2008年3月6日木曜日

いろいろやっていました

一週間ほど日記を書けませんでした。パソコンの前には毎日いたのですが、いろいろあって忙しかったことと、特に書き残したい言葉が見つからない日が続いていたことが原因です。先週金曜日は、入院しておられる方を訪問しました。土曜日は、牧師館内外の大掃除を行いました。腰痛を起こすほど夢中で片付けました。おかげで、身辺がかなりすっきりしました。今週火曜日は「東関東中会伝道委員会」がありました。書記である私にとっては、負担や責任が小さくありません。昨日水曜日は、水曜礼拝。その中で、気持ちの上で最も充実感があったのは今週月曜日です。久々にファン・ルーラーの論文の翻訳に没頭することができました。「私は生きている」と実感できる瞬間です。心に喜びがあふれます。奇妙なやり方かもしれませんが、ファン・ルーラーの二つの論文を同時並行的に訳していく方法を採りましたところ、自分でも驚くほどスムーズに訳筆を進めることができました。二つの論文とは、1958年の「理性の評価」(De waardering van de rede)と1959年の「教義の進化」(De evolutie van het dogma)です。どちらも昨年9月に刊行が始まった新しい『ファン・ルーラー著作集』(Verzameld werk)の第一巻に収録されています。この二つは、執筆された時期が近いためでしょう、内容や方向において重なるところが多くありますが、なおかつ、後者には前者からのさらなる発展の要素も見られ、思索の深まりや広がりを感じることができました。二つの論文を同時に翻訳するという芸当は、少なくとも私にとっては、パソコンを持っていなかった頃には全く考えられないことでした。便利な時代になったものです。



2008年3月2日日曜日

信仰の価値


使徒言行録19・1~20

パウロの伝道旅行は、すでに三回目に突入しています。第三回旅行が始まったばかりの頃に起こった出来事が今日の個所に記されています。

「アポロがコリントにいたときのことである。パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子に出会い、彼らに、『信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか』と言うと、彼らは、『いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません』と言った。パウロが、『それなら、どんな洗礼を受けたのですか』と言うと、『ヨハネの洗礼です』と言った。そこで、パウロは言った。『ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。』人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたりした。この人たちは、皆で十二人ほどであった。」

最初の段落に記されていますのは、先週学んだ個所に初めて登場しました伝道者アポロに関する出来事です。雄弁で熱心な伝道者であったアポロはエフェソの町で伝道しました。ところが、このアポロが宣べ伝えた教えにはパウロが宣べ伝えてきたものとは異なる要素が含まれていたということが、先週の個所に明らかにされていました。

アポロはイエス・キリストについては正確に語っていました。ところが洗礼については「ヨハネの洗礼しか知らなかった」と言われています。ヨハネとは、イエス・キリストが公生涯をお始めになる前に活躍した預言者です。「ヨハネの洗礼」とは、救い主がこれからお出でになることを知っていた預言者ヨハネが、救い主をお迎えするために各人が自分の罪を悔い改め、身と心を清める必要があると教え、そのために多くの人に授けた洗礼です。それでヨハネの洗礼は「悔い改めの洗礼」と呼ばれていました。

これに対して、イエス・キリストの御名による洗礼とはどういうものでしょうか。その特徴がパウロの言葉の中に出てきます。「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」。信仰に入るとは「洗礼を受ける」ということと同義語です。つまり、パウロが行なっていた洗礼は、それを受けると聖霊を受けるものであるということです。

「聖霊を受ける」とは、どういうことでしょうか。面倒な説明は省略して結論だけを申します。「聖霊」とは、わたしたちの信仰理解では三位一体の神御自身です。ですから、「聖霊を受ける」とは「(聖霊なる)神(!)を受け取る」ということです。「神を受け取る」という表現自体は、奇妙に聞こえるものかもしれません。しかし洗礼と同時に起こる出来事は、まさにそのようにしか表現できないものです。聖霊なる神がわたしの中に入ってこられるのです!わたしの中に神が住んでくださるのです!そのような実に驚くべき出来事が、洗礼を受けて信仰生活を始めるときに起こるのです。

しかし、アポロから洗礼を受けた人々は、そういうことを全く知りませんでした。聖霊の存在そのものを「聞いたこともない」とさえ言っていました。それでおそらくパウロはびっくりしたでしょうし、危機感を覚えたでしょう。なぜなら、アポロから洗礼を受けたエフェソの人々が信じていることは聖霊の働きを抜きにしたものであり、それはパウロが宣べ伝えてきた信仰とは異なるものであるということに気づいたからです。

聖霊の働きを抜きにした信仰とはどういうものでしょうか。使徒言行録に具体的な描写はありません。しかし想像することは可能です。聖霊は神御自身です。そうであるならば、「聖霊を受けた」と信じている人々はわたしの存在の中に神御自身が住んでおられることを信じているのです。そして聖霊は、神として御自身の御言葉をお語りになります。その際、聖霊は、わたしの心の中で、わたし自身の言葉とは別の言葉を、特にしばしばわたし自身の言葉に逆らった仕方でお語りになるのです。

変なことを申し上げているように聞こえているかもしれません。しかし、これはわたしたち自身も体験したことがあることです。たとえば、今朝、皆さんの中に「今日は教会に行くのがつらいなあ」とお感じになった方がおられませんでしょうか。それはおそらく、皆さん自身の言葉です。人間の言葉です。しかし、そのすぐあとに、「いや、でも、今日はやっぱり教会に行こう」と思い直された方はおられませんでしょうか。それも皆さん自身の言葉かもしれません。しかし、ひょっとするとそれこそが聖霊なる神御自身が皆さんに語りかけてくださった言葉かもしれないのです。

あるいは先週、皆さんの中に罪の誘惑を受けた人がおられませんでしょうか。悪いことをしていると分かっている。でもこれは仕方がないことだ、みんなやっていることだし、これくらいは大丈夫だと、自分で自分に言い聞かせている。これはおそらく皆さん自身の言葉です。しかし、すぐあとに「いや、でもやっぱりやめよう。罪を犯してはならない」という言葉が聞こえてきたという方はおられませんでしょうか。それは、ひょっとすると、聖霊なる神御自身の言葉かもしれません。そのようにあなたの心の中であなた自身に語りかけてくる別の言葉があるとお感じになった方はおられませんでしょうか。それを感じたことがある方は、おそらくすでに「聖霊を受けている」のです。

そして「聖霊を受けた人」は「預言」や「異言」を語り始めました。この文脈で「預言」と「異言」は同じ意味です。神の言葉としての「説教」のことです。わたしの内なる神の言葉、すなわち聖霊の声を聞いたことがある人だけが「説教」を語ることができるようになるのです。

ところが、アポロの授けた洗礼には聖霊なる神への信仰という要素がありませんでした。すると、どうなるか。罪への誘惑にあったときに、「いや、でもやっぱりやめよう」という言葉が心に響くことがあっても、それはあくまでも自分自身の言葉であり、わたしの意志や努力の結果であり、自分でなした悔い改めの結果であると考えざるをえないでしょう。そうしますと、罪の誘惑に負けることなく、踏みとどまることができた場合にも「それは私ががんばったからである」と、自分で自分を誉めることになるでしょう。アポロの宣べ伝えた信仰の本質は、結局のところ、自分を誇るものになるでしょう。

しかし、パウロが宣べ伝えた信仰は、そのようなものではありませんでした。パウロの場合は、罪を行わないように踏みとどまることができたのは、わたしががんばったからではなく、神が踏みとどまらせてくださったからであるということになるのです。そこには神への感謝があります。そして、その感謝のもとで自分の弱さと罪深さを自覚させられ、どこまでも謙遜にさせられます。まさにそれがパウロの宣べ伝えた信仰です。キリスト教信仰の目標は、自分を誇ることではなく、神に一切の栄光をお帰しすることであり、神に感謝することだからです。アポロの宣べ伝えた信仰は、パウロの伝道によって修正され、書き換えられる必要があったのです。

「パウロは会堂に入って、三か月間、神の国のことについて大胆に論じ、人々を説得しようとした。しかしある者たちが、かたくなで信じようとはせず、会衆の前でこの道を非難したので、パウロは彼らから離れ、弟子たちをも退かせ、ティラノという人の講堂で毎日論じていた。このようなことが二年も続いたので、アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった。」

パウロはエフェソの会堂で三か月間御言葉を宣べ伝えました。ところが、会堂に集まる人々の中に、パウロの言葉を受け入れず、またあからさまに攻撃してきた人々がいました。しかしそこでパウロは、これまでのように腹を立てたり、けんか腰で怒鳴りつけたりしたかと言いますと、そういうことは書かれていません。むしろ、どちらかというと御言葉を受け入れない人々の前からは静かに身を引き、いわばその代わりに、御言葉を受け入れる人々のところに行って伝道を続けるというやり方がとられたかのように描かれています。パウロの側にこれまでの強引なやり方に対する反省があったとまで言ってよいかどうかは微妙です。しかし、幾分か、パウロの穏やかな様子が伝わってくるような気がします。

わたしたちも考えておくほうがよさそうなことは、同じ伝道をするなら聞く耳を持っている人々に対して積極的に行うほうが楽しいし、有意義であるということは否定できないということです。反対する人々は、何が何でも反対します。それが真理であるかどうかは全く関係ないと思っている人々がいます。最初から聞く耳を持つ気がない。そういう人々の耳をこじ開けて受け入れさせることは至難の業ですし、神経をすり減らすばかりです。パウロは少し自分の健康を気にするようになったのかもしれません。聞く耳を持っている人々に御言葉を語る。その場合には、どれだけ語っても疲れることはありません。

「神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた。彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気はいやされ、悪霊どもも出て行くほどであった。ところが、各地を巡り歩くユダヤ人の祈祷師たちの中にも、悪霊どもに取りつかれている人々に向かい、試みに、主イエスの名を唱えて、『パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる』と言う者があった。ユダヤ人の祭司長スケワという者の七人の息子たちがこんなことをしていた。悪霊は彼らに言い返した。『イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ。』そして、悪霊に取りつかれている男が、この祈祷師たちに飛びかかって押さえつけ、ひどい目に遭わせたので、彼らは裸にされ、傷つけられて、その家から逃げ出した。このことがエフェソに住むユダヤ人やギリシア人すべてに知れ渡ったので、人々は皆恐れを抱き、主イエスの名は大いにあがめられるようになった。信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきり告白した。また、魔術を行っていた多くの者も、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を見積もってみると、銀貨五万枚にもなった。このようにして、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった。」

今日の最後の段落に記されていることの要点を短く述べておきます。これもエフェソでの出来事です。パウロの伝道によってキリスト教信仰を受け入れた人々の中に、それ以前は魔術を行っていた人々がいました。しかし、信仰を受け入れた日からその魔術の書物が不要になりました。その書物の値段は、なんと銀貨五万枚(現在の五億円に相当か)ほどであったというのです。です。それを捨てる決心が、彼らの心に芽生えたのだということです。逆にいえば、キリスト教信仰には、五億円を捨てても惜しくないほどの価値があるのだということです。

信仰はお金で買うことはできませんし、信仰によって受け取る聖霊もお金で買うことができないものです。信仰による救いをお金で獲得できるわけではありませんし、聖霊なる神をお金で雇うことができるわけでもありません。信仰も聖霊も無料(ただ)で受け取るものです。しかし、お金で買うことができないもの(プライスレス)は、「だから無価値である」というわけではないのです。信仰には、計り知れないほどの価値があります。魔術のようなものに惑わされないための知恵と判断力を与えられます。霊感商法のような宗教的詐欺行為、あるいは占いやおみくじのようなものにも惑わされません。罪の誘惑に易々と乗りません。

キリスト教信仰は、本当に大切なものは何であるかを知っています。神と隣人を愛することが大切です。そのためにわたしたちは生きているのです。神と隣人のために自分の命をささげることこそが最も大きな愛であるということを、わたしたちは知っているのです。この価値ある信仰に生きているわたしたちは、幸せです。

(2008年3月2日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年2月29日金曜日

「研究環境」の整備をめぐる主要課題

私の少しばかりの経験から語りうることは、ファン・ルーラーの研究と翻訳を志す者たちの書斎(ないし研究室)に揃えておくべき必要最低限の文献は前記五名の著作(カイパー、バーフィンク、トレルチ、バルト、ノールトマンス。とくに彼らの『全集』や『著作集』や『教義学』の一式)であるということです。日本語版や他国語版があるものについては、それらを揃えることも「翻訳」のための有益な参考資料になります。



そしてもちろん、彼らの著作を「揃えておく」というだけでは不十分であり、徹底的に読み込んでおく必要があります。しかし、上記五人の書物を読むためには、最低でもオランダ語とドイツ語の知識は不可欠です。



また彼らの書物にはヘブライ語、ギリシア語、ラテン語の三大古典語はもとより、英語やフランス語あたりは遠慮会釈なく出てきますので、これらの外国語についての手ほどきをどこかで少しだけでも受けていないかぎり、全く手に負えません。



以上のことが、言うならば「日本におけるファン・ルーラー研究」を可能にする大前提です(「ファン・ルーラー自身の著作を収集する」という点はあまりにも自明すぎる前提ですので、ここでは省略いたします)。



しかしまた、これだけの前提がある程度までクリアされていれば、翻訳はかなりスムーズに進んでいくでしょう。ただし、これだけの「研究環境」を《整備する》ということのためだけに、軽く10年や20年くらいはかかるはずです。



加えて、「語学留学」ができればベストでしょうけれど、そこまで行くとよほどの大富豪の家庭か、そうでなければ強大な組織(大学や教団や財団など)の後ろ盾があるような人にしか実現しえないでしょうし、一般家庭ならば文字通り「家屋敷を売り払うこと」でもしないかぎり無理でしょう。



それに、飛ぶように売れる書物の翻訳でもあるならともかく、販売益を全く期待できない教義学の翻訳の前提を得るための出費なのですから、ある見方をすれば、ただの「道楽」か「趣味」、あるいは「放蕩」にさえ見えるかもしれません。この偏見や嘲笑との戦いにも相当の年月がかかることを、覚悟しなくてはならないでしょう。



ファン・ルーラーと「五人の神学者」

ファン・ルーラーの著作が有する「謎」の要素は、だれの書物からの引用であるかが分からないところにもあります(それだけではありませんが)。ただし、ファン・ルーラーの蔵書量と読書量は非常に多かったということも知られています。引用元の文献を特定することは容易ではありません。しかし、それでは全く手掛かりがないかというと、そんなことはありません。絶望すべきではありません。ファン・ルーラーに圧倒的な影響力を及ぼした偉大な先人は、もちろんある程度特定できます。



確実なところを五人挙げるとしたら、アブラハム・カイパー、ヘルマン・バーフィンク、エルンスト・トレルチ、カール・バルト、ウプケ・ノールトマンスです。五人のうちカイパーとバルトに対してファン・ルーラーは、激烈なまでの批判を投げかけもしました。しかし、彼が彼らを攻撃したのは、党派心や私怨などからではありえず、カイパーとバルトの神学がオランダ改革派教会に及ぼした影響が圧倒的なものであったからこそ、どの神学にも必ず存する短所や欠点を指摘しておく必要が生じたからです。



ファン・ルーラーが「改革派の」神学者であったということについては間違いなく言いうることであり、この点に彼は、少し強すぎるほどのこだわりさえ持っていました。しかし、彼の書物の中に「我々カルヴィニストは」というたぐいの表現を見つけたことは、私自身はまだありません。ファン・ルーラーは「カイパー主義者」にも「バルト主義者」にもなりませんでしたし、そのようなものになることができませんでした。大樹に寄りかかることも、長いものに巻かれることも、よしとしませんでした。「自立して神学すること」(zelfstandige te theologiseren)をこそ、よしとしたのです。



しかしそれでも、バーフィンク、トレルチ、ノールトマンスに対する尊敬は(彼らの「主義者」になるという仕方においてではありませんでしたが)非常に大きいものでした。



ファン・ルーラーにおける「トレルチの問題」

ファン・ルーラーを読んでいますと、「トレルチの問題」にぶつかることが不可避的であることに気づかされます。改革派教義学者ファン・ルーラーが「トレルチ研究者」でもあったことは確実です。



ファン・ルーラーがフローニンゲン大学神学部に提出した卒業論文のテーマが「ヘーゲル、キルケゴール、トレルチの歴史哲学」というものでした(指導教授prof. dr. W. Aalders)。そして、さらにその後彼は、トレルチの歴史哲学に関する博士論文まで書こうとしていました。しかし、教会の牧師の仕事をしているうちに新しい関心が芽生えたため、博士論文のテーマは教義学的なものに変更しました。しかし、ファン・ルーラーがトレルチについての博士論文を書こうとしていたことは事実であり、そうしようと思うくらいに彼がトレルチを徹底的に読み込んでいたことも確実です。実際、ファン・ルーラーの文章にはトレルチからの引用が多いし、トレルチの問題提起を受けた発言も多い。



ただしファン・ルーラーは、トレルチに限らずどんな人からの引用であっても引用元を明示していない場合が多く、それがファン・ルーラー研究者を泣かしてきました。そのため、ファン・ルーラーの文章のどこにトレルチの引用があるかを見抜くという厄介な仕事は、当たり前のことですが、トレルチ自身の文章を実際に読んだことがある人にしか不可能であるということにもなるわけです。



私はこれでも一応、東京神学大学大学院で「エルンスト・トレルチの倫理思想」についての修士論文を書いた者です(審査の結果はあまり思わしいものではありませんでしたが)。私も一時期トレルチはかなり読み込みました。特に、最高の金字塔『歴史主義とその諸問題』(Der Historismus und seine Probleme, 1922)は、近藤勝彦先生の全訳版を、感動の涙を流しながら何度も繰り返して読みました。どこに書いてあるかをすぐに思い出せなくても、トレルチがどういうことを考えていたかが少しは分かります。ファン・ルーラーを読みながら、「これはトレルチの引用だな、たぶん」と分かります。はずれたことはありません。



今週月・火曜日の東関東中会教師会一泊研修会で久米あつみ先生がお教えくださったことの一つは、フランスのカルヴァン学者、オリヴィエ・ミエ先生の凄さ。ミエ先生の手にかかると、この手書き文書はカルヴァン自身の直筆かどうかなどは数行も読めば判別できるとのこと。



私もいつか、せめてファン・ルーラーに関して、また理想的には主要なオランダ改革派神学者に関して、その域に達してみたいと願っています。



2008年2月27日水曜日

東関東中会教師会一泊研修会

一昨日、昨日と日記を書けなかったのは、体調不良のせいではなく不在だったからです。東関東中会教師会一泊研修会でした。テーマは「カルヴァンの生涯と神学」、講師は久米あつみ先生(帝京大学元教授、アジア・カルヴァン学会顧問、フランス文学者)、会場は日本キリスト改革派勝田台教会(千葉県八千代市)でした。せっかくの機会を牧師たちだけで特権的に占有してはなるまいと、最初の部分を「公開講演会」にして一般の参加者を募りましたところ、老若男女、大勢集まってくださり、満堂になりました。開会礼拝をささげた後、久米先生の明晰で味わい深い名講義(90分)を堪能できました。そしてその後は一般の参加者にはお帰りいただきました。帰り際、どなたもとても満足しておられました。私は教師会の会長(昨日まで)として本企画の主催者でしたので、参加者の嬉しそうな表情に深い慰めを得ました。そして、牧師たちだけになってから、久米先生の御著書(久米あつみ著『カルヴァンとユマニスム』、お茶の水書房、1997年)をテキストにしたゼミを行い、そこに久米先生御自身にも参加していただき、まことに懇切丁寧なご指導をいただくことができました。そのような満ち足りた二日間を過ごしておりました。ゼミの中で私もレポートを書いて発表する担当者になりました(そのレポートはここにあります)。私の担当箇所は「第七章 カルヴァンのレトリック」の部分でした。本当に心から信頼しあえる同僚牧師たちと深く広い学びができたと感じ、うれしく思いました。帰宅後、久米先生の御著書に言及されている古代の修辞学者クインティリアヌスのことを知りたいと思い、例によってネットで検索してみました。すると、な、なんと、ごく最近のことのようですが、クインティリアヌスの主著Institutio Oratoriaが日本語に翻訳され、その日本語版の全五分冊(原著は全12巻)中の一冊目がすでに出版されていると知り、非常に驚きました(クインティリアヌス著『弁論家の教育〈1〉』 、西洋古典叢書、京都大学学術出版会、2005年)。さっそくAmazonで注文しました。



2008年2月24日日曜日

読書を再開しています

気力というのは恐ろしいものがあります。体調を崩すなどしてそれを失うというか減ってしまうというかの体験をすると、気力というものの存在の大きさを感じます。勢いよく書いてきた日記が、思うように書けなくなりました。言葉があふれてこないというか、物事を考えること自体がちょっとおっくう。お腹の風邪は治ったものの、のどや鼻に痛みがあり、薬を飲んでいることも関係してか、一日中ボーっとした感じが続いています。「気力を失った」と感じるとき、とくに「言葉を失った」と感じるときは、本を読むことにしてきました。とくに日曜日の夜、なかでも説教があまりうまくいかなかったと感じる日、また教会や中会や大会などの会議の席で何らかのトラブルめいたやりとりがあって腹の虫が治まらないとき、などなど。そういうときに限って猛烈に本を読みたくなります。「言葉を失った」ので「言葉をかき集め、不足を補い、蓄える」ために本を読む。とても単純な話です。こんな単純なやり方でけっこう回復してしまう私は、人間の造りが単純なのでしょう。ものすごく腹が立つような出来事があってイライラ、ムカムカしている日の夜などに限って、オランダ語の神学書を辞書と首っ引きで読んでいたりします。あまりに没頭しすぎて、気がつくと次の日の朝だったという場合も、しょっちゅうです。今日読んでいたのは、E. コリンスキー編『西ヨーロッパの野党』(清水望監訳、行人社、1998年初版、2004年第三版)です。何ヶ月か前に近くの古本市場で見つけて買いました。なかなか面白い本です。私の恒常的な関心事の一つにオランダのキリスト教政党の動向をウォッチすることがあるのですが、本書にはオランダのキリスト教政党が、特に前世紀後半以降、「野党」になったり「与党」になったりを繰り返しながらうまい具合に世論を「中道化」させ、バランスを保ってきた様子が、短い言葉ながら分かりやすく書かれていました。このような良い本が日本語でたくさん書かれること、また良い日本語に翻訳されることを期待します。「日本にもキリスト教政党が欲しい」と真剣に願っているのは、私だけでしょうか。



2008年2月23日土曜日

地域にかかわる

今日は朝7時45分から30分間、中学校前でPTAの「あいさつ運動」に参加しました。夜は補導員の仕事でした。地域社会の活動に参加することの大切さを改めて実感しました。



2008年2月21日木曜日

ファン・ルーラー研究会 結成9周年記念メッセージ

ファン・ルーラー研究会の皆様、



本日は、研究会結成9周年の記念日です。毎年、記念メッセージを書かせていただいていますので、今年も書きます。



○昨年2007年は、わたしたちにとって大きな動きを感じられた年でした。主な動きは以下のとおりです。



(1)8月には、教文館からファン・ルーラーの三冊目の訳書として『キリスト教会と旧約聖書』(矢澤励太先生訳)が出版されました。この本の素晴らしい書評を牧田吉和先生が『本のひろば』にお書きになりました。



(2)9月には、二年ぶりとなる我々の研究会の「神学セミナー」を日本基督教団頌栄教会で開催することができました。牧田吉和先生が「ファン・ルーラーの喜びの神学」について力強い講演をしてくださいました。



(3)また同月、アメリカのニューブランズウィック神学校で「国際ファン・ルーラー学会」が開催され、アメリカのファン・ルーラー研究者が一堂に会しました。



(4)さらに同月、ついにオランダで新しい『ファン・ルーラー著作集』の第一巻が出版されました(第二巻は今年4月出版予定です)。その『著作集』第一巻の「編集者序」の中に「日本にファン・ルーラー研究会(Van Ruler Translation Society)がある」ことが大々的に紹介されました。『著作集』で紹介されたということは、それが収められる全世界の大学や神学校の図書館にも、我々の研究会の名前が永久に覚えられることになったことを意味しています。



(5)そして、その『著作集』出版記念祝賀会の席で、ファン・ルーラーの息子さんであるケース・ファン・ルーラーさんが、牧田先生がファン・ルーラー家を訪問されたときのエピソードをオランダの碩学たちの前で紹介してくださいました(その音声がインターネットを通じて世界的に紹介されました)。



○日本語版『ファン・ルーラー著作集』の実現の夢はまだ叶いませんが、コツコツとした活動は、続けています。



(1)たとえば、昨年は、日本キリスト教会神学校の紀要『教会の神学』に栗田英昭先生の「ファン・ルーラーの聖霊論におけるキリストとの神秘的合一」と題する堅実な研究論文が掲載されました。



(2)また私も、神戸改革派神学校の紀要『改革派神学』に「地上における神のみわざとしての教会」という論文を書きました。日本基督教団改革長老教会協議会の『季刊 教会』誌にも「改革派神学・長老主義・喜びの人生」という論文を書きました。



○さらに、我々ファン・ルーラー研究会の少し先輩である「アジア・カルヴァン学会」にも、昨年は大きな動きがありました。



もちろん、言うまでもなく、東京代々木・青少年センターで行われた「第10回日本大会」の開催です。世界最高レベルのカルヴァン学者、ライデン大学のヴィム・ヤンセ教授をメイン講師にお迎えし、日本、韓国、台湾、インドネシアから約100名の参加者が東京に結集しました。



○今年の抱負も少し述べておきたいと思います。現在計画中なのは、念願の日本語版『ファン・ルーラー著作集』への道備えとしてのいくつかのステップです。以下のようなことを計画し、具体的に動きはじめています。



(1)「ファン・ルーラー研究会シリーズ」(仮称)の自費出版(発売元を著名な出版社に依頼する計画です)



(2)著名な雑誌へのファン・ルーラーの訳文(訳注・解説つき)の連載



(3)神学セミナーの開催(これは毎年一回開催を原則としてきたものです。内容・日程等は未定)



(4)なお、今年2008年12月10日(水)は、ファン・ルーラー生誕百年記念日です。当日、アムステルダム自由大学で記念講演会が行われます。メイン講師はユルゲン・モルトマン博士です。日本からも参加できる人がいるとよいのですが。



(5)あとは、オランダ語の翻訳にひたすら取り組むこと、そして同時に、繰り返し問われる「なぜ今、日本でファン・ルーラーなのか」という問題にきちんと答えられるように、我々自身の研究と洞察を深めていくことだと思っています。



○メーリングリストは、このところ少し低調気味ですが、これを「命綱」と感じてくださっている方々もおられることを知っております。ありがたく感謝いたします。



どうかこれからもよろしくお願いいたします。どなたもお元気でお過ごしくださいませ。



2008年2月20日



関口 康



ファン・ルーラー研究会代表
日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師



この記念メッセージを「ファン・ルーラー研究会ホームページ」に掲載しました。PDF版もあります。



2008年2月20日水曜日

復活しました

「日記を中断します」と月曜日に書きましたが、中断しなくて済みそうです。昨夜までは自信喪失状態で萎(しお)れていましたが、一夜明けたら急にモリモリ元気が出てきました。今日の午前中は水曜礼拝、また午後は中学校のPTA活動に参加してきました。食事も普通食に戻りました(量は控え目ですが)。「ボクって若いんだなあ」と感じています。もう大丈夫です。牧師の仕事も、改革派教義学も、ファン・ルーラーも、オランダ語も、カントも、米倉涼子さんも伊東美咲さんも、続けていきます。