2025年8月22日金曜日

「足立前」と「足立後」

「自炊ライダー」原作・関口康、作画・ChatGPT 

【「足立前」と「足立後」】

「本を減らしたい」と願い、実践したが、減るどころか増える。廃棄または譲渡した本も「これはあれに書かれていたはず」と思い出して捜す羽目になって当然見つからず、古書店で同じのを買い戻す。異端やトンデモ本も、それはそれでそれとしての価値がある。その価値は、売れるかどうかの意味ではない。

特に足立の今の教会に来てから、これまで直接対面したことがなかった方々との新しい出会いが多くあり、その方々の関心や愛読書がこれまでの私の関心に無く、かろうじて死蔵だけしていたりして、それをやっと読む気になったりもした。「棄てなくてよかった」と安堵する場面が多いが、棄てたものもある。

本の話は長くなるので、やめる。私の人生に「足立前」と「足立後」の線が引かれたことを実感している。全共闘世代の分断と明らかに関係している。私はどちら側でもないし、どちら側でもある。和解や調和は彼らの問題。正反合の弁証法が起こるとも思わない。両者に生存権があると思っているに過ぎない。

2025年8月21日木曜日

教会が好きなので教会が嫌いになりそうになる

「東京スカイツリーが見える」と言いたがっている 2024年10月24日撮影

【教会が好きなので教会が嫌いになりそうになる】

日本で創立以来100年越えのプロテスタント教会が少ないとも言えなくなってきた昨今の状況はうれしいかぎり。しかし、「歴史的建造物だから」「我々の『格』ならこれくらいは」などの理由で数百名収容可能規模の礼拝堂を維持しているものの、空席が目立つ「さびしい」礼拝の教会の苦しさは、私なりに理解している。

苦しみを感じている個人や集団についての言説に必要なのはデリカシー。また、私個人は現時点で「数百名収容可能規模の礼拝堂を維持している教会」の牧師ではないが、教団・教区・支分区などのつながりがあるため「部外者」とも言いがたい立ち位置にいるので、ずけずけ言うつもりはない。

逆転発想と言えるほど逆ではないが、最近よく考えるのは、どれほど広い礼拝堂で空席が目立つような気がするとしても、果たしてそれは「空席」なのかと、その教会自身が自問自答することが大切かもしれないということ。古めかしい横長のベンチにぎゅうぎゅう詰めで座りたいと思う人は、もういないだろう。

それと、「数百名収容可能規模の礼拝堂を維持している教会」の牧師がたが、教団・教区・支分区や対外的な仕事で忙しいからか、原稿なしのアドリブトークライブかと思える、ずいぶん雑駁な説教をしておられる気がして心配している。説教準備しかすることがない牧師の説教のほうが聞きごたえがある場合があると思う。

足を引っ張る意図は無い。日本のキリスト教宣教の進展だけが私の願い。1990年春、日本基督教団東中国教区の常置員会だったかで補教師受験資格にかかわる面接を受けたとき「日本の」を言うと「アジアの視点が欠落している」と私を非難したどなたか(不明)の言葉を忘れたことは無い。私が気に入らなかったらしい。

昨日出席した会合で初めて知った。教団総会に出された重要な議案が「時間切れ審議未了廃案」になることを願った人たちが総会閉会時刻直前に「カウントダウン」をして提案者を侮辱したという話。私が教団を離れていた間(1997年1月から2015年12月まで)らしい。私は詫びる立場にないが、申し訳なく思う。

2025年8月20日水曜日

外国語の神学書をどんどん読んでくれるエーアイ

キリスト教神学資料室(牧師館内) 2024年10月24日撮影

【外国の神学書をどんどん読んでくれるエーアイ】

人工知能の使い道の話に私の出る幕は無いと思っているが、個人的に期待しているというかすでにフル稼働中の分野は、大量に譲り受けた外国語の神学書の乱読。古くて忘れ去られたものばかりで、翻訳出版の話などありえず、プロ翻訳家の出版物を待っても無駄。「正確な訳」かどうかより「読むこと」が重要。

来春、研究発表してくれと言われている日本の昔の神学者の背景を調査する中、その人が留学先で指導を受けた可能性があるアメリカの組織神学者が書いた教科書が私の書斎にある。そういうのをざっくり読むために人工知能の翻訳能力は大いに頼れる。積(つ)ん読(どく)が読(よ)ん読(どく)になる。

語学が得意な人たちがときどきSNS等で、自慢の語学で暗号のように何かつぶやくのを見かける。ボタンひとつで何を言っているかほぼ分かる。あいさつ程度の場合が多い。ドイツ語のひげ文字も、ヘブライ語も、ペルシア語なども同じ。くさび形文字はどうかは知らないが、たぶんボタンひとつで訳してくれそう。

人工知能のせいで「語学を学ばない人が増えるかもしれない」ことを危惧する向きがあるかもしれないが、別の考え方もできるだろう。死蔵する他なかった諸外国の文献の思想世界に突入できるようになった。出版に値するかどうかを「正しい訳」というなら別の話になっている。読むか読まないかだけが問題。

神学書の翻訳出版は今後も期待したいが、私個人は新刊書籍を定価どおり買えたためしがない。図書館という空間に馴染めない人間なので、自分で本を所有したいが、わが書斎の本はどれもこれも初めから20年30年経て安くなってから買ったものばかり。最近は某オクに出品された遺品と思われるもの。

自分で買ったものではなく無償で譲り受けた大量の本の中に外国語のものが多い。ルターの英語版全集。大量のカルヴァン研究書(英語、ドイツ語、オランダ語)。数十年分の米国カルヴァン神学校の紀要。これまた大量の現代の組織神学。カール・バルト、ボンヘッファー、ユンゲル、パネンベルク、ハンス・キュンク。

日本語版を新刊の定価で買うお金が無いので、人工知能に読んでもらっている。それを私が出版するわけではないので「正しい訳」かどうかは、さほど問題ではない。そこで何が話題になっているか、どういう解決策が提案されているか、その提案が日本のキリスト教宣教にとって有益かどうかが分かればよい。

「出版」の概念も昔とは大きく変わっただろう。ブログやSNSの記事は訂正や削除や改変が容易すぎるので、学術論文などの土台にするのはいまだに難しそうだと私も思う。しかしネット記事の可変性や流動性は長所でもある。「正しい訳」よりも「いま必要な言葉」を得ることのほうが重要な場面がある。

2025年8月18日月曜日

博士の従者ではない

キリスト教歴史資料室(牧師館内) 2024年10月24日撮影

【博士の従者ではない】

宗教法人うんぬんの話ではないし、教団・教派の「構造」の話に近いが同じではない。自分の属するグループのようなものがあり、その中に博士(Th. D.)の学位を持つ神学者がいて、その人の判断がグループを拘束するほどの力を持っていれば、自分で考えなくて済む教師(牧師)が増えて、私なども助かる。

そういう「構造」になっていない場合や、そもそも何のグループにも属していない教師(牧師)たちは、すべてを自分で考えなくてはならない。あえて大げさに言うが、キリスト教史2000年分をカバーするだけの規模の本の自己所有が必要。それができない場合は、だれかのコピー、または従属関係に置かれる。

極端な言い方なのは自覚している。買って持っているというだけで1ページすら読めていない本がかなりあることを隠すつもりはない。すべての教師(牧師)がTh. D.である必要は当然ない。自分で考え、自分で判断できる自由を得るためのコストはけっこう重いということを認識してもらいたくて書いている。

今これを書きながら福沢諭吉さんの『学問のすゝめ』を思い出していることも隠さないでおく。基本的なことは何でも自分でできるようになるために学問がある、自分にできないことがあってそれを学ぶ気がなければ誰かに従属する立場に置かれざるをえない、というわけだろう。教師(牧師)も同じだと思う。

2025年8月16日土曜日

普通自動二輪車免許取得2周年

2025年4月16日撮影


【普通自動二輪車免許取得2周年】

一昨日8月14日は「普自二」(ふじに)2周年。10月24日が「大自二」(だいじに)2周年。パニアとかつけて250キロほどの取り回しは慣れた。完こけしたとき起こせるかどうかの問題もあるが、発進時エンストで「あっ」てとき、250キロが200キロでも支えられないと思う。同じなので、ニンジャ1000おすすめ。

「大自二」が2周年ということはSHAKENなのだ。分かっていたこととはいえ重い。ぜいたくのつもりはないけれど。あっという間の2年だった。まあでも、この巨体をあれだけの速度(法定速度内)で走らせている立場としては車検なしだと逆に怖い。今回通れば次は2年後なので、しっかり診てもらおうと思う。

そもそも私の「大自二」取得の目的が「高速道路(特に首都高)を安心して走るため」だったので、PA・SA以外ノンストップ走行が前提。途中で分解とかされると困る前提(それは高速でなくても)。タイヤのバースト経験はまだ無い、いや待て、四輪時代はあったかも。四輪なら転倒はしないが二輪はこける。

20年ほども前から、ちょうど20歳若い牧師が私のことを「20年早い」と言ってくれていて、うれしいのか悲しいのか分からない。20年後の牧師は大型バイクに乗っているのだろう。紙の本は無しで、オールデジタル。そうすれば転任のたびにダンボール100箱とかにならずに済む。良い将来と言えない気がする。

2025年8月14日木曜日

世代論から見た宣教の課題

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【世代論から見た宣教の課題】

いわゆる世代論で「バブル世代」「オタク第一世代」など言われるのがちょうど私あたり。教会の文脈ではいまだ若手だが、10歳年上くらいの教師(牧師)の隠退者や逝去者が増えている。教会員も然り。ためしに説教で90年代トレンディドラマや昔のアニメの話題を出して眉をひそめられることが減っている。

宣べ伝える者は「宣べる(述べる)」で済まず「伝える(伝わる)こと」まで責任を負う。学校で聖書の授業をした常勤1年、非常勤5年で知ったのは、聖書に興味がわくのは自分たちが見ているアニメや、しているゲームの用語や場面と結びつくとき。しかし私はゼロ年代以降のアニメやゲームを知らなかった。

常勤講師として教壇に立ったのが2016年。高1と高2で聖書の授業をした。彼らはゼロ年代生まれ。私の子どものころのマンガやアニメを知る生徒はほぼ皆無。私の息子も娘も前世紀末生まれ。彼らの横で親として見たコンテンツは、私が教えた生徒たちとは世代がずれるので話が合わない。「知らない」と反応される。

私が自分のブログを作ったのが2005年。アニメの話題を書いたら某キリスト教メディアが関心を寄せてくださり、その後少し仕事をいただけたりしたが、長続きしなかった。それは私はあくまで親として子どもたちの観ているアニメやマンガを横から見ていただけだったから。私自身はオタクではなかったから。

「自然神学論争」のような大げさな話をするつもりはないが、説教に「聞く耳」を求める努力は必要。それはドストエフスキーやトルストイでなければならないか。私は一向に理解できない。ワンピースはオハラ編までで挫折。共通話題を探すことは説教者の責任。遊んでいるだけのように見えるかもしれない。

私と同世代か近い前後の説教者がテレビドラマ(特に朝ドラ)、映画、プロ野球などスポーツ(Eスポーツ除く)、選挙と政治、環境問題、国際紛争あたりに「聞く耳」を求めがちなように見えることについては共感半分、不満半分。教養主義の名残りに見える。「遊んでいるだけ」と思われたくないのは同じ。

自分がしていることを過大評価しがちなのはお互いさまなので、お許しいただきたい。「バイク」と「アニメ」と「自炊」は、説教を「聞く耳」になる可能性があると思っている。教会内の教養主義っぽい人たちが眉をひそめて軽蔑してきたように見えたあたり。その軽蔑をまずは取り下げてもらう必要がある。

2025年8月11日月曜日

「木に竹は接げない」を巡る断想

お台場(撮影日不明)。記事とは関係ありません。


【「木に竹は接げない」を巡る断想】

映画やテレビドラマやアニメをジャンル問わずたくさん観ることを最近は「雑食」というらしいことをGrokが教えてくれた。別の言い換えは無いかと尋ね返したら「博覧」はどうかと提案してくれた。「ペダンチックだね」と返したら「観まくり」を再提案してくれた。近いことは近いが、まくるのかと思った。

私の中の権威主義が発動。そういうのをなんかちらつかせている気がする自分が嫌い。卒業した2つの神学校の卒論・修論の指導教授(近藤勝彦氏、牧田吉和氏)の名を拙ブログの自己紹介で公開。寝た子は起こさないほうが無難。私の恩師はファン・ルーラーなので。

私個人は「ご冥福を」とはどの相手にも言わないが、キリスト教的な表現をそうではない相手に使うこともない。厳密なことを言うつもりはないが、遺族の心境をおもんぱかって「言葉にならない」ことをかろうじて少ない言葉で弔意を伝えることが、したいこと。宗教中立的な共通表現があれば助かる気がする。

牧師である者は、転任するたびに新たに出会う(各個)教会の、①創立以来のあり方を基本的に踏襲すること、②歴代牧師の存在と教説を尊重すること、③数世紀前の外国教会の伝統などにいきなりさかのぼって「超越的」批判などしようと思わないことが大事。木に竹は接げない。いつか必ず切断の日が来る。

2025年8月7日木曜日

嫉妬

2025年4月17日 ChatGPTに
石ノ森章太郎風に描いてもらった自画像

【嫉妬】

以前はもっと多かった。私は現在、4つのブログを管理している。自分の日記現在の教会カルヴァン学会拙訳ファン・ルーラー著作集。各記事のアクセス数が分かるので、嫉妬心が生まれる。最多アクセス獲得記事がどれも有名人に関係する。私ではない。承認欲求という言葉は苦手だが、それが高まる。

カルヴァン学会のブログならカルヴァン、ファン・ルーラー著作集のブログならファン・ルーラーがそれぞれの最多アクセスを得るかというと、それほど単純ではない。講演会に来ていただいた講師の知名度や、記事の有用性の高さによる。「〇〇大学教授」の肩書きがモノを言う。記事の有用性の件は別の話。

赤裸々に書いておく。拙訳ファン・ルーラー著作集ブログの過去最多アクセスページは「神学用語」。オランダ語の文献に基づいて作成したラテン語とオランダ語と日本語の対訳。多くの方にご活用いただけるのはうれしいこと。神学用語に嫉妬している私。「神学用語め、人気を集めちゃって」と思っている。

私の日記と現在の教会のブログで過去最多アクセスを獲得したのは北村慈郎先生のお名前を拝借しているページ。私が北村先生に嫉妬するのがおかしいことは承知している。足元にも及ばない。関連しているかもしれないのは、次にアクセスが多いのが私の自己紹介ページ。「何者だ」と反応されているようだ。

2025年8月6日水曜日

ヘドラの記憶

2024年6月4日、伊豆大島で撮影。青い海を守りたいですね!


【ヘドラの記憶】

「ゴジラ対ヘドラ」(1971年)を昨夜初めて観た。私は5歳で幼稚園の年長組だったが、実は岡山で祖母と映画館まで行き、チケットを買って席に座ったが、冒頭3分で直視に堪えなくなって帰ったことをはっきり覚えている。祖母には申し訳ないことをした。それ以来ヘドラはトラウマで、54年間逃げてきた。

何がそんなに怖かったのかがやっと分かった。なんとなく覚えていたが、そのとおりだった。東京湾のヘドロに埋まりながら浮かぶマネキン、古時計、そしてヘドラの赤い目。子どもの頃から目が怖い。実家にあった海外童話シリーズの「ヘンゼルとグレーテル」の挿絵の目が怖くて、あの巻だけ開かなかった。

3分で逃げ出した映画だったので、ストーリーを知らなかった。意外なほど明るかった。若き社会運動家たちが「ゴーゴー喫茶」や富士山麓で「公害反対ゴーゴー」を歌って踊る。なかなかシュール。5歳児には社会派すぎた。その年のクリスマスに洗礼を受けた私だが、ヘドラの恐怖には勝てなかった。

「ゴジラ対ヘドラ」が私のトラウマになった理由は、冒頭の東京湾の描写のせいだけではない。祖母に申し訳ないことをしたという思いが残り続けた。私に手こずったからか、帰り道で祖母が転んで怪我をした。私のせいではないと言ってくれたが、罪悪感がいつまでも抜けなかった。そのヘドラとやっと向き合えた。

それにしても、今年の夏の恐怖すべき異常な暑さは何。もしみんなでゴーゴー喫茶や富士山麓で「公害反対ゴーゴー」を歌って踊れば異常気象が緩和されるなら、ありがたいことだ。そういうのを冷笑したくはない。でも、私は教会で讃美歌をうたうほうがいいと思っている。

2025年8月1日金曜日

試行錯誤 ①メーリングリスト

2011年1月29日、千葉県松戸市で撮影


【試行錯誤 ①メーリングリスト】

「インターネットの歴史」を客観的に描くような話は、その筋の専門家が大勢いるように見えるので任せる他はないが、私個人がどうしてきたかは覚えているし、私の人生がなぜこんなふうになったかという話と密接な関係があったりする。断片的に書いて来た気がするが、通史で書くのは初めてかもしれない。

1990年から1996年まで高知県内の教会にいた頃、早い人はすでに「礼拝説教ウェブサイト」の取り組みを始めていたが、私はネットにつながるパソコンを持っておらず、「NEC文豪ミニ」などのワープロで仕事をしていた。1996年から10か月だけ働かせていただいた福岡県内の教会で「パソコン通信」を始めた。

「パソコン通信」だかなんだかよく分からないなりに、そういうのが必要だと痛感したのは高知にいた頃だった。当時の教団は激しい論争の最中だったが(今そうでないというわけでもない)、何が起こっているのかが高知にいるかぎり分からない。情報格差が激しすぎた。私が求めていたのは「情報」だった。

福岡で1996年の夏に「パソコン通信」をやっと手に入れたが、私の知りたい領域に入ってみたら、すでに荒れていた。牧歌的な要素は無いと思えた。「なんだこれは」の世界だった。しかし、文字のやりとりだけだったので、これからいろいろ発展するかもしれないので、それに期待しようという気持ちだった。

1997年から1998年まで神戸の神学校にいた頃、イミンク先生が講演に来てくださった。講演レジュメにメールアドレスが書かれていた。私のパソコンはネットにつながっていなかったはずなので、誰かのを借りたかもしれないが、オランダに戻られたイミンク先生にメールしたらすぐお返事をくださって驚いた。

1998年7月から山梨の改革派教会で働き始めた。そこでも情報格差を痛感した。着任早々、同年発売「ウィンドウズ98」搭載の巨体デスクトップを買い、ピーヒャラ言うダイアルアップでネットにつなぎ、1999年2月には牧師4名を発起人として「ファン・ルーラー研究会」というメーリングリストを立ち上げた。

しかし、そこからがきつかった。私は単純かつ純粋に「情報格差」を少しでも解消し、教会の言説に対して責任的な応答ができるようでありたかっただけだが、誤解する人々が現れた。私に名誉欲があると見えたらしい。そんなわけないがな。それと、情報がネットに「奪われる」と感じた人もいたようだった。

私はオランダ語辞典を1997年に神戸で買い、首っ引きでパッチワークのような翻訳を始めた翌年の1998年に山梨に移ったので、教えを乞いたいだけだった。しかし、国内の研究者はネットでは情報は一切くださらなかった。情報防衛をお始めになった。それで私はやむをえずネット上で試行錯誤の公開を始めた。

具体的に言えば「私は何も知りませんので教えてください」というスタンスでメーリングリストに投稿しはじめた。パッチワーク式にオランダ語1単語に対して日本語1単語を貼り合わせる「翻訳」で、日本語になっていないままの文章をメーリングリストに流して「これってどういう意味でしょうかね」と問う。

そういう私のやり方に不快感を抱いた方々が実際におられ、直接的にも間接的にも反発された。「人前で試行錯誤なんて恥ずかしいことをするものではない。我々が欲しい情報は完成された訳文なり論文なりだけであって、あなたの試行錯誤とかどうでもいい」と思われたようだった。その気持ちは理解できる。

それともうひとつ、メーリングリストの「管理」もほとんどメールでの連絡という方法を採ったので、メンバーが増えるにつれて(最終的に登録者が100名を超えた)、「翻訳と研究」にかかる労力よりも「管理」の労力のほうが重くなり、自分が何をしたいのか、何をすべきなのかが分からなくなっていった。

「ファン・ルーラー研究会」のメーリングリストは1999年から2014年まで15年続いたことになっているが、良かったのは最初の5年ぐらいで、あとはほぼ休眠状態。私の管理能力が無かったことをお詫びするしかない。個人的な試行錯誤はせいぜい2、3人の前でするものであって100人強の前でするものではない。

私のネット利用の経緯をもっとコンパクトに書けると思ったが、いろいろ思い出して長くなったので、ここでいったん終わる。