2009年9月14日月曜日

ファン・ルーラー著「地上の生の評価」をめぐるディスカッション(2001年)

日時 2001年7月16日(30分間)
場所 東京某所



質問者A:
「マルクス主義における『地上の生』の高い評価の不徹底に対するファン・ルーラーの批判という部分に興味をひかれた。ファン・ルーラーはマルクス主義とキリスト教の違いをどのあたりに見ていたと思うか」。



関口:
「最も大きな違いと見ていたのは罪の問題である。マルクス主義は罪の解決という次元を抜きにして世界の完成を語ろうとする。しかし、キリスト教というかファン・ルーラーは罪の解決なしには世界は完成しない、世界が完成する前に回心と救いが必要である、と語る。しかし、マルクス主義の人々は、神も仏もへったくれもないところで自動的にプロレタリアート独裁の理想世界が完成すると信じている。ここに最も大きな違いがあると思われる」。



質問者B:
「とても面白かった。終末論の事柄とも関わるのでたいへん参考になった。私もぜひファン・ルーラーを読んでみたいと思った。ところで、ファン・ルーラーとオランダ改革派神学者のバーフィンク、ベルカワーとの関係はどういうものか。またファン・ルーラーのカイパー批判の論点は、ごく短く言えばどういうものであるか」



関口:
「バーフィンクに対しては高い肯定的な評価があると思う。ファン・ルーラーは『啓示の哲学』の必要性をバーフィンクの名前を挙げて訴えているし、RGG第三版の「バーフィンク」の項目の執筆者がファン・ルーラーであったりする。ベルカワーとの関係についてははっきりしたことは言えないが、私の印象ではあまり仲良くなかったように思う。ベルカワーの書物の中に重箱の隅を突付くようなファン・ルーラー批判を見かけたことがある。原因ははっきり分からないが、年齢が近いこと、教派が違うことなどで小競り合いがあったのではないか。でも、ファン・ルーラーのデータを見ていると、アムステルダム自由大学で行われた講演なども結構多く、そのあたりはどういう事情なのか、私自身も興味を持っている。カイパー批判については二つくらいのことが言えると思う。まず第一に、NHK内部にGKN離脱そのものを批判し続ける線があり、その線をファン・ルーラーが受け継いでいること。カイパーと直接激突して自由大学を追われたと伝えられる倫理学者フードマーカーの弟子がハイチェマ。そのハイチェマの弟子がファン・ルーラーである。第二に内容面であるが、ファン・ルーラーはカイパーの一般恩恵論を批判した。特殊恩恵の優位性を強調するあまり、つまり、一般恩恵と特殊恩恵との区別を強調するあまり、『キリスト教的○○』を言いすぎる結果を生み出し、この世界の中に一般社会とは全く区別されたゲットーのようなものを作っていくことの危険性があるというあたりを批判したようだ」。



質問者C:
「ファン・ルーラーが受け継いだと言われる『体験主義の伝統』は『敬虔主義』と同じだろうか」。



関口:
「そう言えると思う。現在調べが付いているところで言えば、ファン・ルーラーが受け継いだ『体験主義』は、オランダに起こった第二次宗教改革の伝統を引き継ぐものだと言われている。ものの本によると、その伝統は『火を見つめながら三位一体の神を瞑想する伝統』であると紹介されていた」。



質問者D:
「いろいろ問題を感じながら聞いていた。総じて思うことは、こんな理屈はオランダというキリスト教の伝統を豊かに引き継いだ文化国家の中で、お勉強がよくできる学者さんだから語りうることだ。たとえば、三位一体論から見た『世界は不必要』という話は、存在論の理屈ならそう言えるかもしれないが、そんな理屈を使って日本の中で伝道はできない。『世界は必要である』ということをもっと語るべきではないか。またファン・ルーラーが言っていることが、地上の生を喜んでそのまま受け入れなさいというような話だとすれば、たとえば障害者の人にとってどれくらい耐えうる言葉であろうか。『遊び』だなんだという部分も、オランダの中では語れるかもしれないが、日本ではとてもじゃないが受け入れられない。現実に人生の苦しみを感じている人の耳には届かない」。



関口:
「なるほどごもっともと感じるところがある。これからいろいろ考えてみたい。ただ、ファン・ルーラーの時代のオランダの状況は、カイパーの時代などから比べると世俗化がずっと進んでしまっていたと言いうる。その中でファン・ルーラーは世俗化に対して肯定的な立場をとっている。彼自身、労働者の家庭で育ったり、政治やら何やらに手を伸ばしていたことなどもあってか、私がファン・ルーラーの書物を読んでいる印象では『お高くとまっている』人ではなかったと感じている。だから、お勉強ができる学者さん云々の部分はちょっと違うのではないかと思う」。



質問者E:
「ファン・ルーラーが『遊び』を語るのは何の影響か。また、アウグスティヌスのfrui Deiとuti mundoの区別をファン・ルーラーが批判しているようだが、その批判は当たっていないのではないか。ファン・ルーラーはアウグスティヌスを読み違えているのではないか。カルヴァンのtheatorum gloriae Dei のほうは肯定し、アウグスティヌスのほうは否定するということは、アウグスティヌスとカルヴァンを対立的に捉えているということか。それは違うのではないか」。



関口:
「はっきりとしたことは言えないが、ファン・ルーラーの『遊び』はやはりホイジンガの影響抜きには考えられない。しかし、神学の世界で『遊び』という言葉が採用されはじめたことにおいてファン・ルーラーは草分け的存在である。モルトマンやコックスはファン・ルーラーよりずっと後。いや、モルトマンの場合、ファン・ルーラーからの借用である可能性が高いと考えている人々がいる。またファン・ルーラーのアウグスティヌス批判については、今日のところはファン・ルーラーの言っていることを紹介したまで。ファン・ルーラーの理解が間違っているかどうかわたしはまだ何の判断も持っていないので、ご勘弁いただきたい」。



質問者E(上に同じ):
「『遊び』は、やはりホイジンガの影響か。なるほど私もそう思う。あの時代、進歩的な文化人たちはみな『遊び』という言葉を使った。しかし、うちの教会の中には『遊び』とか『喜び』と言われると途端に拒絶反応を起こす人々がいる。今まで我々が信じてきた改革派神学とファン・ルーラーの神学がどのように馴染むのか馴染まないのか、今のところ未知数であると感じている」。



関口:
「たしかにファン・ルーラーの『遊び』はホイジンガの影響抜きには語れないと思うが、使われている意味は違うと思う。ホイジンガはオランダのメノナイト派の人だった。ファン・ルーラーは改革派。思想の根本が全然違う。同じ言葉を使っていても内容が違うと私は理解している。ファン・ルーラーが『遊び』を語り始めたのはすでに戦中から。これから申し上げることは、今のところ何の調べもついておらず、それゆえ全く当てずっぽうなのだが、ファン・ルーラーの目に映るオランダの戦中から戦後にかけての状況の中に『この世界の中で生きることに完全に絶望してしまっている人々』がいたのではないか。この世界を捨て、世界から逃げ出して、天国に、『あっちの世界』に行ってしまいたいと切望し、自殺を図ろうとする人々さえ見ていたのではないか。その人々を前にしてファン・ルーラーは『この世界から逃げてはならない!』『この世界を喜んで受け入れ、引き受ける勇気を持ちなさい!』と訴えていたのではないか。この世を捨ててしまいたい人々に向かって、なんとかしてこの世の中に留まってもらいたいと願い、留まらせるための努力をしていたのではないか。要するに、現在<いのちの電話>の人々たちがやっているような仕事に通じることを考えていたのではないだろうか」。



2009年9月13日日曜日

聖書の正しい調べ方


ヨハネによる福音書7・40~53

「この言葉を聞いて、群衆の中には、『この人は、本当にあの預言者だ』と言う者がいたが、このように言う者もいた。『メシアはガリラヤから出るだろうか。メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか。』こうして、イエスのことで群衆の間に対立が生じた。その中にはイエスを捕らえようと思う者もいたが、手をかける者はなかった。さて、祭司長たちやファリサイ派の人々は、下役たちが戻って来たとき、『どうして、あの男を連れて来なかったのか』と言った。下役たちは、『今まで、あの人のように話した人はいません』と答えた。すると、ファリサイ派の人々は言った。『お前たちまでも惑わされたのか。議員やファリサイ派の人々の中に、あの男を信じた者がいるだろうか。だが、律法を知らないこの群衆は、呪われている。』彼らの中の一人で、以前イエスを訪ねたことのあるニコデモが言った。『我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか。』彼らは答えて言った。『あなたもガリラヤ出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる。』人々はおのおの家へ帰って行った。」

今日お読みしましたこの個所にはイエス・キリスト御自身は登場いたしません。その代わりにここに記されていますのは、イエス・キリストの説教を聞いた人々の様々な反応です。

前回まで学んできましたとおり、イエスさまは、ガリラヤ地方にいた御自分の兄弟たちには内緒でエルサレムにひとりで上られ、神殿の境内にお立ちになって、多くの人々の前で説教なさいました。その説教を聞いた人々の中には「この人は、学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているだろう」(7・15)という点に疑問をもった人々がいました。その疑問にお答えになるためにイエスさまがおっしゃったことは、「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである」(7・16)ということでした。

このようなお答えのなさり方が、イエスさまに対する先ほど述べたような疑問をもった人々が納得できる、あるいは十分に満足できる答えとして受けとめられたかどうかは分かりません。彼らの疑問は、イエスさまが聖書を勉強した場所と方法が分からないということでした。しかし、イエスさまはそのことについては何も答えておられません。イエスさまのお答えを聞いた人々の中には、わたしは聖書を勉強したことなどなく、「わたしをお遣わしになった方」、すなわち、父なる神御自身から直接教えていただいたのだと、そのような答えを我々は聞いたと感じた人もいたはずです。別の言い方をすれば、わたしは勉強などしなくても、そんなことは初めから知っていると、そんなふうにこの人は言ったと、イエスさまの言葉を解釈する人々もいたであろうと思われるのです。

しかし、です。わたしたちはイエスさまがおっしゃったことを我々とは全く異なる完全な別世界の話にしてしまってはならないだろうと私自身は考えております。はたして本当にイエスさまは「聖書を勉強する」という次元のことは一切なさったことがないと言ってよいのでしょうか。いや、そんなことはないはずだと思われてなりません。勉強などしなくてもわたしは何でも知っているという人がいれば、それはスーパーマンか宇宙人です。宇宙人だって勉強するかもしれません。しかし、イエスさまについてわたしたちは、この方が幼い頃から会堂にも神殿にも通っておられたという点は語ってよいことです。そこで語られ聴かれている聖書の説き明かし、すなわち説教というものをイエスさまはずっと聞き続けてこられたはずです。この点では、イエスさまはわたしたちと全く同じなのです。神学部に入学しなければ、神学校に通わなければ、聖書をよく知ったというにはならないというふうに考えてしまうこと自体が間違いなのです。聖書というこの書物の本質から言えば、この書物を教会の中で説教を通して学ぶことこそが、この書物の最も正しい学び方なのです。

そして、その場合に重要なことは、教会においては、聖書に基づく説教というものを「神御自身がお語りになる御言葉」であると信じて聴くのだということです。その意味からいえば、教会に通っているわたしたちは、なるほど「聖書を勉強する」という言い方は当てはまらないようなことを続けているかもしれません。たとえば一昔前の日本では(という言い方をすると怒られるかもしれませんが)学校教育の中にいわゆる丸暗記という方法が採られ、重要視されていた時期がありました。60年ほど前には、日本の歴代天皇の名前を全部言えるようになることが求められたりもしました。「聖書を勉強する」ということをそれと同じように考えてしまうとしたらどうでしょうか。皆さんの中に旧約時代のイスラエル王の名前を、あるいは新約聖書の最初に出てくるイエス・キリストの系図に登場する人々の名前を何も見ずに順序を間違えないですらすら諳んじることができるという方がおられるでしょうか。もしおられたら素晴らしいことです。しかし、そういうことができなければ聖書を勉強したことにならないとでも言われた日には悲鳴を上げたくなるという方のほうが多いのではないでしょうか。

私がいま、皆さんと一緒に考えていることは、聖書を勉強する、あるいは聖書を知るとはどういうことを意味するのでしょうかという問題です。丸暗記することでしょうか。ここかしこの聖句を暗唱できるようになることでしょうか。どうもそういうこととは違う次元のことであるだろうと考えざるをえません。聖句を暗唱できる人をけなす意図はありませんし、それ自体は立派なことです。しかし、そのこととこのこととは別の話であるはずだと、いま私は申し上げているのです。

今日の個所の最初に出てくるイエスさまの説教を聞いた人々の中に「この人は本当にあの預言者だ」と言う人がおり、「この人はメシアだ」と言う人がいました。実は、この人々が言っていることこそが、わたしたちが「聖書を勉強するとは何を意味するのか」という問題を考えていくときに重要な参考例になるものです。とくに重要なのは後者、すなわち「この人はメシアだ」と、そのように感じた人がいたという事実です。なぜこの人はそのように感じたのかということを、わたしたち自身が、いわばこの人の立場に立ってじっくり考えてみるとよいのです。

「メシア」はヘブライ語です。これをギリシア語に翻訳した言葉が「キリスト」です。ですから、イエスさまの説教を聞いた人が言ったのは「この人はキリストだ」ということである、ということになります。メシアとは旧約時代のイスラエルの人々が心から待ち望んだ、将来来てくださる救い主のことです。しかしまた、そのことと同時に、その方は彼らにとってはまだ来ておられない、未知なる方でもありました。まだ見たことがない、出会ったことがない存在でした。空想の存在とまで言ってしまうことには語弊がありますが、実際にそれはどのよう方であるかを誰も知らず、誰も見たことがなかった以上、その方を現実的な存在と呼ぶことは難しい。それが、旧約時代のイスラエルの人々にとってのメシアの存在でした。

しかしまた、ここで考えざるをえないことは、イスラエルの人々が、メシアが来てくださることを心から待ち望んでいたことには、彼らの置かれていた苦しい現実があったということです。ラクチンで生きている人々は救い主など必要ないかもしれません。わたしたち人間は、苦しんでいるからこそ、助けを求めなければ生きていけないほどに追い詰められているからこそ、このわたし、わたしたちを助けに来てくださる方の存在を空想したり夢見たりする必要があるのです。

群衆の中にいたイエスさまの説教を聞いて「この人はメシアだ」と言った人がそのときどのような事情の中に置かれていた人であるかは分かりません。しかし、この人がどうしてイエスさまにこの方はメシアだと感じたのかという点に関してわたしたちが考えうることは、ただ単にそう思っただけだということを越えているものがあるのではないかということです。より具体的に言えば、「この人は、いま苦しみの中にいる、このわたしを、わたしたちを助けてくださるために来てくださった救い主である」と感じることができたということです。そしてそれは、もっと踏み込んで言えば、今苦しんでいるこのわたしが、わたしたちが求めているニードに対して、あるいは心や体の飢え渇きに対して、わたしの目の前にいるこの方、イエスというお方が応えてくれる、満たしてくれる、そのような存在であると見えたに違いないということです。

もっと平たく言えば、この人はやはりイエスさまに出会うより前に、まずは自分自身の飢え渇きや自分自身では解決できない悩みや問題を抱えていたのだと思われるのです。その人の心に大きな穴が開いていた。心のお腹がすいていた。そこにイエスさまの語る御言葉が、イエスさまのなさるみわざがすっぽり入って来た。「ああ、これこそ、わたしが求めていたものだ」と、そのように感じたのです。そうでなければ「この人はメシアだ」という話には決してならない。「この人はメシアだ」、すなわち「この人はキリストである」とは、「わたしは救われた」と言うのと全く同じ意味だからです。

ところが、続く個所を読みますと、おそらくは聖書を一生懸命勉強してきた人たちの側から異論が出てきたことが分かります。「メシアはガリラヤから出るだろうか。メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか」(7・41~42)。

彼らの聖書知識によると、イエスさまの生い立ちは、聖書に書いてあることから外れているということになるようでした。だから、彼らはイエスさまを信じませんでした。あるいは、少し飛びますが、これまた聖書を一生懸命勉強してきた学者であるファリサイ派の人々の口から「議員やファリサイ派の人々の中に、あの男を信じた者がいるだろうか。だが、律法を知らないこの群衆は、呪われている」(7・48)という言葉が飛び出します。ここで「議員やファリサイ派の人々」とは「律法を知らないこの群衆」との対比があるわけですから、学校に通って聖書を学問的に研究した人々という意味になります。専門的に研究した人の言うことと、そうでない人の言うこととの、どちらを信用できますかという言い方です。群衆を見くだした言い方でもあります。

しかし、学者たちには分からなかったことが、分かった人々がいた。彼らに分かったことはイエスというこの方がメシアであり、キリストであるということでした。なぜ分かったのか。彼らはその方を求めていたからです。助けを求めていました。苦しい現実の中にいたからです。彼らの心の中に、救いを求めるニードがあった。だから、「いま目の前にいるこの方に、わたしは救われた」と感じた。この方が救い主であると分かったのです。

「悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる」(マタイによる福音書5・4)。聖書の正しい調べ方、それは、いま生きている現実を直視し、悩み苦しむこと、悲しむべきことを悲しむことです。そのときイエスさまが救い主であることが分かります。この方はこのわたしの悩み苦しみをご存じであるということが分かります。この方は、このわたしのために十字架にかかって死んでくださった方であるということが分かります。そのことが分かれば、「聖書が分かった!」と言ってよいのです。

(2009年9月13日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年9月12日土曜日

『福音と世界』座談会に登場

新教出版社の看板雑誌である『福音と世界』誌の最新号(2009年10月号)の特集記事「座談会 今カルヴァンをどう読むか」に、田上雅徳氏(慶應義塾大学法学部准教授)と私、関口康、そして芳賀繁浩氏(日本キリスト教会豊島北教会牧師)(以上、発言順)が登場します。



この三人(プラス司会者)の座談会は、今年8月1日、東京・新宿の新教出版社本社ビルの一室で行いました。



『福音と世界』は定価600円(税込)です。近くのキリスト教書店でお求めになれます。



新訂版『ファン・ルーラー著作集』第三巻、やっと配本

2007年から毎年一冊のペースで配本されている新訂版『ファン・ルーラー著作集』(A. A. van Ruler Verzameld Werk)の第三巻がようやく配本されました。出版社が公表した最初の計画表では昨年12月10日の「国際ファン・ルーラー学会」(アムステルダム自由大学)に間に合うはずだったのですが、8か月遅れとなりました。編集者や出版社を責めるつもりはありませんが、首を長くしすぎて肩がこりました。しかし、ともかく出ましたので、一安心です。



第三巻(2009年)のテーマは「神、創造、人間、罪」(God, Schepping, Mens, Zonde)。さあ、いよいよこれから神学の本論に突入です。第一巻(2007年)のテーマは「神学の本質」、第二巻(2008年)は「啓示と聖書」でした。



第三巻(2009年)に収録されている論文名は、以下のとおりです。



1、神



我々の神認識の本質
神の存在証明
旧約聖書と新約聖書の神
神を語ること
三位一体の教理
三位一体
我々は神なしでありうるか
神の隠匿性



2、創造



天国の五つの定義
天使
創造と贖いの関係
存在の奇跡性
逆の意味での「実存」
我々は事物をいかに評価するか



3、神の摂理



神の摂理
我々はキリスト者として神の御手のうちなる世界に立っている
秩序と混沌
神は世界のために一つの計画を持っておられる
1953年の惨事
神と混沌
苦悩
教導



4、人間



今日の共同体問題
人間の責任と神の教導
良心について 成人の宗教教育との関連で
神と人間の出会い
権威
オランダの精神生活に映し出された人間
なぜ私は個人主義者でないか
プロテスタント的人間観
福音における非人間的要素
個人化の一形態としての成熟
心と事物
そのとき人間に何が起こるのか 教会の永続的要素
神と歴史
聖書とキリスト教の光のなかでの歴史における人間
変えられること
歴史の意味としての人間
わたしは元々何なのか
人間は創造者の王冠か



5、罪



新約聖書の身体論と精神論
聖定における罪
罪の陽気さ
罪人としての人間



6、地上の生



信仰と現実
我々の人生の意味
世界に対するキリスト教信仰の誠実さ
地上の生の評価
我々は何のために生きているのか
聖書の視点から見た喜び
キリスト教的生活感情としての喜び
意味を見出し意味を得る
存在の秘儀:無意味か罪か
人生の意味を問うことに意味があるか
垂直的なるものと水平的なるもの



7、時事問題



今日におけるキリスト教信仰の意味
王冠をかぶった馬鹿野郎
母性
豊かであることと増やすこと
結婚
家族
教会と動物愛護
『聖書と動物愛護』付録
プロテスタンティズムと動物愛護
心臓移植をめぐる道義的・宗教的問題
(新しきアダム)
(初めての月面着陸)



2009年9月10日木曜日

Google翻訳にビビる

パソコンソフトやインターネット上の自動翻訳というものを正直言って全く信用していなかったのですが、今回ばかりはかなり動揺させられました。「Google翻訳」はすごいと思いました。



いかなるサイトでも瞬時のうちに50以上の言語に「翻訳」して表示されます。「翻訳」とカギカッコをつけたのは、いまだにもちろん笑える翻訳が多いからですが、しかし、少し前と比べると状況は相当変わってきているように感じられました。



一例として、本ブログ「関口 康 日記」をGoogle翻訳で「翻訳」してみると、こんなふうになります。



ヘブライ語



ギリシア語



アラビア語



ドイツ語



オランダ語



フランス語



ロシア語



韓国語



でたらめばかり書きつけている拙ブログでも、他の国の言葉で表示されると、まるで自分のものではないかのように、なんとなく立派に見えてしまいました。ただ、この記事のタイトルはさすがのGoogleさんにとっても難解のようで、Google Translation Bibiruと訳してくれます。



しかし、特に驚いたのは、「関口康日記」よりも「今週の説教」や「改革派教義学」や「『キリスト教民主党』研究」などの各国版のカッコよさです。たとえば、ドイツ語版などは次のように表示されます。国際的に活躍している人の気分をちょっとだけ味わうことができます。説教に至っては、パッと見だけなら「カール・バルト説教集」さながらです。



今週の説教(ドイツ語版)



改革派教義学(ドイツ語版)



「キリスト教民主党」研究(ドイツ語版)





2009年9月9日水曜日

こういうのが我々にも欲しい

言うまでもないことですが、「私は知らないことだらけだ」と改めて思わされています。



「フォーラム神保町」というグループ、否、彼らの表現で言うところの“トポス”(場)があることを知り、羨望の思いでいっぱいです。



フォーラム神保町
http://www.forum-j.com/



ここに行けば、なんと、あの佐藤優氏の「神学講座(組織神学)」のゼミに参加することができます!



こういうトポスがファン・ルーラー研究会にも欲しいと、私は個人的に以前から強く願ってきました。ただし、開催場所は、教会ではなく、大学や神学校でもなく、できたら都内有名某所のビルで。



「フォーラム神保町」の向こうを張って、「神学フォーラムお台場」とかがいいです。



以上、「キリスト教民主党」研究といい、私のブログはすっかり妄想地帯と化しております。ああ恥ずかしい。



2009年9月8日火曜日

太宰治「一歩前進 二歩退却」(1938年)に共感して(2)

太宰治の「一歩前進 二歩退却」(1938年)を読みながら考えさせられたのはやはり説教の問題です。「三人姉妹を読みながらも、その三人の若い女の陰に、ほろにがく笑つているチエホフの顔を意識している」読者たちに苛立ちを隠せない太宰の様子が他人事とは思えません。



もちろん「説教は精神修養の教科書ではないのか」と問い詰められるならば「まさにそのようなものである」と答えねばならないとは思いますが、かたや、説教がイエス・キリストについて語る、あるいはパウロについて語るとき、そのイエス・キリストやパウロの陰に説教者自身の顔をあまりにも意識されすぎると困ってしまうのも説教者ではないかと考えざるをえないのです。



「可哀さうなのは、説教者である。うつかり高笑ひもできなくなった。」



松戸小金原教会では、主の日の礼拝の中で(カルヴァンと改革派教会の伝統に基づいて)「罪の告白と赦しの宣言」を行っています。「赦しの宣言」を朗読するのは牧師です。しかし牧師は、「赦しの宣言」を朗読する前に、教会員と共に自分自身の「罪の告白」をしなければなりません。私はたぶん教会員の誰よりも大きな声で「罪の告白」を読み上げ、その後、いくぶん小さな声で講壇の上で「赦しの宣言」を朗読しています。



この「赦しの宣言」の意義や本質を考えていくと、説教とは何かが分かるような気がしています。説教とは、かなり乱暴に言えば「自分のことを棚に上げて」語ることです。あるいは、「自分に罪がないと思う者がこの女に石を投げよ」とだけおっしゃって、御自身はしゃがみこんで地面に何かをお書きになっていた(ヨハネ8章)あのイエス・キリストの御姿に倣うことです。そうでなければ、どうして我々人間が「神の言葉」を語ることができるでしょうか。



日曜日の礼拝説教の善し悪しの問題が、教会にとっては最も深刻な事柄であるということは間違いありません。しかし、「説教者の言行不一致」(説教で言っていることと普段の行状が違いすぎる)という点が告発される場合には、ほとんどのケースは告発者の言うとおりなのだろうとは思っていますが、稀に(としておきます)、太宰がいら立ちを覚えた「三人の若い女の陰に、ほろ苦く笑つているチエホフの顔を意識している」というような本の読み方をするのと同じような仕方で、説教というものを把え、聴いているゆえに出てくる告発も含まれているように感じるのです。



太宰治「一歩前進 二歩退却」(1938年)に共感して(1)

このところ、「聖書よりも」とは申しませんが、カルヴァンよりも、ファン・ルーラーよりも、太宰治が面白くて困っています。



お恥ずかしながら、これまで太宰「など」真面目に読んだことがなかったのです。そもそも小説というものをほとんど読むことができませんでした。小説家の妄想に付き合えるほど暇じゃないと、思いこんでいたところがありました。他人の心の中に入り込んでいく想像力が根本的に欠如していたのです。



しかし、どうしたことでしょう、年齢のせいでしょうか、ここに至って、太宰の文章が私の胃袋に流れ込んでくるものがあります。



ただし、まだ小説ではありません。彼の手記のたぐいにハマっています。近日感銘を受けたのは、「一歩前進 二歩退却」(初出1938年8月、太宰28歳)という短文です(『太宰治全集』第10巻、筑摩類聚版、117~118ページ)。



「日本だけではないやうである。また、文学だけではないやうである。作品の面白さよりも、その作家の態度が、まづ気になる。その作家の人間を、弱さを、嗅ぎつけなければ承知できない。作品を、作家から離れた署名なしの一個の生き物として独立させては呉れない。三人姉妹を読みながらも、その三人の若い女の陰に、ほろにがく笑っているチエホフの顔を意識している。
(中略)
可哀さうなのは、作家である。うつかり高笑ひもできなくなった。作品を、精神修養の教科書として取り扱はれたのでは、たまつたものぢやない。
(中略)
作家は、いよいよ窮屈である。何せ、眼光紙背に徹する読者ばかりを相手にしてゐるのだから、うつかりできない。あんまり緊張して、つひには机のまへに端座したまま、そのまま、沈黙は金、といふ格言を底知れず肯定してゐる。そんなあはれな作家さへ出て来ぬともかぎらない。



謙譲を、作家にのみ要求し、作家は大いに恐縮し、卑屈なほどへりくだつて、さうして読者は旦那である。作家の私生活、底の底まで剥がうとする。失敬である。安売りしてゐるのは作品である。作家の人間までを売ってはゐない。謙譲は、読者にこそ之を要求したい。



作家と読者は、もういちど全然あたらしく地割りの協定をやり直す必要がある。(後略)」



この文章のどこに感銘を受けたかをきちんと説明できるまで太宰の意図を斟酌できてはいませんが、とにかく「そうそう」と、膝を打って喜びながら読みました。



ブログとかメールなどを書いておりますと、私の文章を読んでくださる方々の中に、記述内容についての賛否や感想を知らせてくださる方がおられることには、励まされます。



しかし、「なんでこんな時刻にメールを書いているのだろう」とか「どうしてこんなことをブログなどに書いているのだろう」というような、その文章を書いている私の「態度」ばかりが気になるらしい方に接することがありまして、そういうことと太宰への「共感」とがどうやら関係しているらしいことに気づかされます。



まさに、「一歩前進 二歩退却」です。



2009年9月7日月曜日

ファン・ルーラー研究会神学セミナーの歩み

第1回 2001年9月3日(月)      日本キリスト改革派園田教会(兵庫県尼崎市)

第2回 2002年9月2日(月)・3日(火)熱海網代オーナーズビラ(静岡県熱海市)

第3回 2003年9月1日(月)      日本キリスト改革派東京恩寵教会(東京都渋谷区恵比寿)

第4回 2004年8月23日(月)・24日(火)母の家べテル(兵庫県神戸市東灘区御影)

第5回 2007年9月10日(月)・11日(火)日本基督教団頌栄教会(東京都世田谷区北沢)

第6回 2014年10月27日(月)      日本基督教団頌栄教会(東京都世田谷区北沢)



2009年9月6日日曜日

生きた水が川となる


ヨハネによる福音書7・32~39

「ファリサイ派の人々は、群衆がイエスについてこのようにささやいているのを耳にした。祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスを捕らえるために下役たちを遣わした。そこで、イエスは言われた。『今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所へに、あなたたちは来ることができない。』すると、ユダヤ人たちが互いに言った。『わたしたちが見つけることはないとは、いったい、どこへ行くつもりだろう。ギリシア人の間に離散しているユダヤ人たちのところへ行って、ギリシア人に教えるとでもいうのか。「あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない」と彼は言ったが、その言葉はどういう意味なのか。」祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。『渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。』イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかったからである。」

今日の個所のイエスさまは、まだエルサレムにおられます。先週の個所でイエスさまはエルサレム神殿の境内で説教なさいました。また、説教の内容をめぐって、人々といろんなやりとりをなさいました。そうしましたところ、「人々がイエスを捕らえようとした」(7・30)というのです。この「人々」は、いわゆる群衆のことです。普通の人、一般の人です。イエスさまの命を狙っていたファリサイ派や祭司長や律法学者たちではありません。その彼らがなぜイエスさまのことを捕らえようとしたのでしょうか。これは考えてみる必要がある点です。

思い当たることは、彼らはおそらく非常に腹を立てたのだろうということです。問題点はいくつかあります。第一は、イエスさまが「わたしをお遣わしになった方」と言われるのを聞いたとき、彼らが最初に思い浮かべたのは天地の造り主なる父なる神さま御自身のことだったはずですが、そのとき「まさか、そんなはずはない」と思ったに違いないという点にかかわります。なぜなら彼らは父なる神さまのことを知っていると思っていたからです。わたしたちは聖書を繰り返し学んできたし、神を信じてもいる。それなのに、この人は「あなたたちはその方を知らない」と我々に向かって言い放つ。我々のことを侮辱しているのかと腹を立てたに違いありません。

しかし、理由はそれだけではなさそうです。第二に考えられることは、イエスさまは「学問をしていなかった」からです。この場合の「学問をする」の意味は、エルサレム神殿の律法学校を卒業することであると、先週申しました。そしてそれは、我々が「神学校を卒業する」と言うのと同じ意味であるとも申しました。イエスさまは神学校を卒業していません。そうであるにもかかわらず「わたしをお遣わしになった方」のもとから来たなどと言う。そのことで彼らは腹を立てたに違いありません。

なぜそのようなことに腹が立つのかと言いますと、彼らはおそらく悪い意味での権威主義者だったのです。あの学校を卒業した人の言うことだから間違いない。そうでない人の言葉は信用できない。このような道筋で事柄を把えようとする人々だったのです。だからこそ、イエスさまの説教を聴いた彼らにとって、「あの人は学問をしたわけでもないのに、どうして」という点が問題になったのです。

校長から卒業証書を受け取ってもいない。何かの試験に合格したわけでもない。客観的な意味でこの人が「教師」と呼ばれるための根拠は、どこにもない。だとしたら、この人が「わたしを遣わした方」と言っているのは、ただの思い込みである。しかしこの人は、自分はそうだと言い張る。それならば、この人は嘘つきである。この人を誰も遣わしてなどいない。まして、父なる神が遣わしたなどということはありえない。彼らの心の中にこのような一種独特の三段論法が駆け巡った可能性があるのです。

しかしこのような考え方はやはり、悪い意味での権威主義です。このことは一般論としても言えることです。その人が卒業した学校がその人の価値を決めるわけではありません。その学校を卒業した人のすべてが必ず真理を究めつくした権威者であると思いこむことは、事情を知らなすぎる見方です。あえて変な言い方をしますが、どの学校にも優秀な人とそうでない人が必ずいるものです。勉強するのは自分自身です。学校は勉強の仕方を教えてくれるだけです。極端な言い方をすれば、自分で勉強することができる人は学校になど行かなくてもよいのです。

教会の場合も同じですし、教会こそそのことが当てはまります。自分のことを全く棚に上げて言いますが、神学校の学業成績が優秀だった人々の中にも牧師としては全くふさわしくないと判断される人々がいます。逆も然り。成績が悪かった人の中にも立派な牧師はたくさんいます。あの学校を卒業した人だから、何々先生の弟子だから、絶対に間違いないなどということは全くありえないのです。

話がまた脱線しかかっています。私はいま、イエスさまのことを考えております。「学問をしたわけでもないのに、どうして」と疑惑の目がイエスさまに向けられました。わたしをお遣わしになった方のもとから来たと言い張るこの人は嘘つきであると、腹を立てられ、捕まえられそうになりました。イエスさまがそのような目に遭われたのは、イエスさまが悪いわけではなく、イエスさまをそのように見た人々の価値観、とくにその権威主義的な意識感覚に問題があったに違いないと申し上げているのです。

しかし、イエスさまがおっしゃっていることは嘘でも何でもなく、まさに真理であり、真実でした。そして、これはイエスさまだけに当てはまる真理であり真実であるというだけではなく、イエスさまの体なる教会にかかわるすべての事柄にも当てはまることなのです。

たとえば、教会とは誰のものでしょうか。牧師の所有物(もの)でしょうか、長老や執事のものでしょうか、会員一人一人のものでしょうか。「そうでもある」と答えたい気持ちが私にはありますが、そのように決して語ってはならない場面があると思っています。教会は、人間のものではありません。神御自身のものであり、神の御子イエス・キリストのものです。

教会がこの地上でなすすべてのわざは、誰が行うのでしょうか。「それは我々人間自身でもある」と私自身は声を大にして言いたいところを持っていますが、このことも我慢しなければなりません。教会が行うすべてのわざは、神御自身のわざです。わたしたちは神の道具になることに徹する必要があります。

いまここで私がしている説教とは、なんでしょうか。「これは関口さんのお話である」と思われても仕方ない面があることを私自身は否定しません。しかしそれでもなお、わたしたちが信じなければならないことがあります。説教とは、本質的に神御自身の言葉なのです。説教者もまた、神の道具になりきる必要があるのです。

ですから、説教者としてのイエスさまが父なる神さまのことを「わたしを遣わした方」とお呼びになったことは、イエスさまだけに許された特別な言葉遣いであるわけではなく、この宗教にかかわるすべての人に許されているし、そのように語ることを命じられていることでさえあるのです。

しかし、彼らはイエスさまの言葉を受け入れることができませんでした。嘘を言っていると思ったか、あるいは芝居がかったきれいごとを言っているとでも思ったか、ともかく現実味のない話であると聞いたのです。だから彼らはイエスさまが「わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない」(34節)とおっしゃった言葉を聴いて「ギリシア人の間に離散しているユダヤ人のところへ行って、ギリシア人に教えるとでもいうのか」と、つまり外国旅行でもするつもりなのかと誤解したのです。宗教的な話を聴いても、それを宗教的な次元で捉えることができなかったのです。

イエスさまが「今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない」(7・33~34)とおっしゃった意味を、わたしたち自身は知っています。イエスさまは死ぬ覚悟をなさったのです。その言葉を、外国旅行に行くつもりなのかと全く違う意味で聞かれてしまったのです。イエスさまの言葉をなかなか理解できない人々の姿が、ここに描き出されています。

イエスさまは、祭りの最終日に大声で言われました。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(7・37~38)。

この御言葉もまた、宗教的な次元の事柄としてとらえる必要があります。「生きた水」とは“霊”のこと、つまり「聖霊」のことであると説明されています。そしてそれは同時に、聖霊なる神がわたしたちに与えてくださる「信仰」のことです。イエス・キリストが十字架にかかって死んでくださり、三日目によみがえってくださった後に、天の父なる神のみもとにお戻りになりました。そしてその後、イエス・キリストを信じる弟子たちのうえに聖霊が注がれました。その聖霊が「生きた水」となってわたしたちの心に信仰を呼び起こしてくださいました。そして信仰はわたしたちの内から溢れだし、川となってとうとうと流れ続けるのです。

「川」とは継続性と広がりのイメージです。これはわたしたちの信仰生活や教会の伝道を指しています。信仰は一瞬で終わるものではなく、継続的なものです。わたしたちの信仰は神から恵みとして与えられ続けるものなのです。

「イエスがまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかった」とあります。「イエスが栄光を受ける」の意味は、十字架の上で全人類の罪を贖うみわざを成し遂げられ、かつ、そのイエスさまを父なる神が復活させてくださることを指しています。イエスさまの栄光とは、すなわち、わたしたち罪人の身代わりに死ぬこと、死んでくださることなのです。しかしまたイエスさまが天に昇られたあと、イエスさまの代わりに聖霊なる神が地上に来てくださり、信仰をもって生きる人々の心の中に住み込んでくださるのです。

ですから、イエスさまが目に見えない存在になられた後も弟子たちは寂しくはありませんでした。聖霊の助けによって力強くイエス・キリストの御言葉を宣べ伝え、教会を建て上げていきました。

「生きた水が川となる」とは、それらすべてを指しています。もちろんそれはわたしたちにも当てはまります。松戸小金原教会が来年30周年を迎えます。「生きた水」としての聖霊がわたしたちの教会を導いてくださいました。この地に30年間、一度も尽きることの無い「川」を流し続けてくださいました。そのようにして、信仰者の群れを守り続けてくださったのです。そのことを神に感謝したいと思います。

(2009年9月6日、松戸小金原教会主日礼拝)