2009年8月24日月曜日

やっと追いつきました

「今週の説教」のブログ更新とメールマガジン発行が長らく滞っていましたが、本日やっと遅れを取り戻すことができました。これからもどうかよろしくお願いいたします。



今週の説教 ブログ(デザインを新しくしました)
http://sermon.reformed.jp



今週の説教 メールマガジン(添付PDFをA4判に変更しました)
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2009年8月23日日曜日

わたしの時はまだ来ていない


ヨハネによる福音書7・1~13

「その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうとねらっていたので、ユダヤを巡ろうとは思われなかった。ときに、ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた。イエスの兄弟たちが言った。『ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世にはっきり示しなさい。』兄弟たちも、イエスを信じていなかったのである。そこで、イエスは言われた。『わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている。世はあなたがたを憎むことができないが、わたしを憎んでいる。わたしが、世の行っている業は悪いと証ししているからだ。あなたがたは祭りに上って行くがよい。わたしはこの祭りには上って行かない。まだ、わたしの時が来ていないからである。』こう言って、イエスはガリラヤにとどまられた。しかし、兄弟たちが祭りに上って行ったとき、イエス御自身も、人目を避け、隠れるようにして上って行かれた。祭りのときユダヤ人たちはイエスを捜し、『あの男はどこにいるのか』と言っていた。群衆の間では、イエスのことがいろいろとささやかれていた。『良い人だ』と言う者もいれば、『いや、群衆を惑わしている』と言う者もいた。しかし、ユダヤ人たちを恐れて、イエスについて公然と語る者はいなかった。」

ヨハネによる福音書に基づいてわたしたちの救い主イエス・キリストの生涯を学んでいます。先週までに学んだところに書かれていたことは、イエスさまがなされたわざと語られた御言葉がユダヤ教徒たちの逆鱗にふれるものとなり、彼らから命を狙われるようになったということです。詳しい内容は繰り返さないでおきます。

そして、今日開いていただいた個所から分かりますことは、イエスさまがユダヤ教徒たちから命を狙われるようになられたときにどのような行動をお取りになったのかです。三つのことが分かります。

第一に、イエスさまはユダヤ人が御自分を殺そうとしていることをご存じだったので、ユダヤ人の目を避けて行動なさることによって危険を回避されたということです。命を狙っている人々の目の前に出て行くような危ないことはなさらなかったということです。しかし第二にイエスさまは、ユダヤ人たちから逃げたわけではなく、ひそかにではありましたが、エルサレムに上って行かれたということです。第三に、イエスさまは、御自分の兄弟たちにさえ本当のことをお教えにならなかったということです。イエスさまが兄弟たちに「わたしは、この祭りには上って行かない」とおっしゃったあと、実は上って行かれたということになりますと、イエスさまは嘘をつかれたという話にも読めてしまいます。イエスさまがおっしゃったことを嘘と呼んでよいかどうかはあとでもう一度考えますが、このあたりが今日の個所の面白い要素でもあります。

イエスさまはガリラヤを巡っておられました。ガリラヤはイエスさまが伝道の最初の拠点を据えられた地域の総称です。都会ではなく田舎です。農村であり漁村です。イエスさまの命を育んできた家族や親しい友人たちが住んでいるところ、それがガリラヤです。

これに対してユダヤは都会です。ユダヤの中心には首都エルサレムがあります。エルサレムの中心にはエルサレム神殿があります。そしてその神殿の中心にはイエスさまの命を狙うユダヤ教団の指導者たちがいたのです。だからイエスさまは、ユダヤ人から命を狙われるようになってからは、少なくとも表向きは、ユダヤに近づこうとなさらなかったのです。

ところが、そのように慎重な行動を取っておられたイエスさまに向かって、事情を知らないイエスさまの兄弟たちが「ユダヤに行きなさい」と勧めました。彼らが言っている言葉は、次のように言い換えることができるでしょう。

「イエス兄さんはユダヤに行くべきだ。兄さんは、自分の言っていることやしていることに自信を持っているのだろう。悪いことをしているわけではなくて、良いことをしているつもりなのだろう。だったら、広い都会に出て行って、たくさんの人の前でアピールすべきである。こんな小さな田舎町で引きこもっているべきではない。一発当ててきてください」。

兄弟が有名人になってくれることによって自分たちにもいろんなメリットが生まれるかもしれないというような期待や野心が含まれていたかどうかは分かりません。しかし、彼らの言い分は全く理解できないというようなものではありません。とくに「公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない」という点は事実であり、真理です。いま日本の政治家たちは来週の選挙のために必死です。彼らの仕事は公に知られることであり、自分を世にはっきり示すことです。ひそかに行動する政治家がいるとしたら、矛盾した存在であり、また不気味な存在でさえあります。「公に知られること」や「自分を世にはっきり示すこと」が悪いことであると言われてしまいますと、彼らは困ってしまうでしょう。

宗教の場合はどうでしょうか。兄弟たちがイエスさまに期待したことは、間違っているでしょうか。ここで少し脱線することをお許しください。東京に教文館というキリスト教専門の書店があります。その書店のホームページに「先月のベストセラー」を紹介しているコーナーがあります。私も先月、カルヴァンについて書いた一冊の本(共著)を出版したばかりですので、興味をもって見てみました。なんと残念なことに、わたしたちの本は二十位以内に入ることもできませんでした。先月の第一位に輝いたキリスト教書のタイトルは『なぜ日本にキリスト教は広まらないのか』というものでした。

実はかなりがっかりしました。「なぜ日本にキリスト教は広まらないのか」という本は売れている。この問題に悩んでいる人が多いからでしょう。しかしカルヴァンについての学術的研究書は売れない。これが現在の日本のキリスト教界の実情なのだと知らされるものがありました。

誤解されたくありませんので、はっきり申し上げておきたいのですが、わたしたちが本を出版した目的ないし動機は、有名になりたいからとかお金儲けをしたいからというようなことではありません。カルヴァンについての本を書いても有名人にはなりませんし、お金儲けはできません。それは誰でも知っていることです。

しかし、そういうこととはどうか区別していただきたいのですが、それでもなお、たとえば、本を出版するというようなことの目的ないし動機の中に、この個所でイエスさまの兄弟たちが言っている「公に知られること」や「自分を世にはっきり示すこと」が全く含まれていないのかと問われるとしたら、「いえいえ、そんなことはありません」と答えるでしょう。

「伝道」とは、神の言葉を「公に」宣べ伝えることです。「ひそかに行動すること」の正反対です。人目につくようなことをすることが伝道です。「公に知られること」や「自分を世にはっきり示すこと」が伝道と無関係であるはずがないのです。隠れてひそかに行動することが伝道ではないのです。

しかし、このことを確認したうえでなお申し上げねばならないことがあります。今日の個所に注目すべき言葉が記されています。「兄弟たちも、イエスを信じていなかったのである」。この御言葉は、イエスさまの兄弟たちの発言を受けて書かれています。つまり、彼らがイエスさまに「公に知られること」や「自分を世にはっきり示すこと」を勧めたことがイエスさまに対する不信仰の証拠であると言われているのです。

しかし、このように言われていることは、わたしたちにとっては、驚くほどのことではありません。むしろ至極当然のことを言っています。先ほども申し上げましたとおり、牧師たちが説教したり本を書いたりすることの中に「公に知られること」や「自分を世にはっきり示すこと」が含まれていないのかと問われれば「そんなことはない」と答えなければなりません。しかし、「それがあなたの人生の目的なのか」と問われるとしたら「断じてそうではない」とも答えなければならないのです。

私の話をしたいわけではありません。「伝道とは何なのか」という話をしているつもりです。いまの日本に「有名になりたいから牧師になる」という人はいないと思いますが(牧師になっても有名人にはなれません)、もしそういう人がいるとしたら本当に困った存在です。そういうのを本末転倒というのです。イエスさまは、そういう人が大嫌いなのだと思います。御自分もそのような目で見られることをお嫌いになりました。ただ有名になりたいだけの人は、伝道の仕事には向いていないのです。

そして、その次にイエスさまがおっしゃったことが「わたしの時はまだ来ていない」ということであったわけです。ここでの「時」に最も近い意味は、チャンスです。機会であり、時機です。もっと大胆に訳せば、「出番」とか「出る幕」です。「いまはまだ私の出番ではないのだ」と、こんな感じのことをイエスさまがおっしゃったのだと理解することができます。

しかし、もちろん、兄弟たちとしては、そのような言葉をイエスさまの口から突然聞いたときには、すぐに理解できるものではなかったと思われます。「わたしの出番はまだ来ていない。だからわたしはユダヤには行かない」と、そんなふうなことを言われても、意味不明の言葉で煙に巻かれた、というくらいのことしか感じなかったのではないでしょうか。たぶんそうだと思います。

しかし、わたしたちは、イエスさまがおっしゃった「わたしの時」という言葉の意味をはっきりと知っています。それはもちろん、わたしたちがよく知っているイエスさまの最期の一週間、なかでも全人類の罪の身代わりに十字架の上にはりつけにされ、贖いの死を遂げてくださったあの金曜日です。イエスさまのご生涯の目的は、有名になることでも、金儲けをすることでもありませんでした。あの十字架を目指して生きること、罪人を救うために十字架のうえで御自分の命をささげること、それがイエスさまの目標でした。十字架こそが、イエスさまの「時」であり、「出番」でした。イエスさまは有名になることにも金儲けをすることにも無関心でした。ただひたすら、御自身の命が人類の救いのために用いられる日を目指して生きておられたのです。

しかしまたイエスさまは、冒頭に申し上げたとおり「わたしは、この祭りには上って行かない」とおっしゃったあと、実はひそかにおひとりでユダヤに上って行かれたという話が続いているというのが、今日の個所の面白い点でもあります。イエスさまが兄弟たちに嘘をつかれたと言いますと、人聞きが悪すぎるかもしれません。しかしわたしたちはよく考えてみるべきです。イエスさまがつかれた嘘は兄弟たちに対する配慮や愛情から出たものではないだろうかとも考えさせられます。イエスさまはユダヤ人たちから命を狙われる身でした。イエスさまが彼らに逮捕されることになれば、兄弟たちの身にも当然いろいろな不都合が生じます。ユダヤ人たちから兄弟たちが共謀者呼ばわりされることもありえます。イエスさまとしては兄弟たちをかばう必要があったのではないでしょうか。このときのイエスさまのお気持ちはどのようなものだったかを思い巡らしてみることが大切であると思います。

(2009年8月23日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年8月17日月曜日

停滞していた仕事が少し前進しました

私設ブログ「今週の説教」の更新がこのところ滞っていましたが、とりあえず今夜、これまでのいくつかの礼拝説教のMP3音声を公開することができました(7月12日分と8月9日分の音声が無いのは、他の教会で説教したからです)。



「今週の説教メールマガジン」のほうは、2009年7月5日号(第273号)の配信を最後に、ストップしたままです。こちらも何とかしなければなりません。



これほど長期の停滞状態に陥ってしまったのは、今からちょうど5年前の2004年9月に礼拝説教をブログとメールマガジンで公開しはじめて以来、初めてのことです。



原因は、はっきりと自覚しております。7月初旬に勃発した(より正確には「発覚した」)あるひとつの出来事がきっかけとなって、身辺(わが家や松戸小金原教会の内部ではありません)が急激に変化し、精神的・心理的な面でも非常に大きな負担がかかる状況の中へと巻き込まれてしまったことにあります。しかし、先週の後半あたりから少しずつですが、落ち着きを取り戻しはじめています。



これから何とか踏ん張って、元のペースを取り戻すつもりです。とくにメールマガジンのほうは、記念すべき「第300号」まで残り27回ですので(といっても到達は半年先のことですが)、こんなところで頓挫している場合ではありません。



ついでに紹介。私設ブログ「改革派教義学~カルヴァンからファン・ルーラーまで~」に、20世紀初頭のオランダで活躍した教義学者ヘルマン・バーフィンク(Herman Bavinck [1854-1921])の著書の一覧表をアップしました。まだ日本語に訳せていない部分がたくさんありますが、これだけでもごく大雑把な流れくらいは分かるはずです。



バーフィンク文献目録(改革派教義学~カルヴァンからファン・ルーラーまで~)http://dogmatics.reformed.jp/bavinck_bibliography.html



2009年8月16日日曜日

永遠の命の言葉


ヨハネによる福音書6・60~71

「ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。『実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。』イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。『あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……。命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。』イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。そして、言われた。『こういうわけで、わたしはあなたがたに、「父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない」と言ったのだ。』このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に、『あなたがたも離れて行きたいか』と言われた。シモン・ペトロが答えた。『主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。』すると、イエスは言われた。『あなたがた十二人は、わたしが選んだのではないか。ところが、その中の一人は悪魔だ。』イスカリオテのシモンの子ユダのことを言われたのである。このユダは、十二人の一人でありながら、イエスを裏切ろうとしていた。」

今日の個所には、わたしたちにとって残念であると感じられることが、繰り返し書かれています。それは、イエスさまの説教を聴いた弟子たちの多くがイエスさまから離れて行ったということです。また、イエスさまは最初から、イエスさまのお語りになる御言葉を信じて受け入れることができる人と、信じることも受け入れることもできない人とがいるということをご存じであったということです。そして、イエスさま御自身がお選びになった十二人の弟子たちの中にさえ、イエスさまを裏切ろうとしていた人がいたということです。

このことを読みながら思わず考え込んでしまいますことは、イエスさまはなぜ、そのような御言葉をお語りになったのだろうかということです。イエスさまはなぜ、誰にでも受け入れることができ、すべての人が信じることができるような御言葉をお語りにならなかったのだろうかということです。

このことは、教会の牧師の仕事をしている者にとっては、かなり深刻な問題でありえます。また、牧師でなくても教会の働きに積極的に参加してくださっている方々にとっても、大きな問題でありえます。なぜなら、教会の働きの中心は、イエス・キリストの御言葉をこの方がお語りになったとおりに宣べ伝えることだからです。別の言い方をしますと、教会がなすべきことはイエスさまの側に立つことだからです。

そのとき何が起こるかと言いますと、イエスさまが多くの弟子たちから受けた反発を、イエスさまの側に立っている教会も同じように受けるということです。なぜなら、イエスさまがお語りになった多くの人々から嫌われた言葉を、教会もイエスさまと同じように語るからです。教会がイエスさまの側に立つということは、多くの人々から嫌われたイエスさまの側に立つことによって、イエスさまと同じように多くの人々から嫌われるようになるということを意味しているのです。

しかし、果たしてそのようなことがわたしたちに可能でしょうか。わたしたちは、人から嫌われるということにどれくらい耐えられるでしょうか。このことは、ここに集まっているわたしたちだけに当てはまることではないと思いますが、おそらくは、なるべくなら人から嫌われないようにしたい。そのように思うことのほうが、わたしたちにとって当然の願いではないでしょうか。

しかし、そういうわけには行きませんというのが、どうやら今日の個所がわたしたちに教えていることです。そしてこのことは、わたしたちも体験的に知っていることでもあります。それは、イエスさまを信じることと同時に求められることがある、それは、イエスさまを信じない人々から嫌われる覚悟をしなければならないということです。

イエスさまは、なぜ嫌われたのでしょうか。ここに記されていることは、多くの人々はイエスさまがお語りになった言葉を聴いたとき、聴くに堪えないひどい話であると感じたということです。その内容は、これまで学んだ個所に記されていました。イエスさまは、御自身を指差して「わたしは命のパンである」(6・48など)とお語りになりました。そして「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」(6・53)と言われました。この御言葉を聴いた多くの人々が、これをとても気持ちの悪い話であると受け取ったのです。

しかし、この御言葉の真の意図は、イエスさまと真の意味で一体化することの必要性であると私は説明したつもりです。それは、イエスさまとの距離がゼロになること、イエスさまがこのわたしの心と体の中で生きて働くようになることです。イエスさまがわたしたちの外側におられるままであり、わたしたちがそのイエスさまのお姿を遠目に、ないし客観的に眺めている状態にあるままであるときには、わたしたちはまだ救われていないのです。わたしたちに求められているのはイエスさまと真に一体化するということであり、そしてまたそれこそが先ほど申し上げたイエスさまの側に立つということの、さらに先にある目標です。

これは決して抽象的な話ではないと私は信じております。なぜなら、教会がイエスさまの側に立つこと、そして究極的にはイエスさまとわたしたち教会の者たちが完全に一体化するということが意味していることは、イエスさまがその生涯において味わわれた苦しみをわたしたち自身も味わうということに他ならず、また、イエスさまがお感じになる喜びをわたしたち自身も喜ぶということに他ならないからです。もっと単純な言葉で言い直せば、イエスさまと共に生き、イエスさまと共に死ぬことがわたしたちに求められているのだ、ということです。

ここから先は少し言いにくい話をします。それは、私がこれまでに教会の牧師として体験してきたことです。このことは松戸小金原教会に限ったことではありませんが、教会というこの場所には実は非常に多くの人々が集まっています。ただしこれは一度だけとか、二度三度だけ、という方も含めての話です。私がこの教会に来てからの五年半の間だけを数えても、たった一度だけこの教会の礼拝に出席なさったという方は百人以上になります。しかし、とどまってくださる方はわずかです。その後、他の教会に出席なさっているということであるならば、わたしたちは慰められます。しかし、実際はどうでしょうか。一度の礼拝出席だけで、これは私の居るべき場所ではないとお感じになって、このようなところに二度と足を運ぶことはありえないと確信なさった方もおられるかもしれません。そのように考えますと、わたしたちは非常に大きな責任を痛感させられます。あのときわたしは何を語り、何をしたのか、わたしたちのどこに人をつまずかせる要素があったのかと自責の念にかられるばかりです。もっと魅力的で、もっと人の心にとどく言葉を語れる牧師となり、そのような教会になれたらよいのに、と思わされます。

しかしまた、そのような自問自答のなかで苦しみを感じながらも、いくらか言い訳がましい思いを持たないわけでもありません。それが、先ほどから申し上げていることです。わたしたち教会がなすべきことは、イエスさまの語られた言葉をそのまま宣べ伝えることであるという点です。その肝心のイエスさま御自身の御言葉そのものの中にもし人を躓かせる要素があるのだとしたら、その御言葉をそのまま宣べ伝えることが求められている教会のほうだけが責任をとらされるというのは、少し厳しすぎるところもあるのではないかということです。

もう少し別の言い方もしておきます。イエスさまが人々から嫌われた理由は、お語りになった言葉が誤解されやすいものであったということもさることながら、その内容において人々に一つの大きな決断を迫るものであったという点にあったと言わなければなりません。イエスさまが迫られたのは、「このわたしを信じなさい」ということです。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰をもつことへの決断です。信じるか信じないかという二者択一、「あれかこれか」をイエスさまは迫られました。信じることと信じないことの中間はありません。どちらでもないという未決定の状態、モラトリアムの状態はありません。イエスさまは、イエスさまのことを信じようとしない人々や、信仰と不信仰の中間にとどまろうとした人々に対して「信じること」を迫ったゆえに、嫌われたのです。

これは「敵か味方か」という話とは違うものです。聖書には「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」(マルコ9・40)、あるいは「あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである」(ルカ9・50)というイエスさま御自身の御言葉が出てきます。これも大切な真理ではあります。しかし「敵か味方か」という話と「イエスさまを信じるか信じないか」という話は別の話です。「信じないが敵でもない」という人々が存在するということを受け入れることと「無理して信じなくてもよい」とわたしたちが語ることは違うことなのです。わたしたち教会は「信じない人々は敵である」とは語りません。しかし、だからといって「信じる必要はない」とは、決して語りません。なぜなら、イエスさまが人々に迫られたことは「信じること」だけだったからです。

多くの弟子たちがイエスさまから離れてしまったとき、イエスさまは十二人の弟子たちに「あなたがたも離れて行きたいか」と質問なさいました。この御言葉に何となくではありますが、イエスさまがお感じになったかもしれない“寂しさ”のようなものを読み取ることは、あまりにも人間的すぎるでしょうか。イエスさまという方の本質を考えてみれば、たとえ弟子が一人もいなくなったとしても「寂しい」などとお感じになるような方ではなく、御自身おひとりですべてのことをなさる方であると考えるほうが正しいでしょうか。もしかしたら、そうなのかもしれません。

しかしその一方で、イエスさまはたしかに十二人の弟子たちをご自身でお選びになったという事実も無視することができません。おひとりで何でもなさることがおできになる全能の神であられる救い主イエス・キリストが、御自身の働きを助けてくれる仲間を、たしかに必要となさったのです。

ペトロが「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」と答えたとき、イエスさまはきっととても心強くお感じになったであろうと私は信じます。しかしまた、その十二人の弟子たちの中に、イエスさまが「その中の一人は悪魔だ」(70節)とまで言われた裏切り者のユダが含まれていたことをご存じであったイエスさまが深く悲しんでおられたであろうとも信じます。

イエスさまはわたしたち一人一人にも、いま、決断を迫っておられます。「わたしを信じなさい」と。わたしをあなたのものにしなさい、そして「わたしに従いなさい」と。

(2009年8月16日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年8月15日土曜日

「国旗・国歌法 成立10年 踏み絵としての斉唱」の論旨に賛成 追記

磯村健太郎氏が書いていることをよくお読みいただくと、「君が代の歌詞は天皇制をたたえる内容であり、入学・卒業を祝う場にはそぐわないと思っている。有無を言わせずに強いられると、まるで天皇を『神』とする宗教のように感じてしまう」のは、磯村氏自身ではなく、「音楽教員で、英国国教会系の日本聖公会の信徒」である「東京都の公立小学校に勤める岸田静枝さん(59)」であるということを理解していただけます。



もちろん「君が代の歌詞は天皇制をたたえる内容であり」という要約の仕方が乱暴すぎるという批判が出てくるかもしれないわけですが、この記事の趣旨からいえば、重点はそこにはなく、むしろ「有無を言わせずに強いられると、まるで・・・のように感じてしまう」という点の問題性を告発しているものであるということも理解していただけるはずです。



私の読み方が間違っていなければ、磯村氏が代弁している岸田氏の主張の中心にあるのは、言ってみれば、肌感覚レベルの事柄です。「・・・そぐわないと思っている」とか「まるで・・・のように感じてしまう」という表現に表れているとおりです。



つまりここで問題とされていることは、ある特定の宗教・思想・信条等を国家ないし警察権力をもって強制されることによって国民の中に起こる、さまざまな感情的反発の中身です。そして日本国民の中には「日の丸・君が代」が「踏み絵」であると“感じる”人もいるということです。



私はこの“感覚”を共有できる人間ですので、記事に賛成しました。



2009年8月9日日曜日

らくだは針の穴を通れない ~誰のための人生か~


ルカによる福音書18・18~30

「ある議員がイエスに、『善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか』と尋ねた。イエスは言われた。『なぜ、わたしを「善い」と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。「姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え」という掟をあなたは知っているはずだ。』すると議員は、『そういうことはみな、子供の時から守ってきました』と言った。これを聞いて、イエスは言われた。『あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。』しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。イエスは、議員が非常に悲しむのを見て、言われた。『財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。』これを聞いた人々が、『それでは、だれが救われるのだろうか』と言うと、イエスは、『人間にはできないことも、神にはできる』と言われた。すると、ペトロが、『このとおり、わたしたちは自分の物を捨ててあなたに従って参りました』と言った。イエスは言われた。『はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。』」

今日は千城台教会の講壇に初めて立たせていただきます。皆さんに開いていただいた聖書の個所には、共観福音書のすべてに紹介されている出来事が記されています。共観福音書とは、マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書のことです。つまり、わたしたちが新約聖書というこの形の本を開いて読んでいきますと同じ話を三度繰り返して読むことになるわけです。これは三度でも何度でも繰り返して読む価値がある、大変重要な話であるということにしておきましょう。

登場人物は、イエスさまの他には、二人います。一人は「議員」と呼ばれています。ユダヤの最高法院(サンヘドリン)の議員です。もう一人はイエスさまの弟子のペトロです。しかし今日は、時間の関係で「議員」のほうに絞ってお話しいたします。

最初に考えていただきたいことは、彼が「議員」であったということの意味です。彼が属していたユダヤの最高法院(サンヘドリン)は、当時のユダヤ社会を支配していた最高権力者会議です。その会議はわずか70人で構成されていました。より正確に言えば議長と副議長を含めた72人であったとも言われています。

一つの国をたった72人で支配する。想像するだけでぞっとするものを私は感じます。ひとりの支配者による独裁政権とは違います。しかし、少数者が権力を握って離さない状態がそこにあり、権力のほとんど一極集中と言ってよい状態があったと考えることができるでしょう。

つまり、ここに出てくる「議員」は、そのまさに最高権力者会議のメンバーズリストに名を連ねていた一人であるということです。この点は要チェック事項です。なぜなら、彼が「議員」であったというこの点は、イエスさまとこの人の言葉のやりとりを理解する上でかなり重要な意味を持っていると思われるからです。ぜひ考えてみていただきたいことは、この「人」と話しをすることは、事実上その「国」と話しをするということに等しいということです。いまの日本の国会議員722人(衆議院480人、参議院242人)が日本国民を代表する存在になりえているかどうかは不明です。しかし、あの人々がそうなりえているかどうかはともかく、あの人々こそが、日本国民を代表する存在にならなければならないはずです。それが「議員」の役割でしょう。

その「議員」がイエスさまのところに来て、一つの質問をしました。「何をすれば、永遠の命を受け継ぐことができるのでしょうか」。この質問の意図をわたしたちがおそらく最も理解しやすいであろう言葉で言い換えるとしたら「どうすれば天国に行けるのでしょうか」です。その場合の「天国」とはいわゆる死後の世界です。わたしたち人間が死んだあとに行く場所のことです。つまり、この「議員」はイエスさまのところに来て何をしているのかというと、要するに、自分の死後の相談をしているのです。彼が心配していることは、自分の死後の行く先です。

しかも、ここでこそチェックしておきたいことは、マタイによる福音書の中でこれと同じ出来事を紹介している記事の中で、この議員が「青年」と呼ばれている点です(マタイ19・20)。どうやら彼は若い人でした。つまりこれは、若い人が自分の死後の行く先を心配している話であるということです。高齢者がそのような心配を抱くという話であれば、まだ理解できるものがあります。同情に値します。しかし、この議員にはこの地上でしなければならないことが、まだまだたくさん残っていた。その彼が、自分の死後の行く先が心配になってイエスさまのもとに相談に来たという、考えてみるとかなり奇妙な情景を思い浮かべることができそうなのです。

その彼に対して、イエスさまが最初にお答えになったことは、「姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え」という掟をあなたは知っているはずだ」です。これはモーセの十戒の特に後半部分です。いわゆる隣人に対する愛の戒めです。地上生活を正しく営むための倫理の命題と言ってもよいものです。すると、この議員は「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言いました。おそらく彼は、子どもの頃から高度の宗教教育を受けて来たのです。わたしは間違ったことをしてこなかった。神さまから嫌われる理由は無い、と言いたかったのでしょう。

ところが、です。イエスさまは彼に「あなたに欠けているものがまだ一つある」とお続けになりました。「持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」

注目していただきたいのは、イエスさまが彼に欠けているものは「一つ」であると言っておられることです。しかし実際には二つのことをおっしゃっているようにも読めます。それは「持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやること」と「わたしに従うこと」の二つです。しかしこの二つが「一つ」であると言われていることが重要です。イエスさまは、御自身に従うことと、持っている物を換金して貧しい人々に分けてやることとは、同じ一つのことであると言っておられるのです。

この話を聞いて、彼は「非常に悲しんだ」と記されています(24節)。マタイとマルコには「悲しみながら立ち去った」と記されています(マタイ19・22、マルコ10・22)。そして、彼が悲しみながら立ち去った理由も共観福音書のすべてに記されています。「大変な金持ちだったから」です。

しかし、どうでしょう。私はこの結末を読むたびに、「ちょっと待った!」と彼を後ろから呼びとめたくなります。そしてこの人に「あなたはイエスさまに何を相談しにきたのですか」と聞いてみたくなります。他にもたくさん問うてみたいことがあります。小一時間、問い詰めたい思いです。

あなたは確かに金持ちなのかもしれません。若いのに多くの財産を持っている。その財産が自分で稼いだものなのか、親から受け継いだものかは問わないでおきましょう。しかしどうしても気になることがあります。それは、「どうしたら永遠の命を受け継ぐことができるのか」というあなたの問いの中心にある事柄はただ単に自分の死後の行く先だけなのでしょうかということです。どうやらあなたは、ともかく自分だけは地上で幸せな人生を送り、さらに死んだあとまでも天国で幸せに暮らしたいと願っておられるようです。しかし、そのあなたの周りには地上の苦しみを味わっている国民が大勢います。いやしくも「議員」を名乗っているあなたの視野に国民の姿は全く入っていないのでしょうか。全く無視ですか。あなたは自分さえ良ければいいのですか。

そして最後に一つ付け加えたいことは「あなたの求めている天国には、お金は持っていけませんよ」ということです。あるいは「お金で天国を買うこともできませんよ」とも言ってみたい。このようなことを言いながら、だんだん腹が立ってくるかもしれません。

しかし、今申し上げたことはすべて私の考えです。イエスさまが同じことをお考えになったかどうかは分かりませんし、腹を立てられたかどうかも分かりません。しかし、断言できることがあります。それは、イエスさまがこの議員に対しておっしゃったことは大変厳しい内容をもっているということです。そしてその際どうしても無視できないことは、彼が国民の代表者であるべき人であったということです。彼が本当はしなければならないことは、自分の死後の心配などそっちのけで、国民の日常生活を心配することであったということです。この私の見方は間違っているでしょうか。

続けてイエスさまがおっしゃっていることは、ユーモアというよりは痛烈な皮肉です。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」このイエスさまの御言葉の解釈をめぐって必ず問題になるのは、「財産のある者が神の国に入ること」は「難しいことであるが可能なことである」ということなのか、それとも「全く不可能なこと」なのかという点です。

それで必ず問題になるのが「らくだが針の穴を通ること」は「可能」か「不可能」かという点です。驚くべきことに「可能」であると解釈する人々がいます。ただし、その解釈には特殊な手続きが必要です。その人々は、「針の穴」とは実はエルサレム神殿の一つの門の名前であるとします。ところが、その門は狭く窮屈なので、らくだたちは身をかがめて通る必要がある。しかし、全く通れないわけではない。求められるのは頭を下げること、すなわち謙遜な態度で通ることであると。

しかし、私が信頼を置いている注解書は、そのような解釈は無理であると主張しています。イエスさまがおっしゃっているのはラビたちも用いた誇張表現である。イエスさまが用いられた誇張表現の例としては「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか」(マタイ7・3)などを挙げることができると。

私に言えることは、素朴に読めば「らくだは針の穴を通れない」としか読めないということです。そして、イエスさまが彼に語ろうとなさったことはこうであると私は理解します。もしあなたの視野と関心の中に「貧しい人々」が全く入っていないならば、あなたがた「議員」に託されているこの国が「神の国」になることは「不可能」である。従って、あなたは「神の国」に入ることはできない。

この話をわたしたちにとっての希望のメッセージとして受け取るためには、いま申し上げたことをちょうど正反対に言い直せばよいだけです。つまり、「財産のある人々」は「貧しい人々」の現実に目を向けなさいということです。これは使徒パウロがローマの信徒への手紙(14~15章)に書いている「強い者が弱い者を担うべきである」という教えにも共通しています。逆はありえません。弱い者が強い者を担うことはできません。強い者、あるいは財産を持っている人々が全力を尽くして弱い者、貧しい人々を助け、共に生きる道を探らなければならないのです。

(2009年8月9日、日本キリスト改革派千城台教会主日礼拝)


2009年8月8日土曜日

「国旗・国歌法 成立10年 踏み絵としての斉唱」の論旨に賛成

今日の朝日新聞の朝刊(13版)の文化欄(25面)に掲載されている「国旗・国歌法 成立10年 踏み絵としての斉唱」という記事を読みました。まことにそのとおりと思いましたので、連帯の意志を表します。



この記事は東京都の公立小学校に勤めるキリスト者の音楽教員(59歳)の苦悩を紹介しています。記者は磯村健太郎氏です。



「君が代の歌詞は天皇制をたたえる内容であり、入学・卒業を祝う場にはそぐわないと思っている。有無を言わせずに強いられると、まるで天皇を『神』とする宗教のように感じてしまう。君が代のピアノ演奏を命じられることは棄教を迫られるのに等しく、思想・良心の自由とともに、いわば信教の自由の問題にもかかわる問題であるという」。



「それでも、心は揺れた」とあります。「戒告と減給の処分を計4回受けたが、次に予想される停職1ヵ月の処分は避けたかった。定年を来春に控えた彼女にとって児童と過ごす時間は宝物のよう。わずかの間でも引き離されるのは耐えられなかった」。



心は「揺れない」わけではなく「揺れる」。これは信仰の弱さの表れであるとか、首尾一貫性の無さであるというような冷酷な言葉で批判的に追及されるべきことではありません。日本で公務に就いているキリスト者たちの思いを正しく表しているものと思いました(私が生まれる前からキリスト者であった我が両親も公務員でしたので、微妙なニュアンスまで手に取るように分かります)。



「そこで05年4月以降は入学式と卒業式の当日、休みを取ったり、君が代斉唱が終わったあとに途中入場したりした。式典で起立や演奏を拒否したのではないため、処分はなかった。しかし『私は子どもたちを式場に残したまま逃げたのです』と自分を責め続けている」。



そして、この記事は次の言葉で締めくくられています。「(校長の職務)命令に痛みを感じる者がわずかでもいる限り、その心に思いを巡らすことが民主主義には決定的に大切であるはずだ」。



日の丸・君が代の問題は、「信教の自由」という観点から見られるときこそ、問題の核心が端的に姿を表します。我々キリスト者が「信教の自由」を主張するときには、強い自戒と反省の思いを抱いています。なぜならそれは、欧米の歴史の中では主として「キリスト教会の(悪しき)政治的支配力から解放されたい」という市民の願いによって獲得されたものでもあるからです。そのことを我々教会の者たちは、知らずにいるわけではありません。



しかしまた、我々には「そうであるからこそ」言えることもあると思っているのです。「宗教を有無を言わせずに強いられること」に耐えがたい思いを抱き、徹底的に抵抗することこそが(「古代」や「中世」の人間ではなく)「近代」ないし「現代」の人間の特徴であるということをおそらくどこよりも誰よりも深く自覚しているのはキリスト教会自身なのです。



最近は少しぐらいは傾向が変わってきているらしいと聞くことがあるのですが、私の幼い頃(「昭和」で言えば40年代から50年代にかけての記憶)の日本にはキリスト教に対する偏見や反発が非常に強くありました。その中で私は教会の日曜学校をほとんど休んだことがない人間でしたが、それこそまるで常に被告人席に座らされているかのような気分に苛まれながら、小さく丸まって生きていました。マイノリティとしての悲哀を味わった、というようなどこかしらC調な言い方では説明し尽くせないほどの精神的なダメージを少なからず負いながら生きていました。



もちろん、立場を逆にしてみれば、キリスト教が支配的な国の中では、他の宗教の人々が小さく丸まって生きることを強いられていた(いる)かもしれない。しかし、まさにそのときにこそ「民主主義」が本来の機能を発揮すべきです。民主主義が許さないのは、特定の宗教・思想・信条を「国家ないし警察権力をもって」有無を言わさず強制することです。現在の日本の公立学校の教員たちに強いられていることは、まさにそれです。



私自身は「右翼」でも「左翼」でもないと思っています。というか右翼の人からも左翼の人からも違和感を覚えられる存在に見えるでしょう(「中道」でもないので宇宙人に見えるかもしれません)。しかし、現在の日本政治のあり方に対しては手放しに肯定している面(いろんな点で便利になり、生活していくことにほとんど不自由を感じていないゆえに)と、根源的な次元で否定している面(日の丸・君が代などを強制しようなどという、ありえないほどいかがわしい面が残り続けているゆえに)とがあります。



私は日本国内からほとんど出たことがありませんが、ふだんは「日本の」旗や歌とは全く無関係なところで生活していますので(はっきり言ってどうでもいいと思っているところがある)、「国旗・国歌」なるものに関して「ポジティヴな代案」を提出できる立場にはいません。独立国家には自国のシンボルとなる旗や歌が必要不可欠なのだという言葉を聞いても何の説得力も感じませんが、何が何でも必要であるということであるならば、天皇賛美(それは宗教です)につながらない全く別のものに変えてほしいと願っています。



だんだん自分の身の上話になってしまいました。すみません。この記事をお書きになった磯村健太郎氏にも感謝します。



拡散はまずい、収斂せよ

TwitterとFacebookを始めてみて一週間経ちました。今の感想は微妙です。



意識がどんどん拡散していくのを実感しました。いま「実感」と書きましたが、正しくは「痛感」です。パソコンの前にいるときには、メールと、ブログと、mixiと、Twitterと、Facebookと、ついでにWassrというのも加わって6ポイントを順繰りにチェックし続けている状態になり、小さなパニックでした。メールの返信やブログの更新に支障をきたすほどでした。



もう少し慣れれば変わってくるものがあるのかもしれませんが、いまの状態のままが続くようだと私のキャパを超えます。「ダメだこりゃ」です。パソコンの命は「いかに一極集中しうるか」にかかっていると考えている私としては、意識が拡散されていく方向へと自分を追いこんでしまうことは、ポリシーに反します。



まあ、もう少し実験したり様子を見たりしてみたいとは思っていますが、結局はメールとブログだけのところまで戻ってしまいそうな気がしています。



欲を言えば、本当は私はそろそろネットから・・・いえ、これは言わないでおきます。



2009年8月7日金曜日

理想と現実

ちょっと大げさなタイトルを付けました。先ほどのことですが、Facebookにファン・ルーラーに関するページが無いことが分かりましたので、さっそく新設しておきました。表題は「Arnold Albert van Ruler」です。興味がある方はぜひ探してみてください。



この話題、「Facebookが何のことか分からない」という方は無視してくださって結構です。私としても、新しいページを設置はしましたが、「管理人」のようなことを自任するつもりは全くありません。ぜひいろいろ教えてください、という気持ちです。



それに、Facebookに期待したいのは、何と言ってもやはり「国際的な」関係構築でしょう。日本語のやりとりにはあまり向いていない感じです。外国語のコミュニケーションが得意でない私は、ただ傍観するのみです。



ところで、これはまだ私見ですが、「ファン・ルーラー研究会」(Van Ruler Translation Society)を今後どのように続けていくべきかを考えています。



いまからちょうど10年前(1999年)にメーリングリストの形でスタートした研究会ですが、メーリングリストを介しての神学議論は、あまりにもダイレクトすぎるからでしょう、心理的にショックが大きすぎるものがあることを互いに認識し、現在はメールのやりとりを停止しています。



しかし、ファン・ルーラー研究会そのものは解散したわけでも消滅したわけでもなく、今でも存続しています。我々の最終目標である日本語版『ファン・ルーラー著作集』(仮称)の出版が実現するまで、研究会は存続するでしょう。とはいえ、メーリングリストでのやりとりを再開することはかなり難しいだろうと私は考えています。



それではどうするか。最も理想に近いのは、FacebookのようなSNS(ソーシャルネットワークサーヴィス)を利用したやりとりかなと思っています。ただし我々の研究会の本質は「翻訳会」(Translation Society)ですから、もっぱら日本語でやりとりできるSNSであることが重要な意味を持ちます。



mixiが利用できるかと少し期待しましたが、匿名性が高く、馴染まないものがあると分かりました(mixiそのものを批判しているのではありません。「ファン・ルーラー研究会」の活動の場にはなりにくいと言っているだけです)。



どうしたものかと悩んでいます。



脱稿

ストライキしていたわが脳みそくんを叱咤激励しながら、ようやく今日、一つの原稿を書き上げて編集者に送ることができました。ファン・ルーラーについて書いたものですが、ある大学の出版会が発行する教材誌に掲載していただける予定です。しかし、この安堵感も束の間、もう一つ、ピリピリしながら待たれている原稿が残っています。がんばらねば。