夫?」と心配されてしまうのではないでしょうか。

これを私はふざけて言っているわけではなくて、大真面目に言っています。真剣に言っています。くれぐれも誤解が無いように申し上げておきますが、私は、聖書に書かれていることを信じることができないというようなことを言っているのではないのです。天使の存在を信じることができないとも言っていません。

言い方はおかしいかもしれませんが、天使がいても、私は全然構いません。「いるか、いないか」と問われれば、「いるでしょうね」と答えたい人間です。しかし、「それはどのような存在なのかを説明してください」と言われても、それは答えられません。そのことが私には難しいのです。もしかしたら、私の性格が少し真面目すぎるのかもしれません。

このように考えるのは私だけはないと思うのですが、何かの話をすることを求められている者たちがその話を聞いてくださる方々に願っているのは「今日の話はよく分かった」と思っていただけることです。その内容に納得も理解もできないとしても、この人は何を言いたいのかとりあえず分かったと感じていただくことができればそれでよいと思っています。

しかし私は、天使の話をどのようにすれば、皆さんにそう感じていただけるのかが分かりません。頭を抱えてしまいます。

その点においては、先週お話ししましたマタイによる福音書に出てくる東の国の占星術の学者たちの話のほうが、まだ簡単にできるものがあります。

彼らが見たのは天使ではありませんでした。彼らは星の動きを研究しました。当時の高等な数学や天文学を駆使して、世界の運命であるユダヤ人の王の誕生を言い当てました。彼らなりの理論があり、彼らなりの合理的な結論に基づいて、イエスさまのもとにやってきたのです。

しかし、今日の個所に出てくる羊飼いたちには、学問も理論もありませんでした。彼らが見たのは彼らの前に突然現われた「主の栄光」であり、「天使」であり、「天の大軍」でした。そして、彼らは天使の声を聞き、その中で語られた救い主の誕生についてのお告げを聞いて信じたのです。

星の動きを天文学的に観察して、理論的な結論を出してきた占星術の学者たちと、全く違う方法でイエスさまのもとにたどり着いた羊飼いたちとは、大違いなのです。

私も心から尊敬している改革派教会の先輩牧師である榊原康夫先生が、今から40年も前の1972年に出版されたルカによる福音書の解説書(『ルカの福音書』いのちのことば社、1972年)の中で、今日の個所について重要な言葉を書いておられます。「羊飼いは、野宿のため神殿儀式などに参加できないので、ユダヤ教から破門され、裁判の証言も許されませんでした」(43ページ)。

これがどういうことを意味するのかといえば、羊飼いたちはふだんから聖書の言葉を学ぶことさえ許されていなかったということです。ですから、たとえばの話ですが、彼らが聞いた天使の声の内容は、彼らがふだんからユダヤ教の会堂や神殿に足を運び、ユダヤ教の祭司や律法学者たちから聖書に基づく説教を聞いていたので、その言葉を思い出したのだというような合理的な説明は成り立たないということです。

彼らは天使の夢を見たのでしょうか。つまり、彼らは野宿しながら居眠りをしていたのでしょうか。もしかしたら、そのような説明のほうがまだ成り立つかもしれません。マタイによる福音書の最初のほうに出てくる、イエスさまの母マリアの夫ヨセフについて書かれている個所には、「主の天使が夢に現れて言った」(マタイ1・20)と記されています。これで分かるのは、天使は夢の中にも現れる存在であるということです。

もしそうなら、羊飼いたちが見た天使についても、「実をいえば彼らは仕事中に居眠りしていました。それで天使が出てくる夢を見たのです」と説明したとしても、それは絶対に間違っていると責められることまでは無いはずです。天使は夢にも出てくる存在だからです。しかし、今日の個所に羊飼いたちは眠っていたとか、夢の中に天使が現れたとは、どこにも書かれていません。

しかし、このことについて、私は今日、ああでもない、こうでもないとしつこく言うのはやめます。一つのことだけに絞ってお話しします。それは、先ほど少し触れました、先週学んだ個所に出てくる東の国の占星術の学者たちと、今日の個所の羊飼いたちとの違いという問題です。

はっきり言いますが、「占星術」は、わたしたちには全く受け容れられない異教の立場です。たとえそれがどのような学問の研究に基づいていようとも、太陽や月や星の動きによってわたしたち人間と世界の運命が決定されているということはありえません。わたしたちは、そのようなことを信じることができません。それは運命論です。わたしたちが受け容れている信仰はそのようなものではないのです。

それに対して、羊飼いが見たのは「天使」でした。彼らが聞いたのは、天使の声であり、天の大軍の歌声でした。天使の存在、またその姿やその声には科学的な根拠があるのかと問われるなら、そんなものは無いと答えざるをえない。そんなのは神話だと言われればおっしゃるとおりだと答えざるをえない。そんなものを当てにして、ベツレヘムの羊飼いたちはイエスさまのもとへとやってきたのです。

今日私が申し上げたいことは、わたしたちが受け容れている信仰とはそのようなものだということです。わたしたちの信仰に科学的な根拠などはありません。

そして、今日も思い起こしていただきたいことは、わたしたちが最初に教会の門をくぐり、礼拝に出席し、説教を聞いた日のことです。

私から皆さんにお尋ねしたいことは、皆さんが初めて教会に来られたときの理由やきっかけは、太陽や月や星の動きのようなものによって決定づけられた動かしがたい運命だったのでしょうかということです。科学的理論に裏打ちされた不動の真理が、皆さんを教会の中まで運びこんだのでしょうか。そんなことはありえないと思うのです。わたしたちは、そういうふうな信じ方はしていません。

羊飼いたちが聞いた天使の声は「恐れるな」というものでした。その続きはこうです。「わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそメシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」。

これは運命論ではありません。夜通し野宿をして羊の番をすることでユダヤ教から破門されていた、過酷な労働や社会的な差別に苦しんでいた名もなき人たちへの励ましの言葉でした。そのあなたがたのために救い主が来てくださったのだという慰めの言葉でした。あなたがたは価値なき人間ではない。あなたがたのために救い主が生まれてくださったゆえに、という喜びの知らせでした。

そのしるしは「飼い葉桶に寝ている乳飲み子」である。羊飼いたちが生きている彼らの現実に近い場所で、救い主がお生まれになったのです。

イエス・キリストが生まれた場所はどこでしょうか。この質問にはいろんな答え方が考えられます。「ユダヤのベツレヘムです」という答え方もあれば、「地球です」という答え方もあります。今日の私の答えは「苦しんでいるあなたのところ」です。あなたのためにキリストが来てくださったのです。

わたしたちが教会に来て、神を礼拝することは、わたしたちの運命なのでしょうか。こうするしかない、他にどうすることもできない抗いがたい運命だから教会に来ているのでしょうか。そんなことはないのです。わたしたちには自分の意志があります。運命のリモコンに遠隔操作されているわけではないのです。

人生の苦境に立たされ、嫌な思いを味わい、逃げ場を求めていたそのとき、夢なのか現実なのか、どこからともなく、このわたしを慰め、励ましてくれる声が聞こえた。ような気がした。それでいいのです。

科学的根拠などはない。とにかく教会に来ました。このわたしのために救い主が生まれてくださった。それを信じる。

それがわたしたちの信仰なのです。

(2012年12月9日、松戸小金原教会主日礼拝)

2012年12月2日日曜日

クリスマスの意味は「キリスト礼拝」です


マタイによる福音書2・1~12

「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。『ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。」』そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、『行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう』と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を献げた。ところが、『ヘロデのところへ帰るな』と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。」

12月を迎えました。今年のクリスマス礼拝は12月23日に行います。そして今日からアドベント。クリスマスに向けての準備を始めたいと思います。

いまお読みしました聖書の個所に書かれているのは、約二千年前、ユダヤのベツレヘムでイエス・キリストがお生まれになったときの出来事です。占星術の学者たちが東の国からイエスさまのもとにやってきました。そのときの様子が書かれています。

「占星術の学者」と訳されるようになったのは、日本語の聖書の中では、新共同訳聖書がおそらく初めてです。すべての日本語聖書を調べることができたわけではないので確実なことを語れないのが残念ですが、おそらくそうです。

新共同訳聖書以前は、ほとんどすべて「博士」と訳されていました。ギリシア語でマギと呼ばれる人たちでした。マギは、わたしたちがよく知っている英語マジシャンの語源です。マジシャンならば意味が分かるでしょう。手品師のことです。あるいは奇術師です。「二千年前にイエスさまのもとにやってきたのは手品師でした」と説明するのは間違っていると思います。しかし、「彼らは占星術の学者でした」という説明は正しいのです。

占星術は大昔から、そして今でも行われています。いわゆる星占いのことです。皆さんの中にも、自分の誕生日は何座であるかをご存じの方は多いでしょう。

私も知っています。11月16日生まれですから、さそり座です。1965年生まれですから、へび年です。へび年の、さそり座生まれです。だから毒気の多い人間になったのだと、冗談のような話をすることがあります。そういう話は私にとっては冗談以外の何ものでもないです。しかし、ある人々にとっては大真面目な話かもしれません。

占星術は、大昔から高等な数学や天文学を駆使して営まれてきた一つの学問でした。その意味では、一昔前の日本語聖書で「博士」と訳されていたことには、それなりの理由があったと考えるべきなのです。

わたしたちは知らなくてもよいことだと思うのですが、世間の人たちの中には今月(2012年12月)に人類が滅亡するということを、わりと大真面目に信じている人たちがいるようです。興味のある方はインターネットでお調べになれば、そういうことがたくさん書かれていることが分かるでしょう。

そのことについて今日私は詳しく説明したりはしません。しかし、一つのことだけを申し上げておきます。それは、わたしたちはそのようなことを信じていません、ということです。今月、人類は滅亡しません。どうかご安心ください。

しかし、そのようなことを大真面目に信じている人たちは、一種の占星術や暦のようなことを根拠にしてそのようなことを言っています。ですから、私が申し上げたいことは、今月人類は滅亡しないということだけではありません。いわゆる占星術であるとか、暦であるとか、そのようなことを根拠にして主張される人類と世界の運命論のすべてをわたしたちは断固として拒否しなければなりません。そのようなことを申し上げたいのです。

なぜ断固として拒否しなければならないのでしょうか。それは結局、一つの宗教の形をとっているからです。わたしたちの宗教は、星や太陽や暦そのものが人類と世界の運命を決定するというような立場とは全く相容れません。それは、わたしたちが信じているのとは異なる、一つの宗教思想です。

先ほど申し上げた「私はへび年のさそり座です」というような話も、冗談として話すことはあっても、本気で言ったりすることはありません。冗談が通じないことが分かっている人の前では、口にすることもありません。

二千年前にイエスさまのもとにやってきた東の国の占星術の学者たちについても同じことが言えると私は考えています。

彼らについて聖書に「東の方からエルサレムに来た」とわざわざ書かれているのは、彼らがユダヤ人ではないこと、すなわち、聖書の教えを信じていたわけではなく、聖書の神を信じていたわけでもない、異なる宗教思想の持ち主であったことを示そうとしていると考えられます。

そのような人々のことを、聖書は「異邦人」と呼びます。それは、異なる教えに立つ人という意味での異教徒のことです。「異」という字を使いますと、異質な存在を差別しているとか、みくだしているとか思われてしまう可能性があるので気をつけなくてはならないのですが、わたしたちはそのようなことまでは言っていません。違いがあることは事実なので、事実を事実として述べているだけです。

しかし、ここから先が重要な点です。今日の個所に書かれていることは、聖書の教えとは異なる宗教思想の持ち主である東の国の占星術の学者たちがユダヤのベツレヘムまでやってきた、ということです。そして、そのような人々が、まだお生まれになったばかりのイエスさまの前にひれ伏して拝み、「宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」(11節)と書かれています。

彼らは、どのような方法でイエスさまがお生まれになったことを知ったのでしょうか。その方法が次のように書かれています。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(2節)。

彼らが見たのは「その方の星」でした。つまり、彼らは占星術という彼らなりの方法で調べた「星」の動きや現われ方などによって、イエスさまのご降誕を知るに至ったのです。星の動きや現われ方というようなことでイエスさまのご降誕を知ることができるのであれば、占星術というのもそれなりに信頼できるのではないか、というふうな気持ちになるかもしれません。しかし、私自身はそういうことまでは考えませんし、そのように考えるのは危険だと思っています。

しかし、それでも私には、一つのことだけは語ってよいかもしれないと思っていることがあります。それは、たとえどのような方法であれ、どのようなルートを通ってであれ、彼らがイエスさまのもとにやってきて、イエスさまの前にひれ伏し、イエスさまを拝み、自分の宝箱を開けてイエスさまへの献げものをしたこと自体は神が喜んでくださる素晴らしい礼拝だったのだ、ということです。

彼らはイエスさまを拝みました。イエスさまを拝むことが「礼拝」です。いまここで、わたしたちが行っているこの礼拝も「礼拝」です。わたしたちは今イエスさまを拝んでいます。そのことを二千年前に、異教徒である占星術の学者たちも行ったのです。彼らがしたことと、今わたしたちがしていることとは、本質的に同じことなのです。

そのように考えてみるときに、私には思い当たることがあります。それは、わたしたち自身も必ず体験したことです。それは、わたしたちにも、初めて教会の門をくぐり、礼拝に出席した最初の日が必ずあるということです。そのときわたしたちは決して、純粋な動機だけで教会に来たわけではないはずなのです。

実際私はいろんな人からいろんな動機を聞いてきました。「彼女が欲しいと思っていました。それで教会に行ったら、青年会に素敵な女性がたくさんいたので洗礼を受ける決心をしました」という話を聞いたことがあります。「音楽が好きでした。教会に行ったら素敵な賛美歌をたくさん歌っていたので、洗礼を受ける決心をしました」という話も聞きました。例を挙げれば、きりがありません。

最初の動機やきっかけは、人それぞれです。方法もルートも、人それぞれです。だれがどのような経緯をたどって教会までたどり着いたのかについて、そういう動機は不純だとか、そういうきっかけは間違っているなどと、他人のことを責めたり裁いたりすることができる人は一人もいないのです。

もしそのことを受け容れていただけるなら、占星術の学者たちがイエスさまのもとへとやってきたときの彼らの方法や動機を間違っているとか、そういう人には来てもらいたくないと考えたりすることが、いかに間違っているかを理解していただけるだろうと思うのです。

私はいま、皆さんのことをどうこう言いたいのではありません。私はかつて、牧師になりたての頃、スーパーとかデパートとか遊園地とかレストランとか、そのようなところでクリスマス、クリスマスと大騒ぎしているのを快く思っていなかったことがありました。そのことを正直に告白しておきます。

そして教会のポスターや看板やチラシの中に「本物のクリスマスをお祝いしているのは教会だけです」というような言葉を好んで書いていたことがあります。教会以外の場所で、クリスマスの何たるかも知らない人たちが大騒ぎしているのは、偽物のクリスマスであると主張したくて仕方がありませんでした。

しかし、今の私は少し変わりました。完全に変わってしまったわけではなくて、少しだけですが。しかし今の私は、動機が不純な人たちにはクリスマスのことなど口にしないでほしい、というようなことを考えなくなりました。そのようなことを考えているときのわたしたちは、自分が初めて教会に来た日のことをすっかり忘れてしまっているのです。

わたしたちのうちのだれが最初から純粋だったでしょうか。初めから神の御心のすべてを理解して教会に通いはじめる人など一人もいないのです。もしそういう人がいるなら、教会は要らないのです。教会で聖書のみことばを学ぶ前から神の御心のすべてを理解できる人がいるのなら、教会も、聖書も、そして牧師も要らないのです。

クリスマスの意味は「キリスト礼拝」です。そのことは確実に言えることです。しかし、その礼拝において礼拝されるイエス・キリスト御自身がすべての人をみもとに招いておられるのです。どんな人でも、どんな動機でも、どんな理由でも、イエス・キリストが歓迎してくださいます。

救い主は、あなたのためにお生まれになったのです。

(2012年12月2日、松戸小金原教会主日礼拝)

2012年11月26日月曜日

イミンク先生とファン・ルーラーの関係について

現在来日しておられるヘリット・イミンク先生とファン・ルーラーの関係については、そのうちご紹介しなければならないと思っていました。ぼくでよければ、近いうちにちゃんと論文を書きますよ。

ファン・ルーラーが62歳で突然亡くなった1970年の翌年の1971年にイミンク先生はユトレヒト大学神学部に入学されましたので、直接の面識は無いそうです。でも、イミンク先生にファン・ルーラーの影響が顕著であることは断言できます。

2008年12月10日の「国際ファン・ルーラー学会」においても、イミンク先生は何人かのメイン講師の一人として講演をなさいました。そのときの講演集は立派な本として出版されていますので、日本語に翻訳することも可能です。

「神の言葉の神学に立つ」という点ではファン・ルーラーも全く同じ出自ですし、そもそも20世紀のオランダ改革派教会の中で神の言葉の神学と無関係でありえた神学者は皆無と言っていいくらいです。

しかし、彼らの問題意識は、神の言葉の神学にも限界や欠点があるので、その限界や欠点をどうしたら乗り越えることができるのかということだったわけです。

そして、その克服すべき重要なポイントは「視野を広げること」にあったと言えます。神の言葉の神学はファン・ルーラーあたりに言わせれば「視野が狭すぎる」んです。

「キリスト論的集中」はバルト神学のチャームポイントでもありますが、反面の「視野の狭さ」を併せ持っています。

神は御子だけではなく、御父も御霊もおられます。神は「キリストのみ」(solus Christus)ではなく、父・子・聖霊なる「三位一体の神」です。

「キリスト論的視点」からだけの考察で神学的真理は已まず、「父神論的視点」からも、また「聖霊論的視点」からも、同時に徹底的に考え抜かなくてはなりません。

一つの物事を、オモテからもウラからも、ウエからもシタからも、ナナメからもショウメンからも観なくてはなりません。まるで大道芸人のジャグリングのように、複数のピンを同時に投げ上げ、同時にキャッチしなくてはなりません。

ファン・ルーラーの神学は、そういう神学です。そもそも「きわめて教会的実践に即した神学」でしたので、ファン・ルーラーの神学は、そもそも「実践神学」との親和性がきわめて高い組織神学だったのです。

分かりました。論文、ぼく書きます。一つだけヒントを明かしておきます(ネタバレ)。

それは、ファン・ルーラーが「視野を広げる」ための方法です。

ファン・ルーラーにとっては、神学以外の諸学(社会学や心理学や政治学など)、あるいは神学諸科における組織神学以外の諸教科(聖書神学、教会史、実践神学)の手を借りることの意義を否定することはありえないことでした。

しかし、もしその手を借りないとしても、組織神学、とくに教義学の中に本来的に潜在・伏在している「論理」を用いて「視野を広げる」ことが可能であると彼は考えていました。

そこに、彼の神学の面白さがあります。

教義学はまだ「終わって」いません。「オワコン」ではないのです。

2012年11月25日日曜日

天国は平等です


マタイによる福音書20・1~16

「『天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、「あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう」と言った。それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、「なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか」と尋ねると、彼らは、「だれも雇ってくれないのです」と言った。主人は彼らに、「あなたたちもぶどう園に行きなさい」と言った。夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、「労働者たちを呼んで、最後に来た者から初めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい」と言った。そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。「最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。」主人はその一人に答えた。「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。」このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。』」

今日も最初に少し、説教のタイトルのことに触れることから始めさせていただきます。「天国は平等です」と書きました。これは、今お読みしました聖書の個所でイエスさまがおっしゃっていることを短く一言でまとめるとこうなる、という意味で書かせていただきました。

そうしましたところ、ご覧になった方から「本当ですか」というご意見をいただきました。「とても信じられない」というニュアンスでした。なぜ信じられないのか、その理由は何となく分かります。おそらく、天国は不平等なところに違いないと思っておられるのです。

なぜそう思われるのでしょうか。その理由もだいたい分かります。天国は不平等であると思っている人は、この地上の世界こそが不平等であると感じているのです。

地上の世界は不平等です。それははっきりしています。世界にはいろんな人がいるということは、小さな子どもでも知っています。背が高い人や低い人、体力や能力や財力がある人と無い人、国籍や人種や性別。平和な国と戦争の絶えない国。世界は不平等である。しあわせな人と、ふしあわせな人がいる。

そのことを納得しなさい、受け入れなさい、我慢しなさいと言われても、それは無理だと反発する人は多いでしょう。「地上の世界なんて所詮そんなもんだ」というようなニュアンスの理解を示すことくらいはできるという人はいるかもしれません。

しかし、深刻な問題はそこから先です。「天国は平等である」という字を見ると「本当ですか」と反応し、「信じられません」という気持ちを抱く人たちは、本当は、この世界が不平等であると思っているのではないのです。あなたがた教会はどうなのですか。教会は不平等ではありませんか。そういう気持ちを抱いているのです。

このような問いかけに教会はどのように応えるべきでしょうか。今日皆さんと一緒に考えたいことは、この問題です。しかし、回りくどい話はしたくありません。すぐ結論を言っておきます。

それはイエスさまの出された結論です。イエスさまがおっしゃっていることは「天国は平等です」ということです。もしそうであるならば、教会においてもできるかぎり平等を実現していかなくてはならないのです。「天国は平等かもしれないけれども、教会は不平等であってもよいのだ」などと開き直るべきではありません。わたしたちは、他人に厳しく、自分に甘いというようであってはなりません。

わたしたちは主の祈りの中でいつも「御心が天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈ります。その意味は、神の御心が天国で実現しているように、地上でも実現できるようにしてくださいということです。地上の教会は完全なものではなく、不完全なものです。しかし教会は、天国において実現されている神の御心を、不完全ながらも地上で実現することを目指すことが求められているのです。

そのため、もし天国が平等なところであるならば、地上の教会もまた平等であることを目指さなくてはならないのです。

今日の個所に書かれているのは、イエスさまのたとえ話です。「天の国は次のようにたとえられる」と書いてあるとおりです。その内容は次のとおりです。

ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行きました。その主人は、一日働けば一デナリオンを支払いますという約束で労働者を雇い、ぶどう園に送りました。

そうしたところ、九時ごろ行くと、何もしないで広場に立っている人たちがいました。「きみたちは何もしていないなら、ぼくのぶどう園で働いてくれ。一日働けば一デナリオン支払うから」と、彼らを雇ってくれました。

十二時ごろにも三時ごろにも、何もしないで広場に立っている人たちがいたので、またその主人は、その人たちを一日一デナリオンでぶどう園に雇ってくれました。五時ごろにも行くと、同じように、何もしていない人たちがいたので、彼らも同じように雇ってくれました。

夕方になって、その日の給料を払う時間になったので、その支払いが始まりました。最初に給料を受け取ったのは、いちばん最後、五時ごろに雇われた人たちでした。約束どおり彼らに一デナリオンが支払われました。

それを見て、朝早く雇われた人たちが、ある期待を抱いたのです。五時ごろからたった一時間だけ働いた人たちに一デナリオンが支払われたのであれば、朝早くからまる一日働いたぼくたちには、もっと多くの支払いがあるだろうと考えました。しかし、その人たちに主人が支払ったのも一デナリオンだったのです。

それで、彼らは不満を感じました。しかし、主人は次のように答えました。

「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないのか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか」。

これが、イエスさまがお語りになった「天国のたとえ」です。天国というのは、このようなところであるとイエスさまはたとえを用いて説明なさったのです。

これは何の話なのか皆さんにはお分かりでしょうか。話が分かりやすくなるようにするとしたら、イエスさまがおっしゃっている「天の国」という言葉を「救い」という言葉で言い換えた上でもう一度最初から読み直してみるとよいのです。そのように言い換えることは可能です。聖書の中で「天国に行くこと」と「神の救いにあずかること」「神に救われること」は同義語だからです。

それでは「ぶどう園に雇われて働くこと」で、イエスさまは何をたとえておられるのでしょうか。これも結論だけを言います。

それは、わたしたち人間がこの地上の世界において神の御心を行うことを指しています。しかも、わたしたちがこの地上で神の御心を行うために、その前にしなければならないことは、そもそも神の御心とは何かを知ることであり、それを信じることです。具体的にいえば、神の御心が記されている聖書のみことばを学ぶことであり、それを信じることです。

聖書のみことばを学ぶためにわたしたちにできることは、地上の教会に属し、礼拝に参加することです。そのことをイエスさまも考えておられます。イエスさまもまた(シナゴーグで)安息日ごとに行われた礼拝の中で、聖書のみことばを説教しておられたからです。

ここまで申し上げれば、朝早くから雇われた人と、九時ごろ雇われた人と、十二時ごろ雇われた人と、三時ごろ雇われた人と、五時ごろ雇われた人の区別においてイエスさまが何をたとえておられるのかがお分かりになるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。まだ分からないでしょうか。

これも結論だけを言います。ぶどう園での「一日」は、わたしたちの一生です。朝早くと、九時と、十二時と、三時と、五時。これはわたしたちの年齢です。「朝早く」は生まれたばかりのとき、「九時」は子ども時代、「十二時」は青年、「三時」は中年、「五時」は高齢であると考えてよいでしょう。

たとえば私は先々週、47歳の誕生日を迎えました。47年間のすべてにおいて教会に通ってきました。これは威張って言うことではありません。べつに威張るようなことではありません。しかしとにかく私は47歳で47年間、教会に通ってきました。そのような者である私は「朝早くから雇われた人」に当てはまると考えることができるはずです。

このように考えれば、イエスさまのおっしゃっていることの意味はもうお分かりになるでしょう。このぶどう園の主人は、一時間しか働かなかった人にも、まる一日働いた人にも、同じ一デナリオンを支払ってくださるという、とても気前の良い方です。その方は、子どもの頃から教会に通ってきた人にも、高齢になってから教会に通いはじめた人にも、天国においては全く等しい報いを与えてくださる方であるということです。

イエスさまがおっしゃっていることは、まさにそのことです。地上における教会生活にはたくさんの苦労が伴います。つらいことだらけ、嫌なことばかりという面も無きにしもあらず、です。しかし、だからといって、天国においては教会生活の長い人と短い人との差別は無いのです。天国に別の部屋は無いのです。神はどちらの人にも等しい天国の恵みを与えてくださるのです。それが今日の説教の「天国は平等です」というタイトルの意味です。

このような話を聴いて「ねたみ」を起こすのは、教会生活が長いほうの人々かもしれません。神はずるいとか、教会生活の長さは関係ない、天国の報いは同じであるというなら、教会生活そのものがばからしいなどと言い出しかねないのは。

教会生活の経歴が長い人たちは、地上において、すでに長い間、神の恵みと祝福を豊かにいただいてきたことに感謝すべきです。しかし、教会も間違いを犯すことがありえます。教会生活の長い人と短い人とで差をつけようとする。奇妙な配慮が働いたりする。

そういうことを教会がしてしまうとき、「天国は平等です」と教会が言っても「本当ですか」と疑われてしまうのです。そのようなことで教会が間違いを犯さないようにイエスさまが戒めておられるのです。

(2012年11月25日、松戸小金原教会主日礼拝)