2011年5月6日金曜日

ブログサイト大工事中

実はまだ大工事中なのですが、時間を見つけては、私が管理しているブログサイトを少しずついじっています(日曜大工のようなものです)。

��1)「改革派教義学」や「キリスト教倫理」などのサイトは廃止し、すべて「ファン・ルーラー著作集」に統合しました。と言っても、未整理のままですが。

��2)「ファン・ルーラー著作集」サイトの名称を「A. A. ファン・ルーラー著作集」に変更しました。

��3)これで「今週の説教」と「A. A. ファン・ルーラー著作集」と「関口康日記」の三つに整理されました。説教と神学と日記の三部作です。

【説教】 今週の説教
http://sermon.reformed.jp/


【神学】 A. A. ファン・ルーラー著作集
http://vanruler.protestant.jp/


【日記】 関口 康日記
http://ysekiguchi.reformed.jp/


��4)「A. A. ファン・ルーラー著作集」に含まれるウェブページの全リストは、右サイドバーの「ウェブページ」でご覧いただけます。トップページには、まだほんのちょっとしかありませんが、これまで私が訳してきたものの一部をまとめておきました。

これらのことをすべて、日本の教会と社会に有益な情報を提供したい一心で続けています。ご理解とご協力をいただけますと幸いです。


ファン・ルーラーの「喜びの神学」に秘められたもの

牧田吉和(ファン・ルーラー研究会顧問、神戸改革派神学校校長)


(これは2002年9月2日〜3日「ファン・ルーラー研究会セミナーin 熱海」(静岡県熱海市)で行われた基調講演であり、その後『キリスト新聞』2002年11月9日第2800号において、講演者ご本人が紙面向けにまとめた要旨として掲載されたものです。本サイトへの掲載は、キリスト新聞社の了解を得ています。無断転載は固くお断りいたします)

「喜びの神学者」ファン・ルーラー

「救いの究極、福音の結晶は、『喜ぶこと』『純粋に喜ぶこと』『審美的なもの』なのである。絶望や疑いの要素から全く自由にされて、『神を喜ぶこと』『世界を喜ぶこと』そして『自分を喜ぶこと』である」。

これはオランダの改革派神学者アーノルド・ファン・ルーラーの言葉です。ファン・ルーラーは「喜びの神学者」と呼ばれています。冒頭の言葉はその呼称の正当性を証しているでしょう。さらに、「喜びの神学者」としてのファン・ルーラーは「聖化において本質的なことは、(プロ・サッカーチームの)アヤックスやフェイエノールトを楽しむことにある」とまで言い放ちます。このような奇想天外とさえ言いうるほどの“喜びの神学”の主張に秘められたものは、いったい何だったのでしょうか。

被造性を喜ぶことと神の栄光

ファン・ルーラーの主張を理解するために、まず彼の創造論に注目すべきでしょう。彼にとって、創造は、神の善意に基づく、神の自由な主権的業です。必然や強制ではないという意味で、創造はいわば神の「遊び」、神の「贅沢」に属する業です。したがって、世界は、神ご自身が「はなはだ良かった」と満足された善き創造であり、神の喜びとしての本来的な実在なのです。ですから、人間にとって重要なことは、神の「遊び」、神の「贅沢」に対応して、それを「楽しみ」「喜ぶ」ことが本来的なこととして理解されることになります。被造的実在そのものを喜ぶことの中に聖化の本質があることにもなります。

しかし、それにしてもサッカーを楽しむことに聖化の本質があるなどとなぜ言うのでしょうか。この意味を理解するためには、創造についてさらに考える必要があります。ファン・ルーラーは被造物に言及するときに、意図的に「物質性」「身体性」「事物性」などという表現を用います。その理由は、神が不可見的な、霊的な存在であるのに対して、被造物がその被造物性を端的な姿で現わすのは内的・霊的な側面よりも、可見的な「物質性」「身体性」「事物性」においてだからです。サッカーにはさまざまな要素がありますが、少なくとも「身体性」に緊密に関わります。サッカーを楽しむことに聖化の本質があるというのは、神の善き創造の賜物としての「身体性」を喜ぶことと結びついているからです。

ファン・ルーラーがあのような誤解を招きかねない表現を用いたのは、それによって「物質性」「身体性」「事物性」を無意識的に圧迫してきたキリスト教的伝統を告発したかったからです。キリスト教信仰は、霊的なものと物質的なものの両者を被造物に含ませますが、目に見えない、霊的なものの方がより価値があるかのように見なす傾向を持っているからです。ファン・ルーラーは、むしろ「物質性」「身体性」にこそ被造物性が最も鋭く現れているのであり、それを喜ぶことにおいて神を神とし、神の栄光を現わすことになるというのです。それゆえにあのレトリックが聖化の本質を表現するために用いられたのです。

グノーシスのパン種への鋭い批判

以上のように考えると、ファン・ルーラーの「喜びの神学」の主張の背後には鋭い神学的批判が隠されていることが明らかになります。その狙いは、物質的なものや身体的なものを蔑視する「古代グノーシスのパン種」をキリスト教信仰と神学から徹底的に排除することです。ファン・ルーラーは、このパン種はキリスト教思想の中に今日に至るまで脈々と生き続けていると見ています。この問題性は終末論において最も鮮明に現われます。

ファン・ルーラーは栄光の神の国において、「三位一体の神と贖われた純然たる『事物性』」が最終的に残ると力説します。ここでも「事物性」が強調されます。この主張は、アウグスティヌス以来、継承されてきた信仰の定式、「われわれは、世界、つまり被造物的実在をただ用いること(uti)だけがゆるされており、またわれわれは神ご自身のみを楽しむこと(frui)がゆるされている」という定式に対する根源的批判です。世界を「用いて」神の栄光のために奉仕をし、終末においては「ただ神の栄光を崇め、神を喜ぶ」ことだけが残されている、ファン・ルーラーはこの定式にこそグノーシス的・ギリシャ的思惟のパン種が潜んでいると洞察するのです。そこでは「神を喜ぶ」ことはあっても、神の喜びの対象としての「世界を喜び」「自分を喜ぶ」ことが位置づけられていないからです。このことを別にして、「神を喜ぶ」ことは冒涜的でさえありうるというのです。

終末の栄光の世界において、「事物性」は本来的意味を持っており、したがってただ「神を喜ぶこと」だけではなく、同時に「世界を喜ぶこと」「自分を喜ぶこと」が含まれていなければならないと主張するのです。それが冒頭の彼の言葉の意味です。

「グノーシスのパン種」を潜めやすい日本の教会はファン・ルーラーの「喜びの神学」の主張とそこに秘められている鋭い神学的批判を真摯に受け止めるべきでしょう。その時、日本の教会は、世界を、とりわけ「事物的・身体的」世界を喜びのうちにまっすぐに見つめる勇気を与えられます。そこでは政治的事柄でさえ、本来聖なる、美しい事柄として把握され、倫理もまた喜びに満ちた、人間がまさに人間として立ち上がる倫理として大胆に展開されることになるでしょう。


日本におけるファン・ルーラー

牧田吉和(ファン・ルーラー研究会顧問、神戸改革派神学校前校長)

「日本におけるファン・ルーラー」。おそらくこの主題が『デ・シフィターテ』の読者各位の関心事であり、お知りになりたいことであろう。ファン・ルーラーは一度も日本を訪れたことがない。「日本におけるファン・ルーラー」ということを我々はどのようにして語ることができるのだろうか。

ファン・ルーラー自身は一度も日本に訪れたことがない。しかし、彼の神学的著作は英語やドイツ語に訳されて日本にやってきた。現在我々は『宣教の神学』と『われ信ず』〔使徒信条講解〕の日本語版を手にしているが、残念ながらドイツ語版からの重訳である。それらの著作を通して、またファン・ルーラーがその中で大きな役割を果たしているJ. モルトマンやR. ボーレンの神学的著作を通して、日本の神学者たちはファン・ルーラーの神学を知るようになった。現在、日本の多くの神学者たちがファン・ルーラーの神学に多大な関心を抱いている。それで今や我々は「日本におけるファン・ルーラー」というテーマについて語ることができるのである。

ファン・ルーラー研究会は1999年2月20日に発足した。現在の会員は47名〔2001年当時〕である。インターネットを用いてファン・ルーラーの神学論文をオランダ語から日本語に翻訳することが我々の活動である。我々はこのやり方で翻訳に取り組んでいるだけではなく、ファン・ルーラーの思想についての神学議論も行っている。ときどきユトレヒト大学のF. G. イミンク教授やニューブランズウィック神学校のP. R. フリーズ教授が我々の翻訳や議論を指導してくださっている。フリーズ教授は1979年にユトレヒト大学でファン・ルーラーに関する博士論文をお書きになった。先生方のご指導に非常に感謝している。

これまで我々が日本語に訳してきたファン・ルーラーの論文は「地上の生の評価」 「説教の定義」 「モーセの律法の意義」である。我々は日本語版著作集の出版を計画している。2001年9月3日には、大阪に近い園田教会でファン・ルーラー神学に関するシンポジウムを行いたいと願っている。

おそらく読者各位の質問は、日本の教会にとってのファン・ルーラーの意義は何かということではないかと思う。我々は熱狂的なファン・ルーラー信奉者のようなものでは決してない。それどころかファン・ルーラーの思想には「メシア的間奏曲」というような非常に大きな問題の要素があると見ている。とりわけ、新しきエルサレムにおけるキリストの人間性の放棄、相対的に自立した聖霊論、思想の思弁的傾向などに問題を感じている。

しかし我々の確信によると、ファン・ルーラーの神学には日本の教会にとって一つの大きな意義がある。我々は仏教社会の真ん中で生活している。仏教思想はグノーシス主義と酷似しているものである。日本の教会はこうした仏教的・グノーシス主義的な思想の影響を受けている。そのことは、日本においてはキリスト教信仰が精神的で個人的で私的な事柄として理解されてしまうだけではなく、非歴史的性格を帯びてしまいやすいということを意味している。要するに我々は、日本のキリスト教の体質はアナバプテスト〔再洗礼派〕的であると語ることができるのである。

このような精神的環境において、ファン・ルーラーの「終末論的・三位一体的神の国神学」は、我々にとってきわめて大きな価値を持っている。この神学は歴史を、始源と終末の間の緊張の場として、贖いと創造の総合として見つめる視座を我々に与えてくれる。その総合における聖霊論のユニークな役割、創造論への強調、地上の生への高い評価などにおいて、我々は日本のキリスト教の弱点を克服するための重要な鍵を見出すことができるのである。

我々はファン・ルーラーの思想を研究するために国際的協力関係を持つことを願ってきた。将来、国際的レベルでファン・ルーラー神学についてのシンポジウムが行われることを心から期待している。おそらく我々はそのシンポジウムでお目にかかることができるであろう。そして、ファン・ルーラーの「喜びの神学」について喜びをもって語り合うことができるであろう。

[解説]

オランダでは著名な神学雑誌『デ・シフィターテ』(ユトレヒト大学改革派キリスト教学生会発行)の編集長マーク・ワレット氏が、ファン・ルーラー研究会のホームページを見て強い関心を寄せてくださった。「ぜひわれわれの雑誌に掲載させていただきたいので、研究会の紹介文を書いてほしい」という依頼のメールがファン・ルーラー研究会宛に届いたとき、我々は大いに感激した。さっそく顧問の牧田吉和先生がオランダ語で論文を書いてくださった。それが『デ・シフィターテ』創刊50周年記念「ファン・ルーラー特集号」(年刊第51巻第 5号、2001年 4月)に掲載された。したがって、本論文の著作権は『デ・シフィターテ』編集部が保有しており、ファン・ルーラー研究会は、これを同編集部の許可を得て公開している。転載等は固くお断りする。

Yoshikazu Makita, Van Ruler in Japan, De Civitate, Civitas Studiosorum in Fundamento Reformato, Utrecht, April 2001, Jaargang 51, nummer 5, p.19 vlg.

(関口 康訳)

Van Ruler in Japan (Dutch)

Prof. Drs. Yoshikazu Makita

"Van Ruler in Japan". Dit onderwerp is misschien interessant voor en werkt de nieuwschierigheid van de lezers van "De Civitate". Van Ruler  heeft nooit een bezoek naar Japan gebracht.  Hoe kan men dan iets zeggen over "Van Ruler in Japan" ?

Van Ruler zelf is wel nooit naar Japan gekomen. Maar zijn theologische werken die in het Engels of in het Duits werden vertaald zijn naar Japan gekomen. Nu hebben wij zijn " Theologie van het Apostolaat" en "Ik geloof" in het Japans, die beide helaas vanuit Duits werden vertaald.  Daardoor en ook door de theologische boeken van J. Moltmann en R. Bohren waarin de theologische gedachte van Van Ruler een belangrijke rol speelde, hebben Japanse theologen kennis van de theologie van Van Ruler genomen. Tegenwoordig hebben vele theologen in Japan een grote belangstelling voor Van Ruler's theologie. Daarom kunnen wij nu iets over "Van Ruler in Japan" zeggen.

Op 20 februari 1999 is de societeit van Van Ruler-studie ontstaan. Wij hebben tegenwoordig 47 leden. Wij zijn bezig met de vertaling van Van Ruler's  theologishe opstellen uit het Nederlands in het Japans via het Internet. Via dit medium werken wij niet alleen aan vertaalwerk, maar voeren wij ook theologische discussie over de gedachten van Van Ruler. Soms geven prof. dr. F. G. Immink van Utrecht en prof. dr. P. R. Fries van de New Brunswick Theological Seminary, die een proefschrift over Van Ruler te Utrecht in 1979 schreef, adviezen voor onze vertaling en discussies. Wij zijn zeer dankbaar daarvoor.

Tot nu toe hebben wij de volgende opstellen van Van Ruler in het Japans al vertaald: "De waardering van het aardse leven", "Preekdefinities" en "De betekenis van de mozaische wet". Wij zijn van plan een bundel opstellen in het Japans te publiceren. Op 3 september 2001 zullen wij een theologisch symposium over de theologie van Van Ruler in de Sonoda Reformed Church vlakbij Osaka houden.

Misschien wilt U vragen wat de betekenis van Van Ruler voor Japanse kerken is. Wij zijn geen fanatici van Van Ruler. Wij zien toch zulke problematische  elementen in de gedachte van Van Ruler als die van messiaans intermezzo, vooral het afleggen van de menselijke natuur van Christus in het nieuwe Jerusalem, een relatief-zelfstandige  pneumatologie, speculatieve tendens van zijn denken enz.

Maar naar onze overtuiging is de theologie van Van Ruler van een grote betekenis voor kerken in Japan. Wij leven in het midden van de bueddhistische religieuze wereld. De gedachte van bueddhisme heeft een sterke affiniteit met gnosticisme. De kerken in Japan is onder meer onder de invloed van zulk een bueddhistisch-gnostisch denken. Dat betekent dat het christelijk geloof hier in Japan alleen maar als een geestelijke, individuele en private zaak kan worden begrepen. En het kan ook een a-historische karakter dragen. In het kort kan men zeggen dat het wezen van het christendom in Japan anabaptistisch is.

In zulke een geestelijke omgeving is de eschatologish-trinitarische rijkstheologie van Van Ruler zeer waardevol voor ons. Zij geeft ons perspektieven voor de geschidenis, het spanningsveld  tussen proton en eschaton, (begin en einde, wording en voltooiing,red.) de synthese van de verlossing met de schepping, een unieke rol van de pneumatologie in de synthese, en ook een sterke accent op de schepping, dus de waardering voor de aardse leven enz. Hier kunnen wij een belangrijke sleutel vinden om zwakheden van het christendom in Japan te overwinnen.

Wij zouden graag een internationale samenwerking met betrekking tot de studie over de gedachten van Van Ruler willen hebben. Wij hopen van harte dat er in de toekomst een theologisch symposium op internationaal niveau over de theologie van Van Ruler gehouden zal worden.  Misschien  zullen  wij op dat symposium elkaar ontmoeten en over "de theologie van de vreugde" van Van Ruler met vreugde praten kunnen .

(Adviseur van Van Ruler Translation Society Japan en Rector van de Kobe Reformed Theological Seminary)


Van Ruler in Japan (English)

Yoshikazu Makita

(Adviser of Van Ruler Translation Society Japan, Pastor of Yamada Church, Reformed Church in Japan, Pre-principal of  the Kobe Refomed Theological Seminary)

"Van Ruler in Japan". This topic probably attracts the interest of and arouses curiosities of the readers of "De Civitate". Van Ruler had never visited Japan. Then, how can we talk over "Van Ruler in Japan"?

Even though Van Ruler himself had never been in Japan, some of his theological works came over to Japan as translated versions in English and in German. Now we also have his "Theology of the Apostrate (Theologie van het Apostolaat)" and "I Believe (Ik geloof)" in Japanese, though regretfully both of them were translated from German versions. These and also the theological books of J. Moltmann and R. Bohren, in which the theological thoughts of Van Ruler play an important roll, have made Japanese theologians acquainted with the theology of Van Ruler. Recently many theologians in Japan are greatly interested in Van Ruler's theology. Therefore, now we can talk over "Van Ruler in Japan".

On February 20, 1999 this society of Van Ruler-study started. We have currently 47 members. We are engaged in translating Van Ruler's theological articles from Dutch to Japanese via Internet. Through this medium we are not only engaged in translating but also holding a theological discussion over the ideas of Van Ruler. Sometimes prof. dr. F. G. Immink of Utrecht and prof. dr. P. R. Fries of the New Brunswick Theological Seminary, who submitted the doctoral dissertation on Van Ruler to Utrecht in 1979, give advises for our translating work and discussion. We are very grateful to them.

We have already translated the following articles of Van Ruler to Japanese: "De waardering van het aardse leven (The Appriciation of the Earthly life)", "Preekdefinities (The Definition of Preaching)" and "De betekenis van de mozaische wet (The Significance of the Mosaic Law)". We are planning to publish the collection of articles in Japanese. On September 3, 2001 we'll hold a theological symposium on the theology of Van Ruler at the Sonoda Reformed Church located close to Osaka.

Probably you'd like to ask what is the significance of Van Ruler for Japanese churches. We are no fanatics of Van Ruler. Rather we find such problematic elements in the thoughts of Van Ruler as those of "messiaans intermezzo (Messianic Intermezzo)", especially the taking off of the humanity of Christ in the New Jerusalem, the relatively independent pneumatology, speculative tendency of his thinking, etc.

But we are convinced that the theology of Van Ruler has a great value for churches in Japan. We live in the middle of the Buddhistic world. Buddhistic thoughts have a strong affinity with gnosticism. The churches in Japan is much influenced by such a Buddhistic-gnostic thinking. It means people may take the Christian faith here in Japan only as a spiritual, individual and private matter. And also it may lose its historical character. In short, we could say that the nature of Christianity in Japan is Anabaptistic.

In such a spiritual environment, Van Ruler's eschatological-trinitarian theology of kingdom is of great value for us. It gives us perspectives for the history, the field of tension between proton and eschaton (the beginning and the end, origin and completion, edit.), the synthesis of the redemption with the creation, a unique roll of the pneumatology in the synthesis, and also a strong accent on the creation, accordingly the evaluation for the earthly life, etc. Here we can find a important key to overcoming the weaknesses of the Christianty in Japan.

We would like to have a international cooperation concerning the study over the thoughts of Van Ruler.  We heartily hope that a theological symposium on international level over the theology of Van Ruler shall be held in the future. Probably we shall meet each other at that symposium and be joyfully talking over "the Theology of Joy" of Van Ruler.

Translated by Takao Kiyohiro

イラク戦争についての「クリスチャン同盟」(オランダ)の公式見解

2003年3月20日木曜日

武力手段を伴うイラクに対する強制的武装解除が、今夜開始されました。外交的努力は失敗に終わり、サダム・フセイン自ら、究極的最後通告を下に置いたため、残念ながら、戦争は明らかに回避不可能になりました。

この時点でのわれわれの思いは、特にイラクの国民に対して向けられています。クリスチャン同盟(ChristenUnie)は、一般市民の犠牲者をできるだけ出さないこと、また、この行為がすみやかに終結されることを望み、かつ祈ります。

われわれは頭と心をもって共に生きており、この軍事行動にかかわる兵士たちとその家族と共に生きています。

もちろんわれわれは、国際的テロリズムとの戦闘に寄与したアフガニスタンにおけるオランダ人兵士たちや、その国民をイラクの不測のロケット攻撃から防御しなければならなかったトルコにおけるオランダ人兵士たちのことも思い起こします。

この武装解除行為をもってイラク国民が自由にされること、そこに真の平和と安定が訪れ、国際正義が開花することこそが、われわれの切なる望みであり、祈りです。クリスチャン同盟は、オランダがイラク難民の救助活動を支援し、かつ戦後の国家再建に寄与することこそが非常に重要である、と考えています。

クリスチャン同盟下院議員団

2003年3月19日水曜日

「われわれは、誰も望んでいない戦争の前夜に立っている」。そのようにブッシュ大統領は演説しました。

まさしくそのとおりです。同時にわれわれは、サダム・フセインのような独裁者がその中で思いのままに振舞うことができないような安全な国際社会を望んでいます。

これらのことは、常に調和するものではありません。キリスト教同盟は、奇跡が起こることを祈っています。しかし、戦争は、残念ながら回避できないものになったようです。

米英によるイラク攻撃は、正当化されるものでしょうか。クリスチャン同盟は、この難しい問いについて、3月18日の火曜日に一つの答えを出さなければなりませんでした。

それは容易ではありませんでした。それどころか、非常に難しいものでした。

戦争は恐ろしいものです。サダム・フセインは12年にわたってイラクを平和的なやり方で武装解除すべきでしたが、この時までそのことを拒んできました。イラクは中東ならびに全世界の平和にとっての危険です。

そのため、われわれの考えでは、国連第 1441号決議が最終手段としての軍事的介入の法的根拠です。アンドレ・ルーフート党議員団長は、下院での議論の中で、クリスチャン同盟の立場をまとめて説明しています。

原文はクリスチャン同盟(CU)ホームページ掲載

(関口 康訳)

イラク戦争についての「キリスト教民主同盟」(オランダ)の公式見解

バルケネンデ首相が2003年3月20日の対イラク戦闘行為開始後に発表した談話

関口 康訳

今夜、米国、英国、オーストラリアは、サダム・フセイン政権に対する戦闘行為を開始しました。それはわれわれが非常に長い間できるだけ防ぎたいと願ってきたことです。この戦争については、国際的にも、我が国の中でも、異なる思いがあります。オランダに住む非常に多くの人々はサダム・フセインに対して武器をとることを擁護すべきかどうかという問いと格闘しています。戦争は激しい感情を呼び起こします。わたしはそのことを理解しています。

だれもが平和で安全な世界を求めています。人々は、政治においても社会においても、平和で安全な世界のために労し、またそのために祈っています。

平和とは傷つきやすいものです。一つの政権が長期にわたって脅迫と恐怖政治の道を選んできたことは明白です。国際社会は、国際協定に我慢と忍耐を要求し、脅迫を取り除くことを試みているのです。

我慢強いことは立派なことでありえます。しかし、限度が無いわけではありません。なぜなら、そのとき、正義と平和の根拠が危機に瀕するからです。

サダム・フセインは、正義と平和にとって大きな危険です。この点では、世界のほとんどすべての国が一致しています。

彼は二度にわたって隣国を襲撃しました。彼は隣国に対して 、また自国に住むクルド人たちに対して、化学兵器を使用しました。非常に多くの人々が、彼の恐怖政治の犠牲者になりました。そして彼は、国際社会が繰り返し彼とかわしてきた協定を真剣に受け止めませんでした。

国際連合は、12年もの間サダム・フセインに対し、何よりまず、自ら武装解除することを呼びかけてきました。国際社会は、12年間の長きにわたる我慢と根気強さとをもって、その解決のために働きかけてきました。国連の安全保障理事会は、彼に協力してもらうために17の決議を採択しました。

昨年11月には、第1441号決議をもって、最後のチャンスを彼に提供しました。その決議は直接的な協力を求めるものであり、それ以外の場合は深刻な結果がもたらされるであろうというものでした。そしてサダムは、耳を傾けることを再び拒否しました。彼は今なお、大量の生物化学兵器が備蓄されている場所を申告していないのです。

われわれは、国際連合という方法によって解決を見出すために、あらゆることをしてきました。しかし、その方法は―12年間付き合った後―今週で終わりを迎えました。

これまでに多くの人々が国際法秩序の重要性について指摘してきました。そして、その指摘は正当なものです。しかし、その法秩序にとってふさわしいことは、正義を長年にわたって堂々と踏みにじってきた人々が際限なく無罪放免されるわけではない、ということでもあるのです。

そのため、オランダは、サダム・フセインに対抗すべく開始された戦闘行為に政治的支援を与えます。自由と安全こそが最高の目的なのです(そして、それはイラク国民自身にとっての自由と安全でもあります)。

オランダに軍事協力を行う意思はありません。オランダ人男女を戦場に投入するとすれば、それは議会や社会の中に幅広い支持があった場合に限られます。

今や戦闘行為は開始されました。しかし(願わくば即座に)武器の音が鳴り止む時が来ます。そのときわれわれは、イラクに住む人々を彼らの国の再建をもって助けるために、われわれの資力をみんなで用いていかねばなりません。

今日起こった出来事は、われわれすべての者たちに強い印象を与えました。われわれの心と頭は、このことで一杯です。誰もがそれを、それぞれの仕方で注視しました。われわれが自らの見方や意見を互いに分かち合うことが大切です。それが効果的でありえます。感情的にもなりえます。しかし、他者の意見を尊重することが常に大切です。なぜなら、この尊重こそが、われわれの民主主義の根拠だからです。

われわれは島国ではなく低地(ネーデルラント)で生活しています。国際的な緊張の時代には用心が必要です。政府は人々の安全のために予防措置を講じ、打ち立て、オランダにおける予測をできるかぎり確かなものにしてきました。絶対的な確かさを確保することは、われわれのような開かれた社会においては不可能です。しかし、可能な限りの措置は取りました。

今やわれわれの思いは、何よりもまず、イラク国内と周囲にいる人々の傍らにあります。そして、もちろん、この戦争行為にかかわる人々の家族の傍らにもあります。わたしは、武力行使についてはすみやかに終わりを迎えてほしいと、全身全霊から望んでいます。罪なき人の命を大切にすること。そして、危害を限定することです。

平和と安全、それと共に、われわれにとってより良き未来がもたらされることだけを、わたしは望んでいます。

キリスト教民主同盟(CDA)ホームページ掲載


ニューブランズウィック神学校教授会の「四旬節にあたってのジョージ=ブッシュ大統領への書簡」

(これは、2003年3月20日イラク戦争勃発の直後に米国ニューブランズウィック神学校教授会が発表したブッシュ大統領宛の書簡です。市川康則氏(神戸改革派神学校教授)と田上雅徳氏(慶應義塾大学法学部助教授)の共訳で、キリスト新聞2003年4月14日付に掲載されました。)



大統領閣下



大統領閣下、わたくしどもは閣下がキリスト者としての信念を堅く持っていらっしゃることを、よく存じ上げております。それゆえわたくしどもは閣下を、アメリカ大統領としてだけでなく、信仰と洗礼と希望においてわたくしどもと結ばれたひとりの兄弟(エフェソ4:5)としても思い浮かべながら、以下、謹んで申し上げることにいたします。わたくしどもは良きアメリカ国民として、同胞の安全および世界の諸国民の解放について、深い関心を閣下と共にするものであります。わが国が安全と平和を達成し、世界中の人々が男であれ女であれ人権を享受するに至る最も確かな道は、わたくしどもキリスト者が諸国民の主にして平和の君と恭しく呼ぶお方によって示されている、キリスト者としてわたくしどもはそう確信しております。閣下、閣下は神によって強大な権力を委ねられており、それはおそらく、人類がこれまで誰一人として知ることのなかったものでありましょう。それゆえわたくしどもはこの四旬節にあたり祈ります。わたくしどもの主がより大いなる力を行使したもうこと、そのことを閣下が思い起こされますように。そしてまた、ここで想起されたことが、御自身の掌中にある権力を閣下が行使なさるときの指針となりますように。



閣下はご自身が、平和を追求することにかけては平和主義者であると、事ある毎に言明してこられました。そしてわたくしどもは、閣下のお言葉が嘘偽りのないことを認めるのにやぶさかではありません。また第2次世界大戦が例証するごとく、その名に値する平和に至るためには武力衝突が不可避となる状況もありうるのだということを、わたくしどもは理解しております。不幸なことですが、二つの悪を目の前にしたとき、戦争がより小さな悪となることもあり得ましょう。



しかし現在のイラクとの紛争は1940年代のそれと比較できるものではありませんし、また、当時効果のあった対策も現在の状況には適用不可能です。戦争は平和を招来いたしません。米国がイラク侵攻によって残すであろう恐るべき負の遺産は、ほぼ間違いなく、侵攻以前の状況よりも悪いものに違いありません。この戦争の結果見込まれ得るものがあるとすれば、それは、アメリカとその同盟国に対する激しい憎悪、テロリスト組織のネットワーク拡大、不安定で一触即発の中東情勢、イスラエル・パレスチナ間の紛争解決の泥沼化、国連の機能不全ないし崩壊の可能性、我々の子・孫・ともすれば曾孫の世代にまで及ぶ過重な負債であります。当面の事柄を考えてみましても、アメリカの戦争テクノロジーを突きつけられている現状の中で、イラク国民がいま被っているこの世の終わりを思わせるような恐怖は測り知れず、また不当なものです。このイラクとの戦争は、公正で持続可能な平和を約束するものではありません。この戦争は決して正当化され得ないのです。それは主によって祝福されることはなく、むしろ裁かれるでありましょう。



わたくしどもはサダム=フセインの野蛮な専制政治を遺憾に思いますし、閣下と同じく、イラクにおける体制の変革を望んでおります。それゆえわたくしどもは閣下に強く訴えるのです。どうか閣下が直ちに戦闘を終結させ、いま体制変革を実現可能ならしめる他の方針のいずれかを採用し、そしてイラク国民に自由をもたらしてくださいますように。閣下のなされた選択は誤りであるとわたくしどもは堅く信じておりますが、にもかかわらず、閣下と同胞、そしてわが軍隊のために引き続きお祈り申し上げることは誓約いたします。と同時にわたくしどもは、主に命じられておりますように、わたくしどもの「敵」のために祈り続けることでしょう。そしてまた、閣下と閣下の政府とが戦争を中止なさるよう、わたくしどもは引き続き強く訴えていく所存です。わたくしどもはキリストへの信仰に駆り立てられて、まさにかく為すものであります。



ニューブランズウィック神学校教授会
ニュージャージー州ニューブランズウィック



ジョン・コークリー         ハックジュン・リー
ポール・R・フリーズ        リチャード・E・スターン
ルネ・S・ハウス          ベス・ラニールタナー
ノーマン・J・キャンスフィールド デーヴィッド・W・ワーンダー
マーク・クラーイ          ヴァージニア・ワイルズ



ご案内:ニューブランズウィック神学校教授会は、読者がこの声明書に署名してくださるようお願い申し上げます。お名前を裏面にご記入ください。写しをブッシュ大統領に送付いたします。



私たちはニューブランズウィック神学校の声明書に同意します:
[以下、名前を書く欄]



最後の署名なさった方はこの署名用紙をニューブランズ神学校、ポール・R・フリーズ教授にご返送ください。(神学校所在地:17 Seminary Place / New Bruswick, NJ 08901 / U. S. A.)



第5回神学セミナー報告

2007年9月10日(月)、11日(火)、「ファン・ルーラー研究会第5回神学セミナー」を盛会のうちに行うことができました。テーマ「ファン・ルーラーの教会論」、会場・日本キリスト教団頌栄教会(東京・下北沢)。温かいご理解とご協力をいただきました皆様に厚く御礼申し上げます。



P9100006_2 (右・牧田吉和、左・関口 康)





■ ダウンロード





○ 主題講演 牧田吉和氏 (ファン・ルーラー研究会顧問、日本キリスト改革派山田教会牧師)



「ファン・ルーラーにおける“喜びの神学”」



○ 研究発表 関口 康氏 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師)



「伝道と教会形成、そして神学――A. A. ファン・ルーラーの『教会的実践』の軌跡――」



○ 案内ポスター



「ファン・ルーラー研究会神学セミナーのお知らせ」





P9100007



牧田吉和先生による第5回神学セミナー主題講演「ファン・ルーラーの“喜びの神学”」の音声(MP3)をお楽しみいただけます。00~08のプレイボタンをクリックしてください(英語版サイトもご覧ください)。



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主題講演のレジュメ(PDF)は、ここをクリックするとダウンロードしていただけます。



米国ファン・ルーラー学会報告

Aavanruler



「国際ファン・ルーラー学会」が以下の日程で開催された。



日時 2007年10月5日(金)午前9時~午後4時



会場 ニューブランズウィック神学校 改革派教会センター(アメリカ合衆国ニュージャージー州)



主題 「すべてを新たに――ファン・ルーラーの三位一体神学の探究――」



この学会は、プリンストン神学校の「アブラハム・カイパーセンター」とニューブランズウィック神学校との共催で行われた。ファン・ルーラーの翻訳に関するパイオニアたちが結集した。



ディルク・ファン・ケーレン氏(オランダプロテスタント神学大学)



ジョン・ボルト氏(カルヴァン神学校)



ポール・フリーズ氏(ニューブランズウィック神学校)



ハリー・デア・ネーデルランデン氏(クリスチャンクーリエ誌)



アラン・ジャンセン氏(ニューブランズウィック神学校)



クリフフォード・アンダーソン氏(プリンストン神学校)



連絡先 Joanne Noel at jnoel@nbts.edu or 732-247-5241 ext. 112.



ニュースソース
http://www.nbts.edu/inc/upcomingevents.cfm