2008年11月23日日曜日
あなたの人生の目標は何ですか
フィリピの信徒への手紙3・12~16
「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます。いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです。」
今日の個所にパウロが書いていることは、単純明快なことではありますが、深くて重い意義があります。語られていることは、ただ一つです。まとめていえば、わたしパウロはまだゴールにたどり着いていないということです。まだ走っている最中である。何ひとつ諦めないで、投げ出さないで、わたしはまだ走り続けている。一等賞をもらってもいないが、ビリでもない。何の決着もついていない。勝敗は決していないのです。
もちろんこれは、パウロの人生そのものについて彼自身がそのようにとらえていたことを表わすものです。彼の人生観であると言ってもよいでしょう。人生とはいわばひとつのレースである。スタートがあって、ゴールがある。そのあいだをひたすら走り続けるのがわたしたちの人生であるということです。
もちろん、人生の時間の長さには人それぞれの面があります。客観的・時間的な意味で短かったと言わざるをえない人生もあり、長い人生もあるでしょう。しかし言い方は少しおかしいかもしれませんが、人生は長ければ長いほど必ず良いというわけではなく、短い人生が必ず悪いというわけでもありません。レースには短距離走も長距離走もあります。重要なことは、スタートからゴールまで走り切ることです。やるべきことは、すべてやる。途中で諦めないこと、嫌にならないこと、投げ出さないことです。すべての道を自分なりの力を尽くして走り終えることができたと思えるなら、人生の時間的な長さそのものは、あまり大きな問題ではないのかもしれません。
ただし、今申し上げましたことの中では「やるべきこと」と「やりたかったこと」とは一応区別しておく必要がありそうです。「やりたかったこと」とは、主にわたしたちの欲求に属することです。あれもやりたかった、これもやりたかった。しかし、その欲求を満足させることができなかった。この意味での欲求不満は誰にでもあるものですが、あってもよいものですし、なければならないものでさえあります。一人の人間が抱く欲求のすべてを人生の中で満たし尽くす。そのことをどこまでも、とことんまで追求しようとする人がいるとしたら、はっきり言えばモンスターです。
やりたかった。だけど、できなかった。そこにはもちろん、地団太を踏みたくなるほどの悔しさもあるでしょう。しかしその悔しさは、わたしたちの人生の中で与えられる宝物であると信じなくてはなりません。すべての欲求を満たし尽くすことはできないし、してはならないことです。それを最後までやり遂げようとする人はモンスターなのです。
しかし、今の点は横に置きます。「やるべきこと」については、しなければなりません。わたしたちの人生がたとえどれほど短かろうとです。ごく幼いうちに、あるいは生まれて間もなく命が奪われる場合もありますので、その場合は親たち大人たちが「やるべきこと」という意味でご理解いただきたいところです。
わたしたちの人生には「やるべきこと」があります。果すべき役割があり、目指すべき目標があります。「そんなものはありません」と感じている人がおられるかもしれません。「今それを探している最中である」と考える人もいるでしょう。「人生の目標を探すことがわたしの人生の目標です」と、ちょっぴり格好をつけて言いたくなる人もいるでしょう。それらの考えはすべて尊重されるべきです。
しかし、今日取り上げておりますのはパウロの手紙です。彼が書いている、キリスト者としての人生の目標は何かという問題です。それについてパウロはどのように書いているのでしょうか。
注目していただきたいのは、12節の「既にそれを得たというわけではなく」の「それ」が指している内容です。それは10節から11節までに書かれています。「わたしはキリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」。
これがパウロの人生の究極目標です。彼自身の目標は、はっきりしています。ところが、そのことをパウロは、やや遠慮がちに書いているように感じられます。
今申し上げましたことの根拠は、15節です。「だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます」。
「このように考えるべき」とある「このように」の中に、パウロがここまで書いて来たこと、とくに彼が10節以下に記している「わたし」の人生の目標の内容がすべて含まれています。ということは、パウロの意図は明らかに、「わたし」の目標は「わたしたちの中で完全な者」のすべてにとっての目標でもあるべきだということです。
ところが、ここから先が遠慮がちです。あなたがたには「わたし」とは「別の考え」もあるかもしれませんと続けています。わたしが確信していることをあなたがたに何が何でも無理やり押しつけるつもりはありません。ここから先はどうぞ各自で判断してくださいというくらいの意味ではないかと思われます。
しかし、パウロの本音は、どうやら違います。彼自身のなかでは、すべてのキリスト者が、いえいえ、地上に生きているすべての人、まさに全人類(!)が人生の目標とすべきことはこれであると、はっきり言いたいものをもっているのです。それが先ほど一度読みました10節から11節までに書かれていることです。それは四点に分けられます。
第一は「キリストとその復活の力を知ること」です。
第二は「キリストの苦しみに与ること」です。
第三は「キリストの死の姿にあやかること」です。
第四は「何とかして死者からの復活に達すること」です。
何のことでしょうか。書いてあることをただ読むだけでは、ほとんど意味が分からないと思います。それでもわたしたちにとって少しくらいは引っかかりがありそうなのは第二と第三の点です。すなわち、キリストの苦しみにあずかること、そしてキリストの死の姿にあやかることです。
なぜこの点が、わたしたちに引っかかるのでしょうか。そうです、わたしたちの人生にも多くの「苦しみ」があるからです。また、わたしたちは人生の最後に必ず「死」の日を迎えるからです。皆さんの中にも「死ぬほどの苦しみを味わったことがある」と自覚しておられる方は少なくないでしょう。人生のなかで二度や三度は、そのようなことを体験します。それがわたしたちの人生の現実なのです。
しかしまた、今申し上げたことのすぐ後に言わなければならないことがあります。それは、パウロが書いていることは、わたしたちが人生の中で体験するのと全く同じ意味での単なる苦しみ、また単なる死でもなさそうだということです。なぜなら、ここで語られているのは「キリストの苦しみ」だからであり、また「キリストの死の姿」だからです。
「キリスト」とは、もちろん、わたしたちの救い主イエス・キリストのことです。このお方は歴史上に実在した人物です。この方が地上の人生において深く味わい続けなさった苦しみ、そしてこの方が多くの人の前にさらされたあの十字架上の死の姿、この苦しみと死とにこのわたしも与るのだ。それが、それこそが、このわたしの、わたしたちの人生の目標であると、パウロは語ろうとしているのです。
「与(あずか)る」とは、第一義的には「参加すること」です。参加するとは、英語でparticipate(パーティシペイト)と言います。その意味は、パートになること、パートを受け持つことです。全体の中の一部分を構成する要素になるということです。
このことがパウロの言葉にもそのまま当てはまります。キリストの苦しみにわたしたちが与るとは、キリストの苦しみの一部をわたしたち自身が受け持つことです。
もちろん、わたしたちはキリスト御自身ではありませんので、キリストが味わわれたのと全く等しい苦しみをわたしたち自身が味わうことはできないし、そこまでのことがわたしたち自身に求められているわけではありません。しかし、キリストの苦しみの一部を分け与えられていただき、その一部を受け取ることができ、味わうことができる。そのことをわたしたちの光栄とし、誇りとし、喜びとする。それこそが「キリストの苦しみに与ること」の意味なのです。
これは難しい話ではないはずです。キリストが苦しまれた理由を、わたしたちは知っているからです。父なる神の御心に忠実であり続けることにおいて、赦しがたい人類の罪を赦すことにおいて、助けを求める人々のもとを訪ね、力を尽くして助けることにおいて、わたしたちの救い主イエス・キリストは、苦しみ続けられたのです。つまり、「キリストの苦しみ」とは、イエス・キリストが現実に働いてくださったこと、まさに働きに伴う苦労や疲労と決して無関係ではないし、むしろ、まさにそのことを指していると言ってよいものであるということです。
これなら十分に理解可能でしょう。「キリストは労働者である」と表現するのはおかしいかもしれませんが、ある意味でそのとおりです。わたしたちもまた、その意味での労働者です。教会のなかで、教会を通して、さまざまな奉仕を行うことにおいて、苦労があり、疲労があります。わたしたちが教会のなかで、教会を通して味わう苦労や疲労は、歴史のなかで活躍されたキリストから受け継いだものなのです。
実際たとえば、わたしたちが聖書を読んで正しく理解すること、この中に描かれているイエス・キリストが地上でなさったのと全く同じことを真似してみることは一苦労です。イエスさまは、毎週会堂で説教なさいました。また病気の人々を訪問なさいました。信仰に反対する人々と戦われました。集会を開くこと、団体を運営すること、それらすべてのことをイエスさまもなさいました。それを今、わたしたちもしているのです。
それらの苦労や努力を避けて通らないことです。それをやってみたらよいのです。教会活動に参加することによってそれが十分可能です。それこそが「キリストの苦しみに与ること」なのです。
しかしまた、それは単に教会のなかで、教会を通して、ということだけに限定すべきものではありません。ご本人を前にして申し上げるとちょっとお困りになるかもしれませんが、たとえば佐々木冬彦長老のハープコンサートのことを考えるとよいでしょう。また、先週は千城台教会の田上雅徳長老(慶應義塾大学法学部准教授)が立教大学でオランダのカルヴィニズムについての講演をしてくださいました。私はその講演会の司会をしました。
教会の外へと出て行くこと、社会のなかで、多くの人々の前でキリスト者としての証しを立てること、喜んでもらうこと、このこともわたしたちにとっては多くの苦労を味わうことですが、やりがいのあることです。
あなたの人生の目標は何ですか。パウロの場合は、はっきりしていました。わたしたちも、はっきりしています。「まだ分からない」という方は、ぜひ教会に通ってください。
(2008年11月23日、松戸小金原教会主日礼拝)
2008年11月17日月曜日
国際ファン・ルーラー学会が開催されます
国際ファン・ルーラー学会
○日時 2008年12月10日(水)
○場所 アムステルダム自由大学講堂 De Boelelaan 1105 Amsterdam
○主催 アムステルダム自由大学神学部
アムステルダム自由大学オランダプロテスタンティズム歴史文書センター
オランダプロテスタント神学大学
ファン・ルーラー協会
神学者アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー(1908~1970年)の生涯と著作をみなおす協議会を行うべきであるという関心が高まっています。その協議会がファン・ルーラーの誕生日である2008年12月10日(水)にアムステルダム自由大学の講堂で行われることになりました。
ファン・ルーラーは、オランダ改革派教会(NHK)の牧師として、ユトレヒト大学の教授として、著述者であり講演者として、常に独特の音色を奏で、第二次世界大戦後の四半世紀間のオランダ改革派教会の内外に多大な影響を及ぼしました。彼は戦後の教会と文化における明るく前向きな姿勢と正統的な改革派神学との関係を知っていました。そのことが、オランダ改革派教会(NHK)の1951年版『教会規程』に及ぼした彼の影響の中に、彼のセオクラティック(神政政治的)な思想モデルの中に、救済と存在とを造形的に生き生きと結びつけることの中に、具体的に表れています。
本協議会においては、ファン・ルーラーの著作と生涯の諸側面が議論されます。彼の国内的・国際的影響、彼の神学的主題、オランダ改革派教会(NHK)における彼の立場ならびに他の教団・教派や思想的潮流との関係など。ファン・ルーラーの著作を知る国内外の精鋭たちが、発表の任を喜んで引き受けてくださいました。
入場は無料です。休憩時のコーヒー、紅茶も無料です。
昼食はアムステルダム自由大学の学生食堂を各自負担で利用していただけます。
○プログラム
〈全体講演〉
10.00「開会の辞」
G. ハーリンク教授 Prof. dr. G. Harinck
10.10「ファン・ルーラー神学の概要」
A. ファン・ド・ベーク教授 Prof. dr. A. van de Beek
10.40「教会と文化においてキリストが形をとること:ファン・ルーラーの想い出」
J. モルトマン教授 Prof. dr. J. Moltmann
11.30 休憩
11.50「実践神学におけるファン・ルーラーの位置づけ」
F. G. イミンク教授 Prof. dr. F.G. Immink
12.20「ファン・ルーラーと聖霊論」
C. ファン・デア・コーイ教授 Prof. dr. C. van der Kooi
12.50 昼食
〈分科会〉
13.50「ファン・ルーラーと改革派スコラ神学」
W. J. ファン・アッセルト教授 Prof. dr. W.J. van Asselt
13.50「ファン・ルーラーとセオクラシーの幻」
J. P. ド・フリース氏 Drs. J.P. de Vries
13.50「ファン・ルーラーと積極的教会規程」
P. ファン・デン・フューフェル博士 Dr. P. van den Heuvel
13.50「ファン・ルーラーと『真のカルヴァン』:改革派的伝統の行方」
C. ロムバルト教授 Prof. dr. C. Lombard
〈分科会〉
14.30「オランダ改革派教会(NHK)におけるファン・ルーラー」
G. ファン・デン・ブリンク教授 Prof. dr. G. van den Brink
14.30「オランダの改革派信徒へのファン・ルーラーの受容」
M. E. ブリンクマン教授 Prof. dr. M.E. Brinkman
14.30「ファン・ルーラーとウルトラ保守派」
W. J. オプ・トホフ教授 Prof. dr. W.J. op ’t Hof
14.30「ファン・ルーラーとアメリカ改革派教会(RCA)」
A. J. ジャンセン博士 Dr. A.J. Janssen
15.00 休憩
〈全体講演〉
15.30「ファン・ルーラーの神概念:最高度に時宜にかなったそれ」
L. J. ファン・デン・ブロム教授 Prof. dr. L.J. van den Brom
16.00「ファン・ルーラーにおける喜び」
D. ファン・ケーレン博士 Dr. D. van Keulen
16.30 オランダ日報社刊『古典の光』シリーズに収録されたファン・ルーラーの代表的著作の紹介
16.40 茶話会
○より詳しい情報をお知りになりたい方は、以下までご連絡ください。
アムステルダム自由大学オランダプロテスタンティズム歴史文書センター
電話 (020) 5985270 電子メール hdc@ubvu.vu.nl
2008年11月16日日曜日
キリストはどのように生きられたか
フィリピの信徒への手紙3・1~11
「では、わたしの兄弟たち、主において喜びなさい。同じことをもう一度書きますが、これはわたしには煩わしいことではなく、あなたがたにとって安全なことなのです。あの犬どもに注意しなさい。よこしまな働き手たちに気をつけなさい。切り傷にすぎない割礼を持つ者に警戒しなさい。彼らではなく、わたしたちこそ真の割礼を受けた者です。わたしたちは神の霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇りとし、肉に頼らないからです。とはいえ、肉にも頼ろうと思えば、わたしは頼れなくはない。だれかほかに、肉に頼れると思う人がいるなら、わたしはなおさらのことです。わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。」
注解書を調べていまして非常に興味深く感じましたことは、最初の「では」の意味です。この「では」は手紙を締めくくるときに用いる言葉であるというのです。「というわけで」、「要するに」、「結局」、「とどのつまり」などと訳すことができる言葉なのです。
このことが意味することは明白です。パウロは3・1の前半、すなわち「では、わたしの兄弟たち、主において喜びなさい」という言葉をもってこの手紙を書き終えようとしたのだということです。書きたいと思っていたことはすべて書き終えた。そろそろ筆を置くことにしよう。そのような気持ちが表れている言葉が、この「では」なのです。
しかしまた、今申し上げました事実にもかかわらず、わたしたちが知っていることは、実際の手紙はここで書き終えられることはなかったということです。続きが書かれました。ここにパウロの揺れる思い、微妙な心の動きを読み取ることが可能です。
この点にこだわってみたいと思ったことにはもちろん理由があります。フィリピの信徒の手紙は、これまで多くの人々から「喜びの手紙」と呼ばれてきました。理由は単純です。この手紙には「喜び」という言葉が繰り返して出てくるからです。
しかし私が感じてきたことは、事柄はそれほど単純ではないということです。この手紙の中には苦しみや悲しみを強調している個所も、たくさんあるからです。これは「喜びの手紙」であると言われることに絶対的に反対したいわけではありませんが、「苦しみの手紙」とか「悲しみの手紙」と呼ばなければならない面もあると思われてならないのです。
わたしたちが知っている事実は、この手紙は喜びを勧める言葉をもって書き終えられることはなかったということです。しかも、続けられたのは、非常に衝撃的な言葉であり、ぞっとするほど恐ろしい言葉です。「あの犬どもに注意しなさい」。喜びという要素を繰り返し強調して語ろうとする同じ人の言葉とは思えないような、まことに辛辣な、人の胸をえぐるような言葉が続けられたのです。
1節の後半に「これはわたしには煩わしいことではなく、あなたがたにとって安全なことなのです」と書かれています。しかしこの文章はちょっと意味不明な感じです。翻訳の問題があるような気がします。「煩わしい」と訳しますと「同じことをもう一度書くこと」に関して言われていることであると感じられます。何度も同じことを書くことは私にとって煩わしいことではない。面倒でも億劫でもない。これでも意味は一応通じます。
しかし問題は、煩わしいことではないと言われている「これ」は、本当に「同じことをもう一度書くこと」を指しているのかです。私は違うと思います。「これ」という代名詞が指しているのは「主において喜ぶこと」です。救い主イエス・キリストの救いに与った者として喜びの生活を送ることは、わたしには煩わしいことではないと言われているのです。
しかしここから先は日本語の問題です。「喜ぶこと」について煩わしいとか煩わしくないと言われますと私にはぴんと来ない面が残ります。それでも私の場合、「喜ぶこと」をもう少し具体的に「笑顔を絶やさないこと」くらいに言い換えてみる。そして「煩わしい」を今の若者言葉の「ウザい」などに言い直してみる。これならば少し分かるものがあります。「笑顔でいることはウザい」。何か無理しているようだし、どこか引きつっているところがある。感覚的に分かります。しかしパウロはそうではないと言っているわけです。「笑顔でいることは、わたしにとってはウザくない」。これならぴんと来るものがあります。
「あなたがたにとって安全なことなのです」のほうは、どうでしょうか。「いつも笑顔でいることは、あなたがたにとって安全なことなのです」で、理解できるでしょうか。いやむしろ危険ではないかと思わなくもありません。「うれしそうにしている人を見ると無性に腹が立つ」と言いだす人々がいるからです。しかし、「安全」という訳は間違っていません。パウロの意図は、「あなたがたが喜びの生活を送ることは、あなたがたの“身を守る”ための最善の方法である」というようなことだからです。
ややこしい話になっているかもしれません。願っていることは、今日の個所に書かれている事柄を掘り下げて理解することです。ここでも指摘したいことは、この手紙が教会に宛てて書かれたものであるという点です。「主において喜ぶこと」が求められているのは、教会です。いつも笑顔を絶やさないでいることは、教会にとって安全なことです。
思い起こしていただきたいのは、わたしたちが初めて教会に足を踏み入れたときのことです。あるいは、わたしたちが信仰をもつ前に、教会を外側から眺めていた頃のことです。教会を外側から見たとき、そこにいる人々が喜んでいた。このわたしが初めて教会に来たとき、喜んで迎えてくれた。そのときわたしたちが感じたことは何だったかです。
(もちろんそのときの虫の居所によるかもしれませんが)、通常の感覚からすれば喜んでいる人々を見て腹を立てる人は多くはないでしょう。いないとは言えませんが、おそらく少ない。むしろ好意をもつ。「安全である」の意味はおそらくこのあたりに関係しています。喜んでいる人々をどこまでも責め立てようとする人の姿は、第三者から見れば狂っている感じです。喜んでいる人々には好意をもって味方してくれる人々が現れるでしょう。
パウロが勧めていることは、「無理して笑え」ということではないでしょう。しかしまた、いつも笑顔でいることは、周囲の人々に好意をもってもらえることでもあり、親しい仲間を増やせることでもあるでしょう。それは、恐ろしい顔で人々を遠ざけ、むやみやたらな反発を招くこととは反対であるという意味で「安全である」と言えることでもあるのです。
しかしパウロは、ここでこの手紙を終わらせませんでした。キリスト者が喜んで生きている姿を快く思わず、むしろ反発し、攻撃する人々のことを書き始めました。「あの犬どもに注意しなさい。よこしまな働き手たちに気をつけなさい。切り傷にすぎない割礼を持つ者たちを警戒しなさい」と。これは明らかに当時のユダヤ人です。ただしユダヤ教徒だけに限定できるかどうかは微妙です。「働き手」は、もしかしたらキリスト教の伝道者のことを指しているかもしれないからです。使徒言行録の学びの中で確認したことは、キリスト教の伝道者の中に「割礼を受けなければ救われない」と主張してパウロと対決した人々がいたということです。その人々が「あの犬ども」の中に含まれているかもしれません。
キリスト者として生きていこうと決心し、約束し、実際にそのような生活を始めた人々は、パウロが「犬ども」と呼んでいるような人々とも向き合わなければならない。これはどう考えても嫌なことであり、煩わしいこと、面倒なことです。しかしそれでもそのことを指摘せざるをえないパウロがいることを思うとき、この手紙を「喜びの手紙」と呼んで単純化して済ませることができないものを感じるのです。
パウロが辛辣な言葉を書きはじめた理由は理解できるものです。ここで彼が痛烈に批判しているのは、一言で言えば、彼の元同僚たちです。もう少し広く言えば同胞たちです。パウロは彼らのすべてを知り抜いていますし、逆に、彼らはパウロのことを知り抜いています。パウロの側に甘えのような感情があったとは思いません。しかし、パウロはその人々に対しては遠慮なく語りました。どんなに厳しいことを言ってもあの人々は許してくれるに違いないという意味ではなく、むしろ事実は逆なのですが、しかしパウロの側の思いとしては、彼らに対する独特の意味での“愛情”があったことを否定することはできません。
パウロは彼らに変わってもらいたかったのです。5節以下に書かれているパウロの出自に関する記述の意図は、もともとわたしはあなたがたの側に属する者であったということを明らかにすることです。しかし、わたしは変わりました。キリストを信じる者となり、教会の側に属する者となりました。わたしが変わったのだから、あなたがたにも変わってもらいたい。そのような思いがパウロの中にあったことを否定することができません。
「喜び」の強調にも裏面があると思われてなりません。今のわたしはキリストにあって喜びの生活を送っている。しかし、かつてはそうではなかった。昔の同僚であったあなたがたの生活にも、今のわたしが感じているような喜びはないはずだ。あなたがたが求めているのは「律法から生じる自分の義」であろう。しかし今のわたしは「キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられている義」を求めることにおいて喜びの根拠を得ている。ここにわたしとあなたがたの違いがある、と言いたいのです。
このように書いているパウロの心の中に満たされていたのは「喜び」だったでしょうか。そうは思えません。かつての同僚を「この犬ども」呼ばわりしながら喜んでいるとしたら、パウロは相当ひどい人です。彼の心は傷ついていたはずです。悩みながら、苦しみながら、この個所を書いていたはずです。そうでなければ、説得力も生まれないでしょう。
はっきり分かることは、パウロにとってユダヤ人たちは敵ではなかったということです。他人でもありませんでした。むしろ、彼にとってユダヤ人は、鏡に映して見る自分自身のようなものでした。パウロの敵はユダヤ人ではなくユダヤ人たちが求めている「律法から生じる自分の義」でした。それはどんなに求めても手の届かないものである。なぜなら、わたしたち人間には罪があり、律法を完全に行うことはできないからである。そのことがなぜ、あなたがたには分からないのかという思いがパウロの中にあったに違いありません。
10節にやや唐突な感じに出てくるのは、新しく生まれ変わったパウロが求めているものです。「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」。
さっと読むだけでは理解しにくい言葉です。しかしここでパウロが言わんとしていることは「わたしはこれからも苦しみ続けます」ということです。パウロの関心は「キリストはどのように生きられたか」です。イエス・キリストが十字架の上で苦しまれたように、わたしも苦しみます。今も愛しているかつての同僚たち、また同胞であるユダヤ人の救いのために。彼らの無理解にもかかわらず。彼らの救いのために苦しんで死んでも構わない。イエス・キリストと同じように、このわたしも復活させていただけるでしょうと。
この手紙は「喜びの手紙」であるだけではなく「苦しみの手紙」でもあるのです。この点を見落とすと、大きな間違いを犯します。昨年から二年目に入っている松戸小金原教会の標語「喜びに満ちあふれる教会」は、「キリストの死の姿にあやかる教会」でもなければならないのです。
(2008年11月16日、松戸小金原教会主日礼拝)
2008年11月9日日曜日
再会によって悲しみが和らぐ
フィリピの信徒への手紙2・25~30
「ところでわたしは、エパフロディトをそちらに帰さねばならないと考えています。彼はわたしの兄弟、協力者、戦友であり、また、あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれましたが、しきりにあなたがた一同と会いたがっており、自分の病気があなたがたに知られたことを心苦しく思っているからです。実際、彼はひん死の重病にかかりましたが、神は彼を憐れんでくださいました。彼だけでなく、わたしをも憐れんで、悲しみを重ねずに済むようにしてくださいました。そういうわけで、大急ぎで彼を送ります。あなたがたは再会を喜ぶでしょうし、わたしも悲しみが和らぐでしょう。だから、主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい。わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭ったのです。」
今日の個所にパウロが詳しく書いているのは、エパフロディトのことです。男性でした。年齢は分かりませんが、想像できるのは若い人です。この手紙をパウロが書いているとき、エパフロディトはパウロの近くにいました。その人を目の前に見ながらこの手紙を書いていたかもしれません。
しかしこの人をパウロはフィリピ教会のみんなのもとに帰さなければならないと考えています。パウロの側から言えば、淋しいけれどエパフロディトとはそろそろお別れしなければならないということです。エパフロディトはフィリピ教会のメンバーだったからです。パウロを助ける役目を果たすために、フィリピ教会から送り出された人だったからです。そして彼はその役目を立派に果たしました。その彼を、パウロとしてはいつまでも自分のところに引きとめておくのではなく、フィリピ教会に帰す責任があると考えているのです。
しかしまた、この話には、今申し上げたようなことだけではなく、もう少し複雑な事情があったようです。エパフロディトはパウロを助けるためにフィリピ教会から送り出され、その務めを果たしているなかで「ひん死の重病」にかかってしまったというのです。その病気が具体的にどのようなものであったのかは記されていません。しかし、高い可能性として考えられることは、その病気はエパフロディトが具体的に担った役割そのものと深く関係していることだったであろうということです。もしそうであるなら、エパフロディトがかかった病気は何だったのかを考えるためにわたしたちが問うべきことは、彼はパウロのために具体的にどんなことをしたのだろうかということです。
ヒントはこの手紙の中に二個所あります。一つは「彼は・・・あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれました」(2・25)です。またもう一つは「わたしはあらゆるものを受け取っており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです」(4・18)です。
これでエパフロディトの果たした役割の内容がほぼ分かります。要するに彼はパウロが伝道のためのお金や物資に行き詰ったとき、フィリピ教会のみんなから献金や献品を集め、それをパウロのもとまで持ち運ぶ仕事をしたのです。
このようなことは、言葉にして言うと少し変なふうに受けとられてしまうことかもしれませんが、現実の教会においては非常に大切なことです。しかし、気になることは、そのような働きがなぜ、エパフロディトをひん死の状態にまで追いやってしまったのかということです。
いつ病気にかかったのかという点で考えられることは、まさか教会のみんなから献金や献品を集めるときではないでしょうから、その次の段階の、それをパウロのもとまで持ち運んでいるときであろうということです。おそらく彼は、とても長くてつらい旅をしたのではないでしょうか。もちろんこれは昔の話です。教会のみんなから預かった大切な献げものを抱えて。重い荷物をもって、海を越え、山を越え。体を張って盗賊からそれを守り抜き、また自分自身もまたそれをうっかりどこかに落としたり無くしたりすることがないように緊張しながら。人のお金を預かり、それを運ぶ仕事というのは今も昔も決して楽なものではありません。
しかしまたわたしたちが決して見誤ってはならないことは、エパフロディトが果たしたその仕事の意義です。
「教会も結局お金か」と、そんなふうには考えないでいただきたいのですが、それでもお金は重要です。パウロの場合もそうでした。伝道そのものがストップしてしまうのです。事柄が何一つ前に進んで行かないのです。伝道旅行は中断を余儀なくされたでしょうし、元いた場所に帰ることもできなかったでしょう。遠い外国の地でのたれ死ぬしかなかったでしょう。そのことをフィリピ教会の人々は十分に理解し、何とかしてパウロを助けたいと願い、彼らの力と思いを集めてそれをエパフロディトに託したのです。
エパフロディトもまた、「わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうとした」とパウロが書いているとおり、まさに教会の委託と期待を一心に背負いつつ、自分に託された使命はイエス・キリストの教会の宣教を支えるために重要なものであるという自覚とプライドをもって、その仕事に熱心に取り組んだに違いないのです。
ところがです。そのエパフロディトが、おそらく無理もしたのでしょう、ひん死の病気にかかってしまいました。そして、その情報がフィリピ教会の人々に伝えられたのです。それで彼は非常に苦しんだのだと思います。このわたしを信頼し、活躍を期待してくれた教会のみんなに申し訳ないという思いがあったでしょう。また大切な任務を彼に託した人々の側からすれば、旅先で彼が病気にかかったという話を完全には信用しない人もいたに違いありません。大げさに言っているだけではないかと考える人も当然いたでしょう。あるいは「パウロに渡す」と言いながら病気を装って使い込みや持ち逃げをしようとしている可能性はないのだろうかと疑った人々もいたかもしれません。そのような疑いをもつこと自体が完全に間違っているとも言いきれません。エパフロディトとしては、教会の人々からそのようなことを思われたり言われたりすることは責任上当然のことでもあるだけに、病気そのものよりもつらかったに違いないのです。
ですから、このように考えていきますと、今日の個所にパウロが書いていることの意図がだんだん分かってくると思います。
この段落のなかにパウロは、エパフロディトの病状の重さについて「ひん死の重病」と書き、また「死ぬほどの目にあった」と書いて、同じことを二度繰り返しています。このように書いてパウロが力説していることは「フィリピ教会の皆さん!エパフロディトさんは本当に病気にかかったのです!」ということです。
皆さん、彼をどうか信頼してください。疑わないでください。彼についてあなたがたが聞いていることは、うそや誇張ではありません。距離が遠くなればなるほど不安が募り、疑心暗鬼になることもあるでしょう。しかし、エパフロディトさんはあなたがたのところにいたときと変わらぬ忠実さをもって、自分に託された使命を立派に果たすことができました。彼のおかげで、あなたがたの献げものはわたしのもとに届きました。それによってイエス・キリストの福音は今なお力強く前進しています。
このように、パウロは、エパフロディトの潔白を証明するために、事実と真実をもって弁護しているのです。それこそが今日の個所におけるパウロの意図であると理解することができるのです。
ここから先はやや余談的なことではありますが、私が考えさせられたことを申し上げておきます。三つほどあります。
第一は、パウロのような力強い弁護人を得ることができたエパフロディトは幸せであるということです。他人のお金を預かって管理する仕事をする人は、あらゆる疑惑や憶測、さらに中傷誹謗に至るまでを受けることが避けがたいからです。
第二は、わたしたちは、どんなことであれ、誰かがしていることや言ったことが真実であるか虚偽であるかを、どこかで聞いたような噂話や憶測のようなもので判断してはならないということです。
第三は、フィリピ教会の人々の前でエパフロディトの潔白を主張し、弁護するパウロのような人間に私もまた、なれるものならなってみたいということです。
言い方はおかしいかもしれませんが、パウロがこのように書いていることの裏側に秘められている思いは、フィリピ教会の人々は、このわたしパウロの言うことならきっと信頼してくれるだろうということです。本来ならばエパフロディトはフィリピ教会のメンバーなのですから、教会の人々が信頼すべきは彼自身です。またエパフロディトは本当に病気にかかっていたのですから、彼が疑われるのは酷なことであり、彼はむしろ十分な意味でかばってもらわなければならない存在であったわけです。ひん死の重病にかかったうえに愛する教会の人々から疑われるという二重の苦しみを味わうことがどれだけその人の心を傷つけるものであったかは想像に難くありません。しかし、その信頼関係に翳りや歪みが生じたときには、そのあまりよろしくない雰囲気を払拭するために、(相撲で言えば)行司役、(野球で言えば)審判員のような人が必要なのです。教会にとって牧師の存在は、そのようなものでありたいし、そのようなものでなければならないと思うのです。
しかしまたパウロは、いま私が申し上げた点に甘んじるような態度は取りませんでした。そのことも重要です。わたしの言葉を信頼してください。エパフロディトは本当に病気にかかりました。しかしそれにもかかわらず、きちんと役割を果たしましたと、そのようにフィリピの教会の人々に伝え、パウロ自身の言葉によって説得することだけで済まそうとしませんでした。エパフロディト自身をフィリピ教会に帰すことを願い、そのようにしました。それによってパウロは、エパフロディトが自分の口と自分の存在をもって、彼自身の証しを立てることを願ったのです。あなたの病気はもう治ったのだから、あとは自分で説明してくださいと、彼自身の説明責任を求めているのです。
「そういうわけで、大急ぎで彼を送ります。あなたがたは再会を喜ぶでしょうし、わたしも悲しみが和らぐでしょう。だから、主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい」とパウロは書いています。
今日の個所の読み方として重要なことは、ここにパウロが書いている「再会の喜び」の中身は、かつて教会員だった人と久しぶりに会うことができてああ嬉しい、というようなこととは全く違うことであるということです。何度も申し上げるようですが、今日の個所の大前提は、エパフロディトとは教会の人々のお金を預かってパウロのもとまで運ぶ仕事をした人であるということです。教会の大きな責任を託された人であるということです。その信頼関係の歯車が、少しおかしい状態になった。ねじが何本か外れているような感じになった。そのことをどのように解決するのかというテーマが裏側に隠されている個所であるいうことです。この点を抜きにして今日の個所を読むことは不可能なのです。
その解決策は単純です。とにかく顔を合わせることです。そして真実を知っている人がきちんと弁護してあげることです。また中立の立場にある審判者も必要です。もしどこかに弁護できない事実があるのなら、それを率直に示すことです。しかしまた、本人の反論や弁明の機会も確保されるべきです。そのようにして本人が説明責任を果たすことこそが重要です。
それが、そしてそれだけが、教会にふさわしい解決策なのです。
(2008年11月9日、松戸小金原教会主日礼拝)
2008年11月2日日曜日
親身になってあなたを思ってくれる人は誰ですか
フィリピの信徒への手紙2・19~24
「さて、わたしはあなたがたの様子を知って力づけられたいので、間もなくテモテをそちらに遣わすことを、主イエスによって希望しています。テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです。他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを思い求めています。テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり、息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました。そこで、わたしは自分のことの見通しがつきしだいすぐ、テモテを送りたいと願っています。わたし自身も間もなくそちらに行けるものと、主によって確信しています。」
今日の聖書の個所からはっきりと伝わってくることがあります。それは、使徒パウロがフィリピの教会の人々のことを心の底から愛し、心にかけ、心配しているということです。彼は何とかしてフィリピに行き、教会の人々に再び会いたいと切望しています。しかし、その願いが叶いません。このときパウロは監禁されていたからです。
しかしそのような中で、パウロはある意味で潔い態度を取りました。彼自身が今すぐに獄中から出てフィリピの町に行くということだけにこだわりませんでした。もちろん本心では彼自身が行きたいと思っているのです。しかし今のわたしは自分の思いどおりにならない。そのことを静かに受け入れています。そしてパウロは彼の代理人を立てることにしました。フィリピの教会の人々の安否を気づかう役割を他の人に任せることにしたのです。何が何でもこのわたしが行かなければ気が済まないという態度を取らなかったのです。
このことはもしかしたら見過ごされてしまう点かもしれませんが、実はとても重要です。わたしたちが「教会とは何か」という問題を考えていくことにおいて重要です。単純な事実は、教会はだれか個人のものではないということです。どんなに間違っても教会は牧師個人のものではないし、長老のものでもありません。目立つ位置に立っている特定の個人のものではありません。教会とは第一義的にはイエス・キリストのものです。このことは声を大にして語る必要があります。この点はだれが何と言おうと決して譲ることができません。そして、そのうえで、教会はイエス・キリストを信じるすべての人のものであると語ることができます。このことを、パウロはよく知っていました。
そしてまた同時に言えることは、教会の働きもまた、この中の誰か特定の個人の働きではなく、教会にかかわるすべての人々の協力の中で行われるものであるということです。パウロとフィリピの教会の関係ということも、個人的な関係という面が全く無いとは言えませんが、その面だけで終わるものでもないと言わねばなりません。なぜなら、繰り返し申し上げてきましたように、パウロの伝道旅行もしくは海外派遣は、彼の個人的な活動ではなかったからです。それはどう間違えても、彼のスタンドプレーというようなものではありえません。あくまでも教会による正式で公的な任職と派遣行為に基づく活動なのです。
そのため次のように語ることができます。パウロがいちばん最初にフィリピの町に行き、そこで伝道したときでさえ、そこにいたのは個人としてのパウロではなく、教会の代表者としてのパウロであったということです。パウロにとって重要であったことは、フィリピに行くべき人が彼であるかどうかではなく、その人が教会の代表者であるかどうかでした。何が何でもこのわたしでなければならない理由は無かったのです。
さらに言い換えることができます。先ほど申し上げましたとおり、教会とは第一義的にはイエス・キリストのものです。ということは、教会の代表者であることの意味はイエス・キリストの教会の代表者であるということです。またその意味は同時にイエス・キリスト御自身の代理人であるということにもなります。パウロがフィリピに行ったとき、そこにいたのは、もちろんパウロです。しかしパウロにその役割を委ねたのはイエス・キリスト御自身です。パウロはイエス・キリストの代理人としてフィリピに行ったのです。代理人とは当の本人の意思と判断を伝えるために正式に任命された者ですから、そこにいたのは代理人に自らの意思と判断を委ねたイエス・キリスト御自身でもあったということです。
これは、わたしたち一人一人のこととして考えることができる内容です。わたしたちもまた、日常生活の中では、それぞれの置かれた場所に、教会の代表者として立っています。ということは、わたしたちが立っているその場所にイエス・キリストも立っておられるということです。また、わたしたちが言葉を発しているその場所でイエス・キリストも言葉を発しておられるということです。わたしたちの存在がイエス・キリストの存在を表わし、わたしたちの言葉がイエス・キリストの言葉を表わしているのです。
実際、わたしたちの周りにいる人々は、わたしたちの姿を見ながら、わたしたちの言葉を聞きながらイエス・キリストとはどのようなお方なのかを考えています。わたしたちを見てイエス・キリストは素晴らしいと称賛してくれる人もいるかと思えば、わたしたちを見てイエス・キリストはがっかりだと落胆する人もいるでしょう。代理人の責任は、それほどに重大なのです。
話が少し横道にそれてしまったかもしれません。今日の個所で重要なことは、パウロは何が何でも自分自身がフィリピの教会まで行かなければならないとは考えなかったということです。「何が何でもこのわたしでなければならない」ということにこだわりすぎるとき、教会の私物化が始まっているのではないかという点を疑わなくてはなりません。
しかし、です。今日の話は、今申し上げた点だけで終わってはなりません。加えて申し上げなければならないことがあります。それは要するに、パウロの代理人は誰でも良いというわけでもなかったということです。信頼できないと感じられる相手に自分の代理人を任せる人はいません。信頼できる相手を、だれでも探すでしょう。パウロも同じでした。わたしの代理人はわたしが心から信頼できる相手でなくてはならない。その相手はテモテであるとパウロは信じました。この点にはパウロ自身の個人的な判断が重要なのです。
このことはわたしたちにも十分に当てはまることでしょう。言い方はおかしいかもしれませんが、わたしたちはあまりにもお人よしすぎるべきではありません。人の本質を鋭く見抜く眼を持たなければなりません。この人が本当に信頼できる人なのかどうかを冷静に判断できる力を持たなければならないのです。
しかも、その判断だけは人任せにすることはできません。ある人にとっては信頼できる相手であっても、このわたしにとっては信頼できない相手であるということがありえます。それは別におかしいことではありません。職業的な弁護士の人々のことを考えるとよいかもしれません。ある人の弁護をするとき、他の人々から憎まれることがあります。それが弁護士の仕事でもあります。憎まれ役を買って出る仕事です。
パウロにとってこのわたしの意思と判断を委ねようと信じることのできる人は、彼自身が選ばないかぎり他の誰が選んでくれるわけでもないのです。その選択はきわめて主観的なものであってよいです。なぜならば、パウロが代理人に委ねる事柄の中には、教会の人々に対する批判的な要素をも含んでいたからです。パウロが選んだ人はフィリピの教会の人々から憎まれる可能性を含んでいたからです。誰からも愛される人、あるいは誰からも信頼される人というのは、実はあまり信用できない人かもしれません。
パウロは次のように書いています。「テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです。」「ほかにいない」とパウロが書いているのを見たとき、テモテ以外の他の人々は腹を立てたかもしれません。パウロはテモテばかりをえこひいきする。冗談じゃない。わたしたちだってテモテ以上に親身になってフィリピ教会のことを心にかけている。しかしここから先は誰が何と言おうとパウロの判断です。ある人を選ぶことの裏側には他の人を選ばないという面が必ず付随します。選ぶ人も相当悩むでしょうけれど、選ばれた人は「なぜわたしが選ばれたか」に悩み、選ばれなかった人は「なぜわたしは選ばれなかったか」に悩むでしょう。しかし、ここから先は問うても仕方がない。答えは見つかりません。
この続きにパウロは非常に興味深いことを書いています。その内容は、パウロがテモテを代理人として選んだ理由ないし根拠です。テモテがパウロと同じ思いを抱いてフィリピ教会の人々のことを親身になって心にかけている人だからという点はすでに触れました。この点に関してはテモテ以外には誰もいないとパウロは断言しています。この件に関して大変興味深いと私に感じられましたのは21節以下です。「他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めています」とあります。そして「テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり」とあり、続きに「息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました」とあります。
これのどこが興味深いのか。驚くべき言葉であるとも感じられました。ここに書かれていることの内容をよく考えてみていただきたいのです。考えてみていただきたいことは、ここでパウロが言っていることはわたしたちが通常の日本語で考えているようなこととはかなり隔たっているのではないかということです。
通常、わたしたちが「親身になって心にかける」という言葉を聞くときに連想することは、だれかのことに関心を持つこと、またその相手のことをひたすら考えることではないでしょうか。同情心をもつこと、そして共感することではないでしょうか。
しかし、です。続きに書いていることはパウロがテモテを選んだ理由です。その理由として挙げていることを裏側から言い直しますと、テモテは他の人とは違い、自分のことではなく、「イエス・キリスト」のことを追い求めているからだということです。またテモテはパウロと共に「福音」に仕えているからだということです。
わたしたちの通常の感覚は、おそらくこれとは大きく異なるものです。「あなたのことを親身になって心にかける」とはまさに「あなた」のことを追い求めることであり、「あなた」に仕えることであると考えるのではないでしょうか。「あなた」に関心を持ち、「あなた」に同情し、「あなた」に共感することです。
しかし、テモテが示した模範はそういうものではなかったのです。テモテが示した模範は、フィリピの教会の人々を「親身になって心にかけている」からこそ「イエス・キリスト」を追い求めることに熱心であり、また「福音」に仕えることに熱心であるというあり方でした。これは非常に重要な点であると私には思われるのです。
パウロの趣旨ははっきりしています。パウロが書いている意味での「親身になって心にかける」とは、ただ単なる同情心や共感とは明らかに異なるものであるということです。どのような例を挙げれば、このことをわたしたちが正しく理解できるようになるでしょうか。教会の中にはさまざまな立場の人やいろんな意見の人がいます。すべての人に対する同情心をもつことと「親身になって心にかけること」とは別の話であるということです。
「親身になること」の中には「親になること」、つまり息子または娘に対する父または母として「心を鬼にする」面が含まれて然るべきです。もっとも、「鬼」は不適切な表現かもしれません。申し上げたいことは、厳格な態度を貫くことも必要であるということです。同情できないことに同情しないこと、共感できないことに共感しないことも必要なのです。わたしたちは「信仰生活をやめたい。教会を離れたい」という願いをもつ人々に同情することはできないのです。
テモテのように、ひたすらイエス・キリストを追い求め、福音に仕えつつ、厳しい意見を言ってくれる人こそが、あなたのことを「親身」に思ってくれているかもしれません。わたしにとってそれは誰なのだろうかということを、ぜひ考えてみてください。
(2008年11月2日、松戸小金原教会主日礼拝)
2008年10月30日木曜日
ブログ小説を始めました
ブログ小説を始めることにしました。タイトルは「復活のひかり」です。
小説 「復活のひかり」(URL移転しました)
(新URL) http://novel.reformed.jp/
(旧URL) http://geocities.yahoo.co.jp/gl/reformed_jp/
ナニ、これでも私、岡山朝日高校の伝統ある「文学部」の部長を務めたこともあるのです。学園祭で販売する同人誌『朝日文学』に短編の小説を書きました。部員がほとんどいなかったので、バスケ部とか陸上部の人たちに原稿を書いてもらいました(この人たちがまた、なかなか文才あるんだ)。部費は全く無かったので岡山市内のスポーツ用品店やらを駆けずり回って「大々的に宣伝させていただきますので!」と、広告料を集める仕事もしました。オタクと言うなかれ、そのとき身に付けたことが今でも非常に役立っています。
2008年10月26日日曜日
人生は礼拝のために、礼拝は人生のために
フィリピの信徒への手紙2・14~18
「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。更に、信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい。」
今日の礼拝は宗教改革記念礼拝として行っています。1517年10月31日、ドイツの宗教改革者マルティン・ルターが当時のローマ・カトリック教会を批判する九十五カ条の提題をヴィッテンベルクの聖堂の扉に張りつけたその日から、宗教改革運動が始まりました。その故事にちなんで、改革派教会を含むすべてのプロテスタント教会が毎年10月31日を「宗教改革記念日」として重んじてきました。また10月31日に近い日曜日に「宗教改革記念礼拝」を行ってきました。この説教の中で多く触れることはできませんが、とにかく今日は記念すべき大切な礼拝なのだということを覚えていただきたく願っております。
さて、今日もフィリピの信徒への手紙を学んで行きます。今日の個所の最初に「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい」とあります。これは直接的にはフィリピの教会の人々に言われていることですが、同時にすべてのキリスト者に言われていることでもあります。確認しておきたいことは「何事も」の内容です。意味は、イエス・キリストを信じる人々が教会の中でまたは教会を通して行うすべてのことです。これは明らかに「教会の奉仕」について語られていることです。重要な点は、これは「教会」を抜きにして言われていることではないということです。
わたしたちは、教会の奉仕をする際に不平や理屈を言ってはなりません。しかし、このように言いますと、日本の戦前・戦中の軍隊調の教育を思い起こす方がおられるかもしれません。上司の前で不平や理屈を言えば暴力をもって制裁される。どんなに理不尽なことであっても、おかみの命令に無条件で従わなくてはならない。パウロはそのような意味で言っているのでしょうか。まさか、決してそういう意味ではありません。
そういう意味ではないことの根拠を示しておきます。それはここでパウロが用いている「不平」という言葉には旧約聖書的背景があるという点です。出エジプト記の出来事です。イスラエルの民が、奴隷状態に置かれていたエジプトの地から指導者モーセと共に脱出し、約束の地カナンを目指して砂漠の旅を始めました。彼らがエジプトから逃げ出すことは、彼ら自身が願っていたことでした。ところが旅の途中、彼らは繰り返し「不平」を言いました。まともな食べ物がない、水がない、こんなにつらい思いをするくらいならエジプトにとどまっていたほうがましだった、など。そのような不平を彼らは直接的にはモーセに向かって言いました。しかし、彼らが不平を吐きだした本当の相手は、神御自身でした。
この意味での「不平」をあなたがたは言うべきではないと、パウロはフィリピの教会の人々に言っていると考えることができます。なぜならパウロが用いている「不平」を意味するギリシア語は、出エジプト記に用いられている「不平」を意味するヘブライ語の翻訳だからです。教会の奉仕において問題になる「不平」は、本質的に言えばこの意味です。つまり、神に対する不平です。
神はわたしたちを罪と悪の支配のもとから救い出してくださいました。神はわたしたちの救い主です。わたしたちは、神に救われた者として教会に集められています。救われた者たちは、その救いの事実を喜ぶべきであり、感謝すべきです。しかし、肯定的な思いを抱くことができるのはおそらく最初だけです。そのうち不平を言いだします。教会もまた人間の集まりであった。ここにも人間の醜さや過ちがあふれている。神に救われたことを喜びたい、感謝したいと願ってはいる。しかし、教会の現実を知れば知るほど、ちっとも喜ぶことができず、感謝することができない。「神さま、私はあなたの救いを求めて教会に来ましたが、教会がわたしを躓かせます。どうして私はこんな嫌な目に遭わねばならないのですか」。これこそが、パウロが言うところの「不平」の内容です。
パウロは、教会の中のそのような問題を知らずに、あるいは知っていても目をふさいで、「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい」と書いているのではありません。彼はそのようなことは百も承知です。すべての事情を知り抜いています。
それどころか!パウロの目から見ると、教会の現実は、不平を言いたくなるようなことばかりでした。あれこれ理屈をつけて教会から逃げ出したがっている人々がいることも、分かっていました。しかし、だからこそ、です。パウロが勧めていることは、そのような教会の現実を、勇気をもって引き受けなさいということです。不平や理屈は、言いだせばきりがありません。その言葉をあなたのその口の中に飲み込んでしまいなさいということです。教会の中の人間に対する不平や理屈ではなく、このわたしを救ってくださった神への感謝と喜びを語りなさいということです。そのようにして教会の奉仕に熱心に取り組みなさいということです。
ここで16世紀の宗教改革者たちのことを考えることができそうです。彼らもまた、教会の現実に苦しんだ人々でした。当時のローマ・カトリック教会の現実が、彼らにとってはあまりにも耐えがたいものでした。しかし、宗教改革者たちは、ルターにせよカルヴァンにせよ、当時の教会の現実を憂い、批判し、攻撃することで終わるものではありませんでした。そもそも彼らは、教会の大掃除をしようとしただけであって、ローマ・カトリック教会にとって代わる新しい教会を作るつもりはありませんでした。それが彼らの偉大さでもあったのです。
不満があるから辞める、飛びだすで物事の決着をつけることは、いとも簡単なことです。しかしそれでは問題は何一つ解決できません。問題はある。だからこそ、その問題状況の中に踏みとどまって改革し続けること。その努力を惜しまない人々だけが、新しい時代を切り開いていくことができるのです。
「そうすれば」と続く次の文章に「とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう」とあります。このことも個人的な事柄としてとらえてしまうとパウロの意図が分からなくなります。「とがめられるところのない清い者」になることが求められているのは教会です。「非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかりと保つ」ことを求められているのも教会です。
一人一人の心の中に不平や理屈があることは、ある意味で仕方がないことです。しかし、そのような思いが心の中にあることと、それを口に出して言うことは別のことです。何でもかんでも言いたい放題をぶちまけて周りの人々を不愉快にし、教会の中に争いや分裂の原因を作りだすようなことがあってはならない。これこそがパウロの意図です。
もちろんこのようなことは今ここで私が口を酸っぱくして力説しなければならないようなことではないでしょう。わたしたちが体験的によく知っていることです。わたしたちが教会に来ると幸せを感じると言うとき、それが何を意味しているのかを考えてみればすぐに分かることです。それはやはり、教会のみんながいつも変らぬ笑顔で迎えてくれるとか、優しく温かく受け入れてくれると感じることでしょう。しかめっ面をした恐ろしい人々が、このわたしを睨みつける。そのような場所で幸せを感じるという人はいないでしょう。
「世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つ」ことを求められているのは、教会です。教会の輝きは建物の輝きではありません。建物をぴかぴかに磨くことも大事でしょう。しかし、教会の輝きとはここに集まっている人間の輝きであり、わたしたち一人一人の笑顔の輝きです。罪の暗黒から救い出され、絶望の淵から救い出され、神への感謝と喜びに満たされた、このわたしの輝きです。
パウロの願いは、フィリピの教会がそのような輝きをもつ教会として立ち続け、保たれ続けることに他なりません。「こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう」とあります。フィリピ教会がそのような教会であり続けることができるとき、パウロの人生に「誇り」が与えられるというのです。生きていて良かった、伝道者になって良かった、教会のために苦労して良かったと、感謝と喜びの生活を生涯送り続けることができるということです。
教会には、実に面白い(?)面があります。雰囲気がおかしくなるときがないわけではありません。しかし、良い雰囲気を再び取り戻すこともできます。その秘訣ないし鍵は、礼拝です。教会活動の中心は間違いなく礼拝です。そして礼拝の中心は神の御言葉です。聖書朗読であり、説教であり、神への賛美です。わたしたちが教会の中であるいは教会を通して行うすべての奉仕は礼拝という軸、また礼拝の中心である聖書朗読と説教と神賛美という軸の周りをぐるぐる回っているのです。
それが意味することは明らかです。もし教会の雰囲気がたとえどんなにおかしくなったとしても、すべての教会の奉仕の中心である礼拝へと、また礼拝の中心である神の御言葉へと教会のみんなが集中することができるならば、良い雰囲気を再び取り戻すことができ、明るく輝く教会を取り戻すことができるのだということです。わたしたちは、教会の中で争いや対立が起こるときには、教会のど真ん中に、聖書をどんと開くのです。そして聖書の周りにみんなで集まり、神の御言葉に聞くという仕方で、問題解決の道を探っていくのです。そういうことができるのが教会なのです。
宗教改革者たちが熱心に取り組んだのも「宗教の改革」というような抽象的な何かではなく、実は「礼拝の改革」でした。彼らは説教を改革し、礼拝音楽を改革し、礼拝式順を改革し、教会規程を改革しました。それが世界の歴史を動かす力になったのです。
17節にパウロが書いていることは一つの重大な決意です。ただし、用いられている表現には、明らかに象徴的な意味が込められています。「信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます」とは、どういうことでしょうか。考えられるのは次のことです。
「あなたがた」とは教会です。教会が「信仰に基づいていけにえを献げる」とはユダヤ教的な意味での動物犠牲を献げることではありません。それは「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げること」(ローマ12・1)、すなわち、わたしたち一人一人が神を礼拝することです。ユダヤ教の場合は、彼らの安息日である土曜日に、神殿または会堂に動物犠牲を携えていきます。わたしたちの教会の場合は、キリスト教安息日である日曜日に、わたしたち自身が自分の体をたずさえて出席するのです。
その礼拝にパウロの「血」が注がれるとは、どういうことでしょうか。彼は礼拝の中で殺されるのでしょうか。もう少し肯定的に言いなおすことができるでしょう。その意味は、パウロは神を礼拝するために生きているということです。このわたしの命は、またわたしの流す血は、礼拝において神の前に注がれるためにあるということです。それがわたしの人生の目標であり、その目標がまさに達成できるのだから、神の前に自分の命がいけにえとして献げられることを、わたしは喜ぶと、パウロは語っているのです。
パウロの人生は教会と礼拝のために献げられました。しかしまた彼は各地の教会の礼拝が健全かつ活発に行われていることを見聞きするたびに、人生の喜びを感じとりました。彼の人生は礼拝のために、また礼拝は彼の人生のためにありました。
わたしたちもまた、このパウロと同じ思い、同じ信仰を与えられたいものです。
(2008年10月26日、松戸小金原教会主日礼拝)
特別伝道集会が終わりました
去る10月19日(日)松戸小金原教会の特別伝道集会が無事終了しました。テーマ「死と葬儀~あなたを独りで死なせない~」、講師は関口康でした。当日の説教(テキスト版、PDF版、PDF音声)をいつものように私設ブログ「今週の説教」にアップしておきました。また、当日配布した松戸小金原教会『葬儀の手引き』(第二版試案)や、事前に配布した特別伝道集会チラシもダウンロードできるようにしておきました。全国の諸教会でこの時期行われているすべての特別伝道集会が祝福されますようにお祈りいたします。
2008年10月19日日曜日
死と葬儀 ~あなたを独りで死なせない~
詩編23編
「主は羊飼い、
わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく
わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖、
それがわたしを力づける。
わたしを苦しめる者を前にしても
あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ
わたしの杯を溢れさせてくださる。
命のある限り
恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り
生涯、そこにとどまるであろう。」
本日は松戸小金原教会の特別伝道集会です。多くの方々にお集まりいただき心から感謝いたします。テーマは「死と葬儀」です。副題に「あなたを独りで死なせない」とつけました。このテーマを取り上げるかどうかを私はずいぶん悩みました。勇気が必要でした。しかし教会の皆さんは快く了解してくださいました。今こそ、このテーマについてみんなで考えることが大切であることを理解してくださいました。教会の皆さんのお支えをいただき、本当にうれしく思いました。
あらかじめ申し上げておきたいことがあります。それは、私はこのテーマを興味本位のような気持ちで取り上げたわけではないということです。冗談まじりにおもしろおかしく話せるようなことではありません。まさに真剣そのものです。
そしてこのテーマは、言うまでもなく、わたしたち全員にとって絶対に避けて通ることができないテーマであることは事実です。とくに今大きな苦しみの中にある人々自身が、このわたしはどうしたら希望をもって生きることができるのかを考えていくうえで避けて通ることができません。あるいはそのような方が身内におられる方々にとっては、どうしたらその方を慰め、励ますことができるのかを考えていくうえで避けて通ることができません。なぜなら、死と葬儀の問題は、それを真剣に考えて行くことが、わたしたちの人生のあり方そのものを考えて行くことを、そのまま意味しているからです。
しかし、この礼拝において私に許されている時間はごく限られたものです。「死と葬儀」というあまりにも大きすぎるテーマについて25分や30分くらいの時間で語れることは、ほんのわずかなことです。今申し上げているような前置き的な話をしているうちにも時間はどんどん過ぎ去って行きます。補いとして今日の午後予定している講演会で教会の葬儀についての具体的な話をさせていただきます。ぜひご出席いただきたいと願っています。
しかし間違いなく言えることは、先ほど申し上げましたとおり、死と葬儀の問題を真剣に考えて行くことはこのわたしがどうしたら希望をもって生きて行くことができるのかという問題にそのまま直結しているということです。重要な問題はわたしたちの死に方ではなく、生き方であるということです。逆説的かもしれませんが、私が願っていることは、死と葬儀の問題をこのようにして教会で、ここに集まっているみんなと一緒に考えることによって、わたしたちは、良い意味でこの問題を忘れて(!)しまおうではないかということでもあります。
ここから先はほんの少しだけ冗談がまじるのですが、確かに言えることは、わたしたちは、自分の葬儀を自分自身で行うことは不可能であるということです。この点だけは絶対的な真理であると言いきれます。わたしたちは自分自身の葬儀だけは誰かにまたはどこかに完全に委ねてしまわなければなりません。しかしまた、その点にこそ大きな不安があるのかもしれません。誰かにあるいはどこかに委ねてしまえと言われますと、どんなふうにされてしまうのか、想像するだけで恐ろしいと感じる人々もおられるだろうと思います。しかしこのこと――自分の葬儀は自分自身では決して行うことができないということ――だけは、わたしたちがどんなにもがこうが、あがこうが、どうすることもできない、全く動かしがたい事実なのです。
だからこそ、です。ここから先が私の申し上げたい点です。それは、わたしたちがまさに今生きている間に真剣に考えなければならないことは、このわたしの死を、そしてこのわたしの葬儀を、安心して委ねることができる、その意味で信頼することができる相手を見つけることなのだということです。
この特別伝道集会のためにこの地域に配布させていただいたチラシに「もしかしたら、教会が、あなたのお役に立てるかもしれません」と書かせていただきました。この文章を書いたのは私です。「もしかしたら」とか「かもしれません」というような、なんだか遠慮がちで弱々しい言葉をあえて用いました。押しつけがましい言い方はしたくありませんでした。「あなたの葬儀をぜひ教会で行わせてください」というような意味にとられては困るとも思いました。私が書いたことは、そういう意味ではないのです。
ならば、どういう意味なのか。私が考えているのは、次のようなことです。死と葬儀の問題には、自分独りでいくら考えても、自分で解決しようとしても、決して解決できない側面が必ずありますということです。どんなに一生懸命になって自分の遺書を書いても、それを何度も書き直しても、それによって、わたしたちの心が穏やかになることも、納得することもありえません。虚しい思いが募るばかりです。
また、わたしたちの家族の誰かが、このわたしのために葬式の準備を始めたとします。そのことを嬉しいと思うとか安心するということがありうるでしょうか。私は牧師ですが、私の家族が、私の生きている間に、私の葬儀の準備を始めたとしたら、私はやっぱり嫌だと思うでしょう。いつ死んでくれるのかと、待たれているような気がするだけです。準備などしないでほしいです。
たしか今から10年くらい前のことだと記憶していますが、岡山県にある実家に帰省したとき、両親から「お墓を買うかどうか迷っている」と言われて複雑な気持ちになりました。そういうことは考えないでほしいと思いましたし、そのように言いました。どうでもいいことだとは思いませんでしたが、お父さん、お母さん、それはお二人自身が悩むことではないはずだと言いました。死ぬことの準備とか、死んだあとの準備なんかするヒマがあるのなら、生きることに集中してほしいと、そのようなことまで口走った記憶があります。その種のことは自分自身で解決しなければならないような問題ではないはずだという確信が、私の中にあったからです。
死の問題はともかく、自分の葬儀の問題あるいは自分のお墓の問題について、どうしてわたしたち自身が悩まなければならないのでしょうか。私には未だに全く理解できません。あなたはまだ若いからだと言われてしまうかもしれませんが、私の関心はとにかく生きることだけです。死んだあとのことは、どうにでもして、という気持ちです。そこから先はどんなに手を伸ばしても、自分の思い通りにしようとしても、決して届かない、どうにもならない部分だからです。
しかし、それは私にとっては、あきらめではありません。私には先ほど申し上げた意味での信頼できる仲間がいるからです。「ここから先はお願いします」とすべてを委ねることができる、そうです、「教会」があるからです!
ここで私の両親の名誉のためにつけくわえておきますと、先ほどご紹介した墓の話は、実際にはちょっと考えてみたという程度のことでした。困り果てているとか夜も眠れないほど悩んでいるというほどのことではありませんでした。私の両親も教会のメンバーです。神を信頼し、神にすべてを委ねることを知っているキリスト者です。
今日、私が皆さんにお勧めしたいことは、まさに今申し上げた点にかかわっています。自分自身ではもはやどうすることもできないこと、すなわち、自分の死と葬儀に関することについて一切を委ねることができる「教会」を、皆さんの生涯をかけて捜し求めていただきたいということです。そのことが皆さんの心に本当に大きな安心をもたらしますし、良い意味でこの問題を忘れる(!)ことができる根拠にもなります。
実際問題として、教会が死と葬儀の問題を扱うときには、わたしたちの家族のだれかがこそこそと、あるいは大っぴらに、このわたしの葬儀の準備をするようなこととは全く別次元で扱うことができます。教会はこの件について「扱い慣れている」というような言い方はあまり適切なものではないかもしれません。しかし、いずれにせよ教会は多くの人々の死をみとり、遺族に対する慰めを語り、傷ついた人々に立ち直っていただくための努力を何年も何十年も、いや何百年も何千年も続けてきた経験とスキルをもっているのです。
何度も言うようですが、死と葬儀の問題は、自分独りで悩んでも、抱えこんでも決して解決しません。また、家族や友人たちが悩んだり、考えたりすることでもないと思います。はっきり申しますと、それは「教会」の仕事です。あるいは、もう少し広く言えば「宗教」の仕事です。
考えてもみてください。実際の葬儀の場面に立ち会ったことがある人なら誰でも知っていることですが、家族や友人たちは、その場面でたしかに一生懸命に立ち働いてはいますが、本当のところを言えば、他の誰よりも傷つき悲しみ、今にも倒れそうな思いでいるのです。人前に出られるような精神状態ではないのです。しかし責任があるから、誰かがやらねばならないから、無理やり立っているのです。
そして、です。あまりこのようなことを言うべきではないかもしれませんが、親しい人の葬儀の場面においてはこのわたし、司式をする牧師自身もまた、本当のところを言えば泣いていたい場面なのです。教会員の方々の中に「わたしの葬儀はぜひ関口先生にお願いしたいです」とおっしゃる方がおられるのですが答えに困ります。心の中で悲鳴があがります。「あなたほど大切な人の葬儀を、私にしろと言うのですか。誰よりも泣いていたいのは私なのに」と。正直勘弁してもらいたいです。しかし、牧師がそのようなことを言ってはいけません。葬儀がすべて終わってから泣くことにします。牧師もまた無理やり立っているのです。
この点から言えば、わたしたちの死と葬儀の問題は、最終的に言えば「教会に委ねる」ということだけでは不十分かもしれません。教会は人間だからです。牧師はもちろん人間です。だからこそ、私が最終的に申し上げたいことは、あなたの死と葬儀を、「教会」でも「牧師」でもなく、「神」に委ねてくださいということです。生きているときも、死ぬときも、いつもあなたと共にいてくださる「神」を信じてくださいということです。
最初にお読みしました聖書のみことばは詩編23編です。今から三千年前のイスラエル王ダビデの詩として知られてきたものです。「主」とは神です。主なる神が「羊飼い」であり、ダビデは「羊」です。「神」という信頼できる羊飼いに守られている「羊」は「何も欠けることがない」。「死の陰の谷」を行くときも「災いを恐れない」。「あなた(神)が、わたしと共にいてくださる」からであると告白されています。このダビデの信仰をわたしたちのものとすることができるなら、死を恐れない力を手に入れることができるのです。
今日教会に初めて来てくださった方々にお伝えしたいことは、まさにこの点です。
神を信じてください。神があなたを独りで死なせることはありません!
安心してすべてを神に委ねてください!大丈夫ですから!
(2008年10月19日、松戸小金原教会主日礼拝)
2008年10月12日日曜日
わたしはどうしたら救われるのか
フィリピの信徒への手紙2・12~13
「だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」
パウロがフィリピの教会の人々に求めていることは「従順であること」、または「謙遜であること」です。今申し上げている「従順であること」と「謙遜であること」は原語的には同じ意味です。しかし日本語としては少しニュアンスの違うものがあるかもしれません。
「従順であること」の中で最も重要な要素は、従うことです。誰かあるいは何かに従うことです。従う相手が必要です。考えるべきことは、神に従うこと、キリストに従うこと、そして教会とその教えに従うことです。
しかし、「謙遜であること」においては、相手の存在が絶対的に必要であるわけではありません。誰かあるいは何かと比較して、その相手よりも自分を下に置くということだけが謙遜の意味ではありません。誰もいなくても、比較すべき対象がなくても自分をいちばん下に置くことが謙遜です。目上の人の前ではへりくだるが目下の人の前では自分を大きく見せようとする。このような使い分けは、「謙遜」のあり方としてはあまりよろしいものではありません。
パウロはどちらの意味で語っているでしょうか。おそらく両方の意味があります。従順であることと謙遜であること、すなわち、従う相手がいて初めて成り立つもの(従順)と相手がいなくても成り立つもの(謙遜)とは、一応の区別はしなければならないだろうとは思いますが、だからといって互いに矛盾しあうものではありません。
前回の個所でパウロは、わたしたちキリスト者の人生の模範はイエス・キリスト御自身であるということが分かるように書いていました。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」(2・6~7)。
この、神から人へと降りていく下向きの矢印のうちにキリストの歩まれた道が描き出されています。このキリストの謙遜の模範に従って生きることが、わたしたちに求められています。わたしたちはこのキリストと同じように謙遜でなければなりません。そのことをパウロは強く訴えていました。
そして今日の個所にパウロが書いていることはその続きです。「わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいなさい」と言われています。そして、そのことによってあなたがたは「恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい」と続いています。
このようにパウロが書いていることの中に、私はいろんな意味を読み取ります。パウロの目から見ると、フィリピのキリスト者たちは、パウロが共にいるときは「いつも従順」でした。この場合の「従順」のなかには、ただ単なる謙遜というだけではなく、つまり、先ほどから申し上げている意味での相手がいなくても成り立つ生き方ということだけではなく、やはり、彼らと共にいる教師であるパウロとその教師が語る教えとに対する従順な姿勢という点が含まれていると思われます。
だからこそパウロは「わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら」という点を付け加えているのです。ここでパウロが求めている「従順」には、このわたしパウロへの従順という点が含まれているのです。
しかしまた、ここで同時に考えなければならないことは、パウロは、いかなる意味でも個人的に活動していたわけではないということです。パウロの背後には、常に「教会」がありました。パウロは教会によって任職された教師であり、また教会によって海外に派遣された宣教師でした。これは使徒言行録の学びの中で何度も確認してきた点です。パウロの活動の中には個人プレーの要素はないのです。
そのため、もしパウロが彼の手紙の中で「わたしに従いなさい」と書いたり実際にそのように語ったりすることがあったとしても、その意味は「俺様について来い」というようなものではありえず、常に必ず「わたしを教師として任職し、またわたしを派遣している“教会”に従いなさい」という意味が込められていると読むべきです。この点は、決して誤解されるべきではありません。
しかしまた、そこにもう一点、どうしても付け加えなければならないこともあります。それは、このフィリピの信徒への手紙における、いわば隠れたテーマでもあります。
それは、パウロに言わせると、教会によって任職された教師、あるいは、教会によって派遣された宣教師の中にもいろんな人々がいるという点です。「キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいる」(1・15)と書かれていたとおりです。要するに、教会によって任職された同じ教師の中にも“従うべき教師”と“従ってはならない教師”とがいるということです。教師と名の付く人であれば誰でも従うべきである、という話にはならないのだということです。
もっとも、パウロが取り上げている問題を、狭い意味の「教師」だけの事柄に限定してしまってよいかどうかは微妙です。キリストを宣べ伝えることは教師たちだけの仕事ではなく、すべてのキリスト者の仕事だからです。しかし、このように言うことによって教師の責任を免除してよいわけではありません。キリストを宣べ伝えることをだれよりも先に教師が率先して行うのです。そして、教師の模範に従ってすべてのキリスト者がキリストを宣べ伝えるのです。この順序があることを否定できません。もしそうでないとしたら、教師が存在する意味がありません。
パウロの求める「従順」の中に、他の教師ではなく「このわたし」(パウロ自身)に従いなさいという点が含まれているということをどうしても無視することができません。それは今申し上げた事実があるからです。ある見方をすれば、パウロには自信過剰なところがあると見えるかもしれません。しかし、間違った教えを語る教師、間違った生き方を示す教師がいる。その人々にあなたがたが惑わされるようなことが決してあってはならないのだと、パウロは願っているのです。これは、彼の自信過剰によることではなく、責任感の強さによると考えるべきです。
以上、ここまでお話ししてきたことは、主に、パウロがフィリピの教会の人々に求めている日本語で言うところの「従順」の要素に関することでした。従順とは、神に従うこと、キリストに従うこと、そして教会に従うことです。さらに加えるなら、教会によって任職された教師に従うことを意味していると言わなければなりません。
それならば、(少し余談的なことですが)、教師である者は誰にまたは何に従順でなければならないのでしょうか。教師は誰の言うことも聞く必要がないというのでは、あまりにも不公平ですし、それこそ傲慢の道を突き進んでいくことになるでしょう。もちろん教師にも教師が必要です。教師の間違いをはっきりと指摘し、悔い改めさせることができるのは他の教師です。先輩か同僚の教師が該当するでしょう。そのように、教師同士がお互いを良い意味で監視しあい、譴責しあう仕組みをもつことができるのも“教会”の務めなのです。
しかし、です。私は今日、ここで話を終わりにしてはならないと考えています。パウロの語っていることは、日本語としての「従順」の要素だけではなく、明らかに「謙遜」の要素も含まれているからです。
そのことは今日の個所が前回の個所からの続きであるという単純な事実を確認するときに明らかになることです。わたしたちはイエス・キリストの謙遜の模範に従うべきである。わたしたちは謙遜に生きるべきである。このことについてはもちろん、イエス・キリストという相手があって、その相手に従順であるべきだと説明でも、間違いとは言えません。
しかし、ややこだわりたいのは、日本語の「謙遜」のニュアンスです。問題は、だれかとの比較ではない。「あの人より下だ」とか「あの人よりは上だ」という話にしてはならない。そういうことを考えている時点で、そこにはすでに十分に、傲慢の要素が紛れ込んでいるでしょう。むしろ、そのような比較を一切抜きにした姿勢をとること、つまり、誰がどうあれとにかく自分自身をいちばん下に置くときには他の誰との比較も問題にならなくなること(「いちばん下」なのですから!)、これが「謙遜」において重要な点なのです。
そして、です。これから申し上げることが今日最も強調したいと願っている点なのですが、それは、今日の個所にパウロが書いていることを、わたしたちは、今申し上げた意味での「謙遜」に到達することこそが実は「自分の救いを達成すること」に他ならない、と読むことができるのではないだろうかということです。
もう少し端的に言いなおします。要するにパウロが言っていることは、「自分をだれよりもいちばん下に置くことが、わたしたちの救いである」ということです。
さらに別の言い方もできるでしょう。他のだれかとの比較や競争、すなわち「ねたみと争いの念」(1・15)、あるいは「利己心や虚栄心」(2・3)のようなものからすっかり解放されたところに立つことができるときこそ初めてわたしたちは、心の底から「救われた」という確信をもつことができる。
逆に言えば、教会という場所の中でも、依然として「私はこの人より上だ」とか「私はあの人のことが羨ましくて妬ましくて仕方がない」というような思いや感情に支配されたままであっては「救われた」という確信をもつことができない。
このようなことをパウロが考え、そのように書いているのではないかと私には思われてならないのです。「従順でいること」によって「自分の救いを達成するように努める」とはどのような意味であるかを考えて行くと、このような結論に至らざるをえないのです。
今申し上げたことは、おそらく皆さんには、理屈の上だけではなく、体験的に理解していただけることではないでしょうか。少なくとも私には、非常にリアルな事柄として理解できます。現実の教会においては教師たち同士の比較や競争心、そしてそこから生まれる「ねたみや争い」は絶えることがないからです。惨めなほどに、恥ずかしいほどに、そうです。何が悲しくて、教会に来てまでそれほど競争し合うのか。あなたは何のために教師になり、牧師になったのかと問いたくなります。
教会員同士のことは、あまり言いたくありません。私は松戸小金原教会の中にその種の争いや分裂がないことを本当に喜んでいます。しかしこの種のことで悩んだり苦しんだりしている他の教会の人々の声を聞くたびに、悲しくなります。
13節は重要です。「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです」。私の読み方は、次のとおりです。
「あなたがた」とは教会のことです。つまり「教会の内に働いておられるのは神である」ということです。「御心」とは神の御心のことです。つまり「教会とは神の御心を(地上で)行うものである」ということです。二つの点を合わせて言えば、「教会とは地上で神の御心を行う存在であり、神御自身のみわざそのものである」ということです。
そのとおり、教会の中でのわたしたち一人一人の働きは、神がお用いになるものです。わたしの働きは、神に徴用された働きなのです。個人プレーではありませんし、わたしの名誉や業績の中にカウントしてよいものでもありません。その種の競争心によっていつも追い立てられている状態から神によって救い出されること(解放されること)が、あなたの救いです。またそれこそが、教会として本来の(教会らしい)あり方なのです。
(2008年10月12日、松戸小金原教会主日礼拝)