2008年7月27日日曜日
時が良くても悪くても
使徒言行録26・19~32
使徒パウロがユダヤの王アグリッパとローマ人総督フェストゥスの前で行った弁明が、もう少し残っています。パウロの言葉は、最後まで力強いものでした。
「『アグリッパ王よ、こういう次第で、私は天から示されたことに背かず、ダマスコにいる人々を初めとして、エルサレムの人々とユダヤ全土の人々、そして異邦人に対して、悔い改めて神に立ち帰り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと伝えました。そのためにユダヤ人たちは、神殿の境内にいた私を捕らえて殺そうとしたのです。』」
「私は天から示されたことに背かず」とあります。しかし「背かず」とたった三文字で訳されますと、さっと読み飛ばされてしまいそうです。語られている事柄の重大さを考えますと、「背かず」だけでは物足りません。もう少し丁寧に訳す必要があります。
よりよい訳の可能性としては「私は天から示されたことに従わざるをえませんでした」です。または「背くことができませんでした」です。イエス・キリストとの出会いの体験がパウロの人生を変えたのです。パウロが進もうとしていた道をキリストが遮ったのです。その先には一歩も進ませないと言わんばかりに立ちふさがったのです。キリストはパウロと同行者たちを“転倒”させたのです。
しかし、パウロがそのことを、これまた文字どおりの「“天から”示されたこと」として語っている点が重要であると私は思います。これは人によって違うことかもしれません。わたしたちは「私の人生を変えてくださったのは神である」と端的に語ることができるでしょうか。パウロが言っていることは、要するにそういうことなのです。彼の言っている「天」とは、神御自身を指しているのです。
わたしたちは、そういう場合におそらくいくらか躊躇があります。「何々さんが私を教会に誘ってくれたから今日の私がある」と言いたくなります。「たまたま目の前に教会があり、たまたま立ち寄ったのがこの教会だった」と言いたくなります。
そのようなわたしたち自身の言葉遣いが間違っているわけではありません。事実を事実として率直に述べているだけです。私が申し上げたいことは、パウロの語り方は、わたしたちの語り方とは明らかに違うものであるということだけです。
しかし、です。パウロの言葉には力強さがあります。果てしないまでの底力を感じます。彼の信仰の最終的な根拠は人間ではないということが語られているからです。神がパウロの人生を全く新しいものへと作り変えてくださったのです。パウロは「天から」、すなわち「神から」示されたことに服従したのです。
信仰の最終的な根拠が人ではないと語ることが、なぜ力強いのでしょうか。最も単純に言えば、人間は裏切ることがありうるからです。これは、人を信用して裏切られたことがある方々にはご理解いただける話でしょう。
パウロの場合も、そのことが関係していると思われます。間違いなく言いうることは、パウロが最初に神を信じたとき、彼を「神」へと導いたのは同胞であるユダヤ人であったということです。しかし、そのパウロが今やユダヤ人たちによって殺されようとしているのです。このわたしを神へと導いてくれたユダヤ人たちによって、わたしは殺されようとしている。もしパウロが信仰の最終的な根拠を人間に置いていたとしたら、自分はユダヤ人たちに裏切られたというような思いの中で、彼は全く絶望するしかなかったのです。
しかし、パウロは絶望しませんでした。信仰の最終的な根拠が人間ではなく、神御自身に置かれていたからです。人間につまずいても、パウロの信仰は揺るぎません。誰が何と言おうとも、パウロの信仰が失われることはありません。
これらの点について、わたしたちはどうでしょうか。わが身を振り返って、よく考えてみなければならないように思われてなりません。
「『ところで、私は神からの助けを今日までいただいて、固く立ち、小さな者にも大きな者にも証しをしてきましたが、預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと以外には、何一つ述べていません。つまり私は、メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになると述べたのです。』」
しかし、です。パウロの信仰の根拠は、「突然輝いた天からの光」というおそらく時間にすればたった一瞬にすぎない、神秘的で不思議な出来事という、ただそれだけのものではなかったと言うべきです。根拠は今日の個所の中に、少なくともあと二つあります。
第一の根拠は「天からの光」です。しかし、第二の根拠は「聖書」です。「預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと以外には、何一つ述べていません」と言っているとおりです。第三の根拠については後ほど述べます。
イエス・キリストへの信仰の根拠は聖書にある。そのことをパウロは確信していました。これも彼の信仰の強さを表しています。
聖書は、わたしたち人間のように、昨日言ったことと今日言っていることとが違っているというような、曖昧で変わりやすい言葉の持ち主ではありません。今日ここで語ったことを来週「あれは無かったことにしてください」と語ることは、ある意味での勇気や謙遜さが必要なことではあります。しかし書かれた文字、あるいは印刷された文字には、そのようなあやふやさはありません。聖書の言葉を根拠にする信仰は、そのようなあやふやさの余地を残さない、きわめて明確な確信に至るのです。
「パウロがこう弁明していると、フェストゥスは大声で言った。『パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ。』パウロは言った。『フェストゥス閣下、わたしは頭がおかしいわけではありません。真実で理にかなったことを話しているのです。王はこれらのことについてよくご存じですので、はっきりと申し上げます。このことは、どこかの片隅で起こったのではありません。ですから、一つとしてご存じないものはないと、確信しております。アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。』」
パウロはまだ弁明を続けていました。しかし、フェストゥスは「大声」でパウロの言葉を遮りました。それ以上語らせないように妨害したのです。そして、「お前は頭がおかしい」という言葉でパウロを侮辱しました。
「学問のしすぎで」とあります。これでも間違いではないと思います。しかし、原典を見ると、フェストゥスの言葉の中に“マニア”の語源と思われるギリシア語が記されています。つまり、フェストゥスが言っていることは、「お前は特定の宗教にのめり込みすぎている」というようなことです。「宗教かぶれである」とか「宗教マニアである」というようなことです。
この点から分かることは、ローマ人フェストゥスにとっては、教養の一つとして宗教についてのある程度の知識をもつということくらいは許容できるとしても、何か特定の宗教にのめり込むとか、“ハマる”ことは、精神的なバランスが崩れている、偏った人間であることの何よりの証拠に見えたのだろうということです。フェストゥスの目に映るパウロはマニアのようなものだったのです。一種の熱狂主義、視野の狭さ、精神の不安定さなどを感じ取ったのです。
宗教というものがたしかにそのような人間を生み出すことがありうることについては、わたしたちも知らずにいるわけではありません。やや誤解を恐れながら申し上げますと、もしわたしたちの信仰が先ほど申し上げた二つの根拠、すなわち「天からの光」と「聖書」という根拠だけにとどまるものであるならば、パウロがその言葉で批判された“マニア”のようなものと大差ないと見られても仕方がないのではないでしょうか。
しかし、今日私が最も強調してお話ししたいと願っていることは、パウロはこの二つの根拠だけにとどまっていなかったということです。彼の信仰には第三の根拠がありました。それは「このことはどこかの片隅で起こったことではありません」という点です。
ここで「このこと」とはイエス・キリストに関するすべての出来事です。その出来事は、どこかの片隅で起こったことではなく、アグリッパさん御自身もよくご存じのことです。このパウロの言葉の意図は、イエス・キリストに関するすべての出来事は「歴史的な事実」として起こったものであるということです。つまりパウロの信仰の第三の根拠とは「事実」です。もう少し丁寧に言えば「歴史的事実」です。これは重要な要素なのです。
パウロの意図は、次のように説明できます。
もし私が宣べ伝えているキリスト教信仰が「天からの光」と「聖書」だけを根拠にしている宗教であるとするならば、わたしたちの姿はたしかに、宗教マニアのようなものに見えてしまうかもしれません。しかし、わたしたちの場合はそれだけではありません。わたしたちの宗教は「歴史的事実」を重んじるものです。
アグリッパさん、あなたもよく知っているあの出来事。誰もが目の前で見た現実の出来事。ひとりのナザレ人イエスが十字架の上にかけられて殺されたあの出来事、それがわたしたちのキリスト教信仰の根拠です。あの出来事だけは、いくらなんでも無かったことにすることはできないでしょう。
ですから、私の頭は少しもおかしくありません。私が歴史的事実に基づいて語っていることを「頭がおかしい」などと、もし本当に言われなければならないのだとしたら、その事実を事実として認めているすべての人の頭も「おかしい」と言われなければならないではありませんか。そんな馬鹿な話はないでしょう。
「アグリッパはパウロに言った。『短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか。』パウロは言った。『短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが。』そこで、王が立ち上がり、総督もベルニケや陪席の者も立ち上がった。彼らは退場してから、『あの男は、死刑や投獄に当たるようなことは何もしていない』と話し合った。アグリッパ王はフェストゥスに、『あの男は皇帝に上訴さえしていなければ、釈放してもらえただろうに』と言った。」
パウロの弁明を聞いたアグリッパの心は、ほんの少しくらいは動いているような気がしますが、皆さんはどのようにお読みになりますでしょうか。短い時間で私をクリスチャンにする気かと、皮肉とも冗談ともとれる言葉を述べています。「おやおや、不覚にもあなたの言葉に説得されそうになったじゃないか」と冗談めかして言っているのかもしれません。そしてアグリッパは、パウロが上訴さえしていなければ彼は釈放されただろうと、同情のことばさえ口にしています。
もちろん、それ以上のことは言えません。たとえば、アグリッパはパウロの言葉に納得したとか、アグリッパにも信仰が芽生えたというようなことまで語るのは無理でしょう。それほど甘くはないと思います。しかし、です。アグリッパはパウロの言葉に相当な迫力と説得力を感じたであろうということくらいは言ってもよさそうです。
言い逃れとして申し上げるつもりはありませんが、伝道には時間がかかるのです。相手がほんの少しでも心を動かしてくれたなら、その日の働きとしては十分すぎるほどです。相手が誰であれ、時が良くても悪くても、わたしたちは語り続けなければならないのです。
(2008年7月27日、松戸小金原教会主日礼拝)
2008年7月26日土曜日
「今週の説教」と検索してみてください
それからこれも今日知ったことです。著名な検索サイトで「今週の説教」という語で検索すると、グーグルでは第1位、ヤフーでは第3位、MSNでは第1位で、私の説教のサイトを探し当ててくれるようです(順位は本日現在です。この種の順位は日々変動しているものであることは承知しております)。ちなみに、私がブログを始めたのは2006年5月からですが、累計アクセス数が最近やっと10万件を超えたことも知りました。これが多いのか少ないのかは私には判断がつきませんが、多くの方々のお助けとお支えあってのことと感謝しています(「累計アクセス」のカウント対象はreformed.jpかprotestant.jpというアドレスがついているサイトです。その中には「ファン・ルーラー研究会」「アジア・カルヴァン学会」なども含まれています)。
関根正雄氏とファン・ルーラー
本日ある方から興味深い情報をいただきました。関根正雄先生がファン・ルーラーに言及しておられる、というのです。「わたくしはこの頃、預言者をヴァン・リューラーの言葉『神律的相互関係』を借りて見うるように思っている。歴史における自由な神の行動に律せられ、厳密に神の言葉と霊の働きに自由に服従した人々として預言者を見たいのである。終末論的に預言者を受け取ることは新約聖書から旧約聖書を受け取ることでもある」(『関根正雄著作集 別巻 補遺』、教文館、2004年、170ページ)。とても感動しました。興奮で今夜眠れないかもしれません。
2008年7月20日日曜日
召命と派遣
今日の個所にもパウロとイエス・キリストとの神秘的な出会いの体験が記されています。この出来事について使徒言行録が取り上げているのは、これで三回目となります、ただし、単純に同じ内容が三回繰り返されているわけではありません。初回(9・1~19)においては、パウロがその出来事に遭遇した場面が描かれていました。二回目(22・6~21)には、パウロがユダヤ最高法院の人々の前で弁明を行っている場面で語った言葉として記されていました。
そして三回目となる今日の個所で彼が語っている相手は王です。ユダヤの王アグリッパです。これで分かることは、単純な繰り返しではないということです。語っている相手が違います。また内容も少しずつ違います。比較してみると、その違いが分かります。
しかし、です。全く同じではないとしても、同じようなことが三回も繰り返されていることの意味は何なのかと考えざるをえません。ごく単純に言えば、やはり、パウロの身に起こった(時間にすればおそらくほんの一瞬の)出来事が、その後の教会と世界の歴史にとって非常に重大な意味をもっていたのだということです。そのことを使徒言行録の著者がはっきりと認識していたのです。そのことが、同じ書物のなかに同じことが三回も繰り返して記されている理由であると言えるでしょう。
もちろんパウロも、小さな一人の人間にすぎません。しかし、その一人の人間パウロがイエス・キリストと出会い、回心と救いを体験することによって、その後の教会と世界に及ぼした影響は計り知れないほど大きなものであったと間違いなく言えるでしょう。一人の人間パウロが歴史を変えた。歴史を変えたパウロを変えたのは、イエス・キリストとの出会いの体験であった。つまり、パウロの存在と働きを通して歴史を変えたのは他ならぬイエス・キリスト御自身であった。そのように語ることができると思います。
もちろんパウロは、非常に特別な賜物と能力に恵まれた人でもありました。その意味でパウロは特別な人間でもありましたので、普通の人と単純に同列に並べることはできないかもしれません。しかし、その点は十分に考慮するとしても、今日の個所を読みながら、わたしたち自身が慰められたり励まされたりする点があってもよいと私は思います。
それは要するに、一人の人間がイエス・キリストによって救われることの意味は決して小さなことではないということです。わたしたちは、パウロほど影響力の大きな人間ではないかもしれません。しかし、わたしが救われたことには何の意味もないとか何の影響力もないということはありえないと考えてよいはずです。ここに教会が存在すること、教会にわたしたちが集まっていることには何の意味も影響力もないということはありえない。そのように信じてよいのです。
別の点から言い直せば、どんな偉大な働きをした人にも駆け出しの頃があったということです。パウロの場合、イエス・キリストに出会うまでの彼は、全く正反対の言葉を語り、また全く正反対の道を歩んでいました。しかし、彼は回心を体験し、人生そのものが一変しました。パウロの回心が、その後の教会と世界を変えた。それは歴史的な事実なのです。
何事もそうですが、一つの道を究めるためには多くの時間がかかります。心を定めて、忍耐強く時間をかけて一つの道を歩み続けることが大切です。それによって得られる収穫は決して小さなものではありません。とにかく地道な歩みを続けていくことが重要です。
「わたしは今日、生まれて初めて教会に来ました」。その日その時から始まる大きな動きがありうるのです。このわたし、わたしたち、この教会が踏み出す小さな一歩から始まる大きな歴史があるのです。そのことを信じようではありませんか。
「『こうして、私は祭司長たちから権限を委任されて、ダマスコへ向かったのですが、その途中、真昼のことです。王よ、私は天からの光を見たのです。それは太陽よりも明るく輝いて、私とまた同行していた者との周りを照らしました。私たちが皆地に倒れたとき、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか。とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う」と、私にヘブライ語で語りかける声を聞きました。』」
パウロが見たのは「天からの光」でした。それは太陽よりも明るく輝く光でした。彼はその光を心で感じただけではなく体全体で感じました。彼は地面に倒れてしまったのです。
この件に関しては、このときパウロは精神的ショックを受けたのだという説明も十分に成り立つでしょうと、すでに申し上げてきました。すでに死んだと思っていた方、イエス・キリストが生きておられた。そして、生きておられるその方が自分に声をかけてこられた。その声をはっきりと聞いた。それは、精神的なショックを受けるに十分な出来事です。
しかも、その声が語っている内容は、その日その時までパウロがしてきたことに対する批判であり、非難でした。「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」。もちろん、そのようなことを、あなたはすべきでない、してはならない、という意味です。
「とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う」という言葉は、これまでの二回には出てこない、今回初めて出てくるものです。「とげの付いた棒」とは、イエス・キリストのことです。また、パウロが迫害してきたキリスト者たちのことであり、キリスト者の集まりであるキリスト教会のことです。あなたがイエス・キリストと教会を迫害することは、自分自身を傷つけることになる。そのことはあなたにとって何の益にもならず、むしろ不利益になる。だから、そういうことは今すぐやめなさい。そのように言われているのです。
「『私が、「主よ、あなたはどなたですか」と申しますと、主は言われました。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起き上がれ。自分の足で立て。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たこと、そして、これからわたしが示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にするためである。」』」
ここで語られていますのは、イエス・キリストがパウロの前に現われてくださった目的ないし理由です。イエス・キリストがパウロの前に現われて声をかけてくださったことには、明確な目的ないし理由があったのです。
余計な言い方かもしれませんが、もしイエス・キリストが何の目的もなく死人の中から蘇ってくださり、パウロにも声をかけてくださったというだけであるならば、そのようなイエス・キリストは、せいぜい人を驚かせ、ショックを与え、恐怖におののかせるだけのお化けのようなものと変わりがありません。そして、もしイエス・キリストがそのような存在であるならば、キリスト教会はお化け屋敷のようなものと変わりがありません。
しかしそうではなく、イエス・キリストが死人の中から復活してくださり、パウロの前にも現われてくださったことには明確な目的もしくは理由があったのです。その目的とは、すなわち、あなたが今まさに見ていること、これから見ることを多くの人々の前で証言し、宣べ伝える者にするため、というものです。「あなたを奉仕者、また証人にするため」とは、あなたパウロをこのわたしイエス・キリストに仕える者とし、またわたしの復活の事実を証言する者にする、ということです。
イエス・キリストの復活が、もし、とくに目的もなく、ただ単に人を驚かせ、ショックを与え、恐怖におののかせるだけのものだったとしたら、それは「お化けが出た」というようなことと内容的に少しも変わりがありません。しかし、そういうこととそれとは全く次元が違うことです。イエス・キリストの復活には、はっきりとした目的があったのです。そしてその目的は、次のように説明することができます。
イエス・キリストは、聖書に基づいて神の言葉を語られました。愛と憐みをもって弱い人を助け、病気をいやしてくださいました。そのようなイエス・キリストの存在と働きが、彼を憎む人々の手によって中断されたのです。罪のないイエス・キリストが罪に定められ、十字架にかけられ、殺されました。
しかし、そのイエス・キリストが死人の中から復活され、弟子たちの前に現われてくださり、パウロの前にも現われてくださいました。その意味は、イエス・キリスト御自身が、その存在と働きを地上において受け継ぐ人々をお選びになったということです。
その人々は、永遠に生きておられる救い主イエス・キリストとともに、聖書に基づいて神の言葉を語り、愛と憐みをもって弱い人を助け、病気をいやす働きへと具体的に召され、選ばれたのです。
別の言い方をするならば、死人の中から復活されたイエス・キリストに出会った人々は、びっくりした、ショックを受けた、怖かったというようなことだけでは済まされないのだということです。それだけならば、何度も言うようですがただのお化け屋敷です。イエス・キリストの復活を信じる者たちはイエス・キリストの存在と働きを受け継がなくてはなりません。イエス・キリストがそうなさったように、神の言葉を宣べ伝え、人を助ける働きに就かねばならないのです。
「『わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす。それは、彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである。」』」
復活なさったイエス・キリストは、パウロを「この民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす」とおっしゃいました。ここで考えてみなければならないのは「救いとは何か」という問題です。
イエス・キリストがパウロに対しておっしゃらなかったことは、次のことです。「わたしは、あなたを罪と悪に満ちたこの世の人々の中から救い出しました。だから、あなたは、もう二度と彼らのもとに戻ってはなりません」ということです。そのようなことをイエスさまはおっしゃっていません。正反対です!
イエスさまがおっしゃっていることは、「彼らのもとに遣わす」ということです。つまり、あなたパウロは、あなたが元いた場所に戻って行きなさいということです。「彼らのど真ん中に入って行け」ということです。「この世の人々から逃げるな」ということです。そしてもちろん「その人々に神の御言葉を宣べ伝えなさい」ということです。
イエス・キリストはパウロに、次のことを約束してくださっています。
あなたの働きによって、彼らの目が開かれます!
闇から光へ、悪の支配のもとから神の支配のもとへ、人々が移し替えられます!
彼らには、真の信仰が与えられます!
彼らの罪が赦されます!
彼らは、すでに救われている人々と共に、神の恵みを分け合う者となります!
そのようにして多くの人々を救いに導くわざを、あなたパウロ自身が担う者となるようにと、パウロに対してイエス・キリストがお命じになったのです。
このことはわたしたち教会の者たちに全く当てはまることです。神の恵みをいただいた者たちは、その恵みを多くの人々と分かち合うことが求められるのです。イエス・キリストに選ばれ、召され、救われた者たちは、この世の中へと戻っていかなくてはならないのです。
(2008年7月20日、松戸小金原教会主日礼拝)
2008年7月17日木曜日
焼香の問題
正統的なキリスト教会、つまり異端ではない教会においては、すべて「唯一の神」を信じていますが、その神は「三位一体の神」です。天地万物の創造者なる神と、十字架にかかって死んでくださった神の御子なる救い主イエス・キリストとわたしたち人間のうちに宿ってくださる聖霊なる神とが「同じおひとりの神」であると信じているのです。これだけでややこしくなってしまうかもしれませんが、大切なことは、キリスト教信仰において神は「広くて豊かな方」であるということです。ユダヤ教もイスラム教も「唯一神」ですが、彼らは「三位一体の神」を決して信じませんので、我々とは一致できません。彼らと我々の違いは「広さ・豊かさ」の違いではないかと思います。Ⅰコリント9・19~23のような言い方のなかでパウロが具体的に何をしたかについては、はっきり分かることと分からないことがあります。テモテの割礼(使徒言行録16・3)は、はっきり分かることの一つでしょう。「真の信仰」と「偶像礼拝」との線引きは、とても難しい問題です。私は中学・高校の頃に柔道を少しかじりましたが、試合開始時に神棚に一礼させられるのがどうしても嫌で、続ける気を失いました。夏になると、学校のプール開きのたびに神主がお払いに来ることに腹を立てていました。知人や親戚の葬儀(すべて仏式)に出席すること自体が嫌でした。焼香しない人間に対する白眼視はこちらまではっきり伝わって来るものでした。私は「自分はそれでよい。誰から何と思われようが構わない」と思ってきました。しかし、「神棚に頭を下げりゃいいんだろ」と何の疑問ももたずに柔道を続けている人。「学校行事だから」とプール開きのお払いの儀式に参加している人。あるいは仏式や神式の葬儀の喪主を引き受けざるをえなくなった(家族会議で押し切られた)キリスト者。個人としてではなく、会社や団体の代表者として葬儀に出席している人が、会社や団体を代表して(自分自身の信仰を犠牲にして)焼香を行うこと。このような人々を「偶像礼拝者」と呼ぶのは少し厳しすぎるだろうと考えています。
わたしたちは独りで生きているのではありません。社会の中で生きているかぎり、自分の信仰を純粋に貫き通すことができない場面に何度も遭遇します。もし宗教的な純粋さをどこまでも追求しなければならないというならば、キリスト者同士の交際以外のすべての人間関係を、教会は禁止すべきです。そのようなことは現実には不可能ですし、端的に言ってそのような禁止自体が間違っています。宗教は個人の心の中だけの「神に対する節操、貞操」の問題だけで済むものではありません。キリスト者たちは、社会の中で現実に大きな責任を負っています。自分の置かれている立場の責任が重ければ重いほど、自分の信仰告白をあらゆる面で押し通すことが難しくなっていくでしょう。私が大学時代通っていた教会の日曜学校校長は昭和天皇の友人でした。とても物静かな方なのですが、時々ぼそっと「こないだちょっと陛下とお茶飲んできましてね」という話をしてくださるのが楽しみでした。Xデーなどとも言われた昭和天皇崩御の日の次の週の礼拝では、その方は黒ネクタイで日曜学校礼拝と主日礼拝の司式をなさいました。立派な姿だと私は思いました。キリスト教の神理解は「広くて豊かな方」(三位一体の神)です。「あれもだめ・これもだめ」という戒律主義の反対です。タブーのようなものをできるだけ取り払っていくことがわたしたちには許されています。たとえば、もし「焼香」の問題で洗礼を受けることを躊躇しておられる人がいるとしたら、私でしたら、「焼香を続けてくださって構いませんから、洗礼を受けてください」と申します。ある方は受洗された後、わたしや教会の人々が何も言わないのに、「もうこんなの要らないだろ」と先祖代々の仏壇を御自分の判断で処分されました。信仰生活には、洗礼を受けてみなければ分からないことがたくさんあるのです。しかし、私がこれまで牧師をしてきた地方教会の会員の中には、家族や親戚の手前、仏壇や神棚を飾ったままの人もいます。それは仕方がないことです。ともかく私は、洗礼を受ける前にクリアすべきいろんな条件を積み上げていくことには反対なのです。救い主は「ありのまま」のその人を受け入れてくださいます。
この点の私の考えに異論があるのは当然です。しかし、私がうんと考えこんでしまうのは、「礼拝とは何か」という問題です。たとえば、キリスト教主義学校(とくに中・高)の生徒たちのうち未受洗者である子どもたちが毎日学校で行われる「チャペルの礼拝に出席すること」、また夏休みの宿題で「教会の礼拝に出席すること」は、彼らの「礼拝行為」なのでしょうか。そこで聖書を開かせられること、賛美歌を歌わせられること、説教を聞かされること、祈りの言葉を唱えさせられること。それが彼らの「礼拝行為」でしょうか。「礼拝」には、その人の心と信仰が伴う必要はないのでしょうか。会社の上司や同僚、家族や親戚の葬式に(相当な強制力をもって)出席させられることについては、どうでしょうか。我々(キリスト教会)の論理から言えば、葬式そのものが「礼拝」に該当するのではないでしょうか。仏式葬儀の中の「焼香」の部分だけが死者礼拝でしょうか。我々のキリスト教礼拝の場合、この中のどの部分は「三位一体の神を礼拝する部分」であるが、そうでない部分もあるというふうに分けることはできません。仏教や神道の場合は、我々とは違うのでしょうか。仏教や神道の場合には、彼らの礼拝を各要素ごとに分けて、この部分は「死者崇拝」であるが、他の部分はそうではないと見てよいのでしょうか。そのような都合のよい分別は不可能ではないかと私は考えています。私自身は、たとえそれが仲良くしていただいた親戚の葬式であろうと、中学生時代の恩師の葬式であろうと、「仏式葬儀に出席すること」それ自体が嫌であり、不愉快でした。何を隠そう、「死者礼拝としての異教的葬式」に出席することそれ自体が十戒の第一戒・第二戒に全く抵触する行為であると、私は信じてきたのです。この確信は今でも変わっていません。しかし、です。「会社の上司や同僚、家族や親戚の(異教的)葬式」それ自体に「私は出席しません」という態度を強固に貫くことができるのは、たぶん牧師たち(しかも一部の牧師たち)だけです。それは「牧師の論理」です(私も一応「牧師」のはしくれです)。「え、葬式だよ?!いくらなんでも葬式の欠席はありえないだろう。そんなことをしたら今後どうなっちまうか分かりゃしない」という(教会員からの)猛烈な反発に対するある種の“妥協策”が、日本のキリスト者たちの「焼香拒否」ではないのでしょうか。この点の日本教会史的検証が必要ではないでしょうか。
以上のように申し上げる私の意図は、両論並べ立てようとすることではなく、そもそも我々自身の「焼香拒否」自体が“妥協の産物”ではないだろうかということです。私にはファン・ルーラーのように「キリスト教は啓示と異教の混合物(アマルガム)である」とまで語る勇気はありません。しかし、「妥協」(compromise)ということが真剣に考えられるべきではないかと思っています。「転向」は少なくとも私にとっては万死に値することですが、「妥協」は日々可及的速やかに行われるべきことです。私自身の確信と自明性のもとにあり続けた「死者礼拝の中心部分としての焼香拒否」は、しかし果して本当に自明なことなのだろうかと問いなおしてみる必要があると思うのです。「焼香」は、本当に死者礼拝なのでしょうか。それを死者礼拝であるとみなすなら(そうであると私は教えられてきましたが)、異教的葬式への出席それ自体を拒否すべきではないでしょうか。「仏式葬儀そのもの」と「焼香」をきれいに(「リサイクルできるもの」と「できないもの」というふうに)分別することができるでしょうか。もし分けることができるなら、「焼香のみの拒否」に意味はあるでしょう。しかし、分けることができないとしたら、「焼香のみの拒否」など全く無意味ではないでしょうか。我々に残されている道は、死者礼拝としての異教的葬式それ自体への出席を拒否するか、そうでなければ「妥協」することではないのでしょうか。これが私の問いの真意です。ある一定の自明性のもとに生きているかぎり、すべては安泰です。しかし、現実の我々は、日々新しい問いを持ち込まれ、日常生活は常に脅かされ続けているのではないでしょうか。
私はファン・ルーラーの「啓示と異教のアマルガム(混合物)としてのキリスト教」という命題に接するたびに、それによって「キリスト教自身の厳密な自己批判」へと向かうべきであるという確信を深めています。しかし、それをどのように表現してよいかについては日々迷っています。どんなふうに書いても言葉が足りず、誤解を受けてしまうことを覚悟せねばなりません。私が申し上げたいことは、仏式の葬儀における「焼香」は、その葬儀全体から切り離すことはできないのではないかということです。もしわたしたちキリスト者が「あの焼香だけを拒否しさえすれば、死者礼拝の罪から免れることができる」と考えているとしたら、非常に悪質な自己欺瞞ではないかということです。わたしたちが「死者礼拝」を完全に拒否するために必要な態度は、仏式葬儀そのものへの出席拒否ではないでしょうか。私自身は、ほとんどそうしたい気持ちで一杯です。意味不明な念仏など聞きたくもありません。しかし、たとえ牧師であっても、たとえば「教会員の家族の葬儀に出席しない」ということがありうるでしょうか。ある人々にとってはありうるのかもしれませんが、私には不可能です。それで、「やむをえず」出席する(「やむをえず」が「喪」にふさわしい心性かどうかという問いは残ります)。しかし「焼香」はしません。そのことによって、とりあえず「私はここに仕方なく来てしまいました。しかし、あの忌まわしい焼香はしていませんので、私は死者礼拝をしていません」と自分で自分を慰める。これは、わたしたちキリスト者の自己欺瞞ではないでしょうか。実際のわたしたちは、そこに出席している時点で、念仏を聞いている時点で、たちこめる香を嗅いでいる時点で、「死者礼拝」に十分な意味で“参加”しているのではないでしょうか。日本のキリスト者たちは、「仏式葬儀の全体」と「焼香」とを都合よく切り離したうえで、後者だけを否定することによって、悪質な自己欺瞞の論理を築いてきた。そのことを率直に認める必要があるのではないでしょうか。
私がファン・ルーラーを読みながら考えさせられることは「焼香だけが問題ではない」ということです。「日本のキリスト教会は、仏教思想そのもののグノーシス主義(地上の生の否定的評価)を一歩すら踏み越えることができていない」ということです。牧師たちが(しばしば涙ながらに)語る「故人は輝かしい天国へと旅立った!」「悪と罪に満ちた地上の世界から解放された!」という葬儀説教のグノーシス主義のほうは不問にしておいて、「焼香」という一点だけを強調して教会員を悩ませてきたキリスト教会の自己欺瞞性のほうが、よほど深刻です。なお、私が用いる場合の「妥協」という言葉は、常に、ファン・ルーラーやパネンベルクが愛したエルンスト・トレルチの概念です。旧日本基督教会の人々がトレルチをどれくらい読んでいたかは知りませんが、彼らが行ったと言われる“妥協”とトレルチの「妥協」とでは、意味が違います。トレルチ、ファン・ルーラー、パネンベルクらが言う意味は、地上の生はすべて「断片的なるもの」であり、かつ「トルソ」であるゆえに、「妥協」を恐れるべきではないということです。「宗教混淆」を言いたいわけでは決してありません。私が毎日悩んでいることは、日本の教会は日本社会から逃げているのではないかということです。日本社会から逃避している教会が、日本社会に伝道できるのでしょうか。「日本から逃げるな!関口よ、お前は日本に伝道しているんだろう?」と毎日、自分自身に言い聞かせています。また、最近では「焼香」を行わない日本の仏式葬儀も始まっているようです(現に最近、私の家族がそのような仏式葬儀に出席しました)。「世俗化」の流れの中で、日本の仏教界も存続の危機にあるのかもしれません。我々キリスト者が仏式葬儀の中の「焼香」の要素だけを切り離して拒否してきたことの意味(その無意味さ)が問われるときが必ず来るでしょう。それは、我々キリスト教会にとって、より深刻な時代となるでしょう。
「昭和天皇の友人」であった日曜学校校長のことをご紹介しました。詳しく書くと、その方がどなたであるかが分かってしまう方がおられるかもしれませんが、東京大学名誉教授の天文学博士で、当時の日本学士院の会長でした。昭和天皇にいろんなことを直言できる関係にありました。その方の話を聞くたびに、「国を本当に変えたいならば国の中枢に入り込む必要があるのでは」と思わされました。日本のキリスト教界が教団や大会の議長名の「抗議声明」などをいくら出しても国の中枢にいる人々にとっては痛くも痒くもないのです。「だからそういうものを出しても意味がない」と言っているのではなく(そんなことをこの私が言うはずがありません!)、両面計画が必要ではないかと思っているのです。ファン・ルーラーがオランダのバルト主義者の「キリスト教政党否定論」に反対してキリスト教政党擁護論(セオクラシー政治)にこだわった理由も、そのあたりにありました。国の中枢に入り込まなければ国を変えることができない。国会の外でいくら大声を張り上げても、法の一つすら決めることも変えることもできないのです。私の申し上げたいことは「信仰ゆえに起こる摩擦を避けるべきである」ということではありません。全く正反対です!「国を本当に変えていくために、国づくりに参加するために“蛇のように賢くあれ”」ということです。この“賢さ”をもたないかぎり、この国が変わる日を望むことはできないでしょうということです。その日曜学校校長は、まだ20歳くらいだった私が当時かぶれていたボンヘッファーに非常に興味を示してくださり、「関口先生、ボンヘッファーまた教えてくださいね」とおっしゃいました。とても慎重で思慮深い方でした。「そのような人がなぜ、礼拝で黒ネクタイなのか」と問われると答えに窮しますが。
繰り返し申せば、私自身は、生まれ育った教会で「焼香してはならない」と禁じられましたので、今日に至るまで「焼香」をしたことがありません。自分はしたことがないので、だれかに「焼香をすすめている」わけではないのです。私が申し上げたいことは、「焼香をしているキリスト者を私は裁くことができない」という点と「諸般の事情から焼香をやめることができないことが洗礼を受けることができない理由にはならないと思う」という点です。言いたいことは、それだけなのです。キリスト者“のくせに”「焼香」を行った。その途端に「彼/彼女は、ついに真の信仰を捨てた。霊的な堕落者である。ふたりの主に兼ね仕えている姦淫人間である」と見くだされる。これはいくらなんでもあんまりな言い方ではないかということです。「それほどのことか」と言いたい。そこまで言われるならば、「焼香」だけではなく「仏教葬儀」そのものが死者礼拝ではないのかと考えざるをえません。「焼香」だけを仏式葬儀の全体から都合よく区別して、そこだけ拒否して自己満足にひたっているほうが、よほどペテンであり、自己欺瞞ではないかと、真剣に告発せざるをえません。私が幼少期に過ごした教会においては「禁酒禁煙」などはもちろんのこと、「テレビ禁止」、「ギャグ漫画禁止」、さらに「電子レンジ禁止」(?)などを教え込まれました。意味が分かりません。そのような教会で、私は0才から18才まで過ごしたのです。明らかに少し歪んでいると自覚している私の性格は、そうした(宗教的)成育歴と関係あるだろうと思います。実際にはすべての点で逆らいました。しかし「焼香禁止」は、私にとってのいわば最後の束縛です。「これは一体何なのか」と自分でも正体をつかみきれないものに縛りあげられている感覚があります。「偶像礼拝だ!」「バアルに膝をかがめることだ!」という種類の言葉で一喝されると、いまだに身がすくみます。「日本プロテスタント宣教150周年」を馬鹿騒ぎするのも結構です。どうぞご自由に! しかし、昭和40年生まれの者としては(あえて「昭和」と言います。第二次大戦終結後20年経て生まれた者であることを表現したいだけです)、「日本プロテスタント宣教150周年が生み出した“負の遺産”の総検証プロジェクト」を企画することのほうがよほど有意義ではないかと考えます。我々の世代のキリスト者が「教会で受けたトラウマ」をどれほど多く背負っているかということを、いつかどこかでぶちまけたい気分です。そこを通り抜けなければ、日本のプロテスタンティズムが今後健全な成長を遂げることは不可能ではないかと思っています。「教会に若い人が集まらない」と嘆いてみせる前に、教会の側に自問すべきことがあるような気がしてならないのです。「教会よ、お前自身が人々を傷つけてきたのではないか。他ならぬお前自身が、人々を手際よく追い払ってきたのではないか。小さな問題を大きく騒ぎ立て、大きな問題を軽視してきたのではないか」と。
「焼香を行っているキリスト者」の問題について、私自身は、事柄の性質からいえば、ローマの信徒への手紙14章~15章の「信仰の強い人は信仰の弱い人を担うべきである」という問題に限りなく近いだろうと見ています(ピタリとは一致しませんが)。そのため私は、このことについて我々が何らかの明確な判断をくだすことができる具体的な指針を用意するためにどうしても経ざるをえない“教会における議論”そのものが「信仰の弱い人」を躓かせてしまうことを最も恐れます。傷つく人は、“真理”に傷つくのではなく、“議論”(のプロセス)に傷つくのです。そのような人を私なりにたくさん見てきました。私の考えが間違っているのかもしれませんが、我々に本当に必要なのは、教会会議が決定した何らかの具体的な指針ではなく、「信仰の強い人による、信仰の弱い人に対する“配慮”ないし“遠慮”」ではないかと思うのです。パウロ的に言えば「世の中に偶像の神などはない」のであり、「唯一の神以外にいかなる神もいない」のです(コリントの信徒への手紙一8・4)。私の感覚はこれに最も近いものです。そもそも「偶像の神」など“存在しない”のです。ですから、「焼香」についても言えそうなことは、そもそも“存在しない”「偶像の神」の前で(存在しない何ものかの「前」とはどこなのかという謎が残ります)、“たかがひとつまみの抹香粉”を指先につまんで片方の皿からもう一方の皿へと移したからといって、それで何かが始まるわけでも、何かが終わるわけでもないのです(この感覚はまるで自分が無神論的唯物論者でもあるかのようです!私は“敬虔な”キリスト者のつもりですが)。また、先には逆説的なことを申し上げましたが、私自身の感覚としても、仏式葬儀に参列すること自体や、お寺であれ神社であれキリスト教的なるものとは異なる宗教施設そのものの中に立ち入ること自体は、別にどうというほどのことではないのです。それは単なる集会にすぎず、単なる建築物にすぎません。集会の存在そのもの、建築物の存在そのものがただちに罪であるわけではありません。その集会に参加したから、その建築物に立ち入ったから、それがただちに罪であるわけではありません。しかし、こういうのは「信仰の強い人」の言い分なのだと、私なりに自覚しています。「信仰の弱い人」の場合は、そうは行かないでしょう。また、たとえば「数珠を手にかける」というようなことは私も嫌です。仏教に反対したいだけではなく、カトリック教会が勧めるロザリオにも反対です。ただし、反対の理由は「あのようなやり方は偶像礼拝だから」ということではなく、「私の学んできた生活習慣とは異なるから」ということです。宗教の違いではなく文化の違い、カルチャーの違いです。異なるカルチャーを強制的に押しつけられることが、不愉快なのです。
焼香を私が行わない理由もこれと同じです。「したくもないことをやらされる」という強制が、ありえないほど嫌なのです。ここについて行けないものを感じるのです。しかし、「そこにはいくらか私のわがままが含まれているかもしれない」と問い返してみたのが、先に申し上げたことの裏側にある一つの思いです。「したくもないことをやらされて」生きている人は世界中にたくさんいます。「仕事」とは、いわばそのようなものです。「やりたいことだけをやれる」人は幸せかもしれません。私自身は焼香もしませんし、数珠を手にかけることもしません。遺族に向かっては一礼しますが、遺体に向かっても・遺影に向かっても頭一つ下げたことがありません(いまだかつて)。しかしそれは、ある意味で「牧師だから許されること」であって(実は何ら「許されて」いないかもしれないわけですが)、「そうも行かない」人たちはたくさんいるだろうと考えてみたまでです。繰り返し申せば、このようなことを大っぴらに議論すると、“議論”(のプロセス)そのものに傷つく人々が必ず生まれます。そういうことを私があえて申し上げる意図は、「新しい議論を巻き起こしたい」というようなことでは決してなく、「牧師たちの側にも自己吟味が必要ではないか」と言いたいだけです。私は「信仰の強い人」は「信仰の弱い人」を裁いてはならないということを、本当に心から信じています。「信仰の弱い人」を裁かなければならないくらいなら、この仕事を辞めなければならない。そういう思いです。ひょっとしたら私はこの仕事に向いていないのかもしれません。しかし、「この種のことは、信仰のはかりに従って各自の自由裁量によって対処せよ」と言いたいわけでもなく、「この問題は教会会議というような“公の場”において徹底的に討論されるべきものではなく、牧師と教会員との“一対一”の場で心静かに語り合われるべきものである」ということです。先に書いたことをじっくりお読みいただけば、私の意図自体は(たとえ賛成や納得はしていただけなくても)正しく伝わるだろうと信じています。
2008年7月16日水曜日
基本的立場と主張
1) 説教と日曜日の礼拝を重んじる。日曜日の礼拝はキリスト者と教会の生命であると信じている。礼拝説教の基本的なスタイルは、聖書各巻の内容を少しずつ解き明かしていく「連続講解説教」である。ただし、説教の内容が聖書の歴史的・文法的研究の披瀝や神学用語解説のようなことに終わるのではなく、礼拝出席者の日常生活にとって慰めや励ましになる「普通の言葉」であることを目指している。同僚牧師や神学生の説教に対しても、「もっと普通の言葉で語れないものか」と、(自分のことを棚にあげて)不満を感じていることが多い。
2) 聖礼典(洗礼・聖餐)は重んじるが、形式はできるだけ簡素であるほうがよいと信じている。教会とは「地上における神のみわざ」であり、かつ洗礼における誓約に基づく信仰者の共同体であると信じているので、洗礼を受けていない人や信仰を告白していない人に対する無差別配餐のようなことは行わない。また病床聖餐や訪問聖餐も原則として行わない。家庭や病床への訪問において大切な要素は、ミステリーではなくデリカシーである。病者や弱者、また臨終の床にある人に接するあり方は重厚な(そして多分に押し付けがましい)儀式性を介してよりも、普段着のそっとしたふれあいや「普通の言葉」による慰めのほうがふさわしいことは火を見るより明らかである。また、聖餐の品々(パンとぶどう酒)は個別に受け渡されるべきではないと、改革派教会の伝統(特にウェストミンスター信仰告白第29章の伝統的な解釈)に基づいて信じている。
3) 礼拝や儀式の場でガウンや祭服等は着用していない。そういうものは私には似合わないと思っている。ただし、牧師のガウン着用は(神学的に)間違っていると言いたいわけではない。自分用のガウンを持っていないだけのことである。先日行った結婚式の際に先輩牧師からガウンを借りて着用したところ、「式の雰囲気がしまって見えた」とか「大勢いる中で誰が牧師かが一目で分かって良かった」などわりと好評だった。礼服がかなり古くなってきたのと、ダイエット(下記参照)の効果でブカブカになったため、ガウンをボロ隠しにしようと思っただけなのであるが。
4) 聖書解釈の際には使徒信条をはじめとする基本信条および古代教父の神学、16世紀の宗教改革者とくにスイスの宗教改革者ジャン・カルヴァン[1509-1564]の諸教説、またハイデルベルク信仰問答やウェストミンスター信仰規準などに告白されているプロテスタント教会の伝統教説(とりわけ歴史的改革派神学におけるそれ)を重んじる。同時に、宗教改革時代(16~17世紀)の教説には時代的制約や未解決点が多数あることを認める。世界の神学と教会における「さらなる宗教改革」の必要性を感じている。
5) 現代の組織神学者の中で最も信頼するのは、オランダの改革派神学者アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー[1908-1970]である。現代の「歴史的・批評的な」聖書学の諸成果についても、できるだけ傾聴したいと願っている。行動と実践の面で尊敬しているのは、ディートリッヒ・ボンヘッファー[1906-1945]とマザー・テレサ[1910-1997]とマルティン・ルーサー・キング・ジュニア[1929-1968]である。
6) 礼拝の中でうたう讃美歌は、プロテスタント教会の伝統の中で育まれてきた古典的なものを重んじる。16世紀のジュネーブ詩編歌を日曜日の礼拝に取り入れている。礼拝以外の場所では、いろんなジャンルの音楽を好んでもいる。楽器というものを何一つ自分では演奏できないことと楽譜を読むことができないことを恥ずかしいと思っている。それでもいつの日かエレキギター(ストラトキャスター)を弾けるようになりたいと心ひそかに願っている。憧れのギタリストはもちろんジミー・ペイジである。自動車の中でいつも聴いている音楽は「コブクロ」である。歌うのは好きなほうで、たまに家族でカラオケに行く。賛美歌コーラスのパートはテノールである。低い音は出ない。高校くらいまでは、風体に似合わずボーイソプラノっぽかった。
7) 個人と教会と社会の相互的な協力関係を重んじる。教会の礼拝と個人の生活が喜びに満ちたものになっていくことを祈りつつ働きかけると同時に、可能なかぎり積極的に社会の安全や公平性に寄与したいと願っている。地域への奉仕活動や学校のPTA活動などには、時間の許すかぎり参加している。それらの場で人々を教会に勧誘することは、意識的に避けている。むしろ、地域の人々と共に働き、信頼される人間になることこそが「伝道」であると信じている。個人の自由と人権は最大限に尊重されなければならないと思う。
8) 政治への関心は国内・海外問わず強いほうであるが、立場は左翼でも右翼でもない。しかし「どちらでもない」というよりは「どちらでもある」という、より包括的な二枚腰(二枚舌ではない)のスタンスのほうが、政治を見つめる目としては正しいような気がしている。現時点で固定した支持政党はない。それよりも、キリスト者の倫理的誠実さに期待する思いのほうが強くある。キリスト教の洗礼を受けている人々の中から国会議員となる政治家が多く起こされることを、ひたすら祈り願っている。究極的には、ヨーロッパ型の「キリスト教民主党」が日本に生まれることを、わりと真剣に(そしてかなり無邪気に)期待している。
9) 読書は好きなほうだし、高校時代は「文学部」に属して同人誌発行の広告主探しのために奔走していた過去さえあるが、それほどの文学青年でもない。日本や海外の著名な文学者の書物を、最初から最後まで読み通せたためしがない。「国木田独歩、読みましたか?」とか「遠藤周作や三浦綾子の世界は、なかなか深いものがありますね」とか「ドストエフスキー、面白いですよね?」とかいう話題をふられると、恥ずかしくて逃げ出したくなる。小説や童話の空想世界にはほとんど付き合うことができない(自分のそういうところは欠点であると思っている。映画やテレビやアニメなどになっていれば見ようという気になることがあるが、それとても三回くらい繰り返して見ないと、話の筋道を把握できない。思考回路のどこかしらに何かしらの欠落があるようだ)。プラトンやアリストテレス、またデカルトやカントやヘーゲル、さらにハイデッガーやデリダなどの哲学書も買い求めて開いてはみるのだが、実は全く興味を抱くことができない。結局いつも読みふけっているのは、聖書と神学書、そして朝日新聞と週刊少年ジャンプである。香山リカ氏と養老孟司氏の本は面白いし、「かなり当たっている」と思う。最近読み直した福澤諭吉の『学問のすゝめ』は、あまりの毒舌と言いたい放題なところが面白かった。
10) スポーツやトレーニングというものに真面目に取り組んだことはいまだかつて一度もない。中学・高校の一時期、柔道部に所属したが、ものにならなかった。それでも1986年6月にスクーターに乗っていた私に軽トラックが接触し転倒した交通事故の際、柔道仕込みの受け身がとっさに出て、頭部を強打せずに済んだ。その後10年間、頚椎捻挫の後遺症で苦しむことになったが。2007年2月より、一日一時間のウォーキング(5km)を始めたところ、半年で体重が10kg減量した(そこでストップしてしまっているが、リバウンドもしていない)。やってみるものだ、と自分で驚いている。愛用スニーカーは「ナイキ」である。普段着はすべて「ユニクロ」である。自動車はほぼ毎日乗っているが、車種などにはまるで興味がなく、ナンバーさえ覚えていない。最も苦手なことは、論理的脈絡のない数字の羅列を記憶すること。自分の携帯電話(ドコモ)の番号が、なかなか覚えられない。逆に、いつまでも忘れることができないのは、自分が参加した会議の場での議論の内容(耳で聞いた音声)である。
11) 複数の各個教会間の協力関係のあり方としては、「長老主義」(プレスビテリアニズム)が最良であると信じている。ただし、大会(ジェネラル・アセンブリ)や中会(プレスビテリ)の過度の肥大化や強権化が各個教会の自主性を阻害するように機能することに対しては危惧を持つ。大会も中会も、そして日本政府も国際連合のようなものでさえも「小規模政体」(スモール・ガヴァメント)であることを願う。
12) 全キリスト教会一致運動(エキュメニズム)に対しては積極的かつ肯定的でありたいと願っているが、同時に、この運動の進展は各教派の伝統が最大限に尊重されるかぎりにおいてのみ可能であると信じている。したがって、当面の課題は「改革派エキュメニズム」であると信じている。日本国内の改革派・長老派諸教会は最終的に(再)合同して、ひとつの教団を形成すべきであると思う。
2008年7月13日日曜日
喜びまで考えぬけ
マタイによる福音書14・13~21
「イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。『ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。』イエスは言われた。『行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。』弟子たちは言った。『ここにはパン五つと魚二匹しかありません。』イエスは、『それをここに持って来なさい』と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。」
今日開いていただきましたのは、おそらく皆さまも繰り返し学んで来られた個所です。わたしたちの救い主イエス・キリストが、五つのパンと二匹の魚をもって男性が五千人、女性や子どもたちを合わせればおそらく一万人くらいはいたでありましょう人々の空腹をたちどころにいやしてくださった、ひとつの奇跡物語です。
この出来事をイエスさまはまさに奇跡として行ってくださいました。そのことをわたしたちは信じる必要があります。しかし、この物語には、この点以外にも注目すべき豊かな内容があります。今日はその中のひとつを取り上げたいと思います。
イエスさまがお聞きになったのは、バプテスマのヨハネが殺されたという知らせでした。なぜヨハネが殺されなければならなかったのかをご説明する時間はありません。今考えてみたいのは、その知らせをお聞きになったイエスさまのお気持ちです。
間違いなく言えそうなことは、深く傷ついておられただろうということです。つらくて悲しい思いをもっておられたに違いありません。心も体も疲れ果てておられたでしょう。だからこそイエスさまは、「ひとり人里離れた所に退かれた」のです。
ただし、より正確に言いますと、「ひとり人里離れた所に退かれようとした」です。それは実現しませんでした。群衆がイエスさまを追いかけ、押し寄せて来ました。イエスさまは、おひとりになることができなかったのです。
しかし、イエスさまは本当に忍耐強くふるまわれました。だれよりも御自身がお疲れになっていたでありましょうのに、大勢の群衆を見て「深く憐れんでくださり」、病気の人をいやしてくださいました。イエスさまとはそういう方なのです。
イエスさまの周りには「群衆」がいました。それは非常に大勢の人です。わたしたちの仕事のなかで何が疲れるかといって、ひと相手の仕事くらい疲れるものはないと思います。相手が人間である。それぞれの人々にそれぞれの人生があり、苦労があり、考え方や価値観があります。それがまた一人一人違うのです。その一人一人の存在を受け入れ、理解し、助け、力づけること。これは重労働なのです。
イエスさまはその仕事を一生懸命に果たしてくださいました。そしていつの間にか日が暮れていました。しかもその場所は、イエスさまがそもそも「ひとり人里離れたところに退こうとされた」場所でした。繁華街ではありませんでした。そのため、弟子たちが提案したのは、群衆を解散させ、各人の夕食は各人で、村で買ってもらいましょうということでした。彼らとしては当たり前のことを言ったつもりだったと思います。
ところが、そのときイエスさまが弟子たちにお答えになったことは、おそらく弟子たちにとっては厳しいと感じる内容でした。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べるものを与えなさい」。
これがなぜ「弟子たちにとっては厳しいと感じる内容」なのでしょうか。ぜひ考えてみていただきたいことは、夕方になるまで「弟子たち」は何をしていたのだろうかということです。その答えは今日の個所には何も記されていません。しかし全く分からないわけでもありません。「弟子たち」は、イエスさまが一生懸命に働いておられたときに何もせずにぼうっとしていたわけではなかったはずです。
「弟子」の仕事は、イエスさまをお助けすることです。それ以外の何ものでもありません。イエスさまが一生懸命働いておられたとき、そのイエスさまをお助けする弟子たちもまた、一生懸命に働いていたに違いないのです。
考えられるのは次のことです。イエスさまとしては、そもそもヨハネが殺されたという出来事のなかで傷つき、疲れておられました。しかし、その御自分の心と体を鞭打って、群衆の一人一人を助ける仕事を果たされました。そしてそのときイエスさまの弟子たちも同様に、イエスさまと共に一生懸命働いて、心も体も疲れ果てていました。そのとき弟子たちは、おそらくほとんどダウン寸前だったのです。
ところが、その弟子たちに対してイエスさまは、群衆の夕食の準備を「あなたがたが」、つまり、あなたがた弟子たちがしなさいと言われたのです。
「いやいや、イエスさま、ちょっと待ってください! わたしたちも疲れているのです。わたしたちもボロボロです。そのわたしたちがどうして群衆の夕食の世話までしなければならないのでしょうか。そこまでサービスする必要や責任は、わたしたちにはないのではないでしょうか。サービス過剰ではないでしょうか。群衆たちはいわば勝手についてきただけではないでしょうか。自分の食べ物を買いに行くことは自己責任ではないでしょうか。ぜひ『どうぞご自由に』と言ってください。食べたい物を、食べたいだけ、どうぞご勝手に食べてもらったらよいのではないでしょうか」。
おそらく弟子たちは、そのように言いたかったのです。
ところが、イエスさまは、弟子たちをあえて酷使なさったのです。「わたしたちも疲れている」という文句を言わせなかったのです。「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」。そこまで世話をすること、すなわち、人々の心の世話だけではなく体の世話、食事の準備まですることが、あなたがた弟子たちの責任であり、使命でもあるということを、イエスさまは明らかになさったのです。
しかし弟子たちは、横暴とも感じられるイエスさまのご命令を前にして、明らかに抵抗しています。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」。この弟子たちの言葉はイエスさまに対する抵抗の言葉として読むことが可能です。
弟子たちがイエスさまに提案したことは、群衆たちには「村に」食べ物を買いに行かせましょう、ということでした。ところが、イエスさまは「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」と言われました。その言葉は、弟子たちの耳には、明らかに「彼らの食べ物を、あなたがたが村まで行って買ってきなさい」と聞こえたはずです。
そんなことができるものかと、彼らは抵抗しているのです。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」の「ここ」に込められている意味は、わたしたちは「ここ」から一歩も動きませんし、動けませんということです。「わたしたちだって一生懸命に働いたのです! わたしたちもボロボロです。群衆もお腹をすかしているかもしれませんが、わたしたちのお腹もすいています。イエスさま、これ以上わたしたちに何をさせようとなさっているのでしょうか。いいかげんにしてください」。彼らはこのように言いたいのです。
こういうのを今の言葉でいえば“キレる”というのです。弟子たちはイエスさまの言葉にキレたのです。「わたしたちはここから、もう一歩も動きません。ここにある、この五つのパンと二匹の魚、これで何とかできるようでしたら、どうぞ何とかなさってください。わたしたちはもう知りません」。これは一種のストライキです。座り込みのようなものです。横暴な命令にはこれ以上従うことができませんという、抵抗の姿勢です。
そのような弟子たちの態度をご覧になったイエスさまが遂に行ってくださったのが最初に申し上げた奇跡です。イエスさまは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちに渡し、群衆に配らせました。それによってすべての人のお腹が満たされたのです。
この奇跡の意味は何でしょうか。もちろんいろんな読み方が可能でしょう。しかし私は今日、その中のひとつのことだけを申し上げておきます。それは、人々のお腹を満たすという仕事を弟子たちが引き受けないならば、すなわち、「そこまではわたしたちのなすべき仕事ではない」と彼らが拒否するならば、「その仕事をわたしがする」というイエスさまの態度決定の表われであるということです。弟子たちがストライキをもってその部分の働きを拒絶するならば、御自身ひとりでそれをするということです。
言い換えるならば、イエスさまのもとに集まった人々の心の世話だけではなく体の世話、たとえば典型的に「食事の準備」という点は、いつもイエスさま御自身と共に生きている弟子たちが本来果たさねばならない仕事であるということです。
ここまで申し上げれば、皆さまにはすぐにご理解いただけるでしょう。私が考えていることは、今日の個所に登場する「弟子たち」の姿は、わたしたち自身の姿、現在の教会の姿と重ね合わせて見ることができるだろうということです。この個所を読みながらわたしたちが考えなくてはならないのは「教会の役割と使命とは何か」という問題です。
もっとも私自身は、花見川キリスト教会の礼拝に参りましたのは今日が初めてであり、皆さんがふだんどのように活動しておられるかを全く存じません。皆さんへの批判や要望のようなことを申し上げる意図はありません。そういうことではないということを、ぜひ信頼していただきたいと願っています。ごく一般論としてお聴きいただいたいのです。
私が申し上げたいことは、教会の役割と使命は、人間の心に関わるだけではなく、人間の体にも関わるということです。このあたりから教会のみんなで一緒に食事をとる機会を増やすべきだという話題に切り替えても構いませんが、私が申し上げたいことはそのようなことだけではなく、もっと根本的なことです。
わたしたち教会の者たちが真剣に考えなければならないことは、信仰と生活の関係であり、教理と倫理の関係であり、神の御言葉と現実の関係です。教会が取り組むべき課題は、精神的なことだけではなく、肉体的なことでもある。生活の問題、倫理の問題、現実の問題は、付け足しのようなものではなく、本質的なものであるということです。それらの問題に取り組むことを、わたしたちは面倒くさがるべきではないのです。
教会がとことんまで追い求めてよいこと、追い求めるべきことは、わたしたちの「喜び」です。「喜びまで考えぬくこと」、すなわち、どうしたらわたしたちが「喜びに満たされた教会」になるのか、またわたしたちが生きている現実が「喜びにあふれたもの」になるのかを徹底的に考えぬくことが重要です。その際に重要なことは、「喜び」とは心の問題だけではなく、体の問題でもあるということです。
愚痴のようなことを言いだせば、きりがありません。愚痴はできるだけ抑えましょう。それはわたしたちに何の益ももたらさないでしょう。できるだけ楽しいことを考え、語り合いましょう。それが豊かな益をもたらすでしょう。
(2008年7月13日、花見川キリスト教会礼拝説教、東関東中会講壇交換)
2008年7月8日火曜日
人間的なるものを全面的に否定する罪
先月末に二週連続で行った研究発表と講演(カルヴァン、ファン・ルーラー)で私が最もお伝えしたかったことは、もちろん、「人間的なるもの」という言葉を“批判的・否定的・糾弾的な”意味で用いてきた、日本の教会にも色濃く流れ込んでいるある種の「教会的伝統」に対する強い批判の気持ちです。「そういう言葉遣いはもうやめようではないか」という具体的な提案です。この批判と提案の根拠、つまり、「人間的なるもの」という言葉を悪い意味で語る伝統は打破されなければならないと主張するための神学的な根拠を、16世紀のカルヴァンと20世紀のファン・ルーラーという二人の神学のなかに見出すことができると申し上げたいのです。しかしまた、カルヴァンには「人間的なるものイコール(=)罪深いもの」という、この同一性の主張が全く無いとは言いきれません。この点のカルヴァンの“苦しい分裂”にファン・ルーラーは「否」を突きつけたのです。「人間的なるもの」は「罪深いもの」とイコール(=)ではありません。これは「キリスト論的視点」か、それとも「聖霊論的視点」かという問題には、直接的には関係ありません。むしろ、直接的に関係しているのは、おもに創造論です。「神は人間的なるものを初めから本質的に罪深いものに創造された」わけではないのです。被造性の本質は「はなはだ善きもの」(erant valde bona)なのです。もちろん、創造後の「堕落」の問題は無視できません。しかし、「堕落」の意味は、「被造性(creativity)の喪失」です。それゆえ、イエス・キリストの贖いのみわざ(redemptio)によって成就した「堕落からの救い」の意味は、「喪失した被造性の“回復”」です。このことを改革派神学は「再創造」(recreatio)と呼んできたのです。ファン・ルーラーは、この線に全く立っています。「人間的なるもの」は「罪深いもの」とイコール(=)ではありません。「我々人間は当然(naturally)罪を犯すのだ」と語ってはなりません。罪をナチュラライズしてはなりません。「我々人間は罪のあらゆる誘惑に打ち勝たねばならない」と語らなければなりません。罪の問題はいささかも軽視してはならないのです。しかし、そのこと(罪の問題をいささかも軽視しないこと)と、「人間的なるもの」という言葉をもっぱら“否定的・批判的・糾弾的な”意味で用いてもよいとすることは別問題です。たとえば、「人間的なるものを全面的に否定する罪」があると思います。「人間嫌いの罪」があると思います。「地上の生を否定/軽視する罪」、「自暴自棄になる罪」、そして「ただ天上の生のみを憧れる罪」、「早く地上を去りたいと懇願する罪」があると思うのです。いま書いたことは、原理的な問題というよりも、現実の問題です。この現実の問題に対してキリスト論的視点からだけで答えを出せるでしょうか。私の見方では、わたしたちがキリスト論的視点から聖書を読み、人生と世界について考えているときに常に随伴してくる宗教的感情は、「殉教」です。「自らの殉教を喜んで受け入れる罪」を語るつもりはありません。しかし「地上の生への執着心」それ自体を「罪」と呼ぶことはできないと思っています。どのような逆境の中にあっても、人は生きてよいし、生きなければならないし、生き延びる道を探し続けなければなりません。「後期高齢者」という用語を不愉快に思っている方が、教会にも大勢おられます(教会も「少子高齢化」です)。私は「後期高齢者」になられた方々には「地上の生への執着心」をできるだけ多く持っていただきたいと願っています。「早く天国に行きたい。周囲に迷惑をかけないままポックリ逝きたい」。こういう話を(人前で)するのはやめてもらいたい。「後期高齢者」になられた方々には、どうぞ遠慮なく、周囲の人々に迷惑をかけていただきたいと願っています。ただし、愚痴ばかり言わないで。謙遜に「人の世話になること」を覚えてほしいものです(これ私の愚痴ですね、すみません)。
2008年7月7日月曜日
説教は「受肉」しない
ファン・ルーラーの「キリスト論的視点」と「聖霊論的視点」の区別の意図の一つは、「キリストの人間性」としての(それ自体は独立した人格性(ペルソナ)を有さない)“肉”(サルクス)と我々自身が有している「人間の人間性」とを厳密に区別することでした。この両者を区別することに、どのような実際的な意味があるのでしょうか。即座に挙げることができる一つの例は、もし我々が事柄を神学的に厳密に語ろうとするならば、我々が行う説教は決して「受肉」しないということです。我々の説教は「受肉」しません。なぜかというと、我々の説教は(三位一体の神の第二位格としての)“永遠のロゴス”そのものではありえないからです。もしそのようなものであるとするならば、我々の説教は完全にアンタッチャブルなものになってしまいます。誰もそれを批判することができない、まさに無謬で無誤の言葉に化けてしまいます。また、その場合には、説教者の存在は“肉”(サルクス)にすぎないものとみなされざるをえません。そのとき説教者は、まるで理性や感情をもたない機械じかけの存在でなければならないかのようです!我々の説教は「受肉」するのではなく、いわば「内住」するのです。説教は、聖霊のみわざにおいて、語る者の「人間的なるもの」を通り抜けて、聴く人の「人間的なるもの」のなかへと注ぎ込まれ、混ぜ込まれ、練り込まれるのです。我々は、説教において説教者自身の「人間的なるもの」が反映されることを、なんら恐れるべきではありません。たとえば、説教において「と思います」と語ること、「わたしの証し」を織り交ぜること、あるいは葬儀説教の中で「故人について」語ることは、なんら非難されるべきことではありません。いかに厳密かつ徹底的な釈義を経ようとも、我々の説教が“純粋な神の言葉”へと蒸留されることはありえません。説教とはそのようなものであると思い込んでいる人には、何か大きな勘違いがあるのです。そのように教え込んだ教師の責任は重大です。ファン・ルーラーの言葉を借りると、説教は、どこまでも「人の手垢がついた言葉」であり続けるのです。
2008年7月6日日曜日
パウロ、王の前で語る
使徒言行録26・1~11
ユダヤの王アグリッパがパウロに「自分のことを話してよい」と言ったので、パウロは話しはじめました。場所はカイサリアです。パウロの話を聞いていたのは、アグリッパとベルニケ、ローマ人総督フェストゥス、千人隊長たち、そしてカイサリアのおもだった人々でした(25・23)。
「アグリッパはパウロに、『お前は自分のことを話してよい』と言った。そこで、パウロは手を差し伸べて弁明した。」
パウロが差し伸べた手、また足には鎖がかけられていました(26・29)。パウロはとても惨めな気持ちを、半分以上は持っていたに違いありません。
しかしパウロは実に堂々としています。おそらく彼にとっては、相手がだれであれそういうことは全く関係なかったのです。パウロは、人間を恐れるということを知りませんでした。それは彼の性格にも関係していたかもしれませんし、また彼がこれまで受けてきた様々な訓練や試練の結果かもしれません。
けれどもやはり、わたしたちが考えなければならないことは信仰です。生ける真の救い主イエス・キリストへの信仰が、パウロを強くしたのです。
パウロがアグリッパに言わなかったことは「この鎖を外してください」ということでした。「この鎖さえ外してくださるなら、こんな信仰など喜んで捨てます」ということでした。パウロにとって自分の命よりも大事なもの、それが信仰でした。信仰が、彼の存在を支えていたのです。
今日取り上げますのは、アグリッパの前でパウロが語った言葉の前半部分です。この中でパウロは、いろんな意味で“微妙なこと”を語っています。何が微妙なのでしょうか。最初に二つだけ、注目すべきポイントを挙げておきます。
第一は、パウロ自身のいわゆる“立ち位置”に関する問題です。彼自身はどこに立っているのかという問題です。とくにポイントはパウロが繰り返し用いている「ユダヤ人」という言葉です。
なぜこの「ユダヤ人」という言葉が問題になるのかというと、申し上げるまでもないことですが、パウロ自身もユダヤ人だったからです。ユダヤ人であるパウロが「ユダヤ人」の話をしているのです。それは、日本人である私が「日本人」の話をするのと同じです。その言い方には明らかに(精神的に)“距離を置こうとする”気持ちが含まれています。
そして、もう一つ重要なことは、このときパウロの目の前にいたアグリッパ王もユダヤ人であったということです。問題は、ここでパウロはすべてのユダヤ人とアグリッパ王にけんかを売っているのでしょうかということです。そのように読めなくもありません。
しかし、パウロの言い方は非常に微妙なものです。明らかに距離を置きながら、しかしまたパウロは、自分自身も十分な意味でユダヤ人であるという明確な自覚をもって語っています。そこには痛みがあり、悩みがあり、苦しみがあります。彼が語っている批判的な言葉の銃口が、彼自身にも向けられているのです。
第二のポイントは、今日取り上げます個所ではとくに、パウロ自身の過去について語られているということです。
パウロはかつて熱心なユダヤ教徒であり、また熱心なキリスト教迫害者でした。わたしたちが考えなければならない問題があります。パウロは自分のそのような過去について、今ここで胸を張って堂々と語っているのでしょうか、という問題です。
頭でも掻きながら、「いやあ、じつは私もねー、その昔はキリスト教なんか全く信じていなかったし、教会とか通っているような人間なんて殺してやりたいくらい大嫌いだったんですよー、あははー」とでも言うような感じで。ニヤニヤしながら。
私はこの個所をどう読んでも、そのように読むことはできません。パウロは明らかに、自分の過去を恥じています。ここにも痛みがあり、悩みがあり、苦しみがあります。反省と悔い改めがあります。しかし、それならばなぜパウロは、そのような恥ずかしくて痛く苦しい自分の過去をあえて口にするのでしょうか。彼は何を言いたいのでしょうか。
「『アグリッパ王よ、私がユダヤ人たちに訴えられていることすべてについて、今日、王の前で弁明させていただけるのは幸いであると思います。王は、ユダヤ人の慣習も論争点もみなよくご存じだからです。それで、どうか忍耐をもって、私の申すことを聞いてくださるように、お願いいたします。』」
最初にパウロは、アグリッパ王がユダヤ人の慣習も論争点もすべて知っている人であると言っています。これは明らかに相手の立場や知識を尊重している言葉です。皮肉や嫌味を言っているのではありません。けんか腰で突っかかっているのでもありません。
「『さて、私の若いころからの生活が、同胞の間であれ、またエルサレムの中であれ、最初のころからどうであったかは、ユダヤ人ならだれでも知っています。彼らは以前から私を知っているのです。だから、私たちの宗教の中でいちばん厳格な派である、ファリサイ派の一員として私が生活していたことを、彼らは証言しようと思えば、証言できるのです。』」
次にパウロは、すべてのユダヤ人がパウロ自身の存在と、彼の「若いころからの生活」を知っていると言っています。聞き方、または読み方によっては、少し威張っている感じの言葉に響かなくもありません。パウロは自分が有名人であると言っているのです。私のことを知らないようなユダヤ人は一人もいないと言っているのです。
しかし、パウロは、今この時点、つまりアグリッパ王の前に立って話しているこの時点での事実を述べているだけです。今この時点のパウロは、たしかに有名人です。すべてのユダヤ人がパウロの存在を知っています。パウロがかつて熱心なユダヤ教徒であり、熱心なキリスト教迫害者であったことを、今この時点におけるすべてのユダヤ人たちが知っているのです。
そのことを、パウロは知っていました。つまり、今ここでパウロがアグリッパに対して語ろうとしていることの意図は、パウロの身に起こった変化をすべてのユダヤ人が知っているという事実に注目してもらおうとしているということです。パウロの意図をより正確に言うとしたら、「この私が有名人である」ということではなく、「この私に起こった変化をすべてのユダヤ人が知っている」ということです。
「『今、私がここに立って裁判を受けているのは、神が私たちの先祖にお与えになった約束の実現に、望みをかけているからです。私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕え、その約束の実現されることを望んでいます。王よ、私はこの希望を抱いているために、ユダヤ人から訴えられているのです』」。
ここでパウロの微妙な言い方が一つの極まりに達しています。パウロは「私たちの先祖」と言い、「私たちの十二部族」と言っています。ポイントは「私たち」です。この「私たち」の中にパウロ自身が含まれ、すべてのユダヤ人が含まれ、さらにアグリッパ王も含まれているのです。
パウロの気持ちが伝わってきます。「神さまがわたしたちに約束を与えてくださったではありませんか。わたしたちは、その約束の実現を求めて、同じ神さまに仕えているのではありませんか。アグリッパさん、あなたもそうでしょう。違うのですか」と。
「私パウロは、わたしたちみんなの共通の目標をめざして歩んできた者でありますのに、私がその中に属し、また私が今なお心から愛している同胞であるユダヤ人から訴えられ、この手や足に鎖をかけられ、裁判を受けているのです。こんなのありですか。いくら何でもひどすぎるのではないでしょうか」と。
「『神が死者を復活させてくださるということを、あなたがたはなぜ信じ難いとお考えになるのでしょうか。』」
ここで再びパウロは、死者の復活の問題を持ち出しています。強調がこめられているのは「神が」という点です。
「死者の復活」という点に強調がこめられていないと言っているのではありません。しかし、ここでパウロが問題にしていることは、神は全知全能のお方ではないのだろうかという点であると思われます。全能とは「なんでもおできになる」ということです。パウロの問いかけの意図は、神が「なんでもおできになる」ということを、また「なんでもおできになる」神という方を、あなたがたは信じていないのですかということです。
「いくら神でも死者を復活させることはできない」ともし考えるならば、神の全能性を否定することです。「できないこともある神」は、神ではないのです。
「『実は私自身も、あのナザレの人イエスの名に大いに反対すべきだと考えていました。そして、それをエルサレムで実行に移し、この私が祭司長たちから権限を受けて多くの聖なる者たちを牢に入れ、彼らが死刑になるときは、賛成の意思表示をしたのです。また、至るところの会堂で、しばしば彼らを罰してイエスを冒瀆するように強制し、彼らに対して激しく怒り狂い、外国の町にまでも迫害の手を伸ばしたのです。』」
パウロは、自分自身の過去に触れます。過去の痛い事実の記憶を思い起こしています。ニヤニヤしながらではなく。反省と悔い改めをもって。それは、ほとんど彼のトラウマのようなものであったに違いありません。そうであるはずなのに、パウロはあえて自分の傷に触れる。
私のなかに改めてわき起こって来る問いは、パウロという人は、いったいどういう人なのだろうかということです。「普通の人ならば」という言い方はあまり用いたくありません。「日本人ならば」などは、もっと言いたくありません。私自身が「普通の人」や「日本人」の中に含まれていないかのようです。ですから、今は「私ならば」と言います。私ならば、パウロのように語れるだろうか。そのような疑問をもちます。
私ならば、自分にとって不都合なことは、なるべく語らない。人が気に入るようなことを選んで語る。すぐにでも命乞いをする。いざとなったらすぐにでも信仰を捨てる。そういうふうにならないだろうかと、自分で自分が心配になります。
パウロは、明らかに違うのです。批判の銃口を自分自身にも向ける。思い出したくない自分の過去を自分でえぐり、告白する。
その目的は、一つしか考えられません。パウロは愛するユダヤ人たちを救いたいのです。
私も百八十度変わった。神が変えてくださった。あなたがたも変わる。世界も変わる。
パウロは、目の前にいるアグリッパ王にも“伝道”しているのです。
そのために、自分のすべてをさらけだしているのです。
(2008年7月6日、松戸小金原教会主日礼拝)
「カルヴァンとファン・ルーラーをつなぐ線」とは何か
「カルヴァンとファン・ルーラーをつなぐ線」と書きました。その意味として私が考えているのは、(ドイツ神学中心の)エキュメニカルな神学思想史における線ではなく、16世紀から20世紀までの四百年間の「オランダ改革派教会」(Nederlandse Hervormde Kerk)という一教団における線です。もちろんこの教団の歴史の中にも「合理主義、進歩主義、人間中心主義」の影響がなかったとは言えません。しかし、それらをオランダ改革派教会は「ハイデルベルク信仰問答、オランダ信仰告白、ドルト教理基準」という彼ら固有の伝統的な教理的枠組みのなかで受け入れたり退けたりしてきたと見るべきでしょう。19世紀のオランダ改革派教会における支配的潮流の一つは「倫理神学」(ethische theologie)というものですが、これとて彼らはあくまでも「改革派神学」の教理的枠組みのなかで展開しています。シュライエルマッハーやリッチュルやヘルマンやトレルチの影響さえ、オランダ改革派教会にとっては間接的なものです。ファン・ルーラーの神学には「ハイデルベルク信仰問答の神学の20世紀版」という面があります。よく知られているように、ハイデルベルク信仰問答は、「慰め」や「喜び」というようなまさに《人間的なるもの》をきわめて積極的に語るものです。また「御父による創造」・「御子による贖い」・「御霊による聖化と完成」という、内在的三位一体と経綸的三位一体を充当論的に(appropriately)組み合わせて語る視点もハイデルベルク信仰問答において顕著です。カール・バルトの“回心”とまで言われた彼の「神の人間性」(1956年)という論文は、私も何度も読みました。しかし、バルトの場合の「神の人間性」は、イエス・キリストにおける「受肉」や「インマヌエル」に基礎づけられるものです。そして、このイエス・キリストにおける「受肉」や「インマヌエル」という場合の「神の人間性」は、ファン・ルーラーに言わせれば「永遠のロゴスが母マリアから摂取した“サルクス”(肉)」にすぎないものです。これは、イエス・キリストという唯一無二(ユニーク)な存在における歴史的に一回限り存在した(今も、そして永遠に、御子と共に存在し続けている)サルクスです。しかし、そのサルクス(御子が摂取した肉)は、我々自身の「人間性」とは全く異質のものであり、「人間の人間性」を論じるための土台にはなりえないものです。バルトは「聖霊」についても語っています。しかしそれは、イエス・キリストにおいて成就された《客観的な》救いのみわざの・聖霊における《主観的な》適用によって可能となる・人間の認識手段としての位置づけに甘んじるものです。ところが、《客観》と《主観》の関係は、実際には同一物(一枚のコイン)の表裏の関係にすぎません。同じことを「主語を取り換えて」言い直しているようなものです。ファン・ルーラーの「キリスト論的視点」と「聖霊論的視点」の区別の意図の一つは、バルトのこの論法に対して異議を申し立てることにありました。聖霊のみわざを“主観的なるもの”に限定してしまうことを、ファン・ルーラーは問題視したのです。「霊」という字を見るとただちに“主観的なるもの”を連想するのは、日本の教会もしばしば陥ってきたスピリチュアリズム(心霊主義)の罠です。
2008年7月4日金曜日
講演への補足
ファン・ルーラーの神学は「ヒューマニズム」そのものではありません。教会の「内」と「外」を明確に区別する論理を強固に保持しています。何と言ってもファン・ルーラーにはカルヴァンとドルト信仰規準の線上に立つ「二重予定論」が明確にあります。教会の内側に(神を語ることなしにすべてをなしうるかのように立つ)あの「ヒューマニズム」のようなものが入り込む余地はいささかもありません。それゆえ、たとえば、あの「未受洗者を聖餐に与らせることができるとする論理」をファン・ルーラーの神学からくみ出すことは、いかなる意味でも不可能です。これは明言できることです。しかし、だからこそ(教会の「内」と「外」の区別があるからこそ)、ファン・ルーラーは、その神学において、「ヒューマニズム」そのものにさえ恐れることなく接近していくことができるのだと思います。教会の「内」と「外」を区別する論理が明確でない場合には、「キリスト教」と「ヒューマニズム」との区別がつきにくくなる恐れが生じるのです。「キリスト教は単なるヒューマニズムではない」というような、なんとなく分かりにくい点を強調せざるをえなくなるのです。「単なる・・・ではない」と言ってはみるものの、「じゃあ何なのですか」と問われたら即座に答えに窮するような命題を主張せざるをえなくなるのです。
現代の改革派神学における《人間的なるもの》の評価
今週6月30日(月)のことですが、「日本基督教団改革長老教会協議会協会研究所 第8回研究会」(会場・日本基督教団洗足教会)で、「現代の改革派神学における《人間的なるもの》の評価――A. A. ファン・ルーラーの神学の根本性格――」という講演を行いました。約1時間の講演の後、30分間の質疑応答が行われました。貴重なご意見をたくさんいただくことができ、感謝でした。貴重な機会を与えてくださいました日本基督教団改革長老教会協議会教会研究所の皆様に、心より感謝いたします。23日(月)の日本カルヴァン研究会での研究発表と(図らずも)時期的に重なっていましたので、両方の準備を同時並行的に行わざるをえず、オランダ語テキストとの格闘の苦しみも加わって、私にとっては非常に過酷な神学的訓練を受けることになりました。しかし、そのおかげで、16世紀のカルヴァンと20世紀のファン・ルーラーという二人の教師をつなぐ一つの線がより明確に見えてきたような気がしています。私は、今回取り扱わせていただいたテーマと課題を、今後さらに時間をかけて煮詰めていくと共に、視野と翼を大きく広げていきたいと願っています。カルヴァンとファン・ルーラーをつなぐ「“徹底的に神中心的な”人間性の神学」('ganze theocentrische' theologie van de humaniteit)という線を、私自身が思い描いてきた「実践的教義学」の構想へとつないでいきたいと願っています。以下は、会場で配布したレジュメです(大筋を変えない程度の字句修正を行いました)。
関口 康 「現代の改革派神学における《人間的なるもの》の評価――A. A. ファン・ルーラーの神学の根本性格――」(レジュメ) ←Please click!