2014年9月9日火曜日

「バルト以降の神学者」はバルトよりスケールが小さいか



「バルト以降の神学者」と呼ばれるモルトマン、パネンベルク、ユンゲルは、バルトに比べるとスケールが小さいのだろうか(大意)という問いかけをいただきました。以下は私なりの答えです。

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「バルト以降は『これ』という神学がない」(大意)とモルトマンも1957年(31歳)まで感じていたと明言しています。なので、若いうちは安心してバルト温泉を堪能できます。じっくり味わった人だけが次のステージに進めると思います。

モルトマンの当該発言:

「私は、カール・バルトの『教会教義学』を勉強して以来、その後ずっと、バルト以後はもはや新しい体系的な神学はありえまい、という印象をもっておりました。ちょうどかつて、ヘーゲル以後はもはや哲学はありえないと考えられたように、バルトはすべてを言いつくしてしまったように思えたのです。しかしながら、1957年、オランダの伝道の神学者アーノルト・A. ファン・ルーラーは、私をそうした誤解から解放してくれました。」

(モルトマン『十字架と革命』大庭健訳、新教出版社、1974年、5ページ。)

私は、モルトマン、パネンベルク、ユンゲルがバルトよりスケールが小さいとは思いません。

バルトはゲッティンゲン大学神学部「改革派神学講座」の初代教授です。二代目はオットー・ヴェーバーで、三代目はハンス・ヨアヒム・クラウスです。モルトマンはゲッティンゲン大学で二代目ヴェーバーから教義学を学びました。

へんな話、どの世界でも「初代」というのは歴史的な意味を持つわけです。二代目以降は、初代の働きを継承する役目をどうしても負わされます。ある意味で初代よりも実力が勝っていなければ「継承」はできないと思うのですが、初代を越え出ることを控えるのを求められたりもして。

加えて『カルヴァンの神学』の著者ヴィルヘルム・ニーゼルが、実際には短期間だったゲッティンゲン大学教授時代のバルトの学生でした。ニーゼルは、バルトがスイスに帰国したあとドイツ告白教会やドイツ国内の改革派教会の強力な指導者でした。そりゃバルトを持ち上げるに決まってます。

そのようにして神学論壇的にはバルトの後継者オットー・ヴェーバーやハンス・ヨアヒム・クラウス、また教会政治的にはバルトの学生ヴィルヘルム・ニーゼルらがドイツの神学と教会をがっちり固めている中で、モルトマン、パネンベルク、ユンゲルらはバルトを超える新しい道を探ったわけです。

モルトマン、パネンベルク、ユンゲルら世代の神学教授は必死だったと思います。バルトのままでいいなら彼ら自身が新しい教科書を書く必要はなく、バルトの著作のコピーでも配って解説すればいいだけですが、場合によってはそういうことを真顔で求める学生がいたとも限りません。

しかし、モルトマン、パネンベルク、ユンゲルからすれば、バルトの神学でいいわけありません。バルト(1886年生まれ)との年齢差は、モルトマン(1926年生まれ)40才、パネンベルク(1928年生まれ)42才、ユンゲル(1934年生まれ)48才です。ほぼ半世紀差です。

しかも、モルトマン、パネンベルク、ユンゲルがドイツの神学部の第一線で活躍するようになったのは1960年代です。日本の60年安保だとか全共闘だとかの頃。ドイツの神学部も荒れまくっていたようです。デモクラシーの政教分離原則と国立大学神学部の両立は難しいですからね。

そんな感じでしたから、モルトマン、パネンベルク、ユンゲルらの世代の神学的課題は、バルトやボンヘッファーのような「デモーニッシュな国家を倒す」というテーマよりも、むしろ「国家のかけらをカオスの中から拾い出して再建する」というテーマでなければならなかったはずです。

しかし、「国家のかけらをカオスの中から拾い出して再建する」というのは私なりの表現ですが、このテーマに「神学」が取り組むとはどういうことか。それが、モルトマンなら「希望の神学」、パネンベルクなら「歴史の神学」、ユンゲルなら実存論的神学のようなものになったといえます。

彼らの営みを最も単純化して言うとしたら、現在の欧米や日本の大学で「これがサイエンスだ」とされている認識や価値観を「イエス・キリストの名のもとに」全否定せず、むしろ重んじること。哲学、歴史学、政治学、数学、医学、物理学等と神学のポジティヴな関係を探ること、です。

1946年であればまだ「世界の創造者はイエス・キリストですからね!」とバルトがボン大学の教室で笑顔で講義しても感動の涙を誘うことができたかもしれませんが、1960年代のドイツで同じことを言う教授がいたら、「この非科学的教員を徹底糾弾する」とつるし上げられたでしょう。

1970年代になれば「アポロが月に行く時代に神だ宗教だ言ってやがる連中が国立大学の中にいる」呼ばわりです。そういう周囲の目を恐れて迎合したのが「神の死の神学」でしょう。「神は死んだ。だから我々はもはや神なしで生きられるよう成熟しなくてはならない」と神学者が率先して言う。

そういうことを言い出すヨーロッパの国立大学神学部教授やアメリカの著名神学部・神学校教授の言説を嫌がり、「正統的な神学」を求めた神学者たちは、少数精鋭の小規模教団の小規模神学校に拠点を移したりしましたが、それはそれで先細りの一途をたどることにもなったように思います。

そろそろまとめます。バルト以降に「これ」という組織神学がない理由は、第二次大戦後の欧米の伝統大学神学部が衰退したからです。聖書学、キリスト教学、キリスト教史学なら大学のサイエンスだが、組織神学はサイエンスにあらず。文科省を持つ国では特にそうだったと思います。

全体的な衰退過程の中で(それは今も続いている)モルトマン、パネンベルク、ユンゲルの世代の神学は、バルトと比べて「分かりにくく」なったはずです。加速度的に乖離していく「教会の常識」と「社会の常識」のどちらにとっても中途半端で、風見鶏のように見えるものかもしれません。

「教会の常識」か「社会の常識」かのどちらか一方に立ち、一方から他方を全否定する言説は時と場合によっては聴く者に強烈な快感を与えるものとなります。どっちつかずの曖昧な言説は、唾棄されるか無視される。しかし、それこそが我々にとっての最凶・最悪の罠なのだと私は思います。

「組織神学」にせよ「教義学」にせよもともと地味なサイエンスです。バーフィンクが『改革派教義学』の序文(1895年)に「教義学は今日重んじられていない。キリスト教の教えは時代に疎んじられている。時おり感じることは(中略)見捨てられた寂しさと孤独感である」と書いています。

バルトの世界的ヒットで「組織神学」が突如好景気になりましたが、一種のバブルです。「組織神学バブル」です。しかし18世紀以降は、基本的にほぼずっと底辺進行で来たサイエンスだったと言ってよいと思います。

なので、現代の組織神学に「これ」は必要ない。これが私の結論です。