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日本基督教団三崎町教会(東京都千代田区神田三崎町1-3-9) |
説教 「永遠の住み家」(要旨)
コリントの信徒への手紙二 5章1~10節
関口 康
「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています」(1節)
今日の箇所はひとりの人間、おそらくパウロ自身の「死」を描いています。
人生の終わりにあっても希望がある。なぜなら「人の手で造られたものではない天にある永遠の住みか」(1節b)が備えられているからである、と述べています。
「地上の住みかである幕屋」(1節a)と「永遠の住み家」が対比されているため、「パウロは地上の人生を幕屋(テント)のような『仮住まい』とみなしている」と誤解する危険性があります。
この箇所の「幕屋」(5章1節)の意味は、「死ぬはずのこの身」(4章11節)や「〔衰えていく〕外なる人」(4章16節)と同じです。パウロの主旨は「人間存在(肉体+精神)は弱くて不安定である」ということだけです。
「仮住まい」という意味を持ち込むのは危険です。「私たちの本籍がある天国に行くまでの通過点にすぎない人生など、さっさと終わってくれ」と言い出しかねません。
2~9節の趣旨は「神はわたしたちを裸にしない」ということです。裸にされることをパウロは最も恐れています。裸の屈辱を味わったからです(11章27節など)。
わたしたちは死んでも裸にはされません。神が永遠に保護してくださいます。
それが「永遠の住み家」の意味です。
(2024年9月29日、東支区講壇交換、日本基督教団三崎町教会)