2009年5月30日土曜日

遊び人の発想(2)

前にも書きましたとおり、ノートパソコンに入っていたデータのほとんどは会議録とか名簿のようなものではありません。そのような教会関係のデータのほとんどは、それをプリントアウトして教会役員なり教会員なりに配布します。そして最終的には記録誌にして製本します。その時点でデジタルデータそのものは、役割を終えるのです。



それが時代遅れなのかどうかの判断は難しいものですが、教会の世界は依然として、なんらペーパーレス社会ではありません。ペーパーにしてなんぼの世界なのです。



もちろん、データファイルとしてパソコン内に保存しておくほうが便利だと思えるものもあります。毎年行っている行事などの場合は、前年に行ったことが「ひな型」になりますので、前年のデータファイルが残っていれば、ゼロから作り直す必要がなくなる。



しかし逆にいえば、それらのファイルは「ひな型」としての価値しかないものです。ゼロから作り直す必要がないので便利、というだけのことです。上記のとおり、データの内容は、プリントして配布し、さらに記録誌を作成した時点で役割を終えます。後生大事に保存しておく必要は何もありません。しかし、このたび復旧しえた95%のデータは、この部分です。





遊び人の発想(3)

失った5%の中身は何だったか。それは、説教や論文や翻訳などの「下書き」(未発表文書)です。それらのうちで「下書き以上、ペーパー化未満」のものの多くはブログ上にさらしてきましたので(つまりそれはデジタルデータが(ウェブ上にであれ)存在するということですので)、すべてセーフです。



しかし、未発表文書の中には、最近のものだけではなく、十二、三年前から「下書き」のままのものも含まれています。古くからの「下書き」の中にはペーパーとしてプリントアウトしてファイリングしてあるものも結構あるのですが、プリントアウトした後にもちょこちょこと(数行分とか数単語分とかの程度を繰り返し)書き直していますので、「最新版」は常にパソコン内にあるという状態になっています。



そのような微妙な書き直し(いわゆるマイナーチェンジというやつです)は、「あ!」とひらめくものがあるたびに行ってきたものですが、そのたびにバックアップ用の外付けハードディスクがブンブン回りはじめますとパソコン全体がフリーズしそうになったり、動きが遅くなります。私のパソコンは会社に備え付けられているような立派なものではなく、自費で買える程度の性能の低いものですから。そのため、ふだんはバックアップ用の外付けハードディスクは外しているのです。



「大切だと思っているのなら、なぜバックアップしていなかったのか」と詰問されると答えに窮するものがあるのですが、その理由は大体ここに書いたようなことです。





遊び人の発想(1)

パソコン関連については、ほぼ復旧いたしました。クラッシュしたノートパソコンがとてもお気に入りのものだったこともあり、壊れて(壊して)しばらくは脳内がフリーズしていた面があります。しかし、落ち着いてからいろいろ考えているうちに、ここにもあそこにもデータをバックアップしていたことを思い出し、それらを手繰り寄せていくうちに、ほぼ95%はデータを復旧できました。ありがたいことだと思っています。



ところで、「データのバックアップ」という問題については、この機会にいろいろ考えさせられました。「バックアップするのが当然。していない人間は愚か」という意見を聞くことができたからです。



しかし、私は、このような意見をこのたび何度となく聞かされるに及んで、なにかとても深い違和感にとらわれてしまったのです。それで考えさせられたのは、「この違和感の正体は何なのだろうか」ということです。



それで、やっと少し分かってきたのです。



ああ、牧師ってやっぱり基本が「遊び人」なのだと(私だけかもしれませんが)。



会社勤めをしておられる方々とは、パソコンの使い方が根本的に違うようだと。



2009年5月26日火曜日

今年の「生誕祭」ベスト20

どなたが調べてくださったのかは分かりませんが、「2009年 記念 生誕」の検索語でgoogle検索してみると、興味深い順位で表示されることを知りました。われらがカルヴァン先生の大健闘を見よ!(ファン・ルーラー先生は昨年2008年が「生誕100年」でした)



○今年の「生誕祭」ベスト20(重複記事は除く、2009年5月25日現在)



第1位 「松本清張 生誕100年」(小説家、まつもとせいちょう)



第2位 「カルヴァン生誕500年」(拍手!パチパチ)



第3位 「スズキアルト生誕30年」(自動車)



第4位 「赤坂小梅 生誕100年」(民謡歌手、あかさかこうめ)



第5位 「ダーウィン生誕200年」(科学者)



第6位 「手塚 治 生誕80年」(漫画家、てづかおさむ)



第7位 「太宰 治 生誕100年」(小説家、だざいおさむ)



第8位 「加藤清正 生誕450年」(熊本大名、かとうきよまさ)



第9位 「ゲームボーイ生誕20年」(ゲーム機)



第10位 「吉澤儀造 生誕140年」(洋画家、よしざわぎぞう)



第11位 「小泉信三 生誕120年」(慶応義塾塾長、こいずみしんぞう)



第12位 「楊洲周延 生誕170年」(浮世絵師、ようしゅうちかのぶ)



第13位 「バート・バカラック生誕80年」(歌手)



第14位 「横山隆一 生誕100年」(漫画家、よこやまりゅういち)



第15位 「メンデルスゾーン生誕200年」(作曲家)



第16位 「向田邦子 生誕80年」(脚本家、むこうだくにこ)



第17位 「オリヴィエ・メシアン生誕100年」(作曲家)



第18位 「土門 拳 生誕100年」(写真家、どもんけん)



第19位 「リンカーン生誕200年」(政治家)



第20位 「伊藤真乗 生誕100年」(真如苑開祖の方だそうです。いとうしんじょう)



2009年5月24日日曜日

人生における飛躍の要素


ヨハネによる福音書4・43~54

「二日後、イエスはそこを出発して、ガリラヤへ行かれた。イエスは自ら、『預言者は自分の故郷では敬われないものだ』とはっきり言われたことがある。ガリラヤにお着きになると、ガリラヤの人たちはイエスを歓迎した。彼らも祭りに行ったので、そのときエルサレムでイエスがなさったことをすべて、見ていたからである。イエスは、再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、前にイエスが水をぶどう酒に変えられた所である。さて、カファルナウムに王の役人がいて、その息子が病気であった。この人は、イエスがガリラヤに来られたと聞き、イエスのもとに行き、カファルナウムまで下って来て息子をいやしてくださるように頼んだ。息子が死にかかっていたからである。イエスは役人に、『あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない』と言われた。役人は、『主よ、子供が死なないうちに、おいでください』と言った。イエスは言われた。『帰りなさい。あなたの息子は生きる。』その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。ところが、下っていく途中、僕たちが迎えに来て、その子が生きていることを告げた。そこで、息子の病気が良くなった時刻を尋ねると、僕たちは、『きのうの午後一時に熱が下がりました』と言った。それは、イエスが『あなたの息子は生きる』と言われたのと同じ時刻であることを、この父親は知った。そして、彼もその家族もこぞって信じた。これは、イエスがユダヤからガリラヤに来てなされた、二回目のしるしである。」

今日の個所に記されていますのは、ヨハネによりますと、わたしたちの救い主イエス・キリストが行ってくださった「二回目のしるし」です。

これが二回目であるということは、当然、これより前に一回目があったということです。「最初のしるし」の内容は、カナの婚礼において水をぶどう酒にお変えになるというものでした。それは驚くべき奇跡的なみわざでした。「二回目のしるし」もまさに驚くべき奇跡的なみわざでした。それはどのようなものであったのかを、これから見ていきたいと思います。

その際、今日、皆さんに注目していただきたいと願っており、私自身もこだわりたいと思っている問題は、この「二回目のしるし」が行われた場所はどこだったのかということです。後ほど詳しく申し上げますが、この点はこの個所全体を理解するためにとても重要な意味を持っているからです。

考えられる可能性は二つです。第一は、「二回目のしるし」はガリラヤのカナで行われた可能性です。「イエスは、再びガリラヤのカナに行かれた」(46節)と記されていることを重んじ、そこからの移動はないと考えることです。

しかし、第二の可能性があります。それは、今日の個所に登場する「カファルナウムの役人」は、マタイによる福音書(8・5~13)とルカによる福音書(7・1~10)に出てくるあの「百人隊長」のことであると考えることです。

マタイもルカも、百人隊長の子供が癒されたとき、イエスさまがカファルナウムの百人隊長の自宅近くまで来られたことを明らかにしています。もしわたしたちがマタイとルカが紹介しているのと同一の出来事をヨハネも別の視点ないし角度から紹介しているに違いないと理解するとしたら、イエスさまはカナからカファルナウムへと移動なさったのだと、ヨハネが書いていない部分を読み込んだり補ったりしながらではありますが、考えることもできるわけです。ですから、この第二の可能性も否定することはできません。

さて、私はなぜこのようなことを問題にしているのでしょうか。先ほどから問うているのは、イエスさまが「二回目のしるし」を行ってくださった場所はどこなのかということです。この問題が持つ「重要な意味」とは何でしょうか。これから申し上げることがその答えです。

そこで、注目していただきたいことは、第一の可能性と第二の可能性の決定的な違いは、カファルナウムからイエスさまのもとに「わたしの息子を助けてほしい」と依頼する声が届いたときに、イエスさまがカナからカファルナウムへと移動なさったか、それとも移動なさらなかったかであるということです。移動なさったと見るのが、第二の可能性です。移動なさらなかったと見るのが、第一の可能性です。

私の見方は、ヨハネが記しているのはどうやら第一の可能性である、というものです。つまりイエスさまは全く移動なさいませんでした。そのように私はこの個所を理解します。確実に語りうる事実は、ヨハネ自身は、イエスさまがカナからカファルナウムへと「移動なさった」というふうにはどこにも記していないということです。この点を尊重しなければならないと思っているのです。

第一の可能性か、それとも第二の可能性か。つまり、イエスさまは移動なさらなかったのか、それとも移動なさったのか。おそらくこの違いは、わたしたちの感情ないし感覚のレベルからいえば、非常に重大なものです。おそらく皆さんにはすぐにご理解いただけるでしょう。「わたしの息子が死にそうだ」と言って嘆き悲しむ人の声をお聞きになったときに、イエスさまは一歩も動かれなかったのか、それともすぐにかけつけてくださったのかでは話が全く違うということに。

この役人がイエスさまに願ったことは、「カファルナウムまで下って来て息子をいやしてくださるように」(47節)でした。しかし「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」(49節)とも言っています。彼の願いの要点は、とにかくイエスさまに来ていただきたいということでした。

とにかくわたしの家まで来てくださった。この子が癒されるようにと、とにかく祈ってくださった。その結果としてその子が死んでしまったとしても、それはそれで受け入れるしかない。そのことは分かっている。

医師の場合はもちろんこと、牧師の場合でも、今すぐにも死にそうな苦しみを味わっている人がいれば、とにかく現場にかけつける。手の施しようがあるうちは全力を尽くして何とか手助けをする。その結果として間に合わなかった、あるいは助けらなかったという場合ならば、お赦しいただける面があるはずです。

しかし、どんなに助けを求めても何もしてくれなかったし、一歩も動いてくれなかったということになりますと、話は大きく変わってくるでしょう。感情を著しく逆なでされるものがあるでしょう。

ここに決定的な違いがあると思われるのです。マタイとルカが描いているイエスさまの姿と、ヨハネの描いているイエスさまの姿は、明らかに違います。前者は、困っている人のところに一目散にかけつけてくださる、腰の軽いイエスさまです。後者は、どこかしら人を突き放しているようにも感じられる、なんとなく動きの鈍いイエスさまの姿です。

しかし、誤解がありませぬように。私は、ヨハネの描いているイエスさまの姿は間違いであるとか、冷たい印象であるなどと言いたいわけではありません。ヨハネによりますと、イエスさまはこの人に向かって「帰りなさい。あなたの息子は生きる」(50節)とお語りになりました。この言葉に含まれているものは、確かに厳しいものではありますが、決して冷たいものではなく、むしろ強い励ましであると考えることができます。

この人はイエスさまのおっしゃったこの言葉を聞いて、それを信じて自分の家に帰って行きました。このイエスさまの言葉は「息子が死なないうちに、カファルナウムまで来てください」というこの人の願いごとに対するお返事として言っておられることですので、イエスさまはこの人の願いを事実上断っておられるのです。「来てください」をいう願いを聞いて「はい分かりました。一緒に行きましょう」と言われたのではなく、「わたしは行きません。あなたが一人で帰りなさい」と言っておられるのです。

ぜひ誤解しないでいただきたいことがあります。イエスさまがこの人の願いを(事実上)断っておられる理由は、「わたしは他の仕事で忙しいのだから、あなたの息子がどうなろうが知ったことではない。さっさと一人でお帰りなさい」というようなことではありえないということです。もしそんな話だとしたら、イエスさまは救い主失格です。救い主の風上にも置けない!

それでは、どういうことでしょうか。わたしたちが信頼してよいことは、イエスさまがこの人を一見突き放しておられるように見えるやりとりの中にも、深い愛と憐みの御心があるということです。

一目散にかけつける、近くに寄り添う、目を見る、手を握る、顔と顔を合わせて温かい言葉をかける。そういうふうにすることだけが愛であり、憐みであり、救い主のみわざであり、教会の牧会的なわざであるということであるならば、イエスさまのなさったことはすべてそれに反しています。しかし、イエスさまがこの人にお求めになったのは、一言でいえば「信仰」です。あなたは神さまを信じていますか。あなたの息子さんの命を支えておられる神さまを信じていますか。この問いかけがあると言えます。

イエスさまはこの人に、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」(48節)と言われています。困ったときに、何かをしてもらった。助けてもらった。人間離れした不思議なわざを見た。そのようなことでもなければ神など信じないし、教会に通わない。そのようなあり方を、イエスさまは厳しく問いかけておられます。

「帰りなさい」というイエスさまのお言葉の意図は「信じなさい」です。あなたの息子は生きると信じなさい。神さまがあなたの息子を生かしてくださると信じなさい。しるしを見たから信じるとか、イエスさまがかけつけてくださったから信じるというのではなく、何は無くとも信じなさい。そのように勧められているのです。

何かをしてもらったから信じる。たとえば自分の息子をいやしていただいたから信じる。もちろんそのような信じ方はありうるものです。しかし問題は、わたしたちは本当にそれだけでよいのでしょうかということです。その息子がまた病気になるということは、当然ありうることです。わたしたち人間は、いつかは必ず亡くなります。そのとき同時に信仰の根拠まで失われてしまうことになるでしょう。

教会が何かをしてくれた。だからわたしは信じます、というような信じ方にも同じようなことが当てはまります。わたしたちの長い人生のなかでは引っ越しや転勤などで教会を変わることがありえますし、牧師も交代していきます。しかし、通う教会が変わり、牧師が代われば、同時に信仰の根拠もなくなってしまうということでは、やはり困るのです。教会と牧師が困るのではなく、あなた自身が困るのです。

マタイやルカとは違い、ヨハネがあたかもイエスさまが移動なさらなかったかのように描いていることによって強調していると思われる点は(事実、イエスさまは移動なさらなかった可能性があります)、まさにこの「あなたの信仰が問われている」という面であると考えることができます。

イエスさまのほうから来てくださり、わたしのために何かをしてくださったので信じるという信じ方は、ある意味で合理的な信仰です。しかし、まだ何もしてもらっておらず、目の前の事態は何も変わっていないときに信じるという信じ方には、明らかに「飛躍」があります。その飛躍を、イエスさまはこの人にお求めになったのです。

(2009年5月24日、松戸小金原教会主日礼拝)

新体制発足

22日(金)に新しいパソコンを購入しました。熟考の末、ノートパソコンとデスクトップパソコンを同時に。



ノートは懲りずにVAIOです(ソニーさん、悪口言ってごめんなさい)。デスクトップはパソコンショップのオリジナル品です。価格は、両方合わせても、かつてのぞっとするほどと較べては、べらぼうなものではありません。良い時代になったものです。



ノートは教会の牧師室に(できるだけ持ち運ばないようにと思っています)、デスクトップは自宅(牧師館)に置くことにしました。



二台ともCORE2DUOになりました。OSはVISTAですがメモリ4ギガとなりましたので、動作の速さは私には申し分ありません。イライラが解消しました。データの再整理を急いでいるところです。



自作パソコンには後ろ髪引かれるものがありますが、じっくり取り組む時間がありません。パソコンクラッシュでもたもたしている間にもまさに次から次に仕事依頼が舞い込み、大渋滞状況でした。一刻の猶予もありませんでした。いろいろお待たせしてご迷惑をかけてしまった方々にお詫びしなければなりません。



また、自作パソコンには無くてメーカー品にあるもの、それは何といっても美しい外観です。VAIOのスタイルには圧倒され、魅了されるものがあります。「それはあなたの小児性の表われだ」と妻には言われますが、私はいまだに(現在43歳です)女性とパソコンに美しさを求めてしまいます(ごめんなさい)。



デスクトップのほうは「外見なんてどーでもいい、ストレスなく仕事してくれりゃーいい」という基準で選びましたが、なかなかどうして大したものです。



おそらくこれで、これから数年はパソコンのハード面で苦しむことはなさそうです。手を滑らせさえしなければ(がくっ!)。





2009年5月22日金曜日

立て直し!

VAIOくんは亡くなりました。データどころか本体のハード面が致命傷を負っていました。死なせてしまった私の責任は重大です。なんだかかわいそうなことをしました。



データのうち主だったものは、教会のパソコンやわが家のいくつかのパソコンに分散されて保存されていますので、どのみち近日中に購入せざるをえない新しいパソコンにそれらを集めさえすればよいことは分かっています。しかし、ここ数日間から一ヶ月ほど以内の書き物(いずれも未完成・未公表)は、死んだVAIOの中にしかありませんでした。こういうのが痛い。



ハードディスクからのデータレスキューが全く不可能だった原因として思い当たるのは、床に落下した瞬間も電源が入っていてハードディスクが稼働中だったことです。もしあのとき回っていなかったら違う結果だったかもしれません。落下直後、ハードディスクだけを取り出して少し振ってみたところ、カラカラと嫌な音がしました。何かが外れたかディスクが割れたかしたようでした。



私のパソコンの使い方は別に特殊なものでも何でもなく、多くの人がしておられるに違いないように、自分にとって使いやすいようにいじっている部分がけっこうあります。とくに私の場合、神学の面でいちおう専攻としてきた分野が「組織神学」(システマティック・セオロジー)である関係もあって、システム(体系ないし系統)の問題をいつも考えているようなところがありまして、それがパソコンの使い方(フォルダの立て方や並べ方など)にもけっこう反映していたりします。



つまり、やや大げさに言い直せば、パソコンの中身を私の脳みその中身(思惟構造)に近づけようとしてきたところがあるということです。



実は、このあたりの工夫については、いつも自分の手元にあるパソコンだけに施していたことでした。したがって、パソコンを新しく購入して分散されたデータをかき集めて来ても、それで即、仕事のペースが元通りに戻るわけではなく、まさにシステムの立て直しが必要だということ。これも痛いです。



ちなみにこの文章を書いているのは、昨年12月のオランダ旅行のために「旅先で壊れてもかまわないもの」として購入を思い立ち、ヤフオクで一万円ほどで落札した古いXPノートパソコンです(celeronプロセッサ)。しかし、動作の鈍さたるや、それはそれは今となっては本当にひどいシロモノで、これでは仕事になりません。



でも、考えてみれば、こんなひどいものが数年前には「最新鋭のテクノロジー」とか騒がれ、企業現場の最前線で実際に使用されていたのかと思うと、今の我々が扱っている仕事の作業速度のほうが異常なのかもしれないと、ちょっとだけ疑ってみたくなりました。



ともかく、気落ちしている余裕は私にはありません。すべて立て直しです!




2009年5月21日木曜日

ブログは「日記」ではありえない

本当にただ鈍い頭なだけなのですが、この「関口 康 日記」を始めて1年4ヶ月とちょっとになりますが、それくらい続けてきてやっと最近飲み込めてきたことは、このブログというのはどう考えても「日記」でありえないということです。



私が「日記」という字を見て思い浮かべるものは、本人死後にならなければ決して開陳されえない、まさに最高機密という名にふさわしい第一級文書資料です。



牧師の場合でいえば、「今日は○○氏と教会の牧師室で面談した。○○という内容であった」「今日は○○氏から電話があり、○○についての打ち合わせをした」「今日は○○教会の○○牧師の任職式があり、感謝会の席上で○○教会の○○長老が○○牧師について批判的なことを述べた。私はそれを聞いて○○と思った」というような記録集です。



もちろん「日記」は学術論文のようなものではありませんので、その中に記される内容に思い込みやうろ覚えなどに基づく事実誤認が散見されることは、ままあることだし、致し方ありません。



しかし、通常の場合、「日記」にウソを書くでしょうか。書かないのではないでしょうか。



他方、「ブログ」はどうでしょうか。逆の問い方をしてみましょう。「ブログ」に事実ないし真実を書くことができるでしょうか。書くことができないのではないでしょうか。



もちろん「日記」についての考え方にも、いろいろあるでしょう。人をだますときは、まずは自分の身内からだます。家族も知らないはずの場所に「日記」を隠しはしたが、万が一見られた場合のために「日記」にウソを書いておく。真実が記された文書は厳重に暗号化されて、第三者が持っている(?)。こんな感じのスパイごっこでもしたい人(または「せざるをえない人」)のことは知る由もありませんが、私はそんな面倒なことはできないし、やってられません。



しかし、ブログにまさか最高機密を書き連ねるバカはいないでしょう。そもそも、本人以外に「ブログの読者」なる存在がいることを前提に書くのがブログではないでしょうか。



もしこの私の定義が正しいとしたら、ここには「誰に知られても構わないようなこと」(情報としての価値はきわめて低いこと)しか書くことができません。あるいは、「多くの人に知ってもらいたいこと」(情報としての価値は高いと少なくとも本人は信じて疑わないようなこと)だけを書くことになります。



その場合、演技や誇張も(当然)混じる。いささかのウソやダマシや暗号(!)も含まれる。



そういうものは、私のカテゴリー表に従えば「日記」ではありません。うんと皮肉っぽく言えば「プロパガンダ」。もう少しオブラートに包んでギリギリ「私小説」かなあ。まあ「雑感」とか「随想」というに近いものでしょうけれど。



というわけで、そろそろ「関口 康 日記」というブログ名称を変えなければならないと考えているところです(これが「日記」であったことは一度もありませんから!)。



「関口 康 プロパガンダ」も自分としてはなかなかの名案だなと思うところもありますが、ただのサディスティックな嫌がらせと見られても仕方がないので自重します。



2009年5月20日水曜日

贅沢な奇跡

今週5月18日(月)東関東中会・東部中会合同教師会(会場 日本キリスト改革派花見川キリスト教会)の開会礼拝での説教を、ブログ「今週の説教」にアップしました。牧師は牧師会でどのような説教をするのでしょうか。その一つのご参考になれば幸いです。説教のタイトルは「贅沢な奇跡」です。

ブログ「今週の説教」
http://sermon.reformed.jp/

ノートパソコンは依然入院中です。明日見舞いに行って様子をみてきます。退院までは代用パソコンを使わざるを得ませんが、不便極まりない毎日を過ごしております。よりによっていちばん性能の良いものが壊れてしまったので、代用品の動作の遅さや重さにストレスを募らせています。

自作パソコンのすすめ」を書きました。書いたことを後悔はしていませんが、別の角度から考え直してみているところです。

自作パソコンのいわば唯一の難点は、(まるで言葉遊びのようなことを申しますが)、「パソコンを自作しようと思い立つことができるほどの、またパソコンが壊れたときには自分で直そうと取り組むことができるほどの、《心の余裕》を確保できるかどうか」にあると言えます。

実は、その《心の余裕》が今ありません。それを確保できる見込みは(なんと光栄なことに)当分ありません。

「ブログを書くひまはあるようだがね」とけっこう胸をえぐられるようなコトを言われることもありますが、あまりむきになって反論せず、ニコニコ笑って受け流そうと心がけています(「ブログを書くほどのほんのわずかな《心の余裕》も失われてしまったら、その日にオレはたぶん死んでるし」と内心で思いながら)。

「やっぱりメーカー品を買うしかないのかな」と、半分以上あきらめかけています。

えーい、このイライラパソコンめ!(今これを書いているパソコンのこと―筆者注)

「水」が「ぶどう酒」に変わらないものかとニンニンと念じていますが、残念、私にはその力はありません。




2009年5月18日月曜日

贅沢な奇跡


ヨハネによる福音書2・1~11

「三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、『ぶどう酒がなくなりました』と言った。イエスは母に言われた。『婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。』しかし、母は召し使いたちに、『この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください』と言った。そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。イエスが、『水がめに水をいっぱい入れなさい』と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。イエスは、『さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい』と言われた。召し使いたちは運んで行った。世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。『だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。』イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。」

アムステルダム自由大学神学部で長く教義学講座を担当したヘリット・コルネーリス・ベルカウワー教授が1960年に出版したヨハネによる福音書についての説教集が、私の手元にあります。タイトルは『世の光』(Het licht der wereld)といいます。

49年前に出版されたものですので(ベルカウワーは当時57歳)、すでにお読みになった方もおられるのではないでしょうか。私が手に入れたのはつい最近のことです。すらすら読めるわけではありませんので面白そうなところだけを拾い読みしてきました。

その中でいちばん興味をひかれましたのが、ヨハネによる福音書2章のいわゆる「カナの婚礼」でのイエス・キリストの奇跡についての説教でした。今日はその説教のかいつまんだところを紹介させていただき、そのことを通して皆さまに一つのお勧めを申し上げたいと願っております。

説教の冒頭でベルカウワーが指摘していますことは、「カナの婚礼」の出来事は、2・11によるとイエス・キリストにとっての「最初のしるし」であったということです。なかでも「最初の」というこの点が重要な意味を持っているということが、あとで分かります。

ベルカウワーが続けて述べていることは、注目すべき内容をもっています。そのイエス・キリストにとっての「最初のしるし」が、たとえば癒しのわざであるとか、あるいは足の不自由な人を新しい人生の陽の光のもとに生かしめるみわざであるとか、目が不自由な人の目を見えるようにするとか、死者をよみがえらせるというようなことではなかったのだということです。

イエス・キリストが最初になさった奇跡のみわざは、結婚式の場で水をぶどう酒に変えるというようなことであったのだ、これをある注解者は「贅沢な奇跡」(luxe-wonder)と呼んでいるほどのことだったのだ、と述べています。

そしてベルカウワーが言うには、この物語を読む人々がどうしても最初に思い浮かべてしまうことは、これは贅沢な話であるということであり、現実的な享楽であるということであり、豊かさということである。そして実際この箇所で強調されているのはそのようなことではないだろうかと彼は問うています。

つまりベルカウワーは、この箇所を読む人が「なんて贅沢な話なのだろう。けしからん」と思ってしまうことは無理もないことであると考えているのです。そもそもこのテキストの趣旨はそのようなものであると考えているのです。

そして、ベルカウワーは、イエス・キリストの最初のしるしが「贅沢な奇跡」であったということを肯定的に受け入れたうえで、それではその意味は何なのかということをこの説教の聴衆、あるいはこの説教集の読者に考えさせようとするのです。

ベルカウワーがこのようなことを指摘した意図ないし理由は、すぐに分かります。彼はこのように言っています。「教会の周辺部分にいる人々だけが、この最初の奇跡を気難しく考えるのである。それはぶどう酒だとか、豊かさだとか、盛大なお祭り騒ぎのようなものから距離を置いて座る禁欲主義者たちである。」

もっときついことも言っています。「それは、何度でも繰り返し教会の中に現れる、キリスト教信仰を何よりも先に祝いごとの要素のほうへと結びつけるのではなく、喪に服するという要素のほうへと結びつけようとする人々である。それは福音に逆らって立つ人々であり、頑固さや気難しさの要素をキリスト教信仰に結びつけようとする人々である。」

これではっきりとお分かりいただけるでしょう。この説教には明確な意図があります。要するに禁欲主義者への批判です。このテーマがこの説教の全体の中で一貫して扱われています。

「そのような禁欲的な生き方は改革派的ではない」というような言い方をベルカウワーはしていません。しかし、わたしたちはそのような言い方をしてきたと思いますし、私はそのような言い方が嫌いではありません。むしろ私はそのようにはっきり言いたいほうの人間です。本来の改革派信仰は「喜びの信仰」である。改革派教会の信仰にはいささかも禁欲主義的な要素はないと。

祝いの席で気難しい顔や態度をとっている人は、はっきり言って迷惑な存在です。周囲を不愉快にさせるだけであり、嫌がらせ以外の何ものでもありません。

花婿であるイエス・キリストは、すでに来てくださった方です。わたしたちはイエス・キリストによる救いの恵みにすでに与っている者たちであり、救われたことの喜びを前面に出して表わしてよい者たちです。そのわたしたちがなぜ、いつまでも「喪」に服し続けなければならないのでしょうか。それは福音に逆らって立つことであるというベルカウワーの指摘は全く正しいものです。

わたしたちの礼拝は本質的に祝い事ではないでしょうか。礼拝中に気難しい顔で腕組みして座っている人とか、鋭い批判的な目で説教者をにらみつけている人の姿が見えますと、わたしたち説教者の多くは非常に不愉快な気持ちになります。

もちろんそのような雰囲気を説教者自身が作り出してしまっている場合もあります。説教者自身の神学思想の内容が「キリスト教信仰とは喪に服することである」というようなものであるとしたら、この人の語る説教が、礼拝全体、教会全体を暗く落ち込んだものにしていくでしょう。その場合には、「礼拝が、教会が、暗く落ち込んでいます。説教者よ、それはあなたの責任です」と言われても仕方がありません。

ベルカウワーの禁欲主義者に対する批判は徹底しています。次のようにも語っています。「神という方は、豊かな賜物をお与えくださる方なのであって、貧相な方ではない。・・・『わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである』(ヨハネ10・10)と語られているとおりである。」

説教の最後の部分で、ベルカウワーは次のように述べています。

「この奇跡、この最初のしるしの物語が教会のなかで持っている影響力は非常に強いものである。教会はいつも必ずというわけではないが時々あるいはしょっちゅう、神の賜物を人間の堕落という点から解釈してきた。・・・しかし、ヨハネによる福音書は、そのような解釈とは別のアプローチの方法をわたしたちに提供している。わたしたちが日常生活の陳腐さや道徳くささを自分自身で乗り越えるのは難しいことである。カナの婚礼の物語を通してヨハネが示しているのは、イエス・キリストからいただける賜物の豊かさであり、失われたものの回復である。それは可能であり、実現することである。」

わたしたちの教会が、とりわけ主の日の礼拝が、豊かであり贅沢であり、明るく楽しい祝いの席であって何が悪いのでしょうか。ベルカウワーが指摘しているとおり、この箇所に描かれている奇跡物語はイエス・キリストにとっての「最初のしるし」なのです。「最初」の出来事は記念すべきです。その内容がなんと、こともあろうに、結婚式の場で飲み尽くされたぶどう酒の追加分を提供してくださるということだったのです。

このお勧めが、イエス・キリストの恵みは豊かなものであり、贅沢なものであるということを覚えていただくきっかけとなればと願っております。

(2009年5月18日、東関東中会・東部中会合同教師会開会礼拝説教、於 花見川キリスト教会)