「今週の説教」のブログ更新とメールマガジン発行が長らく滞っていましたが、本日やっと遅れを取り戻すことができました。これからもどうかよろしくお願いいたします。
今週の説教 ブログ(デザインを新しくしました)
http://sermon.reformed.jp
今週の説教 メールマガジン(添付PDFをA4判に変更しました)
http://groups.yahoo.co.jp/group/e-sermon/
「今週の説教」のブログ更新とメールマガジン発行が長らく滞っていましたが、本日やっと遅れを取り戻すことができました。これからもどうかよろしくお願いいたします。
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私設ブログ「今週の説教」の更新がこのところ滞っていましたが、とりあえず今夜、これまでのいくつかの礼拝説教のMP3音声を公開することができました(7月12日分と8月9日分の音声が無いのは、他の教会で説教したからです)。
「今週の説教メールマガジン」のほうは、2009年7月5日号(第273号)の配信を最後に、ストップしたままです。こちらも何とかしなければなりません。
これほど長期の停滞状態に陥ってしまったのは、今からちょうど5年前の2004年9月に礼拝説教をブログとメールマガジンで公開しはじめて以来、初めてのことです。
原因は、はっきりと自覚しております。7月初旬に勃発した(より正確には「発覚した」)あるひとつの出来事がきっかけとなって、身辺(わが家や松戸小金原教会の内部ではありません)が急激に変化し、精神的・心理的な面でも非常に大きな負担がかかる状況の中へと巻き込まれてしまったことにあります。しかし、先週の後半あたりから少しずつですが、落ち着きを取り戻しはじめています。
これから何とか踏ん張って、元のペースを取り戻すつもりです。とくにメールマガジンのほうは、記念すべき「第300号」まで残り27回ですので(といっても到達は半年先のことですが)、こんなところで頓挫している場合ではありません。
ついでに紹介。私設ブログ「改革派教義学~カルヴァンからファン・ルーラーまで~」に、20世紀初頭のオランダで活躍した教義学者ヘルマン・バーフィンク(Herman Bavinck [1854-1921])の著書の一覧表をアップしました。まだ日本語に訳せていない部分がたくさんありますが、これだけでもごく大雑把な流れくらいは分かるはずです。
バーフィンク文献目録(改革派教義学~カルヴァンからファン・ルーラーまで~)http://dogmatics.reformed.jp/bavinck_bibliography.html
磯村健太郎氏が書いていることをよくお読みいただくと、「君が代の歌詞は天皇制をたたえる内容であり、入学・卒業を祝う場にはそぐわないと思っている。有無を言わせずに強いられると、まるで天皇を『神』とする宗教のように感じてしまう」のは、磯村氏自身ではなく、「音楽教員で、英国国教会系の日本聖公会の信徒」である「東京都の公立小学校に勤める岸田静枝さん(59)」であるということを理解していただけます。
もちろん「君が代の歌詞は天皇制をたたえる内容であり」という要約の仕方が乱暴すぎるという批判が出てくるかもしれないわけですが、この記事の趣旨からいえば、重点はそこにはなく、むしろ「有無を言わせずに強いられると、まるで・・・のように感じてしまう」という点の問題性を告発しているものであるということも理解していただけるはずです。
私の読み方が間違っていなければ、磯村氏が代弁している岸田氏の主張の中心にあるのは、言ってみれば、肌感覚レベルの事柄です。「・・・そぐわないと思っている」とか「まるで・・・のように感じてしまう」という表現に表れているとおりです。
つまりここで問題とされていることは、ある特定の宗教・思想・信条等を国家ないし警察権力をもって強制されることによって国民の中に起こる、さまざまな感情的反発の中身です。そして日本国民の中には「日の丸・君が代」が「踏み絵」であると“感じる”人もいるということです。
私はこの“感覚”を共有できる人間ですので、記事に賛成しました。
今日の朝日新聞の朝刊(13版)の文化欄(25面)に掲載されている「国旗・国歌法 成立10年 踏み絵としての斉唱」という記事を読みました。まことにそのとおりと思いましたので、連帯の意志を表します。
この記事は東京都の公立小学校に勤めるキリスト者の音楽教員(59歳)の苦悩を紹介しています。記者は磯村健太郎氏です。
「君が代の歌詞は天皇制をたたえる内容であり、入学・卒業を祝う場にはそぐわないと思っている。有無を言わせずに強いられると、まるで天皇を『神』とする宗教のように感じてしまう。君が代のピアノ演奏を命じられることは棄教を迫られるのに等しく、思想・良心の自由とともに、いわば信教の自由の問題にもかかわる問題であるという」。
「それでも、心は揺れた」とあります。「戒告と減給の処分を計4回受けたが、次に予想される停職1ヵ月の処分は避けたかった。定年を来春に控えた彼女にとって児童と過ごす時間は宝物のよう。わずかの間でも引き離されるのは耐えられなかった」。
心は「揺れない」わけではなく「揺れる」。これは信仰の弱さの表れであるとか、首尾一貫性の無さであるというような冷酷な言葉で批判的に追及されるべきことではありません。日本で公務に就いているキリスト者たちの思いを正しく表しているものと思いました(私が生まれる前からキリスト者であった我が両親も公務員でしたので、微妙なニュアンスまで手に取るように分かります)。
「そこで05年4月以降は入学式と卒業式の当日、休みを取ったり、君が代斉唱が終わったあとに途中入場したりした。式典で起立や演奏を拒否したのではないため、処分はなかった。しかし『私は子どもたちを式場に残したまま逃げたのです』と自分を責め続けている」。
そして、この記事は次の言葉で締めくくられています。「(校長の職務)命令に痛みを感じる者がわずかでもいる限り、その心に思いを巡らすことが民主主義には決定的に大切であるはずだ」。
日の丸・君が代の問題は、「信教の自由」という観点から見られるときこそ、問題の核心が端的に姿を表します。我々キリスト者が「信教の自由」を主張するときには、強い自戒と反省の思いを抱いています。なぜならそれは、欧米の歴史の中では主として「キリスト教会の(悪しき)政治的支配力から解放されたい」という市民の願いによって獲得されたものでもあるからです。そのことを我々教会の者たちは、知らずにいるわけではありません。
しかしまた、我々には「そうであるからこそ」言えることもあると思っているのです。「宗教を有無を言わせずに強いられること」に耐えがたい思いを抱き、徹底的に抵抗することこそが(「古代」や「中世」の人間ではなく)「近代」ないし「現代」の人間の特徴であるということをおそらくどこよりも誰よりも深く自覚しているのはキリスト教会自身なのです。
最近は少しぐらいは傾向が変わってきているらしいと聞くことがあるのですが、私の幼い頃(「昭和」で言えば40年代から50年代にかけての記憶)の日本にはキリスト教に対する偏見や反発が非常に強くありました。その中で私は教会の日曜学校をほとんど休んだことがない人間でしたが、それこそまるで常に被告人席に座らされているかのような気分に苛まれながら、小さく丸まって生きていました。マイノリティとしての悲哀を味わった、というようなどこかしらC調な言い方では説明し尽くせないほどの精神的なダメージを少なからず負いながら生きていました。
もちろん、立場を逆にしてみれば、キリスト教が支配的な国の中では、他の宗教の人々が小さく丸まって生きることを強いられていた(いる)かもしれない。しかし、まさにそのときにこそ「民主主義」が本来の機能を発揮すべきです。民主主義が許さないのは、特定の宗教・思想・信条を「国家ないし警察権力をもって」有無を言わさず強制することです。現在の日本の公立学校の教員たちに強いられていることは、まさにそれです。
私自身は「右翼」でも「左翼」でもないと思っています。というか右翼の人からも左翼の人からも違和感を覚えられる存在に見えるでしょう(「中道」でもないので宇宙人に見えるかもしれません)。しかし、現在の日本政治のあり方に対しては手放しに肯定している面(いろんな点で便利になり、生活していくことにほとんど不自由を感じていないゆえに)と、根源的な次元で否定している面(日の丸・君が代などを強制しようなどという、ありえないほどいかがわしい面が残り続けているゆえに)とがあります。
私は日本国内からほとんど出たことがありませんが、ふだんは「日本の」旗や歌とは全く無関係なところで生活していますので(はっきり言ってどうでもいいと思っているところがある)、「国旗・国歌」なるものに関して「ポジティヴな代案」を提出できる立場にはいません。独立国家には自国のシンボルとなる旗や歌が必要不可欠なのだという言葉を聞いても何の説得力も感じませんが、何が何でも必要であるということであるならば、天皇賛美(それは宗教です)につながらない全く別のものに変えてほしいと願っています。
だんだん自分の身の上話になってしまいました。すみません。この記事をお書きになった磯村健太郎氏にも感謝します。
TwitterとFacebookを始めてみて一週間経ちました。今の感想は微妙です。
意識がどんどん拡散していくのを実感しました。いま「実感」と書きましたが、正しくは「痛感」です。パソコンの前にいるときには、メールと、ブログと、mixiと、Twitterと、Facebookと、ついでにWassrというのも加わって6ポイントを順繰りにチェックし続けている状態になり、小さなパニックでした。メールの返信やブログの更新に支障をきたすほどでした。
もう少し慣れれば変わってくるものがあるのかもしれませんが、いまの状態のままが続くようだと私のキャパを超えます。「ダメだこりゃ」です。パソコンの命は「いかに一極集中しうるか」にかかっていると考えている私としては、意識が拡散されていく方向へと自分を追いこんでしまうことは、ポリシーに反します。
まあ、もう少し実験したり様子を見たりしてみたいとは思っていますが、結局はメールとブログだけのところまで戻ってしまいそうな気がしています。
欲を言えば、本当は私はそろそろネットから・・・いえ、これは言わないでおきます。
ちょっと大げさなタイトルを付けました。先ほどのことですが、Facebookにファン・ルーラーに関するページが無いことが分かりましたので、さっそく新設しておきました。表題は「Arnold Albert van Ruler」です。興味がある方はぜひ探してみてください。
この話題、「Facebookが何のことか分からない」という方は無視してくださって結構です。私としても、新しいページを設置はしましたが、「管理人」のようなことを自任するつもりは全くありません。ぜひいろいろ教えてください、という気持ちです。
それに、Facebookに期待したいのは、何と言ってもやはり「国際的な」関係構築でしょう。日本語のやりとりにはあまり向いていない感じです。外国語のコミュニケーションが得意でない私は、ただ傍観するのみです。
ところで、これはまだ私見ですが、「ファン・ルーラー研究会」(Van Ruler Translation Society)を今後どのように続けていくべきかを考えています。
いまからちょうど10年前(1999年)にメーリングリストの形でスタートした研究会ですが、メーリングリストを介しての神学議論は、あまりにもダイレクトすぎるからでしょう、心理的にショックが大きすぎるものがあることを互いに認識し、現在はメールのやりとりを停止しています。
しかし、ファン・ルーラー研究会そのものは解散したわけでも消滅したわけでもなく、今でも存続しています。我々の最終目標である日本語版『ファン・ルーラー著作集』(仮称)の出版が実現するまで、研究会は存続するでしょう。とはいえ、メーリングリストでのやりとりを再開することはかなり難しいだろうと私は考えています。
それではどうするか。最も理想に近いのは、FacebookのようなSNS(ソーシャルネットワークサーヴィス)を利用したやりとりかなと思っています。ただし我々の研究会の本質は「翻訳会」(Translation Society)ですから、もっぱら日本語でやりとりできるSNSであることが重要な意味を持ちます。
mixiが利用できるかと少し期待しましたが、匿名性が高く、馴染まないものがあると分かりました(mixiそのものを批判しているのではありません。「ファン・ルーラー研究会」の活動の場にはなりにくいと言っているだけです)。
どうしたものかと悩んでいます。